【土山】花と葬列

しずよ

二次創作(腐)につきご注意ください。
2012年の土山ちゅっちゅ祭りというWebイベントに参加した時のお話です。
いつまでもミツバを弔うことすらできずにいる土方に、山崎が業を煮やす話。土山です。
バラガキ編のあと、鉄之助の処遇が原作で明かされていない時期に書いたので、鉄之助は佐々木家へ戻れたと仮定した内容になっています。

 落雁、ろうそく、線香、激辛せんべい。
 山崎が土方から受け取ったメモ用紙に書いてあった、買い物リストがこれだった。



「これ買っといて」
「え? ああ、はい。今すぐですか」
「いや、あさってまで」
 山崎は道場での稽古を終えて、三人で後片付けをしている時間帯だった。そう言って土方は忙しげに去って行く。なんか変だな、と山崎は土方の様子を見て思う。離れにある道場まで、緊急じゃない買い物のメモをわざわざわたしにくるのも変だし、それ以前にほとんど目を合わせなかった。ただ忙しいじゃなく、山崎から詳しくなにか聞かれるのを避けたかったような、気まずくて逃げたような行動。
 紙に目をとおす。おそらく近藤の字で書かれたこれらの物は、ミツバの法事のための準備だ。山崎は息をのんだ。これを土方がことづけるということは、ついに出席するんだろうか。土方はおそらく、まだ一度も墓参りすらしたことがない。
どうして行かないんですか、と口には出せないがずっと思っていた。だからたった一枚のメモで、山崎は動悸が不規則になりそうだった。



 本人は逃げるように去って行ったので、確認しようと山崎は近藤を探す。すると稽古をつけた後にさっそく風呂に入っていたようだった。上がって部屋に戻る途中の廊下でつかまえて、話しかける。
「局長、あさっては副長も一緒なんですね」
「え、あさって? どこに一緒なの?」
 まだ汗が引かないのか、近藤は首にかけたタオルでひたいを軽くぬぐいながら、きょとんとしている。
「どこって、ミツバ殿の法事ですよ」
 すると近藤は、いつにも増して一瞬だけ目を見開いて、すぐにいつもの笑顔に戻る。なにか隠したな、と山崎は思った。
「トシは行かないよ。明日は出張って聞いてない?」
「……。ああ、そうでしたそうでした。すみません局長、俺、勘違いしてました」

 局長も副長も、様子が変だ。

 不審に思った山崎は、まず近藤から調べてみようと考えた。やがて日が暮れて、すまいるへ出かけて行くのを確認してからこっそり局長室へ向かう。心の中だけ「失礼します」とつぶやき、山崎は机の上の書類にそれらしきものがないか、ざっと目を通した。すると本庁からのFAX用紙が見つかる。内容を覚えて、再びこっそりと部屋を出た。
 局長の字で書かれているから、あの買い物は初め局長が副長に頼んだんだ。忙しい副長にわざわざ頼むだなんて、沖田隊長と一緒に法事へ行ってくれ、とそんな意味があったはずだ。だから俺がさっき質問した時、局長は一瞬だけ変な顔をしたんだ。
 そしてとなりの部屋を障子ごしに山崎はうかがう。静かだがかすかに物音が聞こえるので、土方は室内で仕事をしているようだ。山崎が「副長」と声をかけると、障子の向こうから「ああ?」とたいして機嫌のよくない声が聞こえた。開けても部屋には入らず、縁側から土方に質問する。
「局長に聞きました」
「なにを」
「あさっては副長は出張だそうで」
「そうだけど」
「買い物は局長が副長に頼んだものだそうで」
 山崎がかまをかけると、わずかに土方の眉が動く。図星で動揺したのかも、と思った。
「……なにが言いてえんだ」
「副長」
「なんだよ」
 土方はかなり苛立った表情だ。山崎は一歩後ろに身を引き、大きく息を吸う。
「伝言ゲームは正しく伝わると思わない方がいいですよ!」
 一気に投げかけると、山崎は障子をスッと閉める。とたん、目の前の障子紙を何かが突き破り、ひたいにあたった。
「いたっ」
 おもわぬ襲撃に少し涙ぐみながら手でさする。床に落ちた物を見ると、マヨネーズ型のライターだった。少し腹が立ったので拾わずに、山崎はそのまま縁側を走って戻った。
 障子の向こうでは、きっとこめかみあたりに青筋を浮かべていただろう土方が、山崎には簡単に想像できた。
 二日前に出張が決まるなんて、山崎が知る限りほとんどなかった。しかも近場ではない、京の近く。局長室で盗み見たFAX用紙に、そんな走り書きがしてあった。急に宿をとったとか、先方の担当者の連絡先だとか。
 出張という名の逃避行だ。またあの男は逃げるのか、と山崎はあきれた。近藤も似たような気持ちだったのではないか。初めの年こそ理解した気でいたけれど、数年たった今となっては、逃げ続ける方が気力が必要なんじゃないかと思うようになっていた。あきらめていた、がより正直な気持ちに近いだろう。



「えっ、唐辛子まぜるって?」
「そうです。できますか?」
「まぁ、できねえことはないけど」
「じゃあ、お願いします」
 なんで唐辛子なのかねぇ、と職人は文句を言うでもなくぼやく。清潔そうな白い三角巾と割ぽう着を着た奥さんらしき中年女性が、名前と連絡先を複写式の注文用紙に書いている。
 甘いだけの市販品より、ミツバが気に入ってくれるかもしれないと、山崎としてはちょっと気をきかせたつもりの特注品だ。あまりたくさん混ぜたら粉同士がくっつかなくなると職人が言うので、そこまで辛いものはできないだろうけれど。山崎はお供えもののできあがりを想像して、かるく弾みながら店を後にした。
 次に向かうのは日本橋の百貨店だ。激辛せんべいは武州に店舗があるんだろうと思っていたらそうではなく、その昔ミツバが浅草寺を参った際に仲見世で見つけたものだという。近藤が言うには、日本橋の百貨店にも同じ店舗があるとのこと。屯所からはそちらが近かったので、線香とろうそくも百貨店で一緒に買うことにした。
 近ごろは線香の香りもさまざまな種類があるので、どれにしようか山崎は決められないでいる。頭の中にミツバの姿を思い浮かべる。好きな香りは生前に聞いたことがないので、あくまで想像だ。

「どれがいいですか」
「あら、普通でいいんですよ」
「こんなにあるから、せっかくなので好きなのを選んでみてはいかがですか」
「そうね、山崎さんがそうおっしゃるなら」

 そう言って美しい人は、なぜか少し眉をひそめてほほえみ、ひとつひとつ手にとり顔に近づける。会話をする機会はわずかだったけれど、あのやわらかい声もまだはっきりと山崎は覚えている。
 故人を思って頭の中で映像を再現していると、まだ生きてどこかにいるんじゃないかと思えてくる。家族や近所の住人だったらそんな風には思えないだろうけれど、少なくとも山崎にとっては、しばらく会ってないだけ、の錯覚がしっくりきていた。
 記憶がその人たらしめる最たるものならば、周囲の人間が覚えているミツバもまた、本人の一部と言えなくもないんじゃないか。体はなくとも、他人の記憶の中で生きていける。本当の最後は、覚えている人がみんないなくなった時。
 廊下からガラス越しとはいえ、看取った山崎ですらそうなのだから、あの場にいなかった土方は、余計にまだ生きている感覚を持っているのではないだろうか。


 亡くなってしまっても、あまり変わらないじゃないのか。


 自分の勝手な思い込みが混じらないように、山崎はできるだけ詳しく当時のことを思い出す。「こちらはどうでしょう」と店員に渡された試供品を、ミツバに差し出す想像をする。天然白檀使用と書いてあるそれは、近所の商店で売ってある線香とは違い、押し付けがましくない優しい香りがした。とても似合っていると思った。

「あら、いい香りですね。でも上品すぎるわ」
「そんなことないですよ」
「両親にはご近所の雑貨店にある杉の線香をあげていたんです。だから私もそれで充分だわ。せっかくなのに、ごめんなさいね」

 意外な答えが思い浮かび、生々しさに山崎はひとりで目をまるくする。でも種あかしはなんのことはない、おそらく沖田からかつて聞いていたんだろう。記憶の海からなにげないせりふを、思いがけず拾いあげる。供養とはこういうことなんだ、と山崎は初めて腑に落ちた気がしていた。
 結局、百貨店では激辛せんべいのみを購入した。線香とろうそくは屯所の近くで買うことにして、次に山崎は霞が関に向かう。本庁舎の地下駐車場で、松平の車を見つけて身を隠す。予想どおり定時で帰宅しようと、みょうな鼻歌まじりに松平が歩いてきた。付き従っていた運転手が先に車に乗り込んだところで、山崎は偶然をよそおい話しかける。
「お疲れ様です、とっつぁんは今帰りですか」
「おおっ? なんだ山崎じゃねえかよ、おじさんびっくりさせんじゃねえよ。なんだ今日こっちに来てたのか」
「ええ、ちょっと書類を預かってきまして。期限に間に合ってよかったです。ところでバズーカ納品しているメーカーってどこでしたっけ」
「バズーカはほら、あれだ。えーっと……」



 松平と立ち話が終わって、本庁を後にする。この次はここからあまり離れていない、エリート佐々木家。山崎は家に戻った鉄之助と話ができたら、と思ってやってきた。だけど、連絡もしていないのは無謀だったかもしれない、と電柱の陰からじっと玄関を見守る。松平の時と同じく偶然をよそおいたかったので、ときどき裏口も気にして見ていた。
 三十分ほど経過した頃、裏口から犬を連れた鉄之助が出てきた。どうやら散歩らしい。あまり大きくない鉄之助がドーベルマンに引っ張られている。山崎はそれを見て、思わずふきだした。初めて家の手伝いを任された寺子屋の子どもみたいなかわいさがある。なんとも似合っている。そうして家族のひとりとして溶け込んでいるんだと一見して分かり、安心して少し涙ぐみそうになった。一息つき、鉄之助が十メートルほど離れたところで、山崎は電柱から通りに出た。
「おーい、鉄」
 山崎は後ろから駆けより、犬に一生懸命な鉄之助に声をかける。
「あっ、チェ……先輩じゃないっスか! ご無沙汰しております!」
「今チェリーって言おうとしたよね! 言っておくけど……」
「誤解ッスよ先輩! この犬の名前がチェルシーっていいます」
「顔に似合わず、ずいぶんかわいらしい名前だね……、警察犬? ところで、お兄さん元気?」
 鉄之助はどうして山崎が現れたまでは、全く気にしていない。



 世間話のふりをした根回しは十分。あとは、あちらさんの対応を待つのみ。



「あら山崎さん、まだお仕事中じゃないんですか? 地面で寝ていたら、十四郎さんが不機嫌になって飛んでくるんじゃないかしら」
「あのこれは……、寝てるわけじゃないんです……」
「そうだったんですか、ごめんなさい私ったら気が付かなくて。まあ、口元が赤くなって……。どうなさったんですか? タバスコにむせたんですか?」
「タバスコ……? ああ、これは……」



――血です。



 視界に飛び込んできたのは無遠慮な蛍光灯のあかり、そして耳には列車の走る音。規則的な車体の揺れがイスから伝わり、帰りの電車で居眠りをしていたんだと山崎は分かった。
 たちまち冷たい汗が背中を伝い、外にも聞こえてるんじゃないかと思うほどに心臓が強く打つ。山崎は自分の胸を思わず手で押さえて、離して手のひらを見てみる。何もついてない。当たり前だ。あれから何年たった。
 なんて夢をみていたんだ、と口元を押さえる。窓を見ても車内のあかりが反射しているので、暗い外の景色は見えない。木曜の夜の電車は、くたびれた通勤客とただようかすかなアルコールのにおいを乗せて走っていた。山崎はイスから立ち上がり、扉の前に立つ。ガラスに顔を近づけ、懸命に暗い街並みを確かめた。

 早く電車を降りて、歩きたい。地に足をつけて踏みしめないと、得体のしれない何かに、どこかへ連れて行かれそうだ。

 窓から顔を離し、再び自分の胸元を見る。

――さっきの夢は、本当に夢だったのか。



 あくる日、山崎は廃ビルの一室で夜間の監視をするために、早めに晩飯を食べていた。そこへ後ろから近藤が声をかけてくる。
「今日の日替わり定食はなんだ?」
「あ、局長、お疲れ様です。秋サバの塩焼きです」
「おお、これも炭火で焼いたらもっとうまいんだがなぁ!」
「あそこの居酒屋の去年のサバ、うまかったですもんね」
「またみんなで行くか! それはそうと、ザキ、ここんとこ食堂で食べるの多いんじゃないの」
 山崎はどちらかというと、外で食べて帰ることが多かった。ひとりだったり、原田や沖田と一緒だったり。そしてまれに、土方が付き合ってくれた。なので近藤からは珍しく見えたんだろう。局長は隊士ひとりひとりを良く見ているな、と山崎は感心する。
 毎年この時期の夜は、どうしても出かける気分にならない。今日は仕事なのでしょうがなく、最寄駅を降り目的の廃ビルまで歩く。今夜の空気も、とりわけしつこくまとわりついてくる。赤と黒で染めたような九月初旬は、もはや別の季節と呼ぶのがふさわしい。
 鍵の壊れたドアを開け、懐中電灯で足元を照らして非常階段をのぼる。三階の角部屋にたどり着き、日中監視をしていた吉村と交代した。部屋には腰高窓が二つ。その近くにはスチール製の机がイス代わりに置いてある。ほこりっぽいそこに山崎も腰かけ、双眼鏡を取り出した。
 海の近くの倉庫街なので、通りを歩く人や車はほとんどない。こうして同じところでじっとしていると、長く考える時間ができてしまう。暗い部屋でひとりで考え事を続けて、明るい結論が出ることなんてあるんだろうか、と山崎は思う。
 病室でのミツバの吐血、
 狙撃された土方の足のけが、
 倒れた浪士たちの血のにおいと、それらを覆う夜の闇。
 俺は、こんなに感傷的な人間だったのか。
 いや、これはただの感傷とは違う。
 全部土方さんのせいだ。
 あの日、港で死を覚悟した背中に、じゃあな、と今生の別れをつげられたとしか思えなかった。
事が収束しても、俺の中ではまだ終わっていない。
 手にした片道切符は刀と煙草。
 なんでもひとりで決めて、知らないうちに手の届かない所へ行ってしまいそうだ。
 俺は、もっと長くそばにいたいのに。



 向かいの建物の前で、二人の男が立ち話している。双眼鏡で顔を確認したけれど、監視対象者ではなかった。念のために写真はとっておく。一人が横にとめていた車に乗り込み、もう一人は建物わきの路地を歩いていく。その光景に、あの日の土方と自分を重ねていた。
 双眼鏡を机に置き、気をまぎらわそうと大きく伸びをする。海が潮のにおいも運んでくるので、山崎は胸のざわつきをどうしてもごまかすことができなくなっていた。



 ざり、と砂を踏む音がすぐ後ろから聞こえ、しまった、と山崎はすぐに振り返る。顔を見る前に襟をつかまれ、おもいきり後ろへ押された。窓の横の壁に後頭部を打ち、衝撃で一瞬目の前が白くなる。つかんだ襟を持ち上げ、首元を押さえつけられる。息が、苦しい。
「く……」
 どうにか振りほどこうと、腕をつかんだ。目を開ける。すると、闇の中で山崎を冷たくにらむのは土方だった。
「副長……、苦しいです……」
「お前なにした」
「……なんの話ですか……」
 そう声を絞り出した後、山崎の抵抗する手の力が抜けていく。土方は下された腕を見て、目が覚めたような顔になった。ため息をつき、襟から腕を離す。
 げほ、と山崎は二三度、咳をする。とまどう顔で、それでも土方をまっすぐ見つめた。視線をそらし、手を後頭部へまわしておそるおそる触れる。何度かゆっくり呼吸を続けた。ひとまず落ち着いて、山崎が改めて土方を見ると、煙草を取り出し火をつけるところだった。暗闇に慣れた目には、思わず細めたくなるような火がともる。
 ひとくち分の煙がただよう頃には、土方は冷静さを取り戻したように見えた。自分だけ座って話をするのもおかしいと思い、山崎はゆっくりと机を降りる。前に立ち、目が合うと土方が話し始めた。
「明日の出張の件で、とっつぁんから近藤さんに連絡が入った。俺がどうすんのか聞かれたんだけど。……お前おととい、なんか捨てぜりふはいてたよな」
「……。あの、俺はただ、副長が」
「俺のせいにすんじゃねえよ」
 実際、山崎は何もしていないと言えばそうなのだが、松平と鉄之助が山崎が思い描いたシナリオどおり動いてくれるように、そそのかした。潜入捜査のときによく使う手だ。
 いずれ土方にはばれるだろうから、隠すつもりはなかった。辺りには苦い煙がうすく広がる。
「……なんで行かないんですか」
「何にだよ」
「法事です」
「出張だっつってんだろ」
「配備品のチェックなんて、副長じゃなくてもいいでしょう。むしろあちらが適任だと、とっつぁんも判断したから見廻組へ変更しようと考えたんじゃないですか。あっちもうちも予算が違うだけで、同じ銃火器が納入されるでしょう」
「だから何でお前が勝手に動いてんだって聞いてんだ!」
「……ずっと見て見ぬふりするのは、疲れるんですよ」
 苛立たしげに土方が怒鳴ったので、山崎は少し首をすくめる。けれど強い気持ちで言い返したら、合図のように土方の指から煙草が落ちていく。
「んだとコラ、誰がそんなこと頼んだ」
土方は山崎の胸ぐらを左手でつかみ凄む。するどい眼光はそれだけで凶器になる。山崎は体をこわばらせた。だけど、ここまできて引き下がるわけにはいかない。どうしても土方の背中を押さなければ。
 一呼吸おいて、言葉をつなぐ。
「局長だって、副長にお寺へ行ってほしいと思ってたんじゃないですか?」
 気が変わってくれないだろうかと願う。すると土方は、ため息をついて腕の力をぬいた。あ、さっきと同じことを繰り返している、とふと気付く。こんな短い時間で、二度も土方にため息をつかせてしまった。山崎は申し訳ない気持ちになる。そして襟から離れていく土方の手を、だまって目で追った。
「近藤さんがどういうつもりなのか、分かるに決まってんだろ」
「……え」
「自分の考え押しつけやがって、首つっこむんじゃねえよ」
 山崎は思わず目を見開く。ひたいに汗がにじむのを感じた。あまりにかたくなに見えたから、周囲の思惑に気がついてないんだと思っていた。差し出がましいまねをしていた自分が恥ずかしい。なにより関わるなと言われて、胸が一瞬で冷えてしまう。
「あの、副長……、申し訳ありませんでした……」
どうにか声を絞り出したけれど、土方はなにも言わなかった。一瞥して先ほどの煙草をもみ消す。窓のそばまで歩き、思い出したように下をながめる。
 山崎は土方にずっと聞いてみたいことがあった。

――ミツバさんがさらっていった、あんたの胸の一部分は傷ですか、それとも形見ですか。

 そばにいると自分で決めて、それなのにひとりでいつまでも抱え込む土方を、見たくはなかった。身勝手な自分がくやしい。
 やっぱり、俺には遠かったんだ。



 十数キロ先にターミナルが見えて、航空障害灯がゆるくまたたいている。そこから本日最終の旅客便が飛び立つのをなんとなく見送っていた土方は、急に室内に誰もいなくなったような気がして振り返った。
 さっきと同じ場所に、山崎は立っている。うなだれているので、髪にかくれて横顔はほとんど見えない。なにごとか声をかけようとして口を開きかけ、ためらってしまった。
 山崎のたたずまいが、あまりにも静かだ。心臓の動きすら止めて、何かを必死に抑え込もうとしているように見え、息をしているのかと土方は不安になった。
 少しだけ見えているあごの先から、外のあかりをわずかに反射するひとつぶが、離れて落ちた。ふたつめまでは緩やかだったのに、そのあとは数えていてもすぐに分からなくなった。
「――おい、山崎」
 驚いて正面へ近寄る。顎まで伝っても下に落ちなかった涙は、首筋に流れていく。山崎の着物に、やがて吸い込まれていくんだろう。濡れたら気持ち悪いだろう、伝うのを止めなければ、と土方はそれが気になったけれど、何を言えばいいのか分からない。そんな自分が悔しかったが、目が離せなかった。
 そのうち涙は止まって、山崎は袖で顔をぬぐう。ようやく顔をあげ目が合って、土方はいたたまれなくなる。窓の方へ目をそらすと、監視のことを思い出した。そちらへ踏み出そうとしたら、唐突に山崎が口を開く。
「俺は……、幸せになるってことが、よく分かりません」
 なにを言い出すんだと動揺して、それを悟られたくなかった。しかし、ありきたりなせりふも思い浮かばなくて、土方は焦る。山崎の目はまだ潤んでいたけれど、泣いていたのとは裏腹に確信を宿していた。
「幸せに、ならなきゃいけないんですか」
「……。誰だってそっちの方がいいだろ」
「それをあんたが言えるんですか。結局、自分の価値観を押しつけただけじゃないんですか」
 わずかに眉を寄せ、ひととおり考えたあとに「そう言われりゃ、そうだな」と土方は目をふせる。いつか沖田とこういう問答をする日が来るかもしれないと、なんとなく予見していた。答えが出るまでミツバに手向けできないと思い、ここまで引き延ばしていた。もとより失った後では遅すぎて、それをずっと土方はつぐない続けている。たぶん、一生。
 選ばなかった人生がどうだったか考える日もある。それで死に別れても、今より悪いことはないんだろう。幸せのかたちなんてひとりで決められるもんじゃないと、うそぶいてみせる余裕を、今度からは持てる気がした。当の山崎に目をやり、こいつも難儀な男だな、と土方は胸の中で苦笑いする。


 世間では、不毛だなんて言われるたぐいの話だ。
 俺の道ゆきはいばらに絡まれると分かっていて、それでもついてこようとするんだから、腕ぐらい引いてやるよ。


 監視を交代して、山崎は朝方屯所に戻った。洗面所で歯を磨いていると、珍しく早い時間に目が覚めたらしい沖田が声をかける。
「ザキ、勝手口のまわりにおばちゃんたちが育ててる花があんだろ。あれ適当に花束にしてくんねぇか」
 食堂で働く女性たちが、自分たちがひんぱんに出入りする勝手口付近に花壇を作り、季節の花々を植えている。今の時期、ほころびはじめた菊がきれいだった。切り揃えて沖田の部屋まで持って行くと、近藤に不服そうに話をしている。
「近藤さんがどうしてもと言うなら折れねえこともありやせんが、土方さんはせめて俺の視界には入らない方向でお願いしたいもんです。黒子的な感じで」
 それを聞いて、副長の出張は取り消しになったんだ、と山崎はなぜだか力が抜けてしまった。近藤に目をやると、少し目を細めてまぶしそうな顔をしている。沖田にはまだ消化できない気持ちがあるかもしれないのに、大人になったもんだ、と近藤は嬉しさ半分寂しさ半分なんだろうと、山崎は勝手に想像していた。
 部屋へ戻ろうと廊下を歩いていると、土方とすれちがう。いつもと違うのは、煙草のにおいがしなかった。自分の知らない土方に戻っている、と自分で仕向けておいてしんみりしてしまう。いつから、どうして煙草を吸うようになったんだろうか、などを取りとめもなく考えた。武州ではどちらにしろ、彼女の前では煙草は吸わなかっただろう。
 部屋にたどり着くと、たたみに座りこみ文机に突っ伏した。ぼんやりしていないで早く眠ればいいのに、と自分でも思うが動けない。目を閉じておとといからの出来事を、かみくだいて反芻する。頭の中の映像が昨夜の廃ビルまで進むと、山崎は猛烈に恥ずかしくなった。今ここには自分一人しかいないと分かっていても、赤面したのを見られたくなくて、誰もいないか見回して確かめた。
 腕を引き窓から離れるように壁際に土方が寄るので、向かいの建物の窓に人が見えたんだろうかと、はらはらしながら山崎はついて行く。しかしその建物も廃ビルらしく、最上階の三階まで窓ガラスは全て割られていて、段ボールでふさいである。人がいるようには見えないんだけど、と山崎はいぶかしむ。
 壁にぴたりと背をつけ、外から自分の姿ができるだけ見えないように、山崎は向かいの建物をうかがおうとした。すると襟のあたりを確かめるように土方がさわるので、なんだろうと不思議に思い、振り向く。
 山崎は何度もまばたきをした。肝心の土方の表情は、顔が近すぎてほとんど見えない。手のひらは体の線をなぞるように、襟から肩へ移る。胸はほとんど合わさる距離で、山崎は壁との間に閉じ込められている。沈黙がこわい、と思った。意識していない頃だったら、話すことがなくてもなんとも思わなかったのに、今は違うと鮮明に分かる。
「あの、枕元に……」
「ねえな」
 とっさに思いついた話題は言いづらかったので、山崎は語尾をにごした。それにも関わらず、土方はきっぱりと答える。なんでこれで会話が成り立つんだとおかしくなる。この世ならざる者が見える人なのだから、一度くらい枕元に立ってあげたらいいのに、と本当に思う。しかし、いい女はそんな野暮な現れ方はしないらしい。
 子どもの頃、親に連れられどこかの寺で見た極楽浄土の絵は、蓮の花が咲き誇るかぐわしい景色だった。そんな場所でゆったりと待っている彼女の姿が思い浮かぶ。自分たちにもいつか絶える日が訪れて、土方は生き急いだ象徴のような刀と煙草を手離し、自分のことも手離して、振り返りもせず彼女のもとへ向かう背中しか山崎には想像できない。
 だから、ごめんなさい。今だけだから。
 山崎は心の中でそっとミツバに謝る。緊張は消えて、土方の背中に山崎が腕をまわして顔をあげる。最初、くちびるがかすめたのは鼻先で、すぐに下へうつってくちづけた。



 脈絡なく縁側から「山崎」と声がかかり、返事をする前に障子が開く。
「は、はい! なにか?」
 驚いて反射的に飛び起きた。慌てふためいてる山崎に土方はすっきりしない顔をして、行ってくる、とぶっきらぼうに言い部屋を後にした。こうして思い出は刷新されて、去っていく背中にも寂しくならない日がおとずれるのが、山崎にはただ不思議だった。夕方には帰ってくるんだろうか、おかえりなさい、と笑って迎えるんだろうか。あかるい未来を思い描くのは、侍の身にはぜいたくなことだから忘れないと山崎には思えた。
〈了〉

【土山】花と葬列

【土山】花と葬列

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-24

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work