幸運装置

法律によって厳重に管理され、適切な処分を受けていたはずの人造人間が、裏の社会でカルトの信仰のような扱いをうけている。それをつきつけた、警察官がその現場にのりこみ……恐ろしい真実を理解する、という筋書きの物語。

 私服を来た平凡な青年が土曜日の夕方、歓楽街を歩いていた、見知った道のように排水口やら路地裏やらに目をやりながらわがもの顔のような余裕をみせ大腕をふってあるいている。彼は実は警察官なのだ。小さいころからの夢だった、あこがれの警察官になる事が出来て、充実した生活をしていた、ここに来たのも不満や鬱憤がたまっているわけではない、重大な理由があった。
 ごほん、タンが絡みせきをする、最近秋らしく気温が低くなっている。今年26歳、夢もかなえて自信満々。恋人もいるし、そもそも4年もつきあっているのだが、彼は積極的になれず、むしろむこうから積極的にプロポーズを促していたりする。元同僚、気の合う恋人だが、疑り深く人間を信用できないため、彼女が遠くにいると、自分にはもったいない存在に思え、その要求さえどこか嘘らしく現実味を感じられないでいる、そんな事を考えながら歩いている、特に問題はなく、むしろ器量が良い、恋人や友人に時折みせる卑屈なまでの消極的な姿勢をのぞけば単にどこにでもいる普通の青年だ。

「幸運装置、ご存知ないですかあ?お客さん、店の奥にあるのよ、人生に疲れた人に、本当の幸福を与えてくれる、落後者、不満のある人、未来を悲観する人、解放されたいなら、あれを試すべきよ、“幸福装置”話題でしょう。○○さんあなたは、きっと野暮な言葉を必要としないでしょう、この店の裏にある真実に興味はないかしら?」

 潜入したのはキャバクラ、彼はすでに酒を2杯飲んでいた。私服のままでいるし彼女に見つかれば大惨事は免れない。つい先程から彼は、常連の水商売の店、キャバクラにいた。面白いことがないかと、いつも指名する女性、ミシという女性に詰め寄る。やがて彼女は幸運装置の名前を口にする、やはり、ネットで拾った情報は間違いではない。幸運装置は確実に存在するのだ。彼がうなづくと、店内の空気を見計らい、人目に触れないように、ミシは彼の手を引張った、酔っぱらい重力を失ったような動きの彼の手を引き、女性は彼の手を引き、カウンターの奥へ入り関係者用の出入り口をあけて、彼も中へ入るよう促す、
 「なんだあ……ここあ……」
 実はこれも演技なのだが、続いてわざとらしく溜息をつくと、まるで疑うそぶりもなく、女性は彼の背中をかつぎ、
 「いくね?いくよね?」
 とやけに促す、そして彼はついに店の奥に通された、入口から入り、廊下を見る、配管やら電線やら食器やバケツやらが小汚く並んでいる。さらにいくと道の中央あたりにさしかかり、まるで汚さも相まって、路地裏のようだと思う。客のざわめきや店内の音楽がこもって、遠くに聞こえる。ミシという彼女はロングで巻いた髪をいじったりするそぶりをみせたりしていたが、しばらくするとどこからだしたのか腹の前で巨大な鍵をいじっていた、
「もう少しむこうよ」
 そういうと彼女をあたり見たりをしきりに見廻している、誰かと鉢合わせる事をきにするそぶり、気が気ではない様子。まさか、彼女の同僚や店の人間と鉢合わせはしないだろうが、彼も同様にきをくばる、酔った頭はそれなりに鈍い、彼は記憶をたどる、はっきりと自分の脳の回転を促す、これは仕事なのだ、実は彼こそは、地元警察からこの店へスパイにきた私服捜査官なのだ。

 奥へ進むと突き当りの一つ手前の左の扉、ほかとは違い入りぐちのサッシの前、カーテンは開かれていたが、ドアごとカーテンでしきられた一室があるようだった、二つ重なった錠がかけてある、二重にはあるだろうという堅い施錠が青年の中の不安をあおる。ガチャガチャと音がして、カチンと音がして、ミシはいつもと違う雰囲気で、無表情で彼を中へ促す、とびらがゆっくりと開かれていく、彼女は背を向けて何もいわず先導をしたが、しかし彼は不安も何も言わずに彼女に続いた。
 彼は案内されるままに、疑われないようにしぐさに心掛け、それでいて警戒をとかず、腰の拳銃の位置をさぐりつつ、いつもなじみで指名している女性店員の後を追う、彼はどちらかというとがっしりしたタイプの男性、肩幅がひろく腕が太い、腕っぷしには自信がある、普段は温厚なタイプだが、彼もいっぱしの警察官、何かあればすぐに別人のような対応ができる。だが開ききった扉から中に少しずつ目をやると、奥にボディーガードや警備員がいないかとはらはらとしながら緊張で筋肉をこわばらせている、ふう、とまた溜息、その時余計な悩みが頭をよぎる。
(この店通いももうすぐおわる、すでにキャバクラ通いは食傷気味、付き合っている彼女でない女性と二人きりもできればさけたい、浮気や何か、そうした女性関係で誤解がうまれるとその誤解が解けたり、うまくいったためしはない)
 そんな様子を知ってか知らずか無関心に、彼女はひらりとワンピースのようなスカートで、わけなく例の中で少し顔をなごませにっこりと手をこまねいていた、巻いた髪は金髪、きらびやかな衣装に水玉模様、開いた扉、その向こうにはひらくと冷たいコンクリートむき出しの一室。
 
(おお~~)
 
 奥を覗いて溜息をついた、ぼんやりとみる、内部には気味の悪い有機物じみた肌色の物体が、いくつかの容器に入れられ並べられている、その内容物がまさに、情報通りの異様な存在だった。
 何体もの人間、人間、いや、人間を模した人造人間、それも裸である。ただ突っ立っているわけでもない、事前に受け取っていた情報通り、人造人間がある方法に基づき、確かに並べられているようだ、それは特性の容器らしきものに入れられて、その命を長らえている様子だ、体のあちこちに管がつながれている、まさに延命措置というにふさわしい、なぜなら彼等は、この時代に生きているはずのない失われた科学の象徴<シンボル>だからだ。
(恐ろしい、本当にこんなことが行われていようとは)
 彼はただただ恐ろしかった。入念に準備し、いくら事前に彼の耳にいれられている情報があるとはいえ、その目の前の光景には、あまりに人道的に理解しがたいような恐ろしいものがある、こんな恐ろしい社会の闇を、これまでもいくつか見た、マフィア関係など得にそうだ、人身売買、危ない薬やらなにやらもそうだが、これはひときわ異様な裏社会の趣味だ。彼は思う、自分が何を見ているか、何をつきつけられているのか、こぎつけた店の犯罪の秘密、そして目にする証拠。コンクリートの冷たい中に、死体にもなりきれない人のつくった命があるがまま祭られている。
 「すごいものだな」
 つい口をついて出てしまった。教科書で見たこともある、近頃資料で現物写真をもみた、だが触れられる距離で実際に目にするのは初めてだ。
 ——人造人間―—彼等は一様に容器に入り、容器は巨大な前面がガラスににた透明の蓋におおわれている、透明でない部分は容器の壁が囲う、やわらかみをおびたそれは頑丈そうな樹脂のような物質だろうか。その容器の様子は、まるで趣向をこらした棺桶のようだ。青い明かりがその後ろの背中あたりからさしている、何かしらの薬品と思われる緑の液体が彼の体全体をみたしていてコポコポと気泡の音がする。捜査官の彼に人造人間の詳しい仕組みはわからないが、資料によると胸のあたりに光る模様がある、すでに部屋を見た途端分かったことだ、彼等の胸に同じものがある。
 一筋の汗が彼のひたいをつたった。感嘆すら覚える。本物の人造人間だ、確かにこの店は、彼等は犯罪を犯している。現行犯逮捕が可能になる。しかし、目前に人造人間、話に聞いていただけで本当に眼にすると、不思議な感動を覚えた……どうしても触ってみたくなる、はるか前の時代につくられた人間の模造品……確かにこれで生きているものらしい、彼の溜息にあわせて、美しいからだを持つ人造人間は呼吸や上下する腹、ぴくりぴくりと指先や四肢はまるで人が夢をみているようなぴくぴくと微細な動きをした。やがて彼の背後で、優しく呼びかけるようなミシの声が不気味な輝きを持って響いた。やがて先のように先導し、彼の手を引き、とともにその容器と人造人間の前に移動したのだった。

「さあ、○○さま、この人造人間たちのそばにきなさい、この人間のそばには古来の人間の発明したエネルギー・オーラーがあふれている、そのエネルギーによって近づいたものは、心のそこからあふれる癒しが与えられるのですよ」

「おお、これだ、これを探していたんだよ、だけど、だけど何か、かわいそうだな」

「はい?何をおっしゃっているの?」

 彼は自然にふらふらとした様子でその棺桶のような容器に近づいた、まるで薬物常用者のような、演技じみていて、それでいて彼本来の自然な反応だった、カルチャーショックのようなものだ。噂は本当だった。歓楽街や人目のつかない雑居ビルの中などこれらの実験が行われているという、人造人間の違法所持。まさにオカルト趣味、オカルト趣味にして犯罪。演技をしていても内心憤りを感じていた。
(癒しだと?幸福を与えるだと?ない、ありえない、そんな効果があるわけもない、)

 なぜこれが犯罪なのか、彼等人造人間は、前時代に大量に生産されたが、すでに彼のいたその時代、社会倫理の性格から、議論をへてすでに存在を否定されているのだ。だが逆に今目にする光景、近頃裏の世界では人造人間の残骸は神聖なものとしてあつかわれ、一時流行ったパワースポットのような、スピリチュアル的効果が与えられると信じられている。しかし法律はそれを禁じている、矛盾している、彼等はすでに存在してはいけない、命を長らえているはずがないのだ、悪といえば悪だが、本当に悪か?幸福装置と呼ばれるのは無理はないのでは?自問自答し、彼は錯覚しそうになるのをこらえる。
 さかのぼること60年前のこと、人間が人間を新たに作る事は、社会の一般的倫理から逸脱するとして世界中で議論が巻き起こり、その時まで製造されていたものは処分され、世界各国で人権論争となり、新しく製造することも禁じられた。これは失われた技術の残骸、もしそれが社会の片隅で生きながらえていたら、こうしたゆがんだ宗教や思想と結びつくのも無理はない。彼ははっとする、こんな感動に浸っている場合ではない、捜査令状は胸ポケットにある、すぐ後ろをむき、
「動くな」
と叫ぶ。しかし、変化はすでに起こっていた。彼は目が回り、瞬間的に視界不良になり、頭がくらくらとして、視界はもやのようなものに遮られ、ぐらついた。扉は開け放たれたまま、そこにミシの姿を見いだせず、今自分が入ってきた開いた扉だけがある、体も平衡感覚をうしない、彼はついにその一室で意識をうしなった。

 それからしばらくして、彼は意識だけのかたまりになり、彼以外の、その他の意識の中を浮遊していた、彼は椅子に座った姿勢のようでいて、真っ暗闇の中、心地よい感覚の中に彷徨う自分を見出していた。彼が思うに、それは直感的に記憶の中をさまようような感覚に思えた。しばらくすると遠くで何かが光、やがて自分の近くに近づいてくる、それはプロジェクタにうつされた映像のようだった。しかし走馬燈のような映像だった。彼は真っ暗闇に浮遊し走馬燈の様な映像が流れるのをみているのだ。
(おれは、どうなってしまったんだ)
 意識は失われているのに頭が目を覚ました現実の感覚があり、痛みが中を這いずり回るのを感じる。時間がさかのぼる漠然とした感覚と、彼の正面と真逆の方向に流れる景色、電車に後ろ向きに座った時のようだと思う。よくみると景色はそれぞれに断続した画像のようになっていて、それらはすべて彼の脳内の記憶をずらりとならべたものだった、そのシーンの断片一つ一つに覚えがある、恋人、親友、学校、成績、やがて景色は途絶える、……ふと疑問が起こる、思い出せるのだが、その後が思い出せない、大切な記憶……それは彼がこの世界にくるまえ、最後に接した記憶は、果たしてあのコンクリートの一室の景色だっただろうか?疑問が残る、その日、3月20日、そんな場所に、キャバクラにいたのだろうか?
 振り返る、朝起きて、けだるさが残る日だった、仕事が終わり、一人自室にゲームをしようと頭につけた直結型VR装置の記憶。彼は混乱する、なぜその記憶を思い出すのだろう?なぜ?彼はその前風呂に入った記憶はあっても、その後の記憶、その数日の記憶がない。

(よく考えればあの日、VR装置を付けた後自分は何をしただろう、3月20日のあの日、その日は危険を伴う仕事で、今日も無事でよかったと考えて安心しきっていた。用意をしてすぐに恋人に連絡をして、就寝準備をおえ、少し趣味を楽しもうとVR装置をつけ、彼女のアバターと電脳世界で落ち合う約束をした。しかしそれから意識をうしない、それからの記憶は、おかしな点がある……いったいその後の日、何があったのか、まるでその後の記憶が抜け落ちているみたいだ、思い出せない、数秒先の記憶さえもない、数日の記憶もない。それなのに、いつのまにか今まで、自分は自分の知らない現実にいた、あの日の続きにいた、なぜだ?なぜ不思議におもわなかったのか、なぜだ?なぜ今思い出す?コンクリートの一室の記憶は何だったのか?)
 
 今ここにある記憶は彼自身のものだが、はるか遠い未来に一瞬でとばされた時のような直感も感じる。記憶を整理して矛盾が生じる、3月20日になる少しまえ、2ヵ月前だったか、20××年世界中でおきた人造人間の処分後に、処分をまぬがれた人造人間の暴動やら、反乱やら、それから人間との紛争が起きたのではなかったか。ニュースはその日の夜も流れていた。
「その後、あの暴動がどう収束したかのニュースに一度もふれていない、なぜだ、なぜ自分はその情報に触れる事をさけていたのだろう、避けていた、意識的にさけていた?忘れていた?なぜだ、どうして今までいた世界では、どうしてその事が取りざたされなかったか」
 彼がVR装置を付ける前ではなく、キャバクラの店内の、裏側の通路、今まで彼がいた意識の中は、すでに何年もたっているはずなのに、家のカレンダーは何日すぎてもいくら時間がたっても新しい年を数えなかった。そのことに思い至ったとき、パチリとまぶたの音がしたようにふと目がさめた。
「あ……」
 あたりを見回すと彼は驚いた。今度は彼は彼自身が、先ほどまでみていた人造人間の入っていたもののような、棺桶のような水槽のような、前面がガラス張りの容器にいれられていた、中は謎の液体でみたされていて、口もとには呼吸器らしきものがある、いつのまにか彼の現実世界の体が、容器の中、意識を取り戻していた。意識が記憶をたどっているときに感じた、頭痛を確かに感じる、これこそが、本当の現実なのだろうか。
 数分後、かれはさらに驚いた。彼が容器の中からみた外の世界、彼が先ほど意識を失ったとき、人造人間を見た時と真逆からみたような、よく似たコンクリートむきだしの一室だった。コンクリートの部屋、ただ少しの違いもあり、機械類が部屋中にちりばめられている。彼はそれまで無意識にうつむき気味だった瞳をゆっくりと上へ、あごをあげ顔をあげ、真正面をみた。
 彼の視線は床から壁へ移る、少しとまどう、なぜならすぐ正面に気配を感じ、そして何者かの足もとが見えたからだ、目の前にいた気配、おびえながらその気配へ目線をあわせるべく、彼はガラスを通して向こうをみる、下半身から上半身へ、黒の衣裳。それは人間に近いが人間ではなく、胸元に光る装飾をもった、いわゆる製造中止の人造人間、暴動を起こしていたはずの、人造人間。容器の外側から、あわれそうに彼を見つめている。いわば先ほどの光景がまるで逆転したような様子だった。ただ人造人間は、その胸元は開いてはいたが、スーツのような、紳士のような正装をきていて礼儀正しく会釈をしたのだった、どうやら老人のようだ。いったいどういう事だろう、いままで彼のいた世界はどこにいったのだろう、寒気と畏怖に襲われ、彼は思う、もしやSF映画さながらの顛末、実はここにいる自分こそが人造人間というオチではないだろうか?。

 やがて彼は記憶の違和感に再度気がついた、逃げなければいけないと本能的に、瞬間的に察知する、それは彼の職業がら鍛えられた危機に面したの際に限定される瞬発力のような脊椎反射的な反応で、考えるよりも体が先に動くのだ。扉をたたく、が時すでに遅し、脱出はかなわない。がつんがつん、厚く重い容器、棺桶のフタをなぐりつけても、それでも大きな変化はない。彼は、彼の深層心理の哲学は瞬時に危機を察知する。ゴボゴボと音をたて、空をつかむように、クロールおよぎをするように彼は全力でもがいた、だが彼の頭は体とあべこべに混乱し、そのせいでむしろ彼の精神、肉体の状態は悪くなっていくようだった。
 (しまった、パニックをおこしている)
 首は必死でぐるぐると動き、棺桶じみた容器の中、まるで無意識に思考にあわせあたりを見回す、助けを求めようとするが同じ人間の姿はない、すでにガラスをたたき破る体力も気力も失い、やがてまた透明な意識の中、自分の体の覚が鈍く失われていくのを感じた。
 
 肉体と精神の乖離——彼の現実の肉体は、本当の快楽と幸福を得た。——それは死の直感だ。生きているものにとっては死が、死んでいるものにとっては生が、ただ一つ納得のできる答えだ、彼は生きながらにして、孤独で、生の無意味さを直感して信じていた。だから彼は人を疑っていた。人を愛する事も、失う事の恐怖と似ている、死を間近に彼の持論や哲学が、死後の世界の間際に深層心理から無意識にあらわれた、彼は瞬間的に彼の人生を計算しおえた。

 だがすべて夢だとすれば、なぜ老人は彼に現実をみせたのか?そんな野暮があるだろうか、誰も何も手にしていないし、何も捨ててもいない。恋人の記憶も嘘だった?彼は夢の中にいたのか?明らかに混乱して、記憶も意識も混濁している。
 (くっくっくっく)
 彼は水の満たされた水槽の中、がむしゃらに前をみた、過呼吸気味になり、肺をおさえる、老人をみると、声はしないがしぐさは見えた。老人がガラスの向うでニタニタわらって肩をふるわせている。その老人の人造人間は何か隠し事をしている、彼はそのときはじめてわかった、自分は人造人間ではない、老人こそが人造人間!!
 (ぐぼああああうあうあうあ)
 声にならない声!!彼は気を失いそうになりながら、頭を抱えて考える、後頭部や、後ろの首筋に接続されているコードさえ確認できる、彼は今まで、電脳世界の中にいた……やはり記憶は正しかった。あの日あの時、何かが起きて、平凡な日常をすごす、青年だった彼はその棺桶に入れられたのだ、なぜ自由を失ったのか!!。
 「ぐわあぐわあ!!!ごぼごぼおお」
 意識を失いつつ、呼吸を荒げつつ、ぼんやりと彼は頭上に手をのばす、形状を確かめる。いつか、記憶の中で頭につけたVR装置と同じ形、それをそのままにさされたまま棺桶の形をした装置にいれられ、呼吸器をつけられているらしい、手足には長めの鎖がまかれていて、彼こそが何かの実験の被験者だと、確かにさとった。彼には聞こえなかったが、老人は彼に、老人がもつ重大な秘密の中のひとつをつげる。

「そうだ、君は夢をみていたのだ」

 やがて少しするとその声は彼の耳の奥で分解され、脳内で組み立てられ徐々に現実味を帯びる。老人いわく、青年の今までいた世界、今までの現実こそが錯覚だったのだそうだ。その直感が恐怖を増幅させていく、記憶間違いがなければきっと彼は、思うに人造人間の反乱分子につかまっている事になる、であれば、捕虜、あるいは奴隷、あるいはもっと残酷な運命が定められている……。ニュースが流れなかったのではない、今までいた現実が夢ならば、すでに人造人間の報復は、ほとんど形になりつつあったのだ。反論をしようとする、しかし若い青年の口からは何もつたわらない、容器が液体で満たされているからだ、満たされた液体の中、彼のあらくなった呼吸は、彼の肺から大量の空気をはきださせた。

「君は人体を分解されるんだ、時期は迫っている、今日なのだよ、君はドナーになるんだよ、君は幸福装置に同意したからね、君の体の一部を必要とする老人がいてね……だから君は、今日死ぬのだよね」

 それから老人が説明した事はこうだ。青年は確かに、記憶を失うまで警察官をしていて、その記憶に誤りも間違いもなかった。そして彼の意識中の推測通り、彼は装置をつけた直後に意識をうしない、こんな状況に追い込まれたのだ。老人いわく、青年のめざめたのは、その時よりはるか未来で、100年は経過していた。そこでは人造人間が人間の代わりに地上を支配しており、人間は彼等の生活に必要なエネルギーを提供したり、彼等に欠陥があったとき、内臓などを代用品として利用される下層階級になっている。夢をみていた青年、彼は人造人間のためにだけ長くいい夢を見せられ、この棺桶の中にいれられていたのだ。
「くそが!!!」
 侮蔑にも容器の中の只一人の老人の嘲笑が会話の代わりにただむなしく青年に返されるだけだった。だが、老人にはまだ言い分がある。人造人間にも人造人間の理屈があった、
「我々は、本当は人造人間ではない、もともとは同じ人間だ」
 老人は、青年をみつめる、青年は品詞だ。彼に夢を見せて生きながらえされていたわけがあった、それを語るため、青年と目を合わせた。
「君のいた社会とはちがい、我々の作る社会の倫理観は一歩進んでいる。人造人間の存在を否定しない、むしろ人間と同列に扱っているのだよ。しかし、人間は、特に若者は、扱いはいくらひどくてもいい。VRであれなんであれ、同意をとりつけさえすればいい、下層階級であるため、我々の奴隷のような家畜のような存在なのだ、われらは合意をえた。合意をえれば法律のきまりで彼等をドナーとして正式に扱う事ができる、君は夢の中で幸福装置の恩恵にあずかることをみずから同意したはずだよ、君は合意したのだ」
「ごぼっごぼごぼっ」

 青年の口からはもはや言葉も反論もでない、ただ泡とそれにまじる汚く低い音だけが醜くひびく。老人のいた世界こそが現実で、青年がみていた、キャバクラなどの夢は嘘、今、青年はVR装置を付けるまでの記憶をとりもどした、だがやっと現実をとりもどし、彼が目を覚ました先で、世界は変わり果てていたのだ。彼は長い事、彼自身のうみだした夢をみていた。一瞬呼吸がおちつき、ふともう一度視線を前に戻すと、正装をしていた老人。その老人であり、人造人間でもある彼は、人間そっくりで表情までそっくりな姿をしている事がわかった。青年は意識を失うまで信じなかった。その温かみ感じるようなしわのひとつひとつまで、彼のいた世界とは別の倫理観を宿しているとは、彼の純粋な瞳に、老人はただの人間に見える。人造の人間とはとても思えない、だからこそ青年は恐怖した。彼の記憶違いはただしかった。何度も確認する頭、やはり何度確かめようとあの時とりつけた、直接接続型のVR装置がある、記憶を失うまえまでの記憶のつながり、何度促してもその先の記憶がない、だからこそ、今まで現実だとおもっていた、日付が進まない夢こそが、彼が見せられていたかりそめの現実であるという、逃げられない事実だけがそこにある。
 (夢であれば……)
記憶が途絶える前、そして途絶えたその直後、彼は外部から受けたなんらかの方法によって、意識をうしない、老人たちの手によって何かに利用できないかとこうした施設にかつぎこまれた、ただいったん生かされていただけだったのだ、彼はVR世界で、偽物の人生を生きていたのだ、このような老人の手によって。
「うっ、うごお、ううう」
 青年は動きをとめ、空気だけが泡となり、ガラス内の水中を浮遊していく、さっきとうってかわって口元を掌で蔽い、悲しそうに杖をつく老人は、若者がショックのあまり意識を失ったのをみて、同情によってまゆをひそめた。コンクリートでかためられ、他にだれもいない、生活感のない質素な部屋、老人の後ろには入口からつづく配線が大量にあり、筒状のコンピューターや、細長い縦の冷却装置がならんでいた。扉は重く厳重で、その前に例の老人がたちしばらく感傷に浸っている。何かものいいたげに口をパクパクして、だれにいうでもなく、こうしめくくった。

「ああ、まったく、若者はこうして老人の体の一部になる、人造人間の技術を復活させたはいいが、失われた文明の技術を復活させるのは大変なのだ。
こうして製造が間に合わない分は、本物の人間にドナーとなってもらい、臓器を提供、若い命を人造人間の延命に活用させてもらうのだよ、だが若者よ、我々だけが悪ではない。我々はかつて老人の集まりだった、死ぬことが怖い老人の集まりで、単なる優良なボランティアクラブだった、しかし若者があらゆる活動に活力と興味を失うと、数の多かった我々、多くの老人は国のあらゆる事情に介入した。我々はついに、どんな団体より強力な団体となり、VR装置をつけた若者をおそって、ハッキングをし、人造人間のボディを手に入れた、人造人間にぬれぎぬをきせ、自分たちこそが人造人間の体をてにいれ、やがてついに世界征服をなしとげた、だが若者よ、死ぬ前に聞いてくれ、我々の脳はすでに生きる事に飽きている、そんな人間だけが生き延びた、あとはもう人造人間が、新しい種の誕生、遺伝子の変化を否定して、機械の体をとりかえ、つねに部品を新しく変え、飽きたら滅びるのみだ、だから我らも幸福など知らない、ただ死ぬことが怖いだけだよ」

幸運装置

幸運装置

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-05

Copyrighted
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