聖夜の奔走

聖夜の奔走

 街を歩いていると寒さが身に染みる。時間と共に人が減り、多少通りやすくなった大通りを歩く。

時刻は22:00さすがはクリスマスイブ、まだまだ余韻を残しその独特の雰囲気が人々を中々家に帰させない。

高貫 誠太は今日もバイトであり今は帰宅の途中であった。

案外人が足りてるらしいバイト先は誠太を普通に帰らせてくれた。

いつもニコニコ笑顔な店長の優しさに、誠太も今日ばかりは夜勤を申し入れたかった。

明日もバイトなのだが、明日もある程度人がいるらしく休みたかったら1時間前までなら受け付ける、と言われその気はないがなんだか暖かい気持ちになった。

歩きながら横を見る、モミの木ではなくイチョウの木に取り付けられた電飾がせっせと光っている。

この電飾も明日を終えれば今年の働きを追えるのだ。街は色めいている、だが誠太はその雰囲気が少し苦手だった。

首に巻かれた大きめのマフラーを口元まで上げながら思う、別に嫌いではないのだ。

ただ良い思い出がないだけ、自分がこの雰囲気に乗れないだけ。取り残されているだけ。つまりはいじけているだけだ。

自分から進んで行動を起こせばいいのだが、今更家族でハッピーメリークリスマス! というには年を取ってしまったし、なにより誠太の家は小さい頃からあまりそういうものに縁がなかった。

変なこだわりから焦って彼女を作る、というのも嫌だった。

大学の友人に誘われることもあったが、合コンやらなんやらで出会うというのはなんだか性に合わなかった。

感覚的な問題だが彼女が欲しくてできた彼女と、偶然好きになりその人が自分の大切な人になるのとじゃ、もどかしく上手く説明できないが誠太の中では雲泥の差なのだ。

無論男友達とクリスマス、街に繰り出すというのも視野に入れていたがそれは運よくバイトが断ち切ってくれた。

まあ、そんな言い訳ばかり頭の中でゴチャゴチャ考えているからクリスマスなんて楽しめないのだが。

外の空気は冷たく、吐く息の白さと相まって誠太は歩みを速めた。帰って早く暖かい風呂に浸かりたい。サンタも同じことを考えているだろう。

大通りのライトアップには胃もたれをおこしそうで、誠太はショートカットも兼ねて路地へ入る。

さすがに路地裏には人が少なく、普段通りの空気が流れていた。

灰色のビルの背中に排気口排気口排気口。

ここら辺は少し行けばホテル街があり、そのためか一層路地裏感を強めていた。

誠太は右へ左へと路地を歩いていく、何年も歩いている道なのだ、迷うことはない。

変わり映えのしない暗い道を進んでいく、昔よく遊んだ公園が見えた。

公園の脇を真っ直ぐ進み大通りへの道へ向かっていると、視界の端の誠太が進んでいる道とはまた違う方向に伸びる路地に真っ白いものが見えた。

誰かが何かを捨てていったのだろうか? それにしてはその白さは廃棄を感じさせない程、街灯に照らされ輝いていた。

興味本位で引き返してしまう。未確認物体へ近づいていく。

少女がいた、少女がベッドシーツのようなものに包まり蹲っている。

「おい、お前。どうした、大丈夫か? 」

誠太は、驚きながらも駆け寄り声をかける。

厄介ごとの匂いが漂っていたが、こんな状況に出くわしたら誰でも声をかけるだろう。

声に気が付いたのか少女が顔を上げる。少女は高校生くらいで、肩にかかる程度に伸ばした髪は弱弱しい街灯の光でも鮮やかに煌めいていた。敵意を剥き出しにしたような表情をしており、笑顔でないことが悔やまれた。

「なんですか、ちょっと寒いだけで大丈夫かと聞かれれば別に大丈夫です」

少し突っぱねた口調で誠太を睨む。よく見るとシーツの端からは素肌が見え隠れしており、シーツの中に服を着ているのかすら怪しい。

「おいおい、その状況で大丈夫もくそもあるか。とりあえずこれ着ろよ」

コートを脱ごうとする誠太を少女は制止する。

「やめて下さい。なんですか、それ。私そんなに哀れに見えますか、親切心を満たしたいなら他をあたってください」

「大体、クリスマスにそんなムスッとした顔してこんな路地裏で何をしてるんですか」

「ふん、貴方彼女もいなくて寂しいクリスマスを過ごしているんですね。あぁ寂しい寂しい」

嘲笑を浮かべ敵意をむき出しにする。

「そんなこと今は関係ないだろ、お前こそ何が起こったらそんな状況になんだよ、家族が心配するぞ」

「私はもう高校二年にもなりました、誰かの力を借りなくてもなんとかなります。ほっといてください、男は嫌いです」

少女はきっぱりと誠太の差しのべた善意の手を振り払った。その目にはなにかそれ以上の敵意が混ざっており、言葉の端からもそれが感じ取れた。

「だから何言ってんだよ、お前そんな恰好でこんな所にいて何かあったらどうすんだ。現にどうにもならずにそこにいたんじゃないのか? ホテルにでも連れ込まれたいのかよ」

誠太も少々口調が荒くなる、ただ力になろうとしていただけなのだが何が癪に障ったのだろうか。

「そういうお節介が迷惑なんです! みんなみんな私を子ども扱いして、私だって一人で生きていくことぐらいできます! 」

「貴方の寂しいクリスマスに私を巻き込まないで下さい、早く消えてください!」

「ああ、わかった。俺が悪かった、もういい」

こんな挑発に乗って子供だなあと思いつつも、向けられた理由のわからない敵意に誠太も少々腹を立て、スタスタとその場を立ち去 る。

去り際、少女が一瞬だけ寂しそうな顔をした気がした。気のせいな筈なのに、誠太の脳裏にはその表情が焼きついていた。

 ――そういえば今日は雪が降るかもしれないらしい。詳しくは今日の夜から明日の朝に掛けて。朝、ニュースで見た情報だ。

ああ、だからこんなに寒いのかと誠太は今になって納得する。そして寒さに理由が生まれたとき、人は余計に寒さを知覚するのだった。

―――あいつも寒いだろうか。まだあそこで蹲ってるわけないよな。あいつ自身自分でどうにかできると言っていたし、高校二年生と言っていた、それなりの年齢だ。いざとなったら警察を呼んでいるだろう。

そう、そうなのだ。あんな訳のわからんトンデモ少女もういいんだ。と誠太は自分に言い聞かせる。

―――大体なんだんだ、貴方の寂しいクリスマスに巻き込まないで下さいって。地味に凹んだ。事実過ぎて言い返せなくて何も言えなかった。

語彙が足りない悔しさもあり誠太は足元の石ころを蹴る。蹴った石は排水溝に落ちて消えた。

そわそわと家路を行く、携帯電話をチラチラと見たり、子供のように縁石の上を歩いてみたり。

必死に考えないようにするが思い出してしまう。そんなとき、誠太の携帯電話が震えた。

「もしもし、高貫です」

「ああ、私だ。安田だ」

電話は大学の非常勤講師からであり、誠太はこの講師の授業の手伝いをしておりその伝手で連絡が来たようだった。

安田は小太りの中年男性であり、あまり授業は面白くないのだがプライドだけは教授並の怪物のような講師だ。

「どうしたんですか、こんな遅くに」

「いやあね、ちょっと帰りが遅くなりそうでね」

「はあ」

何度かこういう切り出し方の電話が誠太にはあったのだが大抵良いことではなかった。

「ちょっと今日回さなければいけない連絡があってね」

「私が帰る頃には日を跨いでしまっていそうだから、きみい、悪いんだけど連絡回しておいてくれないかな? 」

「前に渡したメーリングリストがあっただろ? 内容は君のアドレスに送っておくからさ」

「送信だけなら僕がやるんだけどねえ、返信があると思うからそれに対して私としてメールを送ってほしいんだ」

「はあ」

「まあ、適当でいいから、よろしく頼んだよ。じゃ」

誠太が返事をする前に用件だけを伝え、電話は切られた。

安田という講師を誠太はあまり好きになれなかった。

安田の講義を受けている主婦学生の女性がいたがその人も安田の人間性についてあまり良く思ってないしく、テラスで愚痴大会が始まったくらいだった。

小太りマヨネーズやら脳脂やらえげつない言葉を生み出していた毒舌主婦には少々誠太も驚いたが。

元はと言えば半分騙されたような形で友人に頼まれ安田の授業の手伝いをするようになり

そこで色々とあり、今も手伝いをするようになったのだが、つくづく自分はお人よしだなと誠太は嘆息をもらす。

誠太は騙されやすい、というか悪意が見えてもそれを了承してしまうこともあった。

大学では芸術科の友人に頼みこまれスケッチのモデルに行ってみたら相手がホモ全快であり、だが頼み込まれた手前後にも引けず、上半身だけ、という約束で服を脱ぎ。スケベ親父のキャバクラでのおさわり回数よりかは断然多いおさわりを受けながら耐え抜いた。なんてこともあった。

友人以外の初対面の学生や講師にまで高貫はホモなんて噂が漂っていた程である。

だが誠太には力強い友人もいた、人が良いのは良い意味でも悪い意味でも作用する。

お節介は程々にと友人には首を刺されているが、やはり思い出すのはさっきの少女。

むずむずと頭の端にずっと居座り、電話どころではなかった。

安田には悪いが誠太はまだ家には帰れそうになかった。

携帯電話をポケットにねじ込み、踵を返す。

あんだけ拒絶され何ができるかはわからないが、とりあえず一応確認だけ、もういなければそれが最善と真冬の寒さの中、トナカイ の引くソリよりも早い心意気で、全力で駆けた。

―――今日は雪が降るらしい、朝、お母さんから聞いた情報だ。

少女、加瀬木 胡桃は今日母親と喧嘩をした。

大喧嘩だった。始まりは些細なことで子ども扱いをする母親にヒートアップした胡桃が違う話まで持ち出して、膨れ、爆発した。

自分はもう一人で生きていける筈だと思った。部活が厳しくバイトなどできなかったが。

とりあえず家を出て友人の家に行こうとしたが、その前にどうせ美樹ちゃんの家にでも行くんでしょうと胡桃は先手を打たれてしまった。

道を断たれ、近くに親戚もおらず、とりあえず自分でお金を稼ごうと考えた結果、援助交際という文字が目に入った。

胡桃には最初、恐怖などなかった。

だが連絡を取り、待ち合わせをしホテルに入り、そして相手がシャワーを浴びると言いそこで考える時間が生まれた瞬間、全てが恐 怖に変わった。

こんな気持ち悪いおじさんに自分は汚されるのかと理解し、母への意地だけでここまでやってきたがそのつっかえが取れ、焦燥感が 募り逃げ出そうと考えた。

だが男も先に金だけを渡し胡桃を逃がすということもなく、恐怖から体が動かず、服を脱がされ下着だけになり、腕を掴まれたとき電流が走ったかのようにシーツを掴み飛び出し、今に至る。

鼻で呼吸をすると鼻腔がツンっとするような寒さのなかベッドシーツ一枚に下着のみで路地裏に佇んでいる。

人が一人では生きていけないことなど胡桃が一番よく知っていた。世間をまだあまり知らないということも胡桃自身が一番よくわかっていた。

だからこそ意地に拍車がかかり、胡桃はその時丁度訪れた誠太にキツイことを言ってしまった。

誠太が去って行ったあと後悔が溢れ、胡桃はなぜ自分は差しのべられた手も掴めないようなひねくれ者になってしまったのかと自分の足を叩いた。

現実的なことを考えると万事休す、誰かの力を借りなければどうにもならなかった。

携帯もホテルにおいてきてしまったし衣服なんてもってのほかだ。

この格好で大通りになんか出れない。でも誠太の言った通りここら辺はあまり治安が良くない。

ホテルにでも連れ込まれたいのかと言われてさっきの事がフラッシュバックしてしまった。

胡桃は思う。あんなことはもう嫌だ、自分の所為なのだが思い出すと冷や汗が止まらない。

男の人が少し嫌いというのは誠太を突き放すいい訳ではなくそこからきていた、ただ怖いのだ。

―――次、誰かが来たら声をかけ助けてもらおう、もしあの人にまた会えたらちゃんと謝ろう。

胡桃は反省を胸に当たりを見回す、丁度人がいた、公園の端を歩いている。人相は悪そうだが人は見かけには寄らないこともある、素直に話せば力になってくれるだろう。

今一度しっかりベッドシーツで体を包み立ち上がり、声をかける。


―時刻は23:00になろうとしていた―


街並みはさっき歩いていた道とは思えないほど違う景色に思えた。

歩いていると考えに耽ってしまうが走っていると周りを注視することができるような気がした。

上を向けば星が―――星はそういえば現在休止中のようで、そろそろ降るかなといった具合に雲が展開していた。

足取りは軽い、誠太は昔から打たれ強さと体力だけは自信があった。

球技は大の苦手で、空振り急所強打こけるなどお茶の子さいさいであった。

痛みは人を強くするとはよく言ったもので、誠太は幼少から柔道剣道などをやらされていたことを思うと、武道というものはなかなかドMのスポーツばかりだなとしみじみ感じた。

駅前を通り過ぎればあと少しである。

そんなに栄えた駅ではないが中規模のツリーがそびえ立ち輝いている。誠太も昔はこれを見てサンタは今年うちにやってくるかなと心をときめかせていた。

駅を抜け、安いカラオケ屋を通り過ぎ、牛丼屋ゾーンを駆ける。

路地への入り口が見えてきた、そこから少しくねくねと行けば公園であり先ほどの名も知らぬ少女がいた場所へ辿り着ける。

狭い道を走る、ペースを落とし乱雑に捨てられた空き缶や瓶を避けながら進む。

割れ窓理論のように窓が壊れているのを放置すると、モラル低下の問題からやがて他の窓も全て壊される。ではないが一つのゴミが二つ目のゴミを生んでいる気がする。

そう考えると一つ目のゴミを捨てた人間はとても重みのあることをしている気がした。ゴミという名の種を蒔いているのだから。

路地を抜け公園が見えてくる。少女の姿は――――いた。先ほど蹲っていた場所ではなく公園のフェンスで誰かと話をしている。

だが、穏やかに世間話をしているようには見えず、酔っているのか少し千鳥足の男に追い詰められているような形になっている。

だから言っただろ! と心の中で叫びながら走る。

「おい、何やってんだ!」

ん? と男は振り向いた。仕事帰りなのかスーツにカバンを持っており、笑顔、とは程遠い表情で誠太を睨んだ。

「さっきのお兄さん・・・だ」

奥で退路なくフェンスに寄りかかっていた少女は安堵したのか冷たい地面にへたり込んだ。誠太も少女と目があい間に合ったことを確信する。

「お前さあ、なんなのお?俺が最初に見つけたんだよ、さっさとどっか行ってくんないかなあ?」

男は半分呂律の回らない下で喋る。大分苛立っているようで舌打ちの音が公園に響く。

「見つけたので言えばたぶん俺が最初だよ、まあそんなことはいいんだけど」

肩で息をしながら男を一瞥し、少女をもう一度見る。

「もう大丈夫、というかまだ大丈夫だったな。色々と言いたいこともあると思うけどまあ少し待ってくれよ」

少女は瞳を潤ませながら頷く、案外可愛いとこあるじゃん。なんて思いながら誠太は男の方へ体を向ける。

「おじさん、事情は分かんないけど、彼女がなんかしたなら俺が代わりに謝るからさ、申し訳ないけど許して欲しい」

言いながら誠太は頭を下げる、先ほどの少女の毒舌を浴びた者だからこそ理解できる、きっと原因は彼女にあるのだろう。

色々屈辱的ではあるが今までの人生経験で得た最強の技、とにかく謝る、を使うしかなかった。

「俺さあ、今ね、接待の帰りで苛々してんだよ。手が出ないうちに早く帰れって――――」

言いながら男は誠太に殴りかかる。

酔っているとはいえ成人男性の拳をまともに腹に受け、誠太は押し出されるようにガフッと息をだす。

1、2発で許してもらえるかなと覚悟はしていたのだが、予想以上に接待はストレスが溜まるようだ。

フラフラとよろめきながらも誠太は倒れない、そこにまた一発、一発と加えられていく。

だが、2、3発と殴られても倒れない誠太に男は驚いたのか、俺は何もしてねー! と支離滅裂な言葉を吐いて走り去っていった。

ふう、と一呼吸をつき誠太は少女の方を向き、言葉をかけようとするが先に少女が口を開く。

「あ、あの。だ、大丈夫ですか! その、なんていうか・・・さっきはごめんなさい!」

少女は落ちそうになるシーツを抑えながら勢いよく頭を下げる。

「さっきの事は別に、いいんだ。とりあえずこのコート着ていいから、肩貸してくんないかな・・・?」

所々イタッという言葉を漏らしながらコートを脱ぎ少女に渡す。

「ありがとうございます、こっちみちゃだめですよ」

恥ずかしそうに言う少女に、そんなことどーでもいいくらい腹が痛いよと言うのを我慢しながら、誠太はわかってるよと呟き向きを変える。

「よいっしょっと、もう大丈夫です。あ、お兄さん口から血が! 絆創膏絆創膏、あ、バッグ無いじゃん・・・」

あたふたと誠太のために右往左往するその姿からは先ほどの敵意はもう見当たらなかった。が安堵に浸る暇も今は惜しいくらいに座りたかった。

「とりあえず、ベンチに行こうか」

少し呆れ顔で言う誠太の顔を見て、ハッとなったようで少女は誠太の左の脇の間に入り、支えながら公園のベンチに向かった。

「へえ。胡桃、親と喧嘩したのか」

夜の公園は日の光があるうちとは違い、静寂が支配した、少々趣のある場所のような気がした。

誠太は横に座る少女、胡桃と先ほど買ってきた暖かいお茶をカイロ替わりに持ちながら話をする。

幸い誠太のけがは口の中が切れた程度であとは多少痣が残る程度だった。誠太は自分の打たれ強さに感謝する。

「はい・・・つい熱が上がっちゃって、そんなこと言いたくないってことまで言っちゃって。引くに引けなくて」

誠太のぶかぶかなロングコートを纏い地面を見つめながら、胡桃も缶を手の中で遊ばせている。

「それで家を飛び出した、と」

「その時は一人でもなんでもできる! ・・・って思ったんです。この年にもなってなんで子ども扱いするんだろうって、バイトだってやってないだけで別にできない筈がないし。でもすぐにお金を稼ぐ方法なんて見つからなくて・・・そしたらちょうど見てたサイトの広告に一日で5万円って書いてあるのを見つけちゃって・・・」

「そこから紆余屈折あり、援助交際寸前で逃走ってことか」

そこまで言われればなんとなく誠太にも想像がついた、一介の高校生が一日で五万円なんて稼げるものはホモとイチャイチャするか援助交際くらいしか浮かばないし、振る舞いを見れば未遂で済んだのだろうと。

胡桃は少し驚きながらも話を続ける。

「凄いですね。ホテルに着くまでは後先考えずに突っ走ってたんです。でもホテルで気持ち悪いオジサンに触られて、気が付いたらシーツだけ掴んでホテルから逃げ出したんです。今は誰にも言いたくないくらい、思い出したくもないくらいです」

「そうか・・・」

「だから私、誠太さんが力を貸そうとしてくれた時、その時の事思い出しちゃって。あ、男の人だって思ったらなんかもっとひどいこと口にしちゃって。そのあと反省して、次来た人に助けてもらおうと思ったらなんかいちゃもんつけられて、ついつい言い返しちゃって・・・」

「私ちゃんと謝ったんです、ごめんなさいって。でも許してくれなくて、腕掴まれて立たされて、そのとき今度は口じゃなくて足がでちゃって」

てへへと言いながら胡桃は力なく笑う。

「それであんな状況になってたのか。俺のときはまだいい方だったわけね」

誠太は苦笑気味に言う。あの毒舌に今度は物理攻撃が加わればもはやそこに死角はないだろう。

「そんなふうに言わなくったっていいじゃないですか。あーあ。私の中の誠太さん株は急暴落です。地に落ちました、地面ぐりぐりです」

胡桃は両手を合わせドリルのように手をぐるぐると捻る動作を加えながら説明する。

「なんだ地面ぐりぐりって。小学生か」

誠太のツッコミで、互いに笑う。そして少しの静寂の後、胡桃が口を開く。

「誠太さんには助けてもらって感謝してます。ホントはずっと怖くて怖くて、誠太さんが戻ってきてくれたとき私泣きそうになっちゃいました」

嬉しそうに微笑む胡桃を見てなんだか照れくさくなり、少し皮肉気味に言う。

「別に、俺はただ殴られに帰ってきただけさ」

「そんな仏頂面の誠太さんでも私にとってはヒーローです。きっと貴方はお人よしです。だからいつもそうなのかな、とかちょっと心配です。けど今日に限ってはサンタさんより大活躍です。だからいいのです。きっと私へのプレゼントなのです」

誠太のことなのに胸を張る胡桃の姿はなんだか滑稽で、でも誠太にとって自分が何かに首を突っ込んだとき得られる最大の棚ぼたは相手の笑顔なんだろうなと感じた。

その後もキラキラと目を輝かせる胡桃を見て誠太は何かを悟る。自分は別にヒーローなんかではない、ただ厄介ごとに首をつっこんでしまっただけなのだ。

「お前、つり橋効果って知ってるか?」

「知ってるけど知りません」

どこか楽しそうに胡桃は言う。誠太は、はあとため息をつく。

そして誠太があのなあ、と口を開く前に遮るように胡桃がしゃべり始める。

「誠太さんはクリスマス嫌いなんですか?」

「な、なんだよいきなり」

誠太は意表を突かれて少し戸惑う。

「なんか雰囲気的にクリスマス呪ってやるーみたいなのが感じられて」

胡桃は手をわさわさと動かしながらのろってやる~とジェスチャーをする。

「そこまでじゃねえよ!」

誠太は声を荒げツッコミを入れる。そんなに暗い顔をしていたのだろうか。

「ただ、ちょっとクリスマスの雰囲気に乗れないだけだよ」

少し昔を思い出す。誠太の両親は共働きだった。そして年末は忙しいのかクリスマスは大体親戚の家だった。

「昔からさ、あんま家族で楽しくクリスマスってのも無くて。共働きだったからさ。友達の家はケーキ買ってみんなで美味しいご飯を食べるんだって聞かされて。でも俺は親戚に混ざってクリスマスを祝うんだ」

「そんで、気が付いたらひねくれて。なんていうか楽しみ方がわかんないんだよね」

天邪鬼になった自分が世の中の幸せなムードをどこか否定していて、僻んでいたのかもしれない。

「寂しいクリスマスなんですね・・・」

「結局それかよ!」

こんな奴に喋るんじゃなかったと、一人ごちる。

それを聞いていたのかいないのか胡桃が笑顔で言う。

「大丈夫です。今年のクリスマスは寂しくないです」

「何を根拠に行ってんだ。もうクリスマスまで30分もないぞ」

「こんなか弱い少女置いてさっさと帰っちゃうんですか?」

「それは自己申告していいものなのか?」

「でもきっと誠太さんは私がクリスマス一人で寂しいなあ寂しいなあってツイッターで呟けば馳せ参じるでしょう」

「俺は忍者かなにかか!」

そんな返しも気にもしないのか立ち上がり、それに、と言いながら誠太の前に立つ。

「それに、つり橋を渡っているのは私だけではないでしょ?」

少し恥ずかしいのか顔を赤らめ胡桃は言う。

初めて見た時からこいつは笑ったら百倍可愛い奴なんだろうなと思っていたが、それをあざとく見せつけてくるあたり女性は自分の強みを知っているんだろうなあと冷静な分析をしつつ冷静ではいられないくらいに誠太の鼓動は早まっている。

そうだ、京都へ行こう。なんて現実逃避を考えるくらいにこのクリスマスの魔法に誠太は困惑していた。

むず痒い静寂。お互いに顔を合わせられない。

なんだか胡桃が急に魅力的に見えてしまう。いや、誠太があまりそこに関心を示していなかっただけで胡桃はとても魅力的だったきがする。

何か話題をと誠太が頭を巡らせる。

「お前。ツイッターとか言ってたけどそういや携帯とか荷物どうしたんだよ」

「あ」

クリスマスの魔法は10秒程で現実に溶けてしまった。

「お前なんでそんな大事なこと忘れてんだよ!」

「しょうがないじゃないですか! なんか変な雰囲気に流されて自分でもわからないくらい変なことが変なことになってたんですから!」

「お前の今の言葉が変になってるよ」

夜の路地をいがみ合いながら駆け足で進む。だが歩く影は一つであり、誠太が靴を履いてない胡桃をおぶっていた。

最初は大丈夫と意地を張っていた胡桃もソックスだけではさすがに辛いようで途中で折れてくれた。

「きっと荷物はまだ置いてある。ついでにその親父も同梱だ」

「おまけ付きで初めて嫌だと思いましたよそれ」

「財布携帯、ましてや服まで置きっぱなしだもんな、きっと戻ってくるって籠城決め込んでるだろ」

「私に恐怖を植え付けた罪は重いです」

「元はお前がいけないんだろうが」

胡桃はふん、と鼻息を荒くしながら言い、誠太の返答ですぐにしゅんとなる。

「まあ、今となっては無事でよかったとしか言いようがないけどな」

と誠太が付け加えると。また目を輝かせる。

ホテル街に近づくと、煌々と看板の電飾が光っているのが見える。これだけ夜でも光が灯っていると、どこの町にも眠らない部分というのはあるのかもしれないという気分になる。

「お前は犬か」

「どちらかというと誠太さんが馬なう、ですよね」

「振り落してやろうか」

「嫌ですー」

言いながら胡桃は誠太の首に回した腕をぎゅっと締める、そして誠太の背中に頬を埋める。

「このぬくぬく、離しません」

「首・・・締まってる」

締めた腕は誠太の呼吸器官をしっかりと圧迫、胡桃の笑顔と比例して誠太の顔は青ざめていくのだった。

「なんつーか、普通なホテルだなおい」

目の前にそびえ立つ、ただのビジネスホテルを見上げながら言う。看板もただ質素に山下ホテルと記されているだけで、他には何も見当たらなかった。

「最近はこういう所が一番不干渉でばれないらしいです」

そして丁度ホテルから出てきたカップルとすれ違う。

その二人はとても幸せそうに腕を組みながら街の闇へ消えていく。

誠太がサンタだったらホテル街をイチャイチャしながら歩いてるカップルがいたら、こっちはいそいそ頑張ってんのになにやってんだと、トナカイの角半分くらい折って、メリークリスマス(物理)なんて騒ぎ立てているかもしれない。

「では私、行ってきますね」

「お前本当に大丈夫なのか?」

「やっぱり私の事心配になっちゃいますか?」

えへへーと言いながら言う胡桃。

「その格好で言われても、奴隷を売り出す奴隷商の気持ちにしかならんよ」

「どんな気持ちですかそれ」

酷ーい、と言いながら胡桃は言葉を続ける。

「私お財布の中にお父さんの形見いつも入れてるんです、携帯もお金も服も、どうしても怖くてそれだけだったらもしかしたら逃げ出してたかもしれません。でもそれだけはどうしても取り返さなきゃ。今は一人じゃないし心強いです」

「胡桃、手、震えてんぞ」

誠太は思う、やはりこの少女は無理をしていたのだなと。

元々明るく元気な性格なのだろう、とは思うがやはり幾分か気丈に振る舞っていたような気がする。

「それでも私がしてしまった過ちなので、最後は自分で尻拭いをしなければいけないと思うんです」

胡桃は笑う。明るく振る舞おうとしているその笑顔に、何か自分にできることはないかと、誠太は思考を加速させる。

「わかった、じゃあ十分経ったら一度戻ってきてくれ。話が拗れてもしものことが起こりそうでも、十分はどうにか逃げてくれ。あとドアは半開きな、靴でも挟んでおけばいい」

「はい、わかりました。十分待てばまた誠太さんが助けに来てくれるわけですね」

「また殴られに行くだけかもな」

「もう、またそうやって」

ムッとした顔をしながら胡桃は言う、だがそこにはどこか笑みも混ざっておりそれは誠太への信頼の証でもあった。

「では今度こそ、行ってきます。部屋は確か202です」

「おう、健闘を祈る」

出撃前の戦士と司令官のようなやり取りをし胡桃は中へ誠太はホテルの壁に背を付ける。

誠太は壁を背に携帯電話をポケットから取りだし画面を開く、現在時刻は11時40分をまわったところ。

何事もなく円満に事が進めば50分頃に一度こちらに戻ってくる筈である。

だがそれは九割九分ありえないと誠太は思う。

ここは不干渉が売りのビジネスホテルということらしい、風営法に登録してないだけで実情はただのラブホテルなのだろう。それを知っていてここを利用しているあたり相手はこれが初めてではないのだろう。

でもだからこそこっちもその利点を使ってしまえばいいのだ。

誠太は携帯を閉じポケットに入れ、持たれていた壁から離れ、気づかれないよう胡桃の後を追った。

ホテルには四階まであり、一階はロビーと喫煙所があった。

胡桃はエレベーターのボタンを押す。するとすぐに扉が開く、エレベーターは一階に元から待機していたようだ。

ホテルなんて呼ばれる場所に来たのはもう何年振りだろうか、部活が忙しい胡桃は家族旅行にも参加できないことが多い。

母との仲があまり良くなくなったのも高校に入り部活で手いっぱいになっていた部分もあるのだろう。中学校時代胡桃は母にべったりだった。

扉が閉まり【2】と書いてあるボタンを押す。少しの上昇した感覚と共にすぐに2階につきチン、という音と共にエレベーターの扉が開く。

エレベーターの前には自動販売機があり、端には申し訳程度に観葉植物が置かれている。小さなエレベーターロビーのような場所なのだろう。

床はカーペットのようなもので覆われており、スリッパを履いている胡桃が歩いても音は響かなかった。

思い返せばすべての始まりは母との喧嘩であった。これを機に母との関係を見つめなおす必要があるだろう、いつまでも反抗期ではいられない。

自動販売機を左に曲がり、すぐ右へ曲がる。するとそこからは一本道で左右の壁には扉が並んでいた。

廊下を進む、202号室はすぐだった。

自分が頑張るのだ、これが終わったら明日は友達とのパーティーは断って誠太を無理やり連れ出しどこかに出かける予定なのだ。

恐怖を振り切り呼び鈴を鳴らす。少し経つとドタドタと音がし扉の前でその音が止まる。

のぞき穴から誰が来たのかを確かめているのだろう。その沈黙の間にチン、というエレベーターの到着時の音が先ほどの方から聞こえる。他の客が二階へやってきたようだ。

そしてそこで扉が開く。

「やっぱり帰ってくると思っていたよ」

この人間の声を聴くだけで胡桃は嫌悪感を感じる。そして似合っていない男の長髪がよりそれを増幅させる。

「あの、私色々と言いたいことがあって」

「僕も君に色々と話したいことがあったんだ。とりあえず中へ入りなよ」

扉を開けたまま男は部屋へ入っていく。

胡桃は誠太に言われた通り履いてきたスリッパをドアに挟み奥へと進む。

部屋の入口から部屋へ向かう通路にユニットバスへの入り口があり、開けた部屋にベッドが二つ。向かい側にはテレビ、小さな台の上に照明が置かれておりその隣には化粧台のようなもの。そこまで広くはないが二人用の客室である。

「まあ座りなよ、君そのコートどうしたんだい?」

男はベッドに腰を掛け胡桃にも座るよう促す。そして先ほどは身に着けていなかったコートに疑問を漏らす。

「これは親切な人に貰いました。すぐに出るつもりなので大丈夫ですお気遣いありがとうございます。でも私、やっぱりこういうことはできないです。そのために謝りに来ました」

「何を言っているんだい、君はさっき私が急に迫ったから驚いて飛び出しちゃったんだろう?だからこうして帰ってきたあ、もう大丈夫だよ、今回は君のペースに合わせて事を運んでいくからね」

どこかで男は勘違いをしているようで、気持ちの悪い笑みを浮かべながら無駄に肥えた体を揺らしている。

「いえ、そういうことじゃなくて。さっきは寸前で怖くなり逃げ出してしまったんです。今戻ってきたのは貴方へ謝罪するためと荷物を取りに来たからです」

「どういうことだい、君お金無くて困ってるんだろう? それができないってことはお金もあげられないってことだよお」

男は弱みでも握っているかのようにお金を強調する。

「お金はいりません。ホテル代は私が払います。交通費がかかったというのならそれもどうにかします。ですから申し訳ないのですが今回の事はなかったことにしてください」

胡桃はコートの袖を握りしめながら頭を下げる。だがその答えに男が満足する訳がなく立ち上がり胡桃の方へ詰め寄る。

「今更そんなことわかったなんて言うわけないだろう、君が飛び出してから私はずっとここで待ってたんだ、やらなきゃいけない仕事があったが連絡もしたくない相手に頼んで事を済ませ、君を待ってたんだよ。ねえ加瀬木 胡桃ちゃん」

胡桃は驚く。

胡桃はサイトに登録したときエリコという名前を使っていた。必然的にこの男はエリコという名前で先ほどは呼んでいたのだが何故か胡桃の本名を知っていた。

「まさか、貴方人の財布の中身を見たんですか!」

携帯はロックがかかっているから見られることはない。他に身分がわかるものといえば学生証ぐらいしか浮かばなかった。

「暇だったんだ、しかたないだろう。しかし高校二年生かあ。もうちょっと若い子も好みだけど、君はとっても可愛いからね。だからそんな簡単に逃がすわけないだろ?」

言いながら男は胡桃の腕を掴み自分の方へよせる。

「離してください! 気持ち悪い! 警察に通報しますよ!」

胡桃はその巨体を必死に振りほどこうとするが力の差でそれが叶わない。

「大丈夫、君もすぐに僕の虜になるさ、僕はリピート率が高いんでね。」

ハアハアと荒い息を挙げながら男は胡桃の匂いを嗅ぐ。

「君の、汗の、匂いは、いい香り、だねえ」

嫌悪感と恐怖で胡桃の体は思うように動かない。まだ五分ほどしかたっていない、あと五分を切り抜ける方法も浮かばない。

誠太が駆けつける前にこの男に襲われてしまうのだと思うと恐怖が募る。

「君はどんな味がするのかな」

男は胡桃の頬へを舐めようと口を近づけてくる。

「いやっ、やめてっ!」

抵抗虚しく胡桃の頬には生ぬるくねっとりとした感覚が襲う。そしてピンと張った糸が切れるように小さな「あっ」という声と共に胡桃は意識を失う。

「残りはベッドの上で楽しんであげよう、私は紳士だからね」

男が胡桃の軽いからだを抱えベッドに移す。

その時。バン、という大きな音と共に扉が開いた。

誠太はスリッパの挟まった扉を勢いよく開けた。そしてズンズンと奥へ入ってく。

「なんだいったい、これからいい所なんだぞ!」

胡桃の横たわっているベッドを見つめていた男は苛立ちを前面に押し出しながらドアの方へ振り向く。

「お、お前は! 高貫!」

「・・・安田さんだったのか」

男は驚く、そして誠太も驚く。胡桃の援助交際未遂の相手は誠太の大学の非常勤講師である安田であり、そんな秘密のホテルに現れたのは絶賛ホモ疑惑蔓延中な誠太だったのだ。

「そうか、だから今日のメールを俺に押しつけたのか」

「高貫、ここはお前のようなホモが来る場所ではない、紳士淑女の社交場だ、さっさと散れ!」

安田は声を荒げる、だが誠太はそれを気にも留めず胡桃の姿を確認する。コートが脱がされていないようで、他にも荒れた部分は目立たない。眠っていることには疑問を感じるが誠太は間に合ったようだと確信する。本日二回目の安堵タイムだった。

―――俺がお前の後を追っていたのが怪しかったのか従業員に止められて一室借りてまで来たんだ。お前が無事じゃなきゃ困るよな。何が不干渉が売りだバカ野郎。

少し遠い目をしながら思う。

だが無事は確認できた。あとはこの害悪おじさんをどう蹴散らすかだった。

「おい、高貫! 聞いてるのか。早く立ち去れ! この子の知り合いか? くそ、どうなってるんだ」

安田は誠太早く追い出したいらしい。だが誠太の眼には早く続きをしたい、以上に誠太を恐れているようにも見えた。

「そうなんだ、そいつに教えてもらったんだ。えっちなことをしたらお金をくれるって言うおじさんがいるって」

満面の笑みで安田に近づいていく誠太。

「お、おい。やめろ。来るなっ! 何を勘違いしてるんだ、女限定に決まっているだろ」

予想は的中したようで、安田の表情には焦りと恐怖が見え隠れしている。

「最近、おじさんも中々イケるかなって思ってたとこなんだよね」

誠太はどんどん近づいていく。品定めをするようにつま先から頭のてっぺんまでを舐めるように見回す。

「待て待て、俺はお前なんかに興味は断じてない、やめろ! そんな目で俺を見るんじゃない! 俺はか弱いウサギか何かか!」

「俺は肉食なんでね」

「おいなんでここで服を脱ぐんだ待て待て待て!」

誠太はとどめとばかりに着ていたロンTとインナーを脱ぎ捨てた。

「うおおおおおお、助けてママあああああああああああああ」

安田はズボンの股の部分を濡らしながら絶叫し、壁に立てかけたあった自分のカバンを手に取り誠太を押しのけ部屋から出て行った。

「一番手間のかかる作業だと思ってた部分が凄い勢いで終わっちまったよ・・・」

結果として胡桃の荷物も取り戻せ、嫌味な安田に一泡吹かせたのは良いのだが。

自分の噂がここまで周りに浸透しており、そして信じ込まれていると思うと複雑な気分にはなる。

まあ仕方がないか、と気持ちを切り替える。一度広がった噂など時が経たねばどうにもならない。

そして今は胡桃が起きる前に服を着ることを優先しなければならなかった。

「あれ、誠太さんだ・・・おじさんが・・・誠太さんになっている」

「いや俺は俺だから」

あれからすぐに服を着ておでこを4回ほどペシっと叩いたところで胡桃はやっと目を覚ました。

呂律のあまり回っていない低血圧な喋り方でいきなりボケをかます胡桃に誠太はツッコミを入れた。

「あのおじさん、どうしたんですか」

「俺の秘密の力で撃退した」

「誠太さんは超能力者かなんかですか」

と胡桃は言った後いきなり電流が走ったかのように目を見開き、ギャアアアアアと叫びながら飛び起き全力でユニットバスのあるドアの中へ駆け込んだ。

そしてシャーという水の流れる音がし始めた。

「俺の能力が強すぎて精神崩壊でも起こしたか」

誠太がぼやいているとキュっという音の後水の音が消え胡桃が扉を開けこちらへ戻ってきた。

「何だお前、顔洗ったのか。別に汚れてなんかなかったぞ」

胡桃の顔は所々濡れており、自分のバッグの中から小さいタオルを取り出し顔を拭く。

「誠太さんにはわからない物凄く汚いものがこびりついてたんです。あぁ、思い出すだけで寒気がします」

「それは大変でござんしたな」

あまり興味がなさそうに誠太は言う。

「あーあ、私の左頬、もうお嫁にいけません」

胡桃は自分の頬を抑えながら誠太の方を向く。

「パーツごとに結婚する気かお前は。というか、早く服着たらどうだ」

「言われなくてもわかってますよ。誠太さんはさっさと外に出てください、さあさあ」

胡桃は誠太の背を押し部屋の外へ追い出す。

追い出され廊下で立たされるというシチュエーションはなんだか悪いことをした気分になる。

小学校の頃などはよく喧嘩をして怒られた。昔から誠太は巻き込まれ体質らしく、他人の喧嘩に巻き込まれるというのが八割だった。

誠太は携帯を開く。暇になると携帯を取り出してしまうのは若者病のひとつなのかもしれない。

ディスプレイに映るデジタルな数字は0時6分になっており、12月25日、すなわちクリスマスになっていた。

ガチャ、と扉が開き、中から胡桃が出てきた。

「お待たせしました。はい、これありがとございました」

胡桃は紺色のダッフルコートに中は学校の制服のようでスカートから伸びる透き通る白い足が若さを引き立てていた。

そして誠太に今まで来ていたコートを渡す。

「んや、全然待ってないよ。なんというか女の子はもっと時間がかかるもんだと思ってた」

コートを受け取り羽織りながら答える。

「制服ですし、私お化粧とかもリップとマスカラくらいしかしないので手直しする必要もないですし」

「へえ、俺なんて化粧しないからな」

「それ面白いと思って言ってるんですか?」

「・・・」

「ロビー、行きましょうか」

いたたまれない気持ちを抱えながら誠太は胡桃と共にロビーへ向かった。

「なあ胡桃、なんでお前の部屋の鍵までさりげなく俺に渡すんだ」

「・・・クリスマスプレゼント?」

「プレゼントとは言わないだろ、人んちに着払いで相手の欲しいもの送るのより立ち悪いわ」

「あのおじさんしっかり前払いで貰ってたお金私の財布から抜き取ってたみたいで。お父さんの形見の指輪は盗まれてなかったんですが」

「ワタシオカネナイノデース」

「・・・わかったよ」

今日何度目か解らないため息をつきながら誠太は支払いを済ませる。

そして用を終えた二人はロビーを離れ出入り口へ向かう。

出入り口は自動ドアであり当然ガラスでできているため外の様子が確認できた。

「あ、誠太さん。雪。雪です」

胡桃が自動ドアの向こう側を指差し外へ駆けていく。誠太もそれを追い歩いて外へ出る。

「俺たちがホテルに突入したあとに降り出したんだろうな」

外では曇天の空の下、狭い狭い路地の灰色のビル群の中で。粒の小さい白い雪が舞っていた。

鈴の音が聞こえるような光景だった。

「綺麗ですね、あんなに空が真っ暗でも白くてきれいな雪が降るんですから不思議です」

「今年のサンタ日本支部は大変そうだな」

「今頃大忙しなんでしょうね全国のサンタさんたちは」

誠太の携帯が震える。開いてみれば友人からのメリークリスマスメールだった。

今スグ確認することでもないだろうと誠太は携帯をポケットに戻した。

「そういや胡桃、お母さんに連絡した方がいいんじゃないのか」

雪に見とれている胡桃に言う。喧嘩をして家を飛び出したのだ、この時間まで音信不通じゃ心配するだろう。

「それもそうですね」

胡桃は携帯を見て驚く。

「わお、着信が20件」

「お前も家、駅の方って言ってたよな、移動しながらでいいか?」

胡桃はこくんと頷き、携帯を操作し耳に当てる。その光景はさながらTHE・JKといった感じがした。

「もしもし、おかあさん。胡桃」

「うん、ちょっとね、色々と大変だったんだあ」

確かに今日は大変だった、思い返せば走ってばかりだった気がする。

「うん、うん、ごめんね心配かけて」

胡桃はきっと忘れられないクリスマスになっただろう。

「そうそう、彼氏といたの」

「!?ッ」

誠太は強くむせる。いきなりの登場のさせ方には限界があるだろうと思いながら胡桃の方を睨む。

「うん、今もいるんだけど凄くびっくりしてる」

「わかった、じゃあかわるね」

誠太に携帯を差し出しながら小声で耳打ちする

「誠太さんすいませんちょっと小芝居お願いします。なんかやっぱ心配みたいで、適当に良い彼氏っぽい感じにお願いします」

誠太は何もしゃべらずもう半ば諦めた、という顔をしながら胡桃から携帯を受け取る。

「はい、もしもし。お電話変わりました。胡桃さんとお付き合いさせていただいてます、高貫と申します」

「高貫・・・その声もしかして高貫君かしら」

向こうは誠太の事を知っているようだ。だが誠太に主婦の知り合いなんていない筈・・・と思ったが一人心当たりがあった。

「もしかして、安田先生の授業で同じの加瀬木さんっすか」

「大当たり。それにしてもびっくりだわ、高貫君が胡桃とお付き合いしてたなんてね」

胡桃の母は安田の授業で同じく不満を持ちテラスで愚痴を言いあった主婦学生の女性であった。

「俺も驚きです、まさか加瀬木さんが胡桃のお母さんだったなんて」

「そっかあ、高貫君なのね、うんうん」

胡桃母は何故か一人でうんうんと納得している。

「ああ、ごめんなさいね。でも高貫君なら安心ね。どうせ胡桃が駄々をこねてこんなに遅くなってるんでしょう」

「ま、まあそんな感じですかね」

あはは、と笑うしかない誠太。

「じゃあこれからも胡桃をよろしくね、高貫君。うちにも今度顔見せにいらっしゃい。それじゃあね」

ツーツーと切れる電話。

気が付けばもう最初に胡桃と会った路地の見える公園まできていた。

「世界・・・狭すぎ・・・」

誠太は呆然としながらも胡桃に携帯を返す。

「お母さんなんて言ってましたー?」

「なんか余計ややこしくなったよ、俺お前の母さんと同じ大学で知り合いだったわ・・・毒舌って共通点だけじゃ解るわけないよな」

「え!? びっくり!」

「俺の方がびっくりだ!」

「じゃあお母さんも誠太さんの事気に入ってるでしょうね」

ニコニコと笑う胡桃に誠太は言う。

「今度顔見世に来いとか言われちまったぞ。胡桃どうすんだよ」

「うちにですか? いいじゃないですか遊びに来れば」

胡桃は何か問題でも? と言った感じでケロリとしている。

「もっともっとややこしくなんだろ。確実にばれんぞ、嘘」

「だったらばれないくらいもっともっと仲良くなればいいです。嘘もホントにしたら嘘じゃないです」

胡桃は誠太の前に立ち止まり、真っ直ぐ見つめる。大きな瞳はもはや誠太に穴をあけそうなほどである。

その視線から目をそらしながら誠太は言う。

「お前はただクリスマスにこんなことがあってちょっと浮かれちゃってるだけだよ」

「こんなことって・・・二度もホントに辛くて助けて欲しいって時に現れて、颯爽と―――ではないけどそれを解決してくれて、凄く優しくて。でも優しすぎるのがたまに傷で。私は今とても素敵な気持ちで溢れてます」

「その気持ちまで偽物みたいに言うんだったら、私だって怒ります」

胡桃は強い剣幕で語る。大事なものを貶されたような、そんな顔をしている。

「悪かった、俺が悪かったよ」

「じゃあ明日私とデートしてください」

「なんでそうなるんだよ!」

誠太が申し訳なさそうに謝罪をすると胡桃はコロリと態度を変え、駄々をこねる少女のようにせがむ。

「嫌なんですか?」

「・・・それは、卑怯な言い方だ」

少しの間の後誠太は言う。

「お前の気持ちを否定するわけじゃないんだ。けどきっと俺は怖いんだ、俺なんかすぐに飽きる。俺がヒーローなんてもんじゃないってことはすぐにわかる。お前が思う程俺は魅力的じゃない」

誠太は思う。理想は理想でしかない、クリスマスと同じ。夢は覚めるし、恋だっていつかは冷める。

「誠太さん・・・自惚れすぎです」

「何か勘違いしてませんか? 確かに二度も助けてくれて、そんな人がクリスマスに現れて。それは本当にロマンチックで、奇跡的だと思います。だけどそれはきっかけに過ぎないんです。誠太さんを知りたいと思うきっかけにしか」

「だけどあなたは私の思った通りの人で、優しいけどどこか捻くれてて。もっともっと知りたくなって」

「お、おい。胡桃ッ!?」

胡桃はここぞとばかりに誠太に歩み寄り誠太の胸に自分の右頬を付ける。

自分のパーソナルエリアに女性を招き入れることにあまり抗体のない誠太は氷の様にガチガチと固まってしまう。

「あー浄化されるー、じゃなくて」

頬ずりを止め、胡桃は目を瞑りながら声を震わせる。

「私、誠太さんの事好きです。でも嫌ならいやって言ってくださいね。そんな優しさはいりません。私だってそんな強い子じゃないです。これでもすごく頑張ってる方なんです。心臓バクバクです」

胡桃の小さな想いは白と黒のコントラストの中に溶ける。寒空と舞う雪だけが静かにそれを見守る。

誠太は、自分はとことん意気地のない男なのだなと思う。踏み出す勇気もないのに現状に不満を抱いていたらしい。

想いは届く。きっと狭い煙突でもサンタは真っ黒になりながらプレゼントを届けてくれる。

誠太はゼロ距離にいる胡桃の背にそっと腕を回す。

それを理解した胡桃もより強く誠太の方へ身体を預ける。

「俺の寂しいクリスマスにお前、巻き込むぞ」

「ふふん、残念ながらもう巻き込まれてますよーだ」

胡桃は、はあ。と、わざとらしくため息をつく。

「残念だが不覚にも俺は最初にお前を見たとき、可愛いと思ってしまっていた。不覚にもな」

白い布に包まれた少女をみたときこれはサンタの落し物なのだろうかと思った。

あくまであれは失態だったとでも言わんばかりに不覚にも、を強調する。

「知ってました? 私結構モテるんですよ?」

「それはムカつくから聞きたくなかったな」

なんとなく想像ができた、毒舌さえなければ今頃学校のマドンナだっただろう

「ちなみに本日は私の右頬に浄化のキスをしてくれたらポイント5倍デーです」

「どうした、さっきから頬がお嫁にいけないとか浄化がどうとか、頭大丈夫か?」

「なんでこういう雰囲気のときにそっちに走ろうとするんですか」

「元はと言えばお前が自分からモテるとか言い出したからだろ」

「お互いムードのない人間ですね」

互いに笑う。クリスマス、舞う雪の中抱き合う二人。言ってることにムードが欠片もなくとも、誠太にはそれがとても心地よかった。

「でももう私を抱きしめてしまった時点で誠太さんは私の下僕です。残念でしたね、NOと言えばセクハラで訴えます」

「ベッドシーツ一枚で外走り回ってた元奴隷が何を言いやがる、お国に帰れ」

「というかそろそろお国じゃなくておうちに帰りましょうか、頭に雪積もってます。これじゃあバカップルもいいとこです」

雪は次第に強さを増していったようで、誠太と胡桃の頭の上には薄らと雪が積もっていた。

誠太は胡桃の背に回していた手を外し、胡桃も預けていた重心を自分の元へ戻す。

「それもそうだな、風邪ひく前にとっとと帰るか」

言った後、胡桃がヘックシュとくしゃみをする

「もう遅いかもです、テヘッ」

胡桃は可愛げもなく、声に色も付けずテヘッと言う。その声はもはや鼻声である。

「テヘじゃねえよ! 今日の悪行の天罰だ」

「ああ、心なしか頭もボーっとする気が・・・あぁ、明日は駅前のイルミネーションの前でツーショットの写メとってツイッターにUPする予定なのに・・・」

「イルミネーションもくそもあるか、明日は寝てろ」

残念だったな、と言った感じに誠太が宣告する。

「彼氏とでーとなうって呟きたいじゃないですか。私を彼氏いない同志だと思っていた友達の泣き叫ぶ顔が見たい」

「女って・・・怖いな。」

「デートなんて元気なときにいつでも行けるんだから。明日は安静にな」

「明日はおうちデートか、まあしかたないですね。プリン、忘れないで下さい」

「どうしてそうなった!」

「まあ、どこになっても胡桃がいればクリスマスも案外楽しくなりそうだ」

「いきなりデレられて私の誠太さん株価急上昇です。今なら空も飛べます。うへへへ」

「ソリでも引いて飛んで来い。今日なら誰かがサンタと間違えてくれるよ」

二人は絶えず会話をしながら帰路につくのであった。

end...

聖夜の奔走

2012/12月テーマ【クリスマス】の作品です。ご意見ご感想お待ちしております。

聖夜の奔走

クリスマスの雰囲気になじめない青年、高貫誠太はバイトの帰り道一人の少女と出会う。 それがきっかけで誠太はクリスマスの夜、様々な厄介ごとに巻き込まれていく。 クリスマスを楽しんでいない貴方に贈るラブコメディ! イラストは数佳様に書いていただきました! http://www.geocities.jp/rntanagi/ 軒下イツキの作品です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-01

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