茸の天使

茸の天使


 今年は茸が多い。夏も終わりに近づいて、台風が去ったある日、団地の一番上の動物園との境にある遊歩道沿いにたくさんの茸が生えた。
 その中に、黄色味がかった茶系のランプシェードのようなきれいな傘をもち、細く長い柄の茸が、落葉を埋め尽くしている。目を近づけてみると、何ともかわいらしい茸で、ダンスでも踊りだすのではと見つめてしまった。
 子供用の茸の図鑑を見ると、針金落葉茸とある。
 ところが、次の日、朝早く同じところを通ると、昨日たくさんあった針金落葉茸は萎れてしまっていた。そのかわり、少し離れた落葉の間から、針金落葉茸とよく似たピンク色のきれいな傘をもつ、やはり細い柄の小さな茸がいくつも生えていた。朝日がさしてきたら、傘が透けてピンクのランプシェードだ。
 この茸も針金落葉茸かとおもって図鑑を引いてみたがのっていない。ちょっと違うようだ。
 市の図書館に行って調べてみたところ、針金落葉茸の仲間、花落葉茸だった。
 茸がこんなに綺麗で可愛いものだとは思っていなかったので、急に興味がでてきた。
六十で退職して、この十年、年金生活で満足し、何かをしようとしたことがない。家内は私にちゃんと三食食べさせてくれているが、その上に好きなことをやっている。絵を見に行ったり、友達と食事にいったり、最近は絵本作りをしたりしている。大したものである。それに引き換え、自分はただテレビを見たり、面白いと薦められた本を読んだり、時々家内に誘われてパック旅行に行ったりするくらいで、自分から何かをするということがない。食べることは好きなのだが、そんなに味が分かるわけでもないし、どこの料理が好みとかいうこともない。
 しかし家内に言われて散歩をするようになって、茸に目が行くようになった今、茸の写真でも撮ろうかという気になっている。
 そこで、大型電気店に行ってカメラを物色した。
 高校の頃、一眼レフカメラを父親から買ってもらい、景色や人は写したことがあるが、こういった小さなものを写したことはない。今は全自動で接写も出来るし、レンズも変えることのできる電子カメラがある。現像という操作がなくていいわけだが、どうやってプリントを頼むのかと店員に聞くと、プリンターを買えばたやすいという。結局カメラとプリンターなどの付属品を買い、かなり散財をした。しかし昔のカメラの値段からするととても安い。
 幸い家の周りには自然が残っている。丘陵地のほぼ中ほどにある家で、ちょっと上れば丘陵公園の入り口もある。
 カメラをもつのは本当に久しぶりである。
 説明書を読みながらカメラをいじっていると、家内が面白そうにのぞきこんできた。
 「あなたに、こんな複雑なカメラいじくれるの」
 家内は私が高校の頃にカメラをもっていたことを知らないかもしれない。子供たちの成長の写真はすべて家内が自分のカメラで撮ったものであり、ときどき、わたしもシャッターを押したが、今のカメラの仕組みは全く知らない。押せばとれるという知識しかないのである。
 「それ一眼でしょう」
 私がうなずくと、「あなたには無理よー、換えのレンズも持ってるの」
 「うん、接写レンズがある」
 「何で接写なの、望遠はないの」
 家内は鳥でも撮りたいらしい。
 「茸を撮るんだ」
 家内が大きな口を開けて笑った。
 「どこに生えてるの」
 「動物園の脇の道に生えていた、かわいいのがたくさんあったよ」
 「食べられるのはないかしら」
 「わからんけど、なさそうだ」
 「写真撮ってどうするの」
 「どうしよう」
 ともかく写真を撮ってからの話だ。プリンターで打ち出して飾っておくのもいいし、PCで画像を楽しむのもいい。
 「撮り方わからなかったら言いなさいよ、教えてあげるから」
 「ああ」
 やっと家内が離れていった。余計なお世話である。このカメラをいじりたそうだったが、そうさせてやらなかった。一度いじったら、自分のものにしてしまいそうだ。
 ともかく、今の電子カメラにはたくさんの写真をしまうところがある。コンピューターと同じハードデスクと言うものがあり、さらにSDカードとやらいう、外付けの入れ物もある、そこに一杯になるまで撮れるし、撮ったものをPCにいれてしまえば、何度でも使える。便利になったものだ。若い人には当たり前なのだろう。
 猫の玉がそばに寄ってきた。これはいいと、カメラを向けシャッターを押した。撮ったものをすぐにモニターで見ることができるのもすごい。
 モニターの右上にある赤いボタンはなにをするものか、英文でムービーとある。まさかと説明書を見ると動画も撮れるらしい。玉がこっちを向いている。玉の顔にカメラを向けてその赤いボタンを押した。そのとたん玉が大きな口を開けて欠伸をして、きょろっとした目で自分を見た。大成功と思ってもう一度赤いボタンを押し、再生方法を説明書で調べ、映像をモニターにだした。なんとかわいい。家内のところに持っていって、得意げに見せたら、家内は自分の旅行用の小さなカメラをだすと、玉がおなかを上にして尾っぽをぱたんぱたんさせ、こっちを見ている動画を見せてくれた。
 「あなた、そんな機能、今じゃ当たり前なのよ」
 言われてしまった。今まで見せてもくれなかった。いや私が興味を示さなかったのかもしれない。
 「あなたは、全部お任せの設定にしないときれいに撮れないよ」
 アドバイスというか、馬鹿にされたが、その通りなのでしかたがない。説明書を見ると、はじめからそうなっているらしい、すべて、標準でいくしかない。フラッシュまでついている。茸にはフラッシュを使う必要はないかもしれない。
 私は庭にでた。名前も知らない草にかわいらしい白い花がついていた。それにカメラを向けると、画面を見ながら拡大を押した。ぐーんとズームされ大きくなった。しかもピントもしっかりと合っている。すごいものだ、シャッターを押した。撮ったものを見ると、大写しにされたほんの五ミリほどの花が実にかわいらしい。芯のところが赤く、この老眼でははっきりしない部分も見える。別物のようだ。
 「ちょっと、歩いてくるよ」
 家内に声をかけて、動物園の脇の散歩道に行った。真っ赤な茸がたくさんある。根本に白い壷がある。卵茸だ。この茸はあまりにもきれいで、名前を調べたことがあるのでよく知っている。食べられるとあったが、とても食べる気はしない。だが写真は撮りたくなる。いろいろな角度から写真を撮った。その場で再生してみると、きれいなものである。
 満足して、卵茸の隣を見ると、白い小さな茸が生えていた。高さが一センチに満たないものである。庭の小さな花を思い出し、カメラを向けてズームダイアルをまわした。ぐーんと白い茸の傘が画面に広がる。つるんとしていると思っていたら、スジがあって、とてもきれいだ。シャッターを押すと、押すことができない。おかしいと見ると、近づきすぎていることがわかった。茸からカメラをもっと離すべきだ、離した上でズームダイアルを回した。今度はシャッターが押せた。拡大すると、小さな茸で細部が分からなかったが、拡大された傘にはきれいな細いすじがあった。
 丸い袋状の白っぽいものが草の中に三つころがっている。上に小さな穴があいている。レンズを向けて拡大し、ディスプレーを見ると、表面は茶色のぽちぽちがついていて、かわいいものだ。シャッターを切る。そこに、蜘蛛の足の長い奴がやってきて、その袋に足をかけた。急いでシャッターを切る。
 そのあと、かわいらしい花落葉茸のあったところに急いだ。その場所には、茶色い傘を持った、普通の針金落葉茸が数本生えているだけで、あのピンク色の茸はなかった。ちょっと残念だが、落葉茸に焦点を当て拡大した。大きな溝のある傘が、画面にぐーっと迫ってくると、驚くほどきれいだ。本当に今のカメラはすごい。
 初めての経験であり、何枚か撮ると家に戻った。 
 早速PCにつなぎ、今日の日付けのフォルダーをつくり、画像をJPGで取り込んだ。改めて画像をPCの画面にだした。画面一杯に拡大された茸が現れると、なんともすばらしい、とても自分で撮ったとは思えないほどの出来である。と少なくとも自分では満足した。
 「おい、見てみろよ」
 家内を呼んだ。うるさそうにやってきた家内もおやっという顔をしている。
 「新しいカメラはいいわね」
 「おまえのとはメカが違うからな」
 「メカはたいしてかわらないわよ、レンズが良くなったのね、だけど、絞りとか、シャッタースピードとか調整していないのでしょう」
 そういわれると頷くしかない。
 「それじゃ、私の持っている普通のカメラと同じじゃない。レンズの違いだけよ」
 やっぱり頷くしかない。
 「でも、きれいだろ」
 「うん」
 そこは家内も同意した。
 こうして、雨が降っていなければば毎日のように、茸の写真を撮りにでかけた。今年は台風が思ったより少ない。
 茸は結構たくさんの種類があるもので、改めて本格的な図鑑を買ってしまった。名前を調べる楽しみができた。
 一週間後。カメラにもかなりなれた頃である。その日はピンク色の花落葉茸がいくつも生えていた。数えてみると十二本もある。いろいろな角度から、何枚も写真を撮った。朝日が少しさしており、反対側から撮ると、ピンク色の透き通った傘がきれいに透けて見えた。これはと思い何度かシャッターを切った。
 家に帰って、PCに取り込み、画像を見ると、それは綺麗に写っていた。ところが、一つの花落葉茸の傘の上に、白い輪っこが浮いている。吸ったたばこの煙を口をとがらせ、パクパクさせて吐き出すと、輪になって飛び出るが、それと似ている。
 偶然なのだろう。それとも何か自然現象なのだろうか。
 「おい、この茸、天使みたいだ」
 家内を呼んだ。
 「あーら、かわいい、上手な写真じゃない、あなたにしては」
 余計なお世話だ。
 その夜のことである。ブーンと蚊が飛んでいるような音で目が覚めた。思わず振り払うように手を振り回した。蚊などいない。
 目がはっきりすると、ピンク色のものが宙に浮かんでいる。すーっと目の前まで降りてきた。ピンク色の茸だ。傘の上に白っぽい輪が乗っている。ホバリングしている。昨日撮った花落葉茸の一つだ。茸の天使。どう思っても夢だ。
 ところが、そいつが、鼻の上に落ちてきた。ちくっとして、本当に目が覚めた。それでもピンクの茸の天使は目の前の宙に浮かんでいる。
 「何か用かい」
 つい声をかけた、すると、「ひひひ」と笑い声がして、血だらけの女性が目の前に浮かんだ。はじめは小さかったのに、しだいに人間の大きさになって、目の前に浮かんだときには、つい「ぎゃ」と叫んでしまった。お岩さんが目の前に浮かんだらどうだろう。まさにそれである。
 夢の中の夢なのだろうか。一端顔をそらしたのであるが、また顔を起こすと、女性はいなくて、ピンクの茸の天使が浮かんでいる。
 悪さをする茸だ。
 「何だ、おまえは、かわいい茸だと思っていたのに、なんてやつだ」
 「お生憎さま、あたいの写真を撮っちまったからには、しばらく付き合いな」
 「どうせ、夢に出てくるなら、もっと、可愛いものに化けて出てこい」
 そういったら、ピンクの茸の天使は、しゅーっと、子猫になった。
 「それなら可愛いが」
 と言ったとたん、大きな白黒の猫になって、牙をむいて襲ってきた。
 ギャー、と声を上げてしまった。
 隣のベッドに寝ていた家内が目を覚まして、
 「あなた、どうしたの、心筋梗塞、脳卒中」と起き上がった。
 なんて言いぐさだ、心筋梗塞や脳卒中を期待しているんだろう。
 「夢だよ」、なげやりに言うと「なーんだ」とまた寝てしまった。
 ベッドの脇の水を一口飲んだ。夜中咽が渇くので、いつも水を用意している。さー、もう一度寝よう。
 まあ、その夜はそれで終わった。
 「昨日の夜どうしたの」
 「頭にリングのあるピンクの花落葉茸が出てきて、ホラー映画にでてくるような、死体や化け猫になった」
 「あなた、そういうDVDばかりレンタルするからよ」
 「そうかなー」 
 朝の会話を終えて、また茸の写真を撮りに動物園脇の道に行った。なにせ年金生活というのは何もすることがない。
 卵茸の子供が顔をだしている。明日になると大きくなっているのだろう。しばらく歩くと、薄黄色のすぐ折れてしまいそうな細い茸があった。やっぱり光が透いて、黄色の傘がとてもきれいだ。三本生えている。いい被写体だ。名前は後で調べよう。
 モニターを見て、焦点を合わせようとすると、その中の一つの傘の上に、黄色いリングが浮いている。あの花落葉茸のものとよく似ている。ただ花落葉茸は写真に撮ってから輪が浮いているのに気がついたのだが、今度は目の前の茸の頭の上に輪が浮いている。
 これは面白い。どんな現象かわからないが、いい写真になる。
 家に帰って、モニターを見せ、自慢をした。
 「どうだ、かわいい茸だろ、花落葉茸よりもっとなよなよして、可憐だ」
 のぞき込んだ家内はこう言った。
 「あなた、なよなよ好きなのね」
 おまえががっちりしてるからな、と言いそうになって止めた。だからあたしを選んだんじゃないと言われちまう。
 図鑑を調べると、狐の花傘とある。狐はずいぶんか弱い傘をさすものだ。狐のイメージに合わない。狐が日本美人に化けたなら似合うかもしれないが、茸は会あわない。
 その夜のことである。
 夢か現実かわからない。また夜中に目が覚めた。上を見ると、薄黄色の小さな茸が宙に浮いている。狐の花傘だ。傘の上に輪が浮いている。やっぱり茸の天使だ。
 すーっと、そいつが目の前に降りてきた。薄黄色の柄が折れそうに細い。
 「ほほほ」と声がした。花落葉茸のやつは「ひひひ」だったから、こちらのほうがかわいらしい。
 いいなあと思っていると、薄黄色の茸がぷーっと膨らむと、豚になった。目の前に大きな黄色い豚が浮いている。ぶー」と鳴いてこちらを見た。
 豚っていうのも可愛いものだと見ていると、いきなり、炎があがり、ちりちりと毛が焦げる匂いがしてきたと思うと、肉の焼ける匂いに変わった。
 豚が黒く焼けている。でもこちらを見ている。目の前にホークとナイフがあらわれた。ナイフとホークはこんがり焼けた豚を切り始めた。ナイフが切り取った肉を、ホークがさして、寝ている私の口の中に無理矢理押し込んだ。
 「ぎゃー」
 私が大声で叫んだものだから、
 「なによ」
 と、隣のベッドから家内が起き上がった。
 「豚が焼けて、肉が口に押し込まれた」
 「なにそれ」
 「頭に輪っこを付けた茸が現れると、豚に変わって丸焼けになった」
 「あなた、昨日、焼き豚食べたからよ、もうしょうがない、もっとまともな夢を見なさいよ」
 家内はふて腐れて寝てしまった。
 しょうがない、水を一口飲んで、ともかくベッドにはいりなおすと、目をつむった。
 やっと朝になり、起きていくと、家内は朝食の用意をしているところだった。
 「あら、起きてきたのね、もう九時よ、私が起きるとき鼾かいていたわよ」
 いつもはかなり早くに目が覚める。
 「なんだか、このところ変な夢ばかり見るのね、体は大丈夫なの」
 「至って、元気だよ、食欲はあるしね」
 「だけどどうしたの」
 「あの、茸の天使の写真をとってから、夢をよく見るようになった、あいつらがでてくるんだ」
 「やっぱり、変な映画ばっかり見るからよ、昨日見てたのデリカッセンでしょう」
 確かに、食べる映画ではある。写真も楽しいが、昔からDVDはたまに借りる。
 その日も晴れたので、動物園の脇の道を歩いてみた。昨日は卵のような白い袋だったので、今日はでているだろうと思ったら、卵茸はまだ半開きである。明日は綺麗な写真が撮れるだろう。
 黄色いイグチの仲間もずいぶんある。みな写真に収めて歩いていくと、黒っぽい茸が生えている。綺麗じゃないなと思い、通り過ぎようとすると、黒い傘の頭のところに、黒い輪っかが浮いている。こいつも茸の天使だ。やっぱり写真を撮っておかなければと思い、焦点をあわせシャッターを押した。
 画像を画面に呼び出すと、黒い茸の上に浮かんでいる輪も綺麗に写っている。
 なぜ、昨日は思いつかなかったのだろうと、手を伸ばして輪にさわってみようとした。輪に指が触れると、黒い茸はいやがるように首を振った。
 指に触れた感触は、ひやっとして冷たく、霧に手が覆われた感じであった。
 こんどは摘まんでみた。摘むことはできない。
 そんなことを繰り返していると、黒い茸が目の前から突然消えてしまった。何処に消えたか考えなかった。いけないことをしたのかと思ったのでその場から離れたのである。
 しばらく歩いていく間にいろいろな茸の写真が撮れ、そろそろ戻ろうと、思ったとき、小笹の中に黒い茸が見えた。
 近寄ってみると、さっき写真に撮った黒い茸とよく似ている。いや同じ茸なのかもしれない。その茸の頭の上には輪が浮いていた。ここに逃げたのだろうか。
 小笹がじゃまになったが、黒い茸の写真を撮った。モニターにだしてみると、きちんと撮れていて輪も見える。
 そこで家に帰ることにした。
 写真を家内に見せると、「卵茸は明日楽しみね、美味しいのよ」と言う。「だけど、よほど早く行かないとおいしいことを知っている人が採っちゃうよ」とも言った。確かにそうである。
 黒い茸を見せた。
 「あら、これはなよなよじゃないわね、なぜ撮ったの」
 おまえに似ているからだとは言わなかった。
 「輪が頭の上に浮いていたからね」
 「あらほんと、花落葉茸や狐の花傘と同じね、変な夢を見ないといいわね」
 「今までの写真から、綺麗なものをプリンターでだしてみようと思うんだ」
 「いいんじゃない、ちゃんと記録しておけば来年の参考になるわよ」
 確かにそうである。
 プリンターはPCにつないである。写真もすでに取り込んであるので、今日撮ったものを入れたら、選んで打ち出そう。
 慣れないことだが、なんとかセッティングをして、綺麗なものを葉書判で打ち出してみた。
 なかなか綺麗に打ち出せるものである。花落葉茸も狐の日傘も綺麗だ。だが不思議なことに、頭の上に浮いているはずの輪がない。おやっと思って、確かめるとPC上でも見ることができない。カメラのモニターにだしてみると輪っこが見える。
 どういう訳かわからないが、PCに移動させると消えてしまうようである。
 しょうがないかと思って、三十枚も茸の写真を焼いてしまった。
 しかし、どれもきれいで可愛い。みんなに見せてやろう。
 そう思って写真ファイルを買いにいった。ずいぶんいろいろな種類のファイルがある。これからのことを考えると、長持ちのする飽きないのがいい。そう思って、ちょっと高めのハードカバーのものを買った。一ページに葉書が二枚入るもので五十ページだから、百枚の写真がはいる。今年は一冊で足りるだろうが、二冊買った。
 家に帰って、三十枚の写真をいれてみたが、なかなかいいものだ。撮影した場所と、様子を書き入れた。残念なのは茸の傘の上に浮いていたリングがない。天使のように見えてかわいかったのに。最後の写真は真っ黒の茸で、写真そのものはシャープで悪くない。しかしやはりリングは見られない。 
 その夜のことだ。夜中に目を覚ました。いや、夢を見ている。
 頭の上にリングを乗せた真っ黒な茸がふらふらと揺れている。
 何が起きるのか気になって、ベッドの脇の水を飲んだ。
 何だと、見ていると、黒い茸がパカッと割れて、中から女性が宙に飛びだし、空中を漂い始めた。何とかという女優に似ているようだ。
 はじめは優雅に宙を飛んでいて、今日の夢は今までのものと違ってなかなかいいなと、思っていると、女性が目の前で止まった。浮いて私を見ている。
 見つめかえすと、服を脱ぎ始めた。ストリップのようだ。この年になるまで、ストリップを見に行ったことがない。行ってみたいと思っていたが、そんな勇気はない。これは幸いと胸躍らせた。
 女性は紺のジャケットを脱ぎ、白いブラウスのボタンをはずした。それを脱いでしまうと、ちょっと恥ずかしくなった。スカートを脱ぐと、ストッキングをはずした。白い下着がまぶしい。しかしちょっと期待していたら、その通りに、ブラジャーもとってしまい、形のいい乳房が露わになった。ひゃーっと思っていると、下のほうも脱いでしまった。
 年をとっても、腰が張りつめるのが感じられた。さわりたい、手を伸ばしたがとどかない。全裸の女性は、指でわき腹の皮膚を摘むと、ぎゅーっと伸ばし、はぎとった。乳まで皮がむけて赤はだかになった。血が滲みだしてきた。顔の皮膚もはぎ取った。目玉がやけに飛び出して見える。 
 ぎゃーっと叫んだ。
 女性はさらに、付いている肉をはぎ取り、内蔵を露わにすると、まず胃をとって、投げつけたてきた。金縛りにあって。動くことができない。腎臓、肝臓、腸、みんな投げつけられた。最後にピクピク動く心臓が顔にぶつかった。女性は髪の毛を引っ張り、頭蓋骨をげんこつで割って、脳味噌をほじくりだし、べちゃっと放り投げた。目の前がぐちゃぐちゃになり、これが脳の匂いかと気持ちが悪くなって、ギャーと再び叫んだ。
 しかし、家内は起きてこなかったようだ。
 それから、寝たというより気絶してしまった。
 明くる朝、家内が揺り動かした。
 目をさますと、「死んじゃったかと思ったじゃない、驚かさないでよ、また怖い夢を見たの」
 「黒い茸がでた」
 「あの黒い茸だと、怪獣かなんかでたんでしょう」
 「いや、女がでた」
 「あらいいじゃない」
 「着ているものを脱いで」
 「あらあら」
 「だけど、皮膚も剥ぎ取って、肉をむしって、内蔵を俺にぶつけた。最後は脳みそをぶつけられた」
 「あーら」
 「疲れたよ」
 「顔洗って、コーヒーでも飲んで落ち着いて」
 私は言われた通り、洗面所で顔を洗って、キッチンのテーブルについた。
 「あなたね、あの黒い茸にも天使の輪があったのでしょう」
 「うん」
 「天使の輪のある茸だけが夢にでてくるのでしょ」
 「そうだよ」
 「それはね、天使の輪の浮いている茸が、写真を撮るなって言っているのよ」
 「そんなことはないだろう、可愛いし、面白いから写真を撮って何で怒られるんだ」
 「茸には茸の事情があるのよ、なんで天使のリングがあるのか考えなさいよ、茸の専門家も輪のある茸の写真を本に載せていないじゃない」
 「輪があるのは写真を撮ってくれっていっているようなもんじゃないか」
 「きっと、意味があるのよ、写真というのは茸にとってやなものかもしれないじゃない、輪があるのは恥ずかしいのかもしれないわよ」
 「こんなに可愛く写しているんだから、そんなことはないよ」
 「なにが起こるかわからないから、少なくとも、リングが浮いている茸の写真をやめたらどーお」
 私はその日、公園で茸の写真を撮った。動物園裏とは違った茸が生えている。埃茸、栗のような茸、後で調べたら土ぐりだった。それに、先っちょが赤い筆のような茸が草群に生えていた。狐の絵筆だった。かなり大きな脳茸も生えていた。その茸たちに、輪をもっているものはなかった。
 その夜、家内が言ったように、変な夢を見ることはなかった。家内が言うように、天使の茸が写真をいやがって、変な夢を見させたのだろうか。それを確かめるのは、もう一度天使の茸を見つけたら、写真を撮ってみよう。それで、変な夢を見たら、写真に撮るのをやめにしよう。そう思った私は、その日も朝早く、カメラを肩にかけて、動物園裏の散歩道に行った。
 ピンク色の花落葉茸が何本も光の中に生えている。輪っこを持ったのはいないが、写真を撮った。ともかくかわゆくて綺麗だ。狐の花傘も生えていた。名前のわからない赤い茸がたくさん生えている。イグチの仲間もある。卵茸があちこちにある。これはおいしい茸だ。今回は食べてみよう。写真に撮るのと、採って食べてしまうのと茸にとってどちらがいいのだろう。食べちゃう方がいけないのじゃないかな、と思いながら袋に入れた。
 白い傘にぼちぼちのある茸がすっくとたっている。写真を撮った。確かこれは、猛毒の茸ではなかったか。
 しばらく写真を撮りながら歩いていくと、茶色の傘に白いぶつぶつのある茸が列をなしているのに行き当たった。たしか天狗茸といって猛毒のはずだ。写真を撮っていくと、列の中程の一番大きく、立派な天狗茸の傘の上に茶色のリングが浮かんでいる。天使の茸だ。この写真を撮って、もし夢をみなければ、天使の茸のせいではないということになる。
 写真機のディスプレーに映った天狗茸の天使は立派である。
 シャッターを押した。一瞬画面から天狗茸が消えたと思ったのは気のせいで、何とも綺麗に傘の上の輪が写っている。
 非常に満足したので、私は家に帰って、撮った茸をディスプレーで家内に見せた。
 「確かに、上達したわね、それとも、今日の被写体がよかったのかしらね」
 天狗茸の天使を画面に出した。
 「ずいぶん立派ね、また変な夢を見ないといいけどね」
 「これは猛毒なんだよ」
 「今までの茸の天使は、皆かわいらしい茸だったでしょう」
 「いや、まっ黒いのもあったよ、ただ、あれは毒じゃないようだけどね」
 「毒茸の天使はなにするかわからないわよ、夜中気を付けなさいよ」
 家内に脅かされた。家内に何を言われても怖くないほど、結婚して長い年月が経っている。いつものようにベッドに入って、ちょっと本を読んだら眠くなった。
 案の定、夢の中に天狗茸が宙を飛んだ。それが、やがて水色の玉になった。綺麗なものだ。今までの茸とは違う。水色の玉はふっくらした女性の形になった。といっても顔ははっきりしない。水色のふわふわした女性が私の上にかぶさってきた。手をパジャマの中にいれ、私の体中にはわせたので気持ちがいい。変なとこまで触られてしまった。こんな夢なら毎日でもいい。毒茸の方が天使らしくなるのかもしれないな、などと思っていると、水色のふかふかした女性は、私を脚の方から女性のからだの中に引きずり込んでいる。
 あ、気持ちがいい、なんだか足湯に足が浸かっているようだ。腰まできた。パジャマを脱いじまえ、裸になった。
 女性の形をしていたのがまん丸の水玉にもどっている。私はからだ半分温水の玉に入って、部屋の中に浮かんでいる。部屋が見える。隣のベッドで家内が鼾をかいている。だんだんとからだが温水の水玉に入っていく、胸まで入った。頭がでているだけである。
 水玉は天井にくっついた。ベッドが下に見える。
 あ、頭まで水玉に吸い込まれた。
 家内の起きる時間だ。
 「あなた、今日は叫び声あげなかったわね」
 立ち上がった家内が布団の中の私に話しかけている。
 家内が私を揺すっている。私が目を覚まさないようなので、あわてて、一階に降りていった。ちょっとするともどってきて、「あなた」とまた揺すっている。
 ぴーぽーぴーぽーと救急車の音がする。
 救急隊員が私のベッドの脇にきて私を調べている。
 「お亡くなりになっています。枕元のコップから水を飲まれたようですね」
 「たまに、夜中に飲みます、咽が渇くといって自分で用意しています」
 「肺に入ってしまって、お亡くなりになりました、誤えんによる、窒息死です」
 
 私の入っている水玉は、天井を通り抜け、空の上の方に昇っていった。地球が見える。ふわっと見ていると、宇宙空間で大爆発をした。こうやって私は消滅した。

茸の天使

私家版第十二茸小説集「万茸鏡、2022、267p、一粒書房」所収
茸写真:著者 長野北安曇野群白馬村 2016-9-12

茸の天使

団地の裏道にかわいい茸が生える。ある日、茸の傘の上に天使の輪が浮いていた。その写真を撮った夜に、必ず怖い夢を見る。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-09-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted