無職の世界

引きこもりの無職

 私は、近頃よく夢を見る。夢では永遠に16歳だ。
 夢では若いけど、今の年齢は夢より年齢が上。今の私は引きこもって5年、年齢は25歳、無職の親のすねかじりでとても楽しく暮らしている。でも、最初は楽しくなんてなかった。親に怒られるし、怒鳴られて私は傷つきリビングに近寄れなくなった。私は一日一食しか食えなくなる。ガリガリになり頬は痩せこけて囚人のようなオーラが目立つ。これも前世の悪行のせいかな、と思いたくなる。ニーチェは言った。

平和な状態にあるとき、好戦的な人間は自己自らに襲いかかる。

と、今は平和だ。日本は戦争はしていない。私は引きこもりだが以前は不良人間だった。とても穏やかで能天気な不良人間だった。しかし、今は違う。自己に悩み、神経質で小賢しい立ち振る舞いをする小手先だけの卑しい人間に成り下がった。いや、もともとこれが私の本質で、そうゆう人間だったのかもしれないが人間の本質を変えるには、やはり一度死ぬしかないだろう。でも私は今を変えたいが死ぬほどの勇気を持って今を変えたくはない。やはり安住の地にいたいのが人間なのだろう。私はこんな動画を見た。人間はなぜ世界に散らばったか、それは食料を追ううちに世界へと散らばったそうだ。はるか昔は狩猟採集を行い人間は生きてきた。安住の地があれば日本まで遠いご先祖様は来なかったであろう。戦うのは大事だ。殴り合いではなく、自己を確立し正義で戦う、その姿勢だけでも戦ったと認められる。だが、やはり行動に合致し相手を打ち負かさないと、この世は良くならない。姿勢だけで飯が食えれば私はこの世に不快感を持つ。相手を殺し、この世から抹殺しなければいけない。それが私の信条だ。
 人間には二種類いる。戦う人間と戦わない人間。私は今、引きこもりだが戦わない人間になると思っている諸君。考察が大変甘い。私は今、猛烈に戦っている。この世で一番戦っているだろう。この現実は変わりない定め。現実の上の現実。だが、私は何と戦っているのか、それを教えよう。その敵とは人間社会だ。私はこの上とない相手で大変満足している。相手は私の宿敵、無職では最高の敵だろう。三度自殺未遂で殺されそうになったが、私はのちに生還した。大変な幸福な出来事で運が私に味方した。一度は首つりで失敗し、二度目も首つりに失敗し、三度目は餓死で失敗した。三度目は神社で餓死しようとしたが神社の近辺に住んでいる人にカレーを御馳走になり生還した。私は死なない。憎き人間社会を打倒するまでは。
 私は引きこもりになったのは何月何日だろうか、私の脳みそは死んでいる。運が底をつき思考もなにもない空虚な時間が過ぎていく。この世界で何が起こっているのか何も知らない。何も興味がわかない。知識欲も何もかも性欲もなくなった。食欲もない。あるのは睡眠欲。この睡眠欲も惰性で生きている私の為にあるようなものだ。生きている価値もない。死人と同じだ。ただ飯を食うために生きているようなもの。いっその事この世かおさらばしようか。だがそんな気すら起きない。私は終わった。
 そうだ。精神病院に行こう。冬が来る前に。
精神病院に来た。この世の終わりだと思った。私は社会に負けた。なにもかも捨てて旅に出たい。今度こそこの人生に終止符を打ちたいのだ。だが、それすらもう出来ない。私はこの世に負けたのだ。
 

無職の世界

無職の世界

無職が意気込んでいるが、結局精神科にかかる

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-13

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