どうせ、スタータレント

 「アイドルであることに疲れました」

 「いつもいつも人の期待に答えよ答えようと、小さなころからアイドルにあこがれ、人の期待にこたえ、アイドルとして、タレントとしての自分の人に見せるための、見られるための姿勢を保ちつづけ、ファンの皆さまや、同じ立場の方々と仲良くさせていただき、もう一人の自分というか、仮面をつけた自分、アイドルとしての顔を持つ自分、むしろそれが自然体であるように思うほどに、そのもう一つの顔とその一生懸命な自分に熱中していました。その最中はいいのですが、あまりにも長い間求められるものに答え続け、私生活を犠牲にし、それでも夢が大好きでしたし、皆さんのことも大好きでした。ただ、近頃は私的な生活の時間ですら、人に合わせることしかできな自分がいる事に気がつくようになって、何が好きとか、嫌いとか、自然に感じられなくなって、きっと私は長い事、自分の中でそれが自然だといいきかせてきたけれど、身の回りの人をたよった結果、これはおかしい、自分が余裕がなくなっていることだとつい先日家族に気づかされ……」

——急な記者会見と電撃引退——
 週刊誌や新聞やインターネットがさわぎだてた。彼女はまがりなりにもアイドル黄金時代の一アイドルだった。彼女は少女のころからアイドルだった、学校、家、それとはちがったもう一つの生活、生き残るため、その時求められるものを感性で察知し、生き残るすべての手段をつくし、小さなころから、色々な二つ名をつけられ、もとめられたものになる癖がついてしまっていた。

 私はそれから彼女の親友であることを心がけるようになっていった。私は私で敏腕マネージャーとしての肩書をすてた、高校生の頃、親友である彼女の、その疲れを見越し、いつしかマネージャーとなる事を決意してから、その後高校卒業から彼女を支えつづけ、お互い支え合い、そして10数年間の、私たちのもう一つの顔に終止符が打たれた。

 彼女の、大タレントの引退後、私たちは青春時代を取り戻すように、旅行をした、話をした、これでもかというほど二人で遊んだ、そのうち彼女の、あるいは私の、こわばっていたもう一つの表情、もうひとつの自然な私たちがでてきて、30代過ぎの2人は、ようやく若さを取り戻したようにみえた。彼女は、2ヵ月にも及ぶ休養の末に、私にこう打ち明けた。これは完全に、私の中で、墓場まで持って行こうと考えていることだ、あるいはそれが人の眼に触れる事があれば、それは私の死後、どこかの媒体で発表するように仕組んでおこうと思う。
 小さなころから幼馴染だった私たちは、その長い長い休養の時間の中、一番初めの一か月の間に、二人のすごした地元へもどりしばらく親や親せき、近所の人々とのんびりとした生活をすごしていた。自然豊かで長閑な生活だった、とても安心できる時間だった。ある日彼女は、珍しく彼女の方から私を誘い、思いでのある近場の遊園地に出向き、夕方、とても小さなころ二度だけ乗ったことのあるその遊園地の、観覧者のもっとも高いところで夜景をみながら、こううちあけた。

 「私は、人の気持ちが理解ができない、拒絶している、私はファンを理解しえない、できないのに無理に、いつも理解したふりをしていた、それは、私が人の気持ちを理解するのに最も距離のある行為なのだと思っていた、いま余裕をもって、普通に別のタレントや、アイドルとかの、見る側に、ファンになって初めてそちら側の人々の想いに気がつき始めている」
 
 長い事ずっと一緒にいて、彼女をずっと見ていたはずだった、そんな私が彼女のそういう面に気がつくことができなかった、顔をおおって泣いているであろう彼女に、そのとき私は、よく頑張ったねと声をかけた。

どうせ、スタータレント

どうせ、スタータレント

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-18

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