スキャンダルと電脳世界

「助手君!!助手君!!君には、スキャンダル好きの人間の心得がわかるかね?そこには人間社会の醜さと美意識のすべてがつまっている」
「はい?どういうことでしょう、こんどはなんでしょう博士、博士?」
「それは悪意と善意の葛藤なのだ、表向きいい人間であろうとする心と、悪い人間であろうとする心の葛藤だ、さあ、目の前のコンピューターを眺めたまえ」
「博士、私にはわかりかねます」
 ごほん、と博士は助手を一瞥し、あきらめるようににらめつけるようにしてみせたが、すぐに別のほうをむき、するどく目を光らせ少し間をおいて、右の窓の外をみた。太陽がくれかかる実験室には、照明もないのに内部から白い明かりが発していた。

 だだっぴろい実験室があった。その中央に博士と助手があった。実験室の入口の右隅には観葉植物、左隅の奥の壁には絵画がかざってあった、どこかの歴史上の偉人らしく、威厳ありげな男が胸を張っている、彼は中年で、異国の制服か軍服かあるいは権威あるものが着用する正装らしきものをきていた。助手は奥の博士に向かい合うようにすわっていた、彼はいつものように博士のいうことにへこへこ言う事をきくだけだ、時に逆らうこともあったが、そういうとき自分が逆らうことに傷つく、それがこの助手の元来の気質だった。パーマのかかった優男風だった。
 博士のほうは自慢の白髭をみみまで三日月形にのばしていた、髪は長く黒髪でうしろでたばねてあった、眼鏡のガラスはとても大きかった。彼ら二人は何もない室内の姿形もない椅子と机にすわっていた。彼等にだけ見えるのだろうか。音もなく、彼等はコンピューターを操作するような格好をして黙々と仕事をしていた。いったん静かになった、しばしの沈黙、この間だけいつも、助手は自分の仕事にとりかかれる。
(ふう、やっとおちついたか、博士の相手は疲れるよまったく)
そういう心が見え隠れする瞳で、助手は博士をにらんでいた、博士はもくもくと手を動かしてキーボードを操作していた。

「助手君!!助手君!!私の知り合いの話をしよう」
「はっ」

(はあ~はじまった、おちついたとおもったのにな)
 助手は博士の無駄話に溜息をつこうとしたが瞬間それを止めた、観葉植物にめをのばし、それから何もない天井や壁をみる、模様もなにもない部屋で、ただ壁の隅には、直線に壁と壁を縫い合わせるような木の板がはりつけてあった。ひとつ心の溜息をついている、助手は自分をふりかえる。あぶない、もう少しで偉い博士に逆らうことだった、自分の生意気さはよくしっている、それがこの助手君だった、しかし、この博士だけは、見下すようなまねはさけたい、なぜならかねてから憧れていたこの時代の大発明家だからなのだ。

「聞いているか、聞いているのか?きみは、今日は調子がわるいのか?」
「はい、はい、はいはいはい」

 助手は仕方なく返事をする、博士はコンピューターをさけるように左に首を傾け、向かい合う助手をみた、助手は形のない椅子とテーブルにこしかけ、しかし博士のほうがみえないように手元の形のないコンピューターを直視している、ひたいには汗がながれていた。
「ふっ、さすがはわが助手いいしごとぶり」
 博士は老人にあるまじき態度と様子でいきいきしてみせた、その手は動いたままだ、左手でコーヒーカップをもち、ごくりとのんだ、彼は仕事をしたまま、人に茶々をいれる。助手が心を痛めていることもしらずにただひたすらに我を通すさまはまさに自由奔放、人の何倍ももくもくと仕事をすすめ彼は髪をかきあげ、ときにかきむしり、ときたまめがねをくいともちあげ、あるいはひげをいじりまたあぐらをかいて考え事を熱心に進めている様子だった、そのくせその最中に話しかける人がほしい、それが彼の研究のスタイルだった。

「助手君これをみたまえ、君のコンピューターにデーターをおくったぞ」
「は、はい」

 それはわけのわからない言葉とグラフの一覧だった、助手は何事か理解したように博士の言葉にその都度あいづちをうってみせた、博士は満足げに話しをつづけた。

「助手君、2300年の今、ビックデータはすばらしいレベルにまで発展した、君の体のほとんどは機械だ、そして我々は電脳世界へ常に接続している
、われわれは高度な人類だ、目の前に椅子や机は必要ないしコンピューターだって電脳空間に存在している、これらはすべて“もう一つの世界”として仮想ネットワーク上に存在している、我々は常に、前時代のインターネットの発達したものに常に接続しておる」

はい、そうですね、と助手はなさけなさそうな声をあげた。

「だがな助手君、まだこの電脳化の手術をしていない人間もいる、機械化もこばんでいる、けしからん、しかし彼等の中に人間の社会の縮図ともいえる作用があるぞ、それはスキャンダル好きということだ、彼等は人の不幸を楽しむ、なぜだと思う?」
「なぜですか?」

 二人の間は二メートル程で、やはり他には、先ほどと同じように何もない空間がひろがっている。だが彼等は透明な椅子にすわり、透明な机に向かい合っている、助手は、さもわかったようにあごにてをのばし、手元のグラフや文字をみる、何の事だかわからない、書いてあることすべてが支離滅裂な意味のない模様のように見える。しかし相槌はつこう、そうでなければこの天才博士についていけない。

「助手君、人間は抑圧された環境とそれを発散させる何かが必要なのだ、人間は必要以上に人とかかわりあうとき、必ず人に対する攻撃性と、あるいはつくられた寛容さをもつ、それは表と裏だよ、人造の肉体を手に入れていない遅れた人間たちは、つねにそうしたスキャンダルや陰口のようなものを必要とするのだ」

 しかし助手は思い出していた、自分の祖父祖母はそんな陰口やスキャンダルを愛さなかったことを、だが博士がいっているのはきっと平均値のことなのだろう、そう思うとうなずけるところがある、だが、何か味気ない気がしたのは、もう、さきほどちらっとみた窓の外の夕日がすでに沈みおわるところだったからだろうか。

「はあ」
 
 助手は力なさげに相槌をうつ。

 博士はまた話を続けていた。

「助手君、皮肉なものだな、これだけ世界の電脳化がすすんだからこそ、機械化、電脳化していない人間たちの姿やデータ、感情や心の働きがありありとみられるということは、しかしどこか悲しいな、彼等を前時代の人間と断じてしまうのは」

 助手はそれにはめずらしく同意を覚えた。

スキャンダルと電脳世界

スキャンダルと電脳世界

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-11

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