飛んで火にいる夏の虫

道端道草

飛んで火にいる夏の虫

第一章

 ——第一話 春——

高校1年の春、俺の新生活の始まり。

今年の春から俺は、辺り一面自然に囲まれた田舎に引っ越し、父の実家の近くにある高校へと入学した。ところが入学してから数日経った今も俺は一人でいた。

そもそも、人付き合いが苦手で人見知りの俺は、自分から積極的に話し掛けたりはせず、教室の隅に座ってただ外を眺める事しかしなかった。いや、正確には出来なかったと言うべきか。その成果はすぐに結果となり、入学して数日で俺は既に孤立しかけていた。俺の通う高校はすぐ隣に地元の中学校があって、そこの卒業生の大半がこの高校に入学し、中学からの友人、知り合いでグループを作る。

俺も最初は数人から話し掛けられたが、どう接していいかわからず素っ気無い態度をしたり、会話に上手く入れずに黙ったりしていると、だんだんと話し掛けてくる人がいなくなっていった。

俺と接してみて尚、俺に話し掛けてくる奴はクラスにはいなかった。そう、こいつ以外は。
「おはよー」
朝の登校時、朝日が眩しく地面を照らす。眠い目をこする俺に明るく大きな声で挨拶をする一人の女の子の声。後ろから俺の肩をものすごい勢いで叩く。
「いてーな、朝から」
俺は少しよろけながら彼女の方に目を向ける。
「大ちゃん、朝から顔暗いよ?」
俺の名前は月島大地(つきしまだいち)、そしてニコッと笑あう彼女は同級生の原歩実(はらあゆみ)。
笑顔が素敵で黒髪のショートヘアがよく似合い、いつも明るく小柄な女の子でクラスの太陽的存在だった。
歩実とは家が近く、登下校の際に会う事が多かった。そのおかげで歩実は朝会う度、俺に挨拶をするようになっていた。

歩実は学校でもこんな俺に話し掛けてくる物好きで、俺がどんなに素っ気無く接しても、変わらずに話し掛け続けてくる。最初は君付けだったのが、今はあだ名で呼ぶようになった。不思議と俺も歩実には口を開く回数が増えてきていた。
「いつもこの顔だよ!」
少し声を張って言い返す俺を見て、歩実は笑いながら俺の横を通り過ぎて行く。俺の一日は、歩実とのこんな些細な会話から始まる。

学校に着くと、教室では昨日のテレビの話や芸能人の話、かっこいい先輩の話などが飛び交っている。
俺は教室に入るとクラスメイト達の会話を横耳に、一目散に自分の席へと向かう。俺の席は教室を入って一番奥の後ろから二番目の窓際の席だ。ここは外の景色が良く見え、しかも何度見ても飽きない風景が俺は大好きだった。授業が始まっても視線は常に外にあり、たまに黒板を見てはまた外を見るといった具合だ。
俺は一人でいる時間が割りと好きで、特に困らなかったが、この時間だけはさすがの俺も人目を気にした。それは昼休み。そう弁当の時間だ。
中学までは皆が自分の机で皆が同じ給食を食べていたが、高校は弁当持参な上、食べる場所も人も特に決まってない。
俺は一緒に弁当を食べる友達がいなかったので、教室で一人弁当を食べているとさすがに皆の目線が痛かった。
言葉こそ聞こえないが、「あいつまた一人だよ」「友達いないって寂しいね」と言われているような気がしてならなかった。
人目を気にしながら食べる弁当はどこか味気なく、あまり美味しく感じられなかった。
そして俺は今日、弁当を片手に誰の目も気にせず、静かで一人になれる場所を探していた。中庭は上級生の溜まり場になっている。学校外には出られない。どうしよう、と考えながらとりあえず目の前の階段を上る俺。
階段を上り進めるにつれ、校舎内の騒がしい声が次第に小さくなっていった。その時俺は思った。一番上まで行けば静かで人目に付かないかも知れないと。軽く駆け足気味に一段飛ばしで階段を上がって行く。階段を上がりきった先に着いたのは屋上。そこには四、五畳程の踊り場と、屋上へと繋がる引き戸があった。俺は外に誰もいない事を願って、恐る恐る引き戸を開ける。
開けた先には誰もいなく、そこには雲一つない晴天の空が屋上のコンクリートを照らしていた。風は気持ちよく日当たり良好。俺は早速ここで弁当を食べる事にした。

外に出ると何やら視線を感じる。俺は視線の感じるほうへ目を向けると、そこに一人の男が座っていた。よく見るとそいつは同じクラスの奴だった。
彼の名は斎藤航(さいとうわたる)、皆からクールと言われている。ぶっきらぼうで淡白な性格のこいつはあまり人と群れたりしない一匹狼。こんな性格だが航は同級生や先輩から結構な人気があった。それもそのはず、成績優秀、スポーツ万能、おまけに顔もイケメンとまさに文句なしだ。中学の頃からかなりモテたらしいが、航自身は女性にはあまり興味が無さそうだ。

俺は会釈してから、航とは一番遠い所に座り弁当を食べる事にした。航も騒がしいのが嫌でここにいるのだから、わざわざ俺に話し掛けてくることもないだろう。
弁当を食べ終え、俺は地面に寝転んだ。風がまだ少し肌寒いが、日向にいればほんのりと暖かく、ちょうどいい天気だ。

しばらくすると、「キーンコーンカーンコーン」と予鈴の音が学校中に響き渡る。俺は起き上がり教室に帰る支度をするが、航は起きる素振りすらない。俺は起こそうか迷ったが、話した事も無い奴に起こされても気を悪くするだろうと思い、そのまま帰る事にした。すると、階段の方から足音が近づいてくる。そこに来たのは長い髪を一つに結ったポニーテールの女の子だった。
「航! いつまで寝てるの?」
大きな声を上げて航を呼ぶ。
彼女の名前は橋本夢(はしもとゆめ)、航の幼馴染で昔から航の世話役をしている。顔立ちも気品があり、面倒見が良く人当たりがいい性格で皆のお姉さん的存在。さらには勉強も出来る、まさに非の打ち所がない女の子だ。強いて欠点を述べるとするなら、少しばかり気が強いところか……。
「今日は別いいだろ」
航は自分の腕を枕にして夢の顔も見ずに、ダルそうな声で返事をする。
「何がいいの? 意味わかんないから早くして」
全く起きようとしない航にご立腹の夢は、航の腕を引っ張りながら言った。彼女は細くて白い腕で懸命に航の腕を引っ張り何とか座らせる。
俺はその一連のやり取りを横目に見ながら屋上から教室へと向かった。

階段を下りていくと騒がしい声が校舎に響き渡っている。静かな屋上とは反対に騒がしい教室に戻るのは少しばかり気が引けた。
教室に帰る途中、向こうから歩実が歩いてくるのが見えた。歩実は声の届く距離にくると、「今日はどこでご飯食べたの?」
首を傾げながら俺に言った。俺は話し掛けられたのも嬉しかったが、それ以上に教室に俺がいない事に気づいてくれたのがすごく嬉しかった。
「屋上……。」
とっさの言葉にどんな態度で返答すればいいかわからず、素っ気無く返してしまう俺に歩実は耳を疑うような事を言い出した。
「一人で食べてるなら私が一緒に食べてあげようか?」
一瞬動揺する俺。少し微笑みを見せながら俺を見ている歩実に、俺は動揺を隠すかのようにポケットに手を入れた。
「お断りします」
視線を下げたままそう言うと、足早にその場を去った。女の子にあんなこと言われたのは生まれて初めてだった。

教室に帰り、俺はさっきの出来事を頭の中でもう一度再現していた。妄想ではクールに対応し少し冗談なんか言いながら、楽しく話が出来るのだが現実は違う。最悪だ。
いざ現実になると思っている事も喋れずに、挙げ句の果てには素っ気無くしてしまった。俺は頭を抱えながら席に着きさっきの言動を後悔した。
考えれば考えるほど俺の中で歩実の存在は大きくなっていた。周りがどんなに俺の事を悪く言っても、いつも自然に話し掛けてくれ、気を使ってくれる歩実を俺は好きになりかけていたのかも知れない。
そんな俺と歩実が話すのを良く思ってない奴もいたが、俺は歩実と話せれば周りからなんと言われようが正直どうでも良かった。

放課後、まだ太陽が高い位置にある。俺は車もあまり通らない田舎道を一人で歩いて帰っていた。春になり外はだいぶ暖かくなってきた。歩いていると昼間は少し汗が滲んでくる。俺は喉が渇いたので自動販売機でジュースを買うと、隣にあるちょうどいい高さに石に腰を掛け一息付く。手に持っているジュースの蓋を開けると、プッシュと炭酸が抜ける音がする。俺は渇いた喉を潤すように息継ぎをせず一気に流し込む。

俺は喉が渇いていたのもあるが、ここで休憩するのにはもう一つの理由があった。ここは俺と歩実の登下校時に通る道で、運が良ければ帰り道で歩実に会う事が出来る貴重な場所だ。だが今日は歩実は通らなかった。ジュースを飲み終えた俺は、立ち上がり帰る事にした。すると後ろから物音がする。俺はすかさず振り返るとそこには歩実が立っていた。びっくりしたからか、それとも嬉しさからかドクンと大きく胸を打った。
「あー、ばれちゃった」
いたずら心で俺を後ろから脅かそうとしていて、上手く行かず少し残念そうに笑う歩実。その笑顔はすごく可愛かった。
「な、何してんだ? こんな所で」
俺は少し焦った口調で話した。歩実は別に何でもないよ、と言って俺の前を歩いて行った。俺は後を追うように歩実の横に並び歩き出した。しばらくして、歩実が俺の顔を覗き込みながら言った。
「そういえばもうすぐ合宿だね。大ちゃん誰か一緒の班になる人いるの?」
歩実は後ろ向きに歩きながら俺を見る。
「いや、いないよ。見たら分かるだろ?」
俺は少し尖った口調で返した。
「お弁当も一人で食べてるでしょ? 一人でいるより友達といた方が絶対楽しいよ」
「一人の方が楽なんだよ、それに班なんて誰となっても同じだろ」
天邪鬼な俺を歩実は丸く大きな目で睨み、少し怒った表情で言った。
「もう! 心配して言ってるのに、もう知らない」
歩実はプイと前を向き歩き出した。少し歩いた所でもう一度振り返り、俺に向かってベーと舌を出し少し笑っている。一見真面目そうに見える歩実だが、イメージと違ってお茶目な一面があり、その度に俺は心を打たれていた。

春空の下、散った桜の花びらで埋め尽くす道を、俺と歩実は一定の距離を保ちながら帰る。
この長い一直線を進むと、T字路に突き当たり、ここでお互い逆方向へと帰って行く。何の恥じらいも無く、大きく手を振る彼女に、俺は背を向けたまま片手だけを上げ応える。あの直線がもう少し長ければ、俺は空を見上げながら叶わぬ願いを何度も唱えながら帰って行く。


                    *


いつもの様に、眠い目を擦りあくびをしながら登校する俺。いつものと同じ景色を見て同じ時間に学校に着く。何やら今日は皆落ち着きが無く、教室がいつもより騒がしい。そうか、今日の授業は来月行われる合宿の班決めを行う事になっていた。朝から教室はその話題で持ち切りだった。
先生が教室に来てもその騒がしさは、静まることは無かった。朝礼が終わり、合宿についての司会進行は学級委員に任せられ話が進む。
「来月クラスの絆と交流を深める為、合宿が行われますので、今日は皆で班決めと係を決めてもらいます。では男子女子分かれて三人一組になってください」
クラス中が一斉に立ち上がりバタバタと移動を始める中、俺は一人机を動かずにしばらくその光景を眺めていた。数分もしない内に次々にグループが出来上がっていく。グループになっていないのは俺と委員長。どうやら委員長は最初から俺となると決めていたようだ。近づいてくるなり「よろしく」と差し出された手を握り返し軽く握手をする。

委員長の名は佐藤元喜(さとうげんき)、いつも明るく無邪気で憎めない奴だ。元気で軽いノリが彼の持ち味だ。人に対して過剰に気に掛ける所があり、優しい性格の反面、少し抜けたとこがある。
そんな元喜は、入学当初からずっと一人の俺を気に掛けていた。
そして後一人、俺達の班になったのが航だ。何事も面倒くさがる奴だから、最初から動かずにその場にいたみたいだ。そもそも合宿にすらあまり関心が無いようにも見える。あくびをしながら頭をポリポリ掻く航を元喜が呼ぶと、だるそうに立ち上がりこっちに来る。

班が決まり、話が進んでいく。
「じゃあ次は活動班を決めるから代表を決めてその人はくじを引いて下さい」
元喜が話を進める。
活動班とは男子三人、女子三人の計六人の班だ。俺達の班の代表は元喜だ。航は集まるなり机に伏せ寝ている。俺は代表という柄じゃないし委員長の元喜が最適だろう。
「みんな引いたー? じゃあ代表の人番号教えて」
そう言うと元喜は紙にメモを取り、男子の班と女子の班を照らし合わせ同じ番号同士の班が活動班となるらしい。俺達の班は奇跡的に歩実達の班と一緒になった。俺は嬉しさを隠しながら心で元喜のくじ運に感謝した。班構成はこうだ。俺、元喜、航、歩実、夢、帆夏。一人おとなしくあまり喋らない女の子が歩実達の班にいる。

彼女の名は木下帆夏(きのしたほのか)、いつも読書したり絵を書いたりして、友達と仲良くしているところはあまり見たことがない。なぜそんな子が歩実や夢みたいな子と同じグループにいるのか、と思ったがどうやら面倒見の良い二人がおとなしい彼女を誘ってグループ作っていたようだ。

活動班が決まり、話はグループの係についての話になった。皆活動班で集まるため各場所に移動を始める。俺達の班は俺の席を中心にみんなが集まる。
「とりあえず班長決めようか」
元喜が話の指揮をとる。
「元喜が班長でいんじゃない? みんなをまとめられるし」
歩実は元喜にそう投げ掛けた。
「うん! 私もそれがいいと思う」
元喜を推薦する歩実に夢が賛同する。班長が男性なら副班長は女性にしなければならない決まりだ。歩実は元喜を班長に推薦したからか自ら副班長に名乗り出た。
「みんなそれでいい?」と意見を聞く元喜に帆夏と俺は黙って頷く。
「航! 寝てないで話し合いに参加して」
と夢が寝ている航を叩き起こしている。
「元喜がそれでいいなら俺は何でもいい」
航は机から顔を上げるとそう言った。
係は大きく分けて三つある。班長など班をまとめる役、寝具など身の回りのお世話する生活係、食事などの支度役の食事係だ。班長が決まったので話は残りの係決めに進んで行く。
「帆夏何がいい? 私は余ったやつでいいよ」
夢は帆夏に優しい声で問い掛ける。
「……えっと、じゃあ生活係にしようかな。」
各係男女一名ずつという決まりなので、帆夏が生活係に決まった事で夢は食事係となった。残りは俺と航の係を決めるだけだ。
「OK! えっと大地君? は何がいい?」
夢は初めて俺と話す為、少しよそよそしい感じで話し掛けてきた。
「俺も最後余ったのでいいよ」
「じゃあ大ちゃん生活係やりなよ! 航は夢がいないとすぐサボるからさ」
歩実は、航が夢といないとサボる事を知っているからか、俺に生活係を提案してきた。班長以外なら何でもよかった俺は、コクっと頷いた。
「サボらねーよ」
航が体を伸ばしながら言う。
「嘘つかないの」
夢がすかさず航にツッコみを入れた。それから航と夢の言い合いを聞いている内に授業が終わった。

それから合宿までの間、班での話し合いが何度かあり、俺も次第に班の中では自然に話せるようになってきていた。班での話し合いをきっかけに元喜と話すようになった俺は、お昼ご飯を一緒に食べようと何度も誘われていたが、俺はもう一人でご飯を食べるのに慣れていたし、元喜がいつも一緒に弁当を食べているメンバーで、元喜以外は話した事なかったので俺は一緒に食べるのを断り続けていた。

昼休み、いつもの様に屋上へ行くとそこにはもう航がいた。
こいつはいつも早いな。俺はチャイムが鳴ると、一目散に教室を出て寄り道もせずに来るのにそれよりも早い。不思議に思いながら、いつもの特等席へと向かう。
「お前、元喜から飯誘われてたんじゃねーの?」
珍しく航が話し掛けてきた。
「断った。元喜以外知らない奴で気まずいし」
「あんまりあいつの優しさを無駄にするなよ」
航は俺を見ずにそう言った。確かに俺は元喜の優しさを無駄にしていたかもしれない。いつも俺に気を使い、俺が一人になる所を見逃さなかった。そういえばいつも俺は元喜の優しさに守られていた事に気づいた。元喜は俺と仲良くなって何のメリットがあるのか? 俺に何を求めているのか? と元喜が俺と一緒にいる意味ばかり模索していた。

気づけば長い間忘れていた。友達と一緒に過ごすのに明確な理由がいるのか。確かに人間関係を築く上で、友人に何かを求めるのは必然の行為だ。例えば、自分に無いもの持っている友人は刺激をくれる。ユーモアに溢れた友人は楽しさをくれる。
そういった友人がある日突然、魅力が無くなったり、面白く無くなったりしたらどうだろう。俺は彼らと友達をやめるのか。いや、そんな事はない。長い間を共にすれば、当初のメリット以外にも色んな良い所や、悪い所が見えてくる。時には喧嘩をしたり、悪口を言ったりする事もあるだろう。
だが余程の理由がない限り、友達は簡単にはやめない。その友好な関係を築くのには、まず友達になる事が前提なのである。友達になるのに理由もいらなければ、メリットも必要ない。俺は元喜の優しさを考えたら胸が痛かった。

昼休みが終わり、俺は少し俯いたまま教室に帰ると、何やら歩実と夢が放課後に合宿の班で集まろうと話している。
「パス」
航が気だるそうにと言う。
「パス無し、行くよ」
いつも用に夢が航の言葉に反応する。そのやり取りに皆が笑っているが、俺は自分が上手く笑えているかが気になった。顔が引きつって上手く笑えてないような気がしたからだ。
「大地は? せっかくだし皆で行こうよ」
元喜が笑顔で俺を誘ってくる。
「ごめん、またにするわ」
俺はそう断りを入れ、席に着いた。
今まで俺が元喜にしてきた事を考えていると簡単にOK何て言えなかった。大半の人間が俺を否定するだろうが、今の俺にはそれが出来なかった。

放課後になり、歩実はもう一度俺に誘い掛けてきた。
「大ちゃんなんか用事? 暇ならみんなで行こうよ! 仲良くなるいい機会でしょ?」
俺の前の席に座り、俯いている俺の顔を少し前屈みになり覗き込んでくる。
「暇じゃない」
「何があるの? いつ暇になるの?」
歩実はしつこく何度も引き止めてきた。
「俺もう帰るから、みんなで楽しんで」
俺は荷物を持ち、教室を出た。
「ちょっともう! 待ってよ」
歩実は少し怒った口調で俺を追いかてくる。こんな俺をここまで誘ってくれているのに、俺はいつまでも自分のつまらない意地を通した。今更行くとも言い難かったし、そんな気分でも無かった。早足に教室を出て廊下を歩く俺の横を、歩実がついてくる。すると、後ろから歩実の名前を呼ぶ男の声がした。
声の主の方に振り向く時、歩実の横顔は一瞬はっとした表情をしていた。その表情はビックリしたからなのか、その男への好意からなのかはわからなかったが、明らかにいつもと違う表情をしていた。
「大ちゃん、ちょっと待ってて」
そう言いながら歩実はその男の方に走って行った。その時の歩実の後ろ姿は何だか少し嬉しそうに見えた。


                      *


「おはよー! なんで昨日先に帰ってたの?」
翌朝の登校時、いつもように挨拶をしてくる歩実。俺はあの後、歩実を待たずに先に帰ったのだ。
「男のとこに行ったのはお前だろ?」
少し皮肉を言って返す。
「お前じゃありません! 歩実って名前がありますよーだ」
ガキみたいなこと言い出したので、俺は無視して校舎に入る。それから教室に入るまでちょっと、なんで無視するの? と歩実は俺の後ろをついてくる。
「面倒くさいから」
そう言うと歩実はだいたいねぇ、と説教を始めだす。そこへ夢がやって来た。
「なに朝からジャレてるの?」
夢はそんな俺達を見て少しからかい気味に言ってきた。
「夢聞いてよ! 大ちゃんが昨日無視して帰っちゃうんだよ」
歩実は夢に一生懸命に昨日起こった出来事を説明した。
「いや、だから先にいなくなったのはお前だから」
火に油を注ぐように俺が言うと、夢がほどほどにしときなよ、とニヤニヤしながらその場を去って行った。その後、俺と歩実の言い争いは朝礼前まで続いた。

確かに昨日は少し悪かったと思っているが、そもそも歩実が先にいなくなったのだから帰るのが普通じゃないのか? と思い1日モヤモヤしていた。胸の奥の方に、黒くグチャグチャしたようなものがあって心底気持ちが悪かった。その日の昼、イライラした状態に追い打ちをかけるかのように航が言った。
「お前の断り方感じ悪いな」
いや、待て。お前だけには言われたくない。いつも最初に断る奴に、こうも言われたらさらに腹が立つ。航のせいで更にモヤモヤが増す。

昼休みが終わり、夢が俺の所に近寄ってきて歩実と仲直り出来た? と俺の表情を伺いながら聞いてきた。
「話してもない」
少し強い口調で返す。夢はポンッと俺の肩を叩いた。
「私に任せときなさい」
そう得意げに言うと歩実に何かを言いに行ったようだ。

午後の授業はいつも以上に頭に入ってこない。俺は外を見つめたまま心を落ち着かせていたが、次第に強烈な睡魔が襲ってきた。こんな状態でも眠くなるのかと、不思議に思いながら俺は机に伏せ眠りについた。

チャイムの音で目が覚める。既に午後の授業は終わっているようだった。一時間ぐらい寝ていただろうか、俺はみんなが帰り支度をしている間に、トイレに行った。用を済ませ教室に戻ると夢が俺の席に座っていた。
「何やってんの?」
目を赤くして言う俺を見て夢は笑っている。寝起きのせいか、目が少し赤く腫れていつもと違う顔になっていたようだ。
「目、変だよ」
夢は笑いながら立ち上がる。続けて夢が俺の耳元でこう言った。
「歩実が話あるから一緒に帰ろう。だってさ」
少し悪戯そうな笑顔で俺を見る。俺は不覚にもニヤついてしまう。夢は俺の口角が少し上がった瞬間を見逃さなかった。
「嬉しそうでよかったよ」
夢は満足そうに俺の席から離れて行った。

放課後、俺は下駄箱で歩実を待っていた。夢と楽しそうに話しながら下駄箱へやって来る。靴に履き替える時、俺に気付いた夢は歩実にバレない様に口パクでじゃあ、あとよろしくと口を動かした。
「また明日ね」
夢はそう言うと俺達に手を振り帰って行った。下駄箱は帰宅ラッシュで人が溢れ返っていた。
「お待たせ。私達も帰ろうか」
俺達は人混みを割きながら玄関を出た。

帰り道、俺は今日一日のイライラが嘘のように緊張していた。歩実と帰りに偶然会う事はあったが、一緒に帰ろうと誘われたのは初めてだった。沈黙のまま時間だけが過ぎる。俺は話があると誘って来たのに何で何も言わないんだ? と疑問に思ったが敢えて歩実が口を開くのを待った。それから数分の時が流れ、長かった沈黙を歩実が破る。
「話ってなに?」
「え? 話あるの、お前だろ?」
「夢から大ちゃんが話あるって言うから」
不思議そうに俺を見る。
「俺も夢から言われたんだけど……」
どうやら夢は二人に同じ事を言っていたようだ。
「なんだー、話あるって言ったのに全然話してこないから、おかしいなとは思ったんだよね。しかもあの、超超超人見知りの大ちゃんが、一緒に帰ろうって誘うのは珍しいなぁと思ったんだよなぁ」
歩実は笑いながら言う。
「何だよ。じゃあこんなに緊張する事無かったのに」
小さな声で呟く。
「なに? 告白されると思った?」
歩実は俺の言葉を聞き逃さずからかってくる。俺は心の片隅に小さな期待があった事は歩実には黙っていようと思った。
「そんな訳ないだろ。お前が今日の事謝ってくるのかと思った」
「何で私が謝るの? 謝るのは大ちゃんの方でしょ?」
「そりゃ、俺も悪かったけどお前も悪かっただろ?」
「じゃお二人で謝ろうよ」
無邪気な笑顔で俺を見る。俺達は「せーの」と言ってお互い一緒に謝ろうとした。しかし、その後に「ごめん」と謝ったのは俺だけだった。
「おい。話が違うぞ」
俺は歩実を問い詰める。
「いいよ! 許してあげる」
歩実は満面の笑みで俺を見る。
「お前も謝れよ」
「男の子が終わった事をグチグチ言わないの」
何とも都合のいい事言っているが、俺にも小さいながらプライドがある。その小さなプライドの為にも、俺は歩実にそれ以上はなにも言わなかった。

その後、俺達はいつもの分かれ道まで色んな事を話した。
家族の事、中学時代の事、将来の事、昨日の事。その時間はあっという間に過ぎた。昨日の声の主はどうやら歩実の中学時代からの先輩らしい。二つ年上の先輩でサッカー部のキャプテンをしていて、歩実は中学時代からその先輩から可愛がられているようだ。名前は水田先輩。先輩の話を楽しそうにする歩実を見ていると、俺は胸が苦しくなった。春風が歩実の短い髪を撫でる。桜が散り終わる頃、俺はその横顔に恋をしていた。


                   *


朝日の光で目を覚ます。どうやらカーテンを閉めずに寝てしまったようだ。次の日、学校に着くとすぐに夢が俺の所に来た。
「昨日はどうだった? 仲直りできた?」
「仲直りは出来たよ」
俺は暗い声で答えた。
「何かあったの?」
夢は心配そうに尋ねてきた。
「まあ、ちょっとね」
俺は真意を告げず、そうはぐらかした。
心配に感じた夢は、元喜と航に俺の事を相談したみたいだ。夢と元喜は面倒見がいいので、こんな俺をほっとけないようで、休憩の合間も絶えず俺を気に掛けてくれていた。航は興味が無い事には一切関わってはこなかったが。

お昼になり、いつもの様に屋上に向かう俺。今日は最悪の事に雨が降っている。雨の日はいつも屋上の踊り場食べるのが決まりだった。この日も踊り場で弁当広げて食べていると、いつも俺より早い航が今日は珍しく遅れて屋上へやってきた。ゆっくり腰を下ろし俺の向かいに座り弁当を広げ始める。
俺達はいつも特に会話はしない。お互いそれが楽だし相手に関与しないのが俺達の暗黙のルールでもあったからだ。
だがこの日は珍しいことが続き、航が口を開く。
「お前、歩実の事好きだろ?」
口いっぱいに唐揚げとご飯を頬張る俺に航は言った。俺は一瞬むせ返しそうになったが必死に堪えた。航は汚ねぇよ、と言いながら俺を笑っている。
「なっ、なんだよ。いきなり」
いきなり不意を突かれた俺は、焦りを必死に隠そうとした。
「お前分かりやすすぎ、まぁみんなには黙っといてやるよ」
全てを見透かしたように航が言う。
「いつから知ってた?」
「たぶん最初から」
航はいつも周りをよく見ていた。日頃感じた事は口に出さないが人間観察、分析においてその才能は一頭地を抜いていた。顔が一気に熱を帯びて、体中の体温が急上昇しているのが分かる。
体の火照りを無理矢理抑えようと冷静になる。
だが俺はある事に気付いた。航はみんなに黙っとくと言った。という事は、航以外の人はまだ知らないという事か?
「お前以外に誰か知ってる人いる?」
俺は素直にそう訊いてみた。
「いや。あの感じだと夢は気付いてるだろ。元喜はバカだから気付かないだろうけど」
航は首を傾げながら言った。俺はとにかく黙っていてくれとお願いした。するとニヤリと笑い航は交換条件を差し出してきた。
「この事は黙っといてやる。だから昨日何があってお前がそうなってんのか教えろ」
俺の好きな人がばれた時点で、隠しても意味がないと思いその条件を飲んだ。そして昨日の一部始終を航に話した。
「そういえば歩実、中学の時からあの先輩に気に掛けられてたなぁ」
航が小さく呟く。俺は胸が苦しくなった事、自分が歩実の事を好きでヤキモチを妬いている事を話すと、航は声を出して笑った。俺は笑うな、と言葉に力を入れて言った。気付けば昼休みも終わろうとしていた。

階段の方から足音がする。夢が航を迎えに来たのだろう。夢は一定のリズムで階段を上がって俺達のいる踊り場に顔を出した。
「あら、珍しい。二人が向き合ってるなんて」
夢は驚いた顔でこちらを見る。航はスッと立ち上がり、自分の制服に着いたお尻の埃を落としこう言った。
「夢、こいつ歩実の事好きらしいぞ」
「うん。知ってるよ」
俺は開いた口が塞がらなかった。


                  *


俺はバスに揺られていた。学校からバスで合宿所に向かっている最中だ。バスの中は終始お祭り騒ぎで、テンションが上がった数人がバスに備え付けられていたカラオケを歌う始末だ。カラオケといっても、歌声は酷いもので、歌声というより叫び声に近かった。
そんな騒音の中、俺の横でヘッドホンにアイマスクして寝ている航。今でも隙があれば、その顔面に一撃をお見舞いしてやりたい所だが、そんな事をすればクラスの女子が激怒し、俺は袋叩きにされるだろう。

航は先日、俺との約束を速攻で破った薄情な男だ。俺が今殺意を抱いているのはそのせいだ。俺は怒りを鎮めるように無理矢理に目を閉じた。
合宿所に着き、部屋に荷物を置き館内の説明を受ける。それからクラス対抗のバレーボールやバスケットボール大会が行われ、夕方には自分達でカレーを作る事になっていた。俺達の班は、カレー担当と米担当の二つに分かれる事にした。カレー担当は夢、航、元喜、帆夏、米担当は俺と歩実になった。俺はすぐに準備に取り掛かかろうとすると、夢が肘で俺の腕を突いてきて「良いとこ見せなよ?」と茶化してくる。「分かってるよ」俺は小さな声で言うと歩実が「何話してるの?」と近寄ってきた。俺は「何でもない」と言ってすぐに夢から離れた。

俺と歩実は持ち場が違う為、二人で持ち場へ移動する。まず俺達は火の熾し方や米の炊き方まで細かい事を担当の方から丁寧に習う。歩実は飯盒に人数分の米を計り入れ、米を洗い、メモリまで水を入れて、米を浸け置きする作業を。火熾しは危ない為、俺が担当する事になった。木を集めて骨組みを組み、俺は先生の真似をしながらなんとか木に火がついた。
「やった。ついた」
歩実は燃える火を見て喜んでいる。俺は首に掛けたタオルで汗を拭い、歩実は飯盒に浸けている米の時間を確認すると「もう少しだねと言って」近くの椅子に腰を掛けた。

何やら向こう側が騒がしい。顔を向けると声の主は俺達の班からだった。いつものように夢が航を怒っているのだろう。帆夏は言い争う二人を止めようとしているが、二人の間を割って入れないようだった。元喜は一人で黙々と作業をしているが、どうやら不器用なようで夢から叱られていた。俺はその光景を見ながら笑っていると「さっき夢と何話してたの?」歩実が訊いてきた。
「美味しく作れよって言われただけ」
咄嗟に嘘を吐くと、歩実は目を細めて俺を疑うように見た。俺は蛇に睨まれた蛙はこんな気持ちなのかと思い、歩実から視線を外した。
「あっ、目逸らした。なんか嘘吐いてる」
歩実は俺を逃がさないつもりのようだ。
「米、そろそろじゃない?」
俺は不自然に話題を変える。歩実は時間を確認すると、黙って俺に飯盒を渡してきた。どうやら時間になっていたようだ。俺は渡された飯盒を火にかける。炊き上がるのには三十分ぐらい掛かるようなので、俺は歩実にカレーの様子を見に行こうと誘った。歩実は少しご立腹のようで、まだ俺を睨んでいる。

俺はカレーの出来を見る為に、鍋の中を覗き込んだ。俺の目には見た事もないカレーがそこにはあった。ジャガイモの皮は中途半端に残っていて、形は一口サイズとは程遠いデカさの物もあれば、赤ちゃんが食べるようなサイズの物まであった。
ニンジン、玉ねぎも同様に複雑な形をした様々の大きさの物が鍋の中に投げ入れられていた。野菜を担当したのは元喜と帆夏のようで、野菜の切った大きさが二人の性格を表しているかのようだった。野菜は火が通れば食べられるのだが、問題はルーの方にあった。
カレーを煮込む際、夢は航にカレーを見るように頼んでいたらしいが、航はカレーをかき混ぜる事もせず、ただ近くに座っているだけだったようで、カレーは見事に焦げていた。かき混ぜれば多少は食べられるかと思って一口食べてみたが、すぐに体が拒絶した。大のカレー好きも、このカレーを食べたら一発で嫌いになるだろう。俺はすぐにカレーを吐き出す。それを見て航が俺に言った。
「人の作ったカレー吐き出すなよ。失礼な奴だな」
「こんなカレー作る方が難しいわ」
俺は口を拭いながら言った。夢は「ごめん」としょんぼりした顔で謝った。帆夏はともかく、お荷物二人を抱えて作業するには、さすがの夢も手に負えなかったようだ。幸い米だけは何とか確保出来たので良かったが…。「どうする?」と相談する中、「みんなから少しずつ分けて貰おう」と元喜はそう言って各班から余ったカレーを拝借して回った。こうして俺達は自分の班のカレーではなく、他の班が作ったカレーを食べる事になったのだ。
「いただきます」
みんなで手を合わせ一斉にカレーを食べ始める。「まあ、カレーなんてどれ食べても一緒だろ」と航が不謹慎な言葉を投げると「だいたい航が焦がしたんだからね!」と夢が口を尖らせて言った。いつもと違う景色で、少し焦げ臭い匂いを嗅ぎながら食べるカレーは、今までにない味だった。

夕食を食べ終えると片付けが始まり、俺は机を片付け台拭きで汚れを拭き取る。みんなも同様に片付けを行っていた。ある程度片付け終わった後、元喜と歩実は班長会議に出る為、先に部屋へと帰った。
「どうだった? 上手くいった?」
夢が洗い終わった食器を拭いていた俺に、興味津々に訊いてくる。
「んー、どうかな」と俺は少し考えながら答えた。
「大地はもっと積極的にした方がいいよ」
俺が歩実を好きと知った後から俺と夢は話す機会が増え、今では俺の事を呼び捨てで呼ぶようになっていた。
「俺なりに頑張ってる方だけどな」
「歩実、可愛いんだから。すぐに取られちゃうよ?」
その瞬間、俺の頭にはあの先輩の姿が過ぎった。先輩は俺より背が高く、しかもイケメンで体中から優しさのオーラを放っているような人だ。考えれば考える程、絶望的になった。俺が先輩に勝てる要素は限りなくゼロに近かった。
「男ならしっかりしなさい」
そんな俺を見て夢はバシッと渇を入れる。

片付けが終わると俺達はそれぞれの部屋へと帰った。部屋に戻るとそこには既に元喜がいた。
「おかえり、片付け終わった?」
「今さっき終わったよ」
俺は部屋のベッドに寝転ぶと大きく息を吸って目を閉じた。日頃こんなに人と過ごす事がない俺はかなり疲弊していた。
元喜はこの後の流れと明日の起床時間等、細かな連絡事項を伝え、俺達は風呂の時間が来たので館内にある大浴場へと向かった。
扉を開け、脱衣所に入る。脱いだ服や下着などが散乱している。みんな興奮しているのか服を片付けないまま、次々に浴場へ流れ込んでいる。

服を脱ぎ一日の疲れを取る為、ゆっくり浴槽に浸かろうと考えていた俺にとんでもない光景が飛び込む。浴槽はプールと化し、四方八方からクラス中の男達が飛び込んでいる。この時、不運にも見回りの先生がいなかった為、浴場内は無法地帯となっていた。
浴槽の湯は激しくしぶきを上げ零れ落ちる。浴場内の声は大きく外に響いたようで、その騒ぎ声を聞きつけた先生が飛んできた。先生からの注意を受けるとようやく浴場は静まり返る。俺は一日の汚れを洗い流すと、浴槽に足を踏む入れゆっくりと腰を落とす。
湯量はみんなが飛び込んだせいでかなり減っていた。俺は湯が溜まるまで体を寝かせて、体全体が浸かるように入った。
しばらくして元喜が俺の横に座り、航もそれを追いかけるように俺達の正面に向かい合うように座った。他のみんなは浴槽に浸からずに次々上がって行き、浴場内はさっきと違い静かな雰囲気となっていた。
俺もそろそろ風呂から上がろうとしたその時、航が元喜に語り掛けた。
「元喜、俺お前と好きな人一緒みたいだわ」
それは突然の出来事だった。俺も元喜も唖然としている中、航は真剣な表情で言った。
「ん? え、どうゆうこと?」
いきなりの事に焦る元喜。航の言葉をまだ整理出来てないようだった。
「だから、俺もお前も同じ人を好きになったんだよ」
「そうなんだ……」
元喜の言葉に力が無かった。俺には今の元喜の気持ちが痛い程わかった。相手がイケメンのモテ男なのだ。俺も歩実が先輩と仲良くしている時に、俺とは勝負にならないと思った。俺の隣で肩を落としている元喜もそう思ったに違いない。
「俺とお前はこれからライバルになるかもしれない。だからお互いの好きな人が本当に一緒かどうか今確認しときたいんだ」
そう言うと航は更に続けた。
「せーの、で一緒に好きな人の名前言うぞ?」
航は気を落とす元喜に向かってそう言った。元喜はコクリと頷くと息を大きく吸い込み、深呼吸をした。だが、俺はこの時思った。何か前にも似たような事があったような……。
そうだ。思い出した。
「せーの!」
二人が声を合わせて言った。俺はこの後に起こる事が予想出来た。同時に航がとんでもないペテン師である事も。元喜は見事に航の術中にかかったのだった。
「帆夏」
俺の予想は見事に当たり、元喜の声だけが俺達にしか聞こえない大きさで響く。
「知ってるよ」
航は満足そうに笑っている。航は恐らく随分前から元喜の好きな人を知っていたのだろう。航の事だ、普通にばらしても面白くないから元喜を騙したに違いない。
「そっかー、ほのちゃんかー」
俺はそう言って立ち上がり、浴槽から出た。そういえば、入学してから元喜はよく帆夏に話し掛けていた。日頃本なんて滅多に読まないのに、帆夏に勧められて難しい顔して読んだりもしていた。最初は面倒見が良い元喜だから、と思ったがその行動は好意からだったようだ。みんなにも同じように接しているからわからなかったが、航の目は誤魔化せなかったみたいだ。
「騙したなー!」
元喜の顔が急激に赤くなっていく。安心したのか元喜の顔に笑顔が戻る。
俺と航はそれを見ながら声を大にして笑った。

風呂から上がり部屋に戻る。渇いた喉を潤す為、自動販売機のあるホールへ向かった。そこには机が一つと、三人掛けのソファが机を挟むように置かれていた。俺と元喜は隣に座り、航は俺達の向かいのソファに座り、ジュースを飲んだ。渇いた喉を炭酸が刺激する。風呂上がりのこの一杯がたまらない。みんなで一息吐くと話題は再び元喜の話になった。
「いつから好きだった?」
「中学の時から」
俺の質問に元喜が恥ずかしそうに答えた。
俺の班は、俺以外みんな同じ中学出身で、どうやら元喜は中学時代から帆夏に惚れていたようだ。その後、みんなの中学時代の話などで盛り上がっていると、向こうから夢が歩いて来た。
「なんか楽しそうだね」
濡れた髪を結び、露出の多い部屋着を着て俺と元喜の前に座った。俺と元喜は目のやり場に困り、なるべく夢の方を見ないようにした。
「なんて格好してんだよ」
「なんで? 可愛いじゃん」
注意する航を夢は不思議がった。夢はモデルみたいな体系で肌が白くスタイル抜群だ。湯上り姿が彼女の美しさをより一層際立てた。女に免疫のない俺と元喜には少しばかり刺激が強かったが。
「で? なんの話してたの?」
夢は自分の格好の事など気にせずに、俺達が何に盛り上がっていたか尋ねた。元喜がさっきまで話していた内容を夢に話すと夢は終始笑いながら、懐かしいと言っていた。
気付けば俺達は三十分程話し込んでいて、館内はすっかり静まり返っていた。恋話で盛り上がり、時間を気にしていなかった。とにかくもうすぐ消灯の時間なので、俺達は急いで部屋に帰る事にした。部屋までの帰りも話の続きをしながら帰っていると、元喜が衝撃の言葉を口にする。
「そういえば歩実ってまだ水田先輩の事好きなのかな?」
その瞬間夢の目が一気に見開くのがわかった。航は俺と一切目を合わせようとしない。薄々そうじゃないかと思っていたが、実際にその事実を聞くと胸に穴が開きそうだった。俺は突然の事に唖然としていると、航がボソッと呟いた。
「何も知らないって罪だな」
「知らなかったんだから仕方ないよ」
夢がフォローする。この四人の中で状況が理解出来てないのは元喜だけだった。


                      *


合宿二日目。俺は生気が抜け落ちたように食堂に行く。昨日の衝撃がまだ吸収しきれずにいた。移動中、力無く歩く俺に航が「お前情緒不安定過ぎだろ」と言うが言い返す気にもならない。元喜はひたすら俺に謝ってきたが、元喜が悪い訳ではない。それに俺が今まで元喜にした事を考えたら、当然の報いを受けているようだった。
「おはよー」
女性陣が揃って食堂へやって来る。夢は俺の前に座り「生きてる?」と心配そうに聞いてきた。
「半分死んでる」
俺は力のない声で答えた。俺は気分が落ちている事を歩実に悟られないように、平然とした態度で朝食を済まし、すぐに食器を片付けた。部屋に帰る途中、歩実が後ろから俺の名前を呼んだ。俺は一瞬ドキッと胸が高鳴るが、何食わぬ顔で振り返る。
「昨日みんなで話し込んでたんだって? 何で呼んでくれなかったの?」
歩実は後ろで手を組み、俺の横に並んだ。
「ごめん。すっかり忘れてた」
「ひどーい。みんなで何の話してたの?」
俺は昨日話した内容を覚えている限り話した。だが、最後の話題だけは伏せておいた。歩実は俺が話している内容にいちいちリアクションし、突っ込みを入れ、楽しそうだった。そんな歩実を見ていると、俺は嬉しさか悲しさか言葉で表現出来ない気持ちになった。

俺は部屋に戻るとベッドに寝転び、誰もいない静かな部屋で歩実は今も先輩が好きなのかを考えていた。ゴールのない思考を繰り返していると航が帰ってきた。ベッドに寝転ぶ俺を一目見て、何も言わずに荷物の整理を始めた。「なぁ」と話し掛ける俺に返事せず顔だけこちらに向ける。
「俺、歩実に水田先輩の事聞こうと思ってるんだけど。どう思う?」
航は少し考えていた。俺は航の返事を、餌を待つ犬のように待っていた。
「恋愛は博打だ。攻めるか守るか、押すか引くか、そういった駆け引きで勝敗が決まるゲームだからな」
航はいつになく真剣な表情だった。俺は寝ている体を起こし、航の話に真剣に耳を傾けた。
航は続けて語りだす。
「お前の場合こうだ。この勝負を挑み、仮にお前が勝った場合の報酬は、歩実が先輩になんの好意も抱いてないという事。もしかすると、歩実はお前の事が好きという可能性が、ミジンコ程度はあるという事。負けた場合の代償は、お前にはこれから一切の可能性は無くなる。その返事聞いた瞬間ゲームセットだ。だけど今何もしなければ好転はしないが、傷は浅くて済む。どっちにするかはお前次第だ。リスクを背負い勝負すれば、勝った報酬はでかいが負けた代償もでかくなる。安易に突っ込めば火傷じゃ済まない。その覚悟がお前にあるなら勝負をすればいい」
こんなに熱く語る航は初めて見る。だけどどこか口調が変なのは敢えてそっとしておこう。なにより俺の相談を真剣に乗ってくれていたようだ。俺は何も言わずにベッドに横になり、航の言葉を思い出した。航の口振りからすると、どうやらこの勝負の勝率はかなり低いように感じた。恐らく航は、歩実の気持ちを知っていて、俺を余計に傷つけないように気を使ってくれていたのかもしれない。航が俺にそんな気を使うか不思議に感じたが、あの真剣表情を疑う余地はなさそうだ。
もしかすると俺は心のどこかで、誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。自分の決断が正解なのか、自分の判断が正しいのかを誰かに肯定してもらいたかったのだ。
俺は歩実への気持ちが大きくなり、周りが見えなくなっていた。航はそれをいち早く察知し、警告してくれていた。

荷物の整理、部屋の片付け、館内の掃除を済ませた後、昼食を取った俺達は学校への帰りのバスを待っていた。今日はかなりの暑さで、体力自慢の運動部も悲鳴を上げていた。数分経ってようやく迎えのバスが到着し、みんなが一斉に乗り込む。バスの席順は班ごとになっていて、行きは航が窓際だったので、帰りは俺が窓側に座る事にし、指定の席に腰を下ろして目を閉じた。しばらくするとバスが動き出した。心地よく揺られる俺の隣から何やらいい匂いがする。ふと横を見るとそこに座っていたのは航ではなかったのだ。
「ごめん。起こしちゃった?」
「いや、目閉じてただけだから」
隣に座っていたのは夢だった。俺に話があったので航と席を変わってもらったようだ。
「どうしたの?」
不思議に思った俺は夢に尋ねた。
「大地に話があってさ」
「なに?」
「まあ、帰り道は長いからゆっくり話そうよ」
夢はそう言うと鞄から飴を取り出し「食べる?」と俺に差し出してきた。俺はその飴を噛み砕くように食べた。

夢の話は中学時代の先輩と歩実の関係についてだった。中学時代、歩実の憧れだった先輩と次第に仲良くなり好きになっていったらしい。歩実は先輩が卒業するまで思いを告げず、卒業後も先輩の事が好きだった。中学三年の時に好きな人の話題になった時には、同じグループの子は歩実はまだ先輩の事が好きと思っていたが、歩実はよくわかんない。と歯切りの悪い返事だったようだ。夢が俺にこの事を最初に話さなかったのは、歩実が今もまだ、先輩の事が好きという確信が無かったからだ。その時、夢はわざわざ航と席を変わって俺を慰めにきてくれたのだと気付いた。真剣に話す夢に俺は何も言わず、ただただ相槌を打った。
夢は話し終えると、鞄からお茶を取り出し凄い勢いで飲んでいる。よっぽど喉が渇いていたのだろう。
「ごめんね? 本当はもう少し早く言った方が良かったんだけど……」
夢は少し俯いて言った。
「そんな事ないよ。わざわざ言いに来てくれありがとう」
俺は夢の視界に入るように顔を下げ、歯を思いっきり出し、顔がくしゃくしゃになるような笑顔で夢を見た。夢は「あはは」と笑い顔上げ、なぜかそこから変顔大会が始まった。俺達は学校に着くまで変顔で笑いあった。
バスは学校に到着すると、前の方から順番に降りていく。俺達は後ろの方なので、前の組が下りるのを座って待っていた。夢は隣ですぐに降りられるように鞄を肩に掛け準備している。
「今日はありがと。気持ち楽になったよ。夢と付き合う奴は幸せだろうな」
俺は夢に感謝の気持ちを述べた。
「なっ、なに、いきなり」
夢は不意を突かれたのか、咄嗟に立ち上がった。そんな夢の顔を見上げるとほんのり赤くなっていた。動揺しているのが明らかに分かる。
「ほんと夢は悪い所ないよ。美人で頭脳明晰、スタイル抜群。文句無しだな」
俺は悪戯な笑顔で夢を更に褒めちぎった。
「もう! いい加減にして」
照れながら俺の肩を叩いてくる。俺達はバスから降りるまで、じゃれ合っていた。

学校に着き、解散の挨拶が終わるとみんなが一斉に帰宅し始める。俺は航と元喜としばらく話した後、帰宅した。その帰り道、心地よい風が俺の頬を撫でるように通り過ぎる。少し汗ばんだシャツに風が当たり、火照った体の熱を下げてくれた。しばらく歩くと、いつもの自動販売機が見えてきてその横には俺の特等席が見えるが、何やら人影が見える。俺は目を凝らしながら近付いて行くと、歩実が俺の特等席に腰掛け休憩していた。
「お疲れ」
そう言って俺に冷えたジュースを手渡してきた。俺は「ありがとう」とジュースを受け取り、歩実のすぐ横に座った。しばらく無言のまま時が流れた。俺はジュースを飲みながら、何で歩実がここで待っていたのかを必死に考えたが、さっぱりわからなかった。話があって待っていたのか、それとも単純に休憩していただけなのか……。待てよ。ただ休憩しているだけなのに俺の分のジュースを買っているなんて不自然だ。俺は何食わぬ顔で聞いた。
「俺に何か用事あった?」
「うん。ちょっとね」
歩実は、ぼーっと遠く見つめてこちらを見ない。俺が「なに?」と聞くとしばらく黙った後、ようやく口を開いた。
「大ちゃんって夢の事好きなの?」
「へ?」
俺は言葉が詰まった。想像とは全く違う事を訊かれたので、返答するのに時間が掛かった。
「いい友達とは思ってるよ。恋愛の好きとは違うかな?」
「そうなんだ」
歩実は少し素っ気無く返事をした後「帰ろうか」と立ち上がった。
「いきなりどうした?」
俺は質問の真意を確かめる為、歩実の後を追った。
「特に理由はないけど……。そうなのかなって思っただけ。帰りのバスの時も隣に座ってたでしょ? すごい楽しそうだったし、それに昨日も夜話し込んでたみたいだし、それ見てたら夢の事好きなのかなって思ってさ」
歩実は相変わらず俺の顔を見ずに、ゆっくりと歩いて行く。歩実の雪のように白い肌にはほんのり汗が滲んでいて、夕日がそれを照らし反射する。楚々としたその姿に俺は釘付けになっていた。歩実の言葉通り、俺はこの合宿で夢との距離はかなり縮まっていた。傍から見たら、俺は夢が好きと見えてもおかしくなかっただろう。
「友達として仲良くなっただけだよ」
「本当にそうなのー? あんなに楽しそうだったのに」
俺を疑うような視線で見る歩実。俺はバスの中の出来事を歩実に誤解されないように必死に説明した。歩実はそんな俺を見て笑っていた。この帰り道だけは俺と歩実だけの時間で、誰にも邪魔される事はなかった。
俺達はそれから他愛もない話をしながら、いつもよりゆっくりと家へ帰った。


※歩実と仲良くなるストーリー構成
川、買い物。

——第二話 夏——


「あちー」
俺は学生服のズボンを膝下まで捲り上げ、Yシャツのボタンを全開にして初夏の暑さに耐えていた。梅雨が明け、気温も一気に上がり夏本番を迎えようとしていた。
「暑い暑い言わないでよ。こっちまで暑くなるでしょ」
手のひらサイズのうちわを仰ぎながら歩実は言った。俺達は今、学校帰りに地元の駄菓子屋のベンチで涼んでいる。暇さえあれば放課後五人でここの駄菓子屋に溜まるようになっていた。田島のおばちゃんが営業している店だから俺達の間では「たじま」と愛称された。
うだるような暑さがアスファルトを照り付ける。蝉の鳴く音が、暑さを更に引き立てているような気がした。隣で元喜が今にも倒れそうな顔をして「お待たせー」と人数分のアイスを持って、夢と航がこちらに歩いて来る。五人でそのアイスを食べながら、夏休みに何をするかみんなで話し合っていた。やはり定番は海、夏祭り、花火だろう。ここら辺の地域は7月の末になると、海辺で花火大会があるらしく、出店やカラオケ大会などもあるようだ。俺はこの町に来て初めての花火大会なので元喜が気を回してくれてみんなで行く事になった。そんな話をしていると、田島のおばちゃんが声を掛けてきた。
「あんた達丁度良かった。今年海の家でバイトする子がいなくて、男手に困ってるみたいなんだよ。暇ならちょっと手伝ってあげてくれない?」
どうやら毎年夏季限定で海の家が開かれるらしく、毎年お手伝いをしてくれていたバイトの人が就職したらしい。俺は夏休みも特に用事が無いし、小遣い稼ぎには丁度良かったので海の家を手伝う事にした。元喜も俺と同意見でバイトする事に異論はないようだ。
「おばちゃん、俺と大地は暇だし手伝うよ」
元喜はさっきまで倒れそうな顔していたが急に元気になっていた。
「ありがとね。助かるよ。航ちゃんも手伝ってくれる?」
おばちゃんが航に問い掛ける。
「ちょっとだけなら……」
珍しく航が断らない。昔からお世話になっている店だから断りづらいのか、今回は一発でOKした。こうして俺達三人は夏休みから約一か月間の間、海の家でバイトする事になった。
もう準備しているようなので、早速今週末に俺達は一度挨拶に行く事にした。

バスに揺られる事、三十分。海から一番近い駅に到着した。そこから五分程歩いた所に木で出来た年季の入った建物を見つけた。たぶんこれが俺達の働く海の家だろう。
「すみませーん」
早速店に入り今日一番の声を張る元喜。店の奥から人が歩いてくる。少し小柄の四十台半ばぐらいだろうか、アロハシャツに膝上までのショートパンツ、白いサンダルを履き、頭にはサングラスを掛けている。こちらに向かってくるその人は目付きが悪く、俺を睨み殺してしまいそうな程の目力があった。俺は一瞬にして体の熱が下がっていった。嫌な汗が頬を流れる。
「あ、あ、あの夏休みからここで働かせてもらう者です」
元喜は震える声を抑えながら言った。
「あー、君達がそうなんだ。中入って、軽く案内するよ」
その人は、先程の表情からは考えられないような、明るい笑顔で俺達を招き入れてくれた。俺達は挨拶と自己紹介をして中を案内してもらう事にした。その人は話してみるとすごく人が良い人で、名前は茂田さんという。市長の頼みで、毎年夏季限定で海の家を開けているらしい。店の中は四人掛けテーブルが四つ、カウンター席が五席あった。夏になったら外にパラソルを立て、テーブルとイスをいくつか置くようだ。店の中は埃っぽく、テーブルも椅子もかなり古い物で、お世辞にも綺麗とは言えなかった。次に調理場に行くと、二人が並んで入るのが精一杯の広さで、かき氷を作る機械、鉄板、フライヤーなどの調理機器が置かれていた。茂田さんはどうやら夏に向けての片付けと清掃をしている途中だった。
「もうだいぶ昔の物ばかりで汚いけど、一ケ月よろしく頼むよ」
茂田さんは俺達にそう言うと片付けを再開しだした。
「よろしくお願いします」
俺達は声を揃えて言った。その後、俺達は茂田さんの片付けを手伝ってから帰る事にした。茂田さんは終始「ありがとう」と言いながら作業していて、帰りにはみんなにジュースを買ってくれた。俺は家に帰って眠りつくまで茂田さんのあの笑顔が忘れられなかった。


                    *


「キーンコーンカーンコーン」
チャイムの音が校舎に一斉に響き渡る。終業式が終わり明日から夏休みが始まる。俺達はあれから何度か茂田さんの所に片付けの手伝いをしに行って、なんとか夏前に海の家の開店準備が出来たのだ。古いテーブルは新しいクロスをかけ、椅子は汚れが目立たない様に、上から座布団を置いた。店の中は殺風景で何ともアクセントが無かった為、俺の提案で誰のかわからない忘れ物のサーフボードを飾り、壁には貝殻を糸で繋げた物をいくつも吊るし、海の砂を瓶に入れ貝殻で飾り付けをした物をいくつも棚に置き、ハンモックも吊るした。お金の掛からないように店をコーディネートし、以前よりもすごく明るい海の家が完成したのだ。その夜、茂田さんは俺達にお手製の焼きそばをご馳走してくれた。さすが熟年の味、まさに完璧な味付けで文句の付け所がなかった。俺の横で元喜が焼きそばにマヨネーズをかけまくって、茂田さんに怒られていたが、そんな事をしなくても十分美味しかった。食べ終えると茂田さんが店を開店するにあたっての注意点や接客態度、給料の話を念入りに話した。以前接客態度が悪いと、お客さんと喧嘩になったバイトが何人もいたそうだ。俺は茂田さんには迷惑がかからないように丁寧な接客を心掛けよう。そう決めた瞬間、茂田さんが言った。
「大地、お前は中で俺の手伝い。元喜と航は接客を頼む」
「え? 俺、中ですか? てっきり茂田さんが一人で料理するのかと思ってました」
俺は意外な言葉に驚きを隠せなかった。でもその後の茂田さんの言葉に俺は納得せざるを得なかった。
「最初はそう思ったがやっぱり一人じゃキツイしな。それに明るい元喜は接客向きだし、顔の良い航は店の看板だな。こいつに客引きと接客させたら女の子いっぱい来るだろ? だから余った大地は俺の手伝いって事」
大きな口を開けて笑う茂田さんにつられて、元喜も手を叩きながら笑っている。俺は元喜に「笑うな!」と元喜の手を押さえつけた。元喜はすぐに黙ったが明らかなに笑いを我慢している。一方、航は茂田さんに「俺には無理です」と一生懸命訴えているが、この決断が覆ることは無かった。
それから俺は店の料理を覚えたり、かき氷の作り方、盛り付けなど茂田さんから教わった。航と元喜も並行して接客の仕方を教わっていたが、航の笑顔が引きつっていてぎこちない。それを見て笑う俺に、航はドスのきいた声で「見るな」と睨み付けてくる。ぎこちないながらに航も頑張っていた。
それから数日が経ち、ようやく明日が海の家の開店初日だ。学校中を響き渡らせるチャイムが鳴り終わると、みんなが一斉に下校し始める。今日は帰りに五人でたじまに寄り道して行く事になっていた。真夏の太陽がグラウンドを熱して、外はものすごい気温になっている。
「あつーい。溶けちゃう」
夢が力ない声で言った。
「明日から俺達、海の家で働くから女子呼んで海に来なよ。気持ちいいよ」
元喜が無邪気な笑顔で夢に笑いかける。
「元喜だけだよ。そんな事言って変態扱いされないのは」
俺は重い頭を少し上げ、羨ましそうに元喜を見た。「確かに」と歩実が笑って頷く。普通の男子がそんな事言ったら、水着が見たいという下心が丸見えだが、元喜が言うと素直にそう言っていると思われて、女子は皆元喜を変態扱いはしなかった。元々下ネタとは無縁の元喜だから許される言動だ。
「そういえば手伝いって何するの?」
夢が俺に尋ねる。
「接客と料理の手伝いかな」
「誰が接客するの?」
「元喜と……航」
「えー!」
歩実と夢が同時に声を上げた。
「航が接客なんて出来るの?」と言いながら夢の目には少し涙が溜まっている。笑いを我慢し過ぎて涙が出てきたようだ。そのぐらい航が接客するなど考えられない事だ。
「いやー、良いもの見せてもらったよ。こいつの笑顔ぎこちなくてさ、笑っちゃたよ。夢も歩実も一回見に来たらいいよ」
「俺だってやりたくねーよ! でもたじまのおばちゃんのお願いだから仕方なくやるんだよ。でもこいつの理由に比べたらましだけどな」
からかう俺に航は反撃するように言い返し、俺に向かって指を差した。
「どうゆう意味だよ」
「余りもの」
航が言った言葉に元喜が爆笑する。手を叩き大きな声を上げて笑い出す。歩実と夢は何の事かさっぱりわかってなく、キョトンとしていた。俺と航が小競り合いしていると元喜が歩実と夢に説明し始めた。
「あのね、この前誰が接客で誰が中の手伝いをするかを茂田さんって人が決めたんだけど、その理由が俺は明るいから接客向きで、航は顔が良いから客引きと接客したら女の子が沢山集まるだろうって理由からなんだけど、接客に三人はいらないらしくて、それで余った大地が中で料理の手伝いって事になった訳」
元喜は話の節々で笑いを我慢しながら二人に説明をした。ふと航の方に視線をやると勝ち誇ったような顔で俺を見ている。歩実や夢は話が理解出来た途端に二人で笑い出した。結局その日は最後まで俺はいじられ、バイト前日に散々な目に会った。

次の日、朝からうだるような暑さの中、俺達三人はクーラーの効いたバスに揺られ、海の家に向かった。茂田さんは既に準備に入っていて、相変わらずアロハシャツにショートパンツで頭にはサングラスを掛けていた。俺は黒のTシャツにアジアン風の柄が入ったショートパンツ、サンダルを履いて頭にタオル巻き、腰には膝下まである黒のエプロンを巻いた。早速茂田さんの指示で俺達も準備に取り掛かった。外にパラソルを挿し、机や椅子を並べたり、店の中の床を掃いたりした。午前中はお客さんが全然来なかった。俺は掃除が終わってからというものやることが無く、厨房の中でカウンターに肘を付き、外で遊ぶ女性をしばらく眺めていた。
「本当に忙しくなるんですか?」
俺はあまりの暇さに溜め息を吐いた。
「まぁ見てな。今からが本番だから。今はあのナイスバディの姉ちゃん達見て力貯めとけ」
茂田さんはそう言うと、頭に掛けたていたサングラスを目に掛けなおした。この行動は恐らく、外で遊ぶ女性に視線を悟られない様にしているに違いない。
「茂田さん、そのサングラス貸してください」
「馬鹿野郎! お前には百年早いわ!」
「ちっ!」心の中で舌打ちをし、再び向こう側で遊ぶ女の子に視線を戻した。女性達は砂浜でビーチバレーをしていて、俺はその中でもひと際スタイルの良い自分好みの女性に視点を合わせた。走ったり、跳んだりする度、揺れる胸やお尻を見て茂田さんが隣で興奮しているのが分かる。「癒されるだろ?」「来て良かっただろ?」と俺に執拗に聞いてきた。俺は何も言わずコクリと頷くと茂田さんは満足そうに俺の背中をポンッと叩いた。しばらくすると俺がずっと見ていたスタイルの良い女性がこちらに向かって歩いて来る。
「ずっとこっち見てるけど暇なの?」
その女性は、茶髪でフワっと緩やかなパーマの掛かったロングの髪の毛を前から後ろにかき分けながら、黒のビキニ姿で俺の前のカウンターに座りニコッと話し掛けてくる。白く透き通った肌、スラっとした足、胸の間に出来た谷間、俺は目のやり場に困った。
「あっ、えっと、い、今は暇ですけど、もうすぐ忙しくなる予定です」
俺は自分の意に反して、大きくなろうとするあそこを抑えるのに必死で、言葉を詰まらせた。
「そうなんだ。じゃあ暇な君にいちごのかき氷作ってもらおうかな」
その女性は微笑みながら、カウンターに両肘を付き両の掌に自分の顎を置いてこちらを見ている。俺は早速、注文を頂いたかき氷を作り始める。氷をセットしカップを用意、機械の電源を入れると氷が勢いよく回り削り取られていく。俺はそれをこぼさない様にカップの面まで入れ一度止めた後、シロップをかけた。もう一度電源を入れその上に溢れるように氷を積み上げ、最後にシロップをかけスプーン付きのストローを挿し女性に渡した。この作業は茂田さんに教わって何度も練習していた俺は、手際よく完成させる事が出来た。その女性は拍手をしながら受け取ると「冷たーい」といいながら口の中にかき氷を運んでいた。
「君、高校生?」
「はい。そうです」
その女性はかき氷を食べ終えるまで、俺にずっと話し掛けてきた。「名前は?」「どこの高校?」「彼女はいるの?」「何でバイトしてるの?」とか終始質問攻めだった。俺は質問される度同じ質問をその女性にした。彼女の名前は麗香さん。近くの学校に通う大学生で、今日は友達と海に遊びにきたようだ。俺の通っている高校の卒業生でもあってか初対面にしては話が盛り上がった。十五分ぐらい話しただろうか、時間はもうすぐお昼を迎えようとしていた。
「ご馳走様。また遊びに来るから今度も相手してね」
麗香さんは立ち上がり、俺にそう言うと元いた場所に戻って行った。俺はペコっと頭を下げると横から俺のお尻を目がけて鋭い蹴りが飛んできた。
「お前何鼻の下伸ばしてんだよ」
茂田さんが呪い殺すような低い声で言った。俺は茂田さんの言葉に耳を向けず去って行く麗香さんの後ろ姿をずっと眺めていた。


                    *


「おい! 航はどこ行ったんだよ!」
「あっちで女の子に捕まってます! 大地! この焼きそば青のり抜きだよ」
「やべ、間違えた! 茂田さんすみません。もう一個焼きそばいいですか?」
バタつく店内。茂田さんは汗まみれになりながら焼きそばやたこ焼きを作り、俺は出来上がった料理に盛り付けを行い、それとは別にポテトやかき氷などの注文も俺が担当していた。元喜は一人で店内と外を走り回り出来上がった料理やジュースを注いで運んでいた。本来なら航と二人で行う筈だが、なにやら女の子に捕まって逃げられないらしい。さっきまでの暇が嘘のようにお客が流れ込んできて、時刻は正午を回ったがお客の足取りが減る様子も無かった。
「元喜! これ三番テーブルのお客さん!」
茂田さんが大きな声で料理が上がった事を元喜に知らせる。
「了解です!」
店内の床は海の水や砂で滑りやすくなっていたようで、俺の目の前で元喜がたこ焼き片手にひっくり返る。それと同時にトレーの上に乗ったたこ焼き達が宙を舞った。その姿は見るも無残な姿だった。

ようやく今日一番ラッシュが終わり、俺と元喜はカウンターに這いつくばるように寝ていた。
「ほい、これ食って元気出せ」
出てきたのはカレーライスだ。上には唐揚げやポテト、たこ焼きなど色んなおかず乗っていた。
「今日はすみませんでした」
俺は茂田さんに謝罪したが、茂田さんは「初日からちゃんと出来る奴なんていないよ」とビールを片手に、もう片方の手で煙草を吹かしながら言った。Tシャツや頭に巻いたタオルは汗でビチョビチョになっていて体は最高に気持ち悪かったが、不思議と悪くない気分だ。
そんな俺達に茂田さんは「明日からまた頼むぞ!」と言ってくれた。今日の失敗は勿論反省するが、今は目の前のカレーを食べる事の集中する事にした。
「おう、お疲れ。やっと解放されたか?」
「はい。やっと放してくれました」
航がやつれた表情で向こう側から歩いて来た。「疲れた」と呟きながら元喜の横に腰を下ろした。こいつは今日一日色んな水着のお姉ちゃんに捕まり、ほとんど店の手伝いが出来ていなかった。茂田さんが最初に航は店の看板になると言った通り、店の客層は若い女性が多かった気がする。日頃から人とそんなに関わらない航はかなり疲弊しているように見えたが、俺からすれば羨ましい限りだ。茂田さんが航の分のカレーを作ってくれ、俺達三人はひたすらカレーを食べ進めた。
ご飯を食べ終えたら後は片付けをして今日のバイトは終わりだ。
「ヤッホー」
陽気な声が遠くの方から聞こえてくる。声の方へ向くと女四人組がこちらに歩いて来るのが見えた。よく見るとその内二人は歩実と夢だった。昨日、元喜言った通りクラスの女子を連れてやってきたのだ。四人は水着の上に少し大きめのTシャツを着ていて、歩実は恥ずかしそうに身をよじながら夢の後ろに隠れている。
「お疲れ様。忙しそうだったね。もう落ち着いた?」
「やっと落ち着いたよ。死にそうだった」
俺は最後の一口を飲み込み夢に言った。
「バイト終わったら少し海で遊ぼうよ」
「片付けが終わったら行くから待っといて」
「じゃあ後でね」と夢は手を振り四人は海へ向かった。
「ご馳走様でした」
ボロボロの足で立ち上がり、茂田さんにお礼を言った。
「あれはお前の女か?」
「え? 違いますよ! クラスの友達です」
俺は首を大きく左右に振った。茂田さんは疑うように俺を睨んで「本当は?」としつこく聞いてきたが、何度も違うと説明してようやく理解してくれた。それから茂田さんは夢の事を「あの子は良い女だな」と絶賛していた。確かに夢はすごく魅力的な女性だが、今俺の脳裏に焼き付いているのは歩実の水着姿だけだ。夢程スタイルが良い訳では無いが、歩実もかなりのモデル体型で、制服の上からではわからない体のラインが、歩実の色気を更に引き立てていた。そんな歩実の事を俺は直視出来なかった。モテる男や気の利いた男はここで「似合ってるよ」「綺麗だね」なんて言葉を掛けられるのだろうけど、口下手な俺には当然無理難題であった。
俺は急いで店の跡片付けをし終えると、エプロンをカウンターの椅子に掛けて茂田さんに挨拶をし、早々に海へ向かった。元喜が俺の後を追うように後ろから走ってやってくるが、航の姿が見えない。元喜に尋ねると、「後から合流するから先に行っといて」と言われ元喜だけが俺の後を追ってきていた。仕方がないので航を置いて二人で先に歩実達と合流する事にした。
歩実達四人は夕日が照らす海の波打ち際ではしゃいでいた。元喜はTシャツを脱ぎ捨て、一目散に海へ走って行き飛び込んだ。
「バシャン」水がしぶきを上げ大きく跳ね上がり、四人は「キャー」と言いながら逃げ回る。元喜は何故あんなに元気なのだろうか? あれだけ働いてはしゃぐ体力も残ってない筈なのに、海を見た瞬間に子供に戻った様なあのはしゃぎぶりは俺も見習いたいものだ。俺は浜辺に腰を下ろし、しばらくその光景を眺めていた。
「お疲れ様。初バイトはどうだった?」
手の砂を叩きながら歩実が俺の傍まで歩いて来た。「疲れた」俺はそう呟くと歩実は俺の隣に腰を下ろした。
「外から見てたけど、今日忙しそうだったね?」
「俺も最初はチョロいなって思ってたけど……まさかあんなに忙しくなるとは思ってなかったよ。でも終わってみれば意外と楽しかったかな。いっぱい失敗したけど」
俺は指で砂に落書きしながら、航が女に捕まってた事や、元喜がたこ焼きと一緒に転げた事、俺の失敗談など今日一日の出来事を話した。歩実は俺の話を最後まで笑顔で頷きながら聞いてくれた。一通り話し終えると歩実は言った。
「大ちゃん、昔よりずいぶん明るくなったね」
濡れたショートカットの髪を耳に掛けながら歩実は言った。
「それはお前が……」
出し掛けた言葉を咄嗟に引っ込めた。俺が明るくなったのも、みんなと仲良くなれたのも、全部歩実のおかげだ。あの当時、来るものを拒んでいた俺に、何の躊躇もなく飛び込んで来た歩実がいたから、俺はここまで明るくなれたんだ。今は学校に行くのも、放課後にみんなでたじまに寄って買い食いするのも、全てが楽しかった。今この気持ちを言ってしまえば、勢いで告白までしかねない。そう思った俺は、溢れ出てくる感情を無理矢理に抑え込み、平然を装った。歩実は今もまだ水田先輩の事が好きかもしれないし、俺が告白して振られたらせっかく築き上げた今までの関係が無くなってしまう。俺にはそれが耐えられなかった。
「それはお前が? なに?」
歩実はニヤニヤしながら尋ねる。
「お前がいつも馬鹿みたいにしてるから、嫌でも明るくなるよ」
好きな人の前では天邪鬼。思春期の男はこれが基本だ。またもや思ってもない事を言ってしまう。言わば条件反射のように思っている事と反対の言葉が勝手に出てくるシステムになっている。歩実は「ちょっと、それどういう意味!」と笑いながら俺の足を砂で埋め始めた。そんな歩実をしばらく放って置くと、海で遊んでいた皆みんなまで俺の足に砂を掛け埋め始めた。砂の山が俺の腰辺りまでくると、俺の両足は動かせないくらい砂に埋まった。「出てみて?」歩実が言うと、俺は足に渾身の力を込め砂の山を壊そうとしたが、ビクともしなかった。
「何やってんだ?」
航がポケットに手を入れて、俺を上から見下ろしてくる。
「あっ! 航、お疲れ様。今日は大変だったみたいだね」
歩実が額の汗を拭いながら航に言った。
「大変ってこいつ俺と元喜が一生懸命働いてる時に、女とばっかり話してただけだからな」
俺は言った。
「ビキニ姉ちゃんの胸見て、楽しそうに話しながら鼻の下伸ばしてたお前に言われる筋合いねぇよ」
航の一言で冷たい視線が一気に俺に集まる。
「ふざけんな! 誰も鼻の下伸ばしてねぇし、胸なんか見てねぇよ! おい! 待てよ! 聞いてんのかよ!」
誰も俺の言葉に耳を傾けてはくれなかった。みんなが俺に背を向け帰って行く中、歩実だけが振り返り「変態」と言い冷めた表情で去って行く。一人浜辺に取り残された俺。動かせない足。
「せめてこの砂どけてから行けよー!」
俺の叫び声は虚しく響き渡る。辺りはすっかりと黄金色に染まり、気付けば太陽が目線の高さまで落ちていた。引き寄せる波音と海風だけが俺の事を理解してくれているような気がした。


                    *


あれから数日。海の家のバイトにも慣れてきた俺は自分で言うのもなんだが、初日とは比べものにならないくらい手際が良くなっていた。
「大地、航、休憩していいぞー」
「はーい」
今日は元喜がバイトを休む日になっていた。平日は土日に比べるとお店が暇なので、俺達は交代で休みを取るようにした。穏やかな昼下がり、俺は茂田さんの作った賄いを口いっぱいに頬張っていた。
「高校生頑張ってる?」
声のする方へ振り返ると、女性二人組が店に入ってくる。
「また来たのかよ……」
航が隣にいる俺にしか聞こえない声で呟いた。その女性達の正体は、麗香さんとその友達だ。俺達がバイトしだしたその日から、週に何度も遊びに来ては話し相手をさせられていた。元喜は持ち前のベビーフェイスと天然を武器に大学生を魅了し、俺はカウンター越しに麗香さんの愚痴を聞くのが日課になっていた。航はというと、大学生の前では愛想笑いを振りまき、それに好意を持った大学生がまた次の友達を呼んできては相手をさせられていた。その甲斐あってか、不器用だった愛想笑いも板についてきたと同時に、その毒舌ぶりにも磨きがかかっていた。茂田さんも回数を重ねるに連れ、顔と名前を覚えたようで今ではすっかり仲良しになっていた。良い溜まり場が出来た大学生達は、今日もいつものように暇つぶしに来たのだろう。
「大学生って暇なんだな」
航が麗香さん目がけて渾身の嫌味を言うと「そんな事ばっかり言ってるとモテないぞ?」と航の嫌味も巧みにかわす。いつもクールで通っている航も、麗香さんの前では子供同然の扱われようだ。麗香さんも回数を重ねるに連れ、俺達の扱いにも慣れてきた。
「茂さんもお店出すんですか?」
麗香さんは店のコップを勝手に取り、ジュースを注ぎながら聞いた。茂田さんの呼び名も、いつの間にかあだ名に変わっていた。
「いや、俺は出さないよ」
二人が話しているのは明日行われる花火大会の話で間違いなさそうだ。ここから数十メートル先には屋台が何十メートルも立ち並び、会場の中央には簡易ステージ設けられていた。当日にはそのステージでバンド演奏、カラオケ大会、ダンスの披露などのイベントが予定されていて、ここからでも屋台の準備やイベントの設営に精を出す人影が大勢見える。夜八時になると数千発の花火が空一面に咲き誇るようで、その光景を茂田さんと麗香さんは懐かしそうに話していた。数十年前、花火大会で茂田さんが数多の女性に告白された話に、誰も耳を傾けていない事は茂田さんには黙っておこう。
「大地君達は誰かと行くの?」
茂田さんの昔話をBGMに麗香さんが尋ねてきた。
「元喜と航と。あとはいつも一緒にいる友達と行く予定です」
「もしかして女の子? その中に好きな子とかいちゃう感じ?」
「いないですよ。そういう麗香さんは誰かと行くんですか?」
「私はねぇ……内緒」
麗香さんは悪戯な笑顔を俺に向け楽しんでいる。俺の横で航が「一緒に行く相手がいないだけだろ」と小さな声で呟くと、麗香さんは大きな目を細め、航を睨んだ。最近の航は何かと麗香さんの言う事に噛み付いて絡んでいた。
「残念でした! 私彼氏いますから」
勝ち誇った顔で航を見るが、航は興味無さそうに賄いを口に運んでいた。「まぁまぁ、麗香もそう睨まないの」麗香さんの友達が二人の会話に割って入り、場を落ち着かせた。俺はすぐさま話題を変えようと麗香さんに尋ねた。
「麗香さん彼氏いたんですね。いつから付き合ってたんですか?」
「去年の夏だよ。丁度この花火大会の日に告白されたんだ。最初はどうしようか迷ったけど、なんか勢いと雰囲気に負けちゃった感じだね。まぁベタだけど女の子って案外こういうのに弱いじゃん? 大地君も告白しようと思ってるならしといた方がいいよ? 結局思いを告げれずにさようならって話よくあるからさ。まぁ好きな人と行くならだけどね」
麗香さんの話によると女の子は意外とベタなシチュエーションに弱いらしい。歩実もそうなのだろうか? そんな話あまりした事がないが、恋愛豊富そうな麗香さんが言うなら間違い無いかもしれない。女心が全くわからない俺は、麗香さんに告白された時の内容や心境など事細かく詮索し、自分の告白の参考にしようと必死になっていた。麗香さんはそんな俺の気持ちに気付いてか、俺には何も詮索せずにその日の出来事を覚えている限り丁寧に説明してくれた。気が付けばバイトの休憩時間はほとんど麗香さんの恋愛授業で終わってしまっていた。

バイト帰り、夕日に照らせながら俺と航はバス停で帰りのバスを待っていた。俺は明日の大イベントに向けて頭をフル回転させていた。頭の中では終わりのない会議が延々とされていた。議題は歩実に告白するか告白しないかだ。
「花火大会という絶好のシチュエーションの力借りて告白した方がいいだろ」
頭の中で全身真黒な俺が言う。
「失敗したら今後一緒に帰ったり話したり出来ないかもしれないんだぞ」
今度は全身真っ白の俺が言う。
「思いを告げなかった一生片思いのままだぞ」
「今はまだその時じゃない。もう少し様子を見るんだ」
こんなやり取りをもう何時間も繰り返している。俺はバス停の横に座り込み頭を抱えた。
「悩んでる内は止めとけ。やるならちゃんと腹括った時だろ」
俺は航の方に顔を向けた。こいつは俺の頭の中まで分かるのか? いつも唐突に核心を突いてくる航に、自分の心を見られている感じが多々ある。
「お前、見えるのか?」
「何がだよ。あからさまなんだよ、お前は」
呆れた顔で俺を眺め、ため息を吐く。
数十メートル向こうから排気ガスを吐きながらバスがやって来る。バスは俺達を乗せ海岸線を走り抜けていく。無言の車内に着信音が鳴り響く。どうやら航の携帯が鳴ったようで、航はポケットから携帯を取り出し、「夢からだ」と画面を確認する。その瞬間、航の顔が一瞬だが強張った表情になったのを俺は見逃さなかった。
「どうした? なんかあった?」
「いや、なんでもない」
航はそれから俺と別れるまで一言も喋らなかった。


                     *


「あと少し」
頭の中で何度も呟く。花火大会当日、俺はバイトが終わる時間を絶えずチェックしていた。今日は茂田さんの計らいでいつもより早くバイトを上がれる事になっていた。終わりの時間が近付くに連れ、気持ちが盛り上がっていく。
バイトが終わり次第、俺達三人は歩実と夢とバス停付近で落ち合う段取りになっている。落ち着きなく動き回る俺に、茂田さんが「うっとうしい! どれだけ楽しみなんだよ。今日はもういいから行け!」と口に出す。その言葉を聞いた瞬間、俺は一目散に着替えを済まし、店のトイレでぼさぼさの髪の毛を濡らした。無造作に置かれたタオルで髪を拭き、今日の為に持ってきた自前のワックスで髪の毛をいじくり回す。あまりに一生懸命な俺を見て「青春だなぁ、俺にもそんな時代があったよ」と茂田さんが懐かしそうに呟いた。
「大地! 早くしないと歩実達きちゃうよ?」
元喜の言葉に焦りながらも、なんとか髪の毛をセットし終える。
「お疲れ様でした! じゃあちょっと青春してきます!」
俺は茂田さんに一礼すると、茂田さんは俺に向かって拳を突き上げた。その意味はよくわからないが、茂田さん風の激励なのかもしれない。

早足でバス停まで向かう三人。人の波に逆らいながらなんとか時間内に到着した。到着とほぼ同時にバスがやって来て、ものすごい数の集団が降車してくる。女性達は綺麗な模様の浴衣を纏い、片手には巾着を持ち背中にうちわを挿している。下駄の独特な音と、会場全体に鳴り響く太鼓の音が夏の祭りを更に色付ける。集団の最後尾辺りまで待つと「お待たせ」と声がする。最初に歩いて来たのは夢だ。黒を基調とした花柄の浴衣で、長い髪は複雑な構造をした結び方で可愛くセットされていた。夢の後ろに続いてピンクの浴衣に花びら模様の浴衣姿で歩実が降りてくる。綺麗に着付けされていて、きっとバスの中でも崩れない様に気を使っていたに違いない。ショートカットの髪はいつも見ているのとは違い、緩いパーマが掛かっていて、花の髪飾りが着いている。その浴衣姿を見て凄まじい衝撃が俺の胸に刺さる。言葉を失ったまま歩実を見続ける俺の横で口を開けたまま、呆然と立ちすくむ元喜がいた。元喜は歩実に見惚れている訳では無く視線はその後ろにあった。水色の浴衣姿の女の子が歩実と少し距離をあけて歩いて来る。
「じゃじゃーん。帆夏も誘っちゃった」
夢は帆夏の手を引き俺達の前に連れてきた。
「あの、私も一緒にきてよかったのかな?」
周りの雑音にかき消されそうなくらいか細い声で言う帆夏に、元喜が高速で首を縦に振る。
「じゃあ行こうか」
夢はそう言って航と先頭を歩く。元喜と帆夏が後ろに続き、最後尾に俺と歩実が隣同士で進む。先頭の航と夢は、何を話しているかは聞こえないが、はしゃいでいる夢の話を航が只々聞いていた。前の元喜達は、一生懸命話題を切らさない様に元喜が猛烈にトークをしている。帆夏も心なしか嬉しそうに見えた。
「なんか話してよ」
歩実は俺の服を引っ張りながら膨れた顔で言った。特に話題も用意していなければ、さっきの衝撃でまだ少し麻痺している俺は暑さからなのか、焦りからなのか体中から汗が噴き出る。
「暑いな」
我ながら中身の無い会話だ……。
「ぷっ。なにそれ。普通楽しみだねとか、なに食べようかとか他にもっとあるでしょ?」
「今の独り言だから! まだ話し掛けてないの! 今から掛けようと思ってたのにお前が変な事言うから忘れちゃったよ」
本当に言いたい事はそんな事じゃない。ただ歩実の浴衣姿が綺麗だと伝えるだけなのに、俺にはこの言葉がどんな物より重く感じた。
「じゃあ待ってるから話し掛けてきてね?」
「あー、あれだ、帆夏誘ったんだな」
「おー。大ちゃんにしてはまともな出だし。元喜が喜ぶかなぁって思ってサプライズで誘ってたの!」
「ん? お前も元喜の好きな人知ってたの?」
「当たり前でしょ? バレバレだよ」
会場に近付くに連れ人の波と熱気が増してくる。俺達は会場の入り口前で一旦止まると先頭の航が振り返ってこう言った。
「わりぃ元喜、俺海の家に財布忘れたから取りに行ってくるわ。先に行っといて」
「一人じゃ迷子になるでしょ? 私も行くよ」
夢が航の後を追う。四人で顔を見合わせ「どうする?」と相談してると、なにやら横で歩実がゴソゴソと必死に何かを探している。
「うそ! 携帯落としちゃったかも!」
「嘘だろ? こんな人混みの中じゃわかんないぞ?」
俺は焦りながら歩実の携帯に電話を掛けようとしたが、その手を止められ「いいから一緒に探しに行こう」と手を取られた。
「元喜達は気にせず先に行っといて! 後で連絡するから」
歩実は大きな声でそう言うと、人の流れに逆らう様にもう一度バス停の方に向かった。少し歩くと、持っていた巾着から携帯を取り出し、誰かに電話をし始めた。
「もしもし? 無事成功したよ」
何の話かさっぱりわからない。歩実の電話が終わると俺は「携帯あるじゃん」と指を指した。歩実は小さく微笑むと「大ちゃんって本当鈍感だよねぇ」と言ってまた会場へと引き返して行く。
どうやらこの計画は最初から決まっていたようで、航と夢、歩実によって仕組まれた元喜の為のハッピー計画だそうだ。なぜ俺だけに知らせて貰えなかったというと、事情を知ると俺はすぐに顔に出て、元喜にばれる可能性があるかららしい。事情を知らない俺が、歩実の携帯に電話を掛けようとした事は予想外だったらしく、危うく計画が丸潰れになる所だったみたいだ。俺は今その計画の全貌を知ったというのに。
この後、海の家で航と夢と落ち合う予定になっている。人波に揉まれながら、逸れないように俺の服の袖を掴む歩実の手がやけに嬉しかった。海の家は会場と逆方向にある為、自然と人だかりは減っていき、歩実の手が俺の服から離れた。俺は人が減り、逸れる事が無くなったからと思ったが、その後すぐに歩実は俺の後ろに隠れた。俺はその行動が不思議に思い振り返ると、歩実は不自然な程下を向き「いいからこのまま歩いて」と呟いた。
理由はわからないがとりあえずそのまま歩く事にし、視線を前に向けると前方から見た事のある二人が歩いて来る。その二人に接点があるのかどうかはわからないが、今日この日に手を繋いで歩いているという事は、つまりそういう事なのだろう。俺はすぐに察知した。そう言えば彼女の方は俺達の高校の卒業生だ。という事は彼と接点があってもおかしくはなかった。
「大地君!」
大きな声で俺の名を呼び、手を振りながら歩いて来る彼女は麗香さんだ。その横で手を繋いでいる焼けた肌の爽やかな彼は、水田先輩だった。歩実が俺の背に身を隠したのは、水田先輩との接触を避ける為のようだ。
「麗香さんの彼氏さんって水田先輩だったんですね」
後ろから背中を叩かれる。恐らく「早く行け」と歩実が合図しているのだろうけど、俺にこの場を切り抜ける術が無かった。俺の背中の異変に気付いた水田先輩が覗き込む。
「あれ? 歩実じゃん。来てたんだ」
水田先輩は驚いた顔で歩実を見た。歩実は下を向いたまま「こんばんわ」とだけ挨拶をし、またすぐに俺の背に隠れた。歩実はたぶん、水田先輩に彼女がいた事は知らなかったのではないだろうか? その事実をこうして突き付けられ戸惑っている様に見えた。俺はとにかくこの場を切り抜ける為、半ば強引に会話を断ち切りその場を後にした。


                     *


会場はすごい熱気で盛り上がっていた。もうすぐ花火が打ちあがるというアナウンスで更に会場を沸かせていた。立ち並ぶ屋台からは「いらっしゃいませ」とどこの屋台からも聞こえてくる。汗だくになりながらも接客をする姿が俺には眩しく見えた。俺達四人は人混みを掻き分けながら、花火がよく見える会場の真ん中辺りを目指し進んでいた。この町にこんなに人がいたのか? と不思議に思うくらい今日は人で溢れている。途中人混みを抜けた所で航が口を開いた。
「たぶんもう真ん中は場所取られてるな。どうする? 少し歩くけど上の方に良い所があるんだ。そこに行って見るか?」
俺はこの地には詳しくないし、人混みに揉まれるのもそろそろ疲れてきたので、航の意見に賛成した。会場から出て、海沿いの道をまたぐ様に山手へと歩いて行く。しばらくすると、石の階段があり航は「この上」と石段の頂点を指差した。そこには人はいなく、かなりの穴場スポットであったが、問題なのはその石段の角度だ。かなりの急勾配で浴衣の歩実と夢には上り辛いだろう。
「二人とも浴衣だし、ここでも見えそうだから無理に上らなくてもいんじゃない?」
「ここまで来たのに今更そんなとこで見ないよ!」
俺の心配を他所に夢は力強い声で階段に足を掛けた。航はそんな夢を見て笑っているように見えた。浴衣の裾を上げ、無理矢理足を上げる夢を航がエスコートしに行った。さすがは紳士。ここでさり気なく優しさを見せる航の行動に俺は少し感心した。俺もそんな航を見習い、同じように歩実の手を取り急な石段を上り始めた。
頂上付近まで来ると、周りの木が少し邪魔するがかなり眺めは良かった。心なしか今日の空はいつもより近く、大きく見え暗闇に包み込まれそうな気がした。夢と航が腰を下ろした所より三段程上った所で俺と歩実は腰を下ろした。遠くの方でアナウンスが聞こえるが何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
「あのさぁ……」
「ヒュー……ドン!」
俺の声に被せるように花火の音が町全体に響き渡る。色鮮やかな花火は空一面に広がり、瞬く間に散っていった。
「タイミング良いね」
歩実は一発目の花火が散り終えたのを確認し俺に言った。次々に打ちあがる花火は大きな音をたて咲き乱れた。花火の光で照らされた歩実の横顔は美しくどこか寂し気な表情に見えた。
二十分程休みなく上がる花火が一旦落ち着く。今回は花火が止んだのを確認してから歩実に問い掛けた。
「あのさぁ、先輩の事なんだけど」
「そう言えば大ちゃん彼女さんと知り合いだったんだね! ビックリしちゃった」
俺の言葉を遮る。歩実が無理に話題を変えようとした事も、空元気なのもすぐに分かった。歩実がまだ先輩に思いを寄せているんだろうな、と俺は先輩に会った時に気付いてた。その後の落ち込み用は隠しても隠しきれて無かったし、今も俺の質問から逃げよう必死なのが何よりの証拠だろう。
「バイトでよく来るお客さんなんだよ。彼氏はいるって言ってたけど、水田先輩とは知らなかったよ」
「そうだよねぇ。先輩彼女いるとか言って無かったし」
歩実は少し尖った口調で言った。場内のアナウンスが終わると、再び夜空いっぱいに花火が咲いた。さっきの花火と違い今度は、散り際が美しい花火だった。この時俺はなぜか茂田さんの言葉を思い出した。以前、バイト中にいきなり「人は散り際こそが一番美しい」と呟いては俺のリアクションを待っていた。その時俺は意味が分からなったのでとりあえず無視をしたが、今思うと人の散り際とは死や別れ、失恋の事を指すのだろうか? そんな事を考えていると下の方が騒がしい。航と夢が何やら慌ただしく立ち上がり「ちょっとトイレ!  先に下りてるね!」と夢が急いで階段を下りていく。二人の姿はすぐに暗闇へと消えこの場には俺と歩実の二人だけとなった。歩実は「もう、だからトイレに行っときなって言ったのに」と言いながら笑っていた。

航達が下りて十分ぐらい経っただろうか。あれから沈黙が続き、二人の間には花火の音だけが鳴り響いた。
「本当はね……」
先に口を開いたのは歩実だった。俺は「うん」と頷き、歩実の次の言葉を待った。
「結構先輩の事好きだったんだ。でも、何にもしないまま終わっちゃった。馬鹿だよねぇ。学校で話す度、一人で舞い上がったりしちゃってさ」
歩実の声は震え、目には涙が溜まっている。歩実は涙を堪えながら、クライマックスへと向かう花火を見つめていた。
「それだけ本気だったんだろ。別に恥ずかしい事じゃない」
「ありがとう。隣に大ちゃんがいてくれて良かったよ」
歩実は涙を拭い俺に笑顔を向けた。どうやら花火もクライマックスのようだ。次々に花火が上がり、空が花火で埋め尽くされる程に咲いた。歩実はその光景を「わぁ、綺麗」と見つめている。
「俺、歩実の事好きだ」
最後に今日一番の大きさを誇る花火が上がり、花火大会は幕を閉じた。会場からは歓声と拍手が起こり、それはしばらくの間続いた。
「え?」
歩実は何が起こったか理解が出来てないようで、目を丸くして俺を見ている。
「こんな時に不謹慎かもしれないけど、俺歩実が好きだ。歩実が悲しんでる所とか見たくないし、先輩の事で涙流す所も見たくない」
二人の間に重い空気が立ち込める。一秒がやけに長く感じ、自分の鼓動が歩実に聞こえそうな程大きく鳴っていた。
「ごめん……。気持ちはすごい嬉しい。そんな風に思ってくれてたなんて思って無かったから。でも今はまだ……ごめん」
「そうだよな。俺の方こそいきなりごめん。航達待ってるだろうから下りようか」
結果は言わずとも分かっていた。こうなる事は予測できていた筈だが、心のどこかで数パーセントの可能性を信じていた。
下りる最中に会話は無く、歩実は申し訳なそうにしている。それが俺には逆に苦しかった。石段を下りると少し離れた所から「あーゆーみー!」と言いながら夢が走ってくる。でも夢は歩実の異変に気付いたのか、そっと歩実に寄り添いそのまま二人で先に歩き出した。
「玉砕したか……」
航は俺の肩に手を置き、先に歩く二人を見ながら優しい声で呟いた。
「あぁ。粉々だ」
「人は散り際こそが一番美しい。by茂田」
「うるせぇよ……」
俺は声を震わせながら肩にある航の手を振りほどいた。


                     *


夏休みも終盤に差し掛かり残り一週間となった。あの花火大会以降、俺は歩実と会う事はなかった。何度か連絡しようと思って携帯を手に取り文章を考えるが、これといっていい言葉が思い浮かばない。「良い天気だし、どこかに遊びに行く?」振られた直後の男が言う言葉じゃない「ちょっと会えない?」これは重すぎる「なにしてるの?」お前に関係ないだろ、と思われそうだし何より中身が薄い。結局何もしないまま俺はバイトに明け暮れた。
俺達は今日が最後のバイトで茂田さんに晩御飯をご馳走になる事になった。海の家から海岸線を車で十分程走り、町中に入るとある店に茂田さんは車を止め「着いたぞ」と運転席のドアを開けた。俺は助手席のドアを開け店の看板を見てみると<茂ちゃん>と木枠の板に大きく書かれていた。
「え? ここって茂田さんの店ですか?」
「おぉそうだ。驚いたか?」
茂田さんは自慢気に胸を張り店に入って行く。確かに日頃何をしているか聞いた事は無かったが、まさか自分の店を持っているなんて思わなかった。俺は茂田さんの後を追うように店に入った。入り口に掛かっているのれんを掻き分けると、お世辞にも広いとは言えないが綺麗で落ち着いた雰囲気の店だった。入るとすぐカウンター席が並んでいて、その奥に六人テーブルの置かれた掘りごたつの部屋が二部屋あった。キッチンはオープンキッチンになっていてカウンター席の向かいにあった。茂田さんは俺達を奥の部屋へ招き入れ、メニュー表を渡してきた。
「今日は好きなだけ食え! 何でもいいぞ!」
腰にエプロンを巻き、腕を組み準備している。
「茂田さん大好き!」
元喜が無邪気に喜ぶ中、航は真剣にメニューを眺めていた。航が見ているメニュー表を横から覗き込み初めてここが居酒屋なのだと気付いた。俺達はありったけの料理を注文し今か今かと待ちわびていた。俺は料理の完成が待ちきれず、カウンター席から茂田さんの姿を見て思った。茂田さんは普段はふざけているが、仕事になると凄いオーラを放つ。約一か月の間だが、俺は茂田さんの隣で働いてそれを肌で感じていた。手際良く下準備をし、衣がたっぷり付いた天ぷらを丁寧に油へと忍ばせた。隣では並行して豚肉が炒められている。これは恐らく航が頼んだ豚キムチだろう。その更に隣では、串が炭の上で焼かれていた。俺はこの一か月の間に料理に興味が湧いたのか、茂田さんの作業を見入った。
「大地」とキッチンから俺の名を呼ぶ。俺は茂田さんを見て「なんですか?」と尋ねた。
「お前は将来何になりたいんだ?」
考えた事も無かった。ついこないだ中学を卒業した俺には、就職という言葉は縁の無いものだった。
「特には無いです。深く考えた事も無いです」
「お前、料理の道に進んだらどうだ? 短い間だが、お前を見てきた俺からすると良いものは持ってる。手先は器用で、要領も悪くない。お前が興味あったらって話だが」
「まぁ、少しはありますけど、仕事になるとまだわかんないです。正直、働くって事をこの前お覚えたばかりですよ?」
「それもそうだな。ほら! 出来たぞ!」鉄板に上に乗せられた豚キムチはジューと音を立て湯気をだしている。俺は「いただきます」とカウンター席から割り箸を取り、食べようとすると、それに気付いた航が後ろから強引に豚キムチを取り上げ、奥の席へと移動した。俺はその湯気を辿るように付いて行った。料理は次々に運ばれては三人の胃の中に消えていき「お前達よく食べるなぁ」と茂田さんも感心する程食べた。
腹が満たされると俺は横になった。茂田さんが焼酎を片手に座敷に上がり込んできて、今一番聞きたくない言葉を言った。
「そういえばお前らバイトばっかりしてたから、夏休みの課題終わってないんじゃないのか?」
「とっくに終わったに決まってるでしょ」
航は得意げに言った。
「航。俺もね、頑張ってやったんだけど……全部わからなかったんだよぉ。でも頑張ったんだよ? だからお願いします!」
元喜が泣き付くようにお願いしていた。不思議に思った俺は「どういうこと?」と質問すると、元喜が中学時代の話を語りだした。どうやら中学の時から航の課題を丸写しするのが毎年恒例になっているらしい。元喜は昔からお世話になっていて、夏休みや冬休みが終わる前になるとこうして航に頼み込んでいるらしい。確かに航は勉強も出来が良かったので夏休みの課題ぐらい訳ないという事か。
「そういう事な。で、元喜は航にいつ見せてもらうの?」
「いつも航の家に泊めてもらって徹夜でやるんだ。航! 明日家に行ってもいい?」
「全く。ほんと毎年だな。別にいいけど丸写しはするなよ」
元喜は明日、航の課題を写す事を承諾された。両手を天に突き上げ大袈裟なくらい喜んでいる。人の事は言えないが、俺も夏休みの課題はまだ終わっていなかった。それどころか、夏休みに入ってから一度も鞄を開けていない。鞄は無造作に部屋の隅に投げ捨てたままである事を俺は今まで忘れていた。
「大地は課題終わったの?」
元喜が言う。
「終わってない、というか触ってない。航兄さん俺もお願いします!」
屈辱だとかそんな話は課題が無事終わってからだ。今はただあの膨大な量の課題を終わらせる事が最優先だ。俺は床に手を付き、渾身の土下座を航にした。
「カシャ」
カメラのシャッター音が鳴る。顔を上げると航の手には携帯カメラが起動され、俺の土下座姿を携帯カメラで撮っていた。俺は航の顔を睨み上げ「お前趣味悪いぞ」と航の携帯に飛び付こうとした。
「いいのか? 見せてやらねぇぞ?」
「お前の血の色は何色だよ」
俺達のやり取りに「ぎゃはは」と元喜の笑い声が部屋中に響いた。


                     *


「ピンポーン」チャイムの音が鳴り響く。
朝早くから俺と元喜は両手に大荷物を抱え、航の家の前に立っていた。片方の手には着替えや歯ブラシなどのお泊りセット。反対の手には大量の課題をぶら下げ、玄関が開くのを待っていた。「ガチャ」と玄関の鍵が開く音が聞こえ、玄関からは航のお母さんだろうか? 優しい顔で微笑み「どうぞ」と家に招き入れてくれた。
「お邪魔します」いつもより深々と頭を下げ、靴をしっかり揃えてから航の部屋へと向かった。玄関の正面にある階段を登り、突き当りを右に曲がるといくつかの扉が見える。その扉の一番奥にある部屋が航の部屋みたいだ。元喜は自分家のように「こっちこっち」と得意気に先導し、勢いよく航の部屋の扉を開けた。
「もっと静かに入って来いよ」
航はベッドに横になって雑誌読んでいた。部屋は白と黒を基調にしたシックな部屋で、机にソファ、本棚やオーディオなど、一目見ただけで航のセンスの良さがが感じられた。俺の部屋とは違い、綺麗に整理整頓されて床に物など何も落ちていなかった。そんな洗礼された部屋に、元喜は自分の持っていた荷物を無造作に下ろし、撒き散らすように課題を並べ始めた。そんな元喜を見ながら航はため息を吐き、自分の机の上にあった課題を取り元喜に渡した。元喜は拝むようにその課題を受け取り、筆箱からシャーペンを取り出しカタカタと写し始めた。俺も元喜の正面に腰を下ろし、苦手な英語から取り掛かった。
三十分ぐらい経っただろうか。俺は正面に座る元喜の頭が、徐々に机に向かって沈んで行くのが気なってしょうがなかった。
「元喜! まだ三十分ぐらいしかしてないぞ!」
元喜は一生懸命睡魔と戦った末に「無理! ちょっと休憩」と言って床に寝転んだ。
「集中力無さすぎなんだよ。だから徹夜でやるハメになるんだよ」航は呆れた表情で元喜を見る。
そんな元喜は放っておいて、俺は苦手なアルファベットと睨めっこしながら、間違えないように何度も何度も確認しながら課題を写した。航が不意に携帯を触り「あっ、今から夢が帆夏連れてくみたいだわ」と元喜に聞こえるように言うと、床に寝ていた元喜が勢いよく起き上がると、目を輝かせ「ほんとに?」と興奮気味に尋ねた。
「単純だなお前は。嘘に決まってんだろ」
航が笑いながら言うと元喜は「なんだぁ」と残念そうに萎れた。
「そういえば元喜、花火大会の日の事まだ聞いてなかったから聞かせてよ。あの後どうなった?」
俺は前のめりになり元喜を問い詰める。
「ていうか二人とも騙したでしょ! 歩実が携帯落とした事、俺本気で心配したんだからね!」
「ちょっと待て! その事は俺も知らなかったからな! 騙したのは航と歩実と夢だって」
航は仰け反りながら笑っていた。
「二人になれたんだから良かっただろ?」
悪びれる様子もなく航が元喜に言うと「まぁね」と照れ臭そうに答えた。
俺達はそれから課題の事を忘れ、花火大会の日の出来事を語り合った。元喜の話が終わって時計に目を向けると、時刻は既にお昼前だった。予想以上に盛り上がり、かなりの時間をロスしてしまった。
「あぁ、お腹減った」元喜が床に寝転ぶ。
「今家に誰もいないから、下に行ってカップラーメンでも作って来いよ」元喜はすっくと立ち上がり部屋を出た。
「元喜が勝手に台所使っていいのかよ?」
他所の家の台所を使うなど普通はしない。疑問に思った俺は航に尋ねた。
「あいつは昔から俺の家政婦だからな」
航は本気なのか冗談なのか判断し辛い言葉で返してきた。
元喜が来るまで少しでも課題に手を付けておこうと思い、机に投げ捨てられたシャーペンを握り、航の課題を写す俺に航は訊いてきた。
「そういえばお前、あれから歩実とはどうなんだよ」
「何にも。会ってもない、話してもない、連絡も取ってない」
俺は手を止めずに答えた。
「連絡も取ってないのかよ。お前に一つ教えといてやる。告白した奴よりも振った奴の方が相手に気を使うもんなんだよ。お前がいつまでもくよくよしてんじゃねぇよ」
航は俺に人差し指を指しながら言った。
「じゃあなんて言えばいいんだよ! 俺だって悩んだけど思い付かなかったんだよ」
俺は口を尖らせ航に反発した。航は俺の言葉に呆れた表情を浮かべ、語りだす。
「まず振られたお前がいつまでも気まずそうにしてると、余計歩実がお前に対して申し訳ないって気持ちになるだろ。別に悪い事をしてないのに、なぜか嫌悪感に押し潰されそうになるんだよ。それもこれも全部お前が情けないのが原因だ。告白したら、次の日には友達じゃいられないなんておかしいだろ? だったらお前が徐々にでも、今まで通りに接してやれば歩実も少しは気が楽になるもんなんだよ」
「わかってるよ」
俺は力の無い声で言った。航の言葉を否定する事も言い返す事も出来ない。
「わかってねぇよ」
そう言うと航は誰かに電話を掛け始めた。その携帯から呼び出し音が漏れて聞こえる。三コールすると携帯から女性の声が聞こえてきた。
「もしもし、今日家来れる? 今、元喜と大地来てんだけど」
航はその女性と馴れた様子で話している。
「でさぁ。歩実も一緒に連れてきてくれない? 頼んだ」
会話の口振りからすると、電話の相手は夢である事に気付いた。航は淡々と要件を伝え、二人を家に呼びつけた。
電話を切り終えた航に「お前急過ぎだろ!」と俺は言った。
「善は急げって言うだろ? それにお前わかってんだろ? だったら言い機会じゃん」
航のそのあっけらかんとした姿に、俺は言い返す気にもなれなかった。それとは別に、約一か月ぶりに会えるのを楽しみに感じている自分もいた。
ドンドンと下から階段を上がる音がする。ガチャと部屋の戸が開き、元喜がカップラーメンのスープを零さないように慎重に机へと運ぶ。なぜかおぼんの上には四つカップラーメンが用意されていた。
恐らく自分が二つ食べるつもりでいるのだろうが、その事には誰もツッコまなかった。


                    *


「カタカタカタ」
静かな部屋の中にシャーペンが机を叩く音だけが鳴る。航が連絡してから三十分が経っていた。床にはカップラーメンを二つ食べた元喜が寝ている。いったい何しに来たんだろうか? と疑問に思うが、そんな元喜よりも俺の方が全然課題が終わってない事に焦りを感じる。
「大地、英語まだ?」
夢が俺の写している英語の課題を早くしろと急かす。夢は電話を切り終えた後、すぐに航の家に来た。歩実は後から来るらしく、先に航の家に出向いたみたいだ。部屋に入るなり「航、課題見せて」と言うと、元喜を押しのけ俺の正面に座った。夢も俺達の仲間かと思ったが、その期待は大きく外れた。夢の課題は一通り済んでいて、空白の所だけ航の課題を見て埋めていた。そして残りの課題が英語だけになった夢は、さっきから俺を急かし、待っている。
「あ、先に見る?」俺はよそよそしく言うと「やった! ありがとう」と笑顔で課題を受け取る。俺はその間に休憩しようと思ったが、ものの数秒で俺の元に英語の課題が返ってきた。「終わったぁ」と両手を天上に突き上げながら体を伸ばす夢が不思議そうに俺に尋ねてきた。
「大地、もしかしてここにある課題全部終わってないの?」
夢は俺の横に散らばっている課題を指差した。「イエス」と俺は首を大きく縦に振る。
「ドンマイ。その量は終わんないね」夢は呟く。
「手伝って」俺が嘆く。
「そもそもギリギリまで放置し過ぎだろ」航が口を挟む。
「疲れた! 休憩!」
俺は握っていたペンを机に投げ捨て、大の字になって床に転がり、膨大の課題の量に挫折した。「聞いて、聞いて」と夢が夏休みにあった出来事を語りだす。家族での旅行や友達とショッピング、女同士のお泊り会など次から次に話題が出てくる。まるで子供の様にはしゃぎながら話す姿は、綺麗な外見からは想像も出来ない。
「でさぁ、夏休みもう終わるでしょ? 最後にみんなでバーベキューしようよ!」
夢は夏休み最後の思い出を作ろうと提案したが、道具も無ければ場所もないのでバーベキューは即中止となった。夢はふてくされながらも諦めずに何か考えている。
「別に無理にする事ないだろ」航が夢の気持ちを考えずに冷たく扱うが夢は諦めてなかった。
「じゃあさ、花火しようよ! 私買ってくるから!」
「花火か。まぁお金もそんな掛かんないし、いんじゃない?」俺は夢に賛同する。
「場所がねぇだろ」航が言うと「庭でいいじゃん」と夢が外を指差して言った。
「じゃあ決まり! 私行ってくるね!」夢はソファの上に置かれた鞄から財布を取り出し、部屋を出た。
「おい! それ俺の財布だろ!」航が夢を追いかけるように部屋出て行った。
俺は課題を終わらせる事を諦め、航のベッドに飛び込み昼寝をする事にした。フワフワの布団に包まれ、俺は溶けるように眠りについた。

「大地、いつまで寝てんの?」
俺は目を開けるとそこには元喜が立っていた。
「お前本当に課題終わんねぇぞ」
航が呆れた顔なのか、怒った顔なのか目がぼやけてわからなかった。一つあくびをして、目を擦り部屋の時計を探す。時計の針は二と五の位置を指していた。二時二十五分……待てよ。針の長さがぼやけて見えなかったのが次第に見え始める。五時十分だ。俺は航達が部屋を出てから三時間程寝ていたようだ。
「うそだろ! もうこんな時間かよ」
跳び起きる俺を怒る声の主は恐らく航だろう。男にしては甲高い声で笑うのは元喜だ。高く綺麗な声で笑うのは夢で間違いないだろう。もう一つ、包み込むような声で優しく笑うのは歩実だった。俺が寝ている間に航の家に到着していたみたいだ。歩実は俺と目が合うとすぐに視線を外し、他の三人の会話に混ざった。明らかに避けられている……。航の言うように俺が逃げ続けた成果が皮肉にもしっかり形になって出ていた。
四人は他愛もない会話で盛り上がり、話題が切れると課題を進める俺の邪魔をする。「お前ら俺に課題させる気ある?」俺は四人を順番に見て言った。
「今更足掻いても無駄だよね」元喜はもう課題を諦めて楽しむ事にシフトチェンジしたようだ。その切り替えの早さと潔さに俺は尊敬した。
「だってその量は終わらないでしょ?」夢が更に追撃してくる。
「馬鹿って大変だよな」航は蔑んだ目で俺を見る。
こいつらは悪魔か何かに違いない。人の邪魔をする事が生き甲斐で、人の不幸を餌として生きてる悪魔だ。この部屋には悪魔しかいないのか……。いや、待てよ。天使がいるではないか。俺は歩実の方に視線を向ける。
「まぁ自業自得だよね……」こいつも悪魔の仲間だったか。
「もう辞めた!」俺の言葉に元喜が「よっ! それでこそ大地!」と盛り立てる。
時刻は夜の七時を回っていた。外はほんのり暗くなり始め、八時から花火をする予定みたいだ。元喜の腹の虫が耳障りになり始めた頃、航のお母さんが人数分の手料理をご馳走してくれた。食事中は元喜と帆夏の話題で持ち切りだった。終始顔を赤らめていた元喜を羨ましくも思ったが、何よりも元喜の恋が実りそうなのを嬉しく思った。食卓には賑やかな話し声が絶え間なく響きあっという間に八時となった。
大量の花火を抱え二階から夢が下りて来る。航は庭に水の入ったバケツを用意し、元喜は今か今かとロウソクの前でそわそわしている。俺は庭のベンチに腰掛け、その光景を眺めていた。吹き出し花火をいくつも並べ、順番に火をつけて行くと勢いよく火花が吹き上がる。一つならそれ程インパクトは無いが、数十個も並べられた花火が次々に吹き上がるとそれは見事な光景だった。夜のカーニバルのような輝きを放つ花火は、数秒で終わってしまった。
「すごかったねぇ」夢が手を叩き感動を表すと「次はこれ!」と手持ち花火を四人に渡した。それぞれがロウソクに向かって一斉に火をつける。まず火がついたのは元喜だった。その後を追うように次々と花火に火をつけた。元喜は両手に持った花火をグルグル回し、庭中を走り回る。俺は再びベンチに腰掛けると、航が色んな種類の手持ち花火を俺の前に置き、「二人にしてやるから後は何とかしろ」と航はそう言って、向こうで元喜を見ながら笑う歩実を呼んだ。
「なに?」
「まぁ、座れよ」航は俺の隣を指差し、歩実を誘導した。歩実がベンチに腰掛けると航は何も言わずにその場を去った。俺は去って行く航に「お前が座れって言ったのに何も言わないのかよ」と心の中で叫んだ。
「どういう事?」歩実は首を傾げ俺に尋ねた。俺も「わかんない」と首を傾げる。
歩実の花火の火が消えかけた時、俺の前に投げ捨てられた花火を一つ渡した。
「今日はバイト休みだったの?」
「うん。昨日で最後だったんだ」
「そうなんだ……なんかこうして喋るの久しぶりだね」
向こう側で元喜が騒いでるのを眺めながら歩実は言った。今も会話はどこかぎこちなく、お互い気を張ってる感じがあった。
「あのさ……」
俺は歩実の方に顔を向けた。「なに?」と歩実もこちらを向く。
「この前の事、もし気にしてるなら全然大丈夫だから。俺もタイミング悪かったっていうか、ここのタイミングで言うのかよ、みたいな所あったし……。でも気持ちは変わらないし何て言うか……俺はいつまでも待ってる。てそんな立場でもないけど……」
しどろもどろになる俺は花火の火が消えている事にも気付かなかった。
「ありがとう。気持ちはすごい嬉しかったよ。そんな風に思ってくれてたなんて知らなかったから……。あれから考えてたんだけど、やっぱり大ちゃんと気まずいままじゃ嫌だし、今までみたいに仲良くしたいと思ってるんだけど……。仲良くしてくれる?」
少し照れながら話す歩実に、俺の胸は大きく高鳴った。
「当たり前だろ!」
気持ちが高まってついベンチから立ち上がってしまう。「いや、立たなくてもいいから」と歩実は笑顔で言った。歩実の笑顔は本当に久しぶりに感じた。今まで当たり前に見ていた笑顔も、今思うと幸せな時間だったと気付かされる。
「おっしゃぁ! みんなで線香花火大会しようぜ!」
「お前何で急にそんなのテンション上がってんだよ」
声を張り上げる俺に航が言った。
こうして、夏休み最後の思い出作りが終わったのだが、俺と元喜の課題が終わらなかった事は言うまでもない。


——第三話 秋——


外の木々が紅く色付き始め、教室から見える風景もガラッと変わった。帰り道には、黄色く揺れる稲穂や金木犀の匂いが秋の季節を感じさせた。
「生徒のみなさんはそろそろ下校して下さい」と校内放送が流れる。
今学校では、来週開かれる文化祭の準備に追われていた。文化祭は二日間開催され、一日目はバンドやダンス、ファッションショー、お笑いまで色んなステージ発表が行われ、二日目には一般のお客さんも招き、外には模擬店などが立ち並ぶようだ。
俺達のクラスはメイドカフェをやる事に決まり、その準備が連日放課後に行われていた。教室のレイアウトから衣装まで、全部自分達で準備しないといけなかった為、かなりの時間と労力が掛かっていた。それでもクラス全員が放課後に残り、担当別に準備に取り掛かりなんとか来週の文化祭までには間に合いそうだ。開催が近付くに連れ俺の気持ちも高揚していく中、最近ある噂をよく耳にするようなった。
「なぁ、あの噂って本当にあんの?」
俺は下駄箱で靴を履き替えながら言った。
「後夜祭の話?」
俺の質問に答えたのは夢だ。後ろではいつも一緒にいる三人も靴に履き替えている。
「そう。そんな事やるなんて知らなかったよ」
「昔からの伝統らしいよ。何でも比翼の鳥? て言うのがテーマみたいで、雄雌それぞれが目と翼を一つずつ持って、二羽が常に一体となって飛ぶ。ていう中国の空想上の鳥で、夫婦の仲のよい事に例えるんだって」
夢は意気揚々と伝統の由来を語った。「やけに詳しいな」俺が言うと「昨日、掲示板で見た」と笑った。
文化祭初日に男子には青い羽根、女子には赤い羽根が配られ、初日の後夜祭の時にその羽を好きな異性へ送るという、告白イベントのようなものだ。このイベントのせいなのか、学校中が変な緊張感に包まれていた。俺の隣でも一人、このイベントに気合を入れている奴がいた。そいつは夏祭り以降、彼女との距離を順調に縮めていて、俺を含めた四人は後夜祭の日に告白するのだろうと気付いていた。
「元喜、告白するんだろ?」
俺は唐突に質問すると「な、ななに? いきなり」と焦りだした。本人は必死に隠そうと頑張っているようだが、挙動が明らかにおかしかった。
「帆夏も待ってると思うよ? 男らしく引っ張ってあげなよ?」
夢は元喜の背中を押すようにエールを送った。
「そんな事言って、失敗したらどう責任取るんだよ」
航がまた要らぬ所で口を挟み、夢と揉め出す。
「自分の素直な気持ち言ったら絶対伝わるよ」
歩実が再びフォローする。
「みんなが色々言うと余計緊張しちゃうよ!」
元喜はそう言うとダッシュで集団の中から飛び出した。
「純粋だよね」歩実が呟き「だって元喜だもん」俺は即座に返した。
俺達二人は、航の家で花火をした後から徐々にだが昔の関係に戻っていた。今では昔以上に仲が良くなった気がしなくもない。
今日も文化祭の事で盛り上がったり、些細な事で言い合いしたりしながら帰った。あの夏に比べれば、どこにでもある普通の高校生活もすごく幸せに感じる。早く明日になれと念じながら寝るのが、今の俺の日課だ。

次の日。文化祭まで後三日となった。明日は土曜日なので、実質作業が出来るのも今日までだった。クラスでは急ピッチで仕上げに入っていた。
「月島、橋本、ちょっと手伝ってくれ!」
みんなが忙しく働く中、たまたま目の前にいた俺と夢は担任の先生に捕まった。何の用件かと尋ねると、文化祭ポスターを学校中に貼って来て欲しいと頼まれた。
「おいおい……。とんでもない量だな。あいつらにも手伝ってもらうか」
「私達が頼まれたからしっかりやろうよ!」
俺の提案をすぐに夢が却下した。俺は仕方なく頷くが、数十枚も重ねられたポスターを二人で学校中に貼るとなると、かなりの時間が掛かってしまう。溜め息を吐く俺の背中を叩き、夢は「さぁ、行くよ!」と気合を入れた。
数メートル間隔で廊下や玄関、一階から三階まで、至る所にパスタ―を貼って回った。ようやく二階の全てに貼り終えた頃、夢の携帯に着信があった。会話の流れからするとどうやら電話の相手は歩実のようだった。「先に帰ってていいよ」と夢が言っていたので間違いないだろう。
「歩実から?」
「うん。みんなもう終わったんだって!」
俺達がポスターを貼っている間にクラスのみんなは準備が完成したようだ。それにしても先に帰るなど、なんて冷たい奴らなんだ……。まだ三階が残っているというのに。俺は不満を抱えながら、ポスターの画を睨み付けた。
ポスターを全て貼り終えた俺達は、教室に帰ると電気は消えていて誰もいなかった。電気を点けると教室は見事なメイドカフェになっていた。ピンクや白を基調とした壁や当日着る衣装などが綺麗に準備されていた。
「ねぇ、ちょっとこれ着てみてよ」
衣装を手に取り、夢に冗談まじりに言った。
「え? いいよ。一回着てみたかったんだ」
夢は意外にも乗り気で仕切りの裏に行き「見ないでよ」と仕切りから顔だけ出し、俺に釘を刺した。
「見ねぇよ!」
俺は声を張って言い返すが夢は「ちょっとだけならいいけどねぇ」と意味深な言葉を言い残し、後ろへと隠れた。あの仕切りの裏で夢が着替えていると考えると、なぜか急に緊張し始めた。俺は夢が着替え終わるまでの間、理性と本能が凄まじい攻防を繰り返した。
「どう? 似合う?」
仕切りの裏からピョンと出てきた姿に俺はドキッときた。
「夢ってどんな格好でも似あうなぁ」
「そうかな? でも嬉しい。ありがと!」
俺は一瞬ときめいた事を夢に悟られないように平然を装いながら言った。理性を保ち、待った甲斐があった。あそこで本能に従い覗きに行ったものなら、俺は一生変態呼ばわりされるに違いない。俺がそんな変な事を考えているとは知らず、夢は嬉しそうに俺に笑顔を向けた。その時、生徒の下校を告げる校内放送が流れた。外はすっかりと暗くなり、学校にいるのは二人だけじゃないかと思うぐらい校舎の中は静まり返っていた。
「夢、遊んでないで帰るぞ」と俺が自分の鞄と夢の鞄を持って教室を出ようとした。
「着てって言ったのは大地じゃない! 着替えるからちょっと待って」
夢はそう言うと急いで制服に着替え終えると、俺達は学校を後にした。
「楽しみだねぇ、文化祭」
夢は後ろで鞄を両手で持ち、空を見ながら言った。今日の空には雲は無く、星がいつもより綺麗に見えた。「あれ、ペガスス座じゃない?」と夢が指を指すが俺にはどれも一緒に見えてならなかった。
高校入学してからいつも五人で帰ったり、遊んだりしたが夢と二人で帰るのは意外にも、今日が初めてだった。いつもはもっと自分から話し掛けるのだが、二人きりになると緊張しているのか、中々言葉が出てこない。綺麗な星空と月夜が照らす中、俺はただ上を向いて歩いた。
「大地はさぁ、後夜祭の時、歩実に告白するの?」
夢は俺が歩実の事を好きなのも、恐らく夏祭りの日に俺が告白したのも知っているはずだ。夢には何を隠しても航が全てばらしてしまうし、何より良き友として夢には、嘘はつけなかった。
「いや、しないよ。この前玉砕したんだ。まだ修復しきれてないよ」
「これは噂だから本当かわかんないんだけどね……水田先輩、彼女と別れたみたいだよ」
水田先輩の彼女と言えば麗香さんのはず。あの二人が別れたとなれば、歩実も先輩に告白するチャンスがあるって事か。いつかはこうなるような気がしていた。
「そうなんだ。じゃあ歩実は先輩に告白するのかな?」
「それはまだわかんないんだけど……。大地はそれでも歩実が好きなの?」
夢が真剣な眼差しで俺に尋ねた。
「どうだろ。でも簡単に諦めれるような気持ではないよ」
「辛くない? 悲しくない? 逃げたくならない? 別に恥ずかしい事ではないと思う。だって一生懸命頑張って、それでも無理なら誰だってそう思うよ」
夢の声が少し震えて聞こえた。俺も夢の優しさに目に涙が溜まり今にも零れそうだった。思い返せば高校入学してから今まで玉砕覚悟で突っ走ってきた。身を削りながら前進し、俺の気付かない内に心はボロボロになっていたようだ。それでも歩実と話せなくなるよりは、我慢した方がまだましだった。そんな俺の状態を見るに見かねた夢が、忠告してくれているに違いない。何より夢が俺の為に逃げ道を作ってくれた事が素直に嬉しかった。
「辛いよ。悲しいし逃げたい。けど、好きって気持ちが止められないっていうのが本音かな」
「好きの気持ちを無理に抑える必要はないと思うけど、身を削る恋は自分を傷つけるだけだよ? 今の大地見てたらなんか苦しいよ」
暗くてよく見えないが、夢の鼻の啜る音と震えた声からすると夢は泣いていたのかもしれない。夜の静けさに飲み込まれそうな程、俺達の沈黙は続いた。夢を家まで送り届けると、夢は「ありがとう、また来週ね」と呟き小さく手を振った。
「あのさ、夢が言ってくれた言葉嬉しかった。身を削ってるつもりはなかったけど、少し焦って周りが見えてなかったかもしれない。ありがとう」
「そんな事ないよ。寂しくなったらいつでも相手してあげるから」
夢はそう言うとさっきとは違い大きく手を振った。俺の中で新しい何かが芽生えた。


                     *


文化祭当日、今日は朝から学校中が賑わっていた。一年の中でも大イベントなだけあって、みんな興奮が抑えられないようだった。噂通り今朝、全校生徒にそれぞれ色の付いた羽が配られた。既に羽を異性に渡す人もいれば、その羽を下さいなんて頼んでいる人までいた。
初日はステージ発表がメインで、狭い体育館の中に缶詰状態になりながらも、会場を沸かせていた。俺達五人もその人だかりの一部となっていた。
一組目のバンドは完成度が低いが、勢いで会場を盛り上げその場を乗り切り、二組目はギターの二人組が綺麗な歌声で盛り上げた。続いて三組目になると「キャー」と黄色い声援がステージに向かって浴びせられた。登場したのは四人組バンドで、その内の一人は俺の知っている先輩だった。ステージの四人は準備をしている間も女性の声援を受け続けていた。準備が整うとドラムの合図でギター、ベースが一斉に演奏を始める。センターにいるボーカルは美声を響かせ、会場は今日一番の盛り上がりを見せた。演奏中も絶えず飛び続ける声援に応えながら、さらに熱気を帯びていく。演奏が終わると四人に向けたアンコールの声が延々と続き、ボーカルの先輩が喋り始めた。
「今日は応援ありがとう。アンコールには時間の関係で応えれないですが、みんなのお陰で楽しい演奏が出来ました。ありがとうございました」
会場からは「えー」と言う声が響いている。先輩はギターを担いだ友人であろう人から何か言われている。必死に手を横に振り無理というジェスチャーをするが会場から「なにー?」と言われ渋々マイクを口に当てた。
「えー、私事ですが……今日の後夜祭で告白します! みなさん応援宜しくお願い致します!」
そう言うとマイクをステージに置き、走り去って行った。会場は一瞬静まり返った後、爆発するかのように一気に沸いた。会場は動揺と興奮ですごい事になり、運営側が必死にその場を落ち着かせようとしたが、一向に収まる気配がなかった。俺はすぐに歩実の顔を見たが、なぜかキョトンとした顔で誰もいないステージを眺めていた。続いて夢の方に向いて「あれたぶん歩実の事だよな?」と耳元で言うと「わかんないけど、たぶんそうだと思うよ。本人は気付いて無いみたいだけど」と歩実を指差した。
昨日夢から聞いた噂話は本当だったようだ。ステージで告白宣言をしたのは、最近彼女と別れたと噂されていた水田先輩だった。学校中のアイドルが誰かに告白するとなれば、この騒ぎようも納得がいく。
ようやく四組目のバンドが出てきたが、なんだかやり辛そうな面持ちで演奏が始まった。案の定ミスの連発で、仕舞いには途中で演奏が止まってしまうというハプニングまで起こってしまった。三組目のあの騒ぎの後では緊張してもおかしくない状況だったが、この結果は同情してしまう程無惨なものとなった。肩を落としながらステージ袖に消えて行く彼らに、暖かな拍手が送られたのがせめてもの救いだっただろうか。
バンドの演奏が終えると、ダンスのパフォーマンスやファッションショーが行われた。綺麗なドレスを纏った先輩が、ステージに彼氏を呼び付けお姫様抱っこをするなど、それぞれのオリジナルの演出で会場を盛り上げた。
初日のステージ発表も全て終わり、校庭へと移動する。校庭の真ん中には、大きな塔のような物に電球を何周も巻き付けられていた。カウントダウンが終わると、同時に巻き付けられた電球が一気に光を放つ。薄暗い校庭に光り輝くその塔を見て、みんなが一斉に拍手を送った。
「元喜。行って来いよ」
航が元喜に向かって右手を伸ばし、親指を立てた。俺も同じポーズをすると元喜もそれに応えるように親指を立てた。走り去って行く元喜の背中を見ながら「大丈夫かなぁ?」と俺が呟く。
「人の心配より自分の心配しろよ」
航は遠くの方を指差して言った。指の先に目を向けると、誰かを囲むように丸くなって固まっていた。その集団を掻き分け出てきたのは水田先輩だった。先輩は必死に誰かを探し走り、近くの人に尋ねてはまた走っていた。その先輩の姿を眺め航が「たぶんこっちに来るな」と小さく呟いた時、先輩が俺達の姿を見つけ駆け寄って来た。
「なぁ、歩実見なかった? どこにもいないんだ。お前達知らない?」
先輩は肩で息をしながら歩実の居場所を尋ねた。そんな先輩に航が思わぬことを口にした。
「知ってますよ。教えましょうか?」
「本当か? ありがとう。でどこにいるんだ?」
「先輩、教える前に交換条件としてその羽根置いていってくれますか? 羽をくれるのなら教えてあげますよ」
「は? 何言ってんの。羽根が無くちゃ意味ないだろ」
「じゃあ自分の力で探して下さい」
航は不敵な笑みを浮かべ、先輩は舌打ちを一つして走り去って行った。航は何を思ってあんな行動に出たのか疑問に思った。
「何で交換条件なんて言ったんだよ」
俺の質問に航が大きく溜め息を吐いた。
「お前何で自分の好きな人取られかけてるのに、あっちにいますよって手助けしなくちゃいけないんだよ。羽さえ無ければ今日のイベントでの告白は避けれるだろ」
「俺の為に……」
「ちげーよ! 元々あの先輩好きじゃないんだよ」
航は俺の言葉に覆い被せるように否定した。先輩は人混みに消えて行き、今頃必死になって歩実を探している事だろう。少し前の俺ならあんな風に必死になって追いかけたのかもしれない。先輩が歩実と付き合ってしまえばこの気持ちにも終止符が打たれ、俺にとって好都合なのではないだろうか。今は先輩と張り合うのでは無く二人の行く末を見届け、不戦敗として負けた方が惨めな姿を晒さないで済む。そんな言い訳を並べ、動き出せない自分を正当化していた。
向こうの方では告白に成功し歓喜し踊る者や、逆に上手くいかず落胆の表情を浮かべる者もいた。初日の後夜祭で告白に成功した者の殆どが、二日目の文化祭を共にする事が伝統らしい。校庭の隅から全体を眺めていると、どれだけ多くの生徒がこのイベントに力を入れているか分かる。気付けば航は消えていた。仕方ないので俺は隅にある花壇に腰を下ろし、元喜が帰ってくるまでの間その光景を眺めていた。
するとこちらに向かって歩いて来る二人組の女性が「あの……」と声を掛けてきた。
彼女らは俺の返事を待たずに「これ……」と赤い羽根を差し出した。
「え? 俺に?」そう訊くと「違うよ! 斎藤君に渡して。嫌なら捨てていいからって伝えてもらえる?」と強い口調で否定された挙げ句、二人の仲介役まで頼まれる始末だ。大体あなたの名前知らないし、伝えようがないんですけど……と思いながらも「わかりました」と渋々赤い羽根を受け取る。
航は彼女らが去るのを見計らったように帰ってくると「ほら、山田さんから」と俺は渡された赤い羽根を渡した。
「誰だよ。山田って」航は笑いながら受け取ると俺の横に腰を下ろした。「いやぁ参った」航は受け取った赤い羽根を地面に置いた。俺は敢えて何が参ったのか訊かなかったが、すぐにその理由が分かった。
航の手にはいくつか赤い羽根があり、それを一つ一つ地面に並べた。その羽根は先程俺が渡したのを含め七つ地面に並べられた。要するに七人の女性から告白されたと解釈してもいい。「嫌味な奴だな」俺はそう告げると航は「お前も俺の立場になったら分かるよ」と理解し難い言葉を吐いた。更に航は羽根を一つ一つ指差し「これが佐藤さん、鈴木さん、高橋さん、田中さん」と順番に言っていくが、航はたぶん誰一人として名前を憶えていないのだろう。その事実を訊くまでもなかった。


                     *


文化祭二日目。俺は教室の窓から外を歩く人の群れを眺めていた。さすがは文化祭パワーだ。今日は昨日に比べてやけにカップルで行動している奴が多い。どこにいるかはわからないが、元喜も帆夏と二人でこの二日目を満喫しているに違いない。二人は昨夜めでたく結ばれ、今日の二日目を迎える事が出来ていた。詳しい話は聞いてないが、二人が幸せならそれでいい。
俺は元喜の幸せを喜ぶのと同時に、この人混みを見ながら歩実と先輩を無意識のうちに探していた。俺は先輩と歩実があの後どうなったか知らなかった。それに歩実にも敢えて昨夜の出来事は訊かなかった。夢なら昨夜の事を知っているのだろうけど、歩実の口から直接聞くまで、俺は何も訊かないでいようと決めていた。
俺達のクラスのメイドカフェも時間が経つに連れ、忙しくなり始めた。店は午前と午後で当番がくじ引きで決められ、俺と夢は午前の担当。そして歩実、航、元喜は午後の担当となっていた。「おかえりなさいませ。ご主人様」と不慣れな接客で対応するのは男性スタッフ。そう、教室の外の看板にはメイドカフェと書いているが、女性が接客するとは一言も書いてなかった。当然、来客する男性客は不満の声を漏らしていた。半分詐欺混じりの宣伝だが、さすがにそれでは人手が足りないので数名女性スタッフを用意し、女性客には女性のスタッフが対応した。そして俺の仕事はというと、裏で頼まれた注文の支度をするという簡単な仕事だった。
今から数時間前。「ジャンケンに負けたらメイドの格好をして接客する」と一人のクラスメイトが言い出した。クラスのみんなもその提案に乗り、教室には変な緊張感が漂った。そして見事勝利を収めた俺は、この時ほど自分のジャンケンの強さに感謝した日は無かった。
「大地! 何サボってんの! 手伝って!」
夢は慌ただしくお皿の準備や片付けまで一人で手際よく行っていた。
「あれ? 忙しいの?」
「何言ってんの? 見たらわかるでしょ! これお願い!」
次から次に夢は俺を使い、素早く仕事をこなしていく。この時俺は、言われるがまま動く自分を見てふと、父さんっていつもこんな気持ちなんだろうな、と思ったりもした。
ひと段落付き、時計を見るともうすぐ午前の担当も終わる時間になっていた。忙しいとなぜこうも時間は早く経つのだろう。何て考えている所に夢が「大地、午後から誰かと回るの?」と訊いてきたが、特にそんな約束も無かったので首を横に振った。そもそも航と元喜以外に親しい友達もいない。
「じゃあお腹減ったから後で一緒に回ろうよ!」夢は陽気な笑顔で言った。
「そこまでお願いするなら仕方ない」俺は調子に乗って返事をする。
「そこまではお願いしてないよ」
なんて些細なやり取りをしていると午後の担当達が帰って来た。これで今日の俺の仕事は終わり、後は文化祭を楽しむだけとなった。午後の担当と代わり、夢は早速「行こう!」と俺の手を引き、外に並んでいる模擬店を目指して颯爽と走る。外の模擬店はフランクフルトやホットドック、おでん何かもありかなり賑わっていた。「わぁ、すごぉい!」とはしゃぎながら夢は手あたり次第買って回り、俺はその後を付いて行く。
「こんなに食べれるの? 結構あるよ」
「二人で食べるんだからなんてことないでしょ!」
そんな量じゃないだろ! 俺は心の中で叫ぶが当然夢の暴走は止まらなかった。
ようやく買い物に満足した夢は空いているベンチに腰掛け「女同士でこんなに食べたら引かれちゃうからねぇ」とウキウキした表情で順調に食べ進めていた。本当に美味しそうに食べる夢を見て俺はなぜかほっこりした気持ちになっていた。
あんなに大量にあった食べ物も気付けば二人で完食していた。夢は満足そうに「食べた、食べた」と言って突然「あのさ、聞いてよ」と語り始めた。
夢の話はどうやら昨日の後夜祭の話で、俺達とは別の所にいた夢や歩実は、違うクラスの男や先輩達からいくつか羽根を渡されていたようだ。まぁこの二人ならそれぐらいの事があっても驚かないが、その数にはさすがに驚いた。夢は「数えてないけど二十は貰ったね」と胸を張っている。聞くところによると、歩実もかなりの人から羽を渡されていたらしい。みんな文化祭マジックとやらに期待を込めて、無惨に散っていったのだろうか……。俺は静かに手を合わせた。
「何やってるの?」夢は不思議そうに訊ねた。
「名誉ある戦いに、勇気ある彼らに黙とう」
「意味わかんない」
最近は夢といる事が増えたからか、一緒にいるとすごく居心地が良く自分でも不思議なくらい素直になれた。
「それで? 結局誰かと付き合う事にしたの?」
「大地ってあれだよね……。まぁいいけど」
夢は微笑みベンチから立ち上がると「さっ! 他の場所も見に行こう!」とさっきよりも張り切っていた。俺は夢のペースに飲まれ言葉の意味を訊きそびれたが、まぁ特に深い意味もないだろうと思いそのままにしておいた。
俺達は校舎の中の模擬店を見て回ったり、体育館で行われている漫才を見に行ったりと有意義な時間を過ごした。途中何度か先輩や違うクラスの連中に睨まれたり、すれ違い様に舌打ちをされたりしたが、俺は彼らを悪くは思わなかった。彼らは恐らく昨夜の夢に打ち砕かれた戦士達なのだろうと気付いたからだ。戦ってない俺が戦っている彼らを非難出来る訳が無かった。そんな俺を見ながら夢は「大地嫌われてるね」と横で笑っている。この原因が自分にあるとは微塵も思っていないのだろう。
一通り学校を見て回った所で俺達は教室に帰る事にした。目の前の階段を登り、左に曲がった先が俺達の教室なのだが、ピークの時間が過ぎたというのに教室の前には行列が出来ていた。
「嘘だろ」驚きを隠せず言葉に出てしまう。教室の中からは悲鳴なのか歓声なのかわからない女性の声が絶えず響いていた。行列を掻き分け教室に入るとメイド服を着た元喜と歩実の姿があった。元喜のメイド服は周りの女性客にもなぜか人気で、一緒に写真なんか撮ったりし、歩実は相変わらず周りの男から人気を集めていた。
他にも何人かメイドの服を着ているが一人だけ違う格好した男が目に入った。その男が教室を沸かせ奮起させていたようだ。執事の格好でクールに接客をするその姿がまた、よりリアルさを表現していた。
「斉藤君! 一緒に写真撮って!」周りの女性から引っ切り無しに頼まれていた。
「航! それ最高だよ!」航とは思わず俺は大声で笑ってしまった。
「ちょっと動かないで」夢は携帯カメラを構え連射で写真を撮っているが、笑っているせいか上手く撮れて無かった。航の顔はさらに不機嫌になったが、周りの女性はそんなの関係なしに写真を撮り続けた。

時刻は五時を回り俺達のクラスの営業は無事終了した。最後に五人で記念撮影をし、高校初めての文化祭は幕を閉じた。と思いきや、航がさっき俺に笑われた復讐からなのか、昨夜航宛に渡された羽根を俺が勘違いして喜んでいた。という昨夜の出来事を航は笑顔で四人に話し、最後には爆笑の声が教室中に響き渡った。結局最後は俺が笑われる事にもそろそろ慣れてきた秋。こんな時間を楽しむのが当たり前になっていた。


                    *


「男って奴はどいつもこいつも!」
荒れ狂う女性の横で俺は小さくなり、目の前の枝豆を食べていた。今日は俺の誕生日が近い事もあって、茂田さんが店でご飯をご馳走してくれると言ってくれたのでお邪魔していた。最初は一人でカウンターに座り、茂田さんと雑談して楽しんでいたが、お腹もいっぱいになり帰ろうと思った時店の扉が勢いよく開いた。そこには若い女性が立っていて、千鳥足でフラフラと店の中に入って俺の横に座った。俺は少し恐怖を感じその女性の顔をよく見るとどこかで見た事があった顔だ。
「いらっしゃい! 麗香ちゃんビールでいい?」
馴れた様子で彼女の名前を茂田さんが呼んだ時、俺は彼女の存在を思い出した。麗香さんだ。海の家で出会い、水田先輩の彼女だったあの麗香さんが今俺の横にいた。
「麗香さんお久しぶりです。覚えてますか?」
俺は恐る恐る挨拶をすると麗香さんはボサボサの髪をかき上げ「大地君があの子と付き合うの遅いから、逃げちゃったじゃない!」と俺に怒った。
何の事か全く記憶にない俺は「どういう事ですか?」と質問したら「全部大地君のせいだからね!」と会話にならない。
麗香さんの前にビールが運ばれてきた。それをほぼ一気で飲み干して、誰に向かって喋っているのか分からいが、とにかくありとあらゆる愚痴をひたすらに言い放っていた。話の節々で俺の悪口が出ているのが気になるが……。こうして俺は帰るタイミングを無くし、ダラダラと麗香さんの愚痴を聞かされていた。
麗香さんは茂田さんの店を知ってからというもの、よく顔を出してくれるようになったらしく、今ではこうして茂田さんに愚痴を聞いてもらいに来ていた。
麗香さんの話によると、俺達の文化祭前ぐらいに話があると水田先輩から呼び出され、何かと思ったらいきなり別れ話を切り出され振られたらしい。麗香さんは納得行かず理由を問い詰めた所、好きな女が出来たとのこと。そこからは俺の知っている通り、先輩は後夜祭で歩実に告白しようと考えたのだろう。麗香さんの言い分はこうだ。俺が夏祭りのあの日歩実と付き合ってさえいれば、水田先輩は歩実の事を好きにならなかったと言う。俺と歩実とすれ違った後、歩実との昔話を楽しそうに話す水田先輩を麗香さんはよく思っていなかった。
「大地君が情けないからだよ」とグラスに残ったビールを飲み干し「茂さん、芋ロックで!」と豪快に注文した。
「ちょっと待って下さいよ! 俺その日告白して振られましたからね? 情けなくはないでしょ!」
反論する俺に麗香さんは「振られて何で偉そうなのよ!」と枝豆の殻を投げつけてきた。
こんな理不尽な話はないだろ。そう思い茂田さんに助けを求めたが既に茂田さんも出来上がっているので「そうだ! 麗香ちゃんが正しい!」と賛同している。
それから茂田さんと麗香さんは男と女について深い話を延々としていた。話についていけない俺は暇潰しに携帯を開くと、時刻はもう九時を回っていた。茂田さんの店から帰るには、十時前の終バスに乗らなければならなかった。
「もうすぐ終バスなんで帰ります。今日はありがとうございました!」
ダメもとで俺は二人の話に割って入り挨拶をしたが、二人は驚くほどあっさり「お疲れ!」と言って帰してくれた。もっと早く言えばよかった、と後悔しながらバス停に向かう途中ポケット中で携帯が鳴った。すぐにポケットから携帯を取り出し画面を確認すると、そこには歩実から一通のメッセージが届いていた。メッセージにはこう書かれていた。
『こんばんは。突然なんだけど明日暇かな? 良かったら少し話さない?』
俺はその内容に驚き、何度も何度も確認したが、歩実からのメッセージで間違いないようだ。何でいきなり? とも思ったがそんな事はどうでもよかった。打ち間違えがないように、俺はいつもより丁寧に返事を返した。
『大丈夫です。何時にしますか? 場所はどうしますか?』
少し丁寧過ぎたかな……。メッセージを送った後に不安が込み上げてきた。そもそも俺は携帯操作にあまり慣れていないせいで華やかな文章を作ったりするのが苦手だ。基本は点と丸、クエスチョンマークにビックリマークしか使わない。というか使えない。そのせいでかなり質素な文章に見える。
返信を待っている間に終バスがやって来た。俺はそのバスに乗り込み、海岸線を真っ直ぐと帰っている途中にポケットの中で携帯が震えたのを感じ、俺は歩実と思いすぐにメッセージを開いた。その予想は見事に外れ、メッセージの送り主は母さんだった。『帰りは何時?』という内容に俺は『もうすぐ』と何の装飾もせずに返した。しばらくすると再び携帯が震えた。今度は本当に歩実からのメッセージで、画面にはこう書かれていた。
『何でいきなり敬語なの? 明日夕方からでどうかなぁ? 私は近くの公園で全然大丈夫だよ! また明日電話するね!』
やっぱり丁寧過ぎたか。俺は前回の反省を生かし、返信はいつもの喋り口調で送った。明日の夕方から歩実と会う約束した俺は、バスの窓ガラスに映る自分がニヤついてしまっていた事は言うまでもない。


                     *


夕刻、鈴虫達が俺に祝杯を挙げるように見事な音を奏でている。枯れ葉を踏み「クシャ」と葉が潰れる音も、秋の静けさも、いつもは何も感じない俺だが今日はやけに心地よく感じた。周りの風景に季節の歩みを感じながら、俺は浮足だった足取りで目的地まで向かった。
公園に着くと俺は辺りを見渡し、歩実を探したがどうやらまだ公園には来ていないようだ。仕方が無いので俺はしばらくブランコに腰掛け、歩実を待つ事にした。
公園にはベンチが二つに滑り台とブランコがあり、どこにでもある小さな公園だった。今は数人が公園の周りを散歩したりしていた。しばらく無心でブランコに乗っていると後ろから「わっ!」と大きな声がした。
「うお! いきなり脅かすなよ!」
咄嗟にブランコから降りる俺に歩実は「ほい!」と缶コーヒーを投げた。歩実は悪びれる素振りなく俺が乗っていたブランコに座り「まぁ座りなよ」と隣のブランコを指差した。俺はそんなあっけらかんとした歩実に追及はせず、言われた通り隣に座った。
「そんな真剣な顔しないでよ。別に対した話とかは無いから」
「へ? じゃあ何で呼んだんだ?」
「用事が無きゃ呼んだら駄目なの? 乙女心がわかってないなぁ」
歩実はそう言うとブランコを勢いよく漕ぎ始めた。
「いや、そんな事はないけどさぁ……ごめん」
「いや! 冗談だから! それよりこの前の文化祭二日目、夢と二人で回ったんだって? どうだった?」
歩実は俺を見ずにただただブランコを漕いでいた。
「特に何もしてないけどなぁ。二人でひたすら食べてたよ」
夢が食べきらない量のご飯を買った事。でも気付けば二人で完食した事。夢の食べる姿は本当に幸せそうな事。後夜祭の事。俺は覚えている限り文化祭二日目の出来事を歩実に話した。歩実は「そうなんだ」「よかったね」と間に少し挟むだけで俺が話し終えるまで黙って聞き続けた。
「ところでさぁ、後夜祭の時、水田先輩と会った?」
俺は二日目の事を一部始終話し終えた所で歩実に訊いた。本当は歩実が話してくるのを待つつもりだったが、俺は気になってしょうがなかった。歩実はブランコから飛び降り「会ったよ」と言いゆっくりと歩き出した。
「先輩と何話したの?」俺は先を歩く歩実の後ろから訊ねた。
「どうしてそんな事訊くの?」歩実は振り返り立ち止まった。
「いや、先輩あの日ステージで告白宣言しただろ? あの後俺と航、先輩から歩実の居場所知らないかって訊かれたんだ。それってつまり歩実に告白するって事だろ? だからどうだったのかなぁ? と思って」
「告白されたよ」歩実はそれだけ言うと再び歩き始めた。
俺は立ち止まったまま「付き合う事にしたの?」と訊ねた。だが歩実は聞こえてないふりなのか、本当に聞こえてないのか、質問に答えないまま構わず歩き続けている。
「なぁ。聞いてんのかよ」俺が咄嗟に歩実の手を握り呼び止める。
「違うよ……」歩実が小さな声で呟くが、その声は本当に小さく全て聞き取れなかった。最後の方に微かに聞こえた「違うよ」と言う声は何を指して何を意味するのか全く分からなかった。
「え? もう一回言って」俺は耳を澄まし、歩実の声だけに集中した。歩実は「付き合ってないよ」と答え、さっきの微かに聞こえた歩実の「違うよ」の言葉は俺の聞き間違いだったのかもしれないと思った。
そんな事より歩実が先輩の告白を断った事には驚いた。夏祭りの日先輩に彼女がいた事にショックを受けていた歩実がまさか、先輩からの告白を断るとは思っても無かったからだ。
「そうなんだ。でもどうして断ったの?」
歩実はしばらく黙って歩き、ベンチに腰を下ろした。俺もその隣に腰を下ろし、歩実から貰った缶コーヒーを喉へ流し込んだ。
「なんでなんだろうね。気付いたら断ってた。あんなに好きだったのに、あの時はそうは感じなかったんだ。たぶん私の中で整理が出来たんだと思う」
「もう先輩の事は好きじゃないって気持ちの整理?」
「それもあるけど……まぁ大ちゃんに言ってもわかんないよ。大ちゃん鈍感だし!」
さっきまでの暗い表情は消え、いつもの様に明るく振舞おうとする歩実は少し無理をしているように見えた。
歩実は暗い空気を変えようと、文化祭の日の事を楽しそうに話した。今度は俺が相槌を打ちながら歩実の話しを聞いた。話の途中で「そういえば……」と歩実は鞄の中をゴソゴソとあさり始め「あった!」とお目当ての物を見つけたのか、俺の前に立った。
「大ちゃんもうすぐ誕生日だよね? おめでとう!」と手のひらに収まる位の箱を俺の手の上に乗せた。その箱は可愛い包装紙とリボンで綺麗にラッピングされていた。俺は喜びなのか驚きなのか全く言葉が出てこなかった。歩実は誇らしげに俺を眺め「どう? 嬉しい?」と笑いながら俺に問い掛けるが、俺はただただ頷くしか出来なかった。
「かなり迷ったんだけどね。気に入ってくれたら嬉しいです!」歩実は照れ臭そうにそう言った。
「気に入るに決まってんだろ!」俺は即座にそう返した。
それから歩実は一人で悩んで買い物に行った事や、俺の誕生日を航から聞き出した事などここ最近の出来事を俺に話し始めた。
気付けばもうすっかり陽も沈み辺りが暗くなり始めた。俺は歩実に「家まで送る」と言うと、歩実は「大丈夫だよ」と遠慮したが、俺の押しに負けたのか、最後は「お願いします」と深々と頭を下げた。その顔は暗くてはっきり見えなかったがどこか嬉しそうにも見えた。
帰り道も俺と歩実は文化祭の話で盛り上がり、俺は文化祭の準備の最中に先生からポスターを貼らされた苦労話をしていた。
「でさぁ、夢と二人で大量のポスター貼って回ったんだよ。最悪じゃない?」
「二人で貼ったの? 大変だったね」
俺はポスターを貼り終えた後、教室にあるメイドの服を夢が着た話をしている途中に、今まで楽しそうにしていた歩実が口を挟んだ。
「もういいよ。聞きたくないから。ここから一人で帰れるから。ありがとう」
そう言って小走りで走って行く歩実。俺は咄嗟に歩実の手を握り引き止めた。
「ちょっと待てよ! いきなりどうしたんだよ!」
「大ちゃん優しくする相手違うよ!」
俺の手を振り解き歩実は暗闇へと走り去って行った。俺には歩実が何でいきなり怒ってしまったのか見当も付かなかった。俺はただ面白かった話を歩実にも聞いて欲しかっただけなのに。ポタポタと降り出す雨は俺の気も知らずにただただ振り続けた。


——第四話 冬——


木々の葉もすっかり枯れ落ちてしまい、辺りには澄んだ空気が立ち込めていた。吐く息は白く染まり冬の寒さを物語っていた。俺と元喜は学校の帰りにコンビニで肉まんを買って、公園で雑談をしていた。
「男二人で公園って寂しくないか?」
俺はニット帽を深く被り、マフラーを首に巻いた男に訊ねた。
「まっ! たまにはいいでしょ! 大地と二人で話すの久しぶりだし」元喜は体を丸くして湯気を立てる肉まんにかぶりついた。
元喜は帆夏と付き合ってから俺達といる時間が減り、こうして二人になる事が珍しかった。今日は歩実も夢も航もそれぞれの用事があるようで、俺達は二人寂しく公園に入り浸っていた。
「帆夏とはいい感じなの?」
「当たり前じゃん! やっぱりあの時勇気出してよかったよ!」
元喜の言うあの時とは後夜祭の事だろうとすぐにわかった。それから今日までののろけ話を散々した後、話題は航の話になった。
「ところでさぁ、航の好きな人って聞いた事ある?」
俺は高校に入ってから航の恋愛話なんか一度も聞いた事が無かった。人の恋愛沙汰にはやたら首を突っ込んでくるが、航本人の恋愛事情は謎のままだった。まぁこんな事元喜に訊いても分かりはしないだろうけど、話のネタとしては最高だった。
「どうなんだろう? 高校に入ってからは分からないけど、昔から夢の事が好きなんじゃない? 周りもそういう風に思ってるし、航も別に否定する訳でもなしさ」
そう。あの二人と言えば昔からの幼馴染で仲が良く、周りからも夫婦と呼ばれる位に相性ピッタリなのだ。だが、それだけで判断するには少し早い気がする。こうなったら真実を知る他ない。そう思った俺は航の好きな人を聞き出す作戦を元喜に一緒に決行しようと誘った。元喜は「面白そうだ」と不敵な笑みを浮かべ俺の誘いに乗った。
作戦は特に無く、正面突破が一番手っ取り早い、と元喜が強く言うので航には二人で質問攻めにするといったシンプルな方法だ。本当にそれで上手くいくか疑問だがとりあえず決行してみる事にした。
「ところでさぁ……」元喜が不意に口を開いた。
「どうした?」
「大地って結局どっちが好きなの?」
「どうゆう意味?」
俺は不意の質問に少し戸惑ったが、平然を装いながら質問の意味を訊いた。
「だから歩実と夢どっちが好きなの? 最近の大地見てたらどっちが好きかわからないからさ」
元喜はたぶん本心で言っている。航のような姑息なやり方ではなく、本当に疑問に感じた事を今訊いているに違いなかった。元喜のその真っ直ぐで曇りの無い目を見ればすぐに分かる。
「そりゃ勿論……」
俺は途中まで言いかけて言葉がなぜか止まった。どっちだ。正直今の時点でどちらか答えが出せなかった。それ程に夢の存在が俺の中で大きくなっていた事に今初めて気付いたのだ。
「勿論? 歩実って事?」
元喜が俺の言葉の続きを予測し喋る。
「ごめん……。わかんないや」
俺の言葉に元喜は驚いたが「誰を好きになってもいいと思うよ。俺は」とすまし顔で言った。日頃ならそんな元喜を茶化し笑うのだろうけど、この時の元喜の言葉は俺にとって救いの言葉だった。思えば俺が辛い時にはいつも夢が隣にいてくれて、二人で馬鹿みたいなことをし合って、一番に俺の事を応援してくれてたのは夢だった。
「元喜……。俺どうしたらいいと思う?」
「焦んなくていんじゃない? だって二人一緒に好きになる事って珍しい事じゃないしさ。これから徐々に決めていけばいんだよ」
元喜の屈託ない笑顔を見ていると、不思議と心が軽くなる。今考えてる悩み事なんて馬鹿らしく思えるくらい元喜の笑顔にはパワーがあった。
「よっしゃ! ごちゃごちゃ考えるの止めた!」
「そうだよ! 大地頭良くないんだから色々考えたら駄目だよ!」
「どういう意味だよ! 数秒前の感動返せ!」
今はとにかく楽しくこいつらと一緒にいれるだけでいいやと思った。

次の日。朝起きるのが苦になる季節なだけに中々布団から出られない俺だが、今日も遅刻せずになんとか登校した。いつもように体を丸めたまま授業を受け、一歩も席を立たず昼休みまで過ごした。弁当の時間はいつも屋上で食べるのが定番なのだが、今の季節の屋上は凍死してしまう可能性があるので、俺と航も教室で食べるようになった。俺と航と元喜の三人で席をくっ付け弁当を広げ、いつものように雑談を繰り広げた。ふと元喜が航の弁当の唐揚げを箸で掴み「これを返して欲しければ今から言う質問に答えよ」と誰の真似かわからない低い声で航に言った。
「くだらねぇ。で? なんだよ?」航は相変わらず興味無さげに訊ねた。
「あなたの好きな人は誰ですか?」
本当に単刀直入に訊いた元喜にもビックリだが「は? お前ら知らなかったの?」と不思議がった航にも俺は驚いた。そもそも航はなぜ俺達が知っていると思っていたのだろうか。確かに気付けばいつも一緒にいたが、航の口から俺はこいつが好きだなんて聞いた覚えがない。俺は咄嗟に「知らねぇよ! で? で? 誰なの?」と喰い付くように訊ねたが航は「知らないなら秘密にしとくわ」とはぐらかした。
その時、元喜が箸で掴んでた唐揚げを口へと運び、再び航の弁当のおかずを狙った。
「調子に乗るなよ」航は元喜の腕を掴み押し返した。
「お前、自分だけ言わない何て卑怯だぞ!」俺は意義を申し立てた。隣で「そうだ、そうだ」と元喜が応援している。
「ところでお前歩実と喧嘩したらしいな」航はわざとらしく話を変えた。
「今その話はいいんだよ」俺は狙った獲物は逃がさなかった。
「何で喧嘩したの? また大地が怒らせたんでしょ!」さっきとは打って変わって元喜の興味が俺と歩実の喧嘩に移ってしまったようだ。航は全てを計算したように元喜を誘い込み、上手く自分話題から俺の話へと変えた。
「話変えるなよ。今は航の話が先だろ。喧嘩の内容何て小さな事だし」俺は何とか流れをもう一度戻そうとした。
「何言ってんだ。友達が喧嘩してんのにほっとけないだろ? なぁ元喜!」航は言葉巧みに元喜を操った。挙げ句の果てに元喜は「そうだ、そうだ」と既に航の支配下にいた。
仕方がないので喧嘩した日の出来事を話すと、航は「そりゃお前が悪いわ。しかも相当悪意がある」と言った。
「悪意なんてねぇよ。ただその日の事話してただけだぜ?」
「だからそれが悪いんだって。考えてもみろ。好きでもない男と二人きりで話したいか?
好きでもない男にプレゼント用意するか? 好きでもない男に家まで送ってもらうか? 今やっとお前に好意を示しつつあるのに、お前は横からベラベラと違う女の話して楽しい訳ないだろ。挙げ句の果てにプレゼント貰った後もその喋りは止まんないときたら、俺でも怒って帰るぞ」
毎度の事だが航に説教されると何も言い返せない。自分のした事がいかに馬鹿だったか思い知らされ、言い返す言葉が見つからないからだ。今、この瞬間も言い返せずただあの日の出来事を後悔するしか出来なかった。
「俺はただ……面白い話を」
「聞いて欲しかっただけか? お前の軽率な行動が時に人を傷付けるんだ。夢に対してもどう思ってるか知らないけど、はっきりしない態度は両方傷付ける事になるぞ」
航は俺の言葉を遮り追い打ちを掛けた。しかも俺の今の感情まで読み取ったかのように。
俺達が話している横で、元喜だけは俺と航の弁当のおかずを黙々と食べていた。


                    *


街並みはイルミネーションで飾られ、すれ違うカップル達は身を寄せ合っている。ベルを鳴らすサンタの玩具だったり、大音量で流れるクリスマスソングがもうすぐ来るクリスマスを待ちわびているように感じた。
元喜から「帆夏に渡すクリスマスプレゼントを買うのに一緒来て欲しい」と俺は頼まれ、男二人で買い物に来ていた。バスで二十分程走り、徒歩で十分程歩いた所にある大型のショッピングモールで、中も外もカップルばかりが歩いている。たまに家族連れの姿を見かけるが、殆どが人目を気にせずにイチャつくカップルがやけに目に付いた。
「よく人前であんな事できるよなぁ」俺は感心するように言うと元喜は「あれも愛情表現の一つなんでしょ」と淡々と答えた。
元喜は最初から買う物を決めていたのか、店に入るとすぐにグレーのマフラーと白い手袋を手に取り悩む事なく買い物を終わらせた。予想よりも早く買い物が終わったので、近くのフードコートで休憩する事にした。目的地まで二人で歩いていると、前には帆夏とそのお母さんであろう人が店の前に立っていた。
「あれ? 帆夏じゃん」
俺が呟くと元喜は俺の手を引っ張り、その店から遠ざかるように早足で歩き出した。少し離れた所で元喜は「ふぅ。危なかった」と胸を撫で下ろした。
「あれ元喜のクリスマスプレゼントだな。絶対」俺は自信を持って言うと「そうじゃなかったらショックだから言わないで」と元喜は嬉しそうに微笑んだ。

フードコートで揚げたてのポテトを食べながら元喜は俺に訊いた。
「大地はクリスマスプレゼント買わないの?」
「誰にだよ。俺、彼女いないし」
俺は冷めた目で元喜を睨み付けた。勿論冗談ではあるがしっかり殺意は込めてやった。
「別に彼女じゃなくても上げるでしょ。大地はあれこれ考えすぎだよ」
元喜はいつも直球勝負なだけに、思い付いたらすぐに行動するのが当たり前になってる。そのせいなのか、俺があれこれ言うのが気に喰わないみたいだ。確かに彼女じゃない人にはプレゼントを買っては駄目なんてルールはどこにもない。でも上げないと駄目ってルールもないと言おうとしたが、言い出したらきりがないので俺は「そうだな」とここは素直に頷いた。
「よし! なら買いに行こう!」
俺の買ったポテトを口いっぱいに頬張りながら元喜は立ち上がった。
「おい待てよ!」俺は元喜を呼び止めたが既に聞いてはいない。仕方なく元喜の後ろを追いかけ色んな店を見て回った。タイムセールの宣伝をする声や、クリスマスフェアを大々的に宣伝する声などショッピングモール内は賑わっていた。
「これなんかどう?」元喜がふと手に取ったのはニット生地の帽子だった。白い毛糸で出来たその帽子の上には可愛らしいポンポンが付いていた。俺は女性の好みは良くわからないが、個人的にこの帽子を被った女性の姿はたぶん好きだ。プレゼントを決める理由なんてそれで充分だろう。
「よし! それにする!」俺は即決した。
「で? 誰の被ってる姿を想像したの?」俺は元喜の一言で気付いたが、その白い帽子を被っている姿を想像したのは歩実だった。
「歩実?」俺は自分に問い掛けるように曖昧な答え方をした。
「つまりそういう事なんだよ」元喜はなぜか嬉しそうに言った。
商品を購入しラッピングしてもらっている間、店内を見渡しているとずらっと並ぶアクセサリーを見付けた。蝶の形をしたネックレスがやけに可愛く、なんとなく眺めているとラッピングが終わった商品を持ち、店員さんが話し掛けてきた。
「お待たせ致しました。こちら商品になります」丁寧な口調で接客してくる店員さんに頭を下げ「ありがとうございます」とお礼を言う。
「アクセサリーで気になるのがございますか?」店員さんはにこやかな笑顔で訊いた。
「いや、これいいなって思って」俺はそう言うと、蝶のネックレスを指差した。
「これ可愛いですよね! 私も似たような形のネックレス持ってるんですけど、結構何にでも合わせられていいですよ。彼女さんへのプレゼントですか?」
「あ、いや、彼女ではないんですけど」俺は濁しながら言うと「これからなるんですね」と店員さんは微笑んだ。
そのネックレスが気なって仕方なかったので、迷った挙句買って帰る事にした。店を出る時、店員さんが「気に入ってくれるといいですね。頑張ってくださいね!」となぜかエールを送ってくれた。
用事を済ませた俺と元喜は、エレベーターに乗り一階まで下り外へと向かった。その途中俺はある物が目に入り、元喜に「ちょっと待ってて!」と言ってその気になる場所に行き、用事を済ませた。元喜は「どうしたの?」と訊ねるが説明するとややこしくなるので「何でもない」とだけ言っておいた。

今頃家で暇にしている航に連絡し、家にお邪魔する事にした。そもそも買い物には航も誘ったのだが「人混み多い所は嫌だ」と言って聞かないので、仕方なく元喜と二人で行く事になったのだ。
家に着くと元喜は一目散に航の部屋に入り、ベッドへ飛び込んだ。いつものように航から叱られるが、そんなの気にせず今日あった話を楽しそうに航に伝えている。あまりにも無邪気に話す元喜を見て航も怒る気が失せたのだろうか、黙って話を聞いている。
「二人はクリスマスのイベント行くの?」元喜が訊ねた。
「なにそれ?」
俺は引っ越して初めてのクリスマスなのでそのイベントの事は知らなかった。
「クリスマスの日に今日行った所で巨大なクリスマスツリーの点灯式やるんだよ! イベントって程じゃないけど、殆どのカップルがそれを見に集まるんだよ」
「お前、帆夏と行くのか?」航が言った。
「一応ね。まだ誘ってないけど」
それから俺達は元喜のクリスマスデートについて話し合った。
「クリスマスプレゼントは自分にリボンだろ」航が自身満々に言う。
「ないね」俺と元喜は二人合わせて横に首を振った。「大体今日プレゼント買ってきたし」俺は付け加えるように航に告げた。
「デート当日は蝶ネクタイが鉄板だからな」航が又してもふざけた事を言う。
「それもない」二人の声が揃う。
その時、下の方から航を呼ぶ声がした。声の主は恐らく航のお母さんではないだろうか。航は部屋から出ると何やら階段に向かって話し、「お客さん来たわ」と言いながら部屋に戻って来た。
「じゃあ俺達邪魔だし帰るわ」俺はそう言って荷物を抱えようとすると「お疲れ!」と人一倍元気な声で挨拶してくる夢の姿があった。
「なんだ、お客さんって夢か」俺が呟く。
「なんだとはなんだ。失礼だな! 今日は寂しい航と大地にお知らせがあって来ました!」
なんだか夢はいつもよりハイテンションな気がした。「別に来なくてよかっただろ」と航が小さな声で言っているのを夢は聞き逃さなく、バシッと肩を叩くいい音がした。
「それで何なの?」俺は訊ねた。
「クリスマスの日、イベントには四人で行く事に決まりましたぁ! はい、拍手!」
元喜が夢の要望に応え、二人で拍手している。
「また勝手に決めやがって」航は不満そうな顔をしている。
「航そう言ってるけど、毎回嬉しそうじゃん」夢は不満を漏らす航に向けて言った。
「別に嬉しそうにしてねぇよ!」珍しく航は声を張る。その表情は俺にもどこか嬉しそうに見えた。俺達は既に知っていた。航が極度なツンデレである事を。
この日は珍しく航がいじられ続けた。


                    *


クリスマス当日。俺は黒のダウンジャケットに紺のジーパンを穿き、少し大きめの鞄にクリスマスプレゼントを忍ばせていた。今日はどこを見ても男女二人が互いに身を寄り添う姿がやけに目に付いた。
俺達四人はバスに乗ってアーケード街のイルミネーションを背景に写真を撮ったり、ゲームセンターで遊んだり、点灯式までの間四人で楽しんだ。
俺はあの一件以来、歩実とまともに会話をしていなかった。学校でも挨拶はするが必要以上に会話する事は無かったし、今日もまだ一言も話していない。航と夢とは明るく話すが、明らかに俺にだけ話してこないのがよく分かった。本当にこんなのでプレゼントが無事渡せるのか不安になった俺は、少しでも普通に出来るように「綺麗だね」とか「寒いね」と当たり障りない言葉を歩実に投げかけた。歩実は「そうだね」と白い息を吐きながら小さく頷くだけだった。
俺がプレゼントを渡す予定としては、ツリーに飾られた無数の電気が点灯し、みんながそれに注目している時に渡す算段になっていた。点灯式の時間が近付くに連れ、焦りと不安が更に込み上げる。それと同時に俺の気持ちも知らないで、と歩実への不満も増えていき、俺はついに歩実に言ってしまった。
「なぁ、この前悪かったよ。だからいい加減普通にしてくれよ」俺は弱ったように言うと、「ふふふ」と歩実は笑いを堪えていた。
「なにがおかしいだよ」
「だって大ちゃん普通の事しか言わないんだもん。綺麗だねとか寒いねとか。そうだねとしか返せないよ。それに大ちゃんの方が普通じゃないから私もなんか調子狂っちゃって」
「なんだよ。じゃあこんなに必死になる事なかったじゃん」
「そういう事言ったら台無しだよぉ? 女の子は自分の為に必死になってくれるのが嬉しいの。私もあの日勝手に帰ってごめんね」
俺は照れながら「おう」とだけ言うと、今度は「なんか大ちゃんらしいね」と歩実は笑っていた。なにが俺らしいのか分からなかったが、歩実が隣で笑ってくれるのがとにかく嬉しかった。


「そろそろ時間だから行こうか」夢が前を歩く俺と歩実に言った。
場所はこの前元喜と買い物に行った所だったが、クリスマス当日だけあってか、以前来た時より飾り付けもかなり手が込んでいるように思えた。サンタのコスプレをしてはしゃぎ回る人や、外で弾き語りをしている人までいた。建物の中に流れる音楽はどれもクリスマスソングで、行き交う恋人たちの気持ちは既に高揚しているに違いないだろう。そういう俺も気持ちが高揚している一人なのだが。
「間もなく中心部でツリーの点灯式を行います」辺りに大きな放送が流れた。
俺達は急いで中心部へ向かう。途中、自動販売機を見つけた俺は「先に行っといて!」と三人に告げ、人数分の飲み物を買いに走った。
今日はニュースで言っていた通り、外はかなり冷え込んでいたので俺は懐炉代わりに暖かい飲み物を用意しようと思った。ここからツリーも見えるし、買ってすぐに行けば間に合うだろう、と急いで財布から小銭を取り出し自動販売機に飲み込ませていく。
「ガタン」と人数分の飲み物を買い終え、両手に四本の飲み物を抱え走るが、人が多すぎて思ったように進めない。時間は刻一刻と過ぎていき、俺は焦っていた。点灯した瞬間に歩実の横にいなければ俺の計画が台無しになる。人混みを無理矢理こじ開けてゆっくり進んでいると少し広いスペースに出た。辺りを見渡すと前の方に航の後頭部を見つけた。俺はその方向に体を向けると後ろからものすごい勢いでぶつかられた。その反動で胸に抱えていた飲み物が床に転がり、人混みの中に紛れ込んでいった。
「いたっ」俺は振り返るとその人は俺なんか気にもせずに一心不乱に中心を目指していた。俺はとにかく落とした飲み物を拾い集めたが、一缶だけ遠くて届かない。後数センチの所で誰かが缶を拾い俺に差し出してくれた。
「なにやってんの? 早くしないと始まっちゃうよ?」
その明るく陽気な声の主は夢だった。
「ごめん。助かった」
「いいから。こっち、こっち」
夢は俺の手を引き誘導する。人混みを一度出て、とにかく前に進もうとするが「さぁ。いよいよ点灯式の始まりです。みなさま一緒にカウントダウンを宜しくお願い致します」と言って館内が一斉にカウントダウンをし始めた。
「サン! ニー! イチ!」とカウントされ、ツリーに飾られた無数の電球達が一斉に光を放った。色鮮やかな電気に皆が歓声を上げながら、ツリーに向かって大きな拍手が送られた。
「間に合わなかったね」夢は小さく呟いた。
「そうだな。まぁ別に今日が最後じゃないし。また来年リベンジだな」
俺は胸に抱えた飲み物の一つを夢に渡して言った。
「ありがとう。大地はさ、まだ歩実の事が好きなの?」
夢は真剣な表情で俺の顔を見て訊いた。
「いきなりどうしたんだよ」笑って誤魔化す俺は、夢から目を逸らした。
「私ね? 大地が好きなの」
俺は頭が真っ白になった。夢が俺の事を好きなど考えもしなかった。困った時は手を貸してくれて、いつも応援してくれる存在だったからだ。俺が夢を好きになる事はあっても、夢が俺を好きになるなど誰が想像しただろうか。
「え? 待って。ちょ、それ本気で言ってる?」
俺はかなり動揺してしまい、言葉が上手く出てこなかった。
「本気だよ。だから大地の気持ちも聞かせてよ」
辺りが騒がしく、夢の声がかき消されそうになるのを必死で聞き取った。周りの視線はツリーに夢中だが、俺と夢だけがお互いに視線を向け合っていた。
【お前の軽率な行動が時に人を傷付けるんだ。夢に対してもどう思ってるか知らないけど、はっきりしない態度は両方傷付ける事になるぞ】
俺はこの時、航に言われた言葉が頭に過ぎった。俺の曖昧な態度は周りに迷惑を掛け、尚且つ傷つけているなどあの時俺は知りもしなかった。今日この場ではっきりしないといけないのかもしれない、そう決意した。
「正直に言うとね……」俺は唾を飲み込み続けた。「文化祭始まる前ぐらいから夢の事気になってた時期があったんだ。その時は歩実に振られて間もないし、傷ついた時にいつも横にいてくれたのが夢だったのもあって、気持ちがどんどん惹かれっていったんだ」
「うん」夢は涙を拭いながら頷く。
「でもこの前元喜と買い物に来た時にさ、プレゼントを選んでて最初に思い浮かんだのは歩実だったんだ。俺はやっぱりまだ好きなんだって思った。本当最低な話だけど夢とはこれからも仲良くやりたいと思ってる」
「うん。大地が歩実の事まだ好きなのは一緒にいて感じてた。私と話しててもいつも目では歩実追ってるんだもん。バレバレだよ。私もこれでスパっと切り替えるから最後に握手しようよ」
夢はそう言うと涙を拭き、手を差し出した。俺はその手を握り「ありがとう」と言った。
「そうだ! 夢に渡すものがあるんだ」俺は鞄の中から一つ袋を取り出した。
「え? なになに」
「じゃーん! クリスマスプレゼント」元喜とプレゼントを買いに行った時、一階の店にあった可愛い毛糸の靴下をこっそり買っていたのだ。いつもお世話になっている夢へ感謝の気持ちでもあった。
「ありがとう! 嬉しい! でもこういうので女の子勘違いしちゃうんだから、これから気を付けなよ? 歩実に怒られちゃうよ」
「いんだよ! 友情の証だからさ!」俺は胸を張って夢に言うと夢は「なにそれ」と笑った。
「あのさ。一つだけ訊いてもいい?」
「なに?」と夢が答える。
「いつから俺の事好きだったの? 全然気付かなかった」
「だって大地鈍感だもん。しかも歩実しか見えてないし」いつものさっぱりした対応で夢は続けた。
「合宿の帰りの時くらいかなぁ? みんなには黙ってたからわかんなくても当然か。航には夏に報告したんだけどね」
「そんなに前から? ていうか航知ってたの?」
「夏に大地の事で相談したんだよ。でも今一緒にいるから後で連絡するって素気なくてさ、その後連絡もないから家まで押しかけた」
俺は抜けていたピースが見つかったような気がした。夏のあの日。そう二人でバスに乗って帰ってる時、夢からの連絡で航の顔が強張ったような気がしたのはこれの事かもしれない。
「それもしかして俺達バイトから帰ってる時じゃない?」
「そんな事言ってた気もする。どうして?」
「いや、理由は無いんだけどね」
航はあの日の帰り、夢から相談を受けたはず。その時たまたま俺が隣に座っていたから夢には後で連絡すると言ったのだろう。その時の表情に違和感があったのは気のせいじゃないみたいだ。航の好きな人はやっぱり夢なんだと確信した。

俺達二人に気まずい雰囲気は無く歩実達の所に向かった。


                     *


「どうする?」航が訊く。
俺は点灯式に間に合わなかった事を歩実と航にかなり怒られた。夢は罵声を浴びせる航に「まぁまぁ、大地はみんなの為に飲み物買ってきたんだからいいじゃない」となだめた。
ツリーの点灯式が終わった後の予定は特にして無かったので、この後どうするか四人で話し合っていた。
夢が俺の服を引っ張り、俺が振り向くと「歩実にプレゼント渡してないでしょ?」と耳元で囁いた。俺は小さく頷くと夢が航の手を取り「私達これから行く所あるから! そっちはそっちで楽しんで!」と言いながら去って行く。夢は俺に気を利かせて二人にしてくれた事を分かったのはこの場で俺だけだろう。
「行っちゃったね」歩実はポカーンとした顔で眺めている。
「どうする? まだ時間あるし中見て回る?」
「外のイルミネーション見に行ってもいい?」
「いいよ。じゃあ行こうか」
俺達は外に飾られたイルミネーションを見に、同じ歩幅で同じスピードで歩いた。いつもどちらかが前を歩いたりする事が多い俺達にとって、一緒に横並びで歩くのは新鮮だった。
近くの公園で休憩する事になり、人通りの少ない小さな公園のベンチに座った。
「今日寒いねぇ」歩実は手を擦り合わせながら白い息を吐いた。
「なんか冬って喋る度、白い息がでて言葉が動いて見えるよな」
ふふふ、と歩実は笑い「そうだねぇ」と息を吐いた。
「大ちゃん、あの点灯式の言い伝えって知ってる?」
「そんなのあるの? ただ電気点けるだけじゃないの?」
「相変わらず全くロマンがないね。あれってね、一緒に見た人と末永く幸せになるって意味も込められてるんだよ」
「そうなんだ。だからカップルが多いのか」
「カップルが多いのはクリスマスだからってこともあるけどね。私点灯した時航と二人で見ちゃったよ」
歩実はそう言うと微笑みながら俺の顔を覗き込んだ。
「でも言い伝えでしょ? 別にそれが本当な訳じゃないし」
「女心が分かってないなぁ。全くもう」
歩実はため息を吐くと元の姿勢に戻り、ポケットに手を入れた。
しばらく沈黙が続き、俺はプレゼントを渡すタイミングを計っていた。話の入り方、プレゼントを渡す時の言葉、細かい事を考えてる内に時間だけが過ぎて行く。俺が躊躇っていると歩実は「そろそろ帰ろうか。終バス来ちゃうし」と立ち上がり駅の方へ向かう。
「あのさ」俺は歩実の手を取り、呼び止めるように言った。鞄の中にあるプレゼントを無造作に取り「これ、クリスマスプレゼント」と歩実に渡した。
歩実は予想もしてなかったようで、みるみる目に涙が溜まり今のも零れ落ちそうだった。どんどん赤くなる目を擦り「ありがとう。本当に嬉しい」と喜んでくれた。
考えてた言葉もシチュエーションも違うが、ぶっつけ本番にしては上手くいった方ではないだろうか。
歩実は「開けてもいい?」と訊ね俺は「いいよ」と返事をすると早速、中身を開けニット帽子を取り出した。
「可愛い。すごい可愛いこれ。大ちゃんが一人で買ったの?」
「いや、元喜と二人で買いに行ったんだ」
幸い今日の歩実は頭に何も被っていなかったので「私これ被って帰る」と言いポンポンの付いた帽子を被った。歩実の頭の上でポンポンが大きく揺れ、俺はそんな歩実を見て笑っていた。ここまで喜んでもらえると歩実の為にやってよかったと、自分が善人に思える程気持ち良かった。
更に俺は追い打ちを掛けるように「あとさ、これなんだけど」ともう一つの袋を取り出した。「え? なに?」歩実は不思議そうに俺の取り出す袋に目をやった。
「この前誕生日プレゼント貰ったから、お返しに誕生日プレゼント」
「うそ……」歩実はそれだけ言うと我慢していたのだろうか、目から大量の涙が零れ落ちた。俺は袋を開け、ケースから蝶の形をしたネックレスを取り、歩実の首に手を回し、首の後ろでホックを止めた。
「うん。やっぱり似合うね」俺の勘は間違っていなかった。そのネックレスは歩実の鎖骨辺りまで垂れ下がり、今日の服装に偶然にもマッチしている。
歩実は泣きながら何かを言っているようだが、何を言っているかさっぱりわからなかった。
俺は終始笑い歩実は泣き続けた。こんな何気ない時間を大切に感じれるのはやっぱり歩実がいたからなのだろう。
「ありがとう」歩実が必死の思いで出した声はどの言葉より嬉しかった。


終バスにギリギリ間に合い、揺られること二十分。俺達は二人で暗い帰り道を歩いていた。
「今日は本当にありがとね」歩実は何度も何度も俺にお礼を言った。
「いいよ。俺がしたくてしてるだけだから」俺は少し格好付けて足元の石ころを蹴飛ばした。蹴った石は三、四回跳ね繁みへ消えて行った。俺はその石を目で追っていると手になにやら温もりを感じた。振り返ると歩実の手が俺の手を握り、それぞれの指の間に歩実の指が入ってきた。俺の心臓は生まれて初めての出来事にすごい音を立て騒ぎだす。それと同時に冷えた体の内側から熱くなるようなものを感じた。
「大ちゃん私ね、今日夢が大ちゃんに告白する事知ってたの」シーンとした夜道に歩実の声だけが聞こえた。
「え? 誰から訊いたの?」
「夢本人だよ。最初訊いた時はね、仕方ないって思った。夢は可愛いし悪い所何もないし。私なんか一度振った上にまだ先輩の事考えて最低な女だなって。大ちゃんは夢との方が幸せなんだって決めつけてた」
俺は歩実の話に真剣に耳を傾け、相槌を打った。
「でも、大ちゃんが夢と二人で楽しそうにしてるのを見てなんか寂しい気持ちになって、考えれば考える程苦しくなって、気付いたら先輩より大ちゃんの事考えてた。だからだよ? 文化祭の日、先輩の告白されたけど断ったの。散々傷つけてこんな事言う資格ないかもしれないけど、私は大ちゃんが好きです」
鼓動が歩実に聞こえそうな程、早く大きく鳴る。俺は高校入学し歩実と出会って恋した。春の合宿で先輩が好きと聞いて落ち込んだり、夏の花火大会の日に告白し振られまた落ち込んで、秋には大喧嘩をし、振り返ると全然上手くいって無かった。それがようやく実を結び、こんな俺にやっと振り向いてくれた事がなによりも嬉しかった。
俺は返事よりも先に歩実を抱きしめていた。
「心臓すごい鳴ってる」歩実は俺の胸に耳を当て、俺の心臓の音を聞いた。
「歩実。俺も大好き。付き合おう」そう俺が言うと歩実は強く抱き返し「好きー!」と俺の胸に顔を押し当て大きな声で叫んだ。
はははと高い声で笑いながら、俺達は手を繋ぎ帰った事は言うまでもない。


                   *


「明けましておめでとう! そして二人ともおめでとう!」夢は俺と歩実が付き合ったのを祝うように言った。
「夢。ありがとう」歩実はか細い声で夢と抱擁している。
今日は五人で近くの神社に初詣に来ていた。おみくじを引き、お賽銭を入れお参りをして五人で記念写真なんかも撮った。
元喜以外の四人は大吉で幸先良いスタートが出来た。一方元喜は末吉と今年最初からしこりの残るスタートなった。
「別に気にしてないし」と少し不貞腐れている所に航が「帆夏に振られたりしてな」と横から茶々を入れたりし元喜を煽る。タイミングよく元喜の携帯が鳴り「誰から?」と夢が訊くと「帆夏から」と少し震えた声で答えた。しばらく携帯の画面を眺め固まっている元喜に航が「早く出ろよ!」と言った。
恐る恐る携帯を耳に当て「もしもし」と答える元喜。するとさっきまでの暗い表情はどこに行ったのか、いきなり満面の笑みに変わり景気よく話している。
電話を切り終え「何だって?」と訊く俺に元喜は「明けましておめでとう。今年もよろしくねだって! ビックリして損したよ」と本当にホッとした顔で言った。
「どんだけ単純なんだよ」航が言う。
「だって元喜だもん。天然、単純が持ち味でしょ」夢が付け加える。
「元喜、本当に嬉しそうだよね」歩実が微笑む。
「電話の向こうに違う男がいたりして」俺は元喜に囁く。
「帆夏はそんな事しないよ!」元喜は力強く否定した。
はははと四人の笑い声が響き、元喜だけが「なにが面白いのさ」と笑う俺達に言うがそれがまた面白くてならなかった。

神社で用事を済まし、夜はみんなで茂田さんの店にご飯を食べに行こう、と決まったので早速電話してみるが生憎今日は店休日らしい。だが茂田さんが特別に店を開けてくれる事になった。
「忙しいけどお前達の頼みだからな、仕方なく開けてやる。仕方なくだぞ?」と何度も電話で聞かされた。どうやら茂田さんは一人で暇だから相手してくれとお願いしているようだ。直接そうは言ってないが寂しいに決まっている。
「なんだって?」そう訊く航に俺は「寂しいから相手してくれってさ」と話した。
俺達は一度解散し夜にもう一度落ち合う事にした。
俺と歩実は二人で街の方で約束の時間まで暇を潰す事にした。
「久しぶりにカラオケ行きたい!」渋る俺を引っ張り、歩実の提案で俺は歩実と初めてカラオケに来た。マイクを握り高いキーも見事に歌う歩実は、バラードやアップテンポな曲まで見事に歌いこなしていた。
「大ちゃん、曲入れなよ! 時間もったいないよ?」
「歩実じゃんじゃん入れていいよ。俺聞くのが好きだからさ」
「えー、それじゃつまんないよ。じゃあ一緒に歌おう!」
そう言って俺達は何がいいか、と二人で選曲し二人が知ってる曲を入れた。すぐに部屋の中に音楽鳴り一小節目の歌詞がモニターに映る。
一番初めは女性パートで歩実は裏声も綺麗に使い見事な歌声だった。次に男性パートが始まり俺はマイクを口に近付けた。記憶を辿り音程を思い出しながら歌うが、一発目からそれは見事に外した。それと同時に歩実は爆笑しだす。
そう、俺は歌が超の付くほど苦手で、小さい頃から音痴と言われ育った。全てのキーを見事に外し歌はサビに突入した。腹を抱え笑う歩実は上手く歌えず、ヒクヒク言いながら堪えるのに必死なようだ。俺はと言うと、歩実にバレたからにはもうやけくそで渾身の歌声を披露した。
「どうだ。聞いたか俺の歌声」俺は勝ち誇った顔で言うと「参りました。今年初の爆笑ありがとう」と歩実はお礼を言った。
それから俺達は約三時間歌い続け、俺が歌っている間歩実はずっと笑いっぱなしだった。
「はぁ、久しぶりに歌ったー!」歩実は店から出ると両手を挙げ、体を伸ばした。
「久しぶりに人に歌声披露したー!」俺は歩実に続き両手を挙げた。
「大ちゃんの歌はある意味才能に溢れてるよ。あそこまで綺麗に外せる人はそういないからね」歩実は喋りながら俺の歌を思い出したのか、ふふふと再び笑い出した。
「さっきから笑ってるけど、こっちは真剣だからな」
「分かってる、分かってる」笑いを我慢して声を絞り出す歩実。
「そろそろいい時間だし、航達に連絡してみるか」
俺は携帯を取り出し、航に電話し集合は茂田さんの店でする事決め、俺と歩実は二人で店まで向かう事にした。
先に着いたのは俺と歩実で店には茂田さんしかいなかった。新年の挨拶をし、俺は茂田さんに今歩実と付き合ってる事を伝えた。最初は冗談で「お前みたいなガキが彼女持つなんて百年早い!」と言っていたが最後には「良かったな」と喜んでくれた。今日はお祝いだ、と意気込み、張り切って調理してくれてる姿に俺は感謝しかなかった。
しばらくすると航達と合流し、店の中は六人とは思えない程騒がしかった。何にそんなに盛り上がったかと言うと、文化祭の日に航宛に渡された羽根を俺が勘違いし喜んでいた話を航が茂田さんへすると、茂田さんは笑い転げ「お前はバカだなぁ」と涙目になりながら言った。更には歩実がカラオケでの出来事を皆に話し、店内は爆笑の渦に包まれた。抵抗するように俺は元喜がコスプレした事を話すと「そんなの思い出作りなんだから普通だろ」と茂田さんは冷めた感じで返してきた。結局話は俺の話題になり、みんなの前で歌わされ散々な目に合った。
五人で片付けを済まし帰ろうとすると、茂田さんが家まで送ってやると言った。それはいいのだが茂田さんはもう完全に酔っ払い運転出来る状態ではなかった。
「飲んでるのに運転出来ないでしょ」俺はすかさず茂田さんに言った。
「今、迎えの車呼んであるんだよ」
なんだ、そういう事か。そして迎えの車を待っていると、一台のワゴン車が俺達の前に車を停めた。車から降りてきたのはすらっと背の高い綺麗な女性だった。
「え? 誰ですか?」俺は咄嗟に訊いた。
「未来の嫁さんだ」茂田さんは誇らしげに言った。
茂田さんは彼女いないはずなのにどうして。俺の疑問は絶えなかった。戸惑う俺を無視するかのようにその女性はこちらに向かって歩いて来る。
「こんばんは」黒く綺麗な長い髪を揺らしながら、その女性は俺達に挨拶をした。俺達は呆然としながら五人で声を揃えるように挨拶をすると、茂田さんは「さぁ乗れ、乗れ」と手で車に乗るように合図した。
茂田さんは助手席に座り、一番後ろに歩実、夢、元喜が乗り込んだ。続けて俺と航が真ん中の席に乗り、車は海沿いの道を走り出した。
道中、茂田さんは例の女性に絶えず話し掛けていた。運転中にも関わらずその女性は茂田さんの話にしっかり耳を傾けていた。俺は運転している人にそこまで必死になって話し掛けなくてもいいだろうに、と思ったがそれだけ茂田さんが本気なのだろうと感じた。同時にずっと女っ気がなかった茂田さんにはこの幸せを掴んで欲しいと心から思った。
「すげぇ必死だな」航が小さく呟いた。
「未来の嫁になる人なんだ。そりゃ必死になるだろ」俺は答えた。
「ふーん」と興味無さげに窓の外を見る航に俺は「そう言えばさ、お前の好きな人分かった」と不意に言った。
「なんだよ、いきなり。ていうかまだそんな事気にしてたのかよ」
「そりゃお前が焦らすからだろ。誰だか当てようか?」
「誰だよ」航は睨むように俺を見た。俺もまた航から目を離さなかった。
「夢だろ?」俺は小さな声でそう呟いた。
「まぁそうだな。誰にも言うなよ」航はドスの聞いた声でそう告げた。
「どうしようかなぁ? お前は俺のばらしたしなぁ?」俺は航の弱みを握れた事で優位に立った。のは一瞬だった。
「言ったらこの動画バラまくぞ」
航の携帯から流れるその動画は、さっき茂田さんの店で歌わされた俺の歌声だった。あらためて自分で聞くとそれは酷い物だった。
「お前、悪魔か何かだろ」俺は航の携帯を取り上げようとしたが、ひょいとかわされ、航はケタケタ笑いながら俺の動画見ている。
結局俺は航に弱みを握られ、俺と航の主従関係がひっくり返る事は無かった。
俺達の一年の冬はこうしてあっという間に過ぎた。

第二章

——第五話 新風——


辺りの木々は新芽を出し、春の到来を感じさせた。
俺は今日から二年へと学年が上がり、クラス替えが行われた。下駄箱の前に張り出された大きな紙にクラスと名前が書いてあり、みんながそれぞれ自分の名前とクラスを探す。残念な事に俺達五人は一緒になれなかった。幸い俺は歩実と元喜と一緒のクラスになったのが唯一の救いであった。元喜が「五人一緒がよかった」なんて必死になって先生に抗議しているが、そんなわがまま通用するはずもなかった。
俺達が去年までいた教室は後輩達が使い、そこには真新しい制服を着て緊張した様子で椅子に座っている姿が見えた。
「うわぁ、今日から先輩だね。私達」夢がいつものようにはしゃぎながら「夢先輩なんて言われたらどうしよう」と一人で妄想を始めだした。
「緊張してきたぁ」隣でなぜか元喜もそわそわし出す。
そういう俺も口には出さないが、新しい環境にわくわくしていた事はみんなには黙っておこう。

新学期が始まり、すぐに航は後輩達から注目の的になっていた。俺と航が一緒に廊下を歩いていると、すれ違う後輩達が「キャー、今目が合った」、「カッコいい」と呟きながら通り過ぎる。残念な事にそれは俺に向けられたモノでは無いとすぐに分かった。またある時は、二年の教室まで航を見に来たり、ひどい時には盗撮なんかもされていた。こうして航の存在は忽ち後輩達に知れ渡ったのだ。
「うぜぇ」うなだれるように言う航に俺は「幸せな悩みだな」と言っておいた。
そんな航が唯一誰にも邪魔されずゆっくり出来る時間が昼休みだ。
「大地。飯行こうぜ」
俺と航はクラスが離れ、こうして航が俺を誘いに来るのが日課になった。
「先行っといて。お茶買うから」
階段を下りた先にある自動販売機は、昼になると長蛇の列ができ、1つの自動販売機に群がるように人で溢れかえる。歩実と俺は二人で、人でいっぱいになった列の最後尾に並んだ。
「そういえばさぁ」といつものように歩実の何気ない話で盛り上がる。
話しに夢中になっているとその間に列はどんどん進み、すぐに俺達の順番まできた。歩実は夢の分と自分の分のお茶を買い、俺の買い終わるのを後ろで待っていた。俺は小銭を投入し、いくつか赤く光るボタンの一つを押した。「ガコン」と下に落ち、お茶を自動販売機から取り出そうとしゃがんだ時「ドン」と後ろの方から何かが落ちる音がした。振り返ると歩実が抱えていたお茶の内一本が床に落ち俺の方へ転がってきていた。そのお茶を拾おうと手を伸ばした時、横から誰か別の人の手が伸びてきた。俺の手を押しのけながら床に転がるお茶を拾い「はい、どうぞ」と一人の男子生徒が歩実に渡した。
真新しい制服に見覚えのない顔、俺はその男を見てすぐに後輩だと気付いた。
「ありがとう」歩実はその男にお礼を言うと「俺一年の須藤って言います。原歩実先輩ですよね?」とその男は言った。
須藤と名乗る男は短髪のヘアースタイルにキリッとした眉毛、常に美容に気を使っているような綺麗な肌で女性のような顔立ちだった。
「え? どうして知ってるの?」驚く歩実。
「先輩の事、最初見た時から可愛いって思ったんですぐに覚えましたよ」須藤は臆さずに言った。
「ありがとう。嬉しい」と歩実もいきなりの事に少し照れている。
「じゃあ僕はこれで」と須藤は歩実にお辞儀をし、俺には目も向けずに去って行った。


「ははは」と航が高らかに笑う。
俺は屋上でさっきの出来事の一部始終を航に話した。
「大体まず俺に謝るだろ! ていうか先にお茶渡したとしてもその後に謝れよ! ていうか俺謝られてないし!」俺の怒りは収まらなかった。
「お前なめられてんだよ。あんな奴いつでも蹴落とせるってな」航は燃え滾る俺に油を注ぎこんだ。
「歩実もなんか嬉しそうにしてるし。あぁーもう! イライラする!」俺は弁当をやけ食いしては愚痴を吐いた。
「なーに荒れてんの?」夢が風になびく髪を耳に掛けながら屋上にやって来た。
俺はさっき航に話した内容を夢にも話した。
「あっ! それでさっき歩実に一年生の女の子が謝ってたのかな?」夢が言う。
「どういう事?」俺は訊ねた。
「さっき歩実の所に一年生の女の子がきてね、さっきは琢磨がすみませんでした。て謝りに来たんだよ」夢は数分前の出来事を話すと、俺達の横に腰を下ろした。
「誰だろうな? そいつ」航が疑問を投げかけるが、その疑問に答える事ができるのは歩実だけだろう。
「大地もしかしてヤキモチ焼いてるの?」夢は俺をからかうように言った。
「断じて違う! 謝りもしないあいつが嫌いなだけ!」俺はきっぱりと断言した。


チャイムが鳴り、いつものように三人で教室に戻るとすぐに歩実が俺の所に寄って来た。
「さっき一年生の女の子があの須藤って子の代わりに謝りに来たよ」
「夢から聞いた」俺は少し不貞腐れたように言うと、歩実は「怒らないの」と子供をあやすように俺の頭を撫でた。
「航にもお客さん来たよ。はい。これ」歩実は何やら紙の束を航に差し出した。
「何これ?」航は歩実に訊いた。
「全部ラブレターでしょ」歩実は満面の笑みで答えた。
「あぁ、神様。なぜ人は生まれながら平等ではないのでしょうか?」俺は心の声を口に出して言うと「歩実と付き合えたんだから大地も十分幸せでしょ?」と夢が言う。確かにそこの一点だけにおいては誰よりも幸せだ。夢の一言で気持ちが少し楽になったのか、さっきほどのイライラはしなくなった。
大量のラブレターを抱えた航は、夢と一緒に教室へ帰って行く姿を見て俺は思った。あれはあれで深刻な悩みかも知れないなと。
下校時間になりいつものように五人でたじまに向かう途中、下駄箱で例の須藤とか言う生意気な後輩と鉢合わせた。須藤は「どうも」と深々頭を下げた後、こちらに向かって歩いてきた。
「今帰りですか?」爽やかな営業スマイルをばらまきながら話し掛けてきた。
「そうだよ」と夢が少し素っ気無く返事をすると、須藤の後ろから女の子が一人「すみません」と言いながら頭を下げ、近付いて来た。
「琢磨、邪魔になるから駄目だよ」少しぽっちゃりとしたその子は須藤の服を引っ張り、俺達から引き離そうとしている。
「離せよ、陽子。ただ挨拶してるだけだから」須藤はそう言って彼女の手を払った。
「本当にすみません。私一年の田辺陽子と言います。こっちは須藤琢磨です」礼儀正しく自己紹介をした彼女は須藤の幼馴染なのか、世話係なのかどこか航と夢に似たような二人だ。
「先輩これ。良かったら連絡下さい」須藤はそう言うと歩実に一枚の紙切れを渡した。
歩実はその一度断ったが、須藤の押しに負け、仕方なく紙切れを受け取ると恐る恐る俺の顔を見た。俺は怒りが頂点に達し、歩実が受け取った紙切れを歩実の手から奪い取り、須藤の胸に押し付けた。
「お前どういうつもりか知らないけど人の物に手出すなよ!」俺は怒号した。
「彼女の事を物とか言う人に、先輩を大切に出来るとは思いませんけどね」須藤は怯むこと無く俺に言い返したと思ったら「まぁ、今日は俺も強引過ぎたのでこれで失礼します。次からは遠慮しないので」と言い残しその場を去った。
「本当にごめんなさい。根は悪い人じゃないんです。どうか誤解しないで上げて下さい。すみませんでした。失礼します」陽子はそう言い須藤の後を追った。
「大地、カッコいい!」元喜が俺を茶化すように言う。
「あの子勇気あるねぇ」夢が感心する。
「馬鹿なだけだろ」航が付け加える。
「あいつマジでなんなんだ!」俺が叫ぶ。
「でも大ちゃんカッコ良かったよ。ありがとう」歩実の一言で一気にその場が和やかになった事は言うまでもない。


                     *


「パンッ」ピストルの音がグランドに響き渡る。
もうすぐ春季の体育祭の時期がやってくるのだ。騎馬戦、ムカデ競争、障害物競争など多数の種目の中で各競技に選抜された人が出場する。俺は個人競技の百メートル走、団体競技の騎馬戦、クラス競技のムカデ競争に選抜された。
本番に向けて種目ごとの練習が始まり出して早三日が経った。練習は学年別、クラス別に行うのだが、本番では各学年、各クラス対抗戦になって戦う。百メートル走なら選抜された一年、二年、三年のメンバーが一緒に走る事となる。俺と歩実、元喜は紅軍に配属され、夢と航とは違う軍となった。
午前体育祭の練習が終わり、俺は元喜と教室へと帰る途中に須藤が前から歩いて来るのが見えた。
「あれ、この前の奴じゃない?」元喜が須藤に向けて指を指した。
「あぁ、そうだな」とだけ返し、俺は須藤と目も合わせず無言で歩く。
「あの」すれ違い様に須藤が話し掛けてきた。俺は何も言わずに振り返り、須藤の言葉を待つと須藤は続けた。
「競技きまりましたか?」
俺は気が抜けた。いつもの須藤なら生意気な口を利いて、俺に軽口を叩き喧嘩でも売ってくるのだが、この時は割とまともな質問をしてきた。
「決まったけど」俺は素っ気無く返す。
「何になりましたか? 俺は個人の百と団体は騎馬戦になったんですけど」
「俺も同じだわ」
「良かったです」須藤は嬉しそうにそう言った。
何が良かったのか、須藤になんのメリットがあるのかなんて興味はなかったが、とりあえず「何が?」と訊ねた。
「競技は一緒なら後は組分けで次第で勝負出来るでしょ? 俺と勝負しましょうよ」須藤は自信満々に言うと胸に前で腕を組んだ。
「お前と勝負する理由なんてねぇよ」俺は適当にあしらい歩を進めた。
「俺が勝ったら歩実先輩と別れて下さい。俺が負けたらもう先輩達には関わりません」
「勝手に言ってろよ。何で俺がそんな約束しなきゃいけないんだよ」
「逃げるんですか? 負けるのが怖いから。勝負する前から腰が引けちゃってますよ」
俺は須藤と絡む内に免疫が付いたつもりだったが、やはりこいつの言葉にはイラつかせられる。それも須藤の作戦だったのかも知れないが、俺はまんまと須藤の口車に乗りその勝負を受ける事にした。
昼休み。航達にその事情を話すと「お前ら馬鹿はなんでそんな事で盛り上がれるんだろうな」と航が感心なのか、馬鹿にしているのか、俺と須藤の勝負に呆れていた。
「にしも歩実モテモテだねぇ。二人の男から取り合われるなんてそうそうないよ?」夢は歩実の腕を肘で突きながら言った。歩実も「そんな事ないよ」と少し照れてはいるが、内心俺と須藤の勝負に付いてどう思っているかは言わなかった。
その日の帰りも懲りずに須藤は俺達五人に絡んできた。俺以外には礼儀正しく接し、最後に俺に嫌味を吐いて帰り、その度陽子が俺に謝ってくるのがここ最近定着してきた。
「あの子も懲りないねぇ」夢は毎回須藤の行動に感心していた。
いつものようにたじまで集まり、夕方になると解散する。俺と歩実は家の方面が同じ為、今日も二人で帰っていた。
「大ちゃん何で勝負受けたの?」歩実が突然今日の須藤との出来事に付いて訊いてきた。
「最初は取り合わなかったんだけど、煽られてる内に流れでさ」
「負けたら本当に別れるの?」
「負けないよ」何の根拠もないが俺は胸を張って言った。
「頑張ってよ。もし負けたら須藤君と付き合っちゃうよ?」歩実は俺の手を握り微笑んだ。夕日に染まるその横顔に胸が高鳴り、歩実の事を凝視出来なかった。俺は歩実の手を強く握り返し、絶対に負けない、と心の中で何度も叫んだ。
翌日、騎馬戦のメンバーにどうしても騎馬の上に乗りたいとお願いしたが、今更なんだよという目で俺は見られた。元々騎馬の俺が今更上に乗りたいと言うのは少々気に喰わない様子だったが、粘り強くお願いした結果どうにか上に乗る事が許された。
「ありがとう」俺は何度も頭を下げ感謝した。
「その変わり絶対勝てよ」元々騎馬の上に乗る予定だった鈴木が言う。特に話した事はないが、いつも机の下で漫画を読んでいて常にやる気がない奴だが、女子が見ている場になると俄然やる気になる分かり易い奴だ。
「下は俺に任せろ!」自分の胸を叩き鼓舞しているのは佐々木だ。中学校の頃、近所の相撲大会で優勝の経験を持つ体格のいい奴だ。佐々木に体当たりされて耐えられる奴は学校にはそういないだろう。
「負けないよな? 負けられない理由があるし」元喜がいつもの無邪気な笑顔で俺の胸に拳を押し付けた。鈴木も佐々木も元喜に続き俺の胸に拳を押し付けた。
こうして俺達四人の結束が生まれた。
それから体育祭まではとにかくがむしゃらに練習した。特に個人の百メートルには熱が入った。数日前、体育祭のリハーサルの時に各種目の組合せが発表され、俺は個人百メートルで何の運命の導きなのか、須藤と同じ組になった。リハーサルの時はお互い牽制し合い、軽く流し合う程度だった。
団体の騎馬戦は各学年代表の二組が選抜され、勝ち抜き方式で進行された。須藤は一年の代表として騎馬の上で余裕の顔を浮かべ、こちらに睨みを利かせていた。俺が須藤と当たる為には、須藤が勝ち上がらなくてはならなかった。俺はリハーサル終了後須藤に近付き「お前、勝ち上がってこれんのかよ?」と挑発した。正直俺は自信なんて無かった。リハーサルの時の須藤の騎馬戦は、それは見事なものだった。華麗な手さばきから相手の鉢巻きを取る姿は、褒めたくないがでかい事を言うだけの実力はある。
「誰に言ってるんですか。余裕ですよ」少し顔を強張らせながら須藤は言った。
「まぁ、せいぜい頑張れよ」俺は委縮しているのがばれないように、虚勢を張った。
「先輩こそがっかりさせないで下さいよ」
それから本番まで俺と須藤が言葉を交わすことは無かった。


                      *


体育祭当日。天気にも恵まれ雲一つない快晴の空だった。
学校のグランドにはいくつかテントが張られ、その下に生徒の椅子が並べられていた。向かって右側が紅軍、左側が白軍のテントになっていた。それぞれの団のテントの前には大きな団旗があり、風になびかれながら今か今かとその時を待ちわびているようだった。
開会式、応援合戦が終わると早速競技が始まった。ピストルの音と同時にスタートする選手と、その選手に向けられた歓声と拍手が一斉に巻き起こる。
俺は紅軍側のテントで緊張を押し殺すのに必死だった。胸は飛び出そうなくらい大きく鳴り、呼吸も荒くなる。
紅軍側のテントで「大丈夫?」と歩実が俺の横に座り、顔を覗き込む。
「あぁ、大丈夫。めちゃくちゃ緊張してるけど」俺がそう言うと歩実は俺の左側の胸に手を当てた。
「すごい緊張してる。大丈夫だよ。大ちゃんならやれるよ」歩実は俺の手を握った。
「イチャイチャしてる所申し訳ないんですけど、歩実次出番だよ?」白軍側のテントから歩実を迎えに来たのは夢だった。
歩実は咄嗟に手を離し立ち上がると「イチャイチャしてないよ!」と弁解するが「はいはい。分かりました」と軽く流されている。
「歩実も頑張れよ」俺は言う。歩実は一つ頷き、夢と一緒に次の競技へ向かった。
歩実と夢が出るのは障害物競走で、あらゆる障害物を乗り越えながら走るといったシンプルなルールだ。運動神経の良い二人は軽い身のこなしで見事に一位を飾った。
この競技が終われば次がようやく男子の百メートルが始まる。
「自信のほうは?」俺の肩に腕を回したのは航だった。
「まぁ、なるようになるだろ」俺は言った。
「まっ、そうだな。じゃあ行こうぜ」
航も男子百メートルの選抜で、俺達は二人でスタート地点まで向かった。各代表が綺麗に整列し、ピストルの合図で入場が始まった。グランドには場の雰囲気に合った音楽が流れ、俺の心臓は更に大きな音で俺の胸を叩いた。
「位置について、よーい」とピストルを上に構え、爆発音と同時に一組目が飛び出す。ゴールテープを着るのと同時に会場からは歓声が起こった。
続いて二組目も軽快にスタートするが二十メートル程の所で三年生が転倒した。思わぬハプニングに会場がどよめくが、転倒後すぐに走り出したが結果は最下位。だがその頑張りを称され会場から大きな拍手が送られた。
「じゃ、先に向こうで待ってるわ」航は余裕の表情で後ろの俺に告げると、スタートラインの前に手を付き、腰を落とした。
爆発音と共に一斉にスタートするが、スタート時点から航が体一個分前に出ていた。他の二人が決して遅い訳ではない。航が圧倒的に早すぎるのだ。航がゴールした時、今日一番の歓声が上がった。
第四組目。俺と須藤は顔を見合わせスタート地点に並んだ。
「歩実先輩と付き合ってるのが航先輩じゃなくて良かった。あの人には勝てそうにない」須藤はスタート前にそう呟いた。
須藤は俺の左側のレーンで、俺の右側には三年生の先輩が並びスタートラインギリギリに手を付き、神経を研ぎ澄ました。スタートで遅れればそれだけで致命的だ。
「位置について、よーい」
俺はタイミングを計り、一気に飛び出した。
「ピピピピピ」と笛を鳴らしながら先生が止めに入った。フライングだ。
大きく深呼吸をして、もう一度スタートラインに付く。俺は全神経を耳へ集中させた。
「パンッ」
三人が一斉にスタートする。スタートはまずまずだ。この段階では横一線で特に差は出ていない。周りの音が遮断されたように、この世界には自分一人だけのような感覚になり、自分の息を吐く声しか耳に入ってこなかった。
三十メートル付近で三年生の先輩が少し遅れを取り始めた。それと同時に須藤は俺より体半分程前を走り、俺は劣勢の状態だった。
体が酸素を欲しがるのが分かる。だがもっと早く、もっと前にと俺の心臓をポンプする。そのまま中盤付近までジリジリと差が離れていく。
「くっそ。もう少しなんだ。回れ足」呪文のように唱えながら走るもその差は縮まる事は無かった。中盤を過ぎゴールテープへ近付いていく。その時、俺は体の異変に気付く。
足が自分のじゃないような感覚になりフワッと軽くなる。先程とは打って変わって体が嘘のようにガンガン前に進む。開いていた差がみるみる内に縮まりゴールテープ手前で横に並んだ。二人同時に胸を張り、体を前にのめり出しほぼ同時にゴールした。
体から汗が噴き出て来る。心臓は今も大きく打ち付けるがそれもなんだか心地よく感じた。
向こうから係の人間が俺と須藤を誘導し、順位の数字が書いてある旗の後ろに座らせた。
俺は人差し指を立て須藤の顔の前に向け「まず一勝」と呼吸を整えるよりも先にに言った。
接戦の末なんとか勝利を手にした俺は航とハイタッチを交わし、喜びを共感した。
午前の最後に行われたムカデ競争は各学年、各クラスの中で一番トップを走っていたのだが、折り返し地点で旋回が上手くいかず、その後も転倒を繰り返し、結果最下位で幕を閉じた。最下位だったが、最後まで笑いみんなでゴールした事がいつかいい思い出になるだろう。
午前の種目は全て終わり、昼食後午後の種目へと移る。騎馬戦は午後の最後の種目で、俺と須藤の最終決戦の時は静かに近付いていた。


                     *


「いやぁ、接戦だったね」元喜が弁当を食べながら、午前行われた百メートルの対決を振り返っていた。
「ヒヤヒヤしたよ、ほんと。負けるかと思っちゃった」と夢が言うと「負けても面白かったけどな」といつものように航が横から口を挟む。
五人で昼食を取りながら、あのたった数秒の出来事について延々と話した。
昼食後すぐに午後の競技が始まる。リレーに長縄、棒引きや棒倒しなど次々とプログラムは進み、もうじき俺の出番がやってくる。俺は元喜と鈴木、佐々木と共に入場ゲートの前で準備していた。
「緊張してないか?」佐々木が俺に優しく訊ねた。
「大丈夫、今は全然問題ない」俺は今の心境を言った。
「全員倒して派手に目立とうぜ!」鈴木は相変わらず女子に目立ちたい一心のようだ。
騎馬戦の入場は紅軍、白軍違うゲートからなので須藤と顔を合わせる事は無かったが、須藤も相当緊張しているに違いない。先手を取られ追い詰められた状態なのだ、この状況でリラックスしていると考えづらい。
「終わった、行くよ」元喜が前の競技が終わった事を伝え、元喜達は騎馬を造った。
一番前には重戦車並の強さを誇る佐々木。左翼には機動力抜群の元喜。右翼には特に目立った取柄こそないが、目立つ為ならどんな事でもやってのける鈴木。そして騎馬の上には美しさも力強さも微塵も感じられない俺が乗る。
「せーの!」掛け声に合わせ騎馬が立ち上がる。上からの景色はいつも違いなぜか戦意が湧いてくる。
「行くぞー!」団長の掛け声と共に騎馬の上に乗る人が一斉に上着を脱ぎ捨て、前から順番に入場を始める。俺も周りに合わせ上着を脱ぎ、上に大きく投げ捨てた。
俺はいつかこんな事もあるかもしれないと思い、密かに筋トレをしていた事を誰にも言わないでおこう。
代表の六騎の騎馬が向かい合い、中央で団長が握手を交わしルール説明が始まる。
最初は全騎で行われる団体戦。次に個人の勝ち抜き戦が行われ、勝敗が付かなければ団長騎同士の一騎打ちで勝敗を決めるようだ。
ルール説明が終わると、全騎一斉に戦闘態勢に入った。ピストルの合図と共に紅軍の一年の騎馬が白軍に向かって突っ込む。白軍はその一騎を迎え撃つかのように構え、複数で潰しに掛かった。予想通り紅軍の一年はあっという間に囲まれすぐに鉢巻を取られた。
序盤から劣勢の紅軍は団長騎を中心に固まりゆっくり白軍に前進する。逆に白軍は大きく広がり外から囲うような陣形を取った。
白軍はじわじわと距離を詰め、一斉に仕掛けて来た。俺の目の前でいくつもの手が鉢巻に向かって飛び交う。俺は左から近付いてくる騎馬と対戦になり両手を組み交わす。どうやら白軍の一年生のようだ。何とか力で押し切り、相手の体勢が崩れた所を狙い鉢巻き取った。そこで終了のピストルが鳴り一度元の位置に戻る。
周りを見渡すと白軍の方が多かった。こちらは団長騎と俺の二騎だけだったが、対する白軍は四騎残り団体戦は白軍に軍配が上がった。
続いて個人の勝ち抜き戦が始まり、一年の騎馬から順番に真ん中にあるサークルの中で一騎打ちをする。体育祭のメインイベントだけあって会場は静まり返り緊張が走る。
個人の順番は学年順で、俺は第四騎目、対する須藤は二騎目だった。須藤と俺が当たるには須藤が俺の前にいる二年生に勝つ必要があった。失礼な話だが、大きなトラブルでも無い限り須藤が勝つだろうと俺は密かに思っていた。俺達が当たる事は必然的なのかもしれない。
「パンッ」と合図が鳴ると一組目が組み合う。紅軍の騎馬が白軍の騎馬をサークルから押し出し紅軍の勝ちとなった。この瞬間須藤は三人を倒して俺まで辿り着かなくてはならない一番難易度の高いシナリオとなった。
遠目でハッキリとは分からないが、須藤は余裕の表情を浮かべているように見えた。すぐに二回戦が始まり須藤の騎馬も先程の騎馬と同様に押し出されそうになっている。騎馬はラインギリギリの所で踏ん張り耐えている。紅軍側の誰もが勝ちを確信したその時、須藤の手が紅軍の鉢巻きを奪い取った。
おおお、会場が一気に沸き上がった。その後も波に乗り須藤は何の危なげもなく、俺の前の騎馬まで倒し、見事三人抜きを達成した。
「約束通り勝ち抜きましたよ」須藤は余裕の面持ちで言う。
「見たら分かる」俺は緊張がピークに達し会話どころではなかった。
「俺が勝ったら約束守ってもらいますから」須藤はサークルの中央で向かい合うと、両手を大きく広げ威嚇するような大勢をとる。
俺は大きく深呼吸をし、須藤と同様に大きく両手を広げた。
ピストルが鳴り、俺と須藤はお互いの手を握り押し合う。俺と須藤には力の差はさほどなかったが、騎馬の実力は雲泥の差だった。何しろこちらには重戦車の佐々木がいる。みるみる内に外に押し出そうとする佐々木。俺が今乗っている騎馬はもしかすると、どの騎馬よりも最強かもしれない。元喜と鈴木は後ろで叫び声と共に佐々木を援護していた。俺は勝ちを確信した。鉢巻きは取っていないが押し出せば勝ちは勝ちだ。その時だった。須藤の手が俺の左側から物凄い勢いで飛んでくる。咄嗟にかわそうとするがすでに遅かった。頭に巻いた鉢巻きがグッと引っ張られるのが分かる。俺の頭から鉢巻きがスルスルと離れていき、そこで笛がなった。
俺は咄嗟に白旗と赤旗を持ったジャッジマンの方を見た。白旗が上がっていれば須藤の勝ちなのだが、ジャッジマンは両手を挙げ取り直し合図を出した。どうやら佐々木達のお陰で間一髪逃れられたようだ。
「なにやってんだよ! 俺の代わりに乗っといて一年なんかに負けんなよ!」鈴木が俺の尻に蹴りを入れた。
「すまん。油断した。次は大丈夫」俺は肩で息をしながら言うと、鈴木は黙って騎馬を造ってくれた。
再び中央で向かい合い、戦闘態勢をとる。ピストルの合図で須藤は一気に俺の鉢巻き目掛けて手を伸ばしてきた。さっきの一戦でなめられたのか、それとも長期戦は不利と考えたのか、須藤が勝ちに急ぐのが分かった。俺はその手を弾き、須藤の鉢巻きに向かって手を伸ばした。お互い全く防御はせずに相手の鉢巻きだけを取りにいったのだ。勝敗が付くのに時間はそう掛からなかった。終了の笛が鳴り、ジャッジマンの手は赤旗を挙げた。
「おい、約束は守れよ」俺は帰って行く須藤にそう言った。須藤は振り向きもせずその場から去って行った。
左翼から元喜が「やったな! 大地!」と相変わらず自分の事のようにはしゃいでいる。
「次も勝てよ!」鈴木のテンションも上がっていた。
「最後まで行こう!」佐々木が言う。
俺はみんなの期待に応え、最後まで勝ち進んだ……。らカッコいいのだが、次の対戦で俺は航にあっさり負けてしまった。航にはあっさりと負けたが別に悔しさは無く、むしろ喜びと安堵感の方が強かった。結局、個人戦も白軍は勝利し騎馬戦は白軍の勝利で終わった。
「お疲れ。大地カッコよかったじゃん」閉会式が終わり、夢は俺にハイタッチを求めてきた。俺はそれに応え「ギリギリだったけどね」と恥じらいながら言う。
「まぁ勝ちは勝ちでしょ。これで厄介払い出来たんでしょ?」
「そうだな」
教室へと帰る途中、陽子が俺に話し掛けてきた。
「あの……。琢磨がすみませんでした。先輩には沢山ご迷惑掛けてしまい、本当にごめんなさい」深々と頭を下げる陽子。
「別に陽子ちゃんが悪い訳じゃないから。そんなに謝らないでよ。ほら顔上げて」
「ありがとうございます。ところで……。先輩と歩実先輩は付き合ってるんですか?」
「うん。付き合ってるよ」
「それなのに琢磨が奪い取ろうとするなんか最低ですよね」陽子は怒気を帯びた表情で言った。
「それだけあいつも真剣なんだよ、きっと。不器用な奴なんだろ」俺は陽子をなだめるように言った言葉が、一年前の自分に言っているようにも感じた。不器用で人見知り、何の取柄も無い俺に彼女が出来て、それに嫉妬し喰い付いてくる生意気な後輩が出来て、それを面白がりながらも応援してくれる友達も出来た。こんな俺でも変われたんだ、須藤もきっと変われるさ。心の中でそう呟いた。
「あっ……。どうも」陽子が俺の後ろに向かって挨拶をした。俺は振り返って見ると、歩実がこちらに歩いて来ている。
「こんにちは」歩実は柔らかく笑い、陽子に会釈した。陽子は俺に謝ったように歩実にも深々と頭を下げ、何度も琢磨の行動について謝った。歩実は困った顔をしながら陽子が頭を下げるのを必死に止めていた時、張本人の須藤が歩いてきた。
「あっ。琢磨。先輩達にちゃんと謝りなさいよ!」陽子はさっきまでとは違い、須藤に強く言った。
「今日は俺の負けです。約束通り先輩達にはもう一切関わりません」やけに素直に話す須藤に俺は可愛い所もあるもんだな、と思った。
「せっかくここまで話すようになったんだ。過ぎた事しなきゃいつも通りでいいよ」俺は須藤の今までの無礼を水に流してあげる事にした。
「え? 本当ですか? じゃあ早速なんですが、歩実先輩今度の花火大会一緒に行きましょうよ!」須藤は目を光らせ歩実に言い寄る。
「だからそれをやめろって言ってんだよ!」
俺は須藤が改心したのではないかと思ったが、その期待は数秒で打ち砕かれた。


——第六話 波乱——


「だははは」茂田さんは腹を抱えながら大声で笑う。
今年の夏も海の家を手伝って欲しいと連絡があり、どうせやる事もないので今年も手伝う事にした。最初は歩実と遊びにでも行こうと考えたが、歩実は夏期講習に通うらしく「夏休みはあまり遊べない」と言われたから丁度よかった。
「そんなに笑う話でもないでしょ」
「いや、面白いな。そいつ。今度連れて来いよ」
俺は入学してから須藤がしてきた事を茂田さんに話した。茂田さんは須藤の事をすっかり気に入り、会いたがっていた。
「嫌ですよ。それにあいつ俺の言う事だけ聞かないし」
「いいねぇ。青春してるじゃない」
俺の言葉に反応したのは麗香さんだった。今年は航と元喜がバイトに来れない為、手伝いに来てくれていた。いつものユルフワな髪は今日は一つに結ばれていた。
「あいつが勝手に絡んでくるだけですって」
須藤はあれからというもの、懲りずに歩実を何度も花火大会に誘っていた。歩実は毎度困った表情で俺に助けを求めてきたが俺はあえて無視していた。歩実がどうするのか気になったし、歩実本人が断ったら須藤も諦めると思ったからだ。
結果は言うまでもないだろうが、須藤のしつこい誘いは失敗に終わった。優しい歩実は当たり障りのない断り方をするが、そんな事では須藤はめげなかった。結局、夏休みに入るまで二人の攻防は続いた。
俺はその事を呑気にしている二人に話した。
「歩実ちゃんって去年一緒にお祭りに来てた子でしょ? あの子可愛いもんね」麗香さんはどこか冷たい表情をしながらそう言った。
麗香さんの彼氏だった水田先輩は麗香さんと別れた後、歩実に告白していた。その事実を知っているのかは分からないが、麗香さんからしたら歩実はあまり関わりたくない人物なのかもしれない。
「歩実ちゃんって麗香ちゃんの彼氏に告白されたんだろ?」
「ちょっ! 何を言ってるんですかいきなり」
さすがは茂田さん。場の雰囲気を読まずに思った事をすぐに口に出してしまう。
「この前お前が言ってたじゃねぇか」
「大地君気にしないでいいよ? その事なら私知ってるから」麗香さんの言葉に俺は思わず「誰に訊いたんですか?」と答えは分かっていたがそう訊ねた。
「茂さんだよ」
やはりそうだったか。俺は一度茂田さんの方に視線を向けると何か悪かった? みたいな表情をしていた。
「あの……。なんて言うか、大丈夫ですか?」俺は少し回りくどく訊いた。
「全然大丈夫だよ! だって私もう彼氏いるし」
茂田さんは「さすが麗香ちゃん。切り替えが早い!」と笑っていた。
こんな他愛もない会話を繰り返しながら、夏はすごい速さで過ぎていった。
花火大会も間近に迫り、辺りは本番に向けての準備が進められていた。
俺達5人は今年の花火大会は別々に行く事になった。それも夢と航が俺や元喜に気を使って二人にしてあげようという気持ちからだろう。
俺は歩実と連絡を取り合い、当日現地で落ち合う事になっていた。去年同様、俺はバイトが終わり次第歩実を迎えに行き、二人で楽しい花火大会になるはずだった……。

「おい! 大地! そろそろ上がっていいぞ!」
「了解です! じゃあ、お先です!」
俺は歩実との約束通り、バス停まで歩実を迎えに行った。途中何回か確認の電話をしたが、その電話も留守電に切り替わり、俺は携帯をポケットに入れた。
俺がバス停へ着くと同時にバスが停車し、中からは人の群れが次々に降りてきていた。その人混みの中には夢と航、元喜と帆夏も乗っていた。俺は歩実も一緒に乗ってると思い込んでいたが歩実は一向に降りてはこなかった。
「なぁ、歩実一緒じゃなかった?」
「いや、いなかったよ? 行きのバス停にもいなかったし。電話してみたら?」夢は心配そうな声で言った。
「電話出なかったんだよなー。ありがとう。もうちょっと待ってみるよ」俺はそう言って四人を送り出し、ベンチに腰掛けた。
あれから何本のバスを見送っただろうか。遠くの方では花火の音が聞こえ、俺は一人虚しく空に上がる花火を眺めていた。
歩実にはあれから何度か電話を掛けたが、一向に出る様子が無い。今来たバスにも歩実は乗っていなかった。俺は歩実の安否が気になり少し不安になっていた。その時バスから降りて来た一人の女性が俺に話し掛けてきた。
「歩実先輩は来ませんよ」
俺は声の方に顔を向けるとそこに立っていたのは陽子だった。陽子はなぜか一人で会場に来ていて、下を向く俺に向かってそう言った。
「どういう意味?」俺は訊ねた。
「歩実先輩は今琢磨と一緒にいますよ」陽子はいつものかしこまった感じではなく、淡々と喋った。
「どうしてそれを陽子ちゃんが知ってるの?」
「さっきまで私、一緒にいましたから。だから先輩がいくらここで待ってても、歩実先輩はここには来ませんよ」
俺は頭が混乱していた。なにがどうなって須藤と一緒なんだ? どうして連絡に出ないのか。疑問は山程あるが、俺は歩実に会って真実を訊く事にした。
「わざわざありがとう。それを言う為に来てくれたの?」
「それもありますけど……少しだけ花火を見たくて。私の事は気にせず、歩実先輩の所に行ってあげてください」陽子はそう言うと空に上がる花火を眺めた。
俺は花火を見る陽子の横を通り過ぎる時「ありがとう」と一言残し、反対方面のバスに乗り歩実の元へと向かった。その時の陽子の顔は少しだけ涙ぐんでいたように見えた。


                   *


俺は目的のバス停でバスを降り、もう一度歩実に電話を掛けていた。プルルルルと呼び出し音だけが虚しく耳元でなり続ける。ふと視線の先に光を放つ何かが見えた。俺は光の方へ近付くと、それが誰かの携帯である事に気付いた。俺はまさか歩実の携帯ではないよな、と思ったがそのまさかだった。俺の耳元で呼び出し音が鳴り続けている間、その携帯も着信音を鳴らし続けた。
俺は歩実と須藤の行き先も分からなかったので、落ちている携帯を拾い歩実の家へと走った。
歩実の家に着いた俺は、しばらく家の近くをうろうろしながら考えていた。
こんな夜分遅くに失礼だよな。いきなり娘の携帯を持って現れる不振な男に見えるよな。考えだしたらきりが無い。俺は覚悟を決めて歩実の家のインターホンを鳴らした。
「はーい」とドアの向こう側から女性の声がした。
ドアの向こうから出てきたのは歩実のお母さんだろうか? 歩実にそっくりな顔立ち、笑った時の表情は親子そのものだった。
「夜分遅くにすみません。僕、歩実さんと同じクラスの月島と言います。歩実さんはいらっしゃいますか?」俺は声を震わせながら言った。
「歩実はまだ帰ってきてないの。何か用事があった?」お母さんは俺に優しく問い掛けた。
「これ。忘れてたみたいなので、渡してもらえますか?」俺はお母さんに歩実の携帯を渡した。
「ごめんね。わざわざありがとう」お母さんは申し訳なさそうに携帯を受け取った。
俺は「じゃあ、失礼します」と言い、お母さんにお辞儀をし、歩実の家を後にした。
歩実はまだ家には帰っていないようだったので、俺は近くの公園で歩実の帰りを待つ事にした。静かな夜に虫達の鳴き声だけが響いていた。公園の近くには誰もいなく、辺りを照らす外灯もほとんど無かった。暗闇の中、一人でブランコに乗りゆっくり前後に揺らした。十分程経っただろうか、公園の端の方に二人の人影が見えた。ザッザッ、と砂の上を歩く音が次第に大きくなり、こちらに近付いて来る。
「大ちゃん?」
薄暗くて相手の表情までは見えなかったが、そこには確かに歩実と須藤が立っていた。須藤は何事も無かったように「こんばんは」と一言俺に挨拶し、すぐにその場を立ち去ろうとした。
「二人で仲良くお帰りですか?」俺は二人に向けて少し嫌味っぽく言った。その言葉には憎しみ、怒り、悲しみとも言える様々な感情が入り混じっていた。
「違うの。これには理由があってね、須藤君の」
「それって俺との約束より大事な事?」俺は歩実の話を遮り、訊いた。
「歩実先輩は悪くないですよ。僕がお願いしたんです」須藤は俺と歩実の話に割って入った。
「お前少し黙れよ。俺は今歩実と話してんだから」俺はドスの効いた声で言った。
「ごめんね。携帯落としちゃって……。連絡出来なかった」歩実は俯き少し声を震わせていた。
俺は無言で立ち上がり、二人の間を横切り公園を出て行った。これ以上一緒にいたら、爆発し兼ねない。俺は一度頭を冷やそうと思い、航に電話をした。
「もしもし」相変わらず暗いトーンで電話に出る。
「今から行っていい?」
「歩実はどうしたんだよ?」
「まぁ行って話すよ」
俺は少し早歩きで航の家へと向かった。航の家に着くなり俺は今日の出来事を勢いに任せ航に話した。順番や話の構成なんかめちゃめちゃで、とにかく話し続けた。俺の感情も織り交ぜながら話していたので余計話しが分かり辛かっただろうけど、航は何も言わずに聞いてくれた。
一通り話したところで航が口を開いた。
「で? 結局何で歩実は須藤と一緒な訳?」
「聞いてない」
「須藤の奴が何をして歩実と一緒にいたのか知らないけど、歩実にも言い分があるだろきっと。一回ちゃんと話し合った方がいいぞ?」
「今話しても冷静になれないわ」
「まぁ、気持ちが落ち着いたら話してみろよ」航はそう言うと、それから何も訊いてはこなかった。
翌日、俺は歩実に連絡することはなかった。その翌日もそのまた翌日も連絡をしなかった。歩実からは毎日謝罪のメッセージが届いたが、どのメッセージにも返事はしなかった。
花火大会から五日が過ぎた頃、バイト先に俺を訊ねてお客さんが来た。
「大地君、お客さんだよ」麗香さんが俺を呼ぶ。
そこに立っていたのは歩実だった。麗香さんは気を利かせてくれたのか「店番やっとくから、向こうで話しておいで」と言ってくれた。
俺は麗香さんの言葉に甘え、店を任せる事にした。無言のまま波打ち際を二人が一定の距離を保ちながら歩く。
「あの、いきなりごめんね」長い沈黙を破り、歩実は元気の無い声で言った。
「別に怒ってないよ。少しビックリしただけ」
「この前の事なんだけど……。ちゃんと謝っておきたくて。大ちゃんとの約束があったのにごめんね」
「うん。まぁ俺も理由聞かないで帰ったし、返事も返してないし……。その、ごめん」俺は言葉を詰まらせながら言った。
「大ちゃんは悪くないよ。あの状況だったら私も怒って帰っちゃうし」
「でも何で須藤と一緒だったの?」俺は訊ねた。
歩実は花火大会の日に起こった事を話し始めた。俺は歩実が話している間、口を挟む事無くただただ黙って聞いた。歩実の話をまとめるとこういう事らしい。
あの日歩実は俺との約束に間に合うように家を出て、少し早めにバス停に着いた。そこには偶然にも須藤と陽子がいたらしく、歩実は二人で花火を見に行くのだろうと思っていた。ところが須藤は陽子に構わず、その場でも歩実を花火に誘ってきた。歩実は須藤の誘いを断っていると、須藤の携帯に一本の電話が掛かった。須藤は電話に出るなり表情がみるみる内に暗くなったという。明らかに様子が変だったので、歩実は須藤に何があったか訊ねたら、須藤は「病院からの連絡で、母が危ないらしいです」と声を震わせていたらしい。陽子は歩実に「気にせず会場へ行って下さいと」何度も言うが、須藤の方は「先輩、一緒に病院へ来てくれませんか?」と涙目になりながら頼んできたらしい。歩実は病院に行くだけなら、と思いタクシーを拾い三人で一緒に行く事にしたみたいだ。病院に着くなり須藤は先生と暗い表情で話し込んでいて、陽子は歩実に須藤の状況を説明してきたという。須藤の家は母子家庭らしく、母と須藤の二人で暮らしていた。最近母の体調が悪く、病院に搬送される事が多々あったらしい。陽子はそう語ると蹲って泣き出し、歩実はそっと陽子の隣に座り一緒にいてあげたみたいだ。その後須藤は先生の話を聞くのに、歩実にも一緒に聞いて欲しいと頼み込んで来たようだ。歩実は一度は断ったが、陽子から聞いた話を思い出し、断れず承諾した。陽子はその後に会場へ行き、そこで待っていた俺と会ったという事だ。公園で会ったのは病院からの帰りで、須藤が歩実を家まで送っていった帰りだったという。これが花火大会の日に起こった一連の出来事。
「私も早く連絡すればよかったんだけど、携帯落としちゃってたから……。ごめんね。大ちゃんが携帯届けてくれたんだよね?」
「うん。携帯の事は別にいんだけどさ。あの日すごい心配した。連絡も付かないし、会場には来ないし……。それなのに須藤と一緒にいるのを見てついカっとなって」俺は振り返り、歩実の前に立った。
「うん。ごめんね。大ちゃん、返事も無かったし、私もすごい不安で。バイト中なのにいきなり押しかけてごめん」歩実は目に涙を浮かべて言った。
「俺の方こそごめん。だからもう謝らなくていいから」俺は歩実の頬に流れる涙を手で拭った。
歩実は安心したのか、今まで我慢していた涙が溢れ出した。俺は歩実の頬にそっと手を添わせ、優しく唇を合わせた。歩実の唇は柔らかく俺の唇を優しく包み込んだ。


                    *


長い夏休みも終わり二学期が始まった。俺はあの夏休み最後の出来事を思い出してはニヤついていた。
「大地、なんかいい事あったの?」元喜が俺の顔を覗き込んだ。
「この暑さで頭故障してんだ。ほっといてやれ」航が元喜に言う。
俺は幸せが体中から滲み出ていて、その表情は周りから不審がられる程だった。そんな事が数日続き「月島大丈夫か?」とクラスの連中が俺の異様な変わりように心配する。その度「暑さで馬鹿になってるんだ」と元喜がみんなに説明していた。航が言った言葉を真似ているつもりだろうが、何を間違えたのか完全に悪口になっていまっている。だが今の俺にはそんなの気にもならなかった。
後日歩実から聞いたのだが、学校が始まってすぐに須藤から告白されたらしい。最初は少しイラつきもしたが、歩実の「大ちゃんだけだから」と言う言葉を聞いてその熱もすぐに冷めた。それとは別に「最近大ちゃん変な噂流れてるよ? なんか悟りを開いたとか」と聞かされた。クラスでは俺が夏休みに寺に泊まり込みで修行しに行った事になっているらしい。そんな他愛もない話をしながら毎日を過ごし、時間が経つに連れ、俺達の関係は強く、深くなっていった。

木々が色付き始めた頃、クラスにある異変が訪れた。俺が教室に入ると歩実の机の周りで数人が丸くなって何か話し込んでいた。俺はその光景を眺めながら、自分の机に荷物を置くと元喜に何があったのかを訊いた。
「朝から何かあったの?」
「俺も詳しくは分からないけど、歩実の机に悪戯されてたみたいなんだ」元喜は小さな声で答えた。
その後すぐにチャイムが鳴り、歩実の机から人だかりがバラけた。俺はすぐに歩実に駆け寄り「どうした?」と訊いたが「なんでもないよ」と笑顔で返された。
俺も最初は誰かの悪戯程度だろうと思っていたが、その嫌がらせは次第にエスカレートしていった。
「最低!」夢が屋上で怒号した。
「さすがに行き過ぎだな」航は夢に便乗するように言った。
昼休み俺達五人は屋上で話し込んでいた。議題は勿論歩実への嫌がらせを誰がやっているのか。
「夢、ありがとう。でも私は大丈夫だから気にしないで」歩実は弱々しく言う。
「大丈夫な訳ないでしょ?」夢は優しく歩実に寄り添い頭を撫でた。
「何か心当たりはあるの?」元喜は訊ねた。
歩実は何も言わず横に首を振った。
「とにかく! みんなで犯人捜しましょう!」夢は俺達を鼓舞する。
こうして少数精鋭ながら、歩実へ嫌がらせをしている犯人を捜す事になった。その間も、歩実への嫌がらせは毎日続き、歩実は日が経つに連れ元気が無くなっていった。嫌がらせは机にだけじゃ留まらず、上靴や教科書などにも被害が及んだ。俺達四人も懸命に捜すが証拠も無ければ、手掛かりすら無い状態から捜すのには少々無理があった。
次の日、俺はいつもより二時間早く起き、学校が開くより先に登校した。嫌がらせが行われているのが、俺達が下校した後なのか、登校する前なのかを突き止める必要があったからだ。
しばらくすると校舎が開けられ、まず俺は歩実の上靴を確認した。右足からはゴミが左足からは画鋲が出てきた。俺はそれを見て血の気が引いた。まさかここまで酷くなっているとは想像もしていなかった。歩実は俺達に心配を掛けないように大丈夫なふりをしていただけなのだろう。俺はその両方を全て取り除き、次に教室へ向かった。
まず目にしたのは歩実の机の上に花瓶が置かれ、そこには一輪の花が飾られていた。俺は花瓶を退け、机の中のゴミを取り出し、歩実の机を綺麗に片付けた。ここまで徹底的にやり込むのは最早笑える程度の嫌がらせでは済まされない。俺は怒りを抑えながら頭をフル回転させていた。
今日、俺は誰よりも早く登校している。それなのに嫌がらせをした跡があるのは、俺達が下校した後に行われたと考えて間違いなさそうだ。
その日の朝。夢が歩実への嫌がらせが無くなっていた事にすごく喜んでいた。俺はそれを見て少し申し訳ない気持ちになったが、同時にこのまま嫌がらせが終わった事にしてもいいか、とも思った。
昼休み、いつもより少しだけ元気になった歩実と、ハイテンションな夢を見ながら少しだけ心が和んだ。
普段屋上には誰も顔を出さないが、この日は珍しく須藤と陽子がやって来た。
「どうしたの?」夢がこちらに歩いて来る須藤に向けて言った。
「あ、いや、歩実先輩大丈夫かなと思って」須藤は心配そうな面持ちで答えた。
「何の心配だよ」航が棘のある言い方で訊いた。
「変な噂を聞いたので。先輩がその……嫌がらせされてるとか。本当なんですか?」
「まぁ、噂だし。須藤が気にする事じゃないよ」元喜が言う。
「でも最近の先輩どこか元気が無くて心配で」須藤は俯いた。
「私は大丈夫だよ。ありがとう」歩実は力の無い声で須藤にお礼をした。
「何か私達に手伝える事ないですか?」陽子が静かに口を開いた。
「どうする?」夢がみんなに伺いを掛けた。
「まぁ、人数は多い方がいいでしょ」元喜が言う。
俺も航も頷き、現在の状況を須藤と陽子に説明した。須藤はそれから目を丸くして何も喋らなかった。よっぽどショックだったのか驚いたのか、いつもの須藤らしくない表情だった。陽子の方は真剣に話を聞き、自分の出来る事を一生懸命に探していた。
俺達はこれから交代で放課後に見張りをする事にした。みんなで放課後見張ると怪しまれる為、敢えて一人だけが学校に残り、誰の仕業か突き止めようと考えたのだ。
月曜日は俺、火曜日は元喜、水曜日は航、木曜には須藤、金曜日は陽子となった。夢は歩実に付き添い、毎日一緒に下校し違和感の無いようにした。この作戦が決まる前、航が「何で放課後限定なんだよ」と俺に訊いてきたが「朝は起きれないだろ?」と誤魔化しておいた。勘のいい航の事だから何となく状況は理解しているのか、今回はやけに素直に納得した。
それから俺は毎朝一番に登校したが、見張りの効果があってか嫌がらせはピタッと無くなった。

俺達が見張りを始めて一か月が過ぎた。
「あれから一か月経ったけど、歩実への嫌がらせも無いし、もう終わったんじゃない?」夢は訊いた。
「そうかもね。それらしい奴もいないし、もしかしたら俺達が見張っているのを見て諦めたのかも」元喜が答える。
「だとしたら見張りがいなくなったら、また再発するかもしれないな」航が呟いた。
「一回、見張り止めてみようか。犯人がどう出るか見ようよ」と俺は提案した。
俺の案は却下されかけたが、航が「今のままじゃ犯人も分からないし、押して駄目なら引いてみるのもありかもな」と言うとなぜか可決された。
その日俺達五人と須藤、陽子は見張りをせずに帰る事にした。
次の日、俺はいつも通り誰よりも朝早く登校した。昨日見張りをしなかったからか、今日はしっかり嫌がらせが行われていた。犯人も相当根気強く続ける気でいるようだ。俺は犯人に対して苛立ちを感じながら、教室でそれらを片付けている途中、教室の外から足音が近付いてくるのが聞こえた。俺は咄嗟に物陰に隠れようとしたが間に合わなかった。
ガラッと教室の扉が開き「やっぱりお前だったのか」と扉の向こうにいるそいつは言った。


                     *


「何でこんな時間にいるんだよ」俺は驚き、言葉が少し震えた。
「何かおかしいと思ったんだよ。見張りは放課後だけだし、いきなり見張りを止めるって言ったり、やっぱりお前が片付けてたのか」
こいつはいつも俺の考えている事はお見通しのようだ。
「航にはバレてると思ってたよ」俺はそこに立つ航に言った。
「で? 犯人の目星はついてんのか?」
「それは分かんない。けど見張りを止めた途端これだ」俺は歩実の机を指差した。
「朝はお前がいるし、夜は警備がいる。あるとしたら俺達が教室を空けた時か帰った後って事か」航は机の上に座り言った。
俺達が教室を空ける時は他の生徒も授業しているし、何よりも目立ちすぎる。あるとすればやはり放課後しか考ええれなかった。
「じゃあ、見張りをしているのもばれてたって事か」俺は呟いた。
「もしくは見張り役に犯人がいるかだな」航は冷たく答えた。
「見張り役にはいないだろ。その日にやればすぐにばれちゃうし」
「馬鹿。情報を事前に仕入れる事が出来れば、見張りがいない時にやるのなんか簡単だろ」
「俺達五人の中に犯人がいるのか?」俺は訊ねた。
「可能性の話だ。単純に見張りがいない時を狙っているだけかもしれないし」
俺と航はそんな話を繰り返していた。
数カ月、見張りを止めてみたがやはり嫌がらせは無くならなかった。その事実は俺と航だけの秘密にしておく事にした。また嫌がらせが始まったとなると歩実は勿論、夢も落ち込むに違いないからだ。
夢は数カ月、歩実への嫌がらせが無くなった事を大いに喜んでいた。
最近の昼休みはなんだか暗い感じだったが、それからは今までみたいに明るい雰囲気で過ごせた。この一件を機に五人で屋上に集まるのが日課となっていた。静かな屋上も今は騒がしくなったが、これはこれで悪くない気分だった。この日は須藤と陽子も屋上に集まり、七人で弁当を食べた。
「今日、帰りにみんなでカラオケにでも行こうよ!」夢が提案する。
すると他の三人が俺を凝視し笑いだした。
「なんだよ!」俺は歩実、航、元喜に向かって言った。
「大地とカラオケ楽しみだなぁと思ってさ」元喜はニヤニヤしながら俺を見た。
「まさかカラオケであの美声を聞けるとは」航は明らかに俺を馬鹿にした風に言った。
「そんなに上手いんですか? 僕らも行ってもいいですか?」須藤が横から入ってきた。
「駄目だ。関係者以外は一緒に行けない」俺は即座に断った。
「いいよ! いいよ! 一緒に行こう。陽子ちゃんもおいでよ」夢が人の気も知らないで須藤と陽子を誘った。
「ありがとうございます。お前どうする?」須藤は陽子に訊いた。
「私、放課後先生の所に行かなくちゃいけないの。でもそれが終わってから行ってもいいですか?」陽子は申し訳なさそうに言う。
「全然大丈夫! 待ってるから」夢が答えた。
こんな感じで勝手にカラオケに行く事が決まった。屋上からの帰り、歩実が俺に「大丈夫?」と笑いを堪えながら訊いてきた。俺は「これは十八番を出すしかないな」と意気込む俺を見て歩実は堪えきれずに笑い出した。「期待してるね」と笑顔で言い、俺達は教室へと向かった。俺は久しぶりにちゃんと歩実の笑顔を見た気がした。

放課後「さぁ行くよ!」と隣のクラスから夢がやって来た。今日の夢はいつもよりかなりテンションが高かった。誰よりも歩実への嫌がらせが終わった事を喜んでいたのだろう。
俺達は五人で下駄箱に向かい、途中須藤と合流しカラオケへと向かった。
季節はあっという間に進み、外はすっかり冬景色だった。下校する生徒達はマフラーを首に巻き、身を丸めながら歩いていた。
「やべっ!」俺はいつもポケットにある物が無い事に気付いた。
「どうしたの?」歩実が訊ねる。
「携帯学校に忘れた。すぐに行くから先に行っといて」俺はそう言うと急いで学校の方へと走った。
後ろから「大地がこないと盛り上がらないから早くね!」と元喜の声が聞こえた。明らかに馬鹿にしている言い方だったが、敢えて聞こえてないふりをしてやった。

学校へ着き教室に向かう途中、学ランの内ポケットから携帯が揺れた。携帯を開き画面を見ると、航からメッセージが届いていた。内容を確認するとそこには『大根役者』とだけ書かれていた。
やっぱり航にはばれていたか。俺は自分の心を見透かされたのを少し恥ずかしく思った。
ほとんどの生徒が下校し、学校内は静まり返っていた。俺は教室に着くと、すぐには入らず大きく息を吸い深呼吸をした。そしてゆっくりと扉に手を掛け開けた。
扉を開けた先には、一人の女の子が歩実の席の前で何やら作業を行っていた。俺が扉を開けた事に驚いた彼女は、咄嗟に自分の体で机を隠した。
「先輩、どうしたんですか? 忘れ物ですか?」彼女は少し動揺していた。
「陽子ちゃんだったんだね。歩実に嫌がらせしてたの」俺は低く冷たい声で言った。
陽子は、はははと甲高く笑った。
「見られたら言い訳しようがないですね。全部私ですよ」陽子はその事実をあっさりと認めた。
「なんで歩実だったの?」俺は訊く。
「あの女、琢磨に色目使って散々たぶらかしといて、自分だけ楽しそうにしてるから。琢磨の気持ちも知らないで。だから仕返ししてやろうと思って」陽子は怒りを抑えながら話した。
「だからってやり過ぎだろ。須藤の事思うんなら、歩実に直接言えばよかっただろ?」
「私が言っても何も変わりはしないからですよ。私の方が琢磨を想ってるのに……。夏祭りの日も、先に約束してた私に構わずあの女を誘うし、琢磨のお母さんが倒れた時だって、琢磨はいつも一緒にいる私じゃなくてあの女に頼ったんですよ? 私にとってあの女は邪魔なんですよ。夏祭りに日、あの女の携帯を抜き取ったのも私ですよ? 先輩と別れて傷つけばいいと思ってね」陽子は声を荒げて言った。
俺は陽子の語る全てを聞いた。いきなりの事に少し頭の整理が追い付かなく、沈黙が続いた。まさかあの穏やかで、人一倍優しい陽子ちゃんが犯人なんて想像もしていなかったからだ。
「理由は分かった。陽子ちゃんの気持ちも分かった。でも陽子ちゃんのやった事は許せない」俺は長い沈黙を破った。
「別に許して欲しいとか思ってませんから」陽子に反省した素振りは全く無かった。
須藤を苦しめる悪を成敗する事は、陽子にとって正義なのかもしれない。人を想う気持ちがこうも人間の行動を変えてしまう。俺にとっての悪は歩実を苦しめる奴で、そいつを成敗する事が正義だが、俺も陽子も「好きな人に苦しみを与える奴は悪である」その一点だけを見れば同じ事なのだ。俺は陽子の言葉に少し心が揺れた気がした。
「もうやらないと誓ってくれ」俺は陽子に言った。
「ばれたんだからもうしませんよ。でも一つだけいいですか?」陽子は訊ねた。
「なに?」
「ここ最近見張りもいないし、なぜか先輩達は嫌がらせが終わったと喜んでる。私は見張りがいない時は必ずやっていたのに。もしかして片付けてたのは先輩ですか?」
「そうだよ。毎朝一番に来て片付けた」俺は答えた。
「先輩も相当気持ち悪いですね?」陽子は微笑んだ。
そして陽子は観念したのか、歩実の机の上を片付け出した。
「もう嫌がらせはしません。どうせばれるのも時間の問題だし、ばれたら今度は私がイジメられるだろうしね」
「何でばれるの?」
「は? 先輩が言ったらそりゃ自然に回るでしょ?」陽子は呆れた表情で言った。
「言わないよ。二度としないなら」俺は真剣に陽子を見つめた。
「馬鹿なんですか? 普通許さないでしょ。こんな事までされて言わない何てあり得ませんよ。偽善者ぶらないで下さい!」陽子は怒号した。
「別に偽善者ぶってはないよ? 少しだけ気持ちは分かるからさ」
陽子は黙ったまま歩実の机を片付け、教室から出る間際に「もう勝手にしていいですから」と呟き帰って行った。
俺はその後、みんなが待っているカラオケボックスへと向かい、陽子は用事で来れなくなったとだけ伝えておいた。夢や歩実は残念がっていたが、航だけは俺の言葉の真意を理解しているようだった。
そうして俺は押し付けられる様にマイクを渡され、期待されていた十八番を熱唱する事になった。その後どうなったかは言うまでもない。


                   *


長い冬も終わり俺達も三年へと進級し、高校最後の年となった。進級すると同時に須藤から俺にある知らせが入った。この春から陽子が別の学校へと転校する事になったらしい。もしかすると、あの一件の事をずっと気にしていたのだろうか。そしてこれが陽子なりのけじめだったのかも知れない。
俺達五人は三年になり、めでたくみんな同じクラスになった。五人でわいわい出来たのも最初の内で、三年になると何かと忙しく進路の話や就職の話、面談の練習やオープンキャンパスなど色んな行事に追われていた。
航と夢は地元の大学へ進学するらしく、日々机と睨めっこしていた。歩実は美容師を目指して専門学校へ行く為に、放課後はパソコン室で調べものをしたり、先生と遅くまで話したりしていた。俺と元喜は将来の夢も無く、大学に行ける学力も無く、放課後二人で公園のブランコを漕ぎながら話し込む毎日を送っていた。
「もう夏も終わっちゃうねぇ。ところで、大地は就職するの?」元喜がブランコを漕ぎながら言った。
「んー、たぶん。まだよくわかんね。元喜は? 何かやりたい事あんの?」俺は訊いた。
「特にないかなぁ。政治家にでもなろうかな?」
「国が亡びるぞ」
「じゃあ医者」
「命がいくらあっても足りないな」
「弁護士」
「みんな、死刑になるな」
元喜はムッとした表情で俺を睨んだ。俺はその視線に気付かない振りをしながら、ゆっくりブランコに揺られた。
「大地は歌手になりなよ」元喜はやり返しにそう言ったが、俺が全く取り合わないのでつまらなそうにしていた。
「歩実も航も夢も進学だもんなぁ。俺達だけだぞ? 何にも決まってないの」俺は思わずため息を吐いた。
「大地、ごめん……。俺、就職先決まってるかも」元喜は申し訳なそうに言った。
「どういう事?」
「父さんの知り合いに建設関係の仕事してる人がいて、そこの会社にお世話になる事になったんだ」
「なんだよー! 早く言えよ! じゃあお祝いしなくちゃな」俺は元喜の肩を叩いた。
その帰り俺は元喜と別れた後、ものすごい焦りに追われていた。今までは元喜がいたからのんびりやっていたが、その元喜も就職が決まっていたなんて……。俺はその次の日から毎日、放課後学校に寄せられている求人に目を通した。でも自分が思い描く仕事には中々巡り合えるものではなかった。思い描くといっても特にやりたいことも無い俺は、ただ漠然と求人を眺めていただけなのかもしれないが。
何も変わらぬまま数日が過ぎた。俺は未だ何も変化の無い自分に更に焦りを感じていた。
その日の放課後、歩実が「相談があるから一緒に帰ろう」と誘ってきたが、俺は「ごめん。
今日この後面談なんだ」と断った。歩実は「じゃあまた今度でいいや」と言い先に帰って行った。相談の内容が気になったが、今は自分の事を気にした方がよさそうだと思い、今日の夜にでも電話する事にした。

学校での面談も終わり。重い足取りで下校する俺に後ろから耳障りな声で話し掛けてくる奴がいた。
「先輩! 何で無視するんですか!」須藤は走りながら近寄って来た。
「今、お前と話す気分じゃないんだよ」俺は冷たくあしらった。
「何か暗いですね? 歩実先輩と喧嘩でもしました? なんなら俺が引き取りますよ?」須藤は相変わらずの調子で話し掛けてくる。
「喧嘩なんてしてねぇし、お前なんかにやらねぇ」俺は足取りを速めた。
「ところで先輩に一つ訊きたい事があるんですけど」
俺はまた何か企んでるのか? と少し呆れたが話だけ聞くことにした。
「なんだよ」
「夢先輩って好きな人います?」
「は?」俺は思わぬ質問に開いた口が塞がらなかった。
「夢先輩って可愛いし優しいし、それに彼氏いないんでしょ?」須藤は言った。
「まぁ彼氏はいないけど。なに? お前もしかして好きなの?」俺は訊いた。
「好きになっちゃいました」須藤は何の恥じらいも無く答えた。
それからなぜか須藤の恋愛相談を聞かされた。須藤は歩実に振られた後、すごく気を落としている所に夢が励ましてくれたみたいだ。そこで須藤の中で夢への気持ちが高まったらしい。そういえば最近、二人が話している所をちらほら見かけていた気がする。
「何か夢先輩もある人から振られて、それっきり恋愛してないみたいなんですよね。あんないい人誰が振るんでしょうね?」須藤は俺に訊いてきたが俺は「さぁ? 誰だろうな?」とだけ答えた。須藤の話は延々と続き、俺が「もう帰るぞ」と声を掛けた時にはもう既に八時を回っていた。
家に帰り、疲れていたのかすぐに睡魔に襲われた。ここ最近は就職の事でかなり頭がいっぱいだったからだろうか。今日はいつもより早く寝る事にした。
翌日、茂田さんから電話が掛かってきた。電話の内容は今日店に顔を出せるかという事だった。最近、進路で悩んでいたのもあったし、相談も兼ねて俺は茂田さんのお店に行く事にした。
その日の昼休みには元喜が、就職がちゃんと決まった事をみんなに報告した。久しぶりに五人で集まった事もあって、それぞれの近況を話していた。
航や夢はもうすぐ試験が迫っていて、勉強も追い込みに掛かっているらしい。歩実は進学について詳しい内容は話さなかったが、歩実の事だから順調に話が進んでいる事だろう。
「で、お前だけ何も進歩なしか。もう秋だぞ? さすがにやばいだろ」航は言った。
「大地、卒業していきなりニートじゃ歩実養っていけないよ?」夢が追い打ちを掛ける。
「大丈夫だよ。いざとなったら歌手になるんだから」元喜がからかう。
「分かってるよ。冬までにはどうにかするって」俺は力の無い声で言った。
四人は何も言わずに見守ってくれているのか、それ以上は言わなかった。
教室に帰る途中、歩実が「ねぇ、この前の相談なんだけど。今日はどう?」と言ってきた。
「ごめん。今日は茂田さんの店に行く事になってるんだ。夜電話するよ」俺は手のひらを合わせ、歩実に頭を下げた。「分かった」歩実の表情は少し寂しそうに見えた。
放課後、急いでバスに乗り茂田さんの店へと向かった。開店前の店の扉を開くと、そこには茂田さんが仕込みをしている姿があった。いつもふざけているが、仕事をしている茂田さんはすごくカッコよく見える。
「おう! 来たか!」相変わらずの強面で話し掛けてくる。「最近調子はどうだ?」と訊かれ、俺は周りが進学や就職を決めていく中、自分だけが取り残されている気がすると胸の内を語った。茂田さんは俺の話を黙って聞き、俺が話し終えると「今日時間あるか?」と訊いてきた。幸い明日は学校は休みだし、特に用事も無かったので「大丈夫ですよ」と答えた。茂田さんはそれを聞くと仕込みの手を止め、裏に行って何やらガサゴソと探し始めた。
「ほら。これ着て、今日店手伝え」茂田さんは俺に店のTシャツを投げた。
「え? 手伝うんですか?」俺は訊ねた。
「嫌なのかよ」茂田さんは低く鋭い声で言った。
俺はそれ以上何も言わずにただ頷き、その場で渡されたTシャツに着替えた。調理場に入り、手を洗わされた後、茂田さんがやっていた仕込みの手伝いをさせられた。
しばらくすると、店のバイトさん達もやって来てお店が開店した。週末だけあってか、あっという間に満席となった。俺はあれこれ指示を受けながら何とか失敗せずに一日が終わった。
「お疲れ。後で送ってやるから、これ食って待ってろ」茂田さんはそう言うと賄いを出してくれた。「バイト代はちゃんと出すから、明日も今日と同じ時間に来い」と言われ、俺は頷く事しか出来なかった。
だけど料理を作る事は不思議と悪くない気分だった。
そして俺はこの時、すごく大事な約束がある事をすっかり忘れていた。


                  *



季節は過ぎ、家々の屋根には雪が積もり喋る言葉は白く化粧される。
「大地よかったね。無事就職決まってさ」元喜が意気揚々と言う。
そう。俺は無事就職が決まり、春から社会人となる。就職先は<茂ちゃん>。茂田さんのお店だ。茂田さんは就職が決まって無いなら「うちで働け」と言ってくれ、最初は躊躇したが、「お前は料理のセンスある」この言葉を聞いて即決した。
歩実、航、夢も無事合格も決まり、ようやく自由の身となり合格祝いや就職祝いを兼ねてパーティを開く事になった。パーティといってもいつものカラオケボックスで騒ぐだけなのだが……。
部屋には華麗な歌声が響き、時折雑音とも言える俺の歌声を交えながら五人で楽しんだ。久しぶりに集まったからか、今日はいつも以上に盛り上がった。
「いやー、久しぶりにみんなで集まれたな」カラオケの帰り、俺は歩実と二人で帰っていた。
「そうだね。忙しかったからね」歩実は、はぁ、と手に息を吐き冷えた手を温める。
「就職も大学もみんな地元だし、これからいくらでも集まれるけどな」俺は言った。
歩実は俺の言葉を聞いた途端、少しだけ俯きこう言った。
「大ちゃん、あのね……。言って無かったんだけど、私の学校県外なんだ」歩実は立ち止まった。
「どういう事? 県外の学校何て言ってなかったよな?」俺は訊いた。
「うん。最初は県外に行くつもりは無かったんだけど、就職の事も考えたらやっぱり県外の方が有利かなって思って。だから」
「何でなにも相談してくれなかったんだよ! そんな大事な事一人で決めんなよ!」俺は声を荒げた。
「しようとしたよ! でも大ちゃんが何回も断ったんじゃない! 電話もするって言って一回も掛かってこないし、謝ってもこなかったし。だから一人で決めたの!」歩実は泣きながら俺に怒鳴った。
こんなに怒っている歩実を見るのは初めてだった。俺は何も言えずに横を通り過ぎる歩実をただ眺める事しか出来なかった。
それからの俺達はどこかよそよそしく、ぎこちない関係が続いた。春から歩実と離れ離れになる事を考えると、いつも通りに出来なくなってしまう。
その事実をいつものように航に相談すると、「そりゃお前が悪い。歩実はお前に一番聞いて欲しかったと思うぞ」と言われた。まさにその通りだった。自分の事で頭がいっぱいで、人の事まで気にかける余裕が無かった。その結果、取り返しの付かない事になってしまい、まさに後悔先に立たずとはこの事だ。
俺は自分の気持ちを歩実に伝える事にした。それで何か変わる訳では無いが、そうしなきゃ何も変わらない気がした。そう思った俺は、放課後に五人で遊ぶ予定だったのだが俺は歩実を呼び出すことにした。
「その、この間はごめん。いきなりの事でつい……」
「いいよ。私も一人で勝手に決めちゃったから。お互い様だよ」
「別に県外に行く事は反対じゃないんだ。歩実がどれだけ本気なのかも知ってる。ただ、ちょっと寂しかっただけなんだ」俺は視線を落とした。
「うん。ありがとう。でも夏休みとかはこっちに帰って来るし、それに大ちゃんも仕事で忙しいだろうし、寂しいのは今だけだよ、きっと」歩実はそう言うと歩き出した。
学校を出て、夢達の後を追いかける。ここ最近の歩実は俺と話していてもどこか素っ気無く、会話に感情がこもってないように感じた。

年が明けてからは時間が嘘のように早く過ぎていった。
俺達の高校生活も無事に幕を閉じ、誰も留年することなく五人揃って卒業する事が出来た。
留年といってもするとしたら、俺か元喜だけなんだか。
春からはそれぞれの新生活が始まる。またいつもみたいにみんなで笑って集まるのだろうと、俺はこの時疑いもしなかった。
春休みは車の免許を取る為に、俺は朝から晩まで教習所に入り浸っていた。元喜と俺は学科に苦戦しつつも何とか免許を取る事が出来た。
航は四月から一人暮らしをするらしく、引っ越した先のアパートへは毎日欠かさずに通った。特に用事は無かったが、店から近いという理由で仕事までの時間はほぼ航の家で過ごした。
「お前が毎日来てたら一人暮らしの意味ないだろ」と航は言っていたが、どこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
歩実は三月中に引っ越しを済ませ、月末までには向こうでの新生活を始めるらしい。歩実が旅立つ前の日、航の家で歩実のお別れ会兼航の引っ越し祝いをした。最初のうちは夢も笑顔でいたが、次第に涙目になり最後には号泣したりもした。歩実との別れを悔やみ、最初は笑顔で送り出すつもりでいたが我慢できなかったみたいだ。
翌日、四人で歩実を駅までお見送りに行った。夢は昨日からずっと泣いていて、別れの言葉も何を言ってるのか分からない程だった。夢、航、元喜がそれぞれ激励の言葉を投げ掛け、三人は俺に気を使い、その場を立ち去った。
「気を付けて」俺は当たり障りない事を言った。
「うん。大ちゃんも仕事頑張ってね」歩実はそっと微笑む。
後数分もすれば駅に電車が来る。歩実はそれに乗りどこか遠くの街で新生活が待っている。思い返せば高校生活もあっという間だった。歩実がいなかったらくだらない高校生活を送っていたに違いない。誰とも仲良くなれず、友達何て出来ていなかっただろう。歩実は俺の高校生活の全てだった。俺はこの三年間を振り返っていると歩実はゆっくりと口を開いた。
「最初はさ、大ちゃんの事何とも思ってなかったんだけどね、話し掛けてるうちに気付いたら気になってて、好きになってたの。夢と仲良くしてるのを見て勝手にヤキモチ妬いたりもしたなぁ。一年のクリスマスの日は今でも一番の思い出で、あの日は本当に嬉しかった。二年になってからは大ちゃんに嫌な思いさせてごめんね? でも本当に大ちゃんだけが好きだったよ。私が嫌がらせを受けてる時、朝早く来て片付けてくれてたのは大ちゃんだよね?  大ちゃん隠してるつもりだろうけど、バレバレだったよ。すごく遅くなったけど本当にありがとう。大ちゃんのその優しさに何度も救われた」歩実はこの三年間を振り返り思いを口にした。
俺は歩実の言葉をじっと聞く事しか出来なかった。
「でもね……」歩実は暗い表情で続ける。
「最近の私達ってなんだか上手くいってない気がする……。お互い将来の事に悩んでたから仕方ないんだけど」
「でもお互い道が決まったし、これからまた昔みたいに上手く行くよ」俺は軽口で答える。
歩実はそんな俺の言葉に一つ溜め息を吐くと、真剣な表情でこう言った。
「私達このまま付き合っててもきっと上手く行かなくなると思う。お互いが足を引っ張り合う関係は続けたくないの」
「だからこれからはもっとお互いの事を考えればいいだろ?」俺は必死で歩実を説得しようと試みたが、歩実はもう決断したかの表情で俺を見つめていた。
そんな歩実の表情に俺は嫌な予感がした。今更そんな事に気が付いても遅い事は分かっていたが、ここで歩実を止めなければ一生後悔する気がした。
俺は咄嗟に歩実の手を握り、「行くなよ」と気付いたときにはもう言っていた。歩実は俺の手をそっと離し、立ち上がる。
駅のホームでは電車の到着の放送が流れ、歩実は横に置いてある荷物を抱えた。
「もう遅いよ……。私達別れよう。このまま一緒にいても上手くいかない。私、大ちゃんとは仲良くしてたいの」震える声で歩実は言う。
「何でそんな事言うんだよ。嫌なとこなら直すから。会いにも行く。毎日連絡もするから」俺は電車の音に掻き消されないように大きな声で言った。
「そういうことじゃないの。大ちゃんも分かるでしょ? だから。ね?」歩実は今にも泣きそうな顔にも関わらずニコッと笑った。
俺はその場に立ちすくんだまま歩実の後ろ姿を眺める事しか出来なかった。電車に乗り込む前には歩実の両親や夢が駆け寄り、最後の言葉を交わしている。俺はホームの椅子に腰を掛け、走り出す電車にも手を振らずその光景をじっと見つめていた。



第三章 

——第七話 再び——


——六年後——

「ただいま」俺は玄関で靴を脱ぎ、手に持っていたコンビニの袋からビールを取り出した。
「おかえり。今日も遅かったね」
「もうすぐ開店だからね。バタバタだよ」俺は六畳のリビングにあるソファに座り、買ってきた弁当を開けた。渇いた喉を潤すようにビールを一気に半分程飲み、すぐに弁当の蓋を開け食べ始めた。
高校卒業してから俺はすぐに茂田さんの店で働き始めた。最初は慣れず怒られる事も多かったが、次第にリーダーとして任されるようになってきた。
居酒屋<茂ちゃん>は順調に売り上げを伸ばし、二店舗目を構えるまでに大きくなった。俺はそこの店長として今、新店の開店準備に追われている所だ。
最近は仕事が忙しくて航とも元喜ともまともに会えていない。最後に会ったのは正月だろうか? 半年以上は会ってない。
航と夢は大学卒業後、市役所に勤め始め、元喜は相変わらず建設関係の仕事で頑張っているようだ。最近では帆夏と結婚の話も出ているとか。歩実とは卒業してから一度も会っていない。と言うよりは敢えて会っていないと言った方が正しいかもしれない。
五人で集まったのもあの日、航の家でしたお別れ会した日が最後だ。
「明日も早いの?」俺の隣に座る女性が訊いた。
「うん。来週まではずっとこんな感じになりそう」俺は優しく答えた。
隣の女性は俺の腕をギュッと抱きしめ、顔を肩に乗せた。シャンプーのいい香りと、女性特有の柔らかい感触が俺を刺激した。
それから新店舗が開店するまで俺は、寝る間も惜しんで働いた。開店してから最初の三か月は売り上げが伸びたが、年を越すとガクッと売り上げが落ち、苦悩する日々もあったが、それでも何とか上手く軌道に乗せる事が出来た。ここ数か月間、店長としてのプレッシャーに耐えながら頑張った甲斐があったし、口では言えない達成感のようなものに満たされていた。
新店記念には航達が店に遊びに来てくれたりもした。久しぶりに会うが何も変わって無くて安心した反面、みんなで騒いでるその場にいれない事が少しだけ寂しかった。
その帰りに夢が俺に「歩実こっちに帰って来てるみたいだよ」と余計な事を言い残し帰って行った。俺はそう聞いた瞬間少し動揺したが、それ以上は不思議な程何も感じなかった。

連日、多忙で休みが無く今日は久しぶりの休みを満喫していた。
「大地君、ご飯どうする? 外で食べる?」
「どっちでもいいよ。麗香の好きな方で」俺は言った。
俺の彼女の名前は麗香。そうあの麗香さんだ。茂田さんの店で働きだしてから、一段と仲良くなり去年から一緒に暮らし始めた。彼女とはよく気が合い一緒にいてすごく楽しかった。毎日が新鮮で刺激的だ。
俺達は結局居酒屋でお酒を堪能し、手を繋ぎ家に帰った。帰りには二人で同じ曲を口ずさんだり、冗談言いながらはしゃいで他愛もない事で笑っていた。家に帰ると俺は麗香をベッドにそっと寝かせ、二人で愛を育み合う。
今の俺には麗香しかいない。そう思えてならなかった。
二人で過ごした時間はまだまだ短いかもしれないが、この気持ちは本物に違い無かった。
翌日も仕事場に行くと、バイトの子から予約が入ったと知らせを受けた。内容の書かれた紙を渡され、俺はそれを予約帖へと記入する。
「原さん、時間が変わるかもしれないのでまた連絡するって言ってました」バイトの女の子は明るい口調で俺に伝えると仕事に戻った。
その日の内に例の原さんから連絡が来て、週末の七時に二名でご来店するとの事だった。
そして迎えた週末、二人で現れた予約の主は歩実と夢だった。
「やっほー」夢は手を挙げ俺にハイタッチを求める。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」俺はその手には反応を一切示さず、奥の個室へ案内した。
「ビックリした?」夢が俺の耳元で言う。
「そりゃビビるだろ。何年振りだと思ってんだ」俺は小声で答えた。
席に着くと、夢はすぐに立ち上がり「トイレ」と言いながら席を離れた。二人の間に一瞬で気まずい雰囲気が漂う。俺は何か話さねばと思い必死に出した言葉が「久しぶりだな」だった。
「うん。大ちゃん店長さんだったんだね」歩実は昔と変わらぬ口調と表情で俺を見た。
「店、儲かってて。任された」久しぶりのせいかどこか片言になってしまう。
「そうなんだ。すごいねぇ」歩実は感心しながらメニューを眺めていた。
「歩実は? 最近どうなの?」段々会話になれてきた俺は歩実に近況を訊いた。
「来週からこっちで美容師やらせてもらう事になったの。まだまだ勉強中だけどね。今度髪の毛切って上げようか?」手でチョキチョキとハサミの真似をしながら俺に言う。
「練習台じゃねぇか。人前に出る仕事だから今はやめとくわ」
「なにそれー」歩実は笑いながら言う。
こうして二人で話すのも約七年ぶりだ。馬鹿な冗談を言いながら、わいわいやってたのが懐かしい。しばらくして夢が「何の話? 私も混ぜて」と帰って来た。俺は「じゃあ、注文決まったら呼んで下さい」と言い残し席を離れた。
今日は週末だけあって店もかなり込んできた。バタバタしてる内に時間はあっという間に過ぎていた。お客さんもだいぶ引き、少し落ち着いた時「店長、十番様が呼んでます」と言われ俺は十番席へと向かった。十番席は歩実と夢を通した席だ。
「はい。お呼びですか」俺は訊いた。
「今日何時に終わるのー? 早く次行こうよー!」夢はかなり飲んでるのか、相当酔っぱらっていた。
「今の調子で行けば一時には終わる予定かな? ていうかお前飲み過ぎだろ」俺はそう言い、バイトの子に水を一杯お願いした。
「明日仕事休みだからいんだよー。歩実とも久々に会ったしさ」夢は歩実の手を強く握った。
「痛い、痛いから。だから飛ばし過ぎって言ったのに」歩実は夢の手を離し、机の上に置かれたカルアミルクをゆっくりと飲んでいた。
「とにかく! 大地の事待ってるから早くしてよ!」夢は俺に人差し指を向けた。
「はいはい。了解しましたよ」俺は机に水を置いた。
席を離れた後、俺はすぐに航に電話した。内容は夢がやばいから急いで店まで来てくれ、とだけ言って電話を切った。
二十分もしない内に勢いよく店に入って来た男が息を切らしながらこう言った。
「おい! 電話出ろよ」航ははぁーはぁーと肩で息をしながら俺に言う。
電話を切った後、すぐに家を出てきたのだろう。夢の事になると昔から必死になるのは今も変わって無かった。俺は十番の席を指差し、航を席の方に誘導した。
航が部屋に入ると室内からもの凄い声で「航ー!」と叫ぶ声がし、夢のテンションが上がったのがすぐに分かった。
すぐに部屋から出て来た航は「騙したな、お前」と言ってきたが、俺は「騙してないだろ。あれは相当やばいよ」と航に伝えた。
十二時を回った頃には店には誰もいなくなったので、今日は早く店じまいする事にした。
酔っ払いの夢とそれに付き合う二人を横目に俺は急いで片付けをした。
店の片付けが終わると、「さぁ今から盛り上がって行こー!」と夢のテンションも上がり、それから俺と航と歩実は朝までカラオケに付き合わされた事は言うまでもない。


                      *


ガサゴソという物音で俺は目が覚めた。隣の部屋で麗香が何やらやっているようだ。
俺は眠い目を擦りながら隣の部屋へ行き「どうしたの?」と声を掛けた。
麗香は「ごめん! 起こしちゃった?」と少し申し訳なさそうにしながら言った。
「それはいいんだけど。何か探してる?」
「うん。携帯がどこかにいっちゃった」そう言いながらクッションの下や、ソファの隙間を覗いていた。
「俺の携帯で鳴らせばよかったのに」俺は自分の携帯で電話帳から麗香に発信した。
プルルルルと呼び出し音が鳴っているが家の中で麗香の携帯が鳴る様子は無かった。
「大地くんもういいよ。ありがとう。もしかしたら車に忘れてきたのかもしれないから」麗香はそう言うと車の鍵を握り「もし見つかったら連絡するね! 仕事遅れちゃうからもう行くね! 行ってきます!」と仕事へ向かった。
俺は玄関で手を振り、もう一度寝ようと布団へ向かい一つ大きく溜め息を吐き、布団に包まった。
頭元にあった携帯が大きく揺れながら鳴り、画面を見ると「麗香」と表示されていた。
「なんだ、車にあったのか」俺はそう呟き電話に出た。
「もしもし。車にあったんだ。良かったね」
「誰?」耳元から図太く低い声の男性がそう言う。
俺は一瞬間違う電話かと思い、もう一度携帯の画面を見るが間違いなく「麗香」と表示されている。
「え? あの、一応彼氏ですが」俺は恐る恐るそう言った。
「は? 麗香は今どこにいるんだよ?」男は大きな声で怒鳴った。
その声は携帯を耳から離していてもはっきりと聞こえる程だった。
「今仕事に行きましたけど」俺は男の質問に淡々と答えた。
どうやら戸惑っているのは俺だけではないようだった。電話の向こうの男は鼻息を荒くして俺に向かって酷い言葉をいくつも言い放った後、一方的に電話を切った。
俺は携帯を床に置き、今の状況を起きたばかりの頭で懸命に理解しようとした。
電話の男が焦っていた所を見ると、麗香は俺達に黙って二人の男の間を行き来していた事になる。
とにかく本人に確認を取ってみない事にはどうにもならない、そう思い布団に包まるがむしゃくしゃして一向に寝れない。
こんな状況で寝れる方がおかしいのだろうけど、行き場の無い怒りを俺は懸命に抑えていた。

時刻は午前一時。俺は仕事が終わり、麗香の待つ家に帰る途中頭の中で何度もシミュレーションした。
冷静に話を進める為には、怒りを一度忘れ麗香の話を聞く体制が整ってから、玄関の扉を開けた。
「ただいま」いつもより暗い雰囲気を出しながら帰ってくる俺に麗香も気付いたのだろう。
「おかえり」といつもなら笑顔を向けて言ってくるのだが、今日は俯いたまま小さな声で呟く程度だった。
「あのさ……」俺はすぐに本題を切り出した。
「違うの」麗香は俺の言葉を遮り、話しだした。
「昨日飲み会の時に携帯忘れて帰ってさ、彼が持っててくれたみたいなの」麗香は必死な表情で俺に説明する。
「そうなんだ。でも電話の彼も相当動揺してたけど」俺は冷たく返す。
女の嘘を軽く受け止めてやれる程の器は俺には無い。ここで笑って許せる人がどれだけカッコいいか。
「彼には大地君の事話してないから……。勝手に私と付き合ってるって思い込んでるだけなの」
そう言われれば辻褄は合うが、それが本当の事なんて信じられる証拠はどこにも無かった。むしろそれが白々しく感じた。
「そうなんだ」俺は素っ気無く返事をすると、麗香はそれ以上何も言わなかった。
それから俺達二人はどこかぎこちなく、一緒にいても会話をしない日が増えた。次第に麗香も家に帰ってくる事が減っていった。

「どう思う?」俺はカウンターでビールを飲む男に訊ねた。
「どうってそりゃお前、黒だろ」男は何のためらいも無く答えた。
「だよなー。航ならどうする?」
週末の閉店後。俺は元喜と航と三人で久しぶりに酒を交わしていた。といっても俺はジュースなのだが、そんな事はどうでもいい。
例の麗香の携帯事件の真相を解く為に、こうして航に相談していた。元喜はそのついでというのは黙っておいた。
「速攻で証拠探して叩きつける」航はつまみのたこわさびを口に運びながら言った。
「実は今もイチャイチャしてたりして」元喜がいかにもありそうな事実を口にする。
「あるな」航は元喜に言葉に大きく頷く。
二人の中でもあの事件は相当怪しいと踏んでいるようだった。
俺としては、決定的な証拠が無いので決め手に欠けていたが、心のどこかではその事実を受け止めたくないだけなのかもしれない。
そんな雑談は午前三時まで続き、最後には高校の思い出話を語るまでに脱線していた。久しぶりに会ったのだから、暗い話ばかりしていても仕方ないが。
俺は酔っぱらった二人を車に乗せ、それぞれの家に送り自宅へ帰ると今日も麗香の姿は無かった。恐らく例の男の家に居候しているのであろう。このままずるずる付き合っていてもお互い面倒な関係になるだけだ。そう思った俺は腹を括り、別れを告げる覚悟を決めた。

午前十時。眠い目を擦りながら携帯を睨め付ける。
携帯の画面には「麗香」と表示された文字。あとボタン一つで発信できる状態にして早十分。昨夜の覚悟は何だったのかと思う程、電話を掛けるのに躊躇した。
すると手の中にある携帯が「プルルルル」と震える。
俺は思いもよらぬ電話に驚き、すぐに画面を見ると着信の相手は夢だった。
「もしもし! 起きてた?」朝から元気な声で喋る夢。
「起きてたよ」俺は低い声で答えた。
「珍しい! 急なんだけど、今から準備してくれない? あと二十分でそっち着くから」
言っている意味が全く理解出来ない。寝ぼけているからではなく、明らかに主語が足りていない。
「はい? 何の準備? ていうか何しに来てんの?」俺はいくつも質問して返した。
「それは着いてからのお楽しみ! じゃあ、また後で電話するから」
夢は一方的に用件を伝えると電話を切った。
何の事か分からないが、とにかく準備を急ぐ俺は麗香に電話する事をすっかり忘れていた。


                   *

飛んで火にいる夏の虫

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