百舌鳥の早贄

「人付き合いの問題集」
「あいどらとりぃ」
「百舌鳥の早贄」
「隣の人は狂っている」
4つの話が全部繋がる「まあ座れ話はそれからだ」の前日譚的な。

『 物語において、主人公に障害を与え、悲劇を与え、別れを与え、血を吐くような苦しみで私たちの心を引き裂き、苦悩を、苦痛を、苦行を与え、運命という名の筋書きで私たちを飼い殺しにするのは、作者である。そう、絶対的な神様。私たちの逃れ難い運命の鎖は悪役を倒せば解決するものではない。この世に生を受けたその瞬間から、神様の気分のままに私たちは弄ばれる。
 だとすれば、真に倒すべきは悪役なんかじゃない。神だ。』

 なんて、文芸部の部誌に掲載する小説の冒頭を書き上げてみたところで、物語を紡ぐオレ自身もまた、倒されるべき神様に成り上がってしまったわけだ、と思った。かと言って俺が書いてる話の主人公は、オレを憎んで殺しに来ることなんてできやしない。その思想さえも、神様たるオレの掌の上。主人公に「ああ、神様がいなければ喜びも悲しみも怒りも愛も知れはしなかった」などと言わせれば、それが主人公の意思になってしまう。どう足掻いたって登場人物がオレに逆らう事はできないのだ。
 じゃあ、この物語なんて、無意味な世界だ。こんな無謀な復讐譚なんかやめて、叶わない理想と恋に苦しむ学生の話でも書こうか。それとも友情に見せかけた依存と崇拝の話か。人生を諦めたゲーマーが最もスリルのあるゲームを求める話か。怪奇を否定してホラーフラグを全部へし折るホラー小説とかも楽しそう。
 なんて。オレがいくら想像力を膨らませたところで、オレが書くわけじゃないから、この思考もまた、無意味なんだろうけれど。
 そう。人生は無意味の繰り返しで成り立つものだ。

「なあカガリ。百舌鳥の早贄って知ってっか?」

 一心不乱にキーボードを叩いて、画面の向こう側の敵を一掃する友人に訊ねた。彼は此方など見向きもせずに「あ? 知らねぇよ」と答える。知っていた。こいつがそう答えることを。
 カガリが知らないと答えることを前提とした質問もまた、意味は存在しない。ちなみに百舌鳥という鳥が行う“早贄”という行為。木の枝に自分の仕留めた獲物を突き刺して置いて、それを後で食べに来るわけでもなく、何かに使うわけでもないという。つまりは、これもまた意味のないこと。
 オレたちの行動に、明確な意味なんかないのだ。だって、オレたちのすることは全部、神様の気まぐれで行っているのだから。
 無意味を知ったところでまた、意味はないのだろうけれど。オレはきっと今日も、百舌鳥の早贄のような日常を謳歌するだけだから。

百舌鳥の早贄

百舌鳥の早贄

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-09

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