喋り好きの見た夢
できるからこそ嫌気がさしている。私は口がうまいという、といっても面白いとか饒舌とかそういう単純なことではなく、人をだます嘘をつくのがうまい、それも私にとっては、私が正しいと感じている嘘だからたちがわるい。
「ただしい、と思っているのだ、そのときは……」
だってほかに何ができるだろう、私にはひとの死期が見える、だから私は、本当のことをいわない、いつしかそのくせがみについて、相手にとって都合がいいだろうという嘘を並べ立てるようになった、若いね、とか、きれいだね、とか、うまいね、とか、誰でも言う嘘なのに、どうして罪悪感にかられるのだろう、と考える。それはきっと、私の苦笑いが人にばれるからだ、だから私はいつしか顔をかくすようにして、それから嘘は、一度も人にばれなくなった。完璧なウソだ。
私はいつだって嘘をいう、始まりは必要性にかられて、そしていつだって嘘をつく必要性をさぐるようになった、日常の中で、人をほめるとき、自分の知られたくない事を隠す時、今だってそうだ、どうやって言葉を紡ごうか考えている、修了式は午前だけでおわった、さっきからお腹がすいてる、それを親友にだまっている。駅前で切符を買いにあるき、制服にマフラーをつけた親友の、同性の少女をみる。少女は私に尋ねた。溜息は白い、私のセーラー服には、昨日のシミがのこっている。コンクリートの地面が視界の下を走り抜けていく。
「また来年、こうして一緒にいられるといいね」
「うん、一緒にいられるよ」
私はまた嘘をいった、何がわるいというのだろう、だって私は、今度こそ私のためのウソをいったのだから。
喋り好きの見た夢