天使の歌

 12時になった。
 僕は席を立ち、事務所を出た。廊下の突き当たりの壁。みんな、ここは行き止まりになっていると思っている。僕もそうだった。〈あれ〉を見つけるまでは。
 僕は周りを見回し、誰もいないのを確認してから、秘密の鍵を鍵穴に差し入れて回した。すると、壁の一部が切り取られ、薄暗い空間へ通じる四角い穴が現れた。いつものように、僕はそこを通った。

「いつでも好きなときに来られるのに」
 白い翼を広げながら、彼女は歌うように言った。
「そうはいかない。休憩時間と働く時間はきちんと分けなくちゃ」
 けれど、正しいのは彼女の方だと、僕は分かっていた。ここは〈表の世界〉とは時間の流れが違うのだ。例えば僕が、ここで百年間過ごしたとしても、入口をくぐった一秒後に戻ることができる。
「ずっとここにいればいいのに」
 永遠の春の国。彼女はここを、そう呼んでいた。
「いずれそうすることになるよ。うん、いずれ」
 そして僕は彼女と連れだって、でたらめにねじくれた道を歩き始めた。
「〈表の世界〉は、もうどれくらい崩れてしまったの」
 僕の隣で、彼女は道の裏側に逆さまにぶら下がっていた。
「もうほとんど残っていない。僕が生まれたときと比べたら、ほんのわずかだよ」
 僕は石を拾った。それは完全なる正三角錐で、どこにも頂点がなかった。
「おかしな人たち。自分のいる世界が消えていっているのに、全然気づいていないなんて」
 一秒後と一秒前の彼女に挟まれて、今の彼女が笑った。
「記憶も統計も、巧妙に仕組まれているからね。〈今〉が過去と連続しているように見えるように」

 道は、あらゆる道と合流し、一つの球体にたどり着いた。その中心には〈表の世界〉では、野に咲く名も無き花と呼ばれる、世界のかたちがあった。
「君はどうしてこれを僕にくれたの」
 僕は彼女に鍵を見せて、聞いた。
「あなたはどうして選ばれたのが自分だけだと思ったの」
 そして彼女は、世界に還っていった。

 僕はただ、その花の美しさに心を焦がして、そこに在った。

天使の歌

天使の歌

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-04

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