さびれたコーヒーショップ
茶色が買った重たい黒い色をした液体、カップから立ち上る煙、すっぱいようなにおい、その飲み物には、疲れを麻痺させる効果がある。
「昔は、やっていたんだよ、昔はね」
店主の気風が垣間見えるようだった、客への返答は言葉少なく味気なかったし、こびをうる態度もなかった、いらっしゃい、の声さえどこかマイペースな感じをうける、だが客はとても楽しそうだ、めをみひらいてコーヒーの匂いを嗅ぐ客もいる。それもそうだ、ここはただのコーヒーショップ、昔とは違うのだその方が私もたすかる、これでよかったのだ。客は諦めてレジへむかい、マスターはすぐにそれを察知して会計へとむかった。
「そうかあ、残念だな、カフェオレ、あれでシメるととてもいいんだが、じゃあマスター、豆をくれ、いつものやつ」
「はいよ」
この店のマスターのもうひとつの顔はよく知られている、かつてマフィアとかかわりがあったらしいのだが今では見る影もない、それに彼は……とてもさっぱりとした顔立ちに短いヘアスタイルでスーツ姿、くちひげあごひげも綺麗にととのえられていて、とても好感のもてるようなダンディな男性になっていた。
「餌をやらないとねえ、飼っている小鳥に」
「そうかい、それは早く帰らないとねえ、もう11時だ」
客との会話にすら、ところどころ意味深な感じをうける、そう、ここまでは私はただの一般客でよかったのだ、小鳥の隠語を理解するまでは、小鳥はあちら界隈の隠語であって、つまり裏界隈の危ないものを売りつける商売先、お得意様というわけ、この客はただの客ではないだろう。ではコーヒー豆とは、普通のものだろうか?私にはわからない、ただこのおやじが、もう何十年もたって私の顔も忘れているだろう、だが確かなことは、私の眼が証拠だが、この店のマスターがかつて私の同僚の命をうばった、復讐……いいや、あのあとどうしているかがきがかりだっただけだ、一度刑務所にはいったというがそのあとが、それだけが気がかりだったのだ。ともかくコーヒーを一杯すする事にしよう、匂いで気がまぎれるようだった、それほどにその一杯の味はこれまでよりも濃厚に感じた。
「カタカタカタカタ」
今更気がついた、店内にかかわらず私はハンチング帽をぬいでいなかった、左の手で自分のすぐ傍の左側、半人分くらいあいた座席におろしておいた、逆側も座席はあいていたので広く隙間があった。椅子はソファーの席だからいつらでもくつろげる、私が座ったのは出入り口をまっすぐいくと丁度曲がり角で影になっている部分だ、右にくぼんで、壁がついたてになり、そこからソファー席がならんでいる。
驚いたことに顔から汗がふきでていた、私はさっき、マスターが足を洗ったと思い安心していたのだ、コーヒーを持つ手がふるえる、あの日の怒りがよみがえる、まさかマスターがまだ裏社会とかかわりがあるだなんて、そんなわけはないだろう、もう少し耳をそばだててみよう、それに隠語だなんて、そんなものは日常会話に紛れていて違和感がないようにできているものだ、それが日常会話ではないとどうしてわかるだろう、だって私は、もう警察官をやめたのだ、何の証拠も権限もないのだ、いや、だからこそ、ひたいにびっしりと汗をかき、ただコーヒーをかきまぜああでもないこうでもない、と何杯も砂糖やクリームの量を試し試しに調整しておかわりばかりをして、暇つぶしをしているのだ。
私は窓辺の席でガラスごしに街をみた、きっと5年前と何も変わらないまちをみた、暖房が効いた室内はとても暖かい、外の寒気とのコントラストでこの季節特有の情緒を感じざるをえない、指先は小声震えている、それとかわってやっと胴体は温まりはじめてきたころだ。しかし、なんということだ、この街も私も老いた、長い時間がたっていた、指先はかじかんでいる、それだけで腕が落ちたとわかる。それに私はもうすぐ故郷へと帰る、だからこそあの日を終らせたかったのかもしれない、早く会計を終らせよう、きっとなんでもないとわかる。それからああだこうだ、雑誌や新聞を読んで、きがついたら一時間ほどたった、私が席をたつと、マスターもそれを察知して私と目を合わせた、私は一度目をそらし、レジのテーブルのそばまでいってうつむき加減に長財布の切り口をチラリとみながらこう話しかけた。
「マスター、昔ここで警察をしていたんだが、私を覚えているかい?」
「ビクッ」
警察官だったころの勘だ、そのしぐさは黒、何かしら後ろめたいもののある人の動作、マスターはまだ、裏社会とのかかわりをたてずにいるのか、ならばさっきのは隠語だろうか。しかし、私にはもはやすべもない、私がここへきたのは、それが理由じゃない。
「お父さん、お父さん、アメもらっていい?」
「ああ、いいよ、だがこの人の会計がおわってから自分のお金で買うんだよ」
「はーい」
丁度おくから子供さんらしき小さな男の子がマスターにかたりかけながらかけて来た、私は特に驚かなかった、なぜならこのあとに言う言葉をその偶然が後押ししたのだから、それもある意味では隠語のようなものだったのかもしれない。
「時効だよ、それは知っている、ただあんたが足をあらってたら、俺はこの街が好きでいられたんだが」
「……そうだね、そうだ、俺には、わからねえよ」
私は汗をかいていなかった、マスターは汗をびっしりとかいていた、私はこどもをちらとみて、にっこりとわらった。
「難しいこともある、あんたが決めることさ、俺も年寄りだ、ただふらりとこの街によってみたかったんだ、なあ、昔の相棒にあいたくてさ」
会計がおわった直後、そういって店をでる、マスターは珍しく媚びをうったように頭を下げていた、子供さんはそのマスターのひじを左右上下にゆさぶっていた、私は私のコートの内側、ジーンズの腰の左ポケットの拳銃には手がとどかなかった、護身用と家族にいったのは、嘘ではなくなっていた、私には、その何十年という年月があまりにも長すぎたようだ。
さびれたコーヒーショップ