うらやまし神
基本的にねたみはまずいものですよって。今週、英会話教室の先生が話しているのを聞いた。ああ、そうなんだって、聞き耳たてて廊下を通り過ぎたんだけど、あの人の母国でもそうなんだなって思った。これはそれだけの話。
うらやましいものに名前をつけて、それが実は、つけた名前と全く違う形をしていたとき、人間はそのギャップを乗り越える勇気を持つことが出来るだろうか?僕にはわからない、なぜなら常に、常にとはいわないが、何度も失敗を繰り返しているからだ。例えば誤解、例えば沸き上がる感情、たとえば、斜にかまえた態度がそうだ。名前をつけたものが違う形をしている事が、何でそんなに不満だろうか、それさえも見破って名前をつけたはずだったんだ。
うらやまし神、僕はそう呼んでいる、祖母の家には、見える人には見える、というくらいの感じで、むかしから20代くらいの白い女の人がでた、それは昔あるその地方の流行病で死んだ若い人の亡霊だという、祖母のいう若い若いといっても昔の20歳だから、そう若いというわけではないのかもしれない。そもそも子供時代には、いくら若いといっても20歳といえばもう大人、だけど成長すると、その数の数え方が、自分に甘くなったり人に甘くなったり、逆に厳しくなったりと色々とあるもので。
うらやまし神は、僕が悪さをしたとき、僕を見つめていた、僕は祖母と僕にしか見えないそれを、子どもの頃の色鮮やかで鮮明な、あるいは不鮮明で美化された記憶の中に、思い出すことがある、あの頃は時間の流れが遅く、考える事が今より倍もあって、知らないこともたくさんあった。知らない事は、名前を付けない、名前を付けない事は、好奇心という感情に近い。子供は無邪気なのだ。うらやまし神は、何をするときも何もいわなかった、家の中からでないから、山へでかけるときも、沢へいくときも、神社に立ち寄るときも、ただ恨めしそうに僕を見つめるだけで、ただそこにいるだけだった、悪さをしたこともないと思う、僕は彼女に名前をつけた。初めの名前は、疫病神だった。なぜなら僕が影で何してようと本来は僕の勝手なのに、その気持ちがかわったのは、祖母がある病にかかってからだ。
僕は祖母の病で、一番大きな市の病院に入院中のときに、祖母の大切にしていた本に染みをつけてしまった、コーヒーなんてしゃれたものを飲んで、だからそれをすぐにかくして、次の日、染みがさらに濃くなっているのをみて、泣いた。祖母は怒ると厳しく、顔を鬼のようにして、がみがみと人が変わった風になるので、小さなころから怖かった。読めなくなったわけじゃないけれど、祖母が元気だったら、この染みを怒っただろう。勝手に祖母の部屋にはいって、病床の祖母に伝えるのも息苦しい、誰かにいうしかない、それでも2、3日部屋の中をぐるぐる歩き回って、自分の中で、善と悪の定義について考えたけれど、いいたくなくて、泣いた。罪悪感が押し寄せて来た、そんなとき、うらやまし神は現れなかった。僕は初めて彼女をうらんだかもしれない、人に謝る必要がないなんて、うらやましい。うらやまし神なんて名付けてみたが、それから何日も現れなかった。やがて祖母がいよいよ危ないといったときになって、家族みんなで病院にあつまって、彼女を見送る準備をしていた、僕が親類に催促され、手を握ってみせると、彼女は、ベッドで手を握りかえしてこういった。
「お前は、後悔しているなあ、次からは、気を付けなさいよ」
そんな叱り方は、これまでしたことはなかった、そして祖母は、祖母の本はすべて僕にあげるといってくれた、まだ難しかった哲学の色々な本は僕のものへ、あの罪悪感も、きっと僕のものになった。うらやまし神は、その病室には現れなかった。祖母の死とともに、最後に、葬式で僕に手を振っていた。
うらやまし神