亡霊卿

 亡霊に案内されなければ、彼はそこで死んだはずだった。亡霊は右肩にとりついている、その亡霊は良い亡霊だった、中世の騎士の亡霊だった、骸骨の顔をして、騎士の甲冑をまとっていた。友人とともに訪れた心霊すぽっと、長いなまえの、たしか、ユス……なんとか城のそばで……。彼は出口を探して迷子になっていた、なん十キロもある敷地の中で、青年というのにもまだわかくためらわれる彼が、迷子になるのは当然だろう。
 「私はお前の左腕になろう」
 彼の腕は亡霊たちのいたずらで布で両方ともがしばりつけられ、その腕は背後にまわっていたので移動や逃亡もすでに容易ではなかった。がさがさとちかづく音がする、亡霊たちはいたずらでときに腕を、時に足と、時に頭の姿をあらわし、自由自在に探検者を翻弄する。
 「ひい、噂は本当だったんだ」
 親友はわめく、だが、思い出せない、彼の名を、彼の名を思い出せなければこの迷宮からでられないのだ。一日中考えることもある、たとえば喧嘩をしたときに、恨みのこもった彼の本当の名を考えるときがある。夢から出る方法は、その名前にかくされているような、そんな感じさえある、ただひたすら、物音からにげなくてはならない。友人はさきほどまで前を走っていた、長い長い入り組んだ廊下と階段、あまりに迷路じみた建物の構造の中で、彼は友人の足音をうしなっていた。

 彼はいま大広間にでた、長い長い廊下を、柱や小さな部屋のドアに身を隠しながら、屋敷中を走り回る亡霊たちの音におびえて朝がくるのをまつ。それだけが、もはやたった一人の彼に許された最後の、生き残る方法。
 「一人……一人?」
 あたりをみまわした、みまわすと、あるはずの親友の姿がなかった、見渡せなければよかったと思う。廃墟にありがちな落書きや、ガラスのひび割れや、雨漏り、天井にはこけがびっしりとはえ、風がゆれるたび得体のしれない動植物の声がひびく、ぴちょんぴちょんと気味の悪い音、不気味だと嘆いても、足を踏み入れたのは自分の責任。窓の外から月光がさすも、飛び降りられる高さではない。
 「俺がお前の左腕になろう、お前の親友より、いい役割をするだろう」
 親友はいつも自分より先を生きていた、このことはいつも自分のストレスになっていた、思えばいつも自分は彼より遅く、平均的な同世代の人間よりおそかった、恋だの愛だの、それらや友達関係、たばこ、等々、親友は悪びれていたが芯の通ったやつだった。
 「親友の名前を思い出せ」
 喋ったのは亡霊だ、右肩にとりついた亡霊を見る、亡霊がもう1時間ほど前から、彼の案内をしている。その騎士だけがここで一番信じられた、ここで誰より、親友よりも、親友よりも……。
 「親友……?」
 彼には恋人がいた、親友よりも愛している恋人だった。しかし、恋人の忠告を思い出す、恋人は何といっただろうか、たしか、惑わされるなといったはずだ。そして聞いた、騎士の物語を。
 「お前が、お前が惑わしているのか、シュトォルツ」
 「ギイィイイイ」
 うめき声がした、さきほどまで自分の左腕となり、ドアをあけ、道案内をしていた亡霊が左肩でわめいている。大広間をみる、いくつものドクロがおちて転がっていた。そうだ、自分には親友などいない、自分は近頃の退屈からこの肝試しを実行したのだ。さすがに恋人はつれてこなかったが、恋人の忠告は聞いていた。
 「あなたはこの街の歴史をばかにしすぎなのよ」
 それもそうだ、自分には小さなころから親友がいない、親友は小さなころ、火事で……それからここにくればいつか会えるかとおもっていたが、ここでも会えなかった、亡霊はわめき声の最後に叫んだ。
 「ここにいれば、お前の見たい夢が見られるというのに」
 彼はさとった、亡霊は姿をけし、あとには甲冑の残骸がごろりと音をたてころがった。彼は、親友と過ごすはずだったかけた時間の穴埋めをしたかったのだ、地面に転がる人間や動物のどくろの残骸を見て思う、そういう不遇をあつめていたら、こういう人間の顛末を迎える事になるのだろう、きっと誰も満たされることはない、中世に死んだ不遇の騎士、ここで彷徨い続ける魂に、そのやり場を求めても、ただ生きる事を投げ出したい気持ちになるだけなのだ。

亡霊卿

亡霊卿

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-11

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