Welcome to Wonderland

 どうしようどうしようどうしよう!
 私は部屋の中を動物園に展示されている観賞用生物のように、もう何度も行ったり来たりしていた。どう見ても落ち着きはなく、冷や汗はだらだら。それもしょうがないだろう。私はこの人生でもっとも焦り、苦しみ、嘆いているのだから。
「まさかアレが白ウサギだったなんて……」

 今朝は気持ちの良い朝だった。いつも通り朝の森を散歩していると、幸運なことにふっくらとした白いウサギが現れた。なにやら慌ただしく、あっちにヒクヒクこっちにヒクヒクと鼻を動かしている。何かあったのだろうかと一瞬考えてもみたけれど、相手はウサギ。エサか仲間を探しているのだろうと、私はすぐに自分の足元に目を向けた。傍に転がっていたちょうどいい石を拾って、狙いを定める。向こうはこちらに気づいていない。よし、いける。そう確信をもって投げた石は一直線にウサギの頭に向かい、見事に命中した。
 それからはもうすぐだ。さくっと血を抜き、さくっと料理。さくっと焼けた付け合わせのポテトと美味しくいただいてしまった。いつもより豪華な食事。でもその代償はあまりにも大きなものだった。だって私が食べてしまったのは、あの白ウサギ。いつも時間を気にして不思議の国中を駆け回る真っ白いウサギは、女王陛下の家来だった。きっとそれなりの地位も功績もあったはず。国の隅っこで細々と惣菜屋を営む私とは比べ物にならない存在なのだ。
 不思議の国は意外にシビアだ。きっとこのことがばれたら私は打ち首!それだけは何としても避けたい私が考えに考えた先に見つけた答えは、自分が白ウサギになることだった。そう、ここは不思議の国、みんなが役割をもって生きている。私はこれと言って価値のない存在で、もしかしたら国中のみんなが私の存在を忘れているかもしれない。私は総菜屋としての私を抹殺し、私が殺して食べてしまった白ウサギとしてこの生を全うすることに決めた。
 そうとなったら急がねば。私は走って白ウサギを捕まえた場所へと向かった。すると案の定、白ウサギが身に着けていただろうヘンチクリンな服が大きな木の根元の置かれていた。なるほど、白ウサギは湖に入ろうとしていたらしい。でもどうして?目をこらすと、湖に浮かんでいる蓮の葉になにか光るものが乗っている。よく見るとそれは彼の大切な時計だった。なるほど、彼は転んだか何かのはずみで飛んで行った時計を取るために服を脱いだところで私に捕まったらしい。いや、じつに申し訳ない。でも、私のいた位置からは木の根元に置かれた服も、蓮の葉にのる時計も見えなかったのだ。致し方なかったとしか言えないだろう。靴を履いたまま湖に入り、ざぶざぶとひざ丈ほどの水を進むと、すぐに時計までたどりついた。カチコチと主張の強い時計をポケットに押し込み、再び家に戻り、ミシンを取り出す。時計と一緒に持ち帰った白ウサギの服を参考に、惣菜の下に敷いていた布やカーテン、ソファーのカバーなどありあわせの布でそれっぽい服を作る。普段は裁縫なんてしないが、今は命がかかっている。夕飯も食べずになんとか作り上げた衣装を着て、茶色い髪には小麦粉をまぶした。鏡の前で胸ポケットから時計を取り出し、白ウサギの口癖らしいセリフを言ってみる。「いそがなきゃ、いそがなきゃ!」眉を下げられるだけ下げて、手足をばたつかせれば、そこにいるのはもう白ウサギそのものだった。

 翌朝、朝早くに出発した私は、手元の時計で朝の9時にお城の前に到着した。念のため、今日は頭に小麦粉をまぶす前にほんの少しだけ油もつけてきた。これで小麦粉が簡単に落ちてしまうことはないだろう。白ウサギはどうしたって白くなければならないのだから。門番のトランプ兵に話しかける。「白ウサギだ。女王に報告がある」
 トランプ兵はほんの少し考えていたようだが、私の手元の時計を見ると、さっと通してくれた。ほら、この国での役割なんてそんなもの。そのままするすると女王の間へ通された私は、女王へなんと言おうか考えた。「白ウサギ、入りなさい」初めて聞いた女王の声は思っていたよりもずっと低く、よく響いた。「お久しぶりです、嬢王陛下。報告が遅れたこと、お許しください」私を目にした女王陛下にはなんの感情も入っていなかった。
「不思議の国になにか変わったことは?」
 私は恭しく胸に手を当て、頭を下げた。
「変化はなにもございません。いつも通りの不思議の国です。」

Welcome to Wonderland

Welcome to Wonderland

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-24

Copyrighted
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