お猫さま 第七話ー猫英断
猫の人情小噺です。笑ってください。PDF縦書きでお読みください。
物事を決断するということはなかなか難しいことでございます。人によって決断のとても早い人、なかなか決めることのできない人、様々でございます。決断が早すぎても失敗をしてしまいます。遅いからと言って、しっかりと考えた上であればそれは最も良いものですが、時間がかかりすぎると、その決断が無駄になることもございます。人のための決断と、自分のための決断と、どちらが難しいか、どちらともいえません。しかし、人のために身を削る決断をする。これはすばらしいことでございます。
お堀の土手で、茶色の猫が土筆を摘んでおります。
「よお、姉ちゃん、土筆なんぞどうするね」
そのあたりの親分猫が大きな顔でのぞき込みました。
「あたいの、飼い主に採ってやってんのさ」
「おめえさん、どこの猫だい」
「吉野家さ」
「あの、大きな呉服問屋かい」
「そうよ」
「遠いじゃねえか、ここまで土筆を採りにきたのかい」
「そうよ」
「あんたの飼い主は土筆をどうするんだ」
「吉野家のお嬢ちゃんが病気でね、春だってのに、外に出られないのさ、可哀想だろう、それで摘んでいってやるんだ、頼まれたわけじゃないのさ」
茶色の猫は土筆を数本くわえると、戻ろうとします。
「よし、おいらも手伝ってやろう」
親分猫も土筆をくわえました。
吉野家の屋敷内にはお店と住まいのほかに、ご隠居さんの離れ、それに土蔵が三つもあったのでございます。
茶色の猫は勝手口から屋敷の中に入っていきます。
親分猫も後をついてまいります。
器用に前足で襖を開けると、かわいいお嬢ちゃんが白い顔をして布団の上でふせっています。
茶色の猫は土筆を女の子の顔の脇におきました。親分猫もそうします。
病気のお嬢さんが、目を開けると「あ、つくし」と、嬉しそうな顔をします。
「ほら、喜んだ」
茶色の猫は、親分猫を促して家の外に出ます。
「あんた、名はなんて言うの」
「虎と呼ばれてら、おまえさんは」
「みーちゃん」
「いいねえ、こんな家にすんで」
「あんたもどう、この屋敷にすんだら、残りもんが沢山あるよ」
「食い物は盗んで喰うのが旨いんだ」
「そんなもんかね」
「だがな、屋根があって、暖かいのはいいな」
「それじゃ、蔵の中はどうだい」
「なかなか入るのがたいへんだよ」
「この家にはいい蔵があるよ」
みーちゃんは虎を庭のはずれの一番小さな蔵に連れて行きました。
この屋敷で一番古い蔵です。
蔵の壁にはひび割れもできていて、裏には猫が通れるくらいの穴があいていました。
「ほら入ってごらんよ」
ミーちゃんの後を虎も潜り込んでいきます。
蔵の中には古い道具やら本やらが無造作に積んであります。
「ほー、いい住処だな」
「あたいも、たまに、ここで一休みするのさ」
鼠がゴトゴトと音をたてています。
「お、旨そうな音だな」
「鼠がたくさんいるよ」
「喰わねえのか」
「お腹はいっぱい」
「食い物がいる住みかとはありがたいな、だがな、俺は、あの川縁の猫たちの面倒を見ているんだ」
「みんな連れといでよ、菜の花でももってね」
そういうことで、親分の虎は八匹もの仲間を連れて、その蔵に越してまいりました。その日、お嬢ちゃんの枕元には、菜の花が置いてありました。
「あ、菜の花」お嬢ちゃんの顔が明るくなります。
奥様が入ってきて驚きます。
「美代、どうしたの、この菜の花は」お嬢さんの名前は美代といいいました。
「猫ちゃんたち」
「みーちゃんがもってきたの、前も土筆を採ってきてくれたって言っていましたね」
「はい、今度はたくさんの仲間でこの花を持ってきてくれました」
「不思議ね、でもよかったですね」
ということで、時々、美代ちゃんの枕元に、野の花が置いてありました。一方で、お勝手においてあった食べ物がなくなるようになりました。
「おかしいね、煮た魚が減っているよ」
勝手をまかせられている、おさんどんの春さんが声をあげています。
「さっき、みーちゃんが舌なめずりしてたよ」
外回りの猪吉じいさんが言います。
「おいしい餌をやっているのに、あまり食べないのは盗み食いをしているんだね」
「猫ったあそんなもんさ」
そんな具合で、毎日代わり代わる、一匹が、そのお屋敷でごちそうになり、それ以外は外で盗み食いや鼠を食しておりました。
桜ももう散ろうという、そんなある日、仲間の二匹が町の野良猫と喧嘩をして、腕を深く噛まれてしまいました。ちょっと大変な怪我です。悪くなると命にも関わります。
「どうしたたらいいの」
ミーちゃんももう虎の仲間です。
虎が思案のあげく、皆に言いました。
「あの天狗山には病や傷によい温泉が湧いている、それに浸かれば必ず直る」
天狗山は町の外れにある小さな山です。
「どうして知っているんだい兄貴」
怪我をした猫が聞きました。
「俺は、あの天狗山に捨てられたのだが、運よく生き延びて、天狗にもかわいがられたんだ」
「それじゃあ、本物だな、だけど、その温泉のこたあ、今まで聞いたことがない」
「内緒にしろって言われてるんだ」
「だれにだい」
「天狗が他の者に言ったら玉をとるって言たんだ」
「温泉に行くと、兄貴は玉が無くなって、雌になるのか」
「そうだがな、だがお前たちが死んじまうよりゃいいだろう」
猫たちはみんなだまってしまいました。
「明日行くからな」
虎が言いました。
次の日、怪我をした猫を他の猫が支えて、天狗山にやってまいります。
虎の言ったとおり、天狗山の裏に大岩の陰に隠れて、三つの温泉がありました。
泥の湯と、赤い鉄の湯、それに、茶色の薬の湯です。
「これをな、順に温まると、傷が治る」
虎がそう言ったところに、烏天狗が降りてきました。
「虎、大きくなったな、だが、約束をたがえたからには、玉をもらうぞ」
天狗が団扇を上げようとしたとき、みーちゃんが、天狗の前に進み出ました。
「烏天狗さま、虎は仲間を助けたい一心で、覚悟をして我々を連れてまいりました。なにとぞ、お許しください。仲間が死ぬかもしれないのです」
「お前はどこの猫だ」
「吉野屋にございます」
「で、なぜ、この虎の仲間になっておる」
そこで、みーちゃんは烏天狗に今までのことを隠さずすべて話しました。
「この虎の仲間がお嬢さんのところに花をもっていっているとな」
「はい、土筆、菜の花、桜の花びら」
「はは、なんと、この虎たちがそんなことをする猫だとは思いもしなかったわ、それでその子はどのような病気じゃ」
ミーちゃんはそれも細かに説明しました。
「ふむ、それはな、木々や草花の精によるものじゃ、春や秋には風の中に精が漂い、それを吸い込むと、くしゃみがでて、鼻水がでて、熱もでる」
「お花がいけないの」
「いやいや、おまえたちが持っていく花は丈夫じゃ」
「どうしたら良いのでしょう」
「ちょっとくらい、熱がでたって、庭で遊ぶことじゃ」
そう言って烏天狗は仲間の猫の怪我をみました。
「うむ、化膿してお るな、そのままでは死ぬな、しかたがなかろう、養生して帰るように、虎、今回は許す、だが、この湯のことは人間に言うでない、人間に知れると、天狗山は人間であふれかえってしまう」
「あっしの、玉は大丈夫なんで」
「玉をとらぬとも良い」
「へ、ありがとうございます、雌になっちまったらどうしようかと、どきどきしておりやした」
「傷がいえるまでいてよいぞ」
「よかったね、虎もみんなも」
ミーちゃんも胸をなでおろしました。
「じゃが、もう一度申すが、人間をこの湯に連れてきてはいかん、そうだ、虎の玉を一つ預かる」
烏天狗が団扇を振りますと、虎の二つあった玉が一つになってしまいました。
「なんだか、尻が寒くて、からだが一方に傾いているみたいだ」
虎が寂しそうに後ろを振り返ります。
「約束を守ればいずれかえしてやる、はってんどう」
烏天狗はそう言って消えていきました。
こうして、猫たちは皆元気になったのでございます。
天気の良い日、猫たちはお嬢さんの寝ている庭の前に勢ぞろいをして、蹴鞠をはじめました。お嬢さんの鞠をミーちゃんが持ち出したのです。
お嬢ちゃんはなにやら庭が騒がしいので、布団からはい出すと、障子を少しばかり、そうっと開けてみたのです。
なんと、猫たちが自分の鞠を蹴って遊んでいます。あーやって遊ぶものなのだ、ああ、面白そう。そう思ったお嬢ちゃんは廊下に出てまいりました。そこへ、猫の蹴った鞠がお嬢ちゃんの目の前にころころと転がると、つっと止まった。お嬢ちゃんは思わず、手を伸ばし、鞠を拾うと、ぽいと、猫たちに投げ返しました。
猫たちは、にゃーおと鳴いてお嬢ちゃんを見ました。本当は「おお、上手上手」と言ったのです。わからなくても、お嬢ちゃんの頬にえくぼがよりました。
その日はそれで終りでしたが、次の日も同じことがありました。今度はお嬢ちゃんが鞠を猫たちに放ると、猫たちが手招きをいたしました。招き猫はお嬢ちゃんも知っています。ああ、あれは自分を招いているのかと思い、おいてあった履物を履いて庭に降ります。
ぽんと、鞠がお嬢ちゃんのぽっくりにあたり、他の猫に向かって転がります。その猫は黒猫に鞠を蹴り、黒猫が前足で、お嬢ちゃんのところにころがします。お嬢ちゃんがぽっくりに鞠を当てると、斑猫に向かって鞠が転がっていきます。その鞠をミーちゃんが虎の方に蹴りました。虎は鞠を庭から縁側に蹴りあげました。それでお遊びは終わりです。
次の日も同じように、庭で蹴鞠をして遊びました。
夕方、お嬢ちゃんの寝ている部屋から奥様の声が聞こえてきました。
「美代、このころずいぶん元気ですね」
「はい、猫と遊んでいます」
「おやおや、遊べるようになっていいですね」
「はい、明日も遊びます」
次の日もいつものように猫が勢ぞろいしてお嬢ちゃんを待ちます。そんな様子を障子の陰から奥様と女中さんがのぞいています。
「あんなにたくさんの猫どこにいたのかしら」
「さあ、お庭にいるのでしょうか、お嬢様楽しそうで」
「ほんと」
その夕方、めざしが庭先においてありました。
「おい、めざしだぞ」
「喰っていいのかな」
「いいんだろ」と猫たちは、めざしを頂戴しました。
さて、雨の降っている日は、猫たちが、まん丸な石を拾ってきて、お嬢ちゃんの部屋で、ころがし始めました。お嬢ちゃんも猫たちと一緒に、石を転がして楽しそうに遊びました。
「おい」という男の人の声が聞こえました。猫たちはさっと、縁の下に隠れます。
そこのご主人が顔を出したのです。
「猫はどこに行ったのだい」
と、お嬢ちゃんに聞いています。
「びっくりして、外に逃げちゃった」
お嬢ちゃんが外を指さします。
「逃げなくてもいいんだよ、ほら、これをあげよう」
ご主人の後ろから、女中さんが、めざしをもってきました。
縁側の脇から猫たちが匂いに引かれて顔をだしました。
「ほら、お礼だよ」
旦那さんが廊下にめざしを置きました。
猫たちは廊下にあがり、めざしをくわえて、庭に飛んで行きました。
「あの猫たちはどこに住んでいるんだい」
「わからないの、お庭にいるみたい」
「猪吉にさがさせよう」と、旦那さんは部屋から出ていきました。
こうして毎日、毎日猫とお嬢ちゃんは鞠や石けりで遊んだのです。
そのようなことが続いて、お嬢ちゃんはすっかり元気になりました。奥様や女中さんを従えて散歩にもでるようになったのです。
一年が過ぎ、次の春になっても、お嬢ちゃんは寝込むことはありませんでした。
「あ、戻った」
虎が大きな声をあげました。
ミーちゃんが心配そうによっていきます。
「いや、なに、玉が二つに戻った」
「え、きっと、烏天狗様が約束を守ったから、戻してくださったのね」
「ああ、やっと据わりが良くなった」
虎は大きく飛び跳ねました。
そんなある日、あの一番古い蔵に、猪吉さんが蔵の鍵を持ってやってきたのです。
猪吉さんは苦労して、錆びた鍵をあけ、やっとの思いで、戸を開けました。
そのとき、埃の煙が高く高くあがりました。
冷たい空気が、蔵の中にさーっと流れます。猫たちはびっくりして、外に飛び出しました。
沢山の男衆がくると、蔵の中のものをみんな持ち出してしまいました。次に女子衆がきて、蔵の中の掃除をはじめました。あっと言う間に蔵の中はきれいな部屋になりました。一部に畳が敷かれ、箪笥が持ち込まれ、なぜか、立派な棚が据え付けられました。
猫たちはがっかりして、庭からその様子を見ていたのです。
ミーちゃんのお腹が膨らんでいます。玉が戻った虎の子供が入っているのです。仲間の雌猫の中にもお腹の大きいものがいました。
「産む場所がなくなっちまうなあ、俺たちゃまた川原にいくか」
虎がぼっそと言います。
「そしたら、あたいもいくから」
と、ミーちゃんが言いました。
やがて、その蔵は閉められ、男衆と女子衆は外に出て行きました。
虎たちはいつも入る壁の穴のところに行きました。
「なんだこりゃ」と、猫たちは目をを見張りました。穴が開いていたところは綺麗に修理されて、小さな入り口が作られています。
「入るぞ」
親分の虎の後をついて、みんなぞろぞろと入ってみました。
なんと、中には、お膳の上に、煮干しがのっています。
お嬢ちゃんが奥さんと旦那さんにつれられて、蔵の前に来ました。
猪吉さんが、鍵を開けました。
「これからは、鍵をかけないからね」
旦那さんが言っています。
「ここは、美代の遊び場よ、雨の時はここでお遊びなさい」
奥様が言っています。
お嬢ちゃんが蔵の中に入ると、畳の上を見ました。
「猫ちゃんたちが待ってる」
畳の上で猫たちが好きな格好をして遊んでいました。
お嬢ちゃんは、あわてて、ポックリを脱いであがっていきました。
お嬢ちゃんが、箪笥を開けると、鞠が入っています。綺麗な丸い石も入っています。
こうして、吉野家の土蔵は猫の住処となりました。
ミーちゃんにも子供が産まれ、蔵の中でチョロチョロと遊んでいます。真っ白と真っ黒の子供たちが、お嬢ちゃんの膝の上にのったりしています。他の猫の子供たちも跳ね回っています。
吉野家の猫の話はまたたくまに、町中に知れ渡り、それ以来、吉野家はますます繁盛、猫土蔵は評判になりました。
これには話の続きがございます。
元気になった美代ちゃんは大きくなり、お嫁に行くことになりました。
ミーちゃんも虎も年をとり、子孫が何十匹もおりました。吉野家のご主人も奥様もお元気ですが、お年になり、神経痛であまり出歩かなくなりました。
ミーちゃんが虎に言いました。
「ねえ、あんた、もう玉いらないでしょう」
「なんでえ、そりゃあ」
「あの温泉に、旦那さんと奥さんを連れて行こうよ」
「だけどなあ、天狗さんが俺の玉をとっちゃうよ」
「だから言ったでしょ、もういらないでしょうって」
「そりゃあ、もう子どもつくれないけどな、無くなると寒くなるからな」
「そんなものなの、あんたも年とって太ったし、玉とって軽くなりなさいよ」
「昔はそんな言い方しなかったのになあ」
「あんたと一緒になったからこうなったのよ」
虎は決断をしました。
「よし、明日、天狗山にいこう」
次の日、旦那さんと奥さんが庭に出てきたときに、虎とミーちゃんは裾に噛み付いて引っ張りました。
「これこれ、なにをする」
旦那さんと奥さんはびっくりして、美代さんを呼びます。
「おや、ミーと虎がお父様とお母様をどこかに連れて行こうとしているわ」
虎とミーは裾を離しました。そして、ゆっくりと歩き始めたのです。
「お父様、お母様、今日は暖かいし、猫たちに誘われて散歩に行きましょう」
「そうだねえ」
時間をかけて、猫たちと三人は天狗山の裏にやって来ました。大きな岩陰には三つもの温泉が湧き出しています。
「こんなところに、温泉が湧いている」
美代さんが手を入れてみると、とても暖かくて気持がいい。
「お父様、お母様、きっと、からだにいい湯ですよ、猫たちが教えてくれたのに違いがありません、この猫たちは私のからだを直してくれました」
「そうだねえ」
旦那さんと奥さんは、その湯に浸かることにいたしました。
「おー、気持ちのいいこと」
そのとたん、虎は身が軽くなったことに気付きました。
空の上のほうで烏天狗が舞っています。
虎が尾を振ってみました。なんとなく空振りです。おちゃんこをして覗いてみますと、二つの玉がなくなっています。
虎はミーに向かって
「なくなっちまった」
と目じりを下げました。
ミーは虎の肩を揉みました。
美代さんのお父さんとお母さんの神経痛はすっかりよくなりました。
その温泉は、天狗の湯として有名になり、多くの人の病を癒したといいます。
玉がなくなった虎も、ミーちゃんと共に長生きをして、猫土蔵の中で幸せな一生を終えたということです。
猫小咄集「お猫さま」所収 2017年 55部限定 自費出版(一粒書房)
2017年度(第20回)日本自費出版文化賞、小説部門賞受賞
お猫さま 第七話ー猫英断