すくらんぶる交差点(3-4)
瀬戸内 潮雄。御年四十二歳。保険会社の営業マンだ。役職は課長。名前は課長だが、部下はいない。営業先の信用を得るために、年をとればみんな課長になれる、いわゆる、課長担当だ。上司は支店長。朝から晩まで顧客を回り、頭を下げ、笑顔を絶やさず、元気に振舞い、営業成績に繋がらなくても、「ありがとうございました」と声を出す。地元の大学を卒業し、ずっと、この仕事を続けている。大学時代は、サークルの劇団に加入して、年一回の公演に熱中していた。将来は、役者とまではいかなくても、演劇関係の仕事に就きたいと思っていたが、アルバイトでやっていた舞台関係の裏方の仕事は体力的にきつく、若いうちならともかく、歳をとっても続けられるかどうか不安を感じた。とてもじゃないが、このT市で、演劇関係で喰っていくのは難しい、どこかに就職して、好きな演劇をアマチュアでできないかと考えていた。
たまたま、採用されたのがこの保険会社だ。当然、演劇の「えの」字とも関係がない。就職した当初は、それでも、大学時代の仲間や後輩たちと、演劇集団を作り、年一回程度は公演していたが、みんな仕事が忙しくなり、年に一回の飲み会で会うことさえも困難にり、年賀状の行き来すら途絶えた。
保険の仕事に、天職という思いもなく、かと言って、転職する勇気もなく、だらだらと、いや、その場では一生懸命に、しかし、遠い目標はなくやってきた。いつかは自分のやりたいことをやってやろう、雌伏雄飛だと辞書で覚えた四字熟語は頭から消え去り、体は腹が突き出し、体重は九十キロを超え、転がることはできても、とてもじゃながないが、飛び上がることはできない。頭は夕日に近づいてきた。自分では、朝日のつもりだが、生まれたての赤ちゃんのように毛が生えてくる勢いはなく、落ちていく一方だ。そうだ。人は朝日のような頭で生まれ、やがて年をとり疲れはてると、夕日のような頭になるのだ。そして、その夕日も、いつまでも輝くことなく、お隠れになるのだ。切ない、実に、切ない。いいや、髪の毛との別れのことじゃない。
俺は、一体どうなるんだと呟きながら、「瀬戸内君」と支店長に呼ばれれば、今までの思いがどこかに飛んでいき、「はい」と二つ返事で、支店長室の中に入って行く。そんな、自分が、い・や・だ。かといって、仕事はやめられない。十年前に結婚し、子どもが二人。妻はパートで、家の近くのスーパーで働いている。昨年、建売住宅だが、自分の家を購入し、今は、ローン生活まみれだ。三十年の長期返済計画には、当然、退職までの収入と退職金が組み込まれている。家のローンという鎖、ロープにつながれた自分。自由があるようで、自由はない。唯一、会社から解放される昼休みも、弁当持参だ。スーパーの総菜コーナーの前日の半額の売れ残りをおかずにして、弁当を腹に収める。食後のコーヒーだなんて、もったいない。缶コーヒーが関の山だ。タバコはもちろんやめた。楽しみといえば、家に帰ってからの、一本百円の第三種のビールを二本飲むことだ。
しかし、最近、夏が近づき暑くなってきたせいか、もう一本欲しくなる。缶ビールをグラスに注いだ後、二本飲みきった後で、一滴でも残っていないかと、缶をひっくり返す。缶を振る。一滴落ちてきた。神のしずくだ。瀬戸内の眼からも一粒の涙。ああ、この至福の時よ。そうか、自分は、「しふく」という言葉好きなんだ。だから、会社から帰ってきたら、それまで、共に八時間以上過ごした、背広やネクタイ、シャツを、仇のように脱ぎ棄て、本来の自分に戻ったかのように「私服」に着替えたり、つまらないエピソードで小説の「紙幅」を増やす作家の小説を愛読したりする、「しふく」が好きなんだ。
だが、昨日は、違っていた。久ぶり、本当に久しぶりに、昔の演劇仲間に会った。互いに、ドーランを塗っていたわけでもなく、かつらをかぶっていたわけでもなく、方言じゃなく、都会のNHK的なしゃべりをしていたわけでもなく、「あいうえおあお」と発声練習をしていたわけでもないので、駅前で会った時には、お互いに誰かがわからなかった。偶然の偶然、バスを待っていた時に、前田、そう、昔の仲間の前田が、自分の前に並んでいた。前だ。まるで、冗談だ。最初は、本当に気がつかなかったが、前に並ばれた「まえだ」と言った瞬間、前の前田が後ろを振り返り、瀬戸内の顔をじっと見つめる。何の因縁だ。瀬戸内もじっと見つめる。目と目があった。
その時だ。瀬戸内が「久しぶり」と声を掛けた。だが、この時点では、知り合いだとはわかっていても、名前までは思い出せなかった。よくあることだ。「えっ、お前、瀬戸内か」先に、相手が自分の名前を呼ぶ。この時点でも、まだ、名前が浮かばない。こちらから先に声を掛けながら、「あなたのお名前、なんってんの?」なんて、ギャグは言えない。とりあえず、名前を呼ばずに、適当にごまかしながら会話を続ける。
「ほんと、なつかしいなあ」
「ああ、なつかしいよ」
「元気か?」
「元気だ」
その後は、駅前のサラリーマン向けの居酒屋へ入る。「何名様ですか?」店の女の子が聞いてくる。ガッツポーズじゃなく、ブイサインで、二名と軽く返事。久しぶりのビールだ。そう、家では、盆、正月でないとビールなんて飲めやしない。ほとんどが、第三のビールだ。それも、毎日のように、スーパーの広告を見て、一番の底値の時に、買いだめをする。うまくいけば、三百五十ミリリットルの缶が、一本百円で飲める。だが、その安さがあだになる。一本百円だということで、二本でも二百円、三本でも三百円だ。そう、計算は合っている。まだ酔っていない証拠だ、もっと飲めるぞと、つい、気が緩み、財布も緩み、飲み過ぎてしまうのだ。
話を戻す。農家の人は、麦の成長と豊作を期し、麦踏みをしたというが、もし、年四回でも、麦百パーセントのビールが飲めるとしたら、いくらでも麦踏みをするぞ、プラカードをあげたいくらいだ。瀬戸内は、今年二回目のビールを名前不肖の友人と一緒に飲み続けた。互いの境遇を、互いの傷をビールの泡と水分でほぐしながら、1時間が二時間、二時間が三時間、三時間が四時間と過ぎていく。それにつれて、過去が、一年、二年、三年、四年、ああ卒業だ、と思い出される。店を出た後も、近くのコンビニで、ここからは予算の関係で、普段飲み慣れている第三のビールに戻ったが、互いの状況を酒のあてにして、駅前の広場で飲み続けた。どれほど、飲んだかはわからなくなった。それだけ飲んだのだ。
しかし、暑さを感じて瀬戸内は目が覚めた。朝の光だ。俺はどこにいるんだ。顔がちくちくする。少し、緑の匂い。瀬戸内は、植え込みの中で寝ていることに気がついた。海の上だったら、こんなに熟睡じゃなく、そのまま入水だ。結果的に、昨晩、一緒に飲んだ奴は、名前を思い出せなかった。大学時代の友人であることは確かだ。それぐらい、物忘れがひどくなっている。自分としては、思いだせないものは、忘れたいから忘れたんだ、として、前向きの気持ちでいる。それはいいとして、今、何時だ。ポケットをまさぐる。携帯はある。ついでに、財布もある。少し、安心する。時間は?七時三十分。いかん、いかん。出社時間だ。慌てて、植え込みから飛び出る。
もうこの時間帯だと、通勤・通学客が徐々に増え出す。ピークは八時だ。八時にはここを出発しないと、会社に間に合わない。昨日のままの服装だが仕方がない。せめて、顔ぐらいは洗わないといけないと思い、歯ブラシや歯磨き粉、下着を駅前のコンビニで購入する。袋ごとトイレに入り、着替えを済ます。なんやかんやで七時五十五分。楽しい時も、慌ただしい時も、時間は同じように進む。さあ、準備万端、会社に出勤だ。スクランブル交差点は、人で溢れかえっている。この疲れた体のまま、酒臭い体のままで、通勤か。隣に立っているOLがいやそうに鼻をつまむ。つまみたいのは当事者の自分の方が先だ。それに、頭がガンガンする。二日酔いだ。まっすぐに歩けない。
みんな元気だ。俺は、もうだめだ。それでも、何とか交差点の真ん中まで来た。大きく息をする瀬戸内。空を見上げる。東の空の太陽は黄色い。もうダメだ。信号は点滅しだした。足は千鳥で、同じ場所をぐるぐると回っている。ズボンの左ポケットにある万歩計も何の役に立たない、当り前か。こうして、瀬戸内はスクランブル交差点に取り残された。
すくらんぶる交差点(3-4)