いま、徒然草
情景を書きます。1chapter1作品、短編集です。この一作品に連載していきます。
少女の日
雨を切らした曇天が、暖かい光によって開かれる、美しい情景だった。
光は雲間を縫って地上へと進み、それはまるで阿弥陀聖衆の迎えのように、人びとをほかの何も持たないはかない存在に想わせ、美しい世へ連れ出してしまいそうな誘引性のかぐわしい光だった。
そのような開かれた情景は、やはり、育ち盛りの少女をも引き付けていた。少女にはその光がどんな光に見えたか、好奇心旺盛な彼女の頭には、平安時代の歌人たちの夏の和歌や夏雲から発想した気象学、物理学、天球から理を得る地理学、音楽、絵画、アニメーションまでの知識が怒涛にあふれ出し、身の内壁から知覚する器官へと打ち寄せていた。
外界の限りない光の発現と自分自身のため込んだ知の発露は、一人の人間を中心にせめぎ合い火の粉を散らした。
そのような折衷の喧嘩などつゆ知らぬ少女は、その縦横にも拓けたような知識が頭を満たしても、心は景色に奪われたままだった。毎夜眠るときに湧き出す泉のような知の洪水が、具体を得て経験に結び付いたのだった。
そうした、生きている継続の内に富んでいく内面を、今、少女は素直に受け入れていた。いくつもの物語に触れて予感してしまうあれこれも、ただ感覚する存在の一個人は、美しさの中の生活を疑いはしないのである。
風が吹きさらす地、少女は直さなかったふんわりとした髪を振って、目を覚まそうとしたが、ついにそれは果たされなかった。すっかり明るくなった空と夏の木とセミの声が、いつのまにか自分自身を中心によみがえるような心地がしていた。【了】
思い出
花が散って落ちる間や、落ちた後の未だ新鮮な花びらを、人が拾って持ち去ったら、花びらを落としたその植物はどう思うのだろう。虫を踏みつぶしてしまったときの罪悪感と同じ、苦いものだと彼女は思った。救われないのはわざとではなかった時の思い出である。
穏やかに季節を感じられるある日、幼いころの、自然と戯れた記憶を、長く時間の空いた日々に思い返していた。始めは、いつか作った押し花のしおりをどこに挟んでおいたか、思い出そうとしていたのだった。
彼女は探そうとして、重い辞書の並ぶ書棚の前で座り込み、目に映った言葉を反射的に反駁しながら、しおりを探すという目的のもとに辞書に没入していった。―(言葉の羅列)。
思考はこうして、頭に新しく思える言葉に触れることで、生き生きとするものである。言葉はいくつもいつまでも頭に残り、生と死という問いがいよいよ現実味を増していた。―(英単語の羅列)。
時の流れが人と本に影を落とし、いつの間にか目の前に耳に掛けていて流れ落ちた髪のひと房が気になりだした頃、彼女は頬と額に熱を感じる頭を、ようやく起こした。半ば半眼のように超越した視界で言葉の世界を見下ろしていた時、心は滝ように次々と新しい感情をもっては忙しく異なる感情を持った。それは、共感が生み出した、人間に限らない生物的現象のひとつだった。
しおりは彼女の手にはなかった。喪失感を全身に感じていた。燃えるような夏の日、夜はいつになく冷え込んだ日でもあった。
記憶の中にとどめたしおりは、当時の喜びと今の悲しみを内包している。彼女はそのまま、しばらく辞書の重みを脚に感じながら、沈静として彫像のように動けずにいた。
腰かけ椅子の人
滑らかな背を向けて、小机に肘をついて、頭を少しだけ前にもたげて、女性が景色を眺めていた。白い小屋の、高床のベランダに椅子を引っぱり出しては、彼女はよくこうするのだった。
何をしているの? どうしてそうしているのかしら?
私は聞くすべを持たずに彼女の後姿だけを見ている。
いつしかその背は日が健康的に染めて、一層柔らかそうに見えた。彼女は本は家に戻って読む。編み物も、ちょっとした縫物も、女性が外に出てしそうなこと――手先の暇を癒すためのもの――を彼女はしない。私はそうして椅子に腰かけているだけの彼女が、実際には心の内で何を試みようとしているのか分からない。
けれど、彼女が、そう、今も……そのように。時折泣きそうに頭を揺らす様子を見て、少しだけ心の発露が見えるように思うのだ。彼女はそのあと、矢張りなおも、じっと外を見る。その外も、私が見ていて彼女の心がわからないように、彼女にも外のすべてわかるわけではないのだ。
しかし、きっと彼女は見えないものを見ようと試みている。
人の心は外のものをどれだけ理解できるだろうか……。
ああ、今日もその時間が終わった。彼女は椅子をもって片づけに、小さな倉庫へ行く。
彼女の右手が静かに扉が閉めて、私は静かに眠りについた。
じゃれ
ふたりが、冬の獣のようにじゃれあう。
家の外はいくつかのハーブの植木鉢と、前の居住者が植えたのだろうハナミズキと、弟がねだった若いシマトネリコの木、チューリップやアジサイが、咲いてはいないのに庭に彩りをみせていた。
くすんだ白い壁面、古い家の縁側に、二人はならんで座った。広いベランダ用の西洋風の装飾的なテーブルを寄せて、男はアイスコーヒーを、女はハーブティーを、時々飲んでいた。
ふたりは三日に一度はこうしてあたたかな昼間に部屋を出て、お互いの愛情をわけあって、過ごしていた。
こうしたふたりの暮らしを、たぶん誰も見てはいなかった。日差しがだんだんと強く照り付けるようになった。
季節の機敏を、ふたりはよく気が付いた。そっと触れ合うくらいの、生々しさのないじゃれ合いは、だれかが見たら野生の獣の何かが、慈しみあうように錯覚したかもしれない。
たとえありふれた人間社会が二人を囲う住宅街のど真ん中にあっても、書き表せる今までだけは、ふたりはこのように過ごしているのだった。
ふとした、感覚的な了解を得て、女が先に立ち上がり、二つのコップをとった。男は振り返って縁側の窓を開け、テーブルを片付けて、家に入った。
ふたりの縁側、風が通り抜ける庭、閉められた窓、残されてなおあり続けるものに惹かれたのか、スズメが庭に下り立ち、辺りをついばみ始めた。
いま、徒然草