公園にて

「公園に来るのは久しぶりだ。いつもはそんな暇がないし、そんな気分にもなれない」
「みんなそうよ。仕事が終わったら、急いで家に帰る。生活に余裕がないの」
「子供のころを思い出すよ。ぼくはこの公園が大好きで、芝生を転げまわった」
「ご両親と一緒にね」
「友だちがいれば、もっと楽しかった」
「そうね」
「きみがいれば、もっと楽しかった」
「覚えているわ」
「きみはおさげを二本、垂らしていた」
「あなたはいつもジーパンをはいて、カッコつけてた」
「きみはいつもお高くとまっていて、近寄りがたかった」
「そうかしら?」
「そうさ、誰もきみに手出ししなかったじゃないか」
「覚えてないわ。でも、私はあなたと遊ぶのが好きだった。サッカーもしたわよね」
「何を言ってる。あれがサッカーなもんか。きみは白い運動靴が汚れるのを嫌っていたくせに」
「そう、私は子供のころ、あの白い運動靴が大好きだった」
「まるでお姫様だ」
「よしてよ。運動靴を履いたお姫様なんて」
「その後、きみは引っ越した」
「そうよ」
「しばらくは日曜日によく、ぼくの家へ遊びに来たけれど、そのうちに姿を見せなくなったね」
「大人になったのよ」
「ぼくの母は、きみのことが大好きだった」
「知ってるわ」
「うちには女の子がいなかったから」
「私たち、よく似てるって言われたわね。姉と弟みたいって」
「忘れちゃ困るよ。ぼくのほうが二か月年上なんだぜ」
「でも、私のほうが年上にみえた。あなたよりも拳ひとつ背が高くて、お姉さんみたいだった」
「あの年頃では、女の子のほうが成長が早いからな。もういい。話題を変えよう」
「それじゃ、何を話す?」
道の裏側には、手入れの行き届いたイトスギが植えられていた。そのうしろの斜面には、ワンピース姿の若い娘がいる。赤いハンドバッグを提げて、石のベンチにすわっていた。
「ぼくたちもすわろう」
「いいわ」
「太陽が山に沈む」
「そう、きれいね」
「こういう人工的な美しさは嫌だな」
「さっきは公園が大好きだって言ったじゃない?」
「それは子供のころのことさ。ぼくは山奥に移住して、原始林の中で七年間、木こりをしていたんだよ」
「苦労したのね」
「森の自然は厳しかった」
ワンピース姿の娘は立ち上がり、イトスギの並木道の果てに目をやっている。数人の人影が近づいてくる中に、もみあげを伸ばした背の高い青年がいた。梢と塀の向こうの空は、夕焼けに染まっている。鮮やかな赤が、雲の波と一緒に頭上に広がっていた。
「こんなに美しい夕焼けを見るのは久しぶりだわ。まるで燃えているみたい」
「まるで大火事だ」
「何ですって?」
「森の山火事……」
「どういうこと?続けて」
「山火事が起きたときの空はこんな色だった。火はあっという間に燃え広がり、木を切っても止められない。とても恐ろしい光景だ。切り倒された木が宙を飛ぶ。遠くから見ると、何本ものワラが炎に漂っているみたいだった。ヒョウが狂ったように森から逃げ出し、川に飛び込み、人間がいるほうに泳いできた——」
「ヒョウは人間に嚙みつかなかった?」
「やつにそんな余裕はない」
「銃で撃たなかったの?」
「人間も恐怖に駆られて、川岸で呆然と見ていた」
「救うことはできなかったのね?」
「川も炎を止められなかった。対岸の樹木も焼け焦げて、パチパチと音を立てた。何キロも離れた場所でさえ、激しい煙と熱で息ができなかった」
ワンピースの娘はまたベンチにすわった。赤いハンドバッグを脇に置いている。
「いままでのことをもっと話してちょうだい」
「語るべきことは何もないさ」
「何もないはずないでしょう?とても興味深い話だわ」
「でも、いまさらこんな話をしても、まったく意味がない。それより、きみの近況を話してくれよ」
「私の?」
「そう、きみの」
「娘がいるの」
「いくつ」
「六歳よ」
「きみに似ている?」
「ええ、よく似ているって言われるわ」
「きみの子供のころみたいに、白い運動靴をはいているのかい?」
「いいえ、あの子は革靴が好きなの。父親がつぎつぎに買い与えるのよ」
「きみは幸せだね。彼は優しくしてくれる?」
「申し分ないわ。でも、幸せかどうかはわからない」
「仕事も順調なんだろう?」
「書類の保管係よ。事務室で電話番をしたり、上司に書類を届けたり」
「それだって機密の仕事だ。信頼されているんだよ」
「肉体労働よりはましね。あなたも頑張ったんでしょう?大学を出て、技術者になったんですって?」
「うん。自分の努力で勝ち取った」
夕焼けはすでに消えかかり、暗紅色に変わり、斜面も並木も闇に包まれた。あの娘は下を向いてすわっている。腕時計をみたようだ。ハンドバッグを手にして立ち上がったが、またベンチにバッグを置き、並木道のほうに目を走らせた。ほどなくして向き直り、足元を見つめながら歩き回っている。
「あの娘は人を待っている」
「待つのはつらいことだわ。今の若い男は約束を守らないのね」
「町には女の子がいくらでもいるからだろうか」
「若い男だって、いくらでもいる。でも困ったことに、まともな若い男は少ないわ」
「だけど、あの娘はなかなかの美人だ」
「女のほうが先に好きになると、ほとんどが不幸な結果に終わるのよ」
「男は来るだろうか?」
「どうかしら。本当にいらいらさせるわね」
「幸いなことに、ぼくたちはもう、そんな年齢を過ぎた。きみは待ったことがあるのかい?」
「彼のほうが積極的だったから。あなたは人を待たせたことがあるの?」
「ぼくは約束を破ったことがない」
「恋人、いるの?」
「いるようだ」
「それじゃ、どうして結婚しないの?」
「してもかまわない」
「本気で愛しているようには見えないわね」
「ぼくは彼女を憐れんでいる」
「憐れみは愛情じゃないわ。愛していないのなら、彼女をだますのはやめなさい」
「ぼくは自分をだましただけさ」
「それだって、人をだましたことになるのよ」
「もういい。話題を変えよう」
あの娘はすわったが、またすぐに立ち上がり、見通しのきかなくなった並木道のほうを眺めた。空の果てに残っていた夕焼けも、かすかにそれと分かる程度になった。彼女はふたたび腰を下した。誰かの視線を感じたように、うつむいてしまい、スカートの裾をいじっている。
「男は来るかしら?」
「わからない」
「本当に、ひどいわ」
「ひどいことなんて、いくらでもある」
「あなたの恋人は美人なの?」
「哀れな娘なんだ」
「そんな言い方はよして。愛していないならだますのはやめて、本当に好きな相手を探しなさい。若くてきれいな娘を」
「きれいな娘はぼくを好きにならない」
「どうして?」
「ぼくにまともな父親がいないからさ」
「そんなこと言わないで。聞きたくないわ」
「だったら、聞かなければいい。そろそろ帰ろうか」
あの娘が突然、立ち上がった。並木道に人影が現れたのだ。早足でやってくる。
「男がやっときたんだ」
ズックのカバンを提げた若者だった。彼は歩みを止めず、そのまま通り過ぎた。娘は顔をそむけた。
「彼女は泣いている」
「誰が?」
あの娘は顔を覆ってすわった。鳥のさえずりが聞こえる。
「鳥もいるのか?」
「森じゃなくても、鳥くらいいるわよ」
「スズメもいる」
「あなたは傲慢になったわね」
「こうやって生きてきたんだ。傲慢さがなかったら、今日という日も無かった」
「世を恨むのもいい加減にしなさい。苦しんだのはあなただけじゃないの。誰もが農村へ送られた。わかるでしょう?農村に送られた女の子は身寄りもなく、男の人よりずっと苦労が多かった。私と彼が結婚したのは、ほかにそれ以上の選択肢がなかったからよ。彼の両親は手を尽くして、私を都会に呼び戻してくれたの」
「きみを責めているわけじゃない」
「あなたに私を責める権利なんてないわ」
「誰にも他人を責める権利はない」
街灯に明かりがともり、緑の葉の間から薄暗い光が漏れだした。夜空はぼんやりと霞んでいる。
「そろそろ帰らないと」
「そうね。ここへ来たのは間違いだった」
「きみのご主人が知ったら、誤解するだろうか」
「彼はそんな人じゃないわ」
「それは大した人物だ」
「うちに遊びにきてもいいのよ」
「ご主人に誘われればね」
「私が誘っても同じでしょう?」
並木は闇に包まれ、あの娘の姿も見えなくなった。街灯に照らされたポプラの葉は、絹のように滑らかだった。
「あの娘はまだ帰らないかな」
「ええ、木に寄りかかっているわ」
すわる人のいなくなったベンチから数歩のところに、太い木の幹があった。確かに人影が、その幹に寄りかかっている。
「どうしたんだろう」
「泣いているのよ」
「慰めてやらなくちゃ」
「慰めようがないでしょう」
「それでも、慰めてやったほうがいい」
「だったら、あなたが行きなさい」
「やはり、女どうしのほうがいいだろう」
「あの娘が求めているのは、そういう慰めじゃないのよ」
「わからない」
「あなたはなにもわからないのね」
「わからないほうがいい」
「わかりすぎると重荷になるからね」
「だったら、人を慰めてどうする?自分を慰めるんだな」
「どういう意味?」
「きみは人間の感情がわからない。感情さえ負担になるなら、わからなくてもいい」
「それじゃ、引きあげましょう」
「僕の家へ行く?」
「いいえ」
「これでお別れかい?」
暗闇の中のすすり泣きが、はっきりと聞こえた。押し殺した声が、途切れ途切れに、夜風に乗って、木の葉の揺れる音に交じって聞こえてくる。
「結婚するときは手紙を出すよ」
「何も書かなくていいわ」
「今度また、会いに来るかもしれない。出張のついでがあれば」
「来ないほうがいいわよ」
「うん、これは一つの間違いだ」
「どんな間違い?」
「最初から、会いに来るべきじゃなかった」
「いいえ、あなたは間違っていないわ」
「お互いに責任はない。あの時代が間違っていたんだ。でも、すべては過ぎ去った。忘れることを覚えなくちゃ」
「だけど、すべてを忘れるのは難しいわね」
「もしかして、時間がたてば……」
「帰りましょう」
「バス停まで送ろうか?」
二人は立ち上がった。抑えようのない嗚咽が、かすかにそれとわかるベンチの奥の、黒っぽい幹の背後から聞こえたが、人影は見えなかった。街灯の下、絹のように滑らかなポプラの若葉が、かすかに揺れ動いていた。

公園にて

公園にて

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted