短編 栗

残暑の秋

 あの店の使い古された、椅子やテーブルと違って、この店の椅子と机は何とも言えない、とってつけられたような人工的な……言ってしまえば命の宿されていないモノだと、僕は感じた。
 何故かと説明するのなら、その店はチェーン店の和食レストラン。つまるところ、同じように作られた、コピー品なのだ。いや、コピー品とは少し言い方が投げつけたかのようなものに聞こえるかもしれないが、実際そうだろう。
 同じところに、同じものがある。
 それほど、寂しいものはない。そうとしか僕は感じないのだ。

 僕は、頑固者だった。
 こうだと決めたことを、そうやすやすと曲げるのが大嫌いで、思考のほとんどは根も葉もない根拠と、ただ一つの勘とステレオタイプとノスタルジックとが混ざり合う感覚に任せて、僕の頑固は構成されていた。
 根拠がないのにもかかわらず、それがどことなく悪く思えたり気に入らなく感じるのは、そういうのが根についているからなのだ。
 時に天邪鬼になったりするし、時に人の温もりを求めて駄々をこねたりするし、過去の失態や失敗に嘆き喚くし……。
 つまるところ自分は、物凄くめんどくさいのだ。自分でも、そのことはよくわかってる。だけど、他人にはそのことがまるで解ってもらえない。まあ、それもそうだろうと、 客観的な思考の自分は、納得する。それは、文字を読むくらいには簡単なことでまた難しいことだった。
「自覚しているのなら何故治せない?何故直らない?」
そう問うてくる、そして僕はこうやって返す。
 「息を吸うのを自覚している君は、息を止められるのか?」

 一瞬、客観的な思考の自分が捻くれモノの自分に声をかける。これが理性となる訳だが、そんな自分が指し示したことといえば、「冷静に考えろ」の一点張りであった。
 如何にこの対話で、自分がどれ程めんどくさい人間か、解ってもらえてだろうか。
 他人にとってその答えというのはお門違いであろうが、僕はありのままを話す。ズレているわけでもないのにズレが生じて、悪くもないのに自分は優劣を決める。悪いことなのにさも自分が正しいかのように、その腐った性根のお陰で今日も雑草の如く、迷惑をかけているわけだ。
 雑草と、仮称したがどうか嗤って欲しい。如何やら裏では僕のことを雑草と読んでいるらしい。いいさ、そんな事初めから解っているのだから。
 話してくれる相手はいる。ただ皆が皆知っているかは分からないが夏の間に伸びる雑草は刈り取られるか抜き取られるかして駆除される。ただしかし、神のイタズラかのように、それは、鬱陶しくも毎年のように生えてくる。
 その無限ループの位置づけをするなら、あくまでも自分からの視点にはなるのだが、雑草は寧ろ毎年春から夏にかけて興味本位だけで愛想よく接してくる性格の悪い輩だ。
 夏休みが明けると、噓のように一人ぼっちになる。クラスで4、5人のグループを作るときにだって、二学期以降何時ものようにハブられる。ホントは僕よりも性根が腐っているのではないのだろうか?
 そう思わさぜるをえない光景を毎年毎年、同じ季節同じタイミングで感じるのだ。そういう客観的な視点で見るのであれば、僕はそれこそ雑草というのが似合うのではないだろうか。

 夏場に鬱陶しいったらありゃしない存在であり、引っこ抜かれたり刈られて、それでお終い。そんな扱われ方された雑草なんて、人間的な感情があるなら憤りに満ちているだろう。人間様の勝手な都合で抜かれて、こちとらは大迷惑だとでも思っているかもしれない。
 というか、そんな考えをしているのが正に自分である。
 刈られる側からした雑草からは、刈る方の人間達は、そちらの方がより雑草だった。
 しかし、その逆ときたらどうだろうか。いや、逆といってもまんま逆というものではないのかもしれない。寧ろ全く違うものでもあるのかもしれない。だから、数学を用いて対偶とでも言い表しておく、意味なんてまともに用いてなんざいない。
 
 もし、雑草たちが抜かれるのを嬉しいとしか感じないのであるのなら?
 そんなの、人間らしくなくて恐ろしいことだが、いやそもそも、人間ではないのだから恐ろしいなどと感じる方がよっぽどおかしいし、逆にそれを感じる方が恐ろしく感じる。幼いころに口うるさく言われた「野菜は食べられる為に生まれて来た」などという道徳的な考えだが、今更ながら考えると、色々と恐ろしい。
 話を戻すが、そんな道徳的な考えで、腐った性根に任せて言ってしまえば個人の自己中心的な思考で、雑草は抜かれるのが嬉しい。と考える。
 何を比喩しているのか解りやすく言ってしまえば、毎年のように春から夏にかけて興味本位でしか関わってこない輩のことだ。

 僕は頑固者なので、ポーズばかりしかとらない輩が大嫌いだった。
 「こうしていなければ」という意味不明のモノに縛られて生きているかのように見えて、しかも、他人と関わるのも無差別的でどうにも中身がないのが薄々見えるのが、どうしても嫌いなものでしかなかった。だから大人の社交辞令がどうしても気に食わないでいるのだった。
 もう10月間際で、ご存知の通り自分は独りでいた。奴らは、雑草を抜き終わった感覚でいるし、僕も雑草から見た雑草を抜き終わった感覚でいる。
 Win-winでもなければLose-loseでもない、何も生産性のないその時期が終わって、でも彼らは僕をほったらかしに、僕は嫌な気持ちのままでいる。実に胸糞悪いもので、独りになった今でも腹が立っては仕方がなかった。結局勝ち逃げされたみたいではないか!

 ……話す人も、話し掛けてくれる人もいない寂しい時期に入って、慣れてきた頃の話。
 残暑残る、9月も終わりが告げる中、僕はTwitterを眺めていた。

 ボッチになった自分は、傍から見ればまるで栗の様に、悪く浮ついた存在なのだろうとふと、思うのであった。


(終)

短編 栗

短編 栗

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-23

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