第8話ー1
〈海洋学者の物語〉
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ビザンは激しく抗議した。
人間でいえば45歳の最年少で議会の部族代表として、水の分子を固めたテーブルを叩き、水の分子抵抗を極力受けないように進化した、ティーフェ族の白い皮膚は、水の抵抗を受けることなく、ビザンのホモサピエンスよりもかなり長い腕を広げ、各部族の代表たちに訴えかけていた。
水分子を固めたこの議会上のすり鉢状の2キロにも及ぶ広い空間で、彼広りが興奮して、真っ白な肉体を、独特の感情表現として進化した怒りの赤色に皮膚を紅葉させていた。
「侵略なのですよ、分っているのでしょう」
すさまじい権幕で書く部族代表に訴えかけても、誰一人、彼の意見に賛同する者はいなかった。
「ジェフフォ族の言い分も分る。君らの惑星が最も被害が大きいのは十分に理解した上で、当議会はあえてジュヴィラン人との外交的手段でこの時代を解決する道を模索する。このままでは被害ばかりが増えてしまう」
青色と黄金の装飾品を身体中に身に着けた、身体の大きなデガタ議長は、ボバハ星系、第4惑星ヒフホの海底に、海水分子を凝固して構築された水の議会場を見回して、議会の意見を若いジェフフォ族に向けた。
その視線の先、ビザンの背後の海底を、巨大で不気味な鱗が棘でできた全長数百メートルの生物が通り過ぎていった。
水と共に生きる種族を、海底生物や海中生物は同じ生物としてみなし、襲うことも恐れることもなかった。
ビザンは悔いの残る顔で、水分子を凝固させたテーブルを拳で叩き、苦い顔を赤い色に染めた。
議会終了後、議長デガタに呼ばれ、議会の水を凝固させた、壁面が水で構築され波打つ通路を歩きながら、2人は話をした。
「父上の様子はどうかね」
あえて議会の議題の話題を避けたのは、ビザンにもわかった。議長の気遣いは若者にもすぐに分った。この議長、人間の見た目でいうと60代の見た目ながら、ティーフェ族の特徴の1つである、脱皮を6度繰り返しており、すでに地球標準時間で5000年の歳月を生きていた。
「お気遣い感謝いたします。父は日に日に記憶が薄れているようでして。昨夜も議長と激しい議論をして帰ってきたなどと、記憶の混乱を口にしておりました」
議長は軽く微笑んだ。議長は懐かしく思い出したのだ。
「グザとはずいぶんと議論をした。最後に議論したのは5ゲン前のことだな」
ゲンは100の単位をこの種族では意味していた。つまり500年前という意味だ。
「我ら種族は長命とはいえ、老いる父を見るのは辛いものです」
ビザンの脳裡には海洋学者という仕事に力を注いでいた父の姿がまだあった。それを思うとなんだか、胸の奥から込み上げてくる感情があった。
「こればかりは仕方あるまい。ワシの方がおぬしの父より年上だが、病気ではな。しかもティーフェ族の中でも稀に発症する病気なのだ。記憶がいつまであるかは分らないが、一度、ワシも顔をだそう」
瞼のないティーフェ族独特の大きな黒い瞳を見開き、水中でも抵抗なくビザンの身体は丁寧にお辞儀した。心には尊敬と敬意しかなく、議長が父の古い親友であることもさることながら、器の大きな人だという思いで胸がいっぱいだった。
水分子を凝固させた通路を抜けた先では激しい水流が一方向へ、凄まじい勢いで流れていた。
これがこの宇宙、ティーフェ族が作り上げた文明の移動方法なのだ。
「それでは議長」
再び深々と頭を下げ、ビザンはその水流の中へ身体を入れると、高速で水流の流れに乗っていく。その感覚は水と肉体が一体化したかのような感覚であった。
そのまま惑星ヒフホを抜け、水のトンネルは宇宙空間を一直線に進んでいた。筒状の水流の直系は10キロを超え、全長は計測不能であった。なんせこの水流の先こそがビザンが住む惑星ダゴルトだからだ。惑星間の距離は20光年。つまり水の流れは20光年の距離にあった。が、この文明の科学技術は水の流ればかりではない。その水の流れを最大まで光速に近づけ、20光年の距離を、僅かな時間で移動することを可能としたのである。
もちろんそうした水流に耐えられる種族は、ティーフェ族をおいて他には存在しない。
惑星ヒフホもダゴルトも陸地というものがなく、すべてが水に覆われた惑星である。その大気成分は二酸化炭素が多く、普通の生命体は生きることができない。
しかし水中を生存権とするティーフェ族だけは、この陸地も酸素もない惑星で唯一進化することができ、水分子とほぼ似た分子構造の生命体へと進化し、酸素のいらない肉体の生命体へと進化、文明を水中に築くことができていた。
水流の流れは惑星ダガルトで停止はしない。次の水の惑星へとそのまま流れていく。いわばティーフェ文明の惑星同士を繋ぐ、巨大な環状線のようなものなのだ。
ティーフェ族にはさらに124の部族があり、それぞれの水の惑星で名前が異なっていた。ビザンが属する種族ジェフフォ族が生存域としているのは、惑星ダゴルトであり、ビザンの故郷だ。
水流を抜け、惑星ダゴルトの水分子を凝固させた20キロもの楕円形の通路へ抜け出た時、彼を待っていたのはビザンの妹、ミザンだった。
「兄さん、お父さんが――」
人間の年齢に換算すると38歳の彼女は、しかし見た目がビザンとほとんど変化のない、皮膚が白く手足が長い衣服を身につけない姿だった。2人は年が離れているのに、ずいぶんと似ている。
妹の顔が青くなっている。これはティーフェ族の不安の色を意味する。
ビザンはそれが何を意味するのかすぐに理解し、またか、と言いたげに顔をしかめ、軽く白い顔色を赤くした。怒りの現れだ。
「父さんからあれほど眼を放すなと言ったろ」
兄は不機嫌に妹に父が居なくなったことを咎めるように叫んだ。
水の通路を歩いている他のティーフェ族のジェフフォ族は、その怒鳴り声に驚いた顔をして見た。
ジェフフォ族の議会代表はジェフフォ族では有名人である。その人物が町中で怒鳴るのだ、注目されるのは当然のこと。
ビザンはミザンと別れて父を探しに街へ向かう。水分子でできた都へ。
第8話‐2へ続く
第8話ー1