メリー・モナーク館のかくも優雅なる閑休
メリー・モナーク館のかくも優雅なる閑休 栗本はるこ
1
『お前の人生は、冒険と波乱に満ちたものになるだろう――』
男なら、こんなことを言われて、お世辞にもいい気にならない奴は居ない。
だけれど、このざまと来たら一体どうなんだ? ロバート・スタンリーは溜めていた息を吐き出した。深夜の公園には、彼と、彼のすぐ横のベンチで眠っている浮浪者と、さっきからゴミ箱を漁っている野良猫しか居ない。真っ暗な空気の中で、街灯を仰いでいたロバートは、自分がうっかりべそをかきかけていることに気が付いた。
こんな気分になること自体、最近では稀なのだ――ロバートは思った。毎朝、まだ空の暗いうちから売店の売り子として働き、日中は劇場の清掃員とチケット販売を勤めて、夜は新聞の仕分けを済ませ帰って来る彼にとって、毎日とは、うっかり弱音を吐いたりする暇など無いものだったから。人生はたった一度の贈り物。誰に後ろ指さされることもない、僕だけの舞台。
だって、好きなことをやってて何が悲しい?
それなのに、今夜は散々だった。どう足掻いても、気持ちが塞ぎこんでしまう。気分が暗い方向へと流されてしまう。まるで、額に見えないテグスでも付けられて、見たくない方向へと強引に頭を引っ張られているみたいに――
どれもこれも、あの男のせいなのだ、と、ロバートは思った。行かなければ良かった。遠路はるばる、ロンドンから車で二時間半、バイブリーの田舎に足を伸ばした彼を待っていたのは、手前勝手な父親の「用件」 と、これ以上ないほど嫌味ったらしく成長した弟の姿だったのだから。
(父親として、是非頼みたい)
あの恥知らずな、ろくでなしの人でなしは、遠慮会釈なくロバートを真っ向から見据えると、こう言った。おろしたてのようなスーツを身にまとい、鼻の曲がりそうなコロンの匂いを漂わせて。離婚してから十年、ただの一度も連絡してきたことがなかった。電話をしたって取り次いでさえくれなかったし、母さんが病気になったことを知らせても、何の音沙汰もなかった。それなのに、今更息子呼ばわりとは?
強く首を振ると、ロバートは立ち上がった。考えていても仕方がない。家に帰ろうと、鍵を探してポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃになったレシートが一枚出てきた。端に縮れた字で電話番号が書き込まれている。下らない。威勢良く啖呵を切って屋敷を飛び出してきたけれど、やっぱり、後のことを考えずにはいられなくなって、駅に着いてから大慌てでメモしておいたものだ。それで余計惨めになった。まったくどこまでめめしいんだろう? いくら金に困ってるからって。
顔を上げると、ひとつ深呼吸をした。父は明日一番に連絡を寄越すと言ってきた。だから当面は、家を開けるか居留守を使わなきゃならない。それとも、母さんのことがあるから、やっぱり引き受けるべきなのだろうか? 病院代だって馬鹿にならないのだ。今は良いけど、もし今後容態が悪化でもしたら――
ぴしゃりと頬を叩くと、出口に向かって歩き出した。緑の少ない都市部では、公園の存在は時に異質なものだ。街路樹越しに住み慣れた町を見ると、今日はやけに建物が輝いて見えた。ロンドンの夜はいつも賑わしいが、今夜は格別だ。まるで、雨上がりのライトアップみたいに。町全体が、変にきらきらと――
夜空には、月がほんのりと霞んで見える。天気予報では、向こう一週間晴れだと言っていた。〝都市部では快晴です。美しい月が見られるでしょう〟アナウンサーが言っていたっけ。それなのに、今、空は滲んでおり、世界が淀んで見える。なにもかも曇っているみたいに。
いや、曇りに違いない。ロバートは思わず足を止めた。まぬけなアナウンサーが予報を外して、雲が流れてきたに違いないのだ。
晴れてなんているものか。
2
【マナー・ハウス】
辞書を引けば、そこにはこう載っている。『中世の貴族、または郷紳(ジェントリ)などの屋敷を改装し、ホテルとして経営しているもの。代表的なものとして、ローズ・オブ・ザ・マナー、クリブデン・ハウス等』
こんなものが自分の身に降りかかってこようだなんて――
ことの起こりは、かくも単純なものだった。
二日前の正午、ロバートはアルバイト先の劇場を出た。彼の勤める劇場は、ロンドンの町外れの一角にある。ミュージカル王国と称されるロンドンだが、その中身はピンからキリまでで、ロイヤル・シェイクスピア劇団やスワン座のようなものはまれだ。大多数は俗に言う有象無象というやつで――彼の仕事場も、例に漏れずその後者の一員になっている。普段通り、フロアの絨毯のブラシがけを済ませ、トイレを掃除して、あるかなきかの売り上げを計算してから玄関を出たロバートは、突然声をかけられた。
「スタンリー様ですか」
ロバートは足を止めた。男は車のドアから鼻先をのぞかせ、こちらを伺っている。それでピンと来たのだ。相手が誰なのかを――いや、誰がらみの客であるのかを。もとより、こんなさびれた劇場に、高級車で乗り付けてくることといい、場違いそのものだ。
「違いますね。人違いだ」 ロバートは背中で言った。歩道際に停めていた自転車に跨り走り出す。だが、相手はその背を追いながらぷっと吹きだしたのだ。
「アーロン様にそっくりなのに」
ロバートは、その時は黙って角を折れた。失礼なヤツだ。おまけに、言わせて貰えば、もし本当に「そっくり」 であるならば、そっくりなのはむしろ相手のほうなのだ。生まれた順番におだを上げる気は更々ないけれど、本来なら、僕が双子の兄、あいつのほうが弟なのだから。
だが、相手はその翌日もやってきた。
「昨日は失礼しました」 と、男は言った。その時は、彼は倉庫で片付けをしていた。そこをオーナーに呼び出されたのだ。昨日と同じ車が外に停まっており、おまけに、今日はあと二人似たようなものを引き連れている。「どうかお越しいただけませんか。お父様がお呼びです」
言うとおりにしてやったのは、他でもない。二、三発殴ってやろうと思ったからだ。もとより喧嘩は嫌いなほうだ。だが、いざロンドンを抜け二時間かけて生まれ育った屋敷に連れてこられたロバートは、それが残念ながら不可能であることを知った。部屋の壁一面に使用人が構えている。執事――どころか、明らかに職種を疑うような顔つきをしている者もおり、皆揃って彼の動きを――ロバートの様子を用心している。まるで、檻から危険きわまりない狂犬を出そうとしているところみたいに…
「急に呼び出してすまないね、ロバート」
待ち構えていた屋敷の主――彼のかつての父親は、ロバートを見るとそう言った。「佐代子――母さんは元気かい」
「あとふた月持ちませんよ」 ロバートは言い放った。残念だが、そう医師に宣告されたのだ。どんどん体が弱っていると。このままでは、本当にそうなってしまうだろうと。
「そ――そうか」 相手は戸惑ったようだった。「私も色々と忙しくてね、なかなか時間が」
「あんたはクズだ」
ロバートは言った。それだけで、ここまで来てやったかいはあったというものだ。「掛け値なしだ。あんたに、僕の――母さんの名前を呼ぶ権利はありませんよ」
そう言って、彼は踵を返そうとした。もうここには用はない。帰るのだ。だが、それを相手は呼び止めた。
「待ちなさい、ロバート!」
そして一方的に喋り出したのだ。今回、わざわざ彼をここまで呼び出した「用件」 とやらを。
「アーロンが今年イートン校を卒業する事になってね」 と、早口に言った。「覚えているかい。あの子は昔から体が弱いから、お世話になっている方に――先生に、仕事を斡旋していただくことになったんだ。マナー・ハウスだよ。コッツウォルズの」
イギリスは、古き良き階級社会だ。一見消え失せたように見えて、それは今だに根強く社会に残っている。由緒正しきパブリック・スクール出のお坊ちゃまは、伝統的に毛並みのよろしい就職先にご就任あそばしになる。英才教育を受けて、古屋の執事はないと思うけどね。
「メリー・モナーク館。知ってるかい」 相手は言った。「フィーロヴィッシャー準男爵が主を勤めている。ちゃんとした方の、ご推薦だよ。だが、ちょっと困ったことがあった――」
アーロンがね、足を折ったんだ。父親は肩をがっくりと落とした。「フットボールの授業中にだ。二週間、試しに働いてからお返事を差し上げると、先生に――斡旋して下さった方に約束してしまった。今更、お伺いできなくなりましたとでも言えば話は無くなってしまうだろう。そこで、お前に、二週間だけアーロンの代わりにそこに行ってもらえないかと…」
ロバートは、黙って相手の顔を見つめていた。手入れの行き届いた、営業用の仮面みたいな父の顔に、微かな緊張の色が浮かんでいる。無理難題とは承知の上――けれどもこれしかない、そんなふうに。ロバートは返事の代わりに席を立った。
「待ってくれ、ロバート! 頼む――父親として、是非頼みたい」
父親だって? ロバートは肩をそびやかした。勝手にそう思ってるがよろしい。だが、皮肉にもその場を立ち去ろうとしたロバートに、父はこう言ったのだ。
「お前、昼間は劇場で働いているそうだね」
ロバートは足を止めてしまった。今にして思えば、相手はその程度のことは調べていたのだろう。父にしてみれば、是が非でも、今回の件はロバートに引き受けて貰わねばならないのだから。「毎晩シェイクスピアか、立派だ」
母さんに似たんだな、と言った。
「佐代子のことは――本当にすまないと思う。引き受けてくれれば、お前の母の面倒を見るよ。お金の苦労はしなくていい。お前も、知り合いの居る国立劇場で働かせてやる。それくらいは償わせてくれ、な?」
お金、か。ロバートは思った。お金があれば。確かに、両親が離婚して以来、ロバートは何度となくそう思ってきた。ロンドン一の危険地区と呼ばれる生活保護地域に住み、時に学校に行けなくても、友達の誕生日に持っていくプレゼントがなくてパーティーに行けなくても、そこまで辛いと思った事はなかった。ただ、それを悲しんで、どんどん細くなりながらでも、働いて、働いて、泣きながら彼に侘びる母の姿を見るのが辛かったのだ。お金さえあれば、いや――父さえ居てくれれば、こうはならなかったのに。
重婚した挙句、(※イギリスは重婚の犯罪率が最も多い)一方的に離婚を突きつけ、兄の彼を日本人である母が、病弱な弟を自分が引き取ると言ったきり、一度も連絡してこなかった、そんな父でさえいなければ。
あとは勝手に体が動いていた。気が付くと、ロバートは相手に飛びかかっていた。使用人に押さえつけられ、ほとんど放り出されるようにして玄関を出て行くとき、階段から一部始終を伺っていた弟が、冷や汗を拭い椅子の陰から這い出してきた父に、こう言いながら降りてくるのが聞こえてきた。
「だから言ったでしょう? あんなヤツに、僕の真似など出来っこないって。野良犬に、血統書付きの真似事など出来ませんよ。父さん」
古い屋敷を背に、長いアプローチをひとり歩きながら、ロバートはそっと独りごちた。
仲がいいと思ってきたけれど。父と別れてからも、それだけは思っていたけれど。
人間変われば変わるものだ。
血統書、だって? だったら血統はお前と同じなんだよ。なあ?
3
それから一週間、「来客」 は毎日訪れ続けた。
パターンは同じ。いつも劇場の前に、黒塗りの高級車が停められている。成人映画と潰れたパン屋に挟まれた劇場前には、あまりにミスマッチな外車が一台。そして中に入っているのは、ジェームズ・ボンドを思わせる上流階級らしからぬ男が二人。
「また今日も来てるな」 とブレットは窓の外を覗きながら言った。広いロビーの中で、掃除をしているのはロバートと親友の黒人のブレットの二人だけだ。モップにワックスを浸し、適当に床のフロア部分を磨きながらロバートは言った。
「放っとけよ。あと三日もすりゃ諦める」
「そう思うか?」
チケットを手に、ブレットは笑った。彼はさっきから、いつ数えてもそう変わらない売り上げを数え直している。お客が来れば、それも多少の変動があるものだが、ここ数日間、売り上げはとんとご無沙汰だ。ブレット曰く『窓際のシークレット・エージェンシーたち』 が、ただでさえ少ない客を余計寄り付きにくくしている、というが、だとすればその責任の一端はロバートに有るというもので――ロバートは首をすくめてみせた。
「よく見てみろよ、奴さんたちのあのツラをよ。是が非でも、お前を連れてかなきゃボスに申し訳が立たないってような顔してるぜ。そう簡単に引き下がるとは思えないね」
「じゃあ次の手は拉致だ」 ロバートは笑った。「俺が消えたら、犯人はあいつらだぜ。今のうち車のナンバー控えとけよ」
ブレットは流暢に札束を数える手を止めた。いつもそうだが、ブレットは金が大好きなのだ。今にオバマかマイケル・ジョーダンくらいにはなってみせると豪語しているヤツで、聞くところによると、某有名スポーツマンの鞄持ちくらいは勤めた事があるそうだが――ホントかね。
「なあ、ロバート、お前本当に引き受けないつもりか?」
ブレットの視線が左手に注がれていることに気付き、ロバートは無視した。いつものことなのだ。まじないで、困りごとが有ったら、お守り代わりのブレスレットをする彼の習慣を見抜いているらしい。「よく考えてみろよ――劇団入りだせ! 国立劇団の仲間入りだ、なあ!」
「冗談止せよ」 ロバートはモップをぞんざいに動かした。「成金も、腐った弟も、親父のあの強烈なコロンも二度とゴメンだね」
「だがそれに耐え抜きゃ薔薇色の人生がお前を待ってる」 ブレットは両腕を広げた。「そうすりゃお前と俺で半分山分けだ! ベガスに行こうぜ、料金はお前持ちだ。俳優ロバート・スタンリーの誕生にタッチ・ダウン!」
「同時に人生ゲームセットだ」 ロバートは鼻で笑った。「空港に着く頃には、俺とお前は卒倒してるな。あまりに強烈なコロンの臭いに当てられて」
ブレットは笑った。札束を持ったままの手でロバートの肩を叩く。「腐ったってお前はそうならねえよ」
にしてもな――ブレットはボヤいた。例のスパイたちの車からは、今は煙草の煙が出ている。葉巻らしく、運転席で男がぷかぷかやっているのだ。路上での喫煙は違法ですよ、ロバートが背を向けたところでブレットが言った。
「なあ…いっそ、引き受けるフリでもしちまうってのはどうなんだ?」
まだ言ってるのか、ロバートはワックス入りのバケツを持ち上げた。初日は、これをたっぷり浸したモップを車の前で振り回してやったのだが、一週間も経つと、いい加減向こうも馴れてくるものなのだ。向上心があるのは認めてやるけど――「いいから聞けよ、落ち着き無いぞ、お前!」
ロバートは足を止めてやった。『落ち着き』 これで体現だ。で? ロバートが顎で訊くと、ブレットは珍しく真顔になった。肩をいからせそろそろと深呼吸している。
「――なあ、ロバート。お前が引き受けたがらない理由はようく知ってる。あのクソ親父と、親の七光りの弟の真似をさせられるのは真っ平なんだろ。俺だって、そんなお前を見るのは願い下げだね。だが、それを逆手に取っちまうってのは、どうなんだ?」
「……」
「お前の親父は今、お前に弱味を握られてる」 ブレットは拳を握った。「考えてみろよ。お前はそう思ってないみたいだけど、どう見たって主導権は完全にお前のものだ。なんたってお前の一声で馬鹿息子の就職先が決まるんだからな」
「ブレット、お前何が言いたい?」
ブレットはロバートに詰め寄った。反対に、声は低くなる。「俺が言いたいのは、黙って引き受けちまえってことだよ」
「………」
「どうせお前の親父だ。お前が引き受けて、上手くことを納めてやったところで、劇団入りの口をきいてくれるなんてことはまず無いだろうな。自分よりも上のコストを、そうそうお前なんかにくれてやると思うか? せいぜい床磨きか、ここよりもっと酷いもぎりの扱いがオチだ。幾許か握らせてあとはポイ、そうなるのは見え透いてる。だったら、こっちも打つ手を打ちに出るまでだ」
ロバートは床にバケツを置いた。
「黙って引き受ける、そのフリをしちまえばいい。そのあとは、親父の意に添うように動いてやらなきゃいいのさ。逆にブチ壊してやりゃあいい。ヘマでも何でもして〝スイマセンでした〟あとは親父が金でも積んで解決するだろ。そうすりゃ良い面の皮だ。お前もちょっとはスッキリするだろ?」
持つべきものは友、とはよく言ったものだ。
4
三日後の月曜日、ロバートはアパートの玄関の前に立っていた。急ごしらえであつらえた――もとい、あつらえられたスーツケースとブランド物の旅行鞄、ついでに一級品のコート入れを一式。普段は郵便屋ですら長居は無用の保護地区のアパートの前には、今日はギョッとするほどの高級車が横付けにされている。
「では、参りましょうか、アーロン様」
迎えに来た『ジェームズ・ボンドたち』 は、皮肉な笑みを浮かべながらロバートにそう言った。あれから、晴れて引き受けると答えたロバートは、親父の放つ刺客――ならぬ使用人たちに、街中を引き回されたのだ。(スーツ一着も持っていないなんて) 連中、そんな顔をしていたものだが、見ての通りですよ。貧乏人。
「襟のボタンをけっして外さないで」〝エージェント〟の一人は言った。「それと、手のそのおかしな飾りも取って下さい。向こうでは絶対にしないで」
「屋敷の前までお送りしますよ」
「ご勝手に」 おろしたてのグレーのスーツに、手を突っ込みながらロバートは言った。せいぜい素行悪くガムを噛んでやる。「親父に言われた通りにやったら」
ロンドンを後ろに、北西へ二時間半、高速を走り郊外の田園地帯へ。ロバートはもっともらしく渡された資料を膝に広げた。前の座席にはめ込まれた液晶パネルに、スパイ物の映画で見たような画像がちかちか閃いており――まったく、隠しカメラかよ?
『メリー・モナーク館』
資料の上に、そう表題が付いている。初日に父親が言っていたっけ。三百年前のチャールズ王時代の邸宅を改装し、一昨年六月からマナー・ハウスとしての経営を開始。八エーカー(3・2ヘクタール)の広大な土地に佇むいにしえの邸宅。この春で創業二年目を迎え、ジョージ・フィーロヴィッシャー準男爵(バロネット)を館の主に持つ。田園地帯の散策や乗馬、狩猟クラブにも最適。主な来訪者に、歌手ポール・エイムスや米俳優のヴァネッサ・コールマン等。
「車酔いされますよ」
運転席から、男がそう呼びかけてきた。後部座席は、運転席とはガラス窓で仕切られており、後ろの様子は見えないはずなのに。ロバートは鼻を鳴らした。「カメラ回してるのかい」
「ページをめくる音がしますよ」
車はようやく高速を降り、一般道を走り始めた。下らないマニュアルは、事前学習と称して『礼儀作法』 が大半だ。食事中のカトラリーの使い方、椅子の立ち方、言葉遣い。ひとわたり目を通したロバートは、後部座席の、更に後ろにある座席(つまり、この車は余分な限りで十人乗りな訳ですよ) にマニュアルを放り出した。車は森を右脇に走り始めている。幅広の川を左手に、標高の少し高い位置を走っており――やがて車はウインカーを出すと森の脇道に滑り込んだ。さあ、いよいよだ。舗装路が無くなり、荒れた森の景色はやがて整然とした直線状のアプローチ(屋敷に辿り着くまでの余興の通路)へと――
「停めてくれないか」
出し抜けに、ロバートは呼びかけた。ハンドルを切っていた相手はポカンとしている。車は真っ直ぐに屋敷へと向かっており、少し離れた所に森の終わりが見え、フロントガラス越しに邸宅のようなものが見えている。運転手は首を捩った。
「何です?」
「停めてくれって言ったんだ」 ロバートは運転席に身を乗り出した。「ここから先は、歩いて行くよ」
すると、運転席と助手席に座っていた二人の使用人は、揃って顔を見合わせた。二人して、同時に同じことを言う。「どうして?」
「どうもこうも無いよ」 ロバートは呆れたように座席に背中を投げ出した。「上流階級の決まりじゃないのか? お客は、屋敷の顔である庭園を存分に拝見してからお窺いするのがマナーだろ」
すると、助手席に座っていた使用人のひとりがぷっと吹き出した。「そんなもの、今時やってるヤツは居ませんよ」
「だろうね」 ロバートは言った。「でも、今後そこで働くかもしれないヤツが、ろくすっぽ屋敷回りも観察せずに、使用人付きのロールス・ロイスで堂々と玄関まで漕ぎ付けたら、雇い主はどう思うだろうな。〝まともに働いたこともない貴族出のお坊ちゃんが、ようやく乳離れしてベビーカーでお出ましか。どうせあと一週間持たんだろうな〝」
途端に、二人の使用人は文字通り引きつった。飼い犬は飼い主に従順なものなり。けれども、それは人ですらないと言う事で――「忠告はしたぜ。早いこと降ろした方が良いんじゃない?」
車は急停車した。本当に、うっかりすると底が抜けそうな勢いだ。後部座席から這い出すと、ロバートは荷物を降ろした。「いいよ、自分で持つ」
「いいですか」 運転手は言葉とは裏腹の強面で念押しした。「あなたは、これから二週間はアーロン様。間違っても、お父様や坊ちゃまに恥をかかせるようなことはないように――」
ロバートは背中で笑った。「了解。ついでに、よろしく伝えといてよ。親父と、坊ちゃまに」
使用人は舌打ちして車に引っ込んだ。ロバートが見る間に車は急回転すると、こりごりだというように走り去っていく。完全に車の姿が消えてしまってから、ロバートは屋敷に向き直った。さて、と。
金持ちってのは、どうしてこうバカなんだろうね? ロバートは少し笑った。ちょっとつつけばすぐにボロが出る。所詮重ね塗りされたメッキに過ぎないんだろうが、本物の聖者ってのはスラムにも生まれるもんだよ。ロバートは荷物を持つと横に有る森に足を向けた。おあつらえ向きの木陰があり、下着姿になるには充分な茂みだ。さあ――
木陰に入り込み、スーツケースから私服を引っ張り出す。家を出る前に、土壇場に潜ませておいたものだ。愛用のポロのシャツとジーンズ、皮ジャンを引っ張り出すと、ロバートはそっくりそれに着替えスニーカーを突っかけた。ついでに踵を踏むと、忌々しいスーツケースを木陰に放り込んでやる。
荷物を背負うと、ロバートは歩き出した。セットされた頭をぐしゃぐしゃに掻き毟り、汚れついでに森の中をざかざか歩いていく。アプローチはほとんど大方を過ぎており、すぐ側に森の終わりが見え、屋敷の側面が覗いている。コッツウォルズ独特のクリーム色の煉瓦に、茅葺き屋根。古めかしい屋敷の横顔、古き良きチャールズ二世時代の邸宅――
『メリー・モナーク(陽気な王様)館』
ロバートは足を止めた。左手に、さっきまでロバートが車で走っていた砂利敷きの一本道が伸びている。前庭に丁寧に刈り込まれた芝生を構え、L字型の建物は、Lの縦棒の長い部分が横に、短い部分が縦になるようにして構えている。そして確かに堂々とした風格。ロバートは掌にメモしてきた特徴を読み直した。
「――間違いないみたいだな」
屋敷の左手には、自然の森が広がっている。水辺が有るのか、水鳥が空を低く舞っており、ロバートは低く口笛を吹いた。本当に避暑地だ。野生のウサギがこちらを伺っており、緑も豊かで、風も格別心地よい。
片手でバッグを背負い、玄関へと歩いていく。正面に、正方形に手入れされた芝生が、ふたつ並べるようにして広がっており、対になった絨毯みたいだ。木製の机と椅子が置かれており――立ち止まって、屋敷を眺めていたロバートは、ふと後ろから声をかけられた。
「きみ」
ロバートは振り向いた。少し離れた所に、芝生の真ん中に涼むようにして、男がひとり腰掛けている。顔の前に、四角い金属の枠みたいなものを構えており、ロバートを見ると手を横に振った。「そこに立たんでくれ給え」
ああ、ロバートは芝生から飛び降りた。相手はカンバスに向かって手を動かしており、屋敷をスケッチしているのだ。先客か、ロバートは笑った。へえ、画家みたいだ。金持ちにもそんな趣味が有るんだな?
屋敷の中央に、玄関らしい黒塗りのドアが付いている。木組みのドア脇に、古式ゆかしいドアベルが付いており、こうしてみると豪邸とは言い難いほどの小さなものだ。ロバートは近付くと、思い切ってそれを鳴らしてみた。中で人の足音が聞こえて来る。
「すいません」
何度か鳴らしているうちに、鍵がかかっていないことに気が付いた。そりゃそうか。仮にもここはホテルなのだから――
ドアを開け、顔を覗かせる。思ったより手狭な玄関が構えており、正面にフロアが――白と灰色の大理石の床が広がっているのが見えた。階段があり、上は吹き抜けにはなっているが、こじんまりとして、なんだか個人の家みたいだ。
ロビーはほの明るく、自然光が窓から取り入れられやすくなっている。歳月の色合いを帯びた梁や扉が、屋敷の年齢を物語っており、ロバートは気を取り直すと腕組みした。今度はもっと大きな声を出そうと息を吸い込んだ。
「すいません――誰か居ないの?」
そのとき、背後で靴底が鳴る音がした。
5
「ようこそ、お待たせしました」
ロバートは振り向いた。すぐそこに、使用人姿の男がひとり立っている。三十代半ばぐらいの男で、短く刈られた濃いブロンドに、黒のベストにカッターシャツ。折り目のついた黒ズボン。
「――どうも」 ロバートは向き直った。「今日から、ここで二週間お世話になる者なんだけど…」
すると、相手は軽く眉を上げた。どうせロバートの格好に意表を突かれてるんだろう。が、意に反して相手はにっこりとした。
「ああ、君のことか」 と手を差し出してくる。がっしりした体つきだ。「話は聞いてるよ。俺はサイモン・ブラック。ここの館の料理人兼フットマンだ」
「アーロン・スタンリー」 ロバートは出された手を握り返した。「ここじゃそうなってる。でも、呼びたきゃロバートでもロヴィとでも呼んでくれてもいい」
「了解」 相手は軽く笑った。「部屋を案内するよ。じきアマベルが来る」
男に率いられ、ロバートは階段を上がった。屋敷は三階建てになっているらしい。地下と、一階、最上階の二階。部屋数はそんなになく、二階は客室だけ。
「ここがお前の部屋」 サイモンが言った。二階の奥の客室で、小ぶりだが木張りの部屋にちゃんとしたバスタブが付いている。ベッドの上に使用人の衣装らしい服が畳んで置かれており、ロバートは思わずギョッとした。「ここ、客間じゃないのかい?」
「いいのさ。どうせ滅多に客は来ない」 相手は笑った。「それに、夜中電気が点いてりゃ、少しは客が居るらしく見えるからな」
着替えを済ませ、一階に戻る。ものの十分もしないうちに、ロバートは屋敷の構造を覚えてしまった。「ロビーのドアを背に、廊下を右に行けばパーティー用の広間、暖炉のある食堂。左が書斎兼シャンパンバー、その隣が(――L字型の建物の横棒部分だ) ダイニング、喫煙室、奥がビリヤードルーム、狩猟用の猟銃・釣道具保管庫」
「そう。使うのはそれ位だな」 サイモンは頷いた。「ちなみに厨房は一階、食器や道具類はみんな下に揃えてる。さて、ロバート。お前の役割はホール・ボーイだ」
「ホールボーイ?」 ロバートは首を傾げた。「床磨きってこと?」
「雑用みたいなもんだが――」 サイモンはバーカウンターのある部屋を顎でしゃくった。「ロヴィ、お前はこの部屋を見て何を思う?」
ロバートは部屋の中を見回した。ロビーから、最初に見える書斎兼バーカウンターだ。手前の右にカウンターが立ち、背後は星の数ほどのボトルがストックされている。奥行きのある長細い木張りの部屋に、重厚なモールディング(木彫を施したもの)の天井。左手にカーテン付きの窓、床にミツバチの模様の赤絨毯。テーブルと椅子のセットが全部で七脚。奥の壁際に書棚とシガー・カウンター。
「何かおかしなところはないか?」
「…カーテンが捩れてる」 ロバートは言った。「七脚あるテーブルのうち椅子がふたつ出しっぱなしだ。バーカウンターのマホガニーが埃ってる。あと、手前の灰皿が使用済みだ」
「そう、じゃあそれを直すのが役目だ」 サイモンがバーカウンターに引っ込んだ。「なに、やれることをやってりゃいいのさ。どうせ客が来るまでは暇だから」
はあ、ロバートは気抜けしてしまった。なんというか――想定外だ。大きな屋敷で、マナー・ハウスで、イートン校の御曹司が就職あそばす古屋の仕事はどんなかと思ってたけど…
せっせと窓を磨き、椅子を整える。こんなときに、細かしく働く癖が有るのは損なものだ。サイモンはさっきからバーカウンターで一杯やっており(給仕が仕事じゃ、ないのかね?) 賓客用のパンフレットを整え、椅子の埃を叩き、灰皿を戻したところで甲高い声が張りあがった。
「サイモン、またやってるの!」
ロバートははっとした。カウンターで座っていたサイモンがだらしなく笑う。入り口に女性が立っており、足早に駆け寄ってくるとボトルを取り上げて盛大に怒鳴った。
「いい加減にして。また前の店みたいに駄目にしたいの?」
「固いこと言うなよ、アマベル」 サイモンが文句を言う。酒癖が(――悪酒飲みから、共通して漂う特性というもので) あんまり良くないらしく、目が少し濁ってしまっている。「新人祝いだぜ。スタン社の御曹司、アーロンだけどロバート・スタンリー」
すると、相手はパッとこちらに顔を振り向けた。なかなか可愛い子だ。黒い髪に、ちょっと焼けた程度の肌に、大きな目。「そう――なの」 と言った。慌ててボトルを床に置いてしまう。
「こんにちは」 相手は気を取り直すように唇を吊り上げた。「よろしく。アマベル・パッサンよ。ここの唯一のハウスキーパー兼メイド」
「唯一?」 ロバートはぽかんとした。「唯一なのかい?」
「じき判るだろうけれど」 相手はほんの少し苦笑した。「ここは使用人がホントに少ないの。あなたを入れて四人目よ」
四人? ロバートは目を剥いた。「たったの四人?」
「そう」 アマベルと名乗った女性は頷いた。「しかもみんな本物じゃないの。私も、昼間は美大生をやってるし、サイモンは元中流レストランとパブの店長よ」
「店はもうとっくに無いがな」 と、サイモンはせせら笑った。「酒で潰しちまった。外に居る庭師のドンは元乞食だぜ」
ロバートは眩暈がしてきた。一体――一体なんてところなんだ? アル中に、美大生に、おまけに乞食だって?
「それでも充分回るのよ」 アマベルは支度の為に髪を結い始めた。「お客は、明後日久々に一組来るわ。どうせここの噂目当ての物見遊山に違いないだろうけど」
「噂? 噂だって?」
ロバートは棒立ちになっていた。どういうことだ? 明らかにおかしい。そんなことは一言も聞いていなかったけれど、さっきから感じていた、ここの人気の無さ。閑散とした空気といい、スタッフの数といい、彼らの素性といい――
「あなたも知ってると思うけど」 アマベルは少し悔しそうな顔をした。「ここは世間一般が言ってるようなところじゃないわ。私も、サイモンも、ドンだってもう半年勤めてるわけだし、そんなのみんな出鱈目なのよ」
ロバートはほとんど聞いていなかった。世間一般が言う、噂。何よりもひっかかるものが有って、ロバートは頭を振った。みんな出鱈目、とは…
「う――噂って」 ロバートはどうにか唾を飲み込んだ。「一体何なんだい?」
するとアマベルは、ちょっと息を吸い込んだ。だが、次にはっきりとした口調でこう言う。「安心して。つまり、ここは呪われてなんかいやしないってことよ」
ロバートは絶句していた。でなければ、大声を上げて庭に飛び出してしまいそうだったから。
(アーロンが足を折ったんだよ、試しに二週間働いてからお返事を差し上げると約束してしまった、だから)
畜生、やりやがったな、親父―――ッ!
6
その夜、ロバートはブレットに電話をかけた。普段は夜はハードロック・カフェで働いているブレットは、いつも深夜の二時過ぎになって帰って来る。思ったとおり、コール音二回目で相手が出た。「どうした、ロヴィ?」
事情を話し終えると、ブレットは舌打ちした。パソコンを開いているらしく音が聞こえて来る。「やられたな、ロバート」 と言った。「親父は知ってたんだ。不祥者の息子が頼んで紹介された働き口に、ヘンな噂が付いてるもんで、代わりにお前をやらせたのさ。もし何かあってもそんときゃお前だし、先方には断りでもすりゃあいい」
「噂って」 ロバートは歯噛みした。「何なんだ? 調べられるか、ブレット?」
本当は、こちらでも調べてやりたかったのだが、生憎とこの古家にはパソコンのパの字もないのだ。「ええと――」 ブレットは唸った。「待てよ。何か化けて出るらしいな」
「何かって、何が!」
「さあな」 ブレットはマウスをクリックしている。『……怪奇現象の伴う、いにしえの館、マナー・ハウス。メリー・モナーク館は一度喋り出すと止まらなかった陽気な国王、チャールズ二世のあだ名に由来します。その名とは裏腹に、父は斧による断頭台の露と消えたチャールズ一世として有名。屋敷はジョージ・フィーロヴィッシャー準男爵が叔母のアイネリーより結婚祝いとして譲り受けたもので、近年ホテル経営として発足しました。以来、来訪者は必ずと言っていいほど変わった現象に悩まされます。ご訪問の方、どうしてもその好奇心に勝てない方は、ホーンテッド・マンションを覗く覚悟を決めてお訪ね下さい。亡霊に呪われないよう、念のため十字架をご持参することをお勧め致します』
「………」
「まあ、噂なんじゃないか」 ブレットは言った。「その三人のスタッフも、半年も勤めて平気なんだろ? お前は手はずどおりにやりゃあいい。適当なところで、ヘマでもやって、その男爵の逆鱗に触れりゃいいのさ」
電話を切り、ロバートはベッドの上に座り込んだ。本当はすぐにでも屋敷を飛び出して、今度こそ親父を袋叩きに――もとい、たこ殴りにしてやりたかったのだが、そうはいかなかったのだ。一番最寄な街でもここから車で二十分。おまけに、帰る費用もまともに無くては…
ろくに眠れもせず、朝方、ロバートはまだ暗いうちから床を這い出した。屋敷の外は霧に包まれている。朝晩がまだぐんと冷え込む春先は、まだ日陰はコートが居るほどの肌寒さで――底冷えする冷気が漂っている。緑の多い窓の外はしんとしており、いかにも何か出て来そうな…
ジーンズに着替え、部屋を出る。ちょっと散歩でもしてみよう、と思った。そもそも、所詮は噂に違いないのだ。アマベルだって、サイモンだって、昨日は会わなかったけれどドンとかいう男だって、長らく無事だったというのだ。何事も無かった人間がこれだけ居て、おいそれと逃げ出すのは腰抜けというものだし…
階段を駆け下り、書斎兼バーカウンターに顔を覗かせる。床の上に、昨日アマベルが取り上げたボトルがそのままになっていた。ボトルから一口失敬し、隣のダイニング・ルームを覗き込む。いくら初春を目前にしているとはいえ、こう冷えこむと流石に厳しいもので、快適に動く現代の発明品が恋しくなるものだ。どこかにヒーターのスイッチはないかな?
ダイニングは、赤いビロード調の壁紙に彩られている。テーブル一脚につき、椅子一脚がセットになって置かれており、しめて六セット。床はカーペットだ。壁に肖像画が四枚並んでおり、奥にグランド・ピアノが一台。蓋が上げられいつでも弾ける状態になっている――
その向こうに、人の頭が見えた。
ロバートはぎょっとして立ち止まった。バーで持ち上げられたピアノの蓋の向こうに、女性の顔が見えたのだ。近寄ると、若い女性が椅子に腰掛けて鍵盤の上に手をやっている。金髪の、素晴らしく綺麗な女の人だ。
「……寒くないですか」
呼びかけると、相手はつと顔を上げた。髪を頭のてっぺんで結い上げており、水色の細身のドレスを着ている。襟元に、どうやら本物であるらしいユキヒョウのガウンが覗いており、相手はひどく意外そうな顔をした。「いいえ。ここに居ては駄目?」
「今ヒーターをつけますよ」 ロバートは言った。幸い、肖像画の並びの横にスチーム式のヒーターのスイッチを見つけたのだ。スイッチを入れ、戻ってくると、女性はにっこりとした。美人だ。頬紅も口紅も映えるとんでもなく美人。
「面白いこともあるのね。あたくし、誰かに話しかけられたのは初めてよ」
「……」
そりゃそれだけ美人だったらさ、とロバートは思った。女性は楚々とした佇まいをしている。何だか、アルプスかどこかの山麓に咲いている、残り雪をかぶった花みたいに。
「お――お茶なんて、いかがですか」 と、ロバートは訊ねた。(断じてナンパではない。だって、こんな夜明け前に、冷えた部屋で薄着の女性をほったらかしにしておくのは、使用人として失格でしょ?) 「朝食までまだ間が有ります。今入れて来ますから」
「キャスリーン」 相手は微笑んだ。「どうもありがとう、ロバート」
サイモンめ、足早にバーに引き返しながら、ロバートは思った。昨日はお客が居たんじゃないか。食堂やパーティールームを追い越し、反対側の突き当りへと向かう。昔の屋敷は、裏方の仕事を隠す傾向に有ったらしく、地下階への階段は屋敷の一番端の部分に位置している。ちゃんとコンロや紅茶があればいいけれど…
地下に入り、厨房を探す。幸い厨房はちゃんとガスコンロが据えられており(大半は、大昔の竈やらオーブン台なのだが) 食器室からティーセットと銀製のトレイを持ってくると、ロバートはお茶の支度をした。クッキーを申し訳程度に添える。
一階に戻ると、日が昇っていた。白々とした日光が館内に差し込んでくる。バーカウンターを通り過ぎ、ダイニングに飛び込んだ途端、キャッと声が上がった。
「ヤダ、一体何事!」
ロバートは足を止めた。アマベルがカーテンを引き開けている。朝の掃除をしているのだ。相手は、ロバートと、ロバートの手の中にあるトレイを――紅茶のセットを見ると、プッと吹き出した。「おはよう。朝一番にお客さんの気分でも味わうつもり?」
「……いや」 ロバートは首を振った。ピアノ台は、綺麗に蓋が閉じられている。椅子には女性の姿はなく、ロバートはキョロキョロとした。「女性に――用意しようと」
アマベルは目をぱちぱちしている。が、すぐに慌てたように「ああ」 と言った。「そういうこと。ありがと」
ポットを取り上げ、カップにお茶を注ぐとその場で一口飲んでしまう。「美味しいわ」 と笑った。「気が利くのね。立派な使用人よ」
「………」
ここに置いておくから、トレイをカウンターに置き、ロバートは引き返した。アマベルは張り切って掃除機をかけている。なんというか――どういうことだ? ひょっとして部屋に戻っちゃったのかな?
釈然としない思いで、ロバートはバーカウンターをあとにした。
7
正午過ぎになって、ロバートはサイモンにロビーに呼び出された。昨日の酔いが覚めたのか、彼はスッキリとした顔をしている。「さて、ロバート、ここに来て貰ったのには訳がある」
掃除だろ、ロバートは細かく首を頷かせた。そんなもの、持っている道具を見れば一目瞭然だ。塵取り状の灰掻きに、鉄製のブラシ、バケツに折りたたみ式の脚立と来れば――
「そう、暖炉掃除だ」 サイモンは笑顔で脚立を押し付けた。「食堂の大暖炉、あれを掃除してもらう。終わったら知らせろ」
「あんたは?」 ロバートは顎をしゃくった。「アマベルは何をするんだい」
「こっちはこっちで大忙しよ」 と、アマベルがバーから飛び出してきた。よれよれのセーターとジーンズ姿に、手に編み籠をふたつも持っている。「ホントは私を手伝って欲しいんだけど」
「彼女は近くのファームにアスパラを獲りに行く」 サイモンは腕組みした。「ついでに、隣の敷地で早咲きのアプリコットと花をかっぱらって来る。俺は――」
「明日のための食料品の調達よ」 アマベルが引き取った。「マス釣りとウサギ狩り、カモ撃ち。それから料理」
「何だってわざわざそんなことを!」
「お金が無いの」 アマベルが低く言った。「ここは本当に火の車なの。そうそう市販のものなんて買えないのよ」
もはやマナー・ハウスというより、自給自足のキャンプ場みたいだ。ロバートは肩を下げた。「出来るなら庭でドンの野菜の収穫を手伝え。頼んだぞロバート」
食堂は、だだっ広い横長の空間になっていた。横幅二十メートルくらいはある大きな広間で、入って左奥に暖炉が構えている。大きな横長のテーブルがひとつ、椅子がズラリと並んでおり、会食用の広間であるらしいのだ。昔ながらのキャンドルをみたてたシャンデリアがみっつ。
石造りの壁の真ん中に、肖像画が掛けられている。チャールズ二世のものらしく、結構な大きさだ。暖炉に近付いてみて、ロバートは溜息を吐いた。暖炉回りに灰が溢れ返っている。ひと冬掃除をし忘れたような状態で、そこだけ床の色が変わってしまっているのだ。誰だこんなに汚したヤツは?
膝を付き、暖炉にもぐりこむ。シンデレラさながらハタキを振り回し、手の届く限り灰をかき集め――ロバートは思った。こりゃ金持ちのお坊ちゃんならホントに逃げ出してるな。
一時間ほどかかって、暖炉を掃除してから、ロバートはようやく手を止めた。少しは見られるようになっただろうが――そう、薪が無いのだ。暖炉にくべるための薪が。
食堂の暖炉は、昔ながらの大型で、大人の男の足ほどもある木を組み置いて燃やすタイプになっている。思案していたロバートは、思い出したことがあって顔を上げた。そう、薪のストックは下にあったな。
朝方、あの美貌の女性にお茶を用意しに下に降りたとき、たまたま地下の搬入口の脇で見つけたのだ。大方サイモンの手によるものなんだろうが、真新しい大きな薪が四つ。あれを持って来ればいい。
走って薪を持ってくる。それらしく見えるように、暖炉に積み上げ、押さえの金具で固定してしまうと、ロバートはマッチを取り出した。湿気ってちゃ困るから軽く焚いておこう。
薪に火をくべると、炎を熾りやすくするため息を吹きかけた。昔住んでいた家では、よく使用人が冬になるとやっていたっけ。居間にもっと大きな暖炉があって、その前にソファがあった。弟と暖炉の前で眠りこけたことも何度もあって――
気を取り直すと、ロバートは立ち上がった。止めた。どうでもいいことを思い出したって仕方がない。かきあつめた灰のバケツを持って立ち上がる。意外と良い薪らしく、綺麗に炎が回り始めており、ロバートは安心して背を向けた。よし、サイモンに知らせに行こう。
その時、背後で物音がした。
バサン、暖炉の方から何かが落ちたような音がしたのだ。ロバートは背を向けたままでいた。こういう大きな暖炉は、よく中に鳥が巣を作ったりしており、上からゴミが落ちてくることがあるのだ。それも使い初めだけで、煙が逆流しなくなってかえっていいことで――
だが、その時おかしな匂いが流れてきた。
何かが焦げる匂いだ。灰の焼ける匂いじゃない、衣服や、乾いた紙のようなものが焼ける匂い。それに混じって、流れて来る。微かな肉の焼けるような匂いが流れて来る。
ロバートは振り向いた。
刹那、暖炉の火が跳ね上がり、ボッと火の粉が舞い散った。立ち上がった炎の中から人間の影が飛び出してくる。赤い火柱のようなそれは、一瞬で暖炉を飛び出し、火だるまのまま、頭を抱えるような姿勢で走り出した。
うわぁぁぁ――――っ!
何かが悲鳴を上げた。ロバートはひっくり返った。抱き上げた脚立ごと、後ろにもんどり打つ。ガッシャーン! 音がして、ロバートは声を上げた。何を叫んだかは覚えていない。ついでにバケツの灰をこかしてしまい、辺り一面灰かぐらになった。
最初に食堂に飛び込んできたのは、サイモンだった。まだ生きている魚を網に入れ、釣竿を持って呆然としている。帰ってきたばかりなのか、籠を放り出しアマベルが駆けつけてきた。「ちょっと、ロバート!」
気が付くと、ロバートは床に仰向けに倒れていた。脚立の下敷きになっており、灰の中に寝転がっている。
「大丈夫なの」 アマベルがロバートを助け起こした。「そんな高い所までやらなくていいのよ!」
どうやら、ロバートが脚立ごとひっくり返ったと勘違いしたらしい。よろめくようにして、ロバートは起き上がった。
「………」
思い切って暖炉を振り向くと、そこには何も見られなかった。ぱちぱちと、心地よい音を立てて薪が爆ぜているだけだ。あの人影も、火だるまの人間も見当たらず――ロバートは咳き込んだ。どうにか手を上げ目を擦った。
「床掃除、やり直しだな」
サイモンが呆れたように首を竦め去っていく。バケツを取り上げ、よろよろと立ち上がりながら、ロバートは顔を覆いテーブルにもたれかかった。
8
その夜、アマベルのはからいで、ロバートは特別に(本当は、もっと働いて欲しかったそうなのだが、アマベルが反対したのだ) 楽な仕事に回ることを許された。厨房で、サイモンが撃ち落したカモの羽根をむしりながら談笑する。
「毎回だけど、ここの食事は大半が自給品なの」 アマベルが笑った。「秋なんて拾ったリンゴ三昧。クルミとか、グズベリーとか。運がいいときはお隣の庭からネクターを貰ったりするけど、悪いときはみんなで給料の中から肉を買うお金を持ち寄りよ」
「…準男爵は資金を出さないの?」
「出しはするがな」 サイモンがふんと鼻を鳴らした。「大方が留守で、どれだけ金がかかるとかをそう判っちゃいないのさ」
フィーロヴィッシャー準男爵。手を動かしている間、アマベルが話してくれた。「大金持ちで、叔母さんのアイネリー婦人から十年前にこの屋敷を譲り受けたの。荒れ果てていたものを、二年前思い切ってマナー・ハウスとして改装して。けれども、その直後からおかしなことが起きるって噂が流れ出して…」
使用人がひとり、またひとりと去ってしまった。
「私たちが来たときは、使用人はなんとゼロ」 アマベルが苦笑した。「それも、たまたま――街で求人広告を見かけて、顔を出したって言うのがノリよ。サイモンはアルコール中毒で病院を出たばっかりだったし…」
「俺はその頃ゴミ箱を漁ってた」 と、奥で野菜を洗っている初老の男が言った。乞食のドンだ。「六十過ぎになって、雇ってくれる人間なんざ居ないと思ってたけれど、こればっかりは助かったよ。救われたね」
「それも主(あるじ)が悪くもあるのよ」 アマベルはほっと息を吐いた。「テレビ局のいやがらせね。怪奇現象が起きるってお客からクレームがあるたびに、お客をどやしつけるわ、そんなことがある筈はないって罵ったり、お客さんと口論になったり、挙句にはテレビ局の人間を投げ飛ばしちゃうわで…」
「投げる?」 ロバートは顔を上げた。「カメラマンを投げたのかい?」
「まあ、それに近いようなことをな」 サイモンが頷く。「それでお客はぱったりさ。笑って誤魔化す、なんてことが出来ない人なんだ」
食材の支度を済ませ、みなで一階のバーカウンターを取り囲む。サイモンお手製のリンゴ酒や安リキュールを片手に、「よくこんな仕事が頑張れるわね。もっと大金持ちの家の人だって聞いてたけど」
「最近のイートンじゃ根性も教えるのか?」
みんな良い人たちだ。ロバートは複雑な思いだった。逆鱗に触れる失敗をしてやろうにも、肝心のフィーロヴィッシャー準男爵は普段は屋敷に不在がち(それも、ちょくちょくやってくるテレビ局や取材陣の傍若無人さが我慢ならないというのだ) おまけに仲間全員が、ロバートと同じ世界の人間となっては…
「まあ、そう固く考えるな」 と、ドンが笑う。庭土の染み付いた指でショット・グラスを掲げながら「明日はせいぜい〝お上品〟なふりをしておきゃいいのさ」
寝る前に、ベッドの上に座り込み、ロバートは考えた。皆この屋敷を回すために精一杯やっている。どうやら、三人がここで働いているのは、それぞれ止むに止まれずの事情があるようだけれど――
「ここに居る人間はみんな家族みたいなものよ。あんたも、正式にここで働けるといいわね」
昼間のあれは何だったのだろう、と思う。あの焦げ臭い匂い、子供のような背格好の人間。火だるまになり、暖炉から飛び出してきた。悲鳴を上げる声も、その喉からほとばしる喚き声も、みんな現実のことだった――そうとしか、思えないのだ。
怪奇現象、ブレットは言っていた。訪れる人間が必ず奇妙な現象に見舞われる。呪われたくなければ念のため十字架をご用意を。
諦めてベッドに潜りこんだ。考え込んでいても仕方が無い。どうにも、気味の悪いことだとは思うけれど、今の時点では彼等の誰にも相談は出来ないのだ。暫く様子を見てみよう。
カーテンを引き、枕元の電気スタンドを消す。ロバートの居る部屋の窓からは、森の横顔と、自然に広がった天然の芝生が見えるようになっている。ぼんやりとした月明かりの下、動く物は野生の鹿やキツネたちだけで――
雲の影が芝生や森の上を漂っている。その中に、昨日見たあの画家が立っているのをロバートは見た。
9
翌日は、来客のある日だったので、ロバートは朝の七時にサイモンに叩き起こされた。アマベルはとっくに起きだして掃除をしている。ドンも朝早くから庭仕事をすませてきたらしく、泥のついたニンジンを持っており――ロバートを見ると「遅い」 と言った。
「寝坊よ、ロバ」 と、アマベルが不平を鳴らす。「タイが曲がってる。それとこれがさっき届いたから並べておいて」
箱を突き出してくる。上等品のシガー一ケースで、全てのラベルに異なった味が記載されている。スパイシー、ウッディー、蜂蜜、フルーティー、土――
書斎を兼ねたコーナーの脇に、葉巻用のシガレット・ボックスが置かれている。ずらりと並んだラベルの間に隙間が出来ており、ABC順に味を並べていく。アマベルが盛り花を手に部屋に入ってきた。「ロバート、こっちも手伝って」
サイモンは朝から銀食器磨きに大忙しだ。本来、ひとつひとつ指で磨くそうだが、手抜きでどっぷりとワックス状のシルバーポリッシュを塗りたくっており、食器が紫色になっている。「ロバ、それが済んだらドンを手伝ってこい」
屋敷の裏に、自家製菜園が作られている。昔農芸師をやっていたドンの手によるもので、キャベツ、ニンジンにカブラからハーブ、ポプリの取れる花まで揃っている。長靴姿でドンは鍬を振り回しており、ロバートを見るとぞんざいに手を振った。「いくらなんでもお前にゃ無理だ」
「お気遣いなく」 ロバートは腕まくりした。貧乏人歴の方が長いんだよ。
昼に来るお客の名はリリー・モリス。水まきを済ませ、土を払った野菜を抱えながらドンは言った。「歌手らしいな。まあ粗相さえなきゃあいいさ」
サイモンが貴重品さながらに届いた肉を抱き厨房に入っていく。カウンターに乗せられたワインを見て、ロバートは血反吐を吐きそうになった。トロッケンベーレン。ワインの超一級品じゃないか!
「ミソよ」 アマベルは笑った。「一本高いものを混ぜておきゃ、あとは何を出しても信じるの」
それは詐欺と言うものだ。ロバートは目を白黒させ部屋に戻った。本当のお披露目に使う、給仕服を目にして初めて緊張が湧く。漆黒のタイに、グレーのベスト。まるで本物の使用人みたいな――
「お客が到着したら、あんたはドンの斜め脇について。ドンは今日一日最高責任者の執事よ。絶対に指示もなくドンの前に出ちゃ駄目。何をするにも、動くにも、ドンの言う通りに随いなさい。コツは無言で堂々とよ」
無茶苦茶もあったものだ。燕尾服姿のドンはクラシカルな片眼鏡をかけ、頭をポマードで撫で付けている。こうしてみると本当に古家の執事そのもので――「ロバート、手袋を変えてきなさい」
へへえ、ロバートは泡を食ってバーカウンターに引っ込んだ。ロバートよりワンランク上の――(本当は、ツーランクくらい上なのだが) フットマンの格好をしたサイモンが足でカウンターの下の箱を指す。「換えの手袋はソレだ。逆さにするなよ」
カウンターの裏は、天板の上の方に仕切りがついており、ちょっとした物置になっている。手袋をはめ、ついでに引き出しの奥に放り込んであった鏡で服装をチェックしていると、痛んだファイルが置かれているのが目に付いた。来客用――履歴と書かれている。
出してみると、それだけ埃を被っていないことに気が付いた。それもそのはず、初日に、アマベルが酔いつぶれたサイモンを部屋から追い出し、文句を言いながら書いていたものだ。(もう、お客用のワインを半分飲んでるのは彼なのよ。いい加減にしないと――)
ページをめくると、今日の日付が目に付いた。四月二十日――来客者三名、リリー・モリス、及びその母親メアリ・ホーガン、友人のエレーナ・アープ。
何時到着、ディナー・メニュー、朝食の指定時間などが書き込まれている。〝アレルギーは無し。母親にアーモンド系(特にカシューナッツ)のアレルギー(?) 念のため調理の際は留意〟
ページを遡ると、昨日の日付が記されている。その前は一昨日の日付。一昨日の日付のメモ欄に『アーロン・スタンリー』 と書かれており、かっこして(5月1日まで) と記されている。だが――
来訪者の記入はされていなかった。
ロバートは目をしばたいた。サイモンはお客用のマティーニを作る準備をしている。彼に背を向け、もう少し前のページまで戻ってみた。十七日、十六日、十五日――
どれも白紙ばかりだ。時折、名前の上にバツがされ『キャンセル』 と書き込まれたものは見付かったが、それも二週間以上前、あとは来訪者ゼロだった。
(どうなってるんだ……)
あたくしはキャスリーン、そう名乗った女性の顔を思い浮かべた。ちょっと華やかすぎるきらいはあるけれど、上品な女性。金色の髪を結い上げ、まるで、ギリシア神話をモチーフにした絵画の中から飛び出してきたみたいな。
(お客は明後日久々に来るの)
ロバートはぎくりとした。久々に、アマベルはそう言っていた。サイモンも初日に言っていたっけ。客間に通したロバートに(いいのさ、どうせ滅多に客は来ないから)
玄関のベルが鳴った。「ホラ、行け!」 サイモンに尻を蹴飛ばされる。早く! ロビーでドンが手招きしており、慌てて飛び出しながらロバートは思った。窓の外にオープン・タイプのポルシェが停車している。
(お客は居なかった、本当に居なかったのだ。ロバートが来た日にも宿泊客はゼロだった――)
じゃあ、あの女性は一体誰だと言うのだ?
10
「まあ! まあ! これが例のお化け屋敷ね。ちっともそうは見えないわね、執事さん?」
やってきた女性は、第一声にそう言った。ドンの指示でロバートは荷物を持たされている。ロビーやらバーカウンターを見て回りながら「素敵なお家!」
「奥様」 ドンが頭を下げた。しわがれたまさに「老執事」 の声だ。「お部屋にご案内致します。どうぞこちらへ」
トランクケース四つに、鞄三つ。帽子箱六つ。見ただけでロバートは死にそうになった。エレベーターもない屋敷でコロ付きのトランクをコロを使わず(絶対に、お客の荷物は不用意に床に置くべからずというのが極意らしいのだ) 二階に運び上げるのは至難の業だ。サイモンは涼しい顔で見守っており――あんちくしょう、ロバートは内心思った。暇なら手伝えよ!
女性は二階のスイートに通された。一番手前にある部屋で、ロバートの部屋の四倍くらいはある広い部屋だ。ベッドにバリ風の日よけと天蓋がついており、窓が綺麗に開け放たれている。「素敵なお部屋ねえ!」
壁の梁が組み合わされ、白漆喰の上で模様を作っている。天井の木目はほどよく色褪せ、お屋敷らしい佇まいだ。花瓶の花はアマベルの手によるものだろう。「お食事は七時半にご用意いたします」 と、ドンが言った。
アマベルが帽子箱を持ってきてくれた。女性たちは部屋で大はしゃぎしている。部屋を出て、大汗を拭っているロバートにアマベルが耳打ちした。「お客さんの荷物は最低でも四往復で運び切るようにね」
無茶おっしゃい、ロバートは溜息を殺す思いだった。おかげで幽霊疑惑は頭の隅に追いやられている。一階に戻るとすぐ、サイモンが指をさした。「ロヴィ、納屋に行って自転車を三台用意して来い」
何でまた…ロバートは白目を剥いた。この辺りは、散歩コースが有名であるらしいのだ。森を隔てて、草原に彩られた丘陵地帯が広がっており、ここに来る途中、並木道のアプローチ越しに見ることは出来たけれど――わざわざこんなところまで来て散歩する奴が居るのか?
「つべこべ言うな」 サイモンが唸った。「美味いスコーンが作れるならここに残れ」
行かせて頂きますよ…ロバートは黙って屋敷を出た。まさに「使用人」 だ。納屋は屋敷の右奥にあり、ここからは一番離れている。昔は馬を飼っていたらしく、厩舎も兼ねているもので――歩きながらロバートは思った。本当にここが金持ちの御曹司の就職先かい?
納屋からグリーンの自転車を引っ張り出す。全て埃っており、こんなものを黙って出そうものなら、サイモンに散弾銃で狙い撃ち沙汰だ。ロバートは納屋から雑巾を引っ張り出してくると綺麗に埃を拭き取った。籠を取り外し、ついでに綺麗にはたいてやる。
タイヤは幸い空気が満タンだ。だが、これに乗って玄関まで移動させようものなら、今度は魚の餌の刑というもので――大人しく、ロバートは一台ずつ押して玄関まで運ぶことにした。これでお客が「私たちお散歩はいいわ」 なんて言おうものなら、黙って片付けするのはホールボーイ。つまりはこの俺。
屋敷の前のテーブルに、女性たちが座っている。真っ白いテーブルクロスに、今日は日傘が立てられている。サイモンがクリーム・ティ(スコーンと紅茶のセットのこと)の用意をしており、高い笑い声が聞こえてきた。天気のいい日に、洋館を前に歓迎のティーサービス。まさにバカンス。
自転車を屋敷の前に横付けすると、ロバートは再び納屋に向かった。すれ違い様にドンが手招きする。「それが終わったら、お前が食器の片付けをなさい」
黙って頷き、自転車を取りに行く。二台目を最初の自転車に横付けし、再び納屋へ――
納屋の手前に、小さな東屋が見えている。ガラス張りのログハウスのようなもので、温室の役割も兼ねているのだ。当然誰も居るはずがなく、通り過ぎようとしたとき――東屋の前の階段に人影が見え、ロバートは立ち止まった。
「……」
それは、数日前に屋敷の前で見た顔だった。芝生に立っていたロバートに声をかけてきたあの画家だ。〝きみ、そこに立たんでくれ給え〟
用心して伺っていたロバートは、思い切って、相手に近付いて行った。相手は今日もスケッチにいそしんでいる。ロバートに気が付くと、男は視線をそのままにこう言った。「ねえ、君はどう思うね?」
ロバートはうっかりぽかんとした。二十代後半くらいの――いや、サイモンくらいだろうか、年齢の男だ。「目に見えるままを描くべきか」
ロバートは振り向いた。男の視線の先に、豊かな森とヘッジ(仕切りのこと)に区切られた丘陵状の草原を背に、先ほどの女性たちが談笑している。歌手らしいが、あまりお世辞にも美貌とは呼べない人たちで――ロバートは男に向き直った。
「あれは後からの客だ」 と、男は重ねて言った。軽くカールした髪を背中でひとくくりにしている。濃い灰色の頭の、結構な好青年だ。「元来、彼女たちは私の絵の構図に入っていなかったが」
「無視して描きゃどうです」 ロバートは首をすくめた。「もしくは、居なくなるまで待つか」
「すると君の絵は嘘を描けないということになる」 男はフフフと口先だけで笑った。「うん、正論だ。待つとしよう」
ロバートは軽く目を見開いた。変わった画家だ。まあ、芸術家というものは多少変わっているものかもしれないけれど。「君はここの使用人かね?」
「そんなもんですよ」 自転車を取りに行き、ロバートは答えた。「あんたは画家?」
「うん、そんなものだ」 相手はにこにこした。綺麗な歯が唇の隙間から覗いている。「そうには違いないらしい」
「ロバート!」 ふいに背後から声を掛けられ、ロバートは振り向いた。サイモンが少し先に立っている。「何してる。早く自転車を持って来い!」
ロバートは慌てて駆け出した。東屋なんかぼうっと見てるんじゃない、サイモンが頭を小突く。離れるとき、背中から声が聞こえてきた。ありがとう、男が手を振っている。「すこぶるいい助言だよ。ありがとう――」
11
ホテル経営は、何よりもディナーが勝負だ。随分昔に立ち読みした雑誌の題目を、ロバートは思い出した。フライパンを手に厨房でサイモンは走り回っている。
「オーブンを見ろ! 焦がしたら、窓から放り出すぞ!」
人相が変わるとはこのことだ。厨房はむっとするほどの熱気が漂っている。換気扇がなく、石造りの壁で密閉されているからか、すさまじい高温で――コンロに掛けられたスープを掻き混ぜ、片目でオーブンを監視しながらロバートは目が回りそうになった。「無茶言うなよ!」
「おい、なんだか焦げ臭いぞ」 と、ドンが顔を出す。客が居ないと言葉遣いもすっかり戻っており、「しかも皿が用意出来てないだで」
一体どこの言葉なんだ! 皿を用意し、火傷寸前でオーブンから鉄板に乗った肉を引っ張り出しながらロバートは叫んだ。「先にスープを持ってけ! ロヴィ」
食堂で、お客たちは喜々として待っている。イギリス料理は不味い――というけれど、それは偏見と言うものだ。味覚に自信はあるほうだが、料理はどこも日進月歩を遂げているし、サイモンの腕は思った以上のものであるらしい。実はコッソリ運ぶ途中にスープを舐めさせて貰ったのだが(味見ですよ、味見) なかなかのもので、ちょっとしたレストランのディナーに並ぶくらいの腕前をしている。悲しいかな、比喩として「フランス料理みたいな」 とここは述べさせて頂くが――
お客の仕事や好みに合わせて、料理を施すのがここのシェフ流であるらしい。歌いだす料理、と題して、テーブルには色鮮やかな料理が並んでいる。スターターに、極薄切りにしたサーモンの薔薇型仕立てと、新玉ねぎとパースニップ(白ニンジンのこと)の冷製スープ。飴色のボラとアンコウのクリームソース煮。音符と罫線に見立てて大皿に添えられた、燻製カモとアスパラのオレンジ風ロースト。アマベルはドンと一緒に給仕をやっている。二人とも、「我々の夕飯はベイクド・ビーンズ(茹でた豆の缶詰め。一ポンド以下)一缶なんですよ」 という顔を少しもしておらず、ロバートは密かに舌を巻いた。本物の執事とメイドみたいだ。
「九十年代製造のトロッケン! 美味しいわ!」
女性たちはグラスに鼻を突っ込みワインを押し頂いている。アマベルがさも慎重そうにお代わりを注いでおり(言っときますが、食後のワインは四ポンドの安物ですよ) この分だと本当に朝まで騙されているに違いない。カラーの花首が飾られたパッション・フルーツのアコーディオン型ムースケーキ、アプリコットのコンポート添え。
恐れていたのだが、今日はあの「何か」 は出てこなかった。一日気候が良く、食堂は夜風を取り入れるため窓を開けている。四月の下旬なのに、あまり寒さが感じないのは、春の訪れが近付いてきているせいだ。暖炉も今はしんとしている。
食事を済ませると、彼女たちはバーカウンターに移動した。さっきまで汗だくになっていたサイモンは、今は涼しい顔をしてマティーニを作っている。本当はへとへとなんだろうに――ロバートは思った。ドンも、何気ないようで朝から立ちっぱなしだ。
「ロバート、少し休んできたら」 アマベルが言った。「初日でそろそろ疲れたんじゃない?」
ロバートは笑って首を振った。彼女も立ちっぱなしなのだ。女の子を置き去りに、男が先に引っ込むわけにはいかないよ。
ドンと厨房に引っ込み、洗い物を済ませてしまう。アルコール好きのサイモンに、カウンターの世話はおよそ拷問だろう。アマベルが床に座り込み、ふふふと笑った。「ね、お化けなんて居やしないでしょう?」
一階に戻ると、サイモンが空のグラスを片付けていた。流石に疲れているらしく、少し元気が無い。だが、ロバートとドンを見るとぬかりなく指さした。「腕まくりしたままだぜ。直せよ」
客たちは、隣の部屋に今は移動している。ダイニング・ルームで、ゆったりと手足を伸ばし寛いでいるのだ。サイモンが気を利かせて音楽をかけたらしく、静かなクラシックが流れて来る。リストの「愛の夢」 だ。就寝前のひとときにはぴったりの一曲。
「頼むから一杯やっていいか」 サイモンが使いさしのグラスを指さした。「これ以上はやらないから」
「駄目よ」 アマベルが鼻に皺を寄せて笑う。「お客が帰ったら、好きなだけやっていいわ。さっきのワインも残ってるわよ」
どさくさとは怖いものだ。結局、食後のワインもマティーニも、彼女たちは超一級品と信じ込んでいるらしい。まあ、大体にして、一般人とは物の値打ちに騙されるものだ。ロバートはぷっと吹き出した。「床で寝たら困るんじゃないの?」
「寝るかよ」 サイモンは呻いた。「まだ就寝前のティーサービスが残ってるんだ。悪いが消灯時間を伝えてきてくれ」
ピアノの音が聞こえて来る。ポロン、ポロン――誰かが悪戯でダイニングのピアノを弾いているのだ。書斎兼バーとダイニングはドアで区切られており、ロバートは気軽に顔を出した。「恐れ入ります。お客様、消灯は十時半に――」
そのとき、ロパートは足を止めた。目の前に、女性の背中が見えたのだ。背の高く、すらりとした後ろ姿。だがその背中は、肩は、今は弓のようにいかっている。今にも誰かに掴みかかりそうなくらいに。
(あたくしはキャスリーン)
そのとき、誰かががバンと鍵盤を叩いた。
12
甲高い笑い声が上がった。
「弾けないわ!」 と、老齢の女が言っている。歌手のモリスの母親らしい。室内に流れている「愛の夢」 に合わせて、ピアノを弾こうとしているのだ。椅子に親子二人掛けになっており、傍らに友人の女性がピアノに寄りかかっている。リリー・モリスが鍵盤に手を滑らせた。「こうよ、お母さん」
なかなか穏やかな旋律。だが、すぐに鍵盤を母親がのっとってしまう。ピンポンパン、酷い音階だ。「もう、しっかりやりなさいよ」
ロバートは固まっていた。目の前の女性は、昨日とは似ても似つかぬ様相をしている。細いたおやかな肩は反りかえり、指が猛禽類のようにかぎに構えられている。バン! バン! バン! 悪ふざけで叩く鍵盤に比例して獰猛さが増すように。
女性の体が、身長の二倍にも、そそり立って行くのを、ロバートは見た気がした。本能のように、危機感が背筋を駆け上る。笑い声が跳ね上がり、そして収まった。「あら、ボーイさん?」
「し――消灯の時間を」 ロバートは言った。とにかく早くここから離さなきゃいけない、そう直勘が働いたのだ。「消灯時間は――いえ、九時半です。ですのでお早めにお部屋まで」
すると、客たちは顔を見合わせた。丁度後ろで時計が――書斎の壁に据えられた柱時計が良い音で鳴り始める。ボーン、ボーン、九つのカウントを始め、ミセス・モリスは言った。「あらどうしてよ?」
「いいじゃない」 と、母親も唇を尖らせた。「他はどこももっとゆったりできるわよ」 モリスの友人も不平を言う。「もうちょっと居させて。執事さんに伝えてちょうだい」
再びピアノを奏で始める。さっきの調子だ。だが、女性を横目で見た瞬間、彼女は顎を持ち上げた。
それに触るな。
捕食獣が、狙うべき獲物を定めて一撃で飛び掛るように。足を踏ん張り、彼女はそう言った。それはあの上品な、誇り高いような喋り方とはまるで別の唸り声だ。目は吊り上がり頬は蒼白になっている。彼女は叫んだ。
それに触るなぁああ!
途端に、彼女の体が素早く飛び出した。さながら布を宙に躍らせたみたいに。バーン! 鍵盤がつんざくように鳴り響き、ギャッと誰かの悲鳴が上がった。水色の薄布の塊が部屋中をめちゃくちゃに飛び回り始める。
触るな、触るな、触るな!
電球が木っ端微塵に砕け散った。窓ガラスが一斉に勝手に開く。悲鳴が響き渡り、部屋の電気が点滅するのに合わせてピアノがパンバン鳴る。怒りに任せて拳で叩き、足で蹴り倒しているみたいに。触るな、触るなああ――
ロバートはピアノに飛びかかった。何故そうしたのかは判らない。だが、気が付くと、頭を抱えている客を椅子から押しのけて、夢中で鍵盤のケースを叩き閉じていた。ドンが部屋に飛び込んできた。
「何事ですか!」
途端に部屋の電気が点滅を止めた。ポカンと我に返ったように、辺りが静かになる。放心したように女性が――親子が、床に転がっており、ややあってから揃って悲鳴を上げた。さっきよりももっと、大きな凄まじい声で。
「きゃあああ―――っ!」
後は簡単だった。誰か! 助けてぇ――! 三人同時に叫び、部屋を転がり出ていく。書斎の椅子を蹴散らし、荷物もそのままに、上着まで放り出し屋敷の外に飛び出していく。凄まじい音でタイヤが急回転し、叫び声と一緒にポルシェは走り去った。
「………」
アマベルがあっけにとられている。ドンが、開きっぱなしになった窓を呆然と見つめており、ロバートは床から起き上がった。割れた電球のガラスがあちこちに散っている。
あとは沈黙だった。置き去りにされたみたいに、信じられない静寂が訪れる。賑やかな音楽が、急にぷっつりと途切れたみたいに――
サイモンがひっくり返ったレコード盤を拾い上げた。まだひとりでに回っている、レコードのスイッチを切る。今度こそ本物の沈黙が訪れた。
「……どうしてよ」 と、アマベルが呟いた。
13
しんとした廊下から、アマベルの泣き声が聞こえて来る。あれから、部屋を黙って片付けた四人は、黙ったまま各自持ち場に引っ込んで行った。他に出来る事が無かったからだ。
ひとことも発さずに、窓の戸締まりをする。サイモンはカウンターで酒を傾けており、ドンは外に出て行ってしまった。みんな、それなりにショックを受けているのだ。どういうことなのか、さっぱり理由の説明のつかないことに。
一部始終を見届けたのは、ロバートだけだった。信じられないことだが、あの女性は宙に飛び上がったのだ。長い薄布を無闇やたらに振り回すみたいに、天井から床を舞い回って。
亡霊――
本当に出たのだ。ロバートはそっと腕の鳥肌を摩った。到底信じられないことだが、そうとしか思えない。女神みたいな、薔薇色の頬をした美貌の女性。けれども、あのとき見たものは、紛れもない幽霊だった。正気を疑うことだけど。
「……」
食堂は、まだ電気が点いたままになっている。泣き声はまだ続いており、元気の良い、いかにも覇気のある女性が流す涙は見ていて一番辛いものだ。あんまり間に受けちゃいけないよ、アマベル。
だって、誰にもどうにも説明がつかないことなのだから。
誰の目から見ても、あれは心霊現象だ。ロバートは思った。彼女たちはどう思っているかは知らないけれど、あれを見て逃げ出さないのは流石に異様だ。全てを目撃していたロバートでさえ、流石にゾッとした。実はこんなものが見えた、とは到底言えないけれど…
気を取り直して食堂に向かう。こんなとき、残った仕事を片付けられるのは、屋敷に来てまだ日の浅いロバートくらいだ。翌朝になって、昨日の残りの片付け物を見たら、もっと気分が落ち込んでしまうだろう。今のうちに掃除だけでもしておくか。
食堂には、確かテーブルクロスがまだそのままになっている。サイモンから隠すために、残ったワインをアマベルが置き去りにしたままだ。今のうちに片付けてしまおう、と思った。ついでに、流石にこっちも自分の頭を疑うことだから、良いワインでも失敬して――
食堂を覗く。窓はまだ開きっぱなしになっており、冷たい夜の空気が部屋を満たしている。思ったとおり、テーブルクロスがかかったままで、やれやれ、ロバートは溜息を吐いた。面倒だけれど、でもこれくらいなら出来ないことじゃないな。明日アマベルがまた泣くよりはいいか。
首を捩り、腕まくりする。あとひと踏ん張り頑張るか、そう思ったロバートは、ふいに扉を押そうとして手を止めた。
食堂の中から、話し声が聞こえて来る。
ひとり、ふたり――全部で三人だ。ロバートは訝った。若い男女と、子供の声。泥棒だろうか、とっさに武器になるものを探し、首を巡らせる。それとも野次馬か? さっきの歌手が、早速誰かに言いふらしでもしたのだろうか?
「全くなんてことだ」 と、憤慨するように男の声が言う。若い男がテーブルの端に腰掛けており、アマベルの置き去りにしたガラス製のデカンタを傾けているのだ。「よくもあんな乱痴気騒ぎを。君に自制心はないのかね?」
「しょうがないのよ、ライオネル」 女の声が答えた。テーブルを挟んで向かいの椅子に、若い女性がうなだれて腰掛けている。「あたくしも、やろうと思ってやったんじゃないの。ただ、気が付いたらカッとなって――」
ロバートはぎくりとした。〝あたくし〟聞き覚えのあるしゃべり方だ。声もそのままで、おまけに両方知っている。昼間ロバートに喋りかけてきた、あの男。
「ヒステリーだね」 と、いやに高い子供の声が口を挟んだ。十歳くらいの男の子だ。頭に炭坑夫のような帽子を被っており、「若い女にはありがちなんだ。ママもよくそう言ってた」
「とにかく止めようがないのよ」 女性は続けた。「ただ、我慢がならないの。あれだけは」
ロバートは部屋に飛び込んだ。とっさだが、言いようもない怒りが込み上げてきたのだ。どういうトリックかは知らないけれど、やっぱり人間だった。こうして声もはっきりと聞こえる生身の人間だ。
三人は、飛び込んできたロバートを見て、驚いたように顔を上げた。だが、全員何も言わずに黙っている。ロバートは肩で深呼吸をすると、睨んだ。「お、お前ら――一体どこから入った?」
すると、三人は顔を揃って見合わせた。「窓からか」 ロバートは唸った。「あんた、何をどうやったかは知らないが、何て真似を!」
すると女性は顔を俯けてしまった。殊勝なくらいに縮こまってしまう。「ごめんなさい」 と言った。「でもどうしようもないのよ。自分の押さえが効かなくなるの。たまにそんなことが」
ロバートは三人に詰め寄った。すぐに警察を呼んでやらねばならない。だが、生憎とサイモンは酔っ払っているし、ドンは頭を冷やすと言ったきり表に出たままだ。アマベルは二階でベッドに閉じこもっているし――
「やあ、君は昼間の使用人かね」 と、男は気さくそうに言った。灰色の髪を背中でひとくくりにした男。度々、屋敷の周辺で絵を描いていた画家だ。「そう睨み給うな。我々亡霊の姿が見えるという事は、何かしら縁があるということだよ。一杯どうだね?」
それはうちのワインじゃないか。ロバートは言いそうになった。わけのわからないことを言って、この後に及んで誤魔化すつもりか? 大体、一体どんな幽霊が、こうペラペラ喋っておまけに飲み食いするというのだ? 呑気に庭でスケッチまでして――
だが、彼を眺めていたロバートは、おかしなことに気が付いた。いくら飲んでも、ワインの量が減らないのだ。何度も継ぎ足し、その都度あおっているはずなのに、デカンターの中のワインが一向に減っていない。それどころか――微動だにしていないみたいに。
男はテーブルに足を引っかけて立っている。なんだか歴史の教科書に出てきそうな格好。腿の外側にボタンの並んだズボンをはいており、足には長い皮製のブーツ。腰のところで縛ったコートの裾には刺繍がされており――
そして、よく見ると、うっすら体の向こう側が見えていた。
腰掛けているその太股あたりに、テーブルの角のラインが見えているのだ。女性も、椅子に掛けるその姿から、微かに体を透かすようにして背もたれの形が見えている。木製の椅子の材質まではっきりと――
ロバートは凝然とした。「一時停止」 思考がぷっつりと停止する。一度動きを止めてしまったビデオテープが、再びのろのろと動作を開始するみたいに――その巻き取りのスピードもあまりに遅い。ロバートはその場で「起立」 していた。なんだって?
「どうも、幾つか君は誤解しているようだね」 画家は大らかに笑った。「お察しの通り、我々はもうとっくに――そう、君の生まれる遥か昔に死んでしまっている。世に言う亡霊だよ」
「………」
「察するところ、君は我々に文句を言いに来たようだが」 と、〝亡霊〟は続けた。まるで天気の話でもしているような様子だ。「実のところ、我々としても、どうにもならんというのが結論でね。というのは、我々は、何故ここに居るのか一同に判らんのだ」
「あたくしたち、もうずっとここに居るの」 と、先日のキャスリーンなる幽霊は言った。「多分、もう三百年くらい前からかしら。どうしてか、ずっとここに居て、どこにも行けないのよ。普段は静かに暮らしてるんだけど…」
「たまに、自分でも何をしてるか判らなくなる」 と、初めて子供が話しかけてきた。少年の幽霊だ。「さっき彼女も言ってたけど、自分でも止められないくらいに。おいらたちみんなそうなんだ」
ロバートは目頭を押さえると、深呼吸した。さっぱり理解不能だ。こんなところで、使用人姿をして、およそ陰気さの欠片も無い幽霊たちと立ち話をしたって? 誰か嘘だと言ってくれ!
「あ――あ」 ロバートは、呻くように口を開いた。もうこうするしかない。「あんたたちが、何をしたいか知らないが、頼むからもうあんな騒ぎは止めてくれ」 頑張って息継ぎをする。「ホテルを始めてから、こっち――と言っても、あんたたちが先住民なんだろうけど、毎回あんな騒ぎを起こすもんだから、潰れかけてるんだ。お陰さまでさ」
今度は「幽霊」 たちが黙る番だった。
「出て行けるなら、行きたいのよ」 キャスリーンが悲しげな顔をする。その容貌も、女神そのものだ。「でも、この屋敷を出て暫く歩いていたら、気が付くとまた門に戻ってるの。ロビーに立ってたり、元の場所に居たり。ここから離れられないみたいで」
「とにかく悪戯はするな」 ロバートは重ねて言った。相手がこう殊勝だと、段々恐怖も薄れてくるものだ。「それさえ守ればいい。さっきみたいに、暴れまわるのも、そう、火だるまになって暖炉から飛び出すなんて真似も無しだ。でなきゃ、明日すぐにでも司教様を呼んでやる。牧師様もついでに――呼んでやる」
ははあ、と幽霊たちはちまちまとまばたきをした。
「判りました」 と、画家らしき幽霊は言った。「言いたいことはようく判った。お約束しよう。だが、そのためには、我々も少しばかり手伝って貰わねばならないことがある――」
ロバートは、途端に安堵で吐き出しかけていた息を引っ込めた。幽霊に何か願い事をして、「ではそのために」 などと言われれば、大方ロクなことがないのだ。いや、経験したのはこれが始めてだけどさ。でもお話でもなんでもロクな展開がないんじゃありません?
「我々も酔狂であんな騒ぎを起こしているわけではないのです」 と、画家は言った。「ああなるには、なるだけの理由が存在する。そこで――」
ロバートはとっさに耳を塞ぎたくなった。なんだ? 命を寄越せか? 生贄をまつれ? それともお前に取り憑かせろか。
「今から言うことを、守って頂きたい。それが私たちがああならないための約束です。宜しいか?」
ロバートは思わずあっけにとられてしまった。
14
部屋に戻ると、ロバートはそのまま床に倒れこんだ。あまりの展開に、頭がついて行けなかったのだ。内鍵をしっかりとかけ、ついでにカーテンを締めてしまう。着替える気にもなれず放心してしまった。
(私たちがああならないための約束です。まずは――)
「居間に有る肖像画に触らないこと」
画家なる幽霊は言った。左から二番目の、帽子を被った男の肖像画には絶対に触れてくれるな。それから同じ部屋にあるピアノにも、ぞんざいな扱いはしないで頂きたい。
「この部屋の暖炉で火を焚かないこと」 子供が言った。「おいら、あそこに住んでんだ。頼むからやめてくれよな」
「それから庭に有る彫像に水をかけないこと」 キャスリーンが言う。「〝道化〟が嫌がります。これだけ守って貰えるなら、あたくしたちも――」
「幾らかは静かに暮らせる」 と、画家があとを引き取った。「この家には、我々の姿が見えるのは君だけらしい。ここはひとつ仲良くしましょうぞ」
私はライオネル、と男は名乗った。
「おいらチムニー」 と、子供が手を差し出してくる。そばかすの散った顔をつやつやさせており、こうすると幽霊とは思えない元気さだ。汚れたズボンのポケットに手を突っ込み、「名前が無いからそう呼ばれてる。煙突掃除屋なんだ」
「あたくしはキャスリーン」 女性は微笑んだ。「二度目ね。よろしくロバート」
ライオネル、キャスリーン、チムニー。ロバートは繰り返した。およそ信じがたいことばかりだ。古家に住まう幽霊が、ホントに実在して、おまけにペラペラ会話をしたって?
だけれど、それは現実のことなのだ。ロバートは思った。隣の部屋からは、まだアマベルの泣き声が聞こえて来る。それだけで、本当に起こったことだと判るのだ。信じられないけれど、事実だったと認識できる――
(ああなるには、その理由がある。だけど、その理由にさえ気を付ければ、次からはそうならない?)
窓の外に、明るい月が出ている。雲ひとつ無い、見事な満月だ。眺めながら、ロバートは腰をはたくと立ち上がった。なるほど、それなら――
やってみようじゃないか、と思った。
翌朝、日が昇るころに起きだしてきたロバートは、思いなおして食堂を覗いてみることにした。昨日のことは、夢とも思えそうになかったけれど――まだ本当だとも思い切れずにいたのだ。食堂を覗くと、アマベルがもう起きて新しいテーブルクロスを取り替えていた。ロバートに気付くと「おはよう!」 と笑う。
「お――はよう」 ロバートは鼻の頭を掻いた。「いいの? もう、調子は」
すると、アマベルは「ええ」 と元気よく頷いた。唇の両端を吊り上げる。「ありがとう」
ロバートはホッとした。昨日、随分落ち込んでいたみたいだけれど、この様子だともう平気みたいだな。表では、屋敷の前でサイモンが昨日の客の荷物を運転手に引き渡している。ロビーを横切るとき、強面でこう言っているのが聞こえてきた。「伝えとけ。もう二度と来るんじゃないってな」
バーカウンターの上に、まだ土のついた細ニンジンの盛られた籠が置かれている。ドンが朝取りしたものだ。窓の向こうで、いつもと同じ格好をした(野良仕事姿だ) ドンがホースを手に芝生に水撒きしているのが見えた。ホントに良い天気で、何もかもが嘘みたいだ――
書斎の隅に、昨日ロバートが片付けたシガレット・ボックスが置かれている。全て異なったフレーバーの上等品のシガーが、しめて三十種類。ロバートは考え直すと足を向けた。そういや同じ味の残りがあったっけ。
こういうとき、うんと良い葉巻なんかを一本吸ってみたりすると、少しは気持ちが晴れるものなのだ。ロバートはボックスに近付くと、その前に屈みこんだ。シガレット用のボックスは、下の方に両開き式の扉がついており、余ったシガーはそこに入れられるようになっている。ええと――確かキューバ産の一級品があったっけ。一本くらいなら、まあ構うまい?
ニヤニヤしながら、ヒュミドール(防湿用の葉巻専用ケース)から葉巻を取り出す。英国紳士らしくラベルを切り取り、お客用のシガー・カッターを探そうとしたところで声をかけられた。
「おはよう、ロバート」
ロバートはうっかり指の先を切りそうになった。書斎のテーブルに、あの女性が腰掛けている。水色のドレスに、金色の髪。今日は甘いピンク色のショールを肩に羽織っており、足を高々と組んでいる。窓から差し込む朝日が身体を通して透けており、彼を見ると悪戯をとがめるような顔をして笑った。「いけないのね。朝から悪さ?」
「……キャスリーン」 ロバートは口の中で呻いた。昨日のお化けだ。やっぱり居た、夢じゃなかったのだ。
「昨日は良く眠れた? 疲れのほうはどうかしら」
「も――問題ないよ」 ロバートは頷いた。ライターを取り出して火をつける。「すこぶる快調。ライオネルは?」
「あの人はこの時間には出て来られないわ」 キャスリーンが笑う。その歯も、さながら真珠みたいだ。細長い女性用の煙草をバッグから取り出し、煙管に取り付けると顔の前で傾けた。「火を頂ける?」
お化けに火を近づけていいのかね、思いながら、ロバートは慎重に火を差し出した。手元のマッチは消えてしまう。だが、女性の手の先にある煙草には火がついており、ロバートはうっかり感心した。不思議なもんだな。
「出てこられる時間が有るのかい?」
キャスリーンは頷いた。「得意な時間というのかしら。あたくしは、早朝からこれくらいの時間が一番〝出やすい〟の。ライオネルは昼から夜。チムニーは好きなときよ」
人間の起床時間みたいなモンかね?
「昨日考えてたんだけど、あんたたち――」 言ってから、ロバートは言いなおした。「君たち、ここから離れられないって言ってたよね?」
ええ、キャスリーンは煙草の灰を律儀に灰皿に落とした。手袋をしている手がまるで作り物みたいだ。「それって、何でなんだろ?」
「判らないけれど、大方、何かがあるみたいよ」 キャスリーンは足を組みなおした。「あたくしたちを縛り付けてる何かが」
「縛り付けてる?」
「そう、きっとそうみたい。この屋敷に、あたくしたちをここに留めてるものがね」
「ロバート!」
背後から声をかけられ、今度こそロバートは飛び上がった。うっかり、葉巻の灰を床に落っことしてしまう。サイモンが背後に立っており、腰に手を当ててニヤニヤしていた。「何やってる。朝っぱらからひとり芝居か?」
サイモン――ロバートは慌てて葉巻を背中に隠した。「そ――そう。これでも劇団員志望だからさ。ここに、十七世紀の貴婦人が座ってて煙草を勧めてるって設定で」
そうかい、サイモンは鼻で笑った。彼女の姿が見えていないのだ。「じゃあついでに手にキスでもさせて貰うこったな。上手くやったら、シガーのことはドンに黙っておいてやる」
キャスリーンが手を差し出してくる。ロバートは葉巻をもみ消すと、歩き出したサイモンに慌てて続いた。「ねえ、昨日の客は?」
「放り出したよ」 サイモンはこともなげに言う。「あいつら、食事代も払わないと抜かしやがった」
バーカウンターで、ノートを広げ全員で顔を付き合わせる。アマベルがペンを走らせており、ドンはレシートと電卓係だ。「調味料に、牛乳。二食分のパン。切らしていたクローテッド・クリーム。庭で補えなかった野菜が十二種類。しめて三十二ポンド六ペンスの赤字だな」
「まだ有るわよ」 アマベルは頭をボールペンでかきむしっている。「サイモンが飲んじゃったアルコールが四本」
ドンがサイモンを睨んでいる。「とにかく、今月ももうピンチだわ」
「男爵に相談したらどうだ」 ドンが訊いた。「あの費用じゃ、やはり賄えないって。明後日ここに来るだろう?」
「駄目もとでやってみるけど」 アマベルは気難しげに頷いた。「まあ無理ね。逆に叱られるのがオチだわ」
今日から明後日まで、アマベルは学校に戻らねばならないらしい。近くのテトベリーに実家が有るらしく、私服姿に、学生らしい本の入ったザックを背負っている。「じゃあ、一端帰るわね」 自転車に跨りながら言った。「頑張ってね、ホールボーイさん」
「頼むから早く帰って来てくれよ」 サイモンが眉を下げている。「こう男だらけじゃむさくるしいぜ」
一番頑強でむさくるしいのは自分じゃないか、ロバートは言いそうになった。ドンは完全に「執事姿」 を離れ、「庭仕事モード」 に入っている。鍬を振る音に混じり呑気な鼻歌が聞こえてきて、ロバートは思わず笑ってしまった。何だかこれじゃただの田舎みたいだ。
屋敷に戻り、与えられた仕事に取り掛かる。今日の仕事は、ちょっとした大仕事で、ダイニングと喫煙室のカーペットのブラシがけ。及び、窓枠の手摺り磨き。
「何も全部かけなくていい」 平らな掌サイズのブラシと、小ぶりなちりとりを渡しながら、サイモンは言った。「ピアノの足とか、コンソールの周辺とか。掃除機が届きにくくて埃ってるとこだけでいいぜ」
言われたとおりに床に屈んで掃除をする。凝り性なもので、せっせとやっていると、ふと、部屋にかけられている肖像画が目に付いた。昨日ライオネルが言っていた絵のことだ。
ダイニングの、扉を開けて左手にある壁に、絵が四枚並んでいる。金塗りの額縁に支えられたもので、全て油絵。左から、女性の肖像、帽子を被った男の肖像、老婆の肖像、少し間を置き、どこかのお金持ちみたいな肖像。
ドアから光がほどよく差し込んでくる。ロバートは手を止めると、絵に近寄ってみた。古風な油絵を思わせる重厚なタッチ。どこかレンブラントを思わせるのは、明暗がはっきりしているからだろうか――
この絵は、ライオネルによるものだろうか、と思った。昨日の夜ライオネルは言っていた。この絵には絶対に触ってくれるな、と。上手いもんじゃないか? ロバートはブラシを持ったまま腰に当てた。ロバートは絵のことは全然判らないけれど、それでも判る才能だ。いや、俺に褒められてもどうしようもないだろうけどさ。
諦めて掃除に戻る。コンソールの足元に、ひどい埃が溜まっており、やっきになってブラシがけしていると上から写真が落ちてきた。コンソールの上の写真立てだ。メッキの淵の大きなもので、スーツ姿の男の写真が入っている。
頑丈そうな男だ。取りあげてみて、ロバートは思った。体格も良く、かなりの大男だろう。気難しげな顔に立派な髭。なんだか、こういうタイプにはち合ったなら、まず言葉の使い方に気をつけなければならないみたいな。
写真立ての裏に、油性ペンで名前が書かれている。日付が記されており、二年ほど前の日付だ。『メリー・モナーク館前で 五月二十日』
そしてその横に、こう記されていた。『創立者 ジョージ・アルバート・フィーロヴィッシャー』
15
掃除を済ませると、ロバートはバーカウンターのある部屋に駆け戻った。カウンターの中には誰も居ない。中を覗いてみて、ロバートは舌打ちした。ちぇ、こんな時に。
屋敷の表に顔を出してみる。ぐるりと回りこみ、屋敷の裏手に行くと、菜園にドンの姿も見当たらなかった。それどころか、サイモン愛用のアメリカン・バイクも消えてしまっている。二人揃って買い物かな? と思った。
屋敷の周りは、見晴らしの良い庭になっている。左手に整った菜園があり、表には見られなかったが、屋敷の裏手には彫像が――暗い緑色の、ブロンズ製の像が、まばらにふたつ置かれている。結構古いものだ。筋骨隆々とした神話の神のようなものと、女性の裸像。
こうして見ると、やっぱりお屋敷なんだな。ロバートは腕組みした。なかなかさまになるや。わざわざ裏手に置かれているのは、このふたつの像が、元は表に置かれていたからなのだろう。意匠換えをして、ここに移動させることになった――
敷地の隅に、小さめの納屋があり、鍵がかかっていない。中を覗いてみたロバートは、途端に一面の彫像が目に飛び込んできて、思わずぽかんとしてしまった。何だこりゃあ?
腰丈くらいの高さの、台座に据えられたような像がずらりと並んでいる。手前にじょうろや腐葉土が詰まれているのは、ドンが畑仕事の道具置き場にしているからなのだろう。埃を被り、蜘蛛の巣までかかっているそれは、結構な数があり、種類も沢山ある。飾りを付けた馬の頭、王のようなもの、丸い球のついたもの、十字架を持った司祭のようなもの――
白と黒の色違いで、それらはふたつずつセットになっている。眺めていたロバートは、ようやくそれが何かに気が付いた。チェスだ。特大の彫像で出来たチェスの駒。
こりゃ凄いな、ロバートはちょっと吹き出した。揃いの台座に据えられ、それらは保管されている。こんなものをゴロゴロ転がして、特大のチェスで遊ぶのか。金持ちって本当に暇なんだな?
手近なビショップ(僧侶)の駒を引き寄せてみる。背の低いそれは、無表情な顔をしており、なんだかケルトか何かの古い神様みたいだ。ひっくり返してみたロバートは、おかしなことに気付き手を止めた。
『 G 』
駒の背中の真ん中の位置に、そう刻み込まれている。丁寧に掘り込まれており、ちゃんとした職人のわざみたいだ。ロバートはきょとんとした。G、通し番号か何かかな?
納屋の外に出ると、ロバートは扉に手をついたまま佇んだ。天候が良く、今朝は眩しいくらいの日が差し込んでいる。黄色のチョウが飛んでおり、そこだけのどかな田舎みたいだ。菜園の横をコマドリが飛び跳ねており、平和そのもの。
少し離れた所に、槍を持って立つ老人の銅像が立てられている。菜園から離れた所に置かれており、同じく全裸だ。だが、これは凄い。まるで人間みたいなリアルさだ。
ロバートは目を凝らしてみた。像は微動だにせず、菜園の草木に紛れている。ロバートはそっと近寄ってみた。
(庭にある彫像に水をかけないこと。道化が嫌がります)
そういや、あれは何だったんだ? と思った。ライオネルたちが昨日言っていた、あの言葉。彫像に水をかけるなって、なら汚れた銅像を水洗いするのもダメなのか? しかも、道化って――
彫像の上に、さっきのチョウがちらちら飛んでいる。見れば見るほどリアルで、皮膚の荒れまで見えるくらいだ。おまけに頬には小さなほくろまで――
その瞬間、目の前の像が突然目を見開いた。
ロバートはうっかり悲鳴を上げた。生身の眼球だ。仰け反ったそのままの勢いで尻餅をつく。途端に相手はばねのように飛び上がり、原始人のように森に向かって走り出した。
ロバートは叫んだ。何を叫んだかは判らない。だが、気がつくと、屋敷の前に飛び出しており、手を振り回しながら大声で喚いていた。傍から見たら気でも違ったみたいに。
「サイモン! ドン! 誰か!」
我ながら情けない反応もあったものだ。だが、そんなことも言っておれず、ロバートは顔を無茶苦茶に拭った。何だありゃあ! 「ライオネル!」
そのとき、いかにも爽やかな笑い声が真上から聞こえてきた。
ロバートは飛び上がった。二階のロバートの部屋の窓枠に、男が腰掛けている。スケッチブックを手にしており、はっはっはと清々しいような声で笑った。
「御機嫌よう、友よ」 と言う。「良い天気ですな!」
誰に断って人の部屋に入ってるんだ! ロバートはうっかり叫びそうになった。慌てて首を振り、意識を引き戻す。「あ、あ、あれ何!」
「その様子からすると、どうやらしてやられたようですな」 ライオネルは愉快そうに言うと、ふわりと空に飛び上がった。本当に幽霊だ。薄布のような速度でロバートの前に降り立ちながら、「見ての通り、道化です」
道化って――ロバートは生唾を飲み込んだ。
「あれはああして人を驚かすのが好きなので」 ライオネルはスケッチブックをぱたんと畳んだ。ついでに襟元を整える。「いつも屋敷のどこかで、彫像のふりをしては紛れているのですよ。この家の全てを知っているのは彼だけです」
ロバートはようやく落ち着きを取り戻してきた。誰かに話すと、少しは気分が収まるものだ。だが、その相手がお化けだということに気付き、ロバートはまた慌てそうになった。
「おやその写真は?」
ロバートは手の中の写真立てを思い出した。ダイニングで見つけたものだ。フィーロヴィッシャー男爵のものであるらしく、間違いないかを確かめたかったのだ。明々後日来る、この屋敷の主とやらを。
「ふむ、確かに彼です」 覗き込むとライオネルは言った。
「知ってるのかい?」
「無論、その程度のことなら」 ライオネルは頷いた。「しかし君、気を付け給えよ。この男は、大変難しく恐ろしい人間です。迂闊なことを言えば君にも暴力の手が――」
ロバートは思わず首筋をこわばらせた。何だって?
「癇癪持ちなのです」 ライオネルは顔をしかめている。「どう言おうものかな。多分に、気難しいのでしょうな。些細な言葉尻に繊細と言うのか、大変な気性の持ち主で。音楽の感性には優れておるようだが…」
幽霊に恐ろしいなんて言われる男も居ないものだ。ロバートは写真立ての人物を見た。でもまあ、関わらなければいいのか。恐ろしい人間と判っていて近付くバカもそう居ないものだし。
そこで思考が停止した。
なんてこった――ロバートは棒立ちになった。まさかまたこんな目に遭おうとは!
その男は、二日後にここにやってくるんじゃないか!
16
「フィーロヴィッシャー準男爵(バロネット)? なんでまた急に」
夕飯のニンジンを流しで洗いながら、サイモンはポカンとした。思ったとおり、買い物に出かけていたらしく、ドンと一緒に買い物袋を下げて帰ってくる。顔を見てすぐにまくしたてたロバートに、さしたる不審感も表わさずに、答えてくれた。「別に悪い人じゃねえよ」
ロバートは凍りついていた。そう言われても――先ほどのライオネルの言葉が頭から離れずにいたのだ。暴力癖のある、恐ろしい男。大変な気性の持ち主。
「確かに、噂どおりの所も有るけどな」 サイモンは鍋に水を張った。「でもそれだけじゃねえんだよ。あの人が、ああなるのにも理由が有るから」
ああなるとは――つまり、テレビ局のカメラマンを吊り上げて投げ飛ばすようなことだ。ロバートは生唾を飲んだ。
「お前も知ってるだろうけど」 サイモンは流しの窓の外を見るような顔をしている。「この屋敷が出来てから、何かしら妙なことが起こりやがるからさ。テレビ局とか、雑誌とかが、あることないことを吹聴して困ってるんだよ。亡霊だの、悪魔に呪われた古屋敷! とか」
亡霊――ロバートは黙っていた。
「格好のネタなんだろうな。面白おかしく書き立てて、悪い噂が広まる。去年なんか、テレビ局が金払って雇った女優がよ、インカムを付けて外に潜んでる取材陣に情報をたれ流してて、女優が騒ぎ出した途端、リポーターが押しかけてきて、ちょっとした珍騒動さ。フラッシュ叩けるだけ叩いて、マイク突きつけてきて「ご覧下さい! たった今、呪われた家に悪霊が現れました!」
ロバートは想像した。先日の喧騒を見ればそれは容易なことだ。あの歌手たちも、どこかでそれを目当てにもしていた。平穏な日常なんてつまらない。ここに来れば、どんなスリリングなことが起きるのかしら?
「男爵にマイクを押し付けて、それでぷっつり。気が付いたら車の窓が割れる乱闘沙汰さ。あの人は、怒ってるんだよ。身内に貰った大事な屋敷をさ、そんなふうにクサされちまうのを。本当に良い所だから、わざわざホテルなんかにしたのさ。ちょっとでも、その良さを誰かに知って欲しくて」
「………」
「自分だけ抱え込んでるんじゃ勿体無いくらい、素晴らしい家なんだって知って貰いたくてさ」
ロバートは黙っていた。そう――この屋敷は、確かに本物のお化け屋敷だ。でも、最高のものも持っている。緑豊かな森に囲まれて、静かで穏やかな空気。これ以上ないくらい一生懸命に腕を奮って作られる料理や、心を込めてお客を迎え入れるもてなし。丹精込めてドンが世話する野菜や花々。毎日、気付かれないような小さな所まで掃除するアマベルが、どれだけ汗を流しているかをロバートは知っている。それにこの屋敷。床石や、壁の漆喰、梁のひとつひとつまで、全てが声に出して叫びたがっているのを。
こんなに素敵な所なんだ、誰か知ってくれ、そう伝えられる瞬間を待っているのを。
「うん」 ロバートは頷いた。それは判るよ、俺だってそう思うから。だって、俺だって一応は――一応は、今はここのスタッフの一員なのだから。
「男爵のことだけど、必要以上にかしこまることは無えよ」 サイモンは言った。「月に一度、俺たちの様子を見に来んのさ。自分がここに居りゃ、また騒ぎになるから、単に身を潜めてるだけのことだよ」
「潜める必要なんか無いのに」 ロバートは笑った。我ながら、現金だとは思うけど。サイモンは少し首を傾げた。
「どんな人なのか、会ってみるのが楽しみだよ」
一階に戻ると、ドンが電話に取り付いていた。この家の電話は、一階の書斎兼バーカウンターの、カウンター下と、二階の廊下の一番奥にコイン式のものが据えられている。各部屋に内線なんてものはなく(スチュワート朝時代の名残ある屋敷に、そんな下世話なものは必要ないというのが、ドンの信条らしいのである) 昔ながらの呼び鈴式だ。真新しいファックス付きの電話の受話器に耳を押し付けながら、ドンは頷いた。「はい。畏まりました」
ペンを動かし、新聞広告の裏にメモを取っている。声だけ聞けばいかにも由緒ある屋敷の執事だが、生憎とドンは首にタオルにほっかむりの野良仕事姿だ。「七名様ですね。明後日の、午前十一時にご到着」
ロバートは目を見開いていた。お待ちしております、ドンは電話を切ってしまう。ファックスを手に「客だ」 と言った。「急に七組」
「やったじゃない」 ロバートはポケットに手を突っ込むと笑った。良いタイミングで満員御礼だな。「早速準備するんだろ?」
ドンが顔を上げ、ロバートを見た。その顔に、いつになく張り詰めた緊張の色が浮かんでいる。「どうしたの? 資金不足? 七人分の食費が無いとか」
「それも有るが」 ドンがカレンダーを見上げた。「これは――とんだことになったぞ」
どういうこと、ロバートは流石に笑みを引っ込めた。こんなことを言いたくはないが――なんとなく、厄介なことになりそうな感じがしたのだ。訝りながら、ロバートはポケットから手を出した。
「明後日は、男爵がここに来る日なんだ」
17
アマベルに電話が付くまで、一時間近くかかった。折悪しく授業中だったらしい。ようやく折り返してくると、「何よ」 とぶっきらぼうに訊いてくる。「何もミスなんてしてないけど?」
「ち――違うんだ」 ロバートは口篭った。いつになくアマベルは不機嫌そうな声をしている。「き、急に客が入ることになって、二日後に」
電話の向こうは、人声が忙しない。大学の構内に居るらしく、雑踏が一緒になって聞こえて来る。「な、七組も」
なんですって? アマベルの声音が変わった。身を屈めたらしく、電話の声が急に篭る。「マスターには知らせたの?」
マスターとはすなわち男爵のことだ。そんなわけない――ロバートは首を激しく振った。会ったこともないのに!
「分かった」 と、アマベルは素早く言った。流石物分りが早いのだ。「明日には戻るから、とにかく、出来る限りのことをしておいて」
電話を切ると、ロバートは真っ先に地下に走った。地階には、厨房の横に隠れるようにして、小さな掃除具入れの部屋が造られている。客室用のシーツや枕カバーは、みんなここに置かれていて、ロバートはシーツを七組取り出すと引き返した。その足で二階に駆け上がる。
「おめでとう、お客かね」
ライオネルがひょっこりと客室のドアから顔を出した。幽霊だからどこにだって入られるのだ。「退いてくれよ」 ロバートは唇を尖らせた。「居るんなら手伝ってくれ」
古いシーツをベッドから引き剥がす。適当に畳んで床に投げ出すと、ライオネルが本当にシーツを広げているのに気が付いた。なんにも無いところに、シーツが一枚ふらふら浮いている。「使用人も大変だな」
お化けと客室準備なんて、こんな変わったことも珍しいものだ。ロバートは思った。アマベル辺りが見たら、それこそ卒倒してしまうだろう。サイモンなんて、散弾銃でも持ち出してきたりして…
「頼むよ」 ロバートは指を突きつけて念押しした。「約束は守る。だから、今度は何もしないでくれ」
ドンはメモを手に一階を走り回っている。止むを得ないらしく、仕入れの業者を呼んでいるのだ。男爵が来たら請求すれば良い、さっきそう言っていたっけ。今はひとまず、持ち出しだ。
夕方近くまで、ロバートはワックスを持って家じゅうを這いつくばる羽目になった。手入れの行き届いた空間の演出とは、身近なものに指紋が付いていないことが基本なのだ。ドアノブ、階段の手摺り、部屋の窓枠、バスルームの蛇口、鏡にナイトスタンドの足――指紋の付きやすい金属という金属を拭いていく。一緒になって窓を磨きながらライオネルが言った。
「ずっと考えていたのだが」 と、顎に手を当てる。「なぜ君だけが、我々の姿を見ることが出来るのか――理由に身に覚えが無いかね?」
知ったことかよ。ロバートは顔をしかめた。そんなもの、理由があるのならこっちが教えて貰いたいほどなのだ。「雑巾もう一枚取って」
ライオネルがタオルを投げる。空中でキャッチしながら、ロバートは考えた。「ひょっとして急に霊感に目覚めた、とかじゃないの?」
「それなら良いのだが」 ライオネルは腕組みした。手伝え! すかさず野次を飛ばしてやる。「どうも引っかかるな。納得行かないよ、きみ」
「こんにちは」 キャスリーンが窓から入ってくる。「あたくしにすることは無い?」
サイモンが、表の庭を何か引きずりながら歩いて来る。森で鹿を仕留めたらしく、肩に銃を担いでいるのだ。あれじゃ原始人だよ、ロバートは溜息を洩らした。自給自足もここまで来たら犯罪だ。
「もう掃除を済ませたのか」 二階まで様子を身に来たドンが目を丸くした。「お前、使えるな」
幽霊に手伝って貰ったんだ、とは言えまい。ロバートは黙って唇を吊り上げた。なんか褒められてるみたいだぜ、君たちも。
掃除のあとは、サイモンと一緒に献立を思案しにかかる。キャスリーンは、大人しくロバートの部屋でお客に配るサシェ(匂い袋)を作っており、「あたくし得意なの」 と笑った。「サテンで袋を作って、中に綺麗なポプリを入れて。楽しいわ」
「前菜はフォアグラか兎肉のゼリー寄せで決まりだな」 サイモンは余り紙にペンを動かした。「なんかいい工夫はないか」
「デザートに飴細工の籠を出すのはどう」 ロバートは言った。ライオネルが全て横で喋っているのだ。「油紙を、丸いハンドクーラーか何かに巻き付けてさ、そこに溶かした飴を格子状にかけるんだ。乾いたら紙から剥がして、丸い籠状のケースの中にシャーベットを入れる。安上がりだし、喜ばれそうだよ」
「お前、上手いこと言うなあ」
「鹿はキドニーパイ状にして出すことをお勧めします」 ライオネルが言っている。「そう、いっそ中世のように、細かな飾りを付けて焼くのはいかがかな。明日作れば肉の味が染みて、二日後には良い食べごろになるでしょう」
アマベル――寝る前に、様子見に電話してきたアマベルに、サイモンが言うのが聞こえてきた。「流石イートンだよ。あいつ、なかなかやるぜ」
ベッドに入るとき、枕元のナイトスタンドに、出来上がったサシェの袋が乗っていることに気が付いた。余りものの白糸で、レースのように花の刺繍がほどこされている。キャスリーンめ、ロバートは苦笑した。これじゃ女性にして貰ったってのが丸わかりだよ。
「いけなかった?」 ドアの前にキャスリーンが立っている。やっぱりはっとするほど美しい人だ。こうして見ると、少しも怖くはない。「今日は疲れたんじゃなくて。おやすみ、ロバート」
それでも半分の苦労で済んだよ、ロバートは呟いた。眠気がもう押し寄せてくる。「ありがとう――」
キャスリーンがやってきて、額にキスして去って行く。少しひんやりとした唇。けれども、ロバートはこれによく似た感覚を知っており、お母さんみたいだ、と思った。お母さん――そうだ、今頃どうしてるかな。
疲れたときは、床に就くととりわけ母のことを思い出すのだ。どうしてか判らないけれど。そしてそのうち眠ってしまうのも習慣。
(町を出る時に伝えてきたけれど、病院でひとりぼっちかな)
今夜は何か夢を見そうな気がするな、と思った。
18
春先とはいえ、郊外の夜明けの空っ風は、身も凍るような冷たさだ。緑に囲まれた田舎には、濃い朝霧がもうもうと立ちこめ、少し先も分からないくらいになる。木々も動物も、今は息を潜めており、日が昇るまでのわずかな時間を待機しているのだ。
ロバートは横になったまま、ベッドの上で目を開いていた。やっぱり夢を見たのだ。夢の中で、久々に見た友人は、少しも変わりなく元気そうな様子をしている。ひょっとしてまだ生きてるんじゃないか、と思うくらいに――
(あんた次第なんだよ。人生を、良くするのも悪くするのも)
夢の中でロバートは子供に戻っていた。十年前、初めて彼がロンドンに引っ越してきたとき、最初に入ったアパートの玄関が見えている。寂れた路地裏で、アパートの窓から見える潰れたスーパーと酒屋のシャッターの前に、老婆が座っているのだ。御座のような麻布を尻に敷き、ロバートがやった彼の父親のコートを身につけて。
(ロバ、あんたはまた学校に行かないのかい)
友人は言う。子供のロバートはふてくされている。行きたくない――口の中でもごついており、そう、彼の通った最初の学校は、離島のように遠い場所だった。足で歩くにも、心を通わせるという意味でも。
(ねえハンナ、それより占ってよ。僕がここから帰れるか、もう一回占って。アーロンとまた遊べるか――)
その占いの結果は、いつも一緒だ。ハンナの足元に、潰れた紙コップが置かれており、ほんのわずかな硬貨が中に入っている。その中に一ポンド、少し得意そうに入れるのがロバートの日課で、そうするとハンナはごみ溜めから集めた古道具の中から「道具」 を出してくる。(何度やったって一緒だよ) というような顔をして。
(ロバ、あんたはもうその家には帰れない。でもそれで良いんだよ。まじないは、百ぺん同じことを聞いたって嘘はつかない。あんた次第なんだって、いつも言うのさ)
また来るよ、とロバートは言う。占いの機嫌が直ることを信じて。
ベッドから起き上がると、カーテンを開けた。随分おかしな夢を見たものだ、と思う。窓の外は、まだ日が昇っておらず、濃い水色の闇に包まれている。夜明け前の幕間の時間だ。
手荷物の中から、Tシャツと、ジーンズを引っ張り出す。ここに来て、すぐに着替えたものだ。ズボンのポケットに、ブレスレットが入っており、ロバートはそれを取り出すと左手に付けた。木で作ったビーズの玉の列に、金属の半月形の飾りがついたものだ。いい加減木の塗料も剥げてきており、みすぼらしいくらいだ。
「ロバート、起きてる?」
声がしたので、ロバートは顔を振り向けた。アマベルだ。大急ぎで帰って来てくれたらしく、屋敷の外に車の排気音が聞こえている。「早く起きて。使用人の朝は六時からよ」
ロバートは時計を見た。ちょうど午前六時を針が指そうとしている。
「サイモンが釣りを手伝えって。聞いてる?」
やれやれ。ここに居ると、スタッフは寝ても醒めても使用人なのだ。今日は五時間は眠られたから、感謝すべきかもしれないけれど。
アマベルのノックが始まる。了解だよ、ロバートは腰を上げ立ち上がった。
朝釣りは金持ちの習慣だと思ってたけど…
ボートに乗り、オールを水に漂わせながらロバートは思った。モナーク館には、屋敷から少し離れた所に小川が流れている。湖にも通じており、流れは穏やかだが結構な深さの川だ。
「マス、マス、マス」 サイモンはぶつぶつ言っている。「頼むからかかってくれ――もう資金が底をついてるんだよ」
「ドンは持ち出しで用意するって言ってたけど」 ロバートは訊ねた。「それでも資金が無いってこと?」
「毎回そうなのさ」 サイモンは不服そうに言った。「八エーカーもある屋敷を、月平均たったふたりの来客数で、まかなえると思うか?」
大いに納得だ。ロバートは独りごちる思いだった。一緒に釣り糸を垂れ、マス釣りに励む。「先に三匹釣ったら昼飯を増やしてやる」
正午過ぎに網を手に屋敷に戻ると、アマベルがドンと一緒に家具を外に運び出していた。庭先にトラックが一台停まっている。「何してるのさ? ドン」
アマベルが暖炉の上のマントルクロックを、ドンがダイニングのテーブルと椅子を一脚ずつ持ち出している。古具屋よ、とアマベルがバツ悪そうな顔をした。「これくらいしか売れるものがないの」
持ち出しって、そういうことかよ! ロバートは絶句してしまった。たくましいのか、情けないのか。さしあたっての資金を手に入れたドンが早速電卓を叩き始める。「さあ、これで買う物は、と――」
アマベルと一緒にロビーを掃除する。石の床を水拭きしながら、アマベルが訊いた。「イートン校の人はこんなの意外?」
ロバートは手を止めた。そういえば、そういうことになっているのだ。彼はアーロン・スタンリー。今更ながら、大会社のお坊ちゃま。
「別に」 ロバートは答えた。「古屋ってのは同じだよ。便所掃除がないだけマシだ」
アマベルは楽しそうに笑った。
「そのブレスレットは何?」
ロバートは左手を振ってみせた。そういえば、今朝から付けっぱなしにしていたのだ。「友達の遺品だよ」 と言った。「まじないさ。困ったことが有ったら付けとけって」
そう――ロバートは思った。これが最初で最後のプレゼントだったのだ。あのあと、たったふた月後にハンナは亡くなってしまったのだから。雪明けの、凍てついた空気に耐えられなくて。
困りごとの連続なロバートは、それからというもの、腕輪を付けっぱなしだった。おかげでもう糸が切れかけているくらいだ。「占い師なの?」
「全然」 ロバートは雑巾を絞った。灰色の水でバケツが真っ黒になっている。「足の悪い老いた白人のジプシーだよ」
イギリスは、ロマが多く(ジプシーのこと)、当たり前のように共存しているが、その見た目はぱっと見にはそう分からないただの白人だ。どこにでも居る乞食の一人。
「占って貰ってさ。結果が悪くてやっきになって通い始めて、それから友達さ。一日一回、お茶の葉占いか動物の骨占い」
最初占ったとき、ロバートはさこそ癇癪を起こしたものだった。もう一度みんなで暮らしたい、そう切に思っていたあの頃のロバートに、二度とそれは出来ないよ、というハンナの言葉は我慢ならなかったのだ。錫占いの道具をひっくり返し(あんたなんてことを!)
「バチが当たって手に火傷さ」 ロバートは左手首を見せた。ティーストレーナーに入れて溶かした錫を、コップの水に垂らして形を見て占うのだ。飛び散った錫が熱くてぴいぴい泣いているロバートに「この馬鹿たれが!」
アマベルはひっひと笑っている。「イートン出の御曹司がジプシー占い?」
いいかい、ハンナは言ったものだ。これであんたは自分の運命から逃げられなくなった。困った事があったら、これをおし。付ける腕を反対に間違えるんじゃないよ。
錫占いのかけらを、ブレスレットに通して渡してくれたのだ。しわくちゃの手でロバートの手を包んで。
「それで付けてるのね」 アマベルが腰を上げた。「明日のお客さんのことでしょ?」
ロバートは黙っていた。図星だったのだ。アマベルは唇を吊り上げた。
「大丈夫よ。今度はああならないわ」 はっきりと言い切った。「今度はミスなんてしないわ。それに――」
主も来るんだもの。アマベルの緊張した顔からそう悟り、ロバートは頷いた。
今度はうまくいく。ロバートは思った。何せこっちは、「当事者」 たちから話を聞いたのだから。いや、させてみせるよ。次は上手く行かせてみせる。
「頑張りましょ、ロバート」
アマベルがバケツを持って立ち上がる。ん、ロバートは頷いた。
19
その夜、四人は最後の打ち合わせをした。食堂に集まり、客用のテーブルにつき夕食をとる。サイモンがごまんと茹でたテスコの安売りの(イギリスの格安スーパー)パスタにバターと胡椒を振りかけており、「こうするとフルコースみたいだろ!」
どこがだよ、ロバートはうんざりした。慣れているらしく、アマベルは冷蔵庫の残り物のステーキソースをかけている。「こうすると、肉を食べてるような気分になるわね」
そのうち砂糖までぶちかけるに違いない、ロバートは思った。「お客は何時着?」
「昼だ」 サイモンは答えた。またしてもストックした安酒をちびちびやっている。「主は大体いつも四時ごろに来る。お前、粗相するなよ」
「脅さないで、サイモン」 アマベルが顔をしかめた。「気にしないで。何もなければ、普段はとっても良い人よ。見た目はちょっと怖いけど…」
充分気にするよ。ロバートは独りごちた。たくましい身体つきの巨漢の準男爵。顎鬚が尖っており、なんだか軍人みたいにも見えたっけ、そう――なんだかドイツのビスマルクみたいな。
「繊細な人よ」 アマベルは更に続けた。「ピアノが上手いの」
繊細なハートの持ち主に、腕力を組み合わせるとロクなことがないのだ。ロバートは早々に部屋に戻った。今夜はひどく屋敷が静かだ。幽霊たちも、今朝から一度も見ていない。
「ライオネル」 呼んでみた。いつもは気がつくと側に立っていたりするのだが、今日は返事が無い。ライオネルめ、またスケッチにでも出かけてるのかな、と思った。
(あたくしたち、出てこられない時があるの。得意な時間もあるのよ)
まあいいや、ベッドに潜り込む。きっと今の時間は、出てこられないのだろう。枕元のナイトスタンドを消す。聞いているかは分からないけれど、ロバートは天井に向かって言った。
「明日は、本当に何もしないでくれよ。約束は守るから何もするなよ」
返事はない。しんとした空気が漂っており――外の風がただ窓を叩いているだけだ。
そのまま、目を閉じて眠ってしまった。
翌朝、ロバートはサイモンの怒鳴り声で叩き起こされた。アマベルが剪定ばさみを手に部屋に飛び込んでくる。「起きて! ロバート、もう十時よ」
なんだって? ロバートはベッドから転がり落ちた。ドンは早速執事服に着替えている。おまけに今日は針金みたいな銀淵の眼鏡をかけており、部屋を覗くと「良いだろう」 と言った。「マークス&スペンサーで買った安物だ」
「急げボンクラ!」 サイモンが尻を蹴飛ばす。「客が来るまであと二時間しか無いんだぞ」
じゃあなんで起こしてくれなかったのさ、ロバートは着替えながら密かに腐った。下に降りると、玄関のロビーには、今朝は素晴らしく見事な切花が飾られている。大理石の花瓶に揃いものの花台。「よくこんなもの売らずに残ってたね」
「これを売ったら殺される」 ドンが目を剥いた。「主の寄贈品だ!」
「本日の予定を説明する」 と、ドンがいかにも執事を思わせる皮製の手帳を開きながら言った。「お客様は正午に到着。三名が女性、四名が男性の計七名。到着後すぐに庭で昼食を楽しんで頂く。そのあとは、男性客は全員ゴルフへ、女性客は敷地内の散歩を希望」
ロバートは表の庭を見た。新品の、黒光りする高級車が停められている。「代車よ」 アマベルが耳打ちした。「送り迎え用なの」
「午後はお客が戻り次第各お部屋までティーサービスを」 ドンは下目で手帳を見、音読を続けた。「帰宅後、順次お客のご希望を訊ねるのは、ロバート、お前の役目だ。ロビーで待機しておけ。夜は七時半に夕食を食堂で」
「メニューはフルコースだ」 サイモンが腕組みした。「給仕はロバートとアマベルがやる」
「私は主の接待を」 ドンが気を付けした。「館内でお会いしたときは、急ぎの用事以外は足を止めること。以上」
書斎の椅子をきっちりと並べ直すと、ロバートはドンに呼び出され、「使用人の心得」 なる手帳を渡された。掌サイズの〝べからず節〟だ。布張りのちょっとした良いもので、ロバートは目をぱちぱちした。「こんなものが有ったのかい?」
「渡し忘れてた」 ドンは当然のように言った。「客が少なすぎるんでな。ベストの右ポケットに入れておけ」
お客が到着するまでの間、カウンターに肘をついて手帳を流し読みする。『換気は適度に行い、お客様が到着されたあとは、窓の開け閉てのご希望を確認しましょう。けしてお客様ご自身にさせてはいけません』
「ロバ」 サイモンが指をさす。「その腕のブレスレット、忘れないうちに取っとけよ」
ロバートは慌ててブレスレットを外した。いつもの習慣で、昨日から付けっぱなしだったのだ。こんなものを付けて、うっかりお客に見咎められでもしたらことだ。ロバートはズボンのポケットにそれを突っ込んだ。
「サイモン、お客がみえたわよ」
アマベルが顔を出した。一張羅のメイド服を着ている。「この間と同じようにね。ロバート、ドンと外に」
車が停車する前に、ドアを開けドンが扉の横に立つ。今度は自家用車だ。家族連れと親族らしく、ドアを開けた途端お客がわっと歓声を上げた。「凄い、マナー・ハウス!」
「いらっしゃいませ」 ドンが完璧な使用人の笑顔を浮かべて言った。「キャドベリー様、メリー・モナーク・ハウスにようこそ」
「可愛いボーイさん!」 二十代らしい女性が声を上げた。「スッゴい! 本物のお屋敷なのね、初めて!」
荷物を受け取り、ロバートが車から降ろして居る間、ドンが部屋を案内する。スイート・ルームに三組の女性を案内したらしく、頭上で歓声が上がった。「森が見えるのね! 凄く綺麗なお部屋」
荷物を運び終えると、お客はもう外に出ていた。「ねえ、テニスなんて出来るの?」
「コートもございます」 と、ドンがにこにこした。「ご希望でしたらお申し付け下さい」
サイモンが昼食を持って来た。昼の給仕は幸いドンの役目だ。今日はあっさりと仕上げた海鮮のクリームソース和えタリアテーレ(平らなパスタ)に、ドンの選んできた辛口の白ワイン。ああ、良い食材だな、窓から眺めながらロバートは少し苦笑した。クソ、お腹が減っちゃうよ。
ダイニングから物音が聞こえて来る。アマベルが掃除をしているのだ。がたん、がたん、微かな音が聞こえており、拭き掃除でもしているみたいだ。気軽に顔を出したロバートは硬直した。
アマベルが壁際に立っている。それだけじゃなく、椅子の上に立ち、絵を覗き込もうとしているのだ。手には布巾を持っており、おまけに、左から二番目のあの肖像画の額淵を――
「アマベル、待った―――!」
ロバートは思い切り叫んだ。ぎょっとしてアマベルが振り向く。大股に近付き、ほとんどひったくるようにして布巾をアマベルの手からむしると、ロバートは彼女と絵の間に強引に割り込んだ。あまりのことにアマベルが仰天している。
(居間にある帽子を被った男の肖像には、絶対に触れないで頂きたい) ライオネルの声が耳に蘇った。(それからピアノにも、同じくぞんざいな扱いは。よろしいか?)
ロバートは息を吸い込んだ。今にもあの――ガッシャーン! 凄まじい音が響き部屋が飛び上がるんじゃないかと思ったのだ。だが、辺りはしんとしている。まるで何事もなかったみたいに。
「――どうしたのよ」 と、アマベルが怪訝そうに訊いた。
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ロバートはとっさに窓の外を見た。お客はまだ楽しげに食事を愉しんでいる。幸い、さっきのロバートの声は聞こえなかったらしく、ロバートは胸を撫で下ろした。良かった――間に合った。
「そ、その」 と、ロバートは布巾を畳み直した。アマベルは、ロバートの突然の挙動に訝っている。微かに眉をひそめており、ほんの少し怒っているようにも見える。「何なの? どうしたのよ」
「この部屋の掃除は、俺がやるよ」 とロバートはようやく言った。急なことで、自分でも声がうわずっているのが判る。「ちょっと――ここは具合が悪いから」
「具合?」 アマベルはますます顔をしかめた。「具合って何よ」
「……」 ロバートは、言い逃れを探す子供みたいに壁の絵を振り向いた。背後には、問題の「帽子を被る男」 の肖像が飾られている。「その」 ロバートは引きつったような笑いを浮かべた。「お、俺、イートンで絵をやってて」
途端に、アマベルがきょとんとした。「絵をやってるの?」 と言う。「油? 水彩?」
「す、水彩」 言ってから、慌てて言い直した。「でも油にも興味がある。で、個人の感想なんだけど、この絵は――」
すると、アマベルが顎を引き唇を吊り上げた。「間違いなく肖像の割には初期の印象派が見られる。でしょ?」
ロバートはうっかりポカンとした。
生憎と、ロバートは絵画がてんでダメだ。絵画どころか、彫刻も、芸術自体がさっぱりダメで――「そ、そう」 頷いた。こうなればあとは相手に便乗するしかない。「き、君も? そう思う?」
「勿論よ」 アマベルは自信を持って頷いた。「この絵が描かれたのは、おそらく三百年前。当時肖像画描きは社会的に軽視されてた。お金を払えば資産家を見場良く描く似顔絵描きね。それなのにこの絵には印象の影響が見られる。グランド・スタイルと古典的な光と影の陰影の中に、明らかな印象派のきざしが。でしょう?」
ロバートは白目を剥きそうになった。ひとこと半句も分からない。頼む、誰か助けてくれ!
「頬のラインと、右側の髪」 アマベルは絵をなでるように宙で手を動かした。「これは凄いことよ。印象派なんて、今でこそもてはやされてるけど、当時はボロボロにクサされてた。ホイッスラーが「鑑賞者に向かって絵具壷の中身を(※絵画「黒と金色のノクターン―落下する花火」より)ひっかけたみたいだ」 なんてラスキンに言われる時代の二世紀前に、もうこの絵の画家は印象に気付き始めてたのよ。天才よ」
アマベルは絵を見上げると、ロバートの手から布巾を取り、額を拭き始めた。よく見ると埃ひとつ付いていない。「私、ここで働いてるのはこの絵が理由なの。名前も知れない、でも素晴らしい絵。ここに来ると、この絵に会えるでしょ? どんな美術館にもない、でも芸術って、ただそこに有るだけでもう芸術なのよ」
ロバートはあとじさった。アマベルは綺麗さっぱり額を拭いてしまう。布巾を折り返すと、ロバートを振り向き、にっこりした。「同じ事に気付いたのはあなたが始めて。ロバート」
ロバートは唾を飲み込んだ。口の中がカラカラに渇いている。表でドンが「ロバート」 と呼ぶ声が聞こえてきた。「ロバート! 片付けを手伝いなさい」
「呼んでるわ」 アマベルはウインクした。「執事様よ。さ、頑張って」
ロバートはのろのろと部屋をあとにした。ダイニングは、まだしんとしたままだ。何事もなく、アマベルは平然と額の手入れを続けている。最後に一度肩越しに振り向きながら、ロバートは思った。
何もなかった。あの騒動も、狂乱したライオネルの姿も。
一体どうなってるんだ?
食器を片付けている間じゅう、ロバートはひたすら訝っていた。ドンはお客を連れて車でゴルフ場まで出かけている。この辺りは緑豊かで、夏は狩猟クラブが溜まり場にしているほどらしい。女性客たちは散策に出かけており、用意されたウェリントン・ブーツに履き替えながら、客のひとりがこう言っているのが聞こえてきた。「ベリー園の季節じゃないのが惜しいわね。カゴ一杯摘みたい」
サイモンは夕食の支度にかかっている。ライオネルの発案で、今日はまだ仕込みが楽らしく、余裕ある表情だ。皿を拭き、トレイに載せ、食器保管庫に運びながら、ロバートは思った。一体何だったんだろう?
ライオネルは、確かにああ言っていた。左から二番目の帽子を被った男の肖像画には触れるな、と。なのにアマベルは平然と手入れしていた。おまけに、どうやら習慣だったようなのだ。
「どういうことだよ、ライオネル」 ロバートはぼやいた。皿を棚に直し、ついでにカトラリーをチェックする。銀製のカトラリーは、ちょっとでも気を抜くとすぐにくすんでしまい、注意が必要なのだ。布巾を取り出し、フォークを磨きながら呼びかけた。「居るんだろ?」
呼びかけても返事はない。しんとしており、ロバートは顔をしかめた。何だってんだ? 揃いも揃って、まさか幽霊の寝坊もないだろうに…
だが、そんなことはやがて、ロバートの頭から抜け落ちてしまった。多忙も限度があるほど忙しいのだ。下働きのロバートには、全ての雑用が覆い被さってくる。「ロバート、食後酒用のグラスをあと四つ磨いとけ!」
「タオル片付けて。一階の窓の戸締まりと、表回りの砂利が乱れていたから均して。あと玄関のドアノブの回りが悪いの。それからゴミを全部裏に出して」
殺すつもりか! 結局、大汗をかきながら屋敷じゅうを走り回る羽目になった。これでお客が帰れば涼しい顔をしてお茶の好みを聞き出さねばならないのだ。「コーヒーもございますが」 息切れを隠しながら「お部屋までお持ち致します」
こま鼠の癖とは、つくづく不便なものだ。手が震えるほど持ち重みするトレイを持ち二階に上がりながら、ロバートは思った。米つきバッタになるのも大得意。貧乏人じゃなきゃこの仕事は勤まらないよ。
だが、それでも良かった点はあるのだ。厨房にトレイを返し、すっ飛んで帰ってきたロバートは、ホールに男が立っているのに気付き慌てて駆け寄った。ステッキをつき体にぴったりとあったスーツ姿で佇んでいる。
「お帰りなさいませ」 ロバートは言った。(一週間も下っ走りをやってりゃ、もういい加減慣れますよ) 「お召し物をお預かりします。お茶はお部屋にお持ちしても宜しいですか?」
すると、相手はロバートに向き直った。がっしりとした体格の男だ。幅広の胸板に、かっちりと整えられた頭髪。髭の先が少しよじれており、突然男はロバートの肩を掴むと豪快に吹き出した。「ふはははは! はっはっは!」
アマベルが飛び出してきた。花瓶を手にバーカウンターから走り出てくる。「旦那様!」 と叫んだ。「ちょっと、何してるのよ!」
「スタンリー君かね」 と、男は朗々とした声で言った。「君のお父様から手紙を預かったよ。なかなか、しっかりした子のようだ」
ロバートは絶句した。この展開はないだろう…自問するまでもなく、強すぎる力で肩を叩かれる。「二週間、頑張ってくれよ。お茶は結構。アマベル、他のスタッフは何処だ?」
ロバートは風のようにその場を離れた。マズかった、冷や汗をかき食堂に逃げ込む。迂闊にもほどがある、まさか主人だったなんて!
「なんだと?」 玄関のロビーから声が聞こえて来る。「お客様がいらっしゃって」 アマベルが懸命に説明している声が聞こえてきた。「明日の朝までご滞在です。一般の方が七名」
ロバートはこっそりと扉の隙間から外を見た。心持ち、アマベルが緊張しているようにも見える。準男爵はこちらに背を向けており、何か言うとそのまま立ち去ってしまった。ロバートは首を引っ込めた。
お客が居るのが、おかしいことなのかな? ロバートは思った。気のせいか、主人は険しい面持ちをしていたようだ。アマベルが小走りに去ってしまう。靴音が地下の階段へと――
(一般の方が七名)
金持ち社会は、そんなことをわざわざ確認するのかね? ロバートは思った。どんなに豪華でも、所詮はホテル。お客に平凡も非凡もないんじゃないか? それとも――そうせざるを得ない事情が有るからなのか? わざわざ、確認するのは。
「マス・メディアじゃあるまいなって」
ロバートはうっかり悲鳴を上げそうになった。真後ろから唐突に声が聞こえてきたのだ。声の主はどこにも見当たらず、ロバートは慎重に振り向いた。
周囲に人の姿はない。食堂はしんとしており、窓は閉めきられている。ひとわたり見渡してから、諦めてロバートは暖炉に近寄った。腰に手を当て呼んでやる。
「チムニーだろ」 顔をしかめた。「脅かすのは無しだ。出て来いよ」
「当ったり」 と、暖炉の陰から子供が顔を出した。
21
「ねえ、何してんの」 と、チムニーは言った。鼻の頭に今日もスス汚れを付け、手にはサイモンが用意したティータイム用のサンドイッチを持っている。「何してるのさ、ここで」
前歯の欠けた笑顔を向けてくる。ロバートは溜息を宙に吐き出した。「見回りだよ。チムニー、昨日はどこに行ってた?」
「おいらずっとここに居たよ」 チムニーはテーブルに土足でぴょんと飛び乗った。「ライオネルは、さっき外でキャシーと喧嘩してた。モデルが動くと絵にならないって」
ロバートは顔をしかめて聞いていた。この際、思い切って訊いてやらねばならない。話が違うじゃないか? あんな騒ぎを起こしたのには、理由があるだなんて言ってたくせに。
食堂を出て廊下に引き返す。チムニーがあとをついており、小走りになりながら訊ねてきた。「何怒ってるの? ロバート」
「怒ってない」 ロバートはむくれた。「判らないだけだよ。子供はあっち行ってろ」
「キャスリーン」 ロバートは投げかけた。玄関のホールは、今は丁度よく無人だ。「居るんだろ。出て来てくれ。ライオネルも」
「ロバート?」
ふわりとそよ風が吹き、キャスリーンが舞い降りてきた。香水の香りをはらんで細身のドレスが着地する。「今日は見えるのね、嬉しいわ」
うっかり見惚れかけていたロバートは、慌てて首を振った。やっぱり何度見ても綺麗だ。「あたくし、落ち込んでたの。話しかけても返事をしないから、きっと見えてないんだって。彼がどうかして?」
「見えてないって?」 ロバートは思わずあっけにとられてしまった。昨日一日、静かだったのはそれか?
「ライオネルは?」 ロバートはキョロキョロした。「あいつに話が有るんだけど」
「叩いてやったから、今は出てこないわ」 とキャスリーンは赤い唇を尖らせた。「ずっと動くななんて、退屈で死にそう。ねえロバート、聞いて頂戴、あたくし面白いものを見つけたのよ。東屋の隣に物置があるでしょう? 昨日、あそこで絵を見つけたの。ちょっと変わってるんだけど、老人がチェスをしてる絵で――」
キャスリーン、ロバートは遮った。ごめんよ、だけどちょっと今はここで立ち話をしてる気にはなれないんだ。キャスリーンは大人しく言葉を引っ込めた。目をぱちぱちさせている。
「キャシー」 ロバートは言った。「ライオネルは呼べないかな? あいつに訊きたい事が有るんだよ。大至急で」
でなくば、ひょっとしてまた大事にもなりかねない気がするのだ。あんなことを言っておいて、肝心要の「注意ごと」 が的外れだなんてことになったら…
「無理なのよ、ロバート」 キャスリーンは綺麗な形の眉を下げた。「一度消えてしまったら、半日は空けないと出て来れないの。あたくしたちじゃ力になれない?」
チムニーが横でまばたきしている。キャスリーンは返事を待っており――ロバートはちょっと考えると、気を取り直して説明をし始めた。
事情を話し終えると、二人は(勿論幽霊たちだ) 揃って顔を見合わせた。キャスリーンは大きな目をますます大きく見開いている。チムニーは、頭の後ろに手を組んでおり、ロバートは不満げに鼻を鳴らした。「で? 言い訳は?」
「言い訳だなんて」 キャスリーンは首を横に振った。「あたくしたち、本当のことを言っただけよ」
「じゃあなんで何にも起こらなかったんだ?」 ロバートは重ねて訊いた。「こっちは、大いに真に受けてたんだぜ。あの約束事さえ守れば、騒ぎにはならないって」
「……」
ふうん、キャスリーンが頬に手を当てて考えている。今日は手袋をしているが、編みたてらしい真っ白なレースが飾り物みたいだ。「…思い当たることはあるけれど」
「何だよ?」 ロバートは眉を下げた。「弱ってるんだよ。こっちは、一気に七人も客が来るわ、さっきは主がやって来るわで手一杯なんだ。これ以上、ヘンな真似されちゃ――」
「稀だけど、たまに、ああならないことか有るの」 と、キャスリーンは顔を上げた。「あたくしたちも、これなら平気、っていうことが」
今度はロバートが黙ってしまう番だった。
「この間みたいに、あんな扱いをされるのは、絶対御免」 彼女は顔をしかめた。「けれど、あたくしも、あんなことにならないときは有るのよ。あのついたてみたいな胸周りの老紳士」
何だって? ロバートは目を剥いた。誰だそれは?
「今ここの持ち主になってる男よ。あの人にだけは、ピアノに触れられても平気なの。気にはなるけど障りはしないわ。勿論、例外中の例外だけれど」
「………」
「きっと、あたくしたちがここに居る原因にもなってるのよ」 キャスリーンはひどく真剣な顔をしている。「あたくしたちがここから離れられない理由が、それぞれ、あれに有るんだわ。だから時々あんな気持ちになるのよ。酷い扱いをされると――部屋じゅうを引っ掻き回して、叩き壊して、それこそ取り憑いて八つ裂きにしてやりたいくらいに」
ロバートはうっかりあとじさった。幽霊が真顔で言うのは止めてくれ!
「何が原因かは思い出せない?」 ロバートは訊ねた。チムニーは靴で床を蹴り蹴りしている。「ひょっとして――じゃないけれど、つまり、それさえ思い出せば、皆ここから離れられるんだろ?」
「無理よ」 キャスリーンはすっかりお手上げの顔をして首を振った。「もう三百年以上思い出せないのよ? それどころか、最近は自分の年齢すらもあやふやで――記憶も、半分くらいは塵になってるかも」
ありそうなことだ。ロバートはがっくりして地下に戻った。厨房ではサイモンとアマベルが話しこんでいる。こちらに背を向け、ひそひそ話しており、まるで麻薬か何かの取引でも交わしてるみたいだ。「何してるの?」
すると、二人は揃ってこちらを振り向いた。アマベルが足早に寄って来る。「ロバート」 と、早口に言った。「さっきのことだけど」
二人はひどく気難しげな顔をしている。アマベルは、下唇を言いにくそうに舐めながら続けた。「主も、明日までここに居ることになったの」
ロバートはぽかんとしてしまった。そんなこと、当たり前じゃないのかい? だが、アマベルは首を振った。「こんなのイレギュラーよ。これもお客が居るからなの」
どういうことだ。ロバートは理解できずに突っ立っていた。サイモンがコック帽を被りなおしている。頭数が増えたので、急遽ひとり分食事を増やすのだ。
「主は普段は夜には帰るんだよ」 サイモンが低く呟いた。「様子を見て、必要な物を聞いてそれだけだ。でも今日はここに泊まる。本当にただのお客かどうか、ヘンな連絡が来てるみたいだからな」
変な連絡とは…ロバートは黙っていた。アマベルが下を向いている。スカートの裾を掴んでおり、まるで、子供がお皿でも割って叱られているみたいに。
「黙っててごめんね」 と、申し訳なさげにアマベルは囁いた。ポケットから、折りたたんだ紙を一枚出す。薄いファックス用紙で、そこには見覚えのあるロゴマークと一緒にこう書かれていた。『BBC(英国放送協会)』
「取材の申し出なの」
ロバートは絶句してしまった。
22
『メリー・モナーク・ハウス経営者様及びスタッフの皆様方へ。平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。コッツウォルズ、湖水地方のマナー・ハウス及びカントリー・ハウスへの取材と放送の許可をお願い申し上げます。来る五月七日、当局は、春の訪れと五月祭を題材に、〝郊外の春とマナー・ハウス〟と題して最高級のホテルとその経営の様子を放送予定です。つきましては、貴殿にもご協力賜りたく改めてご連絡を差し上げました。四月二十八日、お電話をさせて頂きますので、なにとぞ前向きのご検討を賜れば幸いかと存じます。番組企画担当・責任者ウィリアム・グレース、BBC』
ロバートはうっかり紙を取り落としてしまった。サイモンがすかさず宙でそれをキャッチする。「ま、悪質なイタズラなのは見え透いてるな」 と言い捨てた。「前も同じ手口だったんだから」
前も? ロバートはようやく我に返った。あまりにも急な展開で頭が飽和してしまう。「そうよ」 アマベルが気難しげに顔をしかめた。「こんな風に丁寧に取り繕って、実際はウチがお化け屋敷でしたってすっぱ抜きたいの。霊能者まで呼んでたのよ」
それは――ロバートは無理に強くまばたきした。それはちょっとやりすぎだ。サイモンはファックス紙を握りつぶした。
「ま、今度のお客はまごうかたなき一般人だな」 と、幾分気楽に笑った。「ウチを見て気圧されしてる。どう見たってただの観光だよ。気にするな」
フ抜けるロバートに、大量のイモの皮むきを命じると、サイモンは料理に取り掛かり始めた。いつの間にかキャスリーンが現れており、厨房でチムニーと一緒にはしゃいでいる。サイモンの脇に立ち料理に指を突っこんでおり(本当に、サイモンには何も見えていないのだ) 「ねえロバート、これとっても美味しそう。いいわね、食べられるって」
「君たち、やっぱり物が食べられないのかい?」
「食べても味はあまり判らないの」 キャスリーンは言った。熱心にサイモンの手付きを見ている。「何だか、遠くで思い出してるような感じ。こんな愉しみも有ったかしら、って」
「ロバート、お前独り言が多いぜ」 サイモンが顔をしかめた。「俳優志望はいいけどさ。真に迫ってて怖いぜ、たまによ」
お客は食堂に移動し始めたという。厨房に駆け込んできたドンが指示を始めた。「下の娘さんは腹ペコだそうだ。急げ、ロバート」
トレイを渡され、一階の食堂と地下の厨房を往復する。最初に食前酒、次にスターター。今日は食堂は蝋燭でライトアップされている。
「ご主人さんが、中世ウェールズのエッセイストなんだとよ。だから、今日はそれっぽい料理だ」
テーブルクロスは、孔雀の羽の模様に取り替えられている。皿は全て青一色で統一し、まずはふんわりと仕立てたフォアグラのディップに、洋梨と胡桃のサラダ。マスのフライと鹿の頭の型に入れて抜いたロースト・ポテト。グリル・ド・ラムのグレイビーがけはその場で肉を切ってサービスする。山羊のチーズに極薄にスライスされたウェールズ地方のハム、雉の羽で大皿を彩った家鴨肉の燻製。牛ホホ肉とセップ茸のコンフィは、限界まで蝋燭で温めた赤ワインソースを絡めて食卓へ。
「何だか中世の料理みたい」 娘は感心している。鹿肉のクリームパイはこまごまとした細工が散っており、主人は絶賛ものだった。「こりゃ凄い! パンもすぐ切ってサービスするのか。まるで饗宴だ!」
見てるだけで拷問だ、ロバートは半分目を閉じて給仕していた。アマベルめ、そのつもりでこんなライティングにしたんだな。ロマンチックな光で生唾を飲む姿は目立たない。
デザートにチューリップの花びらで彩ったショコラのパウンドケーキと、飴細工の籠に閉じ込めたオレンジとレモングラスのグラニテ(食後のシャーベット)をサービスする。「綺麗! 綺麗!」 女性たちは大はしゃぎだった。「崩すのが勿体無いわ! こんな形でもてなされたの初めて!」
「私の仕事に合わせて料理を施してくれるだなんてね」 主人は席を立つときこう言った。皆微笑んでいる。「流石は一流だ。ありがとう」
二時間ほどかかって、給仕を済ませたロバートは、床に座り込むような思いだった。一ミリのミスも許されない、重労働だ。厨房でドンたちが空ナベにスプーンを突っ込みながら待っている。「どうだった? 評判は」
「最高だよ」 ロバートは答えた。本当はもっと景気良く言ってやりたかったのだが、疲れて声が出なかったのだ。「一流だってさ、サイモン」
「そうか」 サイモンはちょっと笑った。朝の売れ残りのパンをスープに浸している。「メシ食えよ。頑張った褒美に二人だけチキン・パイだ」
食後はサイモンが喫煙室の番人をすることになっている。ダイニングのピアノには、あらかじめ「故障中」 の紙切れが張ってある(キャスリーンに頼んで、これだけはと事前に貼らせて貰ったのだ)。食堂の暖炉の薪はしっかり霧吹きで湿らせておいたし、まさか絵画にぞんざいな扱いをする客は居まい。よし、大丈夫――
「ねえ、ロバート」 厨房で立ったままパイを食べながら、アマベルが言った。「何か隠してない?」
ロバートは黙ってスプーンを動かしていた。疲れていて幸いだ。あまり表情に変化が現れない。「何が? つまみ食いなんて、してないけど」
「違うわよ」 アマベルが笑った。「まあいいわ。もう今日は休みなさいよ。お疲れね」
食べ終わった皿を流しに持って行く。皿に残ったパイ屑を摘みながら、アマベルは続けた。
「有名校の人間って、最低と思ってたけど、あんたは違うのね。みんなあんたが好きよ」
ロバートは顔を上げた。
いつの間にか、キャスリーンがテーブルに腰掛けている。チムニーはロバートの皿に手を伸ばしており、ロバートが見ると二人とも唇をほころばせた。
「ここで働けたらいいわね。みんなそう思ってるわ。お休み、ロバート」
そう言い置いて行ってしまう。ロバートは思わずスプーンを取り落としてしまった。
(ああ――)
そうだった。それは、充分に判っていたつもりだったけど…
でもこんなことになるなんて?
何をやってるんだ、僕は。
23
その晩、ロバートは再び隠れて電話をかけた。相手はブレットだ。ここ暫く、メールもまともにチェックしていなくて(もはやそれどころでは、なかったのだ) 何件か連絡が溜まっている。
「どうだロバート、生きてるか?」
「お陰様」 ロバートは答えた。電話の向こうに、少し懐かしいような空気が流れている。都会の喧騒に、クラブらしい派手な音楽。「上手くブッ潰せてるか?」
ロバートは黙った。ブレットは返事を待っている。「――いや」 ロバートは首を振った。「その真逆だよ。至って順調」
今度はブレットが言葉を引っ込める番だった。
フィーロヴィッシャー男爵は、普段から留守がちだ。今日ようやく会ったこと、ヘマどころか気に入られていること。スタッフが皆とんでもなく良い人間ということ。かいつまんで話している間じゅう、ブレットは黙って聞いていた。相づちすら打たず、じっと耳を傾けている。
「――それで困っちまった」 話し終えてから、ロバートは胸の中の息を吐き出した。「俺はどうすりゃいい。ブレット」
電話の向こうから、相手の息遣いが聞こえて来る。こんな時、エールでも傾けたいのだが生憎こちらには無いのだ。ブレットはぷっと吹き出した。「お前らしいや」
「……」
「でもそれでいいのか?」 ブレットは続けた。「お前の親父の思う壺だぞ? この件を蹴飛ばさなきゃ、お前はたぶん――一生、良いとこ使いのレッテルは剥がされないだろうな。卑怯者の親父の、ピンチヒッターを最上の形で勤めることになっちまう。それでいいのか?」
良くはないよ、と思った。でも、それじゃあ、アマベルたちを裏切れるのか?
ここで働けたらいいわね、みんなそう思ってるわ、そう言ってくれた仲間たちを裏切って。
それはどちらも出来ない相談だ、と思った。死ぬほど毛嫌いする敵(かたき)に食い物にされるのは真っ平だ。けれども、そのために、大切な仲間たちを悲しませるのももっとごめんだ。どっちも選べないなら、どうすればいい?
「良いよ」 ロバートは言った。「多分――みんな、薄々気付き始めてる。俺が、本物のイートン出じゃないってことを。アーロン・スタンリーじゃないってことを。なら、やるだけやってみて、俺と同じ事をあいつが出来るか見てみりゃいいんじゃないか?」
「………」
「〝暴力は実際に暴力のもとに返るのだ(※コナン・ドイル『まだらの紐』より)。陰謀家は、他人を落とそうと掘った穴に自らが落ちるのだ〟 なら、俺はイチ抜けたよ。俺は俺だ。誰に後ろ指さされることになっても――そりゃ、気分も悪いよ。勝手に負け犬や便利屋扱いされるのはごめんだし、胸糞悪い。でも、それで頷けるんなら、俺はそうする。そっちの方が――まだ我慢出来るよ」
そう、ロバートはポケットに手を突っ込んだ。そうだった。昔、この腕輪をくれた友達もそう言っていたのだ。いいかい、ロバート、誰がなんと言おうったって、あんたはあんただよ。
あのとき、泣いているロバートの手を包み、ハンナは言ったのだ。火傷はピリピリ痛くて、占いの結果は悔しくて泣き喚いているロバートに向かって。
「いいかい、世の中には、色んな言い訳が溢れてる。空気に紛れた見えない塵みたいにね。家が貧乏だから、自分が不細工だから、なに人(じん)だから。あたしたちの中にも、ジプシーだからってことを理由にしてるやつは居る。何かあるごとに、こんな目に遭うのは自分がジプシーだからだろう! って具合にね。でもそうじゃないんだよ。自分を負け犬にしてるのは自分自身なのさ」
覚えておいで。あんたは、これから先何度だってそんな言い訳にぶつかるだろう。あんたに後ろ指さそうとする人間もごまんと出てくるだろう。人間てのは、本当に弱い。自分より蔑める存在がなきゃ怖くて外も歩けないやつらが大半さ。あんたはそんなとき、僕が片親だから、お父さんさえ居ればって思うだろうね。でもそれを本当の理由にしちゃいけない。
「いいかい、ロバート、誰がなんと言おうったって、どう思おうったって、あんたはあんただよ。それだけは、変えられはしない。大切なのは、あんたがそのときどうするかさ。あんたが「自分は自分だ」 って言い切れるかどうかだよ――
そしてロバートの手に売り物のブレスレットを握らせたのだ。あんたの人生は、きっと波乱に満ちたものになる。困った事があったら、これをおし。あたしのまじないさ。手を間違っちゃいけないよ――
「判ったよ」 ブレットが言った。電話の向こうで苦笑しているのが判った。根負けしているのだ。「やってみろ。お前らしいよ、ロバート・スタンリー」
「そうするよ」 ロバートはちょっと笑った。我ながら馬鹿みたいだな、とは思うけれど。また損くじを引かされるのか、そう思うけれど。
「金で買えないものが有る、だろ? ブレット」
「ホントはそんなものこそ金で買いたい、だけどな」 ブレットが笑い返した。
24
翌朝、ロバートは朝一番にロビーへ駆け下りた。昨日は疲れて眠りこけてしまったのだ。ダイニングを覗くと、昨日見たままにピアノに紙が貼られていた。『故障中――触るべからず』
壁の肖像画も、少しも動いていない。食堂の薪はたんまり湿らせておいたからそのままだ。ロバートは胸を撫で下ろした。良かった、無事だった。幽霊たちも大人しくしたままだったのだ。
厨房ではサイモンがもう起き出して料理をしている。今朝は生クリームたっぷりのブレッド&バター・プディング(バターをたっぷりと絡めて食べるパンプディング)に、小エビとアボガドのサンドイッチ。ロバートを見ると「早いな」 と言った。「お前にしちゃ快挙だぜ、ロヴィ?」
「男爵は?」 返事の代わりにロバートは訪ねた。昨日から、どこに行ったのか気になっていたのだ。「まだ居るんだろ? どこに?」
「丁度良い。お前が朝食を持ってけ」 サイモンはトレイを顎でしゃくった。「ダイニングの並びだよ。狩猟具置きの部屋の奥」
なんだって? ロバートは目を丸くした。この屋敷にまだ部屋が有ったのか?
「小さな部屋がな。ベッドと、机と書棚だけのさ。あの人の隠れ家だよ。まだ寝てるだろうが、行きゃすぐに判る」
トレイを押し付けられ、ロバートは目をしばたいた。朝から参ったことになった。いくら主人でも、寝起きならボロが出ないだろうが――
言われたとおり、狩猟具置きの部屋まで行くと、釣り道具や、鍵付きのケースに収められた年代物の猟銃、ガンロッカーの並ぶ小部屋の奥に、確かにドアが付いているのが見えた。あんな巨漢が入れるのかと思うくらいのスマートな扉だ。
ノックをし、顔を覗かせる。確かに狭い空間に、ベッドと書き物机が置かれており、窓以外は全てが書棚の渦だ。ベッドから巨人のような足が伸び、通路に向かって伸びていた。
こっそりとトレイを机に置き、ロビーに引き返す。屋敷の中にはまだ誰も起きだしていない。幽霊たちすらも、どこにも姿を見せていない。玄関の扉の鍵を開けると、ロバートは外に出た。まだ薄暗い黎明の闇の中にぼんやりと人影が立っている。
「おはよう、ドン――」
言いかけてから、ロバートは声を引っ込めた。全裸の立ち姿。裸足のまま、庭にぼうっと突っ立っている。
「……」
ロバートは、用心深く近寄って行った。あいつだ。最初に見た時に、さんざ脅かされたのだが、今度は驚いてやるもんか。ロバートは相手の後ろに立つと言った。腰に手をあて呼びかけてやる。「おい、お前――」
すると、相手はくるりと振り向いた。肩越しにこちらを向き、顎をしゃくる。相変わらず「前を隠せ!」 と言いたいような格好だが、ロバートは言いかけた口をつぐんだ。何だって?
〝来い〟と、相手はジェスチャーした。喋りもせず、そのまま小走りに走り出す。途中で振り向き、ロバートが付いてくるのを待っているのだ。ロバートは駆け出した。
「おい、待てよ」 走りながらロバートは訊いた。「道化」 は屋敷の裏手に回り、ドンの育てた菜園の横に広がる雑木林へ向かって駆けて行く。刈り込まれたイチイの生垣を越えると、本物の林が広がっており、ロバートは顔をしかめた。「待てよ、何だってんだ!」
すぐ側に小川が流れている。川に向かって柳が垂れており、その横は小さな散歩用の細道だ。「道化」 は、そこに立って何かを眺めていた。
「なあ、一体――」
言おうとして、それが指そうとしているものに気付き、ロバートはぴしゃりと口を閉じた。巨大な柳の影に隠れ、白いワンボックスのような車が見えている。キャンピング・カーのように、窓の内側からカーテンがかけられ、中はしんとしている。
近寄ってみて、ロバートははっとなった。
大きなアンテナが、車の屋根に取り付けられている。
放送局だ。ロバートは立ち止まった。覆面状の車だが、間違いない。BBC――およそそんなものだろう。運転席には人影はなく、中から、微かだがいびきのような声が聞こえて来る気がした。この野郎――
お客が珍しく来たというので、探りに来ていたのだ。ロバートは辺りを見回した。枯れ葉の溜まった雑木林には、アケビの殻らしい朽ちたぐにゃぐにゃした植物が転がっている。辺りを見回して、四つほどそれを拾うと、ロバートはそっと車に近寄った。やっぱり間違いない。テレビ局だ。
窓越しに、アンプや大型カメラが中に積み込まれているのが見える。ロバートは車の後ろに回りこむと、排気管にふたつずつアケビの殻を押し込んでやった。これで時間稼ぎくらいにはなる。もし何か有った時に、飛んで来れないように――
回れ右して、そっと車を後にした。「道化」 はロバートのあとを付いてくる。裸足の足は確かに草木を踏んでいるが、音はしない。朽木が割れる音もしない。
屋敷に戻ってくると、ロバートは訊いた。「なあ、お前――あんたは、何をしてるんだ?」
すると、道化はふふふと唇の形だけで笑った。その顔も、どうにも機械的で気味が悪い。よく見ると、髭から眉まで顔の毛を剃っており、本物の彫像らしくしているのだ。「あんた、どうしてここに居る?」
〝隠しごとがある〟と、道化は唇をゆっくりと動かして言った。〝それを喋らない限り、ここから出られない〟
何だって? ロバートは顔をしかめた。隠しごと? そんなら、喋ってさっさと成仏すりゃいいじゃないか。何も好き好んでこんなところに…
〝お前が探せ〟と、道化は続けた。ひどく嬉しそうな顔だ。〝あいつらも、それで行ってしまう。万々歳だ〟
あいつら? あいつらって、キャシーたちのことか? ロバートは訊ねた。それきり道化は何も言わなくなってしまった。黙って、薄目を開けたまま槍を掲げじっとしている。
「おい、お前!」 ロバートは詰め寄った。「こんな時に彫像の真似かよ? 止めろってば、なあ!」
だが、ロバートは言葉を引っ込めた。玄関のドアが開く音がしたのだ。ドンが長靴をはき、庭仕事姿で歩いて来る。お客が居るのでいつもより早く起き出してきたのだ。
「ロバート?」 と声がした。「お前、何をやってる?」
ロバートは振り向いた。再び前を向くと、道化の姿は消えていた。さっきまで道化が立っていたところに、カカシがぽかんと突っ立っているだけだ。
「話し声がしたと思ったら、演劇の真似か?」 ドンが言った。「お客が居る間は止せ。サイモンが呼んどったぞ」
ロバートは黙りこくった。諦めて、その場を後にする。ざわざわと、木々の葉が風に揺れており、冷たい風が流れてきた。寒気がする。薄気味悪いし、何だか本当に化けて出られたみたいだ。それよりも――
(隠しごとがある。お前が探せ)
あいつ、一体何をどうしろっていうんだ?
25
朝食の用意を済ませると、ロバートは再び、客室とロビーを往復することになった。支度を済ませた客たちの荷物をロビーに降ろしておくのだ。チェックアウトは十一時――お客はのんびりと食堂でブランチを楽しんでいる。
「やれやれ、戦争ね」 ようやく起き出してきたアマベルがあくびしながら言った。「これで送り出せば、そのあとは後片付けよ」
お茶を振舞い、最後のルームサービスへ。キャスリーンが作ってくれたポプリを、パッケージしたクッキーに添えて部屋をあとにする。十時に書斎の脇にあるグランド・ファーザー・クロックが素晴らしい音を立てて鳴り始めた。男爵が油を注し螺子を巻いたのだ。
玄関までお客をお見送りに向かう。荷物を車に積み、ドンが扉の前に立って執事姿で音頭をとる。ドンの後ろにサイモン、その後ろにアマベル、最後に見習い使用人のロバート。「最高でした」 と、主人は言った。「あんなつまらない噂は、嘘だったんだな」
「ここが良い所だから、妬んでるのかも」 と、夫人は頷いている。娘たちは車に乗り込み始終笑顔だ。「また来ます。ありがとう」
車に乗り込み、ユーターンする。モスグリーンの車が尻をこちらに向け、主人が窓から顔を出した。「お世話になりました」
ドンが進み出てぴしりとお辞儀をした。完璧な作法だ。お気を付けて、どうぞ御機嫌よう。アマベルが手を軽く上げ夫人に応えた。「またお越し下さい」
そのとき、視界の隅に白いものが掠めた気がした。
ロバートは呑気に見守っていた。配達屋かと思ったのだ。白いボンネットのワゴン車は、真っ直ぐに屋敷のアプローチを走りこちらに向かってくる。お客がこれから向かう道を反対側から、一直線に――
ロバートは目を疑った。
それは、今朝方、ロバートが見たテレビ局の車だった。使用人に気付かれたと悟り、正面きって乗り付けてきたのだ。芝生に突っ込むようにして車は停車すると、中から薄い黄色のジャケット姿の男が二人と女がひとり乗り出してきた。「おはようございまぁす」 とやけに明るい声で言う。
ロバートはとっさに振り向いた。屋敷の中に、書斎の窓を人影が横切った気がしたのだ。「BBCの者です。今日は皆様こちらにご宿泊でしたか?」
キャスターのひとりが、ICレコーダーを手に運転席の男性に声をかけた。あまりのことに、相手は僅かに戸惑っている。「え――ええ」 と答えた。「昨日からここに」
「先日ファックスをさせて頂いた者です」 と、男が言った。「コッツウォルズの高級ホテルを特集させて頂きたいのですが、ご検討は頂けましたでしょうかね?」
男はやにさがったような物言いをしている。まるで、お客が居る手前では、無碍な扱いは出来ないだろうというような表情だ。女キャスターはボードを手に質問攻めを繰り返している。「おかしな噂があると聞きましたが、そんなことは有りませんでしたか?」
無いわよ、そんなの。夫人は顔をしかめている。顔が僅かに紅潮しており、腹を立てているのだ。「実は私たち、ここを取材させて貰おうとお願いしているんです。何事もないなら、これって良い話ですよね?」
なんて奴らだ。ロバートは耳から血が沸騰するかと思った。イギリスのメディアは、多少不躾なきらいは有るのは判っていたけれど、ここまでとは? 美人のキャスターは、少しも美しいと思えない顔をしている。それは明らかな悪意が、自分では完璧に繕ったと自覚している笑顔の下から、薄く、だがありありと透けている様相――
だが、その時辺りに影が下り、ロバートは背筋を強張らせた。
「フィーロヴィッシャーさん!」
女のアナウンサーが叫んだ。ロバートは振り向こうとした。真後ろに、主が立っている。杖を手に、玄関に出てきたのだ。巨大な体がますます大きく見える。まるで胸全体が大きく反り返るように――
「英国放送協会の者です。本日は――」
言おうとした女の声が、霞のように尻すぼみに消えていくのを、ロバートは背中で聞いた気がした。腕が伸び、彼の後ろにある何かをわし掴みする。振り向くと、黄色いジャケットが吊りあがっており――
「ご主人様!」
ドンが叫んだ。男爵が、報道関係者の胸倉を掴み上げたのだ。巨人の体格、ロバートは刹那思った。女キャスターが大袈裟なほどの悲鳴をぶち上げた。
「帰れ」 主は唸った。樋熊のように、獰猛な目をしている。客が唖然としており、ドンが必死に主人の腕にしがみついているのが見えた。振り回されかけている。「帰れ! 薄汚いハイエナどもめ――」
女キャスターの頬にさっと赤みがさした。だが、それよりも一瞬前に黄色いジャケットが宙を飛んだ。ドッシャーン! 音がして車の屋根の上に男が落下する。客が悲鳴を上げ車を急発進させた。
アマベルが座り込んでいた。ほとんどスローモーションになった視界の中で、迂回し損ねた乗用車が放送局の車の横腹に激突する。ガラスが木っ端微塵に散り、サイモンが声を上げ腕で顔を覆った。火が点いたように車が走り出した。
アプローチを、飛び去るようにして客の車が去っていく。雪のように散らばったガラス片の上で、報道陣のひとりが仰向けに転がっているのが見えた。キャスターは叫んでいる。叫び続けている。
「帰れ! 帰れ!」 主は吼え続けている。その顔は蒼白で、まるで凍りついたようだ。ステッキを振り、命からがら車に乗り逃げ出していく報道陣に、なおも叩きつけるようにして叫び続けている。二度と来るんじゃない! ゆるやかに反響する世界の中で、ロバートはそれを聞いていた。二度と! もう来るんじゃない! 二度とぉお――
26
ぼんやりとした視界の中で、ロバートは夢を見ていた。夢の中で、彼は物言えぬ人形のようになっていた。壁際に立ち、ただ黙って目の前の光景を眺めている。声も出せず身動きも出来ない、まるで壁板にでもなってしまったみたいに――
この屋敷のロビーで、誰かが激しく言い争っていた。彼は書斎のある部屋に居る。屋敷の中は面変わりしており、バーカウンターはこの部屋にない。床に絨毯も敷かれておらず、木目の床に椅子とテーブルが並んでいるだけだ。
ロビーに立っている人物が、誰かを平手打ちした。水色のドレスに白いコートを身に付けている。美しい女性だ。窓の外には雪が降っており、女性の鼻の先も目尻も真っ赤だ。震えている――それ以上に泣いているのだ。怒りで目が吊りあがっている。
(絶対に許さないわ) と、女性は言った。(あたくしが出れば全てが明らかになる。そうすれば、あんたはおしまいよ。見ておいで)
誰かが女性の腕を掴もうとする。その手を払いのけ、彼女は叫んでいる。おい、止せ――言おうとしてロバートは気がついた。キャスリーンだ。見慣れた姿よりもずっと美しい。真っ直ぐに彼女はこちらに歩いて来る。決然とした眼差しで。
その後ろから、面差しの僅かに似た、だが貪欲な獣のように残忍な顔をした男が、彼女を睨み据えている――
頭痛がして、ロバートは目を開けた。こめかみの横に、ひんやりした冷たいものが当てられている。唸りながら、ロバートは起き上がろうとした。キャスリーンだ。ロバートの横に座り手を彼のこめかみに当てている。
「目が覚めて、ロバート」 と、彼女は言った。ロバートは夢で見た場所と同じ部屋に横になっている。壁際のソファに寝かされていたのだ。
「可哀相に、ステッキの先が抜けて当たったのよ」 キャスリーンは眉を下げた。「冷やしてないと駄目よ。じっとして」
「なあ」 ロバートは呻いた。「一体何があったんだい」
「失礼なお客は消えたわ」 と、キャスリーンは続けた。「あのブロンドの人が、あなたをここまで運んだの。みんな今は静かよ。傷付いてる」
そうだ、ロバートは目を閉じ思い出した。お客を見送ろうとしていたら、テレビ局が飛び込んできたのだ。何だか眩暈がしていたと思ったら、ステッキの金属がこめかみに当たっていたのか。少しも、目に火花が散ったりしなかったのに。
「具合はどうだね」 と、ライオネルが顔を出した。サイモンの開けたらしいボトルを手にしている。「まったく、酷い災難だ。なんという無礼な客だ」
ロバートは起き上がった。まだ足元がクラクラする。我慢して堪えると、ロバートは部屋を見回した。書斎兼バーの中は空っぽだ。電気が消え、しんとしている。
「夢を見たんだ」 と、ロバートは言った。
説明をすると、幽霊たちは、黙って真剣そうに聞いていた。「覚えていないわ。あたくし、そんなことが有ったのかも」 と言う。
「それはおよそ手がかりに違いない」 ライオネルが興味深げに頷いた。「しかし、道化よ。我々がここに居る理由を知っているのならどうして教えてくれないのだ?」
「あの爺さん、変わり者だから」 とチムニーが言った。「ロバート、それで道化の言うように探してくれるの?」
「仕方ないだろ」 ロバートは目蓋を押さえた。まだ目の奥がチカチカする。「邪魔にするわけじゃないけど、君たちだって困るだろ。ずっとここに居っぱなしで、あんなお客に逆鱗に触れられちゃあ」
大いにそうだ。ライオネルが頷いた。一番手っ取り早いのは、みんなで「道化」 を捕まえてやることなのだが――そうはいくまい。
「とにかく、何でもいいからヒントをくれよ」 ロバートは頭を振った。「それが無きゃお手上げだ。流石にこっちも」
「ロバート」
電気が点いたので、ロバートは顔を上げた。アマベルが入り口の所に立っている。「起きたのね。主は帰ったわ。さっきテレビ局から謝罪に来てた」
今更侘びられたってどうしようもないよ、ロバートは吐き捨てた。アマベルの後ろにドンが立っている。
「やれやれ、また災難だ」 と、ドンが頭を撫でた。サイモンは酔っ払って眠っているらしい。紙切れを手にしているのは、おおよそ、またしぶとくテレビ局から謝罪と取材の申し入れだろう。「お前に悪いことをしたな」
「何でだよ…」
「イートンの人間には、こんな所そぐわないかもしれんなあ」 と、ドンが呟いた。寂しげな声だ。「あんな思いをするのは、お前ももう沢山だろ」
「誰だってだろ」 ロバートは呻いた。何を弱音を吐いてんだ。
噂が立ってから、こんな所で、半年以上も働き続けてきたのは、皆なんでなんだよ?
「生憎だったね」 ロバートはちゃっちゃっと手を振った。これ以上頭痛の種を増やさないでくれ。「もっと酷い扱いに慣れてるんだ」
アマベルが目をぱちぱちしている。ロンドン一危険な生活保護地域育ちの打たれ強さは半端じゃないんだぜ。
「序の口だよ」 と、ロバートは手で頬を叩くと立ち上がった。
27
「今回は支払いがあるのが幸いだな」 と、サイモンが切り出した。よほど飲んだ上に泣いたのか、目の周りが赤くなっている。「七名で宿泊料はざっと三千五百ポンド」
「凄い額だね」 とロバートは笑った。一日でそれだけ稼げれば充分じゃないのか?
書斎の机を借りて、全員でのミーティングだ。皆は気付いていないが、幽霊たちも参加しており、しめて七名の使用人会議。「今後をどうするかだな」
「見事にブチ壊してくれたからな!」 ドンが歯噛みして唸った。「亡霊じゃない、今度は生きた人間の方が怖いという噂が立つんだから、最悪だ」
「おまけにその人物がウチの主じゃね…」
「テレビ局はまだしつこくこんなものを送って来てる」 サイモンがテーブルの上に紙束を放り出した。謝罪と、懇願のファックスの束だ。「どうあってもウチを悪者にしたいらしいぜ。いっそ、呼びつけてたこ殴りにでもしちまうってのは…」
ロバートはテーブルの上の紙束を取りあげた。BBCだけじゃない、あらゆる放送局から依頼が来ている。ITV、ヴァージン(ウェールズのみの専用放送)・メディアからさえもだ。
「……なあ、いっそ引き受けてみるのはどう?」
途端に、その場に居る全員が(生きている人間だけではない、お化けすらもだ) 一斉にロバートを見た。ロバートはうっかりひるみそうになった。何も睨まなくても!
「馬鹿言うな!」 サイモンが怒鳴った。「そんなことすりゃどうなるか――」
「違うよ」 ロバートは首を振った。「逆だ。こうまでしつこいなら、いっそのこと、引き受けてみたらどうだろ? 向こうさんは、天からウチに〝悪霊が出る〟って決め付けてスッパ抜きたがってる。なら、一度引き受けてみて、「何にも出ませんでした」 ってことになったら?」
皆が一緒に黙りこくった。
「逆に広告にならないかな。馬鹿を見るのは向こうだ。ここまで頼み込んで、取材したなら放送しないわけがない。何事も無かったなら、肩透かし。ここは呪われてなんていない、素晴らしい所だって大っぴらに公言することにならないかな」
「……もし何か有ったら?」
アマベルが、遠慮がちに呟いた。サイモンも、ドンも同じ顔をしている。やっぱり、みんな「呪われていない」 なんて言っておきながらも、少しは不安だったのだ。ロバートは肩をそびやかして笑った。
「有りっこないよ」 と、言い切った。断言することが出来た。「絶対無い。隠してるから、皆怪しいって突きたがるのさ。ふところを見せてやったら」
「いい案だ」 と、ライオネルが手を打った。「ならいっそお望み通りのおどろおどろしい歓迎にしてやったらどうです?」
「面白そう!」 とキャスリーンがはしゃいだ。「ちょっと怖くて、でも愉快なパーティーにしたらどう? 五月祭はもうじきよ、それにかけて、変わったもてなしにしたら?」
ちぇ、みんな好きなように言ってくれるな。ロバートは眺めながら苦笑していた。ドンが、サイモンが懸命に悩んでいる。アマベルもじっとテーブルを見詰めて考えており、ロバートは言った。「ご希望通りの、ちょっと怖くて、愉快なものにしたら?」
「……」
「優雅で明るい五月祭じゃない、エスプリの効いた五月祭だよ。ドルイド僧の特大ウィッカーマン(人間の形をした籠)を作って、中に菓子を詰めてさ。庭にかがり火を焚いて演出する。〝ヴァルプルギスの夜〟五月祭前夜の魔女のサバト(集会のこと)さ。ハロウィンみたいなちょっと怖くて愉快な感じで」
ライオネルの言葉をそのまま伝える。「メイポールで飾りつけはどう!」 キャスリーンが微笑んだ。「シラカバには明るい色じゃない、少しシックな黒や紫のリボンに白や金糸を取り付けるの。編み上げて模様を描いて門を作って!」
「――やろう」 と、意を決したようにドンが言った。顔を上げ、奥歯を噛んでいる。「やってみよう、受けて立とうじゃないか!」
「下手すりゃクビ決定だぜ」 サイモンが首の後ろを掻きながら笑った。「――料理は任せとけ。ちょっと不気味な、でも可愛げのある食事にすりゃいいんだな?」
「メイド服作り変えなきゃ」 アマベルが顔を上げた。「黒いレースのヘアバンドを作るわ。ロバート、あんたは屋敷の飾りつけよ」
アマベルがロバートの手を握った。ロバートはきょとんとしていた。ドンが、サイモンがその上に手を重ねる。「こんだけ居るんだ、何とかなる」
「よし」 ドンが眼鏡をポケットから取り出した。執事のスイッチを入れたのだ。ファックスを取り上げ、言った。「承諾の電話は私がする。メリー・モナーク館、一世一代の大勝負だ!」
28
翌日の正午、先方から返答はふたつ返事で来た。すぐに取材承諾の感謝のファックスが届き始める。ITVplc(パブリックリミテッドカンパニー) イギリス最大の民間放送だ。ロゴマーク入りのファックスを手にドンが指示を始めた。「取材は六日後、望みどおりの五月祭前日だ」
ロビーで整列し、ドンの音読するファックスに耳を傾ける。「時刻は幸いなことに向こうから指定してきた。夜の八時だ」
「いいんじゃない」 ロバートはにやりとした。「いかにもな時間だよ」
「考えたんだが、屋敷の外でやるのはどうだ。表のテーブルを片付け、庭に食堂のテーブルを持ち出す。屋敷の中は思い切り明るくライトアップする。これでどうだ」
「お客が来ると同時に一斉にライトアップするのもいいんじゃない?」 アマベルが訊いた。「サプライズ・パーティーらしく」
植木職人に頼んだ、シラカバとモミの特大鉢を屋敷の前に設置する。アマベルが手芸店で買い漁ってきたリボンを手に、キャスリーンはにこにこした。「任せて。こういうのは大得意なの」
木の頂点にリボンの先をまとめて巻きつけ、とりどりのリボンを交差させるようにして木に巻いていく。本来はただのポールなのだが、この際凝ったもの勝ちだ。お化けってつくづく便利だな、眺めながらロバートは思った。高い枝もひとっ飛び、見事なもんだ。
サイモンが朝方打ち込んだポールに同じくリボンをくくり付け、交差させて、端をタープのポールを立てる要領で地面に杭打ちしてしまう。同じものをふたつ作り、ポールとポールの間を花で飾れば門の完成だ。「つくづく凄いのね」 様子を見に来たアマベルが感心した。「完璧じゃない。仕事は速いし的確。まるでお化けに手伝ってもらったみたい」
そうだろうよ――独りごちてロバートは屋敷に走った。サイモンがドンと一緒に金属で出来たキャンドル用のツリーを運んでいる。パーティー用に、仕舞い込んであったものらしい。「これに火を灯す。お前、ロビーの飾りつけは出来るか?」
「ミスター・イートンに任せとけよ」 サイモンが笑った。「納屋にあるものは何でも使っていいぜ。後は頼んだ」
飾れと言ったって…ロビーの真ん中で、ロバートは呆けてしまった。こんな広い空間、どうやって飾りつけすりゃいいんだ? ロビーには四つキャンドル用のツリーが並んでおり、あとは文字通りがらんどう。
この貧乏屋敷の納屋に何が有るって言うんだ――
床を睨んでいたロバートは、ぱっと閃いた。そう、納屋には確か特大のチェスの駒が保管してあった。ロビーの床は白と灰色の交差の大理石になっているし、アレを持ち出して来たらいいんじゃないか?
裏に走り、早速納屋からチェスの駒を持ち出す。ひとつひとつはそこそこだが、集まるとかなりの重労働になるもので、一時間もしないうちにロバートはへたってしまった。座り込んでいるロバートを見てサイモンが不平を鳴らす。
「何やってるんだ、使用人」
なら手伝えよ! 言ってやりたいのを堪え、黙って納屋とロビーを往復する。すっかり駒を出してしまうと、ロバートは今度は屋敷の右手にある東屋に走った。
ライオネルは、今日は東屋の屋根に座ってスケッチしている。「やあ大変ですな」 と、他人事のようにのんびりと言った。「夜になれば手伝いましょう。今は人目が多すぎる」
「ねえ何をするの? ロヴィ」
キャスリーン、ロバートは東屋の隣の物置を指して言った。「前に言ってたろう? あそこで、チェスをする老人の絵画を見つけたって。それ、どこに有るんだい」
「あのへんてこな機械の上よ」 キャスリーンは物置を覗きこみ指さした。中には、どういうわけか農作業用のトラクターが置かれている。「あの平らな箱の中。ねえロバート、あれは紡績機?」
トラクターだよ、ロバートは機械の上によじ登った。悪戦苦闘して箱を引っ張り出す。箱は予想以上に重く、埃っており、ようやく表に出した頃には日が傾いていた。「やや、それは何です?」
「絵画だってよ」 ロバートは大汗を拭った。中には確かに大枠の油絵が一枚入っている。少し長細く、結構な大きさだ。四人の老人がチェス盤を覗き込み対戦する姿が描かれている。
「ほう」 ライオネルがにこにこした。「これはいい。しかも良い試合だ。難しい」
屋敷に持ち帰ると、アマベルがサイモンと例の駒で遊んでいた。腹の立つ事に、仕事がらみの話をしながら興じているので責められない。「メイド服は、少しだけ魔女っぽくしたの。スカート丈を伸ばして、黒いレースを付けて」
「いいねえ」 サイモンはにやにやしている。「料理はこんなのはどうだ。特大の三弾重ねチョコレート・ファッジ・プディングに、生クリームをかけ、その上からブラックチェリーのソースをたんまりとかける。血みたいだろ」
「なら、特大オムレツにケチャップをかけてソーセージを五本指したら」 ロバートは唸った。「地面から出てくるゾンビの手みたいだ。持ち帰り用の菓子は焼かないのかよ?」
「ロバート」 金槌を手にドンが顔を出した。「人手が足らん。ウィッカーマンを作るのを手伝え」
二人はニヤニヤしている。ああ、クソ――絵画を壁に立てかけ、庭に走り出た所でちらりと人影が目に入った。
ロバートは振り向いた。テレビ局かと思ったのだ。だが、相手は緑色の肌をしており、一目見て道化だと悟った。みんなが騒いでいるのを知り、屋敷の中を覗いているのだ。
「おい」 ロバートは呼びかけた。「ヘンなことするなよ? 聞いてるのか、なあ」
すると、道化は顔を上げこちらを見た。その顔が、僅かに緊張している。「何してるんだ。お前も手伝うかい?」
だが、その時キャスリーンがキャッと悲鳴を上げ、道化は走り出してしまった。「もう!」 キャスリーンが頬を膨らませている。「いくらなんでも昼間は駄目だわ! 彼に服を着るように言って頂戴――」
「ロバート! 何しとるんだ!」
ドンが怒鳴ったので、ロバートは走り出した。ドンが釘を口に加え金槌を振り上げている。ごめんよドン――駆け寄って木材を切るのを手伝いながら、ロバートは屋敷を振り向いた。
道化は居ない。屋敷のロビーから、サイモンとアマベルのはしゃぎ声が聞こえて来るだけだ。
あいつ、一体どうしたんだろう?
29
大掛かりなパーティーの準備は、それなりに人手と時間を食うものだ。それから四日間、ロバートは走り回ることになった。サイモンは料理の準備に試行錯誤だ。アマベルは電話を手に花火を発注している。
「大屋根を越える高さの花火が欲しいんです」 と言った。「費用? 費用はテレビ局が持つわ。何とかならない?」
屋敷の二階の脇腹に、ネオンサインのように束ねた電飾を取り付ける。ライオネルにペンチと針金を持たせ、こき使ったのだ。「もうちょっと右だよ」 チムニーが指をさしている。「へたくそ。それじゃWじゃなくてMみたいじゃないか」
「〝メリー・モナーク館にようこそ〟これ、誰がスイッチを点けるの?」
様子見にやって来たアマベルは首を傾げている。「内緒」 ロバートは舌を出してやった。「メイドはシェフを手伝ってな」
ウィッカーマンは、およそ完成だ。巨大な木で作った人間の形の籠の中に、つめものをして、いよいよ立たせる。「なかなか不気味だ」 額の汗を拭き拭きドンは笑った。「まさにドルイドの祭具のようだ」
本来は、人身御供を入れて丸焼きにするものだ。が、その代わりに今回は半焼けの焼き菓子を押し込んだ。木の肌には所々発火剤が塗ってある。火を付けたら燃え上がり、中身が焼きあがって、ついでにサイモンの仕込んだチョコレートの甘い匂いがするという方式。
外に運び出したテーブルには真っ白のクロス。屋敷に斜めに向かうようにして置かれており、当日はここに所狭しと料理が並ぶ。剥製のアヒルの担ぐ皿に、恨めしく乗せられたスモークダックとハーブのサラダ。目の付いたトマトのお化けファルシ(野菜をくり貫き、詰め物をし蓋して焼いたもの)。蓮状に並べられた殻つきムール貝のカレーソース煮。ロバート考案のゾンビオムレツ、サーモンとホタテのクラッカー。
マカロンで作った魔女の看板の周りには、特大のチョコレート・ファッジ・プディングやゼリーに包んだ(目玉みたいだ) ブラックチェリーの沈むシャンパンが並ぶ。甘いクリームチーズを折り曲げたラングドシャで包んだプレゼント包み。砂糖で作ったゴブリンの行列。フェルトのチョッキのポケットをめい一杯トフィで膨らませた、氷のジャック・フロスト(霜の妖怪。人間を凍死させる)人形。
「立食パーティー風にしたんだ」 と、サイモンは言っていた。「テレビ局もリポートしやすいだろ」
その晩、屋敷の表に出るとロバートは言った。「いいかい。君たちにしてもらう仕事がある。どれも簡単だけど、よく聞けよ」
まず、明日お客が来たら、職人が花火を打ち上げる。ロバートは屋敷の裏手を指さした。「そしたら、それを合図にキャスリーンはこのコンセントをここに差し込む。するとアレが光り始める」
屋敷の脇腹のメッセージを示してみせた。〝ようこそ〟のメッセージだ。キャスリーンは目をぱちぱちした。「判ったわ」
「ライオネルは屋敷のブレーカーを入れてくれ」 ロバートは言った。「バーを上に上げるだけだよ。これで、全室に灯りが点く」
チムニーはコレだ。ロバートは屋敷の一番手前に置かれているライトアップ用のマシンを足で指した。「ここを足で踏んで、スイッチを入れると、中の四色の灯篭が回って屋敷の壁にマスコットの模様が映るんだ。赤ピンクの魔女、青いお化け、ライムブルーのフランケンシュタイン、黄色のコウモリ」
せえのでやるんだ。ロバートは念押しした。「頼むよ、サプライズ・パーティーって、どうやったかが判らないから楽しいんだ。ネックになるから、宜しくな」
ロビーにはドンがうろうろしている。ロバートが帰って来ると、勝手にロビーのチェスの駒を動かしていた。相手もいないのに、駒が対戦中の配置になっている。「何してるの? ドン」
「いやな」 ドンが顎をしゃくった。「アマベルが、どうせならこの絵に合わせて駒を並べてみたらと言うんだ。なかなかの名局だし、それはいいと思ってな」
確かに鋭い一戦だ。ロバートは壁の絵を見た。チェスの駒は、白が屋敷の内に向かって、黒が屋敷の外に向かって並んでいる。今にも次の一手が動きそうだ。チェック・メイト!
「そろそろ寝ろ」 ドンが言った。「明日は朝から大車輪だぞ。テレビ局は少し前に来るだろうから、養生しておけ」
判ったよ、ロバートは階段を駆け上がった。ロビーの電気がもう消えている。アマベルが、珍しくいびきをかいているのが聞こえてきた。徹夜で服を仕上げてクタクタなのだ。
ベッドに入るとき、ロバートはもう一度窓の外を見た。幽霊たちはまだ外で遊んでいる。ライオネルがスケッチブックを開いており、チムニーと走り回るキャシーをスケッチしているのだ。動くな! 無茶な事を言っている。「ちっとも絵にならん!」
三人の脇に、道化が佇んでいる。槍を手に立っており、ロバートはそれを眺めていた。彼だけは屋敷の中をじっと見詰めている――
ロバートの視線に気付き、道化は目を上げた。彼はまだ物言いたそうな顔をしている。あの時と同じ、僅かに緊張した顔をしており、口を動かすと何かを喋った。
(近いぞ、近いぞ、近いぞ)
ロバートは顔をしかめた。また何かやってら。何が言いたいんだ――
だが、ロバートは横になってしまった。すっかり忘れていたが、明日がロバートの最後の仕事の日なのだ。二週間、アーロン・スタンリーとしてここで様子を見る。それが終わったら、今度ここに帰って来るのは他でも無いアーロンだ。
ポケットをまさぐり、ブレスレットを出した。糸の切れかけたブレスレットを振ってみる。ここで働けたらいいわね、アマベルの声が蘇った。みんなあんたが好きよ。
本当だよ、と思った。そうだったらどんなに良いだろうな。
後悔しないよな、ブレスレットをしまうと、自分の胸にもう一度そっと尋ねてみた。
30
当日――
ロバートは、衣装合わせにアマベルの部屋に立っていた。ドンは一張羅の背広に銀縁眼鏡、サイモンは黒の使用人服だ。ロバートは群青の使用人服になっている。
「正式な場では色が分けられてるのよ」 と、アマベルが手帳を見ながら言った。アマベルは黒の少し派手めのメイド服だ。新品の箒を持っており、腕にはお菓子や飴入りの籠を下げている。「いい、お客が来たら全員で挨拶よ。練習どおり」
時刻は午後七時をとうに回っている。あと三十分もすれば、並べたかがり火のスタンドに火を焚き始める時間だ。「大丈夫なの」 アマベルがそっと顔をのぞきこんできた。「本当に出来るの? 一人でなんて」
一人で、というのは、ライトアップのことだ。ロバートは閉じていた目を片方だけ開けて笑ってみせた。まあ、任せといてよ。
男爵には、今朝方連絡した。案の定、絶句するほどの驚きようだったが、事情を話してどうにか納得してくれたようだ。怒鳴られるのを覚悟で電話したドンが、受話器を置きながら、胸を抑えて深呼吸しているのを見た。「寿命が縮まる。もう二度とゴミ箱漁りはごめんだよ――」
サイモンがかがり火を焚きに出て行った。ドンとアマベルは料理を運んでいる。二階の踊り場に立ち、ロバートは階段の手摺りに手を這わせた。これで最後だな。
いよいよだ。ロバートは目を閉じた。成功しようが、万一失敗しようが、これで最後。その時は、自分が言い出したんだと責任を負えばいい。父への仕返しのためじゃない、そうすればアマベルたちは無事だし、ドンも職を失わずに済む。
ロビーには、小さな兵隊のようにチェスの駒が並んでいる。こうすると、本当に戦か何かをしているみたいだ。壮絶な一戦。紙一重の戦局で勝敗を決めるのは、集中力とあとは純粋な運だ――白か、黒か。
そのとき、ロバートは妙なものに目を留めた。
チェスの駒だ。随分前に、納屋で見たとき気付いたのだが、全ての駒の背にアルファベットが彫られている。案の定通し番号らしく、それぞれの駒とは関係の無い文字だ。ナイトにI、ポーンにK、ビショップにG。
だが、それを眺めているうちに、あることに気付きロバートは手摺りから身を乗り出した。
こちらに背を向けている、黒の駒の背中が、ひと続きの単語のように見えたのだ。まばらだが、位置の高い順から左から右へ読む事が出来る。N――I、C、K(警察(※ただし造語))
なんだって? ロバートは目をしばたいた。白い駒は生憎とすべてこちらを向いている。ロバートは手摺りを放れると階段を駆け下りた。ロビーに立ち片っ端から駒を逆向きにする。
全ての駒を、屋敷の外に向くようにしてしまう。もう一度階段を駆け上がり、さっきと同じ位置に立ってロバートは見た。やっぱりだ、これは――ひとつのメッセージだ。
O N K I N G S B A C K
何だって? ロバートは目を疑った。『王の背中に』
「ロバート!」 階段の下からアマベルが呼びかけた。「手伝って! 料理がまだ半分以上中なの。お願い!」
どやされたように、ロバートは我に返った。急いで階段を駆け下りる。走って外に出ると、暗がりの中に、サイモンが慌てているのが見えた。「急げ! ロバート、シャンパンを持って来い!」
頭から無理やりさっきのことを押し出すと、ロバートは厨房に走った。柱時計が鳴っている。七時半だ、もうあと三十分しかない!
外はかがり火以外漆黒になっている。トレイを持ったドンとすれ違い、ロバートはしゃにむに働き始めた。
午後七時五十分――
大急ぎで料理を整え、コードやウィッカーマンの着火用の導火線を確認して、ロバートは庭先に立っていた。庭の裏に職人たちは約束通り待機している。花火をあつらえたとき頼んだピンチヒッターで、来客の到着を待っているのだ。暗闇にドンの懐中時計の針が鳴っている。
「本当に――来るのかしら」 と、アマベルが囁いた。震えている。四月と言っても、夜の闇は冷たく、緊張とあいまって凍えているのだ。唇の端を震わせながら「からかいだったらどうしよう――」
「来るさ」 サイモンが肩を叩いた。「客が来てみろ、すぐに暖かくなる。何せこっちは気遣いの連続だからな」
「ロバート」 ドンが言った。「まだ時間がある。念のためブレーカーをチェックして来い」
言われてロバートは屋敷に駆け戻った。こうしているうちに、少し早めに客が来たらと思うと冷や汗ものだ。ブレーカーは、厨房のある地下にあり、話通りならライオネルが待機している。キャスリーンは、屋敷のメッセージのある壁の下に、チムニーは玄関の扉の脇にいるはずだ。
ブレーカーを確認し、全速力で戻ってくる。食堂の前を通り過ぎようとしたロバートは、見慣れた背中に気付き息を飲んだ。
ライオネルたちだ。皆、一同に揃って食堂に集まっている。
食堂は、今はがらんどうだ。テーブルを全て外に運び出し、空っぽの空間が残されている。壁に唯一、置き去りにされたように、肖像画が――この屋敷の最初の持ち主だった、国王の肖像が飾られており、ロバートは呼びかけた。「何してるんだ!」
ライオネルは、じっと立ったままだ。薄暗がりの中で、肖像を見上げている。見守っていると、ふわりと飛び上がり、突然肖像画に掴みかかった。額に手をかけ絵をもぎ離そうとする。
「おい!」
電気を点けてやりたいのだが、生憎とブレーカーを下げているため真っ暗だ。ガタガタ、ガタガタ、しんとした部屋に音が響き、キャスリーンも続いて飛び上がった。何やってるんだ! こんなときに、まるでみんな急に取り憑かれでもしたみたいに――
ゴリ、音がして壁が鳴った。ロバートは目を見開いた。ライオネルが、壁に足を付き絵を剥がそうとしている。いや――そうではなく、何かを開けようとしているのだ。まるで、がっちりとはめ込まれた頑丈な扉を開けようとしているみたいに。
「手伝って!」
ロバートは食堂に飛び込んだ。わけがわからないまま、窓枠に足を引っかけ、一緒に絵画を引っ張ってやる。すぐに、ロバートは、それが壁に掛けられているのでもなければ、飾られているのでもない、絵画を模したイミテーションなのだと知った。壁に栓でも押し込んだみたいに蓋がされている。
ぼかんと音がして、やがて絵画は壁から外れた。絵画のあった壁のところに、四角い穴が出来ている。まるで、金庫でも隠してあったみたいに。
(王の背中) ロバートははっとした。
ライオネルが、中に手を突っ込みまさぐった。キャスリーンが手で口を覆い震えている。いつの間にか、道化が窓の外に立っており、ロバートは我に返った。時間がない!
ライオネルの手が何かを引っ張り出した。それは、四角いくすんだ金属製の箱だ。開けると手紙のようなものが入っており、ロバートは目を剥いた。「何だい? それ」
「ああ――」 途端に、ライオネルが感嘆したような声を上げた。長く、長く、それは長らく戦ってきたものとようやく決着がついたような溜息だ。「ああ、これは――これは私の訴状だ」
ロバートはぎょっとした。キャスリーンが頭を穴に突っ込む。「あたくしの楽譜!」 と叫んだ。
ライオネルは紙切れを広げた。長年の埃にくすみ、封蝋がぽろぽろと崩れ落ちる。「思い出した、私は、これを取り上げられたんだった」
あの日、新しい芸術を生み出したと確信した私は、依頼主の雑言に我慢ならなかったんだ、とライオネルは目を細めた。「依頼主はここの二番目の主だ。私は彼から受け取った金を全て返すと言った。そしてあの絵を取り戻し、一からやり直すつもりだった。だが師はそれを許さなかった」
言い争いになった挙句、アトリエを飛び出した私は、画壇で酷評を浴びせられたことを知った。それで師に訴状を突きつけようとした。だが評判と人脈が仕事の全てを左右する時代。訴状は師だけでなく依頼主をも貶めることになる。償いをするとここに呼ばれた私は、罠とも知らず、殺された挙句、訴状を奪われてしまった――
「あたくし音楽家だったの」 と、キャスリーンは言った。楽譜を抱き泣いている。「女がピアノなんて、おかしいでしょう。でも才能が有ったのよ。それで自分で曲を作っていた。父は誰よりそれを喜んでくれていたと思ったの。でも違った」
ロバートは思い出した。あの夢を。この屋敷のロビーで怒鳴りあう姿。強引に彼女を引きとめようとした男。あれは父親だったのか。
「父はあたくしが作った曲を、書き換えて、みんな自分が生み出したことにしていたの」 彼女は唇を噛み締めた。「女で始めての音楽家になる、あたくしの夢を知っておきながら。あたくしの傑作を取りあげて、先に王の前で演じたのよ。許せなかった」
こっそり手紙を書いて、全てをお知らせしたわ。王は珍しくあたくしの言葉に耳を貸した。それで、避暑地であるこの屋敷に招いて演奏を許そうとしたの。父は周りに女のヒステリーだと吹き込んだ。でもあたくしは構わなかった」
今に見てらっしゃい。全てが明らかになるわ! 彼女の声を思い出した。
「ここに来て、あの夜演奏をするはずだった」 彼女は目を伏せ微笑んだ。「初めての演奏よ。これで認められれば父のしたことが明らかになる。あたくしは晴れて成功できる。家を持って、生徒に囲まれて、自由に作曲が出来る。でも真実を明るみに出す事を恐れた父に殺されてしまった」
王が辿り着いたときは、あたくしは死んでいた。キャスリーンは首を振った。「あれと同じ場所にあったピアノの天板で頸をへし折られてね。父はあたくしの自筆の譜面を奪ってしまった」
おいら悪戯したんだ、とチムニーは言った。「ここに仕事で呼ばれて、この家の持ち主がそこに隠し物をしてるのを覗いたんだ。それで殴られて酒を掛けられ、暖炉に放り込まれて火を点けられた」
みんな、ロバートは呻いた。そういうことだったのか。だが、その時ふいに記憶が戻ってきてロバートの頭を打った。(お前が探せ、あいつらもそれで居なくなる――)
「頼むよ!」 ロバートは叫んだ。どうしてそうしたかは判らない。だが、気が付くとそう言っていた。「もうじきなんだ。お客がやって来る、頼むからそれまでだけはここに居てくれ!」
書斎の柱時計が鳴り始めた。八時だ。ボーン、ボーン、ボーン、魔法が解ける音だ。ロバートは踵を返すと駆け出した。間に合ってくれ!
外に飛び出すと、アプローチの向こう側から車のヘッドライトが近付いてくるのが見えた。パラボナアンテナに、車窓が全部開いている。ITVだ。約束通りやって来たのだ。
「ロバート!」 アマベルが手招きした。「遅いわ! 手はずどおりよ、お願いね!」
車が停車した。水色のロゴの入ったワンボックスだ。扉を開けると、ばらばらとカメラやマイクを持った男たちが出てきた。レポーターが助手席から顔を出す。
「こんばんは!」 と、相手は微笑んだ。「ITVの者です。本日は、お招き頂きありがとうございます」
その時、辺りがふっと明るくなり、パ――ンと高い音と共に辺りが白い光に染め上げられた。合図の花火だ。一発、二発、連続して四発。
その瞬間、屋敷の食堂に一斉にエメラルドの光が膨れ上がった。
ロバートは振り向いた。屋敷の食堂一杯に、緑の光が溢れ三本の光が一斉に窓から飛び出す。あっと思った瞬間、全員が振り向いた鼻先で、回転灯が閃き屋敷の電気が瞬いた。壁の文字が閃く。『メリー・モナーク館へようこそ!』
ロバートは口を開け一部始終を眺めていた。ドドン、ドン! 花火師の花火が跳ね上がる。最後の灯りが消える瞬間、あっけにとられているドンの横でウィッカーマンがボンと音を立てて燃え上がった。巨大な炎の柱が立ち上がり、甘い香りが膨らむように辺りを包み込む。真昼のような明るさに吸い込まれるようにしてやがて光は消え失せた。
「メリー・モナーク館にようこそ!」
一斉に、ロバートたちは声を張り上げた。ライオネルたちだ。最後に、消えてしまう瞬間に、頼まれた仕掛けをやってのけたのだ。ついでにウィッカーマンにまで火を点けて。
唖然としているキャスターの横で、車が一台停車した。ドアを開けた主が、口を半開きにして空を眺めている。キャスターの横顔に、明らかな驚きと、してやられたという認識の色が広がった。それは子供の悪戯に見事にはめられた大人の浮かべる新鮮な驚き。
「ようこそ!」 アマベルが重ねて言った。「五月祭の前夜をごゆっくりとお楽しみください!」
キャスターが吹き出した。思わず微笑みカメラを振り返る。「ご覧いただけましたか? なんて素敵な歓迎でしょう!」
そして、男爵に歩み寄ると、マイクを差し出して言った。「ここは素晴らしい所ですね!」
カメラマンが笑いながらカメラを回している。ウィッカーマンからサイモンが引き抜いた焼き菓子を受け取り、笑顔で辺りを見回しているのだ。「ここは、本当に素敵な所ですね」
男爵の顔に暖かい笑みが広がった。かがり火の明かりで、ロバートはそれを確かに見た気がした。カメラに向かい、初めて微笑みながら主は言った。
「メリー・モナーク館へ、ようこそ」
31
大成功のあとは次なるステージだ。翌日から、滝のように鳴る電話を手にドンは予約で大忙しだった。放送を前に噂を聞きつけ、お客が早速押しかけ始めたのだ。スケジュールを手にドンはおおわらわになっている。「はい、四名様ですね、五日から三日間ご滞在」
キャスリーンたちは本当に消えてしまっていた。ライオネルも、チムニーも、そして道化もだ。それどころか昨日見た楽譜や銀の箱も消えており、壁に開いた空っぽの穴を見て使用人たちは訝った。「昨日の騒動で勝手に外れたのかな」
正午に、ロバートはやって来た迎えの車に乗り込んだ。心配を通り越してヒヤヒヤしながらやって来た〝父の刺客たち〟 は、ドンやサイモンの反応を見てホッとしている。「こうすると、本物の御曹司みたいだぜ」 と、サイモンは笑った。「上流階級に帰るんだな」
「早く戻って来いよ」 ドンは睨んでいる。「二ヶ月先まで予約が埋まり始めとるんだ」
アマベルが最後まで手を振ってくれた。屋敷の前で、使用人姿で皆が見送っている。ちょっとの間の別れだよ。部屋の鍵を返すときサイモンがそう言った。すぐ帰って来い、使用人――
帰り道、車に揺られながら、ロバートは思った。結局こんなオチになっちゃったな。車内電話で父は早速無愛想になり始めている。まんまと目的を果たせたのだ。アーロンの代わりに、怪しげな屋敷にロバートを向かわせ、何事もなく試用期間をクリアさせたことを。
やれやれ、ロバートは苦笑した。正直者は損をする、それは本当だ。残念だけれど、馬鹿正直に汗を流す人間より、世渡りが上手くて、媚びを売ったりずるい手を使う人間の方が、一見得をするようにこの世の中は出来ている。悲しいけれど、それは事実だ。
けれども、そんなものが手に入れることの出来ない幸せはこの世の中に必ずある。そして、そんな卑怯なものに踊らされて、片時の笑顔と引き換えに自己嫌悪という苦い汁を啜るより、素直に生きて涙を流す方がいい。憎しみは憎しみでなく笑顔で吹き飛ばせる。誰かに反対して生きるより、自分に賛成して生きる方がずっと楽しい。それが唯一の、正直者の打開策なのだから。
(ハンナの言う通りだったよ)
ロンドンに着いたら皆に手紙を書こう。ロバートは窓の外を見た。今度はお客として来るよ。
風が丘陵を流れて行く。今日は本当の五月祭。コッツウォルズの緑は、一斉に空に向かって限界まで背伸びを始めているのだ。
(ありがとう) ロバートは空を仰いだ。(ライオネル、キャシー、チムニー、道化――みんな)
一週間後、テレビ放送された番組を劇場のホールで眺めながら、ロバートは大笑いした。歓迎する側まであっけに取られてしまっている。使用人一同、ぽかんと口を開けており、「劇団よりずっと知名度高いぜ」 ブレットが笑いながら涙を拭いた。「全国放送だよ、使用人ロバート・スタンリー?」
予約は半年先まで一杯のようだ。放送の最後に、テロップが流れロバートは微笑んだ。アマベルは大忙しだろう。スタッフを大幅に増やすに違いない。今度こそお化け屋敷でなくなった屋敷で、執事のドンはてんてこまいだ。サイモンは怒っているに違いない。新人の尻を蹴飛ばし(馬鹿野郎! シャンとしやがれ――)
母親の具合は大分良くなってきている。父が約束通り金を動かし、良い医者を付かせたのだ。最近は良く食べるようになってきているという。ビデオに録ったロバートの姿を見て毎日笑っているらしい。
住み慣れたアパートに戻り、ロバートが驚くのは数時間後だ。
ポストのない扉の内側で、手紙は貧乏な主の帰りを待っている。鍵の入った手紙には、アマベルの字で、こう記されているのだ。『ロバート、あなたが居なくなってからこちらは大忙しよ。半年先まで予約はびっちり、電話を取るためだけに使用人が居るくらい。あれから、あなたが帰ってすぐ、本物の――本物の、アーロン・スタンリーがここに来て、みんな驚いたわ。彼、全然あなたと似てないんですもの?
あなたの部屋に、あなた名義のカードが落ちてたのを、実は知っていました。おかしいんじゃないかって思ってた。イートン出のお坊ちゃまなのに、少しもらしくないんだもの。結局、主がひと目で見抜いてしまったわ。あなたのお父様に電話を掛けて「この子じゃない、ロバート君を寄越してくれ」 って。アーロンは今実家に居るわ。
ロバート、出来るだけ早く帰って来て。私たち、みんな待っています。使える使用人が一人でも欲しいの! 一週間後は、なんと――なんと王室の方が来るわ。逃げたお客も帰って来ています。
だからこの鍵はあんたのもの。
ps.急行は三時と五時の一本きりよ、気を付けて。 アマベル・パッサン』
(ここに、手紙の末尾にセロテープで部屋の鍵が貼り付けられている)
了
メリー・モナーク館のかくも優雅なる閑休
「メリー・モナーク館のかくも優雅なる閑休」平成二十四年ユートピア文学賞銀賞受賞
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以前受賞して頂いた作品です。
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