蛞蝓

アイが若い坊主と逐電し、夫の鉄二が自殺した・・・

この夏中、小さな在所は鉄二の嫁のアイが若い坊主と逐電した話で持ちきりだった。
そして秋口には鉄二が自殺した。
鉄二は納屋の梁にロープを垂らして首を吊った。最初に見つけたのはいつものように鉄二の家の鶏が産んだ卵をもらいに来た隣家の芳ばあだった。
芳ばあはあまりの驚きに腰を抜かした。

鉄二は40歳を過ぎたところだった。両親を早くに無くし、嫁のアイと二人で暮らしていたが、夏にアイがいなくなった。
アイがいなくなった時、在所に一つだけあった寺の若い住職も共に姿を消した。アイがこの住職と懇ろであったことは皆が知っていることだった。鉄二を除いては。だから鉄二には、アイがいなくなった時、アイは在所を流れる小さな川で鉄砲水に流されたのだと説明された。在所のもの皆が口裏を合わせてそういった。

鉄二はすこし頭が弱かった。鉄砲水で行方不明になった手筈のアイのために在所で葬儀が営まれたが、鉄二は悲しむ風でもなく、呆然と小さくたたずんでいた。
「鉄二は哀れななあ。嫁に逃げられて、その本当の理由もわからんとこれからは寡(やもめ)暮らしやの」
「ほな、お前のぎょうさんおる娘の一人を後妻にくれたれや」
「あほいうな。あんな頭の足らん奴に娘やれるか」
「みてみ、アイの親御も二人とも神妙な顔しとるけど、内心ほっとしとるで。旦那が普通のもんやったら大ごとや」

アイは鉄二より五歳ほど若かった。十年前、鉄二の叔父の三郎衛門がアイを鉄二に引き合わせた。鉄二30才、アイは25歳だった。アイは薹が立っていて器量もよくなかったが気だてがよかった。人懐こく男好きのするところもあった。日本がロシア相手に戦争で勝って、世界の列強に肩を並べるほどの一流国になったと、国民皆が浮足立っていた、そんな時期に二人は祝言をあげた。
結婚した二人は、当面鉄二の両親が残した財産で食いつないでいた。鉄二の両親は鉄二が成人する前に交通事故で二人同時に亡くなったていた。そののちは、鉄二の財産を管理し世話をしていたのが叔父の三郎衛門であった。

鉄二の家は代々の庄屋だった。村では一番の資産家でもあった。そして若くして両親を亡くした一人息子の鉄二は親の財産をすべて受け継いだ。しかし後見人の三郎衛門が数年前に亡くなってからは、鉄二は急速に財産をなくしていった。親戚の誰彼や、在所のものまでもが、鉄二にうまく言いよっては、なにかと散財させた。嫁のアイも相当に浪費家であった。

在所の寺の若い住職は、名を文岳といった。まだ二十歳前後と見受けられる若い坊主だった。3年前に亡くなった前住職に跡取りがいなかったので、同じ宗派のどこかの寺から移ってきたということであった。文岳は男にしては線の細い、女のような美しい顔立ちをしていたが、不愛想で、葬式や法事の時でもお経をあげるとき以外は寡黙で、世間話の一つもしないような男だった。
その文岳とアイがいつ、どのようにして懇ろになっていったのか、全く見当もつかないが、アイが出奔する少し前のある日の夕刻、寺の本堂で二人が絡み合っているのをたまたま訪れた在所の女が見つけた。仄暗いお堂の中で坊主のほうは袈裟を着ていたが、アイは半裸であったという。
噂は瞬く間に在所中に知れ渡った。このような男女のふしだらな噂は、退屈な田舎では意外に多いものだけれど、仏の前でそんなことをするとは・・・と話を聞いたもの皆が絶句した。

その噂話のまだ絶えぬうちのことであった。
今度は鉄二が自殺した。
それを発見した芳ばあが腰を抜かしたのには、もう一つの理由があった。

薄暗く湿っぽい納屋の梁から垂れ下がったロープにうなだれたどす黒い顔の鉄二を観たと同時に、芳ばあは、鉄二の足元の土間に、白い頭骸骨が置かれているのを見つけた。真っ白でとても新しそうなきれいな頭蓋骨だった。腰を抜かしながら、芳ばあは、そのきれいな頭蓋骨の眼窩の上部を、大きな蛞蝓(なめくじ)が糸を引きながら這い上がってゆくのを見つけた。

蛞蝓

蛞蝓

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-15

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