Story S

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Be the light


 昨日、あなたは何をしていましたか?

 友達と逢ってご飯を食べた人。家族で何かを祝った人。仕事漬けで1日が終わった人。学校で大事な試験を受けた人。大切な人と喧嘩をしてしまった人。

 いろんな人がいて、いろんな時間が流れている。

 そして俺は、あの日何をしていたんだろう。ふと、思い返す。思い出せないから、答えはないのだけれど。



「昨日はごめん、俺が悪かったよ。」
 朝1番で彼女に電話を入れた。実は昨夜、ちょっと大きな喧嘩をしてしまったんだ。いつも俺が勝手にイライラして怒ってしまう。昨夜はかなり言い過ぎてしまって、さすがに謝らないとと思った。
「あんなに強く言うつもりなかったんだ、なのに本当にごめん。」
「え?何のこと?」
「何の、って。あんなに怒ってたくせに。」
「ええ?何言ってんの?怒る以前に、昨日は忙しいから連絡も取れないからって慶太が言ったんじゃない。電話もLINEも何もしてないよ?」
「ゆかりこそ何言ってんだよ。昨日は逢っただろ?六本木で飲んで。ていうか、ライ、ン?なんだそれ。」

 最初は、ゆかりがとぼけてるのかと思った。だけど、電話を切ってからあれ?って思った。スマホに表示されている日付だ。

 2014年7月25日。

「は?」
 ベッドから起き上がって慌てて部屋の中を見回す。そういえばなんか、見慣れないものが置いてあったり、今自分の着ているTシャツも初めて見る。ベッド脇にかけてあるスーツの上着を探る、手帳が入っているはずだ。取り出したそれは、もう何年も愛用しているもので。ホッとしたのも束の間、中を開くと、そこに表示されているカレンダーも2014年だった。さっき使ったスマートフォンをもう1度手にすると、やっぱり何か違う。
「画面?大きい?」
 ロックを解除してみると、そういや見たことのないアプリが多い。設定画面を開いてみたけど頭の中がハテナだらけだった。iOS7ってどういうことだよ。先月最新のiOS4のiPhoneを買ったばっかだぞ?
「2014年ってなんだよ。今は2010年だろ?」
 外に出ると知らないものが目に入る。聞いたことのない歌が流れてる。見たことのない商品が売られている。片っ端からいろんな人に連絡を取った。家族にも、友達にも。ゆかりには、家に来てもらった。
 俺は、夢を見ているんだろうか。タイムスリップしたとか?いきなり4年も先に?どうして?どうやって?だがそれは違うとすぐにわかった。みんなが口々に言う。一昨日電話でこんなやりとりをした。1週間前に飲みに行った。それはたしかに、予定として手帳に書き込まれている通りであり、ゆかりが言ってた、LINEという初めて見るアプリの会話のやりとりにも残っている。確かに俺は、この4年という月日を過ごしているのだ。
 頭がおかしくなったのかと思った。1度寝てみることにした。今度目を覚ましたら、きっといつも通りだ。何も不思議がることはない。だけど、目を覚ましてそこで俺を待ってくれていたゆかりは、やっぱり何処か違って。部屋もさっきの少し見慣れない部屋で。そして俺は、知らないTシャツを着たままだった。


「記憶・・・喪失ですか?」
「それしか考えられませんね。だって何も覚えてないんでしょう?」
「覚えてないんじゃありません。俺は2010年を生きてるんです。」
「だから、そこで記憶が途絶えてしまってるんだよ。」
「途絶えて、って・・・。」
 医者の言うことなんて信用できない。だけど俺の今見えているものすべてが、やはり俺の知っている今の時代とは少し違う。診察室にかけられたカレンダーも2014年と書かれていた。
「まあ、ストレスでしょうな。」
「ストレス?そんな。仮に俺が記憶喪失だとして、ストレスごときで簡単に片づけられても困る。」
「困るって言われても。」
 少し考えて、医者は言った。
「例えばだけれどね。風邪をひいたとしよう。風邪の症状には理由がある。ウイルスが体に入りこんで悪さをする。そのウイルスをやっつけようと人間の体が抵抗することによって鼻水や咳、熱も出る。だけどね、記憶喪失というのはそういうのと少し原因が違う。」
「原因?」
「心の問題だ。」
「こころ・・・。」
「何かショックなことがあった。或は忘れたいこと。人間は誰でも記憶を少しずつ消去していく。得たもの全てを残しておくなんてのは無理だ。機械でもそうだろ?パソコンだって容量はある。それを超えようとすると、ここは要らないかなと思ったデータを消去するしかない。別の何かに移すとかね。」
「はあ。」
「人間だって同じだ。小さい頃の記憶なんてのは曖昧だ。すべてを覚えてはいない。それがたとえつい昨日のことであっても、だ。必要な部分を残してちょっとずつ削除していく。でないと容量を確保できないからだ。それを人間は自然にやってる。意識してこれを忘れようなんてことはしない。だが、何か自身にとって覚えておきたくないことがあったとしよう。そしたら時に人の心はショートする。頑張り過ぎたり、無理をし過ぎるのもそれに値する。きっと、毎日無茶をしてたのではないかな、きみは。とにかく、1度落ち着いてゆっくり過ごすことをおすすめするよ。」
 そう言って医者は、精神安定剤という薬を出した。なんだ?俺は狂ったってことか?無茶?そんなものしてない。仕事も恋愛も上手くいってる。
 だけどね、そんな医者とのやりとりをゆかりに話したら、ゆかりは泣き出したんだ。
「どうした?」
「慶太が、変になったのはたしかに4年くらい前からだから。」
「変?俺が?」
「頑張りすぎてるもん、いつも。任された仕事ちゃんと全部こなしてるみたいだけど、でもすごく心配だった、慶太のこと。」
「どうして?俺そんなに無茶なんてしてない。仕事だって範囲内だし。確かに最近ちょっと睡眠時間とかは減ってきてるけど。」



 仕事は好きだ。だけど会社に行ったところで、4年間の記憶ってものがないんだ。すっかり変わっている今の仕事をすぐにできるわけでもなく、俺は医者からの診断書と共に休職届を提出した。今のご時世、クビにならなかっただけマシだと思う。あれからまた、いろんな人と話をして。俺は覚えていない4年間を聞いてはメモに取った。どれを聞いても思い出せなかった。iPhoneが5Sになったことも、スティーブ・ジョブズが亡くなったことも知らない。俺の写っている写真を見ても、誰かの撮った映像を見ても、好きで買った映画のDVDも雑誌も、どれも初めて見る感覚だった。1番俺の生活を見ていてくれていたゆかりの話は、やっぱり自分が無理をしていたのかと思えるものが多くて。俺の記憶が途絶えた後の今日までの4年間は、どうやらバカみたいに必死に生きていた。そして少しずつ、俺は初めて自分を労わった。

 2010年7月末で途切れている俺の記憶は、2014年7月末から新しく始まった。間の4年間を少しずつ補いながら。



 昨日、あなたは何をしていましたか?

 大切な人に愛してると言いましたか?
 心を込めて作ってくれた料理にありがとうと言いましたか?
 当たり前の生活を当たり前と思っていませんか?
 面倒くさいことから逃げようとしていませんか?
 しあわせであることを、忘れかけていませんか?

 俺は、どんな思い出もこれ以上途切れさせたくないから、一生懸命時間を大切にしたいと思う。支えてくれる人に感謝を示せる人でいたいと思う。だからこそ、このやり直せるチャンスを大事にしたい。そしていつか、途切れた4年の月日もきっちりと繋げるんだ。1つの光みたいにさ。



※二宮愛衣 2014-08-02

今夜もここで待ってる

 行きつけのバーなんてものは、作らない方がいい。いつの間にか俺の事を覚えている客がいて、ある日声をかけられた。

「いつも、いらっしゃってますよね?」
 自分のグラスを手に隣の席に座ったと思ったら、俺の顔を覗き込むようにしてそう俺に聞いた。耳の下あたりまでの髪がくるんと跳ねて、笑顔を後押しする。可愛らしい人だった。
「まぁ・・・」
 そう言って小さく頷くと、俺は自分のグラスに入った酒を一口飲んだ。
「時々見かけて、気になってました。いつも1人だなあと思って」
「そうですか」
 会話を終わらせるつもりでそんな簡単な返事をしたのに、彼女はずっと笑顔で俺の顔を覗き込むようにして見ていた。店のカウンターの端っこのほう。たいして他の客の気にもならないこの席に、俺はいつも座る。少し薄暗い照明と、周りの会話が少し遠いのが気に入っているこの席。そんな店の端で、逃げる場所のない俺を追い詰めるように彼女の覗き込む視線が届く。正直面倒くさい。
「私もいつも1人なんです。今度からお隣座ってもいいですか?」
「は?」
「だめ・・・ですか?」
 いいよ、って言葉を待っているその笑顔が嘘くさくも見え、だけど可愛いと思ってしまう。そんな人だった。彼女の質問には答えずに、俺は違う質問をした。
 「どうして1人なの?」
「もう随分前なんですけど、付き合ってた彼とここにきて・・・この店でフラれました」
「フラれた?」
「はい、それからずっと、どうしてだかこの店に来てしまう。また逢えるかなって、思っちゃてるのかな」
「いつも1人で?」
「はい。あなたは?」
「俺は・・・」
 ちょっとためらった。ためらったけど、彼女の話を聞いて、少し面白い出逢いだと思ったんだ。
「俺は、付き合っていた彼女をこの店でフッた」
「フッた?」
「あなたの逆。俺はフッたほう。それでいつも、ここに来てる」
「どうしてですか?」
「なんか、罪悪感みたいなのかな」
「罪悪感?・・・別に、嫌いになったりして別れたわけじゃじゃ、ないってこと?」
「嫌いじゃない。むしろまだ好きだよ」
 目の前のグラスを手にすると、氷がカランと音を立てた。
「そうですか。じゃあ、隣に座るのは遠慮した方がいいですか?」
 席を立とうと、そのカクテルグラスを再度持って、彼女は俺にそう言った。オレンジ色の可愛いカクテル。彼女にぴったりだった。けど、どうしてだろうね、俺はその彼女の腕を掴んでいた。白くて細い腕。華奢なブレスレットがきらっと光った。
「居て」
「え?」
「隣に居てよ」
「いいんですか?」
「そう言うあなたは?じゃあどうして隣に座ってもいいか?って聞いたの?」
 少し意地悪な顔をしていたことは自分では気付いていなかった。俺が掴んだ腕をそっと外すようにして、彼女は俺の頬に手をやった。
「そんな怖い顔しないでください、寂しそうだったから」
 カクテルグラスを、彼女はまたテーブルに置いた。俺の頬に当てられた手はそっと離れていったけれど、彼女は離れずにその席にまた座った。さっきまでみたいに覗き込んで俺を見るような仕草はしない。カクテルグラスを見つめては、ため息をついた。
「寂しいのはそっちでしょ?」
 その姿を見て俺がかけた言葉に、返事はなかった。
行きつけのバーってのは、いいものかもしれない。知った店員は俺たちに気づいてだか、別のカウンター客と話をして、こちらを見る事もない。静かに流れる曲も邪魔をしない。エアコンが効いて少し冷えた店内に、ノースリーブのワンピースを着た彼女が気になった。
「寒くないの?」
「え?」
「さっき、腕冷たかったから」
 そう言うと、彼女は自分の腕を手でさするようにした。俺は着ていたジャケットを脱いでそっと彼女の肩にかけた。
「大丈夫・・・」
 遠慮気味に俺を見上げて言う彼女は、言葉とは違い、大丈夫じゃない顔をしていた。
「他人(ひと)のこと寂しそうって言う前に、自分のコトを温めなよ」
 俺はしっかりと結んでいたネクタイをそっと緩めた。彼女にだったら心を許してもいいかなって思った。堅苦しくネクタイなんて締めてなくていい。残っていた酒を一気に飲んで、また店員に同じものを頼んだ。
「寂しいって思っちゃうと負けのような気がして。いつも強がっちゃうんです」
 彼女はオレンジのカクテルとはイメージの違う言葉をはいた。強がっているのはきっと、そのカクテルやワンピースだ。自分にも負けないでいようと背筋を伸ばして笑顔を作っているんだ。俺がフッた人もそんな女性だった。
「前を向いてるってことだろ。短所だと自分で思っている部分は、時に他人から見たら長所だ。まぁ、逆もあるけど」
「私の場合、どっちでしょう?」
「どっちでもない。それがあなたの魅力なんだろ?」
「そうですか?」
「すごく、可愛いよ」
 彼女は少し照れるように笑って、だけどその後泣いた。静かに泣いた。俺のジャケットに隠れるようにして、華奢な肩を小さく揺らした。

 そんな時間をゆっくりと提供してくれるこのバーが、俺たちの待ち合わせ場所になった。あれから何度か逢ってる。お互いが1人ではなく、2人で居られるように。彼女も無理をしなくなった。オレンジのカクテルは頼まなくなった。俺も、このカウンターのこんな端っこに座らなくなった。店員も巻き込んで、カウンターの真ん中あたりで楽しく話をする。時にはもちろん2人で。お互い少し、体を向き合いながら。他愛もない話をさ。



※二宮愛衣 2017-07-20

悲しみよこんにちは

 目が覚めた朝の空気はとても冷たくて乾いていて、窓の外に目をやるとまだ薄暗い。何時だろう。時計を見ようと体を起こしかけたらアラームが鳴った。ってことは、6時半だ。アラームを止めて僕はベッドから出た。

 朝なのに気持ちがどんよりしていたのは金魚のせいだ。去年の夏の縁日ですくってきた赤い金魚。1匹だけ、どうも動きが変だと思った。水槽の横に置いた缶の蓋を開け、中に入った餌を指でつまむと水槽に散らした。水面に円を描くように広がっていく餌に数匹の金魚が泳ぎ浮いてくる。赤い色がピチャピチャと音を立てて餌をつついていた。だけどその1匹だけ、動く気配がなかったのだ。
 仕事を終えて帰ってきた時には、その金魚は水面に浮いていた。体を横たわせて。動き回る赤い色の中に、1つだけ動かない赤い色。僕はそれを、手ですくった。
 部屋の中は朝と同様、空気がとても冷たくて乾いていた。暗い部屋で、水槽の灯りだけが部屋を照らしている唯一の光だった。そんな部屋でコートを羽織ったまま、掌の中で動かない赤い金魚を長い時間僕はただ見ていた。知らない間に涙が流れていたことにも気付かないで。

 最後に悲しいと思ったのはいつだろう。

 命を終わらせてしまった赤い金魚を見て思った。泳ぐのをやめてしまったんだね。毎日綺麗に赤い色を見せてくれていたのに。不思議と涙がどんどん溢れてくる。ティシュを数枚箱から取り出してテーブルに置いた。その上に赤い金魚をそっと置いた。明日、明るい時間に何処かに埋めよう。さよならしなきゃ。
 溢れてくる涙を別のティッシュで拭き取ると、コートを脱いで僕は台所に向かう。冷蔵庫からビールを1瓶取り出して蓋を開けた。リビングに戻ってソファに座る。ちょうど水槽が見えるんだ。赤い金魚が数匹泳いでる。きみたちはまだまだ元気でいてよ。泳いでいてよ。じゃないと涙がもっと止まらなくなるよ。
 泣いたのは、金魚のせいだけじゃないことはわかっていた。我慢していた心が解けたきっかけであることも自分でわかっていた。考えたくなかったことを受け入れなきゃいけないぐらい時間が経ったんだっていうのも自分でわかっていた。

 冬のはじまりに、縁日で一緒にこの金魚をすくったキミがこの家を出て行ったことを、悲しいくせに悲しいと思おうとしなかった自分に素直になれた日だった。

 やっと泣ける。

 ずっと泣くのを我慢していた僕は、その夜いっぱい泣いた。



※二宮愛衣 2014-01-22

電話

あー。もしもし?

ごめん。寝てた?起こした?

あ、よかった。ごめん、こんな時間に。

別に用じゃないんだけど。

んはは、ごめんって。やっぱ寝てたんじゃん?

・・・声聞きたくなった。

珍しいとか言うなよ。これでもけっこう毎晩我慢してんだから。

ほんとだって。時間遅いからさ、寝てるかなと思って。

うん、なんか今日は我慢できなかった。

そう!ついに仕事の目処が立ってさ、もぉ~やっとだよ。次の日曜は休めそうだよ。

うん、逢える?

ほんと?よかった。

なんだよー!ちゃんと迎えに行かせていただきますよ、車で。

久しぶりだもんね。

どう?最近。楽しいことあった?

てか、そんなこと聞いてる時点で俺彼氏失格だな。

いいよ、自分でそう思う。

でもさ、ほんと、1度声聞いたり連絡まめに取るとさ、逢いたくなっちゃうからさ。

だーかーらー嘘じゃないって。

そっちはどうなの?逢いたかったんじゃねえの?寂しかったんじゃねえの?

またあ、意地はっちゃって。

んはははははは!すみません…。調子乗りました。

うわーあ。まじか。早く抱きしめてえ。

そっか。言ってたもんね。前にね。

ん?

ううん、今日はビール1缶だけ。それほど酔ってない。

明日プレゼンだし。

わかってるよ、寝るんだけどさ。もうちょっとだけいい?

甘えてないよ。

何をおっしゃる!

んーでもやっぱ甘えたいのかな。

今日はそんな感じ。

うわ、ひどっ。

んはははははは。そういうこと言う?

なんか俺をいじめて楽しんでるっしょ。

キャラ変わったんじゃね?ひどくねぇ?

んはははは、うわーーーまじかよーーー。

がんばる、打たれ強くなる。んははは、だよね。

なんだよー、ひどいなあ。

うそうそ。楽しいからいいよ。

助かる。元気出た。

いや、そういうわけじゃないけどさ。眠れない夜もあるわけよ。

うん、声聞けてよかった。

ありがとう、相手してくれて。

んははは、うんうん。だよね。

また連絡するわ。日曜の時間決めないとね。

うん。行きたいとこあったら言ってよ。

おけー、任せなさい。

それじゃ。うん。ありがとう、がんばるよ。

おやすみ、またね。



※二宮愛衣 2014-05-16

Story S

Story S

短編集 Story S。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-03

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  1. Be the light
  2. 今夜もここで待ってる
  3. 悲しみよこんにちは
  4. 電話