僕は僕を探しに地下鉄に乗る。

プロローグ

「長いものに巻かれろ。」


僕の人生は、この言葉に尽きる。
小学校の頃、学校の先生は個性を大切にしましょうと言いながら、僕たちに「公式」と「当たり前」を教えた。

「何でみんなと同じようにできないの?ちゃんと実物と同じように描かなきゃダメでしょ!」

先生は、そう怒鳴ると、隣の席の生徒が描いていた紫の縞模様の花の絵を取り上げた。

隣で困惑しながら泣き出す男の子には目もくれず、僕は黙々と花の絵を描いた。どこにでもあるような、黄色と赤のチューリップ。先生に言われた通り、忠実に。

授業参観に来た僕の母親は、教室の後ろに最優秀作品として飾られたその絵を見て心から安堵する。

「ああ、ウチの子は、なんてすばらしいのかしら。」

中学の頃、クラスでいじめがあった。クラスの大半がいじめる側だったから、巻き込まれないように、僕も周りに合わせてその子を無視した。先生からの評価を下げるといけないので、傍観者に徹した。数ヶ月後、その子は学校に来なくなった。「普通」から逸脱したんだから、居場所をなくすのは当然の事だと思った。

この頃笑顔がとても便利なツールだと言うことに気がついた。進路相談の時には、練習してきた笑顔でこう答えた。

「将来は、そこそこ良い会社に入って、温かい家庭を築くんです。」

高校になったら、友人関係の調整が上手くなった。
スポーツの話とバラエティ番組の話、時々ゲームや漫画の話も使い分ける。女の子相手には、流行りの音楽や甘いものの話が無難で便利だ。学力テストやスポーツでは、上の中をキープ。嫌味に思われない為に、決して1位はとらないように努力した。先生方は、僕にこう言う。

「お前は、本当になんでもできるな。」

大学は、そこそこ知名度のある国立大学を選んだ。
顔はよく覚えていないが、友人もたくさんできた。バイトとサークルの話と、程よい相槌。ゼミや講義では、真面目な姿勢を教授に見せる。周りの学生に嫌味に思われないように、適度にふざけたり、評価が下がらない範囲でわざと忘れ物をした。大学時代の僕を、周りのみんなは、口を揃えてこう言う。

「あいつって良いやつだよな。」

大学卒業後、親に言われた通り、中堅の、しかし、知名度の高い企業に営業職として就職した。与えられた業務は、確実にこなした。同期からの反感を買わないために、そこそこの成績で、なおかつ上司に気に入られるよう、細心の注意を払った。今日も笑顔で上司への挨拶を怠らない。

「先日は食事に招いていただいてありがとうございました。その後娘さんお元気ですか?」

誰が見ても僕のことを「普通の良い人間」だというように生きてきた。

他者からの評価に差し障りのないように。
完璧に。忠実に。

普通こそが幸福。
周りが期待するように振る舞えば、人生を間違える事はないのだ。
そう、間違いはない。きっと今の僕は幸せなのだ。


ある日の仕事帰り、僕は、地下鉄の前に身を投げた。
理由は自分でもよくわからない。
いつも通りの、完璧に演じ切った1日だった。
何も間違えてはいない。

ただ車両が僕の体を引き裂く刹那、
両の手に赤と黄色の絵の具を握りしめた少年が、立っているのが見えた。
恨めしそうにこっちを見降ろしながら、ゆっくりと口を開いた。


「僕だって、好きな色で描きたかったのに。」


視界がノイズ混じりの闇に変わり、揺曳する意識の中で悟った。


ああ、そうか。


とうの昔に僕は、


「自分」を殺してたんだ。

第1章 人生ゲームに死ぬマスなんてない。

「あんちゃん。あんちゃんってば!」
聴きなれないしわがれ声に目を覚ました。
「飲みすぎはあんちゃんの勝手だが、こんなとこで寝てたら風邪ひくぜ。」
どうやら公園のベンチで眠っていたようだ。
「ああ、すみません。疲れてて。」
「まあいいけどよ、公園で寝るのは物騒だから気ぃ付けなよ。」
そう言うと初老の男性は、大量の空き缶を背負い、立ち去った。

おかしい。明らかにおかしい。
僕は確実に死んだはずだ。四肢が断裂し、体温が低下していく感触がまだはっきりと、生々しく残っている。しかし血にまみれたはずのスーツには、汚れ一つ着いていない。いや、そもそも、なぜ公園のベンチにいるのだろう。
周囲を観察したが、誰もいない。たまに風が古びたブランコを揺らして、不快な金属音を鳴らす以外音もない。どこにでもある公園だが、空間に何かが欠けているような違和感があった。公園にしか見えないが、ここが噂に聞くあの世なのだろうか。

「お前さん、人生ゲームはやったことあるかの?」
いつの間にか隣に70代くらいの老人が座っていた。黒いキャップ帽に、兎の刺繍が入った赤いジャケット、下は緑のステテコという奇妙な格好をしたその老人は、続けて口を開いた。

「わしはあれが苦手でな。だいたい億万長者を目指す以外にゴールがないゲームなんてつまらんじゃろう。結婚も一回しかできないじゃん。」
「そうですね。ぼくなら職業を得て家庭を持ったら、その時点でゲームを辞退しますよ。」
「まあお前さんはそう言うじゃろうな。ところで、わしは自殺ほど自分勝手なものはないと思っておる。」
急に穏やかな老人の声にわずかな怒りがこもるのがわかった。
「自殺?」
「そう自殺じゃ。お前さんが行ったな。」
「じゃあやっぱり僕は死んだんですね。ここはあの世ですか?」
「結論を急ぐでない。お前さんが飛び込んだ後、どれほどの人間が不幸になったと思う?列車は運航中止。職場から母が入院している病院に向かおうとしていた美しい女性は、お前さんのせいで母の死に目に会えなかった。お前さんをひき殺した運転手は、精神を病んで、もう職場復帰は無理かもしれんの。」
「それは、本当に申し訳ないというか、お気の毒ですが、僕は、僕がなぜ死のうとしたのかよくわからないのです。」
「そう、お前さんを殺したのは、お前さんの潜在意識じゃよ。本心といったほうがよいかの。」
「本心?僕は死にたがっていたのですが?」
「そうではない。お前さんは、只疲れたのじゃ。本当の自分を押し殺し、よくいる普通の人間を演じることに。」
老人は、持っていたビニール袋からカップ酒と柿ピーを取り出し、話を続けた。
「実を言うとな。ここ数年この国では、自分を持たない若者が環境に飲まれてアイデンティティを見失い、自殺するケースが増えておる。上は、現状をかなり危惧しておるんじゃよ。」
「はあ。」
「そこで上からの命令で、お前さんに目をつけておった。幼少の頃から他人からの評価ば
かりを気にしていたお前さんをな。」
「僕?、ですか?」
「残念じゃが、お前さんは「自分」をもっておらん。本心を押し殺し、流されるがままに生きてきた。お前さんが死のうとしたのは、その矛盾に耐え切れなくなったからじゃ。」
なぜか死ぬ直前に見たあの少年を思い出した。あの冷たく見下ろす眼を。
「そこで身勝手な死に方をしたお前さんに試練を与える。もう一度自分の人生に向き合うのじゃ。今度こそ自分らしく生きるために。」
「もう一度?生き返るんですか?僕。」
「生き返るというよりやり直しじゃよ。お前さんを11年前に戻す。お前さんが最も自分を押し殺した時期に。お前さんがもし本当の自分らしさを見つけた時は、もう一度人生を歩むことになるじゃろう。」
「自分らしさを見つけられなかった時は、どうなるんです?」
老人は、カップ酒をあおって、柿ピーをつまみながら、薄く笑った。
「そのとき、お前さんは消えるよ。この世にお前さんが存在した形跡は何も残らん。」

少し考えた。
僕は、自分のために何かを成し遂げたことがあっただろうか。
自分自身の望みを知ろうとした瞬間は一度もない。周囲の人に言われるがまま行動してきた。
浮かないように、周囲の環境に、人間関係に擬態してきた。
それを、その事を、後悔しているのだろうか。あの時、ホームに立っていた少年は、憐憫と憎悪が入り混じった眼をしていた。人生ではじめて向けられた冷たい視線。あの少年が僕の本心ならば、向き合うべきなのではないだろうか。今度こそ自分と。

「わかりました。やってみます。」
2杯めのカップ酒を開けようとしていた老人は、手を止め、穏やかに告げた。
「では、どうかお前さんに良き人生があらんことを。」
カチッと何かが切り替わる音が鳴ると同時に、公園が白く輝きだす。白光が視界を完全に飲み込む前に、思い出した様に尋ねた。
「そういえば、あなたはいったい誰なんですか?」
「わしか?名はたくさんあってな。家族には、オオクニと呼ばれとるよ。」

僕は僕を探しに地下鉄に乗る。

僕は僕を探しに地下鉄に乗る。

自分らしく生きるってなんだ。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-12

Copyrighted
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  1. プロローグ
  2. 第1章 人生ゲームに死ぬマスなんてない。