とおい将来

ベッドで本を読んでいた。長い物語だった。そこでは、"宇宙"と"魂"をつなぐ象徴的な"何か"として「セックス」がその役割を担っていた。性まみれの男女が、ベッドで自らを、お互いの性器をあれやこれやして、あふれさせていく。こと細かな描写が、自分の実体験と重なる。躊躇わずに言えば、読みながら勃っていたが、くだらないことだ、とも思った。ほんとうに。射精後の憂鬱などに頼らずとも、わたしはわたしを性から解放させることができる。今のところは、できる。わたしの、情けない30年の歴史が、脳の中でたゆたう。くるくるまわる。頁を繰ってるだけなのに、わたしは簡単に傷を受ける。あなたに会う前日に、爪を短く整えたあの時のわたしに、薬局で避妊具を買うわたしに、咄嗟に覚えた居心地の悪さが今でも全てを混沌とさせる。"でもね、菊地さん、春日さんはパワーセックスなんですよ。体位を変える時にね「よいしょっ」って言うのが癖なんですけど、大丈夫ですか、そういうの。" そんな話で大笑いするくせに、わたしはセックスをしない。物語では、とっかえひっかえに美しい女が現れては、主人公はとっかえひっかえにセックスをして、その都度、苦悩する。とりあえずやることはやる、という勇ましさに若干の感動を覚えつつ、頁を繰る。



文字の上に蚊が止まった。わりと大きな蚊。わたしは、本が閉じてしまわないように左手で頁をおさえながら、右手の甲でぱっと、蚊を払う。たしかに感触があったのに、蚊はまだ目の前をふわふわと飛んでいる。こんな小さな虫ひとつも殺せないのに、頁を繰っているだけで、自分は傷ついていく。セックスは、物語の抽象的な比喩のひとつに過ぎないと分かっているのに。誰とも関わりたくないのは、たぶん、人を求め過ぎるからだろう。認めてほしくてたまらないのだ。ひとりにしないでね、大声で君を呼ぶ。でも、とおい将来、わたしはきっとひとりでいるだろう。あなたも、誰も、いないどこかの場所で、途方に暮れて死んでいるのだろう。わたしは言葉を書くには全てが未熟すぎた。悔い改めて、一切を捨てるべきだと思う。しかし、わたしは10年も書き続けてしまった。情けないことに、それを無視していては、わたしは自分の存在を認めることができないのだ。



蚊はまだ飛んでいる。本はもう閉じた。
これを書くために、わたしは物語をやめた。

とおい将来

とおい将来

  • 自由詩
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-13

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