ある芸人

 私には何もない。いい年をしていて、何の自慢もない、ごく普通の人間で、ただ並みではならなくてはと平々凡々に、しかし人並には努力し暮らしてきた。だから平凡というほど平凡だし、毎日退屈な思いばかりしている、結婚はしているがお見合いだ、妻に愛情がないわけではないが、生活に愛着がない、平凡すぎるからだ、そんな私にも自慢できる交友関係があって、30年来の親友がいる、彼は今や売れっ子のピン芸人という奴で、破天荒なキャラクターで人気だ。今日は彼のイベントに遊びに来た。

 出会はかれこれ20年前、デビュー当時の彼をしっている、初めの印象は、近づきがたく、常識しらず、教養がなさげ、うすっぺらいばっかりで、冗談ばかりいっていて、芸人を目指し養成所に通うというが、話しの芯すら人に伝える能力がない。そもそもが知人を介して知り合い、その知人、というより友人と一緒に、つれだってくるときしか会話もしなかったが、本当にそのときは、私は彼のことにあまり関心がなく、冗談しかいっていなかったのでそれをいううちに自分の芯がなくなっていくだろう、と思っていた、けれど、芸のほかによく気が利き、人の面倒を見るのがすきなようで、貧乏なくせに後輩に慕われている印象があって、支離滅裂なわりには、どこかその冗談にも骨があると徐々に考えがかわっていった。それから半年もすると意外にも話しが合う事が判明し、二人だけで飲みに行ったりすることもふえ、いつのまにか大親友のようになった、ただ、なぜ彼が芸人などという危ない橋を渡って生きることを決意したのか、彼はそこそこ頭も切れるし、職人気質であるが、コミュニケーション能力もたかいため、他に仕事もあるとおもったのだが……ただつい最近までその理由がわからずにいた。

 たしかに初めの頃、かれの芸は何にもひっかかることがなく、笑う人もちらほら、という少し寒い、稚拙なものだった、だがそれから20年つづけたら評価が独り歩きしていったようで、彼の芸には磨きがかかり、歴史をたどり、最近では独自の味になった、そのことについて、詰め寄ると、つい先日、飲み屋で全てを白状してくれた。
 彼曰く、自分の芸は人のマネをする人のマネをしているだけだ、と、本当は何の芸もないから、人が反応したり、自分をばかにしたり、あきれたり、その反応をみて、それが面白くてやっているらしい、そのマネをして、その反応をまねる感じで芸をする、それが近頃いわれる、彼の持ち味らしい。

 昔からそうだったようで、そもそも私との関係もそうだったようだ。彼自身は自分に自身がなく、冗談にも自信がないため、くだらないことや何か全然つまらない事をやるだけでも、まわりはそれを誇張する。たとえば、私の場合、彼に何度もつまらない、ありきたりじゃないか、といった、彼いわくその反応の中に、マネをするだけで面白いしぐさや、動きが隠れているらしい、それを拾えば、だいたい面白くなる、という、でもそんなものだろうか
?深く訪ねていくうちに、彼は、話しをするうちに、徐々に人の好みを探るのだといった、なるほど、たしかに彼の芸はそういうものかもしれないと思った、いつも即興で、その会場の雰囲気を探っているような。

 さらに酔わせて、彼には苦情させようとすると、話しはもっと昔にさかのぼった。
 子どもの頃、彼は貧乏で、まだ数もまともに数えられないようなとても小さなころ、すさんだ街で盗みをしてふざけて兄のマネをしていたずらばかりしていた、兄は冗談や芸のセンスが抜群で、だからどこかでそれは何か考えがあってのことだろうとおもっていたが、犯罪じみた盗みをするときには、いつ警察がくるかひやひやしてもいた。それでも兄といると、なぜか冗談まじり、ふざけてやっていると大人たちにごまかし、怒られはするもののまたあいつか、と子供だから許される。
 ただ、彼は一度だけ兄の本当の想いを聞いたことがある。なぜ、兄のいたずらは人にせめられないか、と、兄はこういったという、意図してやっているわけではなく、生活のためだ。と、ふざけてやっている、と本当に人に思わせなければ、自分たちが貧乏だと思われたらなめられてしまう、自分たちには母親しかおらず、その生活が苦しくて、盗みをしていると人に覚られたら、今度から盗みを警戒されてしまう、どこかでおどけて人をよろこばせたり、あいつはばかだと油断させることで、子供だから、と許される、と兄のもくろみは、親が攻められるのではなく、自分や、弟が攻められる事で、生活苦を解決しようという子供ながらの狡猾さだったのだ。彼の兄はそれから少ししたら遠くに働きにでていまもそのまま遠くでくらしているらしい、彼の冗談は、初めは兄の模倣だったのだ、その思いに苦しみながら、今もシュールな一発ギャグを続けているのだと思う。

ある芸人

ある芸人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-23

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