お猫さま 第九話ー猫仲人
猫の人情小噺です。笑ってください。縦書きでお読みください。
猫という生きものは不思議な生きもので、顔を洗っているように見えて、ちらっと飼い主を観察しております。なかなか目が速いようでございます。野良猫なんぞは、長屋のおかみさんより情報通で、長屋の住人のことをよーく知っているようでございます。その日はどの家で秋刀魚を焼くなんぞいう情報などすぐに伝わって、今日はおいらがもらいにいくといった具合に、秋刀魚を盗みにいく順番も決まっていたり致します。
「おい、八、どうしたらいいかね」
「なにをだい」
「あの、ほら、鰹節、猫がくわえてる」
「あ、あいつは野良猫の親分じゃないか」
「そうかい、こないだも、あいつが、秋刀魚をもってった」
「何で追いかけないんだ、そんなことをいってるから、ほら、もう持っていっちまった」
「八こそ、なぜ動かない」
「動きたくない、熊、おまえこそ動け」
「動きたくない」
「なんだ、そいじゃ、しょうがない」
てな具合で長屋の隣同士の八五郎と熊八は猫たちのよい鴨にされております。
二人は夕方になると、どちらかの家に行って、おまんまを食べるという共同生活をしております。
八五郎は大工、熊八は左官、なかなかの腕前を持っておりますが、そこはどちらもおっとりと育ってきた。と言うか、生まれつきでございましょう、お互いに頼っていないと生活ができない、そういった按配で、回りの人たちが心配するほどのんびりとしております。
お足をもらいますと、どちらか一人が米と味噌と野菜を買ってくるわけです。時には秋刀魚なども食卓に上ります。
酒は気がむきますと、二人して買いに行く。共同生活のお手本のような二人の暮らしぶりでございます。
ただ、普段はちょっとしたことも動こうとしない。相手を頼りにしておりますが、どちらも動かないことの方が多くありました。
「おい、飯よそってくれ」
「てめえで、やんな」
熊の方は自分の脇にあるおひつから、自分でよそってご飯を食べております。
「それじゃ、面倒だ」
八五郎は自分の目の前にある味噌をなめております。
「おい、その味噌をちょっととってっくれ」
「自分でとれよ」
「それじゃ、白い飯だけ食おう」
と言った具合ですが、そのうち、ちょっとひらめいたようです。
「おい、熊、その味噌と白いご飯を交換しよう」
味噌の皿と、米の茶碗を放りっこして、今度八五郎が白い米だけを食べて、熊八が、味噌をなめています。
「腹ん中で一緒になりゃあいいやね」
てな具合です。
ある夏の夕方、縁側の上で、二人してへぼ将棋をさしておりますと、長屋の家主さんがやってまいりました。
「どうだい、熊さん、八さん、そろそろ身を固めないかい」
大家さんはいきなりお見合いの話をもってきたようでございます。
「へー、粘土で固められて、海の中にざんぶりと」
「なにを言ってるんだい、それじゃ、人殺しだ」
「何を固めるので」
「嫁さんを娶らないかい、と言っているんだがね」
「とるというこたあ、どろぼうだ」
「ほんとにしょうがない、どうだ、一つ見合いの話が来ているのだよ、なかなかよいお嬢さんじゃが、八丁目の八百屋の娘だ」
「そのお嬢さんが、なんですか、あっちら二人の嫁にきたいってんですか」
「なにを言ってる、二人のどちらかが、見合いをしないかと言っているんだ」
「へえ、でも熊とわかれたくねえ」
「俺も八とわかれたくねえ」
「まったく、おまえさんたちゃ、夫婦みたいだね」
「へえ、夫婦じゃねえが、おまんま一緒に食いたい」
「こまったもんだね、嫁さんは欲しくないかい」
「へえ、欲しいんだけど面倒くさい、八の奴とはいつも、あそこの角の踊りのおっしょさん、ちまたが切れ上がっていい女だねと話してるんで」
「そりゃ、小股が切れ上がるというのだよ、なんだい、そのちまたってのは、だが、そりゃまともだね、安心したよ、それじゃどうだい、見合いをしてみないかい、おまえたちは大工にしろ、左官にしろ、腕が立つ、女房がいればいっぱしの棟梁にもなれるというのにもったいないじゃないか」
「安平衛さん、ありがたいこって、へえ、熊公と考えてみますんで」
というわけで、熊八と八五郎に嫁さんの話が持ち上がったわけでございます。
ところが二人はこんな会話をいたしました。
「見合いは面倒くさい」
「うん、面倒くさい」
「どうしたらいいかね」
「うん、どうしたらいいかね」
「ことわろうか」
「うん、ことわろうか」
「家主にゃ悪いね」
「うん、家主にゃ悪い」
そんな話をしているところに、いつもの野良猫がやってきます。まん丸な顔をしたこの猫は、この家では簡単に飯にありつける、ってことをちゃんと知っておるわけです。しかし、今日はまだ、夕飯の用意もしていない。こりゃおかしいと、猫も首をかしげます。
八五郎が猫に気がつきました。
「おい、猫、ちょっと頼まれてくれんか」
猫の手を借りるわけでございます。この際なんでもいいだろうてなわけです。
「猫、手伝ってくれれば、尾頭つき秋刀魚を食わしてやる」
熊八が言いますと、その丸顔の野良猫は、首を縦に振りました。
「お、わかったようだ、それじゃ、八百屋に行って、どんな娘か、見てこい」
それを聞いた猫はにゃあごと一鳴きして、出かけていきました。
「わかったみたいだな」
「ああ、さあ、夕食の支度をするか」
「今日の秋刀魚は俺が買ってくる」
「たのむな、飯と味噌汁は作っておく」
熊八は秋刀魚を買いに、八五郎は勝手でご飯を炊き、味噌汁の用意を始めました。そういう時は、二人ともきびきびと動くようでございます。
さて、あくる朝になりますというと、猫は八丁目の八百屋の前でおちゃんこをしております。
「おや、猫や、ここは魚屋じゃないよ、おまえの食べるものはないよ」
八百屋の店番をしていた娘は、優しく猫に話しかけます。
猫は動こうとしません。
「お腹が空いているのなら、何か持ってこようかね」
娘はそう言いながら、奥からおかかをかけた残りご飯をもってきて、猫の前に置きました。
猫はちょっと違った展開に戸惑ったようですが、これは役得と、ぱくぱくと食べました。
猫が食べ終わって顔を洗っておりますと、八百屋の娘は皿を片付けるついでに、猫の頭をなでていきます。
ほー、こりゃあ、なかなかいい女房になるな、とドラ猫は大変その娘が気に入り、道の脇に落ちていた丸くて白い石を口にくわえると長屋に戻ってまいりました。
その日は仕事がなかったと見えて、八五郎と熊八は朝から縁台でへぼ将棋をうっております。
石をくわえたドラ猫は縁台の前に来ておちゃんこをしております。
二人が猫に気付きました。
「お、猫、それで、八百屋の娘はどうだった」
猫は口にくわえていた白い石をぽとりと、熊八の前に落としたのです。
「なんだい、こりゃ」
猫は八五郎の方を見ます。八五郎、考えた末、やがて頷きました。
「おう、そりゃ、色が白くて玉のようなかわいい娘という意味じゃないのかい、熊お望みどおりの娘だろう」
「うん、だが、俺だけ嫁さんもらうんじゃ、八に申し訳ない」
「そんなこたあない、熊いいじゃないか」
熊八が猫に向かって言いました。
「おい、八さんにも嫁さん探してこい」
それを聞いたドラ猫は頷いて、町のほうに歩いていきす。
猫は八百屋の右隣にある魚屋の前ですわりこみました。
魚屋では娘が店番をしております。
そこへ隣の八百屋の娘が顔を出し、「小夜ちゃん、お茶いれたよ」と声をかけました。
「音夜ちゃん、いくわよ」と魚屋の娘が店先に出てまいりました。
色は少し黒いが大きな目をした南洋の美人でございます。
八百屋の音夜が猫に気が付きました。
「また、この猫がいる、さっき、うちの前にいたのよ」
「なにしに来ているのかしら、魚をねらっているようじゃないわね」
猫はまん丸な目をして、小夜を見ています。
「そうね」
「魚のあら、食べるかしら」
小夜ちゃんが、お皿に魚のあらをよそってきました。
ドラ猫はやっぱりこれも役得と、かつかつといただきました。
「おいしそうに食べるわね」
小夜ちゃんは音夜ちゃんのお店に入っていきました。
ドラ猫は少し角張った茶色っぽい石をくわえると長屋に戻り、へぼ将棋をしている八五郎の前にぽとりとおとしました。
「おや、この猫が俺に、嫁さんを捜してくれたようだぞ、少し色が黒いが、しっかりした娘のようだ」
「八、そりゃ、おめえに向いてるな」
すると、猫はその茶色い石をくわえて、先ほど熊さんの前に落とした白い石の右隣におきました。
「なんと言ってるんで」
熊八が八五郎に尋ねます。
「おおそうか、その娘は八百屋の右隣にすんでいて、八百屋の娘と仲がいい」
「へー、この猫は頭いいね」
そこに大家さんがやってきました。
「八さん、熊さん、どうだい、八百屋の娘の話は、いい話じゃないかい」
「いやね、大家さん、一つお願いがあるんですがね」
「なんだい」
「八百屋の右隣にある家の娘を、八にどうでしょう、それでよけりゃあ、あっしは喜んで八百屋のお嬢さんをいただきやしょう」
「ああ、八百屋の右隣といえば、魚屋がある、あそこに娘がいるのかい、あたってみよう」
大家さんは、八百屋に出向きました。
八百屋では、親父さんが店番をしております。
「おお、安平衛さん、見合い話はどうだろうね」
「ああ、そりゃあいい相手がみつかった、だけどそいつが、ダチにも嫁をあてがってほしいと言うんだ、それが、隣の魚屋の娘がいいそうだ」
「小夜ちゃんか、そりゃあいい。あっしが隣のおやじに話をしてあげやしょう」
ということで、話はとんとん拍子にまとまったのでございます。
大家さんが、「さて、仲人はどうするか、私はもう家内に先立たれておるし、誰かいい人はいないか」と熊八と八五郎にたずねますと、二人はそろって、秋刀魚を待っている猫を指差しました。
「へえ、そこにいる猫に頼みます」
熊八が焼きあがった秋刀魚を猫の前におきます。
「お前仲人をしないか、そうすれば、鯛をやるぞ」
猫は秋刀魚をかじりながら大家を見ました。
八五郎が家主さんに今までのことを説明します。
大家さんは頷きました。
「そうか、なるほど、猫は夜目(よめ)がきくという、嫁さがしが上手なわけじゃ」
めでたしめでたし。
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2017年度(第20回)日本自費出版文化賞、小説部門賞受賞
お猫さま 第九話ー猫仲人