すくらんぶる交差点(3-1)

三の一 明治 正江の場合

「昨日も元気、今日も元気、明日も元気。元気だから病院に行こう」
 自分でもお気に入りの歌をうたいながら、さっそうと電動三輪車に乗りこむ明治正江。御年七七歳。夫は十年前に亡くなり、息子も娘も独立して、家にはいない。一人生活が長く続く。多分、このまま続くだろう。正江の唯一の楽しみが、愛用の電動三輪車に乗り込み、外出することだ。特に、病院がお気に入りだ。病院に行けば、必ず人に会えるから。待合室は、いつも満員御礼。同年齢のじじいやばばあ、がいる。しわくちゃの顔や手足、曲がった背中を見ると、自分が鏡を見ているようで辛いけれど、話し掛けるネタはふんだんにある。
 道端やスーパー、銀行などで見知らぬ人に声を掛ければ、うっとおしがられたり、怪しがられたり、はてまた、警察に通報されたりするが、ここ、病院なら大丈夫。みんな、診察まで時間を持て余している。特に、単科の診療所じゃなく、内科から始まり、外科、整形外科、耳鼻咽喉科、泌尿器科などがある総合病院がいい。
 ソファーに座る隣のばあさんに「どこが悪いんですか」と心配した振りをして声を掛ければ、「ええ、ちょっと、腰が痛いんですよ」と必ず答えてくれる。「実は、わたしも腰が痛いんですよ」と話を合わせれば、そこからは、無尽蔵に話題がつきない。この歳だ。眼はかすむし、耳はよく聞こえない。歯は入れ歯で、足腰は痛い。頭は忘れっぽいし、胃はむかむかする。
 そう言えば、最近、尿漏れもある。以前は、出掛ける際は必ずトイレを済ませ、出掛けた先でも必ずトイレに入ったものだが、最近は、我慢することなく、尿が漏れてしまう、はたして、これはいい事なのだろうか?いい事じゃない。それは、いいとして、自分の病気のことをひとつしゃべれば、何倍にもなって返ってくる。
 マイナスの話題ばかりでいやだって?そんなことはない。人間は、自慢すると人は離れていくが、不幸であることを嘆くと、自分はこの人よりもましだ、こいつを出汁にして力強く生きていける、と思い、不幸な人に近づいていくのだ。マイナスを吐きだすことで、体の中がプラスになるのかも知れない。いや、自分の体がマイナスだからこそ、プラス思考の人が寄って来るんだ。なんだ、あたしは磁石ばばあ、か。
 でも、毎日、同じ内容のことは話せないんじゃないかだって?心配してくれてありがとう。その点は、大丈夫。お互い、頭の中はからんからん音がするぐらい、脳が萎縮を始め、認知が始まってくれている。おかげで、昨日会ったかどうかは忘れて、昨日話したことも覚えていない。年をとることは素敵なことだ。さあ、今日も、友だちを作りに、病院に行くぞ。
「昨日も元気、今日も元気、明日も元気。元気だから病院に行こう」
 明治正江は、自作の歌詞と自作のメロディで、鼻歌まじりに電動三輪車のスタートボタンを押した。車は静かに動き出す。十分も走っただろうか。交差点に到着。病院に行くのは楽しいことだが、問題はここだ。駅前のスクランブル交差点。JRと私鉄とバスとフェリーの結節点のため、乗降客で込み合う。向こう側に渡らなければ病院に行けない。一方通行ならばスムーズに渡れるが、反対方向や斜め方向からも人が押し寄せてくる。また、こちらからも人が動く、この流れに乗らないと前に進めない。途中で方向を変えようとしても、周りは人だらけ。勝手に方向は変えられない。まして、反対方向から押し寄せてくる人波に出会いうと、三輪車が転倒してしまいそうだ。
 もう少し、時間をずらせばいいのだが、そうなれば、診察の待ち時間が長くなる。正江としては、自分の診察が終わり、余裕の気持ちで、人に話し掛けたい。そのためには、診療時間が始まる三十分前には受付を済ませ、ゆったりとした時間を過ごしたい。だからこそ、わざわざ朝一番で、病院に通うのだ。あの、白い壁の象牙の塔が見える。目的地はあそこだ。
 信号が点滅しだした。幹江は、レバーを前に倒し、スピードを上げようとする。誰かの体が車の左側に当たった。車が右に向く。あれ、違う。正江は方向を左に戻そうとするが、再び、誰かの体が当たる。「ごめんなさい」の言葉もない。みんな、あせっているのだ。正江もあせる。だが、さっきの衝撃で、車は進行方向に向かって東に向いた。
 さらに、かじをとり直す幹江。今度は、斜めからの体当たり。電気自動車は南に向く。これじゃあ、やって来た方向だ。このまま自宅送りか。そう言う訳にはいかない。正面から人の群れ。再び、体当たり。今度は、西方向。再び、体当たり。ようやく、進行方向に戻れた。あたしはビリヤードの玉か。あっという間に一回転。と、間もなく信号は赤。正江は完全に取り残された。激しく鳴るクラクション。周囲は人から車に入れ替わった。どうすることもなく行き場を失い、「あーれ」の叫び声とともに、交差点の真ん中で回り続ける正江であった。

すくらんぶる交差点(3-1)

すくらんぶる交差点(3-1)

交差点に取り残された人々が、取り残されたことを逆手に取って、独立運動を行う物語。三の一 明治 正江の場合

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-28

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