終雪(しゅうせつ)
物語は子持ちで独身の四十歳を過ぎた中年の私と、二十歳にも満たない若い美紀と言う女との出逢いから始まる。だが美紀と出会う前に、私は幾度かの結婚と離婚とを経験していた。しかも懲りる事も無く、その後も幾人もの女達と恋愛を繰り返し、未だに愛の意味さえ気付かない幼さを引きずっていた。後になってその頃を振り返れば、自らの生い立ちに始まる愛を求め続ける強い渇望が、私を突き動かしていた様に思う。
しかも一人息子を持つ父親であるが故に、息子の母親となって貰える女を捜し求めていたのだ。
美紀との出会いから二年余りが過ぎ、私達は婚約から同棲の関係を続けていた。ところが大学を卒業した美紀は就職先の保険会社で、一つ年上の敦子と知り合った。そして美紀が私の住まいに敦子を連れて来た時から、気持ちは急速に敦子へと移っていったのだ。
敦子は遥かに美紀よりも大人であった。私は敦子に対して大人の女性に対する憧れにも似た、尊敬すら覚える感情を持つ様になったのだ。知り合って半年にも満たない時間の中で、私達は互いに惹かれ会い、男と女の関係を幾度か持っ様になったのだ。
だが二人の女達と私の関係にも、清算しなければならない終りの時が迫っていた。既に結婚の意志が無い事を、美紀は私に告げたからだ。二十歳以上もの齢の差のある私と、暮らしを続ける事は出来無いと言い出した。親の住む実家に帰り、そこから会社に通勤すると言う。一方の敦子も又、会社を辞めて故郷に帰る事を決めたと言った。
美紀が私と別れて実家に戻ると言う前夜、敦子も数ヶ月後には勤め先を辞め、故郷に戻ると覚悟を伝えられた事で、私は別れを決めた二人の女達の、その願いの全てを受け入れた。この時、最後の夜を一つの部屋で一緒に過ごそう、と言い出したのは敦子の提案であった。しかも部屋を真っ暗にして、其処で何が起きようと朝になるまでは決して言葉は使わない事。しかも全ては夢だと思って忘れる、と言う約束を交わして三人の誰もがそれを受け入れたのだ。
後になってその時の事を振り返れば、過去と決別する良い区切りの様にも思えた。自らの事を決めかねていた美紀も、私の懐から見事に巣立って行ったからだ。
だが敦子に対する私の想いは違っていた。敦子と過ごした時間や秘めた行為の中で、女の性の奥深さを、初めて教えられた思いがしたからだ。敦子と言う女の望む愛の姿が、男の私には考えも及ばないものであった。そこには自らの命さえも削り与える程の、それ程の強い想いがあったのだ。
少なくとも敦子と言う女が男を愛する理由は、その削り与えるものを生み出し、掛け替えの無いものを産み育てる事である。それを我が子だと言う者も、生き甲斐だと言う者もいる。男が女に求める性の行為が、快楽に行き着く為の最後の望だとするなら、女が男に求めるその望みとは、その快楽から全てが始まると言うのだ。性の営みが男に取っては目的でも、女には目的に向かう一つの切っ掛けでしか無い、と敦子は言ったのである。男と女の性の営みとは、男女が夫々の思いを抱きながら、その一瞬を共有する事でもあった。
私は愛を語るに最も分り易い、母親が我が子に与える無償の愛と比べる事で、愛する事の意味を理解したいと思った。何故なら女達が愛する想いを抱く時は、母親が我が子を見守る様な、ある種の覚悟とも呼べる程の強い想いを持つからだ。それは極めて動物的な、雌が持つ本能の様な部分に拠るものなのかもしれない。
ところで男の性とは、一体何の為に存在しているのだろうか?簡単に言えば女性には出来ない、男の性に任された役割の事である。恐らく男達が思いつくままに考えを述べたとしても、女性は子を産む事が出来ると言う程の確かで、しかも普遍的な役割は男の性には見当たらない。
産まれた子を育てて行くのは、男も女も同様に義務と権利が生まれる。ただ私が思うに女も男も、子を産む機能の違いこそあれ、全ては母と言う女性から誕生している事だ。
男の性はその女の性の機能を頼りに、子孫を残しているからだ。とするなら、やがて母になる女に愛の意味を伝えられるのは、男の性こそが出来る役割ではないだろうか。何故なら女性を母にするのは、全て男の性なのだから。
出来るなら物語を読みながら、読者の考えを更に深めて頂けたらと思う。 著者
『 終 雪 』(しゅうせつ) 梅原 逞 著
◇
女達は誰もが、あの美しく輝いた若い日々の事を、決して振り返ることはしない。
まして身体の中を通り抜けて行った、名前も忘れた男の事など思い浮かべる事もない。
小さな部屋で温もりを分け合い、狂おしい程の愛しさを抱いて求め合った事も、ものの見事に忘却の彼方へと押しやり、まるで何事も無かったかのように生きて行く
一途な憧れをだけを抱きしめ、愛する意味を問う事さえも無く彷徨た日々が、やがて痛みや哀しみとなって疼く前に、不要になった過去を女達は消し去るのだ。
だが男達は旅も終わりに近づく頃になると、愛を覚えた女を心の中に呼び覚ます。
粉々に砕かれ、記憶の底に沈んだ愛の欠片を、まるで愛しむ様に男は拾い集めるのだ。
そうして遥か彼方へと過ぎ去った、ひた向きさと優しさに包まれた日々を懐かしむ。それを女々しい男だと呼ぶ者もいるが、不器用で心根の優しい男達でもあるのだ。
偶然の出会いを運命と願い、束の間の愛を永遠と信じた若い頃、別れの訳さえ忘れた女達に幸せでいて欲しいと密かに祈る、あの温もりに触れた遠い日を振り返る。
◇
若い女
私の娘かと聞かれても可笑しくは無い程の、その若い女と初めて出会ったのは、正月三が日の明けた仕事始めの直ぐ後の事であった。それも私が立ち上げた会社のアルバイト募集に応募する為、彼女が面接を受けに会社を訪れた時である。
この時に私は、最初に応募してくれたその若い女と、高校生の娘から募集している事を教えられたと言う、私と同じ四十三歳になる未亡人を採用する事にした。そして採用した若い女の方が、垣内美紀と言う女学生であった。
彼女の採用を私が決めたのは、生まれ付きの性格なのか好奇心や探求心が強く、仕事への前向きな姿勢を私が受け止められた事と、近頃には珍しく化粧を殆どしない女子学生だったからである。化粧品の香りを発散させ女を売りにする様な若い人に、この仕事の内容は不向きだと考えていたからであった。
一方の四十三歳の主婦には、庶務と経理の補佐を頼む事にした。町医者でもあった夫が突然に亡くなり、娘を一人で育てていた未亡人で、医療に多少とも関係していたからでもある。
会社は設立して二年目を迎え、最も大事な時期であった。株式会社ではあるものの零細な個人会社であり、美紀と主婦の二人のアルバイト以外、役員と社員を合わせても十三名程の規模である。業務は医療関係の学術に関する情報処理を主体にしている為に、顧客の大半は医者や病院、そして大手製薬会社などの営業担当者の他に、東京を中心にした医科系の大学や、医療関係などの研究施設が中心であった。
今風に言えば医療情報処理と云う業務内容だが、主要な仕事の殆どは春や秋に集中していた。様々な医科学会に発表する資料の作成が、事業の主要な業務だからである。簡単に言えば研究者が集めたデーターを学会で発表する前に、視覚的に分りやすく表現する為の、言わばアドバイザーの様な仕事でもあった。
特に医学系の学会発表は、パネルを前にして参加者と発表者が対面して行なうデスカッション発表や、スライドなどを用いた講演形式のものなどがある。Ⅹ線写真やCT、或いはエコー診断画像などの他に、数値や写真などを使って術前と術後の回復程度を比較するなど、研究内容や科目によってもその表現の仕方は様々である。
ところが二人を採用して二ヶ月程が過ぎ、様々な医療学会のシーズンも始まり仕事はこれから忙しくなると言う直前であった。突然に垣内美紀が辞めさせて欲しいと言い出し、その理由を切々と私に話し始めたのだ。
「社内の男の人が私の事、何時も大きい女って言ってからかうのですけど。私、もう我慢が出来ません。申し訳ないとは思いますが、会社を辞めさせて頂きたいのですが・・・」
抗議の気持ちから辞めることを選択したのは、突然に感情的な気持ちが湧いたからなのたろう。しかも怒りの矛先を私に向けると、美紀は訴える様にその経緯を話し始めたのだ。
美紀は東京近郊の国立大学に籍を置き、昼間はアルバイトをしながら夜には大学で勉強する、一般には二部と呼ばれる夜間部の二年生になる女学生である。十九歳の彼女は社内で最も若い事から、社員達は誰もが「美紀」と呼んで、その名前を呼び捨てにしていた。
美紀の仕事は印刷や写真の最終プリントを行う前に、研究者から戻された最終校正を見比べ確認することである。誤字や脱字を探し出し修整したり、写真の中の指示された患部を示す矢印の位置など、チェックする事が主な仕事であった。その美紀がアルバイトを辞めたい、と言い出したのである。しかも辞めたいとする強い理由が、美紀に対する社員からの体形に対する陰口が原因であった。
そしてこの日、昼の食事から会社に戻って来た私は、美紀が辞めたいと思い詰めるまでの、愚痴にも似た経過を聞かされていた。
「で、そんな風に言われる事に、君は許せないって言う訳だね?」
椅子に座ったまま彼女の話を聞いていた私は、目の前で訴える若い美紀の顔を見ながら、面倒なこの手の話は出来るなら関わりたくないと思った。仕事に関係するトラブルなら、直ぐにでも対処しなければならない。だが社員同士の言葉の行き違いから会社を辞めるなどの話になると、仕事を一体何だと思っているのか、と叱り付けたい衝動に駆られるからだ。
だがその一方で私の頭の中では、又アルバイトの求人広告を出すことになると、費用や教育する時間も掛かる事になる。しかも仕事の忙しい時期に入っていた。美紀のこれまでの仕事ぶりを見ても、何の問題もなく仕事をこなしてくれていたと言える。私は取敢えず何とか説得して、辞めたいと言う思いを留まらせる事にしたのだ。
「当然です。嫌ですよ。私が一番気にしている体の事を言われるなんて、絶対に許せません、それに部長、これっていじめじゃないでしょうか?」
大きいと言われた体の割には、か弱そうな声で、しかし強い口調で美紀は私に訴えて来た。化粧に殆ど時間を掛ける事もない為なのか、男達を振り向かせる程の目立つ顔立ちには見えない。寧ろ、のんびりとした環境の下で親から愛情を注がれ、田舎で育って来た様に私には思えた。
とは言え、一般の女性と容姿を比較すれば、美紀の身長は確かに大きい部類に入るだろう。その為かどうか知らないが、美紀は何時もヒールの低い靴を履いていた。だが一メートル八十に近い私から見れば、社員が云う程に大きいとも思えない。
それに美紀は確かに少し太めだが、豊か過ぎる胸の膨らみやバランスのとれた体形は、両親から譲り受けたこの娘の持つ個性であると思う。ふっくらとした肉付きも、やがて社会人ともなれば否応無し、それを気にする様になるだろう。そうして仕事や自分に自信を持つ様になれば、恐らくは誰もが一目置く程の女となるだろうと私には思えた。
珍しくストレートの長い黒髪を背中にまで長く伸ばし、今まで切らずに護っている目の前の娘に、私は何故か心が弾んだ。何時も職場で見かける姿は長い髪を丸く束ね、頭の後ろにピンで器用に留めた姿だったからだ。
それだけに身長が大きいとか小さいとか、口にするのは大きなお世話と言うもので、まして他人が口に出す様な事では無いとも思える。相手にどれ程の傷を付けるかも余り意識をせず、恐らくは背の低い男の社員が、無意識で口に出したに違いなかった。
「なる程、程度の差こそあるのだろうが、君は自分の身長にコンプレックスを抱えているって事だ。他人から言われてムカっとなるのは、大方は気にしている証だからね。でもね、余計な事かも知れないが、この僕から君を見ても、結構素敵なスタイルを持った女性だと思うけれど。それに身長の事を気にしてペッシャンコの靴を履いて歩くより、僕は寧ろヒールの高い靴を履いてさ、胸を張って歩いてみたらって思うけど、どうだろうね」
私は思った事を、遠慮なくはっきりと口にした。どうしても辞めたいと言うなら、それは仕方の無い事ではあるにしても、持っている特異な劣等感が間違っている事を、気付かせてやりたいと思ったのだ。
それは美紀の抱えている劣等感が、実は身長の事より未だ自分を磨く事も知らない、謂わばセンスの部類ではないかと私には思えたからである。自分の持っている長所を磨いて強調さえすれば、デカイと言われる様な印象は消えて、品があるとかセンスがいいと言う視線で見られるからであった。
「それにこう言っては失礼だが、君の持っているそのコンプレックスって奴、僕には少し違う様にも思えるのだが、どうだろう。寧ろ君に向ってデカイと言った奴の方こそ、自分に強いコンプレックスを持っていると思うけどな。それを君が敏感にそれを受け止めてしまったと言うのなら、やはり思い切って今度は逆に、そこをアピールしてしまう方がいいとも思うのだが、どうだろう?」
「無理ですよ部長、私には無理です。学生の立場で、そんな所になど、お金は使えませんから」
美紀は私から素敵だと言われた事が、少し嬉しかった様である。父親の様な人生経験を持つ年齢の大人から、それが口説き文句ではないだけに、寧ろ素直に受け止める事が出来た様だ。
だがセンスを磨き、それを自分の物にするには自立した女性でなければ出来ないと、見事に反論されてしまったのである。勿論、金でセンスが左右されるものでは無いのだろうが、そこまで自分を磨くことは、自立して
余裕を持つ事が出来なければなければ不可能でもあるだろう。見た目の部分の話では、私に反論の余地はなかった。
「まぁいい、今日の学校は」
「今は試験休みですから」
二人の間で幾ら議論を重ねても、これ以上は時間の無駄の様に私には思えた。それに私はこの時、ちょっとした思惑が浮かんで来たのだ。
「それなら帰る前に、少し時間を貰えないかな、そう、一時間程でいいのだけれどね」
相手に嫌とは言わせない、私の言葉の中には駆け引きと計算とがあった。
「えっ、はい・・・分りました。一時間位ですね」
「それじゃ・・地下鉄の本郷三丁目の駅の改札口で、そうだなぁ、五時少し過ぎ位に」
美紀は戸惑いながらも、頷く以外に方法は無いと思った様だ。何処か食事にでも引っ張り出して、説得を重ねるのかも知れない、そんな風に美紀は私の誘いを受け止めた様でもあった。
地下鉄の銀座四丁目駅の改札を出て、四丁目交差点の地上に出る階段は、夕方も五時を過ぎる頃になると何時も混んでいる。時計台のある和光の前や、その向かいの三愛ビルの前の交番横には、待ち合わせの男女が、次々と入れ替わる様に佇んでいた。
そうした銀座通りを流れる人の波を、まるで裂くように歩く私の後ろには、脇目もしないで追いかける美紀がいた。何処へ行くとも何をするとも伝えていなかったから、美紀はひたすら私の後姿を追っていたのだろう。
しかも夕暮れの五時半を過ぎた時間は、街のネオンも輝きだす頃である。会社帰りの人々と買い物客が混じり合い、狭い歩道を行き交っていた。それに夜の勤めに出る銀座の女達の姿も見え、街が益々銀座らしくなって行く時間でもあった。
銀座の中央通りに面した「ヨシノヤ」は、東京でも婦人靴では名前の知られた老舗の店で、私はヒールの高い靴を一足、美紀にプレゼントしようと思っていた。暴言を吐いた社員の、上に立つ者としての詫びの気持ちもあるが、仕事を辞めて貰いたくはない私の、ある意味では経営的な部下に対する懐柔でもあった。
外人女性が多く来る店だと聞いていたのも、大柄な美紀の足のサイズが合う靴が、必ず揃えてある店だと思ったからである。
店のドアを開けて美紀を先に入れた時、店員の愛想のいい挨拶が聞こえた。
「いらっしゃいませ」
すると美紀は突然に、小さな驚きの声を上げた。
「えゝ、だって・・」
私の後に続く様に店に入り、中を見渡した途端であった。美紀は婦人靴の専門店に連れて来た私の、ある種の思惑を理解した様である。そして銀座のこんな高級店で靴を買って貰う理由なんて無い、とでも言いたげに私を見つめていたのだ。
「会社では上に立つ者としての私から、不愉快にさせたお詫びの気持ちだよ。そんな訳でね、昔は王子様だった私が、田舎娘を少しだけでも変身させたいと考えた。まぁガラスの靴とは言わないが、でもね、この店の靴を履くと、いずれはシンデレラになれるって話だ。聞いた話だから保証は出来ないがね。それにこの事は、会社の連中には内緒だぞ」
私は店員には聞かれないように、美紀の耳許に口を寄せ小声で伝えた。そして慌てて言葉を付け足した。
「あぁそれから、予算も限度があるからね。そこの所を頭に入れて、それにヒールは高い奴にして欲しいね」
私も実際に楽しかった。二十歳以上も齢の離れた、娘の様な若い女と連れ立って銀座を歩き、靴を一足買ってやる。ただそれだけの事が、理由も無く楽しく思えたのだ。
もし辞めますと言われたとしても、それはそれでいいとも思う。だが、あれほど辞めたいと言って部下を困らせた美紀が、もしもケロっとした態度で明日も出勤していたら、部下たちはどんな手品を使ったのかと聞きたがるに違いない。そうした事を想像するだけで、私は久しぶりに愉快な気持ちになっていたのだ。
美紀も突然の私からのプレゼントは、全く予想をしなかった様である。だが戸惑いながらも店の中を、あれこれと気に入った靴を探し回っていた。しばらくして美紀は二足の靴の片方ずつを持ちながら、店の隅に置かれた椅子に座って待つ私を見て、嬉しそうに言った。
「あのぅ部長、どちらの靴が似合うと思います?」
如何にも嬉しそうな、そして楽しそうな若い女の笑顔があった。
四丁目交差点の角にある三越の二階は、見晴らしのいいパーラーになっている。夜も七時を過ぎる頃になると、待ち合わせに利用する客も減りはじめ、空席もちらほらと目立つ様になる。少し前に目的の買い物を済ませ「ヨシノヤ」を出た私達は、ウインドウショッピングをしたいと言う美紀に促されて、久しぶりに未だ春の浅い宵の銀座を楽しんだ。
この街は若い頃の私にとっても、生涯忘れる事の出来ない女性と出逢い、そして十五年もの昔に別れた街でもある。その遠い日々の出来事を思い起こしながら、私は感傷的な気分で銀座通りを往来する人々を見つめていた。
美紀と一緒の時間を過ごしていた私は、この時不意に何故か不思議な気分になって来たのだ。それは若い頃の自分に戻った様な錯覚に襲われたからでもある。
無理も無かった。記憶の中に深く刻まれた、忘れる事の出来ない女と初めて出会ったのは、その女が美紀と同じ十九歳の、しかも同じ様に彼女が大学二年生の時の事で、場所もこの銀座の街角だったからだ。
忘れる事のない女
忘れる事の無い女とは、時折は想い出す女の事だ。そうして改めて記憶を重ねて行く事に他ならない。
最初の妻との離婚届けを出した後で、一歳になる一人息子を何とか男手一つで育てながら、更に一年程が過ぎていた。そしてこの頃に私は、新たな恋を経験した。その女とは将来に対して、何一つとして約束を交わした事は無かったし、未来を語り合う事も無かった。二人の出逢いが極めて自然な割には、置かれた二人の境遇は余りにも異なっていたからでもあった。
だが心に残る美しい思い出を、私は記憶の底に残す事が出来たと、今でも嬉しく思っている。恐らく記憶の底に幾つもの美しく残るそうした思い出を抱えながら、その最後の時を迎える為に私は生きている様だ。
とは言え、二歳を迎える幼い息子が居るのにと、読者は不思議に思われるだろう。離婚した翌年に実家で暮らす母が、癌と言う病で亡くなった。その母が暮らした実家には、幼い私を連れて再婚した義理の父と、いわゆる私とは種違いの弟と妹が住んでいた。
そんな事から、実家の近くに借家を借りて移り住んだ私は、神田の写真関係の会社に勤める傍ら、報道写真家になりたいと言う夢を追いかけていたのだ。息子が無認可の保育所に入る少し前の頃である。
当時の私は何時も一眼レフのカメラを肩にぶら下げ、反戦を叫ぶデモ隊と機動隊の衝突の現場に出かけて、写真に撮り歩いていた。そんな時に私は水俣病を追いかけていた、著名な報道写真家のアメリカ人カメラマン、ユージン・スミス氏と知り合った。報道写真を撮る者なら、神様と呼べる様な憧れの人であった。そうした事もあって休日などは実家に住む妹に息子を任せ、デモの行なわれる日は国会議事堂辺りから、日比谷公園辺りへと夢中になって写真を撮り歩いていたのだ。
その日は国際反戦デーとなる十月二十一日であった。報道カメラマンを志望する者に取って、機動隊とデモ隊が烈しく衝突するそこは、未だ行った事も無い戦場からみれば、子供の殴り合いに近い世界だ。給料を貰って催涙弾を発射したり放水する機動隊と、カンパを受け取って投石を繰り返すデモ隊とが殴りあう現場は、報道写真の入門者にはうってつけの場所だったのだ。
尤も一つだけ確かな事は、主権者の国民に対して意見が異なるからと、意志表示の権利を権力者の代理である機動隊が奪うそれは、難しく言えば国家権力を背景に、弱者を力で排除する現場でもあった。言い換えればそこは、長いものには巻かれる人々の無関心と、長いものでも巻かれたくない人々の強い意思の境であったのだ。
私は機動隊とデモ隊がぶつかり遭うその場所に飛び込み、暴力の瞬間をカメラのファインダーで切り取り、インパクトのある画像を自分の目となるフイルムに刻む事で、社会に向って表現したいと思っていたのだ。
私がその女と知り合ったのは、日比谷で始まった安保反対やベトナム戦争の反戦デモの最中で、機動隊に追いかけられたデモ隊の一部が、銀座へと流れ込んだ時であった。偶々数寄屋橋近くの歩道の端で、デモに参加していた人に突き飛ばされたのか、私の隣で転び、倒れた女に声を掛けたのが最初であった。
「危なかったね。どこも怪我は無かった?デモに参加した人でも無さそうだけど」
「すみません。心配をかけてしまって。でも、良くそんな事が分かるんですね」
スカートに付いた土を落としながら、起き上がっ若い女は感心した様に、声を掛けた私に礼を言った。
「履いている靴を見れば大凡は分るさ、デモに参加する人は、みんな運動靴を履いているからね。本当にどこも怪我はしなかった?」
「えゝ、大丈夫です。生まれて初めて独りで銀座に来たので、何処に逃げて良いのかも分らず、まごまごしているうちに転んで仕舞ったの」
「君は大学生?」
「はい、K女子大英文科の二年生です」
彼女は所謂、お嬢様が多く入ると世間で云われている、神田の一ツ橋にある女子大の名を口にした。
「確かに。どこから見ても女子大生って感じだ、で、どこに住んでいるの?」
彼女は清楚と言う言葉が似合う、如何にも真面目そうな女子大生だった。
「吉祥寺にある大学の女子寮です」
私は初めて目の前の女が、中央線沿線の街から来ている事を知った。
「僕の方は、ここに写真を撮りに来ている。機動隊の暴力を撮る為にだ。それにデモで山手線は今は止まっているよ。特に新宿駅を通って電車で吉祥寺に帰るなんて、今は全く不可能だよ。私鉄や地下鉄を乗り継いで帰った方が正解だね、そっちなら動いている筈だから。ここからなら地下鉄浅草線で渋谷へ出て、そこから京王の井の頭線を使えば時間は兎に角、吉祥寺に帰る事は出来ると思うよ。
それに銀座や日比谷辺りじゃ、若い機動隊の連中が同じ様な年齢の若い大学生を見つけると、見境無く職務質問やるから面倒だぜ。奴等はバックの中まで調べるしね。もし時間があるなら少しの間でも、何処か店に入って時間をつぶす方が賢明だと思うよ。そうだ少し話そうよ。喫茶店の中なら、私服なんかに職質される事もないだろうからさ」
女子学生は周囲の状況など殆ど分らないまま、提案に同意したのか私の後について来たのだ。
みゆき通りに面した地下の小さな喫茶店に入ると、私は会社の名刺を渡して自己紹介をした。報道と書いた手作りの腕章を指して、報道カメラマンを目指している事や、デモ隊と機動隊の衝突の写真を撮りに来た事。神田にある写真関係のラボが勤め先である事など伝えたのである。
私の方からは敢えて、彼女の連絡先は聞かなかった。寮住いと聞いていた事もあって、自分から彼女に連絡する必要なども何も無かったからだ。それに軟派しているかの様な男に、思われたくはなかった事もあった。
これは初めて出会った女性に対する、私の共通する接し方でもあった。だが名前だけは聞いた。名刺を渡した相手から、もしも後で名前を名乗られても、顔と名前が一致しない事があるからだ。
「君の名前を、良ければ教えてくれませんか?」
「井上陽子と言います、井戸の井、上下の上、太陽の陽に子供の子です」
「陽子さんか」
「えゝ、私は貴方のお名前、何て呼んだらいいの」
渡された私の名刺を見ながら、何と読むのか陽子は戸惑っていた。名刺には会社の名と住所や電話番号、本人である八木沢秀一と私の名前が書かれている。
「苗字を呼ばれるも堅苦しいからな、名前はしゅういちって読むけど、「ひで」と呼んでくれればいいよ。会社でもそう呼ばれているし」
「秀さんね、分ったわ」
陽子の持つ雰囲気から推測すれば、何処か物静かで明るい感じの女性で、大事に育てられて来た事が分る。それに第一印象でも美しい人だと思ったが、本人は全くそれを意識しては居ない様だ。周囲から美人と呼ばれる女だけが持つ、あの鼻に掛けた様な嫌味の無い事が、何故か私には嬉しかった。
聞けば故郷は軽井沢に程近い群馬の片田舎の女子高を出て、都会の真ん中にある女子大の寮に入って二年目だと言う。それだけに今まで恋愛の経験など一度も無い、言わばお嬢様育ちの様に私には思えたのだ。田舎の女子高から都会の女子大へと進学したのだから、恋人を作る様なチャンスなど無かったのかも知れない。毎日が勉強に時間を費やしていたとも思えるのは、殆ど身を飾る物を付けて居なかったからだ。
それでも彼女の持つ雰囲気の中に、どこか大人のセンスを感じさせるのは、細身の体にシックな自分好みの服を着ていたからだ。こげ茶色の皮のパンプスを履き、深い橙色の膝丈程の長さのタイトスカート、それを少し淡くした同系色のセーターを、白いブラウスの上から着ていたからかもしれない。
しかも一枚の地味目なスカーフを首に巻いて、シンプルな腕時計が、その清楚な感じを更に引き立たせている。少し長めの三つ編みにした髪を、襟足を見せるように頭の後ろで留めていた。何一つとして、派手な物で自分の身を飾ってはいなかった。
良く似合うシックな好みは、ファッションにも目が届いている証であった。自分は何が似合うか、どんな色が好きなのか、陽子はそれを知っている女性だと私には思えたのだ。
尤も、そうした陽子とは反対に、私は米軍の払い下げであるカーキ色の軍用ジャンパーを着ていた。下は黒い薄手の徳利のセーター、ズボンはジーパンである。登山靴の様な底の厚い履き古した牛革靴を履き、ポケットの中には煙草とジップのライター、それに何本かのフイルムが入っていたし、そのフイルムも倹約する為に映画用の白黒フイルムを暗箱の中で切って、捨てる前のフイルムケースに自分で巻いて使っていた。
報道写真を撮る者のファッションとは、沢山のポケットのある、しかも何処でも横になれる丈夫な生地で、雨や風に強い実用的な服である。見てくれを考える余地など、初めから持ち合わせてはいないのだ。
ところが陽子の話しを聞く内に、寮生活には余り馴染めず、しかも東京には身寄りも無いと言うのだ。だがそれにしても陽子は、群馬の田舎なまりが無かった。その理由を聞くと、サラリーマンの父親の勤め先の都合で、中学生の頃に静岡から移り住んだと云う。そんな他愛の無い会話をして一時間余り過ごしたあと、私は彼女を地下鉄の駅まで見送り、何の約束もせずに、じゃあね、と言って別れたのだ。
写真ラボで仕事をしていたその私に、思いがけずに陽子からの電話が有ったのは、銀座で出会った時から二週間余りが過ぎた頃である。しかも又、銀座で会いませんかと陽子から誘われ、それも相談したい事があると言うのだ。
指定された日は日曜日で、私は昼すぎに約束の喫茶店に入ると、陽子は既に先に来て待っていた。こうして私は、二度と会えるとは思わなかった陽子と再会したのである。
「この前は有難う御座いました。随分と時間がかかったのですけど、お陰で何とか寮に帰る事が出来ました」
初めて銀座で出会った時、吉祥寺に帰る道順を教えてやった事への礼であった。
「それは良かった、参考にして貰えて役に立った訳だ」
ところが久しぶりの挨拶の後で、陽子はある思いを私に伝えたのである。
「実は私、今住んでいる女子寮を出たいのですけど、どこか秀さんが知っている場所で、安いアパートを探して貰えませんか?」
突然の話に事情を聞くと、今住んでいる大学の女子寮は、ひとつの部屋を二人で使う相部屋であると言うのだ。その同じ部屋に住む相手が性格の合わない人で、寮から出たいと言うのである。ただ一方では家賃の高い、都心のマンションやアパートに移る事は出来ないとも言うのだ。自分の都合で移るのだから、親からの援助に期待したくはないと言ったのである。
しかも陽子は週に二回、家庭教師のアルバイトでしているとも言う。大学に通学出来る距離と場所が都内であれば、狭くても古くても我慢は出来ると言われ、しかも格安の部屋があれば嬉しい、と言う希望であった。既に寮の近くの不動産屋は何軒か歩いた様だが、其処は陽子の希望する家賃の倍程だったのである。
そこで私は嘗て寮生活を送った事もある東京の外れで、下町と言われる江戸川近くの街に陽子を案内した。陽子の望む予算を考えれば、当然の様に贅沢は言えなかったからだ。
東銀座から都営地下鉄線に乗り、押上からは京成線に乗り換えて京成小岩の駅で降りると、駅の北側は直ぐに住宅街になる。私達は駅前の不動産屋に顔を出し、とりあえず安いアパートを捜す事にしたのだ。不動産屋から紹介された場所は江戸川の土手が見える古いアパートで、何とか陽子の希望に合う家賃の範囲である。早速に部屋を見る為に私と陽子は、アパートのある場所へと向ったのだ。
部屋は古い二階建てのアパートの、一階の一番奥にある部屋で、部屋に入るにも吹き抜けの中廊下を通る。左右には其々四部屋のある、古い形のアパートであった。風呂は近くの銭湯に行かねばならないし、トイレは共同だったが掃除は大家さんがやると言う。しかも部屋の窓越には道路からの視線を阻む程度に、ブロック塀が建てられていた。
部屋の扉を開ければコンロ台と小さな流しが付いた、畳一枚分の台所があったそして襖を開ければ六畳一間と押入れだけの、余りにも質素な部屋ではある。それでも一人で暮らしたいと願う陽子に取って、やっと手の届く落ち着ける場所に見えたのかもしれない。
そして私はこの日に離婚している事や、幼い息子と一緒に埼玉の実家の近くで暮らしている事など、始めて陽子に話したのだ。
それから又ひと月程が過ぎ、クリスマスを前にした寒い日であった。陽子からの電話で大学の女子寮から、あの北小岩のアパートへと引っ越した事を知らされたのだ。
「この前は有難う誤差いました。秀さんのお陰で、紹介して戴いたアパートに昨日引っ越しました。母が田舎から手伝いに来てくれて、と言っても殆ど運ぶ物は少なくて、鍋とか茶碗など生活するのに必要な物を母と買いに出かけたの。秀さん、引越し祝いに一度来て頂けますか?」
「おう、もう引っ越したのか? 今度の土曜日でよければ夕方の、多分五時頃になると思うけど、仕事の帰りに行く事が出来ると思うよ。京成小岩駅の改札口で待ち合わせしよう。あの駅の近くに、旨い餃子を食わせる店を知っているし、そこで引越しの祝いに晩飯を御馳走するよ」
「はい、楽しみにしています」
陽子の嬉しそうな返事が、受話器の向うから聞こえた。
約束していた土曜日の夕方であった。京成小岩駅で待ち合わせをした私達は、もう一つの約束を果たす為に、駅の近くの餃子の店に顔を出した。そして食事の後で引越し先のアパートの部屋を訪ねたのだが、靴は持って部屋に入って欲しいと陽子が言うのだ。
「管理人が見ている様で気になるの」
と陽子は私に言った。アパートの入り口横の部屋の前には、電話が置いてあり、そこは管理人の部屋だったのである。
私は陽子の部屋で互いの家族の事や、私の仕事の事、好きな音楽や趣味など実に様々な話しを交した。ところが電車が無くなるから帰ると言う私に、帰らないで欲しいと求めたのは陽子の方だった。しかも目には涙を滲ませ、私に訴えていたのである。女子寮からアパートへ移ったものの、初めての独り暮らしは陽子にとって、余程寂しかったのかも知れない。
私の息子の方は、実家に戻って居候をしている妹が見てくれていた。私はその夜に陽子の部屋を一度出て、近くの公衆電話から実家に電話し事情を伝えた。そして陽子の部屋の窓を開けて貰うと、通りに面した塀を乗り越えて、密かに窓から陽子の部屋に戻ったのである。
この時に陽子の抱えている寂しさと孤独を、私は初めて理解した様に思う。欲望は湧かなかった。ただ傍に居てやりたいと思う、それだけの想いが溢れ出て来たのだ。もうすぐ三十にも手が届く男と、二十歳を過ぎたばかりの女が、服を着たまま小さなベッドの上で、まるで少年と少女の様に抱き合い、そして冷たく悴んだ心を暖め合ったのだ。
部屋の電灯を消すと、電気ストーブの赤い色が部屋を照らしていた。テレビも無い、小さなラジオと整理ダンスと、その上には鏡と教科書や参考書などが置かれていた。台所と部屋を仕切るカーテンの模様が、何故か熊のプリント地で、私には不思議にそれが可愛いと思えた。
「寂しかったのか?」
ベッドの上で横になった陽子の肩を、私は後ろから軽く抱きしめて囁くような小さな声で言った。その私の腕の中で陽子は、溢れる涙を拭う事もせず、子供の様に黙って小さく頷いた。
「そうか・・」
納得した様に私は自分の気持ちを言葉にした。だが想う気持ちを言葉で伝える事が、私にはまるで意味の無い様にも思えたのだ。
陽子の頬を流れ落ちる涙を唇で受け止めた時、私はその涙の温かさを思った。この涙は多分、心細さに傷ついた陽子の、心の傷口から溢れ出た血潮の様なものだろうと思えたのだ。
不意にこの時、私は実家に預けている息子と共に、陽子の住むアパートの近くに住いを移そうと思った。そうすれば陽子の傍に居る事が出来る。何時も居て上げられることが出来ると思ったのだ。
「僕で良ければ、これから傍にいてあげるから、安心していいよ、大丈夫だ。それに陽子が望むのなら、何時でも、どんな時でも飛んで来るから、だからもう心配はしなくていいんだよ。それにどうやら僕は、陽子を好きになったのかも知れないし・・・」
陽子の耳許で、私は初めてこの時に好きだ、と言う言葉を使った。未だ幾度も会ってもいない女だが、陽子はまるで私を疑う事も無く信じてくれた。無垢な女の気持ちに触れた私は、この女の傍で生きて行きたいと心から思ったのだ。
「好きになったのかもしれない」と云った私の言葉を耳にした陽子は、確認でもするかの様に私の方に顔を向けた。そして体の向きを変えると、私の首に両腕を廻して胸に顔を埋めた。陽子は言葉を使わずに、自分の想いを伝えてくれたのだ。涙の雫が又ひとつ、陽子の頬を伝わって流れ落ちていった。
小さなベッドに横になった私の横には、目を閉じた陽子の艶やかな長い睫毛が見えていた。そして閉じられた目尻から滲み出た涙が、一滴の雫となって耳許にこぼれて行くのが見えた。
私はそれを唇で受け止め、ゆっくりと陽子の唇に私の唇を重ねた。温かくて柔らかな陽子の唇の感触が、石鹸の香りと一緒に私の鼻をくすぐっていた。陽子の戸惑っている舌の先が、私の唇や舌先に伝わって来ていた。私が陽子にそれまで抱いていた好きと言う想いを越えて、この時に私は確かに愛を感じ始めたのだ。
「キスをしたのは初めて?」
突然の質問に黙って小さく頷いた陽子の横顔は、何処かはにかんでいる様に私には思えた。
だが「孤独を埋める為に生まれた愛は、決して長くは続かない」と言う、若い頃に読んだ恋愛論の一節を私は思い出した。愛は慰め合い、寂しさを舐め合うものでは無いからだと言う。そんな理屈を思い出しながら、この時の私達は互いの孤独の中で、寂しさを舐め合っていたに過ぎなかった様に思えるのだ。
二人の間には、静かで優しい時間が緩やかに流れていた。
私と息子と陽子の間には、未来に対して何一つ確かな事は無いし、まして約束など交わしたことも無い。ただ取りあえず暫くは静かな、そして穏やかな日々が過ごせる筈だと思ったのである。
陽子が東京の外れにある江戸川の北小岩に引っ越した時、心配した陽子の母親も上京していた。管理人に娘を宜しく頼むと頭を下げた事で、大学の寮と同じ様に陽子は、管理人の目を気にせざるを得なくなった。
陽子がアパートに移り住んだ二ヵ月後の二月の半ば、私の方も無認可保育所のある東京の、陽子の住む北小岩から左程遠くもない、一本のバス路線で繋がる葛飾へと移り住んだ。二歳の息子を預かってくれる無認可保育所の空きが、陽子の住む町には無かったからである。それでも新たに移り住んだ場所は、北小岩からバスに乗れば、三十分余りで着く場所にあった。
この年に陽子は成人を迎え、大学生活も春からは三年生になった。記念写真の撮影を催促された私は、仕事の合間にカメラを持って近くの北の丸公園に出かけた。清水門の前で待ち合わせた時、初めて振袖を着た陽子は、とびっきり美しく輝いて私を待っていたのだ。
授業が休みの時や遅い時など、陽子は朝早くアパートに来ては、息子を保育所へと送り迎えをしてくれる様になった。やがては私の部屋で夕餉の食卓を一緒に囲み、そして陽子は時折だったが泊まって行く様になった。
この頃から私は月々の生活費を陽子に渡し、まるで所帯を持った若い夫婦の様な暮らしが始まったのだ。公共料金の振込みの為に郵便局の通帳を、陽子は私名義で作ってくれた事がある。郵便局で暗証番号を求められた陽子は、慌てて自分の学生証の番号をそこに記入した。
こうして私は陽子に取って、生まれて初めて同棲をした男となり、暫くして女としての歓びを陽子に目覚めさせた。穏やかで幸せな三人の暮らしが続いたのは、振り返ればこの頃であった様に私には思える。
陽子と私達親子の三人で過ごす暮らしは、それが頭の片隅で予測していたとは言え、何時までも穏やかに続く事は無かった。陽子の借りていた北小岩のアパートの部屋を、度々不在にしている事に気付いた両親が、娘の素行を調査会社に依頼したのだ。陽子が三年生になった五月の連休に、両親の許に戻る様にと言われ、この時に三人で暮らしている事が両親に知られてしまったと、私は陽子から聞かされた。
結果を期待した訳では無かったが、私は二人の交際を理解して貰う為に、陽子の両親と会う事にしたのだ。尤も親からすれば子持ちの男との付き合いを許すなど、会う事すら論外の話だった事は言うまでも無かった。だがそれでも親を無視する訳にもいかず、何とか親に会う事だけは出来る事になった。
お詫びの気持ちを伝え、交際の許しを求めたが、予想していた通り親からは強い反対の意志表示があった。父親は娘を溺愛する様な言い方で怒り、一方で娘の気持ちが親から離れるのを恐れている様でもあった。母親の方は、まるで憎しみの相手でもあるかの様に、私に強い言葉を投げつけたのだ。
「どこの馬の骨とも分らない相手に、娘と付き合わせる訳にはいきません。ましてお子さんがいる人となど、冗談じゃありません」
と、強く反対されたのである。
ところが陽子は両親に対し、私と別れる事を伝え納得させた後で、東京に戻ると今度はそれを忘れたかの様に、今までと同じ様な暮らしを続けたのである。私も又、親に知られた葛飾の三人で暮らしたアパートを引き払い、陽子が住む北小岩の町に引っ越す事を決めた。三歳になる息子を区立の保育園に入園させる事が、住所を変える事で出来そうな条件が生まれた為でもあった。
とは言え区立保育園への入園の手続きを頼む時、区役所の職員からは「今頃になって入園の申込みですか」と、強い口調で非難されたのである。
「お子さんが生まれた時から、計画をして貰わなければ困りますよ。保育園も大勢の親御さんが入園を望んでいるのですからね、幾ら父子家庭だと言っても・・・、まぁ突然に入園のキャンセルがあったから良かったものの・・」
そうしたお役人の非難を浴びながらも、私はただひたすら頭を下げ続けた事で、何とか入園の許可を得る事が出来た。人生が計画通りに進むなら、何一つ面倒の無い私の人生がそこにあり、お役所も毎日が流れ作業の様な頭を一切使わないで済む、そんな仕事があっただろう。しかし計画性の無い私の人生は、時として頭を使わない事を望む人達に、ひどく頭を使わせてしまうのである。
この頃に陽子は、それまで住んでいた古いアパートを引き払い、新しく移り住んだ私のアパートとは、目と鼻の先のアパートに移った。今度は近くに管理人のいない、気兼ねする事も無く出入り出来る部屋であった。
勿論だがそこに引っ越した理由も、就職に向けての準備とした親への理由があった。歩けば僅か二三分程の近さに私の部屋がある事など、陽子の親達は知る事も無かったのである。娘である自分に直接尋ねる事もせず、興信所を使って調べた親に、陽子は強く反発をしていたのだ。
この年の秋、陽子は翌年の春から始まる就職の採用試験に向けて、幼い頃からの夢でもあった航空会社を就職先に選んだ。大学の英文科を選んだのも客室乗務員になりたいとする、強い憧れに似た願いを持ち続けていたからだ。そして親は娘の強い希望を知り、政治家をも利用しようと手を廻した様である。
それでもツテやコネだけで航空会社に就職出来る程、世の中は甘く無いとも思える。大学での成績や運動神経、それに容姿や社会常識など、試験と面接の印象が意味を持つ事なるからだ。
陽子を囲むそれらの背景が、果たして結果にどんな影響を与えたのかは分らない。しかしいずれにしても陽子は、四年生の春に行なわれた航空会社の一次試験に受かり、秋には二次試験と面接を経て内定を貰うと、翌年に大学を卒業したのである。やがて羽田での半年の研修期間を終え、国際線に乗務する様になると、陽子の住む世界は大きく変わり始めてしまった。成田の東京国際空港の開港も近づき、住いも川向こうの千葉へと移り、アパートからマンションへと住まいを変えた。
故郷の父親からは自動車の免許を取得する様に勧められ、川向うの町にあるマンションへの引越しを終えた時に、就職祝いとして父親からは、新車の乗用車が届けられた。そしてこの頃に陽子から勧められ、私も自動車の免許を取得したのである。
それでも航空会社での六ヶ月間の研修に励んでいた頃まで、二人の関係は住いが変わった以外に、殆ど変わる事は無かったとも言える。休日の時には車を運転して、何度か陽子を羽田へと送り届けた事もあった。
ただこの頃、既に息子は保育園の年長組となり、子供の引取りも近くの児童保育所へと預かってもらえた事から、寧ろ陽子の住むマンションを訪ねたのは私の方だった。偶に陽子が私達のアパートに来れば、息子は何時も名前を呼び捨てにして、姉の様な母親の様な、或いは友達の様な気持ちで接していた様にも思えた。
客室乗務員としての外国へ飛ぶ様になった陽子に、私は一つだけ願いを伝えた事がある。始めて飛んだ外国
から、絵葉書のエアメールを送って欲しいと言う願いである。私の願いに応えて異国で投函したエアメールよりも先に、帰国する事も多く有ったが、それが陽子から届けられる唯一の絆だと理解していたのだ。サンフランシスコ・ロサンゼルス・ニューヨーク・バンクーバー、サンデェイゴ、シカゴ、ホノルル、その殆どは太平洋路線で飛ぶ大都市だ。
陽子がフライトで乗務する日の送り迎えは、会社から専用のハイヤーが自宅まで送迎してくれる。しかも制服を着てマンションの自宅を出る。フライトの都合で突然の呼び出しを受ける事もあれば、天候や機体の都合などで早々と家に戻る事もある。時折はギャレーと呼ばれる機内の準備室で、食事の仕度などで腰を痛めて帰る事もあった。
トレーに載せて出す食事は、全てレンジで過熱する事になる。狭い場所で腰を曲げたり並べたりと、嘆く事も度々であった。しかも名前を言えば誰もがあの人だと知られている芸能人や、何時も仕事で海外を往来する、顔の知った商社のビジネスマンからは、名刺を渡され食事の誘いを受ける様になる。休みの日には郊外の乗馬クラブに出かけ、舞台女優の誰々と更衣室で一緒だったとか、そうした話が私たちの間にも交され、陽子の暮らしは急速に変わっていったのだ。
この頃に一度だけ、陽子が私に言った厳しい言葉に、「私の暮らしを満足させられる事は、貴方には出来無いわよ」と言った一言である。当然と言えば当然の事で、報道カメラマンを目指していた私には、人生の目標が豊かな暮らしを目指すなど有り得ない。それにこのまま陽子が自らの結婚を真剣に考えれば、適当な社会的立場のある相手へと、その視線は向く筈であった。経済的な余裕を持って人生を生きて行ければ、穏やかな一生を過ごせる暮らしは出来るだろう。
陽子に取って極めてそれが当たり前の様に、豊かな生活力を持つ相手と出会う機会は幾らでもあった。この人ならと思える男性と巡り合い、都会で暮らし、普通なら子供にも恵まれ、穏やかな生涯を保障された様なものだ。
だがこの頃の私が人生の中で目指していた事は、そうした豊かな暮らしを求める人達とは違っていた。戦争や差別や貧困など、世界が持つ悩みや問題を社会に問う為の役割である。当然のことだが職業として、経済的に豊かになるものとは本質的に違う。所謂それは私自身の、生き方であった。そうして陽子の気持ちは、徐々に私から離れて行ったのだ。
陽子の口から別れの言葉が出たのは、銀座で出会った時から四年程が過ぎていた。息子にその意味を説明する事に、私は随分と悩んだ記憶がある。別れの日に息子に向って私は、陽子が遠くに行くからと嘘を吐いた。
「遠くに行くのだって、だからもう会えないそうだ。さようならを言おうね」
息子にそう説得して、無理やり「さようなら」を言わせた事があった。私と一緒に撮った写真や陽子から届いた沢山のエアメールも、記憶の中だけに閉じ込めて私は全てを燃やした。
それでも振り返れば、私と息子は陽子から、有り余るほどの楽しい時間を貰った様に思う。何気ない日々の暮らしの中で、近くの江戸川の土手で転がり遊んだ記憶も、木曽路の馬篭宿や妻籠宿など、車で一泊のドライブをした事もある。
陽子の社員家族割りを利用させて貰い、沖縄の慶良間諸島の無人島に、息子と三人で旅をした事もその一つだ。今でも燃やせずに残っているたった一枚のその時の写真には、座間味島の隣にあった無人島の木陰で、幼い息子と一緒に、裸の体にバスタオルを巻きつけただけの姿で、笑っている陽子が写っている。
どれほどに愛し合った男女も、血を分けた親子でも兄弟でも、必ず何時かは別れの時が来る事を、口には出さないが誰もが知っている。人はそれを知っているからこそ、相手に感謝の気持ちを抱きながら今を、そしてこれからを生きて行く事が出来る。
最後の最後まで愛する思いを、感謝の気持ちを失わなければ、愛した日々の記憶さえ消さなければ、間違いなく微笑みを浮かべ別れの時を迎える事が出来るものだ。だから愛した記憶を消さないとは、時折はそれを思い出す事でもあるのだ。もしも苦々しい思い出しか残せないとしたら、過ごした人生は余りにも哀しい人生の様に思える。人生にどれ程の意味をも見出せず、その年月を生きていたと言う事になるからだ。
だがそれにしても女性の幸せとは一体何だろう。それはどんな事なのだろうか?。安心出来る穏やかな暮らしや、豊かで便利な暮らしが欲しいのだろうか?。私が最も知りたい事は、女は自らの過去を想い出す事は無いのだろうか、悔やむ事は無いのだろうか?過去に愛した男達を、女は本当に忘れてしまうのだろうか?
それは今も分らない女性への疑問なのだが、男は誰もが過去を振り返る。そして若い頃に出逢い、そこで触れた女達に感謝するのだ。青春と言う人生の最も美しく輝く時に陽子は、大人の女になる初めての体験を私に委ねてくれた。私の人生の一ページに、素晴らしい日々を添えてくれた事で、私は感謝の気持ちを持ち続ける事が出来たのだ。
尤もこの時から十四年後の事になる。報道カメラマンを志していた私も、様々な理由から企業を立ち上げる事になり、その志していた夢は夢で終ってしまった。だが新しく作った会社で、私は社員旅行を企画した。美紀がアルバイトを辞めた翌年の事である。
そして社員旅行をハワイに行く事を決め、陽子が勤めていた航空会社の飛行機を使う事にしたのだ。その後の陽子の事を少しでも知りたいと願い、全ては私の独断で決めたのである。勿論だが知ったからどうするのか、と言う事では無い。単に知りたいと言う、それは極めて自然な願望であった。
しかもこの旅行で搭乗した帰りの機内で、若い客室乗務員に、私は陽子のその後の事を尋ねたのである。この話は又最後に書く事にしよう。
「部長、今日は有難うございました」
手洗いから戻った美紀は椅子に座ると、オーダーを取りに来たウエイターの去った後で、改めに私に小さく頭を下げて礼を言った。美紀の声で現実に戻った私は、目の前の美紀に冗談とも本気とも取れるような言い方で、私自身の希望を話したのだ。
「今度は一度その靴を履いて、デートをして呉れたら嬉しいな」
私は素直な気持ちで、ヒールの高い靴を履いて街を歩く美紀を見て見たいと思った。試着でサンダルの様に大きくカットされた靴を美紀が履いた時、その姿勢はかなりと言って良い程にぎこちないものだったが、或いはもしかしたら此の娘は、何れは本当に美しく変わるかもしれないと思えたのだ。そして単に父親の様な気持ちで靴に似合う服も、出来れば着せてみたいとも思った。
今は自分に対して余りにも自信が無く、どこかオドオドとしている田舎娘だ。たった一足の靴で何かが変わるとは思えない。しかし中身も包む物で変わる事がある、そのきっかけが掴めるかもしれないと私には思えたのだ。
「失礼な質問だとは思うが、君には恋人が居るのかな」
「半年前まで同じ学年の、恋人の様な友達の様な相手は居ました、でもどうしてですか」
いぶかしげな顔をして、美紀は私を見た。
「いやぁ、別に大した意味は無いのだが、もしも彼氏がいたら(余計な事をしないで呉れませんか)って言われるかも知れないな、と思ってね」
「大丈夫です。それより部長は、奥さんに怒られませんか」
美紀は私の懐の具合を心配した様である。
「高校生の男の子が一人いる、それに僕は自慢じゃないがバツ二の独身だよ」
私は敢えてバツニだと強調した。この齢で一度も結婚もせずに独身だと思われるのは、何かあらぬ誤解を受けそうに思えたからだ。
「嘘でしょう部長、私、子供さんがいらっしゃるって聞いていたものですから、奥さんもいらっしゃるかと思っていたの。いらっしゃらないのなら、もう少し高い靴を捜せばよかったなぁ」
美紀は長い舌を出して笑った。相変わらず高いヒールの靴など似合わない、何時もの田舎娘がそこにいた。私は思わず、そのしぐさを見て苦笑いをしたのだ。
翌朝、出勤した私に美紀は、にこやかに微笑みながら元気な声で朝の挨拶をした。
離婚した妻
私には、この春に高校を卒業した息子が一人いる。大学にも行かずアルバイト先だった貿易会社への就職を、私に何の相談も無く決めてしまった。
最初に結婚した妻である喜美子との間に出来た子供で、結婚してから二年後に生まれた。結婚後も共働きをしていたから、妻は産前産後の出産休暇を使い、生まれてから少しの間を手許で育てると、息子をそのまま無認可保育所に預けて働き続けていた。この頃の公立の保育園では、未だゼロ歳児保育は東京でも、限られた場所でしか行なわれていなかったからだ。
息子が一歳になった時、私は自ら引取る形で離婚している。理由は妻が結婚前に付き合っていた昔の恋人の名前が、結婚して暫く後から何かと私達の周囲に出て来た事からである。その彼の名前は確か、柏木と言った。尤も、その男が昔の恋人だったと言う証拠や、その確かな根拠があった訳では無い。ただその昔の恋人が私たちの結婚式に参加していた事など、その説明を妻は敢えて拒否した、というだけの事である。
別れた妻は私と結婚する以前、東京駅前にある大手銀行の本店に勤めていた。その銀行の労働組合からの紹介で、同じ労働団体傘下の人達を対象にしたサークルに参加し、更にはその運営委員をしていたのだ。しかし自主的と云う姿勢で運営されていたから、極端な左翼でもなければ当然だが右翼でも無い。
それに様々な企業や官公庁などの、組合から紹介された人達を対象にしたサークルの為に、異なる業種や年齢の人が集って来ていた。週に三回程の講義を受け、三ヶ月のサイクルで終る為、勤務が終った夜には水道橋の駅前の事務所の二階に集り、時事や政治の話から経済や哲学などの講義を受け、それを後からグループで論議する様な、言わば学ぶ事を中心にしたサークルであった。
講師はその道の専門家が来るのだが、時には私立大学の講師や准教授、評論家なども呼んで講演会などを開く為に、その企画や運営もサークルの参加者自らが行う事になる。偶に宗教団体の若者や女性たちが、自分の宗教団体に勧誘する為に参加しに来ていたから、随分と自由な社会人のサークルでもあった様に思う。
当時の私は、勤めていた民間の会社に労働組合が作られ、その役員に選ばれた事から、地域の組合協議会の紹介でこのサークルに入る事になった。そしてそこで妻と出会い、頻繁に顔を合わせる中で、恋愛の末に半年後には結婚式を挙げたのである。出逢いから結婚までの期間が短かったのは、二人の孤独を癒して呉れるものが、互いの存在でしか無かったからでもあった。
兄夫婦の住む家から通勤していた妻は、両親を早くに亡くしていたから、家を出たいと言う思いが強くあった様だ。一人暮らしの私にも会話の無いアパートの部屋が、ただ寝るだけの場所でしかなかったからである。
ところが結婚から一年が過ぎ、妻から子供が出来たと知らされた五ヶ月後である。嘗てのサークル仲間だったリーダー格の飯田が、突然私の勤め先に現れ、私の知らなかった妻の結婚前の、彼氏の事を訊ねられたのである。飯田は私がそのサークルに入った時も、常に事務局から世話役としてサークルの面倒を見ていた男であった。
「実はサークルの運営委員をしていた柏木が失踪してね、今、行方不明になっているんだ。理由が何故なのか、一体どこに行ったのかも分らないもので、君の奥さんの方にも心当たりがないか、聞いて貰えないかと思って訪ねたんだ。親御さんが酷く心配していてね、本当に困っているんだよ」
しかし柏木と云う名前に心当たりも無ければ、友人にもその名の男は見当たらなかった。
「悪いけど柏木って人、一体、妻とはどんな関係の人なのですか、大体、何で俺が妻に向って聞かなきゃ・・」
「何故って言われると困るが、奥さんの勤め先に電話すると、既に支店に移ったと言うだけでさ、それ以上は教えられないって言われて、奥さんと連絡が取れないんだ。それに奥さんは君と結婚する二年近くも前から、柏木とはサークルの中でかなり親しい関係だったって話を、サークル仲間から聞いたものでさ。尤も二人の付き合いが、どんな付き合いなのか俺は知らないけれどな。
ただ二人の結婚式にも、君等は柏木を呼んでいたじゃないか。二人が結婚した後で幾度か開いたサークルの会合だって、柏木も奥さんもそこに来ていたぜ。だから柏木の事は、何か知っているかもしれないと思った訳だよ」
私は柏木と言う男が友人として結婚式へ来ていた事に、飯田から指摘されて初めて知った。そう言われた私は、私達二人の結婚式にサークルの仲間達が何人か来ていた事を思い出した。中には知らない顔もあったが、妻側の友人程度にしか思えなかった事から、ほとんど気にも留めてはいなかったのだ。
確かに妻は私と知り合う前から、サークルの運営に参加していた。その頃のサークルでの妻の事は、私には殆ど知らない事ばかりだった。しかも私と妻と知り合ったのは結婚する半年前の事で、結婚と同時に私たちは二人ともサークルを辞め、松戸市の郊外で新婚生活を送っていたのだ。妻はその後、住まい近くの支店勤務に移ったから、妻からサークルに連絡しなければ連絡は取れない事は確かだった。
私と結婚する前の妻と元の彼との間に、どんな関係があったか、そうした憶測の話に私は余り感心が無かった。寧ろ、その柏木と言う妻の元彼が、極めて妻と親しかった彼氏だとするなら、妻は彼との間係を切ることも出来ず、しかも私達の結婚式に呼んでいた事に驚き、そして訳も無く私はひどく動揺し狼狽したのだ。
もし本当にそれが嘗ての恋人であるなら、自分の結婚式に昔の恋人を呼んでいたと云う話は、私の理解を遥かに超えていたからだ。妻はどんな気持ちで、その恋人の前で私と式を挙げたのだろう。その話を聞いた時、私には妻の残酷さしか浮かばなかった。
だがこの時までは、他人から聞いただけの人伝えの話であった。その人伝えの曖昧な、仮にとする話を言うなら、私の方が昔の恋人を結婚式に呼んでいたとすれば、妻は一体どんな気持ちになるだろうか。女性はそうした事に無頓着なのかも知れないのだが、その事は私に取って到底許せる事ではなかったのだ。
この許せないと云う私の感情的な怒りは、柏木と呼ぶ男が妻を見る視線の中の、同じ同性の男としての痛みや哀しみでもあった。その元彼との関係が真剣だったとするなら、妻と言う女の残酷さを知った事は、それは私から妻を見る時に感じる怖さでもあったのだ。
しかもその事を知らされたのは、妻のお腹の中に八ヶ月目となる、私の子供を宿していた時であった。私は妻が出産するまでの二ヶ月間、その話を一切口には出さなかった。
初めての出産を前にして、怖くて聞けなかったと云う方が、寧ろ正直な思いだったと言えるだろう。だが病院から妻が退院して暫くの時間を置いた後で、私は耐えられなくなって妻に問いただしたのだ。生まれて間もない息子が、眠りに就いた直ぐであった。
「ところで聞きたいことがあるのだけれど、柏木って奴の事、君は知っているか?」
突然の質問に戸惑ったのか、妻は驚いて私の顔を見た。妻の長い沈黙は、どれだけ自分の過去の事を私が知っているのか、その質問の真意を推し量るかの様に、そしてそれを探っている様に私には思えた。
「結婚した後の二人の間には、当然だけど何も無いわよ」
私はその返事を耳にすると、少しイラっとした聞き方になった。
「二人の間に何があったのか、それとも無かったのかを聞いている訳じゃないよ、彼を知っているかと聞いているのだけど。それに先回りした返事をされても、的外れな答にしかならないと思うけどな」
妻は黙っていた。答えたくない質問には二つも三つも先を読み、先回りをして予防線を張るのである。少しの沈黙の後で、私は更に妻に聞いた。
「その柏木って奴が、失踪して行方不明になっている事は知っているかい?、もう三ケ月も前の事らしいが」
「えっ・・・」
まさかとでも言う様な顔をして、驚いた様に妻は声を上げた。そして何をどんな風に説明していいのか、妻の戸惑っているのが私には手に取る様に分った。当然の事だが私と出会う前には、私の知らない妻の過去があるのだ。私は更に言葉を続けた。
「少し前にサークルの事務局にいた飯田から、その柏木が行きそうな場所を知らないだろうかって、しかも会社にまで訪ねて来て聞かれたよ。で、なんで僕に聞くのかと聞いたら、僕が君と結婚する前に、君が柏木と付き合っていたからだって言った。あのサークルに僕は、短い間しか参加してはいないから、知り合う前の君の事は誰も話してはくれなかった。それは君も同じだ。だから今、その話を聞きたいのだけれど・・・話してはくれないかな」
私は出来るだけ穏やかに、言葉を選んで聞いたつもりだった。
「貴方と結婚する前の彼との話を、今になって聞き出して、それって私達に取って一体何になるの?」
今度は妻の方が、少しイライラした様な声で反論したのだ。
「勿論、何もなりゃしないさ、だけど彼が僕等の結婚式に来ていたって事は、それをどう理解しろと言うのだろうか?一体どんな関係だったのかな。それとも過ぎた事は、全て忘れてくれって言うのだろうか? アドレス帳を見せてくれよ。柏木って奴の連絡先の電話番号が、未だ君の手帳に載って居るのじゃぁないのか?」
今とは違い当事は携帯電話など、誰もが持つ時代ではなかった。
「嫌よ、貴方と結婚した後は、彼とは何も無いって言った筈よ。本当よ」
思わず私は、「それなら結婚する前は、どんな事が二人の間で有ったんだ・・」と、追求しようと思った。だが、それを口に出す事は止めた。
私は妻のバックの中からアドレス帳を無理やり取上げ、柏木と云う男の電話番号を調べた。そこには柏木の名前と、連絡先の電話番号が記されていたのだ。ついでに本人に電話を掛けて、直接二人の間係を聞き出そうと思ったが、行方不明になっている事を思い出し、妻をそれ以上に追い詰めるのは止める事にした。
随分と後になってから、子供が生まれたばかりの家庭を壊すほどの事では無かったのかも知れないと、後悔の気持ちが湧いて来たのだが、それこそ後の祭りであった。
だが結婚式に妻が、嘗ての恋人を呼んでいた事が発覚した時の私は、時間を追う毎に酷く私の心を痛めつけていたのだ。妻の嘗ての恋人が感じたであろう、それは痛いほどの同性としての辛さでもあった。自分の恋人を奪われたと言う口惜しさであり、情けなさでもあったろう。私の気持ちの中では寧ろ柏木と云う男の痛みが、自分の痛みとなっていたのかも知れない。
或いは「あんたの結婚した女房は、前には俺の女だったんだ」と言う、哀れんだ視線で私を見つめていたのかもしれない。そしてそれは男として、酷く屈辱的な想像を私に抱かせたもした。
その出来事があってから、妻と私との間に必要以外の会話は無くなってしまい、親しく口を聞く事もさえ出来なくなったのである。息子がやっと立ち上がる頃になり、このまま夫婦と云う姿で続けて行く事に耐えられなくなった私は、思い切って離婚の話を持ち出したのだ。
しかし私の予想に反して妻は、離婚に対して強く反対はしなかった。それどころか、原因となった結婚前の恋人の事に対して、一切の弁解をしなかったのである。
この時の妻の心の中を推し量れば、結婚前の男との間係を、子供が産まれてから持ち出すなんて、と思っていたのかも知れない。或いは妻が反論すれば、時間を掛けて話し合えば、別れ話しも立ち消えていたのかも知れない。しかし息子を私が引取り、育てると言う条件を示すと、渋々ではあるにしても妻は離婚に合意したのだ。
私の離婚に至る話を聞いた多くの他人は、「それにしても奥さんは息子さんを、よく手放しましたね」とした感想を率直に語る。確かに普通に考えれば、母親が産んだ我が子を手放すことは、殆ど聞く事は無いからである。だが彼女の置かれたこの時の環境は、酷く厳しい事も確かだった。彼女の両親は他界していたし、兄夫婦も共働きであった。子共を預ける身寄りは全くなく、しかも母子家庭となれば会社の勤めを辞め、パートなどの不安定な仕事を探さなければならない。少ない養育費を私から受け取った所で、それで暮らしが成り立つ訳でもなかったからだ。そうした事から、私は単純に自分で育てようと覚悟を決めただけなのである。
しかも私は彼女に向ってこの時、息子とはいつでも自由に会う事は構わない、母親である事実は子供の生涯にわたって消えないのだから、と伝えたのだ。この私の考え方を後から振り返れば、随分と残酷な話でもあった。二人が離婚届に印を捺してから直ぐである。彼女は私と息子の住むアパートの近くに、自分の部屋を借りて移り住んだ。息子はやっと立ち上がったばかりで、可愛い盛りでもあったのだ。
彼女は週末に私のところに迎えに来ては、日曜日の夜に息子を返しに来る。の方は勤めのある平日は毎朝、子供を無認可の保育所に預けて会社に向う。仕事が終ると残業もせず、同僚との付き合いも断り、真っ直ぐに息子を迎えに戻る。そうした毎日が続いたのである。
当然だが勤め帰りには夕食の買い物をして、息子を迎えに保育所に寄り、家に戻って食事を作り、息子のオムツなどの洗濯をする。近くの銭湯に連れて行き風呂に入れる。そうした日々の中で半年が過ぎた頃、徐々に週末に迎えに来る事も減り、彼女は私と息子から遠ざかっていった。
一方、彼女の方にも息子や私との別れにともなって、どれ程の大きな痛みが有ったのか、私は大分後になってそれを理解する事が出来る様になった。
彼女は住んでいたアパートを引き払い、姿を見せなくなってから確か三年程が過ぎた頃の事である。どうしても会わなければならない事情があって、彼女の唯一の肉親で実家に住む彼女の兄に連絡を取り、一度だけ顔を合わせた事があった。その時に別れた妻は、私にこんな話を語ったのである。
「私ね、離婚した直後の事だけど、相談しようと貴方の実家にお邪魔して、お母さんにお会いした事があったの。貴方のおかあさんが私に、とてもすまない、申し訳無いと言って、涙を流しながらお詫びしてくれたの。お詫びするのは私の方なのに。そしてお財布の中から、お母さんが少ないけれど、って言ってね、紙に包んでお金を呉れたの。そのお金を私、今でも使えないで持っているのよ」
別れた妻はそう言うと、ちり紙に小さく折り包まれた二万円の金を、財布の中から取り出して私に見せた。実家の私の母は彼女が訪ねて来た事など、私には何も話しても伝えてもくれなかった。その母も彼女が訪ねた一年後には他界していたのだ。
実に下らない理由で私は子供から母親を、母親からは子供を奪ってしまった。それは私が生涯に亘って背負って行かなければならない、別れた妻と息子に対する償い切れない罪でもある。それにもう一つ、既に亡くなってしまった母に対する罪をも感じながら、私は今を生きている。私が母の胎内で眠っていた頃、母は夫であるその男の浮気がもとで、家庭裁判所に訴えて離婚している。だから私は父親と呼ぶべきその男とは、生涯に於いて一度も会った事は無いし、既に会う事も出来ない。
それは母が亡くなってから二十年程も後の事である。その男の入所していた四国の老人施設の職員が、私の戸籍を調べたのだろうが、僅かに残された遺産の受け取りの、その可否を問い合わせて来た事があった。当然だが私はそれを即座に拒否をした。施設の担当者が電話で語った話では、男は四国で再婚し、現在では子供が二人程居るのだと言う。しかもどちらからも、その受け取りを拒絶されていると言うのである。
それ故に私の母に対する罪とは、妻に自らの子供を孕ませ他の女へと走った、母に対して父親が犯した罪である。生まれた時から顔も知らない父親となる男のその罪を、その子供が生涯に亘って罪悪感を持ち続けるなど聴いたことは無い。だが私の体の中を流れる血の半分は、母の腹に私をつくり、その母に私を独りで産ませ、孤独の中で勝手にこの世を去ってしまった、余りにも勝手な男の血でもあるのだ。言い換えればこの私は、その勝手極まりないその男無しには、この世に生を受ける事は無かったからでもある。
母は誰一人として身寄りも無い東京の片隅で、そんな男の血を引く私を一人で産み落した。しかも母の父親である私の祖父は、母の姉の夫にあたる伯父の保証人となった事から、先祖伝来の広大な山や畑など、全ての財産を無くして自殺している。母は自分の父親が実家の母屋の鴨居で首を吊った、その遺体を見ているのだ。そんな山陰の故郷から逃げる様に、一人で母は戦時中の東京に出て来たのである。
そう思うと、私は母親のお腹の中にいた時から、私を産み育ててくれた母を含め、今まで私を取り巻く女達を、どれ程に不幸せにして来たのだろうかと思う。半分同じ遺伝子を持つその男が、結婚した母以外の女に走った理由は判らない。単に快楽を得る為にだけだったのか、それとも母に不満があったのか。
今になってその男の想いを知ることも出来ないが、少なくとも母は、いわく付きの私をこの世に産み落とした。私はその男への憎しみと母への感謝との間で、無意識にその男と同じ道を歩く事に、強く抵抗していた様にも思えるのだ。
大分後になって、別れた妻の消息を幾度か調べた事があった。新たな相手と再婚し子供の出来た事を知り、その時から彼女の事は考えない事にした。
電話で最後に話しを交した彼女は、結婚する相手の男性との約束で、別れた旦那や子供と二度と会わない事が、新しい相手と人生を共に歩む条件なのだと言った。それを受け入れた彼女も又、二度と引き返せない道を歩き始めたのだ。自ら産んだ我が子との決別を強い覚悟で決め、新たな人生を歩み始めたのである。歩き始めざるを得なかったのだ。
そうした話を別れた妻と電話で交した後も、彼女は私と離れて暮らす息子の許に、一度として会いに行った形跡は無い。だから私が思うに女とは、苦痛をも敢えて受け止め生きて行く事の出来るのが、ゆかざるを得ないのが女の性と云うものだと思えるのだ。
女は男の持つ性とは違い、決して過去を振り返らない。女は母親の体内でその性を与えられたその時から、胎児と呼ばれる小さな体の中では次に子を産む、女となる為の体の仕組みが創られ始めていると言う。
だから私は女が雌として生きた遥か遠い時代から、気の遠くなる様な永い進化の中で、幾百幾千万回も受け止めた哀しみや痛みから、自らを守る為に遺伝子に刻み込まれた、それは本能の様なものではないかとさえ思えるのだ。
二度目の失敗
息子は病気ひとつする事も無く、元気で育っていた。その息子が小学五年生の時、私と二人で団体の歴史を探るバス旅行に参加し、そこで添乗員をしていた彼女と知り合った。
彼女に感心したのはそれが仕事とは言え、行く先々の城や古寺など、歴史を極めて深く勉強していた事である。そんな事からデートに誘ったのは私の方で、月に二度程のデートは東京と埼玉の中間にある、県境近くのファミリーレストランであった。彼女は極めて普通の田舎に暮らす農家の、しかも子持ちの独身女性でもあった。私の方も以前から日本史には感心があり、しかも互いが独身で共に男の子が一人居ることなど、共通の話題が多かった事もあったと言える。
話が盛り上がり、もしも養子として来てもらえるなら、そうした彼女の話から知り合って三ケ月程で、私達は身体の間係を持った。子供を持つ者が再婚するには、お互いの考えや性格を知る事と体を知る事は同じである。互いのそうした事を知り確かめ合う事は、一つ屋根の下に住む為の大事なプロセスの一つでもあるからだ。後から知らなかったが為に後悔するとなれば、理由にはならない理由ででもあるだろう。
彼女の夫は数年前に病で亡くなったと言うが、遺していったのは私の息子より二歳ほどの年上の、中学生になった男の子であった。周囲から見れば二人の結婚への道は、僅かであれ恋愛と言う時間を過ごし、しかも互いに息子と言う男の子を連れていた事で、彼女の家に入る事は自然の流れと見えた様である。
私にしてもそれが養子と言う形であれ、彼女に求められての縁組は、落ち着ける新たな居場所と共に、適当な相手を得る事が出来たと思えたのだ。
しかし今に思えば、「おかあさん」と云う言葉を一度も使った事の無い息子に、その言葉を言って貰える環境を捜す事に、余りにも急ぎすぎたと思える。そして婚姻の失敗する原因が何も男と女の間係だけでなく、田舎と言う環境も又大きな原因を持っていた事を、この時に初めて知る事になったのだ。そして馴染むことも、深く調べる事もせず結婚した事が、大きな落とし穴に嵌った事を私はこの時に思い知った。
相手の女は利根川近くの、見渡す限り水田が広がる田舎町に住んでいた。実家はかなり広い農地を持った農家で、近所に住む農家の人々も遠縁に当る人が少なくない田舎である。
結婚を決めるまでは、その土地に住む近隣の人間関係も、地域の持つ風習も全く知らなかった。知っていた事と言えば、妻となる相手にも中学一年生の一人息子と、背中の曲がった祖母が、彼女と暮らしていた事位だった。
流石に農業をして欲しいとは言われなかったが、代々受け継いだ家は農地を親戚などに貸してあり、家の裏庭には盛り土で作られた屋根程の高い小山があった。聞けば利根川が氾濫した時に、逃げる場所であると言う。屋敷内のその小山を整地すれば、家の庭に野球場が二つは出来る程の広さであった。それに東京や県内の幾つかの場所に土地を所有して貸してあり、その収入もあった様である。だが二人の関係が破綻したのは、籍を入れて僅か半年後の事であった。
入籍して三ヵ月程が過ぎた頃、住み始めた町で町議会の選挙が始まった時である。東京の会社に勤めるサラリーマンだった私は、仕事で多忙な春の時期を迎えていた。そんな時に突然に妻から、選挙の応援に出て欲しいと求められたのである。
それまで私は選挙が選ぶ側の有権者が、その個人の意思によって立候補した者を選び、当選した者が議員になるものだと理解していた。大げさに言えば憲法に基づく自由な選挙は、この田舎町では単なる屁理屈である事を知ったのだ。地域の常識が社会常識を超えていた事を、私は初めて身を持って経験したのである。
候補者とは会った事も見た事も無く、当然話しも交わした事の無い相手であった。単に近所に住むと言うだけの候補者の応援に、会社を休んで出かけるなどは私には想像を超えた話であった。しかも応援に出かけなければ村八分になると言う妻は、江戸時代から明治に使われた言葉を口にして、強く私に迫ったのである。
幾ら議論しても無駄であった。代々を土地に縛られ田舎に生きた者と、都会暮らしで隣に住む人々の名前も知らずに生きて行ける者とでは、暮らす事や生きる事の権利や意味の考え方が、根底から異なっているのである。
曲げられる事と曲げられない事と、譲ることが出来る事と出来ない事と、世の中には二つの相容れない考えや生き方がある。他人の権利を無視したり、人としての尊厳や誇りを踏みにじる行為に、私は妥協出来ない部類の人種である。それを大げさだと考える者に対して、決して私は友人にはなれないし、そうした人を友人は持ちたくもない人間なのだ。
この日から息子と私の二人は、新居を出てその隣に建つ古い母屋の一室で暮らすことにした。例え一時的に妥協したとしても、何れは間違いなく意見の相違が、妻との間に出て来ると思えたからだ。
東京の会社に勤めに出る為、それまで駅への送り迎えをしてくれた妻へ、私はその日以来、その送り迎えを断った。駅までは二十分程自転車に乗り、私は東京の勤め先へと出かけたのだ。夜の食事も息子と二人分の弁当を駅前で買い、或るいは外食をするなどして選挙の応援を拒否したのである。田舎の更に田舎で暮らす人の意識とは、その住む土地の狭い世界の中でしか通用しない、極めて独自の価値観を持つ人達だったのだ。
息子と相談した後で、私は家庭裁判所に離婚の調停を申し入れた。裁判によって離婚が認められたのは、それから三ヶ月が過ぎた頃である。私は結婚前の状態に戻す様に求めたが、別れるなら一銭も出さない。出てゆくなら勝手に出てゆけば、とする妻に対する裁判所の裁定は、私の望んだ通りの結婚前の状態に戻す事を妻側に示したのである。
私の性格は不条理な事は極端に嫌うし、確かに融通の利かない人間でもある。東京で生まれた江戸っ子の性格通り、間尺に合わないことはトコトン抵抗する。その反面、その時々の感情で何かを決めても、過ちだったと気が付けば直ぐに元に戻る性格であった。こうして半年程の二度目の結婚生活は、私が周囲を騒がしただけで終ったのだ。
半年前に住んでいた元の東京の下町に戻った私たち親子は、以前と同じ様にアパート住まいをしながら暮らす事にした。それから二年程が過ぎて、息子が中学二年生になった頃である。友人の一人が、新築のマンションを購入した。その友人の処に新居祝いを持って訪ねた時、彼はこんなアドバイスを私に伝えてくれたのだ。
「家賃は払っていれば自分の物にはならないが、ローンを借りて家賃程度の支払いで暮らせば、何れは自分の資産になるからね。貯金をしていると思えば、それ程の抵抗はない筈だぜ。他に借金はしていないのだったら、君にも銀行は低利で金を貸してくれる筈だ。担保は買ったマンションだから、借りた借金も返せばマンションの権利は自分の物になる、君も買ったらどうかなぁ。もしも困った事があったら、今度はそれを売る事も出来るしね」
友人の話を聞いた私は狭いアパート暮らしから、この時にマンションを購入する気持ちになったのである。住まいを求めるという事は、ある意味で不自由さが付きまとう。だが人はそうして自分の住いを持ち家庭を築く事で、そこに住む地域の人々との間係を深め、落ち着いた日々を営んで行く事が出来るのだろう。私は東京と埼玉の境に近い場所に、翌年の春に完成するマンションを、二十五年のローンを組む事で購入を決めたのだ。
息子が中学を卒業して高校への進学と時期が重なる為に、新たな住いの近くに、公立高校がある事も、場所を決めた理由の一つであった。そして翌年の春になった時、西武池袋線の清瀬駅からバスで二十分程の所に建つ、八階建ての新築マンションの五階の部屋が、私と息子の新しい住まいとなった。都心に建つマンションとは違い、別のマンションの部屋と向き合う事も無く、大きな一枚ガラスで仕切られた窓の眼下には、古刹で知られた平林寺に繋がるクヌギ林が見えた。
武蔵野の面影が残るこの辺りは、若葉の芽吹く季節になると小鳥のさえずりと共に、最も美しくなる場所であるとも聞いた。晴れていれば部屋からは秩父の山並の上に、壮麗な富士山の山陰を見る事が出来る。駅まではバスだが、マンションの隣はバスの始発となる停留所で、座って駅までは通勤が可能たった。そうした環境も住まいをそこに決めた理由の一つであった。
だが最も強くこの場所へ住む事を決心させたのは、北関東の山々の懐に入るのに、車で僅か一時間もあれば行けると云う地理的な条件の場所だからである。都心に住めば車で郊外に出るだけでも、一時間や二時間は必要となるからである。それは殆ど毎週末に出かける趣味の渓流釣りや、温泉めぐりを頭に置いて決めたのである。
そうして清瀬の新しい新居に引っ越して一年程が過ぎた頃、私の身の上にもう一つ大きな出来事が起きた。尤もその間にも、私は一つの恋愛を経験しているのだが、この話は後で又書き加えよう。
会社経営をしていた親しい友人の兄が病で突然に亡くなり、友人はその兄の経営する印刷会社を引き継いで社長になった。ところがその友人から突然に会社を起こさないか、とした話が飛び込んで来たのだ。友人は新しく自分でも会社を作ろうと考え、準備を始めた矢先の事であったらしい。
それに友人は兄の死によって、それまで兄が経営していた会社を引き継ぐ以外、弟としても選択の余地が無い事に気付いたのである。そこで自分が進めていた新たな会社の設立に、力を貸して欲しいと私に求めてきたのだ。
しかも友人は新たな会社には、役員として参加して欲しいと言う話であった。そしてその条件は、自分も役員として割り当てられた資本を出すので、非常勤の役員として名前を入れて置いて欲しいと言うものであった。
友人のその話を、私は受け入れた。単に誰かが創った会社を引き継ぐ様な話では無く、自らが望む企業を立ち上げる事が出来るからだ。そしてこの時から私はサラリーマンの傍ら、会社設立の為の勉強が始まったのである。
当時の私が抱いていた理想とする企業とは、嘗て読んだ一冊の本の中にしか求められなかった。その書のタイトル「エクセレント・カンパニー」(超優良企業)と云う本は、アメリカの企業コンサルタント会社マッキンゼーに籍を置く、研究者二人の人物が書いたビジネス書である。
内容は物語風に書かれているが、一言で説明すれば、そこに働く社員が自らの能力を十分に発揮出来る、誇りの持てる企業へと向う為に、企業が社員に働く事への動機付けを与えた姿を描いている。動機付けとは働く者達に、働く事の意味や目的を持って貰う事である。
企業経営は単に理想だけでは成り立たないが、理想の無い経営は単なる金儲けの域を出る事は無い。企業が社会性を帯びて、そこに働く人々が暮らしの糧を得るようになれば、その社会性と言う意味を、経営者も働く者も互いに理解し、それぞれがそこで働く意味や役割を分担する事でもある。
だが会社役員の経験も無い者には、その話は少し荷が重過ぎる。その結果、代表取締役の社長は、その友人の関連する印刷会社の社長が兼務して引き受けてくれる事になった。そして私の当面の仕事は、人材や顧客の確保、更には法律で定められた株式会社設立の、資本金二千万の目途を付けることであった。
こうした様々な問題を乗り越えた翌年の二月、嘗て勤めていた会社の同僚や友人など、十二名程の社員を集め、新たな会社を具体的に立ち上げる事が出来た。私にそうした行動に向かわせたのは、それまで勤めていた会社が何処にでもある、極めてありふれた個人企業であったからだ。
そこでは幾ら残業をしようが、給与の上限を設けられて支払われる事は無かった。そこには勤める社員に対して、未来や希望を与える事も無かった。単に言われた事をやり、給料を貰うと言うだけの関係であったのだ。それだけに仕事に生きがいを持つ事の出来る、仕事に自分の心血を注ぐ事が出来る会社を、自分たちの手で作り上げる事を目指したのである。
会社を設立するまでに月に一度、一年の期間をかけて中心となる、仲間とも呼べる社員と共に準備を重ね、私は話し合いながら進めて来たのである。
資本金の三分の一は代表取締役となる社長が出資した。私と私に声を掛けた友人も、合わせて六百万の資本を出した。残りは会社設立に参加する仲間の、職責に応じて資本金を出して貰ったのである。仲間は役員や幹部社員であると同時に株主であり、それは自分の会社だと自覚して貰う為でもあった。
私に任された役職は取締役の営業部長である。仕事が増えて忙しくなる春に向かう、その時期を見込んでの設立であった。設立した会社は事業の内容からも、個人間の取引は極めて少ない。医科大学や学術研究機関、そして製薬会社や病院が主な得意先である。珍しい所では水産関連や気象関係の研究機関もあるが、当初は事業の紹介の為に企業や病院訪問を行い、それまでに知り合った医科大学の教授や、学会を開催している間係団体を歩き回ったのだ。
潤沢な資金や資産が有った訳では無いから、銀行の融資も未だ期待出来ず、そうした事から事業を開始した一年間は、内部留保などは望める術さえ無く、給与の遅配を何とか避けられる程度であった。それに賞与を社員に渡す事は、未だ利益の少ない会社には無理でもあった。
それでも社員たちは、お客が遅い時間に来ても対応出来る様にと、当番制にして深夜の十二時まで窓口を開ける事になった。これは病院廻りなどをした製薬会社の営業マンが、窓口に仕事を届けてくれたり、出来上がった資料を受け取りに来たりと、何かと好都合だったからである。
病院の副院長から紹介して貰えた外資系製薬会社とも、直接の取引が日本支社長の決済で決った。二年目に入ると徐々に得意先も増え、支店を徐々に増やして急激に成長したのだ。殆どの国内大手の製薬会社とも取引も始まり、全員の給与や賞与が支払えるまでとなったのである。
叶わない恋
話を少しだけ遡る事にする。武蔵野の面影が色濃く残る、緑の豊かな場所に建つ新しいマンションを購入して、息子と二人で移り住んで半年近くが過ぎた頃、後から思えば悲恋とも言うべき恋愛を私は経験した。
既に動き始めた新たな会社の話は、全てが極秘で進められてはいたが、周囲には話せない、もう一つの密かな恋愛を私は経験していたのだ。彼女は私と同じ世代の、しかも戸籍上は人妻であった。しかもこの時の私も、それまでと同じ様に、相手が息子の母親になって貰える女性であると同時に、私自身の末は妻となる相手を求めていた。
この戸籍上は人妻であると言う意味は、籍はあるものの既に五年近くも、戻ってこない夫を待つ女だったからだ。こうした関係を裁判所に持ち込めば、大方は離婚の裁定が下されるものである。だが子供の親権とか財産分与など、拗れればこじれる程に、関係は解けなくなる要素を含んでいる。
その女は、私の勤める会社の取引先の代表者で、数人の女性スタッフと共に医療関係の外国書籍を販売する企業を経営していた。
当然だが英語の堪能な女性で、若い頃には大手商社の役員秘書をしていたと聞いていた。率直に言えば美人では無いが知的で品のある、寧ろ私には似合わない同じ齢の女であった。名前は・・・やはり未だ人妻の女性だから、敢えて出さない事にする。偽名を使えば良いのだが、まるで彼女との全てが偽りとなりそうで、だからそれも出来ない。
私は、その女と出逢った時から人としての憧れと、尊敬を持って見つめていた人でもあった。勿論、彼女が結婚していながらも随分と長い間、独身状態である事も聞いていたし、こどもの成長を待って結論をだそうとしている事も知っていた。思慮深い女であり、夜遅くまで必死で働くその姿は私の目にも、女性よりも一人の子供を育てながら働く、人間的にも優れた人として映る部分が多い様に思える。だからそれまでは単に憧れていた、尊敬すらもしていた一人の女性であり、それ以外の何者でもなかったのだ。
だが仕事の関係で頼まれた書籍を引取りに行く毎に、彼女の店に長居する事が多くなっていた。様々な話を
私は彼女と交したのは、同じ子供を持つ親同士と言う事もあるが、これまで一人で育てて来たと言う共感を持ち得たからでもある。
その彼女が私の想いに気付き、好意を抱いてくれている事は、言葉に出さなくとも伝わって来るものがある。
仕事で客から依頼された外国の論文を持ち込み、翻訳を頼む事がある。仕事とは言え急がせた事から、夜遅くまで翻訳させた時は、車で自宅まで送り届けた事も幾度かあった。
彼女には二人の女の子がいる。夏には社内の有志が集り、それぞれの家族を連れてキャンプに行った事があった。湖の畔にあるキャンプ場では、ボートを漕いだり魚釣りをしたり、夜には花火をしたり肝試しをしたりと、子供達には大うけでもあった。夕食を済ませて焚火を囲み、やがて夫々の家族が自分たちのテントに戻った後で、私達二人は自分たちが連れて来た子供をテントに寝かせて、まるで若い青年の様に焚火の暖を取りながら、人生や愛を語り合った事もあった。
一つのグラスにワインを入れ、交互に口を付けて飲み交わす程に、彼女とは心の許せる間柄になったのだ。それでも互いに相手に触れる事もなく、遠くで見詰め合って過ごしていた。
その彼女に「今度マンションを買いました。一度は立ち寄り下さい」と私が伝えた後で、「是非とも一度、部屋を見せて下さい」と突然に電話をくれたのである。しかも自分もマンションを買い求めたいと考えているので、買い方や登記の事など、参考にさせて貰いたいと言う話であった。
彼女は世田谷の等々力にある高級住宅街近くの一画に、母親の住む実家と同じ敷地内にある二軒の屋敷を売り払い、新しく年老いて行く母親と共に、暮らしを立て直したいと考えた様である。
尤も二人の娘の内の姉の方は、アメリカの大学に留学中で、下の娘は高校三年生だと言った。だが彼女の夫は技術指導と言う名で海外に転勤したまま、家には長く戻っては来ないと言うのである。生活費も送っては呉れず、それが為に自分で会社を立ち上げたのだと私に語ったのだ。
彼女と夫との連絡の無い関係は五年近くにもなり、彼女の離婚への気持ちは固い様であった。
その日は日曜で、昼にはまだ少し早い時間だった。息子は高校の陸上部の部活で、帰りは夕方になると言って朝早くから出かけて行った。私は男所帯の散らかった部屋を、彼女が訪ねてくる事から慌てて片付けていた。そんな処に、彼女は一人で訪ねて来たのだ。とりあえずマンションの部屋の間取りを見て貰った後で、買うまでの経緯や費用の捻出、それに購入に掛かった経費など、一通りの話を聞かれた後で私はコーヒーを入れる事にした。
「五階の部屋ともなると、外の景色は遠くまで見えるのね、それに若葉の雑木林もいいわ。あれってクヌギ林よね」
ベランダに出た彼女は、視線の下に広がる芽吹いたばかりのクヌギ林を見つめながら、私に話しかけて来た。
「何時もなら正面の秩父の山並みの上に、富士山の頭が見えるけど、今日は春霞のせいで見えない様だ。ところで娘達は元気?」
「えぇ、今年の夏には下の娘も、イギリスにひと月程だけど、短期留学をしたいのだって、子供はお金が掛かってしょうがないわ」
彼女は諦めた様に笑った。
「同感だね。ねぇコーヒーを入れたからさ、部屋の中に戻って」
私はベランダに出ていた彼女に声を掛けた。
十二畳程のリビングに据付けたテーブルに、コーヒーカップを置くと、私は豆から挽いたばかりのコーヒーを注いだ。コナコーヒーの甘い香りが部屋の中を漂っている。
「こんな時に言う話では無いのだけれどさ、俺は随分と前から貴女に憧れていたよな、ほら、確か貴女が原宿の事務所で働いていた頃からだったから、もう三年位になるかな」
懐かしむように私は昔の事を口に出した。
「知っていたわ。何時も私には何でも話かけて来るのに、他のスタッフに対しては仕事の話しかしなかったものね。それに仕事で遅くなった私に、迷惑を掛けたからって深夜に、家の近くまで車で送ってくれた事があったでしょう?確か貴方が住んでいた江戸川とは、全く正反対だった筈なのに、忘れてはいないわよ」
「そんな事があったんだ、俺はとっくに忘れていたよ」
「やだわ、覚えていた私の方は、何か損したみたいね」
「あれから色んな事があってね。だいぶ人生を遠回りしてしまった様だ」
二度目の結婚に失敗した、半年にも満たない苦い顛末の事であった。
「知っているわよ。秀さんは何時も息子さんの事を考えての行動だから、私は認めてあげるわ」
「それなら伺うけど、貴女は俺の事をどんな風に思っていた?」
私には高嶺の花の女性だと、この時もそんな風に思っていたのだ。
「さぁ、私は娘達の母親だけど、人の妻でもあるのだから、私からそれは言えないわ」
「俺はね、女としてよりも先に、子供を持つ母親としての貴女に、随分と憧れを持っていた様に思うよ。息子を育てて来た様々な経験から感じていた想いだ。だから何か少しでも役に立つ事が出来ればなって。
それと人としての貴女に、素敵な女性だと何時も尊敬の気持ちを抱いた事があったな。楽を求めずに真っ直ぐ生きている貴女を見ていると、もしも貴女が男だったら、きっと何でも打ち明けられる親友になれた様にも思うよ。恐らく貴女が女性だったから、今まで遠くから見つめていた様にも思うしね。だからもしも貴女が人の奥さんでなかったら、きっと夢中になって貴女を追いかけていた様にも思うんだ。この頃ね、これ程に身近な所に、自分には最も価値のある女性がいたのだと、改めて思う事があるんだ」
抱いていたそれまでの想いや憧れを、私は初めて彼女に語り始めた。
「ありがとう、それほど私に価値があるとは思わないけれど、でもそんな風に思っていてくれたのね。本当に嬉しいと思うわ」
「だからもし許されるならだが、貴女へ自分の想いに伝えたいって今まで思っていたんだ。こういっては失礼になるのだろうけど、人妻と言う立場に自分の想いを押さえつけても、この頃は許してもらえるならなんて、その時を待っている意味が無くなっているのではと勝手に思い始めてね。そんな風に思うと、俺は貴女を必要としていると気付いたんだ。残された人生の時間を、支え合う事が出来たら俺はどれ程に幸せだと思えるだろう。何時か俺と一緒になる事を考えては貰えないだろうか」
まるで堰を切った様に、彼女への想いが溢れて来ていた。
「嬉しいわ、本当にそう思うのよ。私も秀さんの優しさを知っているから。だから今のお話は真剣に考えるわ。そしてもし私が良いわ、って言ったら、本当に私を受け入れてくれる?」
突然の私の求めに、彼女は真剣に考えると言ってくれたのである。
「勿論だよ、返事を貰えるまで、俺はいつまでも待つから」
私は目の前の彼女を引き寄せ、その体を抱きしめていた。明るい昼間の時間が流れる中で、私達は互いの唇を重ねていた。それは確かめても確かめ様の無い程に、僅かな不安が付きまとってはいたが、私にはこの上のない歓びでもあった。
私は隣の和室へと彼女を導いた。襖を締め切れば部屋の中は暗くなり、羞恥心から多少とも逃れられるからだ。そうして私と彼女は更に長い時間を掛け、唇や舌を求め合った。私の体はそれだけでは押さえられなかった、。彼女との確かなひと時の時間を欲しがっていた。私は彼女の首筋に唇を這わせ、耳たぶを舐め、その耳奥に舌の先を入れて吐息をそこに注ぎ入れた。後ろに回り彼女を抱きしめた私の手は、その豊かな胸のふくらみを押さえ、身に付けた服の胸の隙間から奥へと彼女の確かな存在を求めたのだ。
「ねぇ駄目よ、いけないわ。未だ早くてよ」
激しく脈を打つ彼女の鼓動と、不規則で荒い息遣いが私の腕の中で交錯していた。しかしその言葉とは裏腹に、私の腕を掴む彼女のその力は弱々しかった。妻と言う名を持ち続けて来た女が、自分と言う意思を持った女に生まれ変わる瞬間でもあった。彼女の声は私にではなく、自分自身に向けた言葉の様に聞こえたのだ。
それからも二人は狂おしい程のいとしさに包まれながら、幾度も唇を交し抱きしめ合った。やがて立っている事に耐えられなくなった彼女は、体を委ねる様にして私につかまり、青々とした香りのする畳の上に崩れていった。
意思を持った私の手は、目的を持って思いを成し遂げ様としていた。全てを任せ抵抗を止め、力を抜いた彼女の体が、今度は積極的では無いにしても私を確かに待っていた。
やがてあの弱い拒絶の言葉は、何時の間にか快感を告げる歓びの声に変わっていったのだ。
そうして私の想いが確かな出来事として遂げる事が出来ると、彼女はすすり泣く様な小さな声で泣き始めていたのだ。
「ごめん、でも確かな貴女との思い出が欲しかった。これで何時までも、貴女の返事を待ち続ける事が出来るんだ。ごめんね」
私の腕の中で、何時までも小さくしゃくりあげる様にして、すすり泣く女がそこにいた。私は彼女の肩を両手で軽く抱きしめた。だが彼女の小さくすすり泣く声は、何時までも止まる事が無かった。
それまで二度の離婚を経験している私には、結婚と云う形を続けてゆく事に少しの自信を無くしていたとも言える。結婚が男女二人の妥協の上に築くものだと言うのなら、その妥協を前提とした暮らしには向かない男だと、私はそう自分を分析していたからでもある。
しかしそれでも私は彼女との間係を、このままの他人で終らせたくはないと思っていた。私は新しく移り住んだマンションの部屋で、こうして彼女を強引とも言える形で犯したのである。出会ってから見てきた彼女の印象は、私を産み落とした母親と似ていた。愛する者を必死で護る為に、身を粉にして働く自分を顧みないの女である。それが彼女にとっては喜びであり、そして幸せでもあった様に私には思える。
その意味から言えば、私は甘える事の出来る女性を、心の内に絶えず求めていたのかも知れない。そしてそれが私の幼い頃からの、生い立ちに残された性格の一端だと理解していたのだ。
それからの一年近くもの間、私と彼女は男と女の間係を持ち続けた。彼女は相変わらず抱く度に静かに泣く女だった。逢瀬の殆どは彼女の営む会社が借りた、居住用マンションを事務所に使用している部屋であった。互いに仕事が終わる深夜になってから、時折ではあるにしても私達はそこで密かに逢っていたのだ。そうして一年が過ぎた頃になって彼女から、下の娘を結婚させてからでないと、やはり再婚は出来ないと言われ、それには五年程の時間が必要だと、半分は断られた形となったのである。
私にとっての再婚は私が妻を得ると言う意味以外に、息子の母親を得ると言う意味も有った。息子の事がなければ、或いは五年でも待ち続けて彼女と再婚していたであろう。
しかし高校生になったばかりの息子に五年は待てなかった。「おかあさん」と云う言葉を、一言も使わない息子にしてしまう事が私には耐えられなかった。五年の年月は、私と息子には余りにも長すぎると思ったのだ。そうして私達は別れた。個人的に逢う事も無くなり、仕事さえも他の者に任せる様になった。そして新しい会社の設立へと、夢中になってそれに私は没頭して行ったのだ。
それからの日々
会社にアルバイトに来ていた美紀と、デートとも呼べない銀座での買い物をしてから、三週間程が過ぎた木曜日の夜も遅い時間である。仕事は少し忙しくなり始めた時期であった。
美紀から突然に、「今週の日曜日に、遊びに伺っても良いですか?」と電話があった。
仕事の多い時期の平日は、仕事の終る時間が深夜になる事が多い。何人かの社員は車で通勤し、同じ方面に住む社員を途中で降ろし、後はタクシーで帰宅させる。しかし週末だけは、しっかりと休む事を徹底させていた。
私は美紀に、「来るのは構わないよ」と気軽に答えたのだが、それが美紀との深い関係の始まりとなった。週末になると、必ずと言う程に美紀は私の住を訪れる様になったのである。一緒に住む息子から見れば、突然に現れた姉の様な若い女が、家の中を仕切り始めた事に驚きの目で見つめていた。
父親の恋人と言うには余りにも若すぎる。幾ら父親の勤め先に来ているアルバイトの女だとは言っても、週末ごとに訪ねてくるのは、息子にも理解出来ない関係であった。
それでも高校を卒業したばかりの息子は、就職を決めていた会社の寮に向かう時、私にこう言って出て行ったのだ。
「親父さ、ちょっと心配していたけれど、あの人を見て少し安心したよ。おかあさんなんて、とても言えないけれど、俺の事は心配しないでいいのだから、後は親父のやりたい様に暮らして欲しいな」
親父に向って生意気な口を利く息子だったが、その反面、随分と大人になったと、嬉しさと寂しさの混じりあった感情に私は包まれた。
「お前が今度戻ってくるまで、彼女が果たして居るか居ないか分らないが、まぁ楽しくやって行くさ」
家を出て貿易会社の寮に入ると言う息子と、私はそんな会話をして送り出したのである。
美紀の通っている大学は、マンション近くの駅から電車で四つ目の、それも駅に近い事もあった。部屋の鍵を貸して欲しいと言われて渡すと、渓流釣りに出かけて戻った日曜日の夜には、夕食の仕度をして待っ様になった。
そうして一緒に夕食を済ませる様になると、年齢が二十歳余りも離れている事を除けば、恋人同士に近い気持ちの間係が出来上がってくる。美紀が二十歳の誕生日を迎えたその翌日、私と美紀は唇を交したのだ。
だがそれ以上の関係に向う事を、私は思い留まっていた。会社に勤めているアルバイトでもあり、娘の様に余りにも齢が離れていたからである。それに欲望だけで間係を持つ事は、随分と無責任だと思ったからだ。
その頃は会社の経営も順調になった事もあり、春には渓流釣りが解禁となった事で私は、止めていた釣りと温泉を訪ねる趣味を再開したのである。時折週末になると私は東京を離れ、関東の山奥の渓流に岩魚などの魚を追いかけていたのだ。
谷川の沢伝いに渓流魚を追って釣り歩き、疲れると山奥の温泉宿で湯に浸り一夜を求めた。或いは車の中で眠り、星空の下で焚火と向き合い暖をとる。それは都会で仕事に追いかけられる私には、まるで本来の自分を取り戻す為に必要な、生きている事を確認する様な事に似ていた。
ところが私の趣味を横目で見ていた美紀は、突然に一緒に行きたいと言い出したのである。魚釣りは無理でも山の中の温泉に浸かり、出来るだけ一緒の時間を過ごしたいと言い出した。私は美紀の願いを聞き入れ、次の週末には群馬の水上温泉から更に山奥の、尾瀬に近い湯の小屋温泉へと出かけ渓流釣りに付き合わせた。更には木曽高原の麓を流れる冷川で、或いは南アルプスの麓の奈良田温泉から、更にその奥に続く南アルプスの麓の渓流に、美しい魚体を持つ、あまごや岩魚などの川魚を追いかけたのである。恐らく美紀と私はこの頃に、関東地方の林道と呼ばれる山の中の道を、殆ど走破したと言えるだろう。
美紀との二人の間にも、将来について約束事は何も無かった。どちらかと言えば、美紀が押しかけての同棲の様な暮らしでもあったからだ。しかし約束が無いとは言え、責任は無いとも言えない関係であった。一面だけを捕らえれば雇い主と従業員であり、若い娘と中年男である。ただ世間的な批判を離れれば、二人は互いに今を必要としていた。
美紀は守護者としての役割を私に求めていたし、大人になる為の経験や生き方を知りたいと思った様だ。私が若い頃に幾度も失敗した恋愛の事や、カメラを抱えてデモに参加した事も、その仲間達との生き方や、この国の将来に対して論議した事など、美紀は目を輝かせて聞いていた。そうした私の昔話を聞いた後で、美紀はこう言ったのだ。
「今の私達には、真剣に夢中になれるものが無いのよ。凄く羨ましいなぁって思うわ」
時代は確かに便利にはなったが、過去に置き忘れて来た物は何か、と問われれば、幾つもの指を折る事ができる。判官ビイキとも呼ばれた、弱い者に味方をする弱者の視線は消えて、恥とする自らを律する文化さえも失くしてしまった。
経済の豊かさが幸福の指針だと、まるで信仰の様に信じて疑わない時代となった。何に付けても必ず持ち出されるのは、経済効果は幾ら位かと云う、金勘定で推し量る拝金主義が満延している事である。品格とも呼ばれる人々の質が問われるその程度は、時代と共に益々低く下がって来た様に私には思得る。
それでいながら国民の感じる幸福感は、経済的に貧しい国でもあるヒマラヤの、麓にある小国に遥かに及ばないのである。美紀が言う様に、何もかもが与えられる時代になり、真剣にそして夢中になる事さえも、誰かに何かに取上げられてしまった様だ。工夫する事も考える習慣も、日々の暮らしから消えてしまい、そうした愚痴が次から次と出て来る時代を迎えてしまった。
だから私は美紀のその期待に応える為に、人生の先輩としての役割を、少なからず果たそうと思っていたのかも知れない。しかし二人が望むその形の先には、何れは男と女の関係へと向う以外、道の無い事も又二人は互いに理解していたと思う。
やがて求めれば嫌と言う間係が薄まり、互いが互いを信じられると思う様になった頃、熟れた果実が地に落ちる様に二人は自然に結ばれ、私はマンションの部屋と車の鍵を美紀に預けた。美紀に銀座で靴を買って上げたあの時から、一年近くが過ぎていた。
美紀の性癖
初めて美紀の体に触れた時、私にはその性はひどく幼く、そして淡白だと思った。無理も無い事だが、美紀にとっての男と女のそれは、好奇心と期待だけが頭の中を満たしていたからに他ならない。美紀がそれまでに体験した異性とのセックスは、殆ど無いとも言える程だろう。同じ大学の男友達と触れるとか触れない程度の、至って子供の様な幼い体験だけであった様だ。
寧ろ快楽を求める為の経験とすれば、高校生になってから自慰によってその欲望を処理していたから、極めて普通の有触れた体験だけであったと言える。ただ、一つだけ例外なのは、その好奇心の強い故に自慰に頼るにしても、確実に快楽の頂きにまで到達出来る、十分な習慣を身に付けた事であった。
美紀にとっての異性との性交渉は、いわば絶頂に行くまでの一つのプロセスであって、性の行為が新たな頂きへと導いて呉れるなど、考えてもいない様である。事実、未だ始ったばかりの私との性の営みでも、私は何時も独りで、美紀の世界から取り残されていたからである。
だから美紀のそれは波間に浮かぶ流木の様に、風と波に弄ばれながら、ただ快感の海原を漂っているだけにしか私には思えなかった。しかし美紀に言わせれば「漂う事も快感よ」と一人前の台詞を言うのだ。
美紀から見ればセックスとは、男と女が互いの温もりを感じながらも、その先に見える物は結局、夫々が自分の中で受け止める快感に過ぎないと思っていた様である。それは経験も無く意味も理解出来ない者が、単に頭でそれを理解し、その行為を快楽を追い求める手段であるかの様に、勝手に決め付けているのに似ている。
私は美紀との幾度か行為を経験して、好きな渓流釣り止めて週末を自宅で過ごす事にした。美紀に大人の歓びや夜の営みを、時間を掛けて教えてやらなければと思ったからだ。それは若い頃に不感症の若い女を抱いた時に経験した、やるせないほどの空しさに、酷く打ちのめされた記憶が有ったからかも知れない。
その夜、髪を洗って欲しいと言う美紀の求めに、私は二つ返事で素直に応じた。平日の夜遅くに帰る私に、髪を洗って欲しいとは、中々言い出せないでいたのかも知れない。それに長い髪を一人で洗うには結構大変なのだと、前に美紀が話していた事があったからだ。
美紀の長くて黒い真っ直ぐな髪が、私は何故か好きだった。恐らくその元となるのは、子供の頃に正月近くになると、何時も家族で遊んだ、百人一首の絵札に描かれた女達の、誰もが長い髪を持っていたからだろうと思う。
想像すれば長い髪が揺れ動く様は、源氏物語に登場する雅な女人達であり、時にそれは淫靡で、何故かときめく様な妖しさを私に感じさせるからだ。
先に浴室に入っていた美紀は、既に自分の体を洗い終え、私が来てくれるのをバスタブの中で待っていた。美紀の入っている浴室に私が入ると、流石に狭さを感じるのだが、美紀はバスタブから出て私に背を向けて座った。
この時に今まで疑問に思っていた事を、私は直接に美紀に聞いて見ようと思ったのだ。それは交わり合った美紀が、あの最後の頂に登る時に必ず、自分で自分のその部分に触れる事だった。初めの頃から見れば美紀は、歓びに辿り着くまでの手順は変えていたが、その最後の頂へと登りつめる時は、最初の頃から殆ど変わらなかったからである。
私に背を向けている美紀の背を、タオルにボディーシャンプーを浸み込ませ、軽く擦り始めながら、私はその疑問を口にした。面と向かい合って話すより、目を合わさずに語り合えれば、少しは心の内を聞けると思ったからでもある。
「なぁ美紀、一つ疑問に思っていた事だけど、美紀があの快感の頂に昇った時、美紀は何を感じているのだろうね?」
美紀は私に背を向けながらも、この後で過ごす二人の秘め事を想ったのか、妖しい微笑を浮かべて話し始めた。
「そうね・・、あの時は満足感とか達成感みたいなものがこみ上げて来るけど、その後には、この感覚がずっと続いて欲しいなって気持ちに包まれて、そうして醒めて来ると家に帰らなきゃとか、現実に戻ると少し空虚な感じが湧いて来るわ」
「男の俺は美紀とは少しだけ違っているけど、あの時は確かに充実感や達成感が溢れて来るよ。この女を俺は歓ばしているってね。美紀の歓ぶ顔をもっと長く見ていたいとか、あの歓びの声をもっと聴きたいって思うと同時に、俺の中には美紀に対しての、いとおしい気持ちが溢れて来る。何時までもこの女の傍に居て、幸せで包んでやりたいとか・・・ね」
「ありがとう、凄く嬉しいわ」
振り向いた美紀の顔には、珍しく微笑が広がっていた。
「だから、いい女になれよ。俺はせっせと磨いてやるから、なぁいい女にさ」
美紀は小さく頷いた。
今まで殆ど知る事もなかった男と女の営みの世界を、甘える様にして美紀は貪欲に歓びへの手掛りを求めて来る。男の好みの色を美紀に教えてやれば、何色にでも男の好む色に染め上げられるとも思える。それが二人だけの秘めた行為であればある程、美紀は全てを許し、そして受け入れてくれる女でもあった。
「なぁ、もう一つだけ知りたい事があるのだけど、答えてくれるかな。美紀の最後に頂きに行くあの時、自分の指を使っているけど、何故なのか訳を知りたいな。もしかしたら満足させて上げられていないのじゃあって、まぁ男としての心配を少しだけしているのさ」
私は今、最も知りたいと思っている事を、美紀にストレートに訊ねてみたのだ。
「ごめんなさい、不満と云う訳じゃないの、あれって私の習慣みたいなものなの。だってそうする事で間違いなく突き抜ける様な、しぴれる様なあの快感を、私安心して感じる事が出来るのだもの、きっと身体がそれを覚え込んじゃったみたいなの」
確かに歓びの中に身を置いてはいるものの、行為がクライマックスに差しかかると、何時も自分の世界に入り、そこに閉じ籠っていた。美紀に取っては自分が快感を得る為の、最も確実に手にする手段だと信じて来た様である。それが為に美紀は慣れ親しんでいた、一人で到達出来る方法を二人の間に持ち込んでいたのだ。
それから幾度かの夜を共にした後で、私はあの歓びを二人で味わう為に、美紀が一人で行くその頂への道を閉ざす事にした。二人で過ごす時は、一人でそこに触れる事を禁じる事にしたのだ。そして私の方も又、美紀の体に手で触れる事を拒絶する事にした。これまで一人で済ませて来た若い女の性の営みを、この時から私は大人への階段を、美紀に登らせることにしたいと考えていたのだ。
だがこの時に決めた、互いに手では相手には触れないと言う二人の行為は、ある意味で美紀に新鮮な感覚を与えた様である。まるでゲームの様なそれは、笑ったり愚痴を言ったり、時にはベッドから転げ落ちたりと、それでも二人は共通の目的に向かって、未だ美紀の知らない何かを追い求めたのだ。
美紀がそれまで知り得た快楽は、余りにも刹那的な歓びであったと言える。愛と恋との違いも未だ理解出来ない美紀には、或いは随分と酷な仕打ちでもあったかもしれない。
初めて身体を合わせた頃か見れば、歓びの数を重ねて行く度に、確かに身体も気持ちも馴染んでは行く。だがそこには未だ新しい歓びの発見もなければ、互いの愛しさを育む絆さえも見る事は無かった。
まるでそれが習慣の様な当然の行為になって行くと、歓びは単に肉が刺激を受けて反応する、挨拶の様なものでしかなかったのだ。
私に取ってのセックスは、体で交わす男と女の会話だと思っていた。互いが愛おしく思うその想いを伝え合う、その交わりが糸の半分と書く二人の絆を、更に太く強くしたするものだと信じていた。快楽とはその想いに対する、褒美なのだと思っていたのだ。
何時もの様に恍惚とした快感の頂にたどり着いた後で、私は美紀が性に目覚めた頃の話を聞いた。自分の指を使う自慰が、一体何時から、どうして始まったのかにも興味があった。
「美紀は僕と知り合う前まで、殆どセックスの経験が無いと言うのは知っているが、感じる様になったのは何時頃だろう。それに、何がその切掛けになったのかも知りたいな。まさか美紀は最初から、あの絶頂感を知っていた訳ではないだろう?」
これまで躊躇して聞き出せなかった、極めて個人的な秘めた話を、美紀は思い出す様に語り始めたのだ。それは医者を前にして患部を出す患者に似て、更に二人が親密になった事を物語っていた。
白いシーツから顔をのぞかせた美紀は、少し間を置くようにして私の質問に答えはじめた。
「確か高校二年生の時だったわ、クラスの中でも彼氏のいる、早熟の友達からセックスの話を聞いた事があったの。あそこに指で触れると、とても気持ちがいいって事。私、前から頭の中では知っていたの。漫画を見て覚えていたのかもしれないけど、でも何か罪悪感みたいな気持ちがあって、友達には感心の無い振りをしていたわ。でも話しを聞いた日の夜にね、雨が降っていたけど私は家の畑にある温室の中で、本当に指で自分自身に触れて見たわ。口に入れて濡らした指で、触れるだけでなくて動かしてもみたの。友達の言った通りに、少しずつそこが濡れて来て、とても気持ちが良くなって・・そうよ、感じたの。それが最初だった・・・」
夜遅くに美紀を親達の住む家の近くに送り届けた時、そこは畑ばかりで街路灯の明りの殆ど無い場所であった。そして至る処に野菜を育てる為の、温室のあった事を私は思い出した。
「だから体の中で感じたいって気持ちが生まれると、異性に向う興味や関心を、指を使ってその気持ちを押さえたの。異性に感心が向かったのは、大学も一年生の終わり頃だったかな。飲み会に誘われての帰りに、同じ部活の男子学生に誘われたの、きっと彼はお持ち帰りの心算かも知れないわ。私も何時かは処女って捨てたいと思っていたから。でもその時、彼の方も初めてだったのよ。
それで結局は私の中に入れる前に、入り口で出しちゃった。気まずい雰囲気に二人とも笑い出してからは、もう一度セックスをしたいなんて気持ちは湧かなかったわ。それに男の人って関係が出来ると、まるで自分の物にでもなったみたいに、急に態度が変わるって聞くけど、それって私は許せないのよ。そんなことがあってからはね、学校のお休みの日などで天気の良い日は、昼間に近くの広い河原に出かけて、萱の繁った野原に横になって、そうよ一人で空を見て声を上げていたわ」
高校生の頃に興味から知ったと言うが、畑の中にある温室の中や河原の葦の中で、一人の密かな時間を美紀は持ったのだと言った。
「何故、そんな場所でしたの?」
「だって声を出す事が出来るからよ、それがいいの、自分の部屋でなんて声は出せないもの」
まるで当然とても言う様に美紀は笑った。
確かに今でも、最後には絞り出すような声を上げている。それは歓びの深さに比例して、叫びとも嗚咽とも思える声だった。訳の判らない欲望が頭を持ち上げて来て、自分を押さえつけている何かから解放されたいと思うそれは、生きている事の証でもあるのかも知れない。相手を求める大人の世界に向う過程は、誰もが同じ順序を踏む訳ではないのだ。
少なくとも今は知り合った頃の美紀の、あの自信の無い女の影は既に消えていた。何事もそうなのだが好奇心が起きれば、そこには必ず探求心か生まれる。それが性に関する事であろうと、知りたいと思う事や疑問を放置出来ないとすれば、美紀はその好奇心から、躊躇なくそこに飛び込んで行くだろう。
しかも歓びのその先には、やがて痛みや苦しみも待ち構えている。生きる事が死ぬ事によって意味を持つ様に、歓びも痛みや悲しみに鍛えられて、その美しさを放つからだ。それは時間と共に誰もが経験し、理解する事になる筈だと思う。だから何も考えず今を楽しむ事だと、私は未だ幼い美紀を見てそう思った。
その夜も、美紀を恍惚とした頂の近くへと送り届けた後で、私は枕元に置いたグラスに、アルコールを注いで身体に入れた。未だ私の内にも、最後の一歩を踏み出す欲望の潜んでいるのが分る。それを確かめる様に、又私は美紀の体の中に、ゆっくりと私自身を潜り込ませた。
初めの頃はぎこちなかった美紀との行為も、経験を重ねる様になると身体は徐々に馴染んでいた。 どんな形が好みなのか、次はどんな形に移りたいのか、言葉は無くても体に触れた手の、それに掛かる力や感触で、美紀は私の思う通り泳いでくれる。すでに二人にとって、食べる事や寝る事と同じ様に、その営みは生活の一部になっていたのだ。
それに私が仕事の都合で、外で食事を済ませた夜は、美紀は自分から求める事は無かった。だが二人で夕食を共にする時は、まるで約束でもしたかのように、美紀は必ず求めて来たし、私もそれに応える事にしていた。時には一緒にバスタブに入り、体の隅々まで洗い合う事もあった。
流石にときめく様な気持ちは湧く事もなったが、それと引き換えに美紀のしぐさから、艶めいた色気が感じられる様になった。身に付ける物にも女としての自己主張が少しずつ表れ、私の好みを自分の色にしている様である。化粧の仕方から身に付ける下着や洋服まで。いいね、と言う私の言葉に反応して、私の好む色へと自分を作り上げている様である。
一人だけでガツガツと飯を食う様な、自分だけが腹を満たしただけで満足したのは、未だ幼い二十歳前の頃の事だ。誰にも見せた事の無い自分をさらけ出し、互いが一つの歓びを創りだすそれを求めているのは、何も自分だけではなく相手の女の方も同じだと知ったのは、最初の結婚に失敗してから随分と後の事だった。
「ねぇ、私の体ってどう?美味しい?」
不安になったのか、美紀は思い出した様に私に聞いた。
「あぁ、美味いよ。少しずつだが、俺の求める色に染まり始めて来ているね」
向かい合った二つの身体は、僅かな明るさの中で繋がっていた。少し前には時間を掛けて、一度美紀を頂きに導いたが、この頃は頂きに届くまでもの途中でも、愉しむ余裕を持つ様になっていた。
元々だが美紀は好奇心の強い女だ。異性に関して関心はあったものの、経験が無かった為か晩熟型で、成人式を迎えてから私が教えたと言える。しかも離婚を二度も経験し、随分と年齢の離れた私と出会った事で、ベッドの上では羞恥心をも解き放つ事は出来る、美紀はそうした大人の女になっていた。
私はゆっくりと美紀から身体を離した。だがベッドを降りる為ではなく、交わるかたちを変えてみたいと思ったからだ。美紀をうつ伏せにさせると、両膝を折り曲げさせた後で腰を上げさせたのは、美紀の後ろから交わる為だ。
頭の後ろにゴムで束ねた長い真っ直ぐな黒髪が、肩口から乳房に届く程に伸びていた。束ねた輪ゴムを外してその黒い髪を背中に伸ばすと、まるで生き物の様にするりと滑って大きな乳房を隠した。
私はそれを見つめながら、美紀の中にゆっくりと自身を埋めたのだ。
「あぁ、いいっ」
小さな声が美紀がの口元からこぼれ、反る様に顔を上に向けている。気持ちを幾度も高め合ってから、私達は
最後を迎える所まで来ていた。
「今度は二人で一緒に行こう、もう我慢も限界だよ」
私は後ろから抱きかかえる様にして、美紀の耳元で小さく呟いた。
既に恍惚とした快楽の世界に漂い始めたのか、美紀は私の問いかけに、遠くのほうで答えた。
「いいわ我慢しなくても、でも・・一緒に・・ね」
私を飲み込んだ美紀のそこは、時折、締め上げる様な力が加えられ、私自身を確かな力で包み込んで来る。その快感から私は逃げる様にして、更に美紀の奥へと自身を埋めた。既に抑えられない状態になっていたからだ。そして私は美紀を焦らす様に、今度は強く抜き出し、又、奥へと突き刺す様に埋め、徐々に美紀のそこを刺激した。
「ねぇ、あそこに指で触れて、動かして」
美紀の小さな声が、私に催促していた。私は求められるままに腕を前に廻し、少し突き出た部分を指で触れ、徐々に激しく動かしながら刺激を与え続けていた。
「もう・・、いきそうよ・・・」
美紀は目の前に、快楽の頂が迫っている事を私に告げて、叫ぶような声を上げたのだ。私はそれを聞きながら、それまで抑えていた我慢を、一気に吐き出す様に美紀の中で果てたのだ。
私は私たちを包む環境が許されるなら、美紀と結婚する事も積極的に考える様になった。美紀の性格は総じて臆病である。勿論その性質は自分を守る為に、必要不可欠なものでもあるだろう。だがそれだけでは自分の殻に閉じこもるだけの、内向的な生き方しか出来ない事は確かだ。美紀は少しずつではあるにしても、その殻を破り去ろうとしていたのだ。
男と女の関係が益々深くなり、夜が待ち遠しい程になるに従って、美紀は自分の家に戻る事も忘れていった。その美紀が私の部屋に住み着く様に暮らし始め、何時の間にか一月余りが過ぎた。この春に三年生になった美紀の通う大学は、マンションから車を使えば三十分程の場所にある。時折だが買い物のある時は、私の車を運転して大学にも通っていた。便利な事も私の部屋に居ついている理由の一つであったろうが、余りにも家族の住む家に帰らない日が続いたのだ。
「ねぇ、あなたの会社のアルバイトだけど、私、辞めてもいいかしら」
二人がこうした関係になった以上、美紀は別のアルバイトを捜す気でいる様だった。二人が生活する為の金は、毎月纏めて美紀に渡していたから、食うに困る事はないのだが、仕事をしていない事が親許に知られると、益々心配を掛ける事になるからである。
「そりゃぁ構わないが、後はどうするつもりなの?」
様々な学会が開催される春と秋のシーズンは、それこそ猫の手も借りたいほどの忙しさになる。だが勤めている会社に、アルバイトの女と関係が出来てしまったと知られたら、幾ら独身とは言え、その責任は問われ兼ねない事になる。
「家庭教師でもするわ」
前から考えていたとでも言う様な、美紀の素っ気の無い言い方であった。
「実家の方には何と言うつもりなんだい?」
「学校の友だちの所に、間借りしているって事にしてあるの。だから心配しないで、大丈夫よ」
親の思いなど何処吹く風、とでも言う様な美紀の言い方であった。
「時々は家に帰れよ、心配しているんだからな親というものは」
「分っています」
返事の後に(親なんて娘には甘いのよ)、とでも聴こえてきそうな、そんな強かな生き方を美紀は既に身に付け始めていたのだ。そして多忙な時期に入る前の九月の初め、美紀は会社へ退職願いを提出した。
二十歳を過ぎたといっても、美紀は未だ学生である。この関係が親に知られれば、ただでは済むまいとも思う。事の始まりがどうであれ、責任の全てはかなり年上の私にあった。結婚などと云う将来の事は別にしても、美紀の自由を縛り付けて置く資格は私にはない。その事が今の自分に取って、ある意味で都合の良い事である事も分っていた。
だが離婚暦が二度もある私に、しかも親子ほど齢の離れた美紀の親に、結婚させて欲しいなどとは言える訳が無い。言えるだけの資格が、私には全く無いのだ。
寧ろ私は美紀と出会った時から、結婚とか恋愛などと言う具体的な将来は、頭の片隅にさえ考えてはいなかった。私に出来る事は見守ってやる事であり、美紀の想いを受け入れて上げることであると思っていた。将来とか結婚とかのそれを決めるのは、私ではなく相手の美紀の方なのである。
とは言え、離したくないと思うのは、理屈では無く感情であった。身体の関係が出来ると、そこには安らぎがあり、歓びがあり思い遣る相手が出来たからだ。真剣に愛する気持ちが徐々に、私の中に生まれ始めて来ていたのかも知れない。
この年の十月、会社の決算を終えた事で、従業員以外に役員への賞与も出す事に決めたことから、私と美紀は二人で海外旅行に出かける事を計画した。殆どの週末に渓流釣りと、立ち寄りの温泉に付き合わせた事への、美紀への労いの気持ちであった。
行き先はハワイである。この島を敢えて選んだのは、片言の英語が出来れば、不自由なく観光が出来る事と共に、背の高い白人の観光客も多い事からである。でかいと言われた美紀が、更に大きな白人の中に身を置けば、前提となる基準が小さな日本人からみた基準である事を、身を持って知る事が出来ると考えたからである。
ツアーは暮から正月にかけての、一番料金の高い時期を避けた。クリスマスを挟んだ前後の期間に行って戻る、五泊七日のツアーであった。往復の飛行機代とホテルへの宿泊代を組んだもので、ワイキキの浜辺に面したホテルが組みこまれた旅である。後は自由にオプションを組む事で、ホノルルからの日帰りツアーを入れる事も出来る。食事は自前で食べる事になるが、好きな店で好きな料理を食べられる。これも又選択を拡げられるツアーの特権であった。、
会社の仕事が閑散期に入るのは夏のか七月八月と、年末年始を含めた冬の時期しかない。それに美紀には初めての海外旅行で、私は三度目の海外だが、ハワイと言う場所は共に初めてであった。尤も私には遠い昔に同棲した、女の事が記憶の隅に残っていた。だから出発も割高な羽田からでは無く、車を空港近くに停めて置く事の出来る、成田発着の外国航空会社を使用するツアーを決めたのだ。
そして其の年の暮れ、クリスマスを前に私たちはホノルルへと向った。旅行会社の組んだパッケージ旅行だから、さしてトラブルも無くハワイに着いた。この時に美紀は随分と大きな収穫を得た様である。
それまで抱えていた背が高い事への、コンプレックスを完全に克服した事である。寧ろ体の小さな、貧弱な胸を持つ日本人を欧米人と比較すると、背の高い事が自分の個性だと強く感じた様である。特にアメリカ人の女達は、美紀より更に背は高く横幅もある。それでも高いヒールのサンダルを履き、どうだと言わんばかりに自分をアピールしている。
水着は極端に小さく、胸を大きく開け放った服を着て、そして何事も大胆である。控えめこそが美徳で自らを強調する事には、どちらかと言えば恥とする文化を生きてきた日本人には、自分の為に生きる人々の、その自由さに圧倒されるのである。
私と美紀はワイキキに沈む夕日を見ながら、ヨットでのクルージングを楽しんだ。片言の英語を交えながら、それでも思いは異文化の相手にも伝わるものである。更に翌日にホノルルから飛行機で、離島のカウワイ島ツアーへと出かけた。少ない休暇を楽しむのにハワイは、日本人が冬の時期でも海に入れる程の暖かなリゾートであった。
結納
二人がハワイから戻って直ぐの事だった。この頃から流行り始めた携帯電話を、美紀は初めて購入する事にしたのである。私は会社から既に渡されていたから、二人は何時でも連絡が取り合える様になった。ところが購入して直ぐの、大晦日の前日の事である。
部屋で携帯を操作していた美紀の、その携帯から父親の怒った声が、隣にいた私の耳にまで聴こえた。そして私の住まいに来る、と言い出したのである。私と美紀との関係が、両親に知られた様であった。一瞬、私は遠く過ぎ去った若い頃に、或る女との同棲間係を、相手の親に知られてしまった出来事を思い出した。
美紀の母親は私の二つ年上で、更に父親は四歳程の年上である。畑作の農業を親から継いで、自分の仕事として野菜を作る一方で、著名な洋画家から長い年月にかけて油絵の手解きを受け、油絵に関しては既に作家としての名前も持っていた。
その美紀の両親と会えば、どの様な話が切り出されるのか、私には大凡の見当も付くが、問題は美紀の方であった。少し前まで大丈夫よ、などと言ってはいたものの、臆病で小心者の美紀は、父親の前では萎縮して言葉も出ないだろうと思える。
そして正月の成人式の休日に、私は美紀の両親に会う事になったのだ。私の住いに訪ねて来ると言うのである。しかもこの時、今すぐに帰って来いと言う父親の剣幕に、美紀はすごすごと実家に帰って行ったのだ。
その成人式となる祝日に、美紀はまるで看守に同行された罪人の様に、両親に見守られてマンションの私の部屋の前に立った。付近の一戸建ての家々の門には、日の丸の国旗が掲げられていた。
私は美紀と両親を部屋に入れ、用意していた茶を入れた。犯した不始末について審判を仰ぐ被告人の様な思いで、私は美紀の両親の前に座って詫びたのだ。
「八木沢です。ご両親のお二人には、大変なご心配をお掛けしました事、心からお詫び致します。本当に申し訳ございませんでした」
茶をテーブルに差し出した後で、私は手を付いて頭を下げ詫びの言葉を伝えた。自分が娘の父親なら、話の成り行きでは、相手を殴り倒しているかも知れないからである。
「早速ですが率直にお尋ねしたい。八木沢さんは私共の娘である美紀を、一体、どの様に考えていらっしゃるのですかね」
言葉の語気を強めた父親は、詰め寄るような口調で言った。努めて感情を押し殺しているのが分った。
どの様な気持ちで付き合っているのか、と改まって言われても、正直に言えばそこに何かの目的があっての事ではなかった。偶々勤め先で知り合い、気持ちの触れ合う時間を過ごした。そして美紀は私に体を許し、私も心を許して半分は同棲の様な暮らしを続けていたのである。このまま時間と共に、結婚と云う方向に向うとも思えるが、それを望むのは美紀であり、私にそれを求める資格は無かった。
勿論だが付き合う中で、愛しているのかと改めて問われれば、そこまでの強い情愛を持っていた訳ではなかった。まるで美紀の想いに捕えられ、流れるままに男と女の関係にまで進んでしまったのだ。しかしそんな風に美紀との間係を言ってしまえば、怒鳴りつけられるほどの無責任でもあるだろう。だが知り合ってからの時間の中で、私は美紀を必要とする関係に向けて、二人の想いを重ねて来たとも言える。少なくとも、美紀を悲しませる様な思いを、与えた心算は一度としてなかった。
私は一呼吸置くと、父親の顔を見ながら話し始めた。
「私はこれまでは、結婚生活を二度程、見事に失敗した経験があります。そしてお聞きになってはいるでしょうが、一人の男の子の父親であり、今は独身です。本心を言わせて戴ければ、結婚したいとか、その為に相手に愛情を注ぐなどの思いは、二度の離婚を経験した後は殆ど有りませんでした。
誤解のない様に申し添えますが、それはその様な想いを相手に持つだけの、資格が自分の方に無いと知っているからです。その資格の無い者が、親子ほどの年齢の離れたお嬢さんと、一緒に暮らすなど許される筈もありませんし、その事は重々承知しております。
ですが私は単に遊び半分とか、自分の欲望の対象として、お嬢さんと暮らしていた訳ではありません。その意味で一つだけ弁解させ頂ければ、私はお嬢さんの心を傷つける様な事は、ただの一度もしてはいないと、お話出来るかとは思っています。しかし愛しているのかと問われれば、愛していますと言い切るだけの、自信も確信もありませんが、そうした想いを今は育てています、とだけ申上げる事は出来ますが」
父親の恭一郎は、私の隣に座っている美紀に向って、娘の本心を問いただす様に聞いた。
「美紀は八木沢さんの事を、一体どう思っているんだ?」
美紀の父親は当事者の前で、はっきりとした気持ちを聞きたいと考えた様であった。
「私は・・・、このまま、ここに居たいと思っているわ。私の方から押しかけたの。彼を好きだからよ・・」
美紀はそれから声を詰まらせ、しくしくと泣き出した。その時、父親の恭一郎は、私にこう話したのだ。
「親としてみれば筋を通して、それから付き合って貰いたかったと思います。しかしそれは過ぎた事。今後の事や娘の将来の事を考えれば、これから何の考えも無く、娘を自由にはさせられません。好きだと言うだけで、男の人の所に泊まり込む事は、親として見れば余りにも行動が幼すぎて、とても承服は出来ない事です」
私は思わず頷きながら、自分の気持ちを伝えた。
「ご尤もなお話で、おっしゃられる意味は私にも理解できます。私がもしも娘の親なら、同じ様な気持ちになっていると思います。ですが、それを決められるのは娘としての美紀さんではなく、大人としての美紀さん自身の意志ではないでしょうか。意見を述べる資格など無い私が、自分の気持ちを申してみろと言われるなら、私は美紀さんの願っている将来の姿に、私の想いも重ね合わせて育ててゆきたいと思っております」
「それは具体的に、どの様な意味なのでしょうか」
たたみ込むように、美紀の父親は問い返した。
「つまり美紀さんには、未だ直接に聞いた事はありませんが、私との結婚を望んでいられるとするなら、私も同じ様に、つまりそれをお許し下さるなら、今のままで私の想いを育みたいと」
「それならば、まずは娘の気持ちを知るのが先でしょうね。美紀はどうなんだ、お前も大学生とは言っても既に二十歳を過ぎた大人だ。八木沢さんと結婚したい気持ちが、本当にあるのか知りたいものだ、どうなんだ?」
父親の恭一郎は、美紀の本意を確認しようと、語気を強めて聞き返した。
「私は・・今直ぐにと言う訳ではないけど、結婚できればいいなって考えて、お付き合いさせて頂いています」
話は具体的に前へと進んでいた。問題はあるにしても大人同士の、しかも独身同士の恋愛でもある。本来なら私の方が美紀の両親に会い、結婚の許しを貰うのが筋であった。美紀の両親に対する返事は、私にとっても結論を先送りした様な返事になっていた。
「お子さんはお一人ですか」
美紀の母親は見つめる様な視線を私に向け、静かに口を開いた。
「えぇ、一歳の時から私が一人で育てました、もしも女の子でしたら、とても引き取って育てるのは無理だったでしょうが」
「そうですか、色々とおありだったのでしょうね」
「平穏な日々を暮らせるなら、それに越した事はないのですが、私の人生は生まれる前からの波乱含みで、そういう宿命なのかも知れません」
私の生い立ちの話など、他人に説明する心算は全くなかった。自分に向けて口に出た宿命と云う一言は、不用意な自らに対する慰めの言葉だったのかも知れない。だが何れは美紀の口から耳にするだろうから、私はそれ以上は触れなかった。
私が未だ母の腹の中にいた時、父親の浮気が原因で母は離婚した。身重の身体で裁判所に出かけ、養育費などを求めて勝訴したのだが、別れた父親からは一切の連絡が途切れたと言う。随分と後になって母から聞いた話だが、当事の父親は水上警察署に勤める巡査であった。母から父親であるその男の名刺を渡された記憶がある。それに結婚前の母は芝浦にあった海軍の補給部に勤めていた事から、或いは男と知り合ったのかも知れない。
だから私も父親の顔を知らないし、会った事も無い。その母は私が二歳の時に再婚した事で、母は父と後から弟と妹を私に与えてくれた。人生の途中で失敗が起きたとしても、新たにやり直せる事が出来るなら、それはそれで良しとしなければならない。私はそう思って生きて来たのだ。
それまで考え込んでいた父親の恭一郎は、娘の行末の悩みを吹っ切るように私に言った。
「八木沢さん、私等二人の親が娘を前に、ここで賛成だとか反対だと言っても、美紀も子供では無いのですから、自分の将来は自分で考え、生きて行くだろうと思います。娘からは初めて先日聞いた事ですが、男の貴方がお子さんを連れての離婚だったとか、しかも会社を経営する役員もされているとか、それなりに常識も立場もある人だと思う。
本来なら会社に乗り込んで、と考えてもいたのですが、貴方にも結婚の意志があるとするなら、それなら八木沢さん、先ずは貴方の方で仲人を立てて貰いたいものです。その上で結婚の日取りはともかく、私達も美紀を許す事ができますし、八木沢さんの私共への仕打ちも、水に流す事が出来ると思いますが、どうでしょう」
娘の親として、それは至極当然の考えであった。
「有難う御座います。私の方も後日、良い日を選びまして、仲人さんと共に結納の日取りを決める為、お宅へお伺いする様に致します。この度は私の至らない事からお騒がせしてしまい、大変申し訳御座いませんでした」
私は頭を下げ、両手をついて美紀の両親に詫びたのだ。
その時に仲人として頼もうと考えていたのは、会社を立ち上げる話の元ともなった、友人の石田祐二である。亡くなってしまった兄の会社を引き継いで社長をしているし、事の順序が狂ったとは言え、目出度い事の頼みである。
私は早速、石田社長に時間のある日と時間を教えて呉れる様に頼んだ。滅多に連絡する事は無いが、ふた月に一度位は、経営の状況を説明がてら、飯を食ったり飲んだりと会っていた。二週間前にも既に会っている。
しかも互いに車には夫々が彼女を乗せ、去年の夏には新潟まで競馬を観に行った事があった。その時に美紀と会わせているから、話が早いだろうと思ったのだ。
石田社長の私の会社での肩書きは、取締相談役で約束通り非常勤である。私は石田社長の所に出向き、頭を下げて仲人を頼み込んだ。笑いながらも仲人を引き受けて呉れた石田社長と、一緒に美紀の実家に出かけたのは、美紀の両親が清瀬のマンションに訪ねて来てから、ひと月後のことで大安の日だった。
正式な婚約では無い為に婚約指輪を作る事も止め、その程度の金額を包んで結納金とした。式の日取りも美紀の卒業や就職などから、後日に良い日取りを決める事として、私は美紀の問題から取りあえず解放されたのだ。美紀もやっと実家から出る事が許され、日本橋の保険会社に就職先も決まり、大学生としての卒業を迎えるまでになったのである。
しかし今度は私の仕事に間係した問題が、大きな悩み事として浮上していた。昨年から取り組み始めた千葉での新たな支店開設は、人材の不足と顧客の開拓が思う様に進んではいなかった。それだけに私自身が直接的に動く事になったのだ。軌道に乗せる為に今の支店まで通う、片道二時間半の通勤時間は、限界に来ていたからでもある。
新たな支店の開設に向けて、店舗の契約などはスムーズに進んだものの、今更、他の者に任せる訳にも行かず、私は千葉に移り住むか、他の者に支店を完全に任せるかを悩んでいたのだ。
そうした折に、自宅のマンションを高く買って貰える話が出て来た事で、私は千葉へと移り住む事を決めた。美紀が大学を卒業するのに併せ、幕張の駅から七八分の処に建つ、賃貸マンションに移り住む事が決まったのである。
しかも住んでいたマンションは、投資目的で購入した住いで無い事や、自宅の販売には特例として免税の法律が出来た事で、売る事への損失はほぼ皆無であった。寧ろ購入したマンションが値上がりしていた事で、借金を全て完済し、三年の間に返済金として支払った、金額以上の金を受け取る事が出来たのだ。一般にマンションを買うとは、部屋を購入したものと勘違いしているが、実はマンションが建つ土地をも含めた、総資産を住民の数で割った部分を購入しているのだ。
私にしてみれば二時間半を掛けていた其れまでの通勤が、今度は三十分で支店に着く近さになったのだ。
敦子と言う女
総武線の幕張駅を下りて海側の改札口を出てから、津田沼の方に向って線路沿いの道を五分程戻ると、背の高いマンションと共に、古い黒板塀のある民家の建ち並ぶ一画がある。庭にはヒョロッとした、屋根よりも高く伸びた松が残されていて、かつて町の西側に防風林の広がっていた面影が残されている。
私の幼い頃には親に連れられ、潮干狩に来た事もあるそこは、今に残る漁師町の名残でもあった。今では浜辺も埋め立てられ、跡形も無く昔の面影など無くなってはいるが、僅かに残された細長い松の木だけが、昔の海岸線の名残を留めているのである。
、
古い石造りの倉の残る街の一画に建てられてたマンションは、三階建の建物で植え込みの中に建てられたリゾートの様な佇まいである。元々が建築会社の社員寮だったと言うそこは、入り口や入り口の横の階段からも、自由に自分の部屋に入る事が出来る。
しかも成田空港の幹部が住んでいるのか、夜間は警備会社のガードマンが玄関横に常駐していた。部屋は二LDKの広さがあり、入り口からリビングに続く部屋の中央に通路が設けられ、右側には洗面所やバスルームなどの水周りの部屋が、隣はリビングに続く押入れ付きの八畳の和室である。通路の左側にはクローゼット付きの八畳の寝室、そして対面型のキッチンが続き、突き当たりは十二畳のリビングを兼ねたダイニングである。
しかも二重ガラスの窓で冬の結露にも夏の冷房にも、そして防音にも優れている。そんな設備が揃っていた事から、新たな住いとしてそこに決めたのである。
そのマンションの二階の部屋に、美紀と移り住んでから半年が過ぎていた。幕張に移り住んだ頃から、私と美紀との間係を近所の誰もが親子だと思って居た様だ。だから時折「お宅のお嬢さんはどちらにお勤めなの」などと、隣近所の主婦から聞かれる事もしばしばであった。
四十も半ばを過ぎの中年男と、二十歳過ぎの娘が一緒に住んでいれば、世間は親子と思うのにも仕方の無い事かもしれない。それはそれで無理も無いとは思えるのだが、四月から保険会社に勤め始めた美紀は、勤め先となった会社への届けには、叔父と同居しているとして届けた事を私は後から知らされたのだ。
その美紀が大学を卒業して就職を決めた会社は、日本橋にある中堅の保険会社であった。この会社の入社式で偶々美紀の隣の席に座ったのが、榊原敦子と言う一歳年上の女であった。敦子はこれまで一度、梅雨に入った休日に美紀と一緒に、私の借りているマンションに泊まりに来たことがある。その時の敦子に酒が入っていのは大学時代に付き合っていた恋人と、この日に別れた夜だったと言う。私は少しだけ顔を合わせた程度で、早々に寝室に入って先に寝てしまった事がある。
美紀とは違って敦子の髪は短い。だが言葉使いや落ち着きぶり、それに物腰一つを取っても、美紀とは五歳以上の年の差がある様に思えたのだ。しかも西洋人と日本人の間に産まれたハーフのような敦子の容姿は、肉欲的な女を感じさせない細身の体で、雑誌のモデルの様な印象さえ私は持った。
どこか知的で神経質ではないかと思う程に、繊細な雰囲気をかもし出している。それだけに美紀とは、全てが対極に位置する女だと思ったのだ。
翌日、敦子を駅まで見送って戻って来た美紀に、私は美紀とは全く性格の違う女友達が出来た事に、何故か興味を覚えて敦子の事を訊ねた。美紀から聞いた話では、敦子は一年程アメリカに留学しての卒業だから、一歳年上だと言う。故郷は関門海峡近くの北九州で、書道を子供の時から習っていたから、人にも教える事が出来る程の腕前だとも言った。
母親は市内の駅裏で小さな料理屋を営み、父親は市議会議員でもあると言う。その関係から言えば恐らく、
敦子は妾の子として産まれたのでは無いかと私には思えた。何故ならその敦子も、他人には言えない秘密を持っていたからだ。
東京に出て大学に進学した後に、週に二回ほど銀座のクラブにホステスとして勤めている。保険会社に就職した今も、そのホステスのアルバイトは辞めてはいないのは、水商売に偏見が無いからである。そうした事から美紀は私との間係を、敦子の方は銀座勤めをしている事を、互いの個人的な秘密を共有する事で、他の女友達とは違った関係を持つ事になった。
それはあと少しで十一月に入る、秋の穏やかな金曜日の朝であった。食事を終えたばかりの美紀が、私に何故か楽しそうに話しかけて来たのだ。
「ねぇ、今夜だけど、前に遊びに来た事のある敦子を、部屋に泊めてあげてもいいでしょう?」
何かをねだる時や自分の思い通りにさせたい時に、美紀は決まって鼻にかけた様な声で、軽く笑いながら甘えた様に言うのが癖だった。
「今夜か?」
既に約束は取り付けてあるのだろう美紀の言葉に、いきなり相談も無く言われた事が、私には不満と言えば不満でもあった。
「まぁ今夜は東京の本社で会議もあるし、遅くなるから車で出かける心算だ。こっちは大分遅くなると思うから、外で食事を済ませて帰る事にするよ。構わないから美紀も、友達と外で食事でもして帰ればいいさ」
「ありがとう」
思う通りの展開に持ち込んだ美紀は、私の前に片手を差し出し、その指を全て広げた。お小遣いの催促であった。
「仕方の無い奴だな」
私は呆れた様に美紀を見つめ、黙って財布から一万円札を二枚、その手のひらの上に載せた。勤め始めた安月給取りで、しかもボーナスも前である。或るいは小遣いが底をついていたのだろう。美紀は喜んで自分の財布に仕舞い込むと、会社へと出かけて行った。
夜もあと少しで明日に変わる様な、遅い時刻であった。私がマンションの部屋に帰りついた時、美紀と女友達の敦子は既に部屋に戻っていた。暗い部屋に戻るのは少し寂しいものだが、灯りのともる部屋に戻るのは、何となく待つ人の居ることで心が安らぐ。それに女達が起きている時間に帰り着きたいと思ったのは、多少とも敦子の顔を見たいとする気持ちが働いていた。
玄関を開けると二人の若い女達の声が、どこか楽しそうにリビングから聴こえ、そして二人は玄関に出て来て私を出迎えた。
「おかえりなさい」
「お邪魔しています」
「いらっしゃい、敦子さんとお逢いしたのは二度目かな、確か前に来られたのは夏の初め頃ではなかったかな」
迎えに出た敦子は、私の質問に返事をした。
「えゝ、確か六月の終り頃だったかと、叔父様もお変わりも無く、お元気そうですね」
言葉にしては出せないが、前に来たときはかなり酒か入って居たように思う。既に耳にしていた為なのか、否応無く感じるそのしぐさや言葉遣いは、やはり銀座のホステスをしている女だと思った。
「私達、少し前に戻ってきたばかりなの、先にお風呂に入ります?直ぐにバスタブにお湯を溜めましょうか」
敦子は所帯じみた妻の様に、私に訊ねた。美紀はリビングのソファーに座ると、自分のグラスにブランディーを注いでいた。
「いいよ、二人でおしゃべりでもしていたのだろうから。それに邪魔しちゃ悪いからな」
「構いませんわ、私達の事は、ねぇ。じゃあ一緒に飲みませんか、と言っても、叔父様のお酒でしたわね」
敦子は口が滑ったとでも思ったのか、思わず美紀に同意を求めて、そして口に手をあてて微笑んだ。
「いや、やっぱり先に風呂に入る事にするよ」
「じゃあ、お湯を溜めておきますから、湯船か一杯になったらお呼びしますわ」
敦子の気配りは、手の届かない所にも届く様である。それが銀座で教えられたのか、それとも幼い頃から親を見てきたのか、寧ろ男にとっては憧れる女だろうと思えた。
私は書斎代わりにしている寝室に戻ると、パジャマに着替えて居間に顔を出した。
「おぅ、やっているなぁ」
私は少し酔いの廻りかけた美紀に、少したしなめる様に口を出した。
「叔父様、お風呂が沸きました。どうぞ先に入って下さい。私達は後からよばれますから」
「じゃあ、先に入ってくるね。お先に」
私は二人の若い女達を居間に置くと、独りで先に風呂に入った。二十分程過ぎて風呂から上がり、居間に又顔を出すと、美紀は随分と酔っている様である。何時もの事だが体質なのか、付き合い程度しか飲まない女だと私は思った。
「私もお風呂に入る事にするわ。お先に、いいかな、敦子」
少し酔っている様な美紀は、後は任せるとでも言う様に敦子に向って言った。
「どうぞ、御自由に。でも美紀は本当にお酒に弱いのねぇ」
「何を言っているのよ。敦子の方が強いんじゃぁない。とにかく私は少し休憩にするわね」
美紀は長い舌を出すと、私と入れ替わる様にバスルームに消えていった。一人残された敦子は所在なさそうに壁にかかった時計を見た。時計は既に十二時を廻り、浴室からは美紀のシャワーを浴びる音が微かに聞こえている。
「敦子さんは酒の弱い美紀が相手じゃ、手持ち無沙汰じゃないのかな」
夕刊を読んでいた私は、見かねて敦子に声をかけた。
「さぁ、どうでしょう、でも確かにお酒を飲む時の美紀は、少し物足りない事は確かですけど」
私は無性に、目の前の敦子のその後の事を知りたいと思った。美紀と私が住むこの部屋に敦子が来たのは、前から付き合っていた外国人留学生の恋人と別れた、丁度その日の夜の事であったと思う。寂しさも口惜しさも乗り越え、その男との間係は数年程であったらしいが、別れはいずれにしても酒の力を借りなければ、耐えられない出来事だった様である。だが、今夜は全く別な雰囲気を持っていた。
「どうですか、独りの暮らしは」
「叔父様、お酒、お付き合いして戴けます?」
まるで私の質問をはぐらかす様に、敦子はグラスに氷を入れた。
「そうだ、貰い物のいい酒がある。スコッチだが敦子さんは飲むかな」
「えゝ、美味しいお酒ならぜひ」
その敦子の返事に、私は自分の部屋に戻ると、一本のスコッチを戸棚から取り出した。知り合いの医者から、仕事で急がせた礼にと貰ったものだ。恐らく患者やその家族からの貰い物だろうが、医者とはそうした付け届けが多い。そして居間のソファーに座っている敦子の前に置いた。
「この酒の名前は知っている?」
「えゝ、ロイヤルサルート、美味しいお酒ですね」
陶器風に作られたボトルを、まるで包み込むようにネルの袋に入れられている。
「おや、二十一年物だね」
スコッチだとは聞いていたが、貰った時は紙に包装紙に包まれていたから、開けるまでは二十一年物だとは知らなかった。そしてボトルの封を切った時、二十一年間もの時間を閉じ込められ、育まれた芳醇な香りが、まるで一気に解放されたかのように部屋の中を漂って来た。
この酒が仕込まれた頃の美紀や敦子の背中には、小さな羽が生えた可愛い天使であった筈だと私は思った。
「どこまでお付き合い出来るか自信は無いが、美人を置いて逃げる訳にはいかないだろうな。頑張る他に道はなさそうだ」
冗談とも本気とも受け取られる言い方が受けたのか、敦子は口に手を当てて笑った。
「ところで、その後、恋人は出来たの?」
「私は、お二人の事を聞きたいのに」
美紀からでも聞ける筈の話を、何故か聞きたがっているようである。
「ご要望とあれば何でもお話しますが、でも、先に貴女の事を知りたいよね」
美紀から話を聞けば聞くほど、私は敦子に対し強い感心を持つ様になって来た。冷蔵庫の氷を取りにキッチンに入り、カウンター越に私はもう一度尋ねた。その時に風呂から上がった美紀が、居間に居る敦子に声を掛けた。
「私もう駄目だわ。やっぱり飲みすぎた様ね、だから先に寝るわ」
「いいわよ、安心して、お休みなさい」
美紀は少しおぼつかない足取りで、寝室へと戻って行った。
「その後も、ひとりなの?」
中断した敦子との話を、私は又続ける事にした。
「えゝ、何方か紹介して戴けます?」
「貴女に男を紹介すると、紹介した男に後で怨まれそうだ」
「えっ、どうしてですの?」
「前に話して呉れたじゃないか、ほら、ベッドの上では私は凄いらしいって話」
以前にこの部屋に敦子が来た時、随分と酒に酔って居た様に思う。その時に、偶々「私ってベッドの上では凄いらしいのよ」と、他人事の様に云った言葉を思い出したのだ。
「嫌だわ、そんな話、本当に私はお話しました?」
「あゝ、本当に言ったよ」
「言ったとすれば、恥ずかしいのですけど、でも未だ覚えていて下さったんですね」
「そりゃあそうだよ。男はね。その手の話には齢をとっても感心があるものさ。特に貴女のような、若くて美しい女性の事になるとね」
「有難う御座います。褒めていただいて。でも、この頃は酷く辛いんです。叔父様には私の心の中を、洗いざらい見て戴けますの?」
「そりゃあ構わないさ。話して少しでも楽になるなら、仕舞いこむよりも吐き出した方が好いに決まっている。新米のカウンセラーだと思って、安心して心の中を広げてごらん」
もしも敦子が正直に話すなら、私は何でも聞いてやろうと思った。
敦子はグラスの中の小さくなった氷の欠片と、少し薄くなったスコッチの半分程を口に含んで飲み干した。そして暫くの時間を置くと、決心したかの様に話し始めたのである。
「叔父様にだけお話ししますので、本当に本当に、心の中にだけ仕舞って置いて下さいね」
敦子はそう言うと、自分の心の中を開いて語り始めたのだ。
「叔父様は美紀の事、本当に愛していらっしゃるの?」
「突然に凄い質問を、しかも正面からぶつけて来たね。まぁ愛しているとは未だ言い切れないが、愛したいとは思って今に至っているよ。そう思わなければ失礼でもあるしね」
どんな話が飛び出すのか構えていた私は、敦子の予測不能な質問を何とか受け流した。
「私は美紀の気持ちの中も、他の女の人の事も知りません。ただ一人の女の私の事を言えば、男の人が欲しくて仕方の無い時があります。誰でもいいから私の熱くなった身体に、何かを突き刺して貰いたいって、知らず知らずに男性を、捜している自分に気付く時があるのです。男の人って、そんな事は無いのでしょうか?」
それは余りにもストレートな言い方であった。まるで精神科の医者に自分の胸の中を開き、心の中の全てを問診されて応えている様にも思える。出来ればその診察の結果や処方を、敦子は期待しているのかも知れないと思えた。
敦子の話は更に続いた。
「偶にですけど、電車の中で前に座っている男性の股間に目がいって、知らず知らずに見ている自分がいます。想像すると自分の濡れて来るのが分るわ。もしもそんな時に誘われたとしたら、誘われるが儘に一緒に時間を過ごすのだろうと思います。
この間も銀座のお店の常連さんで、私を目当てに良く来てくれる方なのですけど、店のママから偶には食事にでも連れて行って貰いなさいって言われたの。好きな人では無かったのですけど、帰りにタクシーで送ってくれると言われて、そのタクシーの中で私を欲しいって耳許で囁かれて・・・。それからタクシーを降りて、知らない公園の木陰で私ね、男性のそれを手で包んで出してあげたの。ですけど突然に湧いて来る欲望に引っ張られている自分が、堪らなく嫌いになるんです。必ずその後で悔やむ事になるのですから」
敦子の目には、何故か涙が薄っすらと光っていた。敦子の話を聞き終わった私は、押さえ切れない女の業にのた打ち回る、敦子の悲痛な叫びを聞いた思いがした。潤んだ瞳から一筋の敦子の涙が、何故に苦しまなければならないのかと、訴えている様にも私には思えたのだ。
「気持ちが不安定になるのだろうな・・」
私はそう言って敦子の横に座り直すと、その濡れた敦子の頬を胸の中に抱き寄せていた。私の心の中では、根掘り葉掘りと語らせて、ついに泣かせてしまったと言う罪悪感があった。
美紀は既に眠りについている筈である。仮に美紀がそこに居たとしても、やはり私は同じ様に敦子を抱きしめ、乾いた敦子の魂に安らいだひと時を与えたいと思った事は確かだった。
私の胸に抱かれた敦子は、声を殺して泣いていた。どんな言葉を掛けて良いのか迷いながらも、敦子の話に圧倒されたのは寧ろ私の方だった。余りにも赤裸々で、逃げ場の無い真面目な会話だった。
「僕に出来ることは何かないか?」
敦子の顔を胸の中に包むように抱きしめながら、私はその耳許で呟いた。
鋭く胸に突き刺さる様な孤独と幼い欲望とが、敦子の心と体の中で交錯して、酷くその心は傷ついているのが分る。どこか自虐的でもあり、刹那の世界を彷徨っている様に私には思える。
「出来るなら、時々は逢って下さいますか?そして話を聞いて頂けますか? 私、独りが怖い。傍に居て抑えてくれる人が必要なんです」
敦子はかすれる様な声で、初めて私に甘えた。まだ涙に濡れた敦子の頬が、私の腕の中で震えていた。それは愛でも恋でもなく、まして同情や欲望でも無い様な気がする。寒さに震え、お腹を空かせた子犬を抱き上げ、まるで頬ずりするのに似ていた。腕の中のその子犬を包むように、私は敦子を抱いた腕に力を入れて応えた。
静寂が二人を包んで、私の顔を見上げた敦子の唇が、震えるように僅かに動いていた。そして目を閉じた敦子の唇が、私の中の優しさを誘っていた。
敦子が抱える心の闇を私に見せた夜から、既に一週間が過ぎていた。軽く交した敦子の唇の感触が、私の記憶の中に酷く鮮やかに刻まれていた。逢って欲しいと言う敦子の願いに、行きがかり上は約束を交したものの、美紀との関係を考えれば、その望みは揺れ動く様に私の心に引っかかっていた。
美紀との同棲生活も、形としては婚約を成立させていた。だが反面、本当に美紀は私えの愛情を成熟させ、結婚を望んでいるのかと聞かれれば、私は直ぐにそれを否定する事が出来る。未だに幼さの残る美紀の想いは、自分に与えてくれる居心地のよい環境であった。それが長く続いてくれる事こそが、美紀の望む全てであると思えるのだ。
何故なら大学を卒業して就職した後でも、友達との旅行や夜遊びなどに全ての収入を使い、自分が暮らす為に掛かる費用の全ては、私の収入を当にしていたからだ。友達に送り届けて貰ったと言って、夜半過ぎに帰宅する事もしばしばであった。
一緒に釣に行く事も温泉に出かける事も無くなり、洗濯以外の暮らしに関わる事は、全てが私の役目となっていたのだ。たから時折の肉体関係を除けば、まさに会社に届け出ていると言う、叔父さんの家に間借りする、姪の様な間係であったとも言える。
その日の東京は、久しぶりに雨が朝から降り続いていた。私はお茶の水の本社での会議を済ませ、外に出たのは未だ薄明るい夕方であった。時間の使い方は立場上、誰に断る事も無い。しかも電車で幕張の自宅に戻るには早すぎる時間で、千葉の支店に向うにも、会社に着いて一時間か二時間程手伝えば、家に帰る様な時間であった。
美紀は友達と今夜も飲み会があると言って出かけだが、戻るのは午前様になるとも思える。考えて見れば、ある意味で私も敦子同様に孤独であると思った。
そうだ敦子に会おう。そう決めたのはそんな時である。住所は知らないものの住んでいるアパートの、最寄りの駅の名前は覚えていた。お茶の水から地下鉄に乗り、池袋に出て東上線に乗り換えた。敦子に何も連絡をしなかったのは、何か用事が有った訳では無く、ただ顔を見られれは良いと思ったからだ。いや逢えなくても自分は逢いに行ったと言う、熱くなった自分の気持ちをなだめる様な、気持ちを納得させる行動がしたかった。
敦子から聞いた常盤台の駅に降り、改札口を出ると街はすっかりと暗くなっていた。下りの電車が駅に着くたびに、人の流れは駅前へと押し出され、狭い駅前の商店街には傘をさす人の流れが生まれ、そして夫々の場所へと散っていった。
敦子の会社に連絡をして、逢う約束をしても良かったのかも知れない。だが何故か約束の無い出逢いがしたいと思ったのだ。この駅に降りる事は、あの夜に敦子から聞いていた。それだけを頼りに、私は駅前を流れてゆく傘の下に敦子の姿を追い求めたのだ。見様によって私のそれは、ストーカーとも呼ばれそうでもあった。
男は女以上にロマンチストだと言われている。つまらない事であっても、男はその一瞬に夢を賭ける。その意味で言えば、男は女よりも精神的でもあるのだろう。
改札口から吐き出された帰宅を急ぐ人々の中に、敦子の姿を認めたのは、私が駅に降りてから、一時間近くが過ぎた頃であった。ボチボチ帰ろうかと、考え始めたときであった。それを偶然とは言わないまでも敦子と逢えた事で、綱渡りの様な私の小さな冒険の時間は終った。傘をさして歩き始めた敦子の後ろを、私は声を掛けるタイミングを捜し、その後ろ姿を追ったのだ。そうして踏み切りの遮断機が降り初め、その前で立ち止まっていた敦子に、私は後ろから声を掛けたのである。
「宜しかったら、こちらの傘に入りませんか?」
突然の声に、不可解な顔をした敦子は振り向いた。それが私だと知ると驚きの顔に変わり、そして突然に今度は歓びの笑顔に変わった。敦子の伸びた両手が私の腕に絡み、首を肩に寄せると、しっかりと私の腕を掴んで離さなかった。
「本当にびっくりしたわ、会社に電話してくだされば良かったのに」
自分の傘を折り畳みながら、敦子は私の傘の中に入って来た。もう離さないとでも言う様に廻した敦子の腕は、既に誰から見ても恋人同士の姿であった。
「急に逢いたくなってね、もしも迷惑だったら失礼するけど」
「嬉しいわ、私も逢いたかった。それに迷惑だなんて全然、来てくれるなんて思ってもいなかったもの。待ったのでしょうね」
欲しかったものを手に入れた少女の様に、敦子の言葉は弾んでいた。
「美味しい夕ご飯を作るわね」
遮断機が上がると弾んだ気持ちを隠すように、敦子は自分の体を又私に寄せて来た。
敦子の住むアパートは、歩いて駅から五分程のところに有った。独身者用に作られたアパートの、二階の部屋である。二階への階段を登り低い入り口のドアを開け、部屋に入った瞬間、部屋の窓の薄いカーテン越しに、隣のアパートの灯りが見える。部屋は小さな台所と、トイレとシャワーのユニットバスと、フローリングされた六畳の一部屋である。
「狭い部屋だねぇ」
言ってはいけない言葉だったが、口から思わず漏れた本音であった。家具と呼ぶ程のものは殆ど置いて無い。ただ一人でも運べる様な小さな整理ダンスが一つと、其の上に小さな鏡台が置かれていた。後は布団が折り畳んで部屋の隅に置いてあり、そして申し訳程度の小さなテレビが床の隅に置かれてあった。
とにかく入り口から部屋の窓まで、歩いて数歩の距離である。私が目を丸くしていると、敦子は笑いながら私を見つめて言った。
「家具を入れたら寝るところも無くなるわ。ね、それよりテレビが映らないの、見てくださる?」
私はリモコンのスイッチを入れた。シャーと言う音が聞こえるだけで、画面は横縞だけが映っていた。確かに映像も音声も駄目であった。テレビの裏側を覗くと、アンテナのコードがテレビから外れて、私は小銭を使ってネジにコードを絡ませて締めてみた。
「おい、テレビを直したぞ。アンテナのコードが外れていただけじゃないか」
亭主が女房に言う様な、酷く日常的な会話であった。
「本当だわ、何を何処につけて良いのか、私全然判らないもの。わぁ、綺麗に映る」
台所から首を伸ばし、敦子は私の手元のテレビを見て歓声を上げた。
「買ってから、一度もテレビを見ていないのよ。こんな時は、やっぱり男の人がいなきゃ駄目なんだなぁ」
そんな感心した様な言い方をして、敦子は綺麗に映るテレビを見ていた。
「いけない」
コンロに載せたフライパンから、焼きかけたハンバーグが煙を上げていた。慌てて敦子は台所のコンロの前にと戻った。
「帰ってもいいかな?」
「駄目よ。意地悪な人ね」
ただそれだけの会話の中から、私には今の敦子の想いを理解できた様に思う。焦げた方のハンバーグを、敦子は自分の皿に盛り、綺麗に焼けた方を私の皿に盛り付けた。美味しいと言ってくれるのを待つ、敦子の女の心がそこにあったのだ。
「旨い、美味いよ」
私の評価を聞いて、敦子は嬉しそうに笑った。
そして食事をしながら敦子は、ポツリと自分の事を私に話してくれたのだ。小倉の駅裏で、母が小料理屋をやっている事や、父親は随分と齢の離れた人で、市議会議員を勤めていると言う。美紀から大方の聞いていた話を、今度は直接当人から聞く事になった。敦子は私が思った通り、お妾の子供であった。
だが私は、そうした敦子のこまごまとした事は聞き流していた。複雑な人間関係があるのだろうが、私は強いて敦子が語るのに任せ、深く関係を探る事は避けたのである。
私はこの時に少しだけ、話題が両親の事になった事から、私の生い立ちを敦子に話した。母親が私を独りで産んだ事や、私の父親となる男とは、一度も会った事は無い事など。敦子はその話を黙って聞いていた。
初めて二人だけのささやかな食事をした後、敦子は私の胸に寄りかかり、私は敦子の後ろから抱え込む様に、同じテレビの画面を見つめていた。静かなで穏やかな時間が、二人を包んでいた。
「お布団を敷くわね」
男と女の暗黙の思いが、敦子と私を繋いでいた。私の身体がはみ出しそうなくらい、小さくて薄い敦子の布団に横になり、私は敦子の孤独を思っていた。その私の横を灯りを消した敦子が、生まれたままの身体で滑り込む様に入って来た。それは極めて自然の行為でも有るかのように、敦子は私に抱かれる歓びを待っていたのだ。
「今日だけの事でも、これからずっとでもいいの、貴方の好きな様にして欲しいの」
敦子の言葉が終らない内に、私はその体を抱き寄せて唇を吸った。壊れそうな細い華奢なその体を、優しく両腕に包み込んで、ゆっくりと敦子の全身を愛撫し続けたのだ。
敦子はこの時、何処までかは分らないが、私の心のままに一緒に流れてゆく覚悟をしていた様に思えた。
そして自分のほてった体を冷ます様に、私は抱いていた敦子の身体を放して、前から考えていた頼みごとを伝えたのだ。
「銀座の、あのアルバイトは辞めてくれるか?」
私は天丈に吊り下げられた蛍光灯の、小さな補助灯の弱い明かりを見つめて言った。僅かな明かりでも慣れてくると、ぼんやりと部屋の中が見えて来る。
「私ね、銀座でホステスをしているお金、母に送っていたの。でも貴方がそうして欲しいのなら、私、アルバイトを辞めるわ。会社に勤めて社会人になった事もあるし」
敦子は躊躇無く、私に返事を返した。この時、何故に敦子が銀座でアルバイトをしていたのか、やっと私はそれを理解した。東京の大学に行くために敦子の母親は、父親の籍にも入っていない敦子の為に、財産の分与と言う形で父親からお金を貰ったのだと言うのだ。
そのお金で敦子は東京の大学に入る事が出来たのだと言う。だから敦子はそのお金を、月々母親に返していたのだと言った。私は敦子が小遣いなどに使っていたかの様な、勝手な憶測をしていた自分を心の中で恥じていた。
「でもさ、正直言って怖いね」
「何が?」
「ほら、狂ってしまうんだろう」
「お馬鹿さん、もうそれ以上は言わないで、ね。お願い」
言い終わると敦子の身体が、私の上に乗って来た。本当は怖くなど無かった。どれ程狂うのか、味わってみたいと私は思っていたのだ。細身の白い敦子の体が、今は私の体の上で戯れていた。
「テレビを付けておこうか」
私は二人の秘め事を、二人だけのものにしたいと思った。行為の全ての目的を、登りつめた敦子の歓びが頂点に届くまで、私は優しさに包んでやりたいと願った。その為には、二人の気持ちを散らしたくなかったのだ。
「えゝ」
敦子の手か枕元に伸びて、置いてあった小さなテレビのスイッチを入れた。途端に部屋の中は、瑞分と眩しいほどに明るくなった。私はテレビの向きを壁に向けて、映し出されたドラマの音を少し大きくした。
敦子のしなやかで細い、透き通る白い体が明るい部屋の中に浮び上がり、私の体の上で跳ねる様に動いていた。私の胸を舐め、軽く噛んでは唇の先で吸っていた。男と女の秘め事を、一体どれだけの男達に教え込まれたのかは知らない。だがさして長くも無い月日の中で過ごして来た敦子に、私は強い嫉妬を感じていた。
敦子のそれは、貪るような欲望を隠しながらも、全てを飲み込むような積極的な泳ぎ方であった。首筋から胸に、そして下腹部に唇を這わせ、私のものを口に含んで舌を動かしながら、私の反応を伺うかの様に見上げていた。私は手で敦子の首に触れ、もう待ってはいられない事を手で伝えた。
「ねぇ、私の中で出して」
敦子は小さな声で私に囁いた。
「いいのか」
「心配しないで、困る時は困りますって言うわ」
こんな時でも、敦子は相手の事を思い遣る女だと驚くと同時に、情を交す事に集中出来る事が、男として嬉しいと思ったのだ。
私の体の上に乗った敦子と一つに結ばれた時、自分の身体の一部でも有るかの様に、ゆっくりと敦子は動きを加え始めた。少しずつ押寄せるうねりの様な高まりを、私達は幾度も耐えてやり過ごしながら、敦子は私の頭を抱え込み、そして私の体を抱きしめ、体の上で小さく幾度も切なそうな声を上げた。
私はその度に下から口を手で塞ぎ、自分を失って叫びそうになる敦子の狂気を、この世界へと引き戻していた。敦子の欲望は私の肉を銜え込み、容赦なく奥へと引きずり込む。その華奢な身体を反るほどに、私の上で大きくしならせていた。結局、私は敦子の口にタオルを噛ませ、釣り上げた魚の最後の震えを受け止めた後で、二人は深い奈落の底へと落ちていった。
限界を超えた痙攣が私を襲い、それに併せるかのように敦子の息が止まった。そして大きく息を吸い込んだ敦子は、喉の奥から漏れる様な唸りにも似た歓喜の叫びを放った。
私は徐々に痺れる様な疲労感を感じながら、薄明かりの中で私の上に乗ったままの敦子の体を見つめていた。女である事を余すことなく受け止める敦子は、白く透明な身体を快楽のうねりに任せ、暫くはその身体を痙攣させていた。
「狂う」と云う言葉が、確かに似合う女だと私は思った。それを相手に受け入れられると知れば、無限に続くかと思われる程の欲望が、敦子の動きを支配している様に私には思える。気が付けば腕の中の敦子の身体はひどく汗ばんで、それほど長くも無い髪の毛が汗に濡れた頬に絡んでいる。
どれ程の時間が過ぎたのか、私には短くも長くも感じたのだが、敦子は未だ私の体の上に横たわっていた。二つの体は繋がったまま、敦子は呟く様に私に問いかけてきた。
「ねぇ、私、変でしょう?」
未だ一つに結ばれたまま、上から私を見詰めていた敦子は、滑る様に横に移ると身体を放して、後の始末をしながら私の返事を待っていた。私にとってのそれは、幾人もの女との経験はあるものの、初めての経験であった。
「変なんかじゃないさ、敦子の倍程も長く生きているが、初めて夢中にさせてくれる女性に巡り合った気がする。特別に、はなまる五つ差上げるよ」
私は少しの笑いと冗談を交えて、いま少し前の敦子との行為を思い返した。
「恥ずかしいけれど、褒めて頂いて嬉しいわ。私ね、自分の中にはもう一人の私が居る様に思うの。どっちが本当の自分か判らないのだけれど。それに自分で言うのも可笑しいのだけれど、私本当に凄い事を思う事があるのよ。偶にだけれど一人は前から、もう一人は後ろから二人同時に愛して欲しいって、そんな事まで望む時があるの。だからあの時、身体がバラバラになって壊れてしまう様な、そんな自虐って言う様な性格に、引っ張られてゆく私を感じるの」
私の記憶の中を捜しても、これ程に烈しい行為を求める女は居なかった。行為の主導権は、何時も敦子が握って放さなかった。男を歓ばせる術が或いは奉仕する事では無く、モラルと言う世界から自分を解き放つ事だとするなら、敦子は理屈ではなく生まれた時から、それが染み付いている様にも思える。
だがその一方でこの時は、やはり敦子の性は確かに自虐的で、しかも刹那的だと思った。未だその行為の歓びは、自分の肉体の中でしか満たされてはいない様にも思えるのだ。
行為の最中も後に来る相手への愛おしさも、それを呼び覚ますには未だ心の交わりが浅いからだと私は思えたのだ。
それから一週間が過ぎた。美紀に対する多少の負い目を感じながら、敦子との関係は気持ちの中でも、益々比重は増して来ていた。比較してはいけないと思いながらも、子供じみた様な美紀との暮らしは、徐々に醒めて来てしまうのだ。
それに美紀からの結婚への気持ちが、具体的に何も伝わって来ない事もあった。仲人を頼み実家へと挨拶をして貰ったものの、それ以降は娘の気持ちに任せていると、親も口を挟む事は無かったのだ。止む終えない事ではあったが、まるで親達は時が来れば別れるだろうと、その時を何処かで待っている様にさえ感じたのだ。
一方で私は、敦子に新たに収入を得る道を、探して上げなければならないと考えていた。私の身の回りで何か無いか、と考えた時に一つの手段が思い浮かんだのである。
敦子は書道をやっていると美紀から聞いていた事もあり、免状を貰って教える事も出来ると聞いていた。私の仕事の関係からも、この筆書きの書を印刷会社に依頼する事があった。学会だけではなく、企業や官公庁で行なわる様々な催しの会合で、壁や机などに架けられる式次第と言う貼り物である。いわば議事進行の順序を書いたもので、筆で案内を書いた催し物の案内書であった。その他にも「受付」だとか、「入り口」だとかを筆で書いた、会場案内の紙である。
何れも書道の先生クラスに頼む様だが、この筆を使った仕事を敦子にやらせて見ようと思ったのだ。
美紀と敦子が勤める会社は同じだが、勤める部署が異なっている。同じフロアーでは無い事から、滅多に敦子に会う事は無いのだと、それは美紀から聞いていた。勿論だが敦子に会いたいと云う思いも強くあった。そう思うと私は、迷わずに敦子の勤める会社に電話をしたのである。
「どちら様でしょうか?」
電話を受けた若い女は、如何にも証券会社の社員と言うほどに、客の扱いに慣れていた。
「そちらの会社に勤めている榊原敦子の父ですが、何時も御世話になっております」
この一言は下手な呼び出しよりも、目的はスムースに進む。しかも他人から詮索の余地を与える事も無く、速やかに目的を果たす。一分にも満たない時間が、酷く長く私には感じられた。やがて受話器の向うかに、敦子の嬉しそうな弾んだ声が聴こえて来たのだ。敦子から会社に電話を掛ける時は、父親と名乗って欲しいと、あの夜に言われていたのである。
「今夜、車でアパートに行くが、都合はどうだろう」
「はい、時間は何時ごろになるの?」
「八時頃かな」
「分りました、待っています」
敦子の芝居がかった返事が、私には少し可笑しかった。
その夜に私は、敦子のアパートの近くにあった、ファミリーレストランの駐車場に車を停めた。店に入ってカウンターの店員に、後で食事に来るが車を置いて良いかと許可を貰ったのだ。そうしてアパートの階段を、足音を偲ばせる様に上り、敦子の部屋のドアを軽くノックした。まるで待ちかねたかの様に開いたドアの向うから、弾んだ様に敦子の身体が私の胸に飛び込んで来た。
敦子との情事を期待していた訳ではなかった。書道の家元に通い、その道で生きて行こうと考えている敦子に、少しでも経済的な余裕を与えてやりたかったのである。仮に自分の金を与え敦子の自由を縛るとなれば、敦子も拒絶するだろうし私もそれは出来ない。
「今夜は泊まれないぞ」
私の言葉が聞こえていないのか、それとも聴こえない振りをしているのか、胸の中で敦子が口に開いた。
「黙って・・」
敦子は私の胸に耳を押し当て、じっと鼓動の響きに耳を澄ましていた。
「心臓の音を聞いているのよ。この心臓の音、一分間で六十回、一時間で三千六百回も打つのよ。一日が二十四時間だから・・八万六千・・四百回でしょう。それが一年だと・・・凄いのよね心臓が動く数って・・」
敦子が何を考え、そして何を思っていたのか、私には分らずに黙っていた。
「産まれる前から今までずっと、心臓って一度も休まずに動き続けているのよね。でも産まれたら何時かは必ずそれも止まるって。出会ったら必ず何時かは別れるって。それが生きる事だって田舎の母が言っていた事、思い出してしまったの」
敦子はもう一度私の首に手を廻し、ほんの少しだけ軽く私の唇に触れた。
「先ずは先に、少しだけ話したい事があるのだが」
私は敦子のペースから逃げる為に、話題を変えてネクタイを緩めると話し始めた。
「その前に、お茶かコーヒーでも一杯飲ませてくれるかな。ケーキをお土産に買ってきたからさ」
「御免なさい。私、嬉しくて少しはしゃぎ過ぎたみたいね」
敦子は台所に立って、早速お湯を沸かし始めた。その姿を見ながら私はスーツの上着を脱ぐと、目的の話を語り始めたのだ。
「敦子は式次第って、知っているかな」
「えゝ、あの学校の卒業式とか入学式などで、式の順序を書いて貼り出した紙の事でしょう」
「そう、それを敦子に、アルバイトとして書いて貰えないかなと思ってね。一枚で数千円程は払える筈で、時間もそれ程急がされる事も無いし、予め確認を取ってからの注文になるが、どうだろう。最初はそれ程沢山頼む事は無いとは思うが、徐々に増えて来る筈だ」
温かな紅茶を飲みながら、話しを聞いた敦子は、興味を持った様である。
「面白そう。一度やってみたいわ」
初めて自分の習い事が、お金を産むと言う仕事に敦子は興味を示した。
「それじゃ取りあえず、来た目的は済んだけど、敦子の望みはこれからだよね?」
意味を含ませた私の質問に、拗ねた様に敦子は答えた。
「あなたは相変わらず意地悪なのね。今夜は絶対に返しません。だって欲しいもの。いいでしょう?」
美紀の前では叔父様と言っていた敦子が、あなたと私に言ったのは初めてだった。
「今夜は泊まれないが。いいのか?」
「今夜は静かにしていますから。だから意地悪を言わないで」
返事の代わりに敦子を抱き寄せた私は、目を閉じて軽く開いたその唇に私の唇を重ねた。直ぐに敦子の舌が、縺れる様に絡んで来る。確かにそれは敦子の意志を持っているのだが、まるで別の生き物の様な強くて貪欲な欲望を秘めていた。私達は直ぐに一つになる事を望んだのだ。
敦子の小さな布団に入った私は、そろそろ煙草は止めなければと思いながらも、枕元に吸いかけの煙草の箱ライターを置いた。そしてうつ伏せになると習慣なのだろうが、やはり煙草にを口に銜えて火を付けていた。敦子は私の脱いだシャツやズボンを畳み、スーツをハンガーに掛けると、用意していた灰皿を枕元に置いた。私の為に買い求めて来た様だ。
そして待ちきれないとでも言う様に、身に付けていた服を脱いで、生まれた儘の身体を折り曲げながら私の横に滑り込んで来た。何時ものしなやかな、ほっそりとした身体である。透き通る様な白い肌が、私には少し病的にも見える。まるで渓流を泳ぐ鮎の様に、手で捉えようとすれば烈しくその細い体を振るわせ、手の中から逃げてしまいそうである。
掛け布団を掛けてもやらず、明るい枕元のスタンドの灯りの中で、私は寄り添う様に横になった敦子の裸の身体を見ていた。
「駄目、見つめないで。ねぇお願い」
黙って私は、その白い体の上に掛け布団を広げた。
「帰りの運転は大変でしょう。本当に今夜は静かにしていますから」
うつ伏せになっていた私の背中に、敦子はそっと唇を這わせて来た。まるでそれは、精一杯の愛おしさを私に伝える様に思える。それからゆっくりと腰の方へと移って行った。一週間前のあの激しさは消えてはいるが、今夜も貴方の好きな様に、と言っている様にも思える。
仰向けになった私の上に乗った敦子は、交わる場所を除いけば驚く程に静かだった。
そうして夫々の温もりが、これ以上確かめようも無いほどに、自分の内に在る事を二人は感じていた。ほんの少しの動きが、波紋の様にそこから周りへと広がってゆく。静かな時間の流れに任せて、今夜はその繊細な波紋の様な歓びを、受け止めてみたいと私は思った。
一週間前のあれが猛り狂う嵐の海だとすれば、今夜の敦子は湖面に月の光を映す、湖の静けさを持っていた。僅かな風にさえ波紋を起こさせ、敦子の身体を震えさせてしまう。望めばどれ程の強い欲望をも、飲み込むのであろう深さを敦子のそこは湛えていた。
正月が来た。敦子は大晦日の晩に、母親のいる北九州の実家に帰って行った。都会で暮らす故郷を持つ多くの若者達も、この時期はやはり正月を故郷で迎えたいと思うらしい。
美紀も埼玉の実家へと戻り、息子からは今は台湾にいると連絡があって、大晦日から元旦にかけては珍しく一人で過ごす事になった。明日の二日は美紀の実家を訪ね、挨拶をしなければと思うが式の日取りを聞かれると、何と答えて良いものか考え益々気が重くなっていた。
このまま式へと向っても、既に美紀を幸せにする自信はある訳が無い。そしてそれは美紀にしても同じであったろう。嘗て成人式の日に美紀の父親が訪ねて来て、「どうしてくれるのか」と問い詰められた時、結婚を前提にしてお付き合いをしている、としか言えなかった事は、美紀の父親の方にしても、困った返事であったに違いない。振り上げた拳を下ろす場所が、無い事を知ったからである。
そうした親達の反対を何とかかわし、美紀とは既に三年近くもの同棲を続けていた。だが大学を卒業した後も、美紀からは結婚についての話が出た事はなかった。寧ろ未だ、今の状態で長く続いてくれる事の方が、何かにつけて都合の良いと考えている様である。
始まったばかりの敦子との関係を伏せながら、私は美紀との結婚は、美紀自身の気持ちの中からも、既に無くなっている様に思えていた。何時も心に引っかかるのだが、就職を決めた会社に提出した、叔父との同居と言う書類であった。それに美紀の親も本人の美紀も、出来るなら別れて、出直してみたほうが良いのでは、とする夫々の思いを感じ取れるからだ。
二十歳以上も齢が離れ、世間知らずの若い娘との暮らしは続く訳が無い。関係する誰もが時間の問題だと、そう思っている筈でもあった。漠然とではあるにしても今年こそは、それもはっきりさせなければならない、私の頭の中をそうした考えが駆け巡っていた。
幕張は元旦から穏やかな天気で、暮から暖かな日が続いていた。二日の夕方に私は美紀の家で、五歳年上の父親となる美紀の父親と、年始の挨拶の後で酒を酌み交わしていた。とは言っても車で来ていたから、ほんの一口二口の酒であった。しかし予想した通りに式の日取りの事は話題にも上る事は無く、親戚が明日に集るからと美紀はもう一晩泊まると言って、暗くなりかけた頃に私は幕張まで車で帰った。
その夜に故郷に戻った敦子から、新年の電話が掛かってきたのだ。
「おめでとう御座います。今年も宜しくお願い致します」
敦子の大人びた、そして落ち着いた声が電話口からこぼれて来た。
「おめでとう、どう?故郷は」
「もう母がね、相変わらず帰って来いってうるさいのよ。美紀はいますか?」
「今年の正月は一人だよ。美紀は実家に帰って、明日は親戚や友達に逢うと言っていたが・・」
「そうなの、ねぇ仕事始めの日だけど、そちらにお伺いしてもいいかしら」
「僕は二人で逢いたいよ。まぁこちらに来ると言うその話は、美紀に伝えないと話しがややっこしくなるから、でも僕の方は待っているよ」
敦子の声を電話の声を聴きながら、故郷に帰ると言う二日程前に、私はあの透き通った白い身体を、折れるほど強く抱いた事を思い出していた。湯島天神近くの男と女の為に作られた、狭いラブホテルの一室であった。
本当の私を知って欲しいからと、狭い部屋の中で私は誘われるままに敦子を抱いた。敦子の吼えるような叫び声に包まれ、流れる汗を拭う事も忘れ、私は飽くことも無い快楽の淵で、幾度も敦子をその谷底に突き落としたのだ。恍惚とした時間のなかで、まるでこれが最後の別れとも思える様な、行き先の見えない行為でもあった。
「遠いわね・・」
短い沈黙の後に、ぽつりと出た敦子の言葉が、私の耳に重く響いた。直ぐに逢えない距離の遠さではなく、二人の間に横たわる様々なしがらみを、それは指している様にも思えた。
「今年は、はっきりとさせたいな」
それが心からの願望ではあるものの、はっきりさせなければ全てが崩れて更に傷付く事が見えていた。
「いい年にしたいね」
「ええ、そうなるといいですね」
敦子のきっぱりとした返事が、今の私には唯一の救いでもあった。
三日の夜に、美紀は実家から帰って来た。
「今年もお年玉を貰ったのよ」
親からせしめたのか、けろっとした言い方であった。
「一番年上なのに、弟や妹にお年玉は上げたのかい?」
「上げたから差し引きゼロよ」
何時も美紀は、こんな風だと私は思った。
「食事は、済んだの?」
「未だよ。作ってくれるの?」
「分ったよ、作ってやるよ、作りますよ」
私は美紀に期待する事を諦め、座っていたソファーから立ち上がった。
「やった、嬉しい」
子供がはしゃぐ様に、美紀は甘えた声で言った。何時も美紀はそうだと思う、そして私は出会った頃の事を思い出した。照れてしまうのか、正面から人を見る事が出来ず、知り合った頃も少し肩が触れただけで、胸がドキドキしたのだという。身体に似合わず気の小さな女だと、今更の様に思った事があった。
「敦子さんから昨日電話があってね、仕事始めに、お宅にお伺いしたいって言っていたよ」
私はキッチンでパスタを茹でながら、電話で敦子と少し話した事を美紀に伝えた。
「そうなの、敦子は何か言ってた?」
「故郷に帰って来いって、随分と母親から催促されたみたいだ、大変みたいだね」
「そうなのよ、彼女ね、大分会社をお休みしているらしいの。体調が悪いらしくて、それも内科の間係じゃなくて、神経の方に問題があるみたいだって噂だけど、本当の処は良く分らないわ」
「親友なんだろう、何か言われたり聞いたりしていないのかい?」
美紀に聞くまでも無く、思いあたるふしが無い訳では無い。しかしそれを美紀に言う事は、口が裂けても出来ない事であった。
「親友って言われても、それほど深くは知らないもの。それに部署も違うし、単に仲のいい友達ってところよ。でもそうなの、来たいって言ったんだ」
その時に少しは事情が聞けるかも知れない、そんな言い方で美紀は話題を変えた。
私達が住むマンションの部屋は、八畳の部屋が寝室である。ダブルのベッドを置いた為に狭さを感じるが、据付のクローゼットの他には、美紀が使う鏡台と私の小さな机が窓際に置かれて、艶っぽいレースのカーテンが、辛うじて殺風景な部屋を明るくしていた。先にバスに入った私は、ベッドの上で読みかけの雑誌を広げていた。
美紀は洗った長い髪にタオルで巻き上げ、思いっきり大きく背中を逸らして、鏡の前で女を作っていた。
「なぁ、新婚旅行の事を考えてみたか?」
私は美紀の背中に向って、何の前触れも無く聞いて見た。
「えゝ?・・ちょっと待って、考えさせてよ」
明らかに戸惑った答えをしたのは、何も考えてはいない証であった。
「場所の事、それとも時期の事かい?」
「両方よ、だって一人では決められない事だもの」
確かに美紀の言うとおりである。私には三度目の結婚でも、美紀は初めてだからだ。その気持ちは大事にしてあげなければと思った。
「ねぇ、それより敦子の事、思い出した事があるの」
美紀はベッドの端に座りなおして、話題を変えた。
「彼女ね、去年の秋にお父さんが上京してね、お母さんか望んでいる様に、故郷に戻って欲しいって言われたらしいのよ」
「それで・・」
「彼女、チョッと変わっているでしょう、仕事で何かミスした様なの。彼女の部署は法人の保険を扱うから、小さなミスも大きくなったみたいで、自信を無くしているのかも知れないわね。会社の彼女を知っている友達も、保険会社には向かない人だって言っているし、先行きは暗いなぁ」
心配そうな美紀の話した内容は、私にとって初めて聞いた話しであった。
「へぇ、そんな事があったのか。彼女も大変な様だね」
美紀の語る話に、私は自分の知らない敦子を見た思いがした。
「ねぇ、暗くしてもいい?」
美紀が催促する時に使う、何時もの台詞であった。私の返事を聞く事も無く、美紀は手を伸ばしてスタンドの灯りを、薄暗い小さな灯りに切り替えた。バスローブを脱いだ美紀の体には、隠すものは何も着けてはいない。私はその美紀の体を見つめながら、熟し切らない未だ未成熟な果実を見る思いがした。
初めて美紀を抱いた頃から見れば、少し太った様にも思える。相変わらず豊かな胸のふくらみが、熟れた桃の様に重そうに女を主張していた。それを歓ぶ男は多いのだが、女の美紀は肩が凝って大変なのだと、何時も嘆く厄介ものでもある。
それでも横になった美紀の長い黒髪は、私が最も好きな体の一部であった。昔の未だ青年の頃に読んだ本の中に、女が失恋をした時に、自分の髪の毛を切ったと言う話がある。愛した年月の長さ程を、忘れる為に切るのだと言う話である。それからは何故か、長い髪の女には憧れがあった。
だが目の前の美紀は男と女の秘めた行為に、すっかりと馴染んでしまった気がする。まるで食事や寝る事と同じ様に、殆ど新鮮味を失ってしまったのである。理由はやはり自分でしてしまう、ずっと続いた美紀の習慣であった。そして不意にそれは、私の煙草の様だと思えたのだ。
既に私の前では恥じらいすら無くし、単に肉の歓びだけを求めている様に思える。しかも自分だけの歓びを、何時も私に期待していた。美紀が男と女のそれを知るには、未だ暫くは時間が掛かるかも知れないと思う。或いは何人かの男達との恋愛を重ねて、幾度かの痛みや悲しみの経験の中で、その意味を知ることが出来るのかも知れない。今は単にその快楽への好奇心だけが、美紀を引っ張り続けていると思えるのだ。
尤もそんな理屈を並べたところで、敦子との関係を持ちながらの私の行為は、どれ程の言い訳にもならないだろう。せめてこの時間だけは、敦子を忘れて美紀の望む事にだけ、気持ちを向けてやりたいと思った。
真っ直ぐに長い美紀の黒髪は、首筋から豊かな胸の谷間に沿って、川の様な流れを作っている。私は指でその髪を梳く様にして流れを辿りながら、乳房の先にその髪の流れを描いてみた。そして髪に埋もれた薄紅色の乳首を唇で捜し出すと、挟むようにしてそれを銜えて軽く力を入れたのだ。
癖の無い長く伸びた黒髪は小刻みに震え、幾重にも流れを変えながら美紀は声を上げていた。何処をどのようにすれば声を上げるのか、美紀のその全てを私は知り尽くしていた。
更に私は美紀の身体に手を這わせて、下腹部へと向って愛撫を続けていた。押し殺した様な歓びの波が、又美紀の体を突き抜けて行った。
「ねぇ、・・・私、どうにかなりそう・・」
「いいよ、とても素敵だ」
耳許で囁く私の声を聴きながら、ゆっくりと美紀は安心した様に足を開き、最後の扉を自分の指で開け始めていた。それは大達の誰もがする、ありふれた男女の行為では無かった。何時も美紀は一人で先に登りつめ、後から私がそこに辿り着くのだ。
愛にも様々な形がある様に、男女の営みも又様々である。普通が良くて、普通ではないものが悪い訳は何処にも無い。それを受け入れるか否かで人は歓び、そして不安に悩むだけなのだ。
既に私の体の一部は、美紀の中に飲み込まれている。美紀は仰向けのままの姿勢で、しかも私と繋がった部分を確認でもする様に、時折は頭を持ち上げて覗く様にそこを見つめていた。
美紀の指が自身のその部分に触れると、安心した様にリズミカルな動きを指先に加えていった。私は再び快楽の頂へと向って行く美紀の姿を、腕の中で見守る以外には殆ど役割は無かったのだ。
「ねぇ私って、どう?」
指の動きは徐々に早くなり、喘ぎながら訊ねる美紀の声は震えていた。一人で快感の波に弄ばれながら、どこかに不安を抱えて、何時も同じ様に聞いて来る女だと思った。
「とてもいいよ」
その返事を待っていたかの様に、美紀は大きく声を上げた。私は美紀の歓びを追いかける様にして、動きを強めた。稀に美紀の欲望に再び火の点く事もあるのだが、殆どは最初の歓びよりも弱い事を、否応無しに体で感じ取る事が出来るのだ。
美紀が持つ若い性の不安は、生涯に亘って消える去る事が無いのかも知れない。初めての自慰を知ったのは高校生の時だと言った。それを友人から教え聞かされ、試し始めて既に五年にも及んでいた。何度もそこには向わない様にと試しては見たのだが、どれも美紀の意には合わなかったのだ。
正月の三ケ日は瞬く間に過ぎた、それは美紀の会社の仕事始めの日である。普通の会社の仕事始めは七日の月曜からで、四日のである金曜の今日は、午前中だけのしかも保険会社だけの仕事始めの出勤であった。
昨年暮れのクリスマスの前から美紀は、この日の為に美容院や振袖の着付けを予約していた。その為に仕事始めの今日は、朝早くから美容院に出かけ、振袖の着付けをして貰い会社に出かけると言って、朝早くから私は美紀に振り回されていた。お陰で朝食もゆっくりと出来ず、私は落ち着かない朝となった。
私の会社は七日が仕事始めの為に、ゆったりと金曜の朝を迎えられる筈であった。ところが中途半端な眠気の残っていた私は、その眠気を覚ますために熱いシャワーを浴びる事にした。
バスルームで頭を洗い、あと数日で四十六歳の誕生日を迎える自分の顔を、一人で鏡に映して見ていた。白い物が少し増えた様に思う。さほど年齢を気にも留めず過ごして来たこの数年間は、過ぎてみれば大分短く、充実した年月だとは言えない様に思えた。
若い美紀との関係も、初めから遊びだと割り切ったものでは無かったが、だからと言って真剣に愛情を追い求めていたのかと振り返れば、そうした情熱は既に失せてしまった。どちらかが真剣であるとしても、一方で追い求めてもいなければ、時の過ぎてゆくままに流れて行くしか無い様にも思える。
はっきりと出来ればそれに越した事は無いのだが、はっきりとはさせたくない相手の、都合と言うものもある様だ。
結婚式の話を切り出した昨夜の美紀の反応は、式を挙げる事に踏ん切りが就かず、流れに任せる様な気持ちを持っているとも思えた。美紀の実家に行った時も、親から何の意思表示も催促もなかった事を思い出した。
だがホッとした反面、何故か寂しさを覚えた。自分も又流れに身を委ねながら、敢えてその流れに竿を差す事も考えない自分の姿を、私は鏡の中にじっと見つめていたのだ。
夕方になって気分を変えようと、私は久しぶりに和服を箪笥から引っ張り出した。ウールの御召で羽織を付けると、何か背筋の伸びた気分になる。若い娘達も仕事始めは着物で会社に行くと言う。それならこちらも二人に合わせてみたいと思ったのだ。
小さな事件
正月も四日の夕方近く、美紀の会社も仕事始めの日であった。美仕事が午前中の為に何時もより早く、美紀は敦子を連れて幕張のマンションに帰って来た。
「おめでとう御座います。今年も宜しくお願い致します」
リビングに続く畳を敷いた和室の部屋で、両手を付いて挨拶をしたのは、当然の様に美紀ではなく敦子だ。しかも敦子の着て来た着物は、美紀が着ている様な豪華で、結婚式や成人式に着るありふれた振袖ではなかった。
艶やかで落ち着いた室町時代の女達が身に付けていたと言われる、辻が花の様な搾り染で仕立てられた。それに袖の短い着物で、少しの丸みを持った袖が特徴である。それに帯は少し崩した結び方で、それが豪華な晴れ着に見慣れている私には、随分と艶やかに小粋に見えた。
「いいねぇ二人とも、『何れが菖蒲か、かきつばた』って感じで、甲乙付けがたいってところかな。それに敦子さんの方は、見返り美人って切手の図柄そのものだね、さぞかし男達の目を、釘付けにしたのじゃあないかな?」
「母から貰った着物をリメイクしたんです。着物や帯はお高いですから、新しいものには手が届きませんわ」
切手にも印刷された「見返り美人を」描いた菱川師宣は、確か江戸初期の浮世絵師だったと記憶していた。その絵から出て来たような、敦子の着物姿が目の前にあった。
「二人と写真を私達撮って貰ったから、もう早く脱いで楽になりたいわ。それに敦子は泊まって行くって、いいわよね」
美紀は疲れたと言いながら、嘆く様な言い方で着替えの入ったバックを引き寄せた。
「褒めて戴いて嬉しいのですが、年玉を戴けたらもっと嬉しいのに・・」
敦子はにこやかな顔で私に催促した。
「今の褒め言葉が、お年玉代わりだよ」
私は用意していたお年玉の袋を、和服の袖から取り出し美紀と敦子に手渡した。
「今年も宜しくね」
女達は顔を見合わせ「やったね」と言って、互いに拳を握って喜びを示した。
私は敦子が身に着ける、服や香りなどの好みが好きだ。だが他人が見たら一言は言われるかも知れないからと、似合うか似合わないかも棚に上げて、皆と同じになる事で安心する。そうした感覚は、私には好きになれなかった。成人式には肩に羽織る、白いフワフワのショールも、どういう訳なのか殆どの女達が制服の様に揃えたがる。
冒険だが自分の似合う物を探し出し、自分の為に楽しむ、そうした敦子の生き方や考え方を、応援したいと心から思ったのだ。
「実は振袖は私、着る事が出来なくて、帯が結べないんです。でもこれだと帯を簡単に締める事も出来るから、それにほら息を吐いて、帯の結び目を前に持って来ると、解くにしても結ぶにしても出来るし、それに着ていて楽で安心なの」
敦子は敢えて言い訳のようにして、締めた帯を後ろに廻した。まるで手品を見せられた様で、少し興ざめをしたのだが、その程度は目をつぶる事にした。
「貴女の好みが貴女自身を引き立てていて、その感覚ってとても良いと思うな。だからもう少し目を楽しませて貰う事にして、美紀は着替えてから一緒に食事に出かけようと思うが、それで、どうかな」
「それで良いわ。私はコーヒーを入れて待ちますから、美紀は着替えていらっしゃいね」
美紀も敦子の返事に頷いて、着替える為に寝室へと入って行った。
途端に敦子は小さな呟く様な潤んだ声で、私を見つめながら今の気持ちを口にした。
「逢いたかったわ、とても・・・」
「僕もだ」
美紀が隣の部屋に居なければ、私は間違いなく敦子を抱きしめていただろう。敦子を押し倒して犯していたかも知れない。私を見る敦子の目を見れば、同じ思いに心を焦がしているのが伝わってくる。ほんの僅かだが姿を見なかった間に、敦子は益々女の生々しさを滲み出していたのだ。
「綺麗だ。見とれてしまったよ。それに本当に貴女は和服が良く似合うね」
「御世辞でも嬉しいわ。でも、とても会いたかった」
「それは同じ気持ちだ。それに今触れたら、全てが壊れる様な気がする」
互いに目を合わせれば、狂おしい程に燃え上がるのは分っていた。言葉には言い出せ無い程の、苦しい二人の想いが目の前にあった。身体から離れた二人の想いは、それそれの頭の中で絡み合い、貪り合う様に燃えていた。それでも何とか二人は気持ちを抑え、辛うじて心の均衡を保っていた。
コーヒーを飲みながら私は敢えて話題を変えて、敦子の戻っていた故郷の小倉の正月の話を聞いた。美紀が暮れに語っていた会社でトラブルを起こした事や、神経的な症状など、全く考えられない位に敦子は落ち着いていた。
「故郷はどうでした?」
「えゝ、相変わらず両親は、早くこちらに戻って来いと言って大変なの。小倉に住まわせて、結婚させる気でいるみたい。大学に入るために東京にはやったが、その東京で勤める話は聞いていないって怒り出すし。それでも久しぶりに高校の友達と博多まで行ったり、玄界灘の魚を食べたりして穏やかな普通の正月でしたわ」
「帰れば帰ったで、貴女も大変だ・・・」
その後に私も、と付け加えようと思ったが止めた。だが大変な事態を経験したのは、そのすぐ後の事であった。
三人で食事をする為に、女達二人は私の車に乗り込み、しゃぶしゃぶの店に行く事になった。だが食事も済んでマンションへの帰り道であった。若い男達三人の乗る車に追い越された後で、今度は私の車の前に割り込んで停車したのである。しかも車から降りて来た若者は、私に車の窓を開けさせ、こう言ったのだ。
「おい、親父。若い女を二人も乗せてよ、良い思いをしているじゃないかよ。こっちにその女達を貸せよ、なぁ」
私は黙って車を急発進すると、前に停めている車の横をすり抜けた。自分でも不思議だが、冷静に対応出来る自分がそこにいたのだ。恐らく私の乗っている車が四駆のラウンドクルーザーで、普通車ならぶつけられても動かない重さと大きさがあったからだろう。
だが進路を塞いだ車が、今度は私の車の後を執拗に追いかけ、パッシングを繰り返したのだ。私は構わずに車を走らせた。助手席の美紀は恐ろしさに、「どうしよう、怖いわ」と叫んでいる。そして「ねぇ、警察に行こうよ」、心配そうにオロオロとするばかりであった。だが幕張に引っ越してきてから、此の辺りの管轄する警察が何処にあるのか知る事も無かった。後ろの席に座っていた敦子の方は、美紀とは全く正反対の反応を示していたのだ。
カーチェイスを楽しむかの様に、敦子は「ドキドキして来るわ。まるでテレビや映画に出て来るシーンみたい」と、興奮した様子で私に自分の気持ちを伝えた。執拗に私の車を追いかける若い男達に、少し懲らしめてやろうと私は、近くの幅の狭い踏み切りに向ったのだ。
車一台しか通れない狭い踏み切りを渡り始めた私の車を、敢えて踏み切りの中央で私は車を停めたのだ。後ろから追って来た、若者達の車の進路を塞いだのだ。対向車は無かった。仮にあったとしても、交互通行だから地元の人間なら入って来る事はない。追いかけて来た車のドアが開いて、助手席から男が降りて来たのが見えた。
私は少しだけ自分の車を前に動かした。降りた男は慌てて車に戻った様である。その時に踏み切りの警報が鳴り始め、電車が近くに迫ってきた事を知らせていた。遮断機が降り始める直前である、追って来た車はバックで踏み切りから外に出た。同時に私の方も自分の車を前へと発信させたのである。若者達の車は踏み切りの向こう側で、遮断機の閉まるのを見ていた。やがて踏み切りを電車が走り抜けているのをバックミラーで見ながら、私の車はその踏切から離れたのである。
敦子と私は車の中で歓声を上げたが、美紀は言葉が出ない程の恐ろしさに震えていた。
部屋に戻った私達は気分を変える為に、アルコールを飲む事にした。美紀が実家から貰ったと言う、魚の燻製を薄くスライスすると言う。敦子は美紀と一緒に、鳥肉があるから唐揚げを作ると言い出し、二人はキッチンに入っていった。
私はその間に、シャワーを浴びて来る事にした。
そうして殆ど酒のツマミの唐揚げが全て出来上がる頃に、バスルームから戻った私を前に敦子は口を開いた。
「ねぇ、お二人に聞いて貰えますか?」
「何、どうしたの敦子、何かあったの?」
美紀はキッチンのカウンター越しに、覗き込むようにして敦子の顔を見ながら聞き返した。
「お正月に故郷に帰った時にね、母親からもう帰って来ないかって言われた事は話したけど、本当は今まで勝手なことばかりしていたから、そろそろ親孝行でもしようかなって思って、春には会社を辞めて故郷の小倉に戻る事を決めたの」
それは余りにも突然の話だった。私は敦子の話しを、最後まで聞く事が出来なかった。途中から私はどうしたらいいのかと、混乱して来たからだ。しかも敦子がここで話した内容は、すでに心に決めていると思えたからだ。玄界灘に面した北九州から、大学に入るために一人で上京し、卒業してから社会人として一年、途中でアメリカに行ったと言う留年の期間を含めれば、上京して既に六年が過ぎていた。
その間に出会った様々な出来事や人達が、敦子のこれからの人生にどんな意味を持つのか、私には分るはずも無い。まして私と敦子との間には何の約束もなかっただけに、敦子の気持ちを推し量る術はなかった。
「思っている事じゃなくて、もう決めた事なのね。仕事の事で何かあったの?」
敦子への気遣いなのか、会社での事を持ち出す事もなく美紀は訊ねたのだ。
「違うのよ、本当に個人的な事なの。前から両親に言われていたけれど、今まで本当に迷っていたのよ。でもねぇ、迷っているだけでは何も解決しないって、やっとその事に気が付いたの」
「敦子は一人で暮らしているからじゃないの? 恋人でもいれば、そんなに悩む事も無いとは思うけど」
まるで自分の事を話す様に、美紀は突き放した言い方をした。その言葉を聞いていた私は、或いは美紀の言う通りかも知れないとも思った。恋人が居れば、親もある意味では安心もするだろう。だが美紀が言う言葉の底には、限られた者の見方だろうとも思える。
「周囲の人間が、ああだとかこうだと勝手な意見を言うのは世の常だよ。結局は誰も言った自分の意見に、どれ程の責任も取れないのだからね。僕は寧ろ敦子さんの決めた事を認めたいと思うな。貴女の関係する人達にだって、寂しく辛い気持ちを持ったり、悲しんだりする人もいる筈なのだから」
私もその悲しむ一人だと言いたかった。辛く寂しい想いを持つ一人だと叫びたかったのだ。だが私の想いを取り除けば、やはりその意見は正論だと思えた。
私はグラスに氷の塊まりを入れ、以前に敦子が来た時に飲んだ、ロイヤルサルートのネルの袋を開けた。未だ半分程が残って居る。ボトルの口から注がれた琥珀色のスコッチが、グラスの中の氷を躍らせていた。
敦子が決めた話を耳にして、今夜は少し飲みたいと思った。グラスに入れたスコッチを、私は一気に半分程を喉の奥に流し込んだ。
振り返れば私も今まで、随分と遠回りをした様に思える。自分に必要な人を追い求めながら、本当はその必要な人がどんな人かを知ることもなく、毎日をその場限りに生きて来た様に思えた。大きな声で全ての人の前で、その想いを相手に伝えられないのは、そんな自分自身を許しているところから、全てが始まっているのだとも思えたのだ。
「先に敦子さんの布団を和室の方に敷いて置くからね」
立ち上がった私の背中に、敦子の声が聴こえた。
「すみません、お手数をおかけして」
「余り気にせず、二人で心行くまで話していなさい」
客間として使っている八畳の和室は、畳が敷いてあるだけの部屋である。居間との間には襖で区切られているが、居間の窓も二重窓だから、そのお陰で騒音は遮断されている。
「やっぱり駄目ねえお酒は。私、これを吞み終えたら先にお風呂に入るわね」
美紀は何時もの調子で、強くは無い酒を飲んでいた。グラスの酒が空になった時、いきなり美紀は立ち上がった。
「酔ったわ、倒れそう」
そう言うと、おぼつかない様子で歩き始め、バスルームへと消えていった。その美紀を支える様にして風呂場に連れて行った敦子は、戻って来ると「御免なさい」と小さな声で私に詫びたのだ。
酷く苦しそうな顔をしながら、哀しげな目で私を見つめていた。何の相談もなく勝手に自分で会社を辞める事や、故郷に帰る事を決めた事への詫びの言葉の様に思えた。
「その話しは後で聞くから・・」
私には敦子が決めた自分の行末を、問い詰めたり責たりする理由は見当たらなかった。だから今は、そっとして置いて欲しいと思ったのだ。それに故郷に帰る理由を敦子に聞いたとしても、果たして私には、怒ったりする資格があるのだろうかとさえ思った。だから今は寧ろ、その資格の無い事が堪らなく辛いと思えた。
セミダブルの来客用の布団を敷いていた私の後ろから、部屋の中に入って来た敦子が私を見て言った。
「ねぇ、欲しいの」
「えゝ、何?・・」
突然の敦子の言葉の意味が、私には何を指す事なのか理解できなかった。ドキッとする様な敦子の物言いは、今に始まった事ではないにしても、美紀と一緒に住む自分の部屋で、しかも敦子から求められた事に私は戸惑い、酷くうろたえていた。
「今度、又敦子の部屋に行くから、その時に話そう」
「嫌!、直ぐ」
困らせる為に言っている事が、私には手にとる様に分った。
「困らせないでくれないか」
敦子の求めている事が、男と女の愛し合う行為である事は分っていた。だが敦子の何かが、何時もとは違う様に思えた。まるで時計の歯車が一つ落ちてしまったかの様に、全てが嚙み合わなくなったのだ。ある所で早く廻り、ある所では針を止めている様でもあった。
「美紀はねぇ、貴方との結婚の事、お別れするって決めたみたい。私が小倉に帰ろうかなって事を話したら、美紀も貴方とお別れするって言っていたわ」
敦子の語った突然の話は、私を酷く驚かせた。とは言っても、薄々は何となくは感じて居た事だった。しかし言葉として、それも敦子から聞かされた事が、私の気持ちを混乱さていた。私との結婚に対する美紀の悩みは、単に結婚をするとか、しないの事では無い様な気がする。寧ろ結婚を前提に婚約までして、今に至る同棲生活の終止符を、どうやって穏やかに止めたらいいのか、と言う様な悩みであろうと思えたのだ。
敦子との間に、暫くの沈黙があった。
「もし僕が欲しいと言うのが本当なら、それを美紀に頼んでみたら・・・」
言った後で私は、酷く残酷な言い方をしたと悔やんだ。敦子からすれば、随分と心無い私からの返事の様に思える。だが美紀が言ったとする敦子の話が本心なら、いっその事、今此処で、何もかもはっきりとさせたいと思えたのだ。
壊れそうな夫々の関係が、時間と共に崩れてゆくなら、それも仕方が無いと思った。だがゆっくりと壊れて行く美紀との関係の中で、それでも敦子の求めは余りにも唐突で大胆であった。
美紀が私との別れ話を、何時頃に口にするかも決めてないのなら、或いはもし、少しでも結婚したいと思っているなら、私を貸して欲しいと言う敦子の求めには、当然の事だが怒り出して直ぐにも断る筈だ。私はその時、悪魔の囁きを聞いた気がした。敦子の言葉を借りて、美紀の本心を知る事が出来ると思ったのだ。
「本当に美紀に頼んでもいいの?」
敦子は自分から誘そった言葉の持つ意味の重さに、覚悟を決めている様にも思える。私は敢えて敦子の質問に答えなかった。敦子の真意をも知りたかったからだ。
バスルームの戸の開く音がして、私は慌てる事もなく居間のソファーに座ったのだ。バスローブを身に付けただけの美紀は、歯ブラシを口に銜えたまま敦子に声をかけた。
「敦子は酔ってない?大丈夫なの?私、やっぱり酔っているよ」
美紀が敦子に話しかけた時である。
「美紀ね、私、貴女に話があるの」
「何?どうしたの?」
「ねぇ、彼を、私に貸してくれない?」
その突然の敦子の言葉は、美紀にとっても思いがけない言葉であった。真正面から投げられたその言葉は、冗談とは思えない強い響きがあった。驚いたのか少しの沈黙が続いた後で、美紀は目の前の敦子に対して、じっと私を見つめながら口を開けた。
「私は構わないけど、彼次第よ」
それは少しだけ、ふて腐れた様な言い方だった。自分の気持ちにふん切りを付けたかったのか、美紀は二人に背を向けてリビングから出ようとしていた。
「なぁ美紀、結婚したいって言う気は、もう無くしたのか?」
私は美紀の気持ちを確認する様に、その背中に向って声を投げつけた。
「私、自信が無いのよ、貴方との年齢の差によ。私が貴方に夢中の時には、そんな事はどうでも良かったわ。でもね、時間が過ぎて十年、二十年先の事を思うの。二十歳の年齢の差は一生続くのよ、愛があっても無くっても。それを乗り越えられる人は良いの。でも私にはその自信が持てないのよ」
大粒の涙が美紀の頬を伝わり、話しながらもその声は震えていた。そして美紀は更に言葉を続けた。
「今まで何度も話そうと思ったわ。でも私の我儘で、親に心配を掛けたくなかったし、私にとって此処は、とても居心地の良い場所だったからよ。でもこの頃は、それがずっと続くとも思えなくなったわ。結婚を約束した人が二十歳以上も年齢の離れた人だなんて、友達にだって言えないわよ」
子供の様に泣きじゃくる美紀は、自分の心の内側をさらけ出して、それを私に見せた。その美紀の話を聞きながら、気持ちは益々心に重くのしかかって来たのだ。
美紀の話に幼さが見え隠れするものの、私の方も果たしてこの女の事を、心から愛して居たのだろうかと思える。これからの人生を一緒に生きて行きたいと本当に願っていたのか、自分の内に問わねばならなかった。どこかでこの時が来る事を心の隅で待っていた、そんな気持ちが有った様にさえ思えるのだ。自分の狡さを見つめながら、もっと早く言ってやれれば良かったと、私は痛い程の悔やむ気持ちを感じていた。
「そうだよな。悪かったのは、多分僕の方かも知れない。もつと早く気持ちを察して上げる事が出来たらと思うと、自分が情けなくなって来る。御免ね、済まなかった」
私は美紀に向って素直に、詫びの気持ちを伝えた。
「美紀のご両親には僕の方から話を伝えよう。仲人の方にも上手く伝えて置くことにするよ、後の事は心配しないでいい。だからもう泣くのは止めて欲しいな」
収拾が付かなくなりそうなこの場を、どうやって落ち着かせたら良いのか、私は二人の若い女たちの前で酷くうろたえていたのだ。
「ねぇ、美紀を抱いてやって、胸を貸してやって」
そう言ったのは敦子だった。自分から切っ掛けを作る言葉を言った手前、思った以上に反応が大きくなった事に、敦子も責任を感じた様であった。
「美紀が可愛そう」
敦子は立ち尽くして泣く美紀の体を支え、リビングのソファーに座らせ様とした。美紀は泣きながら、敦子の手を取って言った。
「ねぇ・・敦子も、・・・ここに来て座って」
美紀の横に座った私は、泣いている美紀に胸を貸した。その美紀の向こうに敦子が座り、美紀のほつれた長い髪を、手を伸ばして漉く様に愛撫していた。
「ねぇ敦子、本当は彼の事が好きだったんでしょう?私、二人が逢っている事、何となく感じていたもん」
それまで泣いていた美紀が、突然に目の前の敦子に問いかけたのだ。そして更に言葉を付け加えた。
「いいの、私にはその事で敦子に、怒ったりする資格なんて無いのだから。だから本当の事を教えて」
二人の女に捕まり、身動きの出来ないでいる私は、まるで着ている服を一枚一枚脱がされている様な、少しの恐怖を感じながら事の成り行きを見守っていたのだ。
様子を見ていた敦子は、やっと口を開いた。
「私ね、故郷に帰ろうって決心したから言うわね。彼を好きか?と聞かれれば、その通り好きよ。でも愛しているのって聞かれたら、未だ愛と言う言葉は使えないわ。何故って、まだ言い切るだけの根拠も、確信もないから。もし人を愛する事が自分ではなく、その相手の人の事を一番に考える事だとするなら、彼の前から消える事だって私は思っているの。
愛って言う言葉は、自分の事を一番に考える人には、使って欲しくない言葉よ。それに美紀が本当に彼を愛していたのなら、私はきっと、彼と二人だけで会う事は無かったと思うわ。美紀とは婚約している相手だったし、その事では美紀には悪いことをしたなぁって思うけど。
でも彼は他の人と違って、最初に私の事を考えてくれたわ。それに私は美紀の様に、齢の差なんて事は感じなかったもの。だって私の父と母は、二十歳も齢が離れているのよ。それに彼とは結婚の対象として、お付き合いした訳では無いし、私ね、今は美味しく一緒に食事をして、楽しくお酒を飲んでくれる、そうして安らいだ時間の中で、時間を過ごしてくれる人が欲しいの。
セックスも同じなのよ、そんな風に思える人と結婚するかどうかは別にしても、結婚の約束した相手だけセックスが許されるだなんて、そんな事は考えてもいないわ。勿論、誰にでも簡単に許す事では無いにしても、それってそれ程に重要な事なのかしら。私はセックスって相手を縛るものではなくて、言葉以上に真剣に自分の気持ちを伝える、方法とか手段だと思っているもの。だからそれって将来を約束する事では無いと思うの。それに何時も傍に一緒に居てくれる人が居るって、本当にいいなぁって思えるから、だから私は美紀の事がとても羨ましかったわ」
過去に別れを告げるとなると、様々な想いが浮かんで来るのは、女たちだけではなく私も同じだった。美紀との関係も将来が消えてしまえば、残るのは過去の楽しい記憶だけになる。一緒に住む意味が寧ろ新しい未来に不都合なら、もう一度元の一人に戻る事が良いのは当然だろう。
敦子も東京を去って小倉に帰ると言う以上は、二度と東京に戻る事は無いだろう。目の前の二人の女達も、昨日までの思い出と共に、お互いが過去の人になる相手であった。
だが、これからの関係を決めたとしても、今まで歩いて来た道を、急に明日から変えられる器用さは私には無い。少しずつではあるにしても、薄らいで行くだろう互いの温もりを惜しみながら、そして沢山の思い出の中で、人はそれを記憶の底へと仕舞いこんでゆくものだ。
それでも別れる事がはっきりとした今は、無理やり独りを意識するのは辛いと思った。その同じ思いだけで辛うじて、今の三人を繋ぎ止めている様に私には思えるのだ。
「わたしねぇ、大学時代、恋人が外国からの留学生だったでしょう。それにアメリカにホームステイした時、結構オープンな家庭だったから、セックスに関しても随分と自由な考え方になった気がするの。その影響なのかセックスは好きな人と楽しむもの、って割り切っていたのよ。だって優しい好きな人に包まれていると、何時も一緒にいて欲しいって思うからなの。美紀の彼は私に、そんな想いを伝えてくれた人なのよ」
言いたい事を言い終わった敦子は、私の座った左側に又座り直した。そしてもたれかかる様にして、その顔を私の肩に預けた。婚約していたという現実が崩れてしまうと、誰もが誰かの相手では無くなり、重荷を下ろした様に三人の男と女達の間には、見えない影を気遣う様なぎこちなさは消えていた。
心を開いて聞いたり話したりしてみれば、怨む事も嘆く事も無い三人がそこにいた。偶々そこにあったと言うだけの事なのだろうが、敦子は下を向いて私の左の手のひらを広げ、自分の手と合わせて弄んでいた。細いしなやかな指が、私の指に絡んで来た。
涙を流し終えた美紀が、今度は敦子に向って口を開いて言った。
「今思うとねぇ、私、本当は結婚なんて初めから考えてもいなかった様にも思うの。ううん、私、自分の身体に自信が無いのよ。体形とかじゃなくって、ほら、歓びの時に自分自身の指を使わないと、あそこに行けないの、駄目なのよ」
敦子に取っては初めて聞く話しだったのか、思わず首を曲げて乗り出す様に私の隣に座る美紀を見つめた。その美紀が今度は私の右手を掴んみ、その手を自分の頬にあてると、下を向いて呟く様に言った。
「貴方をずるずると振り回してしまったけど、側にいると本当に安心していられたわ。いろんな所につれて言って貰えて、とても楽しかった。貴方に何もして上げられなかったけど、でもね、私の一番輝いていた時に一緒の時間を過ごせた事は、本当に後悔していないわよ。ごめんね、そしてありがとう」
鼻を詰まらせたのか、それとも未だ酔っているのか、声を殺して涙を流す美紀の言葉が、棘の様に私の心に突き刺さった。二十歳余りの年齢差を、他人は好奇心と羨望の混じった眼差しを向け、私はそれを心地よく感じた時もあった様な気がする。
それでも美紀が一途に結婚を望んでいれば、或いは良い亭主になれたかも知れない。だが軒下を借りに来ただけの、未だ幼い女を追いかける気力は既に薄れていた。私の右手の腕の中では、身体を折り曲げながら涙を流す美紀の、その長くて黒い髪が揺れていた。
気が付くと私の両腕の中には、特別な関係を断ち切った若い二人の女がいた。しかもそこに愛があるとか無いとか、結婚をするとかしないとか、そんな理屈が支配する場所では無い様な気がした。孤独と出逢った二人の若い女と一人の中年男が肩を寄せ合い、誰もがこれから一人で旅立つ世界を前にして、その覚悟を噛み締めていたのだ。私はそれまで絡み合っていた三本の糸が、この時にやっと解けた様に思えた。
人は誰もが常に孤独を受け止めながら、それを理解し、そして支え合える相手を探し求めて、日々を生きているのだろうと私には思える。若い女達がその事を知り、そしてそれに向き合い乗り越えるには、どれだけの時間と経験が必要なのか私には分らない。ただ、自分の様に大人の狡さと引き換えに、生きる術を身に付けて欲しくはないと、二人の女の肩を抱きしめながら私はそれを祈らずにはいられなかった。
私の胸の中で長く真っ直ぐ伸びた黒髪が、時折しゃくりあげる美紀の動きに合わせて揺れていた。不意にこの黒髪が美紀の体の中で、最も愛した場所であった事を私は思い出した。いとおしい想いだけが溢れ、私の胸を締め付けていた。涙に濡れた美紀の横顔を見ていた時、未だ私が若い頃に、心から愛した女の横顔を思い出した。あゝ、あの時もこんなに近くで、愛する想いを育てた事があったと。一緒に眠ったり暮らしたりするとは、愛し合う者が互いにその想いを育てる事なのだと、今更の様に思ったのだ。
左手で敦子を抱いているのにもかかわらず、私は美紀の頭を右手で支えて、その唇に私の唇を重ねた。美紀は一瞬の躊躇いをみせながらも、私の想いに応えるかの様に、美紀も私の首に手を廻して目を閉じた。
私と美紀とのそれを見ていた敦子は、顔の向きを変えて小さく囁く様に言った。
「ねぇ、私にもし・・・・」
その敦子の声が余りにも突然で、しかも小さな声だった。何か他の事を言ったのかと、私にはすぐには理解出来なかった。その敦子の取り残された様な、寂しげな声を耳にしたのは美紀の方だった。美紀は私の胸の中で顔を埋めて、口を開いた。
「敦子にもしてあげて、いいよ・・」
「いいのか?」
私の腕の中で、美紀の小さく頷くのが分った。
私は自分の首を敦子の方に向けた時、私の肩に頭を預けていた敦子は、私を見つめながら口を開いたのだ。
「私ね、嫉妬していたのね。何年も美紀がそんな風に、優しさに包まれていたのかと思うと・・・」
そう言い終えた敦子は、自分の左手を廻して私の首に絡ませると、自分のほうへと力を入れた。美紀の方は私から体を離して、それまでの敦子と同じ様に私の肩に寄りかかったのだ。だが敦子の唇は、私の唇を強く塞いでいた。敦子の舌が私の舌を追い求め、体の中に引き込まれて仕舞うほど、強く狂おしい程の力で私の舌に絡ませて誘っていたのだ。私は何時もの、あの二人だけの時に見せる敦子が、そこにいると思った。
私の両腕の中に抱かれた若い二人の女は、私の唇に代わる代わる唇を重ねて来た。私も同じ様に交互に唇を与えた。それは親鳥に餌をねだる、巣の中の幼い小鳥に似ていると思えた。
「二人とも、今夜でお別れの様だね。随分と二人には、世話になったみたいだ。それに楽しい時間を二人から沢山戴いたよ、特に美紀とは、出逢ってからもう四年も経っているんだよな。本当に心から感謝している、ありがとう」
私はポツリと思い出した様に言った。その私の言葉に、又美紀がシクシクと小さな声を上げて泣き出していた。
「ねぇ美紀、泣かないでよ。お願いだから・・・」
敦子はソファーから立ち上がると私を横に移させ、美紀と私の間に座った。そしてすすり泣く美紀を抱きしめ頬に顔を近づけると、溢れて来る美紀の涙をその唇で受け止めたのだ。姉が妹を慰める様な優しさがあった。だが敦子は美紀の頬を流れる涙のしずくを口元まで追うと、敦子の唇は美紀の唇に触れたのである。
美紀が驚いた様な顔をして敦子の顔を見たのは、ほんの一瞬であった。敦子は美紀の耳許に口を寄せて、密かに何かを話していた。
美紀は頷くと抵抗するでもなく、そのまま目を閉じたのである。敦子の唇が優しく美紀の唇に触れた。蜜を吸う蝶が、その香りに吸い寄せられる様に花の周りを飛んでいた。しかもそこに留まる事もなく、だからと言って離れて行く訳でもなかった。
幾度も蝶は美紀の唇に止まり軽く蜜を吸い、離れては又その回りを飛んでいた。やがて敦子の首に美紀の腕が廻されると、二つの唇が重なり、恍惚とした美紀の唇の奥で、敦子の舌が美紀の舌を捕えているのが見えた。
そうして夫々の唇の間を二つの舌が、戯れるかの様に縺れ合い、絡まりあっていた。思わず私は大きく息を吸い込み、そして又深く息を吐いた。突然の女達の妖しげな理解を超えた行為が、私の存在を無視した様に目の前で始っていた。この時、それまで持っていた私の男としての自負が、ものの見事に崩れ去っていったのだ。
美紀の体を支える様にして敦子は立ち上がると、その身体を横たえる為に和室の襖を開けた。そしてそこに敷かれていた布団の上に、魂を抜かれた様な美紀を横にした。見せた事も無い美紀の目は、半分ほど閉じている様にも見える。しかも恍惚としたその表情は、まるで夢の中を彷徨っているかの様でもあった。恐らく知らない者から見れば、酔いつぶれてしまった女を、親しいもう一人の女が介抱している様にも見える。
まるで取り残された様に私の目の前で起き始めた出来事を、私には殆ど理解出来なかった。と言うよりも、理解が追い着かなかったと言うべきだろう。そして酷くうろたえながらも、限りなく妖しいその姿に心臓の高鳴る音を感じていたのだ。
それに三人が別れる事を心に決めた今は、目の前の女達は誰のものでもなければ、誰に気遣う理由も無かった。夫々の女達が良ければそれで良い事であろうし、私が止めさせる理由など何処にも無い、それだけの話でもあった。ただ私は自分の部屋だと言うのに、まるで知らない町で突然車から降ろされ、置いて行かれた感覚に陥っていたのだ。
半分程開いた襖の向うには、敦子と美紀の二人が布団の上で蠢いているのが見える。さっきまで泣いていた美紀の声は、既に女の歓びの声に変わっていた。
別れの宴
美紀を抱いていた敦子が気を使ったのか、部屋から顔を覗かせて私に声をかけた。
「ねぇ、美紀の傍にいて欲しいの、美紀もそうして欲しいって、今夜が最後だもの。明日から別々に離れて行くにしても、せめて今夜は今まで一緒に見た、その時の夢を思い出して三人で過ごしたいのよ。そして明日になったら、今夜の事は忘れて全ては夢にして欲しいの、だからお願い、側に来て隣にいてやって」
男女の世界とは違い女と女の世界は、ある意味ではその性を越えていた。その歓びを女達は目の前で享受していたからだ。だが私にはそれが男女の営みとは別ではない、どこかに哀しみと痛みが伴っている様に思えるのだ。二人の女達を前に混乱している私自身を感じながら、迷路へと向う女達の後姿を見つめていたのだ。
「駄目よ考えないで、感じるものなのよ。叔父様なら私達と同じ様に、感じられると思うわ、さぁ早く」
ソファーに座っていた私を見て、急かすように敦子の声が聴こえた。目の前で戯れる二人の女達と私は、夫々に身体の関係は持っていたのだから、男と女のそれは普通の事であった。ところが別々だった女が一つになると、私の理解はそれを超えていた。寧ろ敦子が言う様に、それを理解しようとすべき事では無いのかも知れない。
私の頭の中では敦子の言う「今夜だけの夢」と言う言葉が、まるで麻薬の様に頭の中で覚醒を始めていたのだ。善も悪も誠実も背徳も、これまで支えていた三人の夫々の想いや憧れも、その全てを一夜の夢にすると言うのだ。
別れを前にした男と女達の宴が、私の中に酷く淫靡で卑猥な想像を想い描かせた。何時の間にか敦子は、着ていた辻か花を模した絞りの和服を壁に架け、美紀が横になっている布団の中に滑り込んでいた。敦子の着ていた緋色の長襦袢の裾が、掛布団の端から少しはみ出し、そのなまめかしさに私は目が眩んだ。
私はセミダブルの布団の上で、横になっている二人の頭の近くに両膝をついて座ると、並んだ二人の唇に次々に軽く唇を重ねた。
「ねぇ、このまま電気を消して、暗くして三人で眠りましょう。そして朝になるまでは、おしゃべりは絶対に無しにしましょうよ。約束を守れるなら・・どうかしら?」
それは如何にも敦子らしい提案であった。
「こんな事、前にも体験したの?」
と、私は敦子に聞いた。
「さぁどうでしょう、ご想像にお任せするわ」
敦子は、はぐらかす様に質問から逃げた。そして、
「私、シャワーを浴びて来るわね」
そう言って緋色の長襦袢を着ていた敦子は、バスルームへと消えて行った。
興奮の波から醒めていたのか、横になっていた美紀は、私に自分の考えを語り始めた。
「私も、それでいいと思う、夢なら私でも見る事は出来るし。それに明日の朝には貴方の事も全てを忘れて、実家に戻る事にするわ。貴方との事は時々思い出す事があったとしても、それも全部が夢だったと思って、切り取って捨てしまうの。きっと辛いけど、私にもそれが出来ると思うから」
考えた末に決めたらしい、美紀の小さな呟く様な声であった。
「じゃあ美紀も、それで良いんだ・・判った、そうしよう。枕元のスタンドの灯りが消えた時からだよ、それで、いいね。でもその前に、まずはアルコールを一杯飲んでからだ」
(心臓が口から出て来そう)と言う表現があるが、この時の私がそうだった。アルコールを体に入れたいと言いながら、私にも覚悟を決める時間が欲しかった。美紀はやっと自分の考えを主張して、自分のこれからを決めたのだ。何も無く静かに朝を迎えられたら、という想いと真逆に、女達が一体どんな反応をするのか、知りたい思いが私の頭の中で交錯していた。
敦子の提案は少し子供じみてもいるが、三人の別れの宴にしては何か相応しい、素敵な体験だとも思える。忘れて欲しいと言う約束は、一方では記憶の奥深い場所に、何時までも仕舞って置いて欲しいと言う、相反した願いでもある筈だ。
私はリビングのテーブルに置いたグラスに、氷も入れずにスコッチを半分程を注いでいた。
「フウッー・・・」
思わず私は、深い溜息をついた。酒を飲まなければ、とても女達には付き合えないと思える。殆どロックしか飲まない私は、珍しくストレートで一口、二口と、グラスに注いだスコッチを煽る様に飲み終えた。
敦子はシャワーを浴びて、既に和室の部屋に戻っていた。私は二人の女が布団の中で横になるその和室に戻ると、部屋の壁に取り付けた室内灯のスイッチを切って灯りを消したのだ。
「敦子さん、美紀もそれで良いって言っている。枕元のスタンドの灯りが消えたら、朝が来るまで一言も言葉を交さないって、約束は守るそうだ」
枕元には行灯型の電気スタンドが、未だ僅かな灯りを放っている。ある種の期待と羞恥心を持ちながら、私はやっと覚悟を決めて枕元のスタンドのスイッチを切った。暗闇の中で身に付けていた羽織とお召と、そして下着も全て脱ぎ捨て、二人が横になる布団の中へと潜り込んだのだ。
真っ暗なそこは、全くの次元の違う世界となった。常識もモラルも無い、まして明りの無い暗闇の世界であり、言葉を使う事も出来ない沈黙の場所であった。言い換えればそこは、頭の中の空想の世界にも似ていたのだ。
今まで幾度も体の間係を持った女が二人、姿は見えないが並んで横になっている。夫々が一人の時には湧かない羞恥心が、二人を前にすると暗闇の中でさえもそれは湧いて来ていた。
そこには何時もとは全く違う、闇と静寂とが待っていた。これから起きるかもしれない、起きるであろう淫靡な期待と好奇心とが、しかもその後に訪れる深い孤独への不安が、私の頭の中をゆっくりと交差していた。微かな音が聞こえても、その理由や意味を知ろうとして、頭の中は冴えてひどく敏感になっているのだ。
敦子は気使う様に布団を抜け出すと、暗闇の中で私を真ん中にする為に、美紀とは反対側の私の横へと移って来た。如何にもそのしぐさが敦子らしいと思えた。狭い布団の上では、両腕が否応無く女達の肌に触れる。何時の間にか女達も、何も身に付けてはいなかった。
二人の女の間に横になった私は、頭の中で「寝られる訳など、ないじゃないか」と思った。鼓動が速くなり血流が烈しく身体を流れて、ひどく熱くなっているのを感じた。両脇に横になっている夫々の女の肌に腰が触れて、女達の体が少し汗ばんでいるのが分った。
しかも自分の手を何処に置いたら良いのかさえ、迷うほどに少し冷たい女達の体温が私の体に伝わって来る。これが何処の誰かも知らない、その場限りの女達とのセックスなら、或いは愉しむ事に徹底して、快楽の世界へ身を置く事も躊躇は無かっただろう。卑猥な冗談を言い合い、何もかも忘れてそれに没頭した筈だ。
だが二人を同時に相手にする様なセックスなど、今までそうした経験は一度も無い。ましてこれもセックスだと言われると、お互いの愛を確認する様な洒落た行為のそれとは、世界を全く別にしている様にも思える。
これは単にゲームなのだ、考える事も悔やむ事も無い、女たちから仕掛けて来たゲームなのだと、この時に私は強く自分に言い聞かせていた。
息を潜めている様な二人の女は、未だ少しも動こうとはしなかった。私を含めた三人の鼓動の音が、益々大きく聴こえている様にも感じる。思い返してみれば此処にいる三人の誰もが、一生を添い遂げる相手として覚悟を決めていた訳ではなかった。愛する想いよりも先に身体が結ばれ、その想いを育てる最中で今に至ったのだと思えるのだが、それさえも自分の思いは横に置いて、相手の様子を窺っていた様に思う。二人の女に挟まれながら、私は如何に今まで適当に時間を過ごして来たのか。一体自分は誰を何を必要としているのか、それを確認する所からやり直さなければと思えたのだ。
暗闇に慣れてきたとは言っても、目を開けても閉じていても、そこは殆ど同じ闇の世界であった。私を含めた三人の息遣いが、周りを伺う様に控えめに聴こえて、部屋の中は未だ張り詰めた空気が三人を包んでいた。姿が見えなくとも声を聞く事がが出来ないとしても、お互いが誰なのかは直ぐに判る近さでもある。だが此処では抱いた相手が誰なのかなど、一体どれ程の意味があると言うのだろう。朝になれば忘れると言うと同じ約束でもある以上、何がこれから始まるとしても、その全ては何も無かった事になる。それを理解して女たちを抱くのは、余りにも空しすぎると思えた。
寧ろ明りの下で互いを見つめながら、有り余る想いを込めた決別の儀式なら、どれ程に良かっただろうかと今になって悔やんだのだ。
自分の気持ちや二人の女達との想い出を、私は暫くの時間でもいいから、記憶の中から繰り寄せて見たいと思った。これまでの女達との出来事が、忘却の彼方へ向かい始めて行く前に、もう一度この胸の中に甦らせ、その温もりを抱きたいとも思った。
女達は生まれたままの姿で隣に横になりながら、私と同じ様に過ぎ去った、愛し合ったひと時を思い起こしている様にも思える。だが私に取っての女達は、まるで深い海の底に横たわる、言葉の通わない人魚の様にさえ思えたのだ。
夢は未来へと繋がる想いもあるが、これから見る夢は、暗闇の中で感じる幻覚そのものだ。しかも三人は、その幻覚を受け止めようと試みているのだ。
美紀が私の腕の中に顔を埋めて来た。敦子は私の手を取ると、自分の胸に誘っている。私は手を伸ばし二人の女達の頭を抱え、その身体を両腕で抱いていた。だがその一方で私は、自分の置かれた世界と離れ、独りの孤独を噛み締めていた。それまでの淫靡な想像が何時の間にか、今度は苦しい程の痛みを伴って私を襲って来ていたからだ。
二人の女との中途半端な絆が、これで切れてしまうと思うと自然に涙が溢れて来た。あの時の過ごした時間は、その沢山の想いは一体なんだったのだろうかと思えた。その悔やむように想いと共に、急に空しさが溢れ出して来たのだ。嗚咽が喉から漏れ出し、慟哭と呼ぶ程の烈しい感情を私は必死で堪えていた。過ぎ去って行った時の軽さに、今更の様に私は強い痛みを覚えたのだ。
美紀と過ごした月日は四年にもなった。そしてそこには沢山の想い出があった。若い美紀は磨けば、更に美しい女になる筈であった。敦子との時間は短かったものの、考えさせられる事や教えられた事は度々あった。まるで憧れる女を手に入れた様な、それは濃厚な時間でもあった。だが今は中途半端に納得の出来ないまま、置き去られた様な、途方に暮れた感覚を感じていたのだ。
隣で小猫の様に大人しくしていた女達は、私の突然の挙動を心配したのか、交互にすりよって来ては唇を重ねて行った。この瞬間が優しければ優しいほど、淫靡であればある程に醒めた時の寂しさは、堪らなく辛い事も私には想像が出来る。何故ならその後に深い孤独が待ち受けている事を、私は幾度も味わっているからだ。
暫くして敦子が美紀の隣に移って行った。そして二人は暗闇の中で折り重なる様に、一つになっている様に思える。美紀のそして敦子の恍惚とした息遣いと、快楽にあえぐ声が何時終るとも知れずに聴こえていたからだ。
雨の駅前で幾つもの開いた傘の流れの中に、敦子の姿を探し当てた、あの時の喜びが思い浮かぶ。踏み切りで立ち止まる敦子に、いきなり声を掛けた時の驚いた嬉しそうな顔は、昨日の様に鮮明な記憶が頭の中に残っている。
初めて銀座で靴を買い求めた時の、未だあどけなさの残る嬉しそうな美紀のそして、あの時の戸惑う様な、そして嬉しそうな笑顔を私は忘れないだろう。思い返せば記憶の中に残る美しい想い出の数々は、肌を重ねた時の事では無かった。全ては日常の、何気ない出来事の中にあった様に思えるのだ。
そうした過ぎた日々の想い出を手元に手繰り寄せて、何時の間にか時間の感覚が無くなった私は、随分と眠られない時が過ぎて行った様にも思えた。
敦子に責められ続けた事で疲れ果てたのか、美紀の軽い吐息が直ぐ隣から、規則正しく聴こえていた。どんな風に暗闇の中で二人の女が交わっていたのか、様々な物音でその様子を窺い知ることは出来た。微かな布団の擦れる動きや女達の息遣は、視覚を閉ざされた想像の世界の出来事だが、それが男と女の行為と違っていたのは、飽きない程の長い時間の掛け方であった。
それに女達のどちらもがが暫く前に、私が抱いた女でもあっただからだ。しかも二人の女はつい今しがたまで、私の隣で歓びを隠す事も無く、それに没頭していた。姿は見えないとは言え、私の想像をも遥かに超えていたのだ。そして長い女同士の営みの後で、敦子が未だ起きていたと知ったのは、追憶の世界に彷徨っていた私を呼び戻すかの様に、その細い指先が私の指を握って来たからだ。それは忘れる為に最後の時間を、私の為に使って欲しいと、そう語っている様に私には思えた。
私は敦子がそれを望んでいる様に思え、頭の中から美紀の姿を消し去る事にした。手を伸ばして敦子の細くしなやかな身体を抱いた。体を抱きしめた後にその頬に触れた時、そこは酷く濡れていた。声を出さない様に耐えながら、独りで泣いていたのだと思えた。何時も薄明かりの下で見慣れてはいるが、敦子の胸は美紀の半分位の大きさである。まるで少女の様なその膨らみは、緩む事も無く突き上げる様に上に向って張り出ている。その先端にある小さな野イチゴの様な乳首に唇を押し当て、私は舌の先で僅かにそこに触れた。
それは産まれたての赤ん坊の頬に触れた時の様に、壊れ物にでも触れる位の愛しさと優しさ満ちていた。私は少しの刺激を与えようと、今度は少し強く、そして徐々に激しく、乳首を唇に挟むようにして軽くそれを噛んだ。敦子は待ちわびた様に私を抱きしめ、歓びの声を洩らし始めていた。言葉は禁じる約束だが、溜息の様に洩れるその声は、心と体の変化を私に包み隠さず伝えていた。
それは余りにも突然に、空しさと行き場の無い哀しさが私を襲って来た。衝動的ではあったが、私は敦子の乳房を吸うだけではなく、ますますその力を強め、歯形の痕が残るほどに左の乳房を噛んだのだ。
敦子は痛みに低く叫ぶ様な声を上げると、両腕を廻して私の腕や肩を更に強く抱きしめた。その乳房に残したであろう痕跡は、敦子に贈った私の想いの全てを込めた印だった。強い哀しさと深い愛おしさの入り混じり合ったものだ。私は何時までも消えない傷跡を、その体に刻んで置きたいと思ったからだ。そしてもし敦子が私と同じ想いなら、ひと時でも愛してくれたであろうその印しを、私の身体にも付けて欲しいと願っていた。
敦子のそのしなやかな細い指先は、痛みを私に分け与えるかの様に、私の背中に強く爪を立てていた。
まだ敦子の呻く様な声が、苦悶に耐えている様に喉の奥から漏れている。それでも私と敦子は、するが儘、されるが儘に体を互いに預け合い、増して来る快感と薄れてゆく痛みの境で喘いでいた。それから体の向きを変えた私は、下になった敦子の下腹部の茂みに唇を這わせた。まるで獲物を探す様に舌先で扉を押し開け、隠れていた敦子の芯を舌先で捉えたのだ。
僅かにそこを触れただけで、寒気が走った様に敦子の身体はた震えた。しかも呻くような叫ぶ様な恍惚とした声が、喉の奥から狂ったかと思う程に強く発したのだ。私は溢れる蜜を求めて、更にこじ開ける様にして敦子の中へと舌先を入れた。滲みだした蜜は敦子の匂いと共に、まるで樹液の様にそれは私の舌に絡みついて来たのだ。
男に取って或いは女にとっても、極めて現実的な避妊の事なのだが、敦子の体に初めて触れた時の事を私は思い出していた。敦子は自分の体が妊娠する危険の無い時は、自らの体の中に欲しがる女だ。ところが美紀はピルを飲んで生理を遅らせるでも無く、安心する為に何時も私が避妊具を付けていた。だからある意味で敦子は、男が望む自然な行為を受け入れてくれる女でもあった。
暫くの間、敦子と歓びを分かち合っていた私に、今度は敦子の方が積極的に求め始めて来た。何時の間にか敦子は私の上に跨り、自分の中へ私を導いて男の部分をそこに吞み込んだのだ。しかも自分の体重を私に掛けない様に思ったのか、私の曲げて拡げた両膝に手を添えて起き上がると、敦子は上下にゆっくりと自らの意思で腰を動かし始めたていた。やがて動きは徐々に早くなり、しかも時折は前後へと変わり、如何にも行為を愉む様にそれを繰り返していた。そうして敦子の恍惚とした叫ぶような声が、淫靡な漆黒の世界を妖しく漂っていたのだ。
私と敦子は、高まる気持ちを幾度もやり過ごした。繋がったままの形で私は真っ直ぐに足を伸ばし、敦子を後ろ向きにさせた後で二人はそのまま横になった。身体を敦子の背中に密着させると、右足を大きく上に広げさせ、腰から手を伸ばして女のその部分を指で触れた。指先を差し込む度に敦子の恍惚とした声と蜜は溢れ出し、犬が水を飲むような音と共に、敦子の身体はうねる様に大きく揺れ動いていたのだ。
隣で横になっている美紀は若い頃に、こんな姿で自慰をしていたのかもしれない、私は気持ちを逸らせる為に勝手な想像を思い浮かべていた。そして不意に思いついた様に私は、女が最も感じると言う芯の部分を、美紀の時と同じ様に指で軽く触れると、小刻みに震わせてみたのだ。敦子の艶めいた歓びの叫びが、私の指の動きに合わせる様に喉から毀れ落ちていた。狂った様に快楽の海に泳ぐ敦子の、荒い息使いや呻き声と共に、畳と素足の擦れる音が重なり、暗闇の世界は更に卑猥さと淫靡な官能とに支配され続けていたのだ。
私達は交わる行為が飽きない様に、幾つも形を変えて快楽の頂きへと登りつめていた。時には焦らす様にゆっくりと動き、一つに繋がっている事を愉しんだ。時には敦子の上げた声に反応して、激しい動きを加えたりもした。敦子はその度に細い身体を震わせ、荒い息遣いと叫びにも似た声は、呻く様な声に変わっていったのだ。
何時の間にか隣に横になっていた美紀が、暗闇の中で向かい合って私と交わる敦子の後ろに回り、その身体を抱くようにして支え、敦子の唇を求めている様に思えた。私は敦子から身体を離すと、押す様にしてその体を
美紀に渡したのだ。思った通りに女達は、向かい合う様にして抱き合っていた。
その絡み合って横になった肉の固まりの上から、私は覆い被さる様に下になった女のそこへと、私を深く突き刺した。その体が美紀なのか敦子なのか、そんな事はもうどうでも良いとさえ思えた。ただ長い髪か私の腕の中にあった事で、美紀は敦子の上に乗り、交互に向かい合ってそれを吸っていた様に思えた。
それが突然に身体の中に侵入して来た事で、美紀は驚いた様に「アッ」っと声をあげ、抱いていた敦子を放したのだ。そうして美紀はそのまま腰を持ち上げる様にして、私を更に深く飲み込もうとしたのだ。敦子は美紀の下から抜け出すと、少し離れてしまった様である。
私はそのままの姿勢で下になった美紀の後ろから、豊かな乳房に手のひらで触れてみた。大きなそれは手から毀れ落ちそうな程に、熟しているとさえ思えた。だが私は直ぐに、その美紀の身体から手や体を離した。触れた事にさえ悔やむような気持ちが生まれ、急激に醒めてゆく美紀への想いが湧いて来たからだ。
もうそこには、優しさや愛おしさは消えていた。まるで昨日まで可愛がっていた猫に、強く爪をたてられた様な、少しの憎しみにも似た哀しみに襲われたからだった。或いは敦子に魂を奪われた事への、それは男の嫉妬であったのかも知れない。
そうして私達三人は、深い暗闇の底で絡み合いなから、最後の別れの時を待っていた。敦子は美紀を下にして体を抱いていた。その抱き合う二人の女達の後で、私と敦子は一点で繋がっていたのだ。私の動く間合いが早まるにつれて、敦子の声は徐々に叫び声へと変っていった。その声に導かれたのか、下になっていた美紀は指を自分のそこへと当てて、更に動きを早めて行く。既に我慢も限界に来ていた私は、最後の力を振り絞る様に敦子の中に声を上げて果てたのだ。
それは卵を産み終えたメスの魚の傍らで、身を震わて精子を放出するオスの魚の様でもあった。そしてそれに併せる様に敦子と美紀も、悲鳴の様な叫び声を上げて動かなくなったのだ。
敦子は私の腕の中で、まるで思い出した様に暫くの間、ひくひくと小さく痙攣を繰り返していた。私が敦子の身体を離すと、二人の女達は崩れる様にして私の下で横になった。
少しの灯りがあれば、部屋の中の三人の姿は余りにも卑猥で、人によっては嫌悪感さえも伴いながら、或いは酷く欲情を誘う姿でもあっただろう。恐らく三匹の蛇が身体を絡ませて交尾している、いや交尾などと言う子を創る目的すらも無い、同じ場所で三人が行なった、空しさを伴った自慰そのものだったと思えるからだ。
それは全ては暗闇の中の、強いて言えば頭の中だけで行なった、言葉と視覚を閉ざした感覚だけの交わりだった。もしも三人の行為を明りの下で覗けるとしたら、そこで交されたものは空しさの中で試みた、夫々が愛する想いを捨て去る為の宴であった様に思う。
闇の中では何も見えずに言葉も無かった。ただ耳に届く声は言葉では無く、叫びに似た呻きでもあった。痺れるような恍惚とした瞬間が一瞬に消え去って、まるで波に流されて行く、砂山の様な哀しさがそこにはあった。
強い疲労感が身体の隅々から、まるでうねりの様に押寄せて来るのが判る。薄らいでゆく感覚の中で、一体自分は何に触れたのかと、思い出そうとしているもう一人の自分がそこにいた。ゆっくりと暗闇の底に沈んで行くゆらいだ私の頭の中には、見てもいない敦子の涙に濡れた頬の記憶だけが、まるで消し忘れた残像の様に残されていた。
翌朝、ベッドの上で目覚めた時、瞬間に私は酷くみだらな夢を見たと思った。何故なら実際に起きた出来事なのか、或いは本当に夢の中の出来事なのか、その判別が直ぐには付かなかったからだ。気か付くと、泥の様な深い眠りから覚めた自分がいた。パジャマを着ていたし、それに下着も着けていた。しかも何故か酷く頭が重く、体も疲れていた。僅かな記憶が残っているのは、随分と酒を飲んだ事と、女達が私に口移しでスコッチを飲ませた事であった。
既に美紀と敦子の女達の姿はそこに無く、時計の針は昼近くを指して、何時もの静かな休日の昼前であった。よろけるようにベットから起きて和室の襖を開けて見たが、押入れには綺麗に布団も畳まれ、記憶の中に残る昨夜の世界は、名残さえ何も残されてはいなかった。リビングのテーブルの上には、空になったスコッチのロイヤルサルートが、ネルの袋に入って、ぽつんとそこに置かれていただけであった。
追憶に遊ぶ
一月の末であった。勤めている会社の社員旅行を明日に控え、誰もが仕事も手に付かないほどに落ち着きがなかった。社内の仲間や仕事の関係者と共に、ハワイに行く事は既に二年前から決めていた。旅費などの費用は全額を会社が負担し、社員の家族は一人だけ半額を会社が負担することで、社員の誰もがその日を楽しみにしていたのだ。
会社を設立して三年目の記念行事で、業績は順調に伸ばしていた事もあった。当然の様にその日が近づくにつれて、誰もが語る話は旅行の話になる。役員の私にしてもそれは感慨深いものでもあった。
その出発の日の昼前には、成田空港から来た送迎のリムジンバスが、会社が入るビルの入り口に横付けされていた。既に一年余り前の暮れに、私は美紀と同じハワイのホノルルに旅をしていたから、旅行そのものは余り興味を持つ程では無かった。だが今回の旅行は私に取って、誰にも言えない極めて個人的な、そして密かな企みがあったのだ。遠い昔に別れた恋人の、その後の消息を尋ねる事であった。
勿論、消息を知ったからと言って、何か行動に移すなど考えてもいなかったし、それをしてしまえば美しく残る思い出は、途端に泥まみれの結果を招く事は必至であった。
四泊六日のスケジュールで、旅行会社からもツアーコンダクターが同行してくれる。旅は殆ど旅行会社任せの社員旅行であった。しかし成田から飛び立つ飛行機に乗り込んだ時から、まるで私は不審者の様に、入り口に立っている客室乗務員の姿を目で追っていたのだ。
それが偶然でなければ在り得ないと知りながら、それでも或いは、もしかしたらと心の何処かで思いながら、出会ったとしたら何と言えばいいのかとさえ考え、その言葉に迷っていたのだ。
飛行機が水平飛行に移り、シートベルト着用のサインが消えてから、私は見学をと称して機内を一回りした。そしてやはり目指す人が居ないことを私は確認した。直ぐに機内食が配られ、早い夕食の後で興味の無い映画が、小さなスクリーンに映し出されていた。やがて機内の灯りが消され何処か安心した様に、私は十数年も前の恋人の事を思い起こし目を閉じたのだ。
ホノルルでの団体の旅は、着いたその夜にウエルカムディナーをホテルで開いたが、偶々誕生日だと言う社員の娘が、参加した全ての社員から祝福された。何かお祝いにと考えた社員の一人からの提案で袋が廻され、そこに自由にお金を入れて渡す事にした。ドル札でも円でも構わない、ハワイの祝いの姿であると言うのだ。
ホテルの滞在中は朝夕の食事が自由で、昼間は夫々の自由行動であった。日帰りで隣の島に行く者、買い物に出かける者や、海に行く者からドライブする者など、夫々が思い思いの南の島の休日を楽しんだのである。
だが私の心の中では、あの夜に二人の女との間に起きた出来事が、火傷の後のようにヒリヒリと痛みを伴い、心の中は醜く爛れた傷跡となって残っていた。美紀はあの日から実家へと戻り、幕張のマンションには帰っては来なかった。一週間ほどが過ぎた私の留守の日に、自分の荷物を持ち出し実家へと運んだのか、美紀の物は全て消えていた。そして後で郵便受けには美紀から、部屋の鍵を入れた短い手紙か届いていたのだ。
手紙にはこれまでの侘びと、お礼の言葉が書いてあったが、美紀には珍しく感情的な言葉は殆ど使われてはなかった。そんな事からこのハワイに来る前に、私は取りあえず美紀の家に挨拶に向かう為の、その段取りを付けたのだ。仲人となる筈の友人へと、詫びの電話を入れて美紀の家に向う為の、そのスケジュールを決めたのである。
そして敦子の方は、あの日以来、逢ってもいなければ電話すらも掛けてはいなかった。
観光客の行き交うワイキキの街は、今の私にはまるで場違い場所の様にも思えた。仕事の延長ではあるにしても、記憶の中に残された一人の女性の、その後を知る機会は、帰りの機内だけでしか残されてはいない。私の気持ちは酷く沈んだ旅になっていたが、その事だけが少しの救いでもあり、僅かな期待に支えられてもいたからだだ。
とは言え今はそれさえも、運を期待する以外には無かった。果たして彼女と会えるのか、その後を知る事が出来るのか、それさえも定かではなかったからだ。
そしてワイキキの浜辺から少し離れた公園の木陰で、私は一人で数日の時間を潰す事にしたのだ。ホノルルに着いた翌日の夕刻、思い立った様に私は敦子に電話する事にした。東京との時差は十九時間で、日本では前日の昼前の時間である。九州の故郷に帰ってしまう前に、もう一度敦子と逢いたいと思ったのだ。このまま二度と逢えないとなれば、本当に耐えられないと思ったからだ。
私は日本が丁度昼休みになる時間の直前に、敢えて敦子の会社に電話を掛けたのである。こんな時に日本語の通じるハワイは、ありがたいと思った。今なら国際電話の番号と、国別番号を掛けて、市街局番から会社の番号に掛ければ繋がるが、当事は部屋からフロントに電話をし、日本の電話番号を伝えるのである。
暫くの呼び出し音の後で、敦子の勤める会社の受付の女性が電話口に出た。
「何時もお世話になります。榊原敦子の父ですが、お仕事中で申し訳ないのですが、娘は電話口に出る事が出来ますでしょうか?」
私は一度使った手で、敦子に連絡した。
「はい、あぁ、敦子です。びっくりしたわ。元気ですか?」
暫くして受話器の向うからは、驚いた様な敦子の声が聴こえた。
「残念だけど、あの日以来、余り元気は無いよ。今はホノルルに来ている、会社の旅行でね。それより故郷へ帰る前に、一度逢ってくれないかな。逢うのはもしかしたら、最後かも知れないとは思ってはいるのだが・・」
「えゝ、考えてみますけど、美紀の方はどう?」
心に傷を付けたかも知れない、と敦子は思った様だった。
「あれから実家に戻ってしまってね、全く顔を合わせてはいないよ。一度僕が留守の時に荷物を取りに戻ったみたいだ。それに先日は、マンションの鍵が送られて来たよ、僕の方は完全に一人暮らしに戻った」
「そうなの、何か私、とても悪い事をしたみたいな感じがする」
「そんな事はないさ、来るべき時が来たと言う事だ。寧ろ美紀も僕の方も、助かったとさえ思っているよ。少し後で、仲人と一緒にお詫びに伺う事になるが。まぁ、大人の世界は面倒な事ばかりだが、何があっても乗り越えて行かなきゃぁね」
「えゝ、そうだわね」
「じゃぁ、連絡を待っているよ。来てくれるのか、電話をくれるのか分らないが、とにかく待っているよ」
「電話を有難う御座いました。それじゃあ」
「おう、じゃあ」
ハワイを離れる日の朝早く、ホテルの外は未だ暗い時間であった。会社の仲間たちと共に帰国する為に、私はホノルル空港から成田へと向った。極めて個人的な目的でもある遠い昔の恋人の、その後の消息を知る事が私の残された大事な目的でもあった。定刻どおりに出発した飛行機だったが、やはり目的の人は機内に見当たらなかった。
水平飛行に移りシートベルトのランプが消え、直ぐに朝食の機内食が出された。少しざわついている雰囲気の中で、私は話を聞いて呉れそうな、どちらかと言えば若い乗務員を探していた。食事の片付けが終って乗務員が新聞や雑誌、更にヘッドフォンを渡しに客室内を回り始めた頃であった。
私は未だ若い、入社して間もない様な乗務員を探し、座席を離れてギャレーと呼ぶ準備室の横で声を掛けたのである。
「申し訳ないのですが、少し話しを聞いていただけますか?実は以前に太平洋線に乗った時でしたが、とは言っても大分古い時の話で恐縮なのですが、井上陽子さんと言う客室乗務員さんに、その節は大変お世話になった事がありましてね。こう言っては失礼かと思いますが、今は御歳も三十も後半位になる方だったと思います。今日はホノルルへ行っての帰りですが、御顔を見たらお礼を言いたいと思っていたのですが、生憎とこの機には乗務していない様で。今も元気でお過ごしなのか、ご存知でしたらそれだけでも、お教え願えないかと思いまして・・・」
「そうなのですか、お探しの井上は私には大が付く程の先輩でして、未だ退社する事も無く乗務していますよ。ただ確か五年程前に、お身体を悪くして一年程療養しておりました。ですが今は復職されて、元気にしております」
「そうですか、それは良かった。当事は独身でしたが、お名前は変わられてはいないのですか?」
「えゝ、御結婚はされてはいないはずです」
私は陽子が既に結婚して、幸福な家庭を築いているものだと思っていた。それが未だに独身でいたとは、想像さえもしていなかった事だった。それにしても一年程を療養していたというが、どんな病気だったのか・・・私は又心配の種が増えた気がした。出来るなら結婚して、ご家庭に入られました、という言葉を私は聞きたいと願っていたのだ。
「何か他には・・・」
彼女は笑顔で私に聞いた。
「言え、あゝ一つだけお願いがあります。私の名刺の裏にメッセージを書きますので、会社の陽子さんのメールボックスに、それを入れて頂けませんか?」
「それは構いませんが」
夫々の乗務員には、書類やメッセージを入れるボックスが、社内にあると聞いていた。戻れば必ず開いて見る事が決められていた。私は急いで名刺の裏に、一言だけメッセージを書いた。
(僕も息子も、あれからずっと元気にしています。貴女も元気でご活躍のご様子、くれぐれもお体をご自愛下さい。ホノルルから成田への機内にて、7719より)
そして私は、その乗務員に名刺を託した。勤め先や電話番号も記されてはいるが、そんな事はどうでも良かった。今更彼女が電話を私にして来るなど、有り得ない事だからだ。
この時の私の想いは、あの遥か十四年前へと飛んでいた陽に思う。名刺の裏に書いた想いは、今もどこかで暮らす陽子に送ったメッセージでは無い。十四年前に私や息子の前から去って行った、あの時の陽子へと届けたものだ。
もしも私のメッセージが陽子目に触れたとしたら、十四年も前の陽子の気持ちで、読んで貰いたいと私は願ったのだ。7719の番号は、あの頃に大学生だった陽子の学生証の番号であり、十四年前に同棲していた陽子が作ってくれた、そして私が今も使っている預金口座の暗証番号でもあった
その名刺を渡した後で席に戻った私は、フライトで飛び始めた陽子を、寒い朝に車で羽田まで送り届けた日の事を思い出した。それは本当に酷く寒い、北風の吹くみぞれ混じりの雨の降る早朝の事で、デッキで見送ってやると言っていた手前、私はそのまま帰る訳にも行かなかった。
ところが雨は何時の間にか、送迎デッキの床を叩きつける程に強くなっていた。余りの寒さに見送る人影は全く無くて、私は見送りを止めて家に戻って来たのだ。その私が家に戻った直ぐ後に、陽子も乗務がキャンセルになったと戻って来たのだ。霰が雹(ひょう)に変わり、フライトが延期になったと言うのである。
「実は僕もあの時、余りの寒さにデッキで見送るのを止めたんだ」と、正直に陽子に言った事があった。
「やっぱりねぇ」
陽子は笑って、許して呉れた事があった。他愛の無い話である。
別離
仲人を頼んでいだ友人の石田と共に、農業を営む美紀の実家を私が訪ねたのは、まだ春の訪れには暫くかかりそうな寒い二月も末の事であった。
古くて広い昔ながらの農家の部屋に通された私は、あの時の様に美紀の両親に詫びる事になった。美紀は席を外していて、その姿を私に見せる事は無かった。
「この度は私が至らないばっかりに、美紀さんから結婚の辞退の話を頂きました。この様な結果に至りました事は、一重に私の不甲斐無さが原因かと、ご両親のお二人には大変申し訳なく、お詫びする次第で誠に申し訳ございませんでした」
私は美紀の親に手を付いて詫びた。
「わざわざ御丁寧にご挨拶を戴き、親としては娘の勝手な都合で、却って申し訳なく思っております。結婚したらこの近くに、家を建ててやろうかとも思っていたのですがね、残念です」
父親との大人の挨拶の後で、美紀の母親はポツリと私に言った。
「でもねぇ、娘は貴方のお陰で、傷物にされてしまったわ」
それは親として精一杯の、私への皮肉であった。私は黙っていた。今更何を語っても、不愉快な気分になるだけだからだ。そしてこの日から私は、美紀との縁が切れたのである。美紀からの連絡は一切無く、私の前に二度と姿を見せる事は無かった。
三月になって少し暖かくなって来たと思う日が続いた頃、突然に敦子から電話が来た。
「ご無沙汰しています。元気ですか?」
やっと東京での暮らしに整理が付いたのか、何かさっぱりとした言い方であった。
「何とか、やっているよ。先日には美紀の実家に出かけてね、婚約を白紙にして貰う挨拶をして来た所だ」
「そう、美紀ともお別れしたのね」
「あゝ、完全に別れたよ」
「実は私も、明後日に故郷に帰るの。朝十時の博多行きの新幹線で、だから荷物は全て明日には送ってしまうの。全部手配は済んだわ。それで明日の夜に、お部屋に泊めて貰える?」
まるで友達にでも言う様な、たのみ方でった。
「そうか・・やはり行ってしまうのか・・・泊まるのは構わないが・・」
「構わないが・・何?」
「いや、寂しいなぁって思っただけだよ。もう逢うのは、これが最後なるんだよね」
「えゝ、明日はお仕事でしょう?」
「早く帰る様にするさ、夜の八時頃には部屋に戻っているよ」
「それじゃぁ、八時過ぎにマンションの方に伺いますから」
「あゝ、待っている。じゃあ」
男女の情を交した後に憧れに似た想いを持つ様になった女と、二度と逢えなくなる最後の日の夜は、一体何を話したら良いのか私には分らなかった。ただ故郷に帰ると云うその前日、私は殆ど仕事が手に付かずに一日を過ごしたのだ。
仕事を少し早く切り上げた私は、駅の近くのスーパーへ買い物に寄った。敦子に何か手料理を食べさせたいと思ったのだ。赤ワインと牛のブロック、そしてオリーブの葉と玉ねぎと、後は冷蔵庫に残っていた筈である。戻ると早速、大きくカットした肉をフライパンで表面を焼き、そして圧力釜で煮込み始めた。シチュウーを作ろうと思ったのだ。
そして料理の仕度をしていた時に、敦子が大きなスーツケースを持って訪ねて来たのである。私は玄関に出迎えた。外は雨が降り始めたのか、スーツケースに付いた細かい雫を、敦子はハンカチを出して拭いた。
「いらっしゃい、元気そうだね、どうぞ上がって。外は雨が降り始めた様だけど?」
「ご無沙汰しています。駅を降りたら細かい雨が降り始めたわ、それに急に寒くなって来たみたい」
敦子は寒そうにして、今度はコートにかかった小さな雫を拭き取ると、玄関にスーツケースを置いてリビングの戸を開けた。
「こんな日の雨の事を、氷雨と言うのだろね、明日の朝は雪にならなければ良いのだけど。それに丁度今、料理を作り始めた所だ。シチュウーを作って食べさせようかと思ってね、僕の手料理さ」
「ねぇ初めてよね、貴方が手料理を作ってくださるなんて」
「そうかも知れない。ほら、敦子の部屋に初めて行った時、あの時にハンバーグを作ってくれただろう。そのお返しさ」
敦子はキッチンに入ると、後ろから私の包丁裁きを見て感心した様に言った。
「凄い、本格的なのねぇ、私、負けそうだわ」
「男の作る料理は、何でも豪快でね。けれど何故かその反面、どこかに拘りがあるみたいだ。母親の味を想い起こしている所為かも知れないな。煮込む料理だから、少し時間が掛かるが良いだろう? 小腹が空いているなら、何か軽い物を作るけど」
「大丈夫よ」
敦子はそう言って軽く首を振った。
缶詰のアスパラを取り出し、野菜でサラダを作り皿に盛り付け、ラップをかぶせて冷蔵庫に入れた。後は買ってきた焼き立てのパンを温め、煮込んだシチュウーが出来れば夕食は出来上がる。私は圧力鍋で煮込んだ肉を取り出し、保温付きの真空調理鍋に移した。蓋をして一時間もすれば出来上がる筈である。
そこまで用意して、私は敦子の座るリビングのソファーに座った。待ちかねた様に敦子はキッチンに入り、コーヒーを入れてくれていた。仕事から部屋に戻った時に、FMの映画音楽番組に合わせて料理に専念していた為か、スピーカーから流れて来る曲が、コーヒーの香りを一層引き立ててくれていた。
だが明日は北九州に帰る敦子を前にして、私は何も言葉が出なかった。恐らく敦子も、私と同じ想いだったのかも知れない。静かで穏やかな時間が、別れを前にした二人を包んでいた。或いは二人の間には、既に言葉などは要らないのかも知れない。
静かな部屋の中で、私は目の前の敦子の姿を目に焼き付けたいと思った。少し特異なその顔立ちは、寧ろ西洋的な神秘さがある。髪も短くカットして特徴は無いが、今更の様に少し首が長いと思った。
そうした私の目線を避けるように、敦子は冷たく私に言い放った。
「駄目よ、お願いだから私を見ないで。私の事は忘れて欲しいのよ。最後に来たのは、その事を伝えに来たのだから」
「何で愛した女を、僕は忘れなきゃぁいけない?」
「私が忘れて欲しいと願っているからよ」
敦子の言っている意味が、私には素直に呑み込めなかった。何故に忘れる事が求められるのか、その理由が理解出来なかったからだ。幾らそれを望んでいるからと言われても、私には敦子のその真意を察する事が出来なかった。敦子はまるで人が変わった様に、私の前で静かに話し始めたのだ。
「私、思うのですけど、愛するって言う事は、きっと掛け替えの無い相手の事を、思い遣る事ではないかしら。そして思い遣ると言う事は、単に頭の中で考えたり思い浮かべたりするのでは無くて、具体的に何か相手が求めている事に、応えてあげる事では無いのかしら。勿論何もして欲しくないと言う事も、求めている事に入るとは思いますけど。それが相手の望んでいる事なら尚更の事で、相手に知られる事がないとしても、それも又思い遣ると言う事だろうと私は思うの。
私は愛の姿をそんな風に捉えていますから、今まで一度も愛しているって言う言葉を、文字に書いた事もなければ相手に伝えた事も無いわ。でも、だからと言って愛した事や、愛する気持ちが無いなんて思わないで。
その言葉を使わなければ想いが届かないのなら、もしも相手がその想いを理解出来ないのなら、それは私の想う気持ちが弱いか、少ないからじゃあないかって、そう思う事にしているの。だから人を愛する事が、その人の事を一番に考える事だとするなら、相手の前から私が去って行く事だと思うの。
私は別に信仰を持っている訳ではないけど、神様の愛は神様を信じない人にも届けられるわ。それに神様は私の愛を信じろとか、そんな事は決して求めてもいないわ、相手を想う事なのだから、相手に求める事ではないのよ。
それに愛する時って今もお話したけど、辛くて哀しい目にも遭う事もあるわ。その想いに相手が気付いてくれない事も、きっとその一つなのよね。だから言えるのだと思うのですけど女の愛って、それが報われようと報われまいと、相手が気付いても着付かなくても、ずっと与え続けられるものなのよ。
愛って掛け替えのない相手に対して、思い遣る事だって言ったけど、もしかしたら愛する想いを持ち続ける、掛け替えの無い自分に向けた想いなのかも知れないわね」
敦子はそう言って、コーヒーを一口だけ口に運んだ。そして又私に語り始めたのだ。
「何時だったか貴方から、産まれた頃のお話し聞いた事がありましたけど、貴方のお母様は、貴方がお腹の中にいる時、お父様が浮気して離婚したと言っていたでしょう?何故お母様は浮気したお父様の、子供である貴方を産んだのかしら。その貴方を何故、ずっと大切に育てたのかしら」
私は何も考えずに、思わず推測した事を伝えた。
「それは僕と言う子供が出来た後で、浮気の事実を知ったからじゃないのかな?」
「それは男性の考えだわ。お母様のお腹の中に貴方が出来たと知った時、産もうと決心した時、そして貴方を産み落としたその事が、お母様自身の支えになったのだと私は思うの。言い方を換えれは、生きがいっと言う意味でも良いわ。女は我が子を産み落とす事で、それがどんな相手の子供だとしても、自分の支えとして育てる事が出来るものなの。だから女の愛は産む事だと思うし、育てる事だと私は思っているの。子供を生む心算の無い女性は別にしても、男の人は女が子供を産む為の、単に一つの切掛けにしか過ぎないもの」
敦子が突然に発した言葉に、私は酷くうろたえた。
「えっ、今何だって言った?、男は一つの切掛けにしか過ぎないって?」
そうした考えを持つ敦子に私は驚き、呆れた様にその顔を見つめていた。
「そうよ、女は、少なくとも私は、何時も支えになる、なって呉れる相手を求めているわ。貴方の最初の奥さんも、その支えを取上げられたから、それを拒否したからお別れしたのだと私は思うの。
初めて貴方が愛した方も、そう思われたのじゃぁなかったかしら。子供は決して愛して欲しいなんて言わないわ、言われなくても女は、母親はその身を削ってでも我が子の事を想うものなの。その支えがなくなれば、女は離れて行くものなのよ」
女性の視点から見れば、確かに多くの女達はそんな生き方をしている様にも思える。未だ憧れを失った訳では無いが、私が少しの尊敬と憧れを抱いた敦子を、失い掛けている事は確かだった。しかし敦子の言った言葉は、深く私を考えさせていた。
男にとっての支えなどと言うのは、かなりの時間と共に、濃密な間係を必要とするものだと思う。しかし女が言うその支えとは、その存在が精神的で絶対的な相手でもあった。理屈では無く子を産むという根源的な、女が雌である事の理由でもあると言うのだ。
その反面、私は今までに愛した女達の、支えになった事があったのだろうか、私は自問自答を繰り返していた。そして気が付いた事は、私の生涯に於いて一番私を愛してくれた女が、実は母であった事を思った。それは雌が雄を選択する、我が子を宿す為の愛では無いが、私が母の中に存在していたと言うそれだけで、母には掛け替えのない絶対な支えであったのだ。
これまで私が愛したと思っていた女達から見れば、自分の支えと言う程に、相手の女の中に私が生きたとは言えるのか、思い返せば至って曖昧だった事に気かついたのだ。
敦子が以前この部屋に来た時に言った、叔父様は美紀を愛しているのですかと問われた私は、敦子の話を聞いた後で傷だらけのその心を癒す様に、腕の中に包んだ事を思い出した。あの時の気持ちは、自分のものにする様な思惑は全く無かった。ただ傷ついた子犬を抱きしめ、傷に薬を付けて包帯を巻いる時の様な、単純で純粋な気持ちだった。
その敦子が私を一番に考えてくれていた事を、この時にやっと初めて理解したのだ。私は敦子の本当の想いを知り、今になってようやくそれを受け取ったのだ。
それにもう一つ、どうしても敦子に聞きたいと思っていた事があった。あの三人で過ごした夜に、敦子か美紀の耳許で囁いた言葉の後で、まるで催眠術にでも掛けられたかの様に、敦子の女を美紀が受け入れた事であった。
「ねぇあの時、つまり三人で過ごした夜だけど、敦子は美紀に何て言ったのかな」
「忘れたわ、夢の中の事なんて。でも何時でしたか一度、美紀に話した事があったわ。私は女の人も喜ばせる事が出来るのよ、って」
「えゝ?・・同性を敦子さんは愛せるの?」
私は敦子の言葉に、思わず驚いて聞き直した。
「同性でも愛する対象になるそれって、そんなにも不思議な事ですの?同じ人間よ」
敦子の言葉に、私は慌てて弁解がましく解釈を加えて伝えた。
「そんな事は無いが、初めて自分から言う様な、そうした女性に出会ったから少し驚いただけだけどね」
性別と言う事には余り関心を持つ事も無く、寧ろセックスの対象にのみに関心を持っていた自分を、若い敦子から暴かれた様な気がした。
「あら女だって抱かれた相手の男の方から、しかも後から「実は俺、同性と愛しあう事も出来るよ」などと突然に言われたら、逃げ出したくなる筈ですわ。でもそれを理解した上で同性を愛せるかの話ですけど、愛せると言う意味が、もし触れる事だと言うなら、高校生の時に私はそれを理解していたわよ。
私の父と母が別居しているのは、結婚していた訳でないので、離婚したと言う訳でもありませんけど、ただ母は私を連れ、それまで住んでいた家を引き払って、母の女のお友達の所にお世話になった事があったの。その母のお友達は、一軒家に独り暮らしでしたから。でも一年程が過ぎた頃に、私は母が世話になっているお友達の方と、愛し合っている所を、つまり触れ合っている処を見てしまったの」
「女性が女性を、愛し合っていたと言うことだよね」
「えゝ、その時は驚いたわ。後から私達が世話になっている母の、そのお友達の方から伺ったのですけど、その方は若い頃にお母様を亡くされ、実のお父様から無理やりに犯され、ずっと耐えて大人になったそうです。それ以来、男性を愛する事が出来なくなったと、母のお友達の方からお話を伺いました」
私は乾いた喉に、ロックのスコッチを口に含んだ。敦子は更に言葉を続けた。
「女が女を愛する原因は、殆どが男の方の我儘からよ。暴力や無関心からなの。私が高校生の頃には、女が女を愛するって意味を理解していたの。だから私は少しもその事を、いけない事だとか悪い事だなんて思っていないわ。もしそれが悪い事だと言うのなら、女性をそうした世界に追い込んだ男性は、それを責めたり、まして異端扱いする資格など無いと思うのですけど?
だから人は、人を大切に思う愛し方も、その愛する相手も自由に選ぶ事が出来ると思うの。女性が女性を愛してしまい、結果として子供が出来ない事は当然ですけど、子供を我が子として育てたいと思うのなら、今は養子と言う形で親を失った子供を育てる事だって出来るのよ。
女は例え自分のお腹から産まれた子でなくとも、支えになってくれる相手なら、何時までも愛して行けるものなの。そんな話を前に美紀とした事があったのよ。そしてあの夢を見る前に、「身体の事で何時までも同じ事で悩んでは駄目、私と体験して見る?」って美紀に伝えたの。美紀は考えていたから私は、(大人なら自分で決めなさい)って言ったのよ。そして美紀は私を受け入れてくれたの」
敦子の話しを聞いて、あの時の疑問が解けたと思った。それにしても女の性とは奥行きが広く、そして深いと思った。男の単純な性と比べ、遥かに複雑に出来ていると私には思えたのだ。
「食事にしようか、どうする?」
お腹が空いていた事に、私はやっと気付いて敦子に声をかけた。
「えゝ、戴くわ、私もお腹が空いたの、おしゃべりをしすぎた様ね、きっと」
真空調理の鍋を開けて、フォークで肉の破片を取り出し、私はそのまま口の中に入れた。ほぐれる程に柔らかく煮込まれている。
「よし、出来たぞ」
キッチンの食器棚から白い皿を二枚取り出した私は、自分で作ったシチュウーを皿に盛った。そして大きな肉片を敦子の皿に、小さな肉片を自分の皿に入れた。スプーンとフォークを取り、作ってあったサラダをテーブルに並べた。
「御口に合うかどうか、お待ちどう様でした」
嘗ては美紀がその椅子に座って居たのだが、そんな事は忘れる事にしていた。忘れる事がお互いに良い結果を生むはずだと信じたかった。
「凄い、美味しそう。でも今でも忘れてはいないのね」
私が修理したテレビを見ていて、敦子がハンバーグを焦がした時の事だ。目の前に並べられた私の作った料理を見て敦子は、あの時の事を想いだした様だった。
「あゝ、焦げたハンバーグを貴女が食べて、綺麗な方を僕によこして食べた。楽しい事や嬉しかった事、美しい思い出として大切に持っていたいんだ」
「嫌よ、私は嫌。忘れて、ねぇ私の事はお願いだから忘れて・・」
いきなり敦子は叫ぶように首を振ると、珍しい程に酷く乱れて感情的になった。そして顔を上げたその目は、うっすらと目に涙が潤んでいた。
「ほら、シチュウーが冷めちゃうよ。食べよう」
気持ちの高ぶりが落ち着くのを待って、私は促す様に敦子に言った。少しの時間が過ぎた頃に、敦子は黙ってスプーンとフォークを上手に使い、私の作った料理を口に入れた。だが相変わらず感情の高ぶりが押さえられないのか、敦子は黙ったままだった。
「どう、美味しい?」
敦子は未だ高ぶっていた。そして黙って頷いた。
「御免なさい、驚かせてしまって」
一言だが、敦子は私に詫びた。
二人の間に少しの時間が過ぎた後で、敦子はやっと口を開いた。
「私、優しくされた事が余り無かったから、優しくされると凄く辛くなるのよ。私の事を想ってくれるの、とても怖くて。多分、私の感情が烈しすぎるからかも知れないわ。手に入れた大切なものを、もしも失う事があったら、私、きっと生きては行けないもの」
私はこの時、敦子から大切な意味を教えられた気がした。敦子が人を愛する時には、命さえ懸けられる程の想いで、相手に立ち向かう事の出きる女なのだと思えたからだ。
そうした強い覚悟の想いを持つなど、映画や物語の中でしか私は出会った事はない。自分のこれまでを振り返って見ても、女達を想う事の何と貧弱な事だったか。そうした深い覚悟を持って女を愛し、相手の支えになろうなど、今まで一度として無かった事を私は思った。そして私はこの時、私は私の敦子への想いが、女だけではなく人としての、尊敬にも似た気持ちが芽生えている事を感じていたのだ。
私はその想いを敦子に初めて気付かされて、何か不思議に嬉しくなった。そして微笑んでいる私を見て、敦子は驚いた様にフォークを置くと、その訳を私に尋ねたのだ。
「何故微笑んでいるの?ねぇ教えてよ」
「資格だよ」
「えっ、資格ですって?」
「あぁ、人を愛する資格だ。想いを貫くと言う、相手の女性に対する姿勢が、こんな年齢になって初めて自分に欠けていた事を知ったよ。自分の想いを貫こうなんて気持ちも持たない者が、女性の想いだけは得たいなんて、やっと自分の甘さを知った気がするんだ。それに引き換え、その想いまでも軽く扱って来たのが、今になって僕は思い知ったと言う訳だ。一生の伴侶として相手を選ぶ事に、真剣に向き合い必死に追いそれを求める。僕にはそうした貴女と言う女性を、未だ愛する程の資格は無いと言う事さ」
「そんな、酷いこと言ったりはしませんわ」
「いや、酷い事なんて思っちゃいないが、自分の考えていたこれまでの女性への気持ちが、随分と貧弱に思えて来ているんだ。でも誤解しないで欲しいな、それが分れば女性の心の扉を開ける、そのカギの在り処を知ったと言う事でもあるのだから」
「お話されている事が、私には良く分りませんけど」
敦子には分っている筈だと私には思えた。しかしこれ以上、その事を掘り下げるには、私にとっても未だ時間が必要だと思った。
もしも胸を張って敦子の前に出られる時があるなら、何れは分って貰えると思えるからだ。所詮は愛する覚悟を一年や二年で得ようなんて想いも、軽いとしか言い様が無いと思える。
敦子は手持ち無沙汰なのか、殆どシチュウを平らげた私に声を掛けた。
「コーヒーをもう一度入れましょうか?」
酒の方が、と言いかけたが、打ち消す様に、私は自分でコーヒーを入れる事にした。敦子の皿の中には、未だ少しのシチュウが残されていた。
「ありがとう、でも僕が入れるよ。貴女も飲む?」
「それじゃあ私も、カフェオレでお願いします」
食事を終えた私は、ミルにコーヒー豆を入れて挽き始めた。その間に敦子はコーヒーカップを食器棚から取り出し、トレーの上に並べてジャーの湯でカップを温めていた。敦子は私のコーヒーを入れる手付きを見ながら、挽きたてのコーヒーの香りに思わず声を上げた。
「挽きたてのコーヒーの香りって、どうしてこんなにも人を惹き付けるのかしら」
敦子の感動した様な疑問に、私は人間の感情と同じ様に、味覚や嗅覚にも同じ共通の感覚があるのではないかと思った。
「人間なら誰も持っている、それって共通の感動だよね。ほら怒ったり悲しければ泣いたりと、言語が違っても同じ様に表すからね」
「他にはそうした香りって、何があるのかしら」
「バニラの香り、香水、焼きたてのパン、焼き芋・・・は女性だけかな」
私達は最後の焼き芋と言う言葉に、二人は顔を見合わせて笑った。
別れる日の朝が来た。昨日の夕方から降り始めた雨は、何時の間にか小降りになっているが、未だ雪に変わる事も無く降り続いていた。天気予報の番組でも、東京は昼前には雪に変わると話していたから、東京の方で降っていれば、終雪になるのかも知れないと思える。
会社には予め休むと伝えていたのは、何処かに行くと言う事でもなく、私は敦子を見送る為に休んだのだ。見送った後で会社に出かけ、仕事をする気など起きそうになかった。
十時発の博多行き新幹線に乗るという敦子を連れ、少し早いと思ったが八時には家を出ると、幕張の駅から総武線に乗った。ラッシュの時間を過ぎてはいたが、二人が並んで座る程の空席は無かった。出入り口のドアの横にスーツケースを置くと、敦子と私はその横に並んで立っていた。
西船橋の駅で京葉線に乗り換える頃に、雪が少し舞う程度に降り始めていた。始発だった事もあって、敦子は入り口の横の椅子に座ったが、私はスーツケースを置いたドアの横にそのまま立っていた。東京に向かって走る電車のドアは、湿気でガラスが曇っている。その曇ったガラスを指で拭くと、街の黒い屋根を背にして、幾つもの白い線が電車の後ろへと横になって流れて行った。不意に一つの歌の詩を、私は呟く様に口ずさんだのだ。
「汽車を待つ君の横で僕は、時計を気にしている。季節はずれの雪が降っている・・・ふざけ過ぎた季節の中で・・・」
なごり雪と言う歌のフレーズが、思わず私の口から漏れた。だが敦子の耳には電車の走る音に消され、呟く様な私の歌は届いていない様だ。寧ろ聴かれずにいた事で、私は何故かホッとしていた。男と女の別れの場面で、敦子に笑いの種を提供してしまう所だったからだ。
昨夜、自分の事は忘れて欲しいと懇願する敦子に、私は絶対に忘れないよ、と言い返した。そして抱きしめようとした私に、敦子はきっぱりと拒絶したのだ。しかも敦子はまるで私を絶望させるかの様に、自分が銀座のクラブに勤めていた時、求められると客と間係を持った事を語った。
「私、これだけはお話しないと決めていたのだけど、忘れて戴けないのなら言うわ。私ね、時々お小遣いを戴いて、お店の来ている私のお客さんに、体を許してあげていたの。もしどうしても私の体が欲しいと言うのなら、お客さんと同じ様に、私にお小遣いを戴ける?」
敦子の話を信じてはいないが、その話は私を又も酷く驚かせ、そして哀しませた。例えそれが事実だとしても、私はそれを含めた全てを、受け入れられるだけの覚悟は持っている。
「幾ら欲しい?幾ら出したら抱かせてくれる?」
と、私は敦子に聞いた。
「貴方が出せるだけでいいわ。お仕事ではないのたから」
「財布の中に五万しか無いが、それても良いのかい?」
「幾らでも・・・」
私は財布の中から、五万の金を敦子に渡した。後は三千円と小銭が入っているだけだった。だが敦子は、その金をキッチンに持って行くと、突然コンロの火をつけて、火のついた札を皿の上に置いたのだ。
「何をするんだ?」
私は慌てて火を消そうとしたのだが、既に半分以上の札に火は燃え移っていたのだ。
「私が戴いたお金ですから、後は私がその戴いた分だけ、貴方に体を使ってお返しすれば良いだけですわ」
自分の体を客に売る様な女が、金を燃やすなど出来る訳が無い。嘘の付くのが下手な敦子だとは思うのだが、一つだけ確かな事は、敦子は何としても私との思い出を、自分の記憶の中から消そうとしている事だ。私に対しても、忘れて欲しいと強く願っている事だった。
そこまで頑なに敦子を追いやるものが、一体何なのか私には分らない。だが他人には窺い知れない、深い傷を抱えている事は確かだと思った。大分長い時間、私は考え悩んでいた。後悔する事ばかりだが、敦子の事は忘れる事など出来ないのだ。だが今は不可能ではあるにしても、忘れる為の努力をする事は出来る。現に敦子も又私を忘れる為に、敦子なりの努力をしているのだ。
自分がこの女の為に今からでも出来る事とは、自分の意志を捨ても、忘れる努力を試みる事だけしか残されてはいないと思った。愛は時として、辛く哀しい事を求めるものだと敦子は言った。それをも受け止める事で、確かに愛したのだと自分に胸を張れる様な気がする。私は暫くしてから、やっと敦子の事を諦め、敦子を忘れる約束をしたのだ。
「判ったよ。体で払って貰う分は、貴女への貸しだ。いや、その金の事も忘れる事にするさ。そして貴女の様な女を、僕は又これから必ず捜すことにするよ」
私はそう敦子に言い残して風呂に入り、パジャマに着替えて眠るために一杯のスコッチを飲み終えると、先に独りで自分のベッドに入った。だが横になってはみたものの、頭の中には、何か大事な事が残っている様にも思えた。
思えば自分の想う愛なんてものは、実に軽くて安っぽい意味でしかないとつくづく思った。これまで幾人もの女達を愛したと思うものの、結婚には二度も失敗し、三度目となる話しも直前で終っているのだ。
私の恋愛と呼べるものは、何時も一方的で話し合う事も無く、どちらかの意志で終わってしまった様に思える。何がそうさせているのか・・・敦子の言う様に女の支えになってあげる事も出来ず、最後の最後まで追う事もしなかった。息子の母親になって貰う、そうした強い期待や目的もあったのだろうが、何処か自分の方にも別の、大きな原因があるのだろう。
そして今になって思い当たるのは、何時も女達に対し、ひた向きに想いを貫いてはいなかった事だ。愛する時には未来も含めて考える事もなく、結婚すれば妻に対して、ひた向きさを忘れていた様にも思える。
敦子から教えられた様に、覚悟を持って自らを見つめ続けなければ、幾度恋愛しても同じ結果が待っている事は確かだった。それが胸を張る様な立派な愛ではないとしても、何処までも想いを貫く事が出来るとすれば、後で良い人生だったと言える日が来そうにも思えるのだ。
そうした事を考えている内に、私は何時の間にか深い眠りの中に落ちた。カーテンの隙間から差し込む朝の明るさに目が覚めると、私の腕の中には何時の間にか、穏やかな寝顔の敦子がそこにいた。それはあどけない程に安らいだ、パジャマ姿の敦子の寝顔だった。
私の心の中は、既に孤独では無かった。敦子から言われ初めて真剣に自分のこれまでの事を考え、一つの確かな道を見つけた様な思いがする。
今、仕事で進めている仕事が一段落したら、後を続く者にそれを任せ会社を辞めようと思った。仕事でどれ程に良い結果を残せたとしても、それ以上の大切な何かを失って仕舞う様に思える。未だ漠然としたものだが、そう遠くない頃に私は敦子の住む小倉で仕事を捜し、敦子を捜し出そうと思った。
そして出来るなら敦子の近くに住み、彼女の負担にならない様に決して自分のものにしようなど考えずに、そうして遠くで敦子を見つめながら、支えになる事だけを願って人生を過ごして行きたいと思ったのだ。
敦子を幸せに出来るのは敦子の選んだ人でしないが、それも又喜んで受け入れられる覚悟もある。私も敦子の言う様に言葉や想いだけではなく、強い覚悟を持ち続けて敦子を愛したいと思った。
頑なに自分を忘れて欲しいと望んだ敦子だが、私もその頑なさでは負ける事は無い。私にとっての敦子は、本当に掛け替えのない人だと気が付いたからだ。それならば敦子から見ても、何時かは掛け替えの無い私でなければと思う。その為に今は敦子が望む通り、微笑んで故郷に送り出す事だと思った。どれ程の時間がかかろうと、誰からどんな風に思われようと、残された旅の最後は敦子と言う女を、愛する為にその資格を得たいと思ったのだ。
敦子が生まれた北九州の小倉と言う街は、当然だが行った事も無いし、地図の上でしか場所は知らない。だが敦子が小倉の街から東京に出て来たと聞いた時、思い出した事があった。学生時代に学んだ恩師の言葉が、私の頭に浮んで来た。
「僕は無法松と呼ばれた富島松五郎の恋が、男としての至上の愛の姿だと思うな」
そう語る自信ありげな話を、恩師を思う度に私は今でも思い出す。「無法松」とは俳優の三船敏郎が演じ映画にもなった、岩下俊の小説「富島松五郎伝」の主人公であり、後に「無法松の一生」とした映画が広く知れ渡った事から、映画と同じタイトルに改題された。しかも主人口の松五郎は実在した人物では無い。
しかも時代は明治も終わり頃の話である。無学で文字も読めない木賃宿に住む富島松五郎は、北九州では知らぬ者もいない暴れん坊で、無法松と呼ばれていた。ある時に怪我をした男の子を助けた事から、父親の吉岡陸軍大尉と親しくなり、家族同様の付き合いが始る。やがて戦地に赴いた吉岡大尉か戦死し、残された一人息子の坊ん坊んと呼ばれる敏雄と、吉岡大尉の妻である良子の面倒を必死で見守り、しかも夫人である良子に淡い恋心を抱いて、四十八歳で亡くなった男の物語である。
死後に仲間内の人達が、松五郎の枕元で、たった一つの遺品を整理する為に柳行李を空けたのだ。その中には幾つかの着物と共に、吉岡夫人(良子)が毎年大晦日に、松五郎に与えたお年玉が封も切らずに出て来た。しかもその下には、松五郎自身の預金通帳と共に、夫人の名義や坊ん坊んと呼ばれた敏雄名義の通帳が出て来たのである。
この物語を書いた作者の岩下俊氏は、最後の部分を確かこんな風に書いていたと思う。
「・・・仲間達は顔を見合わせた。吉岡夫人は人目を憚らずに慟哭した・・・・・松五郎の顔にかけた白布を取って、夫人は和やかな微笑さえ浮かべた松五郎の静かな死に顔を見た。又も悲哀の情が夫人の心の底から湧き上がって来た。たえられぬ様になった夫人は、松五郎の死骸に覆い被さるように取りすがって、何時までもさめざめと泣き崩れていた。こうして富島松五郎は、死んで始めて吉岡夫人の手に抱かれ、そして始めて美しい情愛の、泪の贐(はなむけ)さえ受けたのである」
何も肩肘の張った様な覚悟の愛では無いが、誰も傷付けずに自らの気持ちを全うするそれは、成就するしないは別にしても、十分に人を愛する資格を持っている様に思える。走る電車のドアーの横に佇み、私は小説の中の男の事を思い出していた。
どの辺りを走っているのか、私は曇ったド-アの窓を指先で拭き、私は走る電車の外を見た。雪は白い線となって、飛ぶように後ろへと流れて行く。ディズニーランドのある舞浜を過ぎ、荒川の鉄橋を渡る頃には、雪は大きなボタン雪へと変わっていた。東京に降る春の雪は直ぐに融けてしまうのだが、それでも雪は降る事を止めずに降り続いて、まるで積もるのが先か、融けるのが先かと競い合っている様にも思える。
春に降る終雪は、故郷の小倉へと帰る敦子を引き止めるかの様に、音も無く、益々その激しさを増して降り続いていた。
私は文頭に書いた下手糞な詩の その続きをやっと書き終えた。
男達は遠く過ぎ去った若い日々の出来事を、まるで小箱の中へと隠した幼い頃の宝物に似て、捨て去る理由も無く持ち続けている。
そしてその多くは追憶と言う、母に始る心を寄せた女達との日々の事だ。
時折ではあるにしても、それを取り出し密かに懐かしむ愉しさは、或いは男だけが持つ性癖なのかも知れない。
しかもそれは生命の営みに似て、生きる事の意味さえも伝えている様にも思えるのだ。
何故なら全ての男達も母と言う女から産まれ、幼い頃に与えられた慈愛に満ちた無償の愛を、記憶の中に留めているからだ。
だから思うに男は、やがて母になる女達へ、それを届ける為に生まれ今を生きているのかも知れない。
了
終雪(しゅうせつ)