知恵の実と殺し屋
殺し屋はスコープを覗いた、倍率はそこそこだ。人間は常にできない事を探している。彼は殺し屋の仕事に成功したことがない、それもその理由のためだ、手のひらの中にはまるで、クルミのような木の実をにぎっている、それを握りつぶす時、かれは特別な感覚を感じる。敵は標的だ、標的は醜い表情に顔をゆがめて、辞書を片手に本を読んでいる、敵は暖炉のそばで、安楽椅子に腰を掛けている。弾丸は今選んだ、これは職人の技だ、この口径の弾丸ならば、窓ガラスをつきやぶり彼の体に弾丸を閉じ込めるのに十分だ。ただ、少しばかりの瞑想をしよう、そうすれば、今度は、今度こそは仕留めて見せる。
彼は手の中の感触を確かめる、屋上にいながらにして、標的と同じような、日常の景色を思い浮かべる、外は寒い、暖炉のそばはさぞかし暖かく、居心地がいい事だろう。憎い。感触は閉じた暗黒の中で、情景を映し出す。
——くるみ割り人形——
小さなころ、彼の子供の時代のこと、夜家族が寝静まるときになって、彼等がたまに動き出すことがあった、ゼンマイのまかれていないオルゴール、カバーのされているはずの大きなピアノ、自分のお気に入りのくるみ割り人形、その日彼は、必ず、明日はうまくいくはずだと思う事がある。それは幸せだった、祖母が生きていたころ、まだ両親がヒステリーによって本性を現さなかった頃の記憶を呼び覚ます。
今は、彼は殺し屋だ。殺し屋なのだが、それは夢だ、彼は記憶の中の自分に標準を合わせている、今日も、隣の空き家の屋上で煙草をすって、弾丸をぬいて、殺し屋稼業をあきらめかける、溜息をついて、レンガの屋根のふちをせもたれに、空を見上げて手のひらを上むきに解放し、寝転がる。屋上は雪がつもりひどく寒い、そして彼は夢を終わらせる準備を終える、いつか、本当に殺せたら、殺し屋の人生から足を洗う事ができる。
知恵の実と殺し屋