趣味がない

 無趣味な人間はいくらでもおごり高ぶることができる。そのせいというわけではないが、私はすぐに調節を間違える。今までの人生でも人とのかかわり方を何度も間違えた。一つのパターンは、無趣味であるが故にまったく人から面白い人間と思われないことである。もう一つのパターンは、知ったかぶりするが故に、知ったふりをして浅い知識しかないために、かみ合わなくなり、うそをつき、時が立つとボロが出て、必ず無知を見透かされるというパターン。
 私の頭はからだ、特に趣味に関してはそうだ。そのうち私はいつからか人と関係をもつときに、私のそのからっぽの頭の無趣味を見透かされる性質を利用して、無趣味な私の無知を自虐的に皮肉まじりに、初めから主張し、表現するというコミュニケーション術を身に着けた、だからこそ声高にいいいたい、無趣味は最高、多趣味はややこしい。

 多趣味は飾りを自分の周りに着けたようなものだ、たとえばクモという虫がいる。私は虫はきらいだがそれでもそんな事はどうでもいいだろう。クモ
でいうなら、自分の吐いた糸でがんじがらめになるほどに多趣味は最悪なのだ。

 私は趣味は放りだした、趣味を作っても多趣味にしかならない、浅いところで止まってしまう、それほど興味のあるものはなかった、書きかけの絵画、歌いかけの歌、全て途中でなげだしたんだ。
 
 それにくらべて文字は何だ、人によって、そうではないと言われると思うが、音とリズムならだれにでもあり、言葉は現代でも常用されている、たとえ現代が、日常的に便利な機械の影響によって文字を書く機会が減っているのだとしても、コミュニケーションをとるために言葉は常に必要だ。たとえ独り言だとしても、たとえ話す相手がいないとしても、言葉は喉元にあがってきて、そして思考を形成する、その材料になる。私は無趣味だ。何か趣味を生み出す事に苦しんでいる、私は何も生みたくない、そして何も消費したくない、だけどそれも趣味ではなく、現実逃避のすべかもしれない。そんな私に言葉も文字も、つねに味方をする、けれど趣味じゃない。

 私の性格はがさつであらっぽい。それは自己批判ではない、もっともよく私を理解し、私をコントロールするには、このやり方が一番だ。
 これから新しい情報に触れるというとき、その暗記が必要なとき、私はいつも荒々しいやり方で知識を蓄えることしかできない、丁寧なやり方で一つずつ引き出しにしまうことよりも、私はその場の無関心と感心を比較して関心に値するものを無理やりつくって、がさつに頭にうめこんできた、そうしなければ、私は本当にすべてに無関心なのだ、そうしなければ生きてこられなかったのだ、だから私は本当にすきな一つの趣味がない。

 私は初めからどこかで無趣味、しかし、ある瞬間には趣味を持つ誰かとして、その偽りの趣味をとってつけて表現することもできる、だがそれは失敗するから嫌だ、いや、まだ希望をもち探しているのかもしれない、その一生付き合う事のできる趣味を。一生分の現実逃避を。

趣味がない

趣味がない

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-28

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