影奴隷

 僕の中での経験上、人生で運命の分かれ道、というほどに何か重要な判断が起るときには、服従せよと声がかかる、神から、天から降りてくる。感覚的なものといっていい。場合によっては合理的なのだ。これまでが、それまでが、ひとつの大勝負もしない人生だったから。
 なにげなく、昨日までなかったような風景の中に、都会の端にある、住み着いたアパートはドアの代わりにカーテンが下りている。窓ガラスは修理していないのではあるが、枠に雨漏りを防ぐ木の板だけがついている。隣人はたまにしか帰らない、廊下の蛍光灯は常に点滅している。薄汚れた苔の生えた廊下の壁、それも味がある、僕は、この街と死んでいく決意をしている。僕の仕事は車のエンジニアをしている、下働きの下働きで、毎日油だらけで帰る。
 5年前越してきて以来、この街で長らく孤独だったが、妖艶な、不思議な知能をもつサイボーグを見た。スラム街で街頭歌手をしていた。ときに場末のバーにいた。それがあまりに不人気で、それでいて特殊な客を呼び寄せるのだ。それは特に僕の好きなタイプの人々だ、あいまいな、中途半端な、それでいてたまに出す才能がとても優れた人々だ。初めて見かけたとき、大通りの端でうたっていて、彼女の存在はこの街の、朝方にできる日陰に似ていると思った。先週勇気をだして、そのことを、やっとファンとして喋れるようになった先週に告げた。彼女はあまりにも普通に喜んでいて、その様子にどこか紳士的な魅力をかんじたのだったが、それが嘘ではないと感じたのが、おいおいはなすのだが、それまでの事があったからだ。
 そのとき、それは一年前。彼女は僕が心して質問したことについて、嘘をつかなかった、“モデルの仕事、してますか?”彼女は、ただ、黙っていてくれればいいといった。僕は確かにその通りにした、きっと恐ろしい存在だっただろう。僕は秘密をしっていて、そしてコミュニケーションがひたすら下手で、自分でも不気味に感じることさえある。だからその質問の意義さえ、自分自信でさえうたがっていたのだ、もっともな事なんだ。
 彼女はそのうちいなくなる、先月僕にむかって、ライブ終わりに、楽屋へよびだしそう語ったのは、彼女のマネージャーだった。いつにもなく大盛況のライブで、僕はその後にがっかりして、びくびくして、これまでの事をわびた。やはり、奇妙な事をしていた。彼女が消える?それは僕のせいかと尋ねても、彼は答えなかった。僕は聞いた、彼女はなぜ、こんなことをしているのかと、マネージャーを名乗る彼はこういっていた、それさえ定かでないが、僕は何かをまもることしかできない。彼はいう、彼女はある金持ちの奴隷であったと、もともと彼女は、娼婦で、アンドロイドなのだと。僕はさとた。サイボーグではなかった、彼女はアンドロイド。しばらく絶句をしていたが、特に何も思う事はない、この街の日陰に似ていると、初めに思ったものだから。
 マネージャーいわく、彼女は、いつしかモデルをやって、華やかな暮らしをえたし、この街にいい思い出はないけれど、数年前、彼女を奴隷扱いしていた彼女の所有者が死に、静かになったこの街に、少しなつかしさを覚えるのだという。昼の華やかな暮らしではなくここに自分の居場所を見つける事があるのだと、誰かのために歌うときに、それが本当の居場所だと、それはプログラムでも過去でもなく、本当の自分を見つける事だと思っていると、あえて嫌な記憶のある街で、自分の価値を確かめたかった、だがもう大丈夫になった、だからいなくなるのだと、それは彼女が僕つげるよう、彼女のマネージャーへと言い渡したことだとしらされた、僕は小さな控室をでて、少しさびしくなったが、なぜだか泣きながら笑った。
 彼女はそのうちいなくなるけれど、僕は知っている、彼女の影がこの街のどの景色と似ているかを、それは電車の窓辺から見える風景だ、ショーケースのマネキンだ、あるいは毎日さす日差しが照らすこの街の情景だ。服従せよと声がする、静かに、その秘密とこれからの事を、誰にも話さないと決めた。それだけが、きっと日陰を選び続ける、自分に許された秘密なのだ。

影奴隷

影奴隷

SFチックなストーリーです。情景描写を意識しました。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-12

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