人類の墓

 坂東ユキコにとって、その日は人生最期の日だった。
 まずその発端は、たまたま見たテレビの朝のワイドショーの星占いで最下位になったことであったのだけれど、元来占いなんてものを信用しない質の彼女は、それに関しては少し嫌な気持ちになっただけだった。占い結果によれば、その日は「外出するべからず。きっと災いがある。家にこもっていることが吉」とのことだったが、そんなことは気にせず、ユキコは外出した。仲の良い友人と遊ぶ予定があったのだ。
 しかし、待ち合わせ場所に来て、そこで待てど暮らせど友人は来ない。不審に思って電話をかけると、「訳あって無理になった、ごめん」とドタキャンをかまされてしまった。ユキコはこれがあの占いのことかなと冗談交じりにため息をつき、仕方がないから一人で友人と回る予定だった映画やらショッピングやらを楽しむことにした。
 最初に映画館に向かった。ネットで予告編を見かけてから、公開したらすぐに観たいと楽しみにしていた映画があったのだ。だが映画館に到着して、受付でチケットを買おうとしてみれば、受付の従業員が妙なことを言う。
「その映画はあなたには見せられませんよ」
「え? 見られないってことですか?」
 ユキコは聞き間違いかと思ってそんな風に訊き返したが、従業員は仏頂面で言う。
「いや、あなたにだけは見せられないんですよ」
「どういうことですか?」
 ユキコは意味がわからない。ユキコは十八歳を超えているので、映画館で放映されているような映画なら大抵は観られるはずだ。それに今日観に来た映画はそんなに過激な内容でもない。
「とにかくお引き取りくださいよ。今日はそういう決まりになってるんですよ」
 従業員はその一点張りで、ユキコにチケットを売ろうとしない。だんだんとユキコは腹が立ってきて、「責任者を呼んできてくださいよ」と詰め寄ったが、従業員は「呼びたいなら自分で呼んできてくださいよ」と面倒くさそうに返答するだけだった。
 いくら問答しても埒があかず、背後に並ぶ客から「早くしろや」と怒鳴られる始末で、それを従業員は意にも介していないようだったので、結局はユキコが折れざるを得なかった。ユキコは突然の理不尽に悔しさと怒りに歯噛みしながら、映画館を立ち去るしかなかった。
 映画を観るという、娯楽を楽しむ当然の権利を行使できなかったことへの怒りは自販機で買ったジュースをがぶ飲みしようともなかなか収まらず、むしろ時間が経てば経つほど火にかけられている湯の如く激しく沸騰するようだった。
 ダメだ、どこかで落ち着かないと。ユキコはひとまず落ち着ける場所を探した。
 ちょうど静かな雰囲気の喫茶店を発見する。ここなら落ち着けるだろうとユキコは入店した。近場の席に腰掛けて、店員に「コーヒーを一つ」と注文する。あの映画館の失礼な従業員と違って、こちらは丁寧に対応してくれた。それだけで今のユキコは自分の権利を行使できているという満足感を得られた。
 ほどなくして、店員がコーヒーを注いだカップを運んでくる。それはテーブルの上に置かれる――はずだった。店員は急に躓いたかと思うと、コーヒーカップをひっくり返し、熱々の茶色い液体をユキコに浴びせてきた。突然の出来事で、ユキコには避けようがなかった。
 咄嗟に顔を守るように腕をかざし、そこに思いっきり熱いコーヒーがぶっかかる。さっと腕の皮膚を炙られるような感覚に、ユキコは「ぎゃっ」と素っ頓狂な叫び声を上げた。
「あーあー、すいません」
 店員は熱がって悶えるユキコを尻目に、心配して駆け寄るわけでもなく、その場に突っ立ってまったく悪びれる感じもなく、棒読みの口調で謝罪してきた。
 先ほどの映画館のこともあって、ユキコの怒りは臨界点を突破し、彼女は人目も憚らずに怒鳴った。
「何よ、その態度っ! 客にコーヒーぶっかけといてっ! 誠意を込めた申し訳ありませんも言えないのっ!」
「え、ああ、そういう言い方して欲しかったの。ほんじゃ申し訳ありません」
 感情がちっともこもっていない。オウムみたいに言葉を反復しているだけだ。
「そういうことじゃないわよっ! もうあなたじゃダメっ! 店長とか呼んできてよっ!」
「ええ、めんどーくさ」
「いいから呼んできてっ!」
「はいはい、わかりましたよ、てんちょー、てんちょー」
 店員は気の抜けた呼びかけをしながら厨房の方へと引っ込んでいた。はっとして辺りを見回してみれば、店内にいた他の客たちがじろじろとユキコのことを見ていた。まるで非常識な狂人を見るような、嫌悪感と拒絶が混ざったような視線だった。
 おかしい、とユキコは感じた。非常識なのは店員の方であって、決して自分ではないだろう。大勢の人間がいる喫茶店という場で怒鳴るという行為は非常識なことに該当するのかもしれないが、あんなことをされた上にあのような態度を取られたら、誰だって怒らずにはいられないだろうとユキコは思った。しかし店内のひとりひとりに「私の行為は別におかしなことではないですよね」と言ってまわるわけにもいかず、肩身が狭くなった気分で店員が呼びに行った店長が来るのを待った。
 ・・・・・・それにしても遅かった。店長を呼びに行くくらい一分足らずでできることだろうに。結局のところ、あのやる気なさげな店員が、禿げ頭で小太りの、これまた覇気のない店長を連れてきたのは、十数分も時間が経過した後のことだった。
「あーっと、なんでしたっけ、こいつがなんか失礼したんでしたっけ」
 店長は毛のない後頭部を掻きながら、間抜けに首を捻った。
「失礼もなにも、この人、客に熱いコーヒーをぶっかけておいて、まともに謝りもしないんですよ」
「えー、謝りはしたじゃないですか」
「誠意がこもってないんです」
「誠意ってなんですか。目に見えないものは信じない主義なんですよ、俺」
 店員は明らかにおちょくるようににやにやと笑った。
 この店員に対してはもうどうしようもないので、私は代わりに店長を睨みつける。
 店長も店員と同様に委縮する様子もなく、ただ困惑した表情を浮かべているばかりだ。
「いったい店員にどういう教育をしてるんですか?」
「えー、あー、少なくともコーヒーをぶっかけろとは言ってないですね」
「どうしてくれるんですが?」
「何がです!」
「この服ですよ! 結構お気に入りだったんですよ! それに火傷だってしてるかもしれないし! 何かそれ相応のものがあって然るべきじゃないですか!」
「それは金を要求してるってことですか?」
 店長の声音が急に変わった。おどおどとしたものから、他人を威圧するような響きが感じ取れるものへ。ユキコは一瞬怯んでしまい、言いよどむ。
「べ、別にそういうわけじゃ・・・・・・」
「でもそれ相応の、って言い方するってことは金しかないですよね? 脅迫ですか?」
 脅迫呼ばわりにユキコはまたかちんとくる。悪いのはそっちなのに、自分は被害者なのにと。
「お、おかしいですよ、何でそれで脅迫に・・・・・・」
「そんじゃ警察呼びます? どっちが悪いか決めてもらうのに?」
「い、いいですよ!」
 店長の自信満々の横柄な態度と口調には不安を覚えざるを得なかったが、ここまで来たなら自分も引き下がれないとユキコは意地になっていた。
 警察への電話はユキコがかけることになった。ぷるるる、ぷるるると二回ほどのコールで「はい、こちら警察です」と電話が取られる。ユキコは早口にまくし立てるように喫茶店内での顛末を語り、「助けてくれ」と懇願した。店員は気色悪い笑みを浮かべながら、店長は呆れた面持ちで、そんな必死なユキコを冷ややかに見つめていた。それは店員と店長だけではない。店内の客全員が、ユキコに対して気狂いを見るような視線を送っているのだった。
 ユキコもそれに気づいていて、この異常な空間と状況が怖くて堪らない。だから相手の口車に乗せられるような形で警察に助けを求めたのだ。しかし、ユキコのその救援信号は、呆気なく不発に終わることになった。
 なぜなら電話越しの受付が放った言葉は一言、「警察は民事不介入ですから」。
「いや、これはもう立派な犯罪なんじゃ――」
「と、言いましてもねえ、民事不介入なんでね」
「いやいや、だからそういうことじゃなくて――」
「うるせえな、民事不介入だっつてんだろが」
 急に電話越しの受付の口調が荒くなったかと思うと、通話を切られた。ユキコはそれから何度も一一〇番を押し続けたが、再び応答があることはなかった。
「それで?」
 よりいっそ威圧するような声が、横槍となって鼓膜を刺してくる。恐る恐る電話から携帯電話から耳を外す。店長は腕を組んで見下すように身をのけ反らせている。
「それで、警察は来てくれるって?」
「そ、その・・・・・・警察は民事不介入だって・・・・・・」
「じゃあお引き取り願えますか」
「はい?」
「逆に脅迫で訴えますよ」
 店長のぎろりとした睨みつける眼差しに、ユキコはたじろぐしかなかった。最初は間抜けな中年オヤジに見えていただけに、そのギャップがユキコの恐怖心を余計に掻き立たせた。
 普通に考えれば、こんなことで脅迫だと訴えられるわけがない。そのはずだ。そのはずなのに、今この店長が警察に電話して、脅迫だと訴えれば、実際に自分は連行されて裁判にかけられるのではないかとユキコは思った。そして一般的な脅迫ならあり得ないような重い判決が下されるのではないか、そう、例えば死刑のような――。ユキコはその現実的ではない妄想を振り払おうとするのだが、店長の蛙を睨む蛇のような目が、店員の馬鹿にしたようなにへら顔が、店内の客たちの嘲笑を含んだ視線が、ユキコのネガティブな思考を加速させ、「す、すいません、私が悪かったです」と言わせるまでに至らしめたのだった。
「わかればいいんですよ、わかれば。もう二度とうちの店にこないでくださいよ」
 ユキコは店長に押し出される形で店から追い出された。ドアが閉められる直前、店員が大声で笑った。それに合わせるかのように、店内の客たちもどっと笑い声を合唱した。それはドアが閉まられた後も店外へと漏れ聞こえており、ユキコの中から嫌悪感や不快感を最大限に引き出し、彼女に人生で初めて味わうような屈辱感と惨めさを与えるのだった。
 もうユキコにはショッピングなどを楽しむ余裕などなかった。こんな最悪な日はない、今日はもうどこにも行きたくない、と彼女は帰路へとついた。シャワーを浴びよう、そして寝てしまおう、そうすればすべて醒めるだろう、すべて元通りだ、こんなのが現実のはずがないのだから、すべては悪い夢なのだから、自分にそう言い聞かせながら。
 自宅まであと数メートルというところだ。近所の公園にユキコは差し掛かった。
「あ、危ない!」
 幼い少年の叫び声が聞こえた。ユキコはずっと俯き、コンクリートの側面に付着する砂利を眺めながら歩いていたので反応が遅れた。はっと顔を上げたとき、ちょうど自分の頭部くらいの大きさがあるサッカーボールが顔面へと突進してくるところだった。
 そんな状態から避けられるはずがなく、ユキコの顔面はそのサッカーボールを見事に受け止めることになった。かなり強い勢いで飛んできていたので、ぶつかった直後、ユキコは数歩よろけて尻もちをつく。顔と尻と膝裏あたりが同時にじんじんと痛んだ。
「ごめんなさい、大丈夫ですか」
 公園の方から何人かの小学校中学年くらいの少年が駆け寄ってくる。赤いストライプ柄やら青い無地やらやけにカラフルな服を着ているとユキコはどうでもいいことを思った。
 少年たちは心配そうな顔で近づいてきたかと思うと、尻もちをついたままのユキコに立ち上がる隙も与えないで、あっという間に彼女を包囲する。取り囲まれる形になったユキコは微かに恐怖を覚えたが、なに相手は子どもだと自分に言い聞かせた。
「おばさん、怪我はない?」
 青い無地の少年が不安そうに自分の顔を覗き込んでくる、それだけでユキコは微かにでも恐怖を覚えた自分を恥じた。こんな可愛らしい子たちを警戒する必要があるものか。
「大丈夫。大したことないよ。でももっと人のことに気をつけて遊ぼうね」
 ユキコは満面の笑みを少年たちに向け、妙に大人ぶった口調で諭しながら立ち上がった。そのとき、ごつんと何か硬いものと硬いものがぶつかるような嫌な音が耳のすぐそばでして、突如右の側頭部に鋭い痛みが走った。あまりに痛さに、ユキコは「ぎゃっ」と野太い悲鳴を上げ、じわっと熱くなった側頭部に手を当てた。
 おそるおそるそこに触れた手のひらを広げてみると、鉄臭く赤黒い液体で湿っていた。
 何が起きたのかわからず、ただ心臓がばくばくと危険だという警告音を激しく鳴らしているのを聞きながら、ユキコは痛みを感じた右側に首を回した。そこにはユキコを取り囲む男の子たちと少し離れて、野球帽を被った少年が手の中で小石をもてあそびながらにやついていた。彼が自分に向かって小石を投げたのだ、とユキコは察した。
 と、少年は小石をぐねぐねと回す手を止める。
「みんな、戦争ごっこしようぜ」
 合図はその一言だった。ユキコを取り囲んでいた少年たちは一斉にユキコに密着すると、腕を引っ張る者と背後から押す者に分かれ、ユキコを公園へと引きずり込んでいった。ユキコも咄嗟のことで混乱しながらも、とにかく逃げなければと思い抵抗したが、少年たちの力はその小さな身体からは考えられないほど強く、蟻地獄に嵌った蟻のように飲み込まれるしかなかった。
 ユキコを公園の真ん中まで連れていったとき、少年たちはようやくユキコから離れ、散り散りになる。やっと解放されたとユキコが一瞬ほっとしたのもつかの間、今度は後頭部に鋭い痛みが走り抜けた。先ほどの側頭部の痛みよりも強烈なもので、ユキコは頭を抱えてその場にうずくまった。呼吸が荒くなる。心臓の鐘の音がぶっ壊れそうなほど鳴っている。ユキコは冷たい汗をだらだら流しながら、どうにか立ち上がり、振り返る。ついさっきまでユキコのことを心配していた青い無地の少年が、小石を持った腕をぶんぶんと振り回しながら、嬉しそうに笑っていた。

 それからユキコはどのくらいそこでのたうち回っていたのだろうか。少年たちは手当たり次第にユキコに小石を投げつけ、ユキコはそれらによって全身を砕かれるような痛みを味わった。最初のうちは「誰か助けて」だとか「やめなさい」だとか騒いでいたユキコだが、しばらくするとその声は「うぎゃっ」とか「いぎゃっ」だとか悲鳴だか呻き声だかよくわからない奇声へと変わり、最終的には何も言わなくなり、ただダンゴムシのように背中を丸めて降り注いでくる小石の弾丸を黙々と受けているだけの状態になっていた。
「あーあ、つまんね」
 そう言って小石を地面に捨てたのは、合図をした野球帽の少年だった。
「もう戦争ごっこ飽きたわ。他の遊びしに行こうぜ」
 野球帽の少年がそう言えば、他の少年たちも小石を捨て、「今度は何やる?」「うちでゲームでもしようぜ」と楽しげに言い合いながら公園を出ていった。誰もサッカーボールをぶつけたときのように、ユキコに心配の声をかける者はいなかった。
 公園には、小石で受けた傷でぼろぼろのユキコだけが取り残されていた。
 全身の至るところの皮膚が破れて血があふれ出しており、身体全体が熱を宿したように熱く、また骨の芯からがんがんと殴りつけてくるような痛みがユキコを襲っていた。そんな中でも、ユキコの心はようやく少年たちの無意味な暴力から解放されたことへの安堵で満ちていた。
 ――ああ、帰ろう。帰って・・・・・・シャワーは痛いだろうからそのまま寝て、明日病院に行って治療をしてもらおう。そうしたら元通りだ。すべて元通りだ――。
 ユキコは丸めていた背を広げ、腕に力を込めようとする。そこで気づいた。立ち上がれないことに。
 腕に力を込めようとしても、入らない。足もぷるぷると震えるばかりで、数センチ横に動かすのがやっとのあり様で、持ち上げることもできない。そういえば視界もなんだか霞んでいる、とユキコは思った。ピントのずれた眼鏡をかけたときみたいに、世界がどんどん薄ぼんやりと滲んでいく。死、という文字が脳裏をよぎった。怖い。ユキコは死ぬのが怖かった。怖い、怖い。ユキコは這った。手や足を持ち上げる力もないというのに、少し動かすだけで軋むような痛みがあるのに、ユキコはただただ死から逃げたい一心で、無様に地面を這った。ナメクジよりも遅く這ったところで、死からは逃げられないというのに。
 ――嫌だ、嫌だ――。
 ユキコが頬に血の混じった涙を一筋流したときだ。ユキコのピントのずれた視界の中で、二人の人間の人影が現れた。二人の人影はユキコのもとへとゆっくり歩み寄ってくる。
「た・・・・・・たじゅけで・・・・・・」
 ユキコは最後の力を振り絞って声帯を震わせた。それはもう日本語を上手く発音できなかった。
 二人の人影が、ユキコの地べたに這いつくばるユキコの前に立つ。一人はすらっと背の高い長身の男。もう一人は背の低い丸顔の男。
「これどうすんの?」
 長身の方がそう言ったようだった。
「どうするも何も――」
 丸顔が何か答えようとしていたが、ユキコにはもう二人の言葉なんて聞こえておらず、がむしゃらに丸顔の足首を掴んだ。
「あ・・・・・・ああ・・・・・・」
「・・・・・・今決めた」
 丸顔が自分の足首を掴むユキコを見下ろしながら言った。どんな表情をしているのかは、ユキコにはわからなかった。
「こいつ殺すわ」
 直後、ユキコは自身の頭が弾け飛ぶような衝撃と砕け散るような感覚を同時に体験した。一瞬目の前に火花みたいな閃光が散ったかと思うと、次の瞬間にはピントのずれた視界は暗転して真っ黒になっており、もう二度とそこに光が差し込むことはなかった。

「で、墓を作ってやるってのはずいぶんと律儀だね」
 長身が煙草の煙を宙に吹きだしながら言う。
「お前だって縁日で取ってきた金魚の墓くらいは作ってやったことあるだろ」
 深々と掘られた穴に、ビニールシートで包んだユキコの死体を放り込みながら丸顔は返した。
「俺そういうの行ったことねえし、ペットも飼ったことねえからわかんねえや」
「そうかい」
 丸顔はシャベルを駆使して穴を埋めていく。ビニールシートに包れたユキコの死体がどんどん土に埋まっていく。
 それから長身も丸顔も何も喋らなかった。丸顔は穴を埋める作業に没頭していたし、長身は煙草を吸い終わるとその吸い殻を踏み潰し、ただぼんやりと木々の合間に止まって鳴いている小鳥を眺めているだけだった。
 そこはどこかの山奥だったけれど、どこの山奥なのかは、長身も丸顔もよく知らないのだった。
「終わったぞ」
 数十分ほど経ち、穴を埋め終えた丸顔が沈黙を破った。
「そうか、それじゃ帰ろう。俺もう腹がぺこぺこなんだ」
「ちょっと待ってくれ。埋めただけじゃ墓にならん。せめてこれがなきゃな」
 丸顔はズボンのポケットから薄汚いアイスの棒を取り出すと、穴の埋め跡に立てた。
「おいおい、そんな雑なのでいいのかよ」
「金魚の墓だってこんなもんだろ」
 そして長身と丸顔はユキコを埋めた場所に背を向け、歩き出した。
「それで何が食いたい?」
「キムチ牛丼」
「お前それ昨日も食ってなかったか?」
「ハマった」
 二人が消えた後には、静けさだけがその場所を支配していた。
 埋め跡に立てられたアイスの棒には、黒いマジックペンで『人類の墓』と書かれていた。

人類の墓

人類の墓

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-09-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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