アダムとラム(良夢)    副題(地球に神はいなかった)

この小説はフィクションです。
しかし、小説内容に似た出来事が、実際に起きるかも知れません。
日本や世界の現状はどうなっているのでしょうか。
そのような事など無関心で、毎日毎日、暇さへあればスマホやPCばかり見ている。
支配者層にとって、そのような人たちは、正に好都合な生き物。
支配者層は、そのような人たちを「人」とは呼びません、ゴイムと呼びます。ゴイムとは家畜であり奴隷です。
いつの間にか、自分たちがそのような立場になっている事に気づいてください。

ロンドン旅行中の女性ラム(良夢)が、大富豪の息子アダムに見初められた、、、。

                     アダムとラム(良夢)
                   副題(地球に神はいなかった)

大英博物館を出て、小さな横断歩道の前で二人は足を止めた。
この後どこへ行くか二人とも考えていなかった。既に午後3時を過ぎていて、ここから他の観光地へ行くには、時間的にも中途半端だった。かと言ってこのままホテルへ帰るのも勿体無いように思えた。
友人のパエンは、裕福な兄夫婦がロンドンに住んでいて既に数回来ていたが、大学を卒業してバンコクに就職が決まっているラムは、5日間だけの初めてのイギリス旅行だった。
しかも旅行が終わってチェンマイに帰れば、翌日にはバンコク行きの準備をしなければならない、慌ただしいスケジュールの旅行であり、貴重な休暇を利用しての旅行だったので、少しでも多くの観光地を回りたいと思っていた。

ラムがパエンに聞いた。
「これからどこへ行く?ロンドン大学も行ってみたいけど、この時間でも授業参観できるかしら」
パエンは腕時計を見て少し考えてから言った。
「夜になると急に寒くなるから、途中のラッセル公園に寄り道してからユーストン駅に帰りましょう」
「ラッセル公園て聞いたことないけ」
ラムの声をかき消すように叫び声がした「泥棒だ、その男を捕まえてくれ」
ラムとパエンが驚いて叫び声の方を振り返ると、若い男が、車道近くを歩いていた老婆を突き飛ばしてラムの脇を走り抜けて行った。と同時に車の急ブレーキの音がした。
すぐにドアの開く音と「糞婆、死にてえのか」と言う罵声が響いた。

車の1メートル先辺りにうずくまっていた老婆を、今にも蹴り飛ばしそうな剣幕で、屈強な黒ずくめの男が立っていた。
それを見たラムは咄嗟に老婆の前に立ちはだかり、下手な英語で叫んだ。
「このお婆さん、悪くない、このお婆さん、泥棒に倒されただけ」
「なんだこの女は」と言わんばかりにじろりとラムを見た屈強な黒ずくめの男に車の中から声がかかった「もう良いです、車を出してください」
男は素早く車に乗り込み、老婆を避けて車を走らせたが50メートルほど先で止まった。

車内の後部座席に座っていた30歳くらいに見える男が、振り向いてラムと老婆を見ていた。
運転していた屈強な黒ずくめの男ジョンが怪訝そうな顔をして言った。
「御子息さま、いかがなされました」
御子息と呼ばれた男は、ジョンに答えず、老婆を助け起こし歩道脇で裾の埃を払ったりしているラムを見続けていたが、隣に座っているデーンに視線を移さずに言った。
「デーン、すみませんが目立たないように彼女の身元を調べてください」
デーンと呼ばれた男は驚いて聞いた「え、あの若い女ですか」
「そう、、、あるならメールアドレス、それからスカイプかラインアドレスも調べてください、貴方の組織を使ってもかまいません」
驚いた顔のデーンは、やはり驚いた顔のジョンと一瞬顔を見合わせてから「承知いたしました。では今日はこれで失礼いたします」と恭しく言ってから車から出ていった。

デーンが、さり気なくラムに近づいて行くのを見ている男にジョンが言った。
「御子息さま、そろそろ行かないと約束に間に合わなくなりますが」
「そうでした、、、出発してください、それと二人だけの時は昔のようにアダムと呼んでください」 1
「恐れ多いことです。昔は友人でも今は御支配さまの尊い6番目の御子息さま。
御支配さまから身を捨てても御守りせよと言いつかっております。御子息さまとお呼びいたします」
アダムはため息をし、仕方ないと言う表情で頷き話題を変えた。                   
「大兄は父をおいて何故急に今日帰ってきたのですか、300人委員会はまだ終わっていないでしょうに、、、何か聞いていませんか」
「いえ、私などには何のお話しもありません。大兄さまからは、一刻も早く御子息さまに頼みたい事があるとのことでした」   
                                          
アダムとジョンは某高級ホテルの最上階の部屋に行った。
ドアの両脇に、ジョンと同じような身なりの屈強な男が二人いたが、アダムが弟だと名乗るとすぐに携帯電話をかけて、中からドアが開けられた。
中にも屈強な男がいて、ジョンだけボディチェックされた。不満そうな顔のジョンをそこに残してアダムは奥に進んだ。
アダムが近づいたのを察したのか、ソファーに座っていた背の高い男が立ち上がり、両手を広げてアダムを迎えた。
アダムはその男と抱擁して言った「ロビン兄さん、お久しぶりです、お元気でしたか」
「ああ、元気だったよ、相変わらず親父には手を焼いているがね。それよりお前はジョンと二人だけでここまで来たのか、物騒だな、他のボディガードはどうした。職務怠慢な奴は首にしろ」
「急な事だったので他の者は間に合いませんでした。でもジョンがいてくれたので安心でした」
「ジョンが凄腕なのは聞いているが、一人だけでは心もとない。帰りは内の者を数人付かせよう」
「ありがとうございます。ロビン兄さん、で頼みたい事と言うのは」

ロビンはすぐには話さず、アダムをソファーに座らせ自分もその横に座ってから指を鳴らせた。
即座に後ろの男がファイルをロビンに手渡した。
ロビンはファイルを開き、中の写真をアダムに見せながら言った。
「どうだ、凄い美人だろう。F国の旧貴族の御令嬢で26歳、おうそうだ、この人、年下は嫌いだそうだが 、お前は幾つになった、この人よりも上だよな」
「もうすぐ29歳にな」
「29歳か、ちょうどいい。では先方に話しを進めるぞ」
「ええ、突然そう言われても、、、」
「任せておけ、お前の事は俺が一番知っている。親父の代わりに俺がお前を育てたようなものだからな。挙式は半年ほど先にして、とにかく会って深い仲にならんとな。
来週F国に行け。こちらで準備しておく。詳しい事はジョンに伝えておく。それから、、、」
ロビンの言葉を遮るように後ろの男が「御支配さまからです」と言って携帯電話を差し出した。
ロビンはまだ話したい事があったようだが、父との話が長引きそうだと察したのか、アダムに帰るように手を振った。
アダムもまだ話したい事があった、それよりも縁談話を断りたかったが、世界一忙しい人ではないかと思われるロビンの邪魔になっては悪いと思い帰る事にした。

ロビンが二人のボディガードを付けてくれて、4人で車に乗り込んだ後でジョンが言った。
「大兄さまのお話し、聞こえておりました。願ってもないお話し、おめでとうございます」
「何がおめでたいものか、うんざりだ。頼みたい事があると言うので来たら、またこんな話か」と、多いに不機嫌そうにアダムは言った。
「大兄さまも、御子息さまの事を思われての事でしょう。それはそれで、話は変わりますがデーンから連絡がありました。先ほどの女性の身元が分かったそうです」
「なに、もう分かったのですか。早いですね、闇組織、さすがですね。                2
しかしもしかして手荒なことを」
「いえ、一切そのような事はしていないとのことです。お帰りになられましたらメール確認してくださいと言っておりました」
「そうですか、わかりました、ありがとう」

住居に帰るとアダムは早速メールを見た。デーンから、あの女性のプロフィールが届いていた。
RAMU SASAKI 22歳 タイ国籍 日本人の父とタイ人の母の混血児               
兄一人の二人兄弟 他に電話番号、メールアドレスとラインアドレスが記載されていた。
(ふーん、父親は日本人か)そう思うと、老婆を助け起こしたりしていた時のラムの優し気な身のこなしが納得できるような気がした。
あの時ジョンに言って車を走らせたが何故か気になって急に車を止めさせ見とれてしまった。
老婆を助け起こすと言う何気ない動作の中に、自国の女性では決して見出せない不思議な魅力を感じた。
(こんな事は初めてだ)
                                                           
アダムは、ロベルト、ロスマイルドの6男だった。ロスマイルド家は有名なワーテルローの戦いを利用して巨万の富を得て以来、世界に名だたる大富豪になり現在に至っている。
そのロスマイルド家の中でアダムは何不自由することなく成長した。
女性に対しても思いのままだった。17歳で初体験、その後数年、多くの女性と接した。
しかしいつしか欲望を満たすだけの行為に虚しさを感じるようになった。
ケンブリッジ大学を卒業してからは何度も縁談話が持ち上がった。
相手の多くは、旧貴族の娘とか、伝統ある何々家の御令嬢、または有名人の身うち。
特に、有名ではあっても経済的に斜陽気味な家の娘が多かった。勧められて仕方なく交際してもプライドばかり高くて、すぐに不愉快にさせられた。
いつしかアダムは、女性に魅力を感じなくなっていた。

今のアダムは女性よりも、もっと大きな事に関心を寄せていた。それは、父を頂点とするロスマイルド家一族と多くの富豪が手を組んで進めている、世界の経済と政治の統合だった。
父の口癖「NWO (New World Order)新世界秩序の実現以外に人類の未来はない」にアダムも深く傾倒していた。
アダムは、全世界の未来の政治と経済を取り決めると言っても過言ではない「300人委員会」にも興味があったが、ロスマイルド家といえど家長と長兄以外は出席できなかった。
だがアダムは、長兄ロビンから 300人委員会での出来事の多くを聞かせて貰っていた。
中には超極秘情報もあったが、アダムは決して外部に漏らしたりしなかった。
漏らすはずがなかった。何故なら、そのような超極秘情報について話し合える相手がいなかった。
また、ロビンもそのようなアダムを良く理解していた。20歳も年下で、まるで親子のような錯覚を起こしそうなアダムだったが、ロビンはアダムの鋭い洞察力と思考能力に惹かれていた。

ロビンは長兄だったが身体が弱かった。
若い頃から慢性腎不全になり度々人工透析をしなければならなかった。
また、アダム以外の弟も皆、何らかの障害があった。
ロビンは両親が近親婚ではないかと疑っていた。そしてアダムは腹違いの弟ではと。
ロビンがそう疑うには他にも理由があった。
他の兄弟は父親に似て背が高いのにアダムは普通の背丈だったし、顔もあまり似ていなかった。
アダムの出生時にも疑惑があった。
ロビンが大学の寄宿舎に居た時にアダムが生まれたのだが、その後すぐ母が死んだ。     3
病院では母子ともに死亡という噂がながれたがすぐに消え、数日後、父がアダムを抱いて帰って来た。しかし父はアダムにまったく関心を示さず、養育は他人任せだった。
そんなアダムにロビンだけは何故か気がひかれ良く面倒を見た。
養育要員だけに任さず、重要な事は的確に指導した。どこに住んで、どこの学校に行って何を学べば良いか、ロスマイルド家の子どもとして何を身につけべきか等を、正に父親のように施した。
アダムもまた、父同様にロビンを尊敬していた。
病弱で、週に一度は人工透析もしなければならない身でありながら、父とともに世界各地に行き、要人と会い様々な懸案を解決させる大兄ロビンに陶酔さえしていた。

しかし、あとからあとから縁談話を押し付けるのには閉口していた。
しかも相手はいつも良家のお嬢様。格式やしきたりに囚われ視野が狭い上に、生まれを鼻にかけ、一挙一動にさえ周りの視線を意識したような演技ぶった動作、正にお高く留まっているとしか言いようがない女性ばかりにアダムはうんざりしていた。
そんな状況の時、偶然にもRAMUを見かけた。
気取りのない自然な動作、しかもその動作の中に、老婆を労わる優しい心使いが表れていた。
(RAMU SASAKI、、、どんな女性だろう、、、会って話をしてみたい)
アダムは、もう一度プロフィールを見た。
(タイ国籍、父親は日本人、、、どこに住んでいるのか?旅行でロンドンに来ているのか?)
アダムはデーンに電話をかけた。
「デーン、夜分遅くに済みません。女性のプロフィール、ありがとう。短時間によくあれだけ調べましたね、すごいです、例の組織を使ったのですか、、、でも、一つだけ教えてください。                                                  彼女はどこに住んでいるのですか、、、なに、現在はロンドン市内のホテルに居て、明後日にはタイに帰る予定ですって、、、分かりました。じゃあタイの住所も調べておいてください、急ぎませんから、、、明日はいつものように車に乗ってください」
電話を切った後アダムは「明後日ロンドンを去るのか、、、」とポツリと独り言を言い考えた。

ホテルの部屋でもラムは、いつものように寝る前にベットに寝そべってメールチェックをした。
「Adam Rosmild Jr. ? 誰だろ」
パエンに聞こうとしたがパエンは隣のベットで既に寝息をたてていた。少し迷ったが本文を読んで見ることにした。本文には
I will excuse you with a sudden email.I am never a dangerous person.Please open the Line from me.とだけ記載されていた。
(私は決して危険な人間ではない、、、と言われても、、、それをどうやって信じたら良いの。第一、どうして私のメールアドレスを知っているのよ。そんな人にラインを開ける訳ないじゃないの)
ラムはメールを削除し、ラインも開かず眠りに着いた。
翌朝ラムはパエンに聞いた。
「Adam Rosmild Jr.って人、知ってる?メールが来たけど心当たりがないの」
パエンは少し考えてから言った。
「Adam Rosmild Jr. 私も知らない、、、何かの勧誘じゃあないの、無視した方が良いわ」
二人は朝早くから観光に出かけた。

アダムは夜中まで起きていて、返信メールかラインが開くのを待っていた。しかし、メール既読にはなったものの返信はなかった。今朝も確認したがダメだった。仕方なく迎えの車に乗り込んだ。  するとすぐデーンが「昨日の女性の住所がわかりました」と言ってメモ用紙をアダムに渡した。
アダムはそれを見て「早いですね、ありがとう、、、タイ、チェンマイか」と言ってからメモ用紙を折りたたんでカードケースに差し込んだ。車内バックミラーでそれを見てからジョンが言った。    4
「大兄さまの方から連絡がありました。明日の朝、ロンドンシティエアポート発の便に乗るように。その後は付き人が手配するとの事でした」
「明日?来週って言ってたはずですが」
「はい、お見合いの方は来週初めですが、その前にF国PL銀行頭取の子息モーガンさまと会談するように、との事でした。
会談内容は付き人のファイルを読むようにと、、、現頭取も余命いくばくもない御容態、今のうちにモーガンさまにお会いしておくのはロスマイルド家に必要な事だと」
「そうですか、わかりました。デーン、今日のスケジュールを、、、明日からロンドン不在だからスケジュール変更もお願いします、、、出発までに1時間ほど余裕はないかな、、、昨日の女性に会いたい」デーンとジョンは複雑な表情で顔を見合わせた。

観光を終え夕方ホテルに帰って来たラムとパエンは、ロンドン最後の夕食をどこにするか話し合っていたが、良いレストランが分からず、フロントに相談する事にした。                 
英語の得意なパエンが聞くとフロントスタッフが親切にレストランと道順までも教えてくれた。   夕食にはまだ少し早いかなと思われたが、二人はそのまま出かけた。
それから30分ほど経ってフロントにジョンとデーンを連れたアダムが現れた。
「RAMUSASAKIに会いたい」
「RAMUさまはお出かけになりました」
「どこへ」
「さあ、、、なにも言われずお出かけになられましたので、、、」
アダムが顎で合図すると、デーンがフロントスタッフを脇に呼び、そっと高額紙幣を手渡した。
フロントスタッフは昨日と同じように無表情のままデーンに耳打ちした。3人はその場を去った。
             
ラムとパエンがメインディッシュのローストビーフを食べ始めると、アダムが脇に来て言った。
「私も一緒に食事してよろしいでしょうか」
ラムとパエンは驚いてアダムを見上げた。
アダムの後ろには屈強な黒ずくめの男が二人立っていた。
ラムとパエンはその二人のうちの一人には見覚えがあったが、もう一人の黒ずくめの男と、目の前に立っている、地味だが一目で解る高級スーツを着た、理知的な顔立ちの男性には見覚えがなかった。
ラムとパエンが顔を見合わせ戸惑っていると、見覚えのある黒ずくめの男が店員に椅子を持って来させ、アダムを座らせその後ろに立った。
それを見たラムとパエンは、映画で見たことがあるマフィアのボスと子分を思い出し、ますます不安になった。

ラムが小声でタイ語でパエンに聞いた。
「パエンの知り合い?」パエンは激しく首を左右に振った。
二人の胸中を察してか男が静かに言った。
「突然で驚かれたでしょう、すみません。私は昨日メールを差し上げたアダム、ロスマイルドです。ラムさんと話がしたくてここへ来ました。決して怪しい者ではありませんので御安心ください。
とは言ってもすぐに警戒心を解くことなどできないでしょうから、一つだけお願いします。
私とラインで話してください。ラインでなら恐らくもっと気楽にお話しできると思いますので、、、
ラムさんの名前やメールアドレスを何故知っているのか等、訝しく思われていることなどもラインで後日ご説明します。御安心ください。
初対面で緊張されているようですので、今日はこれで失礼しますが、ラインの件お願いします。どうぞ必ずラインを開いてください」                                       5
そう言ってアダムは立ち上がってから、思い出したように言った。
「私の事を知りたくなりましたら、私の名前でネット検索してください。顔写真も載っているでしょうから、私本人であることを納得されるでしょう」
そう言ってからアダムはラムに近づき、ラムの顔をじっと見つめて独り言のように言った。
「良い御顔をしている、恐らく私は貴女を好きになるだろう」
ラムの顔が真っ赤になったのを見届けてからアダムは踵を返して、黒ずくめの二人と去っていった。

アダムたちが去った後もラムとパエンは数十秒間動作が停止していたが、ホッと息を吐き我に返ったようなパエンが言った。
「何なの、あの人、どういう知り合いなの」
「私も知らない人」
「でも、ラムにばかり話していたじゃあないの、どこで知り合ったの」
「本当に知らない人、でも後ろに居た一人は見覚えがあるわ。昨日、博物館前でお婆さんを轢きそうになったガラの悪い車の運転手だわ」
「ああ、あの黒ずくめの男、私もどこかで見たような男と、そうか、あの時の運転手か、でラムにばかり話しかけていた男は誰なの」
「本当に私も知らない。でも、昨日のメールの差出人みたいね、ラインも来てたけど開けなかった。ホテルに帰ったら開けてみる」
「大丈夫なの、なんかマフィアみたいな感じだったけど」
「マフィア、、、」ラムは少し考えて「でも、ラインで話すだけなら大丈夫だと思うわ」と言った。
「それと『 私の事を知りたくなりましたら、私の名前でネット検索してください』なんて言ってたけど、有名人なの、名前なんて言ったっけ」
「アダムって名前は分かったけど苗字の方は私も良く聞き取れなかったわ」
「メールが来たんでしょう、メールに載っているでしょう」
「メール、、、削除しちゃった」

その時、給仕が高級そうなワインが乗ったワゴンを押して来た。二人の横に来てうやうやしく一礼してから言った。                                                  
「当店最高のロマネコンティでございます。心置きなく御召し上がりくださいませ」         
二人は驚いて顔を見合わせた後パエンが言った。
「私たち注文していません」
給仕は、さも当然だという顔で頷いてから言った。
「先ほどこちらへ来られました御方とお知り合いだったとは知らず失礼いたしました。
アダムさまからの、御近づきの印のプレゼントとの事です。料理も最高の物をお出しするようにと、出来上がり次第お持ちいたしますので、もうしばらくお待ちを。
なお御食事も含め請求はロスマイルド家にとの御言葉を賜りました」
二人はまた顔を見合わせ言葉を失った。そんな二人に構わず給仕はワインを注いで一礼して去っていった。

ラムはホテルに帰るとすぐラインを開いてみた。昨日、交信許可願いになっていたアダムからのラインを許可して開いた。アダムは不在のようだったがメッセージが届いていた。
『先ほどは、お食事中すみませんでした。突然の出現でさぞ驚かれたでしょう。
何故突然出現したのか説明しましょう。 
貴女は昨日、老婆を助けられた。私は車内からずっと見ていました。そしてその時の貴女の労りのこもった行為を見て、私は貴女に興味を持った。
貴女はどんな女性だろう。何人だろう。どんな生い立ちだろう。同国民とはまったく違う貴女のフィーリングに私は魅了されました。                                    6
それで、失礼だと思いましたが、身うちの者にホテルを調べさせ、ホテルの支配人の許可を得て、貴女のプロフィールを調べさせて頂きました。
支配人の許可を得たとは言え、ご本人に無許可での行為。ご不快でしたら、貴女のプロフィールを破棄し今後一切ご連絡致しませんので、先ずは今後ライン通信をしていただけるかどうか、ご返答をくださるよう、お願いします』

英語の不得意なラムは、隣に座っているパエンに解読してもらいながら全文を読み終えると、パエンと顔を見合わせ、少し考えてから「どうしょう」とパエンに聞いた。
パエンも少し考えてから言った。
「何はともあれ、先にワインと食事のお礼を言うべきね、、、でも、ちょっと待って、あの人の事を調べてみましょう」
パエンはそう言ってから、自分のPCを取り出し、アダム、ロスマイルドでネット検索した。
検索結果では「世界屈指の大富豪ロスマイルド家の6男」と始まって生年月日や生い立ち、現在の職業や肩書き、推定資産まで顔写真付きで載っていた。
その推定資産の額を見ただけでも二人は言葉を失い、また顔を見合わせた。しばらくしてラムがつぶやくように言った。                                              
「どうしょう」

パエンもしばらく沈黙した後言った。
「とにかく今夜のお礼を、、、今後の事は、、、良く考えてから、、、そう、ライン交信はしても良いんじゃないの」
「うん、、、そうね、とにかく今夜のお礼を、、、お金持ちの気まぐれでも、お礼は言っとかなきゃね」
ラムはそう言ってから、キーボードを叩き始めた。
『アダムさま  私にとっては恐らく二度と味わう事はない、高級なワインとお食事、ありがとうございました。まるで夢のようなディナーでした。  ラインは開けておきますが、私のような下賤の者では話し相手になれるとも思えませんので、今後はどうぞお控え』
ここまでキーボードを打った時、隣に座って見ていたパエンがラムの手を止めさせて言った。
「余計なことは打たない方がいいわ。こんなチャンス、今後二度とないのよ。どんどん付き合って、何でもオネダリする方が良い。弄ばれて捨てられたって、それなりの物は貰えるわ」
ラムは、考えもしなかった事をパエンに言われドキッとした。

少し考えた(弄ばれて捨てられたって、、、か、でも私には荷が重過ぎるわ)
ラムは素早く「今後はどうぞお控えください」と打って送信した。
パエンが、勿体無い、と言いたそうな顔でラムを見たが、ラムの性格をよく知っているパエンは、仕方ないという表情をしてから自分のベットへ入った。
ラムも、アダムの事は忘れようと考えベットに入った。
翌朝、アダムから「今、時間がないので後日ラインしましょう」とメッセージが届いたが、昨夜あのような返信をしたので、これは最後の社交儀礼だと思い、ラムはアダムの事はもう思い出す事もないだろうと思った。実際その後2週間ほどは何もなかった。

しかし、その2週間の間にラムは、旅行を終えチェンマイに帰り、バンコクの会社に就職して、初めてアパート暮らしを始めた。
バンコクには3歳年上の兄が会社勤めをしてアパート暮らししていたが、兄のアパートからでは遠くて通勤が大変だったので、会社の近くのアパートを借りた。
アパートは3メートル四方ほどの狭い部屋内にシングルベッドと小さなテーブルと椅子があるだけで、トイレとシャワーは共同だった。                                     7
それでもラムにとっては高額な家賃だった。家賃支払いを楽にするために、1部屋に数人で住んでいる住人が多かった。当然、若いカップルも多かった。
アパート暮らし3日目に隣部屋の住人から聞いた話では、家賃支払いを口実にして言い寄って来る男が多いから気をつけて、との事だった。
翌日、言われた通り早くも言い寄る男がいた。3部屋隣の無職風の男。
「自分も一人で住んでいるけど、考えたら一人で住むのは割が合わない。二人で住めば家賃だって半分で良い。一緒に住まないか」
ラムがいくら世間知らずの女性でも、こんな男は相手にしない。無言でドアを閉め鍵をかけた。
だが、若い女性が一人で住んでいると言い寄る男は多かった。同じアパートの住人や会社の男性など、顔が見えればすぐ話しかけてきた。

ラムは自分が美人だとは思っていなかった。
顔はせいぜい十人並みだろう、しかし酷い猫背で悩んでいた。猫背を直そうと努力はしているが、ちょっと気を抜くとすぐにまた猫背になっていた。
だからこんな自分が、そんなにモテるはずがないと思っていた。大学でも数人言い寄る男がいたが、相手にしなかった。
言い寄る男を相手にしない理由は、父の教えもあった。父は生粋の日本人で、口癖のようにラムに
「言い寄って来る男は相手にしなくて良い。どうせろくな男どもじゃない。ラムの結婚相手はお父さんが必ず日本人の良い男を見つけてやるから」と言っていた。
父はどうやら、日本人が一番誠実で勤勉だと思い込んでいるらしい。そこでラムは思った(タイ人だって誠実で勤勉な男性はいる?本当に居るの?)何故か?マークが付いた。         
ラムはまだ誠実で勤勉なタイ人男性と知り合った事がなかった。
大学の時、言い寄って来た男性も、誠実そうに振る舞い熱心に言い寄ってはきたが、学校での約束事はあまり守らなかった。異性の前でだけ格好をつけているのがラムにも理解できた。

アパート暮らしを始めて、いつの間にか2週間が過ぎていた。夜ラインを開いてみると英語のメッセージが届いていた。既に忘れていたアダムからだった。
『お元気ですか。私が忙しくてラインできず申し訳ない。今チェンマイの自宅ですか。近いうちにラインで話しましょう。イギリスとタイでは時差が6時間ありますので、それを念頭に置いて日時を決めましょう。ラムさんはいつが良いですか?』

ラムは、大学はやっと卒業できたが、英語の成績はかなり悪かった。それでもネットの翻訳ソフトを使って何とか最後まで読み取った。読んでアダムからメッセージが来た事に驚いたが疑問も浮かんだ。                                                       
(ラインで話しましょうって、住む世界が違う私と何を話と言うの 。それに、英会話、、、自信ないわ。どうしょう。パエンが居てくれたらな、、、そうだわ、放っておこう、そのうち金持ちの気まぐれも治まるでしょう)
ラムはメッセージを読んだだけで何もしなかった。しかし、2日後の週末またアダムからメッセージが届いた。
『ラムさん、どうしましたか。病気になりましたか。とにかく返信をください。待っています』

ラムは仕方なくありのままに「メッセージありがとうございます。ロンドンからチェンマイに帰った翌々日からバンコクで働いております。小さなアパートから会社に通っています。毎日とても疲れています。だからラインしたくありません。それと、アダムさまと私は境遇がとても違います。共通の話題もないと思います。ラインで話す事もないと思います。今後はどうぞメッセージも控えてください」と翻訳ソフトを使って何とか返信した。するとすぐメッセージが来た。                   8
『え、バンコクで働いているのですか。どんな仕事ですか。辛くはないですか。
アパートは一人で住んでいるのですか。危険ではないですか。
私が御金を送りますので即刻チェンマイにかえりませんか。ラムさんの事がとても心配です。今すぐビデオ通話に変えてください。話し合いましょう』

ラムはしばらく迷った末にビデオ通話に変えた。忘れかけていたアダムの顔が映し出された。
2度目に見たアダムの顔は、ビデオのせいでか老けて見え、ネット検索での28歳にはとても見えなかった。そのアダムの顔が心配そうにラムを見つめていた。
アダムが言った「ラムさん、ちょっとビデオカメラで部屋の中を見せてください」
ラムは(女性の部屋内を見たいだなんて、、、失礼な)と思ったが、渋々カメラを回して部屋の中を見せた。するとすぐアダムが言った。
「こんな狭い部屋に住んでいるのですか。しかも、あまり清潔そうにない」
ラムはムッとした。部屋は狭いかもしれないが毎日掃除している。清潔でないとは言われたくない。
それに、誰だって綺麗な広い部屋に住みたい、でも家賃を考えるとこの部屋しか借りられなかったのだ。金持ちにはそんなこともわからないのか。ラムは腹立たしさを抑えて言った。
「私は毎日掃除しています。壁の汚れなどは、これ以上きれいになりません。それに、私の収入では、ここより良い部屋は借りれません」
アダムは少し考えてから言った。
「、、、ラムさんの収入はポンドで幾らですか」
突然そう言われて戸惑ったが、頭の中で計算して少し多めに言った。
「1ヵ月600ポンドくらいです」
「1ヵ月600ポンド?、、、その金額で生活できるのですか、、、」
アダムが続きを言おうとするのを遮ってラムは大声で「バンコクでは一般的な収入です、私を馬鹿にしないでください」と言いラインを閉めた。腹立たしさはまだ治まらなかった。
(あんな奴もう二度とラインしない)

アダムは困惑していた。ラムにいきなりラインを閉められてから、何度もメッセージを送ったが、読んでもくれていないようだった。試しにメールを送ったが受信拒否された。何故ラムが怒ったのか理由がわからなかった。
アダムはラインの続きで「今後毎月1000ポンド送金するから、チェンマイに帰りなさい」と言おうとしたのだが、その前に閉められてしまった。メッセージでもメールでもそのことを書いたのだが、読んでもらえない。それどころか通信不能状態になった。

アダムは、ライン最後のラムの怒った顔を思い出した。
顔を上気させ叫んだ時のラムの顔をアダムは何故か(綺麗だ)と思った。混じりけのない、心の思いがそのまま顔に出ていた。
(美しい純粋な表情だ、良い顔だった。ラムさんは、あんな顔もするのか)
アダムは、ますますラムが好きになった。しかし、通信不能。
アダムは考えた。そうだ両親に電話してみよう。早速かけた英語で。     
しかし、両親には英語が通じなかった。                                  
(そうか、両親はタイ、、、お父さんは日本人だったな、、、お父さんと話した方がいいだろうな。すると日本語通訳者)

翌日、日本語通訳者に同時通訳させて電話した。
「SASAKI RAMUさんのお父さまですか?初めまして、アダム、ロスマイルドと言います。私のことをラムさんから聞いていますか?」                                     9
「アダム、ロスマイルド?聞いていない、誰じゃ」
「イギリスのロスマイルド家6男のアダムと言います。よろしくお願いします。
私の事につきましてはネット検索していただければ良いと思いますので、先ずラムさんについて教えてください。ラムさんは何故、バンコクに働きに行ったのですか?チェンマイの御自宅では収入は得られないのですか」
「ここでは収入を得られる仕事なんてないんじゃ。ワシは低額年金生活だし、ラムも大学を卒業したら働かざるを得ん。しかし、チェンマイでも就職口がなかったのでやむなくバンコクに行ったんじゃ。それより、あんたはラムのなんじゃ。何故ラムの事を聞くんじゃ」

アダムはこの際はっきり言った方が良いと思い「ラムさんと結婚したいと思っています」と言った。
すると父は数秒、間を置いた後、声を荒げて言った。
「、、、ラムと結婚したい、、、くだらん冗談を言うなら電話を切る。本気なら電話でなど言わずラムと一緒にここに来て言え」で電話は切れた。
アダムは(しまった)と思った(まだ結婚と言う言葉を使うべきではなかった。しかも電話で、、、)
その後、何度もかけたが電話は繋がらなかった。
(これでラムさんともお父さんとも通信不能になってしまった、、、ラムさんの事は諦めるか、、、)
しかし諦め切れない事をアダムは知っていた。
(そうだ、、、住所は分かっている、手紙を書こう)
アダムは英語で原文を書き通訳者の前田に渡しながら言った。
「これを日本語に訳して、この住所に速達郵便で送ってください」

アダムからの電話を切った後、すぐ父はラムとラインで話た。
「ラム、今アダム何とかと言う人から電話があったぞ。お前の恋人か。いつ知り合ったんじゃ」
「ああアダム、あんな人、放っといて。嫌な奴だから」
「しかし、お前、奴はお前と結婚したいと思っているって言ってたぞ、もうそんな関係になっているんか」
「知らないわ、金持ちの気まぐれでしょう、付き合っていられないわ」                 
「金持ちなのか」
「ええ、桁違いの、世界でも指折りの大富豪の6男、金持ちのボンボン息子、住む世界が違うわ。それなのに何度もラインで話そうとするから、頭に来て受信拒否にしちゃった」
「そう言えば、何とかの6男、ネット検索したら分かるとか言ってたな。苗字はなんじゃったかの」
「ロスマイルド」
「ロスマイルド、、、どこかで見たことあるな、、、そうか後で検索してみる。ところで仕事には慣れたか。アパートの一人暮らしは危険じゃから気をつけるんだぞ。嫌になったら帰ってこい。ラムと母さんと3人なら、お父さんの年金でも暮らせるからな」
「分かってる、もう子どもじゃないから心配しないで。もう寝るからライン切るわ」
ラインが切れた後、父は「ロスマイルド」で検索した。検索結果を見て父は驚いたが、腕組みをし、しばらく考えてから呟いた「よりにもよって、、、」

翌日の昼もまたフランソワから電話がかかって来た。
大兄の勧めでF国PLで渋々見合いして以来、毎昼電話がかかってきた。
F国語は多少話せる程度のアダムにフランソワは、続けざまにF国語で質問した。
「アダム、今日は体調はいかが。昨夜は何を召し上がったの。エスカルゴは召し上がった事はあるの、とても美味しいのよ。今度PLに来たら、私が料理して差し上げてよ、、、」
アダムはいつもウンザリして、仕事を理由にして何とか電話を切った。
(まったく、これだから御令嬢は嫌になる。確かに美人ではあるが好きになれない。       10
こんな女性と結婚するくらいなら、ラムさんの方が100倍良い)
アダムは、頭の中でまたラムと比べている自分に気ずいた。
アダムは、博物館前で見かけて以来、何かにつけラムの事を思い出していた。
アダムの周りには星の数ほど女性が居るのだが、ラム以外の女性にはまったく興味が湧かなかった、ただ一人ラムだけが心に宿っていた。
(ラムさん、どうしているのだろう、、、どんな仕事をしているのだろうか、、、あんな狭いアパートで、夜どんな夢を見ているのだろう、、、会いたい、、、せめてラインで話たい、、、)しかし通信不能。(どうしてこうなったのだろう、、、)
アダムは今の状況になった経緯を思い起こしてみた。そしてまだ残っている最後の頼みの綱に思い当たった(そうだ、もう手紙は届いたころだろうか、、、もう残された術は手紙しかない、、、)

『敬愛なるラムさんのお父さま
昨日は突然の電話で失礼いたしました。しかし、私が電話で言いました事に偽りはありません。 私は本当にラムさんと結婚したいのです。まだ数回しかラムさんにお会いしていないのですが、 私の心は既にラムさんに奪われてしまっております。
これを恋と言うのでしょうか。もしそうなら、私は初めて恋をしました。
私の事は既にネット検索されてご存知でしょう。私は裕福であり、言い寄って来る女性は後を絶ちません。しかし誰一人として私の心を満たしてくれた女性はいませんでした。そんな中で本当にただ一人、ラムさんだけが私の心を奪いました。
私は、神に誓って本心を述べます。ラムさんと結婚したいです。
とは言え、私はまだ28歳、ラムさんは23歳、しかも会って話し合った時間も僅かです。
お互いに理解し合えていない事も多いでしょう。だから結婚するまでにもっともっとお互いを理解し合う必要があります。そのために、敬愛なるお父さま、どうか、ラムさんとの結婚を前提とした交際をお許しください。アダム、ロスマイルド一生を懸けた御願いです。何卒お聞き届けくださいませ』

アダムからの手紙を読んで父は、小さなため息をしてから腕を組み考え込んだ。アダムから電話がかかって来てから今日までの1週間に、父は、ロスマイルドについて調べていた。
もともと父は、世界の政治や本当の歴史に興味があり、いろいろ調べていて、以前にもロスマイルドについて調べた事もあったのだが、今回改めてインターネットで調べ尽くした。

(ロスマイルドと言えば、NWOを推進している超エリート武装集団の一翼。
武力と財力と頭脳明晰グループを使って、陰からA国を否、世界を操っているエリート集団の支配者。世界経済を陰で操るユーヤ人グループの長。
その一族を率いる現家長ロベルト、ロスマイルドの6男、アダムが本気で我が娘ラムに恋していると言うのか?馬鹿馬鹿しい、とても信じられんわい。
アダムにとっては結婚相手など正に星の数ほど居るじゃろう。その中には、ラムなどよりもはるかに素晴らしい女性もいっぱい居る。
なのに何故ラムを、、、単なる気まぐれか、冷やかしか、、、それとも、、、日本には『蓼食う虫も好き好き』と言うことわざもある、、、もしアダムが真実、心底からラムに恋していたら、、、いや、仮に今はそうであっても、すぐに飽きて捨てられるじゃろう。
その時は、それなりの手切れ金くらいはくれるか?。ユーヤ人は結婚時の契約書に離婚時の保証金の額まで記載させると言うから、、、保証金の額をアダムに確認してから、、、判断するか、、、)
父は、アダムに返事を書いた                                        

Mr アダム、ロスマイルド
我が娘に対して、過分な恋情をお持ちいただき、感激極まりない。                 11
私はラムの父として喜んで交際を許可しよう。ただし、気まぐれや冷やかしでの行為なら絶対に許せない。貴殿の御心が真実であると言う証拠を示していただきたい。証拠を示す方法は貴殿にお任せする。証拠を示した後でのみ、交際を許可いたそう。

ラムの父からの返事を読んでアダムは「御もっとも」と呟き、窓の外に視線を移した。
30階から見下ろすロンドンは黄昏の薄い霧に包まれていた。その景色は美しいと言えば言えたが、何故か今のアダムには美しいとは思えなかった。
(お父さまのご意向は御もっとも、、、さて、どうやって証拠を示せば良いのか。御金で解決するなら簡単なのだが)
アダムは、通訳者のTOSIO MAEDAを呼んで相談した。

「Mr TOSIO通訳していただいているから状況が分かっていますよね。このような時、日本ではどのようにしますか。先方が満足する額の御金を渡せば良いのですか」
前田は少し考えてから言った。
「そうですね、結婚を前提にして、しかも式の日取りを決めるようになれば結納金を渡しますが、アダムさまの現状では、まだ結納金は必要ないでしょう。
とにかく今は、アダムさまがどのような御人柄で、どれほど誠実であるかを先方に理解していただく事が大切かと思います。そのためには、直接お会いになられますのが一番だと思います」
「う~む、、、良い助言です、ありがとう」
前田が退席した後(Mr TOSIOの言う通りだ、御金を渡すよりも直接お会いしたほうがいい。しかしその時間が、、、)と考えた。

アダムは、ロスマイルド一族の一員として数々の肩書きを持っていた。しかしそれらは~名誉会長とかで、実際の仕事はほとんどなかった。ただ金は色々な名目で入っていた。その金の出入りも秘書が管理していて、アダムは時々言われた通りにサインだけすればよかった。
だから仕事と呼べるような仕事はないのだが、~なにのパーティーに出てくれとか、~との会談に同席せよとか、~さまと同行してお相手せよ、とかが多く、しかもスケジュールにない突発的な用事が多かった。だから暇であっても、あまり遠出はできなかった。
その上、外出時は二人以上のボディガードが付き、遠出の時は荷物運びの使用人なども同行するため、ちょっと気軽に一人で海外旅行などという訳にはいかなかった。

アダムは秘書の一人に「何かタイに関係した事柄はないか」と聞いた。              
秘書はスマホの画面を調べて「バンコクでIMM緊急金融商品会議があり、ロビンさまが御出席されますが、出席登録期間は過ぎていますので」
「え、大兄がバンコクへ行かれるのか。会議には出席しなくていいからバンコクまで一緒に行けないかな」
「行けると思いますが、明日出発ですよ」
「構わない、好都合だ。すぐ手配してくれ。お、そうだ、通訳者のMr TOSIOも一緒に」
「Mr TOSIOは日本語の通訳者ですが」
「良いのだ彼で」

航空機内ファーストクラスの席でロビンがアダムに聞いた。
「どうした、突然バンコクへ一緒に行きたいと言い出してついてくるとは、バンコクに何かあるのか?」
「はい、私にとっての宝物を手に入れるチャンスがバンコクとチェンマイにあります。是非チェンマイにも行きたいです」                                              12
「なに、チェンマイにも行きたいのか。あんな小さな町に何があるんだ」              
「え、ロビン兄さんはチェンマイに行ったことがあるのですか」                     
「ああ、あるよ結婚する前だから25年ほど前だがね。今はたぶん多少発展しているだろうが、当時は車も少ない長閑な田舎町だった」
「ええ、25年前、それじゃあ僕はまだ子ども。そんな時、何しに行ったんですか」
「ハハハ、そうだなアダムには話しても良いだろう。ズバリ、結婚相手を探しに行ったんだ。当時チェンマイは美人の産地と言われていて、世界中の好色男性の憧れの地だった。それでボディガード3人連れて行ったが、とにかくボディガードが目立つって満足にホテルから出ることもできない。その内、父に知れて大目玉食ったよ。で帰るとすぐ結婚させられて人生の墓場入り」
「へ~え、そんな事があったのですか、すごいな」と話を合わせているが、アダムは内心ドキッとしていた。(じゃあ私も好きでもない女性と結婚させられるのか)と不吉な予感がした。

バンコクに夕方着いたのでその夜は、バンコクのロビンと同じホテルに泊まった。
寝る前に室内の灯りを消して窓のカーテンを開けた。バンコクの夜景がアダムの目を照らした。  この無数の灯りのどこかにラムさんが居る、そう思うとアダムは無性にラムに会いたくなった。
しかし、どこにいるのかわからない。メールもラインも拒否されて連絡もできない。
アダムは寂しさを感じた。(これが孤独というものなのか)
もしかしたらアダムはこの時初めて孤独と言うものを体験したのかもしれなかった。

翌朝一番の航空機に乗り、8時にはチェンマイ空港に着いた。ジョンとデーンと前田の4人で、チャーターした空港タクシーに乗り込み運転手に住所を見せた。1時間も経たずにSASAKI家に着いた。
道路から見えたSASAKI家はコンクリート地肌の壁と安いスレート瓦のみすぼらしい平屋建て。
アダムから見ると、養豚場か馬小屋にしか見えなかった。

前田が道路との仕切りの引き戸を開けると、音を聞きつけたのか、太った小母さんが怪訝そうな顔をして出てきた。前田が「こんにちは」と日本語で挨拶すると、小母さんも「こんにちは」と言って4人を見回してすぐに家の中に入った。
少しして老人が出てきた。その後に小母さんがガラスコップと水差しを持って、しかし老人が何か言うと、それを脇に置き、また中に入って行った。
老人は4人を見てすぐ、アダムに「アダムさんか」と日本語で聞いた。アダムの横から前田が「はい、この方がアダムさまです」と言い「佐々木さんですか」と老人に聞いた。老人は頷いた。

アダムは目を疑った。「この人がラムさんのお父さま、、、」
その時、小母さんがプラスチック椅子を5脚、重そうに持ち出して皆に勧めた。
家の壁の前に佐々木氏と向かい合ってアダムが座り、その横に前田が座って、ジョンとデーンは                   道路から見える側に立って辺りを警戒した。
小母さんが折りたたみテーブルを出してきてアダムの前に据付、水をコップに入れてテーブルの上に並べ、皆に勧めた。
前田が「ラムさんのお母さんですか」と聞くと「はい」と答えて微笑んだ。
アダムはそれを見て(良い笑顔だ。ラムさんの笑顔とそっくりだ)と思った。

自分をじっと見ているアダムに佐々木氏は言った。
「ラムの父親がこんな老いぼれで驚かれたようじゃな。しかし紛れもなくわしがラムの父親じゃ。
アダム、遠路はるばる良く来てくれた。なんのもてなしもできんじゃが、ゆっくりしていってくれ。
ところで朝飯は食べたのか」                                        13
チェンマイ空港に着いて、そのまま来たので4人ともまだだった。前田がそう言おうとすると、その前に佐々木氏が言った。
「どうやら、まだのようじゃな」佐々木氏は横に立っていた母にタイ語で何か言うと、母は、皆の横に停めてあった、リヤカーが横に付いたバイクに乗りどこかへ行った。                 
それを見送ってから佐々木氏が言った。                                 
「酷いご主人様のようじゃな。もう9時じゃと言うのに、まだ朝飯も食わしてくれんかったのか。こんな男のところに嫁いだら嫁は辛かろうのう」
前田は「うっ」と詰まり、通訳して良いのか迷った。それを見て佐々木氏は前田に言った。
「お前は通訳者じゃろ、早く通訳しろ」前田は顔をしかめてアダムに伝えた。アダムは聞くや否や、目を見開き口をゆがめた。ジョンとデーンは思わず吹き出した。

佐々木氏はアダムに水を勧め「茶腹も一時、出来の悪いご主人様は水でも飲んで帰れ」と言って立ち上がり、家の中に入ろうとした。前田が慌ててそれを止めた。
「佐々木さん、待って」
佐々木氏は振り向いて前田を睨み付け「出しゃばるな、お前は通訳だけすれば良い」と怒鳴った。
前田は仕方なくアダムに通訳した。前田の通訳したのを聞いてアダムも飛び上がるように立ち上がり、佐々木氏の手を取って引き留めようとした。
佐々木氏はアダムのその手をいきなり捩じ上げ怒鳴った。
「無礼者、ワシは貧乏人でも礼儀はわきまえておる。貴様は金持ちかも知れんが、礼儀も他人を労わる心もないのか」

ジョンが素早く佐々木氏とアダムの間に割って入ろうとした。それを前田が止め、通訳した。
佐々木氏はアダムの手を放し家の中に入って行った。
アダムはなす術もなく立ちつくしていたが、低い声で前田に聞いた。
「こんな場合、どうしたらいい」
「、、、落ち着いて少し考えましょう」
二人は椅子に座って考えた。前田は、佐々木氏が何故怒ったのか、すぐに理由が分かっていたが、アダムには言わなかった。考え込んでいたアダムがまた聞いた。
「Mr TOSIO、、、こんな場合、どうしたらいい。私は日本人の礼儀がわからないのだ」
「、、、いえ、これは日本人の礼儀ではありません」
「何に、Mr TOSIOは、お父さまが怒った理由が分かっているのですか」
「はい、、、その理由をお教えするのは簡単ですが、ご自身で考えられた方が良いと思います」
「うっ」と言葉に詰まったアダムは、ジョンとデーンにすがるように視線を投げた。

その時、バイクの音がして母が帰ってきた。そしてテーブルの上に4人分のパンと牛乳を置いてから変な発音の日本語で「食べてください」と言い4人に勧めた。
4人は、佐々木氏の言動を思い出し、食べて良いのか、反対に食べなかったら、『せっかく4人のために、買って来た物を』と、また怒られるのではないかと迷った。
しかし、意を決したように前田が食べ始めると、残りの3人も食べた。               
それを母はニコニコしながら見ていた。母のその笑顔に救われたような気分になったアダムが前田に言った。
「お父さまを怒らせてしまった。どうすればいいのか、お母さんに聞いてください」
前田が話しかけると母は「私、日本語少しだけ」と言って黙った。取り付く島もないとはこの事か。

4人は食べ終えた。前田が日本式に手を合わせて「ごちそうさまでした」と言うと、3人も同じようにした。                                                      14
前田は、この後どうしたら良いか考えていたが、それを言い出すのはアダムのする事だと思い黙っていた。その時、佐々木氏がバナナを一房持って出てきながら言った。
「遠路はるばる来てもらって手ぶらで帰すのは申し訳ないので、かと言って我が家にはこれしかないんで済まんが、これを持って帰ってくれ」そう言ってからバナナをアダムの前に置いた。
アダムはどうしてよいか分からず前田に聞いた「どうしたら良い」
「とにかく、お礼を言って」
アダムは手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った。

それを見て佐々木氏は苦笑し、前田に言った。                            
「こんな男の通訳は大変じゃろ。『自分は金持ちだ』と言うおごりが表情に溢れ出ておる。待て、これは通訳せんで良い、お前に話しているんじゃ、、、この男はユーヤ人か」           
ユーヤ人と言ったのが分かったのか、アダムは一瞬顔を強張らせ前田に低い声で聞いた。
「お父さまは今何を話しているのですか」
「二人だけの会話だから通訳しなくて良いと、、、それから、アダムさまはユーヤ人かと」
「伝えてください、誇り高きユーヤ人だと」
「いえ、誇り高きと言う言葉は今は使われない方が良いと思います」
「どうしてですか?、、、わかりました、後でその理由を教えてください」
前田は小さく頷いてから佐々木氏の次の話を待った。

「世界で一番傲慢で残忍な種族、それがユーヤ人。そんなユーヤ人が娘を幸せにすることなどできるはずがない」
と佐々木氏は平然と言った。前田から通訳されて聞いたアダムは顔色を変えて言った。
「どういうことですか」
それには答えず「2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件も、黒幕はユーヤ人か?。
素人が見ても不自然なツインタワーの崩壊、関係のない第7ビルの崩壊、そしてもっとも不自然なのが、この事件の被害者の中にユーヤ人が一人もいなかった事。
余談だが、そのことをテレビで言った某アナウンサーは左遷された」と言った。そしてアダムが何か言おうとする前に話を続けた。
「世界の不幸な出来事の多くにユーヤ人の影がある。
ワシは世界の歴史を調べた。そしてユーヤ人の歴史もな。ユーヤ人は3000年も前から存在していて、迫害され続けていたが、いつの頃からか迫害する側になった。まるで過去にされた迫害の復讐でもしているかのようにな。しかも近代は関係のない国々や民族まで迫害しておる。
何故ユーヤ人はこのような事をするのか、その原因はユーヤ人が信仰するユーヤ教にあるのか?ユーヤ教では、異教徒は人とは見なさず、ゴイム、家畜と見なすそうじゃが、異教徒のワシの娘も家畜の一匹として扱うつもりか」

前田の通訳を聞き終えると即座に立ち上がってアダムは言った。
「余りと言えば余りな御言葉、お父さまは私の宗教まで侮辱される御つもりか」
「では反論してみよ、反論できるのか。ワシが言っていることに間違いがあるか、、、
ワシも全てのユーヤ人が悪いとは思っていない。じゃが、もし貴様と娘が結婚したら、娘をどのように扱うつもりか。娘もユーヤ教徒に改宗させるのか。あの下劣極まりないユーヤ教に」
アダムはテーブルを叩いて大声で言った「ユーヤ教を下劣と言われるか」
しかし佐々木氏は平然と静かに言った。                                
「そうだ下劣な宗教だ。自分たちの教徒のみを人として扱い、異教徒はゴイムと家畜と見なすような宗教は下劣としか言いようがあるまい。
他の一神教も似たようなものじゃが、一神教の神様は、、、                     15
まあ、本当に神様が存在すればじゃがの、その宗徒にとっては神様でも他の人々にとっては悪魔でしかない。

世界の歴史を学び直してみよ。一神教徒による異教徒迫害、虐殺のなんと多い事か。
アフリカの黒人を奴隷として家畜として扱い、アメリカ先住民を滅ぼし、今やイスラム教徒を滅ぼさんとしておる。
宗教問題だけではない。自分たちの利益のために他国間に戦争を起こさせ、何の罪もない多くの人を殺している。このような悪事を陰から操作しておるのがユーヤ人の超エリート集団、そしてその筆頭が貴様の一族ロスマイルド家ではないのか。
そのロスマイルド家の一員の貴様が我が娘と結婚したいと言う、、、
娘を家畜扱いすると言うなら仕方がない、売ってやる。値段はそちらで決めれば良い。
ワシが反対しても、貴様がその気になれば娘を奪い去る事など簡単な事じゃろう。
帰れ、貴様の顔など見たくもない」そう言って佐々木氏は、母を連れて家の中に入って行った。
                                                          
残された4人はしばらく呆然としていたが、もう佐々木氏が出て来そうにないので帰る事にした。
待たせておいたタクシーに乗るとジョンが運転手に「近くに良いホテルはないか」と聞いた。
運転手は「5つ星のホーシーズンリゾートホテルがあります」と言った。
「では、そこへ」
5分ほどでその高級ホテルに着き、4人は各部屋に入りくつろいだ。しかしアダムの心は乱れていた。

(くそ、なんだあの親父は、、、こんな事なら来なければ良かった、、、否、来て、くそ親父がどんな人間か分かっただけでも良かったのか、、、それにしても、、、これが日本人か、、、日本人は勤勉だと聞いていたが、ユーヤ教についても調べていたとは、、、)
アダムは佐々木氏が言った事を思い起こした。そしてユーヤ人の事もユーヤ教の事も、言い方が乱暴で腹が立ったが内容自体には嘘がない事に気づいた。
(異教徒を家畜と見なす宗教か、、、ユーヤ教が本当にそんな宗教なら、そんなユーヤ教徒のところに、異教徒の娘を嫁がせたがる親がいるだろうか、、、御もっとも、、、それにしても日本人は、、)
アダムは初対面でも核心を突いた質問をした佐々木氏に畏怖の念を持った。同時に日本人に対して興味を募らせた。
(日本人か、、、ラムさんにも半分は日本人の血が混じっているのか、、、日本人、日本人、、、)
アダムは日本人の事をもっと知りたくなった。室内電話で前田を呼んだ。

前田が部屋に入って来るとアダムは単刀直入に聞いた。
「Mr TOSIOは佐々木氏をどう思いますか」
「純粋で正直な日本人だと思います」
「しかし、初対面の私にあんな暴言を、ユーヤ教は下劣な宗教だとまで言われた」
「はい、しかし、間違った事を言われていたでしょうか?」
「ですが、初対面の私に、失礼ではないですか」
「そうかもしれません、しかし、もっと失礼だったのは、、、申し訳ないですが、アダムさまの方かと」
「なに、私がいつ失礼な事をした」アダムはムッとして来た。

「日本人には日本人の習慣があります。初めて訪問する時の仕方もあります。今回はそれを無視していました。
これは日本人の私が一緒に居ながら何の御助言もしなかったので、私のミスですが、アダムさまも、初めて日本人の家を訪問すると言う心構えがされていなかったように思います。        16
目上の人をじっと見るのも場合によっては無礼だと思われる時もあります。、、、
今回は適切な助言をしなかった私のミスです。今すぐ解雇されても構いません。
ですので最後に一つだけ言わせていただきます。
誠に言い辛い事ですが、佐々木氏が言われましたように、アダムさまには、お金持ちと言うおごりが見受けられました。あれでは佐々木氏が御怒りになられるのも当然のことかと思います。ですので今回は」                                            
「お金持ちと言うおごり、だと、、、」アダムはそう言ってから考え込んだ。
前田はそれを邪魔しないように静かに立ち上がり、一礼して出て行こうとした。その後ろ姿にアダムは言った。
「待ってくださいMr TOSIO、、、ここに居てください。私は貴方を解雇する気などない」
前田は一礼してまた元の椅子に座った。

しばらく経ってからアダムが独り言のように言った。
「私には、お金持ちと言うおごりがあったのか、、、」
「、、、私はそう感じました、、、恐らく、洞察力の鋭い佐々木氏は即座に見抜かれ、あのように怒られたのだと思います、、、しかし、ある面、仕方がない事です。
アダムさまは普通の人々とは御立場が違います。アダムさまは人の上に立つ人です。普通の人びとの事が理解できなくても仕方がない面もあるのです」
「もう良い、しばらく一人にしてください」と言い、前田が出て行きかけるとアダムが虚ろな表情で言った。「Mr TOSIO、、、ありがとう。良く本心を言ってくださった」
前田は改めて一礼して出て行った。                                   

アダムは「お金持ちと言うおごり」について考え続けていた。
(佐々木氏の家に行って養豚場か馬小屋にしか見えなかったのも、佐々木氏が酷い老人に思えたのも、、、そうか、電話でラムさんの部屋が狭いと言って、ラムさんを怒らせたのも、、、私の心にお金持ちと言うおごりがあったせいなのか、、、)
ふとアダムは時計を見た。12時半になっていた。「酷いご主人様のようじゃな。もう9時じゃと言うのに、まだ朝飯も食わしてくれんかったのか」と言った佐々木氏の言葉を思い出し苦笑した。
ジョンに電話して「ホテル内のレストランで4人で食事するから、すぐに手配してください」と言った。

レストランでの食事中もジョンとデーンは立って警戒しょうとした。アダムは言った。
「こんなところにまで私を襲いに来る人もいないでしょう。座って一緒に食事しましょう」
4人はテーブルに着いたが料理はなかなか出てこなかった。ジョンが注文してから30分は経っている。アダムは苦笑交じりに言った。
「ここにもし佐々木氏が居たら『酷いご主人様のようじゃな。もう1時半じゃと言うのに、まだ昼飯も食わしてくれんかったのか』と言われそうだ」
「御気ずかいなく、我々はこのような事には慣れております」とジョンが言うと、アダムは済まなそうに言った。
「そうか、慣れてしまうほど私の気づかない内に、みんなに度々不快な想いをさせていたのだな、、、『他人を労わる心もないのか』、、、正に佐々木氏の申された通りだ」
「い、いえ、あの、そのような意味で言ったのでは、私は仕事中で」ジョンが口ごもりながら言った。
それを遮って「すみませんでした、今後はもっと皆の事も考えるようにします」と言ってから前田の方を向き言った。

「Mr TOSIO 私に日本人の礼儀を教えてください。初めて家を訪問する時のしきたりも、交際の仕方も、そして日本女性への接し方も」                                   17
「、、、わかりました、私の知っている事なら何でも御話いたしましょう。
しかし日本女性への接し方につきましては、私もこの年齢で独身ですので、決して会得しているとは言えませんので御教えできません。
ただ、今回の佐々木家訪問につきまして気づいた事を言わせていただきますなら、、、
アダムさまは先ず最初に自己紹介をするべきでした。それをしないで佐々木氏をじっと見ていたので、佐々木氏に『不遜な態度』と受け取られたのだと思われます」
そこまで聞いてアダムはキッと口元を引き締め、腕を組み一瞬空を睨んだ後、         
再び話を促すように前田を見た。前田が話始めようとした時やっと料理が運ばれて来た。
アダムが「とにかく食べましょう」と言って皆に勧めた。4人は食べ始めた。朝食がパンと小さなパック牛乳だった事もあってか4人は食欲旺盛だった。特にジョンとデーンは自分の分をすぐに食べ終えて、なお物足りな気だった。それに気ずいてアダムは「もっと注文してください」と言った。
先に食べ終えていた前田が、アダムが終えてから話始めた。

「先ほどの続きですが、、、日本人には『御もてなし』と言うものがあります。これが今回の私たちにはなかった。しかし、佐々木氏側にはあった。どういうことかの説明の前に佐々木氏側のおもてなしについて思い出してみましょう。
先ず家に着いたら、お母さまが飲み水を出そうとした。
『タイは暑いですから、喉が渇いているでしょう』と言う、お母さまの御気使いです。
『喉も渇いていようが、遠路はるばる来て疲れているだろう、先ず座って休ませてやりなさい』と気使って椅子を出させたのは佐々木氏の思いやりです。  
その後は、お腹を空かせていないかと心配していただき、急きょ食事を手配してくださった。パンと牛乳だったのは、手持ちの御金がなかったのか、それともすぐに食べれる物を、と考えられたのかもしれません。パンと牛乳だけでも佐々木氏側の思いやりがこもっていたと受け取るべきでしょう。 
しかし、この佐々木氏側の思いやりに対しての私たち側の態度はどうだったでしょうか。

最初のあいさつも満足にせず、椅子に座ってじっと見続けた、、、そんな私たちに対しても佐々木氏はバナナ一房とは言え手土産までくださった。本来ならば、訪問する私たち側が手土産を持参するべきだったのです。
このような私たち側の非礼を、それとなく知らせるために佐々木氏は『世界で一番傲慢で~』と言われたのではないかと思います。それからその後にユーヤ人とユーヤ教についての、佐々木氏自身の御考えを述べられた。
それも『結婚に大きな障害となる事柄だが、どうするつもりか』と言う佐々木氏の御気使いを表したものと解釈できると思います。
そして最後に言われた『娘を家畜扱いすると言うなら仕方がない、売ってやる』ですが、これは、ラムさんを決してこのような目にあわさないで欲しいと言う佐々木氏の願いだと思います。
このように思い返してみれば、私たち側は訪問の仕方を間違えたとしか言いようがなく、そんな私たち側に対しても、佐々木氏側はできる限りの『御もてなし』をしてくださったと思います」

前田が話終える少し前に追加料理が来ていたが誰も食べようとしなかった。前田の話が終わるとアダムは3人に食べるよう勧めた。しかし自分は食べようとせず考え続けていた。
3人が追加料理を食べ終えデザートが出てくると、やっとアダムは言った。
「Mr TOSIO 見事な御解説です。正にMr TOSIOの言われた通りでしょう。
私の失敗でした、、、それで、では、この後どうしたら良いでしょうか、このまま失意のままイギリスへ帰るべきでしょうか。Mr TOSIO そしてジョン、デーン、良い考えがありましたら聞かせてください」
しばらく4人の沈黙が続いた後ジョンが「もう一度、訪問し直すにしても、、、恐らく佐々木氏は会ってくださらないだろう」と、4人が考えていた事を言った。                       18
その後また、しばらく沈黙が続いた後で前田が言った。

「いくら何でも、このままでは、、、佐々木氏に対しても申し訳ないでしょう。佐々木氏のおもてなしに報いるためにも、、、せめてもの御礼に、手土産替わりの置き土産でも届けて差し上げた方が良いと思います」
「置き土産?」
「はい」前田は手土産と言う a souvenirの単語をI will give you a souvenir before I go home.
と言う英文を使って説明した。そして、これなら今からでもできる事ですと付け加えた。
するとアダムは決心したように言った。
「わかりました、置き土産をしましょう。では、置き土産は何が良いでしょうか。          
しかも、その置き土産には、私の真実の気持ちがこもった物、その置き土産で佐々木氏の心を感動させれる物、そのような物にしたいと思いますが、どんな物が良いでしょうか」

「そうなりますと御金ですね」と、デーンが躊躇する事なく言った。そして更に「しかも、佐々木氏が驚くほどの大金がよろしいかと思います。ただし、この御金は決して、ラムさんを買う代金ではなく、本当に『置き土産』です。
『私は決して、ラムさんを買ったりしない。ラムさんを家畜と見なしたりしない。
私はラムさんを、生涯唯一、最高の伴侶として扱う』と但し書きを添えます」と自信ありげに言った。
ジョンがデーンを小突きながら「名案だ。さすがデーン。俺では考えつかない」と言って微笑んだ。
佐々木家を去って以来、失意に包まれていたアダムは今、心の中に朝日が昇って来るような気持ちになっていた。アダムは決心しそれを言った。
「わかりました、では置き土産、そして置手紙を書きましょう。ジョン、今夜それをこっそりと佐々木家に届けていただけますか」
ジョンは笑顔で頷いた。  
                                         
佐々木氏はその夜、待ちきれず6時にラムに電話し、ライン通信に変えた。
「お父さん、どうしたのこんなに早く、ラインはいつも8時からでしょう。私まだ晩御飯食べてないのよ。今夜は洗濯もしないといけないし、忙しいのよ」
「わかった、でも知らせといた方が良いと思ってな、実はアダムが今日家に来た」
「アダム、ああ、あのお金持ちの息子、ええっ、家、チェンマイの家に来たの」
「ああ、家に来た、しかし、すぐに追い返した。礼儀も知らんような奴じゃったからの。じゃが、その後、考えてみると、まんざら悪い男でもないようじゃ。
ワシに、お前との交際の許可をもらうために、わざわざイギリスから来たのじゃ。
金持ちじゃから、金のかかる事は無頓着だろうが、ここまでわざわざ来た事は、律儀な奴じゃと評価して良いと思う。まあ、交際するしかないはお前次第じゃがの。じゃから、今夜は、奴が来た事だけ伝えておく」
佐々木氏はそう言ってラインを閉めた。その後は、いつものように夜を過ごし8時半には眠りに着いた。
しかしラムの母は、ベットに入ったもののなかなか眠れないでいた。
朝来たアダムの事が忘れられずにいた。初めて会ったのに何故か、昔からの知人のような懐かしさを感じた。そして理由はわからないが(あの人なら、きっとラムを幸せにしてくれる)と思えてならなかった。

やっと眠くなってきたころ、道路境の引き戸が開けられる、かすかな音が聞こえた。
(こんな夜更けに誰だろう)と思い、寝室を出て家の扉の内側に立った時、扉の下の隙間から一通の封筒が入って来た。母は素早く扉を開けた。                            19
扉の外には黒ずくめの男が立ったいた。母は思わず悲鳴をあげそうになったが何とか堪えて黒ずくめの男を見た。朝、アダムと一緒にきた男だった。
男も随分驚いたようだったが、無理に笑顔を作り、口に人差し指を押しつけて、声を出さないように示してから、扉下の封筒を指差した。
母がその封筒を拾い上げると、男は日本式に頭を下げ、帰って行こうとした。
母は男を待たせて奥に入り少し経ってから1枚の名刺を男に渡した。男は怪訝そうな顔をしたが、名刺をポケットに入れ静かに帰って行った。
母は男を見送った後、扉を閉め少し考えてから封筒を床に置きベットに入って眠りに着いた。

ジョンはホテルに帰った後、佐々木家でのいきさつをアダムに話し、母に貰った名刺を見せた。
名刺はタイ語で印刷され、裏には母の手書きのタイ語文があった。
アダムはジョンと一緒にホテルのフロントに行き英語の良くできるタイ人に名刺を見せた。
タイ人は「この名刺はバンコクのアパートのもので、裏には「娘を幸せにしてください」と書いてあります、と言った。                                               
アダムは目を輝かせて言った。「明朝チェックアウトします」

翌朝、佐々木氏はいつものように庭木の水やりをしようとして、扉の下の封筒に気ずいた。
拾って宛名を見ると「ラムさんのお父さまへ」と日本語で書かれていた。
(アダムめ、あのまま引き下がるとは思えんかったが、、、)
佐々木氏は封を開けた。中には手紙と100万ポンドの小切手が入っていた。
(ふん、100万ポンドか、、、保険金額くらいじゃな、奴のポケットマネーか)
手紙を読み(ふん、、、良き友人に恵まれているようじゃな。この行為はアダムの考えではあるまい、、、その友人に免じてラムとの交際を許そうかの)と呟き、手紙と小切手を封筒に入れ、寝室の机の引き出しにしまい、外に出て行った。
その後ろ姿を見送ってから母は、そっと引き出しを開けて封筒を取り出し、中身を確認した。
しかし、無学な母は、日本語の手紙もイギリスの小切手も理解できなかった。ただ、小切手の1の後の0がやたらに多い事だけが印象に残った。
                                                         
朝チェックアウトの前に、フロントから名刺のアパートに電話でRAMU SASAKI が住んでいるか確認してもらうと、間違いなく住んでいるとの返事だった。
それから4時間後、アダムたち4人はバンコク空港に着いていた。空港タクシーの運転手に名刺を見せ「このアパートに行った後、アパートの近くの良いホテルに行ってください」と言った。
1時間ほどでアパートに着き、不在の部屋のドアの下から「6時にまた来ます。どうしても会いたいです。アダム」と書いたメモ用紙を入れてからホテルを探してチェックインした。

少し休んだ後、4人が集まり話し合った。
「Mr TOSIO 今回の訪問は日本式にしょうと思いますが、どうでしょうか」
「よろしいかと思います。充分に手土産を持って行くべきかと、、、」
「わかりました。で、手土産ですが、これからデパートに行って買おうと思います。
私一人では大変なので皆さんにも買っていただきたいです。お金はいくら使っても構いません。各自、両手に持てるだけの手土産を買ってください。ただし、ラムさんが喜ぶ物に限ります、よろしいですね」
3人は顔色をかえ、顔を見回わせた。女性へのプレゼントほど難しいものはない。特に、ラムに一度も会ったことがない前田にとっては。前田は手土産を持って行くよう進言したことを後悔した。
デパートに着くとアダムは言った。「時間はたっぷりあります。さあ、良く考えて買いましょう」
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5時半ころアパートに帰って来たラムは、メモ書きを読んで驚いた。
(アダムがここへ来たんだわ。どうして、ここがわかったのかしら、、、まさか、お父さんが、、、)
ラムは父に電話した。
「お父さん、アダムがここへ来たわ。そして6時にまた来るから会ってくれって。お父さんがここを教えたの」
「いいや、ワシは教えてないぞ。じゃが、奴らならアパートを見つけるのは簡単な事じゃろう」
「どうやって、、、」
「さあな、方法は知らんが、奴らの闇ネットワークは、恐らく世界中を網羅しておるじゃろうから、バンコクのアパートを見つけるなど朝飯前じゃろう。まあ、そうまでしてお前に会いたがっているんじゃ、会ってみれば良いじゃろ」
「そんな他人事みたいに言わないでよ、あの人マフィアみたいで私は怖いの」

「マフィア、あはは、そうだなマフィアかも知れんな。だったとしても心配いらん。奴は信用できる。
奴がその気になれば、お前を誘拐するなど訳ない事じゃろうが、奴は決してそのような事はせん。奴はイギリスジェントルマンらしく段階を経て、お前と交際したいと思っているようじゃ。
お前との交際許可を得るためにわざわざワシの所まで来たのも、後ろめたい事をしたくないと思っているからじゃろう。心配いらん。付き合ってみれば良い」
「、、、わかったわ、、、お父さんがそう言うなら、、、」
電話を終えるとラムは急いで部屋内を掃除し、水浴びをし服を着替えた。
しかし、買って来ていた夕食用の糯米と惣菜の入ったビニール袋の始末に迷った。
(冷蔵庫があればなあ)ラムは部屋に冷蔵庫がないのを嘆いた。その時、ノックの音がした。

ラムはドアを開けて驚いた。見覚えのある屈強な黒ずくめの男が、両手で抱えた大きな紙包みで前が見えないのか恐るおそる入って来た。
その紙包みをベッドの上に置くと、もう一人の黒ずくめの男が両手に持ちきれないほどのデパートの紙袋を下げて入って来て、それらもベッドの上に置いた。
3人目は会ったことのない中年男性が、抱えきれないほどの花束を持って入って来た。
4人目にアダムが、大きな車の鍵を手渡しながら「ラムさん今晩は」と言って部屋に入って来た。
狭い部屋に5人とベットからはみ出しそうな贈り物で座れるスペースもなく、5人はとにかく部屋の外に出た。
外にはアパートの全ての住人が集まったのかと思うほど多くの人だかりができていて、ここも座れず、塀の外に出た。そこには高級新車が止まっていた。5人はその車に乗ってアパートから離れた。すぐ近くに駐車場のあるレストランがあり、5人は入った。
アダムとラムが一つのテーブルに座ると、後の3人は少し離れた入口近くのテーブルに付いた。

テーブルに付いてすぐラムが英語で言った。
「アパートの部屋に入れた、あれは何ですか」
「私たち4人からの手土産です。日本人の習慣では初めて訪問する時は手土産を持って行くと教わりましたので」とアダムは笑いながら言った。
「手土産、、、」
(それにしても多すぎる、、、この人たちは加減がわからないのか、、、ベッドを塞がれたら寝る事もできない)とラムが思っているとアダムがテーブルの上に車の鍵を置いて言った。

「今、乗って来た車の鍵です。あの車も手土産です。運転して帰ってください」
「ええっ、私は運転できない」
「え、運転できない、、、簡単ですよ、後でジョンに教えてもらいなさい」              21
ラムは言葉を失った(いくら何でも、、、そんな短時間で運転できるようになれるはずがない、、、この人は常識を知らないのか)

その時、ウエートレスが注文を聞きに来た。二人はまだメニューを見ていなかった。
「先ずは食事しましょう」とアダムはメニューを開いて言ったが、タイ語のメニューだったので「すみませんラムさん、私の分も適当に注文してください」と言った。
ラムは買って来ていた糯米と惣菜を思い出し(あれを帰ってから食べるから、ここでは軽いもので良いわ。でも、この人は、、、)ラムはアダムの事を考え、アダムの口に合いそうな高級料理を数品注文し、自分へはタイの焼飯だけを注文した。

ウエートレスが去った後、ラムは、車の鍵を返しながら言った。
「運転できないので車は要りません。アパートには駐車場もありませんので置いておく所もありません。いただいても困ります」
「わかりました、では運転できるようになりましたら改めて差し上げましょう」とアダムは、気にも留めていない表情で鍵をポケットに入れ話始めた。
「ラムさん、あんな狭」と言いかけて止め、少し考えてから言い直した。
「ラムさん、あのアパートを出ませんか。もっと良い所に住んでください。
仕事も、とても疲れるなら辞めてください。生活費なら私が差し上げますから。
それから、ラインで、もっと話し合いましょう。私は、ラムさんの事をもっともっと知りたい。                               
ラムさん、結婚を前提として私と交際してください。私は決して、ふざけた気持ちで言っているのではありません。ラムさん、お願いします、私との交際を真剣に考えてください」

ラムは困った顔をして少し考えてから「アダムさんが本気で言ってくださっているのは良くわかりました、ありがとうございます、、、でも、境遇が違い過ぎます。私のような庶民クラスの者では、アダムさんの交際相手になどとてもなれません」とはっきり言った。
「そんな事はないです。私にはわかります。ラムさんには素晴らしい魅力があります。私の婚約者として最適な女性です」
「アダムさんの買いかぶりです。私では無理です」
「わかりました、そこまで言われるならこうしましょう。ラムさん、半年間、私と交際してください。そして半年後にもう一度、結婚について話し合いましょう。
でも、この半年間は私の言う通りにしてください。決して、貴女を不幸にしたりしませんから」
ラムはまたしばらく考えた。数十分前に父が言った事も思い起こした『奴は信用できる。~心配いらん。付き合ってみれば良い』
(ずっと小さい時から今までに、お父さんが言った事に噓は一度もなかった。お父さんの言うことを信じよう)ラムは決心した。大きな大きな決心を。

「わかりました、、、私は自信ないですが、アダムさんの言う通りにします」
アダムの顔に最高の笑みがが浮かんだ。アダムはラムの両手を握り締めて言った。
「ありがとうラムさん、、、今日は最良の日だ、、、神よ二人に祝福を」
その時、料理が運ばれて来た。二人は無言で食事した。何か話せば、今のこの気持ちが崩れてしまうのではないかと、二人とも何故かそんな気がした。結局、アパートに送ってもらうまで無言だったが、ラムが車から出ようとした時、アダムはラムの手を取って言った。
「明日も会ってくれますね」
「はい、今日と同じ時間に」
ラムの言葉の中には、決心した後の潔い響があった。アダムは笑顔で手を放した。ラムはその手を小さく振って「おやすみなさい。手土産ありがとうございました」と言い、お辞儀をしてからアパートの中に入って行った。                                           22
ラムが部屋に入ってしまうまで見送ったアダムは言った。「さあ、ホテルに帰ってお祝いだ」

部屋に入って改めて啞然としたラムは、しばら考えた後、先ず花束を共同トイレ脇に運び「ご自由にお持ちください」と書き置きした。
それから、屈強な黒ずくめの男が持ち込んだ大きな紙包みを開けた。
出てきたのはラムと同じくらい大きいパンダの縫いぐるみ。ラムは苦笑した(私はもうこんな物を喜ぶ年齢ではないわ)ラムはベッドを動かせて、壁とベッドの間に縫いぐるみを押し込んだ。
その後、デパートの紙袋を開けてみた。中には女性用高級スーツや靴等が2セット分入っていた。
どうやら、マネキンに着せられていた物をそのまま箱詰めしたようだ。
(良い品だと思うけど、私に似合うかしら、、、サイズも少し大きいようだし、、、)
ラムはそれらをまた紙袋に入れ、ベッドの下の空間に入れた。何とか眠れるスペースができた。
そう思うと急に眠くなった。しかし我慢して、買って来ていた糯米と惣菜を食べた。
「食べ物を粗末にすると目がつぶれる」と言う父の口癖を思い出しながら。

翌日もラムはいつもと同じに出勤し、5時半ころ帰って来た。
6時ちょうどに4人が車で迎えに来て、少し遠くの高級レストランに入った。
テーブルに付くとアダムは、封筒をラムに手渡しながら言った。
「明日、ロンドンに帰らなければならなくなった。でも何も心配しないで。1ヵ月以内に、貴女をロンドンに迎えるようにするから。だからとにかくライン交信を絶やさないように。
会社もアパートも1ヵ月で出れるよう準備しておいてください。これは当面の生活費、足りない時はラインで教えて、すぐに口座振込するから」                                             
ラムは、ぶ厚い封筒を受け取るのを躊躇した。ラムの心を察してアダムは更に言った。
「ラムさん、何も心配しないで、、、全て私に任せて、、、まだ私を信じられませんか」
ラムは首を振って言った。
「昨夜、私は『アダムさんの言う通りにします』と言いました。その決心は変わりません。お金、いただきます、ありがとうございます」
アダムは笑顔になり、離れたテーブルに居た3人を手招きして言った。
「これからここでパーティーしましょう。皆さんも無礼講でお願いします」

翌日、ラムが会社で仕事中に4人はロンドンに帰って行った。アダムが見送りは要らないと言ったので、言う通りにした。(全て、アダムの言う通りに)そう考えると気が楽だった。
夜、二日しなかったラインで父と話した。父にも、 全てアダムの言う通りにすると決めた、と言った。
父も「それで良い。未来の事は奴に任せておけば良い。お前はただ、奴のために何ができるか、それだけをいつも考えていなさい」とだけ言った。

翌日の夜遅く、ラムが寝ようとする時、アダムからラインメッセージが届いた。           
「今、ロンドンの家に着いた。この時間だと貴女は寝ているだろうから、メッセージを送ります。何度も言うようだが、とにかく私を信じて。良い夢を見て眠りなさい」
ラムはすぐ返信した「はい、アダムさんの言う通りにします。おやすみなさい」
「なんだまだ起きていたのですか。こちらは今、午後3時です。でもこれから仕事仲間と会います。しばらく忙しくなりますが、できるだけラインします。でも、どうしてもできなかった時でも、決して心配しないで。私はいつも貴女の事を思っています」
「ありがとうございます。私もいつもアダムさんの言う通りにします。お仕事、気をつけてください」

ラインとは本当に便利なものだ。
離れて居ても、肉体的ふれあいはできなくても心のふれあいはできる。              23
肉体的ふれあいは、まだ望んでいないアダムとラムにとっては、ラインはお互いを理解し合う貴重な交信道具だった。
だが、6時間の時差は厄介だった。ラムは夜8時か9時が都合が良かったが、その時間はアダムは仕事中だった。それでもアダムはやり繰りして毎日30分ほどラインした。
二人はいろいろな事を話し合った。
最初は遠慮気みだったラムも、1週間もすると冗談さえ言うようになった。
しかし、英語が得意でないラムは、アダムの話の中に専門用語があると理解できず、聞き返した。アダムは面倒がらず、その都度わかり易い単語に替えて説明した。
その行為についてアダムは(ラムの事は何でも知りたい。自分の事は何でも、ラムに知ってもらいたい。結婚後の夫婦生活をより良いものにするためにも)と考えていた。
だからアダムは、ラムに何かを教えることを面倒がらずしっかり教えた。ラムも、アダムのその気持ちがわかるのか、一生懸命英語の勉強をした。
そんな二人にとって、あっという間に1ヵ月が過ぎた。ラムはロンドンのアダムの家に引っ越した。

アダムは大学卒業までは、父ロベルト、ロスマイルドの大豪邸に住んでいたが、警備が厳重過ぎて出入りが不便なこともあり、ロンドン郊外の家に引っ越して住んでいた。
この家は、3階建て浴室トイレ付き寝室24室、調理室付き食堂4部屋、大広間3ヶ所、裏庭に25メートルプールとガレージ12、倉庫4等で、家の周りは3メートルの塀で囲まれていて、24時間監視カメラが作動していた。
しかしこれでも父の大豪邸の十分の一にも満たなかったが、この家には、4人のボディガードをはじめとして、8人の家政婦、5人の家事作業員、4人の調理師たちも住み込んでいて、空き寝室はわずかだった。

この家にラムは、当初は家政婦見習いと言う触れ込みで住み込む事になった。しかも、アダムの寝室のみの家政婦。
もともとアダムの家には、若い女性は一人もいなかった。家政婦も中年から老年ばかり。
男性もアダムより1歳年下のデーンが一番若くて、他は皆アダムより年上だった。
このような年齢構成は父の大豪邸も同じで、要するに、家政婦との不義密通など家庭内でくだらない問題を起こさせないためで、ロスマイルド家の家訓でもあった。
だから若い女性は身うちの者か婚約者に限られていた。
アダムはラムに家政婦として住み込みで働くように伝えていたが、既に住んでいる者には、ラムは、アダムの婚約者だと認識されていた。

しかしそう言うアダムの家の状況を知らず、家政婦の仕事と言う心構えで入って来たラムは、一生懸命働いた。
アダムの寝室は家内で一番広かったが、浴室トイレとも毎日一人だけで掃除した。
いつも汗をかきながら掃除しているラムは、すぐ皆に好かれた。
「やはりアダムさまが見初められた女性だ、素晴らしい」
「日本人の血を引いているそうだが、これが日本人気質か、よくやるな」
「私らより小さい体で重いバケツをさげて、、、私が手伝おうとしても、No problemって言って、いつも一人でやってる、頑張り屋さんだわ」
「いや、何にもまして、あの笑顔が良い。こちらまで楽しくなってくる」
このような評判を聞いて当然のことアダムは大喜びだった。アダムは、約束の半年が終わるのが待ち遠しかった。半年終われば即座にプロポーズするつもりになっていた。           

しかし、フランソワは今も毎昼電話をして来ていた。                          24
「Bonjour アダム、ご機嫌いかが。今度いつ遊びに行ったら良いの。我が家に来られて初めてお会いして以来、もう2ヶ月になるのよ。なのに1度も来てくださらないし、私が行こうとしても仕事が忙しいとか言われて、お会いしてくださらない。もしかして私が御嫌いなの」
アダムは、今日こそははっきり断ろう、と思いながら、F国語での適切な単語を言い出せないでいた。その上、嫌いなのかと聞かれて、どう返事して良いか考え込んだ。そうしている内にまたフランソワに主導権を握られた。
「アダム、いつ遊びに行って良いか、今日は聞かせて、でないと婚約解消するわよ」
(何、いつ婚約した?、、、何でもよい、婚約解消なら好都合だ。今日も黙っていよう)

「わかったわ、恥ずかしくて御自分から言えないのね。何て初心で可愛いい方なの。
いいわ、じゃ私が決めて差し上げてよ。そうね、今週の土曜日にしましょう。土曜日の午後3時ロンドンの御自宅に伺いますわ。いいわね。
大丈夫、住所は分かっていますわ、それからね、その日の夜、アダムの一番好きなものを差し上げますわ。何か、お分かりになって?、ほほほ、楽しみにしていてね」と言って電話が切れた。アダムは青ざめた。
(なにい今週の土曜日に家に来るだって、、、今週の土曜日って明日じゃないか、、、)
しばらくアダムの頭の中は混乱していた。

結局断れず土曜日の午後3時、フランソワは2人の付け人を連れて押しかけて来た。
仕事をキャンセルし、2時に帰って来て、手はずを整えていたアダムが大広間でフランソワを出迎えると、フランソワは両手を広げ走り寄ってアダムに抱きついた。そして、もう身うちだ、とでもいうような仕草で、F国語で話しかけた。
「PLからヨーロスターで来たの、思ったよりも快適だったわ、、、
まあ、立派なお家ですこと。ここなら二人で暮らすにも打って付けね、、、
私、時々料理もするの。調理室も見たいわ。どこなの」
アダムは仕方なく案内した。

「う~ん、まあ、いいでしょう。私、アダムのために美味しいF料理を作って差し上げますわ。あ、でもその前に、アダムの寝室を見たいわ」
アダムはまた仕方なく寝室へ案内した。寝室にはラムが居て、ベッドメーキングをしていたが、アダムとフランソワが入って行くと、ラムは急いでベッドメーキングを終わらせ出て行こうとした。
アダムはこの際だから、はっきり言おうとして、ラムを呼び止めようとしたが、そのアダムを引き留め抱きついてフランソワは言った。                                     
「ねえアダム、夜にはまだ早いけど、今、アダムの一番好きなものを差し上げますわ」
フランソワはアダムをベッドに押し倒しキスしょうとした。

アダムはとうとう切れた。フランソワを突き放しF国語で大声で言った。
「Je ne t'aime pas私はあなたを愛していない En ce moment Sortez! 今すぐ出て行け!」
フランソワは一瞬、非常に驚いた顔をして立ち上がったが、アダムの表情と下手なF国語の言葉から状況を理解し、顔を真っ赤にして部屋から出て行った。
アダムは後を追って寝室から出て誰にともなく英語で言った。
「その女性を駅まで送って行け」その言葉にまで怒りが籠っていた。

これでフランソワの件は一件落着したと思ったらとんでもない、まだまだ続く。
フランソワの実家は、F国でも有名な200年続いている貴族の家柄だった。
しかし、先代が資産運用に失敗し、膨大な借金を作った。                      25
借金返済のため多くの資産を売り払い、現在は僅かな蓄えで何とか貴族らしい暮らしを保っていたが、蓄えも底をつき資産も古い屋敷とその敷地のみで、生活費さえも心もとない状態になっていた。この状況を打開するために、フランソワは何としても富豪のアダムと結婚しなければならなかったのだ。
アダムの兄から縁談話が届いた時、フランソワは家族と大喜びをし、何が何でも結婚してみせると心に誓った。
そしてフランソワは、アダムの心を射止めるために、アダムについて何から何まで調べた。
その途上でフランソワは、アダムの幼馴染で現在はボディガードをしているジョンと知り合った。
アダムの事を知りたいフランソワにとっては好都合の人物。そのジョンが今、駅まで送ってくれていた。フランソワにとっては正に不幸中の幸いだった。だが、ジョンにとっては、、、。

フランソワは、実は英語も堪能だったのだが、アダムとの交際を有利に運ぶために、アダムとの会話の時だけF国語を使っていた。だから今、ジョンとは英語で話していた。
貴族の娘と言う体裁を繕うために臨時雇いで連れて来た、後部座席の付け人二人は英語がわからなくて幸いだった。
「ジョン、教えて、アダムは女性不信なの」
「いや、そうではないと思うよ。二十歳のころは二人でよくその手の遊びをした、、、だが、数年で飽きたようで、2~3年前からは、まったく遊ばなくなった」
「では何故、私が積極的に迫っても受け入れなかったの。私ってそんなに魅力ない女性なの」
「とんでもない貴女はとても魅力的だ、俺なら今すぐでもOKだ」
「ぷっ、貴方に受け入れられても仕方ないわ、それに貴方の相手をしたら普通の女性はみんな体を壊してしまうわ」
「おいおい、俺を化け物みたいに言わんでくれよ。それに俺は体はデカいが優しいテクニシャンなんだぜ。どんな女性でも最高の喜びを与えられるんだ。試してみるかい」
「アハハハ、ごちそうさま、、、アダムも貴方のようにぶっちゃけて話しができれば良いんだけどね、、、でも分からないわ、アダムはなぜ私を拒むの、他に誰か好きな人がいるのかしら」

ジョンは、ラムの事を話すべきか迷った。実はジョンにも下心があった。ジョンもラムに惹かれていたのだ。
ラムの、異国女性の淑やかな仕草にエロティシズムを感じていた。ラムがアダムの家に来てからは更にその思いが強まった。
いつだったかラムが、しゃがみ込んで掃除をしている後ろ姿を見た時、突進して襲い掛かりたい衝動に駆られた。
ラムが掃除しているアダムの部屋は3階にあり、その時、3階には誰もいないことを思い出したジョンはラムに近づいた。

だが、気配を感じたのかラムが不意に後ろを振り向き「あ、ジョンさん、こんにちは」と言って微笑み、
その微笑みの清々しさにジョンはハッとなり身体が動かなくなった。
そのジョンの姿を見て、怪訝そうな顔をして立ち上がったラムがジョンに近づこうとすると、ジョンは弾けるように寝室を飛び出し階段を駆け下りて行った。
後でジョンは、その時の衝動と、寝室を飛び出さざるをおえなかった、まるで十代の少年のような純粋な心になった自分自身に衝撃を受けた。
(それにしても、何と良い笑顔だろう)
そう思ったジョンは、29歳になって初めてプラトニックラブに目覚めた。

しばらく黙っているジョンに対して、フランソワは女の勘が働いた。                 26
(アダムには好きな女性が居る。そのことをジョンは知っているが言えないのだわ、、、しかし、何とか聞きださなければ)
「ジョン、『その手の遊び』って、、、要するに、あれ、男と女が、、、」
急に変わった話題にジョンは戸惑った。「うっ、まあ、あれをすることだ」
「と言う事はアダムは経験豊富なのね。で、今のお相手もそのような女性なの」
「いや、今の女性とはそのような関係でない、あ、、、」ジョンは、シマッタと顔を歪め頭を掻いた。

「本当の事を言ってくださってありがとう。ついでに、その女性の事をいろいろ聞かせていただけないかしら、、、御礼はするわよ」
フランソワは、後ろの二人に気ずかれないように胸元を開いた。
ジョンは心が動いた。駅に着いたら後ろの二人だけ先にF国に帰す無言での取り決めが交わされた。そして駅に着くと取り決めは実行された。
数時間後フランソワは、ジョンの知っている、アダムとラムに関する事を全て聞き出した。そしてその結果、まだ自分に勝機がある事を悟った。

フランソワの横でジョンは寝息を立てていた。フランソワは、そのジョンの横顔をチラッと見てすぐまた天井に視線を戻した。頭の中で、ある計画が完成されつつあった。
(この男を利用するのが一番良いようだわ。この男に家政婦見習い女を襲わせ、女をアダム家から追い出せば、アダムを虜にできる、、、必ず、虜にしてみせる、、、しかし、そのためには味方が要る。強力な味方が、、、)
朝早く、フランソワはジョンを起こしてアダムの家に帰らせた。
「自分は朝帰りは珍しくないから怪しまれない。もっと一緒に居よう」と、ぐずるジョンを追い立てるように帰した後、フランソワは、その安宿に昼近くまで居て計画を練った。
(先ずアダムの兄を味方に付ける、、、兄ロビンの居場所は、、、ロンチネンタルホテル最上階、直接行っても会ってくれるだろうか、否、何が何でも会ってもらって昨日の出来事を訴える)

フランソワは ロンチネンタルホテル最上階のロビンに会いに行った。入口左右の警備員に「アダムの婚約者のフランソワだが、火急の要件で来た、大至急お会いしたい」と告げた。
警備員の一人が携帯電話をかけ話している間、もう一人の警備員はフランソワをチラチラと盗み見ていた。フランソワの衣服が乱れ胸元が開き気味になっていたのに惹かれたのだろう。
数分後ドアが内側から開いた。フランソワは小走りで部屋に入りロビンを探した。
しかし、奥の部屋の手前でボディガードに止められ、簡単なボディチェックを受けた。その際に、自らしていた衣服の乱れを直させられてから奥の部屋に通された。

ロビンは大きなデスクの向こうの椅子に座っていて、その後ろに屈強な男が二人立っていた。
その威圧感溢れる二人にフランソワは一瞬狼狽えたが、気を取り直してデスクの前に立ち英語で、そして今にも泣き出しそうな顔をして言った。
「敬愛なるロビンさま、ロスマイルド家はF国女性とは婚姻関係を持たない方針なのでしょうか」
突然そう言われてロビンは、頭の中に?マークができた。
ロビンが「どうしたのですか」と聞く前にフランソワはデスクに顔を埋め泣きながら言った。
「アダムさまは酷い御方、、、私を御自宅に招待してくださっておきながら、すぐに追い返されました。あまりにも酷い御仕打ち、、、酷い、酷い」最後の言葉は嗚咽混じりではっきり聞こえなかった。
ロビンは、デスクを半周してフランソワの横に立って言った。
「どうされました、アダムが何か酷い事でもしましたか」
ロビンがフランソワの肩に手をやると、待ってました!とばかりにフランソワはロビンの胸にすがりつき「お願いですロビンさま、私を救ってください」と言って更に激しく泣いた。
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ロビンは困った顔で二人の男を見、顎を振って出ていくように指示した。二人が部屋から出て扉を閉めると、ロビンはフランソワをソファーに座らせて、自分もその横に座って言った。
「何があったのですか、詳しく話してください」
フランソワは、ハンドバッグからハンカチを取り出し何度も涙を拭ってから、なおも泣き声混じりに言った。
「アダムさまに招待され、昨日、私はアダムさまの家に伺いました。食堂を見せていただいた後、寝室に案内されましたが、すぐに乱暴なF国語で罵られ追い出されました。私は訳が分からなくて、悲しくて、、、一体アダムさまは、私との御婚姻の意思が御ありなんでしょうか」

「何と、、、そのような事があったのですか、、、貴女の御家柄は、ロスマイルド家にとって申し分ない。婚姻関係を結ぶ価値があります、、、わかりました、私からアダムによく言っておきましょう、、、おう、そうだ良い方法がある、1週間後、次男の結婚20周年記念パーティーがあります。そのパーティーに貴女も招待しましょう。そしてその時、アダムとの仲を取りまとめましょう。  
アダムももうそろそろ身を固めた方が良い。家柄の良い貴女とならお似合いだ、、、
今は御心労甚だしいご様子、もうお帰りになって、お心を鎮められますように、、、」
ロビンはそう言ってからフランソワを立たせドアの所まで送って行った。フランソワはなおも何か言いたそうなそぶりだったが、ドアを開けて入って来たボディガードに促されて帰って行った。

しかし、これで満足するフランソワではなかった。フランソワは、恐ろしい計画を立てていたのだ。
その計画のために更に一日、昨夜と同じ安宿に泊まり、ジョンを呼び出した。
フランソワは、ジョンの喜ぶ報酬を与えた後、ベットに寝そべりジョンの裸体を愛撫しながら言った。
「ねえジョン、私はどうしてもアダムと結婚したい訳ではないの。アダムとの結婚は御金のためなの。私に御金さえあれば、私は貴方と結婚したいのよ。だから、何とか御金を手に入れたいの。ジョン、お願い、私に協力して」
天井を見ていたジョンはフランソワの方に顔を向けて言った。
「俺にできる事なら何でも協力するよ。でも、何をどうするんだい」
フランソワは起き上がってジョンの脇に座り、両手でジョンの顔を抱いて低いが強い声で言った。
「私の計画を聞いて、聞いたら必ず協力して、、、ジョンお願い。私は貴方しか頼れる人がいないのよ」そう念を押してからフランソワは計画を話した。聞き終えるとジョンは顔色を変えて言った。
「俺にロスマイルド家を裏切れと言うのか」
「御金のためよ。この計画が成功すれば大金が手に入るわ。その御金で、二人で優雅に暮らしましょう、、、それに、貴方にとっては、そんなに難しい計画ではないでしょう」
「しかし、ロスマイルド家を裏切れば命がない」
フランソワは念を押すように「もう裏切っているでしょう。アダムの婚約者の私とこうなったのだから」
と言って再び身体を重ねた。

その後一週間は何事もなく過ぎた。しかし、計画は少しずつ実行に移されていた。
ジョンは人知れずアダムの家の監視カメラの死角を調べていた。誰にも知られずにラムを連れ出すために。
階段を登って3階に行くと、その階段の横がアダムの大きな寝室。その並び4部屋目、一番端の小さな部屋がラムの部屋だった。
(ラムを連れてアダムの部屋の前や階段を降りる時、ラムが声を出すと、、、連れ出すのは、やはりアダムの留守中の方が良いな、、、それに、3階廊下にも階段にも監視カメラがある。死角がない、、、ううむ、1階までは電話で呼び出すしかないか)
ジョンは考えながら何度も3階から1階までを行き来した。その行動は監視カメラに録画されていたがジョンは、その録画の事までは考えが及ばなかった。                      28

フランソワにとっては待ち遠しかったパーティーの日、多くの人が着飾ってロベルトロスマイルド家に集まった。
ラムがアダムの家に来て初めてのパーティー。
パーティー用のドレスなど持っていないラムは「行きたくない」と断ったのだが、「何でも私の言う通りにするって言ったでしょう。それに、ドレスも用意するから心配しないで。私を信じて。ロスマイルド家の行事を今から経験しておいた方が良いよ」とアダムに言われて渋々参加した。

豪邸の玄関前でアダムに手を引かれ車から出たラムは、多くの人の視線を感じて緊張した。    その上、初めて着たドレスと踵の高い靴は歩き辛く、もともと猫背のラムは更に前かがみになり、みっともない姿勢で恥ずかしそうにアダムに引かれて家の中に進んだ。             
その後にそっと近づき、ラムのドレスの裾を踏みつけ、ラムが突っ伏する瞬間に足を離して何食わぬ顔で素早くアダムの横に行き、フランソワは英語で話しかけた。
「ハロー、アダム、ご機嫌いかが」
アダムはラムを抱え起こしながらフランソワを見て、驚いた顔で言った。
「フランソワ、、、どうしてここへ、、、英語話せたの、、、」
「ロビンさまに招待されたの。貴方と親しくなるようにって言われたわ。一緒に行きましょう」
「いや、私には連れが居る、、、そうだ紹介しょう。私の婚約者、ラ」
アダムの言葉を遮って、フランソワは周りの人たちに聞こえるように大声で言った。
「なあに、このみっともない女、誰かと思ったらアダム家の家政婦じゃないの。ここに何しに来たの。アダムのお相手は私がするわ。さっさとお帰り」

そう言ってからフランソワはアダムの手を強引に引いて行こうとした。しかしアダムは動かず、片手でラムの肩を抱いて言った。
「私の婚約者に無礼は許しません」
「婚約者、婚約者って、いつ婚約したの、まだ半年経っていないはずよ」
アダムは驚いて言った。「どうして貴女がその事を知っている」
フランソワはハッとして一瞬、口を閉じ「後でまた会いましょう」と言って家の奥に入って行った。
アダムはしばらく納得のいかない顔で立っていたが、まだラムの肩を抱いていた事に気ずき「あっ、ごめん」と言って離したが、改めてラムの手を取りながら言った。
「他の男女は皆、腕を組んでいるでしょう。だから私たちも、、、それに、こうした方が安全だ、こうしていれば、いつも私が貴女を支えてあげられる」
ラムは何も言えず、顔を赤らめ俯きながらアダムに従って歩いた。
(そう、アダムに従うわ、、、アダムの言う通りにするって誓ったんだもの)と改めて思いながら。

パーティーが始まると、先ず主賓のロビン夫妻が大広間に現れ挨拶をした。その後、ロビンの弟イリヤロスマイルドと妻ローザが入場して来た。
イリヤもロビンと同じように背が高いが、体が弱く、やせ細っていた。
滅多に人前に出なくて、アダムも顔を合わせたのは本の数回しかなかった。
イリヤ夫妻がテーブルに着くと、その右にロビン夫妻、左に3男夫妻、4男夫妻、5男夫妻そしてアダムとラムが並んで座った。家長のロベルトロスマイルドは、何故かこのようなパーティーには現れず、いつも長兄ロビンが仕切っていた。
招待客は残りの空いている席に座ったが、100はあろうと思える席がすぐに埋まって、立っている客も多かった。
フランソワは既に、ラムの斜め向かいに座っていて、アダムとラムを無視したように、すまし顔で前を見ていたが、時おり素早く二人を盗み見していた。
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ラムはこの豪邸に来て驚きの連続だったが、今またテーブルに着いて更に驚いた。
大広間の広さもさることながら、長テーブルの長さにも、テーブル上の豪勢な料理にも度肝を抜かれていた。
(規模が桁違いだわ。住む世界が違うわ、、、居辛い、早く帰りたい)
多くの給仕が、手際よく料理を食器に取り入れてくれて食事が始まった。
しかしラムはまだフォークもスプーンも手にしていなかった。使い方がわからなかったのではなく、雰囲気に圧倒され身体が動かなくなっていたのだ。アダムがすぐに気ずいて微笑みながら言った。
「どうしました、食事しましょう。周りの事は気にしないで、、、そう、、、私と二人だけだと思って」
ラムはアダムの気使いが嬉しかった。(アダムはいつも私の事を思ってくれている)そう思うと気が楽になって自然に食事ができるようになった。
そのうち食べ方のわからない料理が出てきたが、アダムが「私の真似をして」と言い実演してくれた。

だが、その実演中にアダムがわざと失敗し、フォークから料理がこぼれてしまった。ラムが素早くそれを拭こうとするとアダムが遮って言った。
「だめだめラムさん、今日のラムさんは家政婦じゃない。私の妻として」
ラムがドキッとしてアダムを見ると、アダムはにっこり微笑んで言った。
「このパーティーには、ラムさんが私の妻として振る舞えるようになるための練習に来たのです」
ラムはすぐ「本当の妻なら、夫の世話をして当然ですわ。でも、妻と言う単語は未来永劫、不要になるかもしれませんわね」と応じた。すると今度はアダムがドキッとした顔をした。
「なんと、、、そうですね、私に妻は要りません。その代わりに私には永遠の恋人がいつも傍に居てくれるでしょうから」
ラムは顔を赤らめ、二人の顔に微笑みが溢れた。
その時の二人を傍から見ると、仲睦まじい新婚夫婦に見えた。しかし、その二人を、否、ラムを嫉妬しながら睨んでいたフランソワは、この時、計画の早期実施を決意した。
(だが、その前に、あの小娘に恥をかかせてやる、、、)

食事が終わると、大広間の正面の仕切りが外され、ダンスホールに変わった。
そのホールの奥には楽団が準備を終えて待機していた。数組の男女がホールに入って行くと静かな曲が奏でられ、優雅なダンスが始まった。
ラムは、まるで映画の1シーンでも見ているような気がしていたが、自分が踊れない事に引け目を感じたりはしなかった。(所詮、住む世界が違うのよ)
その時、ロビンと腕を組んでフランソワがアダムの横に来て言った。
「アダム、お相手してくださらない」
ロビンがすかさず言った。
「このパーティーでは、女性に誘われた男性は断れない事は知っていような」
アダムは渋々立ち上がり無言でフランソワの手を取った。
二人が去ると、ロビンはアダムの席に座りじろりとラムを見たが、何も言わなかった。
ラムは居辛かった。早くアダムが帰ってこないかと、そればかり考えていた。
不意にロビンの声がした。

「お前は誰だ」
ラムは驚いてロビンを見た。座高のあるロビンが険しい視線でラムを見下ろしていた。
ラムは狼狽えた。何と言って良いかわからなかった。その席を立って逃げ出したかった。
しかしラムは、すぐに開き直って(ありのままに言えば良いんだわ)と腹をくくった。
「アダムさまの部屋の家政婦です。将来のための勉強と言う事でアダムさまに連れて来ていただきました」                                                     30
ロビンはしばらく無言のままラムを見ていたが「将来のための勉強とは、、、」と独り言のように聞いた。ラムは悪びれずに言った。
「はい、将来、アダムさまの妻として振る舞えるようになるための練習に来たのです」
ロビンはカッと目を見開いてラムを見下ろし、両手を両膝に置き前屈みになって、穴が開くほどラムを見ていたが、急に表情を柔らかくして言った。
「わかった、、、私がダンスを教えてやる、来なさい」
ラムは開き直り、やけくそでロビンの腕に手を乗せた。

アダムもそれなりに踊れたが、フランソワは遥かに上手かった。
まるでダンスインストラクターのようにアダムをリードしてホールの中央に出た。多くの人の視線が集まった。ダンスも素晴らしかったが、フランソワのその美貌もまた人々の関心を集めた。
「ロスマイルド家6男のアダムと踊っているあの美貌の女性は誰だ」と。              
そのアダムとフランソワの横に、長身のロビンと小柄で猫背のラムが、無茶苦茶なステップで近づいた。今にも足がもつれて倒れそうな、みっともないダンスに多くの人が笑った。
ロビンとラムのダンスは、見事にアダムとフランソワの引き立て役になった。
だが、踊っているラムは無我夢中だった。他人の視線など気にも留まらなかった。近くにアダムたちが居ることすら気ずかなかった。ラムはロビンに「音楽に合わせて足を動かしたまえ」と言われた通りに、一生懸命動いているだけだった。

そんなラムを歯牙にもかけない表情で、フランソワは踊りながらアダムの耳元で言った。
「ほほほ、なあに、あの二人、あれでダンスを踊っているつもりかしら。みっともないわねえ、パーティーの恥晒しだわ、、、アダム、なんであんな娘、連れて来たの。場違いだって思わないの。
このパーティーには私たちこそ相応しいわ。そう、パーティーだけじゃないわ、ロスマイルド家にとっても私たち二人こそ相応しいわ。
私は、貴方にとってもロスマイルド家にとっても相応しい妻になるわ、、、ねえアダム、貴方が望めば私は、いつでも貴方のものよ、、、      
ねえアダム、貴方は私が嫌いなの、、、私は、貴方に好かれるためなら何でもするわ。
ねえアダム、言ってちょうだい。私は、どうしたら良いの、、、私は何でも貴方の言う通りにするわ」
しかし、アダムは一言も話さず、ただダンスが終わるのを待っていた。

やがてダンスが終わった。その時、二組の男女は偶然か故意にかホールの中央で対面していた。
アダムは、ホッとした顔でラムを見た。ラムは、目の前にアダムがいることに今やっと気が付いたふうな顔だったが、額もうなじも汗が流れていた。それを見てアダムは微笑んだ。
その二人を見てフランソワは、心の中で嫉妬心が爆発し、顔を真っ赤にして一人で自分の席に帰って行った。
3人がアダムたちの席に帰るとロビンはラムに言った。
「貴女は化粧室に行くが良い」
そう言われてラムは、全身汗びっしょりなのに気がつき、慌てて化粧室に向かった。それを苦笑交じりに見ていたアダムにロビンが言った。
「どういうつもりだ。お前はあの娘をどうするつもりだ」
アダムはまだロビンにラムの事を話していなかった。ちょうど良い機会だから今話す事にした。

「あの女性はラムササキといいます。女性の両親の許可を得て、結婚を前提に付き合っています。数ヶ月後にプロポーズするつもりです」
「出は何だ」
「父は日本の普通の年金生活者です、母はタイ国籍です」
「刈り取り対象者か」                                             31
「はい、一般人です」
「馬鹿者!」その声は周りの人びとにも聞こえた。むろんフランソワへも、そして彼女は喜んだ。
「アダム、お前は何を考えているのだ、あんな下賤の娘と結婚してどうする。お前はロスマイルド家の6番目の息子なんだぞ。お前にはもっと相応しい女性がいっぱい居る。特に、家柄の良いあのフランソワは、お前に打って付けだ。申し分ない女性だ、お前は彼女と結婚しろ」
今ここで反論するべきか迷っているアダムにロビンは言い足した。
「あの娘が好きなら囲えば良い。妾にすればいい。しかし、本妻はロスマイルド家と釣り合いの取れた家柄の女性にしろ、、、
私も若いころは家柄などどうでも良いと考えていたが、年を取ってわかった。人にはそれぞれ適した家柄があるとな。特に、我がロスマイルド家のように世界中から注目されている家では尚更だ。アダム、悪い事は言わん、本妻はフランソワにしろ。これは、お前のために言っているのだぞ」

アダムは唇を噛みしめた。20歳も年上のロビンに反論する勇気が出なかった。そんなアダムにロビンはダメ押しした。
「フランソワとの婚約発表をするぞ」                                    
ロビンはフランソワを手招いた。フランソワは小躍りして駆けつけて来た。
ロビンは、アダムの制止を撥ね付けアダムとフランソワを並んで立たせ、その前に立って大声で言った。
「御静粛に、、、皆様、本日のおめでたいパーティーにお越しいただき感謝いたします。ついでに、もう一つおめでたい発表をさせていただきます。
我が弟アダムの婚約発表をいたします。婚約者のフランソワワーグナー女史です。皆様どうぞ、祝福してやってください」
一斉に拍手が起きた。
化粧室から出て自分の席の数メートル手前でロビンの話を聞いたラムは、卒倒しそうな体でその場を去って行った。

豪邸ロベルトロスマイルド家の警備は厳重だが、豪邸から出ていく者へはボディチェックすらなかった。ましてドレス姿の女性が玄関を出ると警備員は近寄りもせず、玄関スタッフがすぐタクシーを呼び恭しくドアを開けてラムを乗せた。
運転手が行き先を聞いたが、ラムはまだ何処へ行けば良いのか考えがまとまっていなかった。
それでも「急いでこの家の敷地を出てください」と自分の気持ちをそのまま言葉にした。
豪邸ロベルトロスマイルド家、今のラムには幸いな事に敷地を出るだけでも15分はかかる。
ラムは落ち着いて行き先を考えた。(タイに帰ろう、、、でもその前にこのドレスを着替えなくては)
ラムは「アダム家に行ってください」と告げた。
数十分後アダム家でタクシーを待たせて、衣服を着替え手荷物だけ持って、ラムは再びタクシーに乗ってヒースロー空港に向かった。
アダム家で数人に出会ったが「急いでいますので失礼いたします」と言って誰にも話さなかった。

2時間ほどで空港に着いた。しかし、当日航空券は満席で買えず、翌日12時30分発しか買えなかった。ラムは一刻も早く、この忌まわしいロンドンを去りたかったが、、、
(そうだわ、ファーストクラスなら今夜の便に乗れるはずだわ。ファーストクラスにして請求はアダムに、、、嫌だわ、、、あんな奴、もう二度と関わりたくない)ラムは空港内で一夜を明かす事に決め、とにかく父に連絡しょうと思い時計を見たらタイは既に夜中(明日の朝にしょう)と考え直し、食事することにした。

そのころアダムは、ラムがタクシーでロベルトロスマイルド家を去った事を知った。        32
自分の家に電話してラムが部屋に居るか尋ねると「タクシーで一人で帰ってきて服を着替えて、   またすぐタクシーで出た、行き先はわかりません」との返事だった。
アダムは考えた(ラムさんはロビン兄さんの話を聞いたのだろう。そして、不愉快になり、、、そうか、恐らくタイに帰ろうとしている、、、空港を探そう)
アダムは、ジョンの運転する車にデーンと一緒に乗ってヒースロー空港に向かった。車内でスマホを使ってバンコク行きの時刻表を調べた。
(午後4時発はもう間に合わない。これに乗っていなければ良いが、、、次は夜9時25分と同35分、、、チェックインカウンター前で待ち伏せするか、、、しかし、ほぼ同じ時刻に2便、、、)

ヒースロー空港に着くとすぐ3人はタイ航空のチェックインカウンターに行った。
既に多くの人が並んでいた。
アダムはデーンにEVA航空のチェックインカウンターに行かせて、ジョンと二人で、少し離れた所からラムを探した。
アダムは、カウンターで最後の一人が手続きを終えるまで根気よく待ったがラムは現れなかった。デーンも「EVA航空にはいませんでした」と言った。
アダムは、自分の考えが間違っていたのではないかと不安になった。
その時、デーンが「カウンターに並ばないで、自動チェックイン機を使ってチェックインし出国ロビーに行く人もいます。搭乗者名簿で調べた方が良いです」と言った。

航空券の手配や搭乗手続などいつも付き人にやってもらっていたアダムは、自動チェックイン機があることさえ知らなかった。早速デーンの言う通りに搭乗者名簿を調べるためにカウンターに行った。だが、当然のことながら搭乗者名簿は見せてもらえなかった。
アダムは、仕方なくロスマイルド家の名を使った。すると、RAMUSASAKIが名簿にあるかないかだけをコンピューターで調べてくれた。しかし、タイ航空もEVA航空も名簿になかった。
だがその時「もうすぐタイの有名なロイクラトン祭りがあり、どの便も満席です。明日の便なら僅かに空席があります」とカウンタースタッフの話を聞けた。
アダムは「では明日一番の便の航空購入者の中にRAMUSASAKIがありますか」と聞いた。
12時30分発にあった。アダムは大きく息を吐いて、デーンとジョンにガッツポーズを見せた。

翌日11時ごろ、ラムは自動チェックイン機を使って手続を終え出国手続きロビーに向かった。
ロビー入口で不意にアダムたち3人が現れた。ラムは驚いて立ち止まった。
アダムはにこやかに言った。
「一人で何処へお出かけですか」
ラムは無視してアダムの横を通り抜けようとした。しかし、アダムの腕に抱きしめられた。
「離してください。大声を出しますわよ」
そう言ってラムはアダムを突き離そうとした。だがアダムは自分の口でラムの口を塞いだ。
ラムは強く抵抗した。しかし、ラムより少し大きいアダムの、どこにこんな力があるのかと思うほど強い力でアダムに抱きしめられ、ラムの抵抗は次第に弱くなっていった。
そしてラムの目から涙が流れた。この国では珍しくない光景であったが、ラムは初めて男性に抱きしめられ唇を奪われた、しかも人前で。
その羞恥心と、怒りと、その後の言い表せない悲しさがラムの涙を出させた。

その涙に気ずいたアダムはそっと唇を離し、腕の力を弱めた。途端にアダムの頬が鳴った。
ラムは肩を震わせ、涙に濡れた目でアダムを睨んだ。アダムは静かに言った。
「気が済むまで私を叩きなさい。フランソワとの婚約発表を断れなかった、弱い私を叩きなさい。でも、一つだけ信じてください。私が結婚したいのは貴女だと言うことを」              33
二人はしばらくその姿勢でいたが、不意にラムはしゃがみ込んで泣き声をあげた。アダムはゆっくり抱き起し近くの椅子に連れていって座らせた。

泣き声が消えてからアダムは言った。
「婚約発表をしても、私は決してフランソワとは結婚しない。私は必ず貴女と結婚します。
私を信じてください、、、数ヶ月早いですが、これが私のプロポーズです。受けていただけますか」
少ししてラムは首を振り小さい声で言った。
「嫌です、、、このままタイに帰ります」
アダムは少し考えてから言った。
「わかりました、では最初の約束通りの期間、返事を待ちましょう。でもその間は今まで通り私の家に居てください」
「嫌です、このままタイに帰ります」
アダムは大きくため息をしてから言った。
「、、、貴女のお父さまは何と言われましたか、、、貴女のお父さまは日本人ですね。日本人は決して約束を破りません。貴女も半分は日本人でしょう。せめて約束の期間は私の家に居てください。それに貴女は私に言った『何でも私の言う通りにする』と、、、ラムさん、お願いだからその約束を守ってください。そして約束の期間が終わった時、改めて私に返事をください」
それっきり二人は黙っていた。

その間にラムは、数時間前の父との電話でのやり取りを思い出していた。
「今、ロンドンの空港、明日の夕方にはチェンマイに着くと思うわ」
「急にどうしたんだ、何かあったのか」
「ええ、アダムが他の女性と婚約発表したの。まったく、私を馬鹿にしているわ」
「、、、それだけか?」
「えっ」
「アダムが他の女性と婚約発表しただけか?結婚したのではないんだな」
「ええ、まあ、そう、、、でも、、、」
「じゃあ、アダムの家に帰りなさい。まだ約束の半年にはなっていないのだろう。その半年までに、もしアダムが結婚したならアダムが約束を破ったのじゃから、お前は大手を振って帰って来なさい。じゃが、まだ半年になっていないのにお前が帰って来たら、お前が約束を破ったことになる、、、
心配せんでええ、奴は約束を破ったりせん、、、まだチェンマイに帰って来んでええ」
「でも、、、」
(今までに父が言った事に噓は一度もなかった、、、)
しばらく経ってラムは搭乗券をアダムに渡した。アダムはその搭乗券をデーンに渡し「キャンセル手続きをしてください」と満面の笑みを浮かべて言った。

翌々日、空港での一部始終をジョンから聞いたフランソワは、ジョンの下から怖い顔で天井を睨んでいた。その目は嫉妬の炎が吹き出しているようだった。
(もう待てない、、、あの小娘め)フランソワは計画決行をジョンに告げた。
「明日の夜、私がアダムを連れ出すわ。その後、貴方があの家政婦を連れてここに来て。
死体で連れて来ても良いわよ。どうせすぐ、テムズ川に沈めるんだから。まあ、貴方が楽しんでからでも良いけど。その後、身代金要求、これは私がやるわ」
「その時、家政婦の声を聞かせろと言われたらどうする、、、その時までは生かしていないと」
「それもそうね、、、そのへんの判断は貴方に任せるわ。では明日の夜、手はず通りにね」

翌日の夕方、フランソワから「どうしても二人きりで会って話したい」と電話があり、アダムは渋々ロンドン市内のレストランに出向いた。                                    34
しかし、約束の6時になってもフランソワは来なかった。帰ろうとするとまたフランソワから「30分ほど遅れる」と電話がかかってきた。帰るに帰れずアダムはイライラしながら待った。
結局1時間ちかく経ってやっとフランソワは来た。
「待たせてごめんなさいね、さあ、食事しましょう」フランソワはゆっくりゆっくり食事した。アダムは話しもしたくなかったので、フランソワが話し始めるまで黙っていた。時間だけが流れて行った。


しかしそのころ、アダムの家の自分の部屋に居たラムは「アダムが呼んでいます」
と言うジョンからの電話を受け、1階のガレージ脇に行った。
すぐ横にジョンが居ることに気づいた時、ラムは腹部に劇痛を感じて気を失った。
それからどれだけ時間が経ったのか、ラムはぼんやりと目を開けた。
小さな部屋のシングルベッドに寝かされている事に気づき、起き上がろうとして手足を縛られているのがわかった。その上、口にはガムテープが貼られていた。
トイレの水を流す音が聞こえた後、ドアが開いてジョンが入って来た。ジョンはベッド脇に椅子を持って来て座って言った。
「、、、腹、まだ痛むか、、、ごめんよ、、、俺は、こんな事したくなかったのだがな、、、今後どうなるかわからんが、おとなしくしていてくれ」


食事が終わってもフランソワは何も話そうとしなかった。しかし9時前に携帯電話が鳴って手洗いに行き帰ってくると、何故かホッとした表情でアダムに言った。
「ごめんなさい、急用ができたの、先に帰るわ」
フランソワはいそいそと帰って行った。残されたアダムは腹が立ったが、支払いして家に帰った。

家の中は、いつもと変わらない様子だったので、アダムは3階の自分の寝室に入ろうとしたが、何故か胸騒ぎがして、一番奥のラムの部屋をノックしょうとして時計を見ると11時(もう眠っているのだろう、起こすのも悪いな)と思い、引き返して寝室に入ろうとした時、警備員の一人が来て言った。
「遅くにすみません。8時ころの監視カメラに、ラムさんが階下に降りていくのが写っていたのですが、帰って来られていないようですので、、、」
アダムはすぐラムの部屋のドアを叩いた。しかし反応はなかった。
アダムは監視カメラ映像を見せて貰った。確かにラムが階下に降りて行く姿が写っていた。
アダムは警備員に「この映像時間の後、ラムさんが出かけたのですか」と聞くと「それが不思議な事に、出かけていないと門番が言いましたので、それにラムさんが3階に上がる映像もありませんので、1階を探してはみたのですが、何処にも居られませんでした」

アダムは少し考えてから聞いた「この映像の後、誰か車で出かけましたか」
警備員は電話で門番に聞いた後、言った。
「ジョンさんが一人で出かけられ、まだ帰って来ていません、とのことです」
アダムは背筋に冷たいものを感じた(まさか、、、ジョンがラムを)
「本当にその車の中にはジョン一人だったのですか」
「はい、他に誰もいなかったと言っております」
「、、、わかりました、、、ラムさんが帰って来られたら電話してください、何時でも構いませんから」
アダムが警備室を出ようとすると、思い出したように警備員は言った。
「そういえば、、、今回の事に関係ないかもしれませんが、ジョンさまの不審な行動も録画されております、、、この間のパーティーの数日前ですが」
見せてもらったその映像のジョンの行動は確かに不審だった。                   35
ラムの部屋から階段まで、歩幅で距離を測るような行動をしたり、監視カメラをじっと見て考え込んだり、階段とアダムの部屋の仕切り壁を叩いたりしていた。                     
(何のために、このような行動を、、、それより、ラムさんが部屋を出た後、この家から出たのはジョンだけ、、、ラムさんをトランクにでも入れれば連れ出すのは簡単な事、、、)
アダムは、ジョンに対する疑惑の念を高めた。

アダムは寝室に帰ると、電話でデーンを呼び出し、言った。
「夜分遅くに済みません、緊急事態です。父さんの組織を使って大至急ジョンの居場所を調べてください、、、父さんには後で私が説明します」
その直後、アダムに警備員から電話がかかって来た。
「今、アダムさま宛てにファックスが届きました。大変な内容です」
「読んでみてください」
「ラムを預かっている。無事帰して欲しければ現金で1000万ポンド用意しろ。受け渡し場所は明朝連絡する」
「わかりました、、、無駄だと思いますが、送信元を調べておいてください」
アダムはまたデーンに指示した。
「思った通り誘拐です。ラムさんが誘拐されました。ジョンが関係しているようです。居場所を、、、ジョンも例のマイクロチップを体内に入れてありますよね」
「はい、ロスマイルド家の関係者は全て、、、しかしラムさんはまだ、、、」
「わかりました。衛星監視遠隔追跡システムでジョンの居場所を調べて警察官を踏み込ませてください。なにが起きても、責任は私がとります。あ、組織の者も同行させ、状況報告させてください」
「わかりました」


ジョンは部屋の灯りを暗くして小さい声で独り言のように言った。
「、、、そうさ、全ては金のせいだ。金が欲しいから皆、悪事を働く。俺とて同じさ。俺も金が欲しいからこんな事をしたのさ、、、俺を軽蔑するかい、、、軽蔑されても仕方ないが、せめて俺の言い訳を聞いてくれ、、、
俺は、まあまあ裕福な家に生まれたんだ。それでハイスクールまではアダムと同じ学校に行ってた。しかも俺は、子どもの頃から身体が大きくて喧嘩が強くて、その上、学業成績も良かったから、同級生から頼りにされた。
当時、アダムは弱虫で良くいじめられていたが、ロスマイルド家の事を知ったら、いじめるどころか誰も近寄らなくなった。しかし俺だけは、いつも気兼ねなく付き合っていた。本当に仲が良かったんだ、、、

ところが、ハイスクール卒業直前に父の勤めていた会社が倒産、会社役員だった父も資産凍結され、会社従業員から責務者扱いされた。
苦しんでいる両親を見て俺は、進学を諦め軍隊に入った。3年後特殊部隊に入れられて、殺人技なども習得させられた。やがて軍隊でも一目を置かれるようになった。しかし10年居た軍隊を辞めた後、就職先がなかった。この時ほど、大学に行かなかったのを悔やんだ事はなかった。
だが職探し中に偶然アダムと再会した。アダムはボディガードを探していたんだ。
そして、学歴不問でボディガードにと、父ロベルトさまに取りなしてくれた。収入も正規のボディガードと遜色ないほどでだ。
だから俺は、アダムに感謝していたんだ、、、だが俺は、、、俺だって大金が欲しくなったんだ、、、アダムを裏切っても、どうしても大金が欲しくなったんだ、、、あんたのせいでな、、、」
ジョンはそっとラムの頬に手を乗せた。ラムはドキッとして身を固くした。             36
ジョンの話が続いた。
「、、、俺もあんたを好きになってしまったんだ、、、俺も、あんたと結婚したいんだ。
あんたをアダムに渡したくない。俺は、あんたと結婚して、あんたを幸せにしてやりたいんだ。
そのためには大金が要る。だからフランソワの計画に乗ったんだ、、、
身代金目的の誘拐は罪が大きい。だがそんなことは怖くない。怖いのはロスマイルド家を裏切ったことだ。ロスマイルド家の力は絶大だ。裏組織を使って世界中をも取り仕切っている。
俺のような裏切り者を始末する事など朝飯前だろう。
だが俺には、あんたが居る。アダムが愛した、あんたがな。
俺を始末するなら、あんたを道ずれにすると言えば、ロスマイルド家も手出しできないだろう、、、俺は、あんたと結婚するために命を懸けたんだ」
ジョンはラムの頬の上の手を背中に回した。ラムは更に身体を強張らせた。
「、、、このまま、あんたを腕ずくで俺のものにするのは簡単だ、、、だが、そんなことをしてなにになる、、、そんな事をすれば、あんたは一生、俺を憎むだろう。俺は、あんたと幸せな夫婦になりたいんだ。それが俺の本心なん」
その時、微かなノックの音が3回して止み、また3回音がした。
ジョンはラムの耳元で「フランソワが来た。寝ているふりをしていてくれ」と囁いてドアを開けに行った。ドアが開いてフランソワが入って来る靴音がラムにも聞こえたが、寝たふりをしていた。

フランソワは部屋を明るくして、探るような視線でラム見回して言った。
「貴方まだ何もしてないの」
「ああ、楽しみは後に取っておこうと思ってな、、、それより、金の受け渡し場所は決まったのか。
受け渡し方法はどうする。金を受け取った後、無事逃げ切るのが一番難しいんだが、良い方法は考え着いたのか」
フランソワはラムのベットに座りながら言った。
「大丈夫よ、ちゃんと考えてるわ。4時になったら車で高速道路の立体交差の下に行くの。
金の運搬車を上に来させ、金の入ったバッグを落とさせ、それを拾っておさらば。
道路閉鎖されるまでに、テムズ川岸に行ってボートで逃げる。その時、この家政婦を川に沈めるの、どう完璧でしょ、、、でも4時までにはまだ時間があるわ。それまでに、この憎たらしいこいつを死なない程度にいたぶるの。今までの恨みを晴らすの。貴方も一緒にどう」

言い終えるとフランソワはラムのスカートをずり上げ、太ももを平手で叩いた。隣部屋まで聞こえそうな高い音がし、叩かれた所がみるみるうちに真っ赤になった。
ラムは悲鳴をあげたが、ガムテープで塞がれた口からは僅かに呻き声が漏れただけだった。
フランソワは容赦なくまた叩いた。一度目よりも高い音が響いた。続けてまた叩こうとした時、ジョンが「やめろ」と怒鳴った。その声は、深夜の安宿中に響き渡った。
フランソワが「貴方、どうしたの、何を怒っているの」と言って、また手を振り上げた。その手をジョンが掴み大声で怒鳴った「やめろと言ってんだ」

その時、隣の部屋から「うるさいな、何やってるんだ、静かにしろよ」と声がした。
しかしフランソワはむきになって、反対の手でまた叩いた。
今度はドアの外から「うるさいな、何時だと思ってるんだ。ドアを開けろ、静かに眠れるように殴り飛ばしてやる、ドアを開けろ」と声がし、激しくドアがノックされた。
売り言葉に買い言葉、頭に血がのぼっていたジョンが「なんだと、この野郎、てめえの方がうるさいだろうが」と言って勢い良くドアを開けた。
次の瞬間、銃を構えた警察官4人が部屋に飛び込んで来て、ジョンとフランソワに銃を突きつけた。
ジョンもフランソワも呆気にとられた。                                   37
こんなに早く警察官が、、、何かの間違いではないのか、、、そう思っている二人は、瞬時に取り押さえられ、後ろ手に手錠がはめられた。
一人の警察官が、ラムの口のガムテープを外し名前を確認した「ラム佐々木さんですね」
「はい」とラムは弱弱しい声で答えた。
警察官の後に入って来た黒ずくめの男が携帯電話でデーンと話している声がラムにも聞こえた。
「ミスターデーン、任務完了しました。ミスラムも無事です。お迎えをお願いします。我々はジョンとフランソワをロンドン署に連行します」


ラムの誘拐事件は数時間で解決した。
後で話を聞いた父ロベルトは、アダムの勘の良さを褒め称えた。
自分の幼馴染でありボディガードのジョンを疑う事は勇気のいること。しかしアダムは即座に決断して指示を出した。それがラムの無傷での救出に繋がった。
もし、あの時、アダムがジョンを疑うことを躊躇ったり、迷って指示を出すのが遅れたりしていたら、恐らくラムはテムズ川に沈められていただろう。
プラトニックラブに目覚めていたジョンがラムを襲わなかった事も幸いだった。
ラムはアダムに、ジョンが話したことを包み隠さずはなした。

ジョンも自分を愛してくれていた事。愛していたからこそ襲わなかった事、それに比べ、空港で有無を言わせず抱きしめ唇を奪った男性よりも誠実な男性だと思った、と付け加えると、アダムは苦笑して言った。
「ラムさんが大声を出したら困るので、仕方なくあのように、、、でも、今、その話を持ち出さなくても、、、とにかく、無事で良かった」
「良くないです。ジョンさんは警察に捕まっているのです。ジョンさんは悪くないんです。あの女性に無理やり手伝わされただけです。ジョンさんをすぐ釈放するようアダムさんが手配してください」
しばらく考えてからアダムは言った。
「わかりました、何とかしましょう。でも、その前に面会に行きましょう。一緒に行きますか」
ラムは首を振った。翌日アダムは面会に行った。

面会室の仕切りガラスの手前の椅子に座って5分ほど待っていると、手錠をはめられたジョンが、不愉快そうに座りながら、以前の恭しい言い方とはがらりと変わった、ぞんざいな言い方で言った。
「何しに来た。俺を馬鹿にしに来たか」
「、、、ラムさんに言われました。ジョンは悪くない、フランソワに無理やり手伝わされただけだ。
ジョンをすぐ釈放するように手配してくれと、、、手配する事はできます。でも、その前に聞かせてください。何故このような事をしたのか」
ジョンは、ラムが自分を釈放するように言ったと聞いて一瞬驚いた顔をしたが、すぐに顔を背けて煩わしそうに言った。
「金だよ金、大金が欲しかったのさ」

「お金なら、十分な給料を支給していたと思っていましたが、不満だったのですか」
「ふん、金持ちの息子で、金がなくて苦しんだ事のないお前にはわからんのさ、、、生きていくって言うのは、生活費だけ有れば良いってもんじゃない。たまには、働かなくても優雅な暮らしができるような大金が欲しくなるんだ。お前はいつも優雅な暮らしをしているから、説明してもわかるまい。
フランソワだって同じさ。彼女の家は貴族の家柄でも、貧乏で生活費さえも足りていない。
だから、何がなんでもお前と結婚したかった。だから、ラムさんを誘拐したんだ。
それもこれも、お金のためだ、御金が欲しかったからやったんだ、、、生まれた時から金持ちのお前には、庶民の気持ちはわからんさ。                                  38
俺やフランソワだけじゃない、銀行強盗する奴だって同じさ。大金が欲しいから、犯罪を犯しても金を得ようとするんだ、命を懸けてな、、、
俺も命を懸けた、、、お前を、ロスマイルド家を裏切ったんだからな、、、これが最後だろう、お前と会うのは、、、お前はロスマイルド家の裏組織を使って俺を始末するんだろう」
「、、、」アダムは考え込んだ。
(大金が欲しい、、、ラムさんの身代金要求金額は1000万ポンド、フランソワと山分けして500万ポンド、、、ジョンは、その御金でラムさんと結婚して優雅な暮らしをしたかったのか、、、)
アダムが考え込んでいるのを見てジョンは、立ち上がりながら言った。
「話が終わったなら俺は行くぜ」
アダムは、呼び止めようとしたが言葉が出て来なかった。ジョンが去った後、しばらくして力なく立ち上がり面会室を出て行った。

警察署から帰るとアダムは、ジョンの言った事をラムに話した。
話し終えてアダムは、ため息交じりに言った。
「ジョンもフランソワも、お金が欲しくて貴女を誘拐したと言った。普通の人は皆そんなにお金が欲しいんですか、、、ラムさん、、、貴女もですか?」
ラムはハッキリ言った「はい、欲しいです」
目を丸くしてラムを見たアダムを、可笑しそうに笑ってラムは言い足した。
「でも私はフランソワとは違います。お金を得るためにアダムさんと結婚はしませんわ。
もし、ジョンさんが、いっぱい御金を持っていたら、もしかしたらジョンさんと結婚するかもしれませんけど。だってジョンさん、本当に誠実な男性ですもの」
アダムは口をへの字にして言った。                                   
「わかりました、私もジョンに負けないくらい誠実な男になりましょう」

その後アダムは、一人で手紙を書いた後、デーンを呼んで言った。
「ジョンとフランソワを釈放してください」
「フランソワもですか?」デーンは、ジョンの釈放は予想していたが、フランソワもと聞いて驚いた。
「はい、二人とも、そして、釈放時にこの手紙を渡してください」と言って2通の手紙を渡した。
ジョンへの手紙には「退職金です。これで優雅な暮らしをしてください。しかし、ラムさんは渡しません。私が必ず幸せにします」と書かれ、500万ポンドの小切手が同封されていた。
また、フランソワの方にも「手切れ金です。今後は二度と私の前に現れないでください。ワーグナー家の再興を祈ります」と書かれた手紙と500万ポンドの小切手が同封されていた。
手紙を見て、ジョンもフランソワも感謝の涙を流した。

ラムの誘拐事件の後、数週間が経った。
ラムもアダムも、あんな事件があった事など忘れてしまったように日々の生活を送っていた。
しかし、アダムはジョンが言った「金がなくて苦しんだ事のないお前にはわからんのさ~生まれた時から金持ちのお前には、庶民の気持ちはわからんさ」の言葉がいつも頭の中にあり、時おり考え込んだりしていた。
休日でも出かける事の多いアダムだったが、今日は午後からプールサイドの長椅子に横になり、ぼんやりそのことを考えていた。
寝室のゴミを1階に運んできたラムが、そんなアダムに気づきゴミを抱えたまま声をかけた。
「アダムさん、どうしたのですか、何を考えているのですか」
アダムは(そうだ、ラムさんに聞いてみよう。ラムさんも庶民の、、、)と思いラムを手招いた。ラムは近づこうとしてゴミを抱えている事に気づき「ちょっと待ってください」と言ってゴミを処分して来た。
                                                         39
ラムが来るとアダムは、椅子を運んで来て自分の横に置き、ラムを座らせて言った。
「私は庶民の事がわからない人間らしいです」
「いきなりどうしたのですか」ラムは嬉しくてしょうがない表情でそう言った。
アダムがジョンとの面会から帰ってきた後の会話で、ラムが冗談交じりに「ジョンさんと結婚するかもしれません」と言って以来、アダムがよそよそしい態度をとるようになり、ラムは内心後悔していて、何とか以前のように打ち解けて話がしたいと思っていたのだが、それが今、アダムから声掛けられて、嬉しさが顔に現れてしまった。心の内がすぐに顔に出るラムだった。
だが、ラムのその素直なところが気に入っているアダムは、ラムのニコニコしている顔が大好きだった。そんなラムの顔を見ているとアダムまで嬉しくなった。
アダムは、よく思った(ラムさんのこの笑顔は、お母さん譲りだろうか。お母さんはタイ人、『タイは微笑みの国』だと聞いた事があるが、本当に良い笑顔だ)

今も良い笑顔をしているラムを見て、気をよくしたアダムも朗らかな表情で言った。
「面会の時、ジョンが言っていました『お前は庶民の事がわからない』って、、、そうかもしれません。私は、お金がなくて困った経験はありません。お金が欲しと思った事もありません。でも普通の人は皆さん、お金が欲しいんでしょうね」
「はい、普通の人はみな御金が欲しいと思っています。特に貧乏人は」
「ラムさんの家も貧乏だったのですか」
「はい、でも父は日本人で多少蓄えもあったですし、今は年金で普通の生活ができますので、貧乏人と言えるかどうか、、、でも母の実家は今だにとても貧乏です」
「えっ、お母さまの御両親は今も貧乏なのですか」
「はい、貧乏です。それで今でも時々、父に御金を無心に来ます。父は年金しか収入がなく、家族だけの生活費しかないのですが、母の実家や親戚の人も時々無心に来ます」
アダムは、驚いた(初めてラムさんのお父さまの家に行った時、養豚場か馬小屋かと思うほど貧しそうな佇まいだった。そんなお父さまの所へ無心に行かなければならないほど、お母さんの実家はもっと貧乏なのか)

「そんなに貧乏、、、お母さんの実家は何をしているのですか。もっと多くの収入を得る事はできないのですか」
「母の実家はチェンマイから100キロほど北に行った、山の頂に村があります。
村人は山の斜面で米やトウモロコシを作っていますが、それらはみな人や家畜の食糧で、売るほどはありません。だからいつも現金がありません。でも、学校や病院では現金が要ります。農薬も肥料も現金がないと買えません。
村は30年ほど前までは焼畑農業で自給自足でしたので、御金が無くても生活できました。
でも今は、焼畑を禁止され、同じ畑で作物を作るため土地が痩せ、肥料も農薬も使わざるおえなくなりました。
それらを買うためには現金が要ります。でも村人は現金を持っていません。だから父の所へ御金を借りにきます。でも、借りて行った御金が返されるのは少ないです。
それでも父に御金を借りにじゃない、御金を貰える人は良いです。何とか1年分の食糧を作れますから、でも、御金の無い村人は、1年分の食糧となる農作物も作れず、仕方なく、若い男は麻薬の密売人、若い女性は外国へ行って売春婦になったりします。

母も外国へ行くためにパスポートを作ったのですが、父に求婚されました。父のおかげで私は、そのような目に合いませんでしたが、村では今だに、そんな状態が続いています」
「なんということ、、、その話は本当ですか、あまりにも酷い、、、」
「本当です。嘘ではありません。                                      40
だから母の実家の村では、今も麻薬密売で捕まって刑務所に入っている人も多く、HIVで入院している人もいます。でもこれが現実です」
「、、、」アダムは、言葉を失った(このような事が今も、、、しかもラムさんの周りにも、、、)
アダムは黙り、考え込んだ。そんなアダムを見てラムは心配になった(私また何か悪い事を言ったかしら、、、でも噓は言ってないわ、お母さんの実家の現状はぜんぜん良くなっていないもの)

アダムは、考えた
(ジョンも御金のためにラムさんを誘拐した、、、ラムさんのお母さんの実家の村人は、お金が欲しいために麻薬密売になったり売春婦になったりしている、、、お金が欲しいために、、、
私は、お金が欲しと思った事はないが、それは私に御金がいっぱいあったからだ。もし、私も貧乏だったら、私も御金が欲しいと思っただろうか、、、
でも何故、お金がいっぱいある人とない人がいるのだろう。
村人は、怠け者なのだろうか、それとも村でどんなに働いても御金が得られないのだろうか。
もしそうなら村人は何故そんな村にいるのだろう。都会に出て働いて御金を得れば良いだろうに)
そう考えてアダムは「村で御金を得られないなら、都会に出て働けば良いんじゃあないですか」とラムに言った。するとラムは首を振って言った。

「私は大学を出てたからバンコクで会社に入れました。でも学歴の低い村人はバンコクに行ってもどこへ行っても仕事に就けません。バカにされたり乞食扱いされるだけです」
「、、、じゃあ結局、村人が働いて御金を得られるような仕事自体がないということですか」
「はい、そうです。だから、私もバンコクで働きました」
「そうだったんですか、、、」
「でも、バンコクでの仕事もどんどん少なくなっているそうです。私の同級生もバンコクで仕事に就けず、結局、OOになったとか、、、」
「OOって?」
ラムはアダムを、鈍い人だなあと思いながら「売春婦です」とハッキ言い、付け加えた。
「私は日本語が話せたので、日本向け製品の製造販売会社に就職できました。             
でも、その会社も日本からの受注が減って、私が辞めるころには不景気になりました。たぶん今はもう倒産したと思います。どうも日本も、いえ、世界中が不景気になっているようです。
父の話だと、世界経済も一部の富裕層が裏で操って、自分たちの会社にばかり御金が入るようにしている、だから他はみな不景気になり益々貧乏になっていると言ってます。父はそういう事も良く調べています」
アダムはその話を聞いてヒヤッとした。仕事中に聞いた話と同じ内容だったのだ。ただ、アダムが聞いた方は裏で操る側の話で、一部の大企業にだけ利益誘導するシステムについて、アダムはロビンから聞かされたばかりだった。
(それにしても、そのような世界経済の裏側まで知っている、ラムさんのお父さまは一体、、、)
アダムは不意にラムの父に興味が湧いてきた。

「ラムさんのお父さまは、そのような事も調べているのですか、、、でも、一体何のために」
「父は口癖のように『馬鹿のままでは死にたくない。本当の事を知りたい。
世界には噓がいっぱいだ。ある者たちが、自分たちの悪事を隠すために、世界中の人びとに噓を言っている。世界中の人びとを騙している。
ワシは騙されたままでは死にたくない。馬鹿のままでは死にたくない』と言って20年ほど前から、日本や世界の歴史や経済についてインターネットで調べていて、今の世界は一部の支配者層によって操られている事に気づいたそうです。
そして、父は私に言いました。                                       41
『よりにもよって、その支配者層の筆頭ロスマイルド家の息子に求婚されるとは、運命とはわからんものよ。ワシは20年いろいろ調べ学んできたが、お前の運命については、さっぱり解らん。
じゃから、お前は、お前の運命の通りに生きてみよ。運命に逆らわずに生きてみよ』って。
でも私にはわかりません。運命に逆らわずに生きるってどういう事でしょうか」
「私と結婚することです。それがラムさんの運命ですから」
と、地の利ならぬ言葉の利を得たアダムはほくそ笑みながら言った。
ラムは驚いた顔を、すぐに膨れっ面に変えてアダムを見た。その顔の何と可愛いことか、アダムはまたラムを抱きしめたくなったが自制し、ラムの父の言った言葉を思い返してみた。

(『自分たちの悪事を隠すために、世界中の人びとに噓を言っている。世界中の人びとを騙している。今の世界はそう言う一部の支配者層によって操られている。その支配者層の筆頭ロスマイルド家~』、、、お父さまはロスマイルド家の事もご存知なのだ。ロスマイルド家の裏組織のことも、、、 だから初めてお会いした時、ラムさんを売ってやるなどと、あのように言われたのだ。
ロスマイルド家には逆らえないと分かっていたから、、、
でも、お父さま、私は本当にラムさんを愛しているのです。だからラムさんと結婚したいのです。
だから結婚するためにロスマイルド家の力を使ったりしません。私の真心だけで必ずラムさんと結婚してみせます、、、
それにしても、ラムさんのお父さま、、、また、お会いして、いろいろ話ししてみたい、、、そうなると日本語の通訳、、、ん)
「ラムさんは、お父さまと何語で話しているのですか」

急に違う話になったので驚いたラムだったが「日本語です」と答えた。
「へえ、お父さまとは日本語で、お母さまとはタイ語、そして、私とは英語、凄いな。じゃあ今度お父さまとラインする時、ラムさんが通訳してください」
「はい、、、でも難しい日本語はわかりませんよ。父は良く難しい日本語を使って私を困らせるんですが、、、」
「日本語と英語の辞書を使えば良いでしょう」
「私は日本語の読み書きができないです」とラムは茶目っ気たっぷりな顔で言った。
「えっ、日本語の読み書きができない、、、」
「はい、兄同様、私も小さい時から父と日本語で話していましたので、話すことはできますが、読み書きは勉強しませんでした。今は後悔しています。
父に読み書きも勉強しろと良く言われたのですが、、、父の言う事を聞いていれば良かったです。でも、それ以外の事はみな父の言う通りにしています。こうしてアダムさんの家に居るのも、この間タイに帰らなかったのも全て父の言う通りにしたのです。父の言う事は噓がないですから」
「で、お父さまは私と結婚しなさいと言ったのでしょう」
ラムはまた膨れっ面をして言った「それはまだです、半年間待てとだけ言いわれました」

今度はアダムが膨れっ面をして言った「今すぐ結婚しても良いのに」
「父は言いました『ロスマイルド家には世間体もあるじゃろう、アダムが結婚したがっても周りが反対する。アダムがそれをどう抑えるか。
宗教の問題もある。異教徒を受け入れられないユーヤ教徒のアダムが、その問題をどう解決するのか。果たして半年間でそれら全てを解決できるじゃろうかのう。
それに、その半年間でラムは、本当にアダムと結婚しても良いと決心できるじゃろうか。家の格式も仕来りも違う、正に異次元の世界のようなロスマイルド家に飛び込んで行く勇気が、はたしてラムにあるじゃろうか』と。
はっきり言って今の私には、アダムさんと結婚する勇気はありません。               42
半年経てば、タイに帰るつもりでいます」とラムはきっぱりと言った。
それを聞いてアダムはいきなり椅子から立ち上がり、ラムの両手を握りしめて言った。
「ラムさんのお父さまが心配されているような事は、必ず私が解決してみせます。だからラムさんも勇気を持ってください。そして、私と必ず結婚してください」
そう言った後、アダムはラムを抱き上げた。ラムが抵抗すればすぐに外れるくらいの弱い力で。
しかしラムは抵抗しなかった。むしろそれ以上に、唇を奪われることさえ望んでいた。ラムは下からアダムの目を見つめてからそっと自身の目を閉じた。アダムは我慢できなくなり唇を重ねた。

それからの2ヶ月間、アダムはラムと結婚するための障害となる事柄を解決するために奔走した。
アダムはラムを連れて、父ロベルトに会いに行った。先に最大の難関を突破するために。
広大な敷地を持ち、中世ヨーロッパのお城のような大豪邸の、中庭に面した4階の部屋にロベルトは居た。
黒檀紫檀などで作られた高級家具や調度品に埋め尽くされたような部屋に入ると、部屋の雰囲気に圧倒されて足がすくんでいるラムを抱えるようにして、アダムは部屋の奥に進んだ。
ロベルトは窓を背にして大きなデスクの前に座っていた。後ろには黒ずくめの男が二人。

アダムとラムはデスクの前に立ち、デスク越しに前屈みになってロスマイルド家だけに通じる仕方でロベルトと握手した。ラムは初めてでぎこちない仕草だったが、無事握手して手を引こうとしたが、ロベルトは離さなかった。そしてラムの手を片手で撫でまわしながら言った。
「柔らかくて良い手だ、、、東洋人の、、、50年前を思い出す、、、」
ラムは気味が悪くなり(早く手を放してくれないかな)と思っていると、ラムの思いを察したのかロベルトは静かに手を放した。しかし食い入るようにラムを見続けて黙っていた。
アダムは場の雰囲気を変えようとして言った。
「偉大なる御支配さま、ごきげん麗しく、、、」
「身内だけの時は父で良い、、、そこに座りなさい」

アダムとラムがデスクの前の豪華なソファーに座ると、黒ずくめの男に支えられてロベルトは二人の前のソファーに座った。そしてなおもラムを目踏みするように、爬虫類のような目で見続けた。
その視線に耐え切れずラムはアダムの方を見た。
アダムは(相変わらずだな、父の癖は、、、しかし話すしかない)と考え、単刀直入に言った。
「お父さま、この女性は、ラム佐々木と言います。私はこの女性と結婚します」
ロベルトはラムを見続けたまま言った。

「この女性はロスマイルド家にそぐわない」
「はい、承知しております。確かに今はそぐわなくとも、必ず私が、ロスマイルド家に相応しい女性にしてみせます」
「何年だ」
「半年で」
「、、、わかった。やってみるが良い」
父ロベルトの言葉を聞いて、その場で立ち上がって万歳をしたい衝動に駆られたアダムだったが、ラムの手を引いて静かに立ち上がると、ロベルトに対して日本人と同じように深々と頭を下げ立ち去ろうとした。その時ロベルトは、いま思い出したかのように言った。
「その女性が誘拐された時の勘働き、見事だった、、、お前のその勘の良さに期待している」
アダムは無言のまま、また小さくお辞儀をして去っていった。少し経って、珍しいアダムの雄たけびが部屋の外から聞こえた。ロベルトは「ふん、、、」と鼻で笑った。

アダムとラムが去った後ロベルトは、ソファーに座ったまま物思いに耽っていた。        43
(50年前か、、、ふ、、、血は争えんか、、、)
ロスマイルド家は150年も前から日本の某貴族と深い関係があり、親交を深める意味もあってか、互いに長子を預け合った。
ロベルトも22歳の時から3年間、日本で暮らした。そして3年目になり日本語が上達した頃からロベルトは、その貴族の遠縁にあたる家の娘と恋に落ちた。
逢瀬を重ねるうちに相思相愛になり、契りを結び二人は結婚を誓い合った。
しかし、白人至上主義の強いロベルトの父は二人の結婚を許さなかった。
ロベルトはロンドンに帰り1ヵ月後に必ず迎えに行くと約束していたが、父は行かせなかった。
それどころか、イギリスの貴族の令嬢と無理やり結婚させた。
ロベルトは父を憎んだが、それ以上に日本の娘はロベルトを憎んだ。憎みながらロベルトの男子を出産した。その事を知ったロベルトは、何度も日本語の手紙を送った。しかしその手紙は父の手の者によってことごとく破り捨てられ日本に届く事はなかった。

それから20年経って父が死に、ロベルトは密かにその女性に会いに行った。
だが、当然のことながらその女性は他の男と結婚していて、ロベルトと会う事を拒んだ。
しかしその時、ロベルトの子だと言う青年がキリスト教施設で育てられ、牧師見習いとして遠くの町の教会で暮らしている事を知った。
ロベルトはその青年に会いに行った。
教会に居るその青年を遠くから見ただけでロベルトは紛れもなく自分の子だと分かった。
当時の日本では滅多に居ない長身と白人そのものの肌だったのだ。
しかしその青年は、その長身と風貌故に母に憎まれ捨てられ、敗戦国民に嫌われ教会の敷地から外に出られない生活を送っていた。
当時、信者も少なく牧師でさえ食に困るような状況で、その青年はぼろをまとい痩せこけていた。だが、その青年はロベルトを一目見て自分の父だと悟り、抱きついて泣いた。ロベルトも泣いた。我が息子にこんな辛い思いをさせた自分自身とロスマイルド家に憎悪を覚えた。
「せめて、今後は必ずお前を幸せにしてやる」と、ロベルトは泣きながら20年ぶりの日本語で息子に言った。

ロベルトは息子をロンドンに連れて帰った。
当然、妻や親戚から非難されたが、ロベルトは引かなかかった。妻との間にロビンを含め5人の息子が生まれていたが、その青年にストロングと言う名をつけ、自分の世継ぎにすると宣言した。
しかし妻と妻の一族は猛反対し、世継ぎはロビンだと言い張った。
ロベルトは引かなかったが、妻の方も引かなかかった。こう着状態のまま1年が過ぎた。
その1年の間にロベルトは、既成事実を作るためにストロングを、イギリス北部の貴族の娘と結婚させた。その後1年ほど経って、ストロングの妻が身籠った。
ロベルトは喜んだ。これでもうストロングは安泰だと思った。だが、懐妊が確認されて2週間ほど経ったある夜、ストロング夫婦がいつも寝ているベッドの真上の豪華なシャンデリアが落下した。
小柄な妻は奇跡的に軽傷で済んだが、ストロングは肋骨骨折と内臓破裂で緊急入院し、懸命の治療の甲斐もなく三日後に死んだ。

ロベルトは悲しみのあまり、我が身を引き裂かんが如く掻きむしり、血だらけになって神を呪った。
(ストロング、、、何故だ、何故死んだ、、、俺はお前を幸せにすると誓った、、、お前を幸せにするために我が家に連れて来た、、、なのにお前は僅か1年半で死んでしまった、、、何故だ何故死んだ、、、神はどこにいる、、、神はどこだ、、、俺のストロングを返せ、神よ、俺のストロングを生き返らせろ、、、神よ、どこにいる、、、神よ、、、)
(神よ、、、どうして俺のストロングを奪ったのだ、、、                          44
何故だ何故ストロングを死なせた、、、生まれてから19年間、母に嫌われ、捨てられ不幸に生きた19年間が終わり、やっと幸せになったと思ったら僅か1年半で、、、この世に神は居ないのか、、、神はどこだ、、、どこにいる、、、神よ答えろ、何故、俺の息子を死なせた、何故ストロングを殺した)
ロベルトは神を呪った。ユーヤ教の神を。そして以来ロベルトは表面上は今まで通りユーヤ教徒として振る舞ったが、心の中ではサタンを望んだ。
生贄を捧げ生血を吸い、呪いの呪文を唱える秘密宗教に身を投じた。人前では何事もなかったように振る舞ったが、一人になると呪いの呪文を呟いた。
「ストロングを殺した奴らに死を。ストロングの命を奪った神に呪いを」
その後ロベルトの風貌は変わって行った。いつも、何かに憑りつかれているような、虚ろな目になった。この頃からロベルトは初対面の女性をじっと見る癖がついた。ロベルトが女性を見ている時の雰囲気は、まるで蛇が獲物を睨んでいるような印象を周りの者に抱かせた。

ストロングの妻は夫の死を嘆き悲しむ以上に、身の危険を感じ怯えた。
シャンデリアが落下するなどあるはずがない出来事だった。
ストロングの妻は、ロベルトが集めた数人の警護者に守られて実家に帰って行った。
それから数ヶ月が経った。
ロベルトの妻は6人目の子を宿していた。出産が近づき入院した。しかし予定日が過ぎても産気づかなかった。
予定日よりも1週間も遅れて妻は腹部の痛みを訴えた。しかしその痛みは陣痛ではなかった。
医師は帝王切開をした。子宮の中の子は真っ黒になって死んでいた。母体も危機が迫っていた。ロベルトは医師に、最高の医術を施すよう伝えたが、一人になると呪文を呟いていた。

その二日後、ロベルトの妻は死んだ。
その日、まるで計算されていたかのように、ストロングの妻が実家で男子を出産した。その知らせを受けたロベルトは一人になって満足そうに顔をゆがめた。
妻の葬儀を日延べさせ、ロベルトは密かにストロングの妻に会いに行った。
ロベルトはストロングの妻に、子を世継ぎにすると約束してロスマイルド家に引き取った。
その結果、アダムと名付けられた男子が6男として病院からロスマイルド家に入って来た。
しかしロベルトは6男の面倒を見ようとしなかった、表面上は。
(、、、あのアダムが婚約者を連れて来た。よりにもよって日本人の血を引く女を、、、これも運命か、、、フフフ、、、我が孫よ、期待しているぞ)

父に会いに行った二日後、アダムとラムは、ロビンの元を訪れていた。
父の許しを得た喜びのせいでか、アダムは心なしか堂々とした雰囲気を漂わせていた。いつもすぐ横に居るラムも、アダムが頼もしくなったような気がした。そんなアダムの変化を感じ取ったのか、ロビンもアダムに対して、いつものような子供扱い気味な対応はしなかった。
「ロビン兄さん、私はラムと結婚します。父の許しも得ました」
胸を張ってそう言うアダムにロビンは「、、、そうか、わかった」とだけ答えた。ロビンとしては不満いっぱいだったが、それ以上なにも言えなかった。
ロビンの元から家に帰る車に乗り込むとアダムはラムに、意気揚々と言った。
「さあ、後はラムさんのお父さまだけだ」
しかしラムは水を差すように「まだ宗教の問題があります」と言った。
アダムは「うむ、」と頷いて、急に真剣な表情になり考え込んだ。これも大きな問題だったのだ。

一神教はどれも同じだが、ユーヤ教徒は特に異教徒に対して閉鎖的だった。基本的に異教徒との結婚も禁じていた。だが最近は、ユーヤ教徒と異教徒との結婚も増えているらしい。    45
と言うのも、もともと多い各国の貴族たちは、ユーヤ人の金持ちが増えるに伴い、ユーヤ人との結婚を望むようになった。
貴族の大半はキリスト教徒で、結婚のためにだけユーヤ教に改宗しょうとした。
しかし、ユーヤ教に改宗するためには、ユーヤ教学校に通って数年間ユーヤ教の教義や掟を学び、ユーヤ経典などの試験に合格しなければならなかった。
このような事からユーヤ教に改宗できる人は滅多に居ず、結局、結婚のためにユーヤ教を捨てるユーヤ人の方が多かった。
アダムは考えた。
(ラムさんをユーヤ教に改宗させるのは無理だろう。私がユーヤ教を捨てるしかないのか、、、
ユーヤ教を捨てるにはどうすればいいのか、、、こんな事を相談できるには、、、やはり、、、)
アダムは突如言った「運転手さん、引き返してください」
去ってから1時間も経っていないのにまた来たアダムたちに、ロビンは驚いたが快く迎えてくれた。

アダムは率直に言った。
「私はユーヤ教を捨てます。どうすればよいでしょうか」
ロビンはしばらく二人を見ていたが、さもありなんと言う顔をして頷き話し始めた。
「ラムさんは仏教徒か、、、なら問題はないだろう。お前もユーヤ教を捨てる必要はない。
結婚式の時だけユーヤ教の儀式をすればいい。日常生活で二人の間に、宗教上の問題が起きた事があるのか、、、ないだろう。
ユーヤ教徒と仏教徒なら、問題はおきないさ。何故なら、仏教徒は寛容で異教でも取り込み同化させるおおらかさがあるし、お前は厳格なユーヤ教信者ではないから、ユーヤ教の戒律を厳密に守ったりしないだろう。だから問題などおきないな。
ただ、お前たち二人に男子が生まれた時、割礼をどうするかは、その時までに決めておいた方がいい。予定日はいつだ」
最後に冗談を言われ、アダムは吹き出し、ラムは顔を赤くして俯いた。だが二人は安心し、ロビンに礼を言って去った。予想していたよりも簡単に片付いたので、アダムは少し拍子抜けした。

再び車に乗り込むとアダムは言った。
「さあ今度こそ本当に、後はラムさんのお父さまだけだ」
しかしラムは、意地悪気に言った。
「その前に最も大きな問題が残っていますわよ、私はまだアダムさんと結婚する勇気がありません」
アダムはこの時ほど、黒ずくめの男どもを邪魔だと思った事はなかった。
何故ならアダムは「大丈夫です、私が勇気を吹き込んであげます」と言ってラムを抱きしめ口を合わせたかったのだ。だが、今はそれができないのでアダムは仕方なく「大丈夫です。良い方法があります。後で教えてあげます」とだけ言った。そして後日、アダムはその良い方法をラムに教えた。その結果、ラムが勇気を持ったかどうかは、まだ定かではない。

半年経ってからラムにプロポーズし、ラムが結婚を承諾した後、ラムの父に会いに行くべきか、半年までに行くべきかアダムは迷っていた。普通に考えるなら半年経ってからの方が良いと思えるが、
初対面時の父の言動を思い起こすと、その前に一度会った方が良いような気がした。
それは、半年後に会って、大反対でもされ予想もつかない展開にでもなったら、と言う不安があったし、もっともっと父の事を知っておきたいと言う気持ちもあった。
(こういう時は、さり気なくラムさんと話し合うのが良い)と思い、アダムはまたプールサイドの椅子に座ってラムが来るのを待った。
午後になり、いつもならラムがゴミを抱えて下りて来る時間なのだがラムは下りて来なかった。
アダムは怪訝に思って3階に上がり、自分の寝室に入った。                    46
掃除は終わっていてゴミも出されていた。だがそのゴミが見当たらない。
アダムは一番奥のラムの部屋の前に立ちノックしょうとすると、ラムの日本語での話し声が聞こえた。父とラインしているようだった。ラムが下りて来ない理由がわかり、ではもう少し下で待っていようと考え去ろうとすると、ラムの声がタイ語での泣き声に変わった。
アダムは思わずノックした。少し経って、涙を拭いた後の顔でラムがドアを開けた。
「どうしたの?」
ラムは話そうか迷っているようだったが少しして「両親が喧嘩中なの」とポツリと言った。その時、ノートパソコンから父の声がした。
「ライン閉めるぞ」
「待って、お父さん」強い声でそう言ってラムはノートパソコンの前に座った。アダムも吊られた感じで室内に入りラムの後に立った。そのアダムの姿がノートパソコン越しに見えたのか、父の声がした「なんだアダムか、元気そうじゃのう」
アダムは何と言ったかはわからなかったが、父の表情が和んだように見えた。
「お父さま、こんにちは」と言い、ラムに通訳させた。するとこれくらいの英語は分かるとみえ、「ハローアダム」と英語で返してきた。

ラムがラインを介して父に言った。
「お父さん、ビザの更新までには何とかするから、お金を下ろして」
「ラム、何度言ったらわかるんだ。ビザ更新は来週だ、今、預金を引き落としたら、数日後に預金し直してもダメなんだ。40万バーツ以上の預金が半年以上の期間がない残高証明書ではビザ更新できないんだ。だからビザ更新が終わるまで預金引き落としはできないんだ」
「でも、お金を出さないと病院が治療してくれない。おばあさんが死んでしまうわ」
「だから他の人から金を借りろと言ってるんだ」
「誰が貸してくれるのよ、貸してくれる人なんていないわ」
「チェンマイだってサラ金くらいあるだろう。ビザ更新が終わったら返せるんだからサラ金で借りたっていい。母さんにサラ金で借りるように言いない」
「お母さんはサラ金なんて知らないわよ、サラ金での、お金の借り方だって知らないわ、お母さんじゃ無理よ」
「そうやっていつまで、お父さんをこき使うんだ、お父さんはもう74歳だぞ、、、じゃあ、お前がインターネットでサラ金の場所を調べろ、そしたらお父さんが明日バイクで行って借りてくる」
「わかったわ、じゃ調べてみるから1度ラインを閉めるわ」
そう言ってラムはラインを閉めた。それを待っていたようにアダムが聞いた。
「ラムさん、どうしたの、何があったんです」

ラムはインターネットで急いでサラ金の場所を調べたかったのだが、自分の事を本当に心配してくれているアダムの目を見ると、話さずにはいられなかった。
ラムはベッドに座り、アダムはベッド横の椅子に座るとラムは困った顔をして話し始めた。
「母のお母さんが病気で病院に行ったら、すぐ入院して治療しないと危ないって言われたそうなの。でも手持ちの御金が足りなくて、それで母に電話がかかってきたけど、母も父も年金暮らしでまとまった御金がない。
それで母が父にビザ更新のための預金を引き下ししてと泣いて頼んだのだけど、その預金を引き出すとビザ更新に必要な残高証明書が作れなくなってしまうので、とりあえずチェンマイのサラ金から御金を借りることにしたので、チェンマイのサラ金を今から私が調べて父に知らせ、明日、父にサラ金に御金を借りに行ってもらう事になったの」
話を聞いてアダムは(なんだ、そんな事か、御金がなかったのか、、、ん、御金なら、置き土産で十分にあるはず、、、)と置き土産の事を思い出し、ラムに言った。                  47
「ラムさん、御金なら、お父さまが十分に持っているはずだけど」
「え、、、どういう事ですか」
アダムはラムに置き土産の事を話して付け加えて言った。
「置き土産の御金を使えば、おばあさんの治療費くらい十分にあるはずです。お父さまは何故その御金を使わないのだろう。忘れているのかな」
アダムの話しを聞いてラムは驚き「そんな御金があるなら、、、とにかく父に聞いてみます」と言ってラインを開き父を呼び出した。父はもう寝ようとしていたようで、不機嫌そうに言った。
「どうしたラム、明日、お父さんはバイクでチェンマイに行くから早く寝たいんだ」
「お父さん、御金いっぱいあるんでしょう、アダムさんに聞いたわ、置き土産の事」
「、、、なんじゃ、アダムめ話したのか、要らんことを、、、ラム、あの御金はお父さんの金じゃない、いつかは返さないといけない金じゃ、だから使えん。アダムにそう言え」
ラムは合点のいかない顔でアダムに伝えた。アダムも理解できないようでラムを介して聞いた。
「私は、置き土産としてあの御金を差し上げたのです。だからお父さまの御金、お父さまが自由に使ってください」

父は、アダムの言う事を聞いて苦笑して言った。
「ラム、アダムに言ってやれ。ワシは日本人じゃ、謂れのない金は受け取れぬ。じゃが、今後ラムの身に何かあって、どうしても御金が要る時がきたらその時に使わせてもらうつもりでおる。だからそれ以外では使えぬ金じゃとな」
しかし、ラムからそう聞いたアダムはなおさら理解できなかった。
「御金にかわりはないはずでしょう、何故、使える御金と使えない御金があるのですか」
「他国の人には理解できぬかもしれんが、日本人には『けじめ』というものがある。この、けじめのために侍は腹を切る事もあった。それほど日本人には大切な事なんじゃ、、、置き土産の事は忘れてくれ。ワシだけが覚えておく、、、
そうじゃ、アダム、ワシに金を貸してくれ。明日、妻の銀行口座に金を振り込んでくれ。アダムなら、それくらい簡単にできるじゃろ。アダムが振り込んでくれるなら、ワシは明日、バイクでサラ金に行かなくて済む。この歳になるとな、はっきり言ってバイクに乗るのが恐いんじゃ」
ラムからそう伝え聞いたアダムは、まだ得心がいかなかったが、銀行振り込みは快く引き受けて、時計を見て、イギリスはまだ銀行営業中であることを確認してさっそく手配した。
父は喜んで言った。「アダム、ありがとう。これで急場がしのげる」
父に礼を言われてアダムは照れた。アダムは、父の役に立てれた事が心底嬉しかった。

父とのラインを終えた後、ラムはまたベッドに腰掛けて大きなため息をついた。そして、しばらく沈黙した後で暗い顔をして言った。
「、、、村の人はいつも貧乏、、、そのせいで両親はいつも集られる、、、でも両親には父の年金があるからまだ良い方、、、年金もない子 も居ない、母の実家の村の人たちは、老いて働けなくなれば飢えるしかないです。いえ、子が居ても、子は自分が食べていくだけで精一杯で親の面倒まで見れない人が多くて、瘦せこけた老人が多いです。
そんな状況だから、病気になっても病院へ連れていってもらえない、、、おばあさんはまだ幸せな方、、、でも何故、世界には貧乏人とお金持ちが居るのでしょう、、、父が言ってました、、、貧乏人が居るのは大金持ちが富を収奪しているせいだって、、、アダムさんも大金持ち、、、アダムさんも、貧乏人から富を収奪しているのですか、、、」
アダムは言葉に詰まった。何と答えて良いかわからなかった。
ロスマイルド家は合法的な方法で富を得てきた。法を犯して収奪しているわけではない。
しかし、富がロスマイルド家に入って来るようなシステムを作った事は事実だ。それを考えると、富を収奪していると言われても反論できなかった。                            48
アダムがなにも言えずにいると、ラムはアダムにではなく独り言のように言った。
「この間のパーティーの時、私は驚きました。あんなにも豪勢な料理が数百人分テーブルに並んでいました、、、でも私はあの時、料理を見て何故か悲しくなりました。
あの料理のための御金はいくらなのか想像もつきません。でも恐らく、私が一生働いても得る事ができない大金なのでしょう、、、そのような大金を使って、年に何度もパーティーをしている、、、
御金が勿体ない、、、私はそのような人たちと同じにはなれない、、、私は住む世界が違うのよ、、、私はこんな世界には住めない」
アダムはラムの言葉を聞いて居たたまれなくなり、ラムの傍に行って肩を抱いた。ラムは身体を振ってアダムの腕から逃れようとして言った。
「私は、、、私はあなたと結婚できない、、、あなたの世界に入って行けない」
ラムの目の涙を見てアダムはどうすることもできなくなり、フラフラと立ち上がって部屋を出て行った。
アダムは自分の寝室に入り、ベッドに大の字になった。考えなければならない事がアダムの心に重くのしかかってきた(金持ちと貧乏人、、、か)

その時、携帯電話が鳴った。アダムが携帯を耳に当てると長兄ロビンの興奮した声が聞こえた。
「アダム、父、否、御支配さまからの指令だ日本に行ってくれ」
「突然どうしたのですか」
「会って話したかったが時間がない。アダムよく聞いてくれ、NWOの最終政策が決定された。
今まで反対していたロックフォロー家がとうとう賛同したらしい。
それで、お前に日本人を刈り取らせたいとの御支配さまの指令だ。私は、イギリス。一番厄介なA国は御支配さま自ら行かれるそうだ。R国やC国も弟たちが行く、、、
最終政策の内容は知っていような。ワクチンの割り当ては後日になるが、刈り取り前の選別作業が重要になる。新人類構成の基礎になるからな、、、
出発の手配等はデーンに知らせる。だが、この事はデーンにも秘密だ。デーンはスケジュールや現地滞在の手配のみで、最終政策については一切知られてはならない。良いな、、、
そうだ、あの女性も連れて行け。これからは結婚式など挙げている暇はなくなるだろうが、ロンドンに置いておくわけにもいかないだろう。お前も当分帰って来れないから、そのつもりで行け」

興奮したロビンの声を聞いていてアダムも興奮した。電話が終わるとアダムは、右手を握りしめて突き上げた。父、御支配さまやロビンに感化されて成長したアダムにとっては、NWO政策を推進する事は、他の全てよりも優先する最重要課題だったのだ。しかもその課題の一翼を担うことができる。アダムは、喜びに溢れ雄たけびをあげたい衝動に駆られた。
しばらくして興奮が鎮まると、アダムはラムの事を考えた。
(ラムさんも連れて行く、、、そうだ、御両親も連れて行って日本に住まわせる、、、だが、伝えるのは明日にしょう)

翌朝、ラムはいつもと同じように、アダムの寝室の掃除を始めた。これまでの数ヶ月間と同じ時間に始め同じ作業をした。昨日の出来事など忘れてしまったかのように。
だが、ラムは決心していた(約束の半年が終わったらタイに帰ろう。アダムとは結婚しない)と。
決心して気楽になって、動作も軽やかになった。そのせいでか、いつもより早く終わった。
全てを終え1階の従業員用食堂に入って時計を見るとまだ正午になっていなかった。
いつもは正午から他の家政婦と一緒に食堂で食事をする。その後、自分の寝室に帰ってラインをするのが日課だった。しかし今は正午までに15分間ある。
ラムは椅子に座って、これからの事を考えた。
(ここでの生活も後1ヵ月だわ。そうしたらタイに帰れる。また仕事を探さなきゃあ、、、チェンマイにあれば良いんだけど、、、)                                        49
ラムの脳裏にふと両親の顔が思い浮かんだ。両親とはほぼ毎日ラインで顔を見合わせて話しているのだが、ラインでは物足りない、何か満たされないものを今のラムは感じていた。
ふと気がつくと、他の家政婦たちが食事を始めていた。いつの間にか正午になっていたのだ。
ラムも食事した。お世辞にも美味しいとは言えない従業員用の食事を。
食事を終え3階に上がると、寝室の前でアダムに呼び止められた。

「ラムさん、急な話で申し訳ないですが、明日の昼、日本に行きます。当分、向こうで暮らし、ここへは帰って来ません。ラムさんも一緒に行ってください。せめて約束の日まででも。できれば御両親も日本に住んでいただきたい。今からラインされるなら、御両親へもこの事を伝えてください」
アダムの真剣な眼差しで見つめられそう言われると、ラムは言い返す言葉が出てこなかった。
ただ「わかりました、父に話してみます」とだけ言って寝室に入った。
ラインを開いて父を呼び出すとさっそく言った。
「お父さん、今アダムさんから聞いたのですが、明日から日本へ行って当分向こうで暮らすそうです。そして、私にも一緒に行って欲しいと。それから、お父さん、お母さんも日本に住んで欲しいと言ってます」
「ほう、日本へ、、、」父は少し考えてから続けた。
「ラムは一緒に行きなさい。アダムの居ないロンドンに居ても仕方がないじゃろう。じゃが、ワシら夫婦は行かん方が良いと思うんじゃがのう。アダムはどういう考えでワシらまで日本に住めと言うのかのう、、、今そこにアダムは居るのか」
「呼んできましょうか」
「ああ、そうしてくれ」

ラムが外に出るとアダムは自分の寝室の前に立っていた。ラムの返事を待っていたようだった。
ラムが父の言った事を伝えると、ラムが一緒に行く事がわかって喜び、急いでノートパソコンの前に座った。アダムが見えたのか父が言った。
「アダム、ラムを連れて行くのは良いが、ワシら夫婦は一緒に行かない方が良いと思うぞ。足手まといになるだけじゃ」
ラムの通訳で父が言った事を聞くとアダムはあっさりと言った。
「わかりました。でも、ラムさんと結婚した後は是非とも日本に住んでください。警護の問題もありますので」
「警護の、、、ふ~ん、そう言う事か、わかった。考えておく、、、おうそうじゃ、忘れるとこじゃった。
アダム、金、ありがとう。無事振り込まれていた。来週、銀行振り込みで返すからのう。アダムの口座番号を教えてくれ」

アダムは苦笑して言った。
「お父さま、御金は返さなくて良いですよ。ラムさんのおばあさんへの私からのお見舞金と思って受け取ってください。これは、おばあさんへ差し上げた御金ですので、お父さまは、どうぞ何も言わないでください」
今度は父が苦笑して言った。
「ふん、ワシを除け者にしおって、まあええじゃろ。ありがとう、婆さんの代わりに礼を言っておく。じゃがアダム、結婚できんかったから返せなどと言わんじゃろうの」
アダムは笑って言った「そのような事は神に誓って致しません。それに、ラムさんとの結婚は100%確実だと思っていますので」
ラムは膨れっ面をしながら父に通訳した。
(私の本心を知らないで無責任な事を、、、今、本心を伝えようかな、、、でも、日本へ行くのも悪くないかも、、、小学校6年の時、家族4人で行ったきりだもの)                   50
ラムがそんな事を考えていると父の声がした。
「じゃ、気を付けて行きな」
「はい、またラインしますから」と、ラムは慌てて言ってラインを閉めた。
するとすぐアダムは言った。
「ラムさんが一緒に行ってくださるのが本当に嬉しい。とにかく今すぐに準備をしてください。
私もこれから始めます。それと今夜は一緒に食事しましょう。初めて会ったレストランで」
ラムは初めて会ったレストランを思い出しクスッと笑って頷いた。

成田空港に着いて、機内から空港への連絡通路で、アダムとラムは寒さに震えた。まだ11月半ばだと言うのに、この寒さはどうしたことだ、異常気象だろうか、と二人は思った。
二酸化炭素による温暖化と言うのは噓で、地球は寒冷化していると、一族配下の研究者が言っていたが、どうも本当らしいとアダムは思った。
(とにかくホテルへ直行だ、夕食もホテル内にしょう。こう寒くては出歩けない)
アダムはそう考えてデーンと付き人に言った。
すると付き人は「日本のイルミ組織の者が迎えに来る事になっております。これからの日程も彼らが手配しておりますので、数日は彼らに従って行動するようにとの御支配さまの言いつけでございます」と言って歩きながら携帯電話で話し始めた。
アダムとラムとデーンと付き人、そして、屈強な黒ずくめの男二人の6人が、入国審査を終え到着ロビーに出るとすぐに、日本人と思われるが、屈強な体躯の黒ずくめ4人がアダムたちを出迎えた。

4人の中の一人と付き人が少し話すと、4人はアダムに対して恭しく敬礼をし、名前と階級を名乗ったが、聞き慣れない日本語の名前で、アダムは覚えることができなかった。
アダムとラムを中心に前後左右に黒ずくめの男がガードして、人混みの中を移動し専用駐車場に行くと、後部に窓のないワゴン車が待っていた。
すぐに全員が乗り込み出発、1時間ほどで都内の高級ホテルに到着した。

ホテルの部屋に入って休む間もなくアダムは、日本イルミ組織長、黒田吾平の表敬訪問を受けた。
黒田は、日本の裏組織を束ねている男だと聞かされていたが、アダムには、どこにでも居そうな目立たない老人に見えた。
しかし、イギリス人と間違うほど流暢な英語の黒田と10分も話していると、ロスマイルド家の事やアダム自身の事など「何故そんな事まで知っている」と問い質したくなるほど知っていて、この老人が只者でない事をアダムは思い知らされた。
15分ほどで黒田が帰って行くと、アダムは背中に冷汗をかいていた。
(表向きは、金融商品の売り込みのためとしているが、まさか、私が日本に来た本当の目的まで知っているのではないか?、、、黒田吾平、油断できない人だ)アダムは気を引き締めた。

来日後2週間ほどは、表向きの体裁を保つために、大手金融会社の関係者と頻繫に会わなければならなくて、アダムは忙しかったが、ラムは暇でうんざりしていた。
アダムに乞われ日本に来たが、ラムは何もする事がなかったのだ。ロンドンのアダムの家では、アダムの寝室の掃除と言う仕事があったし、他の家政婦との交流もできた。
しかし日本に来て以来毎日ホテルの部屋で過ごすことしかできなかった。3度の食事さえもホテル内のレストランだった。
我慢しきれずアダムに外出したいと言うと、2人のボディガードと一緒に行くようにと言われた。

ラムは、ホテルで貰ったパンフレットを持って心弾ませ、初めての東京観光に行こうとした。だが、ボディガードに行きたい所を聞かれ、観光スポットを数ヶ所言うと例の窓なし車で行くと言う。 51
ラムは、観光地を自由に歩いて回りたいと言うと、ボディガードは「とんでもない」と言う顔でラムを見て言った。
「奥様はもう、一般人と同じような行動は許されません。いつ何時、不埒な者に襲われるかもしれません。お出掛けの際は、どうぞ我々の監視の届く範囲内でお過ごしください」
(へっ、わ、私はまだ奥様じゃないわよ、、、それに、あんな窓なし車で観光なんて、、、)
ラムは渋々、窓なし車に乗り込み東京スカイツリー、浅草寺、江戸東京博物館と見て回った。

スカイツリーの展望台は最高だった。正に絶景と言えた。来るまでは不満たらたらだったのが、360度の展望台を一周するころには、23歳の屈託のない明るい女性に戻っていた。
浅草寺では、子供のようにはしゃぎ回り、ボディガードをハラハラさせた。
だが、江戸東京博物館に入って展示品を見ていると、いつの間にか日本女性のような淑やかな仕草をするようになっていてボディガードたちを驚かせた。
ボディガードたちは、その日のうちにラムに惹かれてしまった。
そして二人のボディガードは(俺の命に代えても、この人を守ろう)と決意を新たにした。
ホテルに帰って来ると、たくさんの土産物の中から浅草饅頭を取り出し、礼を言いながら手渡すラムに、二人のボディガードは顔を赤くして言った「また、いつでも御一緒に観光しましょう」

その後、アダムも暇になってきた。しかしアダムには考えなければならない事があった。
それは、日本人をどのように選別するかという事だった。日本人へのワクチン割り当てがまだ決まっていないので、具体的に数字を決めることはできなかったが、大まかな基準として、年齢で線引きするのか、職業で決めるか等を考えておかなければならないと思った。
(年齢で線引きするのが良いかもしれない。理想郷には高齢者は要らないだろう。しかし高齢者でも、科学者や政治家、、、政治家は必要ないか、5億人を統括するのは、御支配さまと決まっているのだから、、、
科学者や医師、教育関係者等は多少高齢でも良いだろうが、それ以外の者は70歳、いや60歳で線引きする、、、高齢者の割合が高い日本では、これだけで3割は人口を減らせるだろう。
それから、不治の病の人、精神病者、犯罪者、生活保護受給者等も不要だ。理想郷には健康で健全な人間だけで良いだろうから)
そのような事を考えていた時、ふと脈略もなく、昨日の夕食時にラムが言った事を思い出した。
『退屈で死にそう、私は籠の中の鳥と同じだわ。私は何のために日本に来たのかしら』
(日本に来て既に半月、その間にラムさんがホテルから出たのは東京観光に行った1日だけ。ラムさんが不満を言うのも当然のことだ、、、ワクチン割り当てが決まったら、もっと忙しくなるだろう。今のうちに一緒に旅行しておいたほうが良いだろうな、、、ラムさん、高い所が好きだから、、、富士山に行ってみるか)

アダムはイルミ組織の担当者に「ラムさんと一緒に富士山に行きたい」と言った。
担当者が驚いて聞いた「富士山頂へですか?。今の時期、山頂は雪で一般人では登山できないのではないかと思いますが」
「え、富士山て、そんなに高い山なんですか。イギリスで、日本観光パンフレットに富士山の写真がよく載っていたので、誰でも簡単に行けれる観光地かと思っていました。それに山頂はもう雪ですか?。東京はまだ降っていませんよね」
「富士山は3776メートルで今はもう日中でも氷点下でしょう。登山されるなら、冬山登山の装備が必要です。それに高山病になる危険性もあります。お止めになった方が宜しいかと思います」
「わかりました。では、富士山を見るのに良い場所に行きたいです。それに温泉にも入りたい」
「それなら箱根が宜しいかと思います。箱根温泉に宿を取り、富士山の展望の良い十国峠に行かれると、特に今の時期は空気が澄んでいて素晴らしい景色が堪能できると思います」     52
「では、そこへお願いします」

翌朝まだ暗いうちに、アダムとラム、ボディガード数人が後部窓なしワゴン車に乗り込んだ。
アダムはラムに、わざと行き先を教えなかった。車は4時間ほどで十国峠駐車場に着いた。
幸運な事に、冬晴れの雲一つない上天気。その上、まだ早いせいか観光客も少なかった。
駐車場からでも富士山は見えたが、アダムは出発前にボディガードに、ラムに富士山が見えないように取り囲んで欲しいと頼んでおいた。
そして、ケーブルカーで展望台に着いてから富士山を見させた。アダムが予想していた通り、ラムの喜びようは底抜けだった。
眼前に雄大な富士山を見て、ラムは数秒間言葉を失い、その後、両手を広げ、一度アダムを振り返って見て、しかしまだ言葉が出ず、また富士山を見て「富士山、、、なんて綺麗なの」と感嘆の声を上げた。その後はお祭り騒ぎ状態になった。
十国峠からの富士山の眺めを満喫した後、箱根温泉宿に入った。アダムとラムは初めての温泉、初めての露天風呂。夕方、まだ誰もいない露天風呂に入って仕切り越しに歓声を上げあった。
夜は、宿の人に手伝って貰って浴衣を着て食事。誰が見ても新婚カップルにしか見えない二人だったが、ラムはまだ結婚する決意をしていなかった。

あと10日で約束の半年になる。10日後、アダムにプロポーズされてもラムは断るつもりでいた。
(住む世界が違い過ぎるわ。私には到底入って行けない。私はタイで一般人として生きるわ)
しかしアダムは、ラムとの結婚を望んでいた。
(ラムさんは何と魅力的な女性だろう。初めて富士山を見た時の、あの素晴らしい笑顔。何と例えれば良いのか、、、まるで天使のようだ、、、穢れを知らない初々しい少女のようだった。
心に何も着飾っていない。正に裸の心、、、人前でも裸の心でいられる女性、、、。
また、浴衣を着ての夕食時の、ラムさんの何と淑やかな事か。まるで本当の日本女性のようだ。
ビデオで見た、京都の舞妓さんの仕草のようだった。気取りのない自然な仕草。
たぶん一日中ラムさんを見てても私は飽きないだろう。結婚するなら、ラムさん以外に居ない)
箱根観光を終えた後のアダムは、以前にも増してラムとの結婚を望んだ。

10日後の夜、ホテルのレストランでアダムはラムに、結婚指輪を手渡してプロポーズした。
「ラムさん、私と結婚してください」
しかし、にべもなく断られた。
「お断りします。私はタイに帰ります。タイで一般人として暮らします」
しかし、アダムは引き下がらなかった。アダムはラムの両手を握りしめて言った。
「お願いします。ラムさん、私と結婚してください。私にはラムさん以外に結婚したい女性はいません。どうか、私の一生の伴侶になってください」
だが、ラムは聞き入れなかった。アダムは最後の決断を述べた。
「わかりました、ラムさん。では、私も一般人になりましょう。私はロスマイルド家を出ます。そして、一般人となってラムさんを幸せにしてあげます。だから、私と結婚してください」
それでもラムは承諾しなかった。アダムは仕方なく言った。
「では、最後のお願いです。あと半月今のままで居てください。半月後も結婚したくないのでしたら、タイに帰られる手配をします」
ラムは、アダムから見ると可愛くて仕方がない膨れっ面をして渋々言った。
「わかりました、あと半月だけ待ちますわ。でも退屈で死んでしまわなければ良いですけど」

食事を終え、ホテルの部屋に帰ったアダムは、靴も脱がずベッドに大の字になりため息をついた。
アダムには理解できなかった。                                      53
(ラムさんは何故私と結婚したくないのだろう。普通の人なら誰だってお金持ちと結婚したがると思うけど、、、いつだったかジョンが言ってたように、私には一般の人の事は理解できていないのだろうか、、、こんな時、誰に相談すれば良いのだろう、、、ロビン兄さん、、、しかし、ロビン兄さんもお金持ちだ、、、そうだ、ラムさんのお父さまに相談してみよう、ダメでもともとだ、、、
しかし、そうなると通訳者が、、、通訳者は使いたくないな、、、ん、確か配下のコンピュータープログラマーが高性能翻訳ソフトを使えば、口で言った事が翻訳されて相手側に音声と文章で表わされると言ってた。あれが使えれば、、、)                                                                 
アダムは早速そのソフトを取り寄せ、自分のコンピューターにセットした。

翌日の昼、アダムはラムの父にラインした。
「お父さま、お元気でしょうか」
「おおアダム、日本語を覚えたのか。しかし、声が違うな、同時通訳か?」
「いえ、コンピューターの翻訳ソフトです。これなら第三者に聞かれません、、、
お父さま、どうか教えてください。
ラムさんは何故私と結婚したくないのでしょうか?。私が金持ちだからでしょうか?。でも私は、ロスマイルド家を出て一般人になると言ってもラムさんは承諾しませんでした。
私は、どうしたらいいのか、、、私は、本当にラムさんを愛しています。本当に結婚したいのです。
ラムさんが望むのでしたら、私は、本当にロスマイルド家を出て一般人になります。その覚悟も出来ています」

「ほう、ロスマイルド家を出る、、、」父はしばら考えてから怒鳴った。
「たわけ。勿体ない事を言うな。お前は、ロスマイルド家に生まれた事を何と考えておる。
ロスマイルド家は神にも劣らぬ権力と財力を持っている家柄。その家の息子としてお前は生まれているのじゃぞ。何十億人が望んでも叶わぬ境遇にお前は居るのじゃ、それが解らんか。
結婚相手一人のために、その境遇を捨てると言うのか、この大戯け。結婚相手など他にも星の数ほど居るわい」
「しかし、ラムさんは只一人です。私は、ラムさんとだけ結婚したいのです」
「ふん、惚気もほどほどにしろ。あんな娘のどこが良い、頭を冷やせ」
「ラムさんは、お父さまの娘です『あんな娘』ではありません。私は、ラムさん以外の女性とは絶対に結婚しません。ロスマイルド家を捨ててもラムさんと結婚します。お父さまも反対されるなら、私はラムさんを連れて駆け落ちします」

父はしばらく、画面を介してアダムを睨んでいたが、ふと表情を和らげて言った。
「アダム、あんな娘をそこまで好いてくれて礼を言う、、、分かった、、、娘はお前にくれてやろう、、、数日待て。ラムは必ずお前と結婚するじゃろう」
「な、なんと、本当ですか?、、、お父さま、、、」
「ふん、娘を奪い取る男の顔など見たくもないわ。ラインを切るぞ」
父がそう言ってすぐラインは消えた。アダムは呆然と液晶画面を見続けていた。
(信じられない、、、お父さまは、本当に、、、)

その日の夜、毎度の父娘のライン。
「ラム、約束の半年が過ぎたが、まだプロポーズされんのか、もう嫌われたんか」
「違うわお父さん、プロポーズされたけど断ったの。そしたら、もう半月待ってくれって言うの。私はもう、ここでの毎日にうんざりしているんだけど」
「なに、プロポーズされたのに断った、、、お前は一体何を考えているんじゃ。お前はワシや母さんにまだまだ貧乏暮らしを続けさせたいんか、この親不孝者」
「えっ、お父さん、お父さんは、私にアダムと結婚しなさいって言うの」               54
「当たり前じゃ、あんな金持ち息子を逃したら、お前は今後どんなに頑張っても日雇い派遣員の女房が関の山じゃ。恐らく、今の父さん母さんの暮らしよりも酷い暮らしになるじゃろう。
お前はそんな貧乏暮らしがしたいんか。お前がそんな暮らしじゃあ、とてもじゃないが、ワシと母さんに親孝行する事はできん。ワシはお前を、そんな親不孝な娘に育てたつもりはないぞ、、、」
「だって、お父さん、、、」

「ラム、良く聞け。お前のお母さんの村ではな、今でも両親に楽をさせるために、娘が進んで売春婦になったりしておる。ワシはお前に売春婦になれとは言わんが、せめてアダムと結婚して、ワシや母さんに、もう少し良い暮らしをさせてくれ。
アダムが日本で暮らせと言うなら、ワシも母さんも日本で暮らしても良い、、、
のう、ラム、ワシは噓は言わん。アダムはきっとお前を幸せにしてくれる。お前が幸せになると言う事は、ワシや母さんも幸せになれるんじゃ。ワシや母さんのために、ラム、嫌いかもしれんがアダムと結婚してくれ、、、
そうじゃラム、日本にはな『馬には乗ってみよ人には添うてみよ』と言う言葉がある。意味は分かるか?。馬の下に居ては、馬に乗った楽しみは解らん。人も同じじゃ、結婚してみないと、その人の本当の良さは解らん。

のうラム、ワシは74歳、お前は23歳じゃ、ワシはお前よりも50年も長く生きておる。50年もお前より人生経験をしておるんじゃ。じゃから今までにワシが言うた事で間違っていた事は一度もなかったじゃろう。
アダムとの結婚もそうじゃ、ワシの言う事に間違いはない。お前はワシの言う事を聞いて、アダムと結婚して幸せになるんじゃ。そして、ワシと母さんも幸せにしてくれ。
お前はなラム、お前は『ワシと母さんを幸せにするためにアダムと結婚するんじゃ』とだけ考えていれば良い。それだけ考えていれば良い。そしたら、お前は必ず幸せになれるじゃろう」

父とのラインが終わった後、ラムは考え込んだ。
(お父さんは、アダムと結婚しなさいって、、、あんな金持ちのボンボン息子と結婚したって幸せになれるなんて思えない。
それに、今さら結婚したいって、どうやって伝えれば良いというのよ。さんざん断った後なのよ、、、
でも、今までに、お父さんが言った事に噓はなかった、、、
私が、世界中で一番信頼している、お父さんの言葉。
『ワシと母さんを幸せにするためにアダムと結婚するんじゃ』、、、そう思えば気は楽だけど、、、
そうね、売春婦になる事を思えば、アダムさんと結婚する方が楽だわ、、、今までと同じように、お父さんの言う事を信じよう、、、
でも、どうして伝えよう、、、アダムさん、もう一度プロポーズしてくれないかな、、、あ、そうか、半月経てば、きっともう一度アダムさんからプロポーズしてくれるわ。その時に、、、)
ラムはそう考え、気を楽にして安らかな眠りに着いた。

同じころ、アダムは眠れないでいた。
(お父さまは、あのように言われたけれど、、、ラムさんは本当に私と結婚してくれるだろうか、、、いっそのこと力ずくで、、、いや、それは私の心が許さない、、、ラムさんのお父さまの言葉を信じて数日待ってみるしかないか、、、)
アダムは、眠れないままに隣室のラムの事を思った。壁一つ隔てただけの隣室に居るのに、触れることもできない。その、もどかしさがアダムを更に切ない気持ちにさせた。
アダムは、ラムと出会ってから今までの半年間を思い起こした。アダムは、過去に何人もの女性と付き合ったが、出会ってすぐ結婚したくなったのはラムただ一人だった。しかし何故そんな気持ちになったのか、アダムは、自分自身の心が理解できなかった。                   55
(このような気持ちになる事も運命なのだろうか、、、私は、ラムさんのおかげで女性を愛する切なさを知った、、、しかしまさか、この切なさが生涯続くのでは、、、)

アダムは、ますます眠れなくなった。起きてナイトガウンをまとい部屋の外に出た。
ラムの部屋との境に立っていた警備員が驚いてアダムを見た。アダムは、数秒間ためらった後、警備員に言った。
「少し、お酒を飲みたい」
警備員は姿勢を正してすぐに言った。
「日本酒でよろしいでしょうか?。ご希望の銘柄等はありますでしょうか」
「日本酒で良い、銘柄も何でも良い」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたしますので、お部屋でお待ちください」
アダムは、ベッドに座って待っていると5分も経たずにノックの音がした。

ドアを開けると、レストランのボーイが、酒やつまみの乗っているカートを押して入ってきた。
ドアを開けたまま警備員が、ボーイがカートを置いて出るまで動作を監視していた。
その後、警備員が恭しく一礼して静かにドアを閉めた。
アダムは、カートを窓際のテーブル横に運び、カーテンを開けた。
窓はミラーガラスで、昼間はカーテンを開けて良いが、夜は閉めて欲しいと警備員に言われていたが、夜でも室内を真っ暗にしていれば大丈夫だとアダムは考えた。
アダムは東京の夜景に見とれた。45階の窓からの眺望は、ロンドンの夜景よりも素晴らしかった。
(この素晴らしい夜景を、いつになったらラムさんと楽しめるのだろう)そう思うと、素晴らしい夜景すらも切なくなった。アダムは、グラスに注いだ酒を一気に飲み干した。
酒に弱いアダムは、その一杯が適量だったのだが、2杯3杯と続けて飲んだ。やがて夜景が歪んで見えるようになると、アダムはベッドに転げ込んだ。

翌日、非常に珍しいことに、アダムは二日酔いで昼までベッドから出られなかった。
デーンや付き人が何度かドアを叩いたがアダムはドアまで歩いて行くこともできなかった。
午後2時頃、ラムから電話がかかってきた。
「今デーンさんから聞きました。お身体、大丈夫ですか?。何か、お世話する事がありますか。
これからお部屋に行きましょうか。何か欲しい物ありませんか」
アダムは少し考えた。自分をこのようにさせた張本人に恨み言でも言いたくなった。
「わ、私は、もうダメです、このまま死んでしまいます。ラムさんに結婚を断られて、私は死にます」
ラムは驚いた「アダムさん、待って、今すぐ部屋に行きます。ドアを開けてください」そう言ってアダムの部屋に行った。しかしドアは鍵がかかっていた。警備員の制止を無視して何度もドアを叩いた。数分後やっとアダムがドアを開けると、ラムは飛び込んでドアを閉め鍵をかけた。

ラムがドアを背にして立つと、目の前に、少しやつれた顔のアダムが立っていた。ラムはアダムの胸に飛びついた。両手でアダムに抱きついて言った。
「死にます、なんて言わないでください、、、私に結婚を断られたくらいで、死にますなんて、言わないでください、、、」
「、、、でも、ラムさんは私と結婚したくないのでしょう」とアダムがわざと不貞腐れたように言った。
するとラムは小さな声で言った「はい、昨日までは、、、」
「えっ」アダムは驚いてラムの顔を見た。ラムは顔を赤らめ恥ずかしそうにうつむいた。
「じゃ、今日は結婚しても良いのですか」
アダムの腕の中から微かな「はい」と言う声が聞こえた。アダムはラムを強く抱きしめた。
しかし、不安になり聞いた。                                        56
「でも、明日になればまた結婚できないと言われるのですか?」
ラムはアダムの腕の中で顔を上げ、アダムの目を見つめて言った。
「それはアダムさん次第ですわ、、、アダムさんが本当に私を愛し続けてくださるのなら、私の心は変わりません」
アダムは思わずラムの唇を塞いだ。もうこれ以上、言葉は要らないと悟った。

それから翌日の昼前まで、二人はアダムの部屋から出なかった。食事も部屋に運んで貰った。
ついでに小さなケーキ1個とナイフも。
その夜、二人は結婚した。小さなケーキを二人で切って。
二人にとっては、それで十分な結婚式だった。
式の後、部屋の灯りを消して窓のカーテンを開けた。昨日と同じ夜景が二人の心を和ませた。
昨日と同じ夜景、しかしアダムには、昨日の夜景とは全く違って見えた。
アダムは今、1日違いで、地獄から天国に昇ったように思えた。
アダムは生涯この夜景を忘れないだろうと思った。

結婚後、二人はお互いに「さん」を付けずに呼び合うようになった。
そして、どこへ行くのも一緒に行こうとした。表向きの仕事の時、アダムが銀行の頭取と会う時でも、ラムはアダムの後ろに控えていた。だが、アダムが日本に来た目的についての面会等は、アダムはラムを去らせた。
ラムは怪訝そうな顔をしたが何も言わず部屋から出ていった。幸いまだ面会等は滅多になく、ラムに気づかれる心配はなかったが、今後このような事が多くなった場合でも、ラムには知らせない方が良いのか、アダムは迷っていた。
(いずれ話さなければならなくなるだろう、、、だが、今はまだ、、、それはそうと日本へのワクチン割り当てはまだだろうか、、、せめて前もって数量だけでも知りたい。そうしないと本格的に動けない)

数週間後、ラムの両親と兄が日本に来る事になった。ホテル暮らしにも飽きていたアダムは、イルミ組織に相談した。するとイルミ組織の方で一軒家を用意するから、ラムの両親たちも一緒に住むようにと言われた。アダムもラムも喜び、さっそく引っ越した。
家は本宅と離れ屋があり、本宅にアダムたちが住み、離れ屋は警備員が利用するとのこと。
本宅には寝室が4部屋もあり、ラムの両親たちが一緒でも申し分なかった。
だが、家の周りは3メートルほどの塀で囲まれていて、しかも監視カメラも設置してあった。
また、外出時は後部窓なし車で、必ず複数のボディガードが同乗した。食料品や日用品の購入も、警備員がする事になっていた。このような暮らしにアダムもラムも慣れてはいたが、両親や兄は、、、心配無用だった。
空港から家に来て、最初は驚いたようだったが、両親も兄もすぐに家での暮らしに慣れた。
もともと各自、ノートパソコンを持っていて、ネット検索やゲームができれば、それ以外の事にはあまり関心がない3人だったので、3メートルの塀に囲まれた家での生活も苦にならなかったのだ。

両親たちと一緒に暮らすようになってアダムは、毎夜のように父と、翻訳ソフトを介して会話した。
会話する度にアダムは、父の知識の豊富さに驚かされた。そして、何時しかアダムは、父に魅せられ、父との会話を楽しみにするようになった。
生まれた時から、実の父と会話する事なく育ったアダムは、ラムの父との会話で、親子の絆を改めて創り上げているようにさえ思えた。
今夜もまた父との会話が始まった。
「さてアダム、今夜は何について話そうかの、、、そうじゃ、せっかく日本に居るのじゃから、日本についてもっと知っておいた方が良い。今夜は日本の歴史について話そう」            57
「大陸と日本列島が陸続きじった2~3万年前の氷河期、ロシアのバイカル湖付近に住んでいた狩猟民族が獲物を追って日本列島にやって来て住み着いたのが日本人のルーツらしい。
またその頃、東南アジアのシャム湾からインドネシア辺りまで広い平野があり、スンダランドと言うそうじゃが、その辺りに居た民族もまた北上して日本列島に入って来た。
その後もいろいろなルートをへて日本列島に人が入って来て住み着いたようじゃが、驚くことに、その人びとは数万年に渡って戦争をした形跡がない。
石器や土器や、石の矢じり等が多数出土しても、人を殺すための武器が出土していないのじゃ。それが2千年前頃から、朝鮮半島を通って人が入って来るようになって急に、人を殺すための武器が出土するようになった。これは何を意味しているのじゃろうのう、、、
もともと日本人は、争いを好まず、平和を愛する民族だったのじゃろう。
それは日本列島の環境も関係があると思う。日本列島は度々、地震や台風、時には大津波も起きた。そのような環境の中で、自然災害が起きた時など、争ってなど居られない、お互いが助け合わないと生きて行けなかったのじゃろうと思う。その助け合いの心などが何万年も日本人に受け継がれて来た。じゃから、日本人は今でも世界に稀な平和を愛する心優しい民族なんじゃ。

ところが、アダムの故郷イギリスはどうじゃ。ワシはイギリスいやヨーロッパの歴史も調べた事があるが、イギリスもヨーロッパも戦争の歴史と言っても良いくらい酷いもんじゃった。
海に面した国々もそうじゃが、イギリスは特に、バイキングが住み着いて作ったような国じゃ。
バイキングと聞けば格好いいように聞こえるかも知れんが、何のことはない海賊が作った国と言う事じゃ。じゃから大航海時代、世界各国を植民地にし、値打のある物を略奪した。その略奪品を展示しているのが大英博物館じゃ。
じゃからワシは思う。大英博物館の品々は全て、元の国へ返すべきじゃとな。
アダムはどう思う。先人たちがせっかく奪い取って来た物を返すなんて馬鹿らしいと思うじゃろうかのう。そうやって元の国に返さない物や領土が世界にはいっぱいある。そしてそれが国家間の争いの原因になる、、、奪い取った物は返すべきなんじゃよ。
富もそうじゃ、貧乏人から奪い取った富は貧乏人に返せば良い。そうすれば、貧乏人が少なくなり世界は平和になる」
アダムは感心して聞き入っていた。日本についての話がいつの間にかイギリスやロスマイルド家のような金持ちと貧乏人の話に変わっているが、父の話に噓はなかった。

「奪い取ったものは元へ返すという御言葉ですが、ではラムさんもお父さまに御返しするべきでしょうか?。勿体なくて私には、とてもできませんが」
「ははは、見事じゃアダム、じゃが」
その時、ラムがアダムの横に来て言った。
「お父さん、アダムを独り占めしないで、私たち、まだ新婚よ」
父は吹き出して言った「ぶっははは、わかったわかった、今夜はこれまでにしょう」
父が両親の寝室に入ると、ラムはアダムの手を引いて2階の二人の寝室に入って行った。
寝室で二人きりになると、ラムはアダムに抱きついた。そして頬を染めた。また、素晴らしい夜が始まる。新婚夫婦に相応しい夜が、、、
この家の全ての寝室やダイニング、他いたるところに隠しカメラや盗聴器が仕掛けられている事に気づきもしないで、、、。


日本イルミ組織長、黒田吾平はデスクの椅子を半回転させ窓の外の景色を見た。
狸穴公園の木々はすっかり裸木になっていた。木々の向こうのビルの上に東京タワーの先端が見える。昨日と何も変わりない景色。しかし黒田は、その景色がもうすぐ変わってしまうような気がしていた。                                                     58
(この東京で何かが起きる)そんな予感が黒田を寡黙にしていた。
(いったい何が起きると言うのか、、、)黒田は自問してみたが皆目見当もつかなかった。
その時、窓の反対側のドアがノックされ、配下の情報処理課の村田が静かに入って来た。
黒田はもう一度椅子を半回転させ、デスクに肘を乗せ手を組んで村田の言葉を待った。

「組織長、来週ビルダバーグ会議がF国で開催されますが、ロスマイルド家もロックフォロー家も不参加との発表がありました」
「ほう、そうですか、、、例年開催される、両家にとっても重要なビルダバーグ会議に不参加、、、
村田君、君はどう思うね、、、勘の良い君の事だ、何か気づいているのだろう」
「いえ、はっきりした事は何も、、、ただ、、、両家にとってビルダバーグ会議よりも重要な事が起きているのではないかと、、、」
「ビルダバーグ会議よりも重要な事?、、、ふうむ、、、君がそう感じているなら、、、恐らく、、、」
「なんの根拠もありませんが、、、」
「いや、特殊能力者の君の勘だ、まず間違いないだろう、、、今後、両家の動向に更に注意するように各課に伝えてください」
「承知いたしました」
村田が出て行くと、黒田は立ち上がりもう一度窓の外の景色を見た。しかし、その景色は脳裏まで届いていなかった。
(仲の悪い両家が揃って動きだすのか、、、いや、もう動き出しているだろう、、、いったい何を企んでいるのか、、、6男とは言え息子の突然の日本滞在も、、、無関係とは思えない)
黒田は椅子に座って情報収集課に電話した「例のA,L家に変わった動きはないかね、、、」

一軒家で暮らすようになってアダムは、あまり外出しなくなった。
寝室のデスク上のノートパソコンと携帯電話だけで、ほとんどの用事は片付けられた。要人とどうしても会わなければならない時は、以前のホテルのロビーに出向いて会った。そんなアダムに、ラムが言った。
「ねえアダム、お父さんがね、一度みんなで故郷の村に行って墓参りをしたいって言うの。佐々木家に新しい家族ができた事を報告したいらしいわ」
「えっ、故郷の村へ行く、、、村はどこなの」
「愛媛県の宇和島って所。東京からかなり遠いけど、お父さんは一度だけで良いから、みんなで行きたいって。私も行きたい。小学校6年の時、一度行ったっきりなの。でも宇和島の刺身が美味しかった事は今も忘れられない」

「遠いって、どれくらい時間がかかるの?。乗り物は何で行くの」
「お父さんの話だと、東京から飛行機で松山まで行って、そこからバスで宇和島まで2時間だから、朝、出発の飛行機があれば、その日に宇和島に着くって、でも宇和島から村まで客船やバスの便が少ないから、宇和島で一泊して翌日でないと村に行けないそう。
でも車なら、ここから村まで直接、14~15時間で行けるって。でも運転手が大変かな。
それにせっかく宇和島まで行くなら、新婚旅行を兼ねて温泉にも入ったりして観光しながら旅行する方が良いって言ってた」
どうも既に家族で話がまとまっていたようだ。アダムが断れないように、新婚旅行と言う言葉まで使っている。アダムは苦笑して言った。
「わかりました、イルミ組織に相談してみましょう。で、いつから行きたいの?」
「早ければ早い方が良い」
アダムは頭を掻きながら頷いて、さっそくイルミ組織に電話した。
                                                         59
話は簡単に決まった。
二日後に例の後部窓なし車で、アダム一家5人と運転手2人とボディガード4人の計11人で出発、宇和島まで直行して宇和島で一泊し、翌日、村に行って墓参り。
宇和島に帰って一泊し、翌日、松山道後温泉泊。その後は、瀬戸大橋や神戸大阪京都等を観光しながら帰ってくる、と言う旅程を告げるとラムはアダムに抱きついて喜び、礼を言った。
二日後、朝4時出発。首都圏を出るのに朝早い方が良いと言う事と、後部窓なし車で景色が見れないのでみんな眠っている方が良いと言う事での4時発。
予想通り、運転手以外はみな眠っていた。
運転手は、高速道路のサービスエリアで交替しながら、トイレ休暇以外は休まず車を走らせ、夜、宇和島の予約していたホテルに着いた。さっそく宇和島の美味しい刺身をみんなで食べて早目に眠りに着いた。

翌日、8時にホテルを出ると1時間もかからないで村に着いた。
村からは車幅ぎりぎりくらいの狭い林道を通って墓場に行き、佐々木家の墓の近くに駐車して、車外に出るとみんな寒さに震えた。
山の頂きにある墓場は風が強く、しかも時おり霙混じりの雨が降り付けた。
そんな悪天候でもラムの父は、近くの水道で水を汲み、墓石を清め、車内で線香に火をつけて持っていき供えた。そして、人にでも話しかけるように墓石に言った。
「父さん母さん、ご先祖様、もう来れんと思っとったが、ラムの旦那アダムのお陰で来れた。見てやってくれ。ラムの旦那のアダムじゃ」
父は墓石の前にラムとアダムを立たせ、線香を渡し供えさせた。
二人が終わると母と兄が手を合わせた。そしてラムとアダム同様に急いで車内に入ったが、父はなおも手を合わせ話しかけていた。
その後ろ姿は、最後の別れを告げているかのようだった。

父が車に乗るとすぐに走り出した。村まで帰ってくると父は、30年間、朽ち果てるままの佐々木家の前で車を止めさせ、出ていってしばらく見ていたが、何もせず帰ってきて車内にはいった。
それから、数軒の家に土産物を持って行き、最後に寺に寄ってお供え物をして村を去った。
車内で、ラムと兄が日本語で話していた。
「12年前は桜が満開で少しも寒くなくて、魚釣りもできたのに、今日はこの天気で何もできないわ」
「早いな、あれからもう12年経つのか」
二人の日本語会話がわかったのか母が二人にタイ語で何か言った。
村を出て以来無言だった父が、誰にともなく言った。
「ワシはもう来る事はないじゃろう。これが最後じゃ宇和島で土産物をいっぱい買おう」
宇和島で一番大きな土産物売り場で、海産物や果物を買い、夕方ホテルに帰った。

翌日は松山の道後温泉に一泊し、その後、瀬戸大橋等を見ながら神戸へ。
クリスマスイブでどこも満杯だったが、予約しておいたお陰で無事泊まれた。しかし、翌日の大阪はどこも予約もできず、そのことをアダムに話すと、アダムは大阪一番の高級ホテルに電話し名を名乗った。するとすぐに11人のために貴賓室が用意された。
京都も同様にアダムの名でホテルに入れた。
他の者は今更ながらにロスマイルド家の力を思い知らされた。
年の瀬でどこも混雑していて、ボディガードはハラハラし通しだったようだが、アダム一家は良い観光ができた。
おまけに、京都からの帰りは中央自動車道を通ったら途中から雪になり、諏訪湖サービスエリアで、大喜びで初めての雪遊びに興じた。                                  60
良い旅行ができてみな満足して年の暮れ前に東京の家に帰った。

家に着くと父は早速ノートパソコンの翻訳ソフトを使ってアダムに礼を言った。
「アダムのおかげで良い墓参りと旅行ができた。ありがとう。これでもうワシは思い残す事はない。
いつでも、おさらばできる、、、ワシが逝った後もラムの事、頼むぞよ」
「何を気弱な事を言われますか、元気だしてください」とアダムは照れ笑いしながら言った。
だが、墓参りが寒かったのか、旅行疲れがでたのか翌日から父は寝込んだ。
微熱と下痢が続いているようで、ベッドから出れないまま新年を迎えた。しかし、母が病院へ行こうと言っても医者嫌いの父は行こうとせず、市販の解熱剤と下痢止めを飲んでいた。

アダムにとってもラムにとっても初めての日本の正月。父はラムに言った。
「ワシの事は心配せんでええ、母さんも連れて、みんなで初詣でに行きなさい。じゃが、人が多いから気を付けてな。帰りに神社の御札を貰ってくるんじゃぞ」
アダムとラム、ラムの兄と母の4人は、4人のボディガードとともに、歩いて近くの神社に行った。
小さな神社だったが屋台や出店が並び、かなりの人で賑わっていた。
総勢8人は一塊になり、はぐれないように注意しながら参拝し、御札を授かり、御神籤を引いたりしてから昼ころ帰って来た。

兄が御札を父の所へ持って行くと、父はベッドの上の壁の棚にお供えしてくれと言った。
兄は踏み台を持って来て上に上があり、御札を供え、降りようとした時、一瞬、壁の隅が光ったように見えた。
兄は訝しく思い、壁の隅に踏み台を持って行って登って壁の隅を見た。そこには小さなレンズのような物とそのすぐ下に小さな穴が開いていた。
子どもの頃から、スパイが使う武器や銃等に興味があった兄は、すぐにそれが何であるかを悟ったが、気づかないふりをして踏み台から降りた。そして、壁の4隅をさり気なく調べ、4隅に隠しカメラと盗聴器が埋め込まれている事をメモ書きして父に渡した。
父は苦笑し「アダムに知らせろ、他の部屋も気づかないように調べろ」と書いた。
兄のメモを見てアダムは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに平静を装い「わかりました、私の部屋を調べます、貴方は他の部屋も調べてください」と書いて兄に渡した。
兄は頷き他の部屋に入った。アダムも自分たちの寝室をさり気なく調べたら、やはり壁の4隅に確認された。アダムは(ずっと監視されていたのか、、、夜の楽しみ事も、、、)と思い顔を赤くした。

しばらくして、寝室も台所も浴室までも、それが確認されたと兄から知らされたアダムは、ノートパソコンを持って父の枕元に行き、監視カメラに見えないようにして翻訳ソフトの文章で父に伝えた。
父は「今も監視されているのかのう、、、誰が何のために監視しているのか調べてみると良い」と文章にして見せた。アダムは、頷いて出て行った。
その後、父は(この家を用意してくれたイルミ組織じゃろうかのう、、、じゃが、何のために、、、
ワシらは関係あるまい、アダムを監視しておるのじゃろう。何のために、、、イルミ組織について調べてみるか、、、)と考え、ベッドから身体を起こしてノートパソコンを開いた。
しばらくノートパソコンを見ていた父は、視線を窓の外に移して考え込んだ。
(18世紀からある秘密結社、世界統一政府を目指している、か、、、しかも創始者の陰にロスマイルド家、、、その息子をイルミ組織が調べる必要があるのか?、、、何か引っかかるな、、、そもそもアダムは何故急に日本に来たのじゃろう、、、ふむ、元旦から、、、面白い事になりそうじゃ、、、)

アダムもいろいろ考えていた。
(私の行動を何故イルミ組織が監視するのか?。                           61
もともとイルミ組織は、我が一族の配下の組織。私の行動を父、御支配さまに伝えているのだろうか?、、、何のために?、、、組織長、黒田氏に聞いてみるべきだろうか?、、、
夜の秘め事まで監視されては、ここに居られない)
アダムは激昂して黒田に電話した。対して黒田は英語で丁重な新年の挨拶を述べた。
アダムは虚を突かれて動揺し、慌てて挨拶を返した。隠しカメラや盗聴器の事を言い出すタイミングがはぐれた。
挨拶を交わした後、少し間が生じた。次は電話をかけたアダムの方から言い出すべきだが、言葉を選ぶのに手間取った。すると黒田の方から物静かな声が聞こえた。
「奥様も御家族の皆様も健やかに御過ごしでしょうか。一度お宅にご挨拶に伺おうと思うておりますが、いかがでしょう、明日は空いているでしょうか」
アダムは一瞬考えたが拒む理由が思い当たらない。「空いています」と答えてしまった。
「では、明日の昼ころお邪魔します」と黒田が言って電話が切れた。
アダムは結局、隠しカメラや盗聴器の事を言えなかった。

翌日の正午前、黒田が数人の配下の者と車で来たが、一人だけで家に入って来た。
手土産に紅白の餅の入った重箱をラムに渡しながら日本語で新春の挨拶をした。
新春の挨拶などした事がなかったラムはオドオドしながら挨拶を交わした。
応接間の長椅子に黒田とアダムがテーブルを隔てて向かい合って座ると、用意していたのかラムがすぐにコーヒーを出してテーブルの上に並べた。

アダムは何と切り出して良いか迷い、コーヒーカップに砂糖入れてかき回し続けた。
黒田はそんなアダムに構わず穏やかに言った。
「新年あけましたが、今年の抱負やご予定はいかがなものでしょうかな。何か特別な催し等で、うちの組織でお役に立てれる事でもありましたら、早目にお知らせいただければ幸いです」
アダムは咄嗟に答えた「いえ、そのようなものは何もありません」
「さようでございますか、、、ところで、御支配さまはお元気でしょうかな。50年も前にお会いしただけで、最近のご様子など何も存じておりませんが」
(父を御支配さまと呼ぶのは身内の者に限られているのに、なぜ黒田氏が、、、それに、50年前に父に会った事があるとは、、、黒田氏は父とどんな関係があるのだろう)

アダムは黒田氏に興味を持った(隠しカメラの件は後回しにしょう)そう思いアダムは聞いた。
「黒田さんは50年前に父に会ったのですか?」
「はい、御支配さまが日本に来られていた時、私は英語を、御支配さまは日本語を学び合いました。私は出来が悪かったのですが、御支配さまはすぐに上達されて、日本語で恋文まで書かれておりました。そのうち、私との語学勉強よりも、恋しい乙女との交際の方が忙しくなられた御様子で会っていただけなくなり、イギリスへ帰られた後も何度かお手紙を差し上げましたが一度も返事をいただけませんでした。それから50年、こうしてご子息のアダムさんにお会いでき、御縁の深さを感じております」
「へえっ、父は日本に住んでいた事があるのですか、日本語もできるんですか。全く知りませんでした」アダムは本当に驚いてそう言った。
その後、黒田は当時の思い出話を少しして帰って行った。

結局また、隠しカメラの事は言えなかった。だが、アダムは、ラムと二人で家を出る決心をしていた。そのために、帰しておいた本国のボディガードを急きょ呼び寄せる事にした。
ボディガードが来たらすぐ家を出る。イルミ組織には知られないようにしてラムと二人だけで。
それから4日後の昼ころ、イギリスから4人のボディガードが来た。                62
アダムとラムは買い物に行くと言って3人のボディガードと車で家を出た。二人はデパート内でボディガードをまき、エレベーターで1階に降り外に出るとすぐタクシーに乗り、待ち合わせのホテルに行った。
ホテルで4人のボディガードと会うとすぐ、そのホテルに全員チェックインした。アダムとラムはホッとして部屋内で久しぶりに抱き合って喜んだ。
しかし二人の居場所は、ラムのオーバーコートの内側にくっ付いていた発振器により、イルミ組織に知れていたのだが、黒田は連れ戻そうとせず、情報収集課の者を数名ホテルに潜ませた。

アダムとラムがホテルにチェックインして数日後、待ちに待ったワクチン割り当てがメールで知らされた。それを見てアダムは驚いた。
『日本国民、ワクチン総数1千万人分』
(日本国民は1億3千万人、しかし、ワクチンは1千万人分しかないと言うのか、、、)
アダムは、ラムを無理やり買い物に行かせると、確認のため長兄ロビンに電話した。
その部屋には二人が外出中にイルミ組織の高性能盗聴器が仕掛けられているとも知らずに。
「ロビン兄さん、今メールを見ました。ワクチンの日本割り当ては本当に1千万人分だけなのですか。あまりにも少ないようですが」
「ああ、アダム、あれで間違いない。12人組織委員会で決定された事だ」
「しかし1億3千万人に対して1千万人分では10パーセントにも満たないです」
「それを言うならC国やIN国は5千万ずつでパーセントはもっと低い、、、アダム、世界中で5億人にするためには、この割り当てにするしかないのだよ。日本は優秀な人間が多い事と、過去にユーヤ人の命を救った事なども考慮されて、この割り当てになった。仕方ないのだ、、、
それよりも選別方法だが、新人類に相応しい人間のみリストアップすれば丁度この割り当てくらいになる。イギリスはもうリストアップできた。この国はやはりユーヤ系中心になった。
アダムもリストアップは早くやっておいた方が良い。ワクチンが来たらすぐ行動できるようにな」
そう言って電話は切れた。
アダムは携帯電話をデスクの上に置くと考え込んだ。
(日本人はせいぜい3割くらいの刈り取りで良いだろうと思っていたのだが、9割も刈り取りとは、、、しかも、12人組織委員会で決定では、、、従う以外にない)
アダムはベッドの上に大の字になり、リストアップについて考え続けた。


アダムとロビンの会話の盗聴録音を聞いた黒田と村田は訝しげに顔を見合わせた。
ロビンの電話音声は全く聞こえなかったが、アダムの言った「ワクチンの日本割り当ては本当に1千万人分~」と「しかし1億3千万人に対して1千万人分では~」ははっきり聞き取れた。
しばらく沈黙が続いた後、黒田が言った。
「このワクチンとは何のワクチンでしょうか、、、村田君わかりますか」
「、、、かいもく見当もつきません」
「うむ、、、このワクチンについて情報を集めてください。恐らく重要なワクチンでしょう」
「承知いたしました」

情報処理課の組織員は、製薬会社に新ワクチンの販売予定があるか、臨床試験中のワクチンの現状はどうか、海外からの緊急輸入のワクチンがあるのか等を問い合わせた。しかし「日本割り当て1千万人分」に該当するワクチンはなかった。
インターネットでもワクチンについて調べられる事は調べ尽くしたが、何のワクチンの事なのかサッパリわからなかった。
村田は途方に暮れた。                                           63
盗聴録音が、アダムの声だけで、相手側の「ロビン兄さん」とかの声が聞こえなかったのが悔やまれた。村田はなおも考え続けたが無駄だった。

(こんな時は発想を変えてみるか、、、アダムは何故日本に来たのか?、、、ロスマイルド家の実子と言えば滅多に人前に出ないはず。実子が直々に日本に来た。それは何故?何をするために?、、、配下の者ではできない事?、、、実子でないとできない重要な事、、、その重要な事をするためにアダムは日本に来た、、、その事とワクチンと関係があるのか?、、、待て、ワクチンの前に、、、実子でないとできない重要な事、、、 配下の者ではできない事 、、、ん、何故、配下の者ではできない?アダムの個人的な事か?、、、アダムの個人的な事で日本に来た?、、、表向き、金融商品の販売等と嘘までついて?、、、いや違う、それならワクチンは関係なくなる。もう一度考え直そう、、、 配下の者ではできない事、これが何故か引っかかる、、、できない、、、ではなく、知られたら、、、そうか、知られたら、だ。知られたらマズイ事だ。ロスマイルド家の者以外には知られてはいけない事だ、、、そうだ、それがあるんだ。そう考えると辻褄が合う。だから、ロスマイルド家の実子であるアダムが日本に来た、、、では、配下の者にも知られてはいけない事とは何か?)

村田はそこまで考えて、ふと時計を見た。6時半を過ぎている。他の組織員は誰もいなくなっていた。村田の癖で、考え事をしている時は周りの事が分からなくなる。他の組織員はそれを知っているので、村田を放って帰って行ったのだろう。村田は苦笑して立ち上がり、カバンを持って情報処理課の部屋を出た。待っていたのか、黒田が声をかけた。
「時間はないかね、一緒に夕飯、どうかね」
「あ、組織長、、、ありがとうございます。お供します」
二人はイルミ組織の建物を出た。途端に木枯らしが吹き付けた。二人は思わず身震いしコートの襟を立て、体を丸めて駅に向かって歩き始めた。10分ほどで駅前の馴染みの店に着いた。
店に入ると黒田は、我が家のように離れの小部屋に行った。黒田は20年以上の常連客だった。
小部屋に入り卓袱台を挟んで座るとすぐ、女将が黒田の酒瓶セットとお通しを持って来た。
二人が料理を注文し女将が出ていくと、黒田は二人分の水割りを作って村田に渡しながら聞いた。
「何か分かりましたか」

村田は「いえ、まだ何も、、、」と否定してから、さっきまで考えていた事を話した。黒田は興味深そうに聞きながら、時おり水割りを口に運んでいた。
村田が話終え最後に「アダムが、配下の者にも知られたくない事、と言うのがまだわかりません」と結ぶと、黒田は感心したように顔を和ませて言った。
「流石は村田君、素晴らしい推理です。核心まであと一歩でしょう」
黒田もまた同じ事を考えていたのだが、その事はおくびにも出さず村田を褒めた。30歳も年下の部下と、うまくやっていくコツを身につけている黒田の毎度のテクニックだった。
黒田も「配下の者にも知られたくない事」について考え、その結果ある重大な事柄に出くわしていたのだが、その重大な事柄がもし黒田の想像通りであるなら、とんでもない事柄であり、迂闊に口にできない事だった。そして、それに気づいた時、もし村田もその事に気づいていたら、口止めしないといけないと思い、村田の状態を探るために食事に誘ったのだった。
(とりあえず今はまだ気づいていないようだ)黒田は安心して食事した。

顔も体つきも全くそのように見えなかったが、黒田は元は刑事だった。しかも数々の難事件を解決した、頭脳派の切れ者だった。40歳を過ぎて脂の乗りきっていた黒田は特捜部に呼ばれ、特捜部長に言われた「イルミ組織に組織員として潜入して欲しい」
イルミ組織は表向きは慈善事業等をしているが、深部では日本政府の裏事情等を探って、ヨーロッパの本組織に伝えていた。                                      64
そのイルミ組織の動向を探り特捜部に伝える。つまり黒田は二重スパイとしてイルミ組織に潜入していたのだった。そして、頭脳明晰だが、外見はありふれた日本人にしか見えなかった黒田は、イルミ組織内でも頭角を現し、いつの間にやら組織長にまで登り詰めていた。組織長になって既に15年、今だに二重スパイの事は誰にも知られずにいた。

イルミ組織とロスマイルド家は深い繋がりがあり、アダム来日についてはイルミ組織がお世話するようにとの本部組織からの要請があり、黒田はイルミ組織長としてアダムと接しているが、内心は、アダムの来日に不審を抱いていた。
黒田は本部組織からの要請があった時(ロスマイルドの息子が何故日本に来るのか?何をするために日本に来るのか?)と疑問に思った。その疑問はイルミ組織長としてのものではなく、日本の刑事としてのものだった。
そして今、その疑問の答えが出かけているが、その答えが正しければ、とんでもない事態になる事が確実で、黒田は今、その答えを導き出すのを中断していた。

村田が食事を終えたのを見計らって黒田は勘定をし、二人は店を出た。二人は電車が反対方向だったので駅で別れた。電車を乗り継いでアパートに帰り着くと9時前だった。
黒田は寝室の仏壇の扉を開け、呼び鈴を鳴らし、イヤホンを耳に付けてから話しかけた。
「母さん、遅くなってすまん、今、帰って来た」
すると仏壇のイヤホンから妻の声が聞こえた。
「貴方、お帰りなさい。寒かったでしょう。早くお休みなさい」
「ああ、そうする、何か変わった事はないかね」
「何もありません、おやすみなさい」「ああ、おやすみ」
仏壇には警察無線が取り付けてあり、黒田は毎夜、別居の妻と話していた。
それは、黒田がイルミ組織に潜入する際に表向きは、妻子が交通事故で死んだ事にし、自身も本名の島津隆義から黒田吾平に変えたのだった。そうする事で、二重スパイがばれたりしても、妻子には危害が及ぶ事がないようにするためだった。
話し声が隣室にも聞こえるアパートで、黒田は「仏壇に話しかける、可哀そうなおじいさん」として知れ渡っていたが、黒田は周りから、そう思われている事に満足していた。

黒田は布団の中に入ったが、眠れなかった。眠れないままに、今日、自分が導き出した答えについてもう一度考えた。
(イルミ組織内で数週間前から『ロスマイルド家がNWOの最終政策に着手した』と言う噂が流れていた。黒田は、NWOの最終政策については既に知っていた。つまり、理想郷を作るために人類を5億人にすると言う、支配者集団の目標、、、
もし、そうなら残りの71億人は始末すると言う事、、、この事が公になれば世界はパニックになるだろう。ロスマイルド家は、配下の者にも知らせたりすまい。恐らく、身内の者だけで手配するだろう、、、そして、日本には6男アダムが来た。とても偶然とは思えないタイミングで、、、その上、兄ロビンにワクチンの数について確認している、、、
ワクチンと言う物は、身を守るための物だろう。それが日本には割り当て1千万人分、、、では、1億2千万人は始末される、つまり殺されると言う事か、、、どうやって1億2千万人を、、、ワクチンを使うと言う事は、ウイルスとか病原体を使うのか、、、1億2千万人の日本国民が病気になって死ぬ、、、
私のこの推理が、もし本当に正しければ、、、その結果は、地獄に、、、)
黒田は、その結果を想像してゾッとした。自分の推理が間違っている事を望んだが、考えれば考えるほど推理が正しいように思えてきた。黒田は、眠れないままに朝を迎えた。

同じころ、リストアップする日本人について考えて、眠れなかったアダムも目覚めていた。   65
部屋に毎朝運んでもらっていた朝食を、窓辺のテーブルについてラムと向かい合って食べ始めたが、寝不足のせいでか食欲がなかった。
ラムが気づいて「アダム、どうしたの、食欲不振ですか?」と言いながら心配そうにアダムの顔を覗き込んだ。そのラムの顔を見返してアダムは微笑んだ。
(いつ見ても心が和む顔だ、美人ではないが愛嬌があって良い顔だ、見てるだけで元気が出てくる)「大丈夫です、心配しないで。今は、あまり食欲がないだけです、、、後でお腹がすく運動をしましょう」そう言ってアダムは意味ありげにラムを見た。
アダムのその目の耀きからどんな運動か理解したラムは、顔を赤らめ「朝からなの」と聞いた。
アダムは「もちろん」と言って笑った。しかしアダムは、その後ずっと考え込んでいた。
そして夕方、決心したようにラムに言った。
「お父さまと話がしたい。ラム、済まないが、買い物にでも行っててください」
「えっ、それどういう事ですか、私が聞いたらダメな事ですか?。妻の私に話せなくて父には話せるんですか」ラムの顔がみるみるうちに可愛い膨れっ面になった。
「ラム、怒らないで。いずれラムにも話すけど、今はまだその時ではないのです。お父さまには日本人の事で相談したい事があるのです」
ラムは渋々ボディガードと出かけた。その後アダムは、ラインで翻訳ソフトを使って父に話しかけた。

「お父さま、お変わりありませんか?」
「おお、アダムか、ワシの方は変わりない。母さんも息子も元気じゃ、、、どうした、深刻な顔をして」
「そちらの盗聴器が心配ですので、文章のみに変えてください、、、良いですか、、、突然ですが、お父さま、日本人について教えてください、、、
もし、大きなロケットがあり、火星に行けるとしたら、しかも地球がもうすぐ破滅するとしたら、日本人はどのような人を優先的に行かすでしょうか?」
父はノートパソコンの文章を読んで鼻で笑い、少し考えてからキーボードを打って返信した。
アダムの方へは英語の電子音声と文章が返って来たのだが、アダムはそれを聞いて驚き顔色を変えた。
父からの返信は「アダム、回りくどい言い方をせんで良い。NWOの後、理想郷に住まわせる日本人は、どんな日本人が良いのかと聞きたいんじゃろ」と言う事だった。
正に図星、アダムは思わず叫んでしまった。「どうしてそれを!」

「ははは、アダム、驚かんで良い。以前言ったじゃろう。ワシはロスマイルド家の事もNWOの事も調べ尽くしたとな。その結果、そろそろNWOの最終政策、人類を5億人にする政策を開始するじゃろうと思うとった。そしたら、案の定、お前が急に日本へ行く事になった。ワシはすぐにピンときた。いよいよ最終政策開始じゃな、と。
そう思っておったワシにお前は、あんな質問をした。ワシは半分鎌をかけるつもりで、さっきのような返信をした。ワシの返信に対してのお前の反応は、見事に自分自身の心底をさらけ出していた。ワシが言った事が図星じゃったようじゃのう」
父はそう文章を打った後、さも愉快そうに笑っていた。
しかしアダムにとっては笑い事ではなかった。自分の心を見透かされた。それどころか、絶対に秘密にしておかなければならない事柄を、いとも簡単に知られてしまった。
アダムは、ぐうの音も出ず、液晶画面を介して、父の顔を見続けた。

画面越しにアダムを見ていた父は、笑いを殺し慰めるように言った。
「アダム、心配せんでええ、こんな事は秘密にしていてもすぐに多くの人に知られてしまう。ワシが気づいたほどじゃからのう。で、どうじゃ、この際じゃから、具体的な話として、どれくらいの日本人が生き残れるのか人数を教えてくれんかのう」                             66
「うっ、、、」アダムは呻いた(やけくそだ、何もかも言ってやろう)と一瞬思ったが(せめて人数だけでも秘密にしておこう)とも思った。
「いえ、人数はまだ決まっていません」とだけ答えた。そして「お父さま、今日はこの辺で」と言ってあたふたとラインを閉め、その後しばらく呆然と座り続けていた。

しばらくしてラムが帰ってきた。そして、アダムの表情を見て驚いて言った。
「アダム、どうしたの怖い顔をして。お父さんと何を話したの。お父さんは何て言ったの」
しかしまだ動揺が収まらないアダムは、無理に笑顔を作ろうとして更に変な顔になった。
ラムは咄嗟のひらめきで、コップ一杯の水をアダムに手渡した。アダムは一気に飲み干し、大きなため息をついた。そしてラムに「ありがとう、絶妙なタイミングでの水でした。落ち着きました」と言いながらコップを返した。その時の表情は平素の顔になっていた。
だが、アダムはラムに、父との会話の内容を話さなかった。
(まさか、ここまで考えついていたとは)アダムは今、ラムの父に対して恐怖心さえ抱いていたのだ。
と同時に、父の正体について疑問を持った(普通の人が、ここまで考えられるはずがない。お父さまは、元はスパイか、どこかの捜査官だったのか、、、あまりにも知りすぎている)
アダムは父に対して、畏れの念と猜疑の念を持つようになった。

アダムと父との会話(しかし父からの電子音声はハッキリ聞き取れなかった)その後のアダムとラムの会話の盗聴録音を聞いていた黒田と村田は、腕を組んで考えた。
(アダムが父に、、、この父と言うのはラムの父親だな、、、父にネット電話をした。アダムが、火星にどんな日本人を送るか、のような事を聞いた。父の返事が良く聞き取れないが、その返事を聞いてアダムが、酷く驚いた、、、何故アダムは父の返事に驚いたのか?、、、父は何と言ったのか、、、)
黒田と村田は、同じ疑問を抱いた。そして二人とも幾ら考えても分からなかった。村田が録音再生器を持って組織長室を出て行った後、黒田は立ち上がり、窓の外の景色を見ながら考えた。
(アダムが、あんなに驚いた、、、父は何と言ったのか、、、直接、父に探りを入れてみるか)
翌日、黒田は豪勢な果物の盛り籠を持ってラムの父の元を訪ねた。

家の玄関に入ると父が怪訝な顔で黒田を迎えた。その表情を無視して黒田は、盛り籠を手渡しながら気安く言った。
「昼間でもこんなに寒いとは、やはり大寒ですな。この家には炬燵はなかったですかな」
父は、まあええわい、と言う顔で黒田を応接間に通した。
黒田がソファーに座ると、母がぎこちない手付きでコーヒーをテーブルの上に運んだ。
早速、黒田は無遠慮にコーヒーを口に運んだ。
その仕草を、湯吞みの白湯をすすりながら、小馬鹿にしたような表情で見て父は言った。
「黒田さん、なかなか演技がお上手で、、、こんな老い耄れのワシから何を探ろうと言うのじゃな」
「ははは、恐れ入りました。流石は佐々木殿。小細工は不要のようですな」
黒田は居ずまいを正して聞いた。

「佐々木殿、単刀直入に申します。昨日のアダム氏との会話で貴方は何と言われたのですか?」
「やれやれ、アダムが居るホテルにまで盗聴器を仕掛けてあるんじゃな、、、それをばらしてでも、ワシから聞きたいとは、、、
それはイルミ組織長のする事とも思えんのじゃが、黒田さん、貴方の本当の正体はなんじゃ、、、
まあ、隠しカメラや盗聴器がいっぱいのここでは言えん事じゃろうが」
「カメラや盗聴器はアダム氏が出て行かれて以来切ってありますので心配要りません。
私の正体は、日本の未来を心配している一老人と思っていただけませんでしょうかな」
「ふん、身勝手な言い分じゃが、この老い耄れには関係ない事でもあり、まあそう言うことでええじゃろう、、、                                                 67
昨日ワシはアダムに、『NWOの後、理想郷に住まわせる日本人は、どんな日本人が良いのかと聞きたいんじゃろ』と鎌をかけて聞いてみたんじゃ。そしたら図星じゃったようで酷く驚いていた。
どうも、NWOの最終政策人類を5億人にする政策を始めたようじゃ」

父の話を聞いて、黒田の顔は次第に苦渋の表情に変わった。そして「やはりそうでしたか」とポツリと言い考え込んだ。しばらく考えた後、不思議そうな顔で聞いた。
「佐々木殿はそれを知っていながら何故そんなに平然としていられるのですかな、、、日本人の9割は殺される事になると言うのに」
「ほう、貴方はその数まで知っていたんか。ワシが聞いてもアダムは言わんかったがのう、、、
じゃが、黒田さん、この事を知ったところで、貴方やワシに何ができる。あの金持ち気違い集団を止めれるとでも御思いか。
奴らは、A国さえも操っている世界最大の権力と武力と知力を併せ持った集団じゃ、誰も止められやせん。これが運命じゃと思うて諦めるしかあるまい」
黒田は父の言う事を聞いて、また、しばらく考えてから言った。
「佐々木殿の申される事は、全くもって御もっとも、、、されど、私も日本男児の端くれ。日本人の未来永劫の幸福を願っております、、、無駄かも知れませんが日本人の未来のため、できる限りの事をしてみたいと思います、、、
話は変わりますが、佐々木殿は齢幾らですかな、私は昭和30年生まれ74歳ですが」

「ほう、ワシも昭和30年生まれ、同い年とは奇遇じゃな」
「もうひと方、ロベルト,ロスマイルド、ロスマイルド家の家長も同い年です」
「何と、アダムの父もワシらと同い年とは、、、正に腐れ縁、ははは。じゃが、黒田さんは何故アダムの父の齢を知っているんじゃな、ネット検索でもされたんか」
「もう50年も前ですが 、ロベルトとは3年間一緒に語学を学びました」
「ほう、これは驚き。アダムの父と一緒に学んだ、、、ワシはまだアダムの父には会った事がない。
しかし、いろいろ調べてみると、アダムの父は、悪魔としか言いようのない奴じゃ。
自分たちに金が入ってくるように色々なシステムを創り上げ、従わない者は殺し、従わない国は戦争に引きずり込んで滅ぼした。
中東のイラクもアフリカのリビアも元首のフセインとカダフィを殺され、国を滅ぼされた。どちらも陰で糸を引いていたのは、あの金持ち気違い集団、その筆頭がアダムの父ロベルト」

「、、、世界の裏事情を良くご存知ですな、、、しかし50年前のロベルトは立派な若者でした。
50年の間に、どうしてあのように変わったのか私には不思議でならないのです、、、
50年間に、ロベルトの身の上に何があったのか、、、
50年前のロベルトはジェントルマンでした、正に英国紳士の象徴のような人物でした。
当時の日本人にも劣らぬ騎士道精神を身につけていた、心優しい若者でした。
一緒に過ごした3年間に一度も約束事を破った事もなく、悪い行いをした事もありませんでした。
そんなロベルトが本国に帰って以来、一度も手紙もくれず、婚約者の日本人女性へも何の連絡もありませんでした。
人とは、変わるもの、と自分自身には言い聞かせましたが、婚約者への冷たい仕打ちは許せませんでした。
婚約者はロベルトが本国に帰る前に身籠っていて、ロベルトはその事を知り、本国に帰っても必ず迎えに来るからと硬い約束を交わしていたにもかかわらず、帰った後は手紙一通寄こさない。
日本人女性は失意の内にロベルトの子を産みました。ロベルトの子は成長するにつれ背が伸び、長身のロベルトに似ていて周りの日本人からいつも虐められていましたが、顔立ちは母に似て、、、そうか、、、」                                                  68
黒田は急に話を止め、遠い昔の記憶を思い出すように黙った。少し経って黒田は「もしやアダム氏は英一の」と呟き、またしばらく考えてから話し始めた。

「ロベルトの子は背が高く色が白くて白人のようで、いつも虐められていました。小さい頃は母親が庇っていましたが、母親が日本人男性と結婚してからはキリスト教施設に孤児として入れられました。義務教育が終わると遠くの教会に、牧師見習いとして入りました。
私は一度だけその教会に行きましたが、3度の食事にも事欠くような酷い暮らしをしておりました。
滅多に笑う事のなかった英一君は、、、ロベルトの子は英一と名付けられていましたが、英一君は私には笑顔を見せてくれました。その顔、、、数日前にここでアダム氏にお会いした時、どこかで見たような顔だと思いましたが、アダム氏の顔はロベルトの子、英一君にそっくりでした、、、
その後、噂では、英一君は迎えに来た白人とイギリスに行ったと、、、おっと、退屈な昔話をしてしまいました」

黒田は時計を見て「すっかり長居をしてしまいました、すみません」と言い、頭を下げた。
「何の何の、アダムに関わる話なら飽きたりしません。また今度、続きを聞かせてください」
父はそう言って立ち上がり玄関まで送って行った。
玄関で黒田は「佐々木殿とは、もっといろいろ御話したいですな、またお伺いしてもよろしいでしょうかな」と聞いた。
父は「こんな老い耄れで話し相手が務まるんなら、また何時でも来てください」と答えた。
黒田は、玄関から出ようとして扉を開けたが、また閉めて振り返って言った。
「、、、アダム氏のホテルの盗聴、もう必要ないので切ります。佐々木殿に伺った方が良い」
そう言うと黒田は頭を下げて出て行った。

黒田は、ボディガードの待つ車に乗り込むと、急に疲れを感じた。
考えなければならない事が山ほどあるように思えた。何よりも『日本人の9割が殺されると言う計画が進行中だということ』を、誰にも言わない方が良いのか、日本政府に伝えた方が良いのか判断が着かずにいた。
もし、日本政府に伝えたら、恐らくアダム氏は身柄を拘束され、取調べされるだろう。そうなった時、奴らは、どんな報復措置をとるか。まあ、その辺の事は、黒田自身が今、考えても仕方のないことで、その前に、自分の本当の立場としては、やはり特捜部長に話すべきだと思った。
黒田は運転手に「今日はこのまま帰るからアパートの近くで降ろしてください」と言った。
数十分後アパートの近くで降りた黒田は「緊急報告あり」を暗号化して電話で特捜部に送った。
アパートの部屋で待っていると、仏壇の照明が点滅し始めた。黒田はイヤホンを耳につけた。
特捜部長の、待ち合わせ場所等の指示に「了解しました」とだけ低い声で答え無線を切った。
それから仏壇の呼び鈴を鳴らしたが、妻は不在のようで、仕方なく「今夜は遅くなりそうなので無線しない」と留守電メッセージをした。それから更に1着セーターを着て、その上にコートを羽織ってアパートを出た。待ち合わせ時間にはまだ早かったが、夕食を済ませておこうと思ったのだ。

特捜部長の待ち合わせ指定場所は、雑居ビルの地下にある喫茶店だった。部長は一番隅のテーブルの椅子に背を向けて座っていた。黒田は、さり気なくその隣のテーブルに着き、部長と背中合わせに座るとコーヒーを注文した。
コーヒーが来ると一口飲んで、新聞を広げて持ち、自分と部長を隠すようにしてから部長にだけ聞こえるように話した。
しかしアダムの名前は出さず、イルミ組織本部から各支部組織長宛てに「人口削減計画を開始する。他言無用」との連絡があったとだけ伝えた。
部長に、削減方法と人数を聞かれたが、それはまだ連絡がないと答えた。            69
部長は「わかりました、また新たな情報が入りましたら知らせてください」と言って去っていった。

一人になると黒田は、新聞をたたみ残りのコーヒーを飲み干してから立ち上がった。
喫茶店を出て地上に上ると寒かった。早くアパートに帰ろうと思ったが、久しぶりに繫華街を歩いてみたくもなった。コートの襟を立て、体を丸めて歩き始めた。
繫華街は寒さにもめげず多くの人で賑わっていた。人が多くて歩き辛く、黒田は、裏通りに行った。
裏通りはネオンの看板が煌めく怪しい店が立ち並び、違法と思える呼び込みが何人も立っていた。
その一人が黒田に声をかけてきた「おじいさん、遊んで行きなよ、安くしておくからさあ」
黒田は、無視して通り過ぎようとした。すると呼び込みが「何だよ、じじい、冷やかしだけなら失せな」と言って黒田の背中を突き飛ばそうとした。
黒田は一瞬の動きで呼び込みの手をかわし、振り向きざまにその手を後ろへねじ上げた。呼び込みは悲鳴をあげた。周りの呼び込みや通行人が驚いて見た。
黒田は、呼び込みの手を放し、何事もなかったように歩きだした。
呼び込みは黒田を目で追いながら呟いた「糞っ、あのじじい、ただ者じゃない」


ワクチンの割り当てが知らされて以来アダムは、1千万人の日本人を選ぶのに悩んでいた。
割り当てが知らされるまでは、60歳以上の老人だけでも30パーセントは減らせるから、それで良いだろうと思っていたのだが、まさか1千万人だけにするとは思ってもみなかった。
日本人口の10パーセントにも満たない1千万人をどうリストアップすべきか、アダムは考え続けた。
(やはりロビン兄さんの言われる通り、理想郷に住むのに相応しい人、という観点から考えて選ぶべきか。しかし、理想郷に住むのに相応しい人とはどんな人だろう、、、
先ず、健康な人。病人は要らない。健康でも犯罪者は要らない、、、ダメだ、これではたぶん半分も減せられないだろう、、、)アダムは、考え悩んだが名案は浮かばなかった。
(乗り掛かった舟だ、でもないが、お父さまに相談してみょうか、、、そうするとまたラムを、、、そうだ、そろそろラムにも話さなければ、、、)アダムは、ラムに話す決心をした。

「ラム、重大な話があります。驚かないで聞いてください」
ラムは(急に改まって、何の話よ)と思ったが、黙ってアダムの前に座った。アダムは、話し始めた。
「ラム、人類は増えすぎました。現在76億人です。このまま放っておくと数年後は100億人になります。現在の地球の食糧生産能力を考えると100億人が満足に食事することはできません。
既に現在の76億人でも飢えている人たちが数億人います。人類はこのままではいけません。
それで世界をリードするエリート集団たちは素晴らしい政策を決定しました。人類を5億人にする政策決定です。
それで日本人も1千万人にすることが決定しました。その1千万人の中には当然、私やラムや御両親も含まれています。
私やラムは、1千万人の日本人と一緒に、新しい日本を治めていかなければなりません。でも心配しないで、全ての政策決定は私がやります。ラムは何も言わず私についてきてください」

話を聞いてもラムは、内容全てを理解することはできなかった。
日本人を1千万人にすると言っているのは分かった。しかし、残りの日本人はどうするのか、アダムは言わなかった。それより、何故アダムがそのような事を突然言い出すのか、それが一番理解できなかった。
「アダム、、、貴方は、何を言っているの、、、私は、良く分からない、、、
人類を5億人にするとか、日本人を1千万人にするとか、、、それは一体どういう事なの、、、何故アダムはそういう事を言うの、、、アダム、、、貴方はいったい何なの、、、」
「落ち着きなさいラム。そして良く聞きなさい、、、                           70

私の父を筆頭としたロスマイルド家一族を中心に、世界のエリートたちと協力して世界を回生します。人類を5億人にした後、理想郷を作ります、、、ここまでは理解できましたか?
その後、1千万人になった日本人と一緒に、日本にも理想郷を作ります。そして私とラムで日本を治めます。つまり、私とラムは日本の支配者になるのです、わかりましたか。
日本の1千万人の民と、この素晴らし日本の国土を二人で支配するのです」
アダムは、話していくうちに次第に興奮していくのを感じた。長年望んでいたNWOの最終政策が開始され、その未来の夢を最愛のラムに話せる。何という高揚感。何という幸せだろう。アダムは今、無上の幸福感に包まれていた。しかし、ラムは困惑し、いつもと違うアダムに違和感を覚えていた。

興奮冷めやらぬアダムは、昂ぶった心のままラムに言った。
「これからまた、お父さまに日本人について相談します。ラムも一緒に聞いていてください」
そう言ってアダムは、ノートパソコンを開き、父を呼び出した。
「お父さま、こんにちは、、、また日本人について教えてください。今日はラムも一緒です」
「おお、アダムか、やけに嬉しそうじゃが、何か良いことでもあったんか」
「はい、これからの日本についてラムに話したところです。私はラムと一緒に日本を回生します」
「日本を回生するとは、また大袈裟なことを」
「大袈裟ではありません。本当です。そのために、日本人の中から1千万人を選ばなければなりません。選ばれた1千万人の日本人と一緒に、私とラムは理想郷を作ります」
「、、、」父はそれ以上何も言わずラインを切った。少し経ってラムの携帯電話が鳴った。ラムが出ると電話の向こうで父が言った。「アダムの居ない所から電話してくれ」
ラムは浴室に入ってから父に電話した。すぐに父が出て言った。

「アダムの様子が変だ、いつからだ」
「さっき私に、『日本を回生する』なんて話しているうちに、なんか変な雰囲気になってた」
「少し様子を見ていて、良くならないようじゃったら離れていなさい」
「分かったわ」
ラムが恐るおそる浴室から出ると、アダムはいつもと同じ表情になっていた。ラムが安心してアダムの横に行くと、アダムは「お父さま、どうしたのかな、急にラインが切れた」とラムに言い、更に
「お父さまに、どんな日本人を選べば良いのか聞きたかったのに、、、」と不満そうに言った。
ラムはさり気なく「お父さんのノートパソコンのバッテリー切れだと思うわ」と言った。
その後は、アダムは変にならなかった。ただ、以前よりも考え込んでいる時間が長くなった。そんな時は、ラムは近づかず、そうっと見守っていた。

数日後、珍しく暖かい日が二日続いた。父は家の庭の椅子に座って日向ぼっこをしていた。
(良い日じゃ。こんな暖かい冬なら幾ら有っても良いんじゃがのう、、、恐らく、ワシにとっては、、、いや、恐らく、世界の多くの人にとっては、、、これが最後の冬じゃろう、、、その時は、苦しまんように逝けたら良いがのう、、、ワシはもう歳じゃから良いが、若い人は可哀そうじゃ、、、)
父が、ぼんやり、そのような事を考えているところへ、ひょっこり黒田が来た。
「良い所に座っていますな。私も御一緒してよろしいかな」
「おお、これは良い所へ来てくださった、、、ワシは、黒田さんと違って隠居の身、のんびり日向ぼっこをしておったとこじゃ。おおい、母さん、コーヒーを入れてくれ」
「あ、コーヒーは要りません、これを食べましょう」そう言って黒田は下げていたミカンの入った袋をテーブルの上に置いた。それから父の横に座り「本当に暖かくて良い天気ですな」と言った。

それからしばらく沈黙が続いた後、父が言った。
「ワシはこれが最後の冬じゃと思っておる。じゃが、ワシ一人だけではないじゃろうと考えていたとこじゃ、、、あの気違い集団が動き始めたようじゃ、多くの人が死ぬじゃろう」                             71
「、、、何とか止める方法はないですかな」
「方法はある。簡単な事をじゃ、今のうちに、あの気違い集団を始末すれば良いんじゃ」
「なるほど、、、確かに、、、しかし、どうやって」
「ヨーロッパとA国とIS国の奴らの本拠地に、R国に頼んで原爆を打ち込んでもらうんじゃ」
「ははは、そんなことをしたら第3次世界大戦になってしまいます」
「う、ううむ、ちと早計じゃったか」父は苦笑して頭を掻いた。
「黒田さん、ワシは頭が悪くてな、高校も落第すれすれで何とか卒業したような男じゃ。じゃが、馬鹿のままでは死にとうなくて、最近になって世界情勢等を勉強しておる。お陰であの気違い集団の存在にも気づいた。しかもよりにもよって、ワシの娘婿が、その気違い集団の一員じゃ。ワシは何やら因縁めいたものを感じておる、、、じゃが、これからどうなるんじゃろう」

「何とか計画を阻止したいですが、、、アダム氏を警察に捕えさせても無駄でしょうな、もし、そのような事をすれば、1千万人分のワクチンさえもいただけなくなるかも知れません」
「1千万人分のワクチン?」
「はい、日本のワクチン割り当ては1千万人分のようです」
父は腕組みをし、少し考えて言った「ワクチンという事はウイルスか何かを、、、」
「ウイルスもしくは病原菌を空中散布するのではないかと思います」
「ひえー、病気になって死ぬのか。もしかして、悶え苦しんでのたうち回って死ぬ、最悪じゃあ」
「佐々木殿は、ワクチンをいただけるでしょう。アダム氏の御身内ですから」
「うっ、申し訳ない、じゃが、ワシもみんなと一緒に死ぬ。苦しまんように首でもくくって、、、ワシは長生きしたいとは思うておらん。9割の日本人が死ぬ時は、ワシも死ぬ」
「ははは、潔い事で。流石は日本男児、良い御こころざし、、、しかし、何とか阻止できないものかと、佐々木殿や私などは死んでも良いかも知れませんが、若い人は可哀そうだと思うのです。若い人たちまで無慈悲に殺されてよいものかと、、、」
「同感です。若者だけでも生きていて欲しい。1千万人は20代の若い男女にすれば良いんじゃ。
そうじゃ、アダムに言おう。1千万人は20代の若い男女にしろと」
「、、、」
「おう、そうじゃ、生粋の日本人だけじゃ。在日は要らん。DNA鑑定して20代の生粋の日本人男女を1千万人.そうすれば夢があって良い」

「じゃが、そうは言うても、、、黒田さん、怒らんで聞いてもらえんか、、、ワシは思うんじゃが、この際、人類全て死んでしもうた方が良い、、、人間ほど罪深い生き物はおらんからのう。
人間は喰うために他の生き物を殺してきた。喰うために他の生き物を殺すのはどの生き物も同じじゃが、人間は美味しく食べるために、生き物を病気にしたりして故意に苦しめておる。フォアグラ等がそうじゃ。養鶏も、養豚もそうじゃろう。
他にも、美味しく食べるために、殺し方まで研究しておる。K国なんぞひどいもんじゃ。苦しめて殺した方が美味いと言うて、犬を拷問して殺して喰っている。
こんな惨い事をして他の生き物を殺して喰う人間は、果たして地球に存続する値打ちがあるんじゃろうかと思う、、、もし地球に、全ての生き物にとっての神が存在するなら、その神は決して人間を許しはせんじゃろう。人間を一番に絶滅させるじゃろう、と思うんじゃ。
これから、あの気違い集団が人類の9割以上を殺すと言う。じゃったら、いっそのこと人類を皆殺しにしたらええんじゃ。5億人だけ生かして理想郷を作るなんぞ、戯けた事をせんで、人類全てを滅ぼしたらええ。その方が地球のためじゃとワシは思うんじゃ。黒田さんはどう思う」

黒田は苦笑し、しばらく考えてから一言言った「極端な事を、、、」
しかし、黒田はまたしばらく考えてから言った。                            72
「、、、地球の他の生き物の事を考えましたら、、、佐々木殿が言われた通りかも知れませんな、、、確かに人間ほど罪深い生き物はいないでしょう、、、数千年に渡って人間は、自分たちの都合に合わせて、他の生き物を家畜化し殺して食べてきました。動物だけでなく植物も、人間に有益な植物だけを栽培し他の植物を駆除してきました、、、
佐々木殿が言われたように、この地球に、全ての生き物に公平な神が居られたなら、その神は決して人間を許さないでしょう、、、しかし、そのような神は居ないのでしょう、、、いえ、人間にとっての神すら居ないと私は思います。神など居るはずがないと思います、、、
世界の一神教の信者は、自分たちの神を作って信仰しています。しかし、その神は本当の神ではないのでしょう。もし本当の神なら、神の名の下に他人を殺したりするはずがないのです。
私は常づね思っておりました。この世界に神など存在しない、存在するはずがないと。だから、神に祈っても無駄なのです、、、」
黒田はそこで話を止めた。父は一言言った「黒田さんも、極端なことを」
黒田は苦笑交じりに頷き、更に話し出した。

「地球上の全ての生き物に作用しているものは弱肉強食の法則のみです。強い者が勝つ、これだけなのです。
奴らは世界中から金を集めました。そしてその金を使って力を得ました。佐々木殿が申されたように、財力、武力、知力を得ました。しかもそれらは、完全に世界を支配できるだけの強力な力です。もう誰も、どこの国も太刀打ちできない力です。もう奴らを止める事はできないでしょう、、、
人類を5億人にして理想郷を作る、、、
しかし、その理想郷でも幸福に暮らせるのは、奴らを中心としたほんの一部の人間だけで、残りの人間は奴隷として奴らに奉仕するためのみ生かされるのでしょう、、、
殺される71億人も地獄なら、生かされる5億人もまた地獄でしょう、、、
そう考えますと、奴らは悪魔としか言いようがない。そして奴らが得た力は、暴力としか言いようがない。悪魔が暴力を得て、世界を支配する、、、やがて世界中で地獄が始まるのでしょうな、、、」
話終えると黒田は、小さなため息を漏らして腕を組み、近くの蕾の膨らみかけた梅の木を見上げた。
その横顔は苦渋に満ちていた。
父は、黒田のその顔を見ただけで、黒田が心底、人類の未来を憂いている事が理解できた。
父もまた、それ以上なにも言えなくなった。二人は無言のまま梅の木を見続けた。


AF大陸NG国の首都二―メ。
航空機から出た途端に3人は熱風に襲われた。何という暑さだ。
こんなところに人が住めるのか、と3人とも思った。
急いで空港建物に走り込んだ。幸い建物の中はエアコンが効いていた。
英国人のジョンもF国のパスポートだったせいか、入国審査は簡単だった。
ジョンは、アダムに貰った金でフランソワと結婚し、のんびり暮らしていたのだが、フランソワの友人の男に頼み込まれ、まあ退屈だったこともあり、10日間だけ、博士と助手のボディガードを引き受けてここまで一緒に来たのだった。
しかしジョンは、二人に違和感を覚えていた。一緒に行くと答えた2日後にF国のパスポートを渡され「英国のパスポートは不要」だと言われた。二人はF国立研究所の者だと言う事だが、あまりにも手回しがよすぎた。だが、ジョンは何も言わず、久しぶりの仕事に没頭した。

1時間後二―メ市内のホテルに着いた。博士と助手は、しばらく休むと言うのでジョンも部屋で休む事にした。とは言っても仕事柄、部屋に入るとすぐ部屋内を調べた。暑いところのせいか、部屋は気密性が良くエアコンの効きも良かった。盗聴器なども見当たらなかった。         73
ジョンは安心してベッドに横たわった。しかしすぐ、低空を飛ぶ飛行機の音に悩まされた。
二―メの上空をセスナらしい飛行機が何度も行き来していた。ジョンは数分間、窓を開けて飛行機を見上げた。飛行機は何かを散布しているのか、飛行機の後に靄のようなものが薄っすらと見えた。
(こんな国でもケムトレイル散布か?)とジョンは訝しげに思ったが、気にも留めず窓を閉めた。

ジョンは再びベッドに横たわった。久しぶりに一人だ。心が軽かった。ジョンはまた、ラムの事を思った。ジョンはフランソワと結婚したが、心の中ではいつもラムのことを思っていた。
(ラム、、、どうしているかな、、、もうアダムと結婚しただろうか、、、)
ジョンはラムを誘拐した時の事を、昨日の出来事のように覚えていた。ラムに当て身をし、倒れ掛かったラムを車のトランクへ、そしてトランクから、フランソワとの待ち合わせの部屋に、肩に乗せ運んだ時のラムの柔らかな身体を思い出すと、ジョンはいつも心がときめいた。
(待ち合わせの部屋に行かず、あのまま連れ去れば良かった、、、しかし、あの時は金がなかった)
そう思うと今更ながらに(全ては金次第か)と、そしてその金をアダムに貰ったのも、警察から釈放されたのもラムのおかげだった事を知って、ジョンは尚更ラムに心を奪われた。
(ラムの近くに居られたら、、、何でもいい、俺がラムのために役に立てれたら、、、恩返しなんて言うんじゃない、、、ただ、ラムのためになりたい)そう思うとジョンは無性にラムに会いたくなった。
しかしジョンはラムに会えなかった。ラムだけでなく、フランソワにも二度と会うことができなかった。

夜、ホテルのレストランで3人で食事した。この国はF国の植民地だったせいか、F国料理が多かった。公用語もF国語だということで、ホテルもレストランもF国語が使われていた。
F国語ができないジョンと違って博士と助手はF国語で話し合い、ジョンには英語で話した。
3人は翌日の予定を話し合った。9時にもなれば暑くて出歩けなくなるから、朝早く街の様子を見に行きたい、と博士が言うので5時にホテルを出る約束をした。
寝る前にジョンは、部屋の灯りを消し窓の外を見た。ほんのりと明るい。ジョンは窓を開けた。
満月だった。ホテルの裏手に大きな川があり、その向こうは町がないのか電灯の灯りは見えなかったが、天頂あたりに月があり、遠くまで見渡せるほど明るかった。
ジョンは武骨者だったが、その夜の景色は綺麗だと思った。
(この景色をラムと一緒に見れたら、どんなに嬉しいだろう、、、叶わぬ夢か、、、)

翌朝、3人はホテルを出て歩いて、町で一番大きい市場に行った。ジョンは、二人の警護を一人でするのは無理だと思っていたが、やはり大変だった。数秒間も油断できなかった。だが、聞かされていたよりも治安は良いようで、一目で欧米人と分かる3人を襲ってくるような気配はなかった。
市場ではF国では見れない珍しい物がいっぱいあったようだが、ボディガードのジョンは無論のこと、博士と助手も売り物には全く関心を示さなかった。
博士と助手は、市場に居る人や買い物客の動きを注視していた。何故そのような事をするのか、ジョンには理解できなかったが、興味もなかった。辺りを警戒するだけで手いっぱいだったのだ。
8時にはかなり暑くなり、博士はホテルに帰ろうと言った。何事もなくホテルに帰り着いた。
博士はジョンに「今日はこの後はずっとホテルで過ごしますので警護は不要です」と言った。
ジョンは内心喜んだ。朝の警護だけで疲れ果てていた。

ジョンは、一人でレストランで食事をして、部屋に帰るとシャワーを浴びてベッドに横になった。そのまま寝てしまい、夜、博士から夕食の誘いの電話が鳴るまで寝続けていた。ジョンは寝続けていた事に驚いたが、気にもせずレストランに行った。
食事が始まるとすぐ、博士はジョンに言った。
「2~3日部屋で研究しますので、その間は自由にしてください。観光したいならフロントに言えば手配してくれますが、あまり遠くへは行かないようにしてください」                 74
どこか白々しい言い方のように感じたが、ジョンは頷き食事を終えるとさっさと部屋に向った。
その後ろ姿を目で追って、博士と助手はニャっと笑った。ジョンの歩き方が心なしかふらついているのが見て取れたのだ。
そんな博士と助手の行動に気づきもせずジョンは、部屋に帰ってまたベッドに横になった。昼間あんなに寝たのに、今また眠くなっていた。
ジョンは眠り続けた、そして、翌々日の夜、自身の咳で目が覚めた。酷い咳が引っ切り無しに出た。数時間、咳が続いたが、その後ピタリと止んだ。しかし、目まいがした。ジョンは額に手をやって驚いた。凄い熱だった。熱のせいでか起き上がる事ができなかった。医者を呼ぼうとして手を伸ばして電話を取ろうとしたが手が届かなかった。
そんな状態のジョンを、いつ取り付けたのか隠しカメラが写していて、隣室の博士と助手がモニターで見ていた。しかし助けに行こうともせず、まるで実験動物でも見ているように無表情だった。
やがてモニター画面のジョンの口や鼻から血が出始めると、博士と助手はゴム手袋をはめ、カバンを持ってジョンの部屋に入った。

ジョンの状態を調べながら博士は、医療用語ばかりの言葉を言い、助手はそれをノートパソコンに入力していった。
ジョンは意識が朦朧としていて手足を動かす事もできなかったが、音はまだ聞こえていた。そのジョンの耳に博士と助手の会話が聞こえた。
「試験体の血液と肝臓の一部を取っておいてくれ」と博士が助手に言った。
「麻酔無しで切開ですか?」
「もう麻酔は要らないだろう。動くこともできないはずだ、、、試験体に情けは必要ないが、もし気が引けるなら先に心臓にメスを刺せば良い」
(なんだと、どういう事だ、俺は試験体だというのか、しかも麻酔無しで切開、、、)
その時ジョンは心臓に激痛が走り意識が消えた。

数時間後、ホテルの中にもヘリコプターの音が聞こえてきた。
博士と助手はカバンを持ってホテル内の階段を降りて行った。どの階にもいたるところに死体があった。どの死体も口と鼻から血が出ていた。中には、死の瞬間の悶え苦しんだ形相そのままの惨い死体もあったが博士も助手も無表情のまま通り過ぎた。
非常灯だけが点いている階段を降りてホテルの外にでると、近くの空き地にヘリコプターが降りていた。ヘリコプターから一人の軍人が出てきて、博士と助手の前で敬礼してから言った。
「ゴーマン博士、お迎えにまいりました」
3人がヘリコプターに乗り込むとすぐ飛び立った。
ヘリコプターの中で軍人は博士に言った。
「1時間ほどで隣国の軍事秘密基地に到着します。そこでウイルスを除去して本国に帰っていただきます。御報告は本国のデバイ研究所所長にお願いします」
博士は頷いた。

数時間後、博士はデバイ所長に報告していた。
「飛行機による空中散布は、気密性が良いホテルの部屋内でも感染し、あの頑強な体の試験体Jでさえ、ほぼ24時間で四肢の麻痺が始まりました。
その48時間後くらいから激しい咳が出始めましたが、これは全く好都合です。この二次飛散で完璧に感染が広まりました。恐らく、100パーセント感染でしょう。
しかし、そのようにウイルスが蔓延する室内に居ても我々は感染しておりません。ワクチンもまた完璧です」
デバイ所長は満足そうに頷いた。博士と助手も満足そうに一礼して去った。           75
その後デバイ所長は電話でデーンに言った。
「ミスターデーン、御支配さまに報告してくれ、高温地帯の実験結果は完璧だった。これでワクチン製造が終わればすぐに計画実行可能だとな」
「了解しました、、、ところで、試験体Jは役に立ちましたか」
「ああ、試験体Jか?。博士は、あんな頑強な体でも他の試験体と全く同じように感染したと喜んでいた。博士にとってはJも、ただの試験体でしかなかったようだ」
「そうでしたか、わかりました」
デーンは電話を切ると鼻で笑い「ふん、アダムさまが許しても、ロスマイルド家は許さないのさ。裏切り者は必ず死ぬ」と呟いた後、数日前に、フランソワと友人の男が、全裸で抱き合ったまま殺されていたのがニュースで報じられていたことを思い出し、デーンもまた満足そうにニャっと笑った。

一方、低温地帯の実験結果は芳しくなかった。
極東のR国領土SH島、研究所所長のイワノフ所長はイライラしていた。
吹雪が治まり、無風状態に近い朝、飛行機による空中散布を12回も実施したのだが、22万人の島民のごくわずかな一次感染者しか出なかった。
しかもそのせいでR国医療機関に試験体を運ばれ隔離された。二次感染も発生しているようだが、R国医療機関の隠匿策のせいで状況が把握できない。
もしR国医療機関でウイルスの分離培養検査がされればウイルスの正体がばれてしまう。そうなれば計画が中止になり、イワノフ所長は責任をとらされ、恐らく命を奪われる事になるだろう。

イワノフは考えた(高温地帯では40度近い気温でも予想通りの結果だった。もともと高温地帯で発見されたウイルスの遺伝子組み換え型だから高温は障害にならなかったのだろう。
しかしここは、この時期は最高気温でさえマイナスだ。 マイナス5度以上の研究結果では100パーセント感染の結果が出ているとの事だが、マイナス18度という低温での研究結果はない、、、マイナス18度でも人の呼吸器に入ってしまえば体温のためウイルスは活動できるようになるはずだ。状況は分からないが現に二次感染は起きている。
空中散布でなく、建物内で散布すれば多量の一次感染を起こせるだろう)

イワノフは、ワクチン接種済み組織員を集めた。11人の組織員が、島民の多いところへ派遣された。組織員はウイルスの入った容器の蓋を開け人混みの中を歩き回った。
三日後、一時感染者が急増した。激しい咳で苦しむ島民がいたるところにうずくまり、しばらくして高熱で動けなくなった。その後、数日で島民は全滅した。
イワノフはホッとした。これで責任を取らされることはないだろう。上機関への報告書を下書きして迎えにが来るのを待った。
しかし、約束の時間になっても迎えは来なかった。イワノフは上機関へ電話した。電話は通じなかった。この島では、ただ一ヶ所の電波塔を経由しての通信だったが、その設備の操作は手動で行われていた。つまり操作員が死んでしまえば通信できない。その事に思い当たったイワノフは顔色を変えた。
イワノフは組織員を集め、電波塔の設備操作に詳しい者は居ないか聞いたが、一人もい居なかった。仕方なくイワノフは、無線通信器を扱った事があると言う者を連れて電波塔に行った。
しかし、電波塔は電源が切れていた。イワノフは、島内の火力発電所自体が止まっている事を悟った。二人は非常用発電機を探したが、真っ暗な建物内と、発電機等設備の知識のない二人は見つけることができなかった。やむなく二人は組織の建物に帰った。

組織の建物もまた電源が切れて、10人の組織員はパニック状態になっていた。組織の建物には非常用発電機はあったが、燃料油がなくなったのだ。イワノフは、呆れて怒鳴った。      76
「燃料がなくなったのも分からなかったのか。スタンドに行って盗ってこい」
数人の組織員が車で出かけた。しばらくして帰ってきて、何とか冷え込む夜までには発電機を動かす事ができた。11人の組織員とイワノフは、組織の建物内で一夜を明かした。
翌朝、迎えのヘリコプターが来た。イワノフと11人の組織員は無事、本国の研究機関に帰った。
だが、この島の出来事を日本の人工衛星が鮮明画像で記録していた。


「課長、人工衛星画像解析の結果、SH島で不審な出来事がありました」
「SH島は日本ではないが、不審な出来事とは」
「はい、8日前に、島の発電所が止まりました。その2日後から、島民の暮らしぶりが全く確認できません。まるで無人島のようです」
「、、、乗り物の動きもないのかね」
「はい、6日前の朝、ヘリコプターが2機飛来して数人乗せ、すぐウラジオス方面に帰ったのですが、それ以後なんの動きもありません」
「、、、うーん、、、とは言ってもR国の出来事だからね、、、救助要請でもこなければ、我が国としては何もできない、、、わかりました、記録は残しておいてください」
部下が一礼して去っていくと、警視庁公安部第三課課長山崎守は腕を組んで考えた。
(人工衛星画像は50センチまでの解析ができる、、、1週間近くも乗り物の動きもないと言う事は、、、島民全て死亡?、、、2週間前、人口削減計画開始の情報が入ったが、それと何か関係があるのか、、、人口削減計画、、、どうやって、、、上部の話では核兵器は使わないだろうと言う。
ではどんな多量破壊兵器を使うのか、、、人工地震兵器だろうか、それとも細菌兵器、、、それらを使うとしたら事前にテストするだろう、、、そのテストをSH島で、、、考え過ぎかな、、、だが、念のため、、、)山崎は部下に命じて、ウラジオス潜伏工作員に、SH島について調べるよう送信させた。

翌日、工作員から連絡があった。SH島は、もう1週間も交信ができない。軍の偵察機が飛び立ったが悪天候ですぐに引き返した。天候回復は数日先になるだろう、とのことだった。
山崎は、この事と人工衛星画像の事を上部に報告した。


その日の夜、アパートの部屋の仏壇の灯りが点滅した。黒田はイヤホンを耳につけた。
人口削減計画開始について新たな情報はないか、特に、削減方法を早く知りたい、と言う事だった。黒田は「ウイルス使用」だと言いそうになったが、止めて「調べてみます」とだけ言った。
無線を切った後、黒田は考えた。
(上から連絡が来るとは珍しい、、、上も本腰を入れて動き始めたのか、、、ウイルスは自分の想像だが、ワクチンの事だけでも伝えておくべきかな、、、)
翌日、黒田は特捜部長に「イルミ組織内でワクチン割り当ての噂が広まっているが、何のワクチンかは分からない」と伝えた。


R国プーロン大統領に緊急報告書が届いた。大統領は読み始めてすぐ顔色を変えた。
報告書の内容は『緊急救援要請  SH島島民22万人全て死亡。ウラジオスでも原因不明の病気で死亡者続出。緊急隔離処置後も医師、警官、軍人、発病しほぼ5日で死亡。医師、研究員不在により原因究明できず』とあり、経緯も記載されていた。
2026/2/3 R国人工衛星画像により、SH島上空を12往復する不審な軍用機を確認。
2/10 R国人工衛星画像により、ウラジオス北部空軍基地から軍ヘリコプター2機飛来着陸、島民らしき12名収容後離陸、空軍基地北方57キロ地点着陸後消息不明。              77
2/18 ウラジオス空軍基地より偵察機派遣、SH島の3市着陸、捜査するも生存者確認できず。おびただしい死亡者あり。全島民死亡と断定しウラジオス空軍基地へ帰還。
SH島内国立病院のPC記録
『2/6 高熱患者8名SH島内国立病院入院。治療効果認められず2/8 8名全て死亡。2/9 同病院内医師等高熱発症。高熱患者からの二次感染の疑い濃厚』
2/21 偵察機乗務員8名全員高熱発症、ウラジオス国立病院隔離棟収容。
2/23 偵察機乗務員8名全員死亡。
2/24 ウラジオス国立病院用務員2名(偵察機乗務員搬送車清掃)高熱発症。
ウラジオス国立病院隔離棟収容。2名の住居、接触通行人等追跡調査するも不明通行人あり。
2/26 用務員2名死亡。
2/27 市内病院等、高熱患者入院続出
2/28 ウラジオス全病院閉鎖。ウラジオス市長、外出禁止令発令。ウイルス細菌検査官他県より7名到着、検査開始。防ウイルス装備着用者以外の立ち入り禁止を発表。
3/1  ウラジオス市内死亡者続出。
3/2  高熱患者続出、死亡者続出。ウイルス細菌検査官、新型ウイルスの可能性大と発表。
3/3  高熱患者続出、死亡者続出。ウイルス細菌検査官、ウラジオス全市民死亡の可能性大と発表。都市機能壊滅と発表。検査官の食糧等、確保不可能を理由に帰還を発表。
3/4  ハバロフ国立研究所にてウイルス同定検査中

報告書を読み終えるとプーロン大統領は、ただちに情報隠匿策を命じた。そして、防衛庁長官、国務庁長官、秘密警察庁長官等を呼び出し緊急会議を開いた。
会議の冒頭プーロン大統領は皆に報告書を読ませてから言った。
「ウイルスの正体を突き止めろ。最初にSH島にウイルスを持ち込んだ者の特定を急げ。SH島22万人、ウラジオス43万人殺害されたことを諸外国に決して知られないようにしろ」

会議が終わって、各長官たちが慌ただしく出て行った後も、プーロン大統領は椅子に座ったまま考え込んでいた。
(いったい何者がこんな事を、、、世界に公表して糾弾するべきか、、、いや、相手が何者なのか特定してからの方が良いだろう、、、
エリート武装集団が最終政策を開始したとの情報は得ているが、まさかその初期実験では、、、
旧友好国のNG国が、数週間前から交信できず、夜間の衛星画像でも灯りが見えない。
首都だけでなく、北部のウラン鉱山地帯も全く灯りがないとの報告も受けたが、もしやNG国もウイルスで1国の国民が絶滅させられたのか、、、
もしそうなら、そんな事ができるとしたら、奴らしか居ない、、、これは奴らの最終政策なのか、、、
これが奴らの仕業なら、我が国とて数日で絶滅させられてしまう、、、ならば我が国に残された道は先制核攻撃のみ、、、
だが本当に奴らの仕業かどうかを確認せねばならん、、、巨大な相手だ、うかつに動けん、、、)

数時間後、 防衛庁長官から電話がかかってきた。
「閣下、現在例の人工衛星画像を解析中ですが、我が国の画像では良く分かりません。日本の衛星画像をいただけないでしょうか」
プーロン大統領は即座に言った「わかった、すぐ手配する」
数分後、日本国総理大臣の電話が鳴った。総理が電話を耳にすると「緊急事態だ、前置きは省略する」と言うプーロン大統領の声が聞こえた。総理は驚いたが落ち着いて言った。
「わかりました、用件をどうぞ」                                       78
「先月一日から今日までのSH島とウラジオスの衛星画像を送っていただきたい。貴国の機密情報ではあるが、緊急事態のため了承して欲しい」
総理は即断即決して言った「わかりました、すぐに送らせましょう」
「ありがとう、、、」とプーロン大統領は日本語で言った。
それで電話は切れたが、またすぐかかってきてプーロン大統領は言った。
「今、確認中だがSH島でウイルスを使ったテロ事件が発生した。どうも例の敵が動きだしたようだ。貴国と共通の、いや、人類共通の敵だ。貴国も用心したまえ」
「知らせていただき、ありがとう、感謝します」そう言って総理は電話を切った。
その後すぐ総理は、画像を送らせるよう手配し、ウイルスを使ったテロに警戒するよう各関係機関に通達を出した。


その日の夜、また仏壇の灯りが点滅した。黒田は訝しく思いながらイヤホンを耳に付けた。
「夜分遅く申し訳ない。ウイルスについての情報が入ればすぐに知らせて欲しい」と言う特捜部長の声が聞こえた。黒田は「わかりました」と答えて無線を切った。
黒田は改めて布団に入ると天井を見つめて考えた。
(何やら上の方も慌ただしくなってきたようだな、、、どこかでウイルスを使った事件でも起きたのか、、、しかし、もし奴らが最終政策を行うとすれば、恐らく全世界一斉に始めるだろう、、、まあその時は、私も死ぬ時だろうが、、、では今、起きている事件は別物か、、、それとも事前実験か、、、それはそうと、アダム氏のワクチンの方はどうなっているのだろう、、、佐々木殿に会って探りを入れてみるかな、、、)

翌朝は寒かった。しかし、季節は確実に春に向かっているようで日の出が早くなっていた。
黒田は、まだ早いかなと思いながらも玄関の戸を開け声をかけた。
「おはようございます。もう起きていますかな」
「おお、黒田さん、朝飯後の糞しているとこじゃ、居間で待っててくだされ」とトイレから佐々木氏の声が聞こえた。声だけでなく匂いまで出てきそうで、黒田は顔をしかめながら居間の椅子に座った。
数分後トイレから出てきた父は「久しぶりじゃな、あれから1ヵ月過ぎた」と言って、卓袱台を隔てて黒田の前に座った。

父に「1ヵ月」と言われ、梅の木を見上げて話し合ったのを思い出し(あれからもう1ヵ月経ったのか)と、黒田は月日の経つのの速さを感じた。
(そう言えば梅の花の清々しい匂いがする。窓も開けていないのに)と思い黒田は居間の隅を見ると、小さな花瓶に梅の花が活けてあった。黒田の視線先を見て父は言った。
「数十年ぶりに嗅いだ梅の花が懐かしくて活けたが、愚妻は嫌な匂いだと言う。良い匂いと感ずるのは世界共通かと思うとったんじゃが、愚妻だけ特別なんじゃろうか。黒田さんはどう思う」
「私も梅の花の匂いは好きですな。しかし、世界には色々な方がいますからな」と黒田は言い、少し間をおいてから続けた。

「世界の平和を望む者も居れば、世界を支配し意のままにしょうとする者も居ますしな、、、
何やら外の世界が騒がしくなってきているようですが、佐々木殿は何か聞いていませんかな」
「いやワシは何も聞いていないが、この間、アダムが『どういう日本人を選べば良いか教えてください』と言うのでワシは『先ず、自衛隊員とその家族。次に20代の男女を同数人』と言うてやったら『うーん』と考え込んでいた。
じゃが、少しして『お父さまの言われる通りが一番良いようです』と言って決心したようじゃった。
それから数日後にまた                                           79
『どうやって自衛隊員と20代の男女にワクチン接種すれば良いでしょうか』と聞くんで、ワシは
『簡単じゃ、臨床試験に協力してくださいと言うて接種し、お礼に何ぞ記念品でも与えたら良い。
そうすれば自衛隊員じゃろうと、その家族じゃろうと、20代の男女じゃろうと、接種できるじゃろう。じゃが、事前にDNA検査をして在日にはワクチン接種するな。在日にはビタミン剤でも打っとけば良い』と言うたんじゃ。そしたら『DNA検査は時間的に無理です』と言われた。もうアダムの手元にワクチンが届いているのかもしれん」

父の話を聞いて黒田はドキっとした。
(もし本当にアダム氏の下にワクチンが届いているなら、奴らの最終政策実施が近いと言うことだろう、、、しかし、本当に届いたのだろうか、、、これは確認しておいた方が良いかな)そう思うと黒田は、佐々木家に長居は無用と、だが、来たすぐに帰るのも、と思い直し次の話題を考えた。
しかし黒田が次の話題を話し出す前に父が言った。
「ワクチン接種すれば死なないという事は、病原菌による病気じゃろうかのう。ウイルスに効くワクチンはまだないと聞いているが、、、じゃが、世界一の頭脳集団を抱えている奴らの事じゃ、ウイルスに効くワクチンを完成させているのかも知れん、、、おう、そうじゃ、黒田さんはイルミ組織長。奴らの下の組織じゃろう。そのへん何か知っているんじゃないですか」

急に予期せぬ事を聞かれて黒田は、一瞬戸惑ったが、当たり障りのないように答えた。
「イルミ組織とは言いましても日本の組織は末端の末端、重要な情報は入って来ませんな。お陰で私は平日の昼間でもこうして出歩けます」
「ほう、そうでしたか、、、じゃが、イルミ組織の事をネット検索すれば、異常な事ばかり載っておる。まあ半分は都市伝説のようじゃが、中には証拠写真まで載せて、SR国の戦争孤児の誘拐、内臓摘出販売などもある。これらは噓だと言い切れないようなのもあるようじゃ。まあ、奴らの下組織じゃから、うわべは慈善事業でもやって庶民を騙し、裏ではとんでもない悪事をしているとも思える。じゃが、まあ、黒田さん率いる日本のイルミ組織は健全じゃと信じて良いんじゃろうな」
「ははは、佐々木殿、恐れ入ります。では、そう言う事で今日はこの辺で」
黒田は、上手く切り上げられたとホッとしながら立ち上がった。すると父が窓の外を見ながら言った。
「ワシとの話は終わったようじゃが、黒田さんの車の周りに居るあの連中は、黒田さんに用があるのかのう、、、ん、家に近づいて来おった、ワシに用があるようじゃ。黒田さん、すまんが少しここで待っていてくれ」

父が玄関に行くと同時に「佐々木さん、こんにちは。ちょっとお邪魔します」と言って二人のスーツ姿の男が入ってきた。
「おう、佐々木じゃが、何方かな」と父が言うと、男の一人が名刺を渡しながら言った。
「警視庁公安部第三課課長山崎守と申します。少々お話を伺いたいのですが、中に居られる日本イルミ組織組織長黒田さんも、ご同行願います」
父は若干驚いたが顔には出さずに言った。
「話なら我が家でもできる。そちらが上がってくださらんかのう」
山崎は迷うことなく言った「そうですか、では、少しお邪魔します」
山崎は、もう一人を返し、父について居間に入って来て、父と黒田の座っている前に座った。そして、挨拶もせず話し始めた。
「これから御話することは極秘情報ですが、お二方は決して他言するような方ではないと思いますのでお話しします。
実は、3週間ほど前の軍の衛星画像からR国SH島が、ウイルステロで島民全て死亡したようなのです。22万人全てです。
驚異的な威力のあるウイルスのようです。                                80
もしこのウイルスが日本に使われたら、数日で日本国民は絶滅です。
我々はもうなりふり構っていられないのです。何が何でも阻止しなければなりません。
佐々木さんはミスターアダム氏の義父としての、そして、黒田さんは日本イルミ組織組織長としての御立場があろうかと思いますが、何卒、日本国存続のために、我々にご協力ください」
そう言うと山崎は、卓袱台をどけて土下座した。父も黒田も驚いたが、先に黒田が言った。
「山崎さん、お顔を上げてください。私とて日本国の、いえ、人類全ての存続を願っております。
私でお役に立てれる事なら何でもします」
続けて父も言った「ワシも黒田さんと同じじゃ。日本国を存続させたい。じゃがワシははっきり言って、もう諦めておる。奴らを阻止することは出来んじゃろうとな」                   
山崎は、卓袱台を元に戻して椅子に座った。そして、父を睨み付けて言った。
「日本国が滅びても良いと言われるのか」
「そうではない、ワシの持論じゃが、日本国が滅びるくらいなら世界の全て、人類全てが滅びた方が良いと思っているんじゃ、地球の他の生き物のためにな。
じゃが、山崎さん、1パーセントでも日本国存続の可能性があるなら、ワシとてそれに懸けてみたい。その1パーセントのために、ワシでも役に立つ事があるなら、何でも協力しょう」
父の話を聞いて山崎は、表情を和ませて言った。
「ありがとうございます、、、いやあ来た甲斐がありました。では早速、お二方のご存知の事柄をお話しください。先ず、黒田さんから。
黒田さんはイルミ組織の組織長、イルミ組織と言えば某金持ち集団との関係が深いと聞いていますが、組織内でSH島やウイルスに関する噂とか聞かれていないでしょうか」
「いえ、なにも聞いていません」と黒田はすぐ答えた。実際なにも聞いていないので答えようがなかった。ワクチンの事ならアダム氏の会話を盗聴して聞いているが、その事は今は言えなかった。

黒田にあっさりと答えられて、次の質問がしづらくなった山崎は、矛先を父に向けた。
「では佐々木さん。ミスターアダム氏からSH島やウイルスのことについて何か聞いていませんか」
「いや、ワシも何も聞いておらん。SH島やウイルスの話は今、貴殿から初めて聞いて驚いているのじゃ。じゃが、先に一つ質問させてくれ。SH島でウイルステロと貴殿は言うたが、SH島は外国じゃ、SH島でウイルステロがあった事を貴殿はどうして知ったのか」
「これも極秘情報ですが、R国大統領から総理に電話があり、ウイルステロだと知らされたそうです。
それ以前に、内の組織は衛星画像からSH島に異変が起きた事に気づいていたのですが、まさかウイルステロだったとは、、、しかも衛星画像では島民の活動形跡が全く見られず、夜、灯りも見えません。内の組織でも島民全滅と判断しています。
それと、これがウイルステロなら、使われたウイルスは非常に致死率の高いウイルスです。
恐らく新しく開発されたものでしょう。そして、このようなウイルスを開発できるとしたら、それは某金持ち集団しかないと見ています、、、
佐々木さんも先ほど『奴らを阻止することは出来ない』と言われたという事は、某金持ち集団の事を言われたのでしょう。佐々木さんはどうやって某金持ち集団の事を知ったのですか」
「ワシは、ネットで世界情勢をいろいろ調べているうちに、奴らの存在に気づいたんじゃ。奴らは今、『人類を5億人して理想郷を作る』と言う最終政策を始めようとしているようじゃ。
そして、もし始めたなら、恐らくどの国も止める事は出来まいとワシは思うておるんじゃ。じゃが、さっきも言うたように、日本国存続の可能性が1パーセントでもあるなら、ワシは何でも協力する。じゃが、こんな老い耄れ、何の役にも立たんと思うがのう」
父の言う事を聞いて山崎は、しばらく黙って考えていたが「そうでしたか」と一言言い、少し間をおいて気を取り直したように言った。
「わかりました、では佐々木さん、アダム氏から何か聞かれましたら、先ほどの名刺の番号に電話してください。黒田さんも何か情報が入りましたらお知らせください」                 81
山崎は、立ち上がり一礼して帰っていった。続いて黒田も「私も帰ります」と言って帰った。
一人になった父は少し考えてから「奴らを止めれる可能性は1パーセントもないじゃろう」と言い、また少し考え「ウイルスか、、、という事は、ウイルスに効くワクチンを開発したという事じゃろうかのう」と呟いた。


日本から鮮明な衛星画像を受け取ったR国捜査官は画像を見て驚嘆した。
「ほう、イワン、見てみろこの衛星画像を、、、我が国のとは解像度が桁違いだ。ヘリコプターに乗り込む人の服装まで判断できるぞ、、、見ろ、ウラジオス北部の着陸地点だ、トラックが隠されているのが見える、、、1、2、3、、、12人トラックに乗り込んで、ウラジオスでなくハバロフに向かっている、、、いや違う、、、レベジに行ってハン湖で船に乗り換えた。それからC国に逃げたんだ、くそ、国内で見つからない訳だ、、、この事を大至急、上に知らせてくれ」

C国に逃げた事を知ったプーロン大統領は、デスクを叩いて悔しがった。
(この12人がSH島にウイルスを散布したのだろう。いや、散布したのは2月3日の軍用機か?、、、ではこの12人は2月10日までSH島で何をしていたのか。C国に逃げたという事は、ウイルス散布に関係あるだろう。だが、3日に航空機で空中散布したのであれば、この12人は何故、感染していないのか、、、SH島内国立病院のPC記録では2月6日には島民が入院して8日には死亡している。という事は、やはり3日の航空機による空中散布か。そしてそれでもこの12人は感染していないでC国に逃げた、、、防ウイルス装備だったのか、いや日本の画像では一般的な衣服だったと言っていた、、、12人は事前にワクチン接種済みだったのか。という事は、、、奴らの研究員か工作員か、、、いずれにしても逃げられた後ではどうにもならない、、、せめてウイルスが同定されれば良いが、、、)プーロン大統領はウイルスの同定を急がせた。

翌日、ウイルスが同定された。そのウイルスはエボラウイルスに似ていたがDNAの30パーセントが違っていた。恐らく、エボラウイルスを遺伝子組み換えした新型ウイルスだろうとの事だった。
そして、このような遺伝子組み換え新型ウイルスを開発できるのは、大掛かりな研究設備と、世界トップレベルの研究員が多数在籍している研究所だけだろうと結論付けられた。
ウイルスの正体を知ったプーロン大統領は、今回のテロが奴らの仕業だと確信した。しかし、実態を公表しなかった。公表しないで、報復する方法とその機会を待った。


アダムは、暇だが落ち着かない日々を送っていた。父に聞いて、日本人の選別とワクチン注射の方法も決めていたが、ワクチンはまだ届いていなかった。
(ワクチンが届いたら、イルミ組織にお願いして、全国の保健所にワクチン注射を要請する。身分証で20代と在日かどうかを確認する。同時に自衛隊にも要請して、緊急臨床試験という事でワクチン注射してもらう。
そうだ忘れるところだった、お父さまは、原子力発電の緊急停止のできるスタッフも必要だと言っていた。考えれば当然だ。
しかし、イルミ組織は原発関係まで手配できるだろうか。まあ、もしダメなら御支配さまに言ってIS国経由で各原発職員に伝えてもらえば良い。日本の全ての原発にはIS国の職員が居ると聞いたから。

そう言えば15年ほど前の3,11では地震や津波の発生する数日前にIS国の職員が一斉に本国に帰ってしまい、人工地震と御支配さまの組織が関与していた事がバレてしまった。しかしすぐ日本のトップに圧力をかけ情報封鎖できて幸いだった。                        82
日本国民は優秀だと言っても、我々にとっては所詮ゴイムでしかない。1千万人以外は刈り取り対象だ、、、
それにしても暇だ。ラムと出かけるか、、、そうだ、お父さまに会いに行こう。あの家を出て以来一度も行っていない。家族の会話なら盗聴されても問題ない)
アダムは、すぐにラムを呼んで話した。ラムも喜んだ。

数ヶ月ぶりに来た家は、庭の紅白の梅の花が満開で、良い香りがした。
ラムは初めての梅の花の香りにうっとりしていたが、玄関を開けた母は「外は花が臭いから早く中に入りなさい」とタイ語でラムに言った。
タイ語の解る父は「母さんはこの匂いが嫌いじゃからのう、困ったもんじゃ」と言って、玄関を出てアダムを迎えた。
鯉の好きな兄は、庭の池に大きな鯉を飼い、嬉しくてたまらないようで、家に入る前のラムを連れて行った。                                                   
ボディガードたちが、色々な食材を庭に運んできた。アダムは「少し寒いですが、庭でバーベキューをします」と言った。
それから数時間、家族とボディガードでの楽しい宴会が催された。

満腹になり、少し酔ったアダムはノートパソコンを取り出して、父と翻訳ソフトを使った会話を始めた。
「東京はまだ寒いですね」
「そうじゃな、もう3月半ばじゃと言うのに寒いな。じゃが、もう2~3週間もすれば桜が咲く。もうすぐ春じゃ、、、イギリスには桜はないのか」
「あります、でもあまり人気はないです。イギリスでは春はあの花です」そう言ってアダムは庭のラッパ水仙を指差した。
「イギリス人はあの黄色い花が大好きです。あの花を見て春の訪れを感じます」
「ほう、やはり国が違うと、春を感じる花も違うようじゃな。母さんが梅の花の香りを嫌いじゃと言うのも仕方がないかも知れん、、、じゃがアダム、平和は世界中の人間が望んでいると思うんじゃがの」
「いえ、そうとも言えません」とアダムは珍しく父の言う事に反した。

「世界には戦争を望む者も居ます。戦争が起きれば、その人の会社の兵器が売れますから」
「ははは、確かにそうじゃ。で、お前の一族の配下には兵器製造会社もあるのか」
「あります。小さな会社を入れたら数え切れないほどですが、大きいところでは有名なロック―ド、マーチンド、ボーリング、これは軍用機やミサイル関係ですが、戦車等はホード、GN、エッセン等。兵器だけでなく薬剤会社もあります。代表的なモンセント社は1社だけで、世界の7割を生産しています。物凄い収益率です」
「ほう、そうかね、、、そしてその収益の何割かは、お前の父の組織に入るんじゃな」
「そうです。そうして財力を高め、やっと世界を支配できるほどの力を持ちました。何世代にも渡って受け継がれてきた我が一族の夢、人類の理想郷を作ると言う夢がもうすぐ叶います」
「人類の理想郷か、、、しかしそのために、71億人は殺されるんじゃな、、、」
「はい、しかしそれは仕方のないことです。76億人のための理想郷は作れません。5億人のための理想郷です。理想郷のために選ばれた5億人です。お父さまもその一員です。これからも色々教えてください。私が今一番知りたいのは理想郷のモデルとなる国です。お父さま、理想郷のモデルとなる国はどの国が良いでしょうか」

父はしばらく考えてから言った「理想郷のモデルとなる国、、、それは日本じゃろうの、江戸時代の日本じゃ。江戸時代の日本こそ、正に人類の理想郷と言って良い国じゃった。
噓だと思うならアダムも自分で調べて見れば良いが、                        83
江戸時代の日本こそ、平和で、国民の大多数の者が幸せだった国じゃろう。
牢屋はあっても数十年も、中に入る人がいなかったほど犯罪者も居ず、平和な楽園が270年も続いた。お陰で、元禄文化と言われるような数々の庶民文化が生まれた。
楽園とは言っても金持ちも居たし貧乏人も居た。じゃが、その頃の日本人には清貧と言うものがあった。金持ちは金持ちなりに、貧乏人は貧乏人なりに、助け合って幸せに暮らしていたんじゃ。正に楽園と言える国じゃった。しかしその楽園を壊したのは、お前の先祖たち白人じゃ。

当時の白人国家は、アフリカやアジアの国々を植民地にして、現地人を奴隷にして利益を本国に入れた。富の強奪じゃ。そうして白人国家は栄た。
当時の白人は、、、今もそうかも知れんが、白人至上主義と言うのがあった。その典型的なのが、選民思想で、白人は神に選ばれた人間、白人以外は人間ではないと言う考え方じゃ。
人間でないなら動物じゃ家畜と同じじゃ、殺そうと売り買いしょうと白人の勝手。そう言う考えじゃったから、白人以外の人間に対して残酷な事も平気でした。
当時の絵もあるが、遊びで現地人の腕を切り落とし、その数で勝敗を決めたり掛金を取り合ったりした。現地人の子供を頭から股まで真っ二つに切り離し犬に食わせたりした。
それで現地人が逃げて居なくなった村が増え、税を取り立てられなくなり困ったという記録が残っている。白人ほど惨い人間は居ない。

のう、アダムよ、よく覚えておくがええ。理想郷に最も相応しい人間は日本人じゃ。最も相応しくない人間は白人じゃ。
もしお前が、日本にも理想郷を作るなら、日本には日本人だけの理想郷にするんじゃ。そうしたら世界一、末永く繁栄する理想郷になるじゃろう。
じゃが白人が、、、特に、ユーヤ人が支払する理想郷を作っても、その理想郷は決して長続きせんじゃろう。やがて内輪もめが起き分裂する。過去のユーヤ人の歴史と同じようにな、、、
そう言う意味で考えたら、ユーヤ人は選ばれた民でなく、呪われた民かも知れん、、、
アダム、お前はラムと結婚してワシの息子になった。これを機に、いっその事、ユーヤ人を捨て日本人になったらどうじゃ。そうした方が、お前は幸せになれると思うぞ」

相変わらず、ずけずけと言いたい事を言うお父さま、しかし、言っている事に噓がなく反論できない。アダムは唇を噛みしめて黙って考えた。
(ユーヤ人は、選ばれた民でなく、呪われた民か、、、だから、過去数千年間、迫害され続けてきたのか、、、だが、今のユーヤ人は力を得た。世界を支配できるほどの巨大な力を、、、
何故そんな巨大な力を得る事が出来たのか、、、選ばれた民だからこそ、巨大な力を得る事が出来たのではないのか。この力こそ神が与えくださったものではないのか、、、
やはり、どう考えてもユーヤ人こそ選ばれた民だ。決して呪われた民ではない)
アダムは自信を持って言った。
「お父さま、ユーヤ人は決して呪われた民ではありません。ユーヤ人こそ本当に、神に選ばれた民です。だからこそ、世界を支配できるほどの力を神に与えられたのです」

父はわずかな時間、憐れむようにアダムを見続けた後で静かに言った。
「アダム、もしお前が神だったら、お前は、理想郷を作るためだと言って、71億人の何の罪もない人間を殺させるのか」
「それは理想郷を作るために必要な事です。人類を5億人にして、新人類として生まれ変わるためです。そうしないと、このまま人類が増えすぎると、人類は共食いして自滅することになるからです」
「ほう、人類は共食いして自滅する、、、」
「はい、共食いと言う言い方は合っていないかも知れませんが、このまま人類が増えすぎると、食糧が足りなくなり、奪い合いするようになり戦争になります。                     84
そして、負けた方は殺されるか餓死します。しかし負けた方の国が、もし核兵器を持っていたら必ず使うでしょう。
ひとたび核兵器を使えば、その報復のために相手国も使うでしょう。そして、核兵器の連鎖使用で全人類は絶滅してしまいます。人類だけでなく、他の多くの生き物も絶滅するでしょう。
そうなるくらいなら、5億人だけでも生き残るべきです。そして、争いのない、平和で自然と調和した新世界を創り出すのです。それが、神から与えられたユーヤ人の使命です」

「ほう、一応理にかなった考えのようにみえる、、、じゃがのアダム、人を殺せば罪人じゃ。71億人も殺したとしたら、その人間は悪魔としか言いようがないじゃろう。ユーヤ人は悪魔になるんか」
「、、、仕方がありません。71億人を殺す事は、理想郷を作るためにどうしても必要な事です。そのために、ユーヤ人は悪魔だと呼ばれても、、、私は構いません」
「、、、ならばラムと」その時、父の言葉を遮ってラムの声が聞こえた。
「お父さん、いつまでやっているのよ、風邪をひくわよ。さあ家の中に入りましょう」
会話をもっと続けていたかったが、父もアダムも仕方なく家の中に入っていった。
いつの間にか陽は傾き寒くなっていた。あのまま外に居続けていたら、ラムの言う通り風邪をひいていただろう。
会話は家の中でもできると父は思ったが、ラムが急に吐いてしまった。それを見て父もアダムも一瞬顔色を変えた。しかしアダムはすぐ喜びの表情に変わり、父は険しい表情になった。
ラムがホテルに帰りたいと言い、アダムはいそいそと支度して、ボディガードを引き連れて帰っていった。

アダムたちが帰った後、父は居間の椅子に座り、ガラス窓越しに外の梅の木を見た。風が出てきたようで、花をいっぱい付けた細長い枝が揺れていた。
父は思った(まるで今のワシの心のようじゃ)
父は、アダムとの会話の最後に言いかけた言葉を呟いた「ならばラムと別れろ。ラムに悪魔の子はいらん」
(じゃが、言わんで良かったのかも知れん、、、ラムめ、アダムの子を宿したか、、、)
父は、ラムの懐妊を喜んで良いものか複雑な気持ちだった。
(これから日本はどうなるんじゃろう、、、世界はどうなるんじゃろう、、、考えてもしょうがない、運命はなるようにしかならん、、、じゃが、、、ラムとアダム、そして、その子の行く末も見てみたい、、、
理想郷、、、か、、、そこに暮らすラムとアダムと子の姿を見てみたい、、、とも思う、、、だがそのためには71億人が死なねばならん、、、)不意に、父は立ち上がりトイレに行って吐いた。
(バーベキューを食べ過ぎたか、それとも何か悪い物でも食べたか、、、ラムが吐いたのも、、、)

ラムは、家で1度吐いただけだった。アダムはラムを病院へ連れていくべきか迷っていた。
(本当に妊娠したのだろうか、、、来月、生理がないなら病院に連れて行こう)
アダはそう考えて連れて行くのを止めた。
ホテルに帰ってきた頃から急に寒くなった。いつの間にか雨が降り出していた。部屋の窓から見下ろすと、傘を持っていない通行人が、寒そうに小走りに行きかっていた。

翌朝は雪が積もっていた。東京では珍しい積雪。当然、ラムはアダムを誘い雪遊びをするためにホテルの外に出た。ボディガードが2人ついてきた。
ホテルから歩いて5分ほどの所に小さな公園があった。公園の中にはまだ足跡はなかった。
ラムは公園の中に走り込み、故意にか偶然か、前に倒れた。そして、動かなくなった。
ボディガードの1人が走りかけたが止めてアダムを見た。アダムが近づくと、ラムは仰向けになり雪の玉を投げつけた。ボディガードの想像通りの行動だ。
アダムとラムは雪遊びを楽しんだ。                                   85
しかしアダムはラムの身体が心配だっが、ラムはアダムが心配しているとは夢にも思わず、無邪気に遊びまわった。

雪の後は晴天になると聞いていたが、本当に晴天になり、時間とともに暖かくなってきた。雪遊びに疲れたアダムとラムは公園内のベンチに座った。
少し経って若い女性が、乳母車を押して二人の前を通り、隣のベンチに座った。
乳母車の中の子が可愛くてラムは日本語で話しかけた。
「可愛い、何歳ですか」
「まだ8ヶ月です。でも上に小学校1年生と幼稚園の子が居ます」
「へえ、お子さん3人、、、幸せそう」
「でも、3人居ると子育てが大変ですよ。夫は仕事が忙しくて構ってくれないので、全部一人でやらないといけないし。
上の2人が学校に行っている間はまだこうしてのんびりできますが、帰ってきたらもう大変、いたずら盛りで目も離せません」と言いながらも女性は幸せそうだった。
アダムは二人の会話はわからなかったが、乳母車の中の子に見とれていた。
(ラムもこのような可愛い子を産むのだろうか)アダムは、自分とラムの子の顔を想像した。

アダムは、ふとボディガードの事を思った。
(こうしている間も二人は周りを警戒しているんだな。そろそろホテルに帰ろう)
アダムは、ラムに「ホテルに帰ろう」と言って立ち上がった。ちょうどそこへ二人のスーツ姿の男が近づいて来た。ボディガードはすぐさまアダムとラムの前に立ちはだかり身構えた。
二人のボディガードに気づいたスーツ姿の一人の男が「アダム、ロスマイルドさんですね、私は警視庁公安部第三課課長山崎守と申します。少し御話を伺いたいのですが」と警察手帳を見せながら流暢な英語で言った。ボディガードは警戒しながらも身を引いた。
アダムは(何故、警察が?)と思いながら「わかりました、ではホテルのロビーに」と言って歩き始めた。ラムも後に続いた。

ロビーのソファーにアダムとラムが並んで座ると、山崎とスーツ姿の男はテーブルを隔てたソファーに並んで座った。山崎は、名刺を取り出しテーブル越しにアダムに渡してから言った。
「数週間前にR国でウイルステロがあった事をご存知でしょうか。とても致死率の高いウイルスです。そのウイルスがもし日本で使われたら大変な事になります。
我々は何としてでも、そのようなテロが起きないようにしなければなりません。ウイルステロについて何か知っている事がありましたら教えてください」
「ウイルステロですか?、、、私は何も知りません」とアダムは思ったままに言った。
山崎は、アダムの本心を見極めようとその時の動作を注視していたが、噓は言ってないと見て取った。山崎は、次の質問を言い出せず、話題を変えた。

「数日前に、家にお邪魔してお義父さんに会って来ました。お義父さん博識な方ですね、NWOの最終政策についてもご存知でした。NWOの最終政策についてはアダムさんもご存知ですよね」
「NWOの最終政策、、、何ですかそれ」
「えっ、アダムさんはNWOの最終政策をご存知ない」山崎は、その後「噓でしょ」と言いたかったが、それを抑えて「ああ、そうでしたか。ロスマイルド家の御曹司ともなれば、そのような下賤の噂話は知らないのですね。困りましたな、NWOの最終政策について色々お教えいただければと思い出向いて来たのですが」と皮肉たっぷりに言った。
しかしアダムは全く相手にせず「それはお気の毒さまですが、私は知らない事については何も話せません。お引き取りください」と言ってラムを促し立ち上がった。                 86
アダムとラムが山崎の横を通り過ぎようとした時、もう一人のスーツ姿の男が素早く立ってラムの手を取り日本語で言った。
「ラムさん、日本国民の存続のため、どうぞ御協力ください」言い終わると手を放し、その手でラムのジャケットの襟に触れた。ラムは困ったように男を見てから視線をアダムに移した。アダムは顎で「行こう」と示し歩き出した。ラムは急いで後に続いた。
アダムとラムが去るのを目で追ってから山崎は男を見た。男は「OKです」と小声で言った。

アダムとラムは部屋の前でジャケットを脱ぎボディガードに渡した。ボディガードは丹念に調べてラムの襟にくっついていた綿埃のような盗聴器を外してアダムとラムに見せた。アダムは無表情のままで、ラムは驚いた顔でジャケットを受け取り部屋に入った。
その夜から、別のスーツ姿の男がアダムとラムの隣の部屋に入ったが、盗聴器の受信機からは雑音しか聞こえなかった。一夜明かしたスーツ姿の男は盗聴器が故障したか、外されたのだと悟った。
翌日、アダムとラムが出かけたのを見計らってから、男は、浴室の天井パネルを外して天井裏に上がり、アダムとラムの部屋の天井中央部に高性能集音器を取り付けた。
アダムとラムが帰ってくると男は受信機のスイッチを入れイヤホンを耳に付けた。アダムとラムの会話が聞こえると男は満足そうに顔をほころばせた。


ロベルト,ロスマイルドはA国での激務を終えてロンドンの豪邸に帰ってきていた。
愛用の椅子に座って足をデスクの上に乗せ、久しぶりにくつろいでいた。その姿勢のままロベルトは、指2本を立てて近くに立っていた黒ずくめの男に見せた。
男は一礼して隣室に行き、すぐに高級ワインの入ったグラスを持って来てロベルトに手渡した。
黒ずくめの男たちは数年前から、ロベルトが口で言わなくても動作を見ただけで、ロベルトの考えを理解するようになっていたのだ。
ロベルトは、黒ずくめの男の素早い対応に満足し、ゆっくりとワインを口に運んだ。

計画は何もかも順調だった。5億人分のワクチンも来月半ばには完成する。出来次第各国の配下の者に送る事になっている。ワクチン接種は1ヵ月も経たないで終わるだろう。そして6の数字が三つ揃う日に全世界一斉にウイルスの空中散布を開始する。
(低温地帯の責任者は氷点下18度では、上手く空中散布できなかったと言ったそうだが、6月なら世界の主だった都市はどこも氷点下はない。空中散布は何の支障もないだろう。
その後の死体処理が大変だろうが、それはゴイムにやらせれば良い。死体処理が終われば、いよいよ理想郷建設、、、どのような理想郷にするかは配下の責任者に任せてあるが、さてさて、どのような物ができるか楽しみだ、、、やっと夢がかなう、、、ストロングが生きていれば、、、)
ロベルトは、何万回、何億回、心の中で思った事を、今もまた思わずにいられなかった。
(、、、ストロングが生きていれば、、、だがストロング、お前の息子には日本を任せているぞ。お前の生まれ故郷の日本をな)

黒ずくめの男が「御支配さま、ロビンさまから緊急電話です」と言って携帯電話を手渡した。
ロベルトは、携帯電話を耳に当てた。
「御支配さま、IS国で肺炭疽患者が続出している。生物兵器が使用された可能性大との連絡がありました。」
「なに、肺炭疽、しかも生物兵器だと」
「はい、それで御支配さま、来月のIS国ご訪問予定を御取り止めされては、と思いまして」
「う~む、、、1週間、様子を見よう。続けて情報収集を頼む」
「わかりました」                                                87
ロベルトは、携帯電話をデスクの上に置き腕を組んで考え込んだ。
(肺炭疽か、、、あの辺りは炭疽菌自然発生はなかったはず。生物兵器使用か、しかし、どこの国が、何のために、、、)

翌日、A国の配下の者から電話があった。
市民の3分の1がユーヤ人と言うニューロックエンド市で肺炭疽が流行っている、既に数名の死者が出た。この地域も炭疽菌自然発生は考えられず、誰かが故意に空中散布したものだろう、と言う内容だった。
ロベルトは、二日続けて肺炭疽の連絡があった事に驚き、考え込んだ。
(IS国もニューロックエンド市もユーヤ人の多い地域、、、ユーヤ人に対するテロか、、、となると犯人はパレス人もしくはイーラム教徒、、、ふん、どちらも低俗なゴイムか。まあ良い。後2ヶ月半の命だ。2ヶ月半後、皆殺しにしてやる)
ロベルトは「早急に犯人を特定しろ」と言ったが、報復の指示は出さなかった。


「IS国で数千人、A国で数百人が肺炭疽に感染し、その約半数が死亡するだろう」と言う報告書を読んだが、プーロン大統領は不満だった。SH島とウラジオスで65万人を殺された事を思えば、感染者、数千人では、片手落ちの報復としか言えなかった。
(もっと致死率の高い生物兵器はないのか)
プーロン大統領は考え、そして迷っていた。
敵が使ったエボラの遺伝子組み換えウイルスは培養に成功していた。しかも鶏卵の微細粉末に付着させ空中散布も可能になっていた。しかし、ワクチンがなかった。ワクチンだけでなく、治療薬もなかった。もし、一人でも感染し、二次感染が起きればウラジオスの二の舞いになりかねない。
弾道ミサイルで打ち込む事は出来るが、人工衛星ですぐに発射元がバレてしまう。
(二次感染が起きない炭疽菌では数十万人の感染者は無理だ、、、やはり敵が使ったウイルスで攻撃した方が良い。しかし、どうやって、、、)プーロン大統領は考え続けた。そして、一つの恐ろしい方法を考えつき、腹心のボルトフスキーに相談した。

プーロン大統領の話を聞いた後、ボルトフスキーはしばらく考えてから言った。
「閣下の言われました、トリョーシカ人形にウイルスを入れて、相手国に運ぶと言うウイルス拡散方法は素晴らしいです。しかし、外国に空中散布すればウラジオス同様、爆発的感染が予想され、我が国にまで感染が広がる恐れがあります。ワクチンも治療方法もない現時点では危険過ぎます。ワクチンの完成を待ちましょう」
プーロン大統領は悔しそうに言った「う~む、、、わかった。ワクチン開発を急げ」


彼岸を過ぎて東京はやっと暖かい日が多くなってきた。特に今日は暖かくて、1週間前に雪が降った事が信じられないような陽気だった。
父は、家の庭の椅子に座って、上半身裸になり日光浴をしていた。そこへ山崎が一人で現れた。
「佐々木さん、気持ち良さそうですね」
「ん、おお、山崎さんか、今日は暖かいんで、身体の虫干ししているところじゃ。あんたも一緒にどうじゃ、気持ちがええぞ」
「ははは、虫干しとは面白い表現です。しかし、私はまだ身体に虫はいませんので、このままで」
そう言って山崎は、父の向かいの椅子に座った。そして、すぐに本題に入った。

「この間アダム夫妻にお会いしました。しかし、何も話していただけませんでした。       88
NWOの最終政策についても聞きましたが、当事者であることは確実であるにも関わらず『知らない』と言うだけでした。いっその事、破防法を適用して逮捕するかと考えましたが、その前にもう一度、佐々木さんの御話を伺いたいと思い来ました」
「ほう、破防法を、、、確かに、多くの人を殺そうと計画しているんじゃから破防法を適用できるじゃろう。しかし、アダム一人を逮捕しても奴らは計画を実行するじゃろうのう、、、それとも、アダムを逮捕し人質として奴らと取引するかじゃが、奴らが取引に応じるじゃろうか。ワシには分からん、、、
じゃが、もしアダムを人質にしたら、奴らは多くの日本人を捕まえて人質にするじゃろう。
それとも、もしかしたら国内の原発を爆破されるかも知れん」

「原発を爆破、、、ですか?、そんなことができるのですか」
「日本の全ての原発の安全管理システムがIS国の企業に独占されていることは山崎さんも知っているじゃろうが」
山崎は、驚いたような表情で顔を振った。
「なんじゃ知らんかったんか。ワシはネット検索して読んだ事がある。日本政府は一応反対したようじゃが、IS国の後ろにはA国がついており、要求を飲まされたようじゃ。
もう20年も前から日本の原発の安全管理システムはIS国の企業がやっているのよ。しかも本国に居ながらカメラで監視し遠隔操作しておる。そればかりではない、原発の心臓部、原子炉を爆破させる装置も密かに取り付けられているそうじゃ。

もし日本がIS国やA国の言う事を聞かんかったら、いつでも本国からの操作で爆発させれるようにとな。しかもそれが、トランクに入るくらいの小型核爆弾じゃそうな。
2011年の3月12日だったか13日だったかの福一原発の爆発は、一基は水蒸気爆発でももう一基は核爆発じゃったそうじゃ。動画を見たら素人でも分かるが、その核爆発はIS国の仕業じゃったらしい。しかも、当時の総理大臣がIS国の首相だったかに脅迫されたとの動画もあった。
どこまでが本当の話しかは分からんが、世界の現状を知れば、このような事が事実であっても全然不思議ではない。ワシはこの事は本当じゃろうと思っておる。
そしてこのIS国やA国を陰で操っているのが奴らじゃ。その奴らの息子を逮捕して人質にすればさて、どうなるんじゃろうかのう」

ここまでの話を聞いて山崎は、唇を噛みしめて黙った。
北方領土等を監視する外事課から2ヶ月前に配属されたとは言え、日本の原発の安全管理システムがIS国の企業に独占されていた事さえ知らなかった自分を恥じた。アダムを逮捕すればそれで片付くような問題ではない事を改めて痛感した。
山崎が黙っているので、父はまた話し始めた。
「前にも言うたが、ワシはもう奴らを阻止することはできんじゃろと思っておる。これが日本人の、いや、人類の運命なんじゃとな。しかし、ワシはもう老いているから良いが、若い人は可哀そうじゃ。若い人だけでも生き残って欲しいもんじゃ。何か良い方法はないものかのう」
父にそう聞かれても簡単に答えられる自分ではない事を山崎は悟った。退散するしかなかった。
山崎は、力なく立ち上がり一礼して言った「今日はこれで失礼します」
山崎が帰った後、父は今も裸だった事に気づいたが、寒さを感じなかった事にも気づいた。
(本当に春が来たようじゃ、、、最後の春じゃ、存分に楽しもう)

桜が咲いた。ラムはアダムに言った。
「ねえアダム、花見に行きましょうよ。お父さんやお母さんも一緒に。夜桜を見て、少しお酒を飲んで。私は小学校6年生の時、家族4人で松山道後の公園で花見したの。とても楽しかったわ」
「花見、、、」                                                  89
アダムは、花見について聞いたことはあったが、経験したことはなかった。
まだワクチンは届いていないし、暇でもあったのでボディガードと相談した。するとボディガードに「アダム夫妻と両親兄弟5人を、4人のボディガードでは警護しきれない。あと2人必要です」と言われたので、イルミ組織に応援を求めた。
組織長黒田は快諾し、2人のボディガードを付けてくれた。

大混雑の週末を避け、平日の午後7時に上野恩賜公園で待ち合わせした。
アダムとラムは4人のボディガードとホテルからタクシー2台で来た。
両親と兄は家から、イルミ組織の後部窓なし車で2人のボディガードと一緒に来た。
イルミ組織のボディガードの一人が事前に場所取りをしてくれていたので、絶好の場所にシートを敷き、人数分の花見弁当を開いた。
しかし、アダムとラムは弁当など眼中になく、夜桜に見とれていた。
二人は、満開の桜を、赤いボンボリがほのかに照らす幻想的な雰囲気に魅了されていた。

平日にも関わらず1時間も経つと凄い人出で場所も埋まってしまった。
隣の花見客が、アダムたちの余裕のあるスペースを見て「そちらの空いている所に座って良いか」と言い、アダムがOKと言うやいなや数人の男がなだれ込んで来た。
すると、反対側の男たちも断りもなく空いているシートの上に来て座った。
これもまた花見の些細な出来事と、アダムは苦笑しながらも静観していた。
しかし、6人のボディガードは緊張感が激増していた。
いつの間にかアダムたち5人が、十数人の見知らぬ男たちに囲まれているような格好になっていたのだ。6人のボディガードはアダムたちと男たちの間に割り込んで行った。そして、立ったままで周りを警戒した。
花見客はみな、座って飲み食いしている所に6人の屈強な男が、花見客に似つかわしない服装で立っている。一見異様な光景ではあったが、アダムたちは気にも留めず花見を楽しんていた。

だが、他の花見客にとっては、突っ立っているボディガードは目ざわりだった。
若いあんちゃんが、白人ボディガードの手を引きながら「座れよ、おら、目ざわりだよ」と言った。ボディガードは、あんちゃんの手をねじ上げた。
「痛てててて、何しやがる」
ボディガードはすぐに手を放したが、あんちゃんは食って掛かった。
「おう、何しやがる。なんだお前は、突っ立っていたら目ざわりだ、座れって言ってんだよ」
あんちゃんの仲間数人も立ち上がってボディガードを取り囲んだ。
それを見てイルミ組織のボディガードが間に入って言った。
「我々は、要人のボディガードです。座ってでは警護できませんので、立っております。目ざわりかも知れませんが、ご了承ください。もし、騒がれるなら公務執行妨害で逮捕します」
あんちゃんたちは顔を見合わせて色を変え、コソコソと離れて行った。

それを見ていたアダムは、ボディガードに申し訳ないと思い、早めに切り上げる事にした。
ラムに「早く弁当を食べて帰ろう」と言い、ラムは両親たちにも伝えた。
それから10分ほどで、アダムたちは立ち上がり後片付けをして、6人のボディガードに囲まれるようにして去った。その様子を見て、あんちゃんたちの顔から緊張の表情が消えた。
と思ったら、さっきの白人ボディガードが急に現れ、無言のまま高級ウイスキーを一箱、青ざめ凍り付いているあんちゃんに押しつけて日本人のように一礼して去った。
一瞬、周りの多くの花見客が静まり返った後、拍手と歓声が上がった。
タクシーを待ちながら、遠くからそれを見ていたアダムとラムは、顔を見合わせて微笑んだ。  90
人前を気にする事なくアダムはラムを抱きしめて言った。
「ラム、良い提案だった、、、君は笑顔発生装置だ、素晴らしい女性だ」

その頃、不忍通りを走っていたイルミ組織の車は軽乗用車と正面衝突していた。
片側二車線の中央側を走っていたイルミ組織の車の30メートルほど先で、対向車線を走っていた軽乗用車が急にイルミ組織の車側に飛び出してきたのだ。
レーサー並みの運転テクニックを修得していたイルミ組織の運転手も避け切れなかった。
イルミ組織の車側は、後部座席のシートベルトを着用していなかった両親が、打撲傷程度だったが、軽乗用車の若い夫婦は、エアーバッグなしの上にシートベルトもしていず重傷。婦人が抱いていたと思われる1~2歳の女の子は意識不明の重体だった。
若い夫婦と女の子と、ラムの両親は、すぐに救急車で搬送され、病院に着くとすぐ、若い夫婦と女の子は集中治療室に入れられ、両親は、打撲傷の治療を受け、その夜に帰っても良いような状態だったが、頭を打っているかも知れないので翌朝までとどまるように、と言われた。

翌日、両親が家に帰った後、若い夫婦は警察の事情聴取を受けた。
妻の供述では「夫が、いきなりハンドルを切った」と言うだけだったが、夫は「3人で死にたかった。大きい対向車が来たら、ぶつけるつもりでハンドルを切った。3人ともこのまま死なせて欲しい」と言って涙を流した。
軽乗用車に急ブレーキの跡が無かった事も含め、警察は事故の原因を、夫の心中未遂と断定した。
夫が心中しょうとした動機について妻は「些細な事で同僚と喧嘩になり、同僚に怪我を負わせ、会社を首になった上に、同僚の治療費や車のローン返済などの出費で生活費もなくなった。
実家にお金を借りに行ったが断られ、夫は精神的に疲れいるようだった」と言った。

数日後、家の両親の元へアダムとラムが見舞いに来た。両親の打撲傷は、ほぼ治っていた。
ラムを通して両親の話を聞いていたアダムは、両親よりもむしろ相手側の夫婦と子を心配していた。
特に、心中目的で事故を起こした事に衝撃を受けていた。
(20歳代半ばで、しかも可愛い娘も居る夫婦が何故、死のうとするのか、、、日本は若い人の自殺率が高いとは聞いていたが、、、
20歳代は理想郷に必要な人材。自殺未遂に至った経緯等を知っておくのも何かの役に立つだろう)そう思いアダムは父に聞いた。
「お父さま、怪我は治りましたか」
「もう大丈夫じゃ。見舞いに来てくれて、ありがとう」
「軽乗用車のご夫婦と娘さんの容態はどうでしょうか」
「さあな、病院から帰って来て以来何も聞いておらんで、ワシは分からん。イルミ組織の運転手に聞いたらええ。昨日見舞いに行ったそうじゃ」

アダムは、家を去った後、わざわざ運転手に会いに行ってラムを通して話を聞いた。
運転手は(関係ないアダムが何故、若い夫婦の事を聞くのだろう)と怪訝に思ったが、見舞いに行って聞いた事を話した。
「旦那さんは3ヶ月、奥さんは3ヶ月半の入院だそうです。娘さんは、打ち所が悪かったのか、5日経ってもまだ意識不明のままだそうで、意識が回復しても障害が出る可能性があるとのことでした。こちら側が急ブレーキをかけて速度を落としていても、時速60キロでぶつかって来て、しかもシートベルトもエアーバッグも無しでは命が助かったのが不思議なくらいですよ。
しかし、命は助かっても今後どうするんでしょうかねえ。自殺目的で故意に事故を起こした場合、保険が適用されるかどうか、、、病院の費用も親子3人分では相当な額でしょうし、、、     91
身内の方は、絶縁状態で見舞いにも来ないそうです。
病院の人は、『怪我が治れば自殺するのではないか』と心配しているようです。
全く、悪い時には悪い事が重なるもんだ、とは正にあの夫婦の事でしょう。本当にお気の毒です」

運転手の話を聞いた後、帰りのタクシーの中でアダムはラムに言った。
「ラム、あの夫婦を助けたい、どうすれば良いだろう」
ラムは驚いて言った「えっ、あの夫婦を助ける、、、でも、私たちには何の関係もない人よ」
「そう、何の関係もない、、、でも、何とかしてあげたい。あまりにも不幸すぎる、可哀そうだよ」
ラムはアダムの顔をまじまじと見つめながら思った。
(アダム、どうしたのだろう。世の中には不幸な人がいっぱい居て、金持ちのアダムさえその気になれば、多くの人を助けられるのは分かりきっていながらも、今までは全くそうしょうとしなかった。
そんなアダムが、あの夫婦は助けたいと言う。これも、お金持ちの気まぐれかしら、、、でも良いわ)
ラムは訳ないふうに言った「女の子はどうなるか分からないけど、ご夫婦はお金さえあれば助けられると思うわ。アダムが十分なお金をあげれば良いわ」

アダムは即座に言った「わかった、そうする。1億円あれば足りるかな」
ラムは吹き出してから言った。
「まさか、そんなには要らないでしょう。1千万円で十分でしょう。でも、どういう理由であげるの。以前お父さんも言ったでしょう。日本人は謂れのないお金は受け取らないって」
「え、日本人はお金をいただくのも理由が要るの、、、」と言いながらもアダムは、以前、父が言った言葉を思い出していた。
(日本人って不思議だな、、、どこの国の人だってお金を貰ったら喜ぶし、額が少ないと不平を言う人さえ居る。それなのに日本人は、、、でも、私はそんな日本人が好きだ、、、でも困ったな。本当にどんな理由でお金をあげたら良いんだろう)
アダムは考え込んだ。しかし名案は思い浮かばなかった。タクシーはホテルに着いた。部屋に行く途中でアダムは(そうだ、お父さまに聞いてみよう)と思った。

その夜、アダムは翻訳ソフトを使ってラインで父と話した。
「お父さま教えてください。あの若い夫婦を助けたいです。お金をあげたいのですが、どんな理由であげたら良いでしょうか」
「お金をあげたい、、、ふむ、なんでまた、、、アダムには何の関係もない人間じゃろうが」
「はい、今は何の関係もない人ですが、いずれ理想郷を造る同志になります。放っておけません」
「、、、ふむ、まあ、お前がそういうならワシが反対する理由もないが、、、で、幾らあげるつもりじゃ」
「1千万円です、多過ぎますか」
「いや、それぐらいで良いじゃろう。子どもがどうなるか分からんからの。身体障害者にでもなればそれでも足りなくなるかも知れん、、、じゃが、どういう名目で渡すかじゃな、、、じゃが渡す前に、相手の境遇を調べた方が良いのじゃないか。もしかして金持ちのドラ息子、あ、いや、お前のことじゃないが、、、実家が金持ちじゃったら助ける必要はないじゃろ。先ず、身内について調べてみたらどうじゃ」
「それもそうですね、では探偵を雇いましょうか」
「探偵か、、、懐かしいのう、ワシは若い頃、あ、いや、そうじゃのう探偵を雇えば良い」
「え、もしかして、お父さまは若い頃、探偵だったのですか?」
「いや、何でもない、じゃあラインを切るぞ」父は慌ててラインを切った。
父の過去に興味を持っていたアダムは、後でラムに聞いてみた「お父さまは若い頃、探偵だったの」ラムは首を傾げ、少し考えてから言った「お父さんは47歳の時、お母さんと結婚したそうなの。でも、それ以前の事は何も話してくれないので分からないわ」                   92
「ふうん、、、お父さまの若い頃は謎か、、、」

1週間後の探偵からの報告書『夫、下田二郎(25歳)都内00高校卒業。
二郎の父、下田源次郎は、熱海のヤクザ。二郎が7歳の時、ヤクザ同士の抗争で殺人、現在終身刑で服役中。
二郎の母、和枝は源次郎入獄時に離婚。実家の銀座高級日本料理店で、長男と二郎を育てる。
長男と二郎は、同店の板前として働くも、兄弟仲が悪く、二郎は20歳でサラリーマンに転職。
23歳で明日香と結婚した。結婚5ヵ月後、長女ゆかり誕生。
昨年12月、酒席で同僚と喧嘩、上腕骨骨折、鎖骨骨折を負わせ3ヶ月服役、会社解雇、実家から絶縁される。3月20日、仮保釈後も元同僚からの高額治療費請求に苦しむ。
妻、明日香(24歳) 都内00高校卒業 。
明日香の父、浜田博は都内のサラリーマン。明日香の母、幸恵は専業主婦。一人娘の明日香と二郎の結婚に夫婦で猛反対。明日香は駆け落ち同然で二郎と結婚したため、現在も疎遠』

報告書を読んでアダムは「う~む、、、3月20日、仮保釈という事は、保釈後まだ1ヵ月も経っていないのか、、、それで故意に交通事故を起こした、、、」と呟き考え込んだ。
(父はヤクザ、、、本人も同僚に骨折を負わせた、、、理想郷建設に犯罪者は要らない、、、でもまあ、一応お父さまにこれを読んでいただこう)
アダムは、日本語の報告書をメールで送った。30分ほど経って父から返信メールが届いた。
『ヤクザの倅か、、、血筋は争えんようじゃな。じゃが、妻の方は普通の娘のようじゃ。妻と子だけでも助けてやればええじゃろう』
父からの返信メールを読んでアダムは、父の意見通りにしょうと思ったが、お金の渡し方については書かれていづ、もう一度「どうやって、お金を渡しましょうか」とメールを送った。
すぐに返信メールが来た「ワシがあしながおじさんになろう。金持ちの身寄りのない年寄りと言う設定で、財産を処分して金があり、若くて不幸な人に寄付しょうと探しておったところじゃ、と言う事で近づこう。妻の方へ見舞いに行き、もっと話を聞いた後、頃合いを見て見合った額を渡そう」
アダムは賛同した。同時に、父の聡明さに改めて瞠目した。

翌日、父は、イルミ組織のボディガード1人と病院へ行った。先ず、担当医師に容態を聞いた。
娘はまだ意識不明のままで、恐らくダメだろう。命は助かったとしても重い障害がある可能性が高いと言う事だった。
夫は、事故時ハンドルに衝突したようで、胸骨骨折ほか顔面裂傷等だが、頑健な身体のようで、既に回復に向かっていて驚いている。
しかし妻の方は、子どもと共にフロントガラスに顔面から衝突したようで、額から右眼にかけて裂傷。右眼失明、鎖骨骨折ほか裂傷多数。脳障害がないのが不思議だとの事だった。
容態を聞いた後、父は医師に言った。
「ワシは、あの女子の遠縁の者じゃ、医療費は全額負担する。最善を尽くしてもらいたい」

その後、父は明日香に面会した。明日香は頭を包帯でぐるぐる巻きにされ、頭頂部から右頬にかけても包帯で覆われていた。身体のいたるところにも包帯が巻かれていたが、不幸中の幸いか、左眼と口は無傷のようで、話はできるようだった。
父は、明日香が寝ているベッドの左側に丸椅子を運び、座りながら言った。
「明日香、大変な目にあったようじゃな。容態はどうじゃ、今も痛むか」
明日香は首が動かせないのか、左眼だけ動かせて父を見て言った「どなたですか」
「ははは、ワシを分からんのも無理はない。ワシは、お前の父、博の従兄弟でな、お前が小さい時は何度か会ったが、その後、ワシは、海外で暮らしておったので会えんかった。        93
向こうで妻が死んで独り身になると、日本が恋しゅうなり帰ってきた。
お前に会いたくて博に電話したら、この間、警察から交通事故で入院していると聞かされたと言う。
ワシが何で見舞いに行かんのじゃと聞いたら、明日香は勘当した。親の言う事を聞かずに、ろくでもないヤクザ男と結婚して、罰が当たったんだ、放っておけば良い、などという。
ワシは、お前それでも親か、と怒鳴りつけてやった。じゃが明日香、何も心配せんでええ、ワシがついておる。ワシは、こんな老い耄れじゃが、金だけはいっぱい持っておる。
病院の治療費や、他なんでも金が要る時はワシに言え、ワシがいくらでも出してやる。
今は、早く身体が治ることだけを考えて養生すればええ」
明日香は泣き声で言った「ありがとうございます、、、」
父は静かに立ち上がりながら言った。
「明日また来る。何か欲しい物はないか?」
「何もありません」と微かな声が聞こえた。父は病室を出ていった。

翌日も、父は明日香に会いに行った。
父がベッド横の椅子に座るとすぐ明日香は「娘と夫はどんな容態ですか」と聞いた。
父は(看護師に聞いて知っているはずじゃが、何故ワシに聞くのか)と訝しく思ったが、医師に聞いたままに話した。
すると、明日香は「夫にも会ってください。そして、元気づけてやつってください。お金の事も、とても心配しているでしょうから」と言った。
「わかった、この後、会ってみる」と父は言ったが、内心(夫には、あまり会いたくない)と思った。
その時、看護師が来て、明日香に娘が亡くなったと言った。聞くやいなや明日香は横を向き、肩を震わせて泣いた。看護師は静かに病室から出て行った。
父も立ち上がり「明日また来る」と言うと、明日香は「叔父様、帰らないでください。話を聞いてください」と言った。
父が座ると明日香は、泣き声だが激昂した声で「あの子を殺したのは私です。私があの子を殺したのです、、、車が衝突する直前に、私はあの子を抱き上げたんです。それであの子はフロントガラスに、、、でも私は、あの子の身体で守られて、、、」と言い激しく泣いた。
父は、衝突時の状況を想像してみた。
(恐らく明日香は咄嗟に子を守ろうとして抱き上げたのじゃろう。だがその結果、無情にも子はフロントガラスに激突、続いて明日香も、だが、子がエアーバッグのように明日香を守ったのじゃろう)
「、、、明日香、、、あの子が死んだのは、お前のせいではない。事故だったんじゃよ。突発的な出来事だったんじゃ、お前が悪いんじゃない。自分を責めるな、仕方のない出来事だったんじゃ」
なおも泣き止まぬ明日香をそのままにして、父は病室を出た。少し考えてから夫の病室へ行った。

夫、下田も、目と口以外は包帯で隠されていた。父がベッド脇に行くと訝しげにに見上げた。
「明日香の遠い親戚じゃ。明日香に、お前を元気づけるように言われたんじゃ。それと、治療費などの金は、ワシが支払うから安心せい、、、子はご愁傷様じゃった、、、じゃが、お前と明日香はまだ若い。まだまだやり直しができる。一から出直すつもりで頑張れ」
それだけ言うと、父は出て行こうとし、下田に呼び止められた。
「ありがとうございます。せめて、お名前を」
「名乗るほどの者ではない、、、礼を言うなら、アダム、ロスマイルドに言うがええ」
そう言って父は病室を出た。

家に帰ると父は、病院での事をアダムにメールした。その後、居間の長椅子に横になった。
(僅かな外出でも疲れを感じる、、、老いたものよ、、、)父は、いつの間にか眠っていた。
ふと目が覚めると父は、のろのろと起き上がり窓の外を見た。遠くのビルの谷間に夕陽が隠れようとしていた。                                                  94
(また、ありふれた夜がやって来る)そう思った時、玄関の呼び鈴が鳴り、続いて「ミスター佐々木」と言う声が聞こえた。
父が玄関に行くと、アダムのボディガードの一人が紙包みを父に手渡した。
父が開けて見ると、現金1千万円が入っていた。父が納得したのを見て、ボディガードは一礼して玄関の戸を開けた。父はボディガードの背に「Thank you」と言った。ボディガードはさっさと帰って行った。
父は1千万円が入った紙包みを、自分の寝室のデスクの引き出しに無造作に放り込んで閉めた。

3日後、父はまた見舞いに行った。予想通り明日香は落ち着いていた。父は静かに言った。
「明日香、容態はどうじゃ」
「あ、叔父様、、、まだ身体のいたるところが痛いです。でも以前よりかは楽になりました」
「ほう、それは良かった、、、もう何でも食べれるんじゃろ。果物を持ってきた。皮をむいてやろうか」
「ありがとうございます。でも今は何も食べたくありません、、、叔父様、葬式の事を教えてください。娘の葬式をどうしたら良いのか分からないんです。夫も私も参列もできません。かと言って葬式さえしてやらないと娘が可哀そうで、、、」明日香はまた泣き声になった。
(無理もない事じゃ。最愛の娘を亡くしたんじゃからの、、、葬式か、、)父は少し考えてから言った。
「荼毘には付したんじゃろう、お遺骨はどうした」
「荼毘?」
「火葬の事じゃ、霊安室には長く置いておけんじゃろうから火葬にはしてあるんじゃろう」
「はい、、、娘が亡くなってしばらくして看護婦さんが来られて『火葬します』って言ってましたから、、、たぶん、、、遺骨は夫が持っていると思います」
「死体火葬許可申請書や死亡届は済ませてあるんじゃろうな」
「夫がやっていると思いますが、、、良くわかりません、、、」
「分かった、これから夫の方へ行って確認しておく、、、葬式は二人が元気になってからすれば良いじゃろう。それまで、御遺骨をどうするかも夫に聞いておく」

そう言ってから父は明日香の病室を出て、別棟の下田の病室に行った。
ドアを明けると下田は寝ていたので、ドアを閉めようとした時、ベッド脇の小さなテーブルに遺骨が置いてあるのが見えた。そこにある事を確認して父はドアを閉めた。
父はそのまま担当医師に会いに行き話を聞いた。
医師の話では「死体火葬許可申請書と死亡届は仕方なく病院の方で代理提出したが、遺骨は病室には置いておけない。しかし、夫婦共々、実家とは疎遠で預かってくれないそうで困っている。夫婦のどちらかが退院するまで貴方の家に預かってもらえないか」と言う。
他人の遺骨を預かると言うのも乗り気はしなかったが、成り行き上仕方なく父は承諾した。
遺骨を持って父はまた明日香の病室に入り、いきさつを話した。
明日香は、寝たまま包帯だらけの手を合わせ遺骨を拝み「ありがとうございます。よろしくお願いします」と言って涙を流した。父は遺骨を抱いて家に帰った。

翌日、父がまた見舞いに行くと、明日香は1枚の写真を見ていた。父は黙ってベッド脇の椅子に座った。明日香がため息混じりに呟いた「また今年も行けなかった」
明日香の呟きを聞いて父は怪訝そうに聞いた「どうした、どこに行けなかったって」
「あ、叔父様、、、娘の友達だった女の子の遠足です。昨夜、電話があったのですが、私がこんな状態ですので一緒に行かれない、、、2年、続けて約束を破ったから可哀そうで、、、」
「、、、女の子の遠足?」
「ええ、身寄りのない女の子で施設から幼稚園に通っているのですが、その幼稚園の遠足には付き添いの保護者が居ないと遠足に行かれないんです、、、                     95
今年は絶対に一緒に行こうって約束してたのですが、、、」そう言って明日香は父に写真を見せた。
父は、しばらく写真を見続けてから言った「遠足はいつかね、、何ならワシが一緒に行っても良い」「本当ですか?、今度の土曜日、明後日です、、、でも、本当に行っていただけるんですか」
「こんな老い耄れで良いなら、の話じゃが、、、ワシは暇じゃからのう」
「ありがとうございます、ちょっと電話して聞いてみます」

明日香は携帯電話でしばらく話した後で父に言った「大丈夫です。でも私の委任状と叔父様の身分証が要ります。委任状は手書きでも良いそうですので今から書きます、、、でも、本当によろしいんですか?」
「ああ、構わんよ、、、これも何かの縁だ」
明日香は委任状を書き始めたが、横に寝たままでは上手く書けないようで、それを見てとった父が代筆し、署名だけ明日香に書かせた。
その後、幼稚園の場所や出発時間などを確認して父は家に帰り、いつものようにアダムに、明日香の状況をメールしたが、遠足の事までは書かなかった。

遠足当日、父が家を出ようとした時、ひょっこりアダムとラムが来た。何事かと思い父が聞くとアダムは「お父さまにご相談したい事がありまして」と言い、それをラムが通訳して父に伝えた。
しかし父は、のんびり相談事を聞いている時間が無く「これからワシは出かけねばならんのじゃ、、、そうじゃ、一緒に行くか。そうすれば車の中で話が聞けるが」と言った。
アダムとラムは一瞬顔を見合わせてから、アダムが頷くとラムが言った「一緒に行きます」
アダムとラムと4人のボディガードと、父とイルミ組織のボディガード1人と運転手、計9人がイルミ組織の後部窓なし車に乗って家を出た。
車内でアダムは、ラムが懐妊した事を話し、父に、生まれてくる子の名前をつけて欲しいと言った。
父は「分かった、引き受けよう。じゃが、もう性別は分かったのか」と聞いた。それはまだだと言う。
「ふん、全く気の早いことよのう。じゃが、どちらの性別でも良いように二つの名を考えておこう。何にしても、おめでたい事じゃ。アダム、ラム、おめでとう」
アダムは喜び、ラムは頬を染めた。しかし父は内心(悪魔の子、、、素直に喜んで良いのやら、、、)と思っていた。

幼稚園には集合時間ぎりぎりの8時前にやっと着いた。
父は園長に、アダムやボディガードの事を話した。大人が増えるのは大歓迎だという事で、幼稚園のバスの後についてイルミ組織の車で皆で行く事になった。
女の子(陽子)を紹介され父は、はにかむ陽子に明日香からのプレゼントだと言って人形を渡して言った「こんなおじいちゃんで済まないねえ、でも、安心して動物園で遊びなさい。おじいちゃんの後ろには強い男が何人も居て陽子ちゃんを守ってくれるからね」
陽子ちゃんは喜んで言った「おじいちゃん、ありがとう」

上野動物園に着くと、園児たちは既に知っていたとみえ、保護者の手を引いてパンダ宿舎に向かった。陽子ちゃんも父の手を引いて歩き出した。二人の後をアダムとラムやボディガードがぞろぞろとついて行った。
動物園には似合わない格好のボディガードたちは、宿舎のパンダよりも目を引いた。それに気づいた父は、イルミ組織のボディガードに、陽子ちゃんの保護者役を頼み、他の者は休息エリアで待機する事にした。するとラムもパンダが見たいと言い出し、陽子ちゃんと一緒に行った。
休息エリアのベンチに座ると、アダムはノートパソコンを取り出し翻訳ソフトを使って話し始めた。
「お父さま、例のワクチンが来週、日本に届きます」
「ほう、そうか、いよいよ始まるのか、、、では、もう決行日も決まっているんじゃな、、、」     96
「決行日は、御支配さまはまだ発表されていませんが、1~2ヶ月先ではないかと思います」
父は、1~2ヶ月先と聞いて、一瞬アダムを見て、すぐに視線を陽子に移した。
「、、、そうか、、、では、今のうち陽子ちゃんにも出来るだけの事をしてやろうかの。せいぜい後2ヶ月の命じゃ、、、」
アダムは、ハッとしたような表情をしたが、すぐに平素を装って言った。
「ワクチンは、私の家族用で20人分あります。これはお父さまが配布してください」
「分かった、、、」

それっきり二人の翻訳ソフトを使っての会話は途絶えていたが、父がふと思い出したように言った。
「そうじゃ、アダムに聞こうと思っていた事がある。
アダム、この間、動画を見たのじゃが、地球上の生物の90パーセントは、過去20万年から10万年前に突然現れたそうじゃ。この事を発表したのはロックフォロー大学の博士でDNAを調べた結果分かったそうじゃ。この事についてアダムは何かきいておらんかのう」
「地球上の生物の90パーセントが、過去20万年から10万年前に突然現れた、、、いえ、聞いていません、、、ロックフォロー大学の博士の発表ですか。あの大学博士の発表なら信用出来ると思います。しかし、事実なら大変な発見ですが、何故、日本のテレビニュース等で大々的に報じないのでしょうか。私は見た事がありません」

「じゃからアダムに聞いてみたかったんじゃ。この事実を隠そうとしている組織があるようなんじゃ。その組織と言うのは、お前のところの組織じゃないかと思ってな、もしそうなら、何故隠そうとするのか知りたかったんじゃ。この発表が本当なら、進化論など噓になるし、宇宙人がどこかの星から色々な生物の受精卵でも運んで来て、増やしたとも考えられるし、本当に、お前たちの神が人間を含め多くの生物を創り出したとも考えられるんじゃ。
しかし、こんな大事な事を何故、報道しないのか、何故隠そうとするのか、それが解らんのじゃ」
「うちの組織ではないと思いますが、、、わかりました、この件、調べてみましょう」

「この件にも関係あるかも知れんが、お前の信仰しておるユーヤ教の神様は、いつ頃アダムとイブを創ったんじゃ。1万年や2万年前と言うなら、おかしな事になる。
何故なら、日本列島にさえ3万年前には人間が住んでおったし、オーストラリアには5万年前にアボリジニーの祖先が住んでいた事が確認されておる。
じゃが、10万年前じゃと言うなら、さっきの話のDNAの結果と一致することになる、、、
ワシはこういう事を知るのが好きでのう。こういう事を知るためなら、死んで神様に会いに行き、教えてもらおうと思うほどなんじゃ、、、
他にも知りたい事がある。嫌味で言う訳ではないが、お前らの神様は何で、約束事を守らないユーヤ人と契約したのか?もっと素直で平和を望む日本人の祖先と契約しなかったのか。
何で、日本人の祖先、縄文人を選ばなかったのか、、、
考古学研究が進むに連れて、縄文人の素晴らしさがあとからあとから証明されて来ているが、お前たちの神様は何故、素晴らしい縄文人を選ばず、ユーヤ人を選んだのか」

アダムは堪らなくなって言った「お父さま、ユーヤ人を侮辱するのはもう止めてください」
「いや、侮辱しておるのではない、歴史的事実を言っているんじゃ。ユーヤ人はせっかく神様と契約していても、何世代か経つと他の神を拝み契約を破り、神様の罰を受ける、、、
そう言えば、ユーヤ人12支族の内の10支族はどこに行ったんか。1支族は日本に住み着いて日本人の祖先になったと言う話も聞いたことがあるが、、、」
「お父さま、この話はまた次回にしましょう。それより、昼食はどうしましょうか。弁当を買って来ましょうか。あの子の食事はどうしましょうか」                                  97
「おお、もう昼か、では、あの子の分も含めて弁当を買って来てもらおうか。予定では、園内で食事して解散すると聞いておる。解散した後は、あの子を施設まで送って行く事になっとるんじゃ、、、
それにしても、園児たちは可愛いのう」

昼前になって、休息エリアに集まって来る園児と保護者が増え、賑やかになった。
ラムと陽子ちゃんも帰ってきた。いつの間にか、ラムと陽子ちゃんはすっかり仲良くなり、はた目には、若いお母さんと娘のように見えた。その二人をアダムは微笑みを浮かべて見ていた。その横顔は、数年後の情景を空想しているかのようでもあった。
しかし父は、二度と見る事ができない情景だと認識していた。そして(ワシの分のワクチンを陽子ちゃんにやろう、、、じゃが、同じ年ごろの子が一人もおらんようになったら、陽子ちゃんはどう思うじゃろうのう、、、)と考え、悲愴な気持ちになっていた。

父と陽子ちゃんとアダムとラムが一つのテーブルについて弁当を開いた。誰が見ても家族団らん、幼稚園児を連れて来た若い夫婦とおじいさんにしか見えなかった。
(じゃが、はた目にどう写ろうと、実の両親ではない事を、誰よりも感じているのは陽子ちゃんじゃろう。今どんなに楽しそうに見えても施設に帰れば、また一人、、、しかしそれも2ヶ月で終わる、、、
この子にとって、本当の幸せとは何じゃろう、、、やはり両親と一緒に過ごす事じゃろうかのう、、、両親はどこに居るんじゃ、、、明日香に聞いてみるか)
父が、そのような事を考えている間もラムは、かいがいしく陽子ちゃんの世話をしていた。
それを見て父は(ふん、ラムめ、まあ人並みの母親にはなれそうじゃ)と思ったが、アダムは(ラムを選んだのは正解だった。生まれてくる私の子にとっては最高の母親になるだろう)と思い、その場で抱きしめたい衝動を必死で抑えていた。

その後、園児と保護者全員が集まり記念写真を撮って解散した。
来た時と同じ車に陽子ちゃんを乗せ、施設まで送って行った。施設に着くと経営者の老夫婦が出迎えてくれた。老夫婦にお茶を誘われ、父とアダムとラムは、老夫婦と一緒に中庭のテーブルを囲んで座った。その周りをボディガードたちが少し離れて立っていた。
老人が言った「今日は、ありがとうございました。ここは子どもが20人ほど居ますが、スタッフを雇えるほどの余裕はなく、私たち二人だけで世話しております。今日のような遠足の付き添いまでもは、とても出来ませんで、佐々木様に連れて行っていただき感謝しております」
「いやいや、お礼を言われるほどのことではありません、ワシにとっては暇つぶしができた上に、可愛い子供たちと良い1日を過ごさせてもらえて、ワシの方こそ礼を言いたいほどじゃ、、、
ところで陽子ちゃんの両親は?、、、差し支えなければ、という事で」

老夫婦は顔を見合わせたが、すぐに話してくれた。
「、、、世の中には、どうしょうもない夫婦もおりまして、、、陽子ちゃんが2歳になったばかりのころ、両親に虐待され、ひん死の状態で発見され保護されました。
両親はその後、刑務所です。3ヶ月後に母親が先に出所するようですが、陽子ちゃんを傷つけないで育ててくれるのか心配しているところです。
陽子ちゃんは覚えていないようなので、いっその事、里親に預けた方が良いのでは、とも考えています。虐待の仕方があまりにも酷いもので、、、国籍は日本人でもcho出身者は、憐れみという心がないのかと、、、やはり日本人との違いを感じます」
「何、、、そうでしたか、、、あちらの出身者でしたか、、、で、明日香とはどういう繋がりで」
「陽子ちゃんの母親の、高校の同級生らしいですね。高校とは言ってもcho学校ですが」
「cho学校、、、という事は明日香もあちらの出身者で」
「だと思います、あの学校は日本人は誰も入りませんから、、、                   98
しかし、明日香さんの遠い親戚の佐々木様が、ご存知ないのですか」
「ははは、ボロが出たようなので、これで失礼する。じゃが、決して怪しい者ではないんじゃ。
この娘婿が、明日香が可哀そうじゃと言うんで手助けしただけじゃ。あちらの出身者だと分かっておったら放っておいたものを。まあ、今後は関わるまい、、、ではこれにて」
父はそう言うと立ち上がり、アダムとラムを促してさっさと車に乗り込んだ。やけに不機嫌そうだった。

帰りの車の中でも、父は不機嫌だった。
それに気づいてアダムはラムに聞いた「お父さまは機嫌が悪そうだけど、どうしたの」
「さあ、良くわからないけど、、、さっきの話の中でcho出身者と言う言葉が出てから不機嫌になったみたい」
「cho出身者、、、あの子は、在日cho人なのかい。つまり御両親も当然」
「そうみたい、、、しかも御両親は現在まだ刑務所の中だそう。で、明日香さんも同じ出身らしくて、それを知ってからお父さんは急に不機嫌になった」
「なるほど、、、でも、あの子は他の日本人の女の子と変わりないように見えたけどね」
「外見は日本人と同じよ。それにcho人でも良い人もいるわ。でも、、、私よりも、お父さんに聞いた方が良いわ。cho人の事に詳しいから」
「分かった、そうする」アダムはそう言うとノートパソコンを取り出した。

「お父さま、陽子ちゃんも明日香さんも在日cho人なんですか?」
父は憮然として答えた「ああ、どうもそうらしい」
「でも、日本人の女の子と同じようでしたよ」
「ああ、見た目は日本人と同じじゃ。じゃが、DNAは全く違う、、、日本人は、K国人やC国人とは違う種族なんじゃ。世界でも数少ない特殊なDNAを持っているんじゃ」
「日本人は、cho人とはDNAが違うんですか」
「そうじゃ、DNAが違う。じゃが、違うのはDNAだけではない。性格も性質も違う。民度も違う。
何より、他人に対する心のあり方が違う。日本人は、いや日本民族と言った方が良いじゃろう。
日本民族は数万年前の縄文時代からずっと、他人をいたわる優しい心を持った民族だったのじゃ。それに比べcho人は、他人の事など知ったことではない、自分さえ良ければいい、と言う心じゃ。そう言う心のcho人が日本には数十万人住んでおる。しかも、住んでいながら、今だに日本民族に害を成しておる。犯罪率も日本民族の数倍じゃ。じゃが、母国のK国はもっと酷い。
何十年も前から、国自体が噓の歴史を自国民に教えて反日行動を続けておる。大統領でさえ、
ありもしなかった従軍慰安婦を、しかも解決して条約なみの約束をしていたのを破ってまでして、自分の人気取りのために言い広めておる。大統領からして気違いとしか言いようがない、、、

まあ、在日の中にもK国の中にも良い人も少しは居るじゃろう。
じゃがK国では、そんな良い人が、日本民族を擁護するような事でも言えば、たちまち親日罪で逮捕されるか、私刑に遭う。言論の自由さえ存在しないような気違いじみた国家じゃ。
日本はこんな国とは断交するべきじゃが、日本の国会議員の中にまで、在日cho人の手の者が居て、それを阻んでおる。
またこの在日cho人の手の者と言うのが、テレビ放送局や新聞社にも入り込んで居て、日本民族を貶めるような反日報道をしたり、反対に、K国やC国の不利になるような報道は一切しなかったりしておる。
そもそも奴らのようなこんな反日勢力が何故、日本に存在するのか調べてみたら酷いもんじゃった。

大正時代の関東大震災の時は、奴らが被災地に放火して、地震自体で死んだ人の数倍の死者をだした。                                                    99
終戦後には、出兵や疎開で不在の駅前などの一等地を奪い取ってパチンコ店を建てたり、闇市を開いて暴利を得たりした。
それよりももっと腹立たしいのは、奴らは戦勝国民じゃと言って『朝鮮進駐軍』と言う愚連隊を作り、数千人の日本人を殺したり女性を強姦したり、物や家畜を盗んだりと悪事の限りを尽くした。
日本政府は堪らずGHQに訴えてから、奴らは三国人と呼ばれるようになった。
朝鮮進駐軍の事は、思い出しても腹が立って来るのでこの辺で止めるが[日本人が語り継ぐべき史実『朝鮮進駐軍』]で検索して読んでみると良い。恐らく胸糞悪くて反吐が出そうになるじゃろう。そう言う奴らの子孫が今の在日cho人じゃ。血筋は争えん。奴らは今だに悪事を行っておる。
正に日本の癌としか言いようがない奴らじゃ。じゃからアダム、奴らにはワクチンは不要だぞ」
父は、言えば言うほど腹が立ってくるのかなおさら不機嫌な顔になっていた。

それっきり物思いにふけっているようだったが、突然言い出した。
「そうじゃ今思い出したがアダム、お前のDNAを調べてみろ。お前を見ていると何故か日本人らしさを感じるんじゃ。もしかしたら、お前は日本人のDNAが混じっているかも知れん」
アダムは驚いて言った「日本人らしさ、私にですか?、、、私のDNAを調べるんですか、、、」
「ああ、調べてみると良い」
父は、前に黒田に聞いた、ロベルトと日本人女性との子、英一に似ているという事は言わずにいた。
「お前の配下の研究所にでも言えば簡単に調べられるじゃろう。何かの時のために調べておけば良い。さあ家に着いた。長い一日じゃった。アダムたちは、ここからタクシーで帰るんじゃろ」
そう言うと父は、イルミ組織のボディガードと運転手に礼を言って、さっさと家の中に入って行った。

数日後、動物園での記念写真が送られてきた。父が、寝室のベッドに座って見ていると、ノートパソコンにメール着信サインが表示された。
開いて見るとアダムから「お父さま、私のDNAの結果が分かりました。日本人に多いY染色体ハプログループDと言うのが私のDNAの中にも少し含まれているようです。つまり私には日本人の遺伝子が混じっているのです。この事を、お父さまは知っていて私にDNAを調べるように言ったのでしょうか。私の出生について何か、お父さまはご存知なのでしょうか。気になります。ご存知の事があれば教えてください」と言う内容だった。

父は、こんなに早くDNAが調べられた事に驚いたが、少し考えてから返信メールを打った。
「アダム、ワシはお前のDNA内容についてはなにも知らんが、お前を見ていて、日本人的な雰囲気を感じただけじゃ。
それより、お前の出生について知りたいのなら、お前の実父に聞いて見る事じゃ。実父が一番知っている事じゃろうからな。
じゃが、日本人の遺伝子が含まれていることは喜ばしい事じゃ。何故なら、日本人の遺伝子は、世界人類の中で一番良い遺伝子じゃからのう」
父が送信して5分も経たないうちにアダムから返信メールが来た。
「分かりました。父に聞いてみます」とだけ書かれていた。

アダムは父ロベルトに電話した。最初は日本での暮らしの事や、ワクチンがもうすぐ届く事、ウイルス空中散布の事、その後の日本統治についてなどを話し合った。話が一段落した後、アダムは少し改まった口調で言った。
「御支配さま、私事について少しお話ししたいのですが」
「ん、なんだ改まって、言ってみろ」
「この間、私のDNAを調べてみましたら、日本人特有の遺伝子が含まれている事が分かりました。この事をどのように解釈して良いのか、御支配さまに教えていただきたいのです。      100
私は、御支配さまの息子ではないのでしょうか。私に何故、日本人の」
ロベルトは、アダムの言葉を遮って言った「アダム、お前はこの事をロビンや他の者に話したのか」
「いえ、まだ誰にも話しておりません」
「分かった、、、では10分後に私の方から電話する。お前は盗聴器のない所で待て」
「分かりました」

ロベルトは、手で合図して4人の黒ずくめの男を部屋から出すと、デスクの引き出しから小さなリモコンを取り出し、暗証番号を押した後、左手の親指の付け根に埋め込まれているマイクロチップに近づけた。するとデスクの横の壁が左右に開き、銀行の金庫のような扉が現れた。
その扉を開けてロベルトは中に入って行った。中には地下の核シェルターに通じるエレベーターがあった。核シェルターに着くと自動的に灯りが点き、内部の様子が見えた。
ロベルトは、核シェルター内の椅子に座ってデスクの上の有線電話の受話器を持ち上げ、アダムの電話番号を押した。この電話は、A国大統領でもIS国大統領でもR国大統領にさえも直通電話が可能だが、まだ数回しか使った事がなかった。
(まさか、これで孫と話すことになるとは、、、)と思いながら、ロベルトはアダムに話しかけた。

「アダム、そこは盗聴器の心配はないか。これから話す事は、誰にも知られてはならんぞ」
「大丈夫です、御支配さま」
「今は、御支配さまと呼ばんで良い、、、そうだな、おじいさんと呼べば良い」
「おじいさん、、、ですか」
「そうだ、おじいさんで良い。私は、お前の父ではなく、おじいさんなのだから、、、
アダム、これから話すことを心して聞け、、、私は若い頃3年間、日本に滞在していたのだ。そしてその間に日本人女性と結ばれ、長男ストロングを儲けた」                    
「長男はロビン兄さんでは」
「違う、ロビンよりも2年早くストロングは日本で生まれていたのだ。しかし私は、父に止められて日本に行く事ができなかった。それから20年後、父が死んで私はやっと日本に行けた。
そして、若者になっていたストロングをロンドンの家に連れて帰った。
だが、ロビンたちの母親(私がロンドンに帰ってきてから父に無理やり結婚させられた妻)はストロングを拒否した。
私は『ストロングこそ私の長男であり、後継者だ』と宣言し、ストロングにエディンバラ皇族の娘、つまり、お前の母親と結婚させた。
だが、母親がお前を身籠ったことを知った妻は、お前の父ストロングを事故に見せかけて殺した。怖くなったお前の母親はエディンバラに帰ってお前を産んだ。
ちょうどその時、妻は6男を死産し妻も死んだ。
私は、お前の母親に『必ず後継者する』と約束してお前を引き取り、私の6男として育てた、、、
世間も本人もそのつもりのようだが、私の後継者はロビンではない。アダム、お前なのだ、、、
やがて理想郷が完成するだろう。その理想郷支配の頂点に立つのは、お前だ」

「、、、なんと、、、」アダムは驚き言葉が出なかった。
しばらく沈黙が続いた後、ロベルトは静かに言った。
「アダム、今は、この事を忘れていて良い。その時が来たら、必ずお前を私の後継者にする。
だから今は、今まで通りに振る舞っておれ、、、この事を誰にも気づかれないようにしろ。良いな」
「、、、分かりました、おじいさま」
「おじいさんで良い、、、お前が小さい頃から私は、お前が愛しくてならなかった。だが、お前の秘密を誰にも知られないようにするために遠ざけて育てた、、、
お前は、私の最愛の息子ストロングの、たった一人の息子であり、私の最愛の孫なのだ、、、 101
二人だけの時は、おじいさんと呼んでくれ」
「分かりました、おじいさん、、、では私に、日本人と同じ遺伝子が含まれているのは当然な事だったのですね」

「そうだ。お前の父ストロングの母親は日本人女性だったからな、、、
彼女には申し訳ない事をした。白人至上主義の父に止められ会いに行けなかった。
私は何十通も手紙を送ったが1通も返事が来なかった。今、考えると、恐らく手紙も父に止められていたのだろう。だが、当時の私はどうする事もできなかった。
20年経ち、父が死んだ後、会いに行ったが彼女は会ってくれなかった。私と彼女との子、ストロングは彼女に捨てられて施設に入れられ、その後、教会で乞食のような暮らしをしていた。
私はストロングが可哀そうで可哀そうで、、、
私はストロングをロンドンに連れて帰り、長男として後継者として育てたかった。だが、2年も経たないうちに、ロビンの母親つまりは私の妻に殺されてしまった。
不憫な、、、あまりにも不憫な息子、ストロング、、、今、思い出しても辛くなる、、、アダム、お前はストロングの代わりに、立派にロスマイルド家を継いでくれ。それが今の私の最大の願いだ」
「ありがとうございます、おじいさん。最善を尽くします」

父、否、おじいさんとの電話が終わった後も、アダムは呆然としていた。
自分の出生についてよりも、本当の父ストロングの運命に衝撃を受けたのだ。だが、時間が経ち冷静になってくると、自分に課せられた大任に身震いした。
(私がロスマイルド家の後継者、、、
私が大学を卒業した後、いつもロビン兄さんの下に居させられたのも、ロビン兄さんから、ロスマイルド家の後継者としてのノウハウを学ばせるためだったのか、、、
おじいさんは冷酷非情な人で、私など相手にしてくれなかったのだと思っていた、、、何ということだ、、、おじいさんは、いつも私の事を考えていてくれたのだ)
アダムは今、ロベルトの本当の心を知り、深い感銘を受けていた。

核シェルターから帰ってきたロベルトは椅子に座って考え込んでいた。
(アダムは、何故急にDNAを調べたのか、、、やはりアダムの事は、どんな些細な情報でも知れるようにしておかねばならんようだ、、、デーンを行かせるか)ロベルトはデーンに電話した。

数日後、アダムの滞在ホテルにデーンが現れた。驚いたアダムにデーンは言った。
「ボディガードの一人が、身内に不幸があり本国に帰ったので、代わりに来ました」
アダムと親しかったデーンは、アダムとラムの寝室にも気軽に出入りした。
アダムとラムが外出中もノートパソコンを勝手に使い、ノートパソコンに秘密のプログラムを入れた。アダムが誰かとメールやライン交信すると、それが自動的にデーンのノートパソコンに送信されるようにして、それをデーンは御支配さまに転送した。

ノートパソコンがそのようになっている事に気づきもしないで、アダムはまた父と翻訳ソフトを使って交信していた。
「お父さま、ワクチンが届きました。00病院へ手配してありますので、病院で以下の暗証番号を言って接種を受けてください。暗証番号は、20人分あります。お母さまや、お兄さん、他お父さまが、接種を受けるに値すると思われる人にしてください」
「アダム、ありがとう。で、アダムとラムは00病院へ行くのか」
「いえ、手配のついでにもう接種しました」
「そうか、わかった、ではワシらもやっておくよ」                            102
その後、父は黒田に電話し「黒田さんもワクチン接種をするように」と勧めた。
すると黒田は「ありがとうございます。ですが、その前に色々とお話ししたい事がありますので、お伺いしてもよろしいでしょうかな」と、言った。父は快諾した。

翌日、黒田は配下の者を連れて父の家に来てすぐ話し始めた。
「早速ですが、ワクチンを日本国立研究所に送りたいのです。同じワクチンを作れるかどうかは分かりませんが、、、」
「ほう、日本国立研究所へ、、なるほど分かりました。暗証番号を書いて00病院へ行ってください」
黒田の配下の者が暗証番号を書いた紙を持って出ていくと、改まった口調で黒田は言った。
「佐々木殿、ありがとうございます」
「礼を言われるほどの事でもありませんのじゃ。たまたま縁あった娘婿が奴らの身内だっただけの事じゃ。それより黒田さん、日本国立研究所に、という事は、日本政府にもワクチンの事が知られているんじゃろ」
「はい、しかしその情報は、イルミ組織に入って来たものです。ワクチン自体は1週間後にイルミ組織に届くという事だったので、一日でも早い方が良いと思い佐々木殿のワクチンをいただくことにしました、、、私の素性を明かす事になりますが、、、私はイルミ組織組織長でありながら日本特捜部の者でもあります」

「、、、そうでしたか、、、ご苦労様です。今後も日本国民のために尽くしてくだされ。ワシは決して他言すまい」
「ありがとうございます、、、まあ、それも後1ヶ月半くらいかと思います」
「何と、その日も分かっているのですか?」
「いえ、これは推測ですが、、、奴らは『6』という数字を好みます。しかもそれが三つ並ぶ事を慶事と、、、今年は2026年、、、」
「、、、では6月6日と」
「恐らくその日、ウイルスが世界を覆うのでしょうな」
「、、、」アダムから2ヶ月後くらいだと聞いていたが、日付を知るともう2ヶ月もない。
「日本国立研究所のワクチンが間に合えば良いですがな、、、一人でも多くの人々が生き延びる事を願っております、、、では、これにて失礼」そう言って黒田は帰って行った。

ワクチンが届いても、アダムは別段する事が無かった。
数トンのワクチンが送られてきたようだが、それを日本各地のモンセント系列病院に分散し、アダムには暗証番号リストだけがメールで送られてきた。
アダムはそれを、自衛隊やイルミ組織の黒田に転送するだけで、半日で全ての手配が終わった。
また、退屈な日々になった。数ヶ月後には、人類の90パーセント以上が死ぬという大惨事が起きる事が分かっていながら、アダムはその事に全く関心が無かった。
アダムの頭の中には、その後の理想郷建設には興味があっても大惨事には興味が無かったのだ。
それどころか大惨事が終わるまでアダムは、ラムと二人だけで、人間の居ない所で過ごしたいと思っていた。そしてアダムは、レンタカーで北海道を旅行する事を思いついた。
早速ラムに話し、翌日4人のボディガードと共にワゴン車で出発した。
急ぐ必要がないので、日光東照宮などの観光地を回りながら、のんびり北上する事にした。

東照宮観光を終えた後の車内で、アダムは、ボディガードに聞こえないように、小さな声でラムに言った「本当は、二人だけの新婚旅行をしたいんだ。黒ずくめの男どもはどこかで追い出そう」
ラムは笑いながら言った「でも、アダムは運転出来ないんでしょう」
「、、、そうか、じゃ、奴らを巻いて東北新幹線に乗り込もう」                    103
四六時中、ボディガードに付き纏われるのに辟易していたラムは即座に同意した。
アダムは、ノートパソコンで調べて作戦を練り、ラムに言った。
「宇都宮駅に着いたら『つわり』になって」ラムは笑みを浮かべて頷いた。
アダムは、助手席のデーンに言った「今夜は宇都宮駅前に泊まろう」
「どのホテルにしましょうか」
「先ず、駅に行って案内所で聞いてみよう」
「分かりました」

宇都宮駅ビルに着き、案内所を探していると、ラムが吐きそうになった。
アダムは、ラムの背中を擦りながらデーンに言った「トイレに連れて行く、ここで待っててくれ」
笑いながら二人は、そのままJRの切符売り場に行った。
盛岡までの切符を買ったが、16:31出発までにはまだ少し時間があったのでレストランに入った。
料理を注文した後、やはり気が引けるのか、アダムはデーンに電話した。
「デーン、済まない。ラムと二人だけで旅行がしたいんだ。君たちは4人で旅行してくれ」
「何を言われます、危険です。お止めください」
「大丈夫だよ、日本は世界一安全な国だ。もし何かあったら電話するから」
電話が切れると、デーンは舌打ちしてから、本国の組織に緊急電話した。
「アダムさまが宇都宮駅で行方不明になった。至急、マイクロチップで追跡調査してくれ」

レストランを出るとコンビニで小さなワインとジュースを買って新幹線に乗り込んだ。
二人は楽しくて仕方なかった。新幹線が動き出すと、ワインとジュースを開け乾杯した。
ボディガードが居ないというだけで、こんなにも自由なのかと改めて感じ、自分たちの境遇を恨めしく思った。このままずっと、二人だけで過ごせるならどんなに楽しいだろう。
アダムはノートパソコンを開き、盛岡に着くまでにこれからのスケジュールを考えた。
(盛岡着が18:54か。今夜は盛岡に泊まるとして、明日は、、、盛岡周辺は観光地もないので、明日また新幹線で新函館北斗まで行くか、、、)

盛岡に着くと二人は寒さに震えた。東京とは何という違いだろう。二人にとっては真冬並みの寒さに感じた。
駅前のホテルに駆け込みチェックインした。それからショッピングセンターに行き、フード付きの防寒服を買ってすぐに着こんだ。明日から北海道なので念のためセーターも買った。
北海道旅行の準備が出来ると、二人は小さなラーメン屋に入った。
宇都宮駅で食事して、まだあまり空腹ではなかったのだが、ラーメンは美味かった。もう一杯、注文するか迷った末に、二人で一杯を食べる事にした。
二人のラブラブの雰囲気に惹かれたのか、隣の年配の男がにこやかに英語で聞いた。

「どこから来ましたか?。盛岡は初めてですか?」
「イギリスです。でも今は東京に住んでいて、東京から来ました。盛岡は初めてです」
「イギリスの方でしたか、こんな遠くまでようこそ。これ、盛岡名物の南部せんべい、食べてみてください」と小さな紙包みをアダムに手渡した。
すると男の隣の男が「南部せんべいなんかより、これのがうまい。これ食ってみなせ」と日本語で言って『かもめの玉子』と書いてある箱を開けてアダムとラムに一個づつ手渡した。
アダムとラムは顔を見合わせ、いただくべきか迷っていると、二人は立ち上がってレジに向かった。
「あの人たちとお酒を飲みたい」とアダムがラムに耳打ちし、ラムは急いで二人の男を呼び止めて言った「あのう、夫が御一緒にお酒を飲みたいと言ってますが、少し待ってていただけませんか」
二人の男は、アダムとラムを代わるがわる見てから頷き、レジ脇の椅子に座って待っててくれた。
                                                        104
アダムとラムは急いで二人で1杯のラーメンを食べ、レジを済ませた。

ラーメン屋を出ると、男の一人がラムに聞いた「どこで飲みますか」
ラムがアダムに伝えるとアダムは「居酒屋と言う店にまだ入った事がないので、近くにあればそこへ行きたい」と言い、路地裏の居酒屋に入った。
居酒屋で、テーブルを隔て二人の男と向かい合って座ると、すぐにメニューを手渡されたが、ラムも日本語が読めず、店員に写真付きのメニューはないですかと聞いた。
それを見て驚いた男が「奥さん、日本人じゃないんですか」と聞いた。
「父は日本人で、母はタイ人です。タイで育ちましたが、父に教わって日本語は話せますが、文字は読めません」とラムが言うと、男は頷いて言った。
「分かりました、では、私たちがこの店で一番美味しい物を注文してあげます」

やがて地酒が出てきて、料理も色々出てきた。
男の一人はまあまあ英語ができてアダムと話し、もう一人の男はラムと話しながら飲んだ。
ラムも、おちょこ1杯だけ地酒を飲み、後はお冷を飲みながら、料理を食べた。
料理も美味しかったが、アダムもラムも居酒屋内の雰囲気に魅了された。
見回せば、周りのお客みな楽しげで、女性客も一緒にカラオケを歌ったりして盛り上がっていた。
男の一人にも順番が回って来て、かなりの美声で歌い、拍手喝采が店内に響いた。
男に勧められ、アダムもビートルズの懐かしい歌を歌った。アダムもまた拍手喝采を浴びた。
店内で白人が歌ったのは初めてのようで、客だけでなく店員からも、握手やサインを求められ、アダムはすっかり人気者になった。
ラムもカラオケを勧められたが、歌える歌がなく、終始観客の立場を貫いた。

アダムもラムも楽しくて、ずーっとその店に居たかったが、あまり酒に強くないアダムが、すっかり酔ってしまったので、11時を過ぎたころ、二人の男に丁重に礼を言い、客全員の勘定を支払って居酒屋を出た。
外に出ると、ラムは寒かったが、酔っているアダムには心地良かった。そして今のアダムには、
体感温度的心地良さだけでなく、心も心地良かった。
見ず知らずの男や店内の客とのふれあいに心がときめいていた。初めての経験だった。
自国での堅苦しいパーティーやバーでの飲酒に比べて、何と素朴で純粋な楽しさだっただろう。
アダムは、今夜のことは生涯忘れられないだろうと思った。しかし次の瞬間、背筋が凍るような寂寥感に包まれ、ゾッとした。
アダムはすぐにその寂寥感の発生原因を考えたが、酔っている今の頭では解らなかった。

翌朝、アダムは二日酔いだった。それでもチェックアウト時間までにはホテルを出た。
駅で新函館北斗駅までの切符を買い、レストランで食事した。
その二人の姿を双眼鏡で認めたデーンは、ノートパソコンを開き、追跡システムが正常に作動していることを確認した。それから、旅行者風の出で立ちをした一人のボディガードに目で合図した。
ボディガードは、さり気なくアダムとラムに近づいて行き、道路脇で空のスーツケースに座って、大きな地図を開いて顔を隠した。
アダムたちがレストランを出ると、ボディガードは地図を折りたたみ、顔を隠せるくらいの大きさにして片手で持ち、スーツケースを引いて後をつけた。
アダムたちが、新幹線下り線乗り場に入って行くのを見届けると、ボディガードはデーンに電話した。デーンはボディガードに、下り線の終点までの切符を買って新幹線に乗るよう指示した。
それからデーンは、急いで車を走らせた。
車内で青森―函館と大間―函館のフェリーの時刻表を調べた。                 105
(青森―函館は4時間くらい、大間―函館は90分、しかし青森から大間まで車で3時間ほどかかる。青森―函館の方が良い。しかし新幹線だと新函館北斗までが3時間半ほどか、速いな、、、
しかもフェリーは乗船下船でも時間がかかる。先回りは無理だ。だが、追跡システムがある、、、)

デーンたちが必死で追いかけている事も知らず、アダムとラムは新幹線の旅を楽しんでいた。
徐々にスピードを上げる新幹線の中でラムは言った「アダム、気分はどう、、、昨夜は飲み過ぎよ」
「もう大丈夫だよ、、、それにしても新幹線、速いな。2時間で北海道に着く。その前に、長い海底トンネルを通過する、、、トンネルに入って真っ暗になったら、昨夜できなかった事をしょう」
そう言ってアダムは意味ありげにラムの顔を覗き込んだ。意味が分かったラムは顔を赤らめたが、すぐに、トンネルに入っても車内は照明で明るいはずだと気づき少し失望した。
二人は車内販売のアイスクリームを買って食べ、その美味しさに驚いた。
一気に食べ終わったアダムは冷えた唇で言った。
「こんなに美味しいアイスはイギリスでは食べた事がない。日本人はアイス作りの天才だよ」
ラムは微笑みながら言った「北海道に行けば、美味しい物がもっともっとありますわよ」

長い海底トンネルを通過し、14:37終点新函館北斗に着いた。アダムとラムが下車した数人後に、大きいが軽いスーツケースを引きながらボディガードも下車して行った。
アダムとラムは駅ビルの外に出てみた。風が強くて寒かった。盛岡よりももっと寒い。
一日の中で一番気温の高い時間帯だが、寒くて二人は思わずフードを被った。
それを駅ビルの中からガラス窓越しに見ていたボディガードは迷った。ボディガードの服装は防寒用ではなく、駅ビルの中でさえ寒かった。だが、ボディガードにとって幸運な事にアダムとラムは駅ビルに引き返してきた。ボディガードは咄嗟に地図で顔を隠し、二人が通り過ぎるのを待った。
そのボディガードにアダムの声が聞こえた「なんだ、ここは何もない。函館に行こう」
ボディガードは、ホッとして二人の後をつけた。

20分ほどで函館に着いた。二人は駅ビルを出て驚いた。畑に囲まれた新函館北斗駅前と違って、ここにはビルが立ち並んでいた。しかも新函館北斗よりも暖かい。二人は嬉しくなって歩き出した。
二人の数十メートル後を、防寒服でないボディガードは寒そうに着いて行った。
アダムとラムは駅前のホテルに入った。少し後から中に入ったボディガードは、二人がチェックインして、ボーイと一緒にエレベーターに入るのを見届けると、エレベーターの停止階を確認してから、自分もチェックインし、アダムたちと同じ階の部屋を選んだ。
部屋に入るとボディガードは、スーツケースを置き、急いでホテルを出てフード付き防寒服を買いに行った。ついでにコンビニで食糧を買ってホテルに帰った。
部屋の中でボディガードは、食事しながらデーンに電話した。デーンたちは、やっと函館行きのフェリーに乗ったところだった。
デーンは「3時間ほどで函館に着くから、そのままアダムたちを見張っていてくれ」と告げた。

ホテルの部屋で一休みした後、アダムとラムはフロントに行って、函館の観光について聞いた。
ホテルスタッフは「今夜は、函館一番の観光地、函館山に行って夜景を見てください。寒いかも知れませんが、セーターと防寒服があれば大丈夫だと思います」と言って英語のパンフレットをくれた。アダムはそのパンフレット見てからラムに聞いた。
「函館山には、食事を終えて7時頃ころ行けば良い。それまで、どこへ行く」
「明日の朝は朝市に行きたいけど、今はべつに行きたい所はないわ。函館山ロープウェイ乗り場に向かって歩いて行って、途中どこかで食事しましょう」
「分かった、そうしょう」
                                                        106
二人は、黄昏の函館の街を歩いた。風がなくなったせいか、全然寒くなかった。
少し歩いて行くと路面電車のレールがあった。二人は右に曲がってレール沿いの道を歩いた。
「アダム、二人だけで歩くなんて久しぶりね」
「ああ、そうだね、、、久しぶりと言うより、初めてじゃないかな。今まではいつもボディガードが一緒だった。ここでは、私のことを知っている人は居ないだろうし、襲われる心配もない」
「そうね、やっと二人きりになれたって気がするわ」
話しながら歩いて行くと前方に函館山が見えてきた。しかしふと気がつくと、周りには食堂がない、商店もない。駅前周辺には美味しそうな食堂が何軒もあったのに、と少し不安になった。
なおも歩いて行くと、路面電車のレールが二股に分かれている所があった。しかし山は目の前。二人は更に真っ直ぐ進んだ。すると、レールが大きく右に曲がっている所にきた。二人は、とにかく山を目指す事にして、山に向かう道を進んだ。やがて道は登り坂になり、いつの間にか左手にロープウェイ乗り場が見えてきた。

二人は顔を見合わせ苦笑した。結局、食事もしないで、ここまで歩いて来た。しかもまだ6時にもなっていない。さて、どうするか、、、引き返して、どこかで時間を潰すのも、、、と、ロープウェイ乗り場の前で考えていた時「そこの御二人さん、早く早く」と言う声が聞こえた。
声の方を見ると、老人が走り寄って来て、アダムの手を引かんばかりの勢いで急かせる。
アダムとラムは一瞬顔を見合わせたが、すぐに切符を買いロープウェイに乗り込んだ。
すると、さっきの老人が「良かった、良かった、間に合った」と言って大きく肩で息を吐いた。
呼吸が整うと老人が言った「今日は天気が良いし、最高の日没が撮れるでしょう、間に合って良かった、、、ん、カメラはどうしました、、、」
アダムとラムはまた、顔を見合わせた。怪訝な顔をして老人を見ると、老人は今、気づいたように、
「御二人さん、日没を撮りに来たんじゃあ、、、」と、ひょうきんな声で言った。
横に立っていたおばあさんが、老人の手を引きたしなめるように言った「おじいさん、また、勘違いして、、、」

「あ、、、すみません、御二人さん、写真を撮りに来たんじゃあなかったんですか、、、いや、私は、この時間に乗り場に来たから、てっきり写真を撮りに来たと、、、どうも、すみません」
そう言うと老人は、困ったような顔をして頭を下げた。
「全く、おっちょこちょいなんだから、、、どうも、すみません」横のおばあさんもそう言って上品な仕草で頭を下げた。
ラムは恐縮して「いえ、何でもありません、気にしないでください」と言い、アダムにいきさつを英語で説明した。それを見て、アダムが白人であることに気づいたようで、老人が言った。
「御二人さん、どこから来なすった」
「国はイギリスですけど、今は東京に住んでいます。夫は日本語は話せません」と、ラムが言うと、「イギリスから来られた、、、そうでしたか、、、函館山は夜景が有名で、観光客は暗くなってから来られるので、、、何故この時間に」と、老人が聞いた。
ラムは「途中で食事してから来るつもりだったのですが、良いレストランが見つからなくて、歩いていたら、いつの間にか乗り場に着いてしまったんです」と、ありのままに言った。

「ほう、いつの間にか乗り場に来た、、、」老人は少し考えてから感心したように言った。
「御二人さんは、運が良かったですな、今日は綺麗な夕陽が見えますよ、当然、夜景も、おまけに満月まで見えます。この三つを続けて見れるなんて滅多にない事です。本当に運が良い。御二人さんは、神様に祝福されているようですな、、、さあ着きました、見てください」
そう言って老人は夕陽を指さした。アダムとラムが、指さされた方を見ると、真っ赤な夕陽が山のかなたに沈もうとしていた。                                         107
老人をはじめ、数人の乗客が慌ただしくロープウェイから降り、カメラを持って撮影ポイントに散って行った。アダムとラムが最後に降りると、さっきのおばあさんが「こっちにいらっしゃい、良く見える所があるから」と言って展望台に案内してくれた。
展望台からの眺めは最高だった。特に夕陽が素晴らしかった。アダムとラムは呆然と立ち尽くした。夕陽が遠くの山並みに沈んで見えなくなるまで、言葉を失って見とれていた。こんなに綺麗な夕陽は初めて見たような気がした。老人が言われたように、本当に運が良かったと思った。

二人の後ろ姿は絵になった。一つ後のロープウェイで昇って来たボディガードは、逆光で黒く見える二人の後ろ姿を、思わず携帯電話のカメラで写した。構図と言い、色彩と言い、申し分ない写真が撮れた、写真マニアでもあるボディガードは、満足してニャっと笑った。
そのボディガードに、さっきの老人が声をかけた「見事な被写体ですな」
老人もまた、その時の景色に溶け込んでいるようなアダムとラムの後ろ姿に、一瞬の美を感じ取りシャッターを切った。
だが、日本語の分からないボディガードは、話しかけられるのを嫌ってか無言のまま離れて行った。

その後、老人はアダムとラムに近づき「いかがでしたか夕陽は」と声をかけた。
アダムとラムは振り向き、ラムは「素晴らし夕陽でした。誘ってくださり、ありがとうございました」と頭を下げた。それから英語でアダムに、今の会話を説明すると「ありがとうございました」とアダムは日本語で言って頭を下げ「御老人に誘っていただいて、本当に運が良かった。おかげさまで最高の夕陽を見ることができました」と、ラムに通訳して伝えるように言った。
老人はそれを聞いて「いやいや、御二人さんの運が良かったんですよ」と照れるように言った。
それから老人は、日没の反対方向を指さして「30分ほどすれば満月が昇ってきますし、その後は夜景も綺麗になります。それまで、私らは2Fのレストランで食事しますが、御一緒にどうですか」と言い、近づいて来たおばあさんを見やった。
ラムがアダムに伝えると「ありがとうございます。是非、御一緒させてください」と言った。

老夫婦とアダムとラムはレストランの丸テーブルを囲んで座って料理を注文した。
その後、すぐ老人が聞いた「御旅行ですか?」
「はい、、、新婚旅行です」ラムはそう言って少し顔を赤らめた。
「ほう、羨ましい。私ら夫婦は50年も前に結婚しましたが、新婚旅行なんてなかった。どうぞ、楽しんでください。で旅行コースは」
「今日の3時ころ函館に着いたばかりで、まだ何も決めていません」そう答えてからラムはアダムに聞いた「明日からのスケジュールは?」
「う~ん、、数日この町に居て、飽きたら別の所へ行こう」アダムもまだ何も決めていないようだった。
それを聞くと老人は「気ままな旅行ですね。でも、そう言う旅行が一番楽しい」と言い、その後、おばあさんと低い声で話し合ったあと言った。

「あと1週間すれば桜が咲きます。五稜郭公園で花見をされたら良い。あそこの桜は綺麗ですよ」「えっ、桜、私たち、東京で花見しましたが、ここはこれから桜が咲くんですか」
「はい、あと1週間ほど先だと思います。その後、梅なども咲きます」
「えっ、桜の後、梅ですか」
「はい、内地の人は驚かれますが、ここでは梅よりも桜の方が先に咲きます」
ラムがアダムに伝えるとアダムも驚いた顔をした。
「1年に2度も花見が出来るなんて凄い」とラムは喜んだ。
「ここで御会いしたのも何かの縁、この町に居て退屈になったら遊びに来てください。
私ら夫婦は子もなく、だだっ広い家に二人だけで住んでいますので、              108
もし良かったら泊まっていってください」
アダムに伝えると「ありがとうございます。機会がありましたら寄らせいただきます」と言って、東京のホテルの住所が載った日本語の名刺を取り出し、裏に電話番号とメールアドレスを書いて渡した。
交換した名刺をラムが見ると「中川明太郎 元気象予報士」となっていたが、ラムには読めず困った顔をしていると、老人が名刺内容を話してくれた。
ラムがその事をアダムに説明すると、アダムは「気象予報士?」と少し驚いた顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

食事が終わると4人はまた、展望台に行った。観光客が増えていた。
東の方を見ると、遠くの山並みの向こうに満月が半分出てきていた。老人はカメラを準備した。
5分ほどで満月は、完全に出てきて明るく照らした。しかし、満月の明るさよりももっと明るく、函館の夜景は輝いて見えた。
アダムはラムの肩を抱いて言った「綺麗な夜景だね、、、でも、ラムの瞳の方がもっと綺麗だ」
ラムは吹き出した。滅多に冗談を言わないアダムが言うと、何か可笑しかったがラムは嬉しかった。
その時のアダムとラムは、傍から見ても幸せ満杯が感じ取れた。
物陰からじっと見守っている、武骨者のボディガードにさえも感じ取れた。
(良い夫婦だ、、、どんな事があっても、守ってやろう)ボディガードは、改めて決意を固めた。
夕陽も、満月も、夜景も、十分に堪能したアダムとラムは、老夫婦と再会を約束し、丁重にお礼を言って帰って行った。

その後、数日アダムとラムは、函館と周辺の観光地を見て回った。しかし、4日目には行きたい所がなくなった。かと言ってホテルの部屋に閉じこもっているのも勿体ないような気がして、陽が高くなってから二人は近くの公園に行った。公園内の桜もチラホラ咲き始めていた。
アダムは中川老夫婦のことを思い出した。
(中川さんの言われた通り、もうすぐ花見が出来そうだ、、、しかし、それまでこの町に居るのも退屈だな、、、そうだ、中川さんの家に行ってみよう)
アダムはラムに中川さんへ電話させた。すると中川さんも「暇です、すぐ来てください」との事だった。
二人は駅前のデパートで、高級フルーツの盛り合わせを買い、タクシーに乗った。日本語の読めない二人は、運転手に名刺を見せた。
「中川さんの家に行かれるのですか、、、」何か言いたそうなそぶりの運転手だったが、何も言わず出発し、数分で大きな門構えの家の前で止まった。

タクシーから出て、二人は驚いた。まるで時代劇映画に出てくる武家屋敷のような、屋根付きの門と、連なる屋根付きの塀が数十メートル続いていた。
門の扉も大きくて、一人では開けられないようだったが、その脇に小さな扉があって、インターホンも付いていた。そのボタンを押して告げると、聞き覚えのあるおばあさんの声がした。
「今、開けますので、入りましたら飛び石の上を歩いて来てください」
その声が終わると自動的に扉が開いた。古い扉で、機械らしきものは見当たらないのだが、遠隔操作で開閉できるらしい。
中に入ると、生い茂った庭木の間に飛び石が、ずっと向こうまで続いていた。その飛び石に沿って行くと、昔ながらの家の立派な玄関に着いた。
玄関の引き戸を開けて中に入ると、おばあさんがにこやかに迎えてくれた。
「よく来られました、さあ上がってください」
アダムがフルーツの盛り合わせを手渡すと、おばあさんは顔をほころばせ「Thank you」と言った。
                                                        109
二人は居間に通され、分厚くて大きい一枚板のテーブルに備え付けの木の椅子に座らされると、すぐ中川さんが出てきて言った。
「やあ、よく来てくれました。この間はレストランでの夕食、ごちそうさまでした。今日は、家内の手料理を食べてみてください」
おばあさんが、お茶セットと漬物をテーブルの上に置きながら言った。
「料理ができるまで、これを召し上がっていてください」
ラムは、アダムと自分の湯吞みに茶を注ぎ、胡瓜の漬物を爪楊枝で刺してアダムに渡した。
アダムも、日本の漬物にも慣れ、美味しさも分かるようになっていて、食べた後、親指を立てた。
やがて、イカ大根と豚汁とご飯が出され、4人で昼食が始まった。

美味しい料理だった。味噌味にまだ少し抵抗のあったアダムも、美味しそうに豚汁を食べた。イカ大根は、おかわりをした。そんなアダムを老夫婦は微笑みを浮かべて見ていた。
が、不意におばあさんは袖で目頭を押さえて席を立った。
ラムが驚いて中川さんに聞いた「奥様、どうされました」
「、、、いえ、、、何でもありません、、、たぶん息子の事を思い出したのでしょう、、、」
アダムとラムは顔を見合わせた。怪訝そうな二人の顔を見て、中川さんは少し迷っているようだったが、思い切れたのか話し始めた。
「私ら夫婦には一人息子が居りました。その息子がイカ大根が好きでしてな、、、家内はアダムさんを見ていて息子を思い出したのでしょう、、、
親の私が言うのも何ですが、良くできた息子でした。30歳前に有名な政治家の秘書なって東京に行きました。そして33歳で国会議員になり、15年後には外務大臣になりました。しかし、次の選挙で落選して翌年3月、息子の妻の実家、相馬市に行った翌日、あの大震災で妻子ともども行方不明になりました、、、
もう15年経ちましたが、、、息子や孫の死を、まだ受け入れません、、、ある日ひょっこり帰って来るような気がして、この家で今も待ています、、、」

ラムは涙を溜めてアダムに通訳した。アダムも、驚いた顔から悲しみの顔になり、ハンカチを目に当てた。アダムもラムも一生懸命に言葉を探したが、どんな言葉も口から出せなかった。
おばあさんが大きな急須を持って来て座り、4つの湯吞みに注いでから、静かな声で言った。
「運命だったのですよ、、、そうなる運命だったのです」
その時、中川さんが声を荒げて言った「運命ではない、殺されたんだ」
「おじいさん、また、そんな事を」と、おばあさんが、少し狼狽えた表情で言った。
「運命なんかじゃない、息子も嫁も孫も殺されたんだ。
震災の前日、息子の妻の実家からの電話で息子が『妻から【息子が交通事故で死にそうです、東京からすぐ来て】と電話があったので、相馬市の妻の実家に帰って来たら、妻はそんな電話かけていないと言います。何か変です。明日の夜行で、そちらに行きます』と言ったが、その翌日の午後、大地震と津波が来た。大地震と津波が来る事を知っていた奴が、息子に噓の電話をして、相馬市の嫁の実家に、妻子ともども呼び寄せたんだ。そうに決まっている」
おばあさんが、中川さんの話を遮るように強い口調で言った。
「地震や津波が来る事を、前もって知る事なんて誰にも出来ませんよ」

「いや、出来る。人工地震なら出来る。あの地震は人工地震だったのだ。しかもその人工地震を起こさせたのはA国だ。だからA国の奴らは、いつ地震が起きるか知っていて、その地震で死ぬように息子たちを相馬市に呼んだんだ。A国の奴らに息子たちは殺されたんだ。
息子は外務大臣の時、A国の戦争犯罪について発言したり、地位協定の不平等さを糾弾したりしてA国に憎まれていたから、A国に殺されたんだ。間違いない。                110
私も最初は運命だと考えていた。だがその後、人工地震だった可能性が高くなった。それで私は考えた。人工地震だったとして、では何故、息子は殺されたんだ、と。それで息子の事を調べた。そして分かった事は、息子は日本の政治家として、日本を良くしょうと、戦後の日本の不当な立場を変えようとしていた。A国からの完全な独立を模索していた。
当然A国は怒った。朦朧会見等を仕組み印象操作を使って、外務大臣どころか国会議員の地位まで奪い取ったが、それでも飽き足らず、家族もろとも命を奪い取った。
私のこの推理は間違っていない。その証拠に、地震の前に、福一原発のユーヤ人が皆本国に帰っている。事前に知っていたからだ。あれは人工地震だったのだ」

ユーヤ人と言うのが聞こえたせいか、アダムが一瞬ラムを見た。そして、中川さんの話が終わるとすぐ、ラムに通訳させた。そして話しを聞き終えると、アダムは複雑な表情をして考え込んだ。
(9.11のA国同時多発テロ事件の時も、被害者の中にユーヤ人は一人も居なかったと、以前お父さまが言っていた。そしてA国の自作自演が証明されつつある。
3.11も人工地震だったのか、、、そして、A国の陰にユーヤ人、、、
遠方から人工地震を発生させることができる、と言う話しは聞いたことがあるが、、、)
中川さんはまた話し出した。
「私はA国が嫌いです。大東亜戦争の時も私はこの家に居ました。空襲警報が鳴る度に、母に手を引かれ防空壕に逃げ込みました。幼心に、大人は何故、戦争するのかと疑問に思いました。
大人になって私は、大東亜戦争について調べました。そして、A国によって日本は無理やり戦争に引きづり込まれた事を知りました。当時のA国大統領の私利私欲のために戦争を引き起こした事を知りました。
その結果、何の罪もない数百万人の人間が殺されました。戦争が終わった後もなお、A国は日本国民を支配し、言う事を聞かない人間を殺しました。3.11は恐らく、A国の日本に対する恫喝だったのでしょう。当時は反A国政党だったですから、、、」

アダムは、ラムの通訳した話しを聞いて、さらに考え込んだ。
(世界の戦争の裏には、ユーヤ人が暗躍している事は事実だ。つまりユーヤ人が、多くの人を不幸にしている事になる。
しかも今は、人類の9割以上の人を抹殺しょうとしている、、、不幸になる人の事など考えもしないで、、、しかし、ユーヤ人以外のものはゴイムだ、家畜と同じだ。情けをかける必要などない、、、)
アダムとラムが黙り込んでいる事に気づいて、中川さんはハッとして言った。
「いや、すみませんでした。つまらない話しをお聞かせして、、、特にアダムさんは、A国人と同じ白人、ご不快な思いをさせてしまいました、すみません。お詫びに、と言っては何ですが、数日後、御一緒に花見しませんか。弁当を等、全て私の方で用意します」
ラムから聞いてアダムは「ありがとうございます。後日お返事させていただきます」と答えた。
その後アダムとラムは、頃合いを見て中川家を辞した。

中川家の門を出て、タクシー会社に電話すると、すぐに来た。来る時と同じタクシーだった。
アダムとラムが乗り込むと、運転手が言った「息子さんの話を聞かされませんでしたか」
「えっ、ええ、まあ」
「あの老人は、家に来る人みんなに話してるんですよ。息子は殺されたって。
人工地震なんて、できるはずないじゃあないですか。被害妄想狂の、たわ言ですよ。
今では誰も相手にしてなくて、尋ねて行く人もいません。あなた方も近づかない方が良いですよ」
ラムがアダムに伝えると、アダムは何も言わず腕を組んで前方を見ていた。
タクシーがホテル前に止まって、二人がホテル内に入って行くとすぐ、道路の反対側にワゴン車が止まった。                                                  111
ワゴン車の中からデーンはボディガードに、アダムとラムが帰ってきた事を告げた。

ホテルの部屋に入ると、アダムはベッドに大の字になり目を閉じた。
眠いのではなかった。考え事をしたいわけでもなかった。ただ、中川さんの事が脳裏に浮かんだ。
(年老いて息子さんを亡くされて、、、しかもそれが、殺されたかも知れないと分かったら、どんな気持ちだろう。自分が同じ立場だったら、、、
いや、よそう、所詮はゴイムのこと。数ヶ月後には死ぬ人の事、、、私が考える事ではない)
そう自分に言い聞かせようとした時、突然アダムの心の中に言い知れぬ寂寥感が広がった。それは、数日前に盛岡の居酒屋で飲んだ後、感じたものと同じだった。
アダムは、何故そのような気持ちになるのか考えた。
(ふん、もしかしたら、これが罪悪感と言うものだろうか、、、笑止な。ゴイム一人ひとりの気持ちを考える必要など、どこにもない)
そう思った時、ラムが胸の上に押しかぶさってきた。
「何を考えているの。もう、このまま寝るの」
アダムは考えを中断し、ラムを抱きしめて思った(今は、ラムの事だけ考えていれば良い、、、)

翌日、アダムとラムは函館を去った。電話で中川さんに、花見に一緒に行けなかった事を詫びると、中川さんは「残念ですが、またいつか遊びに来てください」と言った。これが今生の別れだとは夢にも思っていないそぶりだった。
ラムが電話を切った後、二人はJR函館本線スーパー北斗11号に乗った。
旅行者に扮した二人のボディガードが数人後に続いた。デーンともう一人のボディガードはワゴン車で札幌を目指した。

12:16定刻通りに動き始めた車内で、二人はぼんやり窓外の景色を見ていた。
だが30分ほどしてトンネルを出ると眼前にいきなり駒ヶ岳が見えた。
思わずラムが「わー、綺麗」と声を発した。アダムも見とれた。
列車が進むに連れて山の形が変わってくる。綺麗な山だ。しかし、15分ほどすると今度は海が見えてきた。海もまた綺麗だった。見ていると二人は何故か空腹を感じてきた。
車内弁当を食べるつもりで、函館では食事をしなかったのだ。
是非とも「かにめし弁当」を食べたい。車内販売が来るのが待ち遠しくなった。
二人が十分に空腹になったのを見計らったように車内販売が来た。
二人は「かにめし弁当」にかぶりついた。美味しい美味しい。二人は早食いを競争するかのように数分で食べ終わった。そして顔を見合わせて笑った。
そんな二人を見ながら、数席後ろのボディガード二人は、ブスっとしたまま「かにめし弁当」を食べていた。内心(美味しいな、この弁当、1個じゃあ足りないぞ)等と考えながら。

窓外の景色は飽きる事がなかった。
4時間ほどの列車の旅があっという間に終わり、午後4時過ぎに札幌に着いた。
早速二人は駅ビルを出て、函館とは比べ物にならない人の多さと、ビルの多さに驚き、北海道一の都会だと実感した。
二人は、駅前通りを南に向かって歩き出した。あまり寒くなかったので大通り公園まで歩こうと思ったが、途中で目に留まったグランドホテルに入りチェックインした。
部屋で少し休んでから、夕食を兼ね、夜の大通り公園を散歩する事にした。
大通り公園に着くと、左に曲がってテレビ塔を目指した。
(初めての町を知るには高い所から眺めるのが一番だ)そう思ったアダムとラムは展望台に行った。展望台からの眺めは綺麗だった。しかし、ラッシュアワーになったのか、人も車も多かった。 112
二人は、札幌の黄昏の景色が夜景に変わる頃まで展望台で過ごした後、大通り公園沿いのレストランで食事して、早目にホテルに帰った。

翌日は雨だった。気温も低いようで、部屋の外に出ただけで肌寒さを感じた。
二人は、ホテルのレストランで朝食を済ませると、また部屋に帰ってきてベッドに寝そべった。今日、どうしても行かなければならない所があるわけでもないので、部屋で、のんびり過ごすことにした。
ラムは、旅行に出て以来かけていなかったので、ちょうど良い機会だと思い父に電話した。
「お父さん、元気」
「ああ、ラムか、こちらは皆元気だ、何も変わりない」
「お父さん、私たち今、札幌に来てるの」
「ほう、札幌に、、、5月始めじゃあ、まだ寒いじゃろう」
「ええ、今、部屋から出て寒いのにびっくりした。昨日とは全然違う。雨のせいか、とても寒い」
「その辺は、雨の前は気温が上がって暖かいが、雨と一緒に気温が急に下がって寒くなるんじゃ。風邪をひかないように気をつけるんじゃぞ。アダムにもよろしくな」そう言って電話は切れた。

アダムも、通路を隔てた斜め向かいの部屋に居るとも知らず、デーンに電話すべきか迷っていた。
しかし、今はまだ何も問題が起きていないので止めにした。
デーンたちにとっては、一緒に行動してくれた方が、はるかに警護し易いのだが「陰から見張れ」との御支配さまの指示には背けなかった。
ツインルームに4人で、二人ずつ交代でドアの覗き穴からアダムたちの部屋を見張っていた。
昨日は函館から、二人で運転を交代しながら札幌までワゴン車で来たデーンは、疲れ果てていた。
今日は雨で、このまま部屋に居てくれたら見張りも楽なのだが、と思っていた。幸い、昼になっても出かける気配はなかった。交代して、デーンもしばらく眠った。

翌日は雨も上がり、清々しい天気になった。
アダムとラムは、歩いて行ける観光スポットを見て回った。母国のタイでは、観光した事も歩き回った事もあまりなかったラムだったが、ほど良い寒さのせいか歩き回るのが心地良かった。
昨日、部屋で大まかな観光ルートを調べていたアダムは、地図も持たないで目的地にラムを連れていった。
ラムは、アダムの記憶力の良さに改めて驚かされた。アダムは以前、タムルード一冊、全て暗記していると言っていたが、本当らしいと思った。
そんなに記憶力が良いなら、日本語も覚えれば良いのにとラムは思うのだが、覚えたくないのか今もなおラムに通訳させていた。
ラムは話す事はできても読み書きは出来ず、看板の地名等は英語表記を見ていた。札幌辺りは英語表記が多いから良いが、田舎に行ったら日本語表記だけだろうから困るだろうろ思った。

今日の予定、最後の観光スポットの北海道神宮から出ると、3時を過ぎていた。朝から歩き詰めで、疲れを感じていた二人は地下鉄東西線で帰る事にした。北1条宮の沢通を東に向かって数百メートル歩き27丁目を左折してまた数百メートル歩くとやっと西28丁目駅に着いた。
駅のホームに着くと、ちょうど電車が入ってきた。アダムとラムは、前の人を追い越して急いで電車内に入り、二人分空いていた緑色の座席に座った。
二人の後から、ドアが閉まる直前に右足を引きずりながら入ってきた老人が、不愉快そうな顔をしてアダムとラムの前に立つと、無言のまま窓ガラスに貼られているステッカーを指さした。
アダムとラムが訝しげに窓ガラスを見ると、漢字で何か書いてあったが二人とも読めなかった。
だが、すぐにラムが立ち上がり、老人に席を譲ろうとすると、アダムが制して立ち上がり、老人を座らせた。                                                   113
老人はよろよろと座りながら「ありがとう、、、嫁思いの良い夫のようだが、日本人ではないのか」とラムに言った。

ラムは「夫はイギリス人です、私はタイ人です」と言った。
老人はしげしげとラムを見てから言った「タイ人、、、日本人に見えるし日本語を話せるが、、、」
「父は日本人で、母はタイ人です。父から日本語を習いましたが読み書きはできません」
「ふ~ん、そうだったのか、だからこれが読めなかったのか」そう言って老人はステッカーを指さした。
ラムがもう一度ステッカーを見ると、老人は「これは、優先席と書いてある。老人や病気の人を優先的に座らせる席だ」と教えてくれた。
ラムが驚いて立ち上がろうとすると、老人は小さく笑って言った。
「立たなくて良い、あなたの夫以外はみな座っている。空いている時は、だれが座っても良いんだ。それに、あなたはステッカーの文字が読めなかったのだから仕方がない」
ラムは恐縮して座り直し、アダムに優先席の説明をした。アダムも納得した。

「お二人は旅行者かい。この地下鉄では旅行者は珍しいが」
「はい、二日前に来ました」
「札幌にはいつまで居る予定だね」
「予定はありません。飽きたら他へ行きます」
「ほう、気ままで良い旅行だ、羨ましい、、、私も一時期よく旅行したが今は足が悪くて、何処へも行けなくなった。人間、動けなくなったらおしまいだ。
私はもう、お迎えが来るのを待つだけになっている、、、歳は取りたくないものだ、お、着いた、私はここで降りる」
老人はそう言ってよろよろと立ち上がった。
西11丁目と社内音声が聞こえた。アダムとラムが降りる大通の一つ手前の駅だったが、右足を引きずる老人を見かねたのか、アダムはラムを促し、老人を支えて電車を降りた。

アダムが老人を支えて、何とか地下鉄を出ると「ありがとう。もう、ここで良い。私はここからタクシーで帰る」と老人は英語で言ってアダムの肩から手を外そうとしたが、アダムは尚も支え続けながらラムに早くタクシーを止めるように言った。
老人はポケットから千円札を数枚取出し、アダムに押し付けながら言った。
「済まないねえ。世話になった。少ないがこれでラーメンでも食べてくれ」
アダムは千円札を老人に返しながら「お金は要りません。タクシーが来るまで私につかまっていてください」と言い「ラム、タクシーはまだか」と聞いた。
数分後やっとタクシーが来て、後部座席に老人を乗せると、老人は名刺をアダムに手渡し「ありがとう。今は痛風発作でこんな有り様だが明日には治る。電話してくれ。お礼に一緒に食事しょう」と言った。アダムは名刺をポケットに入れ手を振った。タクシーは出発した。

アダムとラムは、そこから大通り公園を歩いてホテルに帰る事にした。
大通り公園と駅前通りの交差点付近で、二人はベンチに座って少し休んだ。
4時を少し過ぎ、大通り公園西側の木々の上に夕陽が見え隠れしていたが寒くはなかった。
やがて二人の前を、ランドセルを背負った小学校低学年らしい女の子が1人通り過ぎて、隣のベンチにランドセルを置き、花壇の周りで遊び始めた。
アダムとラムは、女の子を驚きの目で見た。保護者はどこにも居ない、女の子一人だけ。イギリスでもタイでも見たことのない光景だった。
ラムは思った(家はこの近くなのだろうか。それでも一人だけでは危ないだろう。もし誘拐されたらどうするのだろう)
ラムはアダムに言った「この女の子、一人だけなのかしら、危なくないのかしら」        114
「イギリスでは考えられない事だけれど、日本は大丈夫なんだろう」とアダムも不安そうに言った。

二人の心配をよそに、女の子は無邪気に花壇の周りで遊び続けていた。
時おり花に話しかける仕草の何と可愛いこと。まるで妖精が花の周りで戯れているかのようだった。
思わずラムが女の子に話しかけた「あなた、一人で遊んでいて大丈夫なの、家は近くなの」
女の子は驚いたのか、ハッと振り向きラムを見た。そして、ラムが優しい女の人だと判断したのか、人懐っこい顔で近づいて来て言った「さっちゃんは大丈夫、いつもここでお母さんを待ってるの」
「えっ、お母さんを待っているの」
「うん、お母さんもうすぐここへ来るの。お母さん毎日、仕事に行ってて忙しいから、さっちゃん、ここで待ってる」
「そうだったの、、、」
ラムはアダムに、女の子との会話を通訳した。アダムは腕組みをして考え込んだ。
(仕事から帰って来る、お母さんを一人で待っている、、、怖くないのだろうか、、、日本ではよくあることなのか、、、イギリスでは、変な男に連れ去られるだろう、、、いや、こんなに可愛らしい女の子なら、女性だって連れていくかも知れない、、、本当に可愛い子だ、私も連れ去りたくなった)

アダムが立ち上がり、女の子に近づいて行くと「さっちゃん」と声がした。
声の方を見ると、女性が公園入口に立っていた。
「あ、お母さん」そう言って女の子は、すぐにランドセルを背負って女性の元へ走って行った。
女の子と母親が横断歩道を渡って見えなくなるまで、アダムとラムは見続けていた。何とも言えない、ほのぼのとした気持ちにさせられる光景だった。だがその時、不意にアダムの脳裏に(二度と見ることのできない光景、、、)と言う自分自身の声が聞こえ、言い知れぬ寂寥感が広がった。
(何だ、この感覚は、、、たかだか女の子と母親が去っていくのを見送っただけで、何故こんな気持ちになるのだ。女々しいぞ。やがてはロスマイルド家を継ぎ、世界の総帥となる者が、このような光景を見ただけで心を乱すなど、あってはならぬ事だ)と、アダムは自らの心を????りつけた。
アダムは、ラムを促して立ち上がり、ホテルに向かって歩き始めた。しかしその後ろ姿は、心なしか薄暗く見えた。

途中で夕食を済ませてホテルに帰って来ても、アダムは、何故かまだ心が晴れなかった。いつもより早目に湯船に浸かり、大きく息を吐いた。その時ふと思った(そうだ、温泉に行こう)
風呂から出ると、アダムはラムに「明日から温泉に行こう」と言った。観光地巡りにも飽きてきていたラムは喜んで賛成した。
翌朝フロントに行って相談すると、無料送迎バスがあると言うので「定山渕温泉」に決め、大通り公園から2時発のバスに乗るつもりで、チェックアウトまでの時間を部屋でのんびり過ごした。

バスに乗って1時間も経たずに定山渕温泉に着いた。
大きな立派なホテルで驚いた。露天風呂も最上階展望風呂もある。二人は子供のように喜んだ。
さっそく二人一緒に入れる露天風呂で温泉を満喫した。その後のホテル内レストランの食事も素晴らかった。申し分ないホテルだ。
夜中に最上階展望風呂にも入り星を眺めた。ラムは夢でも見ているような気がした。
(こんな温泉に入れるなんて夢のようだわ、、、これもアダムのおかげ、、、アダムがお金持ちだからできる事、、、)ふとそう思った時、ラムは急に寒気を感じた。温泉で身体は温まっているはずなのに何故寒気が?、、、ラムは寒気の原因を考え、そして思いついた(この世の全ては、お金次第)
そう思いつくとラムは何故か悲しくなった(私は幸運にもアダムと結婚できてお金に不自由しない身になった、、、でも、貧しい人々はこのホテルに泊まることもできない、、、世界には、お金持ちは僅かで、貧しい人々が圧倒的に多いと知った、、、何故、世界には貧しい人々がいっぱい居るのだろう。何故みんなお金持ちになれないのだろう)ラムは、沈んだ気持ちで部屋に帰った。 115

同時に男女別の最上階展望風呂に入ったのだが、アダムはまだ帰ってきていなかった。
ラムは、一人でベッドに入った。暖房が効いているはずなのにベッドの中は冷たかった。
いつもはアダムが先にベッドに入っていて温かった。アダムはいつも、そうやってベッドを温めていてくれたのだろうか?。そう思うとラムは思わず(アダム、早く帰ってきて)と心の中で叫んでいた。
その叫び声が聞こえたわけでもないだろうが、アダムが帰ってきた。ラムがベッドの中に居る事に気づくと、アダムは無言でベッドの中に入ってきた。ラムは抱きついた。なんて温かいんだろう。
素肌を触れ合わせる最愛の夫。優しくて、お金持ちで、、、素晴らしい夫、、、ラムはそのまま夢の中へ入って行った。最上階展望風呂で感じた寒気の事など忘れて、、、。

次の日、さすがに朝から風呂に入る気にはなれず、朝食前に散歩に行った。
国道沿いの歩道を、あてもなくぶらぶらと歩いた。風がひんやりしていたが、良い天気で気持ちが良かった。
ちょうど通学時間だったようで、数人の小学生が一列に並んで歩いていた。アダムとラムが追いつくと振り返って「おはようございます」と、元気良い声で挨拶してくれた。
ラムは「おはようございます」と丁寧に返したが、アダムは「Good morning」と返した。
すると一番小さい男の子が「あっ、外人さんだ」と言い、アダムに近づいて来てしげしげと見た。

好奇心に満ちたあどけない顔。何とも可愛い顔だ。アダムは微笑んで「I am Adam」と言うと、一番年長らしい女の子が驚いたように言った。
「えっ、アダム。じゃ、この女の人はイブ。アダムとイブですか?でも、ここはエデンの園ではありません。どうしてここへ来たんですか?」
ラムが吹き出してアダムに伝え二人して笑った。
アダムは「良い発想だ。この女の子は将来、大物になる」と言い、ラムに伝えさせた。
だがその時、アダムの背中に冷たいものが流れた。自分が発した何気ない言葉の無責任さに気づきハッとした。そしてまた、あの何とも言えない寂寥感がアダムの心の中に広がった。

(この子たちは皆、もうすぐ死ぬ、、、恐らく、否、確実に)
アダムは、子どもたちを直視できなくなった。鼓動が激しくなった。呼吸できない。アダムは、歩道脇にしゃがみ込んだ。ラムと子どもたちが驚いてアダムを取り囲んだ。
「アダム、どうしたの。具合が悪いの。アダム」
「アダムさん、どうしました、大丈夫ですか?」「アダムさん」「アダムさん」
ラムと子どもたちが口々にアダムに声をかけた。
アダムは苦しそうに息をし「苦しい、呼吸できない」と呻いた。

ラムはオロオロしながらも、通りかかった車を止めて病院へ乗せて行ってもらうよう頼んだ。
車を運転していた若い男は快諾してくれ、すぐに病院へ連れていってくれた。幸い5分ほどで病院に着いた。まだ開いていなかったが急患扱いで診てもらった。
幸運なことに英語の達者な医師で、アダムから的確に症状を聞き、すぐに病状が分かったようで、アダムに「ゆっくり、、、落ち着いて、ゆっくりゆっくり呼吸しなさい」と言った。
アダムは医師に言われた通りに、何度もゆっくり呼吸して次第に呼吸困難が回復していき、10分もすると正常になった。

アダムはベッドから起き上がり、医師に聞いた。
「さっきは死ぬかと思うほど呼吸が苦しかった。でも、もう大丈夫です。しかし、薬も飲まないのに何故良くなったのか、、、これは一体どんな病気なのでしょうか」
医師はアダムの前に座って静かに言った。                              116
「精密検査しないと断定できませんが、恐らく過換気症候群でしょう。ストレスが重なった時に、自分で自分の呼吸のペースを乱して呼吸困難になるのです。呼吸パニック状態です」
「呼吸パニック状態、、、」
「呼吸パニック状態になっても死ぬことはほとんどありません。ですが、患者の皆さん、本当に苦しいと言われます。そして、苦しいから更に空気を吸って、吐くのが足りなくなるのです。
呼吸は吸う吐くを同量にしないとダメなのです。今後また、同じようになった時は、落ち着いて、吸うのを1、吐くのを2にする感じで、ゆっくり呼吸してください。それで恐らく治るでしょう。それと、原因はストレスですので、とにかくストレスを溜めないようにする事です」

「、、、」
本当に苦しかった。二度と同じ苦しみを味わいたくない。しかし再発もあり得ると言う医師の発言に不安を抱くアダムは、まだ何か聞き足りない言い足りない気分だったが、医師は処方箋薬も出さず、サッサと退場して行った。
医師の居なくなった診察室にとどまっていても仕方なく、アダムはラムと一緒に去った。
病院の外に出ると太陽が眩しかった。上天気だ、正に五月晴れ。
そのままホテルに帰るのは勿体ないと思われたが、散歩を続ける気にはなれないアダムは、ラムに伴われてトボトボとホテルに帰った。
部屋に入るとアダムは、靴も脱がずにベッドに大の字になった。それを見てラムは、無言のまま靴を脱がし、アダムの横に添い寝した。
アダムは、いろいろ考えなければならない事があるように思い、考えようと試みるのだが精神を集中することができなかった。その上、強い睡魔に襲われ眠ってしまった。
ラムも、アダムの寝息に誘われ、いつの間にか眠っていた。

アダムがふと目覚めると、ラムはアダムの脇の下に顔を埋め、あどけない表情で寝ていた。
(なんて可愛い寝顔だ、23歳だと言うのが信じられない、、、まるで少女のようだ、、、)
アダムは、ラムの寝顔を見るのが好きだった。親が赤子の寝顔を見るが如く、見飽きることがなく、いつまでも見続けていた。そうしながらアダムは、数時間前の苦しさを思い出した。
通学途中の小学生との束の間の楽しい会話。それが一瞬にして呼吸困難を引き起こした。
その原因は、、、考えれば、その原因は簡単に分かった。分かったがしかし、アダムはそれを認めようとはしなかった。
あまりにもデリケートな女々しい自らの心を、アダムは認められなかったのだ。
(いずれ私は、ロスマイルド家を継ぎ、理想郷の総帥になる身。そんな自分が、子供たちの死を想像して心を乱すとは、、、選ばれた者以外はゴイムだ、豚だ、家畜だ。そのような者たちの死などにかまっていられるかと、何故そう割り切れないのか、、、)アダムはいつまでも自問自答した。

不意に携帯電話が鳴った。アダムはベッドから起きて、デスクの上の携帯電話を取った。
電話はロビンからだった。アダムは、ベッドを離れ浴室に入って受信ボタンを押した。
「ロビン兄さん、お元気ですか」
「アダム、挨拶は抜きだ、本題に入る。御支配さまから連絡があった。決行日は来月6日だ。お前たちはもうワクチン接種は終わっているんだろうな」
「はい、接種は終わっています、、、来月6日ですか、、、」
「ああ、私も予想はしていたが、やっぱりだ。6が三つ重なる日だ、こんな慶事日を御支配さまが見逃すはずがない、、、今、全世界の主要都市の空中散布の手配をしているところだが、今月中に終わる予定だ。だが、決行は6日だ。その後はアダムも忙しくなるだろう。今は身体を休め英気を養っておけ。また電話する」そう言って電話は切れた。
アダムは、心が昂ぶった。さっきまでの不安やわだかまりが吹き飛んだ。            117
(いよいよか、、、後、約3週間だ、、、)アダムは、興奮して身震いした。


同じ日、R国プーロン大統領に電話がかかってきた。受信ボタンを押すと、興奮した秘書官の声が聞こえた。
「大統領、良い知らせです。ワクチンが完成しました」
「なにっ、本当か」
「はい、臨床試験の結果、100パーセント近い効果が確認されました。しかし、効果が現れるのは接種後1週間から10日です、、、量産体制に入ってもよろしいでしょうか」
「無論だ、急げ。でき次第、上層部とトリョーシカ人形作戦に従事する者に接種しろ」
「分かりました」
大統領は狂喜した(これでSH島とウラジオスの仇が討てる)


決行日を知らされてから、アダムは落ち着かなくなった。やらなければならない事がある訳でもないのに、何故かじっとしていられなかった。椅子に座ってデスクの上のノートパソコンや携帯電話を見ても、何もする事がなかった。そして、何もする事がない、ということにイライラしている自分に気づいてアダムは思った(焦っても仕方がない、こんな時は、、、ラムと一緒に温泉に入ろう)
しかし、目を覚ましたばかりのラムは入りたくないと言う。時計を見たらまだ11時半だった。
(温泉よりも食事だな)アダムがラムに言うと、ラムは即座に同意した。
思い返せば、今日はまだ何も食べていなかったのだ。朝食前に散歩に行ってアダムが具合が悪くなり病院へ連れて行ってもらった。帰って来てからは眠った。目が覚めたら電話がかかってきた。
(そうかラムはお腹が空いていたんだな。しかし私は、、、)と思ったらアダムも急に空腹を感じた。
二人はホテル内のレストランに入った。ランチメニューから野菜天ぷらセットを注文した。
二人は初めて食べた、タラの芽の天ぷらの美味しさに驚き、おかわりをした。料理長は苦笑しながらも、タラの芽だけ二人分作ってくれた。二人は満腹になり充分満足してレストランを出た。

昼食の後、二人は部屋の窓から温泉街を見下ろした。山に囲まれた小さな田舎町だが、大きなホテルが何軒も建っていた。
豊平川に掛かる、大きな橋の上を歩く数人の観光客が見えた。
天気が良いせいか、心なしか観光客も浮かれているようだ。若い男女が、欄干に持たれてふざけ合っている。その横では、男女が抱き合っている。日本人は人前では、そのような事をしないと聞いていたが、とアダムが思った次の瞬間、二組の男女は欄干を乗り越えて、手をつないで飛んだ。
アダムとラムは驚いて顔を見合わせた。
「警察に通報しなくては」
ラムがそう言って部屋を出て行こうとしたのをアダムは止めて、備え付け電話でフロントにかけた。
アダムが英語で「今、橋の上から二組の男女が飛び降りた」と言ったが、フロントスタッフは英語が通じないようで埒が明かなかった。ラムが替わって日本語で話すと、やっと理解したようで「分かりました。すぐ、警察に知らせます」と言って電話はきれた。

アダムとラムは、その後も窓から橋を見下ろしていた。10分ほど経ってからパトカーが来て、数人の警察官が橋の上から下を覗き込んだり、交通整理を始めた。
数時間後、部屋に警察官が来て事情聴取をされた。アダムとラムは窓から見た通りの事を話し、それから4人について聞いたが警察官は何も話してくれなかった。
夜、テレビニュースを見ると、4人の事を報じていた。4人は同じ高校の学生で自殺の動機などはまだわからないようだった。                                       118
そのニュース内容をラムがアダムに話すと「4人とも高校生?」と言って驚いていた。
「高校生が何故、自殺を、、、」とアダムは呟いた後、考え込んだ。
(4人の若いゴイムが、3週間早く死んだ、、、それだけの事だ、、、3週間後にはもっと多くの人が死ぬ。いや、人ではない、ゴイムが死ぬだけだ、、、人類が生き延びるためには、どうしても避けては通れぬ出来事だ、、、)アダムは、そう自分に言った。しかしその時、朝出会った子供たちの顔が思い浮かんだ。特に一番小さい男の子の好奇心に満ちた目が、、、。

アダムはまた息苦しくなった。鼓動が早くなった。朝と同じ症状だ。アダムはラムを呼んだ。
「ラム、来てくれ、苦しい、、、」
ラムはアダムの元へ飛んできた。そして朝と同じ状態だと分かると、アダムの両手を握り締めて言った「ゆっくり、ゆっくり呼吸して、、、吸うのを1、吐くのを2で、ゆっくり、ゆっくり」
アダムは小さく息を吸って、大きく息を吐き、止めてそのまま息を吐いた。それを数回続けていると息苦しさが薄らいできた。
呼吸が正常に戻ると、アダムはラムを引き寄せ抱きしめて言った。
「ラムは名医だ、、、素晴らしい妻だ。一生離さない」二人は、そのままベッドに倒れた。

翌日の午前中、二人は札幌に帰った。
自殺の瞬間を目撃した不快感もあったがそれ以上に、アダムの精神的な面を考慮して、場所を変えた方が良いと判断した。
札幌に着くと、ホテルも変えようかと迷ったが、バス停から近い事もあり、また同じホテルに入った。しかし部屋は別方向にした。
今度の部屋は33階で、窓からの眺めも良かったが、アダムもラムも窓の外を見ようとしなかった。
それどころか、観光する気さえも失せていた。
二人は、食事以外はベッドの上でゴロゴロして過ごしていた。そんな過ごし方を三日も続けると、さすがに飽きてきた。ラムが、テレビニュースを見た後で言った。
「今テレビで見たんだけど、桜が満開だって。明日行って見ない」
「う~ん、また花見か、、、昼間なら良いよ」

翌日の昼前から二人は、歩いて円山公園に行った。公園に着くと、花見客がいっぱいだった。
いたるところにブルーシートが敷かれ場所取り人が座っていた。
アダムとラムは、東京での楽しかった花見を思い出した。しかし、今は二人だけだし、夜桜を見ながら宴会をする気までは起きなかった。
二人はぶらぶらと、あてもなく公園内を歩いた。桜は満開で綺麗だったし、天気も良くて気持ちが良かったが、何故か楽しくなかった。
二人は、丸山原始林の散策コースに入った。急な登り坂などもあり、運動不足気味の二人は、汗をかきながら歩いた。汗をかくのも久しぶりで心地良かった。
前を歩いていたアダムが急に立ち止まり、木の上を指さした。ラムがその方を見ると、可愛いシマリスが枝の上を走っていた。
二人は、シマリスが行ってしまうまで、立ち尽くして眺めていた。
(札幌の繫華街のすぐ近くで、こんな自然のままの動植物を見れるとは、、、)アダムは感心し、すっかり気に入っていた。だが、空腹を感じた。時計を見たら1時半。
来た道を引き返すのもどうか、と思い、とにかく先へ進んだ。
2時ころやっと公園を出て、空腹最高潮で近くのレストランに入った。

レストランを出ると二人は、運動不足解消を兼ねてホテルまで歩いて帰る事にした。それで、まだ通ったことのない南4条通りを歩いた。だが、しばらく歩いて二人はガッカリした。      119
街中のありふれた道路で、好奇心をそそる物が何もなかった。これなら大通り公園の街路樹や花が咲いた花壇を見ながら歩いた方がずっと楽しい。二人は、途中で左に曲がり少し歩いて大通り公園に出た。
しばらく歩いて駅前通りとの交差点に達すると、二人は顔を見合わせた。またベンチで休んで行くか迷ったのだが、このまま帰る事にした。

ホテルに入るとカウンタースタッフに呼び止められた「ミスターアダム、お客様です」
アダムが驚いて振り向くと、見たことがあるような老人が立っていて、アダムとラムを見て安堵した表情で英語で言った。「アダムさん、この間はお世話になりました。覚えていますか」
アダムは少し記憶を辿ってから言った「地下鉄でお会いした御老人」
「そうです、、、上田靖と言います。その節はお世話になりました。名刺を差し上げたが一向に電話をいただけないので、厚かましく出向いて来ました。この間のお礼に、せめて食事でもごちそうさせて下さい」
アダムとラムは顔を見合わせた。お礼をされるほどの事をしたわけでもないが、わざわざ来てくださったことを考えると断るのもどうかと思いアダムは言った。
「わかりました、では明日の夜、どこかで、、、」
上田は笑顔で「では明日7時頃、車で迎えに来ます。家内も一緒でよいですね」と言った。
アダムが承諾すると、上田は帰って行った。

部屋に入るとアダムはラムに「私たちがここに居る事を、上田さんはどうして知ったのだろう」と言った。ラムも同じことを考えていたのか「私にもわからない」と言って訝しげな顔をした。
アダムは更に考えた(あれは定山渕温泉に行く前だから1週間ほど前だ、、、あの時このホテルの名前は言ってないのに何故わかったのだろう、、、怪しい人とも思えないが、、、)
アダムは、考えたことをラムに話した。ラムは少し考えてから言った。
「私も少し不思議に思うわ。でも、悪い人ではないように思う、、、
あの方が、どうしてこのホテルがわかったのか、フロントで聞いてみましょうか」

アダムが同意すると、ラムはフロントに電話した。その結果フロントスタッフが言うには
「上田様は札幌市内の主だったホテルに電話され、アダム様とラム様の容姿を告げて宿泊されているかどうか調べられたそうです。そして13軒目に当ホテルに電話されました。
しかし、アダム様とラム様が定山渕温泉に行かれた後でしたし、また当ホテルに来られるか定かでなかったので、そう御伝え致しましたところ、もしまた泊まられたら電話して欲しいと言われておられましたので電話しました。
上田様は民俗学者で、決して怪しい方ではありませんので、どうぞご了承ください」との事だった。
「民俗学者?、、、ふ~ん」ラムから話しを聞いてアダムは、ホテル宿泊を知られた事については納得したようだった。

翌日の夜、7時前にアダムとラムがロビーで待っていると上田夫婦が現れた。
どちらかと言うと小柄な方に入る上田に比べ奥様は大柄だった。しかも口の周りに入れ墨してありアダムとラムは驚いた。二人の驚いた顔を見ても上田夫婦は気にも留めない素振りで車に誘った。
10分ほどで小高い丘の上の、札幌の夜景の見える料亭に着き、4人が離れの席につくとすぐ主人が現れて恭しく言った。
「これはこれは、ロスマイルド家のご子息アダム様。御来店いただき光栄の極みでございます」
それを聞いてアダムは青ざめた。アダムは北海道に来て一度もロスマイルド家の苗字を使っていなかった。ホテル宿泊も偽造パスポートを使っていた。
なのに何故この旅亭の主人はアダムの事を知っているのか。                  120
アダムのその心中を見抜いたように主人は続けて言った。
「ご夫婦だけで御旅行とは不用心な事で、、、私どもが御味方で幸いでしたな。私は、上田様ご同様フリーメゾンの者です、ご安心のほど」
「東っ、その事は禁句のはずだぞ」と、上田が声を荒げて言った。主人、東は一礼して退出した。

「アダムさん、失礼いたしました。もう隠しても仕方がないので御話しします。私も彼もフリーメゾンの一員です。しかし、今宵の食事は上田個人がお誘いした事です。ご不快かも知れませんが、どうぞ、私の心中を御察しください」
(不快なんてもんじゃない、恐怖だ。もしこの人が良からぬ野心でも抱いていたら、私もラムもどうなっていたか、、、)そう考えると、アダムは冷汗が出た。上田がそのよな人でなくて幸いだった。だが、一つだけ確認しておかねばならない事があった。
「わかりました。今夜は上田さんの御誘いと言う事でご相伴にあずからせていただきますが、一つ教えてください。私がロスマイルド家の者だと、どうしてわかったのでしょうか」
「、、、フリーメゾンの主だった者なら、ロスマイルド家の方々の写真は見て記憶しています。しかし私は高齢で物忘れが激しく、電車内での初対面時ではわかりませんでした。ですがその後、御滞在ホテルを探しているうちに思い出しました。確認のためフリーメゾンの資料を調べている時、東に知られてしまったのです。今回の事はフリーメゾンは関係ないからと口止めしていたのですが、、、多分、東とて本当に、不用心なアダムさんの事を気遣っての言葉だったと思います。その事をご配慮いただき、どうぞ御容赦ください」

アダムは一応納得した。そして思い出した。自分の写真や経歴等はインターネットで、ロスマイルド家で検索すれば誰でも簡単に見れるという事を。
如何に精巧な偽造パスポートを使っていても、整形手術でもしない事には正体がバレる可能性が高いという事だ。幸い、まさかロスマイルド家の人間が、夫婦だけで北海道旅行しているとは誰も思わなかっただろうから今までは無事だったのだ。
だが、それを知られてしまった、、、アダムは、今後の事を考え直すべきかと思ったが、それはこの食事が終わってからだ。今は先ず上田さんとの食事、そしてこの人の正体を探る事だ。
「わかりました上田さん。では一個人の上田さんと、ただのアダム夫婦ということで、よろしくお願いいたします。東さんにも決して口外されませんよう、お願いします」
「ありがとうございます。お詫びに、東にとびっきりの料理を作らせます」
そう言うと上田は、呼び鈴を鳴らして店員を呼び料理を注文した。

東を含め3人は英語で話していたのだが、その間、上田の妻は一言も言葉を発せず、身動きさへしないようにじっと座っていた。その事に気づいていたラムは、何か話しかけようと思いながらも適切な言葉が思いつかず黙っていた。そんなラムに上田が日本語で話しかけた。
「奥さんはタイの方だそうですが、色も白くて日本人のようです。お父さんに似られたのでしょうか」
「はい、小さい時からよく言われました。幸運な事に、肌の色は父に似て、顔立ちは母に似ました。もしこれが反対だったら、私は結婚できなかったでしょう。母は色が黒いですし、父の顔は、、、土砂崩れを起こしていますので」
上田は吹き出して言った「土砂崩れ、、、面白い表現ですが、お父さんに失礼ですよ」
「そうでしょうか、日本語の表現言葉はあまり知りません。土砂崩れと言う言葉は、父が何度か使っていたので覚えました。不適切でしょうか」

「そうですね、あまり良い表現ではないですね。しかし、それくらい日本語が話せるのは立派です。私は、英語でそのような表現まではできません、、、
顔の話が出たついでに御話しますが、家内はアイヌで、口の周りの入れ墨は民族の伝統です。
今は、病院へ行けば入れ墨を消せるそうですが、家内は消そうとしません。          121
アイヌ民族を誇りに思っているようです」
「え、奥様はアイヌ民族?、、、日本人じゃないのですか?」
「いえ、日本人ですよ。日本人の中にアイヌ民族も居るのです。いや、むしろ日本人の先祖はアイヌ民族だったとさへ言えるのです」
「へえ、日本人の中のアイヌ民族ですか、、、では、私の母がタイ人の中のリス族と言うのと同じですね」
「ほう、奥さんのお母さんも一民族ですか?、、、ではやはりタイ人とは違った風習とかもあるんですかね。家内は独特な風習を今も続けていますが」
その時、料理が来た。鮭の切り身がたっぷり入った石狩鍋が、備え付けコンロの上に置かれ火がつけられた。すると急に上田の妻の身動きが活発になった。

テキパキと小皿や箸を4人に配ったり、味噌の味見をしたり、火加減を見たりと、まるで水を得た魚の如くに見えた。鍋が煮えてきてからも、味噌加減、山椒加減も申し分なく素晴らしい味にして、4人の取り皿に盛って手渡した。
アダムが一口食べた後、顔をほころばせたのを見て、ラムも食べてみて一言言った「美味しい」
それを見て、上田の妻は初めて笑顔になり、上田と視線を合わせた。
その後は4人とも無言で食べ続けた。そうしている間も上田の妻は、かいがいしく取り皿に料理を継ぎ足したり、火加減を見たりしていた。
やがて4人とも満腹になった。上田が呼び鈴を鳴らし店員を呼んで片付けさせ、デザートのアイスクリームを持って来させた。そのアイスクリームも絶品だった。

アイスクリームを食べ終えるとアダムが言った。
「ごちそうさまでした。素晴らしい食事でした。また奥様の御もてなしも最高でした。ありがとうございました」
「ほう、アダムさんは『御もてなし』と言う言葉もご存知でしたか。ありがとうございます。家内に伝えます」と上田は英語で言った後、奥さんに伝えた。
すると奥さんは照れ笑いを浮かべ小さく頭を下げた。その、はにかんだ仕草の何と素朴で初々しかった事。これこそ日本人の自然な仕草だと、アダムは改めて感じ取った。
その、アダムが感じ取った事を補足説明するかのように上田が言った。
「家内は何の取り柄もありませんが、自然なもてなしができるので、このような席では重宝します。
しかし、一昔前の日本の妻はみなこんな感じでした、、、日本人の良さが年とともに失われていくようで、何やら寂しいです」

「そのような日本人の素晴らしいところを私も身につけたいです」と、ラムが硬い表情で言った。
すると上田は微笑みを浮かべて言った。
「奥さんに、その御気持ちがあれば簡単に身につけられます。日本人の良いところを、つまり相手の良いところを学ぼう、そう言う気持ちを持ち続ければ良いのです。
そして今一つ大事なことは、相手の立場、相手の心を思い遣る気持ちを持つ事です。そうすれば自然に御もてなしができるのです、、、
ただ悲しい事に、日本人といえども最近は、自分の事しか考えられない人間が増えてきています。自分の事しか考えられない人間では心のこもった御もてなしはできません。
それは上辺だけの形式的な動作でしかありません。そんな動作だけでは相手の心に届きません」

上田の言葉はラムの心を捕らえた。日本人の心とは正にこれだわ、と思った。ラムはアダムに伝えた。アダムも深く感銘を覚えた。そしてこの上田と言う人物に興味を抱いた。
もっともっと話しを聞きたくなった。アダムは言った。                         122
「上田さん、食事は終わりましたが、宜しければ、もっと御話しを聞かせていただけないでしょうか」
上田は一瞬驚いた顔をした後で笑顔で言った。
「私の拙い話など何の役にも立たないでしょうが、聞いてくださるなら幾らでも御話しします。
しかし今夜はもう遅いので、、、そうですね、明後日の日曜日、我が家に来ませんか。札幌から少し離れていますが静かで良い所です」
アダムは即答した「是非とも、お邪魔させて下さい」
「では日曜日の朝9時にホテルへお迎えに行きます」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
その後、アダムとラムはホテルまで送ってもらい、上田夫婦に丁重にお礼を言って別れた。

日曜日、時間通りに上田夫婦がホテルに来てくれた。4人が車に乗り込むとすぐ出発した。
30分ほど走っていてアダムとラムは気づいた。定山渕温泉に行く道だった。
ラムがその事を上田に聞くと「はい、私の家は定山渕温泉の5~6キロ手前にあります」と言った。
やがて車は大道路を右に曲がり、山と畑の間の細い道を通って木々に囲まれた大きな家の前に止まった。
「さあ着きました。何もない所ですが、のんびりしていってください」
アダムとラムが車から出ると、アイヌ民族衣装を着た若い男女が家から出て来て迎えてくれた。
「何だ、お前たち来てたのか、、、」上田はそう言ってからアダムとラムに「孫夫婦です」と紹介した。
アダムが「こんにちは、初めまして」と日本語で挨拶すると、孫夫婦は上手な英語で、それぞれ自己紹介した。
ラムが「英語よくできるんですね」と言うと、上田が「孫は2年ほどアメリカに語学留学してました。今では、私よりもずっとできます。話し相手してやってください」と言った。

皆は家の中に入った。居間に通されると、博物館かと思うほどアイヌ民族衣装が壁に飾られていた。
アダムとラムが驚いて見ていると「全部、家内の手作りです。近くにピリカコタンと言うアイヌ文化体験施設がありますが、そこにも家内の作品が展示されています、、、
昔はこの辺りにもアイヌが住んでいたようですが、今はうちだけになりました。とは言っても私自身はアイヌではありませんが、、、
私は、若い頃からアイヌ民族について研究していて、それが縁で家内とも結婚しました。
今では北海道のアイヌ文化についてなら家内よりも知っています。そして知れば知るほど、アイヌ文化の素晴らしさが分かってきました。
私は、アイヌこそ日本人のルーツだと思っています。何とか、アイヌとアイヌ文化を守って行きたい。子も孫も、アイヌと結婚させました。アイヌの良さは結婚したら分かります。子も孫も、不満はないようです」と上田は立ったまま英語で話した。それに気づいた孫夫婦が椅子に座るよう勧めた。

アダムとラムがソファーに並んで座ると、テーブルを隔てた向かいに上田が座った。孫嫁が、お茶とお茶菓子をテーブルの上に置いて出て行った。上田が、お茶を一口飲んでから話し始めた。
「いきなり堅い話もなんですが、私は、4~50年前からアイヌについて研究し、アイヌこそ日本人のルーツだと確信していましたが、嬉しい事に最近のDNA研究結果からもそれが証明されました。まあ、日本人全ての先祖と言うわけではありません。日本人には南方系のDNAも混じっていますので、、、そうやって混じりあって生まれたのが日本人の先祖の縄文人ですが、この縄文人がまた素晴らしかった。争いを好まぬ優しい人々で、数万年にわたって戦争をした形跡がない。
また、身体の不自由な子が生まれても見捨てず育て、人は無論のこと、犬が死んでも埋葬した。
正に今の日本人と変わらぬほど心優しい人々だった。私は、そのような先祖があった事を幸運に思っています」そこまで話した後、上田はまたお茶を飲んだ。
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アダムは思った(縄文人が争いを好まぬ人々だった事は、確かお父さまも話していた。日本人は特別な遺伝子を持っているとも、、、そして私も妻も、その日本人の遺伝子が含まれている、、、
日本人の最大の特徴は、優しさだろうか 、他人を思い遣る心だろうか、、、それに比べ白人は、、、何もかも力ずくで、武力で奪う、、、
アメリカと言う国も、もともと住んで居たインデアンを、私の母国イギリスほか欧州各国の白人が移住して奪い取った国、、、イスラエルもそうだ。もともとはパレスチナ人が多く住んでいた土地を、
70数年前に突然『自分たちユダヤ人の国だ』と宣言して取り上げ、逆らう者を武力で制した。
そして、、、そして今は、ユーヤ人の理想郷を創るために、多くの人々を、、、この上田さん御夫婦の命をも、、、)
アダムはまた苦しくなった。しかしじっと耐え考え続けた。
(苦しい、、、死にそうだ、、、この苦しさは、神が与えているのか、、、何故だ、なぜ神は私に苦しみを与えるのだ、、、私を苦しめて、どうしろと言うのだ。神は私に、どうしろと言うのだ、、、)
アダムは、いきなりテーブルに突っ伏して気を失った。ラムが驚き、アダムの名を叫びながら抱き起そうとしたが、ラムの力ではできなかった。

上田が驚いて、妻や孫夫婦を呼んだ。孫が飛んできてアダムを抱き起し、ソファーに寝かせた。
アダムは呼吸をしていなかった。ラムは、アダムの耳元で英語で叫んだ「アダム、息を吐いて、息を吐いて、吸わないで吐いて」
それからラムは、アダムの胸の中心辺りを平手で叩いた。何度か叩いていると、やっとアダムが息を吐いた。
「そう、アダム、息を吐いて、、、少しだけ吸って、大きく吐いて、、、」
アダムは、まだ目を閉じたままだったが、ラムの言う通りに呼吸し始め、5分ほどで正常な呼吸になった。
やがてアダムは、薄っすらと目を開けラムを見て無理に微笑んだ。ラムも微笑んで、安堵した顔で大きく吐息した。それから上田たちに日本語で言った「もう大丈夫です。驚かせてすみません」
上田たちは顔を見合わせながらも安心したようだった。

皆が落ち着くと、ラムが言った「すみません、水を一杯いただけませんか」
孫嫁がすぐに出ていき、水の入ったコップを持ってきた。ラムは礼を言って受け取り、アダムに飲ませた。アダムは一気に飲み干してから「ご心配をおかけしました、すみません。もう大丈夫です」と英語で言った。
上田が皆を代表するように聞いた「一体どうしたのですか?」
アダムの代わりにラムが日本語で言った「過換気症候群です」
「過換気症候群?、、、過呼吸とは違うのですか」
「医師が言うには、過呼吸とは違って、過換気症候群は精神的ストレスで起きるそうです」
「精神的ストレスで起きる、、、う~ん、、、私の話がまずかったのかな」
ラムが手を振って上田の言葉を止めて言った「違います、上田さんの話のせいじゃありません。夫は時々こうなるんです。でも、もう大丈夫です」

「、、、それから良いが、、、まあ、私の話は止めておこう。それより、家内の手料理を食べてみませんか。昔ながらの煮込み汁です」
そう言うと上田は、アダムとラムを連れて台所に入った。
台所は、普通の台所の向こうに座敷があり、真ん中に囲炉裏があった。その囲炉裏の自在鉤に大鍋が吊るされ、煮鮭とニンニクのような匂いが漂っていた。
上田に言われた通りに朝食抜きで来たアダムとラムは、その匂いを嗅いだだけで食欲をそそられた。                                                     124
上田に指示されアダムとラムは、囲炉裏の一辺に並んで座らされ、他の一辺に上田夫婦、その向かいの一辺に孫夫婦が座った。
6人が座ると、上田が湯吞みのような器にどぶろくを注いでアダムに渡し、それから自分の器にも注ぎ、両手で眼前に捧げて、アイヌ語で呪文のような言葉を呟いた後、口に運んだ。
アダムも真似て同じ動作をしてから器を口に運んだ。どぶろくは余り強くはなかったが、空腹のアダムは舐める程度にとどめて脇に置いた。

上田の家内が、この間の石狩鍋の時のように手際よく煮込み汁を器に盛って手渡してくれた。
アダムとラムは、具の鮭やじゃが芋や山菜などを、息を吹きかけ冷ましながら食べた。
美味しかった。だが石狩鍋とは違った、初めての味だった。鮭も、生の切り身を煮た物とは違っていたし、ニンニクも匂いはするのだが、ニンニクの味はしなかった。山菜も東京辺りでは見たことのない物ばかりだった。その上、味噌も使っていない、ただの塩味だが濃厚な味だった。
不思議に思ったラムが聞いた「美味しいです。でも不思議な味です、初めて食べました」
上田夫婦が顔を見合わせ、微笑みを浮かべて家内が恥ずかしそうに言った「アイヌ料理です」
それから上田が、料理の説明をしてくれた。
「アイヌは、米が作れなかった事もあり、昔は主食と言う物がなかったのです。その代わり鍋料理が発達した。色々な具を入れて煮込む。味付けも、昔は味噌はなかったですし、塩も貴重でしたから、アザラシや鹿などの油や干鮭の焼いた物などを使いました。
今はどこでも化学調味料や味噌を使うようになりましたが、家内はそれらを嫌って使いません。この料理も使っていません」

ラムは驚いて言った「化学調味料を使ってなくて、こんなに美味しいのですか」
上田の妻は、ラムのお世辞でない純粋な驚きの言葉を聞いて嬉しそうに微笑んだ。
ラムは上田の料理の説明を訳してアダムに伝えた。化学調味料を使っていない味にアダムも驚いた。そして英語で「奥様は料理の天才だ」と褒め称えた。
上田が、アダムの言葉を訳して伝えると家内は、照れ笑いを浮かべ、小さい声で「Thank you very much」と言った。
突然、孫嫁が言った「おばあさん、私にもこの料理の作り方を教えてください」
上田の妻は、更に喜んだ。そして「幾らでも教えてあげるわよ、でもその前に、鮭の干物や鹿の解体を覚えてね。料理は食材を作る事から始まるんだからね」と言った。
「えっ、鹿の解体、、、残酷で出来ない」と孫嫁はべそをかいた。すると孫が胸を張って言った。
「大丈夫、それは僕がやるから」孫嫁は熱い視線を孫に向けた。

座は和やかな雰囲気に包まれていた。しかし、アダムの心は乱れていた。
(この上田さん御夫婦も2~3週間後には、、、)そう思うと途端に息苦しくなった。アダムは努めて思うまいとした。会話に没頭する事にして、孫に英語で話しかけた。
「二人とも若いようだけど、いま何歳ですか」
「僕は23歳で、妻はまだ19歳です」
「え、19歳、、、若いなあ」と、言った後、アダムは19歳ということが何故か気になった。
「え、23歳、私と同じだわ。でも頼もしく見えるわ」ラムが日本語でそう言うと孫は嬉しそうに言った。
「僕は、自分だけの力で妻を養っていかなければなりません。しっかり働いて金を稼いで、妻を幸せにしてやらないといけないのです」
孫の話を聞いて孫嫁は、顔を赤らめ俯いた。その仕草の初々しい事。誰の脳裏にもアツアツの新婚生活が想像できた。

上田夫婦も顔をほころばせた後、上田が日本語で言った。                    125
「今時の若い者は、と言う言い方がありますが、これは年上の者が言うことで、年上だから当然、年下の者が頼りなくも劣っているようにも見える。だが年上の者は、自分がその年頃どんなであったかを思い出してみないといけない。そうすれば、自分もその年頃は頼りなかった事に気づく。
私の若い頃は、男は20代前半、女は20歳までには、ほとんどの者が結婚していた。しかし今は、晩婚が流行っているようです。孫夫婦は、今どき珍しい若年結婚ですが、まあ何とかなるでしょう」
ラムが訳してアダムに伝えると、アダムも「この若者なら大丈夫でしょう」と相槌を打った。
孫夫婦は上機嫌になり、気楽にアダムに英語で話しかけた。
「アダムさんは、どんな仕事をしているんですか。給料は幾らくらいですか」
アダムは「金融業です。給料は50万ほどです」と適当に答えた。
「50万、凄い、僕の倍だ」孫は孫嫁に羨ましそうに伝えた。アダムの正体を知っているラムと上田は、このような話はしたくなかったので話題を変えた。

「上田さん、ご子息は?」
「息子が二人、娘が二人ですが、みな東京に住んでいます。次男の息子、ここにいる孫は札幌で暮らしたいと言って、3月から札幌に住んでいます。まあ、これはちょっと変り者です」
「変り者じゃないよ。札幌が好きだから住んでいるんだ」と、孫が少しムッとして言った。
「だが、まだ札幌の冬を経験していないだろう。3月でも寒いって言ってたが、札幌の冬が耐えられるのか。特に、バイクでの郵便配達は大変だぞ」
「大丈夫さ、秋から寒さに身体を慣らしていくから。アパートに帰れば人間湯たんぽも居るし」
途端に、孫嫁が真っ赤になって孫の肩を叩いた。
本当に知らなかったラムが聞いた「湯たんぽって何ですか?」
調子に乗って説明しょうとする孫を遮って上田が言った「昔の暖房器具です、それより少しドライブに行きませんか。この近くにアイヌ文化体験施設やダムもあります」

上田とアダムとラム、3人でアイヌ文化体験施設に行った。日曜日のせいか観光客が多かった。
札幌から観光バスで来たらしい。この後、定山渕温泉に行く、お決まりのコースだと上田が言った。
観光客が去った後、静かになった室内で上田は、数点の民族衣装を指差し「家内の作品です。家内はこの模様が好きで多用しています」と言った。
そう言われて見ると、上田の妻の作品はみな同じ模様だった。
「昔は、一軒一軒その家に代々伝わる模様があったそうですが、今は忘れ去られているようです。寂しい限りです。せめてアイヌ民族の素晴らしい遺伝子だけでも残していって欲しいです」
上田の話しを聞いてアダムは(、、、遺伝子を残す、、、だめだ、アイヌ民族も恐らく滅びてしまうだろう、、、そう言う運命なのだ)と思った。
そしてまた、あの寂寥感が心の中に広がり呼吸が苦しくなった。
ラムが気づいてアダムの両手を握りしめ「落ち着いて、ゆっくり呼吸して、、、」と言った。
上田はそんな二人を見て「どうも今日は体調が悪いようですね、帰りましょう」と言い、駐車場に向かった。
3人が上田の家に帰ると、ちょうど孫夫婦が札幌に帰るところで、アダムとラムは孫夫婦に送ってもらうことになった。
二人が車に乗ると孫が心配そうに聞いた「お身体、大丈夫ですか?」
「ありがとう、大丈夫です」と、アダムは努めて平然と言った。そして思った(身体が悪いのではない、、、そうだ、何も考えなければ良いんだ、、、)
アダムは、窓の外の移り変わる景色を眺めて無心になろうとした。

しばらく走った後、前席の孫夫婦の会話が聞こえた。
「何で、こんなに早く帰るの、まだ2時半よ」                             126
「保健所から20歳代は臨床試験に協力してくれって言われているんだ、仕方ないだろ」
「臨床試験?、なにそれ」
「よく分からないけど『日本の未来のために是非とも協力してください』って言われてる」
「ふ~ん、、、まあ、私はまだ20歳じゃないから関係ないか、、、あ、じゃアダムさんたちは、どうしてるんだろ」そう言うと孫嫁は後ろを向いてラムに聞いた。
「ラムさん、保健所の臨床試験、もう済みましたか」
「保健所の臨床試験?」
ラムは何のことだか分からず、アダムに聞いた。アダムも首を傾げてしばらく考えていたが、不意に顔色を変えて言った「その臨床試験は必ず行くように」
そしてその時アダムは孫嫁が19歳だと言った時に気になった事の原因がわかった。
(孫はワクチン接種し、孫嫁は19歳で接種しない、、、二人は死別、、、)

アダムはスマホを取り出し、ワクチン接種の暗証番号を調べた。
(良かった、まだ空きがある)アダムは暗証番号を紙に書き、孫嫁に渡してからラムに訳して言わせた「貴女も、この暗証番号を言って必ず臨床試験をするように」
孫夫婦は、何の事か分からず訝しげな顔をしたが、アダムの語気に押されて無言でうなづいた。
アダムは考えた(その日まで、もう2週間しかない。ワクチンは接種してから10日経たないと効果が出ない。つまり後4日以内に接種を終わらさないと手遅れになる、、、上田さん御夫婦は、、、)
アダムは悩んだ(上田さん御夫婦を死なせて良いのか、、、アイヌの人たちは、、、それを言うなら、定山渕温泉で出会った小学生たちは、、、大通り公園で出会った、あの可愛い女の子は、、、)
アダムはまた呼吸が苦しくなった。幸いホテルに着いた。
孫夫婦が「病院へ」と言ったが、アダムは、苦しそうに呼吸しながら「病院へ行っても治らない。それより、貴女も必ず臨床試験をするように」と、孫嫁に言って、ラムやホテルスタッフに支えられ部屋に帰った。

部屋に入るとラムは、とにかくアダムをベッドに寝かせた。そして、横に座ってアダムの胸をさすりながら言った「落ち着いて、ゆっくり呼吸して、何も考えないで、、、」
やがてアダムの呼吸が正常になってくるとラムは言った。
「このまま少し眠った方が良いわ、、、何も考えないで」
「、、、そうだな、そうするよ」アダムはそう言って目を閉じた。
アダムが眠った後、ラムは隣室に行って父とラインした。

「お父さん、変わりない」
「おおラムか、こちらは何も変わりない、ん、どうした、暗い顔をして」
「実はね、アダムが病気なの、精神の病気、過換気症候群って言うんだけど、ストレスが原因で呼吸困難になるの。一日に何回も」
「過換気症候群か、、、あれは苦しいからな」
ラムは驚いて言った「えっ、お父さんもなった事があるの」
「ああ、20年ほど前じゃが何度か苦しんだ。じゃがワシの場合、原因はストレスではなく、鼻詰まりじゃった。寝ていて鼻が詰まって苦しくなり、慌てて息を吸い過ぎて過換気症候群になった。じゃからワシは鼻詰まりを治す薬を飲んで治した。
アダムの原因はストレスじゃと?大金持ちで何の苦労もないはずのアダムに、どんなストレスがあると言うんじゃ」
「うん、私もそう思うんだけど、、、今日は、知人の話を聞いた後、苦しみだしたわ」
「知人の話を聞いて苦しみだした?、どんな話を聞いたんだ?」
「縄文人は心優しい人たちだった、なんて話」                            127
「、、、そんな話で、どうして過換気症候群になったりするんだ?。意味が分からん。直接アダムに聞いた方が良いようじゃな。アダムはどこだ」
「今は眠っているの。起きたらラインさせましょうか」
「ああ、そうしてくれ」

その夜、父とアダムは翻訳ソフトを使ってラインした。その内容は、通路を隔てた部屋のデーンのPCに即時転送されている事など夢にも思っていなかったが。
「お父さま、ご無沙汰して、すみません」
「おお、アダムか、ご無沙汰なんて、どうでもええ。そんな事より、なんじゃ過換気症候群になったそうじゃの。具合はどうじゃ」
「はい、しょっちゅう呼吸困難になります、本当に死ぬほど苦しいです」
「ワシもその苦しみは経験したことがあるから解る。本当に苦しいのう。じゃが、何故そんな事になるんじゃ?。過換気症候群になるほどのストレスが、何故お前にあるんじゃ」
「、、、お父さまでも、やはり御理解できないでしょうか、、、」
「そう言われると申し訳ないが、ワシとて、お前のストレス原因までは分からん。
だが、話してみたらどうじゃ。ワシが聞いても何の役にも立たんかも知れんが、話すだけでも気が楽になるかも知れんぞ」

アダムは迷っているのか、しばらく無言でいたが静かに話し始めた。
「お父さまも、私たちの計画はご存知でしょう。その計画はあと2週間ほどで始まります。そして始まれば多くの日本人が死にます、、、
しかしそれは、我々が理想郷を創るためにはどうしても為さざるおえない事なのです、、、そう理解しているのですが、、、親しくなった人々が2週間後に死ぬと思うと、急に苦しくなるのです、、、
私は、理想郷を創った後、この日本を支配しなければならない身です。そんな私が、他人の死を思って過換気症候群になるなど、あってはならない事です、、」
「、、、ふ~む、そう言う事じゃったか、、、」
そう言った後、今度は父がしばらく黙っていたが、すまなそうに話し始めた。
「アダム、、、やはりお前には日本人の血が入っているんじゃのう。
普通の白人なら日本人が死ぬ事など、へとも思わんじゃろう。いや、日本人など死んで当然だと思っている奴さへ居るじゃろう。そんな白人の中でお前は、、、
本当に心優しい人間なんじゃな、、、そんなお前にワシは『過換気症候群になるほどのストレスが、何故お前にあるんじゃ』などと心無い事を言うてしもうた、すまん許してくれ」
「いえ、お父さま、誰しも他人の心の中までは解りません。気にしないでください」

それから、またしばらく沈黙が続いた後、父が話し始めた。
「アダム、お前も以前言った事があるが、このまま行くと人類はどうなると思う。
人類は生きるために、他の生き物を殺し、あるいは人類の食糧のためだけに生かす。そうやって人類はどれほど多くの生き物を絶滅させた。どれほど多くの生き物を食い殺した。
人類の食糧のため、自然の植生を変え、もともと自然にあった植物を絶滅させ、、、
人類が滅びなければ、人類が地球を滅ぼしてしまう。しかも愚かな事に核兵器を使ってな。
そうなるくらいなら、お前たちが人類を削減して支配した方が良いのではないか、、、
ワシも最近そう思うようにもなってきた。これも人類の運命なのかも知れんとな、、、

ワシは以前調べた事があるが、お前たちの『25か条の世界革命行動計画』アジェンダ(行動計画書)は見事だ。これをお前たちの先祖は1774年につまり250年ほど前にこの計画をたて実行してきた。そして、現在その最終政策を実行しょうとしている。                     128
お前たちは頭が良い。普通の人間が考えない事を考える。お前たちの先祖は二百数十年も前から、普通の人間を支配し奴隷にする方法を考えた。
その方法は実に見事だ。完璧と言って良いだろう。
最初はテレビだ。娯楽番組などを見せ、普通の人間をテレビに釘付けにした。そして、そのテレビを使って少しずつ洗脳していった『人間の幸福は欲望を満たす事だ』とな。
『皆が集まって、皆が幸せになれるように考え、助け合って生きていこう。等と考えるのは馬鹿らしい。他人の事などどうでもいい、とにかく自分が幸福になる事を考えれば良い。自分の幸福こそ最優先させるべき事だ』と洗脳し続けた。
そしてその結果、普通の人間は、お前たちの思惑通りに見事に洗脳された。
他人の事など考えない。自分さえ良かったらいい、という考えの人間が世界に溢れている。

テレビの後はインターネットだ。ネットで、無料で情報を流した。役立つ情報だけでなく、娯楽番組や、性に関するモラルのない番組等、人間を堕落させるための情報も流した。
役立つ情報を利用して自らを高めるのは成しがたいが、娯楽番組やゲームや性交動画などに夢中になり堕落していくのは簡単なこと。
特に、若者たちを堕落させるのは容易いことだっただろう。
そして、堕落した人間が働かなくなり犯罪者になる。お前たちの計画した通りの人間になっている。
街の通行人を見るが良い。片手にスマホを持って歩いている人間の何と多い事か。
歩く時でさえ見ている。当然、座っている時、横になっている時は尚さら見ていることだろう。
このような人間は、皆で集まって、現状の本当の問題点や、世界の平和について話し合ったりしない。
自分たちが今既に、お前たちに支配されている、奴隷にされている、という事実を話し合ったり情報拡散をしたりしない。そのような本当の重大問題に無関心な人間ばかりになってしまった。
この事は正に、お前たちの思う壺だろう。

それどころか、多くの普通の人間は、スマホ依存症になってしまっている。いや中毒になっていると言っても過言ではないじゃろう。そして幸福さえもスマホの中に存在するように錯覚して、生きていくための数々の苦労について考える事をせず、スマホの中の仮想現実に溺れている。
「人間はどうあるべきか?」ということについて考えなくなった人間は危険だ。心がなくなってしまう。肉体だけの生き物に、つまり家畜になってしまう。お前たちは見事に、人間を家畜にした。

普通の人間がスマホに夢中になっている間に、お前たちは、普通の人間を支配し奴隷にする事を考え、その方法を実行に移してきが、普通の人間が、今さら、お前たちのその方法に気づいたところで恐らく、どうする事もできまい。
、、、もう全てが手遅れだ。世界は、人類は、お前たちの思うがままだ。
現人類76億人を5億人にすると言う、お前たちの計画も、いずれ実行に移されるだろう。
もう、手遅れなのじゃ、、、これが人類の運命なのかも知れん、、、

じゃが、ワシは思う。お前たちのやっている事は、はたして神の御意志じゃろうか、とな。、、、
地球に神が居られたなら、神は、お前たちを許すじゃろうか?。
5億人が理想郷で生きていくために71億人を殺す、そのような事をするお前たちを、はたして神は許されるじゃろうか。
ワシは思う、どのように弁解しょうと、神は、お前たちを決して許しはすまい、、、
じゃが、それは、地球に神が居られたらの話じゃ、、、地球に神が居られるのかどうか、悲しいかなワシには解らん」
そう話終えると父は、横を向いて紙で鼻をかんだ。その姿をアダムは涙を拭っているようにも見えた。アダムはふと思った(お父さまは、全人類の不幸を嘆いておられるのだ)         129

その後、父は付け足すように言った。
「アダム、今は悩むがええ、苦しむがええ、、、じゃが、もうすぐお前は決断するじゃろう。
そしたらお前は、お前の思う通りにやれば良い。それがどんなに非道な事であっても、それを実行する事がお前の運命なら、お前はお前の運命の通りに生きるしかないのじゃ、、、
じゃがワシは、お前のために祈ろう。お前のする事が、神の御意志に沿った行いであるようにとな、、、ワシには、それしかできん、、、すまんのう、役に立てんで、、、
おお、そうじゃ、過換気症候群はのう、強い意志を持てば治る。お前が決断し、必ず実行しょうとすれば、そんな病気など吹き飛んでしまうわい。アダム、強い意志を持て」
それでラインは閉められた。アダムはその後、じっと考え続けた。


翌日、デーンから転送されてきたラインのやり取りを見聞きしたロベルトは呟いた。
「アダムが過換気症候群になったとは、、、やはり血筋は争えんものよ、、、
いま思い返せば、ストロングが大事な行事があるごとに呼吸困難になって倒れたのも、過換気症候群だったのだ。
当時はそんな病名も知らなかったし、私はストロングが、乞食同然の身から急に、華やかだが形式に縛られた世界に入ったために緊張しているのだろうと思っていたが、それは過換気症候群だったのだ。
それにしてもこの、アダムの義父、、、我々の『25か条の世界革命行動計画』まで調べ上げているとは、、、ふん、地球に神が居ればだと、笑止な、、、」


ちょうどその頃、R国諜報部幹部がトリョーシカ人形作戦の説明をしていた。
「良いか、現地に着いたら誰でも良い、最終目的地に行く乗客と親しくなってトリョーシカ人形をプレゼントするのだ。その際、R国の土産物だと言って小さい人形を開けて中の小さい人形を出して見せろ。だが、プレゼントするケースに入っている人形は決して開けてはだめだぞ。そして、手渡したらすぐに帰ってこい。これが往復航空券だ」
ドロコフレほか4人はドモジェド空港から世界各地へ飛んだ。
ドロコフレはドボイ空港に到着するとすぐ、最終目的地IS国に行く便のカウンターを探した。そのカウンターはすぐに見つかった。そしてカウンター周辺にはIS国へ行く観光客が溢れていた。
ドロコフレはその中の家族連れにさり気なく近づき、R国語で話しかけた。しかし、R国語が通じないようだったので英語で言った。

「可愛いお嬢ちゃんですねぇ、これからどこへ行くの」
母親が代わって答えた「IS国に帰るところです」
「えっ、じゃあIS国の方ですか、良かった。私はR国から来ました。
乗り換えてこれからIS国に行きます。でも初めてで、IS国のどこを観光したらいいか良くわかりません。もしよろしければ、いろいろ教えていただけませんでしょうか」
イケメンのドロコフレが丁重に言うと、母親は少し頬を染めていろいろ教えてくれた。
10分ほどで親しくなり、メアド(当然、ドロコフレのは噓のメアド)の交換までした。
頃合いをみてドロコフレはトリョーシカ人形を取り出し、ケース入りを子どもに渡し、もう一つの方の人形を開けて見せた。
中にも少し小さいが同じ人形が入っており、その人形の中にもまた小さい人形が入っていた。
子どもは興味深々で、ケース入り人形を開けようとしたので、それを止めて母親に言った。
「いろいろ教えていただきましたお礼に、お嬢ちゃんにこの人形をプレゼントします。     130
家に帰ってから友達と一緒に開けてね、、、私、ちょっと手洗いに行きます」ドロコフレは去って行った。

数時間後、家族連れはIS国の家に帰り、ケース入りの人形を開けた。最後の人形の中には小さなプラスチック容器が入っていた。子どもは容器の蓋を開けたが、何も入っていないようでガッカリした。しかし、その容器の中には、目には見えないが恐ろしい物が入っていたのだ。
二日後、家族はみな激しい咳が出て病院へ行った。医師は診察したが良く分からず、咳止めを与えて帰した。家族は家に帰り着いて少し経ってから高熱を発して動けなくなった。
その後、その地域ではウラジオスと同じ事が起きた。
1週間が過ぎた頃には既に数万人が死亡していた。


A国でもF国でも、IS国と同じ事が起きた。その事を知ったロベルトは、ロビンに電話して怒鳴った「決行日は6月6日だ。何故もう実施した」
「御支配さま、私も驚いているところですが、我々の配下の者ではありません。それに空中散布ではなく、誰かによってIS国などに持ち込まれた物です」
「なに、持ち込まれた物、、、我々以外にもあれを持っている奴らが居るのか」
「可能性があるのはR国だけです」
「ウ~む、、、わかった、生かしてはおけぬ。準備が出来次第R国に空中散布しろ。1週間早いが仕方がない」
「承知しました」


R国では、都会に住む若者から強制的にワクチン接種していた。しかし、接種していなかった者たちが高熱を発して倒れ始めた。その映像をプーロン大統領は日本国総理大臣に密かに送った。
総理大臣は映像を見て顔色を変えた。惨い映像だった。
総理大臣は、ワクチンの事は数週間前に知っていて、既に大量生産された物も接種させていたが、ウイルスの猛威を見たのは初めてだった。
「今日から6月6日までのセスナ機等の飛行を調べろ。何が何でも空中散布を阻止するのだ」と総理は指示した。


6月に入った。アダムはまだ迷っていた。1千万人分のワクチン接種は終わっていたが、一人でも多くの日本人を生き延びさせようと考えていた。アダムは、イルミ組織長黒田に相談した。
「黒田さん、ワクチンはもうないでしょうか。もっともっと助けたい日本人が居ます」
「アダムさんに、そう言われて嬉しいです。国内で大量生産された物を、若者を中心に接種しています。もう2千万人を超えました。しかし、効果が現れるまで10日、間に合いますかどうか、、、」
アダムは決心した(空中散布をやめさせよう。しかし、どうすれば、、、お父さまに相談しょう)

アダムはラインを開くとすぐ言った「お父さま、ウイルス空中散布をやめさせるにはどうしたら良いでしょうか。一人でも多くの日本人を助けたいです」
「、、、アダム、お前のその気持ち、嬉しいぞ。その気持ちこそ、神の御意志じゃろう。人類の運命は変えられずとも、その運命の中でお前が、どう神の御意志に従うかが大切なんじゃ。
お前は、今すぐ御支配さまとやらに連絡するが良い。そしてこう言うがええ『日本人を生かす事こそ神の御意志じゃ』とな。何故なら、日本人の叡智を結集すれば人類を救えるが、他人を思い遣る事のできないユーヤ人では人類を滅ぼしてしまうのが目に見えているからじゃ。       131
さあ、御支配さまに、、、」その時、ラインから別人の声が響いた「その必要はない」

父とアダムのノートパソコン画面に突然ロベルトの顔が現れ、威厳のある声が聞こえた。
「お前か、神の御意志だ、と言って我が息子をたぶらかす奴は」
「ふん、息子と言っても貴様の本当の息子ではあるまい、、、
やっと出てきおったなロベルトロスマイルド、またの名を闇の御支配さま。
ワシは、いつか貴様と話がしたいと思っておった。やっと願いが叶うた」
「戯け、お前のような老い耄れの相手などしておれぬわ」
「では何故、アダムのラインを横取りして出て来た」
「お前が、あまりにも小賢しいから、成敗してやろうと思ったのだ。そもそもお前は何者だ、ただの老い耄れにしては知識があり過ぎる」
「ふん、ただの老い耄れじゃよ、だがインターネットでいろいろ学んだだけじゃ。じゃがワシの事などどうでも良い、本題に入ろう。
ロベルト、貴様は、人類を5億人にする計画を立て、残り71億人を殺し始めたようじゃの。
貴様は何の権利があってこの様な惨い事をする。貴様は神様にでも成ったつもりでおるのか」

「そうだ、その通りだ、私は神だ。人類の未来を司る神だ。私の裁量一つで人間一人一人の生死を左右する。この様ことができるのは神としか形容できまい。
ロスマイルド家は数世代前から、人類支配を計画し、私は遂にそれを成し遂げた。そしてその最終目標として人類のユートピアを創らねばならぬ。そのためには人類を5億人にせねばならんのだ」
「ユートピア、理想郷、、、ふん、それは貴様たちだけの理想郷。他の者にとっては生き地獄。
人類の、物事を考える能力を奪い去り、働かされるだけの人間、つまり家畜。
貴様は人類を家畜化し、それ以外の人類は殺処分する。それは神を冒涜する行為だ。愚かな行為だ。そのような行為をする者は決して神ではない。悪魔だ。貴様は悪魔としか言いようがない」

「悪魔か、、、フハハハハ、お前は私の真の正体を見抜いたようだな、如何にも私は悪魔、墜天使だ。数千年前、神と戦って堕とされた墜天使ルシフェルの生まれ変わりなのだ。神が存在しないこの世界を支配する、私は悪魔であり神なのだ。
老い耄れ、世界を見るが良い、どこに神が居る、神など何処にもいない。何故なら私こそ神だからだ。この世界で神である私に逆らえる者が居るか、私に逆らって生命を全うできる者が居るか。
お前もそうだ老い耄れ、私に逆らえばお前など半日で抹殺できる。試しに逆らってみるか」
「愚かなことよ、貴様それでワシを脅しているつもりか。長生きなど望んでおらぬワシに、そんな脅しは通用せん。それより貴様は一つだけ勘違いしておる。貴様はさっき神が存在しないこの世界、と言うたが神は存在するのだ」
「老い耄れめ、戯けたことを。神が存在するなら何故、私の行為を止めないのだ。
この2週間以内に71億人を抹殺する私の計画を、神は何故止めないのだ。神など存在しない。今のこの世界に神は存在しないのだ、、、そうだ、面白い。お前に2週間の猶予をやろう。
2週間後、人類が5億人になっているかどうか、お前は確認してから死ぬが良い。
死体の山を見て絶望してから死ぬが良い、フハハハハ」笑い声を残してライン画面は消えた。

2週間後、人類は5億人になった。悪魔は5億人に宣言した。
「私はここに宣言する。ここに生存している5億人は、みな神に選ばれた者たちだ。我々は神に選ばれた者として、この地球を支配し理想郷を創らねばならぬ。見よ、この地球の大自然を、我々全てにとって最も相応しい大きさではないか、、、」

ロベルトの宣言をインターネットで聞いていた父は呟いた。
「この結果こそ、人間の神が望まれたものなのだ。                         132
だからこそ神は奴の行為を止めなかった、、、
人類が生き延びるためには、5億人にならざるをえなかったのだ、、、
その5億人の中で、アダムとラム、、、
神に創られたアダムとイブのように、人類の祖先として生きていければ良いが、、、
   さて、ワシもそろそろ土に帰り、人間の神に会いに行くとするか、、、そして、神に聞くとしょう。
『71億人を狂い死にさせてまでして、5億人を生き延びさせるほど、人類は尊い存在だったのか。
地球上の多くの生き物を苦しめ、絶滅させてきた人類に、生き延びさせるだけの値打ちがあったのか』と。
人間のための神ではなく地球のための神が存在するなら、その神は、人間こそ絶滅させるべきだと考えたじゃろう、、、
やはりワシの考えた通りじゃった、人間に神は居ても、地球に神はいなかったのじゃ」
                            完
                                                        

アダムとラム(良夢)    副題(地球に神はいなかった)

私がこの小説を書いた理由を話そう。
十数年前、私は『中韓を知りすぎた男』と言うブログを読んで、自分が如何に馬鹿であったかを知り、日本や世界の本当の歴史や現状を、夢中になって学び直した。そして、学べば学ぶほど、自分自身が馬鹿であった事と、我々日本国民が噓を信じさせられていた事に気づいた。

その噓の最大のものは、終戦後のアメリカGHQと左翼や日教組等によって詰め込まれた『日本に仕掛けられたので、アメリカは仕方なく戦争を始めた。全て、日本が悪かったのだ。だから、アメリカは仕方なく原爆も投下した』と言う事だ。
しかしこれは、とんでもない噓だ。戦争に至った経緯を調べてみれば誰でも解る事だが、真実は、アメリカの当時のルーズベルト大統領とその取り巻きによって、日本は無理やり戦争に引きずり込まれたのだ。
「勝ち目のない戦争」と分かっていた日本国軍部は、アメリカとの戦争を決して望んでいなかった。
しかし、白人国家による植民地支配が全世界を覆っていた当時の世界情勢の中で、ハルノートやABCD包囲網を突き付けられ、拒めば被植民地支配つまり白人の奴隷になるか、それとも戦争かと言う状況にまで追い詰められた日本は、止む無く戦争に踏み切ったのだ。
そして、戦争するからには、日本国民と日本軍人は、死に物狂いで戦った。日本の未来のために、自らの命を犠牲にしてまで戦った。その結果、日本は負けたかも知れないが、アジアやアフリカの多くの被植民地国が独立した。
独立した多くの国々は、今も言っている「日本が戦ったお陰で我が国は独立でました。日本国に感謝しています」と。そして、今もなお、日本国民と日本軍人の偉業を讃え続けている。

これが紛れもない真実だ。しかし、このような本当の歴史を知っている日本国民は、現在、何パーセント居るだろうか。恐らく50パーセントも居ないだろう。多くの日本国民は、未だに「日本が悪かった」と、思いこまされ続けている。
何と愚かな事か。日本国民でありながら、日本の本当の歴史を知らない。日本の先人たちの偉業を知らない。噓ばかり信じこまされている。騙され続けている。

だが、幸いにして私は『中韓を知りすぎた男』と言う素晴らしいブログを知り、本当の歴史を学ぶようになった。お陰で私は、多くの噓を知った。多くの本当の歴史を知ることができた。
そしてその結果、私は「現在の日本と日本国民をこのようにしたのはアメリカだ。
アメリカは悪魔の国だ。無理やり戦争に引きずり込んでおいて「一般人を殺さない」というハーグ条約に違反して東京大空室や原爆投下で多くの日本国民を虐殺していながら「日本が悪かったのだ」と言って戦争犯罪を認めようともしない。
それどころか、東京裁判という似非裁判を開いて、東条英機閣下ほか数十人の何の罪もない人々を絞首刑にした。自身たちの噓を隠すために殺したのだ。

そして70数年経った今でさえ、日本の要人がアメリカの戦争犯罪を口にすると、すぐにアメリカの圧力が掛かる。
何故ならアメリカは、自分たちがどれほど罪深い戦争犯罪を犯しているか認知していて、それを公にされることを非常に恐れているからだ。
大統領をはじめ、アメリカ人が誰一人として謝らないのは、謝れば自分たちの戦争犯罪を認める事になる。だから誰も謝らない。
卑怯だ、人でなしだ。アメリカには正義は存在しないのか。アメリカほど悪い国はない」と思うようになった。そして、いつしか私は、アメリカに対して憎しみさえ抱くようになっていた。

しかし、なおも歴史や世界の現状を調べていて私は、そのアメリカをも支配している集団が存在する事に気づいた。
しかもその集団は、数百年も前から存在していて、密かに世界支配を企てていた。
その企てのために、その集団は、世界各国で戦争を起こさせていたのだ。
金貸しをもやっているその集団は、戦争が起きれば膨大な利益が得られ、その利益で軍事力をも得て現在は、経済面、政治面、軍事力面で世界を支配できるほどの力を持っている。

そして、そのような力を持ったその集団の最終政策はNWOであり「人類を5億人にして理想郷を作る」という、一見、都市伝説のような企てだと分かったのだ。
この企てが、単なる都市伝説であるようにと、私は祈っているが、「911アメリカ同時多発テロ事件」「アメリカを操ってのイラク戦争」等、その集団の これまでの悪魔のような行いを知れば知るほど最終政策のNWOが本当の企てであるように思えてくるのです。
「その集団なら、この企てを本当に実行しても少しも不思議はない」と思うのです。
数千年続いた、ユダヤ人迫害への復讐なのかも知れません。

「25か条の世界革命行動計画」アジェンダ(行動計画書)や「ジョージアガイドストーン」を調べて見られたら御理解出来ると思いますが、その集団は250年ほど前から既にこの企てを立てていたのです。
都市伝説であるようにと祈りながらも、この企てを、一人でも多くの人に知っていただきたい。
特に、若い人たちに知っていただきたいのです。

世界情勢も日本の情勢も、恐らく今後ますます悪化していくでしょう。
働けど働けど暮らしは楽にならず、未来の見通しは暗くなるばかりです。
何故、悪化していくのか?何故、暮らしが楽にならないのか?、その原因を考えてみて欲しいのです。
その原因を突き詰めて考えてみたら『世界中から富の収奪をしている集団が存在している。
世界各地に、今なお戦争を起こさせ、多くの人々を不幸にしょうとしている集団が存在している』事に気づかれると思います。

この集団は狡猾な集団です。世界の人々が、自分たちの企てに気づかないように様々な隠蔽策を行っています。しかし、現在はインターネット等でその企てを調べる事が可能になりました。
一人でも多くの人々が、世界情勢の裏側に潜む、その集団の存在に気づかれる事を願います。
そして、自分たちの暮らしが良くならない原因は、その集団が存在しているためだと理解していただきたい。私の拙いこの小説が、そのきっかけにでもなれば幸いに思います。

令和元年 5月12日  追記
この小説を書いた当時(平成30年4月~10月)私は「アイヌ民族は日本人の祖先だ」と思っていました。だから小説内にも、アイヌ民族に贔屓目な書き方をしました。
しかし本日、YouTube動画「何??「アイヌは先住民族ではない」→???→調べてみた。」とそのコメントを読み「アイヌ民族は日本人の先祖ではない」と考えを改めました。
読者の皆様もこの動画やコメントを読まれる事をお勧め致します。

令和元年 10月11日  追記
小説内の「奴ら」(ロスチャイルド)の悪事については「日本の美しい魂を、とりもどす」というブログに詳しく記載されています。このブログを読まれて「奴ら」の悪事がどれほど酷いものであるかを御知りになられる事を御勧めいたします。

アダムとラム(良夢)    副題(地球に神はいなかった)

ロンドン旅行中の女性ラム(良夢)が、大富豪の息子アダムに見初められた、、、。 やがて結婚するが、アダムは人類削減計画を実行しょうとしていた。 人類総人口76億人を5億人にする計画。さて、どうなりますやら、、、。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-11

Copyrighted
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  1. ロンドン旅行中の女性ラム(良夢)が、大富豪の息子アダムに見初められた、、、。
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