作られた不運

 幸不幸について、私は元来流行にうとく知り合いもあまりいないので、人に聞いた噂から知ったことだが、私の住むこの東方のサイボーグ市には、最近手相占いが流行しているという、何巡目の流行なのだろう、少し前の時代には姓名占いで一喜一憂していた人々もいるというけど、この新しい近未来の時代にはむしろ一周まわってあたらしい、古い時代の人間は姓名占いだとかそういう生まれもった性質についてあれこれ考えるのが好きだったらしいが、この退廃しきった街並みをみて、いったい何を期待するというのだろう。
 
 アンドロイドは体のいい奴隷で、彼等は人間に服従するようにプログラムが組まれているし、それが社会規範的にも当然となっているので、彼等にはそういったことやそもそも人間が興味をもつの文化を面白いと考える力はあまり備わっていないのだと思う、そういうかんがえでいうと自分はどうなるだろう、自分を含めサイボーグ人はアンドロイドと人間との中間に位置するといってもいいかもしれない、だけど改造した腕をうらなって何になるのだろう、ただ自分にも考えることがある、たとえば新しい腕をつくるときにどうしようとか思う。ただ流行にのるのは癪にさわる、癪にさわるもののやはり占おうとも考える、そのときに、そうやって例えば手相占いだとして腕をつけかえて幸不幸がうまれるのなら、いったい人の運はどこでどうして作られるのだろうと思う、サイボーグである自分は、人間である自分の半分の性質とは距離をおいている。私の心のメンテナス職人は、いつも、自分のことは自分の事、人の事は人の事ととらえることはサイボーグ人にとって非常に重要な思想だという、そう考えなければ、サイボーグ化した人間特有の心の病にかかるのだそうだ、だからあまり人のことはきにしないようにしている。確かにどちらに近かろうがそんな事は私には関係ない、私はいま喫茶店で優雅なひとときを、本を読んでいるときにその小休止に考え事をしているだけなのだから。ただ、サイボーグである自分も人のう占いうの結果やその一喜一憂する様子がが楽しいと思う気持ちがある。

 かつて住んでいた町には、俺は不運だ、っていつも嘆いている人間がいた。そのまちでは私はまだ若く、喫茶店につとめていたが、その男は毎日のように朝、私のつとめていた喫茶店にきて、モーニングを食べていた、その人間はいつも忙しそうにしていた、人間はいつも忙しそうだが、彼もまたサイボーグだったようで、右腕はメカメカしい形をしていた、その腕でコーヒーを口に運び、そしてなにより彼の特徴は、つねに周りをみてびくびくしているその態度だった、その上自分が運がないとなげく、変わった人間で店では知らない他人のふりをしていたが、その他の場合で何度かあったことがあり、彼のことはよくしっている、同じかかりつけのサイボーグのメンテナンス職人を通じて別の場所で会話をしたことがある、彼は、メンテナンス職人のいうとおり人の事は人の事、でわけて考えるようにしているのだそうだが、彼いわく、自分がこころがけてもどうにもならないことがあるのだそうだ、何より彼の右腕は、死んだ祖父によって作られたオーダーメイドのデザインなのだそうだが、その祖父いわく、男は一日中働きづめで心を鍛えてなんぼだそうで、彼にもそういう教育をしていて彼は幼少期からほとんど自由を与えられなかったそうだ、彼は自分のゆがみを祖父のせいにはしていないが、はたから見ると彼はその影響で四六時中そわそわしていた、そして喫茶店でも彼と何度か接すしているうちに気がついたことだが、彼が運がわるいというのは、彼があまりに人にやさしいので、人の考えをきにしすぎて、実は人のいうこと真に受けすぎることによるもので、その不運は彼が引き寄せているのではないかと自分は今もひそかにそう思っている。

作られた不運

作られた不運

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-08

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