ふしぎな筆
誰もが一度は過ごした高校生活、いつもと同じだけどちょっと変わった高校生活がはじまる。
ふしぎな筆 育田 知未
午後四時半の部室には西日が照りつけて暑かった。おれは部室の掃除にかかろうとしていた。
「テンメイ、あとは頼んだぜ。さっ、行こうぜ。ミーちゃん。」
「うん、今日は何なにして遊ぼうかぁ。リョウちゃん。 あ、テンちゃん。かたずけよろしこね。」
「伊藤くん。申し訳ないけど僕もこれで失礼するね。ポン太先生のコレクション申し訳ないけどきれいに片づけておいてね。一年生の仕事だから。それじゃあ、失礼。」
二年生のバカップル、棗リョウと三田みどりに続いて、三年生のおたく部長加藤和夫がぶつぶつと独り言ともつかない挨拶をして、暗く部室から出て行った。俺は一人の残された。
なんで、俺だけ残って部室の整理なのかね。だいたい、皆やる気あるのかね。ま、たった四人のクラブ活動で、個展もやらないんだから、腐っても当たり前か。と思った。それにしても、ポン太先生のコレクションは何なんだろうか?全然、整理されていない。実家が金持ちで、見栄えも悪い独身教師が骨董集めに精を出す。元々、歴史おたくだったポン太がここの顧問を引き受けたっていうのも、実家に趣味の骨董品を置く場所が無くなったので、学校に置き場を確保しようとしてのことらしい。
この学校は、千葉県立高金高等学校。県立高校の中でも、中の中の学校だ。そんな中でも俺は中の中の成績だ。俺はなぜか書道部に入っている。明確な理由はないがこの学校はみんながクラブに入っていて、一人だけ帰宅っていうのも気が引けたから、一番楽そうなクラブっていうことでここに入ったって訳だ。外からはテニス部の明るい笑い声が聞こえてきて、この部室とは対照的だった。
「さっ、適当に寄せて早く家に帰ってゲームでもするか。」
と、奥の箱を整理しようと手を伸ばしたところ、俺は不覚にも床にころがっていた文鎮に蹴つまずいて、荷物の中に倒れ込んだ。積んであった骨董ともごみともつかないあまたのほこりをかぶった箱が一斉に崩れ、俺はその中に埋もれた。気がつくと目の前に小さな箱があった。
―千人の筆―
「たつじんの筆?」
俺は何となく気になり、その箱を手に取ってみた。そして、箱を開けてみた。すると、中には毛が生えそろっていない、いかにもみすぼらしい筆が一本入っているだけだった。
「なんだこりゃ。ポン太の集める“お宝”もたいしたことはないな。」
独り言をつぶやいてみたものの、その筆が気になり、頭から離れなくなった。本当にこんな筆で字が書けるのかな。無性に試してみたくなった。そして、気がついた時には俺は硯で墨をすっていた。
―農林水産大臣賞―
自分でも変なことを書いたなと思った。筆の毛先のヒョロヒョロ感が稲をイメージさせたのか、こんな文句を書いてしまった。しかも、毛が揃っていないせいか、とんでもなく、ヒョロリとした字であった。下手な字が余計下手に見えた。ポン太のお宝だから少しは味のある字が書けるかと思ったけど全然だな。などど、妙に納得しながら半紙を机の上に置くと、筆を水道で洗った。すると、力も掛けてないのに、筆から毛が一本抜けたではないか。
「まずい」
とは思ったものの、直ぐにまあいいかと思い直し、筆をそそくさとしまうと部室から退散した。
翌日、部室にいってみた。すると部室の中が妙に騒がしい。何かと思って中を覗いてみると、先生はじめ部員の四人全員が集まってああでもないこうでもないと話し合っているではないか。その中心には、まさに昨日俺が書き残した、「農林水産大臣賞」の書が鎮座していた。
参ったなあ、と内心思いながら部室に入って行った。
「おはようございます。」
「天明君。これを書いたのは君かい?」
ポン太がすかさず聞いてきた。声が興奮していた。
「す、すいません。ついつまらない物を書いちゃいました。つい出来心で・・・」
「すいませんじゃないよ。素ん晴らしいだよ。」
ポン太は続ける。
「こんな、素ん晴らしい書は今まで見たことがない。今、皆と話し合っていたんだが、我々も目を覚まされた感じだよ。本当に心が洗われる。君を見習って我々も、もっと、努力しなければ。」
続いて部長が、
「というわけで、君の秀作を今度の展覧会に出すことにしたよ。」
と言いだした。
なんだって?ウソだろ。
などと言う間もなく、俺の作品「農林水産大臣賞」は展覧会に出展されて一人歩きすることになる。
情報収集したところでは、俺の作品は展覧会でも絶賛を浴びたそうだ。内閣総理大臣賞を受賞なんてことも囁かれはじめた。
「農林水産大臣賞が内閣総理大臣賞を受賞ってしゃれにもならんな。」などと、一人思いながら、俺は内心とてもうれしかった。内閣総理大臣賞って金一封とか出るのかな、などと妄想しながらしばらく過ごした。
しかし、予想に反し俺の作品は内閣総理大臣賞どころか銅賞ももらえずに帰って来た。参加賞ぐらいくれてもいいと思うが。
皆で俺の作品を取り囲み何か言っている。
「この作品のどこが良かったんだろうね。全く。」
「うーん。理解不能。みたいな。」
「ど、どうかしてたね。諸君。」
「熱中症に皆罹っていたんだよ。きっと。」
ポン太がそう締めくくると皆解散して部室を後にした。
俺はまた一人残された。
―なんでやねん―
気がつくと俺は例の筆でこう書いていた。そして、さびしく部室を出て行った。あとには例の筆と抜けた一本の毛が残されていた。
その夜、おれは不思議な夢を見た。夢の中では一人の老人が出てきて俺を待っていた。
「あんた誰?」
「わしは筆仙人じゃ。」
「なんで俺の夢に出てくるんだ?」
「おぬしがわしを呼んだんじゃろうが。『なんでやねん』ってわしに理由を聞きたがっていたろうが。」
「あっ。」
ようやく話しが分かってきた。
「もしかして、おれの農林水産大臣賞が内閣総理大臣賞取りそうになったのは?」
「そう、あの筆はわしが生涯を懸けて、全身全霊を懸けて作った筆じゃ。文字を書いた者の念が実現されるのじゃ。でも、一つの念を叶える代わりに筆の毛は一本ずつ抜けて行く。そういう代物じゃ。あの筆は昭和の大戦で大変な空襲に会ってな。危うく燃えそうになったんだが家宝を燃やしては大変とその当時の持ち主が命からがらこの筆を守ったんじゃ。でも、箱書が無くなってのう新しい箱書きを作ったんじゃ。その持ち主は根は良い奴なんじゃが、ちと頭が足りなくての。せんにんの字を書き間違えたのじゃ。
その後の生活苦で不憫にも、筆を手放すことになってのう。その後は持ち主を転々として、あの根暗教師の手に渡り、何の因果かお前の元にやって来たという訳じゃ。」(やった。これで人生思い通りになるぞ。)
俺は内心小躍りした。いや、実際に寝ながら踊っていたらしい。翌日親に大怒られした。
「あ、そうそう。言い忘れておったが、願い事を書いた半紙は皆が見ることの出来る場所に飾っておかないと効力は現れんから、そのつもりでのう。」
「えっ。」
「そりゃあそうじゃ。そうでもしないとろくな事を考えかねん輩がおるでの。それと、念が消えれば効果も消えるし、一度願ったことは取り消し出来ない。」
「何だか七面倒くさいな。」
「それじゃあ。世のため、人のためあの筆の力を存分に発揮してくれよ。何かあったら呼んでえな。お前の夢枕に現れるでの。バイビー。」
というと仙人は俺の夢から姿を消した。とても不思議な感覚の夢だった。寝汗ぐっしょりで俺は夢から覚めた。
翌日、俺は登校したら直ぐに部室に行ってみた。そして、さっそく書いてみた。
―誰か今日の昼飯おごってくれ―
そして、皆の習字の紙と一緒に飾っておいた。
昼休みになぜか部長が訪ねてきた。
「天明くん。今日お弁当作りすぎちゃったんだけど、一緒にどう?」
「えっ。」
(これって、願ったこととちょっと違うんだけど。)
と、思ったけれど後の祭り。俺は部長と二人で昼食を取るハメになった。
さて、悪夢の昼食が終り、午後の授業も何とか乗り切った俺は、部室へ直行した。今度は何を願おうかな。外では今日もテニス部の明るい掛け声が聞こえていた。
二年A組 杉宮真梨亜。
俺の憧れの先輩だ。勉強も出来て、スポーツも出来るテニス部のレギュラー。ああ、一度でいいから結婚したい。いやいや、高校生で結婚は早い。とりあえず、一度でいいから話がしたい。ということで、書いてみた。
―杉宮真梨亜さんと話がしたい―
そして、部室の壁に飾った。と、次の瞬間猛スピートでテニスボールが俺の後ろ頭に命中した。
「真梨亜がサービスを外すなんてめずらしいねえ。しかも、大ホームラン。」
「ごめんね。」
「いいから早くボール取ってきなよ。」
「うん、分かった。謝ってくる。」
俺の遠ざかる意識の中にこんな会話が響いてきた。杉宮真梨亜先輩は校舎の中へ入ってくると、直ぐに部室に姿を現した。
「あのー。まことに申し訳ありませんがこちらにボールが飛んできませんでしたか?」
部室の入り口に真梨亜先輩が立っている。俺は飛び起きた。長身で、背中まで伸びるロングヘアー。大きくな瞳。筋の通った鼻。たらこちゃん唇。どれをとってもジュテームである。その瞳に見つめられるだけで俺の心臓がバクバクと脈を打っているのが分かる。
「は、はい。確かに飛んで来まして、僕の頭に命中しました。」(ああ、何を言っているんだ俺は)と、言いながら、俺は緊張のあまり再び卒倒してしまった。
「だ、大丈夫?」
真梨亜先輩の顔が、倒れた俺の顔に近づく。
「テンメイどうしたの?」「伊藤君気を確かに。」
なぜか書道部員も俺を取り囲む。
「ああ、こいつはいつもすぐ倒れるんで気にしないで下さい。それよりこっちでお茶でもどう?」
(くそー。棗のやつ俺の真梨亜先輩を口説くな。)
「リョウちゃん。あたしというものがありながらひどいぃぃぃぃ―。」
(ああ、バカップルはどっかに行ってくれ。)「とにかく、後は大丈夫だから。君は部に戻りたまえ。」
ポン太が珍しくその場を収めた。
これが真梨亜先輩との初めての会話であった。
翌日、俺は部室で笑い者にされていた。なんせ、俺が倒れた傍には「杉宮・・・」が落ちていたのだから、皆の格好の話題となった訳だ。ばかどもに何と言われようとも俺は幸せだった。なんせ憧れの真梨亜先輩と話が出来たのだから。どんな形であれ。
俺は筆を家に持って帰ってしまった。悪いとは思いつつこれ以上部室で書くという訳にはいかなかった。学校でこれ以上願いを書いて皆に何故そんなことを書いているのか疑われるのも困ったものだったし、何より、笑い物になるのがいやだった。そして、俺には秘策があった。俺の部屋の中に書いても、家族の目に付く場所に飾っておけば良いだろう。どうせ俺の部屋には母親が掃除の時に入って来るくらい。気に留めることもあるまい。学校で噂になるよりもよっぽど良い。
俺は早速書いてみた。
―杉宮 真梨亜先輩とデートがしたい―
本当にデート出来るのか心配だった。今までの筆の力を考えれば簡単なことだったが家で書くのは初めて。本当に願いは届くのだろうか。
翌日。放課後になるのに何も起こらない。
(失敗だったか?)
と、思いつついつの間にかおれは二年A組の近くに来てしまった。
その時、教室からちょうど真梨亜先輩が出てきた。二人は思わず顔を見合わせた。咄嗟に俺は勢いで叫んでしまった。
「先輩、今週末暇ですか?」
「いいよ、この前のこともあるし、土曜日の十時に駅前で待ち合わせましょう。」
やった。筆様々だ。ついに真梨亜先輩とのデートにこぎつけたぞ。俺は天にも昇る気持ちだった。だが、デートの日が近づくにつれて不安になって来た。念には念を入れて習字しておこう。
―デートがうまく行きますように―
まるで、七夕の短冊である。
待ちに待った週末がやって来た。俺は約束の時間より十分も前に待ち合わせ場所に来たのに真梨亜先輩は既に到着していた。
「な、なんでこんなに早いんですか。」
「今日はこの前のお詫びだから、遅れちゃいけないと思って早く来たのよ。」
「お詫び・・・」
そうさ、いくら魔法の筆があっても俺なんかに先輩が本気で惚れる訳がない。
「・・・?」
先輩は、俺が軽いショックを受けているのを分からない様子でこちらを見つめていた。
「先輩、映画でも見に行きましょう。」
「いいわよ。」
俺は開き直って先輩とデートを楽しむことにした。先輩は部活に忙しくあまり繁華街に出ることはないのだそうだ。俺は先輩をいろいろなところに案内した。そして、俺の部活のこと、へんてこりんな部員や顧問、そして、顧問が集めているコレクションのことなぞを話した。でも、さすがに筆のことまでは話せなかった。
「今日は楽しかったよ。また、借りが出来ちゃった。ありがとう。」
「こちらこそ楽しかったです。あっ、俺夕方から母親に用事頼まれてたんだ。済みません。ここで失礼します。」
俺は次のデートに誘いたかった。でも、今までの筆の願いの叶え方は何か落とすところがあって、次のデートに誘って断られるのが怖くて、つい怖気づいてしまったんだ。
「天明くん。今日は本当にありがとう。さようなら。」
先輩は俺の後ろ姿に声を掛けてくれた。おれは後ろを振り返り手を振ると、歩みを速めてその場を去った。
それから数日間何もなく時間が過ぎた。学校では俺と真梨亜先輩がデートしたという噂が立つには立ったが、そんなことありえないという嘲笑の声にそんな噂もかき消されていった。だが、そんな世間の流れとは裏腹に俺の中では真梨亜先輩への思いは募っていった。(あんまり、思い詰めても仕方ないよな。)
家に帰ってまた筆の力を借りようと思った。
―また、真梨亜先輩とデート出来ますようにー
半紙に収まらないくらい一杯に書いてしまった。俺は都合の良い事ばかり考えるダメ人間だ。心の中で自分の声とも筆の主ともつかない声が俺に叱責を浴びせていた。そんな声を聞きながら俺は眠りについた。
翌日、驚くべきことが起きた。何と真梨亜先輩の方から俺にデートの誘いがあったのだ。筆の威力侮りがたし。
「天明くんには借りを作りっぱなしだから今度こそ返そうと思って。」
先輩は恥ずかしそうにそんなことを言っていた。
「借りですか。もういいのに。」
「ううん。私の気が済まないわ。だから、今度は私の指定した場所で待ち合わせよ。」
先輩が指定したのは公園だった。公園といっても郊外にある広い公園だ。東京ドームが何個分入るといったところだった。そこではフライングディスクをやったり、犬の散歩をさせたりと皆思い思いのことをしていた。
(俺にはあんまり似合わない場所だな。)
そう思いながらも先輩と一緒に歩いた。先輩は広場に一つだけあるベンチを見つけそこへ歩みを進めた。俺もその後から付いていく。ベンチに着くと先輩は箱を広げた。
「今日はね。お弁当を作ってみたのよ。へへぇ。ちょっと食べてみて。」
そう言うと先輩はサンドイッチを差し出した。
「いただきます。」
ううん・・・不味くはないが、美味しいとも言えない。ほんとに不慣れな人が作った味だった。
「どう。」
「なんども言えない味ですね。い、いや。で、でも美味しいです。一生懸命作った味がします。」
「ありがとう。私、君のそういうところが好きだな。他の人は特に男の子はなんか不自然というか、私と話す時何か本心を隠しているように感じるの。でも、君は違うわ。」
「そんなことありません。」
「ううん。君と話していると私なぜか落ち着くの。他の人と話す時のような緊張感を感じないのよ。この前話をした時そんな風に感じたわ。」
「僕はあなたと話す時。落ち着いてなんかいません。いつも、ドキドキしています。でも、一度話始めると話すのが楽しくて、全て忘れてしまうんです。ただ、それだけです。」
「・・・・」
「・・・・」
「ありがとう・・・。」
先輩は何かを待っていた様だったが最後にこう言うとベンチを立った。
「もう少し歩こうか。」
二人で公園を散歩しながら話をして帰ることになった。今回も次の約束はしなかった。
今回のデートは何か気持ちが押しつぶされたような、もやもやとしたデートになってしまった。きっと先輩もそう感じているのだろう。
あれから数日先輩と話もしていない。あのデートはなんだったのかなぁ。そんなことを考えながら俺は部室で一人壁を眺めていた。
やっぱり筆の力を借りて真梨亜先輩に俺を好きになってもらおう。それしかない。この悶々とした気持ちを晴らすにはこれしかないと思い、筆を取り出した。
「どうか、杉宮真梨亜先輩が僕を好きになってくれますように。」
と独り言をしゃべっていると、後ろから声が聞こえた。
「本当に君はそれで良いのかい。」
「げ、ポ、ポン太先生。」
「君は杉宮君が本当に好きなんだろう。だったら何で筆の力を借りて自分の思いを遂げようとするんだい。筆の力は一時的だ。全ては夢のように終わる。そうしたら、直ぐに杉宮君の思いは冷めてしまうよ。」
(げっ、何で秘密知ってんの?)
「でも、筆の力を借りなければ俺はふられてしまうかもしれない。」
「ふられても良いじゃないか。自分の思いを伝えることが出来れば。もし、本当に好きならその気持ちを伝えることで君も悔いなく生きることが出来るし、相手もうれしいはずだよ。伊藤君は何で杉宮くんが好きなんだい。」
「それは、最初はきれいだからあこがれていたというか、でも、話すうちに何か温かいものを感じたというか、先輩も同じ気持ちだと思います。」
「じゃあ、話は決まった。直ぐに筆に本当の願いを言ってみな。」
というと、ポン太は俺をしたたかどついた。おれは思いっきり前のめりに倒れた。
と、そこでで目が覚めた。俺は壁に向かって座ったまま居眠りしていたらしい。
「なんだ、夢か。」
でも、妙にリアルな夢だったな。背中も痛い。
まあ、そんなことはどうでも良い。俺の本当の願いは決まった。
―俺の気持ちを杉宮真梨亜先輩に届ける手伝いをしてくれー
俺はそう書いた。すると、少ししか残っていなかった筆の毛先は全て抜け落ちてしまった。
「げっ。全部毛が抜けた。なんで?」
―それはお前の念がそれだけ強かったからじゃ。まあ、ええじゃろう。―
どこかから、仙人の声が聞こえた気がした。
「仕方がないんだ。これが今の俺の気持ちなんだから。」
俺は習字を壁に貼った。するとここには居なかったはずのポン太先生を始め棗リョウ、三田みどり、加藤部長の三人がいきなり雪崩れ込んで来た。習字には全く気付かない。ポン太が言った。
「書道部もたまには何か本格的な出展をやろうと我ながら急に思い立ってね。ついては大作を作って校舎の屋上からぶら下げようと思うんだ。」
続けて部長が言う。
「ポン太先生がいきなり教室にやって来てその話をしてね。全くその通りだと言うことになって、皆を誘ったんだ。皆大賛成になってね。是非やろうって。」
「そうだよ。やろうやろう。」
棗が続いた。
「早速今日やっちゃいましょう。」
みどり先輩もそう言ってくれた。
皆なんか目が狂気じみている。筆の力ってすごい。
「ぼくも賛成します。」
俺もそういった。
「じゃあ、伊藤君。君がセンターに文字を書いてくれたまえ。ようしこれで話は決まった皆準備開始!」
「おう。」
「おう。」
「イェイ。」
「お、おう。」
俺はちょっと怖くなった。
放課後の屋上。穏やかな風が吹いている。書道部の皆が大筆と墨の入ったバケツ、ばかでかい特寸の紙を持って屋上揃っている。みどり先輩は放送室でアナウンスのスタンバイ。みんな準備万端整った。
「―ピィー、ピィー、ガー―。あーっ。あーっ。本日は晴天なり。ただいまマイクのテスト中。」
みどり先輩の声が鳴り響く。
「突然で申し訳ありませんが部活動の一環として、書道部のパフォーマンスを行います。ご用と御急ぎでない方は是非とも本校舎正面に御集り下さい。」
校内がざわつき始めた。
「ドン、ドン。スチャラカラァーー。」
流行りの曲が流れ始めた。屋上からは、部長と棗先輩が書いた作品が次々と完成し屋上からぶら下げられている。
「高金高校書道部」
「青春は一度きりだから」
「さあ、皆飛び出そう」
「思ったことをやりとげよう」
皆青春を謳歌するような台詞ばかりだ。俺はとびきり大筆を任されて最後に書く予定だ。
「ほんとに、こんなことして良いのかな。」
俺は再び怖気づいて、言葉を漏らす。すると、ポン太がこう言った。
「人間、人生で一度や二度は勝負する時がある。自分で考えてやろうと思ったんだろ。心配するな。俺はこんなことは慣れているのじゃ。」
「?」
「さあ、書く言葉は決まっているんだろ。書いてみな。」
俺は意を決して力一杯大筆を振るった。
最後の一枚を俺は屋上からぶらさげた。
「悔いが残らないように。この思いを伝えたい。
俺は先輩が大好きだ。
俺のこの気持ちを受け止めてくれ。
一年天明。」
校庭の生徒からひと際大きいざわめきが起きた。
テニスコートにいた杉宮先輩は練習の手を止めてこのパフォーマンスを見ていたが、俺の告白を見た瞬間顔を真っ赤にして校舎の中へと消えて行ってしまった。
「やっと、君の思いを告げらたね。」
ポン太先生が言った。
「それと、君がデート出来たのは筆の力じゃあなくて実力だよ。自宅の部屋に飾っても誰も見ないんじゃあ仙人の筆の効力は出ないのじゃ。」
「あなた誰なんですか?」
「ただの教師だよ。後かたずけはよろしくね。」
というと、ポン太先生はさっさと屋上を後にした。
その翌日、書道部一同は校長室に呼び出された。事前の許可もなくパフォーマンスを、しかも、危険な屋上で行うとは以ての外ということであった。しかし、大変な盛り上がりを見せたこともあり、また、何か悪事を働いた訳でもないため、停学等の処分は免れた。
ポン太先生はそれ以来学校に姿を現さなくなった。先生たちも一部を除き理由は分からないらしい。部室にあったポン太先生のコレクションもすべて撤去されていた。いつの間に持ち出されたのか?誰にも分からないというのだから不思議な話だ。
しばらくして、書道部に新しい顧問が来た。書道が少しうまい普通の先生だ。俺は考えた末、書道部を辞めることにした。
それから、俺と先輩はどうなったかって?、実はおれは今テニス部に入っているのだ。それというのもパフォーマンスの翌日に真梨亜先輩に誘われたからだ。
「天明くん。テニス部に入ってくれない?下手でもいいのよ。だってそうすれば毎日デートしている気分になれるじゃない。」
要は付き合ってくれるということの様だった。
「でも、たまには本物のデートにも連れてってね。」
俺がヘタッピーでも真梨亜先輩は俺に優しかった。二人で帰る時も彼女はこう言ってくれる。
「天明くんの持っている雰囲気がすてきなのよ。あなたはあなたのままが素敵なの。あなたが入ってくれたおかげでなんかテニス部も明るくなったわ。」とうれしいことを言ってくれる。
今日もおれは真梨亜先輩を狙っていた男子部員からしごかれている。
「まあいい。習うより慣れろだ。今に見てろよ。」
俺はいつの間にか変わっていく自分を感じて少し嬉しくなった。
完
ふしぎな筆
短い青春時代、誰もが経験するちょっとした心の変化を日常からかけ離れた出来ごとを元に描いてみました。
青春は一度きりと言われています。でも、高校を卒業して、大学へ行き、社会人となり、結婚して、子供が出来ても、何かを求めてさえいれば、誰にでも、何時も通っている道が何か違って見えてくると思います。皆さんも何かを探してみたら?