すくらんぶる交差点(3-5)

三の五 甲 乙丙 の場合

 転がる。転がる。お金が転がる。待て、待て、俺のお金たちよ。ジュースやビールの空き缶を拾っているのは、もう何日も風呂に入らず、髪も髭も伸ばしほうだいの男。年齢は不詳。自分でさえも何歳だかはわからない。覚えていない。ただ、二十歳はとうの昔に通り過ぎた。もちろん、三十歳でもない。ひょっとしたら、四十歳でも、確実に、五十歳でもない。あるとしたら、六十歳以上であろう。どんな数え方や。
 とにかく、住所不定、年齢不詳、性格不明のこの男にとって、唯一、他人が規定できる言葉は、職業:廃品回収業、たまに窃盗業であろう。二年前、後者の仕事をしくじったおかげで、お勤めして、先月、出所してきたところだ。現在は、前者の仕事に、今、集中している。他人が他人をどんな奴なのか規定するのは、所詮、そんなものであり、規定する方も、その場の一瞬の感情や思考であり、規定される方も、取り立てて、そのことに不満はないというか、どうでもいいというか、知らない強みというか、まあ、そんなものである。人の口を瞬間接着剤でひっつけられないのと同様に、人の脳を電気ショックで止めてしまうようなものである。どんな、譬えや。
 男は、今日の獲物、すなわち、朝飯または昼飯の種、上手くいけば、晩飯の種を求めて、転がる缶を追っている。缶は、当初、ビールの缶のように思われたが、長い間、転がったためか、苔むすどころか、表面の商品名部分が削れ、何の缶なのかわからなくなっている。
 全く、自分と同じだ。缶を追い求める男はそう思った。時々、哲学的なこと、人生とはいかに生きるか、生きるべきなのか、日常に生活している時に(今まで潜在意識の中で考えていたことなのか、マグマ、おれは少し言い過ぎだ、誇張しすぎだ、それに、本当のマグマなんて見たことがない。そう、例えれば、マグマじゃなくて、ゲーセンにあるモグラ叩きの、モグラのように)ふと、顔を出すことがある。だが、それも、一瞬の出来事。いつまでも顔を出していれば、現実というハンマーに頭をいやというほど叩かれるから、様子窺いに顔を出し、眼を細めて外の世界を見るだけである。目の前の現実。それは、缶を拾うこと。そして、その缶を金に換えること、その金で腹を満たすこと、つまらない人生に笑いや喜びをもたらす 第三か、第四か、第五かのビールを購入すること。このためだけに、男は生きてきた。
 説明が不足した。彼は、一人ではない。仲間がいた。犬だ。この駅前にも、何故か、犬の銅像がある。言われは知らない。戌年の日に、大きな災害があって、その際に亡くなった人の慰霊碑なのか、それとも、災害時に、持ち前の鼻をいかして、人々の救助に尽力したものの、あと、倒壊寸前の最後の一人を救おうとして、ビルが崩れ、命を落とした救助犬なのか、ただ単に、犬好きの大金持ちが、自分の八十八歳を祝って建立したものか、定かではない。とにかく、この男は犬を飼っていた。いや、自分の生活さえもままならぬこの男に、犬など飼えるわけがない。犬と共同生活をしていると言った方がよい。
 男は廃品回収等によって小銭が入れば、ビールとともに、犬の餌を購入した。犬の方は、コンビニで捨てられる賞味期限が過ぎた弁当を、犬好きの店員からもらって、この男まで運び、一緒に食べていた。いわば、戦場を共に生きる戦友のようなものだ。犬も、時には、この男と一緒になって、転がる空き缶を咥えることもしていた。互いが互いを助け合う。なんて、いい関係だ。理想郷の人間と犬の関係。そう、太古以来、人と犬は友だちなんだ。作者の感想はいい。
 さあ、そろそろ、この男の名前を明かそう。甲 乙丙(仮称)だ。何だ。そんな変な名前は、と思われるかもしれないが、先ほども説明したように、この男は自分の名前も年齢も覚えていない。そんな男だから、作者も、当然、この男のことは知らない。この男と呼ぶのも、表現上都合が悪いので、甲 乙丙と仮に名づけておこう。それじゃあ、犬の名前はだって?。犬も当然、自分の名前は知らない。自分からワンワンと吠えることはあっても、ワンワンが自分の名前ではない。この男が、コロと呼ぶと、この犬が尻尾を振って近づいてくるので、コロと名前を定義しよう。さあ、この甲 乙丙が、転がる缶を求めて、交差点にやってきた。
 今日は、北から南に強い風が吹く。この広場は、港が近いことと、すぐ側にこのT市のシンボルタワーが建っているため、ビル風の影響もあり、強い時には、人が吹き飛ばされるほど、暴風が吹くこともある。雨の日など、傘を差していれば、傘は骨が折れ、ひっくり返ってしまう。
 傘が壊れるのを防ぐため、傘の根元近くを手で持っていれば、傘が風を受け、へたをすれば、人間凧ならぬ、人間傘になってしまう。それはそれで、新たな海洋スポーツとして、T市の売りにしていけばいいのだが、通勤や通学、買い物のお客さんにとっては、折角、駅まで来たのに、また、家まで飛ばされれば、すごろくや人生ゲームのように、また、自宅から振りだしだ。ポケットからサイコロを転がす。サイの目が出た分だけ前に進む。三がでたら三歩進み、マイナスニがでたら二歩後退だ。人生は、顔面、顎、ボディにパンチ・パンチ・パンチをくらって、なかなか前に進めないものなのだ。そんなことはいい。問題は、甲とコロのことだ。
 今、信号は赤。交差点の中は、ラッシュアワー。バスやトラック、タクシー、営業車、レンタカー、通勤の自家用車が右に左に走っている。その中を、転がって行った空き缶が、車のタイヤに、右に左に、上に下に、跳ね飛ばされている。あっ。まるで、俺の人生だ。最近、年のせいか、よく、出来事を人生にたとえるようになった。甲は過去を思い返す。田舎の中学を卒業後、蛍の光よりもネオンの光に吸い寄せられて、大都会へ行く。コンビニや警備、はてまた、風俗店の呼び込みなど、仕事を転々としたが、ネオンは自分を照らしてくれるものの、決して、自分が光輝かないことに気付き、北は北海道、南は沖縄、屋久島、まん中は、関ヶ原と、住み込みで、期間工やパチンコ店の店員として生活してきた。そこには意志はない。自分から流れたと言うよりも、流された感が強い。
 店がつぶれたり、頸になったり、派遣期間が切れたりで、あっちこっちではねられ続けて、今は、このT市にたまたま、ほんの偶然、いる。住んでいると言うよりも、うたかたの泡のように、漂っているだけだ。だから、強風に吹かれると、空き缶と同じように、飛ばされて転がるしか能がない。
 だから、こうしてこのT市にいる。ポケットの中にはサイコロが二つ。ひとつは、自分。ひとつは、コロの分だ。転がす。転がす。サイコロをポケットの中で転がす。信号が変わった。さあ、ダッシュだ。目指すはコーラの空き缶二個。スチール缶だから、金にはならない。だが、まずは、小銭からだ。これが終われば朝飯だ。朝飯前の運動だ。頭も心も溌剌だ。背中を曲げ、コロと同じ視線で、獲物を追う。通勤・通学客の脚の間から、缶を探す。あっちだ、コロ。ワンワン。コロも返答する。流れとは異なる。空き缶は、今は、車からサラリーマンやOLたちの脚に蹴られ続けている。全く、人生と変わらない。
 甲 乙丙はOLの足元に転がった空き缶を掴んだ。その瞬間。「キャー、何。この痴漢」OLの叫び声が上がる。「お前、何してるんだよ」恋人らしい男のどなり声。甲が空き缶をも拾った時、頭はOLのスカートの中。体を起こした途端、変態行為になったわけだ。「このヤロ―」若い奴から足蹴りを食らう。そのままダウン。今度は、別の女子学生の足元に倒れた。
「キャー、変態」スカートを抑える女子学生。好きでこうなったわけじゃないけれど、今は、好きなこの態勢。「どけ、どけ」「じゃまだ、じゃまだ」サラリーマンや学生の男たちに踏まれる。どうせ、踏まれるなら女王様の方がいい(こうした状況でも、まだ余裕の甲。さすが、人生の達感者。パチパチ。作者からの拍手)、と思う間もなく、革靴や運動靴の餌食のまま、甲は、交差点のまん中で、意識を失いつつあった。手にはコーラの赤い缶を握りしめながら、呼応するかのように、信号も青が点滅しだして、赤に変わろうとしていた。

すくらんぶる交差点(3-5)

すくらんぶる交差点(3-5)

交差点に取り残された人々が、取り残されたことを逆手に取って、独立運動を行う物語。三の五 甲 乙丙 の場合

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-02

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