狐福(きつねぶく)
茸のお伽噺です。PDF縦書きでお読みください。
その朝、狐は川の岸にすんでいる川獺(かわうそ)を訪ねた。
川獺は誰にも見つからないように、特に人に見つからないように、ひっそりと暮らしている。
半月ほど前に、川で困っている川獺を見て、狐はどうしたのか聞いた。
「最近上流で、川におしっこをする奴がいて、魚が寄りつかなくなった」という返事だった。それで訳をきいたら、狸の奴らが、人間の子供に化けて、川に向かって立ちしょんべんをするのだそうだ。遊んでいるのだが。
そりゃあ、いやだろうと、狐は狸のところに行って、止めるように言った。狸は理由を聞いたが、川獺の食べ物の魚が寄り付かなくなることは言わなかった。川獺がいることがわかると悪いと思ったからだ。狸はおしゃべりだ。
それで、狐は自分の体を洗うところが下流にあると言った。
狸はそれは悪かったと、もっとずーっと下流の方で遊ぶようにすることを約束してくれた。
そういうことで、川獺のいるあたりの川に魚がもどってきた。それから狐はたまに川獺と話をするようになったわけだ。
前の日に、「魚が脂が乗って太ってきた、朝食べにおいで、と川獺に言われたのだ。
朝早くたずねた狐は川獺と楽しく話をして、魚をたらふくごちそうに。そのあと、何をするというあてもなく、河原を歩いていった。
オコジョが綺麗な緑色の石をくわえて、どこぞへ運んでいる。
「精がでるね」
狐がオコジョの奥さんに話しかけると、奥さんは緑色の石をくわえたまま、
「翡翠よ、貴重な翡翠がごろごろあるの」
と聞きとれないほどもごもご言った。翡翠のことを話していいのかどうかわからなかったのだ。そこへ亭主が河原にやってきた。だんなはずけずけ言った。
「狐どん、綺麗な翡翠が川の中にたんとあるんで、巣に運んでいるんだ。これで一儲けだ」
オコジョの奥さんは翡翠を巣にもっていくところだったのだ。
「お前さん、あたしゃ,この石をもっていくからね」
「おいたらすぐ戻れよ」
「あい」
狐はオコジョの旦那の後について水際に行った。
旦那と一緒に水の中を覗いた。確かに、緑色の綺麗な石がたくさんある。オコジョの旦那はその中から手頃なものを選んでくわえると、巣に戻っていった。
狐はきれいな石を集めるような趣味はなかった。だから暇な狐はオコジョの旦那と奥さんが拾うのをずーっと見ながめていた。
三匹の子供たちもやってくると小さな緑色の石をくわえて巣に持っていった。
何度か繰り返すと、家族がそろって河原にやって来た。
「狐どん、あんたも持っていったらいいのに、おいらたちは山いっぱいの翡翠を拾ったから、もうこれでおしまいにするよ」と言って、川の流れの中から最後の緑色のきれいな石を探した。
狐は翡翠がこんなに簡単に見つかるとは思っていなかったので、半信半疑ではあったのだが、確かに綺麗な石である。だがなぜか取りたいと思わなかった。
それで、「一つ手伝おう」
親切のつもりでそう言うと、手頃の綺麗な緑色の石を水の中から拾って、オコジョの家族の巣までついていった。
巣の前には緑色の石が積み上げられていて、陽が当たっている。
「ほら、翡翠の山だ、これを町に持っていけば、美味いものが食える」
「どうやってだ」
「これを飼い猫に渡して、代わりに美味いものをもらうんだ」
野や山にしか美味いものはないと思っていた狐は、オコジョが言っていることがよくわからなかった。
そんなことを思っていると、
「あんりゃ、あんた、ほら、翡翠がどんどん白くなっていく」
オコジョの奥さんが二本足で立ち上がった。
緑色の石は太陽の熱で乾くと次第に白い石になっていった。
「翡翠がただの石になっちまう、どうしてだ」
「狐がいるからよ」
オコジョの奥さんがヒステリーをおこした。
「巣に近寄るな」
オコジョの旦那も狐を追い払った。
「狐が翡翠を石にしちまった」
その石は狐石と呼ばれる石だった。水に入れると綺麗な翡翠そっくりだが、乾くとただの石である。
「俺のせいじゃないのに」
狐はとぼとぼと、自分の巣に戻った。
明くる日、野原を歩いていると、草たちが狐のいく手をはばんだ。草が背伸びをして集まったので、狐が囲まれてしまったのだ。
草の中のペンペン草がおっかない声で狐に言っている。
「おい狐、きのう、紅天狗茸の娘を泣かしただろう」
「俺はそんなことをしてないよ」
「だけど、紅天狗茸の嬢ちゃんは狐が砂をかけたので、傘のヒダヒダに入り込んでじゃりじゃりすると言ってるぞ」
「紅天狗はどこに生えたんだ」
「林の一本道の際だ」
「おれはそこに行っていない」
「うそをつけ」
「昨日は多々良山の川獺と話をしていた」
「それも嘘だ、川獺は絶滅している」
「絶滅をしたのは、日本川獺だ、俺が会ったのは川獺だ、動物園から逃げた奴だ、、三つ指川獺って奴だ、本当はくらら山にすんでいる。
「何でそんな奴と話していたんだ」
「一人でかわいそうだから、たまに付き合ってやるんだ、谷川からうまい魚を捕ってきてくれるんだ」
「それじゃ、その川獺に会わせろ」
ペンペン草がそう主張した。
「本人がいいと言えば連れてきてもいいが、言い触らすなよ、動物園に戻されるのは嫌だそうだ」
狐は草たちなら無駄話をしないだろうと思ったのだが、本当はおしゃべりなのだ。
「わかった、連れてこい」
というわけで、川獺が野原にやってきた。
「おー、狐どんはその時間俺と一緒にいたよ」
しっかり証明してくれた。ありばいだ。まるで探偵小説か。そう思った狐は、とりあえずほっとした。
だけど、川獺は近くにいることが知られてしまったので、川の上流の方に行ってしまった。だいぶ遠いので、魚をごちそうになるには遠出をしなければならなくなった。
わからなくなったのは草たちである、林の中の道筋に生えた紅天狗茸の周りの草が、茸から聞いたと伝えてきたのだが、どうなっているのだろう。
草が黙っているので狐が言った。
「もう一度、茸に聞いてみたらいい」
草たちもそうだと思ったに違いない、林の草にそのことを伝えた。
林の草が紅天狗のお嬢ちゃんに聞いた。
「誰が砂をかけたんだい」
「砂じゃない」
「え、ひだがじゃりじゃりになった、と言ったじゃないか」
「うん、言った、だけど砂と言ってない」
「何でじゃりじゃりしたの」
「胞子」
「狐が胞子をぶつけたの」
「狐の茶袋がかけた」
狐の茶袋とは埃茸のことである。
これではっきりした。野原の草にそのことが伝えられた。
「いや、狐の兄さん、そう言うことで、間違えたよ、悪かったね」
「いや、茸や植物にも狐って名前のつくのがあるからね」
しかし何で埃を出す茸が狐の茶袋なのか、狐にとって全くわからないことだった。
狐は何度となくこのような目に会っている。どうしてか狐はだます悪い奴だと思われているようだ。狸の奴の方が、ずっと図々しいし、図太い。だますのが狐より得意なのだ。だけどあいつらは丸い目して、人受けするから得してやがる。おいらたち狐はどうも目がつり上がっていて損をしている。
今日は野原で昼寝でもしようかと思っていたのだが、なんだかその気がなくなって、狐は自分のすみかの丘の穴へ戻っていった。
狐の穴がある丘には、たくさんの茸が生えている。その茸たちが、
「明日は森の動物の運動会だろう、どの競争にでるんだい」
と狐に聞いた。
狐は何も知らされていなかった。
「おれは聞いていないな」
「おや、どうしてだろう、狐さんは足が速そうだから、百メートル競走に出ると思っていたのに」
茸たちは不思議そうである。
「留守にしているときに、誰か言いにきたのかもしれないな」
「狐さんのいないときにだれも来ていないよ」
一日中ずーっと立ちっぱなしの茸は言った。
不思議に思った狐は近くに住んでいる兎の家族を訪ねた。
兎の巣の前に茸が一つ吊るされている。
吊るされている茸が、
「照る照る坊主にされちまった」
と嘆いている。
「どうしてだい」と茸が聞くと、茸は、
「運動会の日が晴れますようにと、兎の子供に吊るされちまったんだ、このままでは干からびちまう」
かわいそうに、狐は茸を縛っていた紐を解いて助けてやった。確かにその茸は照る照る坊主に似ている。
すると、茸は喜んで「いつかお返しするよ」と森に向かって転がっていった。
そこに運動会の練習をしていた二匹の兎の子供が帰ってきた。
兎の子供は照る照る坊主がなくなっているのを見て泣きだした。
その泣き声を聞いて、あわてて母親がもどってきた。
「どうしたの」
「照る照る坊主の茸がいなくなっちゃった、運動会は雨になっちゃう」
母親は狐がそばにいるのに気がついた。
「狐どん、あんたさん、照る照る坊主になんかしなかったかね」
「いや、ここへきたときに、茸がすとんと下に落ちて、走っていくのが見えたよ」
そう嘘を言った。
母親は「もっと強く結わえときゃよかったね、また採ってこよう」
そう子どもに言って納得させると、狐に向かって言った。
「それで、狐どん、あんたさんなんでここにきたのかね」
「いや、運動会があると聞いたもので」
「おや、狐どんは知らなかったのかね」
狐はうなずいた。
そこへ、亭主が帰ってきて、狐を見ると、ちょっと申し訳けなさそうな顔をした。おかみさんが旦那に言った。
「狐どんは運動会知らなかったんだと」
それを聞くと旦那はちょっと困った顔をして、「うーん」とうなると、
「運動会の日が、狐日和、になるといけないので、狐どんには言っちゃだめと言われたんだ、すいませんな」
とあやまった。
だけど狐にはわからなかった。
「狐日和ったあ、なにかね」
「晴れてるのに急に雨が降ったりする、気まぐれな天気のことを言うようだよ、知っていたかい」
狐は首を横に振った。
「狐の嫁入りとも言うね」
狐は何でそう言われているのかわからなかった。どんなことでも理由がわからないとみんな俺のせいにする。
「そうか、だから、か」
狐はしょうがないと思って、巣に帰っていった。兎の夫婦はなんだか狐がかわいそうになった。
運動会当日、あいにくの天気になって、小糠雨が振っていた。
それでも運動会は行われることになった。
そこで動物の親たちは話し合った。
「もう雨も降ってるし、狐どんにきてもらおう」
兎の旦那が狐の巣に尋ねてきた。
「狐どん、悪かったね、運動会にきてくれないかね」
「そりゃいいが、どうしてかね」
「いや、こういっちゃわるいが、狐どんがくると、急に晴れるかもしれないからね」
狐どんは、勝手なことを言うものだと思ったが、もし雨が止まなければ、狐日和などと言わなくなるだろうと思って、運動会に行った。
すると、森の中の運動会をやっているところだけ、きれいに晴れて、陽が射してきた。
「狐のおじさん、ありがとう」
動物たちの子供は喜んで、運動会を始めた。
こうして、「狐日和」は本当の事となってしまった。
真夜中、狐は巣からでた。ちょっとお腹が空いたからだ。鼠を食いたいと思ったのだが、この一年、鼠を食べていない。見つけても逃げられてしまうのだ。それで虫を食べて空腹をしのごうと思った。
空を見上げると満点の星である。植物や茸はいつも腹が減っているという様子をしていない。何を食っているんだ。そう思って顔を上げると、向かいの山に赤くチロチロと火が燃えている。
山火事だ。そう思った狐は、狸のところに行って、寝ている狸を起した。
「山が燃えてる、何とかしなければ」
寝ぼけ眼で巣穴からでてきた狸は山を見ると、
「ありゃ、狐火だ」
と言った。狐は自分が何かをしたのかと思って、
「狐火って、なんだ」と聞き返した。
「狐どんは知らないのかい、あれはね、本当の火じゃないんだよ、蜃気楼っていってね、遠くの明りがああいう風に見えるんだ」
「それで、何で、俺の火なんだ」
「みんなだまされるからだよ」
狐は狐に摘まれたような顔をした。自分だって知らないことだ、だまされたじゃないか。と思った。
「狐どん、狐に摘まれたような顔だな」
狐はこれは俺の顔だ、摘まれたものではない、などと、的外れのことを考えた。
「なあ、狸どん、狐がだましているとでも思っているのかね」
「ああ、そうだよ、みんなそう思ってるんだ」
狸はいとも簡単に答えた。
「狐どんは立派だ、わからないことや、奇妙なことがあると、みんな狐がだましたと思っているんだ、だます動物の鏡だよ」
狐はほめられているのか、悪いことをしていると言われているのかよくわからなかった。
「狐に摘ままれたとはどんな顔なんだい」
「何が起こったのかわからない時の顔だよ、口がとんがる」
何となくわかるが、それも俺がやったことになるようだ。きっと今の俺の顔だなと思った。
「それじゃあ、俺はまた寝るからな」
狸はまた穴の中に戻っていった。
腹減った。狐は夜の野原をとぼとぼ歩いて森にはいった。森の中の虫を食べようと思ったのだ。
ところが、狐が行くと、虫たちはみんな逃げてしまった。なぜだろうと、不思議に思っていると、そこらじゅうに生えている茸の一つが、
「虫は虫の知らせと言う感覚をもってるんだよ」
と教えてくれた。
「なんだい、それは」
「予感という奴さ、きっと、狐がくると、感が働いたので、なぜか逃げちまったのさ」
「茸には虫の知らせがあるのかい」
「ちょっとはあるよ、それで、虫に何の用なんだ」
「腹が減ってな」
「虫を食うのか、それならあいつら逃げるだろうな」
「なんか食うものはないか」
「俺たち茸はうまいよ」
「だが、俺には食欲がわかない、あんたがたは何を食っているんだ」
「土の中に体が伸びていてな、からだは菌糸と言うが、それが土からもらうんだ」
「茸は体じゃないのか」
「植物で言えば花だな」
それを聞いていた、隣に生えていた植物が、
「茸が花なんて笑うよな、花って言うのはこうやって咲かすんだ」
そう言って、だいだい色の綺麗な花を咲かせた。確かに立派で綺麗だが、茸もかわいいもんだと、狐は思った。
「腹が減っているんだが、植物の花も食いたいと思わないねえ、あんたたちは何を食っているんだ」
「土の中から水を吸い取って、太陽の光を使って栄養をつくっているのだよ」
「茸も植物も楽でいいね、俺たちは捕まえなければ食えないよ」
「どうだい、あんたは化けることができるじゃないか、茸におなりよ」
「植物の方がいいんじゃないかい、お日様を楽しめるぞ、茸は日の光を浴びるとしなびちまう」
「おいおい、日の光は俺たちにも必要だ、暑すぎるのは困るが、熱は大事なものなんだ」
さて、確かに、狐は化けることができる、どちらに化ければ、うまいものにありつきやすいのだろうか。と考えた。
植物になると、根っこから水、太陽の光で栄養、だが、曇っちまうと、食べ物が減る、茸になると土の中だけからですむ。曇っていても食っていける。雨は茸も植物も大好物だ。さて、どちらに化けるべきかと考えた。
そのとき茸の一つが言った。
「おれは狐の絵筆だ、茸の仲間には、狐と名のつくのがたくさんあるぞ、仲間になりやすいよ」
そう言えば、狐の茶袋は埃茸の別名だった。
「あたいは、狐の花傘」
かわいらしい、薄黄色の茸がよってきた。
「俺は狐のたいまつ、狐のちんぽこともいわれちまう」
狐はおやおやと、狐のたいまつを見た。
「俺は狐の親だ」
上の方から声がしたので、見ると、太い木に大きな丸い茸がついている。
「本当はおにふすべいうんだがな」
「あたしもは肝臓茸なのよ、でも狐の舌っていうところもあるわ」
おにふすべの脇に小豆色のべろのような茸がついている。そいつが言ったのだ。
埃茸のわきに柿の花のようなものが落ちていた。そいつも茸のようだ。
埃茸が言った。「こいつは土栗だが、狐のだんごともいうぜ」
土栗がおじぎをした。
確かに狐という名の付いた茸はたくさんある。
植物も負けてはいなかった。
さっき花を咲かせた植物が言った。
「おれは、狐のカミソリだ」
カミソリはちょっと怖いな、と思っていると、傘のように葉っぱを広げている植物が、
「俺はやぶれ傘、狐の傘ともいうぜ」
と言った。狐は破れた傘が狐の傘とは役立たずのことなのだろうかと疑った。
「あたしはおとなしいの、二人静かというのよ、狐草ともいうの」
葉っぱの真ん中から二つ白いかわいい花を咲かせた植物がいた。
「まだまだ、いるわよ、狐の孫、狐の曾孫、狐のボタン、狐のたばこ」
「いや、もういいよ、茸にも植物にも俺の名前が付いている奴がいるんだな」
「ところで、茸はどうやって増えるんだ」
「胞子を作って、飛ばすんだ、雄も雌もない」
「植物はどうだい」
「雄花から花粉をもらって、雌花が実を付けるのよ」
ということは、茸になると、自分で胞子を放出して、それが子供になるのだが、植物だと花粉を作って、そいつを雌花にくっつけて子供を作る。
雌がいるのは面倒だな。
この狐は、雌がまるで相手にしてくれなかったので、生まれてからこの方、母親を除くと、まだ雌と話もしたことがなかった。
自分一人で子供が作れる。ということで、狐は茸を選んだ。
それで、茸たちに「どんな茸になればいいかな」
と尋ねると、茶色の小さな茸たちが集まってきた。
「おいらたちは、狐茸っていうんだ、美味い茸でね、仲間におなりよ」
そういわれたので、狐はコーンと鳴くと、くるりと回って、ポンと茶色の茸になった。狐はこうして、狐茸になったのだが、体の大きさは狐のままになってしまった。ずい分大きい。
茸たちは狐が変わった狐茸を、厳(いかめし)狐茸と呼ぶことにした。いかめしとは古語で大きいという意味である。
大きな巌狐茸は菌糸を森の土の中に伸ばした。冷たい感触がとても気持がいい。きれいな水がからだに流れ込み、すっきりとした。むくむくと傘が大きくなっていく。りりしい狐茸になった。
雌の狐が森にやって来た。
巌狐茸を見ると「素敵な、茸、かっこういいわ」
と擦り寄ってきた。
巌狐茸はその狐が自分を袖にした雌であることがすぐに分かった。
厳狐茸は森の土からおいしい栄養分をたらふくもらって、大きな傘を開いた。
ちゃらちゃらしおって、何であの時可愛い娘などと思ったのだろう。おかしくなる。ちょっと鼻息をかけてやった。胞子がひとつ飛び出すと、雌の狐の鼻先に止まった。
「素敵なかおり」
ぼっーっとなった雌の狐は大きな巌茸の足元で横になった。すると、森の中の赤チビアリがわんさかと集まって、雌の狐の毛の中に入っていった。一斉に赤チビアリが皮膚に噛み付いたので、雌の狐はキョーンと鳴くと、一目散に森の外に飛び出し、川に飛び込んだのだが、アリたちがなかなか取れなくて、とうとう、毛が全部抜けてしまった。剥げた雌の狐はとぼとぼと巣にもどっていった。
森の中では、巌狐茸の傘の下から茶色の胞子がぱーっと飛び出した。厳狐茸は天にも昇るような幸せな気持ちを味わった。一人で子どもを残せるのだ。
茸になってよかった、茸になるとこんな幸せがくるとは思っていなかった。
物知りの茸が巌狐茸に言った。
「思いがけない幸せのことを、狐福(きつねぶく)っていうんだよ」
それを聞きながら、厳狐茸は萎び始めた。
森の中には、厳狐茸の胞子が舞っている。やがて、たくさんの厳狐茸が生えてくるに違いがないのだ。
狐福(きつねぶく)