巫女の舞
茸幻想SF小説です。PDF縦書きでお読みください。
「ミヌは舞が下手よのう」
「そうじゃのう、可愛そうなくらいじゃ」
「母様が舞の名手、あのふんわりと土の上を浮くように歩かれる姿は誰にもまねが出来ぬこと、娘のミヌはいくらみなが教えても上手くならぬ、母さまが舞が上手いと、娘も上手いものなのじゃが、いかにしたものよ」
「たしかに、キラは母と同じに舞が上手い、あの年であれだけの舞はなかなかできぬ」
「ほんに、だがどちらもまだ七つ、我々も気を長くまとうぞ」
「そうですのう」
巫女の女たちが噂話をしている。
ミヌは舞の天女と言われる巫女、カスミの娘、将来はカスミの後をついで、天子様の前で舞うことのできる土の舞姫となる。
キラは舞の妖精といわれる巫女、ヨギリの娘、やはり、後をついで空の舞姫となるのである。それは代々そうしてきたことであり、誰も疑うものはいないのだが、なぜかミヌの力はなかなか開花しなかった。
ミヌもキラも身体つきはほぼ同じ、どちらも母と似て、何事にも長けているのだが、舞だけは違った。ミヌは自分のからだが思うように動かぬのを自分でもわかっており、もどかしく思っている。だが、二人は双子のように仲が良く、ともに練習をかさねているのであった。
十歳になったときに、ミヌはとうとう自分に嫌気が差したように言った。
「キラ、私ってどうしてキラのように滑るように歩くことができないの」
「ミヌ、頑張るのよ、ミヌはからだが柔らかい、だからいつかきっと上手くなるわ、わたしより」
ミヌの母カスミは天子様の前で頭をたれ、娘が後を継ぐのはかわいそうであり、自分を巫女の座から他のお役目へと変えてもらいたいと申し出たのである。しかし、天子様は首を横に振った。
「カスミ、娘を信じるのじゃ、何も考えずに、毎日優しく見守ってやるのじゃ」
天子様の言葉はありがたいことであったが、カスミには重荷になった。
「はい、もし、ミヌが十五になったときに、舞を天子様の前でお見せできないことが分かった時には、また同じお願いを致します。なにとぞその時には私のことをお聞き入れくださいますよう」
「そう案ずるな、心配せずにな、カスミ」
天子様はそう言われて席を立った。
天子の住む御殿はムルミ山の麓の高台にあり、前にはクヌリの湖が広がる。湖の水は絶えず底の小石まで見えるほど透き通っているが、春は木々の芽吹きで、白緑色(びゃくろくいろ)に染まり、夏には花田色へと変っていく、秋になると、紅葉色がちらちらとまざる朽葉色(くちばいろ)となり、やがて、氷つき、銀色に光る白い絨毯と変る。そのときどきに、天子様の御殿では宴が行なわれ、この国の舞姫達が集まり、得意の舞を披露をする。天子様付きの巫女たちは、国の舞姫の中でも最も優雅に舞わなければ天子様のお顔がたたない。
それほど天子様じきじきにお抱えの舞姫である巫女たちには重い役割があったのである。
寒い冬が終り、雪も解け、クヌリの湖が白緑色に輝き、桜の花弁がちらちらと舞うほどの陽気のよい日が春の舞の宴となる。
春の舞まで一月、巫女たちは新たな舞の稽古に励む。その日は七つの都から舞の名手が来ることになっている。
宴に呼ばれるのは、この国のそれぞれの都の長たちである。土の舞姫のカスミは春の訪れに相応しい柔らな色の衣装をまとい、土からのぼるカスミのように静な舞を披露し、空の舞を舞うヨギリはそよ風のような軽やかな舞を披露する。仲間達と舞の練習を励む中、ミヌとキラは母だけではなく、母の母から舞の指導をうける。おばあさまである。お婆さまも若い頃は天子様の前で舞を披露した舞の天女であった。母の動きを見ながら、少し離れたところで、母と同じ動きの指導をお婆さまから受ける。
舞の宴の前の日になると、母たちは全幕通した練習をする。娘たちは宴が終わった次の日が本番である。巫女たちの前で、同じように宴の踊りを行なうのである。それを稚児の舞と称し、練習の成果を発揮する場となっていた。
春の稚児の舞でミヌは母のカスミと同じ、土から立ち上る靄を舞った。ミヌは舞いながら、なぜか足が土から、いや床から離れていないと感じていた。母の舞を見ていると、そんなはずはないのに床の上から両足が浮いて、空を滑るように動いていくように見える。あの動きはどのようにするのだろうか。からだのすべての動きが見る者にそのような感覚をひきおこさせるのだろう。
キラもキラの母、ヨギリのそよ風の舞を舞っていた。一緒に舞っていて、キラとすれ違う時、キラの体が宙に浮いて流れているように見えた。キラは舞が上手。どうしても比較してしまう自分にミヌは何が足りないのだろうと自問していた。
終わって、巫女たちは二人を褒めてくれた。ミヌにも良くなったと言ってくれた。しかしそれは慰めの言葉である。母も優しくかなり良くなったと言ってはくれた.しかしその目には厳しさが潜んでいた。
稚児の舞の後は、巫女たちに混じって、舞手たちの慰労会である。美味しい料理と飲み物がふるまわれる。巫女の娘たちは桜のお菓子に果物、それに甘い泡の出る飲み物を楽しんだ。
このあたりには温泉が出る。掘ると暖かい水、泡の出る水、薬になる水、色々な水がわきでる。泡の出る冷たい水に山の果物の汁を混ぜ、砂糖を入れたシドレという飲み物は、他の国にはない、美味しいものである。それが飲めるのはその日だけである。
「おいしいね」
ミヌはキラの隣に座ってシドレを飲んだ。
「キラ、きれいだったよ」
「ミヌこそ綺麗に舞っていた」
「あたしはだめ、どうして、キラのように床の上に浮いて舞うことが出来ないのかな」
「ミヌ、明日朝早く、森に行こう、動物達がかわいいよ」
キラはたまに森に散歩に行くという。ミヌはいつも練習をしていて、なかなか外に出ない。
「うん、でも練習が」
「森の中に広場があってね、そこにいくと、私舞いたくなるの、茸たちが見ているところで舞うのよ」
「お母さんがいいって言ったら行くね」
そんな約束をした。
春の舞いが終わったばかりだろう、ミヌがキラと遊びにいっていいかと聞くと、いいと言われた。
朝になると、ミヌはキラを誘って、御殿を出てムルミの山の中に入った。
「キラ、いつも行くところに連れて行って」
キラと一緒に山を登っていき、途中から林の中にはいると、木々に囲まれたミヌの足取りは軽くなった。羊歯が足元をかすめていく。
「林の中はこんなに緑、羊歯が足をくすぐるの」
「そう、足がさわさわして、なんだか軽くなるでしょう」
「うん、ほんとに、嬉しい」
ミヌはステップをきった。
「ミヌ、とても軽そう」
「うん、からだが軽い」
二人は、林の中の泉の畔にやってきた。木々に囲まれたとても広い広場であった。緑の草の中にたくさんの春の茸が生えている。
「茸、きれいね、面白い」
網笠茸が一面に生えていた。
ミヌは御殿の庭に生える茸はよく見かけていた。とても好きな生き物だと思った。傘の色も綺麗だし、なんだか、いつも幸せそうに、茸たちは庭に立っていた。
「ここの、茸たち、御殿の茸より、小さいみたい、だけど可愛くてきれい」
「うん、母様が御殿の庭には庭師のクスミが、いつも栄養のある土を運んできて、まいたり、入れ替えたりして、大きな綺麗な花が咲くように気をつけているんだって」
キラは舞だけではなく、色々よく知っていた。ミヌはいつも舞いだけだ。
「でも、この茸たち可愛い」
「うん、私もそう思う、御殿の茸より輝いている」
キラもそう思ったようだ。
「こんな広くて綺麗なところ、どうして知ったの、キラ」
「夢を見たのよ、女の人がでてきて、マヌルにおいでって言ったの、それはどこか知らなかったのだけど、朝眼がさめて、御殿を出てみると、ムルミの山を登る道にたくさん茸が生えていて、可愛いなと思って、茸を見ながら歩いたの。上ってくると、林に入る道があって、そこにも茸が生えていたの、歩いていくと、ここにたどり着いたの」
「素敵な夢を見たのね」
「うん、それでここに来たら、そよ風が吹いて、まるで、草が舞うようにそよいでいたの、それで、私も草の中で風に吹かれて舞ったの、とても気持が良かった」
そういい終わると、キラは草の中で、空の舞をはじめた。御殿で舞ったのよりもっと、ずーっと軽やかで、素敵だった。ミヌも草の中を歩いてみた。なぜかうきうきと、気持ちが弾んだ。
「ミヌも舞ってみて」
キラに誘われて、昨日二人で行なった稚児の舞を舞った。
「ミヌすてき、すごいよ」
キラに言われて、自分でも、草の上を浮かんでいるように、自分のからだが舞っているのが分かった。手も頭も林の中の若葉の中に吸い込まれて、空気の中に広がるように舞っていた。
「私、こんなのはじめて」
「ミヌ、二人でここにきて練習しない」
ミヌは喜んで、そうすると言った。
「朝早く、朝餉の前に二人で来よう、そうすれば、お母さんにもだめって言われないのじゃない」
「ありがとう、キラ、毎日来よう」
こうして、ミヌとキラは、朝日が登ると同時に、マヌルの泉の畔に来た。二人は茸に囲まれて、舞の練習をした。
そして、十四になり、秋がきた。秋の稚児の舞の日、誰でも目が離せないほどすばらしい舞を披露したのである。それは二人とも母たちの舞よりも、周りの人を感動させた。
何よりも安堵したのはミヌの母カスミであった。だが、なぜ、あれほどに動きの硬いミヌが、軽やかに舞うようになったのか不思議に思った。ミヌがまだ子供のころ天子様はあわてずに待てと言った。それは正しかった。
「ミヌ、すばらしい舞ができました。母はもう何も言うことはありません、十五になった春には、お前にすべてを任せます」
「母様、ありがとうございます。お陰で、舞のすばらしさがわかりました。来年の春、お母様の後をついで、これからも舞を舞ってまいります」
カスミは涙を抑えることができなかった。
そして十五になった春、ミヌはキラと春の舞を天子様の前で、さらに見事な舞を披露した。
「すばらしかったぞ、土の舞のミヌ、空の舞いのキラ、ともに、カスミとヨギリの後継者として申し分がない、これでわが御殿の舞が今までより以上に国中の憧れになることは間違いない、私は幸せに思うぞ」
天子様のお言葉は、ミヌとキラよりも、これで引退するその母達の安堵と大きな喜びになった。
そして一年が経とうとした秋のある日、突然、キラが死んでしまった。御殿の庭で、秋の空を見上げていたとき、いきなり空気の渦が起きた。キラは鰯雲のたなびく秋の薄青い空のなかに吸い込まれ、どんどんと上がっていくと、雲の中に消えて行ってしまったのである。
その時、ミヌは林の中の泉に来ていた。あたり一面に、色とりどりの茸が生え、そこで舞っていたのだ。綺麗な小さな茸を踏まないように、細心の注意を払って舞っていた。キラと一緒に来たときから、こうやって舞の練習をしていたのである。十五になって、キラはもう一緒に来なくなった。館では一緒に練習をするが、キラは恋の相手ができて、朝早くその彼と一緒に、クヌリの湖の畔で恋を語っていた。
ミヌはまだ憧れの人もおらず、というよりも、男の存在を意識していなかった。
キラが竜巻に空に連れ去られてしまった時、見ていたのはキラの恋の相手のクラだった。彼は横笛の名手であり、舞の舞台では、キラの空の舞は横笛の音にのって軽やかに導かれていた。その彼をキラが見初めたのだ。
天子様の住む御殿では、それこそ何十年もの間に一度であるが、空気の渦に誰かがさらわれ、空に連れ去られる。空の上には天子様の本当の館があると信じられていた。だから竜巻に連れ去られることは、幸せなこととも言われていた。
キラの母のヨギリもミヌの母のカスミも、キラは幸せなことと涙した。恋の相手のクラですら、自分の元を離れてしまったのにもかかわらず、キラを祝福した。
だが、ミヌは悲しんだ。友のいなくなった悲しみのあまり、毎日林の中の泉の畔で泣いていた。
これから一人で、舞を練習しなければならない、いつかは誰かと一緒に舞わなければならないのだろう。キラじゃなきゃ嫌だ。
キラが空の館に召されたことで、ミヌはしばらく一人で春の舞、夏の舞、秋の舞、冬の舞を舞わなければならない。一人で二人で舞った以上に、周りの人に感動を与えなければならない。どうやればそのようなことができるのであろうか。
十五になる前は、自分の舞いに自信が全くなかった。それが、認められるようになったのも、キラが林の中に連れ出してくれたからだ。そのキラがいなくなった。また、子供のころに戻ったように、ミヌの動きは軽やかさを失った。
ミヌの母のカスミは、天子様にミヌが舞えぬことを訴えた。
「カスミ案ずるな、すぐに、あの見事な舞が戻ってくる、しばらくは様子を見てやろうじゃないか」
天子様は以前と同じような言葉をカスミに投げかけた。
「どうじゃ、しばらく、もう一度、ヨギリと一緒に、御殿の舞を頼みたいが」
こうして、天子様の舞の舞台に、カスミとヨギリが再び立つことになった。
ミヌは毎朝、林の中の泉の広場、マヌルに通って、倒れた木の上に腰掛け、物思いにふけっていた。
あるとき、草原の中にミルク色の靄が立ち込め、赤い炎が泉の中から沸き立つと、中から大人の女性が現われた。背の高い色の白いうりざね顔の女性は、ミヌの前に立つとミヌを見下ろした。ミヌが顔を上げると、真紅のドレスを身にまとった女性は、
「夜中にここに来ぬか」そう言った。そのとたん辺りは一挙に霧が晴れて、女性は消えていた。
夢でも見たのかとミヌは辺りを見回した。秋の風が泉の水面にさざなみを起こし、色とりどりの茸たちの頭をかすかに揺すっている。
茸たちがミヌを見ている。
そうだ、夜中に来いと、女性が言っていた。今日の夜に来てみよう。十五を過ぎたミヌに母親は何も言わなくなった。だからミヌは自由だった。
その日、皆が寝静まったあと、月明かりを頼りに、夜の山道をミヌは登って行った。月が雲に隠れると、満天の星が空を覆うのだが、足元は暗い。すると、不思議な青緑の光が動いてきて、ミヌの足元を照らした。
何?、ミヌが立ち止まると、月夜茸が並んでいた。
光る茸、ミヌはまた歩き出した。月夜茸の光はミヌが林の中に入るまで足元を照らした。林の中の泉の広場、マヌルは光の中に浮き出ていた。木に付いている月夜茸が一斉に光っていたのだ。
あっと、ミヌは立ち止まった。光の中で、赤い布を身にまとった女が舞っていた。風にそよいでいるのでも、靄の中に静かに動いているのでもなく、激しく、竜巻のように、赤い布をなびかせて舞っていた。それにしても、柔らかい。どうしてだろう。あんなに激しく動いているのに、見ている者には、しなやかに空気の塊のように女が舞っている。もし男が見たら、赤い布の中の女のからだが浮き出て、それは妖艶な舞いに見えただろう。
まだ、十五歳のミヌには、大人になったとはいえ、その動きは魅惑的とは思えても、男が頭に描くようなものは見えていなかった。
女が舞うのを止め、ミヌの前に立った。
「後について舞いなさい」
女はミヌに赤い息をかけた。ミヌの着ていた白い布が真っ赤になり、風になびいた。
女がすーっと前に進んだ。ミヌも前に出た。女の足は生えている茸の上をすべっていった。ミヌの足は茸にぶつかった。ぶつかった茸はすぐに起き上がったが、痛そうだ。女の歩みは茸をよけている。女の足の指は茸にぶつからなかった。
ミヌは女と同じように靴を脱ぎ、素足になった。女の足の動きを目で追った。右足の親指がすべるように茸と茸の間に入り、もう片方の足の指先はその前に生えている茸と茸の間に入った。女は足のつま先で歩いている。軽やかに。それが舞いになり、宙に浮いているように見える。
ミヌも女の後を追った。女が舞うと風が起きて、着ているものがなびく。ミヌもまねをした。なかなか着ている赤い布がなびかない。
茸の間をすすんでいくうちに、ミヌも要領がわかってきた。
見ていると、女の足の先が茸と茸の間に入る前に、茸たちの頭を女の足の指が撫でさすっている。茸たちは気持ち良さそうに頭を女の指にこすりつける。
まあ、猫が頭をこすり付けているみたい。
ミヌはそう思った。
自分にもできるかしら。
立ち止まって、親指で茸の頭にそうっと触れた。黄色い茸の頭がちょっとばかりミヌの足の指を押し返した。きもちがいい。茸たちもそう思っているのでしょう。
それをしながら、女の足の指は地に着いて、からだを持ち上げ、前に飛んで行く。それが、滑るように舞うための、基本であることがわかった。
しばらくすると女は、「毎日おいで」と言いって、空気のようにとすーっと消えてしまった。いくつもの茸がミヌを見ている。ミヌも女の動きを思い出し、茸の間をつま先で舞う練習をした。やがて夜も更け、疲れたミヌは切り株の上に腰掛けた。周りの木々についている月夜茸があたりを照らし出している。ここで、毎日練習をしよう。あの女の人はまた来てくれるのだろうか。ミヌは館に帰るために立ち上がった。木々についていた月夜茸がぞろぞろと降りてくると、館までミヌを照らしてくれた。
夜中に泉を訪れると、必ず女が茸の上で舞っていた。女の舞いは巫女たちの舞とは違って、あまりにも艶っぽかった。ミヌにはまねが出来ないと思っていたが、足の先が茸たちの頭をなでさすることが出来るようになると、ミヌの足が温かくなり、赤みが差して、それは太ももに伝わると、からだが柔らかく、乳房はふくらみ、手の指先は細く、唇は赤くなった。ミヌは茸の間に親指を滑り込ませて、舞った。茸の頭に親指が触れるとミヌの顔がほてってきた。からだが柔らかくなり、自分でも空を舞っているような気持ちになった。
ミヌの舞が妖艶な舞になっていく。
そんなある夜、いつものように月夜茸に導かれて泉のところに来ると、若い女たちが、いつもの女の周りに集まって、ミヌの来るのを待っていた。
「ミヌ、そなたは、この泉の主の妻になってくださらんか」
ミヌにはその女の言っていることがわからなかった。
「この泉は、この世の源。私たちはそれをお守りする役目。美しい舞を舞い。泉の主をお慰め申さねばならない」
ミヌは泉に誰がいるのだろうと思った。
「私は土の舞のカスミの娘、天主様に舞いを舞ってお慰めをしなければならない身でございます。ただ、相手のキラが風の渦に天に連れ去られ、舞う相手を失ってしまったのでございます」
「知っておる、キラを天に召したのはこの泉に住む主じゃ、ミヌを舞の女王にするつもりだったのじゃ、私の跡継ぎになるのじゃ」
「それでは、母様が悲しみます。なんとかして、また天主様の御殿の舞いに戻りたいと思います」
泉の主とはだれなのだろう。
「天主は存じておる、ミヌは天主の顔を見たことがあるのか」
そういわれると、いつも黒い薄い布で顔を覆われている天主様の顔は知らない。
ミヌは顔を横に振った。
「まあ、いい、さあ、今日の舞は私一人ではない、この周りにいる者たちも舞う、よくみておるのじゃ、一人ではなく、この者たちと供に、舞を作り上げるのじゃ」
その女は、からだに巻きつけた赤い布をはためかせ、風のように広場で舞った。その周りを、若い女たちが色とりどりの布をからだに巻きつけ空に漂い、真夜中の林の中はまるで太陽の下で行なわれているように明るく燃え上がった。
美しい、あの女の人は誰なの、舞の女王と言っていた。
ミヌが思ったとき、優雅に舞っていた女がミヌの前に立った。
「私はルーエ、泉の主の妻、だが、ミヌが妻となる」
またミヌには女が何を言っているのかわからなかった。
「ミヌ、さあ、この娘達と踊ってごらん」
ルーエがミヌに言う。ミヌは靴を脱ぐと、泉の前の広場で舞を舞った。若い娘達も一緒にまった。足の下を茸の頭がかすめていく。ミヌはルーエのように、しかし、もっと炎のように赤く、滑らかに林の中を舞った。
「おお、炎になってまいった、ミヌの舞も女王の舞いになった、天主の前で舞うがいい」
そう言うと、ルーエは真っ赤な大きな茸になって、泉の畔に立った。躍っていた若い娘たちは、色とりどりの茸となり、真っ赤な大きな茸を囲んだ。
ルーエは茸だった。茸に舞いを教わっていたのだ。なぜかミヌは納得をしていた。
ミヌは館に戻った。
夜が明けて、ミヌは母のカスミに、秋の舞の宴では、自分も舞いたいとうちあけた。カスミはキラが天に召された後、ミヌから舞が消えてしまっていたことから、それを聞くととても喜んだ。夜毎、山に行くことは知っていたが、ただ嘆き悲しんでいたのではなかったことを知った。
「一人で舞うことができるのかえ」
母がそう聞いても、ミヌは「はい、一人で舞いまする」と言った。それに、「赤衣がほしい、と始めて、母に頼みごとをした」
母のカスミは頷き、天主様にミヌが一人で舞うことを言い、許可をえた。
「そうか、ミヌがそう言ったのか、何か必要なものはあるか」
「赤衣で舞いたいと申しております」
「そうであろう、よい絹衣をおらせようぞ」
天主様はそう言ったのだが、カスミは内心不安であった。近頃ミヌは母の指導を受けることはしなかった。どのような舞を見せるのだろうか。
それは秋の舞の宴のときであった。その宴はいつもと違い、天主様の御殿ではなく、林の中で行なわれるという。
カスミもキラの母のヨギリも今までそのような経験をしたことがない。
秋の舞には、津々浦々の都から、舞の名手が集まることになった。天主様はその舞台をミヌが舞いの練習していた泉の畔、マヌルにしつらえた。
ミヌがカスミに、キラに導かれてこの場所にはじめてきたことを、そして、毎日一緒に舞いの練習をして、舞が舞えるようになったことを、キラがいなくなった後も、夜毎ここに来て、茸の女王に舞いを教わったことを言った。
カスミにはミヌが不可思議な何かに導かれていることが不安になった。しかし、それは運命なのかもしれないとも思った。
秋の舞の宴は満月の夜。全国から舞の名手が集まった。舞の宴は夜遅くまで行なわれ、最後はミヌが舞うことになった。
天主様はミヌに、泉の畔の草原で舞うように言った。
赤い絹布を纏ったミヌは頷くと、草の中につま先で立った。周りの茸たちが一斉にミヌの親指に頭をこすりつけた。草の中から数人の色とりどりの女性達が現れた。
いつの間にか、泉の畔の大きな石の上に、茸の女王が女の姿で腰掛けてミヌを見ていた。
ミヌは舞い始めた。女たちも周りを舞い始めた。
ミヌの舞は滑るように草原の宙をただよい、人々を驚きの渦に巻き込んだ。まるで明るい陽が差すように、ミヌが宙に浮き出て、その周りを女たちが舞った。
ミヌの赤い布がなびくと、宙に炎が現われ、草原の上に火が燃え盛った。その中をミヌが舞い、女たちが舞った。
すると、見ていた天主様が顔にかけていた黒い布を手で払いのけた。
真っ白い顔の真ん中に一つある青い目がミヌを見ていた。
天主様が白い衣装を脱ぎ去ると、その下には真っ黒の布をまとっていた。
天主様が舞い始めた。黒い布が宙を舞った。黒い布はミヌの赤い布と絡み合うと、水の玉となり、辺りを漂った。ミヌは一つ目の天主様を見て、驚きのあまり、高く高く舞い上がった。天主様はおいつくと、天主様の手がミヌの手をとった。
そのまま音もなく、二人は草むらに降りたった。
一つ目の天主様はミヌの手を引いて、泉の畔まで歩いた。
ミヌは泉を見た。
泉の中に大きな泡が沸き立った。
茸の女王の女が石から降りてくると二人の前に立った。
「天主、ごくろうだった、ミヌを良くここまで育てた、礼を言う」
天主様は深くお辞儀をなされ、
「火巫女様、お言葉、もったいなく、ありがたき幸せでございます」
そうおっしゃると、ミヌの手を離し、ゆるゆるとみなが見ている中にもどってきた。
カスミの前に来ると天主様は、
「カスミ、ごくろうであった、私からも礼を言う、私が役目を果たせたのも、そなたがよき母であったからだ」
と言った。
「これは、ミヌの形見だ、ミヌは旅たつ、決して危険なものではない、苦労はあるだろうが、いずれ、世の中でもっとも強い幸せを手に入れることになる」
羊歯の葉に包んでいるものをカスミに渡した。カスミには何が起きているのか理解ができなかった。
火巫女と呼ばれた茸の女王が泉に声をかけた。
「ミヌが育ちましてございます」
泉の中の泡が激しく噴出し、泉の真ん中に青緑色の泡が盛り上がってきた。
泡の中から大きな赤い手が伸びてきた。その手は赤い絹の布に身を包んだミヌをむんずとつかむと宙に持ち上げた。
ミヌは手につかまれたとき、カスミを見た。カスミは驚きのあまり震えている。
しかし、ミヌにはこれからいくところが、とても幸せに満ちたものであることを悟っていた。
ミヌは母に向かって微笑んだ。
カスミはその顔を見て、驚くと供に、ミヌの運命を知った。
ミヌのおでこにある一つの目がカスミを見ていた。
カスミはミヌの形見だと羊歯に包まれ、天主様から渡されたものを開いた。
そこには、ミヌのもう一つの眼があった。
カスミが顔を上げると、ミヌは赤い手につかまれ、泉の中に沈んでいくところだった。
天主様がカスミに言った。
「その眼を通して、ミヌはお前をいつも見ている。お前はその眼をいつも携えておれ。そうすれば、ミヌは泉の底からこの世を見ることができるのだ」
カスミは頷いた。
「この泉は火巫女様たち茸が守る世の源である。泉の主の命を受けた一つ目族のわしが、二つ目族の巫女の中から、新しい生命を生み出す妻を探し出すよう、ムルミの山につかわされたのじゃ、また長い年月を経たあとに、ミヌの後の妻を探さなければならない」
「その時、ミヌはどうなるのでしょうか」
心配したカスミはそう尋ねた。
「火巫女様のように次の茸の女王になり、あの泉の畔で永遠の命を得ることになる」
「また会えるのですね」
「そなたもその時には茸になれるであろう」
一つ目になったミヌは泉の底で、赤い手の主にいだかれていた。
赤い手の主の顔には眼がなかった。
「ミヌ、わしは眼がないが、すべてを見ることができる、お前の二つ目の顔も知っておる、今の一つ目の顔もいい、これから、すばらしい舞を舞い、わしの子供をたくさん産んでくれ」
主の声は静かな心休まるものであった。
ミヌはもう一つの自分の目で、泉の外を見ていた。天主様の舞の宴で舞うカスミの姿が見えた。天主様の手の平の上にはミヌの片眼があるのであろう、カスミの舞をミヌに見せてくれているのだ。ミヌが泉の主の前で舞うことを忘れぬようにとの心づかいである。
こうして、ミヌは泉の底で、泉の主の妻となった。やがて子供が生まれ、その子供は泉の主が宇宙の果てに作り出す生命に適した星に、新たな生命として、これから何億の年を経て育っていく。これからいくつもの生命の星の誕生が約束されたのである。
巫女の舞