吉原細見
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江戸、吉原は幕府公認の遊郭、今でいう売春が認可されている地区である。そこには女郎を数百人単位で抱える大店もあれば数人囲えるだけがやっとという小見世といった妓楼が一同に会してひしめき合い、日々しのぎを削りあっている。
その一つに「いちご飴」という当代で最も繁盛している妓楼がある。女郎の頭数はどの妓楼をも上回るし、サービスはどこよりもよく、極めつけは顧客だけでなくそこで奉仕する女郎への対応も完璧だという。まるで非の打ち所がない。
さて、そんな女郎屋を今回は皆さんに体験していただこうと思う。
お供はこの「吉原細見」。今でいうところのガイドブックだ。
さぁ、いざ偽りだらけの恋愛の世界へ!
吉原に上ることを"登楼"というが、その方法は階級によって異なる。身分の高い人物や金持ちは猪牙船で大川(現在の墨田川)を北上、近くまで乗り付けてから籠でやってくるが我々一般の人間はひたすら徒歩である。大川を横目に日本堤を進むと左手にいよいよ囲われた世界が見えてくるだろう。
"堤"というくらいだから土手である。吉原大門へ向かうには土手を下る必要がある。堤から大門までを結ぶ坂を通称衣紋坂と言って服装を整えたことからその名が来ている。
さていよいよ入れるかというとそう簡単にはいかない。坂を下り切ったところに高札場と呼ばれるお上が決めた法令などを掲示しておく場がある。そこには"江戸市中で売春を営むことを禁止する", "これより先に太刀や槍を持ち込んではならない"などとと書かれている色褪せた立て札が幾つか立っている。法令を破ると当然待っているのは重い罰である。
さぁいよいよ吉原内部である。正面をご覧いただこう。
まぁ何と立派な門だろう。コンクリートでできた洋風の門は左右の太い柱と精巧に作られたアーチとからなっている。右の柱には長年にわたって人々の愛憎を吸収した木の看板が掛けられ頭上高くには竜宮城の乙姫様、はたまた弁財天様だろうか。人の像が吉原を見守っている。
さて、我々が立っているのはメインストリートである仲ノ町。人々で賑わう大通りの左右には大小様々な妓楼がいくつもいくつも並んでいる。今回我々の目当ては郭内で最も繁栄を極めている「いちご飴」という妓楼だが、時間のある方は妓楼をあちこち見て回るといいだろう。それぞれ様々に趣向を凝らした見世を展開している。
さて、仲ノ町をまっすぐいくと道に面するように並んでいる大見世。どれも別嬪さん揃いで彼女らの美しさに男性は勿論女子供も足を止めて見入っている。それもそうだろう、これほど贅沢ができるのは財を成すか吉原の人間になるしかないのだから。しかしどれもあの奥にどんと構える「いちご飴」には到底足元にも及ばない。総籬の奥に座る彼女らはどの大見世の遊女よりも美しく妖麗、それでいて気品もあり当たり前だが、他の遊郭よりも学がある。才色兼備の遊女たちなのである。
さて、面に回ろう。全て木材でできた木造二階建ての建物は吉原が大御所(徳川家康公)によって設立、また4代将軍家綱によって明暦の大火以後現在の場所に移転されてから変わらぬたたずまいである。正面にはでかでかと「いちご飴」と彫られた檜の看板がかけられ、暖簾には今でいうところの野イチゴのような紋が染められている。
では、内部に入っていこう。
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入っていこうと思うのだがその前に。総籬の奥にいる女郎らに目を向けてほしい。
なんとまあ別嬪さんだろうか。どの女をとっても並みの女郎屋よりも目を引く美しさとそして妖しさを備えている。目や口などのパーツはどれもしっかりとしていてみな一様に目が覚めるような鮮やかな赤い紅を引いている。
その中で一人。筆者が気になった女郎がいる。表の戸口で見張っていた若い衆によると、名をかた品、出身は上野国沼田だという。目がくりくりとしていてまだまだ垢抜けないが立派な遊女であり、彼女の何とも言えない上毛弁がまたたまらなく愛しい。楼主にきくとそこに惚れる客もいるようでこの歳にして贔屓の客もいるようだ。
ここでやっと暖簾をくぐる。なかは正面に大きな檜階段が、入って右が土間、左が大きな板敷のだだっぴろい空間となっている。奉公人はあっちへこっちへときりきり動き続けこちらには目もくれない。暫く待っているとそのうちに奥から遣り手が肩で息を切りながら出てきた。彼女(といっても老婆だが)の話によると大口の客が数人の役人を連れて豪遊している、みなその接待で猫の手も借りたいような忙しさなのだと。それでもせっかくの取材だしここまでご足労をかけたからと特別にあげてくれた。客は多いほうがいいに越したことはない。それだけ経営にかかわってくるからだ。筆者はせっかくだから役人の取材もさせてほしいと依頼した。すると、最初は頑なに断っていたが、それでも渋い顔で掛け合ってみると言ってくれた。有難い。
座敷に通された。普段はあまり使われていない座敷なのだろう、手入れはされているものの、ここしばらく使われた跡がない。隣ではがははという男の笑い声と遊女のおしとやかで品のある笑い声、そして奉公人のせわしない足音が聞こえてくる。間の悪いときに来てしまった、出直せばよかったかとも考えたが折角と通してくれた遣り手のやさしさを無碍にするのもまた違う。
そうこう迷っているうちに奉公人の足音とは違う、床を滑るような足音と共に障子がすぅとひかれた。
「お待たせいたしんした、かた品でありんす」
鈴の鳴るような、か細くかわいい声。その声と共に現れたのは美しい遊女である。目の前に座る彼女はしかしよくみるとまだ幼い少女なのである。歳のころは元服して間もないくらいか。
彼女は恭しく一礼すると、顔をあげる。真っ白な顔に真っ赤な紅、大人のなかに子供を感じる。
あれよあれよという間に女中が酒と硯蓋を用意する。相手のペースにすすめられるまま酒をすする。さすがは大見世だ、出す酒やつまみは一流である。
やおら、遣り手と若い衆が現れる。取材といえど客は客、手順はキチンと踏むらしい。
吉原細見
Twitter 企画 "創作企画_花魁道中" 参加作品。
企画アカウント: @oirandoutyu (https://twitter.com/oirandoutyu)