人体発火とくらい過去。

1部
 
 もし時間と心に余裕があり、もし見知らぬ他人の話を聞く勇気のある人がいれば、このばかげたくだらない話しを、できるだけ他者にも目にとめてもらいたい。

  私は、ある出来事によって、厭世的な感覚に入り浸っていたが、いくつもの複雑な記憶のがつらなって、厭世的な記憶はまた一巡して、そして元の、無邪気な子供的な自分に立ち返る事になったので、もし誰かの役にたつのならば、いつか多くの誰かに伝わるってくれればいい。そうするとこの話は、きっと私だけの痛みではなくなるだろうから。

 私は、孤独を嫌っている、けれど、未だに愛する誰かを見つけることが出来ずにいる。そのせいか、世の中に穿った見方を持っている人間である事を、初めに知っておいていただきたい。個人的な切り口であれば、最近はどこもかしこも、無機質で、自己中心的、なんでもかんでもパソコンやスマホで解決してしまうような寂しい人間ばかりのの、本質的には他者に無関心な世の中になっていっていると思う。これもきっと文明が発展しすぎたせいなのだ。一体どれほどの、誰が、今そばにいて欲しいと望む人間の姿を明確に想像できるだろうか、例えばそれは恋人、いや、もっと広くすれば、未来の自分に望む姿。憧れ、理想のようなものでもいい。
 少なからず、きっと人はだれしも誰か、都合のいい他者を欲している筈だが、他人によって、その時求めているものが満たされたとき、どうして、だれに、一体何人が、その想像の産物の他人、その人が完全に自分の心の空白を満たすと確信できるだろう。

 私は結局なにものぞんでいないのだ、私の理想とかかわることも、かかわらないことも、両方試してみたけれど、中途半端でどちらも放棄する。自分から試している出来事の最中ですら、私は私を演じている事に自分自身で気がついていて、その様子を俯瞰で、冷めた目で見ている。
 日常的に常に、私はその冷徹な私自信の眼から逃げる事ができない。だから実験の終わりに、かなり最近のことだが、やっと安心できるような状態の作り方を学び、そして安定をもとめて、その中間にいる工夫をしはじめた。
 私はアンバランスな感覚の中央にいながら、間接的には自分の理想が、実現不可能なことを知っていて、それでもそれに近づく事を望んでいる、なぜなら私の理想とは、完全に人工的で、いびつな、人間的でない人間になり切る事なのだ。もしそれが、その瞬間に、爆発して、燃え上がる情熱を持つことさえなければ、それによってシュールレアリスムを持った件の——発火現象さえなければ——私はただ単に変りものの理想と、いびつな気分の上下を抱えるだけの人間として、単なる社会の片隅にいきる働きアリの一種として、同じように他者に無関心で、何不自由なく生き抜くこともできたのだろう。
 結論からいえば、馬鹿らしい話の冒頭とは、私の体は、あるとき自然に発火する、その条件は不明なのだ。そうでなければ、この私が、こんな日記を書く必要はなく、この不自由さえなければ、こんな哲学じみた悩みと不幸を抱えるはずもなく、そしてこれから語る一連の物語、これは私のような幼い人間が抱えるべき問題でもなかったのだ。


 発火には一つ条件があった。例えるのならばそれは、いい文学、好みの音楽、映画や、漫画やドラマをみつけて、かんきわまりそのクライマックスで感じるような鳥肌がたつような、背筋を込み上げてくるような。興奮、共感、感情のたかぶりを感じる、そのとき、私の体は発火する。

 それより前、私はかつてその感覚が大好きだった。しかし一時期丁度その感覚に冷め、その感動が疑似的であることと、作りものであることに、飽きる時期もあった。
 それは思春期の多感な時期がおわりを告げたあとで一人で生きる覚悟を決め、一定の社会的な安定した地位を得た時、人生に飽きたかような、全てを知り尽くしたかのような無知ゆえの倦怠感を知り、斜に構えるようになったそのときだった。その時、初めてその現象に遭遇した。
 ——人体発火現象——初めは、只の興奮だった、一人暮らしを始めた時期から、倦怠感がおわり、そのうちまた、過去に好きだったものに改めて触れる時期、映画や音楽、倦怠感が終わり、ついには斜に構える天邪鬼な自分に飽きて、新しく客観的に、大人になって、もう一度同じものを見返すような準備と余裕が出来たとき、私はそれを初め、段ボールを開けて懐かしい思い出にひたり、そのとき、純粋な涙や感動を覚え、昔の自分が戻ってきたような感覚を覚えるとともに、例の現象の初期段階……体がほてって、熱せられてくる感覚を覚え始めた。
 はじめこそ、一人暮らしではじめた壁の薄いアパートぐらし、都会で心細く、病かと感じ、対処法が見つけられず数日、それからそれが錯覚だと思いこむようにしていて、心の中に目覚めるリスクへの恐怖と、未来への恐怖をいいわけにして、睡眠によってそれをごまかしていた。だがそれから、私の体の一部ーー左掌と手の甲は——私が興奮をするとき、確実な発火をはじめたのだ。私はそれを嫌い、誰にも相談できず、ただ自分で解決しようとし、だからこそ、それから半年ほど、私の心と現象の関わりついて孤独に、再び斜に構えて理解しはじめたのだ。

 人体発火現象とは、未だにその理屈と条件が科学的に明確に発見されていない謎の現象。その名の通り、人体の一部が発火し、その条件や理屈については本人さえ謎で、世界中で起きたそれらの事件は一度でも解決したことはない。発火条件は不明だが、一度自然発火に見舞われた人間は、何度もその現象に苦しめられる事が多い。これまで全世界において、何十例も確認され、記録されているため、オカルト界隈では当然として有名な現象だ。それが本当に実在し、まさかその希有な一例が自分の身に起こる事になろうとは、私もこの年に、20歳になるまで考えもしなかった。そもそも私も、オカルト界隈に興味もなく、精通しているわけでもなく、この身にそれが起こり始めてから、初めて明確な理由が知りたくなり、調べはじめ、身近に感じ、それらに関して詳しくなったのだ、そもそもが私は、単なる興味でこれを素材に扱っているわけではない。

 私は現象に対して、いたって真面目過ぎる反応を示した。そしてそれがあだになったのかもしれない、あるいはそれもいい訳なのか。
 それから私は現象に触れ、接するうち、それが単なる体の異常ではないことを、心の空白を示すものであることを、それから何度もくりかえし、嫌でも理解した。

 私は現象に接し、条件を記録し、仮定をつくり、その頻度を調べる事によって、嫌でも嫌いでも、徐々に理解しはじめた。

 まず、第一につくられた仮定はこうだった。
 彼氏や、友人、その時にある興奮では、体がほてる事はあっても、物理的に私の左腕は燃え上がることはない。そこまで過激な、突拍子ない反応をする事はなかった。現象に対する対処も、必要はない、そのかわり、過去のように、かつてのように普段一人で映画を見るとき、音楽や漫画に接するときに興奮したとき、確実に左腕が燃える。そのときには、事前に水入れバケツを用意する必要がある……だから私はそれにだけ注意をすること。確かに、孤独でいるときにだけ起こる現象なら、客観的にみれば、人がいるときに起こるよりリスクが少ないように思えるだろう、けれど、私の心の場合は違った、私は違うのだ。
 私はむなしくなった、私の左手は、ある条件下の興奮でしか燃え上がる事がない。それはかつて私が斜に構えて、興奮を抑えて、感情移入をする事をやめたたった一つの感動のときだった。それは私が孤独であって、私が人工物をみて感動するときにだけ燃える、私は、そこに虚無を感じていた、私は孤独なのだと本当に理解した。けれど嫌でも、もっと卑しい感情について、思い出す事になる。それから私は、人体発火の本当の意味について、自然に理解する、理解せざるを得なくなったのだ。



2部

 私には封印していた記憶があった、それはパンドラの箱だ。毎日の電車通勤、そこでみるSNS、つり革の間の週刊誌のPR広告、大量に流れる情報の中で、私の中でトラウマと興奮がまざっていたそれは、もう一度、まるでコンピューター内部の装置のように、自動的に生成された。それは古い記憶だった。それは精神科に通院して、封じたはずの記憶だった。

 それは私の過去だった、幼少のころ、ひどい体験をした私が、初めて宗教と接したときの記憶だった、宗教を頼ったわけではない、そんな必要性も危険性もしらないほどの、もっとも古い、物心ついたばかりのころの記憶。
 「父は暴力を振るう」
 私は神父のそばにいた、私はビルのあふれたビジネス街の中で、学校帰りに夕暮れに見守られ、学校が進める常にその教会に通っていた。
 そこには聖人君子がいた。彼は人に尽くす事にうえていた、どんな人の懺悔でも、いつでも優先してきいた、まるでそれは、自分の悩みがない機械人間のようだった。それは、私の頼り、信頼していた逃げ場は厳密には宗教ではなく、その神父であった。
 その場所の神父が何の話でも聞いてくれるというので、はじめ私は時々そこに通った。よくそんな大胆な行動が出来たと思う、学校では本を読みたくても、図書室にだって通う事はできないのに。
 人見知りな私に、初めに心をひらいたのは、やはり聞いていた通りおせっかいだった神父、優しい顔をした、しわのふかい、眼鏡をしたその紳士だった。神父だ。
 誰もが人目見てわかる気の良さそうな人物、きっと服装が私服でも、その姿勢と対応から、彼が神父であることと、少なくとも紳士であることは誰にだって、手に取るように理解できるはずだ。まるでそれは、拘束力のあるやさしさのように説得力をおびた姿勢だった。はじめ、私はその人に、家族と同じような親近感を覚えた。私が相談についていいずらそうにすると、すぐに、“まずは通うだけでもいいんだよ”と話をきいてくれた。むしろその人から、近頃のニュースの事や、近隣でおきたこと、楽しい人のお話をきかせてくれた。彼は名を、ロウといった、ロウ神父だったのだ。
 私は何度か通ううち、私のほうから話をする機会を意図的にふやした、それは純粋に、子供特有の神父に対する、優しい大人に対する関心と興味からくるものだった。どうやらその人の若いころはかつては学校教師をしていたらしい、5年ほどのつとめを終え、惜しまれつつも、そのときも理由を、誰にもづげずに仕事をやめた。それだけで、私には不思議があった、だって、確実にこの人は、どんな仕事だって務まるはずなのだ。しぐさひとつでわかる、それだけの紳士だった、人のために何もかもなげうって捨て去る事ができるほどの情熱を秘めた人だった。

 半年もたつと、私は神父に、虐待を相談していた、それは小学生の3年生ころくらいから、毎日のように行われた。丁度二か月前、母が亡くなってからのことだった。神父には、ここに来ること自体が迷惑をかけると何度もいっていた、だが、あの事件は防げなかった。私の父は、母が死んでから宗教をのろっていた。母はキリスト教を愛していたのに。そして、だからこそ、私はここを逃げ場にしていたのかもしれなかった。この宗教もまた、ただいつもの場所に憩いの場をもうけ、いつもこういって、やさしく私をつつみこんでくれた。私は、聖書を手にして通うようになった。
「私が相談にのる、いつか、君の父が心をいれかえられるようになるまで、感情をコントロールできるようになるまで」 
 父は、緊張を嫌っていた、平凡な一人格の、アルコールが入っていない父の時。私にさえ告白していたことだった。私はそれを虐待と思えなかった。ただ、神父に話すとき、私の中で納得がいったのだ。母が死んで、私との接し方がわからなくなり、緊張するとき、父は暴力をふるった。自覚しているのにやめなかった、私はそんな父に同情をしていた、だからこそ、私は宗教を、神父をたよったのだ。

 これだけならいい話しなのだ、けれど私がしたことは、神父が私にしたことは、きっと一言では語りつくせるものではないと思う。
 私にとって神父は、只のロボットだった、なぜなら答えはいつも与えてくれない、相談にのり、ただアドバイスをくれるだけだった。本当はどこかで、助けてくれないのだと、弱い人なのだと思っていた、あの頃まではーー。私はそのころまで、あの事件が起こるまで、神父もまた、それをさとったように、その過去を隠した空っぽの愛情を、私に与え続けた。

 未だ記憶は不確かで、覚えているのは、教会の中央、聖母の像の随分まえで、廊下の途中で、倒れ血を流す神父と、刃物をもった父親の映像、神父は、それから2、3日生死の境をさまよって、なんとか一命をとりとめ、私を呪わず、その代わり、彼についての、彼のやさしさについての、全てを私に打ち明けた。
 
 ある日、神父の事を父が知ったのをさとったのは、父が、学校の何かのイベントに出席し、それによって担任と話したときだった。私は担任のくちから、それを聞いたのだ。
 「あんまり神父さんに迷惑をかけすぎるといけないからね、相談したよ」
 悪気のない、悪気のない、だからこそだろうか、そのころの私には、子供にとってみればそんな悪気のなさが、最高の凶器だった。それから3日間の記憶がない。父はどうしていたのか、神父はどうしていたのか、ただ私は三日目には、知識ある有名な、街の心理学者の先生とともに、悪い記憶を封印する暗示をかけた、そのことしか覚えがないのだ。

 結論からいえば、あの映像のほかに、私が覚えているのは、父が殺人未遂の罪でつかまったこと、神父が白い、教会近くの市民病院に2か月ほど入院していたことだった、私は、2、3日、顔を出そうとしなかった。きっと神父はこれまでと同じように何もない顔をして接するだろうと思ったからだった。それは寂しい。

 しかし、実際は違っていた。私が初めて彼の入院した病院に、児童保護施設の職員や警察官とともに病院にお見舞いにいったとき、彼は看護師と談笑していて、私が廊下から部屋に入れずたちつくしていると、私をみて驚き、そしてしばらく手のひらで口をかくして、泣き始めたのだ。あっけにとられて看護師は医者をよんで対応を乞うていた。彼はそれをなだめ、問題ないとおちつかせ、それから彼は、私のよく知るロウ神父は、私の知らない彼について、私と二人きりにしてほしいといい誰もが気を使うと、話しはじめた。それから二人になると、病室の外には、警察官と施設職員、看護師といった奇妙な光景がひろがっていた。

 それから神父が私に語ったことはこうだった。彼は、人助けを自分から望んでしてきたわけではなかった。それは、彼の親しい人にしか語っていない事らしかったが、彼こそが本当の救いを望んでいたのだと彼自身が口にしたのだ。彼のしぐさと裏腹の望まないけど、望んだこと、それが人助け。私はまだ子供で、ひたすらに混乱して、彼の言葉を繰り返し解釈し、理解しようと必死に考えた。
 それは、かつて自分にやさしくしてくれて、その反面で、実は見返りだけを、私にその見返りをもとめていた神父という、恐ろしい大人の映像を、私の頭の中に繰り返し連想させた。しかし、彼の口から私の耳に届けられた言葉は、別の意味で私を驚愕させた。
 「私は子どもの頃、大切な、大切な、仲のいい妹をあやめたのだ……」
 私は話をきいて、あっけにとられた、それは、子どもの頃、妹と一緒に公園であそんでいたころ、突然に妹が発作を起こしなくなったという話だった。その瞬間は断続した記憶で、私はパニックになり、かみ砕いて理解していたが、彼の緊張で、要領を得ない話をくみとると、どうやら妹と彼は外遊びが好きで、しかし、妹には心臓の持病があったというのだ。だからこそ外遊びは週一回ときめられていたのだが、彼は、妹が外をみて苦しそうにしているのが耐えられず、ある日、母親が買い物に行くスキを見計らって妹をそとに連れ出した。そのとき発作になり、それがきっかけて、妹さんは、帰らぬ人となった。神父は続けた。

「それから、母は私をきらい、まるで他人のように無機質に扱うようになりました、私は初めて気がついたのです、無関心こそが、一番つらいのだと」

 その言葉は、私をしばらく混乱させた、彼は私の心が、苦しくないといったのだろうか?と、しかしそれよりも、只しばらくたてば、きっと彼をまた心から同情し、信頼できるのだろうと思っていた、そして私は、心の中の虐待のトラウマと、その時の衝撃が重なって、その瞬間、ぱたり、と意識をうしなったのだった。

 
 それは、私が初めて、人の心が複雑だと理解した出来事だった。私は、その件と、人体発火現象とを、私の意思で結び付けようとはしていない。ただ単に、それから起きた事は、私の冷めた心を、私に抱いていた絶望を現実に冷めた感情を、むしろ複雑に混乱させるものだった、しばらくして、私は、どんな種類の興奮でも、私の左腕が燃え上がるようになった事を発見したのだ。
 
 そういえば私にできた初めの恋人はひどいものだった。私の体にしか興味がなかった。そこでも私は、他の誰かに救いをもとめ、しかし無機質な、私への同情をむなしいと感じていた。そうなのだ、私は私の過去に出会い、私はそこで理解した、発火現象が心と関係があるとそう勝手に決めつけ、むすびつけたのは、私がいくつかの過去におびえ、まるであの時のように、恐ろしい倦怠感と、斜に構える態度で、事実から逃げているのだと。私は、全て私の解釈によってこの特殊な病——病のようなものに——子供じみた感覚の、特別感によって意味を与え、付けただけだったのだと。

 今の私は私の過去について、こんな風に理解するのだ、こうして思い出すとき、あの優しい神父記憶と彼の愛。私にとっては大切なものでも、彼にとっては、それも私の空想の産物、ある意味では人工の産物だということを。そう考えると、苦痛は緩和されるのだ。

人体発火とくらい過去。

人体発火とくらい過去。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-28

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