悪花 ②

マチミサキ

それから
一夜が明け

(はじめ)は毎度見飽きた
職場の風景に溶け込んでいた。

ただひとつ
違うのは
件の占いを行った怪少女から
受け取ったメモが鞄に忍ばせてある、
ということ。

『気が向いたら読めば良い…。
捨てるなら、それもまた佳し』

その言葉と共に
手渡されたものだ。



「聞いてるのかっ!篠ッッ!」

そう気色ばみ
薄汚い獣じみた声で怒鳴っているのは
一の直属に当たる上司

《 広瀬課長 》

である。

一般的に人当たりの良い、という
イメージのある人なのだが
相性ともいうべきか

普段は隠して被っている
そのストレスを一には
お構い無しにぶつけてくるのだ。

「たくッッ!オマエだけだッッ!!」

止むことの無い罵声

一としては
たまったものでは無いが
最早
こういった光景は職場に於ける
お約束の様になってしまっており

周囲の同僚達も
気の毒には思いながらも

流すしかない状態となっているのだ。

第一、皆

下手に庇って
課長の矛先が己に向くのを恐れている。


課長としても
一ならば
どれだけ理不尽をしても
歯向かう事はない、と断定しているため
体の良い
パンチング人形なのだ。

そして
他の人間を威圧するために
無くてはならぬ道具。

酷い話ではあるが
どの職場でも
よくあるものだ。


【 全ての人を尊重し、誠意優しさを以て接する】

そんな一のポリシーは
完全に
この現代日本社会では裏目に出ていた。

それこそ
やればやるほど
馬鹿にされるばかり。

ナメられるばかり。

一自身
その事は痛感しているが
やめられない理由がある。

しかし
一にしても
人形ではない、人間なのである。

増して今日の課長は
何時以上に度が過ぎている。

一度
そう思い始めると
どういう訳か

普段は気にしない
周囲の目すら気になって仕方がない。

そこへ

最近入ったばかりの
女子大生アルバイトの呟き声が

一の胸を抉った。

「ダッサァ…アーハナリタクナイ」

その一言が
課長に向けられたものか

自分に向けられたものか

それとも
見てみぬふりの周囲に向けられたものなのか

あるいは
全員なのか

それは分からない

しかし

彼女に出社朝一で
最初に出合い
気分よく
挨拶代わりにコーヒーを驕り

なんとなく

先輩風、というか
その朝の光に包まれた彼女に運命と
極僅かな恋心を感じていた一。

「解らない事があれば遠慮なく聞いてな!」

つい先ほど

そんな微風を
その爽やかな気持ちと共に
彼女に当てていた
一には
彼女の
この呟きは、かなり効いた。

ジャンプし浮き上がった分だけ
着地の衝撃は強いものなのだ。

動揺を隠すように
ようやく課長に言えた

「ソ、外回りに行っテ来まス」

その言葉さえ
震え、あげく裏返ってしまった。

そして一は
逃げるように
職場を後にした。

とにかく
此処で無ければ何処でも良い

なんとか落ち着きたい

その一心で
課長に同調する皆の
職場に巻き起こる嘲笑を背中で
聞きながら
飛び出していた。


一時間ほど経ち

得意先への挨拶周りは
一件足りとも済んでいないが
一は静かな小さい公園の中に居た。

そして
考えていた。

思い返せば
課長のあの態度は
彼女が居たから、…こそでは無かったか?

さらに
そこへ同僚達が居たから、こその悪態では?

これは恐らく
一の思考による
エスカレートではない。

悲観でもない。

それはかなりの高確率で正解と
呼べるものであった。

「もう、辞めるか…さすがに。」

けして
辞める訳にはいかない自分を
嘲笑うように
解っていながら
そう漏らした。

ベンチに座った己のズボンには
うつ向いた目の向きを示すように
濡れた部分が有った。

もう
三十路も目の前だというのに
泣いている自分を認められなかった。

自分は
他の同僚以上に仕事をこなした筈だし
大きな失敗も成功もしていない。

【つつがなく】

なのに
何故
こんな目に遭うのか。

『オマエだけだ!』

その罵声が耳から離れない

そう、自分ばかりなのだ、
そうして我慢を重ね得られる僅かな糧。

出来ることなら
最早セーフティネットに頼りたい。

しかし
それは出来ない。

一には
入退院を繰り返す妹がいるのだ。

金銭的なことは元より
自分を自慢する妹

いつ命を落としても
不思議ではない妹

世間を知らず
この悲惨な社会に疎い妹

だが

それに応えられる
兄でありたい、

そういつも意識していた。

馬鹿でも偽善でも何でも良い。

そういった存在が妹に必要なら
自分はそう在るべきであり

━━━━成るべきだ。

現実は厳しいものではあるが
妹の前で弱音を吐くことは
一切しなかたったし
これからも
するつもりもない。

「…頑張らなくちゃな…」

そう
諦め半分に自分を鼓舞し
うつ向いた顔をあげる。

そう、

いつものことだ。

公園の蛇口で顔を洗い
鞄をあけ
ハンカチを取り出す。

そこで
1枚のメモがするり、と鞄から
滑り落ちた。

「幸福、のメモ…?」

なんとなく
そのメモは
落ちたのではなく

亡くなった母親が取り出した

一はそんな不思議な直感に包まれて

地面から

拾いあげていた。

悪花 ②

悪花 ②

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-03

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