第7話ー5
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不思議なものでメシアが筋肉質の腕に抱えられて移動している間、世界は彼の眼に追いつかないほどの高速で背後に通り過ぎていった。遺跡にある施設を見てここにどんな文明があったのかを、考える余裕すら与えてはくれなかった。
メシアの身体には激しい風が吹き抜けていく。黒い髪の毛がすごい勢いでなびくほど。
亜光速では不可思議な現象が起こる。動く物体があれば亜光速で移動している人物からは、それがゆっくり動いているようにみえ、動かない物体は高速で過ぎていく。
それは光の速度より少し遅い亜光速の中では、移動している人物の身体能力が亜光速まで加速されている。その為に周囲を認識する脳が動くものはゆっくりと認識し、動かない物体は高速で認識するのだ。
それにしてもこの4つ眼の異星人の大男はよくもここまで高速で移動しながらも、壁にぶつかることなく、巨大なビルの壁を破り外へ飛び出すこともなく移動できるものだ、と僅かな間だけメシアは考えた。
移動を開始して2分ほどだろうか。大男の脚が急速に停止し、メシアは急停止したことで、身体の中身が揺れたような感覚に、気分が悪くなった。
無造作に太い腕から落とすように降ろされたメシアは、乱暴だな、と言いたげに4つ眼を一瞥する。
それから周囲にようやく視線を回した。
無機質な白い壁。六角形の部屋には無造作に金属らしき物質で作られた、流線型の椅子と思われるものが幾百も並び、空中に浮遊していた。反重力椅子が遺跡と化したビルのシステム復旧と共に稼働を始めたのだ。
部屋に照明らしきものは見当たらないのに、1キロはあるであろう部屋は明るく、高さも1キロある天井までしっかりと白く照らし出されていた。
そこがなんの部屋だったのか今この場にいるメシアも、別の宇宙からやってきた、皮膚が茶色く金属のようで下あごが出ていて牙が生えた4つ眼のノーブラン人の人間の年齢に換算すると60代前半のボロア・クリーフにも理解できない。
「置いてきた彼女たちは」
部屋が何に使われていたということよりも、置いてきてしまった【繭の楯】の4人を心配するメシアが、大男の4つの眼をぞれぞれに視線を動かしながら見つめる。
「命はお前のためにある。死んでもお前が生きてさえいれば、役目は果たしたことになる」
「どうして。なんでそこまで僕の命を守るんだ。僕は自分のために人が死んでいくのを見たくない」
立ち上がり、別宇宙の異星人にすごむメシア。
だが、巨大な筋肉の腕を組み、巨大な下顎を開き、ボロアは大きく笑った。声は巨大な六角形の部屋に響き渡る。
「何を子供みたいなことを言っている。お前は自分の本当の価値をまだ理解してないのか」
本当に子供みたいに見えたメシアを、これが救世主なのか、とボロアは心中で首を傾げた。
「僕は誰かが犠牲になって守られる命じゃない。何かの間違いに決まってる」
メシアが断言するかのように真剣な眼差しでボロアへ訴えかける。彼は人が犠牲になること、それが自分のためであるというこの現状に、激しい嫌悪感が沸き上がってきてしかたなかった。
「これはなぁ、お前の好き嫌いで判断できるもんだいじゃないんだよ。すべての生命の命にかかわることなんだ。なんでわからねぇかなぁ」
イライラしつつボロアは殴りたい気分をぐっとこらえてメシアに言う。
しかしメシアは本当に自分のために犠牲になっていく人たちを見るのを嫌がっていた。
ボロアは一瞬、自分の心を冷静な位置に戻し、深呼吸するように落ち着き、メシアの眼を4つの眼で見やった。
「いいか、よく聞け。お前はあの街の宇宙港で何を見た。街でいったい何を見てきたんだ。あの化け物どもに大勢の、数分前まで当たり前の人生をおくってきた人間が、理不尽に殺されてた。それを助けるのは誰だ? あれが全宇宙、それよりももっと大きな、人間が、誰もが想像できない大きな規模で起こっているのを誰が止める?」
ボロアの言いたいことがメシアにも伝わったのだろう。
「できない。僕には無理。だいだいどうして僕なんだ。どうして貴方じゃない、他の誰かじゃない」
「運命だからよ」
空間に突如穴が開き、4つの影が広い室内に現れる。他の【繭の楯】たちだ。
運命。容易くその言葉でメシアの気持ちを片付けようとしたアニラ・ザビオヴァに対して、メシアは珍しく嫌な顔を見せた。彼がそうした顔をするのは、珍しかった。
「ああだ、こうだって悩んでても、状況なんて変わらないのよ。諦めて流れに身を任せなさい」
嫌気がさした顔でジェイミー・スパヒッチが脳天から抜ける声でメシアを促す。
それでも整理がつかないメシアの顔を見た、オレンジ色の瞳のアニラは、メシアの前に進み出た。紺碧色の髪の毛がなびき、青白い皮膚の彼女が彼の前に立つと、その半身はまるで蝋で固めたかのように、色を失い、硬直していた。
「わたしの産まれた宇宙では女性が戦いをして、男性が家を守っていた。女たちは必至に戦い国を守っていた。宇宙全域で、女性が戦士として戦っていたのよ。あらゆる種族が。だからかわいそうだとか、自分のためにとか思っているなら勘違いしないで。戦士は戦うために生きる。例え、夫を亡くし、子供を奪われ、残虐に目の前で殺されても。戦うのよ、戦士は指名のために」
オレンジ色の瞳の奥に彼女の世界が見えた気がした。
今の口数の少ない言葉の中に、夫を失った事、子供を目の前で殺されたこと。それでも生きて戦い続けてきたことが、はっきりと訴えかけられていた。
「僕は、何もできない。君たちが戦っているのに、僕は――」
「子供のようなことを言ってはいられない。どれだけ君が嫌がっても、我々は戦うし、君を守る。最後の1人になっても」
そういって、六角形の巨大な部屋で唯一の、人の形をした不思議な出入り口から身体を横にして入ってきたのは、ニノラ・ペンダース、イ・ヴェンス、イラート・ガハノフの3人であった。
「もうさ、始まっちまったんだから、覚悟を決めようぜ」
メシアの同窓生であるイラートが近づき、メシアの肩を強く叩いた。
「だったらお前は、エリザベスと戦えるのか。実の姉さんと戦うんだぞ」
イラつく言葉がイラートに向けられる。
ここまで命を落としたホウ・ゴウが作った人型の氷を担いでやってきて、彼女の死と共に消えてしまった氷の空虚感を感じている心に、メシアは容赦なく言葉を投げてきた。
いつもは少年のような態度をとるイラートも、この時ばかりは口が一文字に縛られ、出る言葉が無くなっていた。
「バスケスは?」
ジェイミーが3人に聞く。すでにホウ・ゴウの気配はなく、死を受け入れている様子だ。
その時、1つの光が室内を襲った。
メシアを再びボロアが抱え床を蹴り跳ね上がると、全員が光から八方へ飛び去る。
直後、光の塊は真っ白な床に並ぶ浮遊椅子の列を破壊し、爆破した。
着地と同時に敵襲だと気づいた【繭の楯】たちは再び、メシアを逃がそうとする。
だが、ボロアが走りだそうとした刹那、空気が再びよどんだのを感じた。
またなの。心中でジェイミーが叫ぶと、人型の入口から透明で長身の男がヌルりと入ってきた。
そして次々と【咎人の果実】たちが姿を現した。
ドヴォルの能力が【繭の楯】たちの周囲の二酸化炭素濃度を濃くしていた。
「今度は逃がしません。終焉です」
そうドヴォルが言った矢先、巨大なアジア人の身体が飛び上がると、ドヴォルの身体に覆い被さるように筋肉質の腕を振り上げ、透明で長い首を両手で握りしめた。それは窒息などというレベルではなく、首の骨を折る勢いの締め方であった。
「逃げろ。全員逃げるんだ」
そう叫ぶイ・ヴェンスだったが次の瞬間、ドヴォルと視線が合うと、不可思議な現象に襲われた。
自然と手を放し後ずさりすると、半身がゴーキンの能力で凝固しているアニラと身体がぶつかった。
刹那、アニラにもまるで池にできた波紋が重なるかのように、ある記憶が伝わってきた。
彼らの前世の物語が脳内によみがえったのである。
第8話-1へ続く
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