蜘蛛の巣
茸のファンタジーです。PDF縦書きでお読みくださ
春爛漫の林の中、生えて二年ほどの小さな二本のドングリの木の間に大きな蜘蛛の巣がある。
その真ん中に、赤い茸が引っかかって揺れている。
赤い色がちょっとあせている、小指ほどの小さな茸だ。
赤い茸は思っていた。
去年の秋、もう冬になる間じか、傘を開いて胞子を飛ばすことができなかったなあ。だから冬の寒さで色あせてしまった。
女郎蜘蛛がゆっくりと寄ってき手足を伸ばした。前足が赤い茸の傘に触れた。
「なんだい、これは、虫じゃないね」
女郎蜘蛛は目が悪いようだ。糸が揺れないとどこに何があるのかよく分からない」
「あたいは茸だ」茸は大きな声を上げた。何せ女郎蜘蛛の前足がじゃまだ。
「なんざんしょ、茸なんかがかかりやがって」
女郎蜘蛛は足をどかした。かなりひどい言葉使いの女の女郎蜘蛛である。
赤い茸も負けてはいない。
「あたいは何でこんな貧乏ったらしい蜘蛛の巣なんかにひっかかちまたのだろう、しかも雌グモのね」
「貧乏ったらしくて悪うござんしたね」
「鬼グモみたいに堂々とした巣を作りなよ」
「それで何でかい、しょぼくれた、あせた赤い茸がなんで、あちきの巣にかかったんだい、太った金バエならいざしらず、このとんちき」
「なんだい、せっかく空中旅行を楽しんでいたのに、こんな蜘蛛の巣に引っかかっちまうなんて、なんてこった、どうせなら、かっこいい、蜘蛛の巣にのっかってみたかったよ」
赤い茸はひょんなことから、飛び立とうとし羽を広げた亀虫の背中に乗っかってしまった。
それは土竜が赤い茸の下を勢いよく走っていったお陰だ。土竜は逃げる蚯蚓を逃すまいと急いでいたのだ。それで茸は土ごと跳ね飛ばされて、亀虫の背中に落っこちたってわけだ。まあいい、どこかにいってみたいと思っていたところだ。
赤い茸を背負って飛びたった亀虫のやつは、すぐに蜘蛛の巣に突っかかり、亀虫は何とか脱出したのだが、赤い茸だけが蜘蛛の巣に取り残されたのだ。それで、赤い茸は蜘蛛の巣で揺れているわけだ。
女郎蜘蛛の姉さんは、亀虫を食い損ねたと、飛んで行く亀虫を追っていたのだが、亀虫が蜘蛛の巣の端っこに引っかかっとき、亀虫の背中から落っこちて真ん中へんにひっかかった赤い茸に気付かなかったわけだ。茸は動かないからね。
「あんたの乗ってきた亀虫のアホは、結局、わちきの旦那の巣にひっかかって、食われちまったんだよ」
「あれま、そうなんだ、あの亀虫、蜘蛛に食われちまったのか、もっと高いところを飛びゃあ、蜘蛛の巣にひっかからなかったものを」
「おまえさんが乗っかっていたから重かったんじゃないか、だいたい、茸が空を飛びたいなんて思うのがまちがえじゃないかえ、土に埋もれてりゃあいいのさ」
「何をお言いだい、お前さんは巣の上では早く歩くが、土の上におっこちれば、よたよたとしか歩くことができないじゃないか、まるで怠け者みたいに、のったりのったり、座頭虫みたいに、ささーっと歩いてごらんよ」
「よけいなお世話さ、自分で作った糸の上を歩くのが一番さ、たまに、あんたみたいな中途半端な生き物がひっかかって、じゃますることがあるけどね」
そこで、いきなり蜘蛛の巣が大きく揺れた。
「危ないじゃないか、この蜘蛛の巣はやわだね」
赤い茸が大きな声で騒ぐと、やっと揺れが収まった。ががんぼがひっかかってもがいている。
「馬鹿だね、こんな巣にひっかかって」
赤い茸の言ったことに、ががんぼはうなずいた。
「まったくだ、こんな下手な蜘蛛に引っかかっちまうなんてしょうがないな」
そこへ女郎蜘蛛が近寄って、
「今日初めてのおまんまだ」
そういって、糸を吐き出した。ところがががんぼは長い足で、女郎蜘蛛をひっぱたいた。
「痛いじゃないか」
女郎グモが食おうともっと近づくと、ががんぼは六本の足でメタメタに蜘蛛をたたいた。
ががんぼは一枚の羽を蜘蛛の巣にひっかけただけだったので、六本の足が使えたのだ。長い足だから、女郎グモがががんぼに近寄れない。
「おい、赤い茸のお嬢さんよ、こんなぼろ蜘蛛の巣、こうすりゃ、大穴があいちまうよ」
羽を大きく動かすと、ががんぼは簡単に巣から離れ、「ばいばいよ」と飛んでいってしまった。
蜘蛛の巣にはががんぼが言った通り大きな穴があいた。
「ほら、もっとぼろくなりやがった」
赤い茸が笑ったので、「なんだい、自分じゃ動けないくせに、あたしの巣から離れてごらんよ」
赤い茸はそういわれて、しゃくに障ったのだろう、一生懸命ころっとした胴体を揺らしたのだが、蜘蛛の巣は揺れなかった。
「ほらごらん、茸は動けないんだよ、それを無理するからこうなるんだ」
女郎蜘蛛は笑ったのだが、赤い茸はなぜ女郎蜘蛛が近づいてこないのか不思議だった。
「あんたさん、あたいを何で、糸でぐるぐる巻きにしないんだい」
「茸なんて食いたいと思わんね」
「あたいはうまい茸なんだよ」
女郎グモは、きっと毒茸だろうと思っていた。だから近づかなかったのだ。
「茸はどんな汁をもっているのかい」
「汁ってなにさ」
「あたしら蜘蛛や虫には体液っていうのが流れていてね、そりゃ栄養に富むのさ」
「あは、そんなものなら、あたいの体の中にはそりゃうまい汁が、あふれるほどあるんさ、蛞蝓や茸虫なんか目の色かえて寄ってくるわ、人間だってね」
「人間に食われてどうするのさ、あちきなんかにゃ寄ってこないわ」
「そりゃそうさ、黒に黄色の毒毒しさは、いやがられるさ」
「あせた赤茸なんかよりずーっと綺麗だわさ」
そこに一匹の小型の蜘蛛がやってきた。黒と黄色のまだらではなく、汚ったない茶色をしている。。
「腹減った」
「何さおまえさん、食い物はかかってないよ、あちきだって、三日も食ってない、おまえさん、亀虫を食ったろう、自分で蜘蛛の巣を見張ってりゃいいだろう」
「そこにかかっている赤いのは食えないのか」
「ありゃ毒茸さね」
「俺たちには毒じゃねえかもな、食っていいか」
小さな女郎蜘蛛が、かみさんの巣に飛び乗った。
赤い茸はびよんびよん揺れた。
「あたしゃ知らないよ、お前さんが死んだって」
「もしや、あんたさんの旦那かい」と赤い茸が尋ねた。
「そうだよ、役たたずのこんこんちきだ」
「そいじゃ、ちょいと吸わしてやろうかね」
赤い茸が蜘蛛の巣にひっかかったまま、しなをつくった。その赤い茸のしなが、女郎蜘蛛の旦那には何とも魅力に見えた。
女郎蜘蛛の旦那は赤い茸に飛びかかると、けつから糸を吐き、あっと言う間にぐるぐる巻きにしちまった。
雌の女郎蜘蛛は「バカだね、動かない茸を糸で巻いてもしょうがないじゃないかい」と言ったのだが、雄の女郎蜘蛛は「糸で獲物を巻くのは動かなくするためだけじゃねえ、みろこの見事なぐるぐるまきを、食べる前の儀式だぜ」と胸を張った。
赤い茸は銀色の繭になっちまった。
「蜘蛛の糸って言うのは肌触りがいいもんだねえ」
糸に巻かれた赤い茸からくぐもった声が聞こえた。
それを聞いた雄の女郎雲は
「うるせい、まんまはしゃべるな」
と、赤い茸に噛みついて汁を吸った。
「お、うめえ」
そう言ったとたん、こロリと死んでかみさんの蜘蛛の巣にぶらさがってしまった。
「ほらごらん、毒茸に決まってるさね」
雌の女郎蜘蛛がそう言ったとたん、ぐるぐる巻きにされていた赤い茸が糸の繭から転がりでてきた。蜘蛛の糸が茸の重さに耐えられず破れてしまったのだ。
「ありゃ、旦那の糸は弱いね、破れちまったじゃないか」
しかし、でてきた赤い茸はまた雌の巣にひっかかって揺れている。
「かみさんのは強いね、あたいが乗っても破れない」
「そりゃそうだ、あちきの旦那を殺した罰だ、ずーっと引っかかったままでいな」
「なにさ、あんたが、旦那のこと、役立たずのこんこんちきと言っていたから、あたいの体液に毒を作り出してやったのさ」
確かに雌の女郎蜘蛛はそう言っていた。しかし、それは連れ添った相手への愛情の一つの現れにすぎない。そこは植物と同じに交尾の経験のない茸は計り知ることができなかったのだろう。
「よくも旦那を殺してくれたもんだね」
雌の女郎蜘蛛が目をつり上げて怒った。
「なんだ、殺しちゃいけなかったのかい、あたいら茸は正直だからね、おまえさんの為に殺してやったのさ」
「こんないい宿録はいないんだよ」
そこにまた小さな女郎蜘蛛がやってきた。
「姉さん、兄さんはどうしたんでえ」
旦那の弟のようだ。
「この毒茸に殺されちまった」
「そりゃ兄貴もご愁傷なこって、だがあんなに稼ぎの悪い奴のことは忘れちまってくださいよ、あっしは前々から姉さんにほの字でねえ」
雄の女郎蜘蛛はいきなり巣の上に上がってくると、雌の女郎蜘蛛の背中に飛び乗った。
「馬鹿、なにをするんだ、この盗人、旦那がつる下がっているわきで、あたしの体を奪うなんて不届きじゃないか」
「へ、死んだ兄貴は何を見ているのか、三途の川で水が怖いなんていってるぜ」
大きな雌の蜘蛛は体を揺すった。
雄の蜘蛛は何とかかじりついてまぐわっちまった。
「蜘蛛の色ごととあ、面倒だね、面白いものをみせてもらったよ」
赤い茸は揺れる蜘蛛の巣の上でニタニタ笑っている。
精を放たれちまった雌の女郎蜘蛛の目がまたつり上がった。
旦那の弟は力つきて蜘蛛の巣の上でへたばっている。
「ふざけた奴だ」
雌の女郎蜘蛛がいきなり長い前足を振りかざすと、弟蜘蛛に襲いかかった。わっと声を上げたが、それもつかの間、雄の蜘蛛は糸でぐるぐる巻きにされちまった。弟蜘蛛は何とか逃げようともがいた。雌の女郎蜘蛛が噛みついた。あっと言う間に動かなくなった。
「あんたさんの毒もすごいね」
赤い茸が驚いていると、雌蜘蛛はもっと怖いことを言った。
「ははは、毒じゃない、こいつは死んでいないのだわさ」
「まだ生きているのかい」
「そうさ、生きている獲物の汁がうまいんだ」
それには赤い茸もぞっとした。
雌の女郎蜘蛛はぐいと口を雄蜘蛛に深く差し込み、ゆっくりと汁を吸った。
しばらくすると、雌蜘蛛は糸でぐるぐる巻きにした吸い殻の義弟を放り出した。弟蜘蛛は巣からぶらんとぶら下がり、風にふかれて、兄貴の死体とぶつかった。
「動物は怖いことをするもんだねえ」
赤い茸はつぶやいた。雌蜘蛛は口の周りについていた汁を足でふき取っている。
「自分の義理の弟をくっちまうとわね」
それを聞いた女郎蜘蛛は
「そりゃ蜘蛛はいちばんうまいのさ」
と笑った。
その上こんなことを言った。
「赤い毒茸の娘さん、あんたは動くことができない、と言うことは、強い風でも吹かなきゃ、蜘蛛の巣からでられねえてことだわいなあ」
赤い茸はもごもごと動いたが、蜘蛛の巣は揺れなかった。
「あちきは、この巣をすてちまおう、別のところでいい巣を作るさ」
そう言うと、雌の女郎雲は自分の巣を捨てて、でていっちまった。
夏がきて、秋がきて、冬になった。雪が降ってきたが、赤い茸はまだ揺れる蜘蛛の巣の上で、どうしようか考えていた。
こうして、また春がきた。
青い空の上では蜻蛉が舞っている。
あいつあたりが降りてきて、引っかかれば、蜘蛛の巣が壊れる。そうすりゃあ、あたいはまた土の上にもどれる。赤い茸はそんなことを考えていたのだが、なかなか下の方には降りてこない。
長い間眺めていると、空を舞っていた蜻蛉の一匹がいきなり降下してきた。飛んできた虫を襲おうとしているようだ。
虫は下の方に逃げてきた。
あ、虫がこっちに来る、と赤い茸が思ったとたん、虫が赤い茸の乗っている蜘蛛の巣に引っかかった。
蜻蛉は蜘蛛の巣に気がついて、すいーっとユーターンすると、上空に戻ってしまった。
ゆんらゆんらと蜘蛛の巣が揺れ、赤い茸がちょっと気持ち悪くなってきて、虫を見ると、また姉子虫だ。姉子虫とは亀虫のことだ。
バカな亀虫と、赤い茸のが見ていると、蜘蛛の巣をひっかき回して、逃れようとしている。
転がって、茸の脇にきた。そのとき、羽が糸からはなれた。かめ虫は賢明に羽をふるわした。赤い茸は糸ごとかめ虫に引き寄せられた。
かめ虫が飛び上がった。
赤い茸は蜘蛛の糸で亀虫につる下がって一緒に空中散歩になった。
また、亀虫の上に乗っちまった。赤い茸は悪い予感がした。
そうしたら、かめ虫の奴、また蜘蛛の巣にひっかかちまった。赤い茸も転げ落ち、蜘蛛の巣に乗っかった。
まただよ、そう思って見ていると、亀虫に蜘蛛がよっていった。
ありゃ、あの雌の女郎蜘蛛じゃないか。運が悪いね、だけど、やけに細ったね、あの雌蜘蛛は。赤い茸はよくよくと女郎蜘蛛を見た。
女郎蜘蛛のお腹がほっそりとしている。
女郎蜘蛛は亀虫をくるくる巻きにして、あっと言う間に汁を吸っちまった。さらに、かじってみんな食っちまった。
舌なめずりをしながら「ああ、腹が減る」と言いながら、赤い茸を見た。
「なんだ、あんた、また亀虫にくっついてきたんか、あんな臭い虫よく平気だね」
「なんだい、あんただって、うまそうに汁を吸ってみんな食っちまって、したなめずりをしていたじゃんか」
「母親はね腹が減ってりゃ何でもうまいものさ、あちきらは汁を吸うだけじゃないんだよ、腹が空けば身もいただいちまうんだ」
赤い茸は母親って何だと思った。
「もうすぐ、卵が孵るのよ」
女郎蜘蛛が幸せそうに言う。
「なんてこった、おまえさんが殺した義弟の子供を産んだのか」
「ええ、そうよ、種の保存が第一、誰の子供でもいいの」と、女郎蜘蛛はやけに優しく言った。
「気色悪いね、姉さん、もっとしゃきっとしろ」
赤い茸はこの変わりようが気に喰わなかった。
見ると、蜘蛛の巣が掛かっている木の幹に白い袋がつるさがっている。
「あれかい、卵が入っているのは、女郎蜘蛛の母さんよ」
女郎蜘蛛がうなずいたとき、白い袋がやぶれて、半透明の子供がぞろぞろと出てきた。
「ほー、こどもは黒と黄色のまだらじゃないんだね」
茸は傘を広げた。
「これから子供たちは風に乗って世界旅行だよ」
蜘蛛の子供たちはみんなで空を見上げ、風をまっていた。
傘を広げた赤い赤い茸も「あたい等の子供も空を飛ぶんだ」
そう言ったとき、春の微風が木々の間にそよいできた。
蜘蛛の子供たちが糸をはきながら風に乗った。
赤い茸の傘のヒダから茶色の煙が上がった。
「なんだいそりゃあ」
女郎蜘蛛が驚いた。旅にでる子供たちに毒になるといけないと思ったからだ。
「あたいのかわいい赤ちゃん、世界に旅たつの」
赤い茸は胞子を放出したのだ。
赤い茸も母親になった。
そよ風が胞子と蜘蛛の子供たちを混ぜ合わせた。
蜘蛛の子供たちは飛んできた胞子の上に乗っかった。
こうして、赤い茸の胞子と女郎蜘蛛の子どもたちは、いっしょになって、世界に旅立っていった。
赤い茸は思った。
そういえば、土の中の菌糸の網は、蜘蛛の巣のようだ。どちらも子育ての家のようなものなのだなあ。
赤い茸と女郎蜘蛛は、青い空の中を上の方に飛んでいく茸と蜘蛛の子供たちをいつまでも見送っていた。
自分たちのあかちゃんだ。
蜘蛛の巣