作られた杞憂
古今東西自然発生したものではないすべての、人の手や社会によって作られるもの、文化も文明も場所、空間、すべてには隠されて意図して作られた嘘が存在している。
とある国、哲学が盛んで、神話が盛んだった時代に、ある哲学者と宗教家のいさかいがあった。宗教家は悪徳な商売をしていて有名で、哲学者は道端の慣習に人気のない哲学者だった。哲学者はいつも宗教家にものをいった、他にものをいう人がいなかったためだった、それは彼への抵抗を人々の中に根付かせておく意図があった、しかし彼は賢くはなかった、同じ町の同じしきたりの中にいて、少なくとも彼は奴隷よりも上の地位、しかし、彼は賢くなく、哲学だけではやっていけない、ゆえに批判した。つまり賢くないゆえの作法だった、彼等はいつも道端でそれぞれの演説をした。
その街にはときに奴隷とその所有者のいさかいがあった、奴隷もただ単に所有主やそのシステムに従属をするわけではない、抵抗する人間もいた。その中で巧な奴隷がいて、彼は嘘ばかりいった、嘘ばかりいうのだが毎度周りの人間がそれに騙される。だからその奴隷の彼にはむち打ちの跡が少なかった。奴隷はその身分ににつかわしくなく幾人かの女性がいた。
あるとき奴隷は、暇をしていて、道端にいて件の人気のない哲学者と宗教家とのつながりを指摘した。つまり彼らは裏で手を組み、街中で喧嘩することによって宗教の概念やその意味づけを街の人々に知らせるつもりでそうしたのだという噂だった、それは奴隷の自作の噂だった、なにせ彼の手と足は枷によって自由がきかず、つまらない人生を歩んできたのだから、彼はその嘘に少しの罪悪感もいだかなかった。その噂はたちまち広がり、それは哲学者自信さえもおびえさせるほどの熱狂的な広がりをみせた。
「実は私たちの宗教を広げるために教祖を非難していたのですね」
「わざと悪役を演じたのだ!!」
哲学者は2、3日様子を見ていたものの、やがて嘘を自分の口から言うことが許されるような熱狂ぶりや規模の大きさをこえていて、初めて自分のほうをむいた大勢の大衆におびえた。やがて批判するもののいなくなった宗教は、どんどんと勢力を拡大していった、人々はその宗教の善悪について口にしないときはなく、宗教は良くも悪くも常に注目のまとになった。なぜだか哲学者は、それから少しも批判せず、奴隷に与えられたその地位を手放そうとしなかった。その街において亡くなるまでずっといて、宗教の中で一定の地位を持ち続けた、しかし生前、奴隷と親交をふかめやがて、奴隷に地位を与えると、最後には流行病で50代でなくなるのだがその直前に、仲良くなっていた奴隷にこう願った。
「あの時のウソを、私が死んだらすべて話してくれ」
彼の死後、確かに奴隷はその通りにした、奴隷にとって彼だけが自分に対等に接してくれた人物だった、暴露には勇気が必要だった、それは奴隷にとっても害があるように思えた、奴隷は自分がまた奴隷の身分になる事を恐れた。しかしあっけがないのだった、全てを話した後、宗教の団体の中にそのときすでにそんな昔のことを取り立てて責めるものはいなかった、奴隷は初めて自分のウソが救われるものになったと思った、奴隷はあの大きな嘘のあと少しも嘘をつかなかったのだった、奴隷は奴隷で、自分が嘘をつけ続けるという事に少しの恐怖をもっていたのだった。
作られた杞憂