確証ミーム

 恐るべき思い込み。動画共有サイト、SNS、そしてネット掲示板、書き込まれた情報と、それを居場所とするもの、あるいはミーム。
数世紀前、需給バランスが、ネットカルチャ―に存在するとして、と、仮説を立て、その分析をしていたインターネット民俗学者が存在していた。今でもネット界では知る人ぞ知るといった感じの、ある種マイナーな存在、アーチング博士だ。
 彼が数世紀かけて探り当てた研究は、“ネット空間におけるリアリズムへの回帰”だった。彼によると“インターネットが特殊な体験”だったことが遠い昔の事になり、日常の一部と化し、文化の発生源となり、それがさらに発達したころ、“非日常を誤認して、それを日常に置き換えた人々”は、初めこそ、非日常的に“演じる”人間を求めていたのだが、段々と“自分に近い存在”を求めるようになった。さらに発展して、むしろどこかで、“純粋”な“日常的”な反応をする人間を、画面の向うの側に求めていた。初期から兆候はあって、その隠れた段階が、それがバーチャルアバターによるエンタテイメントコンテンツの発達に寄与してきた、というのが彼の持論。

 そのころから、バーチャルアバターを駆使した“人類の第二人格”ともいうべき“人々の擬人化”、“文化の擬人化”が行われていた、元は動画投稿サイトなどにおける、“動くアバター”を駆使したネットアイドルの登場を発端にしていたのだが、段々とAR、VR世界へもその流行が発展し、その人気がひと段落すると、SNSを駆使して、企業に属さない人々、アイドル出ない人々も“アバター”をきて人気を集めるような時代になっていった。彼曰く“アバターの人気”とは、“非日常”なものに対して“日常的”なものを求めるという、奇妙な“ギャップ”への利用者の需要が集まった結果だという。彼の没後、昨今では、彼のいうように、実際、この流行が過渡期に差し掛かった今、人気な人物というのは、現実よりむしろ純粋で、野暮なほど、純粋な反応をする人々で、異常なほどの繊細さを見せている。

 ここから彼の“持論”が始まる、文化はすべて一巡するのだと、やがては冒頭にいったような、“演じる”人間に需要が集まる時が来るのだと。“演じる”とは何か、きっと、需給バランスが崩れた時に、人々は飽きを感じて次のコンテンツをつぶしつづける。しかし、ネット自体がある種のカルチャーとなったとき、次に何を食いつぶし、何を必要とするか。アーチング博士はその時点で見破っていたのかもしれない。

確証ミーム

確証ミーム

バーチャルアバターの仮説。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-08

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