悪魔交換サバト

2日前・ユルシェル・バルテ

 ニヒル系女子ユルシェルバルテ、土曜日の朝の仕事ノルマである自室の掃除は10時前にはすんでいた。午前中は、新聞を読み、テレビを見て、午後からはカフェにより、それから図書館に居座るつもりだ。時計をみて顎にてをやる、夕方16時までには家路につこう、そう考えた。社会人ともなれば休日だけが心の安らぎ、と言っても彼女はまだ高校生だけれど。窓をあけて新鮮な空気をすう、停滞していた黒い空気は、ファンヒーターで温まれたままさまよい、にげ場を探して窓の外をゆらぎながら冷たい空気にまぎれる。つかのまの溜息、ヒーターにあてられたようだ。首が重いのはけだるさのあらわれ。彼女はきっと退屈している、窓枠のそばのカウンターに花瓶があり、そこに彼女のの好きな花が飾ってあるけれど、この雰囲気を変えられたりしない、呆れている、この社会のすべてに、そして身の回りのすべてに、誰も彼女を理解しようとしない、少なくとも彼女はそう思う。窓際によせられておかれた古びた、朽ちかけた椅子が彼女の生活風景を語る。

 (再来週には私の好きな劇団の公演がある。あまり有名じゃないけれど演者の雰囲気が必死で好きだ、あれは有名な劇団にはないものなのだ、何か全体的にそういう野望と活気に満ちた劇団で、シナリオもつじつまが合わない部分はあるが、勢いで想像を実現しようとするさまは、即物的で心地がいい。)気づいているか気づかないのか、彼女はそれを自分に当てはめている、チケットはキッチンのカウンターによりそっている大きな丸テーブルの使われていないコーヒーカップの中にある。彼女はどこかで自分と重ねている、彼女は、未来を失っていた。たった一度の絶望で、小さいころから共に育って行きた愛犬の死、ただそれだけで、彼女は人生に絶望している。彼女はそれから、スポットライトの当たらない人々が好きになった。まだ売れない人間やスポットライトの当たらない人々は、たとえば特色のような、そうした強味をもっていなければ自分たちを守ることができない、だからこそ彼女が持ちえない活気にあふれている。そんな事を考えながらアパート一室の真ん中、廊下を歩き、外出の準備をすませて、スカートをととのえる。玄関口で財布と鍵とスマホの確認をすませておいた。

 家の前の歩道にでるとすぐ横断歩道があり、それを歩く彼女が通りすぎるまえに、2台灰色の軽自動車が走った、1台は白い普通乗用車、少し高級そうな背の低いクルマだった。(ああ、またやってしまった、こんなことを数えて何の意味があるのだろう、いいや、私は、一万九百七十六、今通った車の番号すべてをたした計算もできる。それから、昨日と一昨日たべた外食の値段を計算する事もできる、一か月前、バイト中に時計をみた時刻を分まで覚えている、これは手違いで備わった才能なのだ、皮肉ではなくそうとしかいいようがない)

 (ほかには、授業中の老いた教師の小じわの数)

 そんな退屈を繰り返し頭の中で連想していたら、図書館についていた。バスで3駅いっただけで市立図書館についてしまう。いつのまにか一階に用意された読書コーナーの椅子で読みふけり、2、3度トイレにいった、もちろん彼女は2日後までそのことを覚えているだろう。読み終わった本を棚に戻して、頭のリストに数えておいた借りる本の棚へ探しに行く、受付に行き、ファンタジー本をよんでいたので、そのめくるめく幻想世界が途切れた苦痛と倦怠感に襲われる、ああ、あの世界は現実には実現不可能なのだ。文字と幻想の世界、映像と連続の世界、あの完成されたイデオロギーは現実社会のどこにも成立しえない。どこにもあんな理想や信念などない、ただ機械的な数字が並ぶだけだ、それなのに、それなのに。彼女は悪魔と契約した数字の才能のせいで、それにふりまわされて、幻想よりも物質的なありとあらゆる数字と暗記にふりまわされ、不自由から逃げる事が出来ずにいる。


 いつのまにか日が暮れていた、先ほどまで異国の森林の中で幻想の生物とかたらっていたのに、気づけばいつもの駅前のカフェで本を読んでいた。ただ借りた本だし、そもそも大好きな本をあらゆるものから保護するためにハンカチは3種類持っている、それをまるでテーブルクロスのようにならべて。コーヒーから防護していた。その後すぐカフェをでたが、2、3歩いくと人込みがうるさく、その喧噪がわずらわしくもなつかしくも思え、このあと必ず夕方の倦怠感がやってくると思ったユルシェルはなぜか立ち寄ったことのないカフェに入ろうとおもった。それは単に、彼女の現実より、むしろ現実逃避のほうに、私の生きるべき世界があるという確信をえたからだ、きっと新しいカフェにはいっても本を読むだろう、そしてめくるめく幻想世界へ、彼女の理想は数字にはない、数字はむしろトラウマを思い出ささせる、3年前の12時34分愛猫の死の時刻。そうだ、本をこれほど早く、多く読む日は、本好きの彼女にとってもめずらしい、こういう日はきまって現実より非現実のほうが大事になる、大事な記憶になるのだから大切にしなくてはいけない、だから新しいカフェとの出会い、さらに望むなら新しい人との出会いがあればいい。といいつつ、まさか本当にその出会いがあるとは、彼女自身考えてはいなかっただろう。

 店に入り気がついた。(一番奥のあの子、かわいい子だな。ゴスっぽい衣裳だけど、派手過ぎず、地味過ぎず、年齢に不相応の、あの子いい女になりそうだ)店の奥をながめ、そんな事を考えてテンションをあげていた。ユルシェルの中で、初めて入ったその店の印象はそのゴスっこ一色になった、落ち着いた雰囲気、知的にみえる緑の眼鏡、その子のセンスや早熟な思考回路。ユルシェルもその少女を目指して、かといってさとられないよう店の奥を目指した。彼女の本の趣味は何だろうとふとみやると彼女はやはり難しそうな本をよんでいた。本には花柄のカバーがあって、何となくユルシェルの好みの花と似ていると感じた、一瞬少女もこちらをみたように見えたが、手を挙げて死角になっていた店のカウンター右からやってきた店員に声をかけただけだった。
「すみません」
鈴のなるような声だった。ユルシェルは少女が気になりすぎ、あの少女をちらりとみながら読書が出来れば最高だと思う。しかし数字ばかりを暗記する彼女に、そんなふたつの作業をする頭などない、きっと幻想世界にいりびたるだろうが、気持ちの上ではここちいいだろう。その子よりふたつ奥の席を選んだ、それでは背中しかみれないので、廊下をわたり、入口からみて一番奥の席を選ぶ。彼女は30分ほど本の世界にいりびたっていたが、ちらりと見ると少女はまだいた。黒いゴス服の落ち着いた衣裳、どうやらときどきのぞくインナーはチェック柄の目立つ原色で、表だってみえないファンシーな色を感じてより興味を持ってしまった、お手洗いにいき、店員にパンケーキとコーヒーをたのみ、それから一人、もくもくと借りて来た本を3時間ほど読んでいた。

(あれ?)
驚いたのは、先ほどのゴスロリ少女が前におらず気配はすぐそばでした、それが少女とは初めは思わなかったが、目線をやると少女は、ユルシェルのすぐ隣、窓際の席にすわっていた。いつのまに移動したのか、自分がそれだけ本の世界に集中していたのも、少女が移動してきた偶然にもびっくりしていた、それでいてどこか期待しつつもあった。
<哲学の本を読んでいるわ、カントだわ>
本のカバーを盗み見て思った。 
 「ちょっといいですか?お姉さん、どんな本を読んでいるの。私の本に興味がありそうね?」
 どきっとしてしまった、ユルシェルは特に同性に対する趣味は変わったものはなかったが、かわいい少女には目がなかった。それから色々な話をしたが、少女に大人びている理由をたずねるとこう答えた。
「心が傷ついたり、感傷にひたる気持ちが分かるほど長く生活していませんから、私はただ大人びたふりをしているだけです、それから怪しい宗教にはいっていますよ、世間に公表できないような」

3日前 ナムオーバン

 茶色の猫が目の前を通り過ぎたらあなたならどうするだろう?何を感じるだろう、何もおもわないかもしれない、いまさら風習や迷信など何だというのだろう。彼のスマートフォンには自画像より猫。それは幸運でもなく、不幸でもない、日常の延長、ただそこにある選択肢の違いは、きっと猫好きか、猫好きでないかの違いでしかない、そして彼は猫好きだ。いまトラックが行き過ぎた高架橋下のトンネル、彼が進むコンビニへの駅の途中で、向こう側の歩道に猫がいて、トラックと逆側、左へと走り去った。彼、ナム、オーバンの用事は右側の駅にあった、夕方16時そんな時刻に外出をしたのは、夕方のけだるい雰囲気が好きだからだ、しかもその日は金曜日、丁度いい。スキップをするとふとももは壁にぶつかった、ガードレールが少し邪魔だ、だが彼にとってはちょうどいい、少しばかりの遠回りはいい、彼にとって座右のは急がば回れ、この精神だ。

 結局横断歩道を渡り逆走し、猫をなでていたら、カップルのいる公園にたどり着いた、けだるげな16時15分、雰囲気が心地いい、これで明日世界が終われば彼にとってなおさらロマンチック。人生最後の日にしたいことはノラ猫をなでること、パーカーの裾で一応牙や爪をカバーして、ねこじゃらしで猫とあそぶ、ごろごろごろごろ、15分たちようやく猫ははらをだして甘え始める、ごろにゃーごろにゃー、彼は鞄の位置を背中にうつし、その中身がこぼれていないのをわきに頭をもぐらせ確認し、膝を立てて座っていた姿勢を、あしをのばし、屈伸し、腕はすこしのびをして噴水をながめた。公園中央噴水、右側にカップルのいた椅子がある、あのカップルの姿も今はみえない、また座ろうかと悩みあたりに目をやる。そうしているところっと姿勢は重心をうしなって左に転びそうになっててをついた、バックは地面にふれないように右手でかばう、しかし尻もちをついた。きたねえ、立ち尽くす。公園の植木の中、雑草にかこまれて大きな水たまりでぬれた。
(これを人は悪運とよぶ、けれど悪運でもなんでもいい、遠回りでもやがて幸運にたどり着く、負けも価値もない人生だ)
 
 何もない日ほど恐ろしい事はない、今朝は昼までゲームに熱中、けれど夕方のけだるさを感じなければ何もない人生になってしまう、いいことも悪い事も、何もないより素晴らしい。生きている実感がない事が一番恐ろしい、それが彼の持論。どんなことがうまくいくとかいかないとか、生きていれば抑揚を含み日ごろ色々あるものだ、とはいいつつも強がりもまじっていて、人の人生はつらい事ばかりで、感覚がマヒしているのかもしれない。それでもごまかしがきけばいいが、実際は自分も人と同じように、自分の理想が高すぎるのが痛い、そう、彼の人生初めから痛い事ばかりだ。中学生のときに習い事をやめてから特にそうだ。母とはとても仲が悪くなった。
 (自分で決めたことだった、それでも、今もあの緊張と興奮が頭をよぎる。ただそれから逃げて後悔をするわけではなく、母のプレッシャーから逃れられたこと、母が自分に期待をしなくなってよかった、必要な抑揚の現実さえあればどんな人生でもいい。だけど……。)
 彼は夕日が照らした自分の影と目を合わせた、インターネットで罵詈雑言を吐くときの彼の顔がみえる、それは影だ、悪魔的な人格が、見抜いている、彼のウソと母のウソを、未だにあの日の事を後悔している顔がある、わめいて逃げ出した習い事―—演劇——あの事を、空想が何度も反芻して繰り返す、それはまさにトラウマだった。
 (誰かの人生の代用可能品。それの何がむなしいのか、わからない、わかるはずもない、オレには何の才能もなかった、母はオレに期待をしすぎた、あれでよかったはずだ)
 現実の彼はかつて逃げ出した、有名な役者のつらすぎる稽古、目的もなく才能を手にするよりよかった、期待はされていたが、それでよかった、あの後彼の人生には目標も夢も見当たらない凡庸、それに勝る幸福はない。逃げ出した現実の先にあるこの退屈とむなしさを、暇つぶしの方法さえ彼は知らない、だた、夕方の感覚は好きだった。
(駅前のストリートミュージシャンに見とれに行こう、彼は必ず大物になる、毎週かならず20人は人を引き寄せる、自分とは大違い、いや、もし自分が役者をめざしていたら、それくらいは集まっただろうか?だめだ又余計なことを……)
 「あなたならすばらしい役者になるわ」
 気づけば走り出していた。
 習い事の先生は口がうまかった、きっと今もそうだろう、そして母は口車にのせられていた、母は役者になりたかった。自分の叶えられなかった夢、本当は母がかなえたかった母の夢、それを途中まで背負っていた。あのストリートミュージシャンのきらきらした瞳とはまるで違う、狂気じみた、血走った目の母の趣味に生まれた瞬間から突き合わされた彼はなんなんだ。本当は母は期待なんてしていないし彼も彼になんて期待していない。
 彼の母は厳粛な家庭でそだち、趣味なんて持つ暇もなく勉強ばかりしていた。だから母は初めからナムに期待などしていなかった、期待しているふりで、自分の才能を誰かに認めてほしかった、きっと先生に指導をほめられたかった。
(もし俺が役者になっても、彼女は満足していなかった、だから、オレはミュージシャンを、夢見る人間を応援する。あのミュージシャンはいい。瞳の奥、心の中を覗いても少しも混じりけがない、あの女性は、ただひたすらに音楽だけが人生のよりどころなのだ、自分があの小さな子供だったころ、歌が好きだったころの気持ちみたいに。)

 気づいたら駅前についていて、気づいたら足元の石をけとばしていた。まずい、もう一人の人格が出る所だった。彼だけに自覚のある人格、現実逃避の空想に浸ると必ずでてくる彼の中の内なる彼、それは彼の中、奥深くに存在する、どこかで演劇を続け、母の期待に答えたかった彼の姿だ。彼はその夕日を嫌い、自分の凡庸な人生を捨て去るタイミングを見計らっている、それは彼が完全に自暴自棄になるタイミングなのだろう。

 すでにちらちらといつもの場所に人が集う、時計台前の左ベンチの前、人込みの中、チラチラとみているのはゴスロリの白服の少女。レースの装飾もあり、長そでとは言え冬にそうしたコスプレじみた服装は寒くないのだろうか?背が低いが大人の女性か?しかし見て取れたのは、あまりに人形のような綺麗な透明感をまとった少女だった。まるで生活感すらない、本当の人形のようだった。ふとめがあった、あ、とナムは漏らしてその場をさけて一度駅のトイレへむかった。
「あれ?私が怖いのかな、あのお兄さん」
 すべてをみすかしにやりとする紫髪の少女。
 しばらくしてトイレからでてくると、ベンチのそば、ゴスロリの彼女がいた場所は彼が先ほどあるいてきた位置だが、彼は駅側、人込みの中彼女からもっとも遠い場所へ移動した。それを見て取って、少女は少しずつ彼に近づいた、彼は視線の奥でそれをみていたが、ミュージシャンの曲をきいていた。
「愛がー愛のために、愛があるだけで」
 そう唄うミュージシャン、ふと隣の女性に話しかけられて、それがさっきの少女とは気づかない様子で、2、3言葉をかわしてしまった。なぜだか会話の相手の顔をみずに、それが同世代の女性と感じたのだった。
「お兄さんギターがお好き?」
「ああ、僕も弾いているんだ」
「何?弾けるの?お兄さん?だから見ているの?」
 腕組みをして一瞬とまどった、しかし無反応が返答になった。
「ふうーん」
「本当だよ」
 ふと気づけば、そっぽをむいているゴスロリの少女、そうか、今やっときがついた。いつのまにか演奏はおわり、拍手がまばらにあがり、指笛をふくものもいて、小さなコンサート会場の終わりとなっていた。スタンディングオベーションとはいえないが、ただ興味を集めていたことは確かだ。少女は一瞬でナムの気を引く言葉をいった。
「あなた、自分の人生をごまかしているのね」
「なぜそれを……」

月曜19時・悪魔信者の少女。アリネ

当日。

 夕焼けも沈んだ夜のこと、ゴスロリチックなファッションに身を包んだ少女アリネは立ち尽くす。場所は中世に名をはせた地元では有名な伯爵家の旧古城、彼女は広大な開けた庭園の干からびたその池のすぐその前にある廃協会の傍ら、舗装された小道の前に一人離れて立っていた。その奥の林をかき分けた先にある廃協会には、随分前から黒装束の人々が集まっており、ガヤガヤと声がする。今日そこで20時からサバトの集会が開催される予定なのだ。少女はどこから入ったのか途中から進入禁止の看板がある公道の奥で、フェンスの中に平然と入り、脇の砂利道のところ、少しせの低い雑草にかこわれた、そこに立っている黄色く塗装のはげた街燈によりかかりっていた。彼女のまわりは、背の高い雑草が生い茂ったまま、背後にはフェンスがありコンクリートの公道もとぎれ私道になり、特にフェンスよりこちら側は、掃除もされないのか獣道のようになっていた。今日はここで二人、人をを待つのだ、腕時計を見ると時間は18時、そろそろサバト“悪魔召喚の儀式”が始まるころだ。

 少女アリネは一人回想にふけっていた、今のいままでスマートフォンアプリのゲームをしていた、心ここにあらずといった感じで熱中していた。顔を上げると丹精な顔立ち、むっとした口元、そんな場所にふさわしくない、まるでCMタレントのような彼女。色こそ黒の服だったが、他の黒装束の異形とも思える人々の服装とは少しかわっていた。彼女は違っていたが、彼女の奥、すでに廃教会に集まって準備をして他の黒装束人間たちは仮面をして誰が誰だか分からない、彼女はその一員であることに何の違和感も感じていないよう、奥の集まりは一件貴族の仮面舞踏会のようだった。
 髪をいじりながら、アリネは独り言をいった。
(早くしなきゃ、ノルマがあるんだ……。先日の契約がうまくいかなかった。今日はうなだれて帰ろうか。あ、メールだ。そうだ、今日は依頼者がくるんだ、待ち合わせの当日だった。一人は男、一人は女性、同じ17歳か)
 やがてアリネはポチポチとスマートフォンをいじり音楽をながしはじめた、そこで気づいたように胸ポケットからまるまったイヤフォンをとりだしたのだった。一曲聞き終えると4分程度、そこで今度はスマートフォンで連絡先をさぐりはじめた。呼び出し音が耳にひびくその間、ポケットをまさぐり白い息をはき彼女はどこかせわしなく、落ち着きのない様子で何度かちらちらと教会と、その逆の景色を交互に見てスマートフォンの画面を眺めていた。
(この小さな体と程度の低い知能が物足りない、大人になるまで時間がかかりすぎる、私も早く契約を済ませなければ。スティグマだけではだめだ。執事の力を借りる事しかできない。まさかあの城の奥、代豪邸の名のある家の令嬢が、こんな悪魔の性格を宿しているだなんて、きっと誰も気づきはしないだろう、ともかく悪魔と契約するためには、もっとサバトの訪問者をふやさなくてはいけないんだ)
 彼女は焦っていた、彼女は悪魔契約者なのだ。

 少女はスマホを通して、例の二日前にカフェで見かけた女性ユルシェルと話をしていた。向こうからはしゃいだ子供のような声が聞こえる、それは誰が見ても楽しそうだった。何かとそのカフェでの出会い話に花を咲かせていたようだったが、やがてアリネは普通にもどり、電話を続けて冷静に道案内を始める。会話の様子から、もうすぐそばに女性は来ているようだった。あの綺麗な高校生は、先日約束した待ち合わせの約束にちゃんときていたのだ。
 「フェンスがあるでしょう、ひとつだけ穴が開いたフェンスがあるの、うん、そう」
やがて相手が話しを呑み込み始めると、スマートフォンを左手に持ち替えて右手でペットボトルの炭酸をのんだ。
 「コンクリートで舗装された古びた道がある、街頭、そこにあるわ」
 それから10分もたつと、少女の前に人影がたった、ふと顔を見上げる、それは2日前あった年上の少女と話をしていた、喫茶店であった女性ユルシェル・バルテだった。
 「アリネ……さん?ちゃんか」
 2日ぶりの再会、やはりその女性―—ユルシェル・バルテは先日と同じようなキラキラした瞳でこちらをみていた。少女アリネは彼女から、カフェで初めてあったときのような、自分にたいするむき出しの好奇心を全身で感じておびえていた。
 
 さかのぼる事、数十分前からだった。古城周辺に一人の人影、二人、三人とふえていく、警備は手薄で、アリネの電話口でのそもそもこの管理者とも悪魔集会は手を組んでいるらしい、悪魔集会となをかえてはいるものの所謂黒ミサといわれるものだった。少女の案内する歩道を黒装束の者たちがずるずると前へ、やがて林の奥にある廃教会へはいっていった。夜間、聖なる場所の悪魔たちによる占拠の始まり。
 廃教会のど真ん中をのっとって、布袋やホルマリン漬けのネズミのビンやらをかかえた怪しげなものたち、やがてヒビの入った天井の窓から、夜の闇に照らされた黒装束のものたち、よくみるとそれぞれに顔は見えず皆が皆、黒装束の上仮面をつけていた。奥の壇上当たりを月光がてらすと、その前椅子の間をぬって、大きなテーブルが中央におかれている、テーブルと壇の間、ひときわ目立っていたのはヤギのはく製のようなものを付けた人間だった、周りの扱いもひときわ丁寧、彼は廊下をとおって段上へ人の群れに導かれる、老人なのか彼は杖をもっていたし、逆の手を引くものもいた。
 皆が廃教会の廊下をいき、各々に場所を確保すると、下っ端のものたちは古風な蛍光灯に火をつけ、やがて壁や椅子の上にもランタンやライトがおかれ、首輪のついた黒猫がそそうをし、ろうそくの火が入る。全身真っ黒の人間たちのその装束も異様だが、視線を上にあげてもっと異様なのはその人間たちが顔に着けているものだった、髑髏の顔、ジャックオーランタンの顔、豚の顔。ただの仮面ではなくやけにリアルな動物や怪物の仮面だ。

 ―—それから十分がたち現在、外でアリネと、ユルシェルが再開を果たしいていたそのとき。——
 教会内部では、廊下中央に魔方陣が敷かれ、ろうそくが魔方陣をとりかこみ列をなす、ろうそくの周りを黒装束が取り囲む。何事か呪文をとなえはじめた。ぽつぽつ、やがて全員が歌のように不気味な呻りをはじめた。
 ヤギの仮面をつけた人間が教会の前段上に一人あがり何事かを叫んだ、きぇええ―—とそれはほとんど絶叫のようだったが、しかし咽の震えから、よく聞けば呪文のようにも思われる微細な音がまじっている。やがて上半身の衣服を脱ぐもの、仮面に飾りをつけるもの、異性をさそうダンスを踊るもの、ベルの音、そうしてそれを合図にしたかのように、妙なパーティがはじまった。ユルシェルやナム、アリネが遅れていくことは、アリネの事前の手回しで主催者にすでにつたえてあったが、開始自体も早いようだ。それはアリネのいうサバト、世にいういわゆる悪魔たちの集会の開始合図だった。

 そのころ例の待ち合わせ場所で、最後の訪問者が到着しようとしていた。茂みから音がして、年下の少女の裾をひいて少女に警戒のサインをだしたのはユルシェルだった。以外とこわがりのよう。小道の向う、市販のものより明るさの増した、軍や何かで使いそうな巨大なライトが小道を照らす、やがて二人のいた街燈をてらす。すると低い男性の声がひびく。
「ああ、あった黄色い街燈、これだな」
 街燈がその人物の顔を照らすには、ユルシェルとアリネが彼のもっていたライトのまぶしさになれ、麻痺した視覚を取り戻す必要があり、それには3分ほどを要した。茂みの中からかきわけ現れたのは男であることはわかっていた、二人が表情をさぐるとアリネが三日前にであったナムだった、アリネがすぐさま、ユルシェルにもう一人だと説明する。ナムは眠そうにぱちぱちとまばたきをして、二人を見て挨拶がてらおじぎをする、すぐにジーンズのポケットにてをつっこみ、二人の視線や舗道をさぐり目線は行き来した。彼は様子をさぐっていた。服装まで迷彩服をきているがアウターに暖かそうなコートを着てきていた。
「あら、何かいいわけをつけて、来ないかと思いましたよお兄さん」
「君があまりに挑戦的だから、どんな面白い悪魔集会なのかと思ってさ」
「初めて会うまえから、何度もみて誘おうとしていましたよ、いつもけだるげにあのストリートミュージシャンを応援して、半目でけだるげでこの人は何もかもやる気がない人なんだとおもってみていました、だからここにくるのも、約束も守る人なのか……」 
 アリネは静かな溜息、それが何かに集中するときの決まった合図。ゆっくりと来訪者と目線をあわせ、顔で合図をして教会を指し示す。手のひらをひらひら、こちらへこいと合図をおくる。少し離れてスマホをいじっていた青年は、しぐさをみるとゆったりとこちらへ近づいていた、伏し目がちで腹の底を探るような様子もあった。
「あなた、ーーお姉さん?」
 ナムは自分からちかづいていった。おどおどした合図で、相手のユルシェルはその手に握手をかわした。
「写真でみたときより数段綺麗ですよ」
「ナンパをはじめたこの男」
 ユルシェルも彼と目が合った。ユルは男性が苦手だが、どうやらうだつの上がらなそうでひ弱そうなので、すぐに反応ができた。
「どうも、はじめまして」
「はじめまして」
「……お二人はどういう」
「そちらは?」
「公園で、面白い祭りがあるってこの少女に聞いてきただけなんです」
つったっていた少女アリネが割って入った。
「プッ、まあとりあえず奥にいきましょう」

「まずこの男の人は、演劇が好きで、ミュージシャンが好きで、それでも、少し過去にトラウマがあってもうひとつの人格といえるくらい、瞬間的に性格が悪くなることがあって、公園で舌打ちをしているのも、人の道案内をしているのも何度もみたわ」
「何その紹介、この前僕ですら聞いてない話だよ」
 三人は各々の紹介を始めてにこやかに教会にむかった。

「私、お二人のお話があうとおもって、二人ともあるでしょう?超能力、そこにいるの?ジャッカル。二人に概要をお説明して」
教会の手前に一台の高級そうな車がとまっていた、どうやっって入ったのだろう、きっと別の道があるに違いがない。
「お二人は運がいい、私たち悪魔崇拝者に見つかっただけ、そして今宵、あなた方の力をトレードしましょう、もちろん、あなた方の秘密もだまっていますよ、過去の秘密もね」
 ゴクリ、ユルシェルとナムの喉元で唾を呑み込む音がした。


 それからの事は、二人の記憶の中には断片的にしかのこっていない。
 アリネと彼の執事という男が、概要を説明した、それは二人には縁のある、悪魔契約の話だった。
「今から始まるのは黒ミサ、もういみはわかりますよねえ」

 教会の中は彼等がたどり着くまえにほとんどの準備を終えていた、まず、黒ずくめの豚仮面の男が、おもむろに包丁と兎をとりだし、兎の腹を引き裂いた。
「我らは神を恨むもの、世の不条理をすべて拒絶し、慈悲を拒絶するもの、この口から呪文と呪詛を吐き出すもの」
 ヤギ顔の黒装束の仮面は幾何学模様のある、魔方陣の中央、大きなテーブルの前でついにその解剖されたウサギに顔をつきつけ、恐るべき何かをなそうとしていた。
「食らう、我はお前の刃、お前の心、悪魔、悪魔よ、私の体を仮てその意思とみ姿をあらわしたまえ、エロイムエッサイム、我は求める訴る!!」

 廃教会の扉が開いた、アリネの後を続くようにナムがとびらのふち、上側にてをかけ、その後をユルシェルが隠れがちに、ワンテンポおくれて追って歩く。
「娘アリネが参りました、ご覧ください、確かに若者二人をつれております、彼等はすでに契約をすましております、彼等は悪魔様により与えられた才能と取り替えたいという願望をもっております、アリネが、背中のスティグマの能力でみつけました」

 ナムの袖をひくものがあった、おびえるその腕は女性の、ユルシェルのものだった、照れ隠しに反対の右の腕で頭の後頭部をぼりぼりとかいた。
「見えますか、ナムさん」
「ああ、見えるけど、ヤギ頭の狂人が、黒装束が兎の解剖実験をしている」
「うわ、ひい!!!いわないでください」
―—降魔師。
 二人は、アリネに、そこに一歩立ち入る前、扉を開く前に説明されたその容貌ですぐにそれと分かった。きっとこのあとあの兎を食すだろう、そう、それはわかっている、しかしその詠唱呪文に、ユルシェルは覚えがあった。
「エロイム・エッサイム」
大勢の人間が天に手を掲げ叫んでいる。
(おぞけが走る、エロイム・エッサイム!!!この世界のどこかに悪魔を呼び入れる言葉!!)

 やがてヤギ男のすぐ奥、ライトもロウソクの灯もてらしきらない廊下の最奥、教会の最奥に声が響く、それは姿なき生物から発せられた音だった、それは摩訶不思議なものだった。
「フゥウウ」
 白い息が、もやをつくる、そこに停滞する何者かの口元や鼻元、呼吸や溜息などを連想させた。だがその姿は未だ闇につつまれていて、一体なにが起きているかもわからない、月明りなどが入っているはずが輪郭もない、わかるのは、椅子や廊下を丸くとりかこみうごめく人々が、全て仮面をした黒装束で仮面という事のみ。そして彼等は皆一様に歓声やら感嘆の、それでいて暗く低いうめき声をたてている。口には出さなかったが、二人の招かれた客ユルシェルとナムは、次の瞬間天井を見上げていた、そのわけは、天井が、古びてくちて、ひび割れや穴のあるたてものの、あちらこちらがその地響きのような呼吸音に呼応してブルブルと震えていたからだ。そのうち中央にいたヤギ仮面の男がさけぶ。
「おお!!おいでになった。おいでになられたぞ皆の衆、これこそ我らの集会の主、悪魔の精霊さまだ」
足元まで流れてきたのは、ウサギの血!
「いやあ!!」
 奥の台の前、テーブルは祭壇となっていた奥ではやがて、怪物のような人のような、巨大な異形のシルエットが現れては消えるを繰り返していた、それは人のようでもあり、異形のようでもあった、その一瞬、ユルシェルの恐怖は最高潮に達し、ついに悲鳴をあげてしまった。
「ぎゃああああ!!!」
 そう叫ぶと、すぐにそれをしかりつける罵声が、ヤギ仮面の男から発せられた。
「目をそらすな若者ども!!」
「ばかものって」
「お兄さん、若者っていったのよ、まだ、悪魔がくらうわ、見ていてお兄ちゃん、お姉ちゃん」
「あくまって、人間じゃない!!」

 ついに悪魔は姿をあらわした。角があり、口がある。牛の様な姿の顔が一瞬みえた。暗闇にひかってみえたのだ。そして彼は語りだす。
「私は悪魔——“名をキュクロプス”そこの2人、アリネの連れて来た訪問者、お前たちは契約しているな、我が姿を現すまで、消してこの屋敷の外にでてはならん、いいな、もうすぐだ、もうすぐだ、もう少しまて」
 ガタンガタンと音がする、きっと二人が恐れておびえている音だろう、かわいそうに、と誰かがぼそりとつぶやいた。
「二人、悪魔様がいっておる、もうにげられないんだよ」
魔女らしき仮面をした老婆がいう、彼女は奥の壇上のすぐ右わきにいた。そこには朽ちたカーテンがまるで悪の誕生を祝うようにぶらさがっている。中央にあるテーブルを取り囲むように、やがて群衆は同様の呪文とも呻きともとれない声を一斉にあげはじめた。何も知らないユルシェルとナムからすると、それはただの冗談か何かにも思えた。
「ヤンヤンヤンヤン・エロイム・エッサイム」
次第にヒートアップしていく室内、温度、またボソボソとユルシェルはナムの腕にくっついて彼にだけ話かけるように口をおおって言った。
「私たち、ここに来るべきではなかったのではないですか?そもそも私の目的はあの少女であって……いいわけがましいですが、好奇心に魅せられて、文字通り魔が差したんですよ、こんなの、こんな本気なサバトだなんて聞いてないですよ、もし他の宗教にみつかったらどんな目に合うか……」
「悪魔か、いや、逃げることはできる、逃げる事は、でも俺の座右の銘は、急がば廻れなんでね」
「そんな……いま言う事ですか」
 廊下の中央あたり、群像のすぐ後ろで、余りにもまっすぐ前をみているのでユルシェルがナムの目を見ると、瘴気に中てられたように鈍い光をともしていた。
「悪魔なんて、いるわけ……ないです、そんなの夢か空想、私怖い、寒気がする、こんな、まさか、あの時感じたような」
そうして眼をそらせずに、何をするかびくびくしながら、口を覆い、吐き気をこらえ、その内臓からわきあがってくる胃液をかんじながら、こらえていた。

闇の中二つの眼が光った、それは祭壇の向う、神父のたつ講義台の向う、二つの眼、それはヤギよりもウシに近いような見た目の怪物の顔だった、突如として、呪文か祈祷のようなものをささげる降魔師に、台を隔てて向かい合うように、常人の倍はあるような巨大な顔がとびでて、浮遊していた。彼にも意識はあった、かれは悪魔、悪霊そのものだった。それは段々と毛並みや眼光をあらわにし、ついには巨大なつのと、どこか人間味を帯びていく上半身、コウモリのような羽、下半身をあらわにしていく、その手と足の先はヒヅメのようになっていた。
<おお、すでに悪魔の契約の証、スティグマをもっているじゃないか、あとは取引をするだけだな>

中央に書かれた文様と文字、呪文やらは椅子をまたがりほとんど教会の床全体をびっしりとうめつくし、やがてそれが光につつまれた。
「契約はすでに行われている。娘も男も、幼少期に悪魔に契約を願った、だが才能を取り違えたのだろう、女、お前は演劇の才能がほしい、そして男、お前は数を数える力が欲しい、これでよいな、簡単な取り換えだ、目をつぶっていろ」

 それから彼等は才能を取り違えた、彼等が代償に何を渡したか、サバトの参列者のほかに知るものはいない。

悪魔交換サバト

悪魔交換サバト

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-11-03

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