預言者になりたかった
精神崩壊とは信仰なのか、壊れる事は良いことなのか、壊れたらどうすればいいのか。
精神崩壊とは信仰か
私は預言者になりたかった。この世の悪を潰したかった。聖なるものになりたかった。
行動しなければ意味はなかった。私は悪にも善にもなれなかった。
精神崩壊を起こした。意味はあったのか、私の存在意義は。人はなにゆえ生きるのか。子供を増やすためか。生殖活動のためか。
死後の世界は信じ始めた。
私は哲学的能力でいのちは体感した。しかし自己のいのちは崩壊した。それゆえ精神を病んだ。いのちは尽きた。
精神は繊細なのか、私は知らない。
何もかも知ったような気になった。哀れな若者だった。
ヨナは逃げた。私も逃げればよかったか。ヨナは死にかけた。誓った事を果たすと神に誓った。
私も死にかけた、誓った事を果たすと神に誓おう。私とヨナは似ているのか、私の自意識過剰か。
しかし、ヨナには痛いほど共感した。私はヨナが好きだ。ヨナは怒りのあまり死にたいと言った。私は怒りをさほど待ち合わせていない。なぜだろうか。怒るときもある、しかし基本的に普段はあまり怒らない。
ヨナは魚に飲み込まれた。そこで神に祈った。私も死にかけた誓った事を神に果たそう。
ヨナが今の時代に生きていたら、何をしただろうか。どのような行動に出るであろうか。
最期は神に祈るのは分かる。それだけで十分ではないか。
私も神に祈ろう。
預言者になりたかった