探偵は嘘をつく。
彼はいつも幸福だった、それでいて周りからみて不幸だった。
「なんで君さ、大型事務所に所属しないの?」
弁護士はいった、会話の相手、それは坂元事務所の坂本探偵だった。知り合いの弁護士から、警察の内部情報を調査白と依頼されて、そうやすやすと受け、実際に情報を手に入れられるのは彼くらいのものだろう、彼はいっさいの痕跡を残さず、完璧に仕事をやってのける、依頼者は敏腕弁護士で、35歳の男性、彼がそういう事をいうときには、つまその“知り合いの弁護士”がこの雑居ビルに尋ねてくるのを誰かに見られたくないという裏の意味があるのだろう、坂下は仕方なく答えた。
「この身分がちょうどいいんです、僕の過去からいうと」
たしかに身よりもなく育ってきたかれには、自身が無くて当然だ。彼は家族の暖かかみもしらない。けれど彼は言う。こんな時代だから、そんな事も珍しくないのだと、そういう考えが、自分の神経をまた弱らせていることにすら気がつかずに、彼はまたひとつ仮説をふやす、“今は誰もが寂しい時代だから”それは仮説だ。彼は寂しさをしらない。
「先生、私の依頼、どうなりました?」
夫人は、いぶかしげに坂本をしたからのぞき込むようにした。その目は、件の弁護士の信頼の目とは違ってまるで坂本の腕を信頼してなどいない、それもそうだ、彼女は人からの提案でここに来た人だったはず。
「ええ、見つかりましたよ、でも、話し合った方がいい相手がいるかもしれません」
坂本は目をそらした、婦人は応接間の紫のソファーに腰かけている、坂本の近く、右側のソファーに夫人、窓辺の坂下の自室のほうから朝の明かりが差し込んで二人の依頼者を弁護士から順にてらしている、弁護士は坂本の机のすぐ傍にいた。
「どうやら、あの猫は依頼者さん、あなたの近所に住む方に、餌付けされているようです」
「それじゃあ、誘拐じゃありませんか」
「いいえ、それとは違います、住み着いていません、ただ半分野良のようにいきて、お腹がすくとあそこによるんです」
探偵坂本、彼は常に嘘をつく、自分など存在しない、自意識が存在しない、だからこそただ八方美人な自我が存在している、そこに自分の模造品をつくるけど、常にそれは失敗する、それは仮面だ、自分という仮面をして、そこに自分の名前をかいただけだ、自分を動かす理屈は存在していない、他者の力になる、その場所にしか、まだ彼は存在していない。彼は施設での記憶にさえ、自分の居場所を見いだせない。その回想の間にも、何度も咳払いが聞える、先ほどの夫人はいそいでいた。
「じゃあ、その人とお話を」
「ご婦人、その前に相手方との間にひとつ、お約束をしていただきたいんです、ここに契約書があります、これはほかの誰にも相談しないと、裁判沙汰にはしないとそういう約束事です」
小太りの老婦人は、窓をみて溜息をついた。いかにもうさんくさい出来事とはすぐにお別れしたいといった表情で、顔をしかめている。
「あの子が戻るなら、なんでもいいですよ」
スーツの擦れる音がした、アイコンタクトで弁護士はそこをあとにすると告げた、その途端彼の腕は、探偵の肩へとつながってポンとたたいた。
「また出直すよ、あんまりお人よしばかりやるなよ、心を壊すぞ、似たような職業だ」
坂本は落ちこんだ、いくら才能のある探偵といえど、その人に見込まれていようとも、そのしぐさの意味、あの人の温かさも、知性も、坂本はまだ知らないのだ。坂本は、一人の少女が近所の猫を囲っていただけの話を、誘拐ととらえる事はできなかった。
探偵は嘘をつく。